平凡
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著者名:二葉亭四迷 

好加減(いいかげん)なチャラッポコを真(ま)に受けて、仙台くんだり迄引張り出されて、独身(ひとり)でない事が知れた時にゃ、如何様(どんな)に口惜(くや)しかったでしょう。寧(いっ)そ其時帰ッ了(ちま)や好かったんですけど、帰って来たって、家(うち)が有るンじゃ有りませんしさ、人の厄介(やっかい)になって苦労する位なら、日陰者でもまだ其方が勝(まし)かと思ったもんですからね、馬鹿さねえ、貴方(あなた)、言いなり次第になって半歳(はんとし)も然うして居たんですよ。そうすると、私(あたし)の事がいつかお神さんに知れて、死ぬの生(いき)るのという騒ぎが起ってみると、元々養子の事だから……」
「養子なんですか?」
「ええ、養子なんですとも。養子だから、ほら、私(あたし)を棄てなきゃ、看(み)す看(み)す何万という身台を棒に振らなきゃならんでしょう? ですから、出るの引くのと揉め返した挙句が、詰る所(とこ)私(あたし)はお金で如何(どう)にでもなると見括(みくび)ったんでしょう、人を入て別話(わかればなし)を持出したから、私(あたし)ゃもう踏んだり蹶(け)たりの目に逢わされて、口惜(くや)しくッて口惜しくッて、何だかもうカッと逆上(のぼ)せッ了(ちま)って、本当(ほんと)に一時(じ)は井戸川(いどかわ)へでも飛込ん了(じま)おうかと思いましたよ。」
「御尤(ごもっとも)です。」
「ですけど私(あたし)が死んじまや、幸手屋(さってや)の血統(ちすじ)は絶えるでしょう? それでは御先祖様にも、又ね、死んだ親達にも済まないと思って、無分別は出しませんでしたけど、余(あん)まり口惜(くや)しかったから、お金も出そうと言ったのを、そんなお金なんぞに目をくれるお糸さんじゃない何か言って、タンカを切ってね、一文(もん)も貰わずに、頭の物なんか売飛ばして、其を持って帰って来たは好かったけど、其代り今じゃスッテンテンで、髪結銭(かみゆいせん)も伯母さん済みませんがという始末ですのさ。余程(よっぽど)馬鹿ですわねえ。」
「いや。面白い気象だ。」
「ですから、私(あたし)は、貴方(あなた)の前ですけど、もうもう男は懲々(こりごり)。そりゃあね、稀(たま)には旦那のような優しい親切なお方も有りますけど、どうせ私(あたし)のような者(もん)の相手になる者ですもの、皆(みんな)其様(そん)な薄情な碌でなしばかしですわ。」
「いや、御尤(ごもっと)もです。」
「まあ、自分の勝手なお饒舌(しゃべり)ばかりしていて、お燗(かん)が全然(すっかり)冷(さ)め了(ちゃ)った。一寸(ちょっと)直して参りましょう。」
「御尤(ごもっと)もです……」

          五十七

 お糸さんがお燗(かん)を直しに起(た)った隙(ひま)に、爰(ここ)で一寸(ちょっと)国元の事情を吹聴(ふいちょう)して置く。甞て私が学校を除籍せられた時、父が学資の仕送りを絶ったのは、斯(こう)もしたら或は帰って来るかと思ったからだ。ところが、私が如何(どう)にか斯うにか取続(とりつづ)いて帰らなかったので、両親は独息子(ひとりむすこ)を玉(たま)なしにしたように歎いて、父の白髪(しらが)も其時分僅の間(あいだ)に滅切(めっき)り殖(ふ)えたと云う。伯父が見兼ねて、態々(わざわざ)上京して、もう小説家になるなとは言わぬ、唯是非一度帰省して両親の心を安めろと懇(ねんごろ)に諭(さと)して呉れた。