平凡
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著者名:二葉亭四迷 

 斯うして友人と喧嘩迄して見れば、意地としても最う「遊」ばれない。で、不本意ながら謹直家(きんちょくか)になって、而(そう)して何ともえたいの知れぬ、謂(いわ)れのない煩悶に囚(とら)われていた。

          四十二

 ああ、今日は又頭がふらふらする。此様(こん)な日にゃ碌な物は書けまいが、一日抜くも残念だ。向鉢巻(むこうはちまき)でやッつけろ!
 で、私は性慾の満足を求めても得られなかったので、煩悶していた。何となく世の中が悲観されてならん。友人等は「遊」ぶ時には大(おおい)に「遊」んで、勉強する時には大(おおい)に勉強して、何の苦もなく、面白そうに、元気よく日を送っている。それを観ていると、私は癪(しゃく)に触って耐(たま)らない。私の煩悶して苦むのは何となく友人等の所為(せい)のように思われる。で、責めてもの腹慰(はらい)せに、薄志の弱行のと口を極めて友人等の公然の堕落を罵(ののし)って、而(そう)して私は独り超然として、内々(ないない)で堕落していた。若し友人等の堕落が陽性なら、私の堕落は陰性だった。友人等の堕落が露骨で、率直で、男らしいなら、私の堕落は……ああ、何と言おう? 人間の言葉で言いようがない。私は畜生(ちくしょう)だった……
 が、こっそり一人で堕落するのは余り没趣味で、どうも夫(それ)では趣味性が満足せぬ。どうも矢張(やっぱり)異性の相手が欲しい。が、其相手は一寸(ちょっと)得られぬので、止むを得ず当分文学で其不足を補っていた。文学ならば人聴(ひとぎき)も好(い)い。これなら左程銭(ぜに)も入(い)らぬ。私は文学を女の代りにして、文学を以って堕落を潤色(じゅんしょく)していたのだ。
 私の謂う文学は無論美文学の事だ、殊に小説だ。小説は一体如何(どう)いうものだか、知らん、唯私の眼に映ずる小説は人間の堕落を潤色(じゅんしょく)するものだ。通人の話に、道楽の初は唯色(いろ)を漁(ぎょ)する、膏肓(こうこう)に入(い)ると、段々贅沢になって、唯色(いろ)を漁(ぎょ)するのでは面白くなくなる、惚れたとか腫(は)れたとか、情合(じょうあい)で異性と絡(から)んで、唯の漁色(ぎょしょく)に趣(おもむき)を添えたくなると云う。其処だ、其処が即ち文学の需要の起る所以(ゆえん)だ。少くも私は然うであった。で、此目的で、最初は小狐(おぎつね)に居た頃喰付いた人情本を引続き耽読(たんどく)してみたが、数を累(かさ)ねると、段々贅沢になって、もう人情本も鼻に附く。同じ性慾の発展の描写でも、も少し趣味のある描写を味わってみたい。そこで、種々(いろいろ)と小説本を渉猟(しょうりょう)して、終(つい)に当代の大家の作に及んで見ると、流石(さすが)は明治の小説家だ、性慾の発展の描写が巧(たくみ)に人生観などで潤色(じゅんしょく)されてあって、趣味がある、面白い。斯ういう順序で私の想像で堕落する病(やまい)は益(ますます)膏肓(こうこう)に入(い)って、終(つい)には西洋へ迄手を出して、ヂッケンスだ、サッカレーだ、ゾラだ、ユゴーだ、ツルゲーネフだ、トルストイだ、という人達の手を藉(か)りて、人並にしていれば、中性のインヂフェレントの性慾を無理に不自然な病的の物にして、クラフトエービングやフォレールの著書中に散見するような色情狂に想像で成済(なりす)まして、而(そう)して独り高尚がっていた。
 いや、独り高尚がっていたのでない。それには同気相求めて友が幾人(いくたり)も出来た。同県人で予備門から後(のち)文科へ入(い)った男が有ったが、私は殊に其感化を受けた。ああ、皆自分が悪かったので、人を怨んでは済まないが、私は今でも此男に逢うと、何とも言えぬ厭な心持になる。儘になるなら刺違(さしちが)えて死で了いたく思う事もある。

