平凡
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著者名:二葉亭四迷 

 と、左程畏(おそ)れた様子もなく、チョコチョコと側(そば)へ来て流石(さすが)に少し平べったくなりながら、頭を撫(な)でてやる私の手を、下からグイグイ推上(おしあ)げるようにして、ベロベロと舐廻(なめまわ)し、手を呉れる積(つもり)なのか、頻(しきり)に円い前足を挙げてバタバタやっていたが、果は和(やんわ)りと痛まぬ程に小指を咬む。
 私は可愛(かわゆ)くて可愛くて堪(た)まらない。母の面(かお)を瞻上(みあ)げながら、少し鼻声を出し掛けて、
「阿母(おっか)さん、何か遣って。」
「遣るも好(い)いけど、居附いて了うと、仕方がないねえ。」
 と、口では拒むような事を言いながら、それでも台所へ行って、欠茶碗(かけぢゃわん)に冷飯を盛って、何かの汁を掛けて来て呉れた。
 早速履脱(くつぬぎ)へ引入れて之を当がうと、小狗(こいぬ)は一寸(ちょっと)香(か)を嗅いで、直ぐ甘(うま)そうに先ずピチャピチャと舐出(なめだ)したが、汁が鼻孔(はな)へ入ると見えて、時々クシンクシンと小さな嚔(くしゃみ)をする。忽ち汁を舐尽(なめつく)して、今度は飯に掛った。他(ほか)に争う兄弟も無いのに、切(しきり)に小言を言いながら、ガツガツと喫(た)べ出したが、飯は未だ食慣(くいな)れぬかして、兎角上顎に引附(ひッつ)く。首を掉(ふ)って見るが、其様(そん)な事では中々取れない。果は前足で口の端(はた)を引掻(ひッか)くような真似をして、大藻掻(おおもが)きに藻掻(もが)く。
 此隙(このひま)に私は母と談判を始めて、今晩一晩泊めて遣ってと、雪洞(ぼんぼり)を持った手に振垂(ぶらさが)る。母は一寸(ちょっと)渋ったが、もう斯うなっては仕方がない。阿爺(おとっ)さんに叱られるけれど、と言いながら、詰り桟俵法師(さんだらぼうし)を捜して来て、履脱(くつぬぎ)の隅に敷いて遣った――は好かったが、其晩一晩啼通(なきとお)されて、私は些(ちっ)とも知らなんだが、お蔭で母は父に小言を言われたそうな。

          十三

 犬嫌(いぬぎらい)の父は泊めた其夜(そのよ)を啼明(なきあか)されると、うんざりして了って、翌日(あくるひ)は是非逐出(おいだ)すと言出したから、私は小狗(こいぬ)を抱いて逃廻って、如何(どう)しても放さなかった。父は困った顔をしていたが、併し其も一時(じ)の事で、其中(そのうち)に小狗(こいぬ)も独寝(ひとりね)に慣れて、夜も啼かなくなる。と、逐出(おいだ)す筈の者に、如何(いつ)しかポチという名まで附いて、姿が見えぬと父までが一緒に捜すようになって了った。
 父が斯うなったのも、無論ポチを愛したからではない。唯私に覊(ひか)されたのだ。私とてもポチを手放し得なかったのは、強(あなが)ちポチを愛したからではない。愛する愛さんは扨置(さてお)いて、私は唯可哀(かわい)そうだったのだ。親の乳房に縋(すが)っている所を、無理に無慈悲な人間の手に引離されて、暗い浮世へ突放(つきはな)された犬の子の運命が、子供心にも如何にも果敢(はか)なく情けないように思われて、手放すに忍びなかったのだ。
 此忍びぬ心と、その忍びぬ心を破るに忍びぬ心と、二つの忍びぬ心が搦(から)み合った処に、ポチは旨(うま)く引掛(ひッかか)って、辛(から)くも棒石塊(いしころ)の危ない浮世に彷徨(さまよ)う憂目を免(のが)れた。で、どうせ、それは、蜘蛛(くも)の巣だらけでは有ったろうけれど、兎も角も雨露(うろ)を凌(しの)ぐに足る椽の下の菰(こも)の上で、甘(うま)くはなくとも朝夕二度の汁掛け飯に事欠かず、まず無事に暢(のん)びりと育った。
 育つに随(つ)れて、丸々と肥(ふと)って可愛らしかったのが、身長(せい)に幅を取られて、ヒョロ長くなり、面(かお)も甚(ひど)くトギスになって、一寸(ちょッと)狐のような犬になって了った。前足を突張って、尻をもったてて、弓のように反(そ)って伸(のび)をしながら、大きな口をアングリ開(あ)いて欠(あく)びをする所なぞは、誰(た)が眼にも余(あん)まり見(みっ)とも好くもなかったから、父は始終厭な犬だ厭な犬だと言って私を厭がらせたが、私はそんな犬振りで情(じょう)を二三にするような、そんな軽薄な心は聊(いささ)かも無い。固(もと)より玩弄物(なぐさみもの)にする気で飼ったのでないから、厭な犬だと言われる程、尚可愛(かわ)ゆい。
「ねえ、阿母(おっか)さん此様(こん)な犬は何処へ行ったって可愛がられやしないやねえ。だから家(うち)で可愛がって遣るんだねえ。」
 と、いつも苦笑する母を無理に味方にして、調戯(からか)う父と争った。
 犬好(いぬずき)は犬が知る。私の此心はポチにも自然と感通していたらしい。其証拠には犬嫌いの父が呼んでも、ほんの一寸(ちょっと)お愛想(あいそ)に尻尾を掉(ふ)るばかりで、振向きもせんで行って了う事がある。母が呼ぶと、不断食事の世話になる人だから、又何か貰えるかと思って眼を輝かして飛んで来る、而(そう)して母の手中に其らしい物があれば、兎のように跳ねて喜ぶ。が、しかし、唯其丈の事で、其時のポチは矢張(やっぱり)犬に違いない。
 その矢張(やっぱり)犬に違いないポチが、私に対(むか)うと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか? ……何方(どっち)だか其は分らんが、兎に角互の熱情熱愛に、人畜(にんちく)の差別(さべつ)を撥無(はつむ)して、渾然として一如(にょ)となる。
 一如(にょ)となる。だから、今でも時々私は犬と一緒になって此様(こん)な事を思う、ああ、儘になるなら人間の面(つら)の見えぬ処へ行って、飯を食って生きてたいと。
 犬も屹度(きっと)然う思うに違いないと思う。