そう言われて見ると、夫(それ)でもとも言兼ねて、私は其時伯父に連れられて久振で帰省したが、父の面(かお)を見るより、心配を掛けた詫をする所(どころ)か、卒然(いきなり)先ず文学の貴(たっと)い所以(ゆえん)を説いて聴かせて、私は堕落したのじゃない、文学に於て向上の一路を看出(みいだ)したのだ、堕落なんぞと思われては心外だと喰って懸ると、気の練れた父は敢て逆(さから)わずに、昔者(むかしもの)の己(おれ)には然ういう六(むず)かしい事は分らぬから、己(おれ)はもう何にも言わぬ、お前の思う通りにしろだが、東京へ出てから二年許りの間(あいだ)に遣(つか)った金は、地所を抵当に入れて借りた金だ。己(おれ)は無学で働きがないから、己(おれ)の手では到底(とて)も返せない。何とかしてお前の手で償却の道を立(たて)て呉れ。之を償却せん時には、先祖の遺産を人手に渡さねばならぬ。それではどうもお位牌に対しても済まぬから、己(おれ)は始終(しょっちゅう)其が苦になっての……と眼を瞬(しばだた)かれた時には、私も妙な心持がした。で、何にも当(あて)はなかったけれど、其式(それしき)の負債は直(じ)き償却して見せるように広言を吐き、月々なし崩しの金額をも極(き)めて再び出京したが、出京して見ると、物価騰貴に付き下宿料は上る、小遣も余計に入(い)る、負債償却の約束は不知(つい)空約束になって了った。その稍(やや)実行の緒(しょ)に就いたのは当り作が出来てからで、夫(それ)からは原稿料の手に入(い)る度に多少の送金はしていたけれど、夫とても残らず負債の方へ入れて了うので、少しも家計の足しにはならなかった。父は疾(と)うに県庁の方も罷(や)められて、其後(そのご)一寸(ちょっと)学校の事務員のような事もしていたが、それも直き又罷(や)められて全く収入の道が絶えたので、父も母も近頃は心細さの余り、遂に内職に観世撚(かんぜより)を撚(よ)り出したと云う。私は其頃新進作家で多少売出した頃だったから、急に気が大きくなり、それに天性の見栄坊(みえぼう)も手伝って、矢張(やっぱり)某大家のように、仮令(たとい)襟垢(えりあか)の附いた物にもせよ、兎に角羽織も着物も対(つい)の飛白(かすり)の銘仙物で、縮緬(ちりめん)の兵児帯(へこおび)をグルグル巻にし、左程(さほど)悪くもない眼に金縁眼鏡(きんぶちめがね)を掛け、原稿料を手に入れた時だけ、急に下宿の飯を不味(まず)がって、晩飯には近所の西洋料理店(レストーラント)へ行き、髭の先に麦酒(ビヤー)の泡を着けて、万丈の気□(きえん)を吐いていたのだから、両親が内職に観世撚(かんぜより)を撚(よ)るという手紙を覧(み)た時には、又一寸(ちょっと)妙な心持がした。若し此事が夫(か)の六号活字子(ごうかつじし)の耳に入って、雪江(せっこう)の親達は観世撚(かんぜより)を撚(よ)ってるそうだ、一寸(ちょっと)珍(ちん)だね、なぞと素破抜(すっぱぬ)かれては余り名誉でないと、名誉心も手伝って、急に始末気(しまつぎ)を出し、夫(それ)からは原稿料が手に入(い)ると、直ぐ多少余分の送金もして、他(ほか)の物を撚(よ)っても、観世撚(かんぜより)だけは撚(よ)って呉れるなと言って遣(や)った。
 で、此時もつい二三日前(ぜん)に聊(いささ)かばかり原稿料が入った。先月は都合が悪くて送金しなかったから、責(せめ)て此内十円だけは送ろうと、紙入の奥に別に紙に包んで入れて置いたのが、お糸さんの事や何や角(か)やに取紛(とりまぎ)れてまだ其儘になっている。それをお糸さんの身上話を聴くと、ふと想い出して、国への送金は此次に延期し、寧(いっ)そ之をお糸さんに呈して又敬意を表そうかと思った。が、何だか其では聊(いささ)か相済まぬような気もして何となく躊躇(ちゅうちょ)せられる一方で、矢張(やっぱり)何だか切(しきり)に……こう……敬意を表したくて耐(たま)らない。で、お糸さんが軈(やが)てお燗(かん)を直して持って来て、さ、旦那、お熱い所を、と徳利(とくり)の口を向けた時だった、私は到頭耐(たま)らなくなって、しかし何故だか節倹して、十円の半額金五円也を呈して、不覚(つい)又敬意を表して了った。

