鰊漁場
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■暇つぶし何某■

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著者名:島木健作 

鰊漁場島木健作          一 赤い脚絆がずり下り、右足の雪靴(つまご)の紐が切れかかっているのをなおそうともしないで、源吉はのろのろとあるいて行った。やっと目的地についたという安心も手伝って、T町の入口にさしかかった頃には、飢えと疲れとで彼はそのままそこの雪の上にぶったおれそうだった。角の駄菓子屋で塩あんの大福を五銭だけ買い、それを食いながら、街路の上にようやく人通りの増して来た町のなかへ彼は這入って行った。 長い道のりのあいだ、行手にあたって絶えず見えかくれしていた積丹(しゃこたん)岳は、山裾までその姿をあらわしてすぐ目の前に突っ立っていた。三月に入ると急に気温が高まり、街路の雪が足に重たくべたつくような日がもう三四日つづいていた。見あげると積丹岳の上に重々しくかぶさっていた雪雲はいつか少しずつ割れて行き、その隙間からは晴々とした青い空がのぞかれるのであった。ときどき思い出したように雪がちぎれとんだ。空は晴れていながら、どうかして日の光がうっすらとかげると、どこからともなく雪がおちてくるのである。手にとってみるとしっとりとしたしめりを含んでい、掌の上ですぐにも溶けてしまうような淡雪だった。そこにも春の近さが感じられた。――街道を行きかう馬橇引や、買物に出て来たらしい百姓たちはいくどかまぶしそうに空を仰いだ。源吉はうなだれていた首をあげると、太い息を空に向って吐いた。 家並みがだんだんこみあって来た。長い間の冬眠から今さめようとしている町のけはいがその家並みのうしろにじいっとひそんでいた。町全体がかもし出す雑然としたものおとが、高くはないがどこか明るいひびきをもって、さかんな活動の一歩手前にある人間の動きを示していた。 町の中央、往来に面して、居酒屋、雑貨屋、鍛冶屋などがならんでいるところへ源吉は出たのである。雪がつもって道路はずっと高くなっており、屋根は重々しく雪をかついでいるので、それらの家並みは半ば地の底にめりこんででもいるかのように見えた。賑やかな歓声がそのなかの一軒から引っきりなしにもれてくる。――そこまで来て立ちどまりちょっと躊躇したかに見えたが、彼はやがて近づいて行ってその家のガラス戸をあけた。「さけ」「めし」と半紙に書いて貼りつけてあるそのガラス戸は雪の重みでひどくゆがみ、ぎしぎしと軋んだ。 ちかちかと刺すような銀いろの雪の輝きに麻痺した目は、一瞬土間の暗さにたじろいだ。が、すぐに慣れた。じっと目を据えて見ると、土の上にじかにおかれた細長い飯台に向いあって、漁夫、馬橇引、百姓などとりまぜて七八人が腰をおろしていた。「ちょっとお尋ねしやす。」 源吉は敷居の外につっ立ったまま、にこりともせずまるで怒ってでもいるかのような調子で言った。「大丸たらいう漁場の事務所はどこかね?」 人々はもうだいぶ酔っているらしかった。突然の闖入者に彼らは話をやめ、互いに顔を見合し、それから源吉の風体をさぐるようにじろじろと見た。「あんさん、鰊場稼ぎなさるのかね?」 源吉の問にはすぐには答えないで、問いかえしたのは、四十余りの屈強な漁夫であった。「今っから旦那と契約すんのかね?」「ああ、」「そりや、遅かろうて、みんなもう、去年のうちにすんでいるべものな。」 同意をもとめるかのように一座の人々の顔をずーっと見まわし、それから又源吉の方へ向きなおって、「まア、行って見べし、大丸の事務所はな、この前の道をつきあたったら左さ二町ばかし行ぐんだ、浜さ出る途中さ白い土蔵があっから、その隣りが事務所よ。」 とおしえた。 源吉は礼もいわず、むっつりとしたままもとの道へかえって来た。「そりゃ遅かろう」だって! そんなこたア俺だって知ってらア、糞でも喰らえ、と彼は腹のなかで叫んだ。自分ながらわけのわからない、じりじりとした怒りが荒々しく彼の身裡をかけ巡った。誰に向けられるともないその腹立たしさが、じつはなかば棄鉢になっている自分自身に向けられているということを彼自身は知る由もなかった。 鰊漁場の漁夫の雇傭契約が、前年内に取りきめられる例であるということは、人におしえられるまでもなく源吉も知っていた。三月から、五六月まで、農閑期を利用して鰊場稼ぎをする百姓たちにとっては、その際の前借金が、年末金融の唯一最大のものであった。前年の十一月、十二月中に彼らは給料の前借をして出稼を契約し、その金で辛うじて越年し、――翌年の春、実際に働いて帰るときに受けとる金というものは、帰郷の旅費にも足らぬものが多いのだった。その間の事情をよく知っておればこそ、重い雪靴(つまご)の足を引ずって教えられた道を大丸の事務所の方へあるきながら、源吉の心は暗い不安につつまれていた。もう遅い、と、もしもここでことわられたらどうしようという不安だった。――親子五人の口をつなぐ飯米の最後の二俵を、親爺の留守のあいだに橇で町へ運び出し、金に代え、それを博奕のもとでに使い果してしまったのはつい一週間まえのことだ。じゃがいも、唐もろこし、麦、稗、大豆の類を主食にし、その間にわずかに天井粥をすすって米の味をしのんでいる彼らにとって、その二俵はどうしても夏まで食いつながねばならぬ食料だった。その大切な命の綱を金に代えたのも、だが源吉にいわせれば考えに考えた末であった。その金を何倍にもし帰りの橇には何俵もの米を積んで帰る心算でいたのである。そうして彼がそんな考えを起すようになったというのも、もとをただせば小作料と税金の滞納と借金とにその原因があったのである。それらに責め立てられる苦しさから、なんとかして脱れ出ようとするあがきのはてがそういうことになったのだ。――二俵の米に執着し切った彼の頭はしかし、車座になって勝負を争ったその最初から乱れていた。骸子(さい)ころを睨んでいる彼の目は血走り、息はせわしくはずんでいた。焦立てば焦立つほど、だがいい目は出ず、ついには骸子そのものに一つの意志があって、源吉の上にばかり意地わるく働きかけてくるような気さえするのだった。最後の一勝負が終ったとき、彼は荒々しく叫んで立上り、口ぎたなく人々を罵り、そのまま外へとび出してしまった。暗夜の吹雪のなかを彼はあてもなく彷徨した。そしてそれっきり家へは帰らなかった。―― 街道をつき当ってそこを左へまがると、海はすぐ目の前だった。 小樽湾をかかえ込む積丹岬の突端が、とおく春の日ざしのなかにかすんで見えた。日本海の上を渡ってくる潮風は大きなうねりをうって吹き抜け、積丹岳につづく連山につきあたってごーっと鳴った。源吉は荒い潮風に吹きさらされて立ち、長い間忘れていた磯の香を胸をひろげて心ゆくまで吸った。浜べは波打際の近くまで雪がなだらかな傾斜を見せて積ってい、鰊場の除雪作業がまだ始まっていないことを示していた。それは彼にかなりの安心をあたえた。 大丸の事務所はすぐにわかった。白壁の土蔵に隣り合った二階建で、低い家並みからぽつんと切りはなされて立っていた。源吉はその前まで行って立ちどまると、ちんと音をさせて手洟をかんだ。それから腰の手ぬぐいを取って前をはらい、戸口をあけて土間へはいって行った。案内を乞うと、出て来たのは漁場の帳場であろう、黒羅紗の厚子(あつし)を着た四十前後の男であった。