          十四

 私は生来の朝寝坊だから、毎朝二度三度覚(おこ)されても、中々起きない。優しくしていては際限がないので、母が最終(しまい)には夜着を剥(は)ぐ。これで流石(さすが)の朝寝坊も不承々々に床を離れるが、しかし大不平(だいふへい)だ。額で母を睨(にら)めて、津蟹(づがに)が泡を吐くように、沸々(ぶつぶつ)言っている。ポチは朝起だから、もう其時分には疾(とッ)くに朝飯(あさめし)も済んで、一切(ひとッき)り遊んだ所だが、私の声を聴き付けると、何処に居ても一目散に飛んで来る。
 これで私の機嫌も直る。急に現金に莞爾々々(にこにこ)となって、急いで庭へ降りる所を、ポチが透(すか)さず泥足で飛付く。細い人参程の赤ちゃけた尻尾を懸命に掉(ふ)り立って、嬉しそうに面(かお)を瞻上(みあげ)る。視下す。目と目と直(ぴっ)たりと合う。堪(た)まらなくなって私が横抱に引(ひ)ン抱(だ)く。ポチは抱かれながら、身を藻掻(もが)いて大暴れに暴れ、私の手を舐(な)め、胸を舐(な)め、顋(あご)を舐(な)め、頬(ほお)を舐(な)め、舐めても舐めても舐め足らないで、悪くすると、口まで舐(な)める。父が面(かお)を顰(しか)めて汚い汚いと曰う。成程、考えて見れば、汚いようではあるけれども……しかし、私は嬉しい、止(や)められない。如何(どう)して是が止(や)められるもんか! 私が何も好(い)い物を持っているじゃなし、ポチも其は承知で為(す)る事だ。利害の念を離れて居るのだ、唯懐かしいという刹那の心になって居るのだ。毎朝これでは着物が堪(たま)らないと、母は其を零(こぼ)すけれど、着物なんぞの汚(けが)れを厭(いと)って、ポチの此志を無にする事が出来た話だか、話でないか、其処を一つ考えて貰いたい。
 理窟は扨(さて)置いて、この面舐(かおな)めの一儀が済むと、ポチも漸(やッ)と是で気が済んだという形で、また庭先をうろうろし出して、椽の下なぞを覗いて見る。と、其処に草鞋虫(わらじむし)の一杯依附(たか)った古草履の片足(かたし)か何ぞが有る。好(い)い物を看附けたと言いそうな面(かお)をして、其を咥(くわ)え出して来て、首を一つ掉(ふ)ると、草履は横飛にポンと飛ぶ。透(すか)さず追蒐(おっか)けて行って、又咥(くわ)えてポンと抛(ほう)る。其様(そん)な他愛(たわい)もない事をして、活溌に元気よく遊ぶ。
 其隙(そのひま)に私は面(かお)を洗う、飯を食う。それが済むと、今度は学校(がっこう)へ行く段取になるのだが、此時が一日中で一番私の苦痛の時だ。ポチが跟(あと)を追う。うッかり出ようものなら、何処迄も何処迄も随(つ)いて来て、逐(お)ったって如何(どう)したって帰らない。こッそり出ようとしても、出掛ける時刻をチャンと知って居て、其時分になると、何時(いつ)の間にか玄関先へ廻って待っている。仕方がないから、最終(しまい)には取捉(とッつか)まえて否応(いやおう)なしに格子戸の内へ入れて置いては出るようにしていたが、然うすると前足で格子を引掻いて、悲しい悲しい血を吐きそうな啼声(なきごえ)を立てて後(あと)を慕い、姿が見えなくなっても啼止(なきや)まない。私もそれは同じ想だ。泣出しそうな面(かお)をして、バタバタと駆出し、声の聞えない処まで来て、漸くホッとして、普通(なみ)の歩調(あしどり)になる、而(そう)して常(いつ)も心の中(うち)で反覆(くりかえ)し反覆し此様(こん)な事を思う、
「僕が居ないと淋しいもんだから、それで彼様(あんな)に跟(あと)を追うンだ。可哀そうだなあ……僕(ぼか)ぁ学校なんぞへ行(い)きたか無いンだけど……行(い)かないと、阿父(おとっ)さんがポチを棄(す)てッ了(ちま)うッて言うもんだから、それでシヨウがないから行(い)くンだけども……」

          十五

 ジャンジャンと放課の鐘が鳴る。今迄静かだった校舎内が俄(にわか)に騒がしくなって、彼方此方(あちこち)の教室の戸が前後して慌(あわた)だしくパッパッと開(あ)く。と、その狭い口から、物の真黒な塊りがドッと廊下へ吐出され、崩れてばらばらの子供になり、我勝(われがち)に玄関脇の昇降口を目蒐(めが)けて駈出しながら、口々に何だか喚(わめ)く。只もう校舎を撼(ゆす)ってワーッという声の中(うち)に、無数の円い顔が黙って大きな口を開(あ)いて躍っているようで、何を喚(わめ)いているのか分らない。で、それが一旦昇降口へ吸込まれて、此処で又紛々(ごたごた)と入乱れ重なり合って、腋の下から才槌頭(さいづちあたま)が偶然(ひょっ)と出たり、外歯(そっぱ)へ肱が打着(ぶつ)かったり、靴の踵(かかと)が生憎(あいにく)と霜焼(しもやけ)の足を踏んだりして、上を下へと捏返(こねかえ)した揚句に、ワッと門外(もんそと)へ押出して、東西へ散々(ぢりぢり)になる。
 仲善(なかよし)二人肩へ手を掛合って行く前に、弁当箱をポンと抛(ほう)り上げてはチョイと受けて行く頑童(いたずら)がある。其隣りは往来の石塊(いしころ)を蹴飛ばし蹴飛ばし行く。誰だか、後刻(あと)で遊びに行(い)くよ、と喚(わめ)く。蝗(いなご)を取りに行(い)かないか、という声もする。君々と呼ぶ背後(うしろ)で、馬鹿野郎と誰かが誰かを罵(ののし)る。あ、痛(い)たッ、何でい、わーい、という声が譟然(がやがや)と入違って、友達は皆道草を喰っている中を、私一人は駈脱(かけぬ)けるようにして側視(わきみ)もせずに切々(せっせ)と帰って来る。
 家(うち)の横町の角迄来て擽(くすぐッ)たいような心持になって、窃(そッ)と其方角を観る。果してポチが門前へ迎えに出ている。私を看附(みつけ)るや、逸散(いっさん)に飛んで来て、飛付く、舐(な)める。何だか「兄さん!」と言ったような気がする。若し本包(ほんづつみ)に、弁当箱に、草履袋で両手が塞(ふさ)がっていなかったら、私は此時ポチを捉(つか)まえて何を行(や)ったか分らないが、其が有るばかりで、如何(どう)する事も出来ない。拠(よん)どころなくほたほたしながら頭を撫(な)でて遣るだけで不承(ふしょう)して、又歩き出す。と、ポチも忽ち身を曲(くね)らせて、横飛にヒョイと飛んで駈出すかと思うと、立止って、私の面(かお)を看て滑稽(おどけ)た眼色(めつき)をする。追付くと、又逃げて又其眼色(めつき)をする。こうして巫山戯(ふざけ)ながら一緒に帰る。
 玄関から大きな声で、「只今!」といいながら、内へ駈込んで、卒然(いきなり)本包を其処へ抛(ほう)り出し、慌(あわ)てて弁当箱を開けて、今日のお菜の残り――と称して、実は喫(た)べたかったのを我慢して、半分残して来た其物(それ)をポチに遣(や)る。其れでも足らないで、お八ツにお煎を三枚貰ったのを、責(せび)って五枚にして貰って、二枚は喫(た)べて、三枚は又ポチに遣る。
 夫から庭で一しきりポチと遊ぶと、母が屹度(きっと)お温習(さらい)をお為(し)という。このお温習(さらい)程私の嫌いな事はなかったが、之をしないと、直(じき)ポチを棄(すて)ると言われるのが辛いので、渋々内へ入って、形(かた)の如く本を取出し、少し許(ばかり)おんにょごおんにょごと行(や)る。それでお終(しまい)だ。余(あんま)り早いねと母がいういのを、空耳(そらみみ)潰(つぶ)して、衝(つ)と外へ出て、ポチ来い、ポチ来いと呼びながら、近くの原へ一緒に遊びに行く。
 これが私の日課で、ポチでなければ夜(よ)も日も明けなかった。