          五十八

 お糸さんに敬意を表して見ると、もう半端(はんぱ)になったから、国への送金は見合せていると、母から催促の手紙が来た。其中(そのうち)に何だか父の加減が悪くて医者に掛っているとかで、物入が多くて困るとかいうような事も書いてあったが、例の愚痴(ぐち)だと思って、其内に都合して送ると返事を出して置いた。其時は真(しん)に其積りで強(あなが)ち気休めではなかったのだが、彼此(かれこれ)取紛(とりまぎ)れて不覚(つい)其儘になっている一方では、五円の金は半襟二掛より効能(ききめ)があって、夫(それ)以来お糸さんが非常に優待して呉れるが嬉しい。追々馴染(なじみ)も重なって常談(じょうだん)の一つも言うようになる。もう少しで如何(どう)にかなりそうに思えるけれど、何時迄(いつまで)経(た)っても如何(どう)にもならんので、少し焦(じ)れ出して、又欲しそうな物を買って遣(や)ったり、連出(つれだ)して甘(うま)い物を食べさせたり、種々(いろいろ)してみたが、矢張(やっぱり)同じ事で手が出せない。お糸さんという人は滅多に手を出せば、屹度(きっと)甚(ひど)い恥を掻かすけれど、一度手に入れたら、命懸けになる女だと、何故だか私は独りで極(き)めていたから、危険(けんのん)で手が出せなかったが、傍(はた)から観れば、もう余程妙に見えたと見えて、他(た)の客はワイワイいって騒ぐ。下女迄が私の部屋を覗込んでお糸さんが見えないと、奥様(おくさん)は、なぞといって調戯(からか)うようになる。こうなると、お神さんも目に余って、或時何だか厭な事をお糸さんに言ったとかで、お糸さんが憤(おこ)っていた事もある。私は何だか面白いような焦心(じれっ)たいような妙な心持がする。それで夢中になって金ばかり遣(つか)っていたから、一度申訳に聊(いささ)かばかり送金した限(ぎり)で、不覚(つい)国へは無沙汰になっている中(うち)に、父の病気が矢張(やっぱり)好くないとて母からは又送金を求めて来る。遂に伯父からも注意が来た。其時だけは私も少し気が附いて、急いで、書掛けた小説を書上げて若干(なにがし)かの原稿料を受取ったから、明日(あす)は早速送金しようと思っていた晩に、お糸さんが切(しき)りに新富座(しんとみざ)の当り狂言の噂(うわさ)をして観たそうな事を言う。と、私も何だか観せてやり度(たく)なって、芝居だって観ように由っては幾何(いくら)掛るもんかと、不覚(つい)口を滑らせると、お糸さんが例(いつ)になく大層喜んだ。お糸さんは何を貰っても、澄して礼を言って、其場では左程嬉しそうな面(かお)もせぬ女だったが、此時ばかりは余程嬉しかったと見えて、大層喜んだ。
 もう後悔しても取反(とりかえ)しが附かなくなって、止(や)むことを得ず好加減(いいかげん)な口実を設けて別々に内を出て、新富座を見物した其夜(そのよ)の事。お糸さんを一足先へ還(かえ)し、私一人後(あと)から漫然(ぶらり)と下宿へ帰ったのは、夜(よ)の彼此(かれこれ)十二時近くであったろう。もう雨戸を引寄せて、入口の大(おお)ランプも消してあった。跡仕舞(あとじまい)をしているお竹が睡(ねむ)たそうな声でお帰ンなさいと言ったが、お糸さんの姿は見えなかった。