          四十三

 私が感化を受けた友というのは私より一つ二つ年上であった。文学が専門だから、文学書は私より余計読でいたという丈で、何でもない事だが、それを私は大層偉いように思っていた。まだファウストを読まぬ時、ファウストの話を聴(きか)される。なに、友は愚にも附(つか)ん事を言っているのだが、其愚にも附かん事を、人生だ、智慾だ、煩悶だ、肉だ、堕落だ、解脱(げだつ)だ、というような意味の有り気な言葉で勿体を附て話されると、何だか難有(ありがた)くなって来て、之を語る友は偉いと思った。こんな馬鹿気た話はない。友は唯私より少し早くファウストという古本(ふるほん)を読(よん)だ丈の事だ。読んで分った所で、ファウストが何程(どれほど)の物だ? 技巧の妙を除いたら、果してどれ程の価値がある? 況(いわん)や友はあやふやな語学の力で分らん処を飛ばし飛ばし読んだのだ。読んで幼稚な頭で面白いと感じた丈だ、それも聞怯(ききおじ)して、従頭(てんから)面白いに極(き)めて掛って、半分は雷同で面白いと感じた丈だ。読んで十分に味わい得た所で、どうせ人間の作った物だ、左程の物でもあるまいに、それを此様(こん)な読方をして、難有(ありがた)がって、偶(たまたま)之を読まぬ者を何程(どれほど)劣等の人間かのように見下(みくだ)し、得意になって語る友も友なら、其を聴いて敬服する私も私だ。心ある人から観たら、嘸(さ)ぞ苦々しく思われたろう。
 此友から私は文学の難有(ありがた)い訳を種々(いろいろ)と説き聴かされた。今ではもう大抵忘れて了ったけれど、何でも文学は真理に新しい形を賦(ふ)して其生命を直接に具体的に再現するものだ、とか聴かされて、感服した。自然の真相は普通人に分らぬ、詩人が其主観を透(とお)して描いて示すに及んで、始めて普通人にも朧気(おぼろげ)に分って人間の宝となる、とか聴かされて、又感服した。恋には人間の真髄が動く、とか聴かされて、又感服した。其他(そのた)まだ種々(いろいろ)聴かされて一々感服したが、此様(こん)な事は皆愚言(たわごと)だ、世迷言(よまいごと)だ。空想に生命を託して人生を傍観するばかりで、古本と首引(くびぴき)して瞑想するばかりで、人生に生命を託して人生と共に浮沈上下(ふちんじょうか)せんでも、人生の活機に触れんでも、活眼を以て活勢を機微の間(あいだ)に察し得んでも、如何(どう)かして人生が分るものとしても、友のいうような其様(そん)な文学は、何処かで誰かが空想した文学で、文学の実際でない。文学の実際は人間の堕落を潤色(じゅんしょく)して、懦弱(だじゃく)な人間を更に懦弱(だじゃく)にするばかりだ。私の観方(みかた)は偏しているというか? 唯弊(へい)を見て利を見ぬというか? しかし利よりも弊(へい)の勝ったのが即ち文学の実際ではないか? 私の観方(みかた)より文学の実際が既に弊(へい)に偏しているではないか?
 ああ、しかし、文学を責めるより、友を責めるより、自ら責めた方が当っていよう。私のような斗□(やくざ)な者は、例えば聖賢の遺書を読んでも、矢張(やっぱり)害を受けるかも知れん。私は自然だ人生だと口には言っていたけれど、唯書物で其様(そん)な言葉を覚えただけで、意味が能(よ)く分っているのではなかった。意味も分らぬ言葉を弄(もてあそ)んで、いや、言葉に弄(もてあそ)ばれて、可惜(あたら)浮世を夢にして渡った。詩人と名が附きゃ、皆普通の人より勝(まさ)ってるように思っていた。小説、殊に輸入小説には人生の真相が活字の面(おもて)に浮いているように思っていた。西洋の詩人は皆東洋の詩人に勝るように思っていた。作の新旧を論じて其価値を定めていた。自分は此様(こん)な下らん真似をしていながら、他(た)の額に汗して着実の浮世を渡る人達が偶(たまたま)文壇の事情に通ぜぬと、直ぐ俗物と罵(ののし)り、俗衆と罵(ののし)って、独り自(みずか)ら高しとしていた。独り自ら高しとする一方で、想像で姦淫して、一人で堕落していた。
 ああ、恥かしくて顔が熱(ほて)る。何たる苦々しい事であった。私は当時の事を想い出(いだ)す度(たび)に、人通りの多い十字街(よつつじ)に土下座して、通る人毎に、踏んで、蹴て、唾を吐懸けて貰い度(たい)ような心持になる……

          四十四

 文学の毒に中(あて)られた者は必ず終(つい)に自分も指を文学に染めねば止まぬ。私達が即ち然うであった。先ず友が何か下らぬ物を書いて私に誇示(ひけらか)した。すると私も直ぐ卑(さも)しい負ぬ気を出して短篇を書いた。どうせ碌な物ではない。筋はもう忘れて了ったが、何でも自分を主人公にして、雪江さんが相手の女主人公(じょしゅじんこう)で、紛紜(ごたごた)した挙句に幾度(いくたび)となく姦淫するのを、あやふやな理想や人生観で紛(まぎ)らかして、高尚めかしてすじり捩(もじ)った物であったように記憶する。自惚(うぬぼれ)は天性だから、書上げると、先ず自分と自分に満足して、これなら当代の老大家の作に比しても左(さ)して遜色(そんしょく)は有るまい、友に示(み)せたら必ず驚くと思って、示(み)せたら、友は驚かなかった。好(い)い処もあるが、もう一息だと言う様なことをいう。私は非常に不平だった。が、局量の狭い者に限って、人の美を成すを喜ばぬ。人を褒(ほめ)れば自分の器量が下るとでも思うのか、人の為(し)た事には必ず非難(けち)を附けたがる、非難(けち)を附けてその非難(けち)を附けたのに必ず感服させたがる。友には其癖があったから、私は友の評を一概に其癖の言わせる事にして了って、実に卑劣な奴だと思った。
 何とかして友に鼻を明(あか)させて遣(や)りたい。それには此短篇を何処かの雑誌へ載せるに限ると思った。雑誌へ載せれば、私の名も世に出る、万一(ひょっと)したら金も獲(え)られる、一挙両得だというような、愚劣な者の常として、何事も自分に都合の好(い)い様にばかり考えるから、其様(そん)な虫の好(い)い事を思って、友には内々(ないない)で種々(いろいろ)と奔走して見たが、如何(どう)しても文学の雑誌に手蔓(てづる)がない。其中(そのうち)に或人が其は既に文壇で名を成した誰(たれ)かに知己(ちかづき)になって、其人の手を経て持込むが好(い)いと教えて呉れたので、成程と思って、早速手蔓(てづる)を求めて某大家の門を叩いた。
 某大家は其頃評判の小説家であったから、立派な邸宅を構えていようとも思わなかったが、定めて瀟洒(しょうしゃ)な家(うち)に住って閑雅な生活をしているだろうと思って、根岸(ねぎし)の其宅を尋ねて見ると、案外見すぼらしい家(うち)で、文壇で有名な大家のこれが住居(すまい)とは如何(どう)しても思われなかった。家(うち)も見窄(みすぼ)らしかったが、主人も襟垢(えりあか)の附た、近く寄ったら悪臭(わるぐさ)い匂(におい)が紛(ぷん)としそうな、銘仙(めいせん)か何かの衣服(きもの)で、銀縁眼鏡(ぎんぶちめがね)で、汚い髯(ひげ)の処斑(ところまだら)に生えた、土気色をした、一寸(ちょっと)見れば病人のような、陰気な、くすんだ人で、ねちねちとした弁で、面(かお)を看合(みあわ)せると急いで俯向(うつむ)いて了う癖がある。通されたのは二階の六畳の書斎であったが、庭を瞰下(みおろ)すと、庭には樹から樹へ紐(ひも)を渡して襁褓(おしめ)が幕のように列べて乾(ほ)してあって、下座敷(したざしき)で赤児(あかご)のピイピイ泣く声が手に取るように聞える。
 私は甚(ひど)く軽蔑の念を起した。殊に庭の襁褓(おしめ)が主人の人格を七分方下げるように思ったが、求むる所があって来たのだから、質樸な風をして、誰(たれ)も言うような世辞を交(ま)ぜて、此人の近作を読んで非常に敬服して教えを乞いに来たようにいうと、先生畳を凝(じっ)と視詰(みつ)めて、あれは咄嗟(とっさ)の作で、書懸(かきかけ)ると親類に不幸が有ったものだから、とかいうような申訳めいた事を言って、言外に、落着いて書いたら、という余意を含める。私は腹の中で下らん奴だと思ったが、感服した顔をして媚(こ)びたような事を言うと、先生万更(まんざら)厭な心持もせぬと見えて、稍(やや)調子付いて来て、夫から種々(いろいろ)文学上の事に就いて話して呉れた。流石(さすが)は大家と謂われる人程あって、驚くべき博覧で、而も一家の見識を十分に具えていて、ムッツリした人と思いの外、話が面白い。後進の私達は何(ど)の点に於ても敬服しなければならん筈であるが、それでも私は尚お軽蔑の念を去る事が出来なかった。で、終局(しまい)に只ほんの看(み)て貰えば好(い)いように言って、雑誌へ周旋を頼む事は噫(おくび)にも出さないで、持って行った短篇を置いて、下宿へ帰って来てから、又下らん奴だと思った。