くどくどと述べ立てる源吉のいうことをだまってきいていたが、その言葉の切れるのを待って、「鰊場かせぎしたこたアあんのか?」 と訊いた。源吉は、ある、と答えた。それは嘘だった。渡道前、秋田の半農半漁の家に少年時代を過した彼は、浜の仕事はなんだっておんなじこととたかをくくっていたのだ。男はうさんくさそうにじろじろみていたが、「どこでよ。」「余市の〈サの鰊場。」と聞きおぼえで出たらめを言った。「保証人はあるべな。」 そこで源吉はまた、当惑をおしかくしながらいろいろと作りあげた事情を述べたてなければならなかった。保証人の判をおした引受書を持ってきたのだが、途中でおとした。などと見えすいた嘘を言った。押し問答のあげく、保証人へはすぐ手紙を出す、ということにして、結局雇ってもらうことになった。漁夫たちが全部出揃い仕事がはじまるまでのあと一週間を、事務所に泊めてもらうことにした。毎年、青森から半分、道内から半分、「鰊殺しの神様」が募集される。しかし、いよいよ、監督に引率されて漁場に向って出発する迄には、逃亡者や、病気で来られなくなるものが二人や三人は必ずあった。従ってそれらの補充を見ておくことが漁場としては必要であったのである。          二 灰色の雪雲がまた積丹岳の上の空をおおいはじめた。斜に一直線に降ってくる雪が、水面近くなってからはげしい風に吹きとばされて暗い海のなかに乱れとんだ。溶けかかった街路の雪はかたく凍てついて足の下できしきしと鳴った。冬がまたもどったかとおもわれた。――が、やがてふたたび春の近さをおもわせるような日がかえって来た。そしてどんよりとしたうすぐもりの、しかし気温の高い日がずっとつづいた。 鰊ぐもりだ。 北から西にかわった潮風は湿気をふくんで生温かかった。さむざむとした暗い海のいろにも緑の明るい色がさして来た。――北海道の西海岸は対馬海流の流域にあたる。津軽海峡の西方の沖合を走り、積丹半島をすぎ宗谷海峡にはいる対馬海流は、三月四月の間、漸く膨脹し来って春の気運のさきがけをする。気温はあがり、水温も五度―七度前後に上昇する。太平洋やオホツク海にあって年を経た春鰊は、その頃になると、大群をなして本島の西海岸さして「群来(くき)る」のだ。鰊に従って移動する鴎の群れがまずそれに先行する。空は連日乳白色にかきくもり、海の水は雄鰊の排出する白子のために米磨ぎ汁を流しこんだように青白色に濁ってくる。 周旋屋の手を経て募集された漁夫たちが、津軽及道内の各地から全部あつまった夜、大丸の旦那の家の大広間では安着祝があった。 正面の神棚には燈明が赤々とともっている。漁夫たちは真新しい青畳に気をかねながら、もり上った股をきちんと揃え、節くれ立った両手をその上において窮屈そうに坐った。仕事着のままのもあり、わざわざその日のために持って来たらしい小ざっぱりとした着物を着こんだのもいた。船頭、下船頭が上座にすわり、漁夫がそれにつづき、陸廻(ボエマワ)し、炊事夫(ナベ)が一番下座だった。漁夫たちはむっつりとふくれた顔をし、案外元気がなかった。「前借りなんぼした?」「うん、……八十両よ。あと十両しかのこんねえで。汽車賃にも足りなかんべえよ。」 あっちこっちでがやがやと、となり同志で話し合った。みんな金のはなしだった。前借金は七十円以上借りてないものはほとんどないといってよかった。そしてその金もとっくの昔に一文のこらず使いはたしていた。明日からの三ケ月間のはげしい労働がまるで無償労働のような気がして、重くるしい気分に引ずりこまれるのだった。 帳場をうしろに従えて、漁場主である旦那が出て来て座につくとみんなはしーんとした。渋好みの和服姿で、赤ら顔の、どっしりした感じの旦那を人々はまぶしそうに見あげるのであった。旦那は簡単に、遠路御苦労、といい、今年もなにぶんよろしくたのむ、と挨拶した。それから船頭、下船頭の名をあげて、役員を依頼する旨をのべた。漁夫たちはこの時から彼ら二人を親方と呼ぷことになるのだ。次に監督をかねている帳場が立上った。「旦那にかわってちょっと注意までに言っときます。」ふところから二つに折った紙を取出し、それを見い見い、慣れ切った口調で彼は説明しはじめた。字の読めない漁夫たちが、一体何が書いてあるのか知りもしないで三文判を押した雇傭契約書の内容についての説明であった。病気又は飲酒、その他の事故で休んだときには、その休日の給金を日割として給料金のうちから引去ること。労務に服するのは日出より日没迄であるが、漁撈、製造の場合は昼夜をとわず、凡て旦那、親方の命に従い何時にても労務に服すること。鰊乗網中は風浪の危険を犯し、昼夜の区別なく最大労務に服すべきこと。労務期間中、死亡し又は負傷して将来労働に堪えざるときは、慰藉料として漁場主より金一封を支給すること。その他等々。 漁夫たちはだまってきいていた。みんな、そんなことはどうでもいい、と投げ出しているふうに見えた。風浪の危険を犯し、昼夜の区別なく、云々、と声高くよみあげられたときに、ほーっ、えれえこったな、と突然大きな声を出したものがただひとりあった。みんなはびっくりしてその男の方をふりかえってみた。が、話が終りに近づくに従って彼らはしきりに襖のほうを気にし出した。もう酒が出そうなもんだ、とおもうのである。「わかったな?」 と帳場はみんなの顔をずーっと見まわしながら言って、「では、どうぞ。」と、旦那の前に小腰をかがめた。旦那は立上ってうやうやしく神前に額ずき、ぱんぱんと拍手(かしわで)をうって大漁の祈願をこめた。漁夫たちもそれにならった。 待ちかねていた酒はやがて出るには出たが、一人あたり冷酒一合五勺にも満たなかった。それに心の底であてにしていた女が出て給仕をしないことがもの足らなかった。縁(ふち)の厚い大きな湯呑一杯で尽きてしまう冷酒を、ちょびりちょびりと舌の先でなめずりながら、むっとした顔を一層不満そうにふくらせて、互いに何か言いたげに目と目を合した。旦那の姿が消えると同時に、その不満ががやがやと騒々しい言葉になって吐き出された。「俺ア、ここの鰊場アはじめてよ。けちんぼうだのう。もう二度と来るこってねえだ。」とひとりが言った。「余市のな、〈サ漁場な、あすこへ行って見れで。着いた時と網おろしにゃ、なんぼでも呑ませっぞ。腰の抜けるぐれえ、呑ませっぞ。」と他の一人が言った。「この酒こ、水まぜてねえだか。」誰かがそういうとどっと笑い声が起った。監督と二人の親方に聞こえよがしに彼らは言うのだった。 祝宴(?)がおわるとみんなは立上った。と、すぐそばにいた若い男が、源吉の横へずーっとよりそって来て、「おい、行ぐべよ、な。」といって、にやにやと笑った。「どこさよ。」「どこさって……。わかっていべえに。おみきの匂いこかんだばしで、どうしてこれから去(い)んで寝られっけに。行ぐべな。」「行ぐべ行ぐべ。」 [#底本は改行天付き]がやがやとたちまち二三人が集まって来てその男を取りまいた。「こったら、雀の涙みてえ酒このんだばしで、どうして去(い)んで寝られっけえ。」 五六人ずつかたまって外へ出た。暗かった。春といってもさすがにまだ寒く、凍てついた街道に氷のくずれる音がばりばりときこえた。はるか彼方の丘のあたりから、どん、どん、ど――ん……と高く低くうちならす太鼓の音が闇をつんざいてきこえてくる。町の氏神が鳴らす大漁祈願の太鼓だ。しばらく闇のなかに立って源吉は胸算用をしてみた、帳場から借りた金がまだ五円はある。二つの心が彼のなかでしばし争った。