平凡
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著者名:二葉亭四迷 

 父は其頃県庁の小吏であった。薄給でかつがつ一家を支えていたので、月給だけでは私を中学へ入れる事すら覚束(おぼつか)なかったのだが、幸い親譲りの地所が少々と小さな貸家が二軒あったので、其上りで如何(どう)にか斯うにか糊塗(まじく)なっていたのだ。だから到底(とて)も私を東京へ遣(や)れないという父の言葉に無理もないが、しかし……私は矢張(やっぱり)東京へ出たい。
 父は其頃未だ五十であった。達者な人だけに気も若くて、まだまだ十年や十五年は大丈夫生ていると、傍(はた)の私達も思っていたし、自分も其は其気でいた。従って世間の親達のように、早く私を月給取にして、嫁を宛(あて)がって、孫の世話でもしていたいなぞと、そんな気は微塵もないが、何分にも当節は勤向(つとめむき)が六(むず)かしくなって、もう永くは勤まらぬという。成程父は教育といっても、昔の寺子屋教育ぎりで、新聞も漢語字引と首引(くびっぴき)で漸く読み覚えたという人だから、今の学校出の若い者と机を列べて事務を執(と)らされては、嘸(さぞ)辛い事も有ろうと、其様(そん)な事には浮(うわ)の空の察しの無かった私にも、話を聞けば能く分って、同情が起らぬでもないが、しかし、それだからお前は県庁へ勤めるなとして自分一人だけの事は為(し)て呉れと、言われた時には情なかった。父は然うして置いて、何ぞ他(ほか)に気骨の折れぬ力相応の事をして県庁の方は辞職する。辞職しても当分はお前の世話にはなるまいと、財産相応の穏当な案を立てて、私の為をも思っていうのは解っているけれど、しかし私は如何(どう)しても矢張(やッぱり)東京へ出て何処かの学校へ入りたい。
 で、親子一つ事を反覆(くりかえ)すばかりで何日経(た)っても話の纏まらぬ中(うち)に、同窓の何某(なにがし)はもう二三日前(ぜん)に上京したし、何某(なにがし)は此月末(つきずえ)に上京するという話も聞く。私は気が気でないから、眼の色を異(ちが)えて、父に逼(せま)り、果は血気に任せて、口惜(くや)し紛れに、金がないと言われるけれど、地面を売れば如何(どう)にかなりそうなものだ、それとも私の将来よりも地面の方が大事なら、学資は出して貰わんでも好い、旅費だけ都合して貰いたい、私は其で上京して苦学生になると、突飛(とっぴ)な事を言い出せば、父は其様(そん)な事には同意が出来ぬという、それは圧制だ、いや聞分(ききわけ)ないというものだと、親子顔を赤めて角芽立(つのめだ)つ側(そば)で、母がおろおろするという騒ぎ。
 其時私の為には頗る都合の好い事があった。私と同期の卒業生で父も懇意にする去る家の息子が、何処のも同じ様に東京行きを望んで、親に拒まれて、自暴(やけ)を起し、或夜窃(ひそか)に有金(ありがね)を偸出(ぬすみだ)して東京へ出奔すると、続いて二人程其真似をする者が出たので、同じ様な息子を持った諸方の親々(おやおや)の大恐慌となった。父も此一件から急に我(が)を折って、彼方此方(あちこち)の親類を駈廻(かけまわ)った結果、金の工面(くめん)が漸く出来て、最初は甚(ひど)く行悩んだ私の遊学の願も、存外難なく聴(ゆる)されて、遂に上京する事になった時の嬉しさは今に忘れぬ。

          二十四

 愈(いよいよ)出発の当日となった。待ちに待った其日ではあるけれど、今となっては如何(どう)やら一日位は延ばしても好(い)いような心持になっている中(うち)に、支度はズンズン出来て、さて改まって父母(ちちはは)と別れの杯(さかずき)の真似事をした時には、何だか急に胸が一杯になって不覚(つい)ホロリとした。母は固(もと)より泣いた、快活な父すら目出度い目出度いと言いながら、頻(しきり)に咳をして涕(はな)[#「涕」はママ]を拭(か)んでいた。
 誂(あつら)えの俥(くるま)が来る。性急(せっかち)の父が先ず狼狽(あわ)て出して、座敷中を彷徨(うろうろ)しながら、ソレ、風呂敷包を忘れるな、行李は好(い)いか、小さい方だぞ、コココ蝙蝠傘(こうもりがさ)は己(おれ)が持ってッてやる、と固(もと)より見送って呉れる筈なので、自分も一台の俥(くるま)に乗りながら、何は載ったか、何は……ソレ、あの、何よ……と、焦心(あせ)る程尚お想出せないで、何やら分らぬ手真似をして独り無上(むしょう)に車上で騒ぐ。
 母も門口まで送って出た。愈(いよいよ)俥(くるま)が出ようとする時、母は悲しそうに凝(じっ)と私の面(かお)を視て、「じゃ、お前ねえ、カカ身体を……」とまでは言い得たが、後(あと)が言えないで、涙になった。
 私は故意(わざ)と附元気(つけげんき)の高声(たかごえ)で、「御機嫌よう!」と一礼すると、俥(くるま)が出たから、其儘正面(まむき)になって了ったが何だか後髪を引かれるようで、俥(くるま)が横町を出離れる時、一寸(ちょっと)後(うしろ)を振向いて見たら、母はまだ門前に悄然(しょんぼり)と立っていた。
 道々も故意(わざ)と平気な顔をして、往来を眺めながら、勉(つとめ)て心を紛らしている中(うち)に、馴染の町を幾つも過ぎて俥(くるま)が停車場(ステーション)へ着いた。
 まだ発車には余程間(あいだ)があるのに、もう場内は一杯の人で、雑然(ごたごた)と騒がしいので、父が又狼狽(あわ)て出す。親しい友の誰彼(たれかれ)も見送りに来て呉れた。其面(そのかお)を見ると、私は急に元気づいて、例(いつ)になく壮(さかん)に饒舌(しゃべ)った。何だか皆が私の挙動に注目しているように思われてならなかった。無論友達は家(うち)で立際(たちぎわ)に私の泣いたことを知る筈はないから……
 軈(やが)て発車の時刻になって、汽車に乗込む。手持無沙汰な落着かぬ数分(すふん)も過ぎて、汽笛が鳴る。私が窓から首を出して挨拶をする時、汽車は動出(うごきだ)して、父の眼をしょぼつかせた顔がチラリとして直ぐ後(あと)になる、見えなくなる。もうプラットフォームを出離れて、白ペンキの低い柵が走る、其向うの後向(うしろむ)きの二階家が走る、平屋が走る。片側町(かたかわまち)になって、人や車が後(あと)へ走るのが可笑(おか)しいと、其を見ている中(うち)に、眼界が忽ち豁然(からっ)と明くなって、田圃(たんぼ)になった。眼を放って見渡すと、城下の町の一角が屋根は黒く、壁は白く、雑然(ごたごた)と塊(かた)まって見える向うに、生れて以来十九年の間(あいだ)、毎日仰ぎ瞻(み)たお城の天守が遙に森の中に聳えている。ああ、家(うち)は彼下(あのした)だ……と思う時、始めて故郷を離れることの心細さが身に染(し)みて、悄然(しょんぼり)としたが、悄然(しょんぼり)とする側(そば)から、妙に又気が勇む。何だか籠のような狭隘(せせこま)しい処から、茫々と広い明るい空のような処へ放されて飛んで行くようで、何となく心臓の締るような気もするが、又何処か暢(のん)びりと、急に脊丈が延びたような気もする。
 こうした妙な心持になって、心当(こころあて)に我家の方角を見ていると、忽ち礑(はた)と物に眼界を鎖(とざ)された。見ると、汽車は截割(たちわ)ったように急な土手下を行くのだ。