          四十五

 某大家は兎に角大家だ。私は青二才だ。何故私は此人を軽蔑したのか? 襟垢(えりあか)の附いた着物を着ていたとて、庭に襁褓(むつき)が乾(ほ)してあったとて、平生(へいぜい)名利(めいり)の外(ほか)に超然たるを高しとする私の眼中に、貧富の差は無い筈である。が、私は実際先生の貧乏臭いのを看て、軽蔑の念を起したのだ。矛盾だ。矛盾ではあるが、矛盾が私の一生だ。
 医者の不養生という。平生思想を性命として、思想に役せられている人に限って、思想が薄弱で正可(まさか)の時の用に立たない。私の思想が矢張(やっぱ)り其だった。
 けれど、思想々々と大層らしく言うけれど、私の思想が一体何んだ? 大抵は平生親しむ書巻の中(うち)から拾って来た、謂わば古手の思想だ。此蒼褪(あおざ)めた生気のない古手の思想が、意識の表面で凝(こ)って髣髴(ほうふつ)として別天地を拓いている処を見ると、理想だ、人生観だというような種々の観念が美しい空想の色彩を帯びて其中(そのうち)に浮游していて、腹が減(す)いた、銭が欲しいという現実界に比べれば、□(はるか)に美しいように見える。浮気な不真面目な私は直ぐ好(い)い処を看附けたという気になって、此別天地へ入り込んで、其処から現実界を眺めて罵しっていたのだ。我存在の中心を古手の思想に託して、夫(それ)で自(みずか)ら高しとしていたのだ。が、私の別天地は譬(たと)えば塗盆(ぬりぼん)へ吹懸(ふきか)けた息気(いき)のような物だ。現実界に触れて実感を得(え)ると、他愛もなく剥(は)げて了う、剥(は)げて木地(きじ)が露(あら)われる。古手の思想は木地を飾っても、木地を蝕する力に乏しい。木地に食入って吾を磨くのは実感だのに、私は第一現実を軽蔑していたから、その実感を得(え)る場合が少く、偶(たまたま)得た実感も其取扱を誤っていたから、木地の吾を磨く足(たし)にならなかった。従って何程(なにほど)古手の思想を積んで見ても、木地の吾は矢張(やっぱり)故(もと)のふやけた、秩序(だらし)のない、陋劣(ろうれつ)な吾であった。
 こうして別天地と木地の吾とは別々であったから、別天地に遊んでいる時と、吾に戻った時とは、勢い矛盾する。言行は始終一致しない。某大家に対しても、未だ会わぬ中(うち)は多少の敬意を有(も)っていたけれど、一たび其人の土気色した顔が見え、襟垢(えりあか)が見え、襁褓(むつき)が見えて想像中の人が現実の人となると、木地の吾が、貧乏だから下らんと、別天地では流行せぬ論法で論断して之を軽蔑して了ったのだ。
 唯当時私はまだ若かったから、陋劣(ろうれつ)な吾にしても、私の吾には尚お多少の活気が有って、多少の活機を捉え得た。文壇の大家になると、古手の思想が凝固(こりかた)まって、其人の吾は之に圧倒せられ、纔(わずか)に残喘(ざんぜん)を保っているようなのが幾らもある。斯ういう人が、現実に触れると、気の毒な程他愛の無い人になる。某大家が即ち其であった。だから、人生を論じ、自然を説いて、微を拆(ひら)き、幽を闡(ひら)く頭はあっても、目前で青二才の私が軽蔑しているのが、先生には終(つい)に見えなかったのだ。