が、すぐに彼は、もう十間以上も先に行く男たちのうしろから追っかけて行った……。 酔い痴れてそこに泊りこんでしまった仲間たちからはなれて、真夜なかに源吉はただひとり宿舎へ帰って来た。彼らの宿舎は旦那の家から少しはなれたところに立っていた。板のすきまからは遠慮なく吹雪の吹きこむようなバラック建だった。大広間の三分の一は炊事場で、残りの三分の二の板の間に筵を敷き、漁夫たちはその上にごろ寝をするのだった。 誰一人として寝具をもっているものはなかった。どてら一枚を引っかけたきりで、仕事着のまま横になるのだ。流れて来て、偶然ここへ足をとどめることになった源吉にはそのどてらの持合せすらない。雑魚寝をしている仲間の間にわりこんで横になり、眠ろうとするのであったが、飲みつけない酒に頭はがんがんと鳴り、容易に寝つかれなかった。たったいまそこを出て来たばかりの小料理屋での記憶が――ぐったりとしなだれかかって来て、腕を首にまきつけたりする若い女の白くぼやけた顔や、やけにかん高い音を立てるこわれかかった蓄音機の音などが、遠い昔のことででもあるかのようにおもい出されて来た。悔恨と、むしゃくしゃした腹立ちと、同時に図太い棄鉢的な考えとが、ひとつになってぐるぐると胸のなかをかけめぐった。ふりかえって見る自分の姿はまた浅ましく癪にさわるばかりだった。どこまで落ちて行くのかと空おそろしいような気さえしてくる。――だがそれも、袋小路からの出口を求めて散々のたうちまわったあげくのはてなのだから、今更どうにも仕方がなかった。村での源吉はほんとうに身を粉にして働いて来たのだ。いいという畑作物はなんでも作ってみた。副業も一通りはやってみた。土木事業の出面(でめん)にも出た。冬には木樵もやった。しかも年中南瓜と芋ばかり食っていなければならないとすれば、――南瓜と芋ばかり食いながら、しかもなお毎年毎年小作料と税金の滞納に苦しめられなければならないとすれば、一体どうしたらいいんだ。出口はもうない。えたいの知れない不可抗力にずるずると引ずりこまれて行くばかりだ。いらだたしい思いがぐっと胸をつきあげて来て、糞でも食らえと彼はふたたび荒々しく肚のなかで叫んだ。 ――とろとろと眠りかけたかとおもうと、ぞっとする寒さを襟もとに感じて源吉は目をさました。生つばがしきりに出て口のなかは灼けるようだった。 ふと彼は身近になにかもののけはいを感した。高い天井に下っている石油ランプのうす暗い光のなかで、源吉はじっと目をすえて見た。すぐ彼の目の前にまるい大きな頭が横たわってい、金つぼ眼を大きく見ひらいて、またたきもせず彼の顔を見まもっているのだ。「ああ、臭(くせ)え、臭え。」 源吉が彼の存在に気づいたと知ったとき、その男は大きな掌で顔の前を払いながらいった。「安酒くらって来やがったな。」 ずけずけと言う男の言葉ではあったが、不思議に怒れないものがそのなかにあった。源吉はむすっとしたままだまっていた。「おめえ、なんにも着ていねえな。酔いざめに冷えてはわるかんべえに。これを着るべし。」 そういって男は自分のどてらを脱いで源吉の上にかけてくれた。ことわるのも面倒くさく、彼はするがままに任せてだまっていた。寝ようとして三十分ほどそうしていたが、目がさえてもう寝つかれなかった。立上って、炊事場に行って柄杓からじかに水をのんだ。うす氷りを破ってのむ水は、灼け切った腹にいたいほどにしみた。彼はおもわずぶるぶると身ぶるいした。 寝床にかえってみると、先の男は起上って鉈豆で一服やっていた。源吉も坐って一服のんだ。しきりに何か話しかけたいふうに見え、男は自分から山本と名のり、源吉の名を訊いた。源吉はなんとなくこの男に好意が持てた。彼は返事をし、問われないさきに、この町から三十里ほど東のN村のものだと自分から進んで名のった。山本は俺は上川のK村だといい、おれはそうだがお前も小作百姓か、ときいた。源吉はそうだと答えた。話をしているあいだに彼は気がついた。宵の旦那の家での安着祝の席上で、監督の話の最中に、ほほう、えれえこった、と途方もない大声を出したのはこの男だった。 二人はそんなふうにしてだんだん打ちとけて行った。山本はねちねちした口調で、村での源吉のくらし向きの事なぞについて多く訊いた。それに答えながら源吉は少しずつ軽い気持になり、日頃の自分の重苦しい気持というものは、誰に向っても不平の訴えどころのない、捌け口のないというところからも来ている、ということに気がついた。そして日頃自分の胸にわだかまっているもやもやとしたものを、この男ならなんとか解きほぐしてくれるかも知れない、などとおもうのであった。彼は問われるままに鰊場かせぎに来るようになったいきさつについて語り、自分の村での生活について語った。――話をするうちにも、うすっぺらな移民案内一冊を後生大事にふところにいだいての闇の津軽海峡を渡った五年前の興奮が、今は苦い渣滓(おり)となって心の隅にこびりついているのを感ぜずにはいられなかった。「おめえたちのとこア、年中、米のめしくえるべな。なんしろ上川だでな。北海道一土地が肥えてっのだから」。深いため息をついて源吉はそういい、しんから山本を羨んだ。「ふん。」 鼻のさきであしらい、人を小馬鹿にしたような調子で山本はいった。源吉はむっとした。その相手の心をよみとった山本は追っかけるようにするどい声でずばり、と言った。「それでおめえ、自棄(やけ)酒くらってよっぱらってれば、その苦しさから脱けて出られっとでもいうのか。」 はっと胸をつかれて源吉がおもわず息をのむと、山本はハハハと大声を立てて笑った。源吉はしかし、こんどは怒れなかった。かえって彼は、兄貴からでも叱りつけられたときのような、叱られながらそのものによりかかっているといった、頼もしさと力つよさとをかんじたのである。「んだら、どうせばいいっていうんだ!」 彼はせっぱつまったような、苦しそうな声で言った。山本はちょっとの間だまっていた。平べったい大きな鼻がまんなかに頑ばっている、幅の広い日に灼けた顔はいつか真剣な輝きにみちている。「俺らから身ぐるみ剥ぎとって行ぐ奴からさかしまに剥ぎとってやるまでよ!」「え。……どうするんだって。」「地主よ、地主に目がつかんかい、地主に。」「うん、……]「おめえの今の小作、小作料なんぼだ。」「二俵半ばしだ。畑代は四円に近けえ。」「ふん、四俵[#底本は「俵」を「依」と誤植]も取れねえ田圃に二俵半か。それじゃなんぼかせいだとて米のめしの喰われる筈はなかんべえに。ぼやぼやしてっといんまに尻の毛まで抜かれっぞ。上川は土地ア後志なんどよりもそりゃ肥えているどもな。地主のえばっているとこアおんなじこった。その年のうちに飯米なくなって唐黍に芋まぜてくっとるぞな。んだからよ、みんなして、貧乏人同士みんなして一つに固まるのよ。そして俺たちの作ったものア、遊んでただまま[#底本は「ただまま」を「ただま」と誤植]くらってる地主に奪られねえ工夫するこった。そのほかに手はなかんべえに。――おめえの村に農民組合あっか?」「農民組合?」「なんだ、聞いたこともねえのか。もっとでかい眼玉(まなこだま)あいて世間のことを見べし。」 強い力に押された形で源吉はだまりこんでしまった。なんだか出口につきあたったような気がぼんやりしてきた。真暗がりのなかをぐるぐると鼠まいしているうちに、その一角にぽっかりと穴があいて、一筋の明りを認めたときの気持だった。 枕もとに近い波のおとのあいまあいまに、寺の梵鐘がひびきはじめた。人々の起きる時刻だ。