 部屋へ来てみると、ランプを細くして既(も)う床も敷(と)ってある。私は桝(ます)でお糸さんと膝を列べている時から、妙に気が燥(いら)って、今夜こそは日頃の望をと、芝居も碌に身に染(し)みなかった。時々ふと気が変って、此様(こん)な女に関係しては結果が面白くあるまいと危ぶむ。其側(そのそば)から直ぐ又今夜こそは是が非でもという気になる。で、今我部屋へ来て床の敷(と)ってあるのを見ると、もう気も坐(そぞ)ろになって、余(よ)の事なぞは考えられん。今にも屹度(きっと)来るに違いない、来たら……と其事ばかりを考えながら、急いで寝衣(ねまき)に着易(きか)えて床へ入ろうとして、ふと机の上を見ると、手紙が載せてある。手に取って見ると、国からの手紙だ。心は狂っていても、流石(さすが)に父の事は気になるから、手早く封を切って読むと、まず驚いた。

          五十九

 此手紙で見ると、大した事ではないと思っていた父の病気は其後(そのご)甚だ宜しくない。まだ医者が見放したのでは無いけれど、自分は最う到底(とて)も直らぬと覚悟して、切(しき)りに私に会いたがっているそうだ。此手紙御覧次第直様(すぐさま)御帰国待入(まちいり)申候(もうしそろ)と母の手で狼狽(うろた)えた文体(ぶんてい)だ。
 私は孝行だの何だのという事を、道学先生の世迷言(よまいごと)のように思って、鼻で遇(あし)らっていた男だが、不思議な事には、此時此手紙を読んで吃驚(びっくり)すると同時に、今夜こそはと奮(いき)り立っていた気が忽ち萎(な)えて、父母(ちちはは)が切(しき)りに懐かしく、何だか泣きたいような気持になって、儘になるなら直(すぐ)にも発(た)ちたかったが、こうなると当惑するのは、今日の観劇の費用が思ったよりも嵩(かさ)んで、元より幾何(いくばく)もなかった懐中が甚だ軽くなっている事だ。父が病気に掛ってから、度々送金を迫られても、不覚(つい)怠(おこた)っていたのだから、家(うち)の都合も嘸(さ)ぞ悪かろう。今度こそは多少の金を持って帰らんでは、如何(いか)に親子の間でも、母に対しても面目(めんぼく)ない。といって、お糸さんに迷ってから、散々無理を仕尽した今日此頃、もう一文(もん)の融通(ゆうずう)の余地もなく、又余裕もない。明日(あす)の朝二番か三番で是非発(た)たなきゃならんがと、当惑の眼(まなこ)を閉じて床の中で凝(じっ)と考えていると、スウと音を偸(ぬす)んで障子を明ける者が有るから、眼を開(あ)いて見ると、先刻(さっき)迄待憧(まちこが)れて今は忘れているお糸さんだ。窃(そっ)と覗込んで、小声で、「もうお休みなすったの?」といいながら、中へ入って又窃(そっ)と跡を閉(し)めたのは、十二時過で遠慮するのだったかも知れぬが、私は一寸(ちょっと)妙に思った。
「どうも有難うございました」、とのめるように私の床の側(そば)に坐りながら、「好かったわねえ」、と私と顔を看合わせて微笑(にッこり)した。
 今日は風呂日だから、帰ってから湯へ入ったと見えて、目立たぬ程に薄(うッす)りと化粧(けわ)っている。寝衣(ねまき)か何か、袷(あわせ)に白地(しろじ)の浴衣(ゆかた)を襲(かさ)ねたのを着て、扱(しごき)をグルグル巻にし、上に不断の羽織をはおっている秩序(しどけ)ない姿も艶(なま)めかしくて、此人には調和(うつり)が好(い)い。
「一本頂戴よ」、といいながら、枕元の机の上の巻烟草(まきたばこ)を取ろうとして、袂(たもと)を啣(くわ)えて及腰(およびごし)に手を伸ばす時、仰向(あおむ)きに臥(ね)ている私の眼の前に、雪を欺(あざむ)く二の腕が近々と見えて、懐かしい女の香(か)が芬(ぷん)とする。
