世界怪談名作集
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著者名:ドイルアーサー・コナン 

       五

 わたしが望んだごとく、われわれのうしろの氷面が破れて、細い水の条(しま)が現われて来た。それが遠く全体にわたって拡がっている。今日われわれが在(あ)るところの緯度は北緯八十度五十二分で、これはすなわち氷群に南からの強い潮流がまじっていることを示すのである。風が都合よく吹きつづくならば、結氷と同じ速さでまた解氷するであろう。現在のわれわれは、煙草をふかして機会を待ち望むのほかに何事も手につかない。わたしは急激に運命論者にならんとしつつある。風や氷のような、とかく不確実な要素のものばかりを取り扱っていると、人間もしまいにはそうならざるを得ない。マホメットの最初の従者らの心を運命に従わしめたものは、おそらくアラビア砂漠の風か砂であったろう。
 このようなお化け騒ぎが、船長に対して非常に悪い影響を与えてしまった。わたしは彼の敏感な心を刺戟するのを恐れて、このばかばかしい話を隠そうと努めていたが、不幸にして彼は船員の一人がこの話をほのめかしているのを洩れ聞いて、どうしてもそれを聞こうと言い出した。そうして、わたしが予期した通り、それがために船長のいったん鎮(しず)まっていた心がまた大いに狂い出した。これが昨夜、最も批判的聡明と最も冷静なる判断とをもって、哲学を論じたその同一人とは、とうてい信ぜられなかった。彼は後甲板を檻のなかの虎のようにあちらこちらと歩き廻っている。時どきに立ち停まって、うっとりとした様子で手を突き出しながら、何かたえられないように氷の上を見入っているのである。
 彼は絶えずつぶやいている。そうして一度「ほんのちっとの間、愛して……ほんのちっとの間!」と叫んだ。
 ああ、可哀そうに。立派な海員にして教養ある紳士が、こんな境遇に落ちてゆくのを見るのは悲しいことである。また真の危険もただ生活の一刺戟に過ぎぬとしているような船長の心を、あの空想と妄想とが威嚇するかと思うと、さらに悲しくなるのである。発狂せる船長と、幽霊におびえている運転士との間に、かつて私のような地位に立った者があるだろうか。わたしは時どきに思うのであるが、おそらくあの二等機関手を除いては、私がこの船中でただ一人の正気の人間ではあるまいか。しかし、かの機関手も一種の瞑想家で、彼を独りでおく限り、またその道具を掻きみださない限り、彼は紅海の悪魔に関するほかは何も注意しないのである。
 氷は依然として速(すみや)かにひらいている。明朝出発することが出来そうな見込みはじゅうぶんである。国へ帰って、、これまでにあった不思議な出来事を話したらば、みんなきっと私が作り話をしていると思うであろう。
 午後十二時。私は実にもう、ぞっとしてしまった。今はいくぶん落ち着いてはきたが、これとても強いブランディを一杯引っかけたお蔭である。以下この日記が証明するように、私はいまだ全く自己を取り戻してはいないのである。わたしは非常に不思議な経験を味わった。そうして、私にはどうしても合理的だとは思われないような事物を、かれらをたしかに見たというので、私は船中の者をみな狂人ときめてしまったが、今となってはそれが果たして正しいかどうか、はなはだ疑わしくなってきたのである。ああ、こんなつまらないことに神経を奪われてしまうとは、私もなんという大馬鹿者であろう。これはすべての馬鹿騒ぎのあとから起こったことであるが、ここに書き加える価値があると思う。いつも馬鹿にしていたことも、今みずからこれを経験するに及んで、もはやミルン氏の話も、例の運転士の話も、いずれもこれを疑うことが出来なくなったからである。
 畢竟(ひっきょう)、これとてたいしたことではない――ただ一つの音だけであったに過ぎない。私はこの日記を読まれる人が、いつかこの条(くだり)を読むとしても、私の感情と共鳴し、あるいはその時わたしに及ぼしたような結果を実感せられるであろうとは思わない。