          四十六

 二三日して行って見ると、先生も友と同じ様に、好(い)い処も有るが、もう一息だというような事を言う。嘘(うそ)だ。好(い)い処も何も有るのじゃない。不出来だと直言が出来なくて斯う言ったのだ。先生も目が見えん人だが、私も矢張(やっぱり)自分の事だと目が見えんから、其を真(ま)に受けて、書直して持って行くと、先生が気の毒そうに趣向をも少し変えて見ろと云う。言う通りに趣向をも少し変えて持って行くと、もう先生も仕方がない、不承々々に、是で好(い)いと云う。なに、是で好(い)い事は些(ちっと)も無いのだが、先生は気が弱くて、もう然う然うは突戻し兼たのだ。先生に曰わせると、之を後進に対する同情だという。何の同情の事が有るものか! 少しでも同情が有るなら、頭から叱付けて、文学などに断念させるが好(い)いのだ。是が同情なら、同情は「□え切らん」の別名だ。どうせ思想に囚(とら)われて活機の分らぬ人の為(す)る事だから、お飾(かざり)の思想を一枚剥(めく)れば、下からいつも此様(こん)な愛想(あいそ)の尽きた物が出て来るに不思議はないが、此方(こっち)も此方(こっち)だ、其様(そん)な事は少しも見えない。本当に是で好(い)い事だと思って、其言葉の尾に縋(すが)って、何処かの雑誌へ周旋をと頼んだ。こんなのを盲目(めくら)の紛(まぐ)れ当(あた)りと謂うのだろう。機を制せられて、先生も仕方がなさそうに是も受込む。私達の応対は活きた人には側(そば)で聴いていられたものであるまい。
 一月程して私の処女作は或雑誌へ出た。初恋が霜(しも)げて物にならなかった事を書いたのだからとて、題は初霜だ。雪江さんの記念に雪江(せっこう)と署名した。先生が筆を加えて私の文は行方不明になった処も大分あったが、兎も角も自分の作が活字になったのが嬉しくて嬉しくて耐(たま)らない。雑誌社から送って来るのを待ちかねて、近所の雑誌店へ駆付けて、買って来て、何遍か繰返して読んでも読んでも読飽(よみあ)かなかった。真面目な人なら、此処らで自分の愚劣を悟る所だろうが、私は反て自惚(うぬぼ)れて、此分で行けば行々(ゆくゆく)は日本の文壇を震駭(しんがい)させる事も出来ようかと思った。
 聊(いささ)かながら稿料も貰えたから、二三の友を招いて、近所の牛肉店で祝宴を開いて、其晩遂に「遊び」に行った。其時案外不愉快であったのは曾て記した通り。皆嬉しさの余りに前後を忘却したので。
 これが私の小説を書く病付(やみつ)きで又「遊び」の皮切であったが、それも是も縁の無い事ではない。私の身では思想の皮一枚剥(めく)れば、下は文心即淫心だ。だから、些(ちっ)とも不思議はないが、同時に両方に夢中になってる中(うち)に、学校を除籍された。なに、月謝の滞(とどこお)りが原因だったから、復籍するに造作(ぞうさ)はなかったが、私は考えた、「寧(いっ)その事小説家になって了おう。法律を学んで望み通り政治家になれたって、仕方がない。政治家になって可惜(あたら)一生を物質的文明に献げて了うより、小説家になって精神的文明に貢献した方が高尚だ。其方が好(い)い……」どうも仕方がない。活眼を開いて人生の活相を観得なかった私が、例の古手の旧式の思想に捕われて、斯う思ったのは仕方がないが、夫(それ)にしても、同じ思想に捕われるにしても、も少し捕えられ方が有りそうなものだった。物心(ぶっしん)一如(にょ)と其様(そん)な印度(いんど)臭(くさ)い思想に捕われろではないが、所謂(いわゆる)物質的文明は今世紀の人を支配する精神の発動だと、何故思(おもわ)れなかったろう? 物質界と表裏して詩人や哲学者が顧(かえり)みぬ精神界が別にあると、何故思(おもわ)れなかったろう? 人間の意識の表面に浮(うかん)だ別天地の精神界と違って、此精神界は着実で、有力で、吾々の生存に大関係があって、政治家は即ち此精神界を相手に仕事をするものだと、何故思われなかったろう? 此道理をも考えて、其上で去就を決したのなら、真面目な決心とも謂えようが……ああ、しかし、何(ど)の道(みち)思想に捕われては仕方がない。私は思想で、自ら欺いて、其様(そん)な浅墓(あさはか)な事を思っていたが、思想に上らぬ実際の私は全く別の事を思っていた。如何(どん)な事を思っていたかは、私の言う事では分らない、是から追々為(す)る事で分る。

          四十七

 私は其時始て文士になろうと決心した、トサ後(のち)には人にも話していたけれど、事実でない。私は生来未(いま)だ曾て決心をした事の無い男だ。いつも形勢が既に定(さだま)って動かすべからずなって、其形勢に制せられて始て決心するのだから、学校を除籍せられたばかりでは、未だ決心が出来なかった。唯下宿に臥転(ねころ)んでグズリグズリとして文士に為りそうになっていたのだ。
 始めて決心したのは、如何(どう)してか不始末が国へ知れて父から驚いた手紙の来た時であった。行懸りで愚図々々はしていられなくなったから、始めて斯うと決心して事実を言って同意を求めてやると、父からは怒(おこ)った手紙が来る、母からは泣いた手紙が来る。親達が失望して情ながる面(かお)は手紙の上に浮いて見えるけれど、こうなると妙に剛情(ごうじょう)になって、因襲の陋見(ろうけん)に囚(とら)われている年寄の白髪頭(しらがあたま)を冷笑していた。親戚の某(なにがし)が用事が有って上京した序(ついで)に、私を連れて帰ろうとしたが、私は頑として動かなかった。そこで学資の仕送りは絶えた。
 こうなるは最初から知れていながら、私は弱った。仕方がないから、例の某大家に縋(すが)って書生に置いて貰おうとすると、先生は相変らずグズリグズリと煮切らなかったが、奥さんが飽迄(あくまで)不承知で、先生を差措(さしお)いて、御自分の口から断然(きっぱり)断られた。私は案外だった。頼めば二つ返事で引受けて呉れるとばかり思っていたから、親戚の者が連れて行こうとした時にも、言わでもの広言迄吐いて拒んだのだが、こう断られて見ると、何だか先生夫婦に欺(あざむ)かれたような気がして、腹が立って耐(な)らなかった。世間の人は皆私の為に生きているような気でいたからだ。
 もう斯うなっては、仕方がない、書けても書けんでも、筆で命を繋(つな)ぐより外(ほか)仕方がない。食うと食わぬの境になると、私でも必死になる。必死になって書いて書いて書捲(かきまく)って、その度に、悪感情は抱(いだ)いていたけれど、仕方がないから、某大家の所へ持って行って、筆を加えて貰った上に、売って迄貰っていた。其が為には都合上門人とも称していた。然うして一二年苦しんでいる中(うち)に、どうやら曲りなりにも一本立が出来るようになると、急に此前奥さんに断られた時の無念を想出(おもいだ)して、夫からは根岸のお宅へも無沙汰(ぶさた)になった。もう先生に余り用はない。先生は或は感情を害したかも知れないが、先生が感情を害したからって、世間が一緒になって感情を害しはすまいし……と思ったのではない、決して左様(そん)な軽薄な事は思わなかったが、私の行為を後(あと)から見ると、詰り然う思ったと同然になっている。
 先生には用が無くなったが、文壇には用が有るから、私は広く交際した。大抵の雑誌には一人や二人の知己が出来た。こうして交際を広くして置くと、私の作が出た時に、其知己が余り酷(むご)くは評して呉れぬ。無論感服などする者は一人もない。私などに感服しては見識に関わる。何かしら瑕疵(きず)を見付けて、其で自分の見識を示した上で、しかし、まあ、可なりの作だと云う。褒(ほめ)る時には屹度(きっと)然う云う。私は局量が狭いから、批評家等が誰(たれ)も許しもせぬのに、作家よりも一段上座(じょうざ)に坐り込んで、其処から曖昧(あやふや)な鑑識で軽率に人の苦心の作を評して、此方の鑑定に間違いはない、其通り思うて居れ、と言わぬばかりの高慢の面付(つらつき)が癪(しゃく)に触(さわ)って耐(たま)らなかったが、其を彼此(かれこれ)言うと、局量が狭いと言われる。成程其は事実だけれど、そう言われるのが厭だから、始終黙って憤(おこ)っていた。其癖批評家の言う所で流行の趨(おもむ)く所を察して、勉めて其に後れぬようにと心掛けていた……いや、心掛けていたのではない、其様(そん)な不見識な事は私の尤も擯斥(ひんせき)する所だったが、後(あと)から私の行為を見ると矢張(やっぱり)然う心掛けたと同然になっている。