          二十五

 申後れたが、私は法学研究のため上京するのだ。
 其頃の青年に、政治ではない、政論に趣味を持たん者は幾(ほと)んど無かった。私も中学に居る頃から其が面白くて、政党では自由党が大の贔負(ひいき)であったから、自由党の名士が遊説(ゆうぜい)に来れば、必ず其演説を聴きに行ったものだ。無論板垣さんは自分の叔父さんか何ぞのように思っていた。
 実際の政界の事情は些(ちッ)とも分っていなかった。自由党は如何(どう)いう政党だか、改進党と如何(どう)違うのだか、其様(そん)な事は分っているような風をして、実は些(ちッ)とも分っていなかったが、唯初心(うぶ)な眼で局外から観ると、何だか自由党の人というと、其人の妻子は屹度(きっと)饑(うえ)に泣いてるように思われて、妻子が饑(うえ)に泣く――人情忍び難い所だ。その忍び難い所を忍んで、妻や子を棄てて置いて、而(そう)して自分は芸者狂いをするのじゃない、四方に奔走して、自由民権の大義を唱(とな)えて、探偵に跟随(つけ)られて、動(やや)もすれば腰縄で暗い冷たい監獄へ送られても、屈しない。偉いなあ! と、こう思っていたから、それで好きだった。
 好きは好きだったが、しかし友人の誰彼(たれかれ)のように、今直ぐ其真似は仕度(した)くない。も少し先の事にしたい。兎角理想というものは遠方から眺めて憧憬(あこが)れていると、結構な物だが、直ぐ実行しようとすると、種々(いろいろ)都合の悪い事がある。が、それでは何だか自分にも薄志弱行(はくしじゃっこう)のように思われて、何だか心持が悪かったが、或時何かの学術雑誌を読むと、今の青年は自己の当然修むべき学業を棄てて、動(やや)もすれば身を政治界に投ぜんとする風ありと雖も、是れ以ての外の心得違なり、青年は須(すべか)らく客気を抑えて先ず大(おおい)に修養すべし、大(おおい)に修養して而(しか)して後(のち)大(おおい)に為す所あるべし、という議論が載っていた。私は嬉しかった。早速此持重説(じちょうせつ)を我物にして了って、之を以て実行に逸(はや)る友人等を非難し、而(そう)して窃(ひそか)に自ら弁護する料にしていた。
 斯ういう事情で此様(こん)な心持になっていたから、中学卒業後尚お進んで何か専門の学問を修めようという場合には、勢い政治学に傾かざるを得なかった。父が上京して何を遣(や)りたいのだと言った時にも、言下(ごんか)に政治学と答えた。飛んだ事だといって父が夫(それ)では如何(どう)しても承知して呉(くれ)なかったから、じゃ、法学と政治学とは従兄弟(いとこ)同士だと思って、法律をやりたいと言って見た。法律学は其頃流行の学問だったし、県の大書記官も法学士だったし、それに親戚に、私立だけれど法律学校出身で、現に私達の眼には立派な生活をしている人が二人あった。一人は何処だったか記憶(おぼえ)がないが、何でも何処かの地方で代言(だいげん)をして、芸者を女房にして贅沢な生活をしていて、今一人は内務省の属官(ぞっかん)でこそあれ、好(い)い処を勤めている証拠には、曾て帰省した時の服装を見ると、地方では奏任官には大丈夫踏める素晴しい服装(なり)で、何(なに)しても金の時計をぶら垂(さ)げていたと云う。それで父も法律なら好かろうと納得したので、私は遂に法学研究のため斯うして汽車で上京するのだ。

          二十六

 東京へ着いたのは其日の午後の三時頃だったが、便(たよ)って行くのは例の金時計をぶら垂(さ)げていたという、私の家(うち)とは遠縁の、変な苗字だが、小狐(おぎつね)三平という人の家(うち)だ。招魂社の裏手の知れ難(にく)い家(うち)で、車屋に散々こぼされて、辛(やッ)と尋ね当てて見ると、門構は門構だが、潜門(くぐりもん)で、国で想像していたような立派な冠木門(かぶきもん)ではなかった。が、標札を見れば此家(ここ)に違いないから、潜(くぐ)りを開けて中に入ると、直ぐもう其処が格子戸作りの上り口で、三度四度案内を乞うて漸(やっ)と出て来たのを見れば、顔や手足の腫起(むく)んだような若い女で、初は膝を突きそうだったが、私の風体を見て中止にして、立ちながら、何ですという。はてな、家(うち)を間違えたか知らと、一寸(ちょっと)狼狽したが、標札に確に小狐(おぎつね)三平とあったに違いないから、姓名を名告(なの)って今着いた事を言うと、若い女は怪訝(けげん)な顔をして、一寸(ちょっと)お待ちなさいと言って引込(ひっこ)んだぎり、中々出て来ない。車屋は早く仕て呉れという。私は気が気でない。が、前以て書面で、世話を頼む、引受けたと、話が着いてから出て来たのだし、今日上京する事も三日も前に知らせてあるのだから、今に伯母さんが――私の家(うち)では此家(ここ)の夫人を伯母さんと言いつけていた――伯母さんが出て来て好(い)いように仕て呉れると、其を頼みにしていると、久(しば)らくして伯母さんではなくて、今の女が又出て来て、お上ンなさいという。荷物が有りますと、口を尖(とん)がらかすと、荷物が有るならお出しなさい、というから、車屋に手伝って貰って、荷物を玄関へ運び込むと、其女が片端から受取って、ズンズン何処かへ持ってッて了った。
 車屋に極(き)めた賃銭を払おうとしたら、骨を折ったから増(まし)を呉れという。余所の車は風を切って飛ぶように走る中を、のそのそと歩いて来たので、些(ちッ)とも骨なんぞ折っちゃいない。田舎者(いなかもん)だと思って馬鹿にするなと思ったから、厭だといった。すると、車屋は何だか訳の分らぬ事を隙間もなくベラベラと饒舌(しゃべ)り立って、段々大きな声になるから、私は其大きな声に驚いて、到頭言いなり次第の賃銭を払って、東京という処は厭な処だと思った。
 車屋との悶着を黙って衝立(つッた)って視ていた女が、其が済むのを待兼(まちかね)たように、此方(こっち)へ来いというから、其跟(そのあと)に随(つ)いて玄関の次の薄暗い間(ま)へ入ると、正面の唐紙を女が此時ばかりは一寸(ちょっと)膝を突いてスッと開けて、黙って私の面(かお)を視る。私は如何(どう)して好(い)いのだか、分らなかったから、
「中へ入っても好(い)いんですか?」
 と狼狽(まごまご)して案内の女に応援を乞うた時、唐紙の向うで、勿体ぶった女の声で、
「さあ、此方(こちら)へ。」
 私は急に気が改まって、小腰を屈(こご)めて、遠慮勝に中へ入った。と、不意に箪笥や何や角(か)や沢山な奇麗な道具が燦然(ぱっ)と眼へ入って、一寸(ちょっと)目眩(まぼ)しいような気がする中でも、長火鉢の向うに、三十だか四十だか、其様(そん)な悠長な研究をしてる暇(ひま)はなかったが、何でも私の母よりもグッと若い女の人が、厚い座布団の上にチンと澄している姿を認めたから、狼狽して卒然(いきなり)其処へドサリと膝を突くと、真紅(まっか)になって、倒さになって、
「初めまして……」