          十六

 ポチは日増しにメキメキと大きくなる。大きくはなるけれど、まだ一向に孩児(ねんねえ)で、垣の根方(ねがた)に大きな穴を掘って見たり、下駄を片足門外(もんそと)へ啣(くわ)え出したり、其様(そんな)悪戯(いたずら)ばかりして喜んでいる。
 それに非常に人懐こくて、門前を通掛りの、私のような犬好が、気紛れにチョッチョッと呼んでも、直(すぐ)ともう尾を掉(ふ)って飛んで行く。況(ま)して家(うち)へ来た人だと、誰彼(たれかれ)の見界(みさかい)はない、皆に喜んで飛付く。初ての人は驚いて、子供なんぞは泣出すのもある。すると、ポチは吃驚(びっくり)して其面(そのかお)を視ている。
 人でさえ是だから同類は尚お恋しがる。犬が外を通りさえすれば屹度(きっと)飛んで出る。喧嘩するのかと、私がハラハラすれば、喧嘩はしない、唯壮(さかん)に尻尾を掉(ふ)って鼻を嗅合(かぎあ)う。大抵の犬は相手は子供だという面(かお)をして、其儘□々(さっさ)と行(い)こうとする。どっこいとポチが追蒐(おッか)けて巫山戯(ふざけ)かかる。蒼蠅(うるさ)いと言わぬばかりに、先の犬は歯を剥(む)いて叱る。すると、ポチは驚いて耳を伏せて逃げて来る。
 ポチは此様(こん)な無邪気な犬であったから、友達は直(じき)出来た。
 友達というのは黒と白との二匹で、いずれもポチよりは三ツ四ツも年上であった。歴とした家(うち)の飼い犬でありながら、品性の甚だ下劣な奴等で、毎日々々朝から晩まで近所の掃溜(はきだめ)を□(あさ)り歩き二度の食事の外(ほか)の間食(かんしょく)ばかり貪(むさぼ)っている。以前から私の家(うち)の掃溜(はきだめ)へも能(よ)く立廻(たちまわ)って来て、馴染(なじみ)の犬共ではあるけれど、ポチを飼うようになってからは、尚お頻繁(ひんぱん)に立廻って来る。ポチの喫剰(たべあま)しを食いに来るので。
 ポチは大様(おおよう)だから、余処(よそ)の犬が自分の食器へ首を突込んだとて、怒(おこ)らない。黙って快く食わせて置く。が、他(ひと)の食うのを見て自分も食気附(しょくきづ)く時がある。其様(そん)な時には例の無邪気で、うッかり側(そば)へ行って一緒に首を突込もうとする。無論先の犬は、馳走になっている身分を忘れて、大(おおい)に怒(いか)って叱付ける。すると、ポチは驚いて飛退(とびの)いて、不思議そうに小首を傾(かし)げて、其ガツガツと食うのを黙って見ている。
 父は馬鹿だと言うけれど、馬鹿気て見える程無邪気なのが私は可愛(かわ)ゆい。尤も後(のち)には悪友の悪感化を受けて、友達と一緒に近所の掃溜(はきだめ)へ首を突込み、鮭(しゃけ)の頭を舐(しゃぶ)ったり、通掛(とおりがか)りの知らん犬と喧嘩したり、屑拾いの風体を怪しんで押取囲(おっとりかこ)んで吠付いたりした事も無いではないが、是れは皆友達を見よう見真似に其の尻馬に騎(の)って、訳も分らずに唯騒ぐので、ポチに些(ち)っとも悪意はない。であるから、独りの時には、矢張(やっぱり)元の無邪気な人懐こい犬で、滑稽(とぼけ)た面(かお)をして他愛のない事ばかりして遊んでいる。惟(おも)うに、私等親子の愛(いつく)しみを受けて、曾て痛い目に遭(あ)った事なく、暢気(のんき)に安泰に育ったから、それで此様(こんな)に無邪気であったのだろうが、ああ、想出しても無念でならぬ。何故私はポチを躾(しつ)けて、人を見たら皆悪魔と思い、一生世間を睨(ね)め付けては居させなかったろう? □(なま)じ可愛がって育てた為に、ポチは此様(こんな)に無邪気な犬になり、無邪気な犬であった為に、遂に残忍な刻薄な人間の手に掛って、彼様(あん)な非業の死を遂げたのだ。

          十七

 或日の事。卑(さも)しい事を言うようだが、其日の弁当の菜(さい)は母の手製の鰹節(かつぶし)でんぶで、私も好きだが、ポチの大好きな物だったから、我慢して半分以上残したのが、チャンと弁当箱に入っている。早く帰ってこれが喫(たべ)させたかったので、待憧(まちこが)れた放課の鐘が鳴るや、大急ぎで学校の門を出て、友達は例の通り皆道草を喰っている中を、私一人は切々(せっせ)と帰って来ると、俄(にわか)に行手がワッと騒がしくなって、先へ行く児(こ)が皆雪崩(なだ)れて、ドッと道端(みちばた)の杉垣へ片寄ったから、驚いてヒョイと向うを見ると、ツイ四五間先を荷車が来る。瞥(ちら)と見たばかりでは何の車とも分らなかった。何でも可なり大きな箱車(はこぐるま)で、上から菰(こも)を被(かぶ)せてあったようだったが、其を若い土方風の草鞋穿(わらじばき)の男が、余り重そうにもなく、□々(さっさ)と引いて来る。車に引添(ひっそ)うてまだ一人、四十許りの、四角な面(かお)の、茸々(もじゃもじゃ)と髭(ひげ)の生えた、人相の悪い、矢張(やっぱり)草鞋穿(わらじばき)の土方風の男が、古ぼけて茶だか鼠だか分らなくなった、塵埃(ほこり)だらけの鉢巻もない帽子を阿弥陀(あみだ)に冠(かぶ)って、手ぶらで何だか饒舌(しゃべ)りながら来る。
 道端(みちばた)の子供等は皆好奇の目を円くして此怪し気な車を見迎え見送って、何を言うのか、口々に譟然(がやがや)と喚(わめ)いている中から、忽ち一段際立(きわだ)って甲高(かんだか)な、「犬殺しだい犬殺しだい!」という叫声(さけびごえ)が其処此処から起る。と聞くより、私はハッとした。全身の血の通いが急に一時(じ)に止ったような気がして、襟元から冷りとする、足が窘蹙(すく)む……と、忽ち心臓が破裂せんばかりに鼓動し出す。「ポチは? ……」という疑問が曇ったような頭の中で、ちらりと電光(いなずま)のように閃いて又暗中に没する時、ガタガタと車が前を通る。
 後で聞けば、菰(こも)の下から犬の尻尾とか足とかが見えていたというけれど、私が其時佶(きっ)と目を据えて視たのでは、唯車が躍って菰(こも)が魂の有るようにゆさゆさと揺(ゆれ)るのが見えたばかりで、他(ほか)には何も見えなかった。或は最う目も霞んでいたのかも知れぬ。
「おッそろしい餓鬼だなあ! まだ彼様(あんな)に出て来やがら……」
 と太い煤(すす)けたような野良声(のらごえ)で、――確に年上の奴に違いないが、然う言うのが聞えた。
 ガタンと一つ小石に躍って、車は行過ぎて了う。
 跡は両側の子供が又続々(ぞろぞろ)と動き出し、四辺(あたり)が大黒帽に飛白(かすり)の衣服(きもの)で紛々(ごたごた)となる中で、私一人は佇立(たちどま)ったまま、茫然として轅棒(かじぼう)の先で子供の波を押分けて行くように見える車の影を見送っていた。
 と、誰だか私の側(そば)へ来て、何か言う。顔は見覚えのある家(うち)の近所の何とかいう児だが、言ってる事が分らない。私は黙って其面(そのかお)を視たばかりで、又窃(そっ)と車の行った方角を振向いて見ると、最う車は先の横町を曲ったと見えて、此方(こちら)を向いて来る沢山の子供の顔が見えるばかりだ。
「ねえ、君、君ン所(とこ)のポチも殺されたかも知れないぜ。」
 という声が此時ふと耳に入って、私はハッと我に反(かえ)ると、
「啌(うそ)だい! 殺されるもんか! 札が附いてるもの……」
 と狼狽(あわて)て打消てから、始めて木村の賢ちゃんという児と話をしている事が分った。
「やあ……札が附いてたって、殺されますから。へえ。僕ン所(とこ)の阿爺(おとっ)さんが……」
 と賢ちゃんが言掛けると、仲善(なかよし)の友の言う事だが、私は何だか急に口惜(くや)しくなって、赫(かっ)と急込(せきこ)んで、
「何でい! 大丈夫だい□ ……」
 と怒鳴り付けた。賢ちゃんが吃驚(びッくり)して眼を円くした時、私は卒然(いきなり)バタバタと駈出し、前へ行く児にトンと衝当(つきあた)る。何しやがるンだいと、其児に突飛されて、又誰だかに衝当(つきあた)る。二三度彼方此方(あちこち)で小突かれて、蹌踉(よろよろ)として、危(あや)うかったのを辛(やッ)と踏耐(ふんごた)えるや、後(あと)をも見ずに逸散(いっさん)に宙を飛で家(うち)へ帰った。