 さて夕食が終わって、私は寝(しん)に就く前に、しずかに煙草をふかそうと思って、甲板へ登って行った。夜は甚(はなは)だ暗く――その暗さは、船尾端艇(ウォーターボート)の下に立っていてさえも、ブリッジの上にいる運転士の姿が見えないほどであった。前にも言った通り、非常な沈黙がこの氷の海に充(み)ち満ちているのである。この世界のほかの部分では、たといいかに不毛の地であろうとも、微(かす)かながらも大気の振動というものがある。――遠くの人の集まっている処からも、あるいは木の葉から、あるいは鳥の翼(つばさ)から、または地をおおう草のかすかなざわめきの音からさえも、何かかすかな響きがあるものである。人間は積極的に音響を知覚こそしないが、もし音というものが全然なくなってしまうと、実に物足りなくて寂しいものである。測り知られざる真の静けさが、あらゆる現実の無気味さをもって、われわれの上に押しせまっているのは、ここ北極の海においてのみで、わずかなつぶやきの声をも捉(とら)えんとして緊張し、船中にちょっと起こった小さい物音にまで熱心に注意する、われと我が鼓膜に気がつくのである。
 こんな心持ちで、わたしは舷檣にひとり倚(よ)りかかっていると、ほとんど私のすぐ下の氷から、夜の静寂の空気を破って、鋭い尖(とが)った叫び声がひびいてきた。
 最初はあたかも楽劇の首歌妓(プリマドンナ)も及ばぬような佳(い)い音調で、それがだんだんに調子を上げて、ついにその頂点は苦痛の長い号泣と変わってしまった。これは死者の最期の絶叫であったかもしれない。このものすごい絶叫は、今もなお私の耳にひびいている。悲哀――いうにいわれぬ悲哀がそのうちに表わされているかのようで、また非常な熱望と、それをつらぬいて時どきに狂喜の乱調とが伴っていた。それは私のすぐそばから叫び出したのであるが、わたしが暗闇(くらやみ)のうちをじっと見つめた時には、何も見分けることは出来なかった。私はややしばらく待っていたが、再びその音を聞くことがなかったので、そのままに降りて来た。実にわたしは、わが全生涯中にかつて覚えない戦慄を感じながら――。
 明かり取りのあるところを降りて来ると、見張り番交代に昇って来るミルン氏に逢った。
「さて、ドクトル」と、彼は言った。「おそらくそれは馬鹿な話だろうよ。君はあの金切(かなき)り声を聞かなかったかね。たぶん、それは迷信だろうよ。君は今どうお考えだね」
 私はこの正直な男に詫びを言い、そうして私もまた彼と同じように惑(まど)っていることを認めなければならなかった。おそらく、あすはわたしの考えも違ってくるであろう。しかも今の私は自分の考えをすべて書きしるす勇気はほとんどない。他日これらの忌(いや)な連想をいっさい振り落としたあかつきに再びこれを読んで、わたしはきっと自分の臆病を笑うであろう。

 九月十八日。わたしはなお、かの奇妙な声に悩まされつつ、落ち着かない不安な一夜を過ごした。船長も安眠したようには見えない。その顔は蒼白(そうはく)で、眼は血走っていた。
 わたしは昨夜の冒険を彼に話さなかった。いや、今後とてもけっして話すまい。彼はもう落ち着きというものが少しもなく、まったく興奮している。そわそわと立ったり居たりして、少しの間もじっとしていることが出来ないらしい。
 けさは私の予期のごとく、あざやかな通路が群氷のうちに現われたので、ようやくに氷錨(アイス・アンカー)を解いて、西南西の方向に約十二マイルほど進むことが出来たが、またもや一大浮氷に妨げられて、そこに余儀(よぎ)なく停船することとなった。この氷山は、われわれが後に残してきたいずれもに劣らない巨大なものである。これが全くわれわれの進路を妨害したために、われわれは再び投錨して、氷のとけるのを待つのほかには、どうすることも出来なくなったのである。もっとも、風が吹きつづけさえすれば、おそらく二十四時間以内には氷は解けるであろう。鼻のふくれた海豹数頭が水中に泳いでいるのが見えたので、その一頭を射とめると、十一フィート以上の実に素晴らしいやつであった。かれらは獰猛な喧嘩好きの動物で、優に熊以上の力があるといわれているが、幸いにその動作はにぶく不器用なので、氷の上でかれらを襲ってもほとんど危険というものがない。
