平凡
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著者名:二葉亭四迷 

 下女は黙って私の面(かお)を見ていたが、
「大層お気が揉めますのね。何なら、もう一遍下へ行って見ていらしッたら……」
 誰にでも翻弄(ほんろう)されると、途方に暮れる私だから、拠(よん)どころなく苦笑(にやり)として黙って了うと、下女は高笑(たかわらい)して出て行って了った。

          五十一

 軈(やが)て夕飯時(ゆうめしどき)になった。部屋々々へ膳を運ぶ忙がしそうな足音が廊下に轟いて、何番さんがお急ぎですよ、なぞと二階から金切声で聒(かしま)しく喚(わめ)く中を、バタバタと急足(いそぎあし)に二人ばかり来る女の足音が私の部屋の前で止ると、
「此方(こッち)が一番さんで、夫(それ)から二番さん三番さんと順になるンですから何卒(どうぞ)……」
 というのは聞慣れた小女(ちび)の声で、然う言棄てて例の通り端手(はした)なくバタバタと引返(ひッかえ)して行く。
 と、跡に残った一人が障子の外に蹲(うずく)まった気配(けはい)で、スルスルと障子が開(あ)いたから、見ると、彼女(あのおんな)だ、彼女(あのおんな)に違いない。私は急いで余所を向いて了ったから、能(よ)くは、分らなかったが、何でも下女の話の通り細面(ほそおもて)で、蒼白い、淋しい面相(かおだち)の、好(い)い女だ……と思った。年頃は二十五六……それとも七か……いや、八か……女の歳は私には薩張(さっぱり)分らない。もう羽織はなしで、紬(つむぎ)だか銘仙だか、夫とも更(もッ)と好(い)い物だか、其も薩張(さっぱり)分らなかったが、何(なに)しても半襟の掛った柔か物で、前垂(まえだれ)を締めて居たようだった。障子を明けると、上目でチラと私の面(かお)を見て、一寸(ちょっと)手を突いて辞儀をしてから、障子の影の膳を取上て、臆した体もなくスルスルと内へ入って来て、「どうもお待せ申しまして」、といいながら、狼狽(まごまご)している私の前へ据えた手先を見ると、華奢(きゃしゃ)な蒼白い手で、薬指に燦(きら)と光っていたのは本物のゴールド、リングと見た。正可(まさか)鍍金(めッき)じゃ有るまい、飯櫃(めしびつ)も運び込んでから、
「お湯はございますか知ら。」
 と火鉢の薬鑵(やかん)を一寸(ちょっと)取って見て、
「まだ御座いますようですね。じゃ、お後(あと)にしましょう。御緩(ごゆっ)くりと……」
 と会釈して、スッと起(た)った所を見ると、スラリとした後姿(うしろつき)だ。ああ、好(い)い風(ふう)だ、と思っている中(うち)に、もう部屋を出て了って、一寸(ちょっと)小腰を屈(かが)めて、跡を閉めて、バタバタと廊下を行く。
 別段異(かわ)った事もない。小娘でないから、少しは物慣れた処もあったろうが、其は当然(あたりまえ)だ。風(ふう)に一寸(ちょっと)垢脱(あかぬけ)のした処が有ったかも知れぬが、夫(それ)とても浮気男の眼を惹(ひ)く位(ぐらい)の価値で大した女ではなかったのに、私は非常に感服して了った。尤も私の不断接している女は、厭にお澄しだったり、厭に馴々(なれなれ)しかったりして、一見して如何にも安ッぽい女ばかりだったから、然ういうのを看慣(みな)れた眼には少しは異(ちが)って見えたには違いない。
 何物だろうと考えて見たが、分らない。或は黒人(くろうと)上りかとも思ってみたが、下町育ちは山の手の人とは違う。此処のお神さんも下町育ちだと云う。そういえば、何処か様子に似た処もある。或は下町育ちかも知れぬとも思った。
 素性は分らないが、兎に角面白そうな女だから、此様(こん)なのを味わったら、女の真味が分るかも知れん。今に膳を下げに来たら、今度こそは勇気を振起して物を言って見よう、私のように黙って居ては、何時迄(いつまで)経(た)っても接近は出来ん、なぞと思っていると、隣室で女の笑い声がする。下女の声ではない。今のに違いない。隣の俗物め、もう捉(つか)まえて戯言(じょうだん)でも言ってると見える。

          五十二

 其晩膳を下げに来るかと心待に待っていたら、其には下女が来て、女は顔を見せなかった。翌朝(よくあさ)は女が膳を運んで来たが、卒(いざ)となると何となく気怯(きおく)れがして、今は忙(いそが)しそうだから、昼の手隙(てすき)の時にしよう、という気になる。で、言うべき文句迄拵(こしら)えて、掻くようにして昼を待っていると、昼が来て、成程手隙(てすき)だから、他(ほか)の者は遊んでいて小女(ちび)が膳を運んで来る。
 三四日経(た)った。いつも女の助(す)けるのは朝晩の忙がしい時だけで、昼は顔も出さない。考えて見ると、奉公人でないから其筈だが、私は失望した。顔は度々合せるから漸く分ったが、能(よ)く見ると、雀斑(そばかす)が有って、生際(はえぎわ)に少し難が有る。髪も更少(もすこ)し濃かったらと思われたが、併し何となく締りのあるキリッとした面相(かおだち)で、私は矢張(やっぱり)好(い)いと思った。名はお糸といってお神さんの姪だとか云う。皆下女からの復聞(またぎき)だ。
 何とかして一日も早く接近したいが、如何(どう)も顔を合せると、物が言えなくなる。昼間廊下で行逢った時など、女は小腰を屈(かが)めて会釈するような、せんような、曖昧な態度で摺脱(すりぬ)けて行く。其様(そん)な時に接近したがってる事は色にも出さずに、ヒョイと、軽く、些(ちッ)と話に入らッしゃい、とか何とか言ったら、最終(しまい)には来るようになるかも知れんとは思うけれど、然う思うばかりで、私の口は重たくて、ヒョイと、軽く、其様(そん)な事が言えない。
 度々面(かお)を合せても物を言わんから、段々何だか妙に隔てが出来て来て、改めて物を言うのが最う変になって来る。此分だと、余程(よッぽど)何か変った事が、例えば、火事とか大地震とかがあって、人心の常軌を逸する場合でないと、隔ての関を破って接近されなくなりそうだ。ああ、初て部屋へ来た時、何故私は物を言わなかったろうと、千悔万悔(せんかいばんかい)、それこそ臍(ほぞ)を噬(か)むけれど、追付(おッつ)かない。然るに、私は接近が出来ないで此様(こん)なに煩悶しているのに、隣の俗物は苦もなく日増しに女に親しむ様子で、物を言交(いいかわ)す五分間がいつか十分二十分になる。何だか知らんが、睦まじそうに密々話(ひそひそばなし)をしているような事もある。一度なんぞ女に脊中を叩かれて俗物が莞爾々々(にこにこ)している所を見懸けた。私は気が気でない……
 藻掻いていると、確か女が来てから一週間目だったかと思う、朝からのビショビショ降(ぶ)りが昼過ても未だ止まない事があった。鬱陶敷(うっとうしく)て、気が滅入って、幾ら書いても思う様に書けないから、私はホッとして、頭を抱えて、仰向(あおむき)に倒れて茫然としていたが、
「早く如何(どう)かせんと不好(いかん)!」
 と判然(はっきり)と独言(ひとりごと)をいって起反(おきかえ)った。独言(ひとりごと)は小説に関係した事ではないので、女の事なので。
 すると、余り遠くでない、去迚(さりとて)近くでもない何処かで、ポツンポツンと意気な音(ね)がする。隣の家(うち)で能(よ)く琴を浚(さら)っているが、三味線(さみせん)を弾(ひ)いてた事はない。それに隣にしては近過ぎる。家(うち)には弾(ひ)く者は無い筈だが……と耳を澄していると、軈(やが)て歌い出す声は如何(どう)しても家(うち)だ。例のに違いない。
 私は起上(おきあが)ってブラリと廊下へ出た。