          十八

 門は明放(あけばな)し、草履は飛び飛びに脱棄てて、片足が裏返しになったのも知らず、「阿母(おっか)さん阿母さん!」と卒然(いきなり)内へ喚(わめ)き込んだが、母の姿は見えないで、台所で返事がする。
 誰だか来て居るようで、話声がしているけれど、其様(そん)な事に頓着しては居られない。学校道具を座敷の中央(まんなか)へ抛(ほう)り出して置いて台所へ飛んで行くなり、
「阿母(おッか)さん! ……ポチは? ……」
 と喘(あえ)ぎ喘ぎまず聞いてみた。
 母は黙って此方(こちら)を向いた。常は滅入ったような蒼い面(かお)をしている人だったが、其時此方(こちら)を向いた顔を見ると、微(ぼッ)と紅(あか)くなって、眼に潤(うる)みを持ち、どうも尋常(ただ)の顔色(かおいろ)でない。私は急に何か物に行当ったようにうろうろして、
「殺されたかい? ……」
 と凝(じっ)と母の面(かお)を視た時には、気息(いき)が塞(つま)りそうだった。
 母は一寸(ちょっと)躊躇(ためら)ったようだったが、思切って投出すように、
「殺されたとさ……」
 逸散(いっさん)に駈て来て、ドカッと深い穴へ落ちたら、彼様(あん)な気がするだろうと思う。私は然う聞くと、ハッと内へ気息(いき)を引いた。と、張詰めて破裂(はちき)れそうになっていた気がサッと退(ひ)いて、何だか奥深い穴のような処へ滅入って行くようで、四辺(あたり)が濛(ぼっ)と暗くなると、母の顔が見えなくなった……
「炭屋さんが見て来なすッたンだッさ。」
 という声がふと耳に入ると、クワッとまた其処らが明るくなって眼の前に丸髷が見える。母は又彼方(あちら)向いて了ったのだ。
「じゃ、木村さん処(とこ)の前で殺されたんですね?」と母の声がいう。
「へえ」、という者がある。機械的に其方へ面(かお)を向けると、腰障子の蔭に、旧い馴染(なじみ)の炭屋の爺やの、小鼻の脇に大きな黒子(ほくろ)のある、皺(しわ)だらけの面(かお)が見えて、前歯の二本脱けた間から、チョコチョコ舌を出して饒舌(しゃべ)っている声が聞える。「丁度あの木村さんの前ン処(とこ)なんで。手前(てまえ)は初めは何だと思いました。棒を背後(うしろ)へ匿(かく)してましたから、遠くで見たんじゃ、ほら、分りませんや。一寸(ちょいと)見ると何だか土方のような奴で、其奴(そいつ)がこう手を背後(うしろ)へ廻しましてな、お宅の犬の寝ている側(そば)へ寄ってくから、はてな、何をするンだろう、と思って見ていますと、彼様(あん)な人懐(ひとなつ)っこい犬だから、其奴(そいつ)の面(かお)を見て、何にも知らずに尻尾を掉(ふ)ってましたよ。可哀(かわい)そうに! 普通(なみ)の者なら、何ぼ何でも其様(そん)なにされちゃ、手を下(おろ)せた訳合(わけあい)のもんじゃございません、――ね、今日(こんにち)人情としましても。それを、貴女(あなた)……いや、どうも、ああいう手合に逢っちゃ敵(かな)いませんて、卒然(いきなり)匿(かく)してた棒を取直して、おやッと思う間に、ポンと一つ鼻面を打(ぶ)ちました。そうするとな、お宅のは勃然(むっくり)起きましてな、キリキリと二三遍廻って、パタリと倒れると、仰向きになってこう四足(よつあし)を突張りましてな、尻尾でバタバタ地面(ちべた)を叩いたのは、あれは大方苦(くるし)がったんでしょうが、傍(はた)で見ていりゃ何だか喜んで尻尾を掉(ふ)ったようで、妙な塩梅(あんばい)しきでしたがな、其処を、貴女(あなた)、またポカポカと三つ四つ咽喉(のど)ン処(とこ)を打(ぶ)ちますとな、もう其切(それっき)りで、ギャッともスウとも声を立て得ないで、貴女(あなた)……」
 私はもう後(あと)は聴いていなかった。誰(たれ)を憚(はばか)る必要もないのに、窃(そっ)と目立たぬように後方(うしろ)へ退(さが)って、狐鼠々々(こそこそ)と奥へ引込(ひっこ)んだ。ベタリと机の前へ坐った。キリキリと二三遍廻ったという今聞いた話が胸に浮ぶと、そのキリキリと廻ったポチの姿が、顕然(まざまざ)と目に見えるような気がする。熱い涙がほろほろ零(こぼ)れる、手の甲で擦(こす)っても擦っても、止度(とめど)なくほろほろ零(こぼ)れる。

          十九

 ポチが殺されて、私は気脱けしたようになって、翌日は学校も休んだ。何も自分が罪を犯したでもないのに、何となく友達に顔を見られるのが辛くッて……
 午過(ひるすぎ)にポチが殺されたという木村という家(うち)の前へ行って見た。其処か此処かと尋ねて見たけれど、もう其らしい痕(あと)もない。私は道端に彳(たたず)んで、茫然としていた。
 炭屋の老爺(じい)やの話だと、うッかり寝転んでいる所を殺されたのだと云う。大方昨日(きのう)も私の帰りを待ちかねて、此処らまで迎えに出ていたのであろう。待草臥(まちくたび)れて、ドタリと横になって、角(かど)のポストの蔭から私の姿がヒョッコリ出て来はせぬかと、其方ばかりを余念なく眺(なが)めている所へ、犬殺しが来たのだ。人間は皆私達親子のように自分を可愛がって呉れるものと思っているポチの事だから、犬殺しとは気が附かない。何心なく其面(そのかお)を瞻上(みあ)げて尾を掉(ふ)る所を、思いも寄らぬ太い棍棒がブンと風を截(き)って来て……と思うと、又胸が一杯になる。
 ヒュウと悲しい音を立てて、空風(からかぜ)が吹いて通る。跡からカラカラに乾いた往来の中央(まんなか)を、砂烟(すなけぶり)が濛(ぼっ)と力のない渦を巻いて、捩(よじ)れてひょろひょろと行く。
 私は其行方を眺めて茫然としていた。と、何処でかキャンキャンと二声三声犬の啼声がする……佶(きっ)と耳を引立(ひった)って見たが、もう其切(それきり)で聞えない。隣町あたりで凍(かじ)けたような物売の声がする。
 何だか今の啼声が気になる。ポチは殺されたのだから、もう此処らで啼いてる筈はない。余所の犬だ余所の犬だ、と思いながら、何だか其儘聞流して了うのが残惜しくて、思わずパタパタと駈出したが、余所の犬じゃ詰らないと思返して、又頽然(ぐたり)となると、足の運びも自然と遅(おそ)くなり、そろりそろりと草履を引摺(ひきずり)ながら、目的(あて)もなく小迷(さまよ)って行く。
 小迷(さまよ)って行きながら、又ポチの事を考えていると、ふッと気が変って、何だか昨日(きのう)からの事が皆(みんな)嘘らしく思われてならぬ。私が余(あんま)りポチばかり可愛がって勉強をしなかったから、父が万一(ひょっと)したら懲(こら)しめのため、ポチを何処かへ匿(かく)したのじゃないかと思う。そうすると、今の啼声は矢張(やっぱり)ポチだったかも知れぬと、うろうろとする目の前を、土耳其帽(トルコぼう)を冠(かぶ)った十徳姿の何処かのお祖父(じい)さんが通る。何だか深切そうな好(い)いお祖父(じい)さんらしいので、此人に聞いたら、偶然(ひょっ)とポチの居処(いどころ)を知っていて、教えて呉れるかも知れぬと思って、凝然(じっ)と其面(そのかお)を視ると、先も振向いて私の面(かお)を視て、莞爾(にッこり)して行って了った。
 向うから順礼の親子が来る。笈摺(おいずる)も古ぼけて、旅窶(たびやつ)れのした風で、白の脚絆(きゃはん)も埃(ほこり)に塗(まぶ)れて狐色になっている。母の話で聞くと、順礼という者は行方知れずになった親兄弟や何かを尋ねて、国々を経巡(へめぐ)って歩くものだと云う。此人達も其様(そん)な事で斯うして歩いているのかも知れぬ、と思うと、私も何だか此仲間へ入って一緒にポチを探して歩きたいような気がして、立止って其の後姿を見送っていると、忽ち背後(うしろ)でガラガラと雷の落懸(おちかか)るような音がしたから、驚いて振向こうとする途端(とたん)に、トンと突飛されて、私はコロコロと転がった。
「危ねい! 往来の真ン中を彷徨(うろうろ)してやがって……」とせいせい息を逸(はず)ませながら立止って怒鳴り付けたのは、目の怕(こわ)い車夫であった。
 車には黒い高い帽子を冠(かぶ)って、温(あった)かそうな黄ろい襟の附いた外套を被(き)た立派な人が乗っていたが、私が面(かお)を顰(しか)めて起上(おきあが)るのを尻眼に掛けて、髭(ひげ)の中でニヤリと笑って、
「鎌蔵(かまぞう)、構わずに行(や)れ。」
「へい……本当(ふんと)に冷りとさせやがった。気を付けろ、涕垂(はなた)らしめ! ……」
 と車夫は又トットッと曳出した。
 紳士は犬殺しでない。が、ポチを殺した犬殺しと此人と何だか同じように思われて、クラクラと目が眩(くら)むと、私はもう無茶苦茶になった。卒然(いきなり)道端(みちばた)の小石を拾って打着(ぶっつ)けてやろうとしたら、車は先の横町へ曲ったと見えて、もう見えなかった。
 パタリと小石を手から落した。と、何だか急に悲しくなって来て耐(たま)らなくなって、往来の真中で私は到頭シクシク泣出した。