漁夫たちは寝がえりをし、欠びをしはじめた。戸の隙間からはうっすらと朝の光りがさして来た。……          三 朝、赤毛布の前掛けに、大丸の屋号をそめ抜いた手ぬぐいの鉢巻姿で、漁夫たちは浜べに出そろった。まず除雪作業だ。廊下(漁舎のこと)を中心とする数十間の地の積雪は、屈強な男たちの担ぐ畚(もっこ)に運ばれて、またたく間に除かれてしまった。きれいに掃き清められた浜べには、蔵の中から持ち出された建網と枠網が拡げられた。前の年に漁がおわると、柿渋をほどこして格納しておいたものだが、この一年の間に鼠喰いがないか、縄ずれがないか、擦り切れがないか、雨蒸れで脆弱になった箇所はないか、と一々詳しく調べるのである。枠網は一名財産袋ともいう。建網でとらえた鰊を「汲み」あげて枠網に入れ、親舟につないで陸に曳航するものだけに、枠網に少しの破損箇所でもあれば折角つかんだ「財産」はそこからみんな逃げ出してしまう。それだけに枠網の検査は厳重にしなくてはならぬ、船頭は、「枠網履歴書」を手にし、新調の網をおろしてから今日にいたるまで網の歴史をしらべ、それによって修理箇所をさがして行く。「……コノ日、北風強ク時化トナル。鰊ヲ枠ヘ詰メ終リ小蒸気船ニ曳カシメ××港内ニ避難ス。ソノ際、障害物ノ摩擦ニヨリ舳二反目ヲ約二尺スリキラル。」――「履歴書」にはそんなふうに書いてある。破損箇所を知ると、船頭は漁夫を指揮し、マニラトワイン、南京麻等の新網を入れ替えてゆく。 一方にはまた鰊を陸上げする時に使う畚を作ったり古いのを修理したりしているものがある。ゴロを作っているものがある。生鰊を箱づめにしておくり出す、その箱を作っているものもある。――他の何人かは廊下に水を流し、清掃しはじめた。廊下とは漁舎のことで、鰊を貯蔵するところであり、また鰊をツブす作業場でもある。それがすむと干場の手入れだ。ここはツブした鰊を目刺しにして乾燥するところだ。 翌日、船頭、下船頭は慣れた漁夫十人ほどと二艘の磯舟に分乗して沖合はるかに漕ぎ出して行った。舟には覗眼鏡、探り絲、八尺、それから筵を何枚も縫い合し、それに錘をつけたものや、樹木の枝を数十本束ねて太い縄でしばり上げそれに十貫にあまる石をおもりとして結びつけたものを数箇つみこんだ。 沖合数百間、十四五尋のところへ来ると、舟はそこに碇泊した。折よく凪で海水は澄み切っている。漁夫たちは覗き目鏡で、海底を覗きこんだ。このあたり一帯の海は、鰊が卵を産みつけに群来(くき)るところだ。すじめ、ざらめ、うがのもく等の馬尾藻科の海草が、覗き眼鏡の底に鬱蒼として林のごとく繁茂して、大きな波のうねりのごとにゆらゆらとゆらめいてうつるのであった。他の一艘に分乗した漁夫たちは、探り絲をおろして海底を曳きまわしはじめた。彼らはそうやって海底の岩礁の形や、岩石の表面に牡蠣や、日和貝等の附着した箇所を知るのであった。鰊建網は長さ四十間にわたって海底に敷設する箱形の網である。そしてその箱の底をなす敷網を起して嚢網中に入り込んでくる鰊を捕獲する装置である。だからもしも網を敷設する海底が、岩礁や、貝や、その他の障害物によって凹凸がはげしければ、波のまにまにゆれうごく敷網はその障害物にふれてたちまち傷つき破れざるをえないのだ。――検査を終えた漁夫たちは、やがてそれぞれの箇所ヘ、筵[#底本ではここのみ「莚」。他は「筵」]を縫合したものや、樹の枝を束ねて大きな束にしたものを沈めるのであった。それらは何れも障害物の頂上をおおい、又は網底を持ちあげて、網が直接障害物にふれることを防ぐに役立つものである。 一切の準備を終り、やがて建込みの日が来た。 三月の下旬のある日、えらばれた吉日である。この日は旦那もわざわざ浜まで来て、仕込みを建てに行く漁夫たちの舟を見送った。網をつみこんだ親舟、それをとりまく小舟は威勢のいいかけ声と共にたちまち岸をはなれて行く。かねてから点検しておいた海上数百間の許可距離の位置に建網を投網するのだ。 無事に投網を終え、――その夜は安着祝のときと同様、酒のふるまいがあった。 仕込みを終えた翌日からは建込みの監視がはじまった。小舟にのった漁夫たちは、日のうちは投網した箇所をぐるぐるまわって、浮游した障害物が網にかかるのを注意する。鰊がくきるのは黄昏(たそがれ)から夜にかけてである。船頭と漁夫一同は、ようやく日も永くなって来た午後の四時前後には早くも夕飯を終えて磯舟に分乗し沖合に向って漕ぎいだす。建込みの場所にはかねて親舟が繋留してある。一同はその親舟にのりうつり、交代で小舟にのって、鰊の来游を監視するのであった。 そうこうしているうちに、「初鰊」の報道がつたえられる。この町の帝国水産会の支部は、事務所の前の掲示板に墨くろぐろと初鰊の速報を書いてはり出した。町には見る見る活気がみなぎってくる。大漁を祈願する鐘や太鼓の音がひっきりなしにきこえる。鰊場かせぎの出面(でめん)たちは近処の農村から続々と入りこんでくる。――どこへ行っても話は今年の鰊漁の予想でもちきりだ。漁夫たちは期せずして勇み立った。 初鰊の報道があってから一週間目に、大丸の建網にも最初の群来(くき)を見た。 凪のいい日だった。日が山のかげに沈むと、とおく沖の彼方から夕闇がおし迫って、波のいろがみるみる変ってきた。漁撈長である船頭は、舟の上から食い入るようにいろの変ってきた海面を凝視している。目で見るというよりもからだじゅうの全神経で感じるのだ。 見よ、今一瞬のうちに闇のなかにつつまれようとしている海面がそのとき異様なふくらみを見せてもりあがり、もりあがって来たではないか。――ひたひたひた、と鰊の大群はいま網のうえに乗ってきたのだ。 一瞬、舟の上に仁王立ちになった[#「仁王立ちになった」は底本では「仁王立ち」と誤植]船頭は、儼然として言いはなった。「起こせ!」 起こせ、とは網を起こせということだ。声と共に固唾をのんで待ちかまえていた漁夫の手によって、網口がただちにぐいぐいと引きあげられる。嚢網の奥部に向ってそれは繰越し繰越したぐりよせられて行く。と、たちまち真暗な網の底にあたってシュッシュッというひそやかなおとがきこえてきた。その音は次第に高く大きくなり、暫時にして水の跳ねとぶ騒然たるものおとに変って行く。――見よ、うす暗いカンテラの光りのなかにその網底に照し出された、夜目にもしるき銀鱗のひらめきを。 数人宛、鰊汲み舟に分乗して待ちかまえていた漁夫たちは勇躍して鰊を汲みはじめた。汲※(くみたも)のさばきもあざやかに鰊は舟に汲みあげられる。鰊汲み舟一杯には八石から十石の鰊を入れることができるのだ。 鰊を汲みつつ唄う漁夫の網起しの唄。――    おんじもおんこちャ―― しっかりたぐれ    船頭や―たのむぞ サ―網起し    鰊来たかよ ドッコイショ    鰊ぐもりだ 今夜も群来(くき)た    大漁ヨ― 祝いだ    サ―網起し 唄ごえは嫋々たる余韻をひいて、潮風の吹くがままに真暗な海上はるかに消えてゆく。 群来(くき)た鰊の大群は、午前の三時頃になってようやく退去して行った。漁夫たちはあけ方まで休みなしに鰊汲をつづけ舟に一杯になるとそれを枠網にうつすのであった。一杯になった枠網は親舟に繋留し、夜が明けてから陸地に向って曳航した。 浜べには町じゅうから駆り出された出面たちが、赤地に墨で奔放に書きなぐった大漁旗をおしかついであつまっていた。舟が近づくとわっという喚声があがる。すぐに陸あげがはじまる。枠網内の鰊はぽん[#「ぽん」に傍点]※で畚にうつされ、出面たちはかけ声勇ましく歩み板を渡って廊下にはこぶ。 