 船長はこれが苦労の仕納めだとは全然思っていないようであった。他の船員らはみな奇蹟的脱出をなし得たと考えて、もはや広い大海へ出るのは確実であると思っているのに、なにゆえに船長は事態を悲観的にのみ見ているのか、わたしにはとうてい測り知られないことである。
「ドクトル。察するに、君はもう大丈夫だと思っているね」と、夕食の後、一緒にいる時に船長は言った。
「そうありたいものです」と、私は答えた。
「だが、あまり楽観してはならない。もっとも、たしかなことはたしかだが……。われわれはみな、間もなく自分自分のほんとうの愛人のところへ行かれるのだよ。ねえ、君、そうではないかね。しかしあまり楽観してはならない。……楽観し過ぎてはならないね」
 彼は考え深そうに、その足を前後にゆすりながら、しばらく黙っていた。
「おい、君」と、彼はつづけた。「ここは危険な場所だよ。一番いい時でも、いつどんな変化があるか分からない危険な場所だ。わしはこんなところで、まったく突然に人がやられるのを知っている。ちょっとした失策の踏みはずしが、時どきそういう結果を惹き起こすのだ。――わずかに一つの失策で氷の裂け目に陥落して、あとには緑の泡が人の沈んだところを示すばかりだ。まったく不思議だね」
 彼は神経質のような笑い方をしながら、なおも語りつづけた。
「ずいぶん長い間、毎年わしはこの国へ来たものだが、まだ一度も遺言状を作ろうなどと考えたことはない。もっとも、特にあとに残すようなものが何も無いからでもあるが……。しかし人間が危険にさらされている場合には、よろしく万事を処理し、また用意しておくべきだと思うが、どうだね」
「そうです」と、私はいったい、彼が何を思っているのかと怪しみながら答えた。
「誰にしたところが、それがみな決めてあると思えば安心するものだ」と、彼はまた言った。「そこで、何かわしの身の上に起こったら、どうかわしに代って君が諸事を処理してくれたまえ。わしの船室(キャビン)にはたいしたものもないが、まあ、そんなつまらないものでも売り払ってしまって、その代金は鯨油の代金が船員のあいだに分配されるように、平等にかれらに分配してやってくれたまえ。時計は、この航海のほんの記念として、君が取っておいてくれ。もちろん、これは唯(ただ)あらかじめ用心しておくというに過ぎないが、わしはこれをいつか君に話そうと思って、機会を待っていたのだ。もし何かの必要のある場合には、わしは君の厄介(やっかい)になるだろうと思うがね」
「まったくそうです」と、私は答えた。「船長さんがこういう手段をとられるからには、わたしもまた……」
「君は……君は……」と、彼はさえぎった。「君は大丈夫だ。いったい君になんの関係があろうか。わしは短気なことを言ったわけではない。ようやく一人前になったばかりの若い人が、〈死〉などということについて考えているのを、聞いているのは忌(いや)だ。さあ、船室のなかのくだらない話はもうやめにして、甲板へ行って新鮮の気を吸おうではないか。わしもそうして元気をつけよう」
 この会話について考えれば考えるほど、私はますます忌な心持ちになって来た。あらゆる危険を逃がれ得られそうな時に、なぜ遺言などをする必要があるのであろう。彼の気まぐれには、きっと何かの方法があるに相違ない。彼は自殺を考えているのであろうか。私はある時、彼が自己破壊のいまわしい罪であることを、非常に敬虔(けいけん)な態度で語ったのを記憶している。しかし今の私は、彼から眼を離すまい。その私室へ闖入(ちんにゅう)することは出来ないにしても、少なくとも彼が甲板にある限りは、私もかならず甲板にとどまっていることにしようと思った。
 ミルン氏は私の恐怖を嘲笑して、それは単に「船長のちょっとした癖」に過ぎないと言っている。彼は甚(はなは)だ事態を楽観しているのである。その言うところによれば、明後日までには、われわれは鎖(とざ)された氷から脱出することが出来る。それから二日にしてジャン・メーエンを過ぎ、また一週間ばかりにしてシェットランドが見られるであろうと――。どうか、彼が楽観し過ぎていなければいいがと思う。もっとも彼の意見は、船長の悲観的な考えとは違って、おそらく公平な判断であろう。彼はいろいろの古い経験に富んだ海員であって、なんでも物事をよく熟考した上でなくては、容易に口をきかないという人であるから――。