          二十

 ポチの殺された当座は、私は食が細って痩せた程だった。が、其程の悲しみも子供の育つ勢には敵(かな)わない。間もなく私は又毎日学校へ通って、友達を相手にキャッキャッとふざけて元気よく遊ぶようになった……

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 今日は如何(どう)したのか頭が重くて薩張(さっぱ)り書けん。徒書(むだがき)でもしよう。
愛は総ての存在を一にす。
愛は味(あじわ)うべくして知るべからず。
愛に住すれば人生に意義あり、愛を離るれば、人生は無意義なり。
人生の外(ほか)に出で、人生を望み見て、人生を思議する時、人生は遂に不可得(ふかとく)なり。
人生に目的ありと見、なしと見る、共に理智の作用のみ。理智の眼(まなこ)を抉出(けっしゅつ)して目的を見ざる処に、至味(しみ)存す。
理想は幻影のみ。
凡人(ぼんにん)は存在の中(うち)に住す、其一生は観念なり。詩人哲学者は存在の外(ほか)に遊離す、観念は其一生なり。
凡人(ぼんにん)は聖人の縮図なり。
人生の真味は思想に上らず、思想を超脱せる者は幸(さいわい)なり。
二十世紀の文明は思想を超脱せんとする人間の努力たるべし。
 此様(こん)な事ならまだ幾らでも列べられるだろうが、列べたって詰らない。皆啌(うそ)だ。啌(うそ)でない事を一つ書いて置こう。
 私はポチが殺された当座は、人間の顔が皆犬殺しに見えた。是丈(これだけ)は本当の事だ。

          二十一

 小学から中学を終るまで、落第をも込めて前後十何年の間、毎日々々の学校通い、――考えて見れば面白くもない話だが、併し其を左程にも思わなかった。小学校の中(うち)は、内で親に小蒼蠅(こうるさ)く世話を焼かれるよりも、学校へ行って友達と騒ぐ方が面白い位に思っていたし、中学へ移ってからも、人間は斯うしたものと合点(がてん)して、何とも思わなかった。
 しかし、凡(およ)そ学科に面白いというものは一つも無かった。何(ど)の学科も何の学科も、皆(みんな)味も卒気もない顰蹙(うんざり)する物ばかりだったが、就中(なかんずく)私の最も閉口したのは数学であった。小学時代から然うだったが、中学へ移ってからも、是ばかりは変らなかった。此次は代数の時間とか、幾何(きか)の時間とかなると、もう其が胸に支(つか)えて、溜息が出て、何となく世の中が悲観された。
 算術は四則だけは如何(どう)やら斯うやら了解(のみこ)めたが、整数分数となると大分怪しくなって、正比例で一寸(ちょっと)息を吐(つ)く。が、其お隣の反比例から又亡羊(うろうろ)し出して、按分比例で途方に暮れ、開平開立(かいりゅう)求積となると、何が何だか無茶苦茶になって、詰り算術の長の道中を浮の空で通して了ったが、代数も矢張(やっぱ)り其通り。一次方程式、二次方程式、簡単なのは如何(どう)にかなっても、少し複雑のになると、A(エー)とB(ビー)とが紛糾(こぐら)かって、何時迄(いつまで)経(た)ってもX(エッキス)に膠着(こびりつ)いていて離れない。況(いわん)や不整方程式には、頭も乱次(しどろ)になり、無理方程式を無理に強付(しいつ)けられては、げんなりして、便所へ立ってホッと一息吐(つ)く。代数も分らなかったが幾何(きか)や三角術は尚分らなかった。初の中(うち)は全く相合(あいあわ)せ得る物の大(おおい)さは相等しなどと真顔で教えられて、馬鹿(ばか)扱(あつかい)にするのかと不平だったが、其中(そのうち)に切売の西瓜(すいか)のような弓月形(きゅうげつけい)や、二枚屏風を開いたような二面角が出て来て、大きなお供(そなえ)に小さいお供(そなえ)が附着(くっつ)いてヤッサモッサを始める段になると、もう気が逆上(うわず)ッて了い、丸呑(まるのみ)にさせられたギゴチない定義や定理が、頭の中でしゃちこばって、其心持の悪いこと一通りでない。試験が済むと、早速咽喉(のど)へ指を突込んで留飲(りゅういん)の黄水(きみず)と一緒に吐出せるものなら、吐出して了って清々(せいせい)したくなる。
 何の因果で此様(こん)な可厭(いや)な想(おもい)をさせられる事か、其は薩張(さっぱり)分らないが、唯此可厭(いや)な想(おもい)を忍ばなければ、学年試験に及第させて貰えない。学年試験に及第が出来ぬと、最終の目的物の卒業証書が貰えないから、それで誠に止むことを得ず、眼を閉(ねむ)って毒を飲む気で辛抱した。
 尤も是は数学ばかりでない。何(ど)の学科も皆多少とも此気味がある。味わって楽むなどいうのは一つもない、又楽んでいる暇(ひま)もない。後から後からと他の学科が急立(せきた)てるから、狼狽(あわ)てて片端(かたはし)から及第のお呪(まじな)いの御符(ごふう)の積(つもり)で鵜呑(うのみ)にして、而(そう)して試験が済むと、直ぐ吐出してケロリと忘れて了う。