          四十八

 久(しば)らく文壇を彷徨(うろうろ)している中(うち)に、当り作が漸く一つ出来た。批評家等は筆を揃えて皆近年の佳作だと云う。私は書いた時には左程にも思わなかったが、然う言われて見ると、成程佳作だ。或は佳作以上で、傑作かも知れん。私は不断紛々たる世間の批評以外に超然としている面色(かおつき)をしていて、実は非難(けな)されると、非常に腹が立って、少しでも褒(ほ)められると、非常に嬉しかったのだ。
 当り作が出てからは、黙っていても、雑誌社から頼みに来る、書肆(しょし)から頼みに来る。私は引張凧(ひっぱりだこ)だ……トサ感じたので、なに、二三軒からの申込が一時(じ)一寸(ちょっと)累(かさ)なったのに過ぎなかった。
 嬉しかったので、調子に乗って又書くと、又評判が好(い)い。斯うなると、世間の注目は私一身に叢(あつ)まっているような気がして、何だか嬉しくて嬉しくて耐(たま)らないが、一方に於ては此評判を墜(おと)しては大変という心配も起って来た。で、平生は眼中に置かぬらしく言っていた批判家(ひひょうか)等(ら)に褒(ほめ)られたいが一杯で、愈(いよいよ)文学に熱中して、明けても暮れても文学の事ばかり言い暮らし、眼中唯文学あるのみで、文学の外(ほか)には何物もなかった。人生あっての文学ではなくて、文学あっての人生のような心持で、文学界以外の人生には殆ど何の注意も払わなかった。如何なる国家の大事が有っても、左程胸に響かなかった代り、文壇で鼠がゴトリというと、大地震の如く其を感じて騒ぎ立てた。之を又真摯(しんし)の態度だとかいって感服する同臭味(どうしゅうみ)の人が広い世間には無いでもなかったので、私は老人がお宗旨に凝るように、愈(いよいよ)文学に凝固(こりかた)まって、政治が何だ、其日送りの遣繰仕事(やりくりしごと)じゃないか? 文学は人間の永久の仕事だ。吾々は其高尚な永久の仕事に従う天の選民だと、其日を離れて永久が別に有りでもするような事を言って、傲然として一世を睥睨(へいげい)していた。
 文学上では私は写実主義を執(と)っていた。それも研究の結果写実主義を是(ぜ)として写実主義を執(とっ)たのではなくて、私の性格では勢い写実主義に傾かざるを得なかったのだ。
 写実主義については一寸(ちょっと)今の自然主義に近い見解を持って、此様(こん)な事を言っていた。
 写実主義は現実を如実に描写するものではない。如実に描写すれば写真になって了う。現実の(真(しん)とは言わなかった)真味を如実に描写するものである。詳しく言えば、作家のサブジェクチウィチー即ち主観に摂取し得た現実の真味を如実に再現するものである。
 人生に目的ありや、帰趨ありや? 其様(そん)な事は人間に分るものでない。智の力で人生の意義を掴(つか)まんとする者は狂せずんば、自殺するに終る。唯人生の味(あじわい)なら、人間に味える。味っても味っても味い尽せぬ。又味わえば味わう程味が出る。旨い。苦中にも至味(しみ)はある。其至味(しみ)を味わい得ぬ時、人は自殺する。人生の味いは無限だけれど、之を味わう人の能力には限りがある。
 唯人は皆同じ様に人生の味(あじわい)を味わうとは言えぬ。能(よ)く料理を味わう者を料理通という。能(よ)く人生を味わう者を芸術家という。料理通は料理人でない如く、能(よ)く人生を味わう芸術家は能(よ)く人生を経理せんでも差支えはない。
 道徳は人生を経理するに必要だろうけれど、人生の真味を味わう助(たすけ)にはならぬ。芸術と道徳とは竟(つい)に没交渉である。
 是が私の見解であった。浅薄はさて置いて、此様(こん)な事を言って、始終言葉に転ぜられていたから、私は却て普通人よりも人生を観得なかったのである。