漁舎に陸あげされた鰊の山は一刻も早く加工されねばならない。粒鰊を箱へ詰めおわると、出面と漁夫との鰊ツブシの作業がはじまる。その間にまじって学校を休んで働く子供たちの姿も見える。人手はいくらあっても足りはしないのだ。出刃を器用にひとまわしまわすと、鰊はたちまち脊鰊と胴鰊とに引きさかれる。さかれた鰊は鰓をつらねて干場で乾燥される。適度に乾燥したものはさらに二つに引裂かれて身欠き鰊となる。――一方には大釜が据えつけてあり、腐敗しかけてきた鰊がそのなかに投げこまれ、ぐつぐつと煮られている。いいかげん煮熟すると螺旋圧搾器にかけて油をしぼり、鰊粕をとる。その他数の子の製造、白子の乾燥、等々。――漁舎のなかは戦場のような興奮と喧噪のうずまきだった。生臭い魚の血のにおいと腐敗臭が、漁舎ばかりではなく浜全体にびまんして、慣れない百姓や子供のなかには吐気をもよおすものさえあった。 夜も昼もないそういう労働が何日かつづくと、源吉はさすがに参ってきた。寝て起きたあとには、過労のために自分の身体を見失ったような感覚がけだるくいつまでも残っていた。古い病気が出て弱っているらしい様子を、その顔にありありと示しているものが何人も出て来た。どこへ行っても生臭い鰊の臭いから片ときも脱れることのできないのが何よりも閉口だった。飯や漬物や、――井戸から汲みあげて呑む水にさえほのかなさかなの臭いがしみついていて、口もとにもって行くと、ぷんとした。からだにしみこんだ臭いはいくら洗ってもおちなかった。宿舎のなかは、鰊の血と脂と鱗でギラギラ光っている漁夫たちの仕事着から発散する臭いでむれるようだった。その仕事着のままの姿で彼らは眠るのだ。すぐに彼らの一人一人が虱の巣になった。からだをうごかしているときには奥ふかくひそんでいて、ときどき蠢めくだけであったが、一度横になると襟首や袖口にぞろぞろと這い出してくるのだった。「意気地なし、弱りやがったな。」 山本は例の調子で言って、源吉の顔を見あげながら笑った。 何かひきつけられるものがあり、あの晩以来、源吉はしきりに山本に近づこうとするのであった。山本も、これははっきりとした目的から少しでも源吉に話しかける機会を多く持とうとした。火事場のような騒ぎのなかではしかし、ほとんどまとまった話はできなかった。二人はそれでも仕事の時にはちょいちょい一緒になった。源吉が乗りこむ鰊汲舟には山本も乗った。鰊を割く時には山本は源吉の側に来てすわった。それには仕事になれない彼を少しでもかばおうという意味もあった。「何だア、その手つきあ。おめえ、鰊場かせぎはじめてだな。うまくもぐったものだてば。」 ※を扱ったり、出刃を使ったりする源吉の手つきを見ながら声をひそめて言うと、山本はずるそうにわらった。而してひょいと出刃を持つ手を左にかえ、鰊の血にまみれた右手を無雑作に襟首につっこんでもぞもぞさせているかとおもうと、虱をその太い指先につまみ出し、出刃の上でピチピチと音をさせてつぶしたりするのであった。          四 漁夫達は雇われるときにはみんな一様に雇傭契約書に署名して判をおしていた。その契約書の内容がどんなものであるかを、彼らはしかし一向に知らないのだった。それは美濃判紙三枚にむずかしい漢字まじりで印刷してあった。一通りよんで説明してもらったぐらいではわからないことがおおかった。判を押せといわれたから押したまでのことだった。しかしその契約書の内容というものが、決して一片の形式的な閑文字ではなくて、どんなに密接な関係において彼らの生活に直接結びついているものであるかということを、彼らはその後機会あるごとに思い知らなければならなかったのである。 四月も半ばをすぎたある夜、漁夫たちは沖に出ていた。 丁度鰊汲みの真最中だった。 風にまじって霙が降ってきた。 その日は朝から生温かい西風が吹いて気温がぐっとあがり、絶好の鰊ぐもりだった。「鰊は風下に落つ。」ということが漁夫たちの間には信じられていた。彼らは勇躍して海に出て行った。はたして日没頃から鰊は網にのって来た。 しゅっしゅっと音を立てて霙は横なぐりに顔を打った。したたり落ちる雫をぬぐおうともせず、漁夫たちは鰊の大群と組み合っていた。 瞬時に風は西の疾風となって吹きつけて来た。真暗闇の海の底が、遠い遠い沖の彼方からとどろとどろに鳴りひびきその音は次第に高く近くなり、大風が谷間に落つるときのような音を長くひいて過ぎて行った。親舟の腹にうちつける波の音が次第に大きくなってきた。 時化だ。 ここの海岸は西に面しているので、西から吹きつける疾風の時には大時化になることはわかっていた。漁夫たちはしかしすぐに引きあげるわけにはいかなかった。こういう時に一切の采配をふるう船頭の口は堅くとざされたままである。「鰊乗網中ハ風浪ノ危険ヲ犯シ、云々」の契約書の文言を彼は固く守っているのかも知れない。漁で沖合に碇泊中はたとえ時化になったからといって、すぐに上陸するということは船頭仲間の恥じとされている、という理由もあったろう。――それに今はちょうど鰊が網にのっているのだ。鰊汲舟は鰊で充たされていた。すくなくともその鰊を枠網に詰め終るまでは引きあげるわけにはいかぬ。 ――ほんとうに大きな波は音も立てずに来た。舟のなかの身体が軽く持ち上げられたかとおもうと、すーっと山の頂上に押しあげられて行き、次の瞬間にはほとんど真逆様に奈落の底までおちよとばかり叩きつけられる。さすがの漁夫たちも目をつぶって舟底にへばりつくばかりだった。――今はもう引きあげるのほかはなかった。 まだ半分も詰め込みのすまない枠網は親舟に繋留して浜べへ急ぐことになった。鰊汲舟にはなお三石から五石ぐらいの鰊を入れていた。漁夫たちは身軽になるために、今はやむを得ずその鰊を海中に抛棄しなければならなかった。 霙は吹雪とかわり目もあけて居れないぐらいに吹きつけて来た。天も海も真黒に塗りつぶされた闇のなかに、カンテラの光りがかすかに明滅し、海鳴りと風の咆哮とが、その音を競い合った。 瞬間、ふたたび小山のような大波が来た。 ちょうど源吉の乗っている舟だった。九天の高さから真逆様に叩きつけられる刹那、思わず目をつぶった源吉は、耳元にかすかにあッという叫び声を聞いたとおもった。――大波がすぎ去り、ほっと息をついて船中の闇を見まわしたとき、彼は急にぞっとした寒さを襟元に感じた。「おーい、」と彼は大声で叫んだ。「おーい、」と舟のなかの仲間はすぐに答えた。 人々は闇のなかで互いに呼び合った。しかしその声は源吉を加えて四人だった。一人足りないのだ。漁夫のうちで一番年長の、このごろ神経痛になやんでびっこをひいていた、六助という親爺だった。 それと知った人々は、こんどは暗闇の海に向って叫びはじめた。船端から身をのり出すようにして、声を限りに叫んだ。返事はなく答えるものはただ風と波のおとだけだった。 晴れた朝がやがておとずれたが、六助親爺の死体はついにあがらず仕舞だった。破損した網の修理やなにかでしばらく仕事を休む日がつづいた。 六助は隣村の、やはり農閑期を利用して毎年鰊場かせぎをしていた百姓だった。遭難後二三日すると、頭一面に瘡(カサ)のできたわらし[#「わらし」に傍点]の手を引いて、嬶が泣く泣くやってきた。帳場に会ってしきりに何かくどくどと訴えているらしい姿がとおくから見られた。 彼女が帰ったあとで、その時彼女が帳場からもらった慰藉料がたった三十円だったといううわさが、どこからともなく伝わると、漁夫たちはわきたった。