平凡
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著者名:二葉亭四迷 

 跡は両側の子供が又続々(ぞろぞろ)と動き出し、四辺(あたり)が大黒帽に飛白(かすり)の衣服(きもの)で紛々(ごたごた)となる中で、私一人は佇立(たちどま)ったまま、茫然として轅棒(かじぼう)の先で子供の波を押分けて行くように見える車の影を見送っていた。
 と、誰だか私の側(そば)へ来て、何か言う。顔は見覚えのある家(うち)の近所の何とかいう児だが、言ってる事が分らない。私は黙って其面(そのかお)を視たばかりで、又窃(そっ)と車の行った方角を振向いて見ると、最う車は先の横町を曲ったと見えて、此方(こちら)を向いて来る沢山の子供の顔が見えるばかりだ。
「ねえ、君、君ン所(とこ)のポチも殺されたかも知れないぜ。」
 という声が此時ふと耳に入って、私はハッと我に反(かえ)ると、
「啌(うそ)だい! 殺されるもんか! 札が附いてるもの……」
 と狼狽(あわて)て打消てから、始めて木村の賢ちゃんという児と話をしている事が分った。
「やあ……札が附いてたって、殺されますから。へえ。僕ン所(とこ)の阿爺(おとっ)さんが……」
 と賢ちゃんが言掛けると、仲善(なかよし)の友の言う事だが、私は何だか急に口惜(くや)しくなって、赫(かっ)と急込(せきこ)んで、
「何でい! 大丈夫だい□ ……」
 と怒鳴り付けた。賢ちゃんが吃驚(びッくり)して眼を円くした時、私は卒然(いきなり)バタバタと駈出し、前へ行く児にトンと衝当(つきあた)る。何しやがるンだいと、其児に突飛されて、又誰だかに衝当(つきあた)る。二三度彼方此方(あちこち)で小突かれて、蹌踉(よろよろ)として、危(あや)うかったのを辛(やッ)と踏耐(ふんごた)えるや、後(あと)をも見ずに逸散(いっさん)に宙を飛で家(うち)へ帰った。

          十八

 門は明放(あけばな)し、草履は飛び飛びに脱棄てて、片足が裏返しになったのも知らず、「阿母(おっか)さん阿母さん!」と卒然(いきなり)内へ喚(わめ)き込んだが、母の姿は見えないで、台所で返事がする。
 誰だか来て居るようで、話声がしているけれど、其様(そん)な事に頓着しては居られない。学校道具を座敷の中央(まんなか)へ抛(ほう)り出して置いて台所へ飛んで行くなり、
「阿母(おッか)さん! ……ポチは? ……」
 と喘(あえ)ぎ喘ぎまず聞いてみた。
 母は黙って此方(こちら)を向いた。常は滅入ったような蒼い面(かお)をしている人だったが、其時此方(こちら)を向いた顔を見ると、微(ぼッ)と紅(あか)くなって、眼に潤(うる)みを持ち、どうも尋常(ただ)の顔色(かおいろ)でない。私は急に何か物に行当ったようにうろうろして、
「殺されたかい? ……」
 と凝(じっ)と母の面(かお)を視た時には、気息(いき)が塞(つま)りそうだった。
 母は一寸(ちょっと)躊躇(ためら)ったようだったが、思切って投出すように、
「殺されたとさ……」
 逸散(いっさん)に駈て来て、ドカッと深い穴へ落ちたら、彼様(あん)な気がするだろうと思う。私は然う聞くと、ハッと内へ気息(いき)を引いた。と、張詰めて破裂(はちき)れそうになっていた気がサッと退(ひ)いて、何だか奥深い穴のような処へ滅入って行くようで、四辺(あたり)が濛(ぼっ)と暗くなると、母の顔が見えなくなった……
「炭屋さんが見て来なすッたンだッさ。」
 という声がふと耳に入ると、クワッとまた其処らが明るくなって眼の前に丸髷が見える。母は又彼方(あちら)向いて了ったのだ。
「じゃ、木村さん処(とこ)の前で殺されたんですね?」と母の声がいう。
「へえ」、という者がある。機械的に其方へ面(かお)を向けると、腰障子の蔭に、旧い馴染(なじみ)の炭屋の爺やの、小鼻の脇に大きな黒子(ほくろ)のある、皺(しわ)だらけの面(かお)が見えて、前歯の二本脱けた間から、チョコチョコ舌を出して饒舌(しゃべ)っている声が聞える。「丁度あの木村さんの前ン処(とこ)なんで。手前(てまえ)は初めは何だと思いました。棒を背後(うしろ)へ匿(かく)してましたから、遠くで見たんじゃ、ほら、分りませんや。一寸(ちょいと)見ると何だか土方のような奴で、其奴(そいつ)がこう手を背後(うしろ)へ廻しましてな、お宅の犬の寝ている側(そば)へ寄ってくから、はてな、何をするンだろう、と思って見ていますと、彼様(あん)な人懐(ひとなつ)っこい犬だから、其奴(そいつ)の面(かお)を見て、何にも知らずに尻尾を掉(ふ)ってましたよ。可哀(かわい)そうに! 普通(なみ)の者なら、何ぼ何でも其様(そん)なにされちゃ、手を下(おろ)せた訳合(わけあい)のもんじゃございません、――ね、今日(こんにち)人情としましても。それを、貴女(あなた)……いや、どうも、ああいう手合に逢っちゃ敵(かな)いませんて、卒然(いきなり)匿(かく)してた棒を取直して、おやッと思う間に、ポンと一つ鼻面を打(ぶ)ちました。そうするとな、お宅のは勃然(むっくり)起きましてな、キリキリと二三遍廻って、パタリと倒れると、仰向きになってこう四足(よつあし)を突張りましてな、尻尾でバタバタ地面(ちべた)を叩いたのは、あれは大方苦(くるし)がったんでしょうが、傍(はた)で見ていりゃ何だか喜んで尻尾を掉(ふ)ったようで、妙な塩梅(あんばい)しきでしたがな、其処を、貴女(あなた)、またポカポカと三つ四つ咽喉(のど)ン処(とこ)を打(ぶ)ちますとな、もう其切(それっき)りで、ギャッともスウとも声を立て得ないで、貴女(あなた)……」
 私はもう後(あと)は聴いていなかった。誰(たれ)を憚(はばか)る必要もないのに、窃(そっ)と目立たぬように後方(うしろ)へ退(さが)って、狐鼠々々(こそこそ)と奥へ引込(ひっこ)んだ。ベタリと机の前へ坐った。キリキリと二三遍廻ったという今聞いた話が胸に浮ぶと、そのキリキリと廻ったポチの姿が、顕然(まざまざ)と目に見えるような気がする。熱い涙がほろほろ零(こぼ)れる、手の甲で擦(こす)っても擦っても、止度(とめど)なくほろほろ零(こぼ)れる。