          五十三

 廊下へ出て耳を澄して見たが、三味線(さみせん)は聞えても、矢張(やっぱり)歌が能く聞えない。が、愈(いよいよ)例のに違いないから、私は意を決して裏梯子(うらばしご)を降りて、大廻りをして、窃(こっ)そり台所近くへ来て見ると、誰(たれ)も居ない。皆其隣の家(うち)の者の住居(すまい)にしてある座敷に塊(かた)まっているらしい。好(い)い塩梅(あんばい)だと、私は椽側に佇立(たたず)んで、庭を眺めている風(ふり)で、歌に耳を傾(かたぶ)けていた。
 好(い)い声だ。たッぷりと余裕のある声ではないが、透徹(すきとお)るように清い、何処かに冷たい処のあるような、というと水のようだが、水のように淡くはない、シンミリとした何とも言えぬ旨味(うまみ)のある声だ。力を入れると、凛(りん)と響く。脱(ぬ)くと、スウと細く、果は藕(はす)の糸のようになって、此世を離れて暗い無限へ消えて行きそうになる時の儚(はかな)さ便りなさは、聴いている身も一緒に消えて行きそうで、早く何とかして貰いたいような、もうもう耐(たま)らぬ心持になると、消えかけた声が又急に盛返して来て、遂にパッと明るみへ出たような気丈夫な声になる。好(い)い声だ。節廻しも巧(たくみ)だが、声を転がす処に何とも言えぬ妙味がある。ズッと張揚げた声を急に落して、一転二転三転と急転して、何かを潜って来たように、パッと又浮上(うきあが)るその面白さは……なぞと生意気をいうけれど、一体新内(しんない)をやってるのだか、清元(きよもと)をやってるのだか、私は夢中だった。
 俗曲(ぞっきょく)は分らない。が、分らなくても、私は大好きだ。新内でも、清元でも、上手の歌うのを聴いていると、何だか斯う国民の精粋とでもいうような物が、髣髴(ほうふつ)として意気な声や微妙な節廻しの上に顕(あら)われて、吾心の底に潜む何かに触れて、何かが想い出されて、何とも言えぬ懐かしい心持になる。私は之を日本国民の二千年来此生を味うて得た所のものが、間接の思想の形式に由らず、直(ただち)に人の肉声に乗って、無形の儘で人心に来(きた)り逼(せま)るのだとか言って、分明な事を不分明にして其処に深い意味を認めていたから、今お糸さんの歌うのを聴いても、何だか其様(そん)なように思われて、人生の粋(すい)な味や意気な味がお糸さんの声に乗って、私の耳から心に染込(しみこ)んで、生命の髄に触れて、全存在を撼(ゆる)がされるような気がする。
 お糸さんの顔は椽側からは見えないけれど屹度(きっと)少しボッと上気して、薄目を開(あ)いて、恍惚として我か人かの境を迷いつつ、歌っているに違いない。所謂(いわゆる)神来(しんらい)の興が中(うち)に動いて、歌に現(うつつ)を脱(ぬ)かしているのは歌う声に魂の入(い)っているので分る。恐らくもう側(そば)でお神さんや下女の聴いてることも忘れているだろう。お糸さんは最う人間のお糸さんでない。人間のお糸さんは何処へか行って了って、体に俗曲の精霊が宿っている、而(そう)してお糸さんの美音を透(とお)して直接に人間と交渉している。お糸さんは今俗曲の巫女(いちこ)である、薩満(シャマン)である。平生のお糸さんは知らず、此瞬間のお糸さんはお糸さん以上である、いや、人間以上で神に近い人である。
 斯う思うと、時としては斯うして人間を離れて芸術の神境に出入(しゅつにゅう)し得るお糸さんは尋常(ただ)の人間でないように思われる。お糸さんの人と為りは知らないが、歌に於て三味線に於てお糸さんは確に一個の芸術家である、事に寄ると、芸術家と自覚せぬ芸術家である。要するに、俗物でない。
 私も不肖ながら芸術家の端(はし)くれと信ずる。お糸さんの人となりは知らないでも、芸術家の心は唯芸術家のみ能(よ)く之を知る。此下宿に客多しと雖も、能(よ)くお糸さんを知る者は私の外にあるまい。私の心を解し得る者も、お糸さんの外には無い筈である……と思うと、まだ碌に物を言た事もないお糸さんだけれど、何だかお糸さんが生れぬ前(さき)からの友のように思われて、私は……ああ、私は……