「人間一匹の価、三十円とはどうでえ。」「つぶして売ってももっとにはなるべえ。」 彼らはふんがいし、旦那と帳場の仕打を恨んで口々にわめきたてた。 食事の時だった。めったにそんなところに来たことのない帳場が、飯台にズラリとならんで飯を食っている漁夫たちのところへやって来た。 「お前たちこんどの六助のことで不平を言ってるようだが、」と彼は言った。「そんなこというなア罰あたりっていうもんだぜ。六助には全部前貸してあったんだから、こっちが大損なんだ、それを旦那は俸引になすってそのうえ特別に三十円も下すったんだ。第一お前たちの入れている契約書にゃ、労務中死亡したるときの慰謝料は金一封とあって、それはみんな旦那一人のお思召にあるこったからな。多いの少ないのって言えたこっちゃねえ。それはお前達も承知のはずだ。」 漁夫たちはだまりこんだまま飯を食っていた。腹は立ちはするものの、直接自分自身の問題でないだけに、どうでもいいとおもっているのだった。――源吉はしかしだまってはすませないものをかんじた。夜、そっと山本に耳うちして帳場をなぐっちまおうとおもうがどうだ、と言った。山本はいかにも源吉らしい考えだといって笑った。「帳場をなぐったってどうなる。お前が追い出されるまでのことよ。そして追い出されたらただではすまねえぜ。給科はふいになるし、前借した金にゃ一ケ月三分の利子つけて、元利耳をそろえて返さにゃならねえんだぜ。まアもう少し待て」彼は落つきはらってそういうのだった。 そのことがあってから十日ほど経ったある日の朝、町の駐在所の巡査が、帳場と一緒に廊下で働いているみんなのところへやってきた。「木村音吉ってのいるか?」 それは津軽から出稼ぎに来ているまだ三十前の若い男だった。不安そうな顔つきをし、彼は二人に連れ立ってどっかへ出て行った。 それから一時間ばかりして帰ってきた木村音吉の顔は真青だった。手には一枚の紙きれを持っていた。「どうしたんだ?」 みんなは口々にいいながら木村の周囲をとりまいた。彼はだまってその紙きれをみんなに見せた。――在郷軍人、木村音吉にたいする召集令だった。人々はだまって顔を見合せた。 木村が青くなった直接の原因を、人々はしかし彼の口からそれと説明されるまでは知ることができなかった。――雇傭契約書の第十条にはちゃんと書いてあった。「被雇本人、軍籍ニアリ、万一不時ノ召集ヲ受ケ、労務ニ服スルコト能ハザルトキハ、前借金ニ利子ヲ附シ即時本人又ハ保証人ヨリ弁償スベシ。漁場到着後ナルトキハ、日割ヲ以テ精算ノコト。」木村はたった今帳場からこの第十条をくどいほど説明されて来たのである。帰ったらすぐ保証人と相談してなんとかするからと、アテのない一時のがれを言って木村は冷汗をかいた。側にいて二人の問答をきいていた町の駐在所はなんにしても名誉なこった、名誉なこった、とくりかえしていた。その話を聞くと漁夫たちは「死にに行く奴に金を返せって法があるかい、香奠をよこせ、香奠を……」とののしり合った。――その夜、鰊くさい仕事着のまま、風呂敷包み一つを小脇にかかえて津軽をさしてとぼとぼ帰って行く、木村のしょんぼりした後姿は見ていられなかった。 其の後、漁夫の一人が、盲腸炎でたった四日間病んだきりで死んだときにも、やはりこの「契約書」がものを言った。遺族がもらった慰藉料は二十円だったというものがあり、いや十円だというものもあった。          五 走り鰊がおわり、中鰊の時期にはいった。 一つのうわさがその頃漁夫たちの間に広まって行った。「今年は九一金がない。」ということだった。このうわさは大きな衝撃を彼らにあたえずにはおかなかった。九一というのは漁場主が漁夫にあたえる賞与の制度だった。昔は、九一というのは、漁場主と漁夫との間に行われた漁獲物の分配制度で、漁獲物の水揚の都度、漁場主に九割、漁夫に一割を配当するものだった。しかし漁夫は自分たちに分配された生鰊を、漁場主のために働く時間の余暇をもって加工製造しなければならず、そういうことは事実上不可能の場合がおおく、結局は腐らしてすててしまうことになるのである。それらの事情のために、九一制度はいつか変形し、終漁の際における漁場主の漁夫にたいする賞与の方法になってしまったのである。しかしそれは契約書にも明記されず、いわば不文律で、その額のごときも漁場主の一存に任せられているのだった。一人当り二十円のこともあり、三十円のこともあった。 漁夫たちはよるとさわるとそのうわさの真偽について語りはじめた。飯を食うときや、寝てからの床のなかや、ついには仕事中にさえ各自勝手な意見をもち出して憶測した。「一体(いってえ)、誰がどっから聞いてきたんだ?」とひとりが怒ったようなこえを出して言つた。みんながいううちでいちばんもっともらしいのは、あるとき帳場がものかげで、船頭にその話をして相談をかけているのを一人が聞いたということだった。時化で損害を蒙ったから、というのがその理由だということだった。――さきの六助や木村音吉の場合は、直接には自分自身の問題ではない、他人のことなのですぐ忘れてしまえたが、こんどの問題は一人のこらず全部のものに直接ひびく事がらだった。漁夫たちのなかには帰りの旅費すら持って来ないものがあった。そういうものはみなこの九一による賞与金をアテにしているのだった。それがもらえないとすると家へも帰れなかった。 ついに一人が思い切って、じかに船頭にぶつかって事の真偽を問いただしてみた。船頭は言を左右に濁したが、(彼ら親方は旦那から特別賞与がもらえるのだ)その時の船頭の狼狽ぶりと、当惑しきった顔つきから、人々はうわさがほんとうであると断定したのである。 漁夫たちはわきたった。仕事も手につかない様子だった。――そうした漁夫たちの動きを、だまって、考えぶかそうな目をしてじっと見ているのが、山本だった。 ある日、朝飯の時だった。(船頭、下船頭は帳場と一緒に事務所で、お膳つきで飯を食うことになっていて、ここにはいなかった)食事がおわりかけたころ、飯台の端の方に坐っていた山本が、突然立上って口を切った。「おいみんな、ちょっとはなしがあるんだが聞いてくれ。」 みんなは箸を休めて、鼻も口も図抜けて大きいこの男のまるい顔を仰ぎみた。何を彼が言いだすか、本能的に彼らは知っているように見えた。「みんなも聞いて知ってるとおり、ことしは九一がねえってこったが、そんなベラボーな話はねえと俺アおもう。時化で損したからって、そりゃおれたちの知ったことじゃねえからな。」と山本はいいはじめた。「それでじつはみんなに相談があるんだ。湯のなかで屁をこくようにかげでぶつぶつ不平を言ってたっていつまでもラチのあくこっちゃねえ。そんで帳場の野郎なんぞに話してみたって仕方もあんめえから、じかに旦那にぶつかってかけあって見ようじゃねえか。」 源吉は固唾を呑んで山本の顔を仰ぎ見た。虱をつぶしたり、ざれ言をいって高笑いをしたりする時の彼ではなかった。閃めく光りのようなものがその眉宇のあたりを走るのを源吉は見た。肩幅の広い頑丈な彼の上半身が銅像のように大きく見え、ぐっと上からのしかかってくるようにおもわれた。――うれしがって箸で机をたたいたり、茶碗をカチャカチャ鳴らしたりするものがあった。山本はなおもつづけた。「今年は大漁だもんで、ひとつ一人あたま五十両ぐれえの九一金を吹っかけて見ようじゃねえか。いいか。そこでだ、かんじんなのはそのはなしのきまりがつき、俺たちが現ナマを握るまでは仕事を休むってこった。