「何だかまだ芝居に居るような気がして相済まないけど」、とお糸さんが煙草(たばこ)を吸付けてフウと烟(けむり)を吹きながら、「伯母さんの小言が台詞(せりふ)に聞えたり何かして、如何(どん)なに可笑(おか)しいでしょう」、と微笑(にッこり)した所は、美しいというよりは、仇ッぽくて、男殺しというのは斯ういう人を謂うのかと思われた。
 一つ二つ芝居の話をしていると、下のボンボン時計が肝癪(かんしゃく)を起したようにジリジリボンという。一時だ、一時を打っても、お糸さんは一向平気で咽喉(のど)が乾(かわ)くとかいって、私の湯呑で白湯(さゆ)を飲んだり何かして落着いている所は、何だか私が如何(どう)かするのを待ってるようにも思われる。と、母の手紙で一時(じ)萎(な)えた気が又振起(ふるいおこ)って、今朝からの今夜こそは即ち今が其時だと思うと、漫心(そぞろごころ)になって、「泊ってかないか?」と私が常談(じょうだん)らしくいうと、「そうですねえ。家(うち)が遠方だから泊ってきましょうか」と、お糸さんも矢張(やっぱり)常談(じょうだん)らしく言ったけれど、もう読めた。卒然(いきなり)手を執(と)って引寄せると、お糸さんは引寄(ひきよせ)られる儘に、私の着ている夜着の上に凭(もた)れ懸って、「如何(どう)するのさ?」と、私の面(かお)を見て笑っている……其時思い掛けず「親が大病だのに……」という事が、鳥影(とりかげ)のように私の頭を掠(かす)めると、急に何とも言えぬ厭な心持になって、私は胸の痛むように顔を顰(ひそ)めたけれど、影になって居たから分らなかったのだろう、お糸さんは執(と)られた手を窃(そっ)と離して、「貴方(あなた)は今夜は余程(よっぽど)如何(どう)かしてらッしゃるよ」と笑っていたが、私が何時迄経(いつまでた)っても眼を瞑(ねむ)っているので、「本当(ほんと)にお眠いのにお邪魔ですわねえ。どれ、もう行って寐ましょう。お休みなさいまし」と、会釈して起上(たちあが)った様子で、「灯火(あかり)を消してきますよ」という声と共に、ふッと火を吹く息の音がした。と、何物か私の面(かお)の上に覆(かぶ)さったようで、暖かな息が微かに頬に触れ、「憎らしいよ!」と笑を含んだ小声が耳元でするより早く、夜着の上に投出していた二の腕を痛(したた)か抓(つね)られた時、私はクラクラとして前後を忘れ、人間の道義畢竟(ひっきょう)何物ぞと、嗚呼(ああ)父は大病で死にかかって居たのに……

          六十

 翌朝(あくるあさ)は夙(はや)く発(た)つ積(つもり)だったが、発(た)てなくなった。尾籠(びろう)な事には自(おのずか)ら尾籠(びろう)な法則が有るから、既に一種の関係が成立った以上は、女に多少の手当をして行(い)かなきゃならん――と、さ、私は思わざるを得なかった。見栄坊(みえぼう)だから、金が無くても金の有る風をして、紙入を叩いて遣(や)って了うと、もう汽車賃も残らない。なに、父はまだ危篤というのじゃなし、一時間や二時間発(た)つのが後れたって仔細は無かろうと、自分で勝手な理窟を附けて、女には内々で朝から金策に歩いたが、出来なかった。昼前に一寸(ちょっと)下宿へ帰ると、留守に国から電報が着いていた。胸を轟かして、狼狽(あわ)てて封を切って見ると、「父危篤直(すぐ)戻れ」だ。之を読むと私はわなわなと震え出した。卒然(いきなり)下宿を飛出して、血眼(ちまなこ)になって奔走して、辛(かろ)うじて聊(いささ)かの金を手に入れたから、下宿へも帰らず、其足で直ぐ東京を発(た)って、汽車の幾時間を藻掻(もが)き通して、国へ着いたのは其晩八時頃であった。