          十九

 ポチが殺されて、私は気脱けしたようになって、翌日は学校も休んだ。何も自分が罪を犯したでもないのに、何となく友達に顔を見られるのが辛くッて……
 午過(ひるすぎ)にポチが殺されたという木村という家(うち)の前へ行って見た。其処か此処かと尋ねて見たけれど、もう其らしい痕(あと)もない。私は道端に彳(たたず)んで、茫然としていた。
 炭屋の老爺(じい)やの話だと、うッかり寝転んでいる所を殺されたのだと云う。大方昨日(きのう)も私の帰りを待ちかねて、此処らまで迎えに出ていたのであろう。待草臥(まちくたび)れて、ドタリと横になって、角(かど)のポストの蔭から私の姿がヒョッコリ出て来はせぬかと、其方ばかりを余念なく眺(なが)めている所へ、犬殺しが来たのだ。人間は皆私達親子のように自分を可愛がって呉れるものと思っているポチの事だから、犬殺しとは気が附かない。何心なく其面(そのかお)を瞻上(みあ)げて尾を掉(ふ)る所を、思いも寄らぬ太い棍棒がブンと風を截(き)って来て……と思うと、又胸が一杯になる。
 ヒュウと悲しい音を立てて、空風(からかぜ)が吹いて通る。跡からカラカラに乾いた往来の中央(まんなか)を、砂烟(すなけぶり)が濛(ぼっ)と力のない渦を巻いて、捩(よじ)れてひょろひょろと行く。
 私は其行方を眺めて茫然としていた。と、何処でかキャンキャンと二声三声犬の啼声がする……佶(きっ)と耳を引立(ひった)って見たが、もう其切(それきり)で聞えない。隣町あたりで凍(かじ)けたような物売の声がする。
 何だか今の啼声が気になる。ポチは殺されたのだから、もう此処らで啼いてる筈はない。余所の犬だ余所の犬だ、と思いながら、何だか其儘聞流して了うのが残惜しくて、思わずパタパタと駈出したが、余所の犬じゃ詰らないと思返して、又頽然(ぐたり)となると、足の運びも自然と遅(おそ)くなり、そろりそろりと草履を引摺(ひきずり)ながら、目的(あて)もなく小迷(さまよ)って行く。
 小迷(さまよ)って行きながら、又ポチの事を考えていると、ふッと気が変って、何だか昨日(きのう)からの事が皆(みんな)嘘らしく思われてならぬ。私が余(あんま)りポチばかり可愛がって勉強をしなかったから、父が万一(ひょっと)したら懲(こら)しめのため、ポチを何処かへ匿(かく)したのじゃないかと思う。そうすると、今の啼声は矢張(やっぱり)ポチだったかも知れぬと、うろうろとする目の前を、土耳其帽(トルコぼう)を冠(かぶ)った十徳姿の何処かのお祖父(じい)さんが通る。何だか深切そうな好(い)いお祖父(じい)さんらしいので、此人に聞いたら、偶然(ひょっ)とポチの居処(いどころ)を知っていて、教えて呉れるかも知れぬと思って、凝然(じっ)と其面(そのかお)を視ると、先も振向いて私の面(かお)を視て、莞爾(にッこり)して行って了った。
 向うから順礼の親子が来る。笈摺(おいずる)も古ぼけて、旅窶(たびやつ)れのした風で、白の脚絆(きゃはん)も埃(ほこり)に塗(まぶ)れて狐色になっている。母の話で聞くと、順礼という者は行方知れずになった親兄弟や何かを尋ねて、国々を経巡(へめぐ)って歩くものだと云う。此人達も其様(そん)な事で斯うして歩いているのかも知れぬ、と思うと、私も何だか此仲間へ入って一緒にポチを探して歩きたいような気がして、立止って其の後姿を見送っていると、忽ち背後(うしろ)でガラガラと雷の落懸(おちかか)るような音がしたから、驚いて振向こうとする途端(とたん)に、トンと突飛されて、私はコロコロと転がった。
「危ねい! 往来の真ン中を彷徨(うろうろ)してやがって……」とせいせい息を逸(はず)ませながら立止って怒鳴り付けたのは、目の怕(こわ)い車夫であった。
 車には黒い高い帽子を冠(かぶ)って、温(あった)かそうな黄ろい襟の附いた外套を被(き)た立派な人が乗っていたが、私が面(かお)を顰(しか)めて起上(おきあが)るのを尻眼に掛けて、髭(ひげ)の中でニヤリと笑って、
「鎌蔵(かまぞう)、構わずに行(や)れ。」
「へい……本当(ふんと)に冷りとさせやがった。気を付けろ、涕垂(はなた)らしめ! ……」
 と車夫は又トットッと曳出した。
 紳士は犬殺しでない。が、ポチを殺した犬殺しと此人と何だか同じように思われて、クラクラと目が眩(くら)むと、私はもう無茶苦茶になった。卒然(いきなり)道端(みちばた)の小石を拾って打着(ぶっつ)けてやろうとしたら、車は先の横町へ曲ったと見えて、もう見えなかった。
 パタリと小石を手から落した。と、何だか急に悲しくなって来て耐(たま)らなくなって、往来の真中で私は到頭シクシク泣出した。

          二十

 ポチの殺された当座は、私は食が細って痩せた程だった。が、其程の悲しみも子供の育つ勢には敵(かな)わない。間もなく私は又毎日学校へ通って、友達を相手にキャッキャッとふざけて元気よく遊ぶようになった……

       ―――――――――――――――

 今日は如何(どう)したのか頭が重くて薩張(さっぱ)り書けん。徒書(むだがき)でもしよう。
愛は総ての存在を一にす。
愛は味(あじわ)うべくして知るべからず。
愛に住すれば人生に意義あり、愛を離るれば、人生は無意義なり。
人生の外(ほか)に出で、人生を望み見て、人生を思議する時、人生は遂に不可得(ふかとく)なり。
人生に目的ありと見、なしと見る、共に理智の作用のみ。理智の眼(まなこ)を抉出(けっしゅつ)して目的を見ざる処に、至味(しみ)存す。
理想は幻影のみ。
凡人(ぼんにん)は存在の中(うち)に住す、其一生は観念なり。詩人哲学者は存在の外(ほか)に遊離す、観念は其一生なり。
凡人(ぼんにん)は聖人の縮図なり。
人生の真味は思想に上らず、思想を超脱せる者は幸(さいわい)なり。
二十世紀の文明は思想を超脱せんとする人間の努力たるべし。
 此様(こん)な事ならまだ幾らでも列べられるだろうが、列べたって詰らない。皆啌(うそ)だ。啌(うそ)でない事を一つ書いて置こう。
 私はポチが殺された当座は、人間の顔が皆犬殺しに見えた。是丈(これだけ)は本当の事だ。

          二十一

 小学から中学を終るまで、落第をも込めて前後十何年の間、毎日々々の学校通い、――考えて見れば面白くもない話だが、併し其を左程にも思わなかった。小学校の中(うち)は、内で親に小蒼蠅(こうるさ)く世話を焼かれるよりも、学校へ行って友達と騒ぐ方が面白い位に思っていたし、中学へ移ってからも、人間は斯うしたものと合点(がてん)して、何とも思わなかった。
 しかし、凡(およ)そ学科に面白いというものは一つも無かった。何(ど)の学科も何の学科も、皆(みんな)味も卒気もない顰蹙(うんざり)する物ばかりだったが、就中(なかんずく)私の最も閉口したのは数学であった。小学時代から然うだったが、中学へ移ってからも、是ばかりは変らなかった。此次は代数の時間とか、幾何(きか)の時間とかなると、もう其が胸に支(つか)えて、溜息が出て、何となく世の中が悲観された。
 算術は四則だけは如何(どう)やら斯うやら了解(のみこ)めたが、整数分数となると大分怪しくなって、正比例で一寸(ちょっと)息を吐(つ)く。が、其お隣の反比例から又亡羊(うろうろ)し出して、按分比例で途方に暮れ、開平開立(かいりゅう)求積となると、何が何だか無茶苦茶になって、詰り算術の長の道中を浮の空で通して了ったが、代数も矢張(やっぱ)り其通り。一次方程式、二次方程式、簡単なのは如何(どう)にかなっても、少し複雑のになると、A(エー)とB(ビー)とが紛糾(こぐら)かって、何時迄(いつまで)経(た)ってもX(エッキス)に膠着(こびりつ)いていて離れない。況(いわん)や不整方程式には、頭も乱次(しどろ)になり、無理方程式を無理に強付(しいつ)けられては、げんなりして、便所へ立ってホッと一息吐(つ)く。代数も分らなかったが幾何(きか)や三角術は尚分らなかった。初の中(うち)は全く相合(あいあわ)せ得る物の大(おおい)さは相等しなどと真顔で教えられて、馬鹿(ばか)扱(あつかい)にするのかと不平だったが、其中(そのうち)に切売の西瓜(すいか)のような弓月形(きゅうげつけい)や、二枚屏風を開いたような二面角が出て来て、大きなお供(そなえ)に小さいお供(そなえ)が附着(くっつ)いてヤッサモッサを始める段になると、もう気が逆上(うわず)ッて了い、丸呑(まるのみ)にさせられたギゴチない定義や定理が、頭の中でしゃちこばって、其心持の悪いこと一通りでない。試験が済むと、早速咽喉(のど)へ指を突込んで留飲(りゅういん)の黄水(きみず)と一緒に吐出せるものなら、吐出して了って清々(せいせい)したくなる。
 何の因果で此様(こん)な可厭(いや)な想(おもい)をさせられる事か、其は薩張(さっぱり)分らないが、唯此可厭(いや)な想(おもい)を忍ばなければ、学年試験に及第させて貰えない。学年試験に及第が出来ぬと、最終の目的物の卒業証書が貰えないから、それで誠に止むことを得ず、眼を閉(ねむ)って毒を飲む気で辛抱した。
 尤も是は数学ばかりでない。何(ど)の学科も皆多少とも此気味がある。味わって楽むなどいうのは一つもない、又楽んでいる暇(ひま)もない。後から後からと他の学科が急立(せきた)てるから、狼狽(あわ)てて片端(かたはし)から及第のお呪(まじな)いの御符(ごふう)の積(つもり)で鵜呑(うのみ)にして、而(そう)して試験が済むと、直ぐ吐出してケロリと忘れて了う。