          五十四

 私の下宿ではいつも朝飯(あさめし)が済んで下宿人が皆出払った跡で、緩(ゆッ)くり掃除や雑巾掛(ぞうきんがけ)をする事になっていた。お糸さんは奉公人でないから雑巾掛(ぞうきんがけ)には関係しなかったが、掃除だけは手伝っていたので、いつも其時分になると、お掃除致しましょうと言っては私の部屋へ来る。私は内々(ないない)其を心待にしていて、来ると急いで部屋を出て椽側を彷徨(うろつ)く。彷徨(うろつ)きながら、見ぬ振をして横目でチョイチョイ見ていると、お糸さんが赤い襷(たすき)に白地の手拭を姉様冠(あねさまかぶ)りという甲斐々々しい出立(いでたち)で、私の机や本箱へパタパタと払塵(はたき)を掛けている。其を此方(こッち)から見て居ると、お糸さんが何だか斯う私の何かのような気がして、嬉しくなって、斯うした処も悪くないなと思う。
 ところが、お糸さんが三味線(さみせん)を弾(ひ)いた翌朝(あくるあさ)の事であった。万事が常よりも不手廻(ふてまわ)りで、掃除にもいつも来るお糸さんが来ないで、小女(ちび)が代りに来たから、私は不平に思って、如何(どう)したのだと詰(なじ)るようにいうと、今日はお竹どんが病気で寝ているので、受持なんぞの事を言っていられないのだと云う。其なら仕方が無いようなものだけれど、小女(ちび)のは掃除するのじゃなくて、埃(ほこり)をほだてて行くのだから、私が叱り付けてやったら、小女(ちび)は何だか沸々(ぶつぶつ)言って出て行った。
 暫くして用を達(た)しに行(い)こうと思って、ヒョイと私が部屋を出ると、何時(いつ)来たのか、お糸さんがツイ其処で、着物の裾をクルッと捲(まく)った下から、華美(はで)な長襦袢だか腰巻だかを出し掛けて、倒(さか)さになって切々(せっせっ)と雑巾掛(ぞうきんが)けをしていた。私の足音に振向いて、お邪魔様といって、身を開いて通して呉れて、お糸さんは何とも思っていぬ様だったが、私は何だか気の毒らしくて、急いで二階を降りて了った。
 用を達(た)してから出て来て見ると、手水鉢(ちょうずばち)に水が無い。小女(ちび)は居ないかと視廻(みまわ)す向うへお糸さんが、もう雑巾掛(ぞうきんがけ)も済んだのか、バケツを提げてやって来たが、ト見ると、直ぐ気が附いて、
「おや、そうだッけ……只今直ぐ持って参りますよ。」
 と駈出して行って、台所から手桶を提げて来て、
「お待遠様。」
 とザッと水を覆(あ)ける時、何処の部屋から仕掛けたベルだか、帳場で気短に消魂(けたたま)しくチリリリリリンと鳴る。
 お神さんが台所から面(かお)を出して、
「誰も居ないのかい? 十番さんで先刻(さっき)からお呼なさるじゃないか。」
「へい、只今……」
 とお糸さんが矢張(やっぱり)下女並の返事をして、
「お三どん新参で大狼狽(おおまごつき)……」
 と私の面(かお)を見て微笑(にッこり)しながら、一寸(ちょいと)滑稽(おどけ)た手附をしたが、其儘所体(しょてい)崩(くず)して駈出して、表梯子(おもてはしご)をトントントンと上(あが)って行く。
 私が手を洗って二階へ上(あが)って見たら、お糸さんは既(も)う裾を卸(おろ)したり、襷(たすき)を外したりして、整然(ちゃん)とした常の姿(なり)になって、突当りの部屋の前で膝を突いて、何か用を聴いていた。
 私は部屋へ帰って来て感服して了った。お糸さんは歌が旨い、三味線も旨い、女ながらも立派な一個の芸術家だ。その芸術家が今日は如何(どう)だろう? お竹が病気なら仕方がないようなものの、全(まる)で下女同様に追使われている。下女同様に追使われて、慣れぬ雑巾掛(ぞうきんがけ)までさせられた上に、無理な小言を言われても、格別厭な面(かお)もせずに、何とか言ったッけ? 然う然う、お三どん新参で大狼狽(おおまごつき)といって微笑(にっこり)……偉い! 余程(よっぽど)気の練れた者でなければ、如彼(ああ)は行(い)かぬ。これがお竹ででも有ろうものなら、直ぐ見たくでもない面(つら)を膨(ふく)らして、沸々(ぶつぶつ)口小言を言う所だ。それを常談事(じょうだんごと)にして了って、お三どん新参で大狼狽(おおまごつき)といって微笑(にっこり)……偉い!