       六

 長い間、まさに来たらんとしていた不幸の大団円(だいだんえん)が、ついに来てしまった。私はそれをどう書いていいか、ほとんど分からない。船長は行ってしまった。あるいは彼は再び生きて帰るかもしれない。しかし、おそらく――おそらくそれは絶望であろう。
 今は九月十九日の午前七時である。わたしは何か彼の足跡にでも逢着(ほうちゃく)することもあるまいかと、水夫の一隊を伴って、終夜前方の氷山を歩きまわったが、それは徒労に終わった。わたしは彼の行くえ不明について、ここに少しく書いてみよう。もし他日これを読む人があったならば、これは臆測や伝聞によって書いたものではなく、正気の、しかも教育あるわたしが、自分の眼前に現に発生したことを正確に記述しているものであることを必ず承知してもらいたい。わたしの推量は――それは単に私自身の推量であるに相違ないが、その事実に対して私はあくまでも責任を持つのである。
 前述の会話の後、船長はまったく元気であった。しかし、しばしばその姿勢を変えたり、彼の癖の舞踏病的な方法でその手足を動かしたりして、神経質そうに苛(いら)いらしているように見えた。彼は十五分間に七たびも甲板へのぼって行った。そうして、二、三歩も大股に急ぎ足で甲板を歩いたかと思うと、また直ぐに降りて来る。わたしはその都度(つど)について行った。彼の顔の上に、なんとなく不安な影がただよっているのが見えたからである。彼は私のこの懸念(けねん)をさとったらしく、わたしを安心させようとして殊更(ことさら)に快活をよそおい、ほんのつまらない冗談にも、わざとからからと笑ったりしてみせた。
 夜食の後、彼は再び船尾の高甲板へ登った。夜は暗く、円材にあたる風のひゅうひゅうという陰気な音を除いては、まったく静寂であった。密雲が北西の方から押し寄せて来て、その雲の投げたあらい触角(しょっかく)が、月の面を横ぎって流れていた。月はこの雲間を透して時どきに照るのである。船長は足早に往ったり来たりしていたが、私がまだついて来ているのを見て、彼はわたしのそばへ来て、下へ行ったらいいだろうということを、謎かけるように言うのであった。――それは言うまでもなく、甲板にとどまっていようとする私の決心をますます強めるものであった。
 この後、彼は私の存在を忘れたように、黙って船尾の手摺りによりかかって、一部分は暗く、一部分は月の光りにおぼろに輝いている大氷原のあなたを、まじろぎもせずに見詰めていたのである。わたしは彼の動作によって、彼がいくたびか懐中時計をながめているのを見た。彼は一度、何か短い文句をつぶやいたが、ただその中の「もういいよ」という一語しか聴き取れなかった。
 闇に浮かぶ船長の大きい朦朧(もうろう)とした姿をながめ、さらに彼があたかも媾曳(あいび)きの約束を守る人がぼんやりと物を考えているような姿で立っているのを見たとき、私は全身にさっと不気味な寒さを感じたことを白状する。しかし、誰との逢いびきであろう。私が一つの事実と他の事実とを接(つ)ぎあわせたとき、あるおぼろげな観念は浮かんで来たけれども、その結論はやはりまとまらないのであった。
 彼が突然に熱狂したような様子を示したので、わたしは当然彼が何かを見たと思った。私はそっとそのうしろに忍び寄ると、彼は船と一直線上をすみやかに飛んでいる霧の圏のようなものを熱心に見つめていた。それは形のない朦朧たる一種の星雲体のもので、それに月の光りがさしたとき、ある時は大きく、ある時は小さく見えるのである。月はこのとき、あたかもアネモネの覆(おお)いのように、極めて薄い雲の天蓋をもって、その光りを小暗(おぐら)くしていた。
「ああ、やって来るよ、あの娘が……。ああ、やって来るよ」と、測り知れぬ優しさと、憐れみの籠った声で、船長は叫んだ。
 それはあたかも長いあいだ待ち設けていた愛情をもって、可愛い者を慰めてやるように――。そうしてまた、愛を与えるのは、受けるのと同じく愉快であるといったように――。