          二十二

 今になって考えて見ると、無意味だった。何の為に学校へ通ったのかと聞かれれば、試験の為にというより外はない。全く其頃の私の眼中には試験の外に何物も無(なか)った。試験の為に勉強し、試験の成績に一喜一憂し、如何(どん)な事でも試験に関係の無い事なら、如何(どう)なとなれと余処に見て、生命の殆ど全部を挙げて試験の上に繋(か)けていたから、若し其頃の私の生涯から試験というものを取去ったら、跡は他愛(たわい)のない烟(けむ)のような物になって了う。
 これは、しかし、私ばかりというではなかった。級友という級友が皆然うで、平生(へいぜい)の勉強家は勿論、金箔附(きんぱくつき)の不勉強家も、試験の時だけは、言合せたように、一色(しき)に血眼(ちまなこ)になって……鵜の真似をやる、丸呑(まるのみ)に呑込めるだけ無暗(むやみ)に呑込む。尤も此連中は流石(さすが)に平生を省みて、敢て多くを望まない、責めて及第点だけは欲しいが、貰えようかと心配する、而(そう)して常は事毎に教師に抵抗して青年の意気の壮(さかん)なるに誇っていたのが、如何(どう)した機(はずみ)でか急に殊勝気(しゅしょうげ)を起し、敬礼も成る丈気を附けて丁寧にするようにして、それでも尚お危険を感ずると、運動と称して、教師の私宅へ推懸(おしか)けて行って、哀れッぽい事を言って来る。
 私は我儘者の常として、見栄坊(みえぼう)の、負嫌(まけぎらい)だったから、平生も余り不勉強の方ではなかった。無論学科が面白くてではない、学科は何時迄(いつまで)経(た)っても面白くも何ともないが、譬(たと)えば競馬へ引出された馬のようなもので、同じような青年と一つ埒入(らちない)に鼻を列べて見ると、負(まけ)るのが可厭(いや)でいきり出す、矢鱈(やたら)に無上(むしょう)にいきり出す。
 平生さえ然うだったから、況(いわん)や試験となると、宛然(さながら)の狂人(きちがい)になって、手拭を捻(ねじ)って向鉢巻(むこうはちまき)ばかりでは間怠(まだる)ッこい、氷嚢を頭へ載(のっ)けて、其上から頬冠(ほおかむ)りをして、夜(よ)の目も眠(ね)ずに、例の鵜呑(うのみ)をやる。又鵜呑(うのみ)で大抵間に合う。間に合わんのは作文に数学位(ぐらい)のものだが、作文は小学時代から得意の科目で、是は心配はない。心配なのは数学の奴だが、それをも無理に狼狽(あわ)てた鵜呑(うのみ)式で押徹(おしとお)そうとする、又不思議と或程度迄は押徹(おしとお)される。尤も是はかね合(あい)もので、そのかね合(あい)を外すと、落(おっ)こちる。私も未だ試験慣れのせぬ中(うち)、ふと其かね合(あい)を外して落(おッ)こちた時には、親の手前、学友の手前、流石(さすが)に面目(めんぼく)なかったから、少し学校にも厭気が差して、其時だけは一寸(ちょっと)学校教育なんぞを齷促(あくせく)して受けるのが、何となく馬鹿気た事のように思われた。が、世間を見渡すと、皆(みんな)此無意味な馬鹿気た事を平気で懸命に行(や)っている。一人として躊躇している者はない。其中で私一人其様(そん)な事を思うのは何だか薄気味悪(うすきびわる)かったから、狼狽(あわ)てて、いや、馬鹿気ているようでも、矢張(やっぱり)必要の事なんだろうと思直(おもいなお)して、素知(そし)らん顔して、其からは落第の恥辱を雪(すす)がねば措(お)かぬと発奮し、切歯(せっし)して、扼腕(やくわん)して、果(はた)し眼(まなこ)になって、又鵜の真似を継続して行(や)った。
 鵜の真似でも何でも、試験の成績さえ良ければ、先生方も満足せられる、内でも親達が満足するから、私は其で好(い)い事と思っていた。然うして多く学んで殆ど何も得(う)る所がない中(うち)に、いつしか中学も卒業して、卒業式には知事さんも「諸君は今回卒業の名誉を荷うて……」といった。内でも赤飯(せきはん)を焚(た)いて、お目出度いお目出度いと親達が右左から私を煽(あお)がぬ許りにして呉れた。してみれば、矢張(やッぱり)名誉でお目出度いのに違いないと思って、私も大(おおい)に得意になっていた。