          二十七

 伯母さん――といっては何だか調和(うつり)が悪い、奥様は一寸(ちょっと)会釈して、
「今お着きでしたか?」
「は」、と固くなる。
「何ですか、お国では阿父(おとう)さんも阿母(おかあ)さんもお変りは有りませんか?」
「は。」
 と矢張(やっぱり)固くなりながら、訥弁(とつべん)でポツリポツリと両親の言伝(ことづて)を述べると、奥様は聴いているのか、いないのか、上調子(うわちょうし)ではあはあと受けながら、厭に赤ちゃけた出がらしの番茶を一杯注(つ)いで呉れたぎりで、一向構って呉れない。気が附いて見ると、座布団も呉れてない。
 何時迄(いつまで)経(た)っても主人(あるじ)が顔を見せぬので、
「伯父さんはお留守ですか?」
 と不覚(つい)言って了った顔を、奥様はジロリと尻眼に掛けて、
「主人はまだ役所から退(ひ)けません。」
 主人と厭に力を入れて言われて、じゃ、伯父さんじゃ不好(いけなか)ったのか知ら、と思うと、又私は真紅(まっか)になった。
 ところへバタバタと椽側に足音がして、障子が端手(はした)なくガラリと開(あ)いたから、ヒョイと面(かお)を挙(あげ)ると、白い若い女の顔――とだけで、其以上の細かい処は分らなかったが、何しろ先刻(さっき)取次に出たのとは違う白い若い女の顔と衝着(ぶつか)った。是が噂に聞いた小狐(おぎつね)の独娘(ひとりむすめ)の雪江さんだなと思うと、私は我知らず又固くなって、狼狽(あわ)てて俯向(うつむ)いて了った。
「阿母(かあ)さん阿母さん」、と雪江さんは私が眼へ入らぬように挨拶もせず、華やかな若い艶(つや)のある美(い)い声で、「矢張(やっぱり)私の言った通(とおり)だわ。明日(あした)が楽(らく)だわ。」
「まあ、そうかい」、と吃驚(びっくり)した拍子に、今迄の奥様がヒョイと奥へ引込(ひっこ)んで、矢張(やっぱり)尋常(ただ)の阿母(かあ)さんになって了った。
「厭だあ私(あたし)……だから此前の日曜にしようと言たのに、阿母(かあ)さんが……」といいながら座敷へ入って来て、始めて私が眼へ入ったのだろう。ジロジロと私の風体(ふうてい)を視廻して、膝を突いて、母の顔を見ながら、「誰方(どなた)?」
「此方(このかた)が何さ、阿父様(おとうさま)からお話があった古屋さんの何さ。」
「そう。」
 といって雪江さんは此方(こちら)を向いたから、此処らでお辞儀をするのだろうと思って、私は又倒さになって一礼すると、残念ながら又真紅(まっか)になった。
 雪江さんも一寸(ちょっと)お辞儀したが、直ぐと彼方(あちら)を向いて了って、
「私(あたし)厭よ。阿母(かあ)さんが彼様(あん)な事言って行(い)かなかったもんだから……」
「だって仕方がなかったンだわね。私(あたし)だって彼様(あん)な窮屈な処(とこ)へ行(い)くよか、芝居へ行った方が幾ら好(い)いか知れないけど、石橋さんの奥様(おくさん)に無理に誘われて辞(ことわ)り切れなかったンだもの。好(い)いわね、其代り阿父様(おとうさま)に願って、お前が此間中(じゅう)から欲しい欲しいてッてる彼(あれ)ね?」と娘の面(かお)を視て、薄笑いしながら、「彼(あれ)を買って頂いて上げるから……仕方がないから。」
「本当(ほんと)?」と雪江さんも急に莞爾々々(にこにこ)となった。私は見ないでも雪江さんの挙動(ようす)は一々分る。「本当(ほんと)? そんなら好(い)いけど……ちょいとちょいと、其代り……」と小声になって、「ルビー入りよ。」
「不好(いけ)ません不好ません! ルビー入りなんぞッて、其様(そん)な贅沢な事が阿父様(おとうさま)に願えますか?」
「だってえ……尋常(ただ)のじゃあ……」と甘たれた嬌態(しな)をする。
「そんならお止しなさいな。尋常(ただ)ので厭なら、何も強いて買って上げようとは言わないから。」
「あら! ……」と忽ち機嫌を損ねて、「だから阿母(かあ)さんは嫌いよ。直(じき)ああだもの。尋常(ただ)のじゃ厭だって誰も言てやしなくってよ。」
「そんなら、其様(そん)な不足らしい事お言いでない。」
「へえへえ、恐れ入りました」、と莞爾(にっこり)して、「じゃ、尋常(ただ)のでも好(い)いから、屹度(きっと)よ。ねえ、阿母(かあ)さん、欺(だま)しちゃ厭よ。」
「誰がそんな……」
「まあ、好かった!」と又莞爾(にっこり)して一寸(ちょっと)私の面(かお)を見た。

          二十八

 私は先刻(さッき)から存在を認めていられないようだから、其隙(そのひま)に窃(こッ)そり雪江さんの面(かお)を視ていたのだ。雪江さんは私よりも一つ二つ、それとも三(みッ)つ位(ぐらい)年下かも知れないが、お出額(でこ)で、円い鼻で、二重顋(あご)で、色白で愛嬌が有ると謂えば謂うようなものの、声程に器量は美(よ)くなかった。が、若い女は何処となく好くて、私がうッかり面(かお)を視ている所を、不意に其面(そのかお)が此方(こちら)を向いたのだから、私は驚いた。驚いて又俯向(うつむ)いて、膝前一尺通りの処を佶(きっ)と視据えた。
 雪江さんは又更(あらた)めて私の様子をジロジロ視ているようだったが、
「部屋は何処にするの?」
 と阿母(かあ)さんの方を向く。
「え?」と阿母(かあ)さんは雪江さんの面(かお)を視て、「あの、何のかい? 玄関脇の四畳が好かろうと思って。」
「あんな処(とこ)□ ……」
 と雪江さんが一寸(ちょっと)驚くのを、阿母(かあ)さんが眼に物言わせて、了解(のみこ)ませて、
「彼処(あすこ)が一番明るくッて好(い)いから。」
「そう」、と一切の意味を面(かお)から引込(ひッこ)めて、雪江さんは澄して了った。
「おお、そうだっけ」、と阿母(かあ)さんの奥様は想出したように私の方を向いて、「荷物がまだ其儘でしたっけね。今案内させますから、彼方(あッち)へ行って荷物の始末でもなさい。雪江、お前一寸(ちょっと)案内してお上げ。」
 雪江さんが起(た)ったから、私も起(た)って其跟(そのあと)に随(つ)いて今度は椽側へ出た。雪江さんは私より脊(せい)が低い。ふッくりした束髪で、リボンの色は――彼(あれ)は樺色というのか知ら。若い女の後姿というものは悪くないものだ。
 椽側を後戻りして又玄関へ出ると、成程玄関脇に何だか一間ある。
「此処よ。」
 と雪江さんが衝(つい)と其処へ入ったから、私も続いて中へ入った。奥様は明るいといったけれど、何だか薄暗い長四畳で、入るとブクッとして変な足応(あしごた)えだったから、先ず下を見ると、畳は茶褐色だ。西に明取(あかりと)りの小窓がある。雪江さんが其を明けて呉れたので、少し明るくなったから、尚お能(よ)く視廻(みまわ)すと、壁は元来何色だったか分らんが、今の所では濁黒(どすぐろ)い変な色で、一ヵ所壊(くず)れを取繕(とりつくろ)った痕(あと)が目立って黄ろい球(たま)を描いて、人魂(ひとだま)のように尾を曳いている。無論一体に疵(きず)だらけで処々(ところどころ)鉛筆の落書の痕(あと)を留(とど)めて、腰張の新聞紙の剥(めく)れた蔭から隠した大疵(おおきず)が窃(そっ)と面(かお)を出している。天井を仰向(あおむ)いて視ると、彼方此方(あちこち)の雨漏りの暈(ぼか)したような染(しみ)が化物めいた模様になって浮出していて、何だか気味(きび)の悪いような部屋だ。
「何時(いつ)の間にか掃除したんだよ。それでも奇麗になったわ」、と雪江さんは部屋の中を視廻(みまわ)していたが、ふと片隅に積んであった私の荷物に目を留て、「貴方(あなた)の荷物って是れ?」と、臆面もなく人の面(かお)を視る。
 私は狼狽(あわ)てて壁を視詰(みつめ)て、
「然うです。」
「机がないわねえ。私(あたし)ン所(とこ)に明いてるのが有るから、貸て上(あげ)ましょうか?」
「なに、好(い)いです明日(あした)買って来るから」、と矢張(やっぱり)壁を視詰(みつ)めた儘で。
「私(あたし)要らないンだから、使っても好くってよ。」
「なに、好(い)いです、買って来るから。」
「本当(ほんと)に好くってよ、然う遠慮しないでも。今持って来てよ」、と蝶の舞うように翻然(ひらり)と身を翻(かえ)して、部屋を出て、姿は直ぐ見えなくなったが、其処らで若い華やかな声で、「其代り小さくッてよ」、というのが聞えて、軽い足音がパタパタと椽側を行く。
 私は荷物の始末を忘れて、雪江さんの出て行った跡(あと)をうっかり見ていた。事に寄ると、口を開(あ)いていたかも知れぬ。