          五十五

 感服の余り、私は何とかして此自覚せぬ芸術家に敬意を表したいと思ったが、併し奉公人同様に金など包んでは出されない、何でも品物を呈するに限ると、何故だか独りで極(き)めて掛って、惨澹たる苦心の末、雪江(せっこう)一代の智慧を絞り尽して、其翌日の昼過ぎ本郷の一友人を尋ねて、嘘(うそ)八百を陳(なら)べ立て、其細君を誘(そその)かして半襟を二掛見立てて買って来て貰った。値段の処も私にしては一寸(ちょっと)奮(はず)んだ積(つもり)だった。
 早く之をお糸さんに呈して其喜ぶ顔を見たいと、此処らは未来の大文豪も俗物と余り違(ちが)わぬ心持になって、何だか切(しき)りに嬉しがって、莞爾(にこにこ)して下宿へ帰ったのは丁度夕飯(ゆうはん)時分(じぶん)だったが、火を持って来たのは小女(ちび)、膳を運んで来たのはお竹どんで、お糸さんは笑声が余所の部屋でするけれど、顔も見せない、私は何となく本意(ほい)なかった。
 待侘びて独りで焦(じ)れていると、軈(やが)て目差すお糸さんが膳を下げに来たから、此処ぞと思って、極(きま)りが悪かったが、思切って例の品を呈した。大(おおい)に喜ぶかと思いの外、お糸さんは左(さ)して色を動かさず、軽く礼を言って、一寸(ちょっと)包みを戴いて、膳と一緒に持って行って了った。唯其切(それぎり)で、何だか余り飽気(あっけ)なかった。
 何時間経(た)ったか、久(しば)らくすると、部屋の障子がスッと開(あ)いた。振向いて見ると、思いがけずお糸さんが入口に蹲(うずく)まって、両手を突いて、先刻(さっき)の礼を又言ってお辞儀をする。私は何となく嬉しかった。お床を延べましょうかというから、敷(と)って呉れというと、例の通り戸棚から夜具を出す時、昨夜(ゆうべ)も今朝も手に掛けて知っている筈の枕皮(まくらがわ)の汚に始めて気が附いて、明日(あした)洗いましょうという。なに、洗濯屋に出すから好(い)いと言っても、此様(こん)な物を洗うのは雑作(ぞうさ)もないといって聴かなかった。私は又嬉しくなって、此様(こん)な事なら最(もっ)と早く敬意を表すれば好かったと思った。
 お糸さんは床を敷(と)って了うと、火鉢の側(そば)へ膝行(いざ)り寄って火を直しながら、
「本当(ほんと)に嘸(さぞ)御不自由でございましょうねえ、皆(みんな)気の附かない者ばかりの寄合(よりあい)なんですから。どうぞ何なりと御遠慮なく仰有(おっしゃ)って下さいまし。然う申しちゃ何ですけど、他(ほか)のお客様は随分ツケツケお小言を仰(おっ)しゃいますけど、一番さん(私の事だ)は御遠慮深くッて何にも仰(おっ)しゃらないから、ああいうお客様は余計気を附けて上げなきゃ不好(いけない)。本当(ほんと)にお客様が皆(みんな)一番さんのようだと、下宿屋も如何様(どんな)に助かるか知れないッてね、始終(しょっちゅう)下でもお噂を申して居(お)るンでございますよ……」
 無論半襟二掛の効能(ききめ)とは迂濶(うかつ)の私にも知れた。平生の私の主義から言えば、お糸さんは卑劣だと謂わなければならんのに、何故だか私は左程にも思わないで、唯お糸さんの媚(こ)びて呉れるのが嬉しかった。
 小女(ちび)がバタバタと駈けて来て、卒然(いきなり)障子をガラッと開けて、
「あの八番さんで、御用が済んだら、お糸さんに入らッしゃいッて。」
「何だい?」
 小女(ちび)が生意気になけ無しの鼻を指して、
「これ……」
「そう。」
 お糸さんは挨拶も□々(そこそこ)に私の部屋を出て行ったが、ツイ其処らで立止った様子で、
「今お帰り? 大変御緩(ごゆっく)りでしたね。」
 帰って来たのは隣の俗物らしく、其声で何だか言うと、又お糸さんの声で、
「あら、本当(ほんと)? 本当(ほんと)に買って来て下すったの? まあ、嬉しいこと! だから、貴方(あなた)は実(じつ)が有るッていうンだよ……」
 してみると、お糸さんに対(むか)って敬意を表するのは私ばかりでないと見える。

          五十六

 私がお糸さんに接近する目的は人生研究の為で、表面上性慾問題とは関係はなかった。が、お糸さんも活物(いきもの)、私も死んだ思想に捉われていたけれど、矢張(やっぱり)活物(いきもの)だ。活物(いきもの)同志が活きた世界で顔を合せれば、直ぐ其処に人生の諸要素が相轢(あいれき)してハズミという物を生ずる。即ち勢(いきおい)だ。此勢(いきおい)を制する人でなければ、人間一疋の通用が出来ぬけれど、私の様な斗□輩(やくざもの)になると、直ぐ其勢(いきお)いに制せられて了って、吾は吾の吾ではなくなって、勢(いきおい)の自由になる吾、勢(いきおい)の吾になって了う。困ったものだが、仕方がない。私は人生研究の為お糸さんに接近しようと思ったのだけれど、接近しようとすると、忽ち妙なハメになって、二番さんだの八番さんだのという番号附けになってる俗物共の競争圏内に不覚(つい)捲込(まきこ)まれて了った。又捲込(まきこ)まれざるを得ないのは、半襟二掛ばかりの効能(ききめ)じゃ三日と持たない。直(すぐ)消えて又元の木阿弥になる。二掛の半襟は惜しくはないが、もう斯うなると、勢(いきおい)に乗せられた吾が承知せぬ。憤然(やっき)となって二日二晩も考えた末、又一策を案じ出して、今度は昼のお糸さんの手隙(てすき)の時に、何とか好加減(いいかげん)な口実を設けて酒を命じた。酒を命ずればお糸さんが持って来る、お糸さんが持って来れば、些(ちっ)との間(ま)ならお酌もして呉れる、お糸さんのお酌で、酒を飲んで酔えば、私にだって些(ちっ)とは思う事も言えて打解(うちとけ)られる。思う事を言って打解(うちと)けて如何(どう)する気だったか、それは不分明だったけれども、兎に角打解(うちとけ)たかったので、酒を命じたら、果してお糸さんが来て呉れて、思う通りになった。
「じゃ、何ですね」、と未だ一本も明けぬ中(うち)から、私は真紅(まっか)になって、「貴女(あなた)は一杯喰わされたのだ。」
「大喰(おおく)わされ!」とお糸さんは烟管(きせる)を火鉢の角(かど)でポンと叩いて、「正可(まさか)女房子(にょうぼこ)の有る人た思いませんでしたもの。好加減(いいかげん)なチャラッポコを真(ま)に受けて、仙台くんだり迄引張り出されて、独身(ひとり)でない事が知れた時にゃ、如何様(どんな)に口惜(くや)しかったでしょう。寧(いっ)そ其時帰ッ了(ちま)や好かったんですけど、帰って来たって、家(うち)が有るンじゃ有りませんしさ、人の厄介(やっかい)になって苦労する位なら、日陰者でもまだ其方が勝(まし)かと思ったもんですからね、馬鹿さねえ、貴方(あなた)、言いなり次第になって半歳(はんとし)も然うして居たんですよ。そうすると、私(あたし)の事がいつかお神さんに知れて、死ぬの生(いき)るのという騒ぎが起ってみると、元々養子の事だから……」
「養子なんですか?」
「ええ、養子なんですとも。養子だから、ほら、私(あたし)を棄てなきゃ、看(み)す看(み)す何万という身台を棒に振らなきゃならんでしょう? ですから、出るの引くのと揉め返した挙句が、詰る所(とこ)私(あたし)はお金で如何(どう)にでもなると見括(みくび)ったんでしょう、人を入て別話(わかればなし)を持出したから、私(あたし)ゃもう踏んだり蹶(け)たりの目に逢わされて、口惜(くや)しくッて口惜しくッて、何だかもうカッと逆上(のぼ)せッ了(ちま)って、本当(ほんと)に一時(じ)は井戸川(いどかわ)へでも飛込ん了(じま)おうかと思いましたよ。」
「御尤(ごもっとも)です。」
「ですけど私(あたし)が死んじまや、幸手屋(さってや)の血統(ちすじ)は絶えるでしょう? それでは御先祖様にも、又ね、死んだ親達にも済まないと思って、無分別は出しませんでしたけど、余(あん)まり口惜(くや)しかったから、お金も出そうと言ったのを、そんなお金なんぞに目をくれるお糸さんじゃない何か言って、タンカを切ってね、一文(もん)も貰わずに、頭の物なんか売飛ばして、其を持って帰って来たは好かったけど、其代り今じゃスッテンテンで、髪結銭(かみゆいせん)も伯母さん済みませんがという始末ですのさ。余程(よっぽど)馬鹿ですわねえ。」
「いや。面白い気象だ。」
「ですから、私(あたし)は、貴方(あなた)の前ですけど、もうもう男は懲々(こりごり)。そりゃあね、稀(たま)には旦那のような優しい親切なお方も有りますけど、どうせ私(あたし)のような者(もん)の相手になる者ですもの、皆(みんな)其様(そん)な薄情な碌でなしばかしですわ。」
「いや、御尤(ごもっと)もです。」
「まあ、自分の勝手なお饒舌(しゃべり)ばかりしていて、お燗(かん)が全然(すっかり)冷(さ)め了(ちゃ)った。一寸(ちょっと)直して参りましょう。」
「御尤(ごもっと)もです……」