          二十三

 中学も卒業した。さて今後は如何(どう)するという愈(いよいよ)胸の轟く問題になった。
 まだ中学に居る頃からの宿題で、寐ても寤(さ)めても是ばかりは忘れる暇(ひま)もなかったのだが、中学を卒業してもまだ極(きま)らずに居たのだ。
 極(きま)らぬのは私ではない。私は疾(と)うに極(き)めていた、無論東京へ行くと。
 東京は如何(どん)な処だか人の噂に聞く許(ばかり)で能(よ)くは知らなかったが、私も地方育ちの青年だから、誰も皆思うように、東京へ出て何処(どこ)かの学校へ入りさえすれば、黙っていても自然と運が向いて来て、或は海外留学を命ぜられるようになるかも知れぬ。若し然うなったら……と目を開(あ)いて夢を見ていたのも昨日(きのう)や今日の事でないから、何でも角(か)でも東京へ出たいのだが、さて困った事には、珍しくもない話だけれど、金の出処(でどころ)がない。
 父は其頃県庁の小吏であった。薄給でかつがつ一家を支えていたので、月給だけでは私を中学へ入れる事すら覚束(おぼつか)なかったのだが、幸い親譲りの地所が少々と小さな貸家が二軒あったので、其上りで如何(どう)にか斯うにか糊塗(まじく)なっていたのだ。だから到底(とて)も私を東京へ遣(や)れないという父の言葉に無理もないが、しかし……私は矢張(やっぱり)東京へ出たい。
 父は其頃未だ五十であった。達者な人だけに気も若くて、まだまだ十年や十五年は大丈夫生ていると、傍(はた)の私達も思っていたし、自分も其は其気でいた。従って世間の親達のように、早く私を月給取にして、嫁を宛(あて)がって、孫の世話でもしていたいなぞと、そんな気は微塵もないが、何分にも当節は勤向(つとめむき)が六(むず)かしくなって、もう永くは勤まらぬという。成程父は教育といっても、昔の寺子屋教育ぎりで、新聞も漢語字引と首引(くびっぴき)で漸く読み覚えたという人だから、今の学校出の若い者と机を列べて事務を執(と)らされては、嘸(さぞ)辛い事も有ろうと、其様(そん)な事には浮(うわ)の空の察しの無かった私にも、話を聞けば能く分って、同情が起らぬでもないが、しかし、それだからお前は県庁へ勤めるなとして自分一人だけの事は為(し)て呉れと、言われた時には情なかった。父は然うして置いて、何ぞ他(ほか)に気骨の折れぬ力相応の事をして県庁の方は辞職する。辞職しても当分はお前の世話にはなるまいと、財産相応の穏当な案を立てて、私の為をも思っていうのは解っているけれど、しかし私は如何(どう)しても矢張(やッぱり)東京へ出て何処かの学校へ入りたい。
 で、親子一つ事を反覆(くりかえ)すばかりで何日経(た)っても話の纏まらぬ中(うち)に、同窓の何某(なにがし)はもう二三日前(ぜん)に上京したし、何某(なにがし)は此月末(つきずえ)に上京するという話も聞く。私は気が気でないから、眼の色を異(ちが)えて、父に逼(せま)り、果は血気に任せて、口惜(くや)し紛れに、金がないと言われるけれど、地面を売れば如何(どう)にかなりそうなものだ、それとも私の将来よりも地面の方が大事なら、学資は出して貰わんでも好い、旅費だけ都合して貰いたい、私は其で上京して苦学生になると、突飛(とっぴ)な事を言い出せば、父は其様(そん)な事には同意が出来ぬという、それは圧制だ、いや聞分(ききわけ)ないというものだと、親子顔を赤めて角芽立(つのめだ)つ側(そば)で、母がおろおろするという騒ぎ。
 其時私の為には頗る都合の好い事があった。私と同期の卒業生で父も懇意にする去る家の息子が、何処のも同じ様に東京行きを望んで、親に拒まれて、自暴(やけ)を起し、或夜窃(ひそか)に有金(ありがね)を偸出(ぬすみだ)して東京へ出奔すると、続いて二人程其真似をする者が出たので、同じ様な息子を持った諸方の親々(おやおや)の大恐慌となった。父も此一件から急に我(が)を折って、彼方此方(あちこち)の親類を駈廻(かけまわ)った結果、金の工面(くめん)が漸く出来て、最初は甚(ひど)く行悩んだ私の遊学の願も、存外難なく聴(ゆる)されて、遂に上京する事になった時の嬉しさは今に忘れぬ。

          二十四

 愈(いよいよ)出発の当日となった。待ちに待った其日ではあるけれど、今となっては如何(どう)やら一日位は延ばしても好(い)いような心持になっている中(うち)に、支度はズンズン出来て、さて改まって父母(ちちはは)と別れの杯(さかずき)の真似事をした時には、何だか急に胸が一杯になって不覚(つい)ホロリとした。母は固(もと)より泣いた、快活な父すら目出度い目出度いと言いながら、頻(しきり)に咳をして涕(はな)[#「涕」はママ]を拭(か)んでいた。
 誂(あつら)えの俥(くるま)が来る。性急(せっかち)の父が先ず狼狽(あわ)て出して、座敷中を彷徨(うろうろ)しながら、ソレ、風呂敷包を忘れるな、行李は好(い)いか、小さい方だぞ、コココ蝙蝠傘(こうもりがさ)は己(おれ)が持ってッてやる、と固(もと)より見送って呉れる筈なので、自分も一台の俥(くるま)に乗りながら、何は載ったか、何は……ソレ、あの、何よ……と、焦心(あせ)る程尚お想出せないで、何やら分らぬ手真似をして独り無上(むしょう)に車上で騒ぐ。
 母も門口まで送って出た。愈(いよいよ)俥(くるま)が出ようとする時、母は悲しそうに凝(じっ)と私の面(かお)を視て、「じゃ、お前ねえ、カカ身体を……」とまでは言い得たが、後(あと)が言えないで、涙になった。
 私は故意(わざ)と附元気(つけげんき)の高声(たかごえ)で、「御機嫌よう!」と一礼すると、俥(くるま)が出たから、其儘正面(まむき)になって了ったが何だか後髪を引かれるようで、俥(くるま)が横町を出離れる時、一寸(ちょっと)後(うしろ)を振向いて見たら、母はまだ門前に悄然(しょんぼり)と立っていた。
 道々も故意(わざ)と平気な顔をして、往来を眺めながら、勉(つとめ)て心を紛らしている中(うち)に、馴染の町を幾つも過ぎて俥(くるま)が停車場(ステーション)へ着いた。
 まだ発車には余程間(あいだ)があるのに、もう場内は一杯の人で、雑然(ごたごた)と騒がしいので、父が又狼狽(あわ)て出す。親しい友の誰彼(たれかれ)も見送りに来て呉れた。其面(そのかお)を見ると、私は急に元気づいて、例(いつ)になく壮(さかん)に饒舌(しゃべ)った。何だか皆が私の挙動に注目しているように思われてならなかった。無論友達は家(うち)で立際(たちぎわ)に私の泣いたことを知る筈はないから……
 軈(やが)て発車の時刻になって、汽車に乗込む。手持無沙汰な落着かぬ数分(すふん)も過ぎて、汽笛が鳴る。私が窓から首を出して挨拶をする時、汽車は動出(うごきだ)して、父の眼をしょぼつかせた顔がチラリとして直ぐ後(あと)になる、見えなくなる。もうプラットフォームを出離れて、白ペンキの低い柵が走る、其向うの後向(うしろむ)きの二階家が走る、平屋が走る。片側町(かたかわまち)になって、人や車が後(あと)へ走るのが可笑(おか)しいと、其を見ている中(うち)に、眼界が忽ち豁然(からっ)と明くなって、田圃(たんぼ)になった。眼を放って見渡すと、城下の町の一角が屋根は黒く、壁は白く、雑然(ごたごた)と塊(かた)まって見える向うに、生れて以来十九年の間(あいだ)、毎日仰ぎ瞻(み)たお城の天守が遙に森の中に聳えている。ああ、家(うち)は彼下(あのした)だ……と思う時、始めて故郷を離れることの心細さが身に染(し)みて、悄然(しょんぼり)としたが、悄然(しょんぼり)とする側(そば)から、妙に又気が勇む。何だか籠のような狭隘(せせこま)しい処から、茫々と広い明るい空のような処へ放されて飛んで行くようで、何となく心臓の締るような気もするが、又何処か暢(のん)びりと、急に脊丈が延びたような気もする。
 こうした妙な心持になって、心当(こころあて)に我家の方角を見ていると、忽ち礑(はた)と物に眼界を鎖(とざ)された。見ると、汽車は截割(たちわ)ったように急な土手下を行くのだ。