旦那に承諾だけさせていつも見てえに腮別(あごわか)れの前に金をもらう約束じゃ、その土壇場になって知らねえっていわれたってどうにもなるこってねえからな。……どうだ、みんなやるか。」 わっという喚声があがった。「やるぞ!」 何人かが立上った。足踏みをし、「えれえぞ、大将」などというものもあった。わずか三十人ほどなのでまとまるのも早かった。やはり山本の発案で、旦那に逢って談じこむ交渉委員が世話役の名で六人えらばれた。山本はもちろんそのなかにはいった。仲間たちの歓声におくられて六人は時をうつさず旦那の家へ出かけて行った。ほかに五六人が浜べヘ向ってふっ飛んだ。鰊割きの出面(でめん)を牽制するためにである。 残った漁夫たちは大はしゃぎだった。長々と手足をのばして寝そべりながら宿舎に籠城した。「前祝いだ、菜ッ葉ばしでなく晩にゃ少しはうめえものもくわせろよ。」と炊事夫(なべ)に向って言ったりした。いち早くさわぎを聞きつけてかけつけて来た帳場は、うろうろして宿舎と旦那の家の間を行ったり来たりしていたが、やがてどこえか姿を消した。船頭はそのあいだじゅう、どっちへもつかれないといった顔つきでやはりうろうろしているばかりであった。          六 漁場主である大丸の旦那は、奥まった部屋の床の間を脊にして、畳二枚をうずめるようなひぐまの皮の敷物の上にどっかと坐っていた。血肥りにふとった真赤なまる顔の、禿げあがった額からこめかみにかけて太い癇癪筋が芋虫のようにぴくぴくと動き、火鉢にかざした手はアルコオル中毒のためとのみはいえない痙攣を見せていた。「馬鹿野郎!」 彼はわれるような大声で大喝した。彼の目の前には畳一枚をへだてて帳場が頭をうなだれてかしこまっているのだ。「どじ[#「どじ」に傍点]踏みやがって間抜けめ! それで漁場の監督だなんぞと大きな面(つら)アできるか。余計なことをとんでもねえ時に感づかれやがって、奴らがさわぐなアあたりめえじゃねえか。」 なんと口ぎたなくののしられても仕方がなかった。ふとした口のすべりから、今年は九一金を出すまいとのこっちの肚を漁夫たちに覚られてしまったということは、臍(ほぞ)を噛んでも及ばない不覚だった。腮別(あごわか)れの時にはじめてそれと知れるぶんには、なんと奴らが騒ごうと平気だ。しかし、今騒がれては……。帳場はじっと唇を噛んでだまる外はなかった。「それで奴らアなんだっていうんだ!」「へえ、」「ヘえじゃねえ。はきはきしろい。」「一人頭、五十円の九一が出なけりゃ仕事をしねえといっとりますので……。」「なんだと!」 この時表玄関には、さっき旦那への面会を願って拒絶された山本ら六名の漁夫の代表が頑ばっていた。旦那がなんとしても逢おうとはいわなかったとき、こんなことにはじめての彼らのなかには、途方にくれていち早くくじけた顔つきを見せるものがいた。それを叱咤[#底本は「咤」を「口+它」と誤植]したのは山本だった。「なんだおめえたち! そんなことで戦争に勝てっかい! 棚からぼた餅をとるんとわけがちがうぞ。逢うというまでへたりこむんだ!」 そこで彼らのうちの三人はべとべとの仕事着のままで上り框に腰をかけ、他の三人はそこの土間にべったりと尻をつけてしまったのである。 目の前に小さくなってかしこまっている帳場が、自分の一喝ごとに小さくちぢこまればちぢこまるほど、彼の姿がどうにも我慢のできない間の抜けたものに見えて来て、漁場主はじりじりと狂暴な怒りをあおり立てられるのであった。口をきわめて罵倒の言葉を浴せながら、だがその声はなぜかうつろな響を立てていた。卑屈な帳場の姿にじつは自分自身の姿を認め、そのために一層はげしくかき立てられる怒りであることを漁場主自身は知る由もなかったのである。――そうしているあいだにも執念く彼の頭にこびりついてはなれないものは、毎年鰊漁のはじまる前には、必らず出かける、そして今年も一月早々雪のなかを出かけて行った小樽の町の、その町じゅうで一番の海産物問屋大山のことであった。ぎりぎりといつのまにか二進も三進もいかぬまでに自分を締めつけてしまった、逢えば愛想のいい、金にかけてはしかし糞虫のようにきたない大山の親爺のことであった。―― この地方は北海道随一の鰊の豊漁地として知られてい、鰊場の漁業権もしたがって高価で、大丸もそのためには十万円に近い金を出していた。それとは別にそこに固定している資本は、建網、枠網、漁船、漁具、建物など、これもしめて十万円は越していた。次に毎年の仕込資金はといえば、漁夫の給料、その食費、それから鰊の製造費等、これも一万五千円はたっぷりかかった。もしも時化で網の損耗でもあればそんなことではとてもすまないのだ。そしてこの毎年の仕込資金の工面が、すべての漁場経営者にとっては頭痛のたねなのであった。――はじめ大丸はみんながするように仕込期に小樽へ出かけて行って、銀行から資金の融通をうけようとした。しかしもうその頃には、銀行の門は彼らに向ってはかたく閉されていたのである。鰊漁業などという堅実味のない、経営主の信用状態もあやふやなものに融資するほどに、銀行の金は遊んではいなかった。やむをえず大丸は、平素の取引商人である小樽切っての海産物問屋大山と契約し製品を担保にして金を融通してもらうことにしたのである。三年五年とそういう状態がつづいて行った。そしてその結果は、漁場主は資金提供者の束縛を脱することはできず、不景気の影響でただでさえ年々下落する一方である製品の価格はそのためにぐんと落され、毎年喰い込むばかりであった。百石三千円と見、平年の漁獲高五百石と見て、一万五千円、金利だけ損だが、それですめばまだいい方だった。大丸の借金はそうして積り積って行った。そして今ではもう漁場を引渡さなければならなくなっていたのである。 畜生、と大丸は心できりきりと歯がみをした。親父の代からの漁場だ。むかしはだがこんなではなかった。いつの頃からかじりじりと目に見えないほどに落ち目になって来、今ではもう起き上れる見とおしもつかないのだ。今年はだから、じつをいえば最後の頑張りのつもりではじめたのだった。小樽へも早々に出かけ、今年はもう融通ができないというのを、大山の白鼠の帳場を待合に生捕り、一週間つきっきりで責めたあげく、資金もやっと借り出して来たのであった。水産試験場の発表には今年は鰊の※游が非常に多いであろうとあったし、勇躍してこの漁期を迎えたのだ。それが走りがすむかすまないうちに時化で、枠網一枚台なしにしてしまうし、そんならヤン[#「ヤンに傍点]衆共を喰って埋めあわすばかりだと九一金全廃の腹をきめれば、帳場の奴がとんだどじを踏んでこんどの騒ぎになるし、何一つとしてろくなことはない……。 大丸の目の前には、蛙を狙っている蛇のようにこの漁場を狙って舌なめずりしている大山の親爺の顔がふたたびありありと浮きあがってくるのだった。この鰊場もおそかれ早かれ彼奴の手に渡るだろう。他の場合にはもう有利とはいえない鰊場も、海産物商である大山にはなお充分な利潤をもたらしてくれるのだ。彼奴はしかし決して自分で経営することはしないだろう。それかといって漁業権を他人に譲り渡すこともすまい。豊漁地であることに惚れこんでひっかかってくる漁業家に高い金で賃貸するのだ。同時に製品は思い切り安い値段で引きとり、――骨までしゃぶったあげくいい潮時を見て彼をそこからおっぽり出し、そこで彼奴はふたたび新しい「かも」のひっかかってくるのを待つだろう……。「畜生!」 