          四十九

 私の文学上の意見も大業だが、文学については先(ま)あ其様(そん)な他愛のない事を思って、浮れる積(つもり)もなく浮れていた。で、私の意見のようにすると、味(あじわ)わるるものは人生で、味わうものは作家の主観であるから、作家の主観の精粗に由て人生を味わう程度に深浅の別が生ずる。是(ここ)に於て作家は如何(どう)しても其主観を修養しなければならん事になる。
 私は行々(ゆくゆく)は大文豪になりたいが一生の願(ねがい)だから、大(おおい)に人生に触れて主観の修養をしなければならん。が、漠然人生に触れるの主観を修養するのと言ってる中(うち)は、意味が能(よ)く分っているようでも、愈(いよいよ)実行する段になると、一寸(ちょっと)まごつく。何から何如(どう)手を着けて好(い)いか分らない。政治や実業は人生の一現象でも有ろうけれど、其様(そん)な物に大した味(あじわい)はない筈である。といって教育でもないし、文壇は始終触れているし、まあ、社会現象が一番面白そうだ。面白いというのは其処に人生の味が濃(こまや)かに味わわれる謂(いい)である。社会現象の中(うち)でも就中(なかんずく)男女の関係が最も面白そうだが、其面白味を十分に味わおうとするには、自分で実験しなければならん。それには一寸(ちょっと)相手に困る。人の恋をするのを傍観するのは、宛(あだか)も人が天麩羅(てんぷら)を喰ってるのを観て其味を想像するようなものではあるけれど、実験の出来ぬ中(うち)は傍観して満足するより外(ほか)仕方がない。が、新聞の記事では輪廓だけで内容が分らない。内容を知るには、恋する男女の間に割込んで、親しく其恋を観察するに限るが、恋する男女が其処らに落(おッ)こちても居ない。すると、当分まず恋の可能(ポッシビリチイ)を持っている若い男女を観察して満足して居なければならん。が、若い男を観察したって詰らない。若い男の心持なら、自分でも大抵分る。恋の可能(ポッシビリチイ)を持っている若い女の観察が当面の急務だ。と、こう考え詰めて見ると、私の人生研究は詰り若い女の研究に帰着する。
 で、帰着点は分ったが、矢張(やッぱり)実行が困難だ。若い女を研究するといって、往来に衝立(つッた)っていて通る女に一々触れもされん。勢い私の手の届く所から研究に着手する外はない。が、私の手の届く所だと、まず下宿屋のお神さんや下女になる。下宿屋のお神さんは大抵年を喰ってる。若いお神さんはうッかり触れると危険だ。剰(あま)す所は下女だが、下女ではどうも喰い足りない。忙がしそうにしている所を捉(つか)まえて、一つ二つ物を言うと、もう何番さんかでお手が鳴る。ヘーイと尻上りに大きな声で返事をして、跡をも閉めずにドタドタと座敷を駈出して行くのでは、余り没趣味だ。下女が没趣味だとすると、私の身分ではもう売女(ばいじょ)に触れて研究する外はないが、これも大店(おおみせ)は金が掛り過るから、小店で満足しなければならん。が、小店だと、相手が越後の国蒲原郡何村(かんばらごおりなにむら)の産の鼻ひしゃげか何かで、私等(わしら)が国さでと、未だ国訛(くになまり)が取れないのになる。往々にして下女にも劣る。尤も是は少し他(た)に用事も有ったから、其用事を兼ねて私は絶えず触れていたが、どうしても、どう考えて見ても、是では喰い足らん。どうも素人(しろうと)の面白い女に撞着(ぶつか)って見たい。今なら直ぐ女学生という所だが、其時分は其様(そん)な者に容易に接近されなかったから、私は非常に煩悶していた。
 馬鹿なッ! 其様(そん)な事を言って、私は女房が欲しくなったのだ。

          五十

 人生の研究というような高尚な事でも、私なぞの手に掛ると、詰り若い女に撞着(ぶつか)りたいなぞという愚劣な事になって了う。普通の人なら青年の中(うち)は愚を意識して随分愚な真似もしようけれど、私は其を意識しなかった。矢張(やっぱり)私共でなければ出来ぬ高尚な事のように思って、切(しきり)に若い女に撞着(ぶつか)りたがっている中(うち)に、望む所の若い女が遂に向うから来て撞着(ぶつか)った。
 それは小石川の伝通院(でんづういん)脇の下宿に居る時であった。此下宿は体裁は余り好くなかったが、それでも所謂(いわゆる)高等下宿で、学生は大学生が一人だったか、二人だったか、居たかと思う。余(あと)は皆小官吏や下級の会社員ばかりで、皆朝から弁当を持って出懸けて、午後は四時過でなければ帰って来ぬ連中(れんじゅう)だから昼の中(うち)は家内が寂然(しん)とする程静かだった。
 私は此家(このうち)で一番上等にしてある二階の八畳の部屋を占領していた。なに、一番上等といっても、元来下宿屋に建てた家(うち)だから、建前は粗末なもので、動(やや)もすると障子が乾反(ひぞ)って開閉(あけたて)に困難するような安普請(やすぶしん)ではあったが、形(かた)の如く床の間もあって、年中鉄舟先生(てっしゅうせんせい)やら誰やらの半折物(はんせつもの)が掛けてあって、花活(はないけ)に花の絶えたことがない……というと結構らしいが、其代り真夏にも寒菊が活(いけ)てあったりする。造花なのだ。これは他(た)の部屋も大同小異だったが、唯(たッ)た一つ他(た)の部屋にはなくて、此部屋ばかりにある、謂わば此部屋の特色を成す物があった。それは姿見で、唐草模様の浮出した紫檀贋(したんまが)いの縁の、対(むか)うと四角な面(かお)も長方形になる、勧工場(かんこうば)仕込の安物ではあったけれど、兎も角も是が上等室の標象(シムボール)として恭(うやうや)しく床の間に据えてあった。下にもまだ八畳が一間(ひとま)あったが、其処には姿見がなかった。同じような部屋でありながら、間代が其処より此処の方が三割方高かったのは、半分は此姿見の為だったかとも思われる。
 部屋は此通り余り好くはなかったが、取得(とりえ)は南向で、冬暖かで夏涼しかった。其に一番尽頭(はずれ)の部屋で階子段(はしごだん)にも遠かったから、他(た)の客が通り掛りに横目で部屋の中を睨(にら)んで行く憂いはなかった。
 も一つ好(い)い事は――部屋の事ではないが、此家(このうち)は下宿料の取立が寛大だった。亭主は居るか居ないか分らんような人で、お神さん一人で繰廻(くりまわ)しているようだったが、快活で、腹の大きい人で、少し居馴染(いなじ)んだ者には、一月二月下宿料が滞(とどこお)っても、宜しゅうございます、御都合の好(い)い時で、といってビリビリしない。収入の不定な私には是が何よりだったから、私は二年越此家(このうち)に下宿して居た。
 或日朝から出て昼過に帰ると、帳場に看慣(みな)れぬ女が居る。後向(うしろむき)だったから、顔は分らなかったが、根下(ねさが)りの銀杏返(いちょうがえ)しで、黒縮緬(くろちりめん)だか何だかの小さな紋の附いた羽織を着て、ベタリと坐ってる後姿が何となく好かったが、私がお神さんと物を言ってる間、其女は振向いても見ないで、黙って彼方(あちら)向いて烟草(たばこ)を喫(す)っていた。
 部屋へ来る跡から下女が火を持って来たから、捉(つか)まえて聞くと、今朝殆ど私と入違(いりちが)いに尋ねて来たのだそうで、何でもお神さんの身寄だとかで、車で手荷物なぞも持って来たから、地方の人らしいと云う。唯其切(それぎり)で、下女の事だから要領を得ない。
「如何(どん)な女だい?」
「あら、今御覧なすったじゃ有りませんか?」
「後向(うしろむ)きで分らなかった。」
「別品(べっぴん)ですよ」、といって下女は莞爾々々(にこにこ)している。
「丸顔かい?」
「いいえ、細面(ほそおもて)でね……」
「色は如何(どん)なだい? 白いかい?」
 下女は黙って私の面(かお)を見ていたが、
「大層お気が揉めますのね。何なら、もう一遍下へ行って見ていらしッたら……」
 誰にでも翻弄(ほんろう)されると、途方に暮れる私だから、拠(よん)どころなく苦笑(にやり)として黙って了うと、下女は高笑(たかわらい)して出て行って了った。