          二十五

 申後れたが、私は法学研究のため上京するのだ。
 其頃の青年に、政治ではない、政論に趣味を持たん者は幾(ほと)んど無かった。私も中学に居る頃から其が面白くて、政党では自由党が大の贔負(ひいき)であったから、自由党の名士が遊説(ゆうぜい)に来れば、必ず其演説を聴きに行ったものだ。無論板垣さんは自分の叔父さんか何ぞのように思っていた。
 実際の政界の事情は些(ちッ)とも分っていなかった。自由党は如何(どう)いう政党だか、改進党と如何(どう)違うのだか、其様(そん)な事は分っているような風をして、実は些(ちッ)とも分っていなかったが、唯初心(うぶ)な眼で局外から観ると、何だか自由党の人というと、其人の妻子は屹度(きっと)饑(うえ)に泣いてるように思われて、妻子が饑(うえ)に泣く――人情忍び難い所だ。その忍び難い所を忍んで、妻や子を棄てて置いて、而(そう)して自分は芸者狂いをするのじゃない、四方に奔走して、自由民権の大義を唱(とな)えて、探偵に跟随(つけ)られて、動(やや)もすれば腰縄で暗い冷たい監獄へ送られても、屈しない。偉いなあ! と、こう思っていたから、それで好きだった。
 好きは好きだったが、しかし友人の誰彼(たれかれ)のように、今直ぐ其真似は仕度(した)くない。も少し先の事にしたい。兎角理想というものは遠方から眺めて憧憬(あこが)れていると、結構な物だが、直ぐ実行しようとすると、種々(いろいろ)都合の悪い事がある。が、それでは何だか自分にも薄志弱行(はくしじゃっこう)のように思われて、何だか心持が悪かったが、或時何かの学術雑誌を読むと、今の青年は自己の当然修むべき学業を棄てて、動(やや)もすれば身を政治界に投ぜんとする風ありと雖も、是れ以ての外の心得違なり、青年は須(すべか)らく客気を抑えて先ず大(おおい)に修養すべし、大(おおい)に修養して而(しか)して後(のち)大(おおい)に為す所あるべし、という議論が載っていた。私は嬉しかった。早速此持重説(じちょうせつ)を我物にして了って、之を以て実行に逸(はや)る友人等を非難し、而(そう)して窃(ひそか)に自ら弁護する料にしていた。
 斯ういう事情で此様(こん)な心持になっていたから、中学卒業後尚お進んで何か専門の学問を修めようという場合には、勢い政治学に傾かざるを得なかった。父が上京して何を遣(や)りたいのだと言った時にも、言下(ごんか)に政治学と答えた。飛んだ事だといって父が夫(それ)では如何(どう)しても承知して呉(くれ)なかったから、じゃ、法学と政治学とは従兄弟(いとこ)同士だと思って、法律をやりたいと言って見た。法律学は其頃流行の学問だったし、県の大書記官も法学士だったし、それに親戚に、私立だけれど法律学校出身で、現に私達の眼には立派な生活をしている人が二人あった。一人は何処だったか記憶(おぼえ)がないが、何でも何処かの地方で代言(だいげん)をして、芸者を女房にして贅沢な生活をしていて、今一人は内務省の属官(ぞっかん)でこそあれ、好(い)い処を勤めている証拠には、曾て帰省した時の服装を見ると、地方では奏任官には大丈夫踏める素晴しい服装(なり)で、何(なに)しても金の時計をぶら垂(さ)げていたと云う。それで父も法律なら好かろうと納得したので、私は遂に法学研究のため斯うして汽車で上京するのだ。

          二十六

 東京へ着いたのは其日の午後の三時頃だったが、便(たよ)って行くのは例の金時計をぶら垂(さ)げていたという、私の家(うち)とは遠縁の、変な苗字だが、小狐(おぎつね)三平という人の家(うち)だ。招魂社の裏手の知れ難(にく)い家(うち)で、車屋に散々こぼされて、辛(やッ)と尋ね当てて見ると、門構は門構だが、潜門(くぐりもん)で、国で想像していたような立派な冠木門(かぶきもん)ではなかった。が、標札を見れば此家(ここ)に違いないから、潜(くぐ)りを開けて中に入ると、直ぐもう其処が格子戸作りの上り口で、三度四度案内を乞うて漸(やっ)と出て来たのを見れば、顔や手足の腫起(むく)んだような若い女で、初は膝を突きそうだったが、私の風体を見て中止にして、立ちながら、何ですという。はてな、家(うち)を間違えたか知らと、一寸(ちょっと)狼狽したが、標札に確に小狐(おぎつね)三平とあったに違いないから、姓名を名告(なの)って今着いた事を言うと、若い女は怪訝(けげん)な顔をして、一寸(ちょっと)お待ちなさいと言って引込(ひっこ)んだぎり、中々出て来ない。車屋は早く仕て呉れという。私は気が気でない。が、前以て書面で、世話を頼む、引受けたと、話が着いてから出て来たのだし、今日上京する事も三日も前に知らせてあるのだから、今に伯母さんが――私の家(うち)では此家(ここ)の夫人を伯母さんと言いつけていた――伯母さんが出て来て好(い)いように仕て呉れると、其を頼みにしていると、久(しば)らくして伯母さんではなくて、今の女が又出て来て、お上ンなさいという。荷物が有りますと、口を尖(とん)がらかすと、荷物が有るならお出しなさい、というから、車屋に手伝って貰って、荷物を玄関へ運び込むと、其女が片端から受取って、ズンズン何処かへ持ってッて了った。
 車屋に極(き)めた賃銭を払おうとしたら、骨を折ったから増(まし)を呉れという。余所の車は風を切って飛ぶように走る中を、のそのそと歩いて来たので、些(ちッ)とも骨なんぞ折っちゃいない。田舎者(いなかもん)だと思って馬鹿にするなと思ったから、厭だといった。すると、車屋は何だか訳の分らぬ事を隙間もなくベラベラと饒舌(しゃべ)り立って、段々大きな声になるから、私は其大きな声に驚いて、到頭言いなり次第の賃銭を払って、東京という処は厭な処だと思った。
 車屋との悶着を黙って衝立(つッた)って視ていた女が、其が済むのを待兼(まちかね)たように、此方(こっち)へ来いというから、其跟(そのあと)に随(つ)いて玄関の次の薄暗い間(ま)へ入ると、正面の唐紙を女が此時ばかりは一寸(ちょっと)膝を突いてスッと開けて、黙って私の面(かお)を視る。私は如何(どう)して好(い)いのだか、分らなかったから、
「中へ入っても好(い)いんですか?」
 と狼狽(まごまご)して案内の女に応援を乞うた時、唐紙の向うで、勿体ぶった女の声で、
「さあ、此方(こちら)へ。」
 私は急に気が改まって、小腰を屈(こご)めて、遠慮勝に中へ入った。と、不意に箪笥や何や角(か)や沢山な奇麗な道具が燦然(ぱっ)と眼へ入って、一寸(ちょっと)目眩(まぼ)しいような気がする中でも、長火鉢の向うに、三十だか四十だか、其様(そん)な悠長な研究をしてる暇(ひま)はなかったが、何でも私の母よりもグッと若い女の人が、厚い座布団の上にチンと澄している姿を認めたから、狼狽して卒然(いきなり)其処へドサリと膝を突くと、真紅(まっか)になって、倒さになって、
「初めまして……」