          五十七

 お糸さんがお燗(かん)を直しに起(た)った隙(ひま)に、爰(ここ)で一寸(ちょっと)国元の事情を吹聴(ふいちょう)して置く。甞て私が学校を除籍せられた時、父が学資の仕送りを絶ったのは、斯(こう)もしたら或は帰って来るかと思ったからだ。ところが、私が如何(どう)にか斯うにか取続(とりつづ)いて帰らなかったので、両親は独息子(ひとりむすこ)を玉(たま)なしにしたように歎いて、父の白髪(しらが)も其時分僅の間(あいだ)に滅切(めっき)り殖(ふ)えたと云う。伯父が見兼ねて、態々(わざわざ)上京して、もう小説家になるなとは言わぬ、唯是非一度帰省して両親の心を安めろと懇(ねんごろ)に諭(さと)して呉れた。そう言われて見ると、夫(それ)でもとも言兼ねて、私は其時伯父に連れられて久振で帰省したが、父の面(かお)を見るより、心配を掛けた詫をする所(どころ)か、卒然(いきなり)先ず文学の貴(たっと)い所以(ゆえん)を説いて聴かせて、私は堕落したのじゃない、文学に於て向上の一路を看出(みいだ)したのだ、堕落なんぞと思われては心外だと喰って懸ると、気の練れた父は敢て逆(さから)わずに、昔者(むかしもの)の己(おれ)には然ういう六(むず)かしい事は分らぬから、己(おれ)はもう何にも言わぬ、お前の思う通りにしろだが、東京へ出てから二年許りの間(あいだ)に遣(つか)った金は、地所を抵当に入れて借りた金だ。己(おれ)は無学で働きがないから、己(おれ)の手では到底(とて)も返せない。何とかしてお前の手で償却の道を立(たて)て呉れ。之を償却せん時には、先祖の遺産を人手に渡さねばならぬ。それではどうもお位牌に対しても済まぬから、己(おれ)は始終(しょっちゅう)其が苦になっての……と眼を瞬(しばだた)かれた時には、私も妙な心持がした。で、何にも当(あて)はなかったけれど、其式(それしき)の負債は直(じ)き償却して見せるように広言を吐き、月々なし崩しの金額をも極(き)めて再び出京したが、出京して見ると、物価騰貴に付き下宿料は上る、小遣も余計に入(い)る、負債償却の約束は不知(つい)空約束になって了った。その稍(やや)実行の緒(しょ)に就いたのは当り作が出来てからで、夫(それ)からは原稿料の手に入(い)る度に多少の送金はしていたけれど、夫とても残らず負債の方へ入れて了うので、少しも家計の足しにはならなかった。父は疾(と)うに県庁の方も罷(や)められて、其後(そのご)一寸(ちょっと)学校の事務員のような事もしていたが、それも直き又罷(や)められて全く収入の道が絶えたので、父も母も近頃は心細さの余り、遂に内職に観世撚(かんぜより)を撚(よ)り出したと云う。私は其頃新進作家で多少売出した頃だったから、急に気が大きくなり、それに天性の見栄坊(みえぼう)も手伝って、矢張(やっぱり)某大家のように、仮令(たとい)襟垢(えりあか)の附いた物にもせよ、兎に角羽織も着物も対(つい)の飛白(かすり)の銘仙物で、縮緬(ちりめん)の兵児帯(へこおび)をグルグル巻にし、左程(さほど)悪くもない眼に金縁眼鏡(きんぶちめがね)を掛け、原稿料を手に入れた時だけ、急に下宿の飯を不味(まず)がって、晩飯には近所の西洋料理店(レストーラント)へ行き、髭の先に麦酒(ビヤー)の泡を着けて、万丈の気□(きえん)を吐いていたのだから、両親が内職に観世撚(かんぜより)を撚(よ)るという手紙を覧(み)た時には、又一寸(ちょっと)妙な心持がした。若し此事が夫(か)の六号活字子(ごうかつじし)の耳に入って、雪江(せっこう)の親達は観世撚(かんぜより)を撚(よ)ってるそうだ、一寸(ちょっと)珍(ちん)だね、なぞと素破抜(すっぱぬ)かれては余り名誉でないと、名誉心も手伝って、急に始末気(しまつぎ)を出し、夫(それ)からは原稿料が手に入(い)ると、直ぐ多少余分の送金もして、他(ほか)の物を撚(よ)っても、観世撚(かんぜより)だけは撚(よ)って呉れるなと言って遣(や)った。
 で、此時もつい二三日前(ぜん)に聊(いささ)かばかり原稿料が入った。先月は都合が悪くて送金しなかったから、責(せめ)て此内十円だけは送ろうと、紙入の奥に別に紙に包んで入れて置いたのが、お糸さんの事や何や角(か)やに取紛(とりまぎ)れてまだ其儘になっている。それをお糸さんの身上話を聴くと、ふと想い出して、国への送金は此次に延期し、寧(いっ)そ之をお糸さんに呈して又敬意を表そうかと思った。が、何だか其では聊(いささ)か相済まぬような気もして何となく躊躇(ちゅうちょ)せられる一方で、矢張(やっぱり)何だか切(しきり)に……こう……敬意を表したくて耐(たま)らない。で、お糸さんが軈(やが)てお燗(かん)を直して持って来て、さ、旦那、お熱い所を、と徳利(とくり)の口を向けた時だった、私は到頭耐(たま)らなくなって、しかし何故だか節倹して、十円の半額金五円也を呈して、不覚(つい)又敬意を表して了った。