          二十九

 荷物を解(ほど)いていると、雪江さんが果して机を持って来て呉れた。成程小さい――が、折角の志(こころざし)を無にするも何だから、借りて置く事にして、礼をいって窓下(まどした)に据えると、雪江さんが、それよか入口の方が明るくッて好かろうという。入口では出入(ではい)りの邪魔になると思ったけれど、折角の助言(じょごん)を聴かぬのも何だから、言う通りに据直(すえなお)すと、雪江さんが、矢張(やっぱり)窓の下の方が好(い)いという。で、矢張(やっぱり)窓の下の方へ据えた。
 早速私が書物を出して机の側(そば)に積むのを見て、雪江さんが、
「本箱も無かったわねえ。私(あたし)ン所(とこ)に二つ(ふたツ)有るけど、皆(みンな)塞(ふさ)がってて、貸して上げられないわ。」
「なに、買って来るから、好(い)いです。」
「そんならね、晩に勧工場(かんこうば)で買ってらッしゃいな。」
「え?」と私は聞直した、――勧工場(かんこうば)というものは其時分まだ国には無かったから。
「小川町(おがわまち)の勧工場(かんこうば)で。」
「勧工場(かんこうば)ッて?」
「あら、勧工場(かんこうば)を知らないの? まあ! ……」
 と雪江さんは吃驚(びッくり)した面(かお)をして、突然破裂したように笑い出した。娘というものは壺口(つぼくち)をして、気取って、オホホと笑うものとばかり思ってる人は訂正なさい。雪江さんは娘だけれど、口を一杯に開(あ)いて、アハハアハハと笑うのだ。初め一寸(ちょっと)仰向(あおむ)いて笑って、それから俯向(うつむ)いて、身を揉(も)んで、胸を叩いて苦しがって笑うのだ。私は真紅(まっか)になって黙っていた。
 先刻(さっき)取次に出た女は其後(そのご)漸く下女と感付いたが、此時障子の蔭からヒョコリお亀のような笑顔(えがお)を出して、
「何を其様(そんな)に笑ってらッしゃるの?」
「だって……アハハハハ! ……古屋さんが……アハハハ! ……」
「あら、一寸(ちょっと)、此方(このかた)が如何(どう)かなすったの?」
 無礼者奴(ぶれいものめ)がズカズカ部屋へ入って来た、而(そう)して雪江さんの笑いが止らないで、些(ちっ)とも要領を得ない癖に、訳も分らずに、一緒になってゲラゲラ笑う。
 其時ガラガラという車の音が門前に止って、ガラッと門が開(あ)くと同時に、大きな声で、威勢よく、
「お帰りッ!」
 形勢は頓(とみ)に一変した。下女は急に真面目になって、雪江さんを棄てて置いて、急いで出て行く。
 雪江さんもまだ可笑(おかし)がりながら泪(なみだ)を拭(ふ)き拭き、それでも大(おおい)に落着いて後(あと)から出て行く。
 主人の帰りとは私にも覚(さと)れたから、急いで起(た)ち上って……窃(こっ)そり窓から覗いて見た。
 帰った人は丁度潜(くぐ)りを潜る所で、まず黒の山高帽がヌッと入って、続いて縞のズボンに靴の先がチラリと見えたかと思うと、渋紙色した髭面(ひげつら)が勃然(むッくり)仰向(あおむ)いたから、急いで首を引込(ひッこ)めたけれど、間に合わなかった。見附かッちゃッた。
 お帰り遊ばせお帰り遊ばせ、と口々に喋々(ちょうちょう)しく言う声が玄関でした。奥様――も何だか変だ、雪江さんの阿母(かあ)さんの声で何か言うと、ふう、そうか、ふうふう、という声は主人に違いない。私の話に違いない。
 悪い事をした、窓からなんぞ覗くんじゃなかったと、閉口している所へ下女が呼びに来て、愈(いよいよ)閉口したが、仕方がない。どうせ志を立てて郷関を出た男児だ、人間到る処で極(きま)りの悪い想いする、と腹を据えて奥へ行って見ると、もう帰った人は和服に着易(きか)えて、曾て雪江さんの阿母(かあ)さんが占領していた厚蒲団に坐っている。私は誰でも逢いつけぬ人に逢うと、屹度(きっと)真紅(まっか)になる癖がある。で、此時も真紅(まっか)になって、一度国で逢った人だから、久濶(しばらく)といって例の通り倒さになると、先方は心持首を動かして、若し声に腰が有るなら、その腰と思う辺(あたり)に力を入れて、「はい」という。父も母も宜しく申しましたというと、又「はい」という。何卒(どうぞ)何分願いますというと、一段声を張揚(はりあ)げて、「はアい」という。