大丸はこんどは声に出してどなった。そしてあらゆる憎悪のこもった瞳を、何の策もなくぼんやり主人の命を待っている目の前の帳場に向って注いだ。「汝(われ)、いいようにすべし。汝(われ)仕でかしたこたア、汝(われ)の手で仕末すべし。だが金アびた一文でも出すことはなんねえから――間抜けた面(つら)アいつまでもつん出していたとてラチはあくめえぞ。」 声をはげましてののしると、漁場主は席を立って足音あらく更に奥まった部屋に引っこんでしまったのである。 そして争議は結局どうなったか? 事件はほとんど急転直下の勢でまたたく間にケリがついてしまった。漁夫たちの大勝利に終ったのである。旦那はどうしても逢おうとはせず、帳場を仲に介しての交渉になったが、結局五十円と吹っかけた九一金を四十円まで譲歩することにしてその翌々日の晩にはもうその現金を漁夫たちは握っていた。何が一体そうした簡単すぎるほどに見える大勝利の原因であったのか? 漁舎には前日水揚した生鰊が山積されていた。今、漁夫に仕事を休まれては見す見すそれを腐らして棄ててしまわねばならない。その方は出面(でめん)を増してなんとか処理するとしても、今はまだやっと中鰊がはじまったばかりのところだ。もめている間にもなお何回かくき[#「くき」に傍点]る鰊を抛棄してしまうことは、空しく宝の山を逃がすことだった。今年は例年にも増して鰊の※游が多く豊漁であっただけに、なおのことそれが惜しまれた。さすがの旦那も折れないわけにはいかなかったのである。 争議が終った日、山本は源吉をふりかえって見て、「どうだ、」といった。「いつか言ったべ。貧乏人はみんなして固まるほかに手はねえってことを。それはここんとこを言うんだ。」それから彼はひとりごとのようにつぶやくのであった。「大丸の親爺め、どうせ今年きりでこの鰊場投げ出さずばなんめえものを、わずかばしのものケチケチしやがって思いきりのわりい奴だてば。」 源吉はその言葉をききとがめた。「投げ出すって?大丸、もうかってるんでねえのか。」 それには答えないでかえって山本の方から尋ねた。「おめえ、沼田村だって言ったな。大山って地主知ってるべ。」「ああ俺んとこの隣村の地所ア、まるっきり大山のもんだ。」「この鰊場ア、あの大山のものになるべってことよ。」「ええ?」「おめえ、鰊場の仕込にゃア、いったいどのくれえの金かかるか知ってっか。」 そこで山本は源吉に詳しい説明をしてきかせた。彼は大丸と大山との関係をつぶさに知っていたのである。而して彼の説明によれば、この小樽切っての海産問屋、大丸の債権者大山は、同時に又後志地方の大地主でもあったのである。「だからよ。」と山本はいった。「大きい奴はみんなそうしてどんどん太って行ぐんだ、世のなかの仕組みがちゃんとそういうふうにできているんだ。」「この話だけでもよっくわかるべ。」と彼はまたつづけて言った。「世の中のこたア、ちょっと見るとバラバラのように見えることも、みんなたがいにつながりを持っているんだ。俺たちア大丸のおやじに搾られてるばかしでなく、大山のおやじにも搾られてるんだど。つまり二重にしぼられてるんだ。そのうえ、もしもおめえが、村で大山の田圃を小作しているとでもして見ねえか。三重にも四重にも搾られてることになろうが。」 源吉は、なるほど、と思った。聞いているうちに今まで目を覆うていた鱗がぽろりと落ちて、目の前が急に明るくなって来たような気がした。今まで自分が住んでいた狭い世界から、急に広々とした世界に躍り出したような気がしてきた。それにしてもこいつはなんとよくものを知っている奴だろう。今までこうした事実をこういうふうに俺に話してくれた奴は村には一人だってありはしない……。 ふとそのとき源吉は、争議のそもそもの最初から胸に持っていた一つの疑問を山本に訊いてみる気になった。「ちょっと訊きてえことがあるんだが。」「なんだ?」「どうしてこんだァ九一金と一緒に契約書の問題ば漁場主(おやじ)に持ち出さなかっただかね?」「えれえぞ!」と山本は突然大きな声で言って、しんからうれしそうににこにこしだした。「おめえ、もうそんなことに気がついただか。」「そりゃなア、おれもおもわねえじゃなかった。だけんどヤン衆たちアみんなこんなことにははじめてのものばっかしだべ。で、訓練がこれっぱかしもできてねえんだ。だもんであんまりいろんな問題持ち出しちゃ、まとまるめえって心配(しんぺえ)があったからわざと引っこめておいたのよ。」          七 後鰊もすんで終漁の時が来た。 腮別(あごわか)れ(終漁祝)には安着祝のときよりも少しは多く酒が出、漁夫たちはよっぱらってだみごえでうたをうたった。旦那の家の大広間ではあったが、今夜だけは誰はばかるものもない無礼講だった。彼らのうたう追分節や磯節には、ことしの鰊場かせぎも今日限りという、荒くれた彼らの胸にもわかずにはいない感傷がこもっていた。――旦那はその夜はついに姿を見せなかった。 ここだけでしかしすむ筈はなかった。酒も尽きて解散となると、「行ぐべ、行ぐべ、」と互いに誘い合しながら、彼らは連れ立って夜の町へ出て行った。――源吉はしかし、こんどはそのなかへははいらなかった。みんなからはなれ、山本と二人で外へ出た。「あれ見ろよ。」生温かい五月の潮風に面を吹かせて浜べの方へぶらぶらとあるきながら、山本は彼方を指さして言った。彼の指さした方向には、居酒屋、小料理屋のたぐいが軒をならべてならんでい、野卑な絃歌がさんざめいていた。漁夫たちがそこへはいって行くうしろすがたが見えた。山本はつづけた。「女どもがあすこにゃ手ぐすねひいて待っているんだ。漁師どもア骨までしゃぶられて明日の朝ア一文なしの素っ裸でたたき出されるんだ。そうなった奴らアどこへ行ぐ? 家へ帰るにゃ金はなし、とどのつまりはカムサツカ行きか、土方部屋のタコよ。行路病者になって帰る奴もある。渡りあるきの労働者っていうやつアなんによらず困りもんだなア。こないだみてえに折角かたまって戦ってもあとのしめくくりができねえのでな。」 翌日、国道の標示杭の立っているところまで一緒にあるいて来、そこで源吉は山本とわかれた。山本はそこから岩内まで出て汽車にのり、源吉はなお三十里の道を自分の村へ向ってあるくのである。――肩をならべてあるきながら、別れるまでにはいろいろな話があった。山本はそこではじめて農民組合というものについて、詳しく源吉に話してきかせた。村の農民組合支部の幹部としての自分についても語った。源吉にとってはすべてが新らしい未知の世界だった。むさぼるように彼は山本の話を聞いた。――「秋までにはきっとお前の村さ行ぐからな。」そう山本は別れしなに言った。 一人になって源吉はあるき出した。人家が絶えて、道は片側が山、片側が原野であるところへ来た。はじめてこの町へ入った当時の積雪は跡形なく消えて、ものかげに汚れた雪がのこっているだけだった。黒土には黄いろい草が萌え、いたやかえで、おおなら、かしわなどの木の芽が芳しい香りを匂わせていた。源吉はいくどもふりかえっては積丹岳を仰ぎ見た。山裾からすでに半ば以上あらわれたうす紫いろの山肌が、やわらかい春の陽のなかにけぶっていた。[#20字下げて、地より1字あきで]――一九三四年五月――
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★暇つぶし何某★

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