          二十二

 今になって考えて見ると、無意味だった。何の為に学校へ通ったのかと聞かれれば、試験の為にというより外はない。全く其頃の私の眼中には試験の外に何物も無(なか)った。試験の為に勉強し、試験の成績に一喜一憂し、如何(どん)な事でも試験に関係の無い事なら、如何(どう)なとなれと余処に見て、生命の殆ど全部を挙げて試験の上に繋(か)けていたから、若し其頃の私の生涯から試験というものを取去ったら、跡は他愛(たわい)のない烟(けむ)のような物になって了う。
 これは、しかし、私ばかりというではなかった。級友という級友が皆然うで、平生(へいぜい)の勉強家は勿論、金箔附(きんぱくつき)の不勉強家も、試験の時だけは、言合せたように、一色(しき)に血眼(ちまなこ)になって……鵜の真似をやる、丸呑(まるのみ)に呑込めるだけ無暗(むやみ)に呑込む。尤も此連中は流石(さすが)に平生を省みて、敢て多くを望まない、責めて及第点だけは欲しいが、貰えようかと心配する、而(そう)して常は事毎に教師に抵抗して青年の意気の壮(さかん)なるに誇っていたのが、如何(どう)した機(はずみ)でか急に殊勝気(しゅしょうげ)を起し、敬礼も成る丈気を附けて丁寧にするようにして、それでも尚お危険を感ずると、運動と称して、教師の私宅へ推懸(おしか)けて行って、哀れッぽい事を言って来る。
 私は我儘者の常として、見栄坊(みえぼう)の、負嫌(まけぎらい)だったから、平生も余り不勉強の方ではなかった。無論学科が面白くてではない、学科は何時迄(いつまで)経(た)っても面白くも何ともないが、譬(たと)えば競馬へ引出された馬のようなもので、同じような青年と一つ埒入(らちない)に鼻を列べて見ると、負(まけ)るのが可厭(いや)でいきり出す、矢鱈(やたら)に無上(むしょう)にいきり出す。
 平生さえ然うだったから、況(いわん)や試験となると、宛然(さながら)の狂人(きちがい)になって、手拭を捻(ねじ)って向鉢巻(むこうはちまき)ばかりでは間怠(まだる)ッこい、氷嚢を頭へ載(のっ)けて、其上から頬冠(ほおかむ)りをして、夜(よ)の目も眠(ね)ずに、例の鵜呑(うのみ)をやる。又鵜呑(うのみ)で大抵間に合う。間に合わんのは作文に数学位(ぐらい)のものだが、作文は小学時代から得意の科目で、是は心配はない。心配なのは数学の奴だが、それをも無理に狼狽(あわ)てた鵜呑(うのみ)式で押徹(おしとお)そうとする、又不思議と或程度迄は押徹(おしとお)される。尤も是はかね合(あい)もので、そのかね合(あい)を外すと、落(おっ)こちる。私も未だ試験慣れのせぬ中(うち)、ふと其かね合(あい)を外して落(おッ)こちた時には、親の手前、学友の手前、流石(さすが)に面目(めんぼく)なかったから、少し学校にも厭気が差して、其時だけは一寸(ちょっと)学校教育なんぞを齷促(あくせく)して受けるのが、何となく馬鹿気た事のように思われた。が、世間を見渡すと、皆(みんな)此無意味な馬鹿気た事を平気で懸命に行(や)っている。一人として躊躇している者はない。其中で私一人其様(そん)な事を思うのは何だか薄気味悪(うすきびわる)かったから、狼狽(あわ)てて、いや、馬鹿気ているようでも、矢張(やっぱり)必要の事なんだろうと思直(おもいなお)して、素知(そし)らん顔して、其からは落第の恥辱を雪(すす)がねば措(お)かぬと発奮し、切歯(せっし)して、扼腕(やくわん)して、果(はた)し眼(まなこ)になって、又鵜の真似を継続して行(や)った。
 鵜の真似でも何でも、試験の成績さえ良ければ、先生方も満足せられる、内でも親達が満足するから、私は其で好(い)い事と思っていた。然うして多く学んで殆ど何も得(う)る所がない中(うち)に、いつしか中学も卒業して、卒業式には知事さんも「諸君は今回卒業の名誉を荷うて……」といった。内でも赤飯(せきはん)を焚(た)いて、お目出度いお目出度いと親達が右左から私を煽(あお)がぬ許りにして呉れた。してみれば、矢張(やッぱり)名誉でお目出度いのに違いないと思って、私も大(おおい)に得意になっていた。

          二十三

 中学も卒業した。さて今後は如何(どう)するという愈(いよいよ)胸の轟く問題になった。
 まだ中学に居る頃からの宿題で、寐ても寤(さ)めても是ばかりは忘れる暇(ひま)もなかったのだが、中学を卒業してもまだ極(きま)らずに居たのだ。
 極(きま)らぬのは私ではない。私は疾(と)うに極(き)めていた、無論東京へ行くと。
 東京は如何(どん)な処だか人の噂に聞く許(ばかり)で能(よ)くは知らなかったが、私も地方育ちの青年だから、誰も皆思うように、東京へ出て何処(どこ)かの学校へ入りさえすれば、黙っていても自然と運が向いて来て、或は海外留学を命ぜられるようになるかも知れぬ。若し然うなったら……と目を開(あ)いて夢を見ていたのも昨日(きのう)や今日の事でないから、何でも角(か)でも東京へ出たいのだが、さて困った事には、珍しくもない話だけれど、金の出処(でどころ)がない。
 父は其頃県庁の小吏であった。薄給でかつがつ一家を支えていたので、月給だけでは私を中学へ入れる事すら覚束(おぼつか)なかったのだが、幸い親譲りの地所が少々と小さな貸家が二軒あったので、其上りで如何(どう)にか斯うにか糊塗(まじく)なっていたのだ。だから到底(とて)も私を東京へ遣(や)れないという父の言葉に無理もないが、しかし……私は矢張(やっぱり)東京へ出たい。
 父は其頃未だ五十であった。達者な人だけに気も若くて、まだまだ十年や十五年は大丈夫生ていると、傍(はた)の私達も思っていたし、自分も其は其気でいた。従って世間の親達のように、早く私を月給取にして、嫁を宛(あて)がって、孫の世話でもしていたいなぞと、そんな気は微塵もないが、何分にも当節は勤向(つとめむき)が六(むず)かしくなって、もう永くは勤まらぬという。成程父は教育といっても、昔の寺子屋教育ぎりで、新聞も漢語字引と首引(くびっぴき)で漸く読み覚えたという人だから、今の学校出の若い者と机を列べて事務を執(と)らされては、嘸(さぞ)辛い事も有ろうと、其様(そん)な事には浮(うわ)の空の察しの無かった私にも、話を聞けば能く分って、同情が起らぬでもないが、しかし、それだからお前は県庁へ勤めるなとして自分一人だけの事は為(し)て呉れと、言われた時には情なかった。父は然うして置いて、何ぞ他(ほか)に気骨の折れぬ力相応の事をして県庁の方は辞職する。辞職しても当分はお前の世話にはなるまいと、財産相応の穏当な案を立てて、私の為をも思っていうのは解っているけれど、しかし私は如何(どう)しても矢張(やッぱり)東京へ出て何処かの学校へ入りたい。
 で、親子一つ事を反覆(くりかえ)すばかりで何日経(た)っても話の纏まらぬ中(うち)に、同窓の何某(なにがし)はもう二三日前(ぜん)に上京したし、何某(なにがし)は此月末(つきずえ)に上京するという話も聞く。私は気が気でないから、眼の色を異(ちが)えて、父に逼(せま)り、果は血気に任せて、口惜(くや)し紛れに、金がないと言われるけれど、地面を売れば如何(どう)にかなりそうなものだ、それとも私の将来よりも地面の方が大事なら、学資は出して貰わんでも好い、旅費だけ都合して貰いたい、私は其で上京して苦学生になると、突飛(とっぴ)な事を言い出せば、父は其様(そん)な事には同意が出来ぬという、それは圧制だ、いや聞分(ききわけ)ないというものだと、親子顔を赤めて角芽立(つのめだ)つ側(そば)で、母がおろおろするという騒ぎ。
 其時私の為には頗る都合の好い事があった。私と同期の卒業生で父も懇意にする去る家の息子が、何処のも同じ様に東京行きを望んで、親に拒まれて、自暴(やけ)を起し、或夜窃(ひそか)に有金(ありがね)を偸出(ぬすみだ)して東京へ出奔すると、続いて二人程其真似をする者が出たので、同じ様な息子を持った諸方の親々(おやおや)の大恐慌となった。父も此一件から急に我(が)を折って、彼方此方(あちこち)の親類を駈廻(かけまわ)った結果、金の工面(くめん)が漸く出来て、最初は甚(ひど)く行悩んだ私の遊学の願も、存外難なく聴(ゆる)されて、遂に上京する事になった時の嬉しさは今に忘れぬ。