          二十七

 伯母さん――といっては何だか調和(うつり)が悪い、奥様は一寸(ちょっと)会釈して、
「今お着きでしたか?」
「は」、と固くなる。
「何ですか、お国では阿父(おとう)さんも阿母(おかあ)さんもお変りは有りませんか?」
「は。」
 と矢張(やっぱり)固くなりながら、訥弁(とつべん)でポツリポツリと両親の言伝(ことづて)を述べると、奥様は聴いているのか、いないのか、上調子(うわちょうし)ではあはあと受けながら、厭に赤ちゃけた出がらしの番茶を一杯注(つ)いで呉れたぎりで、一向構って呉れない。気が附いて見ると、座布団も呉れてない。
 何時迄(いつまで)経(た)っても主人(あるじ)が顔を見せぬので、
「伯父さんはお留守ですか?」
 と不覚(つい)言って了った顔を、奥様はジロリと尻眼に掛けて、
「主人はまだ役所から退(ひ)けません。」
 主人と厭に力を入れて言われて、じゃ、伯父さんじゃ不好(いけなか)ったのか知ら、と思うと、又私は真紅(まっか)になった。
 ところへバタバタと椽側に足音がして、障子が端手(はした)なくガラリと開(あ)いたから、ヒョイと面(かお)を挙(あげ)ると、白い若い女の顔――とだけで、其以上の細かい処は分らなかったが、何しろ先刻(さっき)取次に出たのとは違う白い若い女の顔と衝着(ぶつか)った。是が噂に聞いた小狐(おぎつね)の独娘(ひとりむすめ)の雪江さんだなと思うと、私は我知らず又固くなって、狼狽(あわ)てて俯向(うつむ)いて了った。
「阿母(かあ)さん阿母さん」、と雪江さんは私が眼へ入らぬように挨拶もせず、華やかな若い艶(つや)のある美(い)い声で、「矢張(やっぱり)私の言った通(とおり)だわ。明日(あした)が楽(らく)だわ。」
「まあ、そうかい」、と吃驚(びっくり)した拍子に、今迄の奥様がヒョイと奥へ引込(ひっこ)んで、矢張(やっぱり)尋常(ただ)の阿母(かあ)さんになって了った。
「厭だあ私(あたし)……だから此前の日曜にしようと言たのに、阿母(かあ)さんが……」といいながら座敷へ入って来て、始めて私が眼へ入ったのだろう。ジロジロと私の風体(ふうてい)を視廻して、膝を突いて、母の顔を見ながら、「誰方(どなた)?」
「此方(このかた)が何さ、阿父様(おとうさま)からお話があった古屋さんの何さ。」
「そう。」
 といって雪江さんは此方(こちら)を向いたから、此処らでお辞儀をするのだろうと思って、私は又倒さになって一礼すると、残念ながら又真紅(まっか)になった。
 雪江さんも一寸(ちょっと)お辞儀したが、直ぐと彼方(あちら)を向いて了って、
「私(あたし)厭よ。阿母(かあ)さんが彼様(あん)な事言って行(い)かなかったもんだから……」
「だって仕方がなかったンだわね。私(あたし)だって彼様(あん)な窮屈な処(とこ)へ行(い)くよか、芝居へ行った方が幾ら好(い)いか知れないけど、石橋さんの奥様(おくさん)に無理に誘われて辞(ことわ)り切れなかったンだもの。好(い)いわね、其代り阿父様(おとうさま)に願って、お前が此間中(じゅう)から欲しい欲しいてッてる彼(あれ)ね?」と娘の面(かお)を視て、薄笑いしながら、「彼(あれ)を買って頂いて上げるから……仕方がないから。」
「本当(ほんと)?」と雪江さんも急に莞爾々々(にこにこ)となった。私は見ないでも雪江さんの挙動(ようす)は一々分る。「本当(ほんと)? そんなら好(い)いけど……ちょいとちょいと、其代り……」と小声になって、「ルビー入りよ。」
「不好(いけ)ません不好ません! ルビー入りなんぞッて、其様(そん)な贅沢な事が阿父様(おとうさま)に願えますか?」
「だってえ……尋常(ただ)のじゃあ……」と甘たれた嬌態(しな)をする。
「そんならお止しなさいな。尋常(ただ)ので厭なら、何も強いて買って上げようとは言わないから。」
「あら! ……」と忽ち機嫌を損ねて、「だから阿母(かあ)さんは嫌いよ。直(じき)ああだもの。尋常(ただ)のじゃ厭だって誰も言てやしなくってよ。」
「そんなら、其様(そん)な不足らしい事お言いでない。」
「へえへえ、恐れ入りました」、と莞爾(にっこり)して、「じゃ、尋常(ただ)のでも好(い)いから、屹度(きっと)よ。ねえ、阿母(かあ)さん、欺(だま)しちゃ厭よ。」
「誰がそんな……」
「まあ、好かった!」と又莞爾(にっこり)して一寸(ちょっと)私の面(かお)を見た。

          二十八

 私は先刻(さッき)から存在を認めていられないようだから、其隙(そのひま)に窃(こッ)そり雪江さんの面(かお)を視ていたのだ。雪江さんは私よりも一つ二つ、それとも三(みッ)つ位(ぐらい)年下かも知れないが、お出額(でこ)で、円い鼻で、二重顋(あご)で、色白で愛嬌が有ると謂えば謂うようなものの、声程に器量は美(よ)くなかった。が、若い女は何処となく好くて、私がうッかり面(かお)を視ている所を、不意に其面(そのかお)が此方(こちら)を向いたのだから、私は驚いた。驚いて又俯向(うつむ)いて、膝前一尺通りの処を佶(きっ)と視据えた。
 雪江さんは又更(あらた)めて私の様子をジロジロ視ているようだったが、
「部屋は何処にするの?」
 と阿母(かあ)さんの方を向く。
「え?」と阿母(かあ)さんは雪江さんの面(かお)を視て、「あの、何のかい? 玄関脇の四畳が好かろうと思って。」
「あんな処(とこ)□ ……」
 と雪江さんが一寸(ちょっと)驚くのを、阿母(かあ)さんが眼に物言わせて、了解(のみこ)ませて、
「彼処(あすこ)が一番明るくッて好(い)いから。」
「そう」、と一切の意味を面(かお)から引込(ひッこ)めて、雪江さんは澄して了った。
「おお、そうだっけ」、と阿母(かあ)さんの奥様は想出したように私の方を向いて、「荷物がまだ其儘でしたっけね。今案内させますから、彼方(あッち)へ行って荷物の始末でもなさい。雪江、お前一寸(ちょっと)案内してお上げ。」
 雪江さんが起(た)ったから、私も起(た)って其跟(そのあと)に随(つ)いて今度は椽側へ出た。雪江さんは私より脊(せい)が低い。ふッくりした束髪で、リボンの色は――彼(あれ)は樺色というのか知ら。若い女の後姿というものは悪くないものだ。
 椽側を後戻りして又玄関へ出ると、成程玄関脇に何だか一間ある。
「此処よ。」
 と雪江さんが衝(つい)と其処へ入ったから、私も続いて中へ入った。奥様は明るいといったけれど、何だか薄暗い長四畳で、入るとブクッとして変な足応(あしごた)えだったから、先ず下を見ると、畳は茶褐色だ。西に明取(あかりと)りの小窓がある。雪江さんが其を明けて呉れたので、少し明るくなったから、尚お能(よ)く視廻(みまわ)すと、壁は元来何色だったか分らんが、今の所では濁黒(どすぐろ)い変な色で、一ヵ所壊(くず)れを取繕(とりつくろ)った痕(あと)が目立って黄ろい球(たま)を描いて、人魂(ひとだま)のように尾を曳いている。無論一体に疵(きず)だらけで処々(ところどころ)鉛筆の落書の痕(あと)を留(とど)めて、腰張の新聞紙の剥(めく)れた蔭から隠した大疵(おおきず)が窃(そっ)と面(かお)を出している。天井を仰向(あおむ)いて視ると、彼方此方(あちこち)の雨漏りの暈(ぼか)したような染(しみ)が化物めいた模様になって浮出していて、何だか気味(きび)の悪いような部屋だ。
「何時(いつ)の間にか掃除したんだよ。それでも奇麗になったわ」、と雪江さんは部屋の中を視廻(みまわ)していたが、ふと片隅に積んであった私の荷物に目を留て、「貴方(あなた)の荷物って是れ?」と、臆面もなく人の面(かお)を視る。
 私は狼狽(あわ)てて壁を視詰(みつめ)て、
「然うです。」
「机がないわねえ。私(あたし)ン所(とこ)に明いてるのが有るから、貸て上(あげ)ましょうか?」
「なに、好(い)いです明日(あした)買って来るから」、と矢張(やっぱり)壁を視詰(みつ)めた儘で。
「私(あたし)要らないンだから、使っても好くってよ。」
「なに、好(い)いです、買って来るから。」
「本当(ほんと)に好くってよ、然う遠慮しないでも。今持って来てよ」、と蝶の舞うように翻然(ひらり)と身を翻(かえ)して、部屋を出て、姿は直ぐ見えなくなったが、其処らで若い華やかな声で、「其代り小さくッてよ」、というのが聞えて、軽い足音がパタパタと椽側を行く。
 私は荷物の始末を忘れて、雪江さんの出て行った跡(あと)をうっかり見ていた。事に寄ると、口を開(あ)いていたかも知れぬ。