          三十

 晩餐になって、其晩だけは私も奥で馳走になった。花模様の丸ボヤの洋灯(ランプ)の下(もと)で、隅ではあったが、皆と一つ食卓に対(むか)い、若い雪江さんの罪の無い話を聴きながら、阿父(とう)さん阿母(かあ)さんの莞爾々々(にこにこ)した面(かお)を見て、賑(にぎや)かに食事して、私も何だか嬉しかったが……
 軈(やが)て食事が済むと、阿父(とう)さんが又主人になって、私に対(むか)って徐々(そろそろ)小むずかしい話を始めた。何でも物価高直(こうじき)の折柄(おりから)、私の入(いれ)る食料では到底(とて)も賄(まかな)い切れぬけれど、外ならぬ阿父(おとっ)さんの達(たっ)ての頼みであるに因って、不足の処は自分の方で如何(どう)にかする決心で、謂わば義侠心で引受けたのであれば、他(ほか)の学資の十分な書生のように、悠長な考えでいてはならぬ、何でも苦学すると思って辛抱して、品行を慎むは勿論、勉強も人一倍するようにという話で、聴いていても面白くも変哲もない話だから、雪江さんは話半(はなしなかば)に小さな欠(あく)びを一つして、起(た)って何処へか行って了った。私は少し本意(ほい)なかったが、やがて奥まった処で琴の音(ね)がする。雪江さんに違いない。雪江さんはまだ習い初めだと見えて、琴の音色は何だかボコン、ボコン、ベコン、ボコンというように聞えて妙だったけれど、私は鳴物は大好だ。何時(いつ)聴いても悪くないと思った。
 で、遠音(とおね)に雪江さんの琴を聴きながら、主人の勘定高い話を聴いていると、琴の音が食料に搦(から)んだり、小遣に離れたりして、六円がボコン、三円でベコンというように聞えて、何だか変で、話も能(よ)く分らなかったが、分らぬ中(うち)に話は進んで、
「で、家(うち)も下女一人外(ほか)使うて居らん。手不足じゃ。手不足の処(とこ)で君の世話をするのじゃから、客扱いにはされん。そりゃ手紙で阿父(おとッ)さんにも能(よ)う言うて上げてあるから、君も心得てるじゃろうな?」
「は。」
「からして勉強の合間には、少し家事も手伝うて貰わんと困る。なに、手伝うというても、大した事じゃない。まあ、取次位(ぐらい)のものじゃ。まだ何ぞ角(か)ぞ他(ほか)に頼む事も有ろうが、なに、皆大した事じゃない。行(や)って貰えような?」
「は、何でも僕に出来ます事なら……」
「そ、そ、その僕が面白うない。君僕というのは同輩或は同輩以下に対(むこ)うて言う言葉で、尊長者に対(むこ)うて言うべき言葉でない、そんな事も注意して、僕といわずに私(わたくし)というて貰わんとな……」
「は……不知(つい)気が附きませんで……」
「それから、も一つ言うて置きたいのは我々の呼方じゃ。もう君の年配では伯父さん伯母さんでは可笑(おか)しい。これは東京の習慣通り、矢張私(わし)の事は先生と言うたら好かろう。先生、此方(このかた)が御面会を願われます、先生、お使に行って参りましょう――一向可笑(おか)しゅうない。先生というて貰おう。」
「は、承知しました。」
「で、私(わし)を先生という日になると、勢い家内の事は奥さんと言わんと権衡(けんこう)が取れん。先生に対する奥さんじゃ。な、私(わし)が先生、家内が奥さん、――宜しいか?」
「は、承知しました。」
 これで一通り訓戒が済んで、後(あと)は自慢話になった。先生も法律は晩学で、最初は如何にも辛かったが、その辛いのを辛抱したお蔭で、今日(こんにち)では内務の一等属、何とかの係長たることを得たのだという話を長々と聴かされて、私は痺(しびれ)が切れて、耐(こた)え切れなくなって、泣出しそうだった。
 辛(やッ)と放免されて、暗黒(くらやみ)を手探りで長四畳へ帰って来ると、下女が薄暗い豆ランプを持って来て、お前さん床を敷(と)ったら忘れずに消すのですよと、朋輩にでも言うように、粗率(ぞんざい)に言置いて行って了った。
 国を出る時、此家(ここ)の伯父さんの先生は、昔困っていた時、家(うち)で散々世話をして遣った人だから、悪いようにはして呉れまいと、父は言った。私も矢張(やッぱり)其気で便(たよ)って来たのだが、便(たよ)って来てみれば事毎に案外で、ああ、何だか妙な気持ちがする。
 私は家(うち)が恋しくなった……

          三十一

 私は翌日早速錦町(にしきちょう)の某私立法律学校へ入学の手続を済ませて、其処の生徒になって、珍らしい中(うち)は熱心に勉強もしたが、其中(そのうち)に段々怠り勝になった。それには種々(いろいろ)原因もあるが、第一の原因は家(うち)の用が多いからで。
 伯父さんの先生――私は口惜(くや)しいから斯ういう――伯父さんの先生は、用といっても大した事じゃないと言った。成程一命に関(かか)わるような大した事ではないが、併し其大した事でない用が間断(しっきり)なく有る。まず朝は下女と殆ど同時に覚(おこ)されて、雨戸を明けさせられる。伯母さんの奥さんと分担で座敷の掃除をさせられる。其が済むと、今度は私一人の専任で庭から、玄関先から、門前から、勝手口まで掃(は)かせられる。少しでも塵芥(ごみ)が残っていると、掃直(はきなお)しを命ぜられるから、丁寧に奇麗に掃(は)かなきゃならん。是が中々の大役の上に、時々其処らの草むしり迄やらされて萎靡(がっかり)する事もある。
 朝飯(あさめし)を済せて伯父さんの先生の出勤を見送って了うと、学校は午後だから、其迄は身体に一寸(ちょっと)隙(すき)が出来る。其暇(そのひま)に自分の勉強をするのだが、其さえ時々急ぎの謄写物(とうしゃもの)など吩咐(いいつか)って全潰(まるつぶれ)になる。
 夕方学校から帰ると、伯父さんの先生はもう疾(と)うに役所から退(ひ)けていて、私の帰りを待兼たように、後から後からと用を吩咐(いいつけ)る。それ、郵便を出して来いの、やれ、お客に御飯を出すのだから、急いで仕出し屋へ走れのと、純台所用の外は、何にでも私を使う。時には何の用だか知れもせぬ用に、手紙を持たせられて、折柄(おりから)の雨降にも用捨なく、遠方迄使いに遣られて、つくづく辛いと思った事もある。さもなくば内で取次だが、此奴(こいつ)が余所目(よそめ)には楽なようで、行(や)って見ると中々楽でない。漸く刑法講義の一枚も読んだかと思うと、もう頼もうと来る。聞えん風(ふり)も出来ぬから、渋々起(た)って取次に出て、倒さになる。私のお辞儀は家内の物議を惹起(ひきおこ)して度々喧(やかま)しく言われているけれど、面倒臭いから、構わず倒さになる。でも、相手が立派な商人か何かだと、取次栄(とりつぎばえ)がして好(い)い。伯父さんの先生、其様(そん)な時には、ふうふうと二つ返事で、早速お通し申せと来る。上機嫌だ。其代り其様(そん)な客の帰る所を見ると、持って来た物は屹度(きっと)持って帰らない。立派な髭(ひげ)の生えた人もまだ好(い)い。そんなのに限って尊大振って、私が倒さになっても、首一つ動かさぬ代り、取次いでも小言を言われる気遣いはない。反て伯父さんの先生狼狽(あわ)てて迎えに飛んで出る事もある。一番六(むず)かしいのは風体の余り立派でない人で、就中(なかんずく)帽子を冠(かぶ)らぬ人は、之を取次ぐに大(おおい)に警戒を要する。自筆の名刺か何かを出されて、之を持って奥へ行くと、伯父さんの先生名刺を一見するや、面(かお)を顰(しか)めて、居ると言ったかという。居るものを居ないと言われますか、と腹の中では議論を吹懸(ふッか)けながら、口へ出しては大人しく、はい、然う申しましたというと、チョッと舌打して、此様(こん)な者を取次ぐ奴が有るか、君は人の見別(みわけ)が出来んで困ると、小言を言って、居ないと言って返して了えという。私は脹(ふく)れ面(つら)をして容易に起(た)たない。すると、最終(しまい)には渋々会いはするが、後で金を持(もっ)てかれたといって、三日も沸々(ぶつぶつ)言ってる。
 沸々(ぶつぶつ)言ったって関(かま)わないが、斯ういう処を傍(はた)から看たら、誰(たれ)が眼にも私は立派な小狐家(おぎつねけ)の書生だ。伯父さんの先生の畜生(ちくしょう)、自分からが其気で居ると見えて、或時人(ひと)に対(むか)って家(うち)の書生がといっていた。既に相手方が右の始末だから、無理もない話だが、出入(でいり)の者が皆矢張(やっぱり)私を然う思って、書生扱にする。不平で不平で耐(たま)らないが、一々弁解もして居られんから、私は誠に拠(よん)どころなく不承々々に小狐家の書生にされて了って、而(そう)して月々食料を払っていた。
 が、今となって考えて見ると、不平に思ったのは私が未だ若かったからだ。監督を頼まれたから、引受けて、序(ついで)に書生にして使う、――これが即ち親切というもので、此の外に別に親切というものは、人間に無いのだ。有るかも知れんが、私は一寸(ちょっと)見当らない。