          五十八

 お糸さんに敬意を表して見ると、もう半端(はんぱ)になったから、国への送金は見合せていると、母から催促の手紙が来た。其中(そのうち)に何だか父の加減が悪くて医者に掛っているとかで、物入が多くて困るとかいうような事も書いてあったが、例の愚痴(ぐち)だと思って、其内に都合して送ると返事を出して置いた。其時は真(しん)に其積りで強(あなが)ち気休めではなかったのだが、彼此(かれこれ)取紛(とりまぎ)れて不覚(つい)其儘になっている一方では、五円の金は半襟二掛より効能(ききめ)があって、夫(それ)以来お糸さんが非常に優待して呉れるが嬉しい。追々馴染(なじみ)も重なって常談(じょうだん)の一つも言うようになる。もう少しで如何(どう)にかなりそうに思えるけれど、何時迄(いつまで)経(た)っても如何(どう)にもならんので、少し焦(じ)れ出して、又欲しそうな物を買って遣(や)ったり、連出(つれだ)して甘(うま)い物を食べさせたり、種々(いろいろ)してみたが、矢張(やっぱり)同じ事で手が出せない。お糸さんという人は滅多に手を出せば、屹度(きっと)甚(ひど)い恥を掻かすけれど、一度手に入れたら、命懸けになる女だと、何故だか私は独りで極(き)めていたから、危険(けんのん)で手が出せなかったが、傍(はた)から観れば、もう余程妙に見えたと見えて、他(た)の客はワイワイいって騒ぐ。下女迄が私の部屋を覗込んでお糸さんが見えないと、奥様(おくさん)は、なぞといって調戯(からか)うようになる。こうなると、お神さんも目に余って、或時何だか厭な事をお糸さんに言ったとかで、お糸さんが憤(おこ)っていた事もある。私は何だか面白いような焦心(じれっ)たいような妙な心持がする。それで夢中になって金ばかり遣(つか)っていたから、一度申訳に聊(いささ)かばかり送金した限(ぎり)で、不覚(つい)国へは無沙汰になっている中(うち)に、父の病気が矢張(やっぱり)好くないとて母からは又送金を求めて来る。遂に伯父からも注意が来た。其時だけは私も少し気が附いて、急いで、書掛けた小説を書上げて若干(なにがし)かの原稿料を受取ったから、明日(あす)は早速送金しようと思っていた晩に、お糸さんが切(しき)りに新富座(しんとみざ)の当り狂言の噂(うわさ)をして観たそうな事を言う。と、私も何だか観せてやり度(たく)なって、芝居だって観ように由っては幾何(いくら)掛るもんかと、不覚(つい)口を滑らせると、お糸さんが例(いつ)になく大層喜んだ。お糸さんは何を貰っても、澄して礼を言って、其場では左程嬉しそうな面(かお)もせぬ女だったが、此時ばかりは余程嬉しかったと見えて、大層喜んだ。
 もう後悔しても取反(とりかえ)しが附かなくなって、止(や)むことを得ず好加減(いいかげん)な口実を設けて別々に内を出て、新富座を見物した其夜(そのよ)の事。お糸さんを一足先へ還(かえ)し、私一人後(あと)から漫然(ぶらり)と下宿へ帰ったのは、夜(よ)の彼此(かれこれ)十二時近くであったろう。もう雨戸を引寄せて、入口の大(おお)ランプも消してあった。跡仕舞(あとじまい)をしているお竹が睡(ねむ)たそうな声でお帰ンなさいと言ったが、お糸さんの姿は見えなかった。
 部屋へ来てみると、ランプを細くして既(も)う床も敷(と)ってある。私は桝(ます)でお糸さんと膝を列べている時から、妙に気が燥(いら)って、今夜こそは日頃の望をと、芝居も碌に身に染(し)みなかった。時々ふと気が変って、此様(こん)な女に関係しては結果が面白くあるまいと危ぶむ。其側(そのそば)から直ぐ又今夜こそは是が非でもという気になる。で、今我部屋へ来て床の敷(と)ってあるのを見ると、もう気も坐(そぞ)ろになって、余(よ)の事なぞは考えられん。今にも屹度(きっと)来るに違いない、来たら……と其事ばかりを考えながら、急いで寝衣(ねまき)に着易(きか)えて床へ入ろうとして、ふと机の上を見ると、手紙が載せてある。手に取って見ると、国からの手紙だ。心は狂っていても、流石(さすが)に父の事は気になるから、手早く封を切って読むと、まず驚いた。