          二十九

 荷物を解(ほど)いていると、雪江さんが果して机を持って来て呉れた。成程小さい――が、折角の志(こころざし)を無にするも何だから、借りて置く事にして、礼をいって窓下(まどした)に据えると、雪江さんが、それよか入口の方が明るくッて好かろうという。入口では出入(ではい)りの邪魔になると思ったけれど、折角の助言(じょごん)を聴かぬのも何だから、言う通りに据直(すえなお)すと、雪江さんが、矢張(やっぱり)窓の下の方が好(い)いという。で、矢張(やっぱり)窓の下の方へ据えた。
 早速私が書物を出して机の側(そば)に積むのを見て、雪江さんが、
「本箱も無かったわねえ。私(あたし)ン所(とこ)に二つ(ふたツ)有るけど、皆(みンな)塞(ふさ)がってて、貸して上げられないわ。」
「なに、買って来るから、好(い)いです。」
「そんならね、晩に勧工場(かんこうば)で買ってらッしゃいな。」
「え?」と私は聞直した、――勧工場(かんこうば)というものは其時分まだ国には無かったから。
「小川町(おがわまち)の勧工場(かんこうば)で。」
「勧工場(かんこうば)ッて?」
「あら、勧工場(かんこうば)を知らないの? まあ! ……」
 と雪江さんは吃驚(びッくり)した面(かお)をして、突然破裂したように笑い出した。娘というものは壺口(つぼくち)をして、気取って、オホホと笑うものとばかり思ってる人は訂正なさい。雪江さんは娘だけれど、口を一杯に開(あ)いて、アハハアハハと笑うのだ。初め一寸(ちょっと)仰向(あおむ)いて笑って、それから俯向(うつむ)いて、身を揉(も)んで、胸を叩いて苦しがって笑うのだ。私は真紅(まっか)になって黙っていた。
 先刻(さっき)取次に出た女は其後(そのご)漸く下女と感付いたが、此時障子の蔭からヒョコリお亀のような笑顔(えがお)を出して、
「何を其様(そんな)に笑ってらッしゃるの?」
「だって……アハハハハ! ……古屋さんが……アハハハ! ……」
「あら、一寸(ちょっと)、此方(このかた)が如何(どう)かなすったの?」
 無礼者奴(ぶれいものめ)がズカズカ部屋へ入って来た、而(そう)して雪江さんの笑いが止らないで、些(ちっ)とも要領を得ない癖に、訳も分らずに、一緒になってゲラゲラ笑う。
 其時ガラガラという車の音が門前に止って、ガラッと門が開(あ)くと同時に、大きな声で、威勢よく、
「お帰りッ!」
 形勢は頓(とみ)に一変した。下女は急に真面目になって、雪江さんを棄てて置いて、急いで出て行く。
 雪江さんもまだ可笑(おかし)がりながら泪(なみだ)を拭(ふ)き拭き、それでも大(おおい)に落着いて後(あと)から出て行く。
 主人の帰りとは私にも覚(さと)れたから、急いで起(た)ち上って……窃(こっ)そり窓から覗いて見た。
 帰った人は丁度潜(くぐ)りを潜る所で、まず黒の山高帽がヌッと入って、続いて縞のズボンに靴の先がチラリと見えたかと思うと、渋紙色した髭面(ひげつら)が勃然(むッくり)仰向(あおむ)いたから、急いで首を引込(ひッこ)めたけれど、間に合わなかった。見附かッちゃッた。
 お帰り遊ばせお帰り遊ばせ、と口々に喋々(ちょうちょう)しく言う声が玄関でした。奥様――も何だか変だ、雪江さんの阿母(かあ)さんの声で何か言うと、ふう、そうか、ふうふう、という声は主人に違いない。私の話に違いない。
 悪い事をした、窓からなんぞ覗くんじゃなかったと、閉口している所へ下女が呼びに来て、愈(いよいよ)閉口したが、仕方がない。どうせ志を立てて郷関を出た男児だ、人間到る処で極(きま)りの悪い想いする、と腹を据えて奥へ行って見ると、もう帰った人は和服に着易(きか)えて、曾て雪江さんの阿母(かあ)さんが占領していた厚蒲団に坐っている。私は誰でも逢いつけぬ人に逢うと、屹度(きっと)真紅(まっか)になる癖がある。で、此時も真紅(まっか)になって、一度国で逢った人だから、久濶(しばらく)といって例の通り倒さになると、先方は心持首を動かして、若し声に腰が有るなら、その腰と思う辺(あたり)に力を入れて、「はい」という。父も母も宜しく申しましたというと、又「はい」という。何卒(どうぞ)何分願いますというと、一段声を張揚(はりあ)げて、「はアい」という。

          三十

 晩餐になって、其晩だけは私も奥で馳走になった。花模様の丸ボヤの洋灯(ランプ)の下(もと)で、隅ではあったが、皆と一つ食卓に対(むか)い、若い雪江さんの罪の無い話を聴きながら、阿父(とう)さん阿母(かあ)さんの莞爾々々(にこにこ)した面(かお)を見て、賑(にぎや)かに食事して、私も何だか嬉しかったが……
 軈(やが)て食事が済むと、阿父(とう)さんが又主人になって、私に対(むか)って徐々(そろそろ)小むずかしい話を始めた。何でも物価高直(こうじき)の折柄(おりから)、私の入(いれ)る食料では到底(とて)も賄(まかな)い切れぬけれど、外ならぬ阿父(おとっ)さんの達(たっ)ての頼みであるに因って、不足の処は自分の方で如何(どう)にかする決心で、謂わば義侠心で引受けたのであれば、他(ほか)の学資の十分な書生のように、悠長な考えでいてはならぬ、何でも苦学すると思って辛抱して、品行を慎むは勿論、勉強も人一倍するようにという話で、聴いていても面白くも変哲もない話だから、雪江さんは話半(はなしなかば)に小さな欠(あく)びを一つして、起(た)って何処へか行って了った。私は少し本意(ほい)なかったが、やがて奥まった処で琴の音(ね)がする。雪江さんに違いない。雪江さんはまだ習い初めだと見えて、琴の音色は何だかボコン、ボコン、ベコン、ボコンというように聞えて妙だったけれど、私は鳴物は大好だ。何時(いつ)聴いても悪くないと思った。
 で、遠音(とおね)に雪江さんの琴を聴きながら、主人の勘定高い話を聴いていると、琴の音が食料に搦(から)んだり、小遣に離れたりして、六円がボコン、三円でベコンというように聞えて、何だか変で、話も能(よ)く分らなかったが、分らぬ中(うち)に話は進んで、
「で、家(うち)も下女一人外(ほか)使うて居らん。手不足じゃ。手不足の処(とこ)で君の世話をするのじゃから、客扱いにはされん。そりゃ手紙で阿父(おとッ)さんにも能(よ)う言うて上げてあるから、君も心得てるじゃろうな?」
「は。」
「からして勉強の合間には、少し家事も手伝うて貰わんと困る。なに、手伝うというても、大した事じゃない。まあ、取次位(ぐらい)のものじゃ。まだ何ぞ角(か)ぞ他(ほか)に頼む事も有ろうが、なに、皆大した事じゃない。行(や)って貰えような?」
「は、何でも僕に出来ます事なら……」
「そ、そ、その僕が面白うない。君僕というのは同輩或は同輩以下に対(むこ)うて言う言葉で、尊長者に対(むこ)うて言うべき言葉でない、そんな事も注意して、僕といわずに私(わたくし)というて貰わんとな……」
「は……不知(つい)気が附きませんで……」
「それから、も一つ言うて置きたいのは我々の呼方じゃ。もう君の年配では伯父さん伯母さんでは可笑(おか)しい。これは東京の習慣通り、矢張私(わし)の事は先生と言うたら好かろう。先生、此方(このかた)が御面会を願われます、先生、お使に行って参りましょう――一向可笑(おか)しゅうない。先生というて貰おう。」
「は、承知しました。」
「で、私(わし)を先生という日になると、勢い家内の事は奥さんと言わんと権衡(けんこう)が取れん。先生に対する奥さんじゃ。な、私(わし)が先生、家内が奥さん、――宜しいか?」
「は、承知しました。」
 これで一通り訓戒が済んで、後(あと)は自慢話になった。先生も法律は晩学で、最初は如何にも辛かったが、その辛いのを辛抱したお蔭で、今日(こんにち)では内務の一等属、何とかの係長たることを得たのだという話を長々と聴かされて、私は痺(しびれ)が切れて、耐(こた)え切れなくなって、泣出しそうだった。
 辛(やッ)と放免されて、暗黒(くらやみ)を手探りで長四畳へ帰って来ると、下女が薄暗い豆ランプを持って来て、お前さん床を敷(と)ったら忘れずに消すのですよと、朋輩にでも言うように、粗率(ぞんざい)に言置いて行って了った。
 国を出る時、此家(ここ)の伯父さんの先生は、昔困っていた時、家(うち)で散々世話をして遣った人だから、悪いようにはして呉れまいと、父は言った。私も矢張(やッぱり)其気で便(たよ)って来たのだが、便(たよ)って来てみれば事毎に案外で、ああ、何だか妙な気持ちがする。
 私は家(うち)が恋しくなった……