          三十二

 体好く書生にされて私は忌々(いまいま)しくてならなかったが、しかし其でも小狐家(おぎつねけ)を出て了う気にはならなかった。初の中(うち)は国元へも折々の便(たより)に不平を漏して遣ったが、其も後(のち)には弗(ふつ)と止めて了った。さればといって家(うち)での取扱いが変ったのではない。相変らず書生扱にされて、小(こ)ッ甚(ぴど)くコキ使われ、果は下女の担任であった靴磨きをも私の役に振替えられて了った。無論其時は私は憤激した。余程(よッぽど)下宿しようかと思った、が、思ったばかりで、下宿もせんで、為(さ)せられる儘に靴磨きもして、而(そう)して国元へは其を隠して居た。少し妙なようだが、なに、妙でも何でもない。私は実は雪江さんに惚れていたので。
 惚れては居たが、夫だから雪江さんを如何(どう)しようという気はなかった。其時分は私もまだ初心(うぶ)だったから、正直に女に惚れるのは男児の恥辱と心得ていた。女を弄(もてあそ)ぶのは何故だか左程の罪悪とも思って居なかったが、苟(いやしく)も男児たる者が女なんぞに惚れて性根(しょうね)を失うなどと、そんな腐った、そんなやくざな根性で何が出来ると息巻いていた。が、口で息巻く程には心で思っていなかったから、自分もいつか其程に擯斥(ひんせき)する恋に囚(とら)われて了ったのだが、流石(さすが)に囚(とら)われたのを恥て、明かに然うと自認し得なかった気味がある。から、若(もし)其頃誰かが面と向って私に然うと注意したら、私は屹度(きっと)、失敬な、惚なんぞするものか、と真紅(まッか)になって怒(おこ)ったに違いない。が、実は惚れたとも思わぬ中(うち)に、いつか自分にも内々で、こッそり、次序(しだら)なく惚れて了っていたのだ。
 惚れた証拠には、雪江さんが留守だと、何となく帰りが待たれる。家(うち)に居る時には心が藻脱(もぬ)けて雪江さんの身に添うてでも居るように、奥と玄関脇と離れていても、雪江さんが、今何(ど)の座敷で何をしているかは大抵分る。
 雪江さんは宵ッ張だから、朝は大層眠(ねむ)たがる。阿母(かあ)さんに度々起されて、しどけない寝衣姿(ねまきすがた)で、脛(はぎ)の露わになるのも気にせず、眠そうな面(かお)をしてふらふらと部屋を出て来て、指の先で無理に眼を押開け、□(まぶち)の裏を赤く反して見せて、「斯うして居ないと、附着(くッつ)いて了ってよ」、といって皆を笑わせる。
 雪江さんは一ツ橋のさる学校へ通っていたから、朝飯(あさはん)を済ませると、急いで支度をして出て行く。髪は常(いつ)も束髪だったが、履物(はきもの)は背(せい)が低いからッて、高い木履(ぽっくり)を好いて穿(は)いていた。紫の包を抱えて、長い柄の蝙蝠傘(こうもりがさ)を持って出て行く後姿が私は好くって堪(な)らなかったから、いつも其時刻には何喰わぬ顔をして部屋の窓から外を見ていると、雪江さんは大抵は見られているとは気が附かずに、一寸(ちょっと)お尻を撫(な)でてから、髪を壊(こわ)すまいと、低く屈(こご)んで徐(そっ)と門を潜(くぐ)って出て行くが、時とすると潜る前にヒョイと後(うしろ)を振向いて私と顔を看合せる事がある。そうすると、雪江さんは奇麗な歯並をチラリと見せて、何の意味もなく莞爾(にっこり)する。私は疾(とう)から出そうな莞爾(にっこり)を顔の何処へか押込めて、強いて真面目を作っているのだから、雪江さんの笑顔に誘われると、耐(こら)え切れなくなって不覚(つい)矢張(やっぱり)莞爾(にっこり)する。こうして莞爾(にっこり)に対するに莞爾(にっこり)を以てするのを一日の楽みにして、其をせぬ日は何となく物足りなく思っていた。いや、罪の無い話さ。

          三十三

 午後はいつも私が学校へ行った留守に、雪江さんが帰って来るので、掛違って逢わないが、雪江さんは帰ると、直ぐ琴のお稽古に近所のお師匠さんの処へ行く。私は一度何かで学校が早く終った時、態々(わざわざ)廻道(まわりみち)をして其前を通って見た事がある。三味線(さみせん)のお師匠さんと違って、琴のお師匠さんの家(うち)は格子戸作りでも、履脱(くつぬぎ)に石もあって、何処か上品だ。入口に琴曲指南山勢(やませ)門人何とかの何枝と優しい書風で書いた札が掛けてあった。窃(そッ)と格子戸の中(うち)を覗いて見ると、赤い鼻緒や海老茶の鼻緒のすがった奇麗な駒下駄が三四足行儀よく並んだ中に、一足紫紺(しこん)の鼻緒の可愛らしいのが片隅に遠慮して小さく脱棄(ぬぎす)ててある。之を見違えてなるものか、雪江さんのだ。大方(おおかた)駒下駄の主(ぬし)も奥の座敷に取繕(とりつくろ)ってチンと澄しているに違ないと思うと、そのチンと澄している処が一目なりと見たくなったが、生憎(あいにく)障子が閉切(たてき)ってあるので、外からは見えない。唯琴の音(ね)がするばかりだ。稽古琴だから騒々しいばかりで趣(おもむき)は無いけれど、それでも琴は何処か床しい。雪江さんは近頃大分上手になったけれど、雪江さんではないようだ。大方まだ済ないンだろう、なぞと思いながら、うッかり覗いていたが、ふッと気が附くと、先刻(さっき)から側(そば)で何処かの八ツばかりの男の児が、青洟(あおばな)を啜(すす)り啜り、不思議そうに私の面(かお)を瞻上(みあ)げている。子供でも極(きま)りが悪くなって、□々(そこそこ)に其処の門口を離れて帰って来た事も有ったっけが……
 夕方は何だか混雑(ごたごた)して落着かぬ中(うち)にも、一寸(ちょっと)好(い)い事が一つある。ランプ掃除は下女の役だが、夕方之に火を点(つ)けて座敷々々へ配るのは私の役だ。其時だけは私は公然雪江さんの部屋へ入る権利がある。雪江さんの部屋は奥の四畳半で、便所の側(そば)だけれど、一寸(ちょっと)小奇麗な好(い)い部屋だ。本箱だの、机だの、ガラス戸の箱へ入(いれ)た大きな人形だの、袋入りの琴だの、写真挟みだの、何だの角(か)だの体裁よく列(なら)べてあって、留守の中(うち)は整然(きちん)と片附いているけれど、帰って来ると、書物を出放(だしばな)しにしたり、毛糸の球を転がしたりして引散(ひっちら)かす。何かに紛れてランプ配りが晩(おそ)くなった時などは、もう夕闇が隅々へ行渡って薄暗くなった此の部屋の中に、机に茫然(ぼんやり)頬杖を杖(つ)いてる雪江さんの眼鼻の定かならぬ顔が、唯円々(まるまる)と微白(ほのじろ)く見える。何となく詩的だ。
「晩(おそ)くなりました。」
 とぶっきらぼうの私も雪江さんだけには言いつけぬお世辞も不覚(つい)出て、机の上の毛糸のランプ敷(じき)へ窃(そっ)とランプを載せると
「いいえ、まだ要らないわ。」
 雪江さんは屹度(きっと)斯ういう。これが伯父さんの先生でも有ろうものなら、口を尖(とん)がらかして、「もッと手廻(てまわし)して早うせにゃ不好(いかん)!」と来る所だ。大した相違だ。だから、家(うち)で人間らしいのは雪江さんばかりだと言うのだ。
 其儘出て来るのが、何だか飽気(あっけ)なくて、
「今日貴嬢(あなた)の琴のお師匠さんの前を通りました。一寸(ちょっと)好(い)い家(うち)ですね。」
「あら、そう」、と雪江さんがいう。心持首を傾(かし)げて、「何時頃?」
「そうさなあ……四時ごろでしたか。」
「じゃ、私(あたし)の行ってた時だわねえ。」
「ええ」、と私は何だか極(きま)りが悪くなって俯向(うつむ)いて了う。
 此話が発展したら、如何(どん)な面白い話になるのだか分らんのだけれど、其様(そん)な時に限って生憎(あいにく)と、茶の間辺(あたり)で伯母さんの奥さんの意地悪が私を呼ぶ、
「古屋さん! 早くランプを……何を愚図々々してるンだろうねえ。」
 残惜しいけれど、仕方がない。其切りで私は雪江さんの部屋を出て了う。