          五十九

 此手紙で見ると、大した事ではないと思っていた父の病気は其後(そのご)甚だ宜しくない。まだ医者が見放したのでは無いけれど、自分は最う到底(とて)も直らぬと覚悟して、切(しき)りに私に会いたがっているそうだ。此手紙御覧次第直様(すぐさま)御帰国待入(まちいり)申候(もうしそろ)と母の手で狼狽(うろた)えた文体(ぶんてい)だ。
 私は孝行だの何だのという事を、道学先生の世迷言(よまいごと)のように思って、鼻で遇(あし)らっていた男だが、不思議な事には、此時此手紙を読んで吃驚(びっくり)すると同時に、今夜こそはと奮(いき)り立っていた気が忽ち萎(な)えて、父母(ちちはは)が切(しき)りに懐かしく、何だか泣きたいような気持になって、儘になるなら直(すぐ)にも発(た)ちたかったが、こうなると当惑するのは、今日の観劇の費用が思ったよりも嵩(かさ)んで、元より幾何(いくばく)もなかった懐中が甚だ軽くなっている事だ。父が病気に掛ってから、度々送金を迫られても、不覚(つい)怠(おこた)っていたのだから、家(うち)の都合も嘸(さ)ぞ悪かろう。今度こそは多少の金を持って帰らんでは、如何(いか)に親子の間でも、母に対しても面目(めんぼく)ない。といって、お糸さんに迷ってから、散々無理を仕尽した今日此頃、もう一文(もん)の融通(ゆうずう)の余地もなく、又余裕もない。明日(あす)の朝二番か三番で是非発(た)たなきゃならんがと、当惑の眼(まなこ)を閉じて床の中で凝(じっ)と考えていると、スウと音を偸(ぬす)んで障子を明ける者が有るから、眼を開(あ)いて見ると、先刻(さっき)迄待憧(まちこが)れて今は忘れているお糸さんだ。窃(そっ)と覗込んで、小声で、「もうお休みなすったの?」といいながら、中へ入って又窃(そっ)と跡を閉(し)めたのは、十二時過で遠慮するのだったかも知れぬが、私は一寸(ちょっと)妙に思った。
「どうも有難うございました」、とのめるように私の床の側(そば)に坐りながら、「好かったわねえ」、と私と顔を看合わせて微笑(にッこり)した。
 今日は風呂日だから、帰ってから湯へ入ったと見えて、目立たぬ程に薄(うッす)りと化粧(けわ)っている。寝衣(ねまき)か何か、袷(あわせ)に白地(しろじ)の浴衣(ゆかた)を襲(かさ)ねたのを着て、扱(しごき)をグルグル巻にし、上に不断の羽織をはおっている秩序(しどけ)ない姿も艶(なま)めかしくて、此人には調和(うつり)が好(い)い。
「一本頂戴よ」、といいながら、枕元の机の上の巻烟草(まきたばこ)を取ろうとして、袂(たもと)を啣(くわ)えて及腰(およびごし)に手を伸ばす時、仰向(あおむ)きに臥(ね)ている私の眼の前に、雪を欺(あざむ)く二の腕が近々と見えて、懐かしい女の香(か)が芬(ぷん)とする。
「何だかまだ芝居に居るような気がして相済まないけど」、とお糸さんが煙草(たばこ)を吸付けてフウと烟(けむり)を吹きながら、「伯母さんの小言が台詞(せりふ)に聞えたり何かして、如何(どん)なに可笑(おか)しいでしょう」、と微笑(にッこり)した所は、美しいというよりは、仇ッぽくて、男殺しというのは斯ういう人を謂うのかと思われた。
 一つ二つ芝居の話をしていると、下のボンボン時計が肝癪(かんしゃく)を起したようにジリジリボンという。一時だ、一時を打っても、お糸さんは一向平気で咽喉(のど)が乾(かわ)くとかいって、私の湯呑で白湯(さゆ)を飲んだり何かして落着いている所は、何だか私が如何(どう)かするのを待ってるようにも思われる。と、母の手紙で一時(じ)萎(な)えた気が又振起(ふるいおこ)って、今朝からの今夜こそは即ち今が其時だと思うと、漫心(そぞろごころ)になって、「泊ってかないか?」と私が常談(じょうだん)らしくいうと、「そうですねえ。家(うち)が遠方だから泊ってきましょうか」と、お糸さんも矢張(やっぱり)常談(じょうだん)らしく言ったけれど、もう読めた。卒然(いきなり)手を執(と)って引寄せると、お糸さんは引寄(ひきよせ)られる儘に、私の着ている夜着の上に凭(もた)れ懸って、「如何(どう)するのさ?」と、私の面(かお)を見て笑っている……其時思い掛けず「親が大病だのに……」という事が、鳥影(とりかげ)のように私の頭を掠(かす)めると、急に何とも言えぬ厭な心持になって、私は胸の痛むように顔を顰(ひそ)めたけれど、影になって居たから分らなかったのだろう、お糸さんは執(と)られた手を窃(そっ)と離して、「貴方(あなた)は今夜は余程(よっぽど)如何(どう)かしてらッしゃるよ」と笑っていたが、私が何時迄経(いつまでた)っても眼を瞑(ねむ)っているので、「本当(ほんと)にお眠いのにお邪魔ですわねえ。どれ、もう行って寐ましょう。お休みなさいまし」と、会釈して起上(たちあが)った様子で、「灯火(あかり)を消してきますよ」という声と共に、ふッと火を吹く息の音がした。と、何物か私の面(かお)の上に覆(かぶ)さったようで、暖かな息が微かに頬に触れ、「憎らしいよ!」と笑を含んだ小声が耳元でするより早く、夜着の上に投出していた二の腕を痛(したた)か抓(つね)られた時、私はクラクラとして前後を忘れ、人間の道義畢竟(ひっきょう)何物ぞと、嗚呼(ああ)父は大病で死にかかって居たのに……