          三十一

 私は翌日早速錦町(にしきちょう)の某私立法律学校へ入学の手続を済ませて、其処の生徒になって、珍らしい中(うち)は熱心に勉強もしたが、其中(そのうち)に段々怠り勝になった。それには種々(いろいろ)原因もあるが、第一の原因は家(うち)の用が多いからで。
 伯父さんの先生――私は口惜(くや)しいから斯ういう――伯父さんの先生は、用といっても大した事じゃないと言った。成程一命に関(かか)わるような大した事ではないが、併し其大した事でない用が間断(しっきり)なく有る。まず朝は下女と殆ど同時に覚(おこ)されて、雨戸を明けさせられる。伯母さんの奥さんと分担で座敷の掃除をさせられる。其が済むと、今度は私一人の専任で庭から、玄関先から、門前から、勝手口まで掃(は)かせられる。少しでも塵芥(ごみ)が残っていると、掃直(はきなお)しを命ぜられるから、丁寧に奇麗に掃(は)かなきゃならん。是が中々の大役の上に、時々其処らの草むしり迄やらされて萎靡(がっかり)する事もある。
 朝飯(あさめし)を済せて伯父さんの先生の出勤を見送って了うと、学校は午後だから、其迄は身体に一寸(ちょっと)隙(すき)が出来る。其暇(そのひま)に自分の勉強をするのだが、其さえ時々急ぎの謄写物(とうしゃもの)など吩咐(いいつか)って全潰(まるつぶれ)になる。
 夕方学校から帰ると、伯父さんの先生はもう疾(と)うに役所から退(ひ)けていて、私の帰りを待兼たように、後から後からと用を吩咐(いいつけ)る。それ、郵便を出して来いの、やれ、お客に御飯を出すのだから、急いで仕出し屋へ走れのと、純台所用の外は、何にでも私を使う。時には何の用だか知れもせぬ用に、手紙を持たせられて、折柄(おりから)の雨降にも用捨なく、遠方迄使いに遣られて、つくづく辛いと思った事もある。さもなくば内で取次だが、此奴(こいつ)が余所目(よそめ)には楽なようで、行(や)って見ると中々楽でない。漸く刑法講義の一枚も読んだかと思うと、もう頼もうと来る。聞えん風(ふり)も出来ぬから、渋々起(た)って取次に出て、倒さになる。私のお辞儀は家内の物議を惹起(ひきおこ)して度々喧(やかま)しく言われているけれど、面倒臭いから、構わず倒さになる。でも、相手が立派な商人か何かだと、取次栄(とりつぎばえ)がして好(い)い。伯父さんの先生、其様(そん)な時には、ふうふうと二つ返事で、早速お通し申せと来る。上機嫌だ。其代り其様(そん)な客の帰る所を見ると、持って来た物は屹度(きっと)持って帰らない。立派な髭(ひげ)の生えた人もまだ好(い)い。そんなのに限って尊大振って、私が倒さになっても、首一つ動かさぬ代り、取次いでも小言を言われる気遣いはない。反て伯父さんの先生狼狽(あわ)てて迎えに飛んで出る事もある。一番六(むず)かしいのは風体の余り立派でない人で、就中(なかんずく)帽子を冠(かぶ)らぬ人は、之を取次ぐに大(おおい)に警戒を要する。自筆の名刺か何かを出されて、之を持って奥へ行くと、伯父さんの先生名刺を一見するや、面(かお)を顰(しか)めて、居ると言ったかという。居るものを居ないと言われますか、と腹の中では議論を吹懸(ふッか)けながら、口へ出しては大人しく、はい、然う申しましたというと、チョッと舌打して、此様(こん)な者を取次ぐ奴が有るか、君は人の見別(みわけ)が出来んで困ると、小言を言って、居ないと言って返して了えという。私は脹(ふく)れ面(つら)をして容易に起(た)たない。すると、最終(しまい)には渋々会いはするが、後で金を持(もっ)てかれたといって、三日も沸々(ぶつぶつ)言ってる。
 沸々(ぶつぶつ)言ったって関(かま)わないが、斯ういう処を傍(はた)から看たら、誰(たれ)が眼にも私は立派な小狐家(おぎつねけ)の書生だ。伯父さんの先生の畜生(ちくしょう)、自分からが其気で居ると見えて、或時人(ひと)に対(むか)って家(うち)の書生がといっていた。既に相手方が右の始末だから、無理もない話だが、出入(でいり)の者が皆矢張(やっぱり)私を然う思って、書生扱にする。不平で不平で耐(たま)らないが、一々弁解もして居られんから、私は誠に拠(よん)どころなく不承々々に小狐家の書生にされて了って、而(そう)して月々食料を払っていた。
 が、今となって考えて見ると、不平に思ったのは私が未だ若かったからだ。監督を頼まれたから、引受けて、序(ついで)に書生にして使う、――これが即ち親切というもので、此の外に別に親切というものは、人間に無いのだ。有るかも知れんが、私は一寸(ちょっと)見当らない。

          三十二

 体好く書生にされて私は忌々(いまいま)しくてならなかったが、しかし其でも小狐家(おぎつねけ)を出て了う気にはならなかった。初の中(うち)は国元へも折々の便(たより)に不平を漏して遣ったが、其も後(のち)には弗(ふつ)と止めて了った。さればといって家(うち)での取扱いが変ったのではない。相変らず書生扱にされて、小(こ)ッ甚(ぴど)くコキ使われ、果は下女の担任であった靴磨きをも私の役に振替えられて了った。無論其時は私は憤激した。余程(よッぽど)下宿しようかと思った、が、思ったばかりで、下宿もせんで、為(さ)せられる儘に靴磨きもして、而(そう)して国元へは其を隠して居た。少し妙なようだが、なに、妙でも何でもない。私は実は雪江さんに惚れていたので。
 惚れては居たが、夫だから雪江さんを如何(どう)しようという気はなかった。其時分は私もまだ初心(うぶ)だったから、正直に女に惚れるのは男児の恥辱と心得ていた。
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