          五十一

 軈(やが)て夕飯時(ゆうめしどき)になった。部屋々々へ膳を運ぶ忙がしそうな足音が廊下に轟いて、何番さんがお急ぎですよ、なぞと二階から金切声で聒(かしま)しく喚(わめ)く中を、バタバタと急足(いそぎあし)に二人ばかり来る女の足音が私の部屋の前で止ると、
「此方(こッち)が一番さんで、夫(それ)から二番さん三番さんと順になるンですから何卒(どうぞ)……」
 というのは聞慣れた小女(ちび)の声で、然う言棄てて例の通り端手(はした)なくバタバタと引返(ひッかえ)して行く。
 と、跡に残った一人が障子の外に蹲(うずく)まった気配(けはい)で、スルスルと障子が開(あ)いたから、見ると、彼女(あのおんな)だ、彼女(あのおんな)に違いない。私は急いで余所を向いて了ったから、能(よ)くは、分らなかったが、何でも下女の話の通り細面(ほそおもて)で、蒼白い、淋しい面相(かおだち)の、好(い)い女だ……と思った。年頃は二十五六……それとも七か……いや、八か……女の歳は私には薩張(さっぱり)分らない。もう羽織はなしで、紬(つむぎ)だか銘仙だか、夫とも更(もッ)と好(い)い物だか、其も薩張(さっぱり)分らなかったが、何(なに)しても半襟の掛った柔か物で、前垂(まえだれ)を締めて居たようだった。障子を明けると、上目でチラと私の面(かお)を見て、一寸(ちょっと)手を突いて辞儀をしてから、障子の影の膳を取上て、臆した体もなくスルスルと内へ入って来て、「どうもお待せ申しまして」、といいながら、狼狽(まごまご)している私の前へ据えた手先を見ると、華奢(きゃしゃ)な蒼白い手で、薬指に燦(きら)と光っていたのは本物のゴールド、リングと見た。正可(まさか)鍍金(めッき)じゃ有るまい、飯櫃(めしびつ)も運び込んでから、
「お湯はございますか知ら。」
 と火鉢の薬鑵(やかん)を一寸(ちょっと)取って見て、
「まだ御座いますようですね。じゃ、お後(あと)にしましょう。御緩(ごゆっ)くりと……」
 と会釈して、スッと起(た)った所を見ると、スラリとした後姿(うしろつき)だ。ああ、好(い)い風(ふう)だ、と思っている中(うち)に、もう部屋を出て了って、一寸(ちょっと)小腰を屈(かが)めて、跡を閉めて、バタバタと廊下を行く。
 別段異(かわ)った事もない。小娘でないから、少しは物慣れた処もあったろうが、其は当然(あたりまえ)だ。風(ふう)に一寸(ちょっと)垢脱(あかぬけ)のした処が有ったかも知れぬが、夫(それ)とても浮気男の眼を惹(ひ)く位(ぐらい)の価値で大した女ではなかったのに、私は非常に感服して了った。尤も私の不断接している女は、厭にお澄しだったり、厭に馴々(なれなれ)しかったりして、一見して如何にも安ッぽい女ばかりだったから、然ういうのを看慣(みな)れた眼には少しは異(ちが)って見えたには違いない。
 何物だろうと考えて見たが、分らない。或は黒人(くろうと)上りかとも思ってみたが、下町育ちは山の手の人とは違う。此処のお神さんも下町育ちだと云う。そういえば、何処か様子に似た処もある。或は下町育ちかも知れぬとも思った。
 素性は分らないが、兎に角面白そうな女だから、此様(こん)なのを味わったら、女の真味が分るかも知れん。今に膳を下げに来たら、今度こそは勇気を振起して物を言って見よう、私のように黙って居ては、何時迄(いつまで)経(た)っても接近は出来ん、なぞと思っていると、隣室で女の笑い声がする。下女の声ではない。今のに違いない。隣の俗物め、もう捉(つか)まえて戯言(じょうだん)でも言ってると見える。