 停車場(ステーション)で車を□(やと)って家(うち)へ急ぐ途中も、何だか気が燥(いら)って、何事も落着いて考えられなかったが、片々(きれぎれ)の思想が頭の中で狂い廻(まわ)る中でも、唯息のある中(うち)に一目父に逢いたい逢いたいと其ばかりを祈っていた。時々ふッと既(も)う駄目だろうと思うと、錐(きり)でも刺されたように、急に胸がキリキリと痛む。何とも言えず苦しい。馴染(なじみ)の町々を通っても、何処を如何(どう)車が走るのか分らない。唯車上で身を揉んで、無暗(むやみ)に車夫を急立(せきた)てた。車夫が何だか腹を立てて言ったが、何を言っているのか、分らない。唯無暗(むやみ)に急立(せきた)てるばかりだ。
 漸くの想(おもい)で家(うち)へ着くと、狼狽(あわ)てて車を飛降りて、車賃も払ったか、払わなかったか、卒然(いきなり)門内へ駆込んで格子戸を引明けると、パッと灯火(あかり)が射して、其光の中(うち)に人影がチラチラと見え、家内(うち)は何だか取込んでいて話声が譟然(がやがや)と聞える中で、誰だか作さん――私の名だ――作さんが着いた、作さんが、と喚(わめ)く。何処からか母が駈出して来たから、私が卒然(いきなり)、「阿父(おとっ)さんは? ……」と如何(どう)やら人の声のような皺嗄声(しゃがれごえ)で聞くと、母は妙な面(かお)をしたが、「到頭不好(いけなか)ったよ……」というより早く泣き出した。私はハッと思うと、気が遠くなって、茫然として母が袖を顔に当(あて)て泣くのを視ていたが、ふと何だか胸が一杯になって泣こうとしたら、「まあ、彼方(あッち)へお出でなさい」、と誰だか袖を引張るから、見ると従弟(いとこ)だ。何処へ何しに行(い)くのだか、分っているような、分っていないような、変な塩梅(あんばい)だったが、私は何だか分ってる積(つもり)で、従弟(いとこ)の跟(あと)に従(つ)いて行くと、人が大勢車座になっている明かるい座敷へ来た。と、急に私は何か母に聞きたい事が有るのを忘れていたような気持がして、母は如何(どう)したろうと後(うしろ)を振向く途端に、「おお作か」、という声が俄(にわか)に寂然(しん)となった座敷の中(うち)に聞えたから、又此方(こッち)を振向くと、其処に伯父が居るようだ。夫から私は其処へ坐って、何でも漫(やたら)に其処に居る人達に辞儀をしたようだったが、其中(そのうち)に如何(どう)いう訳だったか、伯父の側(そば)へ行く事になって、側(そば)へ行くと、伯父が「阿父(おとっ)さんも到頭此様(こんな)になられた」、といいながら、側(そば)に臥(ね)ている人の面(かお)に掛けた白い物を取除(とりの)けたから、見ると、臥(ね)て居る人は父で、何だか目を瞑(ねむ)っている。私は其面(そのかお)を凝(じっ)と視ていた。すると、何時(いつ)の間にか母が側(そば)へ来ていて、泣声で、「息を引取る迄ね、お前に逢いたがりなすってね……」というのが聞えた。私はふッと目が覚めた、目が覚めたような心持がした。ああ、父は死んでいる……つい其処に死んでいる……骨と皮ばかりの痩果てた其死顔がつい目の前に見える。之を見ると、私は卒然として、「ああ済(すま)なかった……」と思った。此刹那に理窟はない、非凡も、平凡も、何もない。文士という肩書の無い白地(しろじ)の尋常(ただ)の人間に戻り、ああ、済(すま)なかった、という一念になり、我を忘れ、世間を忘れて、私は……私は遂に泣いた……

          六十一