          二十四

 愈(いよいよ)出発の当日となった。待ちに待った其日ではあるけれど、今となっては如何(どう)やら一日位は延ばしても好(い)いような心持になっている中(うち)に、支度はズンズン出来て、さて改まって父母(ちちはは)と別れの杯(さかずき)の真似事をした時には、何だか急に胸が一杯になって不覚(つい)ホロリとした。母は固(もと)より泣いた、快活な父すら目出度い目出度いと言いながら、頻(しきり)に咳をして涕(はな)[#「涕」はママ]を拭(か)んでいた。
 誂(あつら)えの俥(くるま)が来る。性急(せっかち)の父が先ず狼狽(あわ)て出して、座敷中を彷徨(うろうろ)しながら、ソレ、風呂敷包を忘れるな、行李は好(い)いか、小さい方だぞ、コココ蝙蝠傘(こうもりがさ)は己(おれ)が持ってッてやる、と固(もと)より見送って呉れる筈なので、自分も一台の俥(くるま)に乗りながら、何は載ったか、何は……ソレ、あの、何よ……と、焦心(あせ)る程尚お想出せないで、何やら分らぬ手真似をして独り無上(むしょう)に車上で騒ぐ。
 母も門口まで送って出た。愈(いよいよ)俥(くるま)が出ようとする時、母は悲しそうに凝(じっ)と私の面(かお)を視て、「じゃ、お前ねえ、カカ身体を……」とまでは言い得たが、後(あと)が言えないで、涙になった。
 私は故意(わざ)と附元気(つけげんき)の高声(たかごえ)で、「御機嫌よう!」と一礼すると、俥(くるま)が出たから、其儘正面(まむき)になって了ったが何だか後髪を引かれるようで、俥(くるま)が横町を出離れる時、一寸(ちょっと)後(うしろ)を振向いて見たら、母はまだ門前に悄然(しょんぼり)と立っていた。
 道々も故意(わざ)と平気な顔をして、往来を眺めながら、勉(つとめ)て心を紛らしている中(うち)に、馴染の町を幾つも過ぎて俥(くるま)が停車場(ステーション)へ着いた。
 まだ発車には余程間(あいだ)があるのに、もう場内は一杯の人で、雑然(ごたごた)と騒がしいので、父が又狼狽(あわ)て出す。親しい友の誰彼(たれかれ)も見送りに来て呉れた。其面(そのかお)を見ると、私は急に元気づいて、例(いつ)になく壮(さかん)に饒舌(しゃべ)った。何だか皆が私の挙動に注目しているように思われてならなかった。無論友達は家(うち)で立際(たちぎわ)に私の泣いたことを知る筈はないから……
 軈(やが)て発車の時刻になって、汽車に乗込む。手持無沙汰な落着かぬ数分(すふん)も過ぎて、汽笛が鳴る。私が窓から首を出して挨拶をする時、汽車は動出(うごきだ)して、父の眼をしょぼつかせた顔がチラリとして直ぐ後(あと)になる、見えなくなる。もうプラットフォームを出離れて、白ペンキの低い柵が走る、其向うの後向(うしろむ)きの二階家が走る、平屋が走る。片側町(かたかわまち)になって、人や車が後(あと)へ走るのが可笑(おか)しいと、其を見ている中(うち)に、眼界が忽ち豁然(からっ)と明くなって、田圃(たんぼ)になった。眼を放って見渡すと、城下の町の一角が屋根は黒く、壁は白く、雑然(ごたごた)と塊(かた)まって見える向うに、生れて以来十九年の間(あいだ)、毎日仰ぎ瞻(み)たお城の天守が遙に森の中に聳えている。ああ、家(うち)は彼下(あのした)だ……と思う時、始めて故郷を離れることの心細さが身に染(し)みて、悄然(しょんぼり)としたが、悄然(しょんぼり)とする側(そば)から、妙に又気が勇む。何だか籠のような狭隘(せせこま)しい処から、茫々と広い明るい空のような処へ放されて飛んで行くようで、何となく心臓の締るような気もするが、又何処か暢(のん)びりと、急に脊丈が延びたような気もする。
 こうした妙な心持になって、心当(こころあて)に我家の方角を見ていると、忽ち礑(はた)と物に眼界を鎖(とざ)された。見ると、汽車は截割(たちわ)ったように急な土手下を行くのだ。

          二十五

 申後れたが、私は法学研究のため上京するのだ。
 其頃の青年に、政治ではない、政論に趣味を持たん者は幾(ほと)んど無かった。私も中学に居る頃から其が面白くて、政党では自由党が大の贔負(ひいき)であったから、自由党の名士が遊説(ゆうぜい)に来れば、必ず其演説を聴きに行ったものだ。無論板垣さんは自分の叔父さんか何ぞのように思っていた。
 実際の政界の事情は些(ちッ)とも分っていなかった。自由党は如何(どう)いう政党だか、改進党と如何(どう)違うのだか、其様(そん)な事は分っているような風をして、実は些(ちッ)とも分っていなかったが、唯初心(うぶ)な眼で局外から観ると、何だか自由党の人というと、其人の妻子は屹度(きっと)饑(うえ)に泣いてるように思われて、妻子が饑(うえ)に泣く――人情忍び難い所だ。その忍び難い所を忍んで、妻や子を棄てて置いて、而(そう)して自分は芸者狂いをするのじゃない、四方に奔走して、自由民権の大義を唱(とな)えて、探偵に跟随(つけ)られて、動(やや)もすれば腰縄で暗い冷たい監獄へ送られても、屈しない。偉いなあ! と、こう思っていたから、それで好きだった。
 好きは好きだったが、しかし友人の誰彼(たれかれ)のように、今直ぐ其真似は仕度(した)くない。も少し先の事にしたい。兎角理想というものは遠方から眺めて憧憬(あこが)れていると、結構な物だが、直ぐ実行しようとすると、種々(いろいろ)都合の悪い事がある。が、それでは何だか自分にも薄志弱行(はくしじゃっこう)のように思われて、何だか心持が悪かったが、或時何かの学術雑誌を読むと、今の青年は自己の当然修むべき学業を棄てて、動(やや)もすれば身を政治界に投ぜんとする風ありと雖も、是れ以ての外の心得違なり、青年は須(すべか)らく客気を抑えて先ず大(おおい)に修養すべし、大(おおい)に修養して而(しか)して後(のち)大(おおい)に為す所あるべし、という議論が載っていた。私は嬉しかった。早速此持重説(じちょうせつ)を我物にして了って、之を以て実行に逸(はや)る友人等を非難し、而(そう)して窃(ひそか)に自ら弁護する料にしていた。
 斯ういう事情で此様(こん)な心持になっていたから、中学卒業後尚お進んで何か専門の学問を修めようという場合には、勢い政治学に傾かざるを得なかった。父が上京して何を遣(や)りたいのだと言った時にも、言下(ごんか)に政治学と答えた。飛んだ事だといって父が夫(それ)では如何(どう)しても承知して呉(くれ)なかったから、じゃ、法学と政治学とは従兄弟(いとこ)同士だと思って、法律をやりたいと言って見た。法律学は其頃流行の学問だったし、県の大書記官も法学士だったし、それに親戚に、私立だけれど法律学校出身で、現に私達の眼には立派な生活をしている人が二人あった。一人は何処だったか記憶(おぼえ)がないが、何でも何処かの地方で代言(だいげん)をして、芸者を女房にして贅沢な生活をしていて、今一人は内務省の属官(ぞっかん)でこそあれ、好(い)い処を勤めている証拠には、曾て帰省した時の服装を見ると、地方では奏任官には大丈夫踏める素晴しい服装(なり)で、何(なに)しても金の時計をぶら垂(さ)げていたと云う。それで父も法律なら好かろうと納得したので、私は遂に法学研究のため斯うして汽車で上京するのだ。