          三十四

 一番楽しみなのは日曜だ。それも天気だと、朝から客が立込んで私は目が眩(まわ)る程忙しいし、雪江さんもお友達が遊びに来たり、お友達の処へ遊びに行ったりして、私の事なんぞ忘れているから、天気は糞だ。雨降りに限る。就中(なかんずく)伯父さんの先生は何か余儀ない用事があって朝から留守、雪江さんは一日家(うち)、という雨降の日が一番好(い)い。
 其様(そん)な日には雪江さんは屹度(きっと)思切て朝寝坊をして、私なんぞは徐々(そろそろ)昼飯が恋しくなる時分に、漸う起きて来る。顔を洗って、御飯を喰べて、其から長いこと掛って髪を結う。結い了う頃は最う午砲(ドン)だけれど、お昼はお腹(なか)が満(くち)くて食べられない。「私(あたし)廃(よ)してよ」、という。
 部屋で机の前で今日の新聞を一寸(ちょっと)読む。大抵続物だけだ。それから編棒と毛糸の球を持出して、暫くは黙って切々(せッせッ)と編物をしている。私が用が有って部屋の前でも通ると、「古屋さん、これ何になると思って?」と編掛けを翳(かざ)して見せる。私が見たんじゃ、何だか円い変なお猪口(ちょく)のような物で、何になるのだか見当が附かないから、分らないというと、でも、まあ、当てて見ろという。熟考の上、「巾着でしょう?」というと、「いいえ」、と頭振(かぶり)を振る。巾着でないとすると、手袋には小さし、靴下でもなさそうだし、「ああ、分った! 匂袋(においぶくろ)だ」、と図星を言った積(つもり)でいうと、雪江さんは吃驚(びっくり)して、「まあ、可厭(いや)だ! 匂袋(においぶくろ)だなんぞッて……其様(そん)な物は編物にゃなくッてよ。」匂袋(においぶくろ)でもないとすると、もう私には分らない。降参して了うと、雪江さんは莞爾(にっこり)ともしないで、「これ、人形の手袋。」
 雪江さんは一つ事を何時迄(いつまで)もしているのは大嫌いだから、私がまだ自分の部屋の長四畳へ帰るか帰らぬ中(うち)に、もう編物を止めて琴を浚(さら)っている。近頃では最うポコンのベコンでも無くなった。斯うして聴いていると、如何(どう)しても琴に違いないと、感心して聴惚(ききほ)れていると、十分と経(た)たぬ中(うち)に、ジャカジャカジャンと引掻廻(ひっかきまわ)すような音がして、其切(それぎり)パタリと、琴の音(ね)は止む……ともう茶の間で若い賑(にぎや)かな雪江さんの声が聞える。
 忽ちドタドタドタと椽側を駈けて来る音がする。下女の松に違いない。後(あと)からパタパタと追蒐(おっか)けて来るのは、雪江さんに極(きま)ってる。玄関で追付(おっつ)いて、何を如何(どう)するのだか、キャッキャッと騒ぐ。松が敵(かな)わなくなって、私の部屋の前を駈脱(かけぬ)けて台所へ逃込む。雪江さんが後(あと)から追蒐(おっか)けて行って、また台所で一騒動やる中(うち)に、ガラガラガチャンと何かが壊(こわ)れる。阿母(かあ)さんが茶の間から大きな声で叱ると、台所は急に火の消えたように闃寂(ひっそり)となる。
 私は、国に居る時分は、お向うのお芳(よっ)ちゃん――子供の時分に能(よ)く飯事(ままごと)をして遊んだ、あのお芳(よっ)ちゃんが好きだった。お芳(よっ)ちゃんは小さい時には活溌な児だったが、大きくなるに随(つ)れて、大層落着いて品の好(い)い娘になって、私は其様子が何となく好きだったが、雪江さんはお芳(よっ)ちゃんとは正反対だ。が、雪江さんも悪くない、なぞと思いながら、茫然(ぼんやり)机に頬杖を突ている脊中を、誰だかワッといってドンと撞(つ)く。吃驚(びっくり)して振返(ふりかえ)ると、雪江さんがキャッキャッといいながら、逃げて行くしどけない後姿が見える。私は思わず莞爾(にっこ)となる。
 莞爾(にっこ)となった儘で、尚お雪江さんの事を思続けて、果は思う事が人に知れぬから、好(い)いようなものの、怪しからん事を内々思っていると、茶の間の椽側あたりで、オーという例の艶(つや)のある美(い)い声が聞える。初は地声の少し大きい位の処から、段々に甲高(かんだか)に競上(せりあ)げて行って、糸のように細くなって、何かを突脱けて、遠い遠い何処かへ消えて行きそうになって、又段々競下(せりさが)って来て、果はパッと拡げたような太い声になって、余念がない。雪江さんが肉声の練習をしているのだ。

          三十五

 私は其時分吉田松陰崇拝であった。将来の自由党の名士を以って自任しているのなら、グラッドストンかコブデン、ブライトあたりに傾倒すべきだが、何如(どう)した機(はずみ)だったか、松陰先生に心酔して了って、書風まで力(つと)めて其人に似せ、窃(ひそか)に何回猛士とか僭(せん)して喜んでいた迄は罪がないが、困った事には、斯うなると世間に余り偉い人が無くなる。誰(たれ)を見ても、先ず松陰先生を差向けて見ると、一人として手応(てごたえ)のある人物はない。皆一溜(ひとたま)りもなく敗亡(はいもう)する。それを松陰先生の後(うしろ)に隠れて見ていると、相手は松陰先生に負るので、私に負るのではないが、何となく私が勝ったような気がして、大臣が何だ、皆(みんな)門下生じゃないか。自由党の名士だって左程偉くもない。況(いわん)や学校の先生なんぞは只の学者だ、皆(みんな)降らない、なぞと鼻息を荒くして、独りで威張っていた。私なぞの理想はいつも人に迷惑を懸ける許りで、一向自分の足(たし)になった事がないが、側(はた)から見たら嘸(さぞ)苦々しい事であったろう。兎も角もこうして松陰先生大の崇拝で、留魂録(りゅうこんろく)は暗誦(あんしょう)していた程だったが、しかし此松陰崇拝が、不思議な事には、些(ちっ)とも雪江さんを想う邪魔にならなかったから、其時分私の眼中は天下唯松陰先生と雪江さんと有るのみだった。
 で、いつも学校の帰りには此二人の事を考え考え帰るのだが、或日――たしか土曜日だったかと思う、土曜日は学校も早仕舞なので、三時頃にそうして二人の事を考えながら帰って見ると、主人夫婦はいつも茶の間だのに、其日は茶の間に居ない。書斎かと思って書斎へ行こうとすると、椽側の尽頭(はずれ)の雪江さんの部屋で、雪江さんの声で、
「誰?」
 という。私は思わず立止って、
「私(わたくし)です。」
「古屋さん?」
 という声と共に、部屋の障子が颯(さッ)と開(あ)いて、雪江さんが面(かお)だけ出して、
「今日は皆(みんな)留守よ。」
「え?」と私は耳が信ぜられなかった。
「阿父(とう)さんも阿母(かあ)さんもね、先刻(さっき)出懸けてよ。」
「そうですか」、と何気なく言ったが、内々(ないない)は何だか急に嬉しくなって来て、
「松は?」
「松はお湯(ゆう)へ行って未だ帰って来ないの。」
「じゃ、貴嬢(あなた)お一人?」
「ええ……一寸(ちょっと)入(い)らッしゃいよ、此処へ。好(い)い物があるから。」
 と手招(てまねぎ)をする。斯うなると、松陰先生崇拝の私もガタガタと震い出した。