          六十

 翌朝(あくるあさ)は夙(はや)く発(た)つ積(つもり)だったが、発(た)てなくなった。尾籠(びろう)な事には自(おのずか)ら尾籠(びろう)な法則が有るから、既に一種の関係が成立った以上は、女に多少の手当をして行(い)かなきゃならん――と、さ、私は思わざるを得なかった。見栄坊(みえぼう)だから、金が無くても金の有る風をして、紙入を叩いて遣(や)って了うと、もう汽車賃も残らない。なに、父はまだ危篤というのじゃなし、一時間や二時間発(た)つのが後れたって仔細は無かろうと、自分で勝手な理窟を附けて、女には内々で朝から金策に歩いたが、出来なかった。昼前に一寸(ちょっと)下宿へ帰ると、留守に国から電報が着いていた。胸を轟かして、狼狽(あわ)てて封を切って見ると、「父危篤直(すぐ)戻れ」だ。之を読むと私はわなわなと震え出した。卒然(いきなり)下宿を飛出して、血眼(ちまなこ)になって奔走して、辛(かろ)うじて聊(いささ)かの金を手に入れたから、下宿へも帰らず、其足で直ぐ東京を発(た)って、汽車の幾時間を藻掻(もが)き通して、国へ着いたのは其晩八時頃であった。
 停車場(ステーション)で車を□(やと)って家(うち)へ急ぐ途中も、何だか気が燥(いら)って、何事も落着いて考えられなかったが、片々(きれぎれ)の思想が頭の中で狂い廻(まわ)る中でも、唯息のある中(うち)に一目父に逢いたい逢いたいと其ばかりを祈っていた。時々ふッと既(も)う駄目だろうと思うと、錐(きり)でも刺されたように、急に胸がキリキリと痛む。何とも言えず苦しい。馴染(なじみ)の町々を通っても、何処を如何(どう)車が走るのか分らない。唯車上で身を揉んで、無暗(むやみ)に車夫を急立(せきた)てた。車夫が何だか腹を立てて言ったが、何を言っているのか、分らない。唯無暗(むやみ)に急立(せきた)てるばかりだ。
 漸くの想(おもい)で家(うち)へ着くと、狼狽(あわ)てて車を飛降りて、車賃も払ったか、払わなかったか、卒然(いきなり)門内へ駆込んで格子戸を引明けると、パッと灯火(あかり)が射して、其光の中(うち)に人影がチラチラと見え、家内(うち)は何だか取込んでいて話声が譟然(がやがや)と聞える中で、誰だか作さん――私の名だ――作さんが着いた、作さんが、と喚(わめ)く。何処からか母が駈出して来たから、私が卒然(いきなり)、「阿父(おとっ)さんは? ……」と如何(どう)やら人の声のような皺嗄声(しゃがれごえ)で聞くと、母は妙な面(かお)をしたが、「到頭不好(いけなか)ったよ……」というより早く泣き出した。私はハッと思うと、気が遠くなって、茫然として母が袖を顔に当(あて)て泣くのを視ていたが、ふと何だか胸が一杯になって泣こうとしたら、「まあ、彼方(あッち)へお出でなさい」、と誰だか袖を引張るから、見ると従弟(いとこ)だ。何処へ何しに行(い)くのだか、分っているような、分っていないような、変な塩梅(あんばい)だったが、私は何だか分ってる積(つもり)で、従弟(いとこ)の跟(あと)に従(つ)いて行くと、人が大勢車座になっている明かるい座敷へ来た。と、急に私は何か母に聞きたい事が有るのを忘れていたような気持がして、母は如何(どう)したろうと後(うしろ)を振向く途端に、「おお作か」、という声が俄(にわか)に寂然(しん)となった座敷の中(うち)に聞えたから、又此方(こッち)を振向くと、其処に伯父が居るようだ。夫から私は其処へ坐って、何でも漫(やたら)に其処に居る人達に辞儀をしたようだったが、其中(そのうち)に如何(どう)いう訳だったか、伯父の側(そば)へ行く事になって、側(そば)へ行くと、伯父が「阿父(おとっ)さんも到頭此様(こんな)になられた」、といいながら、側(そば)に臥(ね)ている人の面(かお)に掛けた白い物を取除(とりの)けたから、見ると、臥(ね)て居る人は父で、何だか目を瞑(ねむ)っている。私は其面(そのかお)を凝(じっ)と視ていた。すると、何時(いつ)の間にか母が側(そば)へ来ていて、泣声で、「息を引取る迄ね、お前に逢いたがりなすってね……」というのが聞えた。私はふッと目が覚めた、目が覚めたような心持がした。ああ、父は死んでいる……つい其処に死んでいる……骨と皮ばかりの痩果てた其死顔がつい目の前に見える。之を見ると、私は卒然として、「ああ済(すま)なかった……」と思った。此刹那に理窟はない、非凡も、平凡も、何もない。文士という肩書の無い白地(しろじ)の尋常(ただ)の人間に戻り、ああ、済(すま)なかった、という一念になり、我を忘れ、世間を忘れて、私は……私は遂に泣いた……

          六十一

 後で段々聞いて見ると、父は殆ど碌な療養もせずに死んだのだ。事情を知らん人は寿命だから仕方がないと言って慰めて呉れたけれど、私には如何(どう)しても然う思えなかった。全く私の不心得で、まだ三年や四年は生延びられる所をむざむざ殺して了ったように思われてならなかったから、深く年来(としごろ)の不孝を悔いて、責(せめ)て跡に残った母だけには最う苦労を掛けたくないと思い、父の葬式を済せてから、母を奉じて上京して、東京で一戸(こ)を成した。もう斯う心機が一転しては、彼様(あん)な女に関係している気も無くなったから、女とは金で手を切って了った。其時女の素性も始めて知ったが、当人の言う所は皆虚構(でたらめ)だった。しかし其様(そん)な事を爰(ここ)で言う必要もない。止(や)めて置く。
 で、生来始て稍(やや)真面目になって再び筆硯に親しもうとしたが、もう小説も何だか馬鹿らしくて些(ちっ)とも書けない。泰西(たいせい)の名家の作を読んで見ても、矢張(やっぱり)馬鹿らしい。此様(こん)な心持で碌な物が出来る筈もないから、評判も段々落ちる、生活も困難になって来る。もう私もシュン外(はず)れだ。此処らが思切り時だろうと思って、或年意を決して文壇を去って、人の周旋で今の役所へ勤めるようになったが、其後(そのご)母の希望を容(い)れて、妻(さい)を迎え、子を生ませると、間もなく母も父の跡を追って彼世(あのよ)へ逝(い)った。
 これが私の今日迄(こんにちまで)の経歴だ。
 つくづく考えて見ると、夢のような一生だった。私は元来実感の人で、始終実感で心を苛(いじ)めていないと空疎になる男だ。実感で試験をせんと自分の性質すら能(よ)く分らぬ男だ。それだのに早くから文学に陥(はま)って始終空想の中(うち)に漬(つか)っていたから、人間がふやけて、秩序(だらし)がなくなって、真面目になれなかったのだ。今稍(やや)真面目になれ得たと思うのは、全く父の死んだ時に経験した痛切な実感のお庇(かげ)で、即ち亡父の賜(たまもの)だと思う。彼(あの)実感を経験しなかったら、私は何処迄だらけて行ったか、分らない。
 文学は一体如何(どう)いう物だか、私には分らない。人の噂で聞くと、どうやら空想を性命とするもののように思われる。文学上の作品に現われる自然や人生は、仮令(たと)えば作家が直接に人生に触れ自然に触れて実感し得た所にもせよ、空想で之を再現させるからは、本物でない。写し得て真に逼(せま)っても、本物でない。本物の影で、空想の分子を含む。之に接して得(う)る所の感じには何処にか遊びがある、即ち文学上の作品にはどうしても遊戯分子(ゆうげぶんし)を含む。現実の人生や自然に接したような切実な感じの得られんのは当然(あたりまえ)だ。私が始終斯ういう感じにばかり漬(つか)っていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざが愈(いと)どやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子も□(そこな)われる。況(いわ)んやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今(ここん)の文壇のヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
(終)
二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。




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