          二十六

 東京へ着いたのは其日の午後の三時頃だったが、便(たよ)って行くのは例の金時計をぶら垂(さ)げていたという、私の家(うち)とは遠縁の、変な苗字だが、小狐(おぎつね)三平という人の家(うち)だ。招魂社の裏手の知れ難(にく)い家(うち)で、車屋に散々こぼされて、辛(やッ)と尋ね当てて見ると、門構は門構だが、潜門(くぐりもん)で、国で想像していたような立派な冠木門(かぶきもん)ではなかった。が、標札を見れば此家(ここ)に違いないから、潜(くぐ)りを開けて中に入ると、直ぐもう其処が格子戸作りの上り口で、三度四度案内を乞うて漸(やっ)と出て来たのを見れば、顔や手足の腫起(むく)んだような若い女で、初は膝を突きそうだったが、私の風体を見て中止にして、立ちながら、何ですという。はてな、家(うち)を間違えたか知らと、一寸(ちょっと)狼狽したが、標札に確に小狐(おぎつね)三平とあったに違いないから、姓名を名告(なの)って今着いた事を言うと、若い女は怪訝(けげん)な顔をして、一寸(ちょっと)お待ちなさいと言って引込(ひっこ)んだぎり、中々出て来ない。車屋は早く仕て呉れという。私は気が気でない。が、前以て書面で、世話を頼む、引受けたと、話が着いてから出て来たのだし、今日上京する事も三日も前に知らせてあるのだから、今に伯母さんが――私の家(うち)では此家(ここ)の夫人を伯母さんと言いつけていた――伯母さんが出て来て好(い)いように仕て呉れると、其を頼みにしていると、久(しば)らくして伯母さんではなくて、今の女が又出て来て、お上ンなさいという。荷物が有りますと、口を尖(とん)がらかすと、荷物が有るならお出しなさい、というから、車屋に手伝って貰って、荷物を玄関へ運び込むと、其女が片端から受取って、ズンズン何処かへ持ってッて了った。
 車屋に極(き)めた賃銭を払おうとしたら、骨を折ったから増(まし)を呉れという。余所の車は風を切って飛ぶように走る中を、のそのそと歩いて来たので、些(ちッ)とも骨なんぞ折っちゃいない。田舎者(いなかもん)だと思って馬鹿にするなと思ったから、厭だといった。すると、車屋は何だか訳の分らぬ事を隙間もなくベラベラと饒舌(しゃべ)り立って、段々大きな声になるから、私は其大きな声に驚いて、到頭言いなり次第の賃銭を払って、東京という処は厭な処だと思った。
 車屋との悶着を黙って衝立(つッた)って視ていた女が、其が済むのを待兼(まちかね)たように、此方(こっち)へ来いというから、其跟(そのあと)に随(つ)いて玄関の次の薄暗い間(ま)へ入ると、正面の唐紙を女が此時ばかりは一寸(ちょっと)膝を突いてスッと開けて、黙って私の面(かお)を視る。私は如何(どう)して好(い)いのだか、分らなかったから、
「中へ入っても好(い)いんですか?」
 と狼狽(まごまご)して案内の女に応援を乞うた時、唐紙の向うで、勿体ぶった女の声で、
「さあ、此方(こちら)へ。」
 私は急に気が改まって、小腰を屈(こご)めて、遠慮勝に中へ入った。と、不意に箪笥や何や角(か)や沢山な奇麗な道具が燦然(ぱっ)と眼へ入って、一寸(ちょっと)目眩(まぼ)しいような気がする中でも、長火鉢の向うに、三十だか四十だか、其様(そん)な悠長な研究をしてる暇(ひま)はなかったが、何でも私の母よりもグッと若い女の人が、厚い座布団の上にチンと澄している姿を認めたから、狼狽して卒然(いきなり)其処へドサリと膝を突くと、真紅(まっか)になって、倒さになって、
「初めまして……」

          二十七

 伯母さん――といっては何だか調和(うつり)が悪い、奥様は一寸(ちょっと)会釈して、
「今お着きでしたか?」
「は」、と固くなる。
「何ですか、お国では阿父(おとう)さんも阿母(おかあ)さんもお変りは有りませんか?」
「は。」
 と矢張(やっぱり)固くなりながら、訥弁(とつべん)でポツリポツリと両親の言伝(ことづて)を述べると、奥様は聴いているのか、いないのか、上調子(うわちょうし)ではあはあと受けながら、厭に赤ちゃけた出がらしの番茶を一杯注(つ)いで呉れたぎりで、一向構って呉れない。気が附いて見ると、座布団も呉れてない。
 何時迄(いつまで)経(た)っても主人(あるじ)が顔を見せぬので、
「伯父さんはお留守ですか?」
 と不覚(つい)言って了った顔を、奥様はジロリと尻眼に掛けて、
「主人はまだ役所から退(ひ)けません。」
 主人と厭に力を入れて言われて、じゃ、伯父さんじゃ不好(いけなか)ったのか知ら、と思うと、又私は真紅(まっか)になった。
 ところへバタバタと椽側に足音がして、障子が端手(はした)なくガラリと開(あ)いたから、ヒョイと面(かお)を挙(あげ)ると、白い若い女の顔――とだけで、其以上の細かい処は分らなかったが、何しろ先刻(さっき)取次に出たのとは違う白い若い女の顔と衝着(ぶつか)った。是が噂に聞いた小狐(おぎつね)の独娘(ひとりむすめ)の雪江さんだなと思うと、私は我知らず又固くなって、狼狽(あわ)てて俯向(うつむ)いて了った。
「阿母(かあ)さん阿母さん」、と雪江さんは私が眼へ入らぬように挨拶もせず、華やかな若い艶(つや)のある美(い)い声で、「矢張(やっぱり)私の言った通(とおり)だわ。明日(あした)が楽(らく)だわ。」
「まあ、そうかい」、と吃驚(びっくり)した拍子に、今迄の奥様がヒョイと奥へ引込(ひっこ)んで、矢張(やっぱり)尋常(ただ)の阿母(かあ)さんになって了った。
「厭だあ私(あたし)……だから此前の日曜にしようと言たのに、阿母(かあ)さんが……」といいながら座敷へ入って来て、始めて私が眼へ入ったのだろう。ジロジロと私の風体(ふうてい)を視廻して、膝を突いて、母の顔を見ながら、「誰方(どなた)?」
「此方(このかた)が何さ、阿父様(おとうさま)からお話があった古屋さんの何さ。」
「そう。」
 といって雪江さんは此方(こちら)を向いたから、此処らでお辞儀をするのだろうと思って、私は又倒さになって一礼すると、残念ながら又真紅(まっか)になった。
 雪江さんも一寸(ちょっと)お辞儀したが、直ぐと彼方(あちら)を向いて了って、
「私(あたし)厭よ。阿母(かあ)さんが彼様(あん)な事言って行(い)かなかったもんだから……」
「だって仕方がなかったンだわね。私(あたし)だって彼様(あん)な窮屈な処(とこ)へ行(い)くよか、芝居へ行った方が幾ら好(い)いか知れないけど、石橋さんの奥様(おくさん)に無理に誘われて辞(ことわ)り切れなかったンだもの。好(い)いわね、其代り阿父様(おとうさま)に願って、お前が此間中(じゅう)から欲しい欲しいてッてる彼(あれ)ね?」と娘の面(かお)を視て、薄笑いしながら、「彼(あれ)を買って頂いて上げるから……仕方がないから。」
「本当(ほんと)?」と雪江さんも急に莞爾々々(にこにこ)となった。私は見ないでも雪江さんの挙動(ようす)は一々分る。
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