 その次のことは、まったく瞬間的に突発したのであって、私には何とも手のくだしようがなかった。彼は舷檣の天辺(てっぺん)にむかって飛んだ。それから再び飛ぶと、彼はすでに氷の上にあって、かの蒼白い朦朧たる物の足もとに立ったのである。彼はそれを抱くように両手を衝(つ)と差し出した。そうして、両方の腕をひろげて、何か色めいた言葉を口にしながら、闇の中へまっしぐらに走り去った。
 わたしは硬くなって突っ立ったままで、その声が遠く消えてしまうまで、闇に吸われてゆく彼の姿を、大きい眼で見送っていた。私は再び彼の姿を見ようとは思わなかった。ところが、その瞬間に月は雲のあいだから皎(こう)こうと輝き出(いで)て、大氷原の上を照らしたので、わたしは氷原を横切って非常の速力で走ってゆく彼の黒影を、遙かに遠いあなたに認めた。これが、彼に対するわれわれの最後の一瞥(いちべつ)であった。――おそらく永久にそうであろう。
 間もなく追跡隊が組織されて、私もそれに加わったが、みんなの気が張っていないので、何を見いだすことも出来なかった。数時間以内には、さらにもう一度、捜索が試みられるはずである。私はこれらのことを書きながら、自分は夢でも見ているのか、あるいは何か恐ろしい夢魔にでもおそわれているような心持ちがしてならない。

 午後七時三十分。第二回の船長捜索から、疲れ切ってただいま帰って来た。捜索は不成功である。この氷山は途方もなく広いので、われわれはその上を少なくも二十マイルは歩いたが、行けども行けども果てしがありそうにも思われなかった。寒気は近ごろ非常に厳しいので、氷の上に降り積む雪が御影石(みかげいし)のように固くなっている。こんなことさえなければ、船長の足跡ぐらいはすぐに見つけられたであろう。
 船員らは纜(ともづな)を解いて、氷山を迂回して南方にむかって船を進めようと、しきりにあせっている。氷も夜のあいだはひらけて、海水は地平線上に見えているからである。かれらは「クレーグ船長はきっと死んでいる。それであるから、われわれに脱出の機会があるにもかかわらず、ここにぐずぐずしているのはくだらなくみんな生命(いのち)の質(しち)をするものである」と論じている。ミルン氏とわたしとが大いに尽力して、ようよう明日の晩まで待つように一同を説き伏せたが、その以上はいかなる事情があっても、出発を延期しないと約束させられてしまった。そこで、われわれは数時間の睡眠を取った上で、最後の捜索に出発するように提議したのであった。

 九月二十日、夜。わたしは今朝、氷山の南部を探索に出発し、ミルン氏は北の方へ出発した。十マイル乃至(ないし)十二マイルの間、およそ生きているものの影というものは全く見られず、ただ一羽の鳥がわれわれの頭の上を高く飛んで行ったばかりである。その飛び方によって、私はそれを鷹(たか)だと思った。氷原の南端は狭い岬(みさき)のように、その尖端が細まって海中に突出している。この岬の麓へ来た時に、一行は足を停めてしまった。しかし私はいかなる機会をもおろそかにしなかったという満足を得たかったので、岬の行き止まりまで探して見るようにと、みんなに頼んだ。
 百ヤードほど行くか行かぬに、ピーターヘッドのムドナルドが、われわれの前方に何か見えると叫んで走り出した。われわれもまた、ちらりとそれを見て走り出した。最初はそれが白い氷に対して、ぼんやりと黒く見えただけであったが、近づくにつれてそれは人の形をなして来た。そうして、しまいにはわれわれが捜しているその人の形となって現われたのである。彼は氷の土手にうつむきに倒れていた。多くの小さな氷柱(つらら)や、雪の小片が、倒れている彼の上に吹きつけて、黒い水兵着の上にきらきらと光っていた。
 われわれが近づいてゆくと、にわかに一陣の旋風がさっと吹いてきて、紛(ふん)ぷんたる雪片を空中に巻き上げたが、その一部は落ちて来て、また再び風に乗って、海の方へすみやかに飛んで行ってしまった。わたしの眼にはそれが単に吹雪としか見えなかったが、同行者の多くの者の眼には、それが婦人の形をして立ち上がり、屍(しかばね)の上にかがんでこれに接吻し、それから氷山を横ぎって急いで飛び去ったように見えたと言うのであった。