 後で段々聞いて見ると、父は殆ど碌な療養もせずに死んだのだ。事情を知らん人は寿命だから仕方がないと言って慰めて呉れたけれど、私には如何(どう)しても然う思えなかった。全く私の不心得で、まだ三年や四年は生延びられる所をむざむざ殺して了ったように思われてならなかったから、深く年来(としごろ)の不孝を悔いて、責(せめ)て跡に残った母だけには最う苦労を掛けたくないと思い、父の葬式を済せてから、母を奉じて上京して、東京で一戸(こ)を成した。もう斯う心機が一転しては、彼様(あん)な女に関係している気も無くなったから、女とは金で手を切って了った。其時女の素性も始めて知ったが、当人の言う所は皆虚構(でたらめ)だった。しかし其様(そん)な事を爰(ここ)で言う必要もない。止(や)めて置く。
 で、生来始て稍(やや)真面目になって再び筆硯に親しもうとしたが、もう小説も何だか馬鹿らしくて些(ちっ)とも書けない。泰西(たいせい)の名家の作を読んで見ても、矢張(やっぱり)馬鹿らしい。此様(こん)な心持で碌な物が出来る筈もないから、評判も段々落ちる、生活も困難になって来る。もう私もシュン外(はず)れだ。此処らが思切り時だろうと思って、或年意を決して文壇を去って、人の周旋で今の役所へ勤めるようになったが、其後(そのご)母の希望を容(い)れて、妻(さい)を迎え、子を生ませると、間もなく母も父の跡を追って彼世(あのよ)へ逝(い)った。
 これが私の今日迄(こんにちまで)の経歴だ。
 つくづく考えて見ると、夢のような一生だった。私は元来実感の人で、始終実感で心を苛(いじ)めていないと空疎になる男だ。実感で試験をせんと自分の性質すら能(よ)く分らぬ男だ。それだのに早くから文学に陥(はま)って始終空想の中(うち)に漬(つか)っていたから、人間がふやけて、秩序(だらし)がなくなって、真面目になれなかったのだ。今稍(やや)真面目になれ得たと思うのは、全く父の死んだ時に経験した痛切な実感のお庇(かげ)で、即ち亡父の賜(たまもの)だと思う。彼(あの)実感を経験しなかったら、私は何処迄だらけて行ったか、分らない。
 文学は一体如何(どう)いう物だか、私には分らない。人の噂で聞くと、どうやら空想を性命とするもののように思われる。文学上の作品に現われる自然や人生は、仮令(たと)えば作家が直接に人生に触れ自然に触れて実感し得た所にもせよ、空想で之を再現させるからは、本物でない。写し得て真に逼(せま)っても、本物でない。本物の影で、空想の分子を含む。之に接して得(う)る所の感じには何処にか遊びがある、即ち文学上の作品にはどうしても遊戯分子(ゆうげぶんし)を含む。現実の人生や自然に接したような切実な感じの得られんのは当然(あたりまえ)だ。私が始終斯ういう感じにばかり漬(つか)っていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざが愈(いと)どやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子も□(そこな)われる。況(いわ)んやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今(ここん)の文壇のヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
(終)
二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。




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