          三十六

 前にも断って置いた通り、私は曾て真劒に雪江さんを如何(どう)かしようと思った事はない。それは決して無い。度々怪しからん事を想って、人知れず其を楽しんで居たのは事実だけれど、勧業債券を買った人が当籤(とうせん)せぬ先から胸算用をする格で、ほんの妄想(ぼうそう)だ。が、誰も居ぬ留守に、一寸(ちょっと)入(い)らッしゃいよ、と手招ぎされて、驚破(すわ)こそと思う拍子に、自然と体の震い出したのは、即ち武者震いだ。千載一遇の好機会、逸(はず)してなるものか、というような気になって、必死になって武者震いを喰止めて、何喰わぬ顔をして、呼ばれる儘に雪江さんの部屋の前へ行くと、屈(こご)んでいた雪江さんが、其時勃然(むっくり)面(かお)を挙げた。見ると、何だか口一杯頬張っていて、私の面(かお)を見て何だか言う。言う事は能(よ)く解らなかったが、側(そば)に焼芋が山程盆に載っていたから、夫で察して、礼を言って、一寸(ちょっと)躊躇したが、思切って中(うち)へ入って了った。
 雪江さんはお薩(さつ)が大好物だった。私は好物ではないが、何故だか年中空腹を感じているから、食後だって十切位(ときれぐらい)はしてやる男だが、此時ばかりは芋どころでなかった。切(しきり)に勧められるけれど、難有(ありがと)う難有うとばかり言ってて、手を出さなかった。何だかもう赫(かっ)となって、夢中で、何だか霧にでも包まれたような心持で、是から先は如何(どう)なる事やら、方角が分らなくなったから、彷徨(うろうろ)していると、
「貴方(あなた)は遠慮深いのねえ。男ッて然う遠慮するもンじゃなくッてよ。」
 と何にも知らぬ雪江さんが焼芋の盆を突付ける。私は今其処(そこ)どころじゃないのだが、手を出さぬ訳にも行かなくなって手を出すと、生憎(あいにく)手先がぶるぶると震えやがる。
「如何(どう)して其様(そんな)に震えるの?」
 と雪江さんが不審そうに面(かお)を視る。私は愈(いよいよ)狼狽して、又真紅(まっか)になって、何だか訳の分らぬ事を口の中(うち)で言って、周章(あわ)てて頬張ると、
「あら、皮ごと喰べて……皮は取った方が好(い)いわ。」
「なに、構わんです」、と仕方が無いから、皮ぐるみムシャムシャ喰(や)りながら、「何は……何処へ入(い)らしッたンです?」
「吉田さんへ」、と雪江さんは皮を剥(む)く手を止(と)めて、「私(あたし)些(ちっ)とも知らなかったけど、今晩が春子さんのお輿入(こしいれ)なんですって。そら、媒人(なこうど)でしょう家(うち)は? だから、阿父(とう)さんも阿母(かあ)さんも早めに行ってないと不好(いけない)って、先刻(さっき)出て行ったのよ。」
 これで漸く合点が行ったが、それよりも爰(ここ)に一寸(ちょっと)吹聴(ふいちょう)して置かなきゃならん事がある。私は是より先春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ)という書物を読んだ。一体小説が好きで、国に居る時分から軍記物や仇討物は耽読(たんどく)していたが、まだ人情本という面白い物の有ることを知らなかった。これの知り初めが即ち此春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ)で、神田に下宿している友達の処から、松陰伝と一緒に借りて来て始て読んだが、非常に面白かった。此梅暦に拠(よ)ると、斯ういう場合に男の言うべき文句がある。何でも貴嬢(あなた)は浦山敷(うらやましく)思わないかとか、何とか、ヒョイと軽く戯談(じょうだん)を言って水を向けるのだ。思切って私も一つ言って見ようか知ら……と思ったが、何だか、どうも……ソノ極(きま)りが悪い。
「大変立派なお支度よ。何でもね、箪笥が四棹(よさお)行(い)くンですって。それからね、まだ長持だの、挟箱(はさみばこ)だの……」
 ああ、もう駄目だ。長持や挟箱(はさみばこ)の話になっちゃ大事去った、と後悔しても最う追付(おッつ)かない。雪江さんは、何処が面白いのだか、その長持や挟箱の話に夢中になって了って、其から其と話し続けて、盛返したくも盛返す隙がない。仕方が無いから、今に又機会(おり)も有ろうと、雪江さんの話は浮の空に聞いて、只管(ひたすら)其機会(おり)を待っていると、忽ちガラッと障子が開(あ)いて、
「あら、おたのしみ! ……」
 吃驚(びっくり)して振反(ふりかえ)ると、下女の松めが何時(いつ)戻ったのか、見(み)ともない面(つら)を罅裂(えみわれ)そうに莞爾(にこ)つかせて立ってやがる。私は余程(よっぽど)飛蒐(とびかか)って横面をグワンと殴曲(はりま)げてやろうかと思った。腹が立って腹が立って……

          三十七

 千載一遇の好機会も松に邪魔を入れられて滅茶々々になって了ったが、松が交って二つ三つ話をしている中(うち)に、間もなく夕方になった。夕方は用が有るから、三人ばらばらになって、私はランプ配りやら、戸締りやら、一切(ひとしき)り立働いて、例の通り部屋で晩飯を済すと、また身体に暇(ひま)が出来た。雪江さんは一番先に御飯を食べて、部屋へ籠(こも)った儘音沙汰(おとさた)がない。唯松ばかり後仕舞(あとじまい)で忙しそうで、台所で器物を洗う水の音がボシャボシャと私の部屋へ迄聞える。
 私は部屋で独りランプを眺めて徒然(つくねん)としているようで、心は中々忙しかった。婚礼に呼ばれて行ったとすると、主人夫婦の帰るのには未だ間(ま)が有る。帰らぬ中(うち)に今一度雪江さんと差向いになりたい。差向いになって何をするのだか、それは私にも未だ極(きま)らないが、兎に角差向いになりたい、是非なりたい、何か雪江さんの部屋へ行く口実はないか、口実は……と藻掻(もが)くけれど、生憎(あいにく)口実が看附(みつ)からない。うずうずして独りで焦心(じれ)ていると、ふと椽側にバタリバタリと足音がする。其足音が玄関へ来る。確かに雪江さんだ。部屋の前を通越(とおりこ)して台所へ行くか、それとも万一(ひょっと)障子が開(あ)くかと、成行(なりゆき)を待つ間(ま)の一分(ぷん)に心の臓を縮めていると、驚破(すわ)、障子がガタガタと……開(あ)きかけて、グッと支(つか)えたのを其儘にして、雪江さんが隙間から覗込みながら、
「勉強?」
 と一寸(ちょっと)首を傾げた。これが何を聞く時でも雪江さんの為(す)る癖で、看慣(みな)れては居るけれど、私は常(いつ)も可愛らしいと思う。不断着だけれど、荒い縞の着物に飛白(かすり)の羽織を着て、華美(はで)な帯を締めて、障子に掴(つか)まって斜(はす)に立った姿も何となく目に留(と)まる。
 ああ求むる者に与えられたのだ。神よ……といいたいような気になって、無論莞爾々々(にこにこ)となって、
「いいえ……まあ、お入ンなさい。」
「じゃ、私(あたし)話して入(い)くわ。奥は一人で淋しいから。」
 珍客々々! 之を優待せん法はない。よ、よ、と雪江さんが掛声をして障子を明けようとするけれど、開(あ)かないのを、私は飛んで行って力任せにウンと引開けた。
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