 わたしは何事によらず、それがどんなに奇妙に思われても、ひとの意見をけっして嘲笑しないようにこれまで仕馴れてきた。たしかに、ニコラス・クレーグ船長は悼(いた)ましい死を遂げたのではなかったものと思う。彼の青く押し付けたような顔には、輝かしい微笑を含んでいる。そうして、死のあなたに横たわる暗い世界へ彼を招いた不思議の訪問者をとらえるかのように、彼はなお両手を突き出しているのである。
 われわれは彼を船旗に包み、足もとに三十二ポンド弾を置いて、その日の午後に彼を葬(ほうむ)った。わたしが弔辞(ちょうじ)を読んだとき、荒らくれた水夫はみな子供のように泣いた。それというのも、そこにいる多くの者は彼の親切な心に感じていたのである。そうして、今こそその愛情を示すことが出来たのである。彼の生きている時には例の不思議な癖で、彼はむしろこういう愛情を不快に感じて、いつも拒絶してきたのであった。
 船長の屍は、にぶい寂しい飛沫(しぶき)をあげて、船の格子を離れていった。わたしは青い水面を凝視していると、その屍は低く低く、遂に永久の暗黒にゆらめく白い小さい斑点となって、それさえもやがて見えなくなってしまった。秘密や、悲哀や、神秘や、あらゆるものを彼の胸にふかく秘めて、復活の日まで彼はそこに横たわっているのであろう。その復活の日には、海はその死者を放ち、わがニコラス・クレーグは笑みをたたえ、かの硬(こわ)ばった腕を突き出して挨拶しながら、氷の間から現われて来るであろう。彼の運命がこの世におけるよりは、あの世においていっそう幸福ならんことを、わたしは切(せつ)に祈るものである。
 私はもうこの日記をやめにしよう。われわれの帰路は平穏無事であり、大氷原もやがては単に過去の思い出となるであろう。少し経てば、私はこの事件によって受けた衝動(ショック)に打ち克(か)つことが出来よう。この航海日誌をつけ始めたとき、私はそれを終わりまで書かなければならないとは考えていなかった。私は人のいない船室(キャビン)でこれを書いている。今もなお時どきにびくりとしたり、または頭の上の甲板に死んだ人の神経的な速(はや)い跫音(あしおと)を聞くように思ったりして――。
 私は今晩、かねて私の義務であったので、公正証書のために彼の動産表を作ろうと思って、船長室へはいってみると、すべての物は以前にはいった時と少しも変わっていなかった。ただ、かの婦人の水彩画だけが――これは船長の寝床のはしにかけられていたと言ったが――ナイフのようなものでその枠から切り取られて、ゆくえ知れずになっていた。これを不思議な証跡の連鎖となるべき最後のものとして、私は「北極星号」のこの航海日誌の筆を擱(お)く。

(附記)――父のマリスターレー医師の注。――わたしは自分の忰(せがれ)の航海日誌に書かれている、北極星号の船長の死に関する不思議な出来事を通読した。すべての事がまさに記述のごとくに起こったということは、私の十分に信ずるところであり、また実際、最も正確なことである。というのは、彼は真実を語ることには最も慎重な注意を払うものであることを知っている。かつまた、この物語は一見非常に曖昧糢糊(あいまいもこ)としているところから、私は長い間その出版に反対していたのであるが、二、三日前、この問題について独立的な確実の証拠を握ったので、それによって新らしい光明があたえられることとなった。
 わたしは英国医学協会の会合に出席するために、エジンバラへ行ったことがある。そこでドクトルP氏に出逢った。氏は古い大学の同窓生で、今はデボンシャーのサルタッシに開業しているのである。忰のこの経験談をわたしが物語ると、彼はその人をよく知っていると言った。さらに少なからず驚いたことには、私にかの船長の人相書をあたえた。それは船長がやや少し若く描かれているほかは、この日誌に記(しる)されたところと、まったく符合しているのである。彼の説明によれば、その船長はコーニッシ海岸に住んでいる非常に美しい若い婦人と許嫁(いいなずけ)の仲であった。ところが、彼が航海の留守中に、その婦人は奇怪なる恐怖が原因をなして死んでしまったというのであった。




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