          五十二

 其晩膳を下げに来るかと心待に待っていたら、其には下女が来て、女は顔を見せなかった。翌朝(よくあさ)は女が膳を運んで来たが、卒(いざ)となると何となく気怯(きおく)れがして、今は忙(いそが)しそうだから、昼の手隙(てすき)の時にしよう、という気になる。で、言うべき文句迄拵(こしら)えて、掻くようにして昼を待っていると、昼が来て、成程手隙(てすき)だから、他(ほか)の者は遊んでいて小女(ちび)が膳を運んで来る。
 三四日経(た)った。いつも女の助(す)けるのは朝晩の忙がしい時だけで、昼は顔も出さない。考えて見ると、奉公人でないから其筈だが、私は失望した。顔は度々合せるから漸く分ったが、能(よ)く見ると、雀斑(そばかす)が有って、生際(はえぎわ)に少し難が有る。髪も更少(もすこ)し濃かったらと思われたが、併し何となく締りのあるキリッとした面相(かおだち)で、私は矢張(やっぱり)好(い)いと思った。名はお糸といってお神さんの姪だとか云う。皆下女からの復聞(またぎき)だ。
 何とかして一日も早く接近したいが、如何(どう)も顔を合せると、物が言えなくなる。昼間廊下で行逢った時など、女は小腰を屈(かが)めて会釈するような、せんような、曖昧な態度で摺脱(すりぬ)けて行く。其様(そん)な時に接近したがってる事は色にも出さずに、ヒョイと、軽く、些(ちッ)と話に入らッしゃい、とか何とか言ったら、最終(しまい)には来るようになるかも知れんとは思うけれど、然う思うばかりで、私の口は重たくて、ヒョイと、軽く、其様(そん)な事が言えない。
 度々面(かお)を合せても物を言わんから、段々何だか妙に隔てが出来て来て、改めて物を言うのが最う変になって来る。此分だと、余程(よッぽど)何か変った事が、例えば、火事とか大地震とかがあって、人心の常軌を逸する場合でないと、隔ての関を破って接近されなくなりそうだ。ああ、初て部屋へ来た時、何故私は物を言わなかったろうと、千悔万悔(せんかいばんかい)、それこそ臍(ほぞ)を噬(か)むけれど、追付(おッつ)かない。然るに、私は接近が出来ないで此様(こん)なに煩悶しているのに、隣の俗物は苦もなく日増しに女に親しむ様子で、物を言交(いいかわ)す五分間がいつか十分二十分になる。何だか知らんが、睦まじそうに密々話(ひそひそばなし)をしているような事もある。一度なんぞ女に脊中を叩かれて俗物が莞爾々々(にこにこ)している所を見懸けた。私は気が気でない……
 藻掻いていると、確か女が来てから一週間目だったかと思う、朝からのビショビショ降(ぶ)りが昼過ても未だ止まない事があった。鬱陶敷(うっとうしく)て、気が滅入って、幾ら書いても思う様に書けないから、私はホッとして、頭を抱えて、仰向(あおむき)に倒れて茫然としていたが、
「早く如何(どう)かせんと不好(いかん)!」
 と判然(はっきり)と独言(ひとりごと)をいって起反(おきかえ)った。独言(ひとりごと)は小説に関係した事ではないので、女の事なので。
 すると、余り遠くでない、去迚(さりとて)近くでもない何処かで、ポツンポツンと意気な音(ね)がする。隣の家(うち)で能(よ)く琴を浚(さら)っているが、三味線(さみせん)を弾(ひ)いてた事はない。それに隣にしては近過ぎる。家(うち)には弾(ひ)く者は無い筈だが……と耳を澄していると、軈(やが)て歌い出す声は如何(どう)しても家(うち)だ。例のに違いない。
 私は起上(おきあが)ってブラリと廊下へ出た。

          五十三

 廊下へ出て耳を澄して見たが、三味線(さみせん)は聞えても、矢張(やっぱり)歌が能く聞えない。が、愈(いよいよ)例のに違いないから、私は意を決して裏梯子(うらばしご)を降りて、大廻りをして、窃(こっ)そり台所近くへ来て見ると、誰(たれ)も居ない。皆其隣の家(うち)の者の住居(すまい)にしてある座敷に塊(かた)まっているらしい。好(い)い塩梅(あんばい)だと、私は椽側に佇立(たたず)んで、庭を眺めている風(ふり)で、歌に耳を傾(かたぶ)けていた。
 好(い)い声だ。たッぷりと余裕のある声ではないが、透徹(すきとお)るように清い、何処かに冷たい処のあるような、というと水のようだが、水のように淡くはない、シンミリとした何とも言えぬ旨味(うまみ)のある声だ。力を入れると、凛(りん)と響く。脱(ぬ)くと、スウと細く、果は藕(はす)の糸のようになって、此世を離れて暗い無限へ消えて行きそうになる時の儚(はかな)さ便りなさは、聴いている身も一緒に消えて行きそうで、早く何とかして貰いたいような、もうもう耐(たま)らぬ心持になると、消えかけた声が又急に盛返して来て、遂にパッと明るみへ出たような気丈夫な声になる。好(い)い声だ。節廻しも巧(たくみ)だが、声を転がす処に何とも言えぬ妙味がある。ズッと張揚げた声を急に落して、一転二転三転と急転して、何かを潜って来たように、パッと又浮上(うきあが)るその面白さは……なぞと生意気をいうけれど、一体新内(しんない)をやってるのだか、清元(きよもと)をやってるのだか、私は夢中だった。
 俗曲(ぞっきょく)は分らない。が、分らなくても、私は大好きだ。新内でも、清元でも、上手の歌うのを聴いていると、何だか斯う国民の精粋とでもいうような物が、髣髴(ほうふつ)として意気な声や微妙な節廻しの上に顕(あら)われて、吾心の底に潜む何かに触れて、何かが想い出されて、何とも言えぬ懐かしい心持になる。私は之を日本国民の二千年来此生を味うて得た所のものが、間接の思想の形式に由らず、直(ただち)に人の肉声に乗って、無形の儘で人心に来(きた)り逼(せま)るのだとか言って、分明な事を不分明にして其処に深い意味を認めていたから、今お糸さんの歌うのを聴いても、何だか其様(そん)なように思われて、人生の粋(すい)な味や意気な味がお糸さんの声に乗って、私の耳から心に染込(しみこ)んで、生命の髄に触れて、全存在を撼(ゆる)がされるような気がする。
 お糸さんの顔は椽側からは見えないけれど屹度(きっと)少しボッと上気して、薄目を開(あ)いて、恍惚として我か人かの境を迷いつつ、歌っているに違いない。所謂(いわゆる)神来(しんらい)の興が中(うち)に動いて、歌に現(うつつ)を脱(ぬ)かしているのは歌う声に魂の入(い)っているので分る。恐らくもう側(そば)でお神さんや下女の聴いてることも忘れているだろう。お糸さんは最う人間のお糸さんでない。人間のお糸さんは何処へか行って了って、体に俗曲の精霊が宿っている、而(そう)してお糸さんの美音を透(とお)して直接に人間と交渉している。お糸さんは今俗曲の巫女(いちこ)である、薩満(シャマン)である。平生のお糸さんは知らず、此瞬間のお糸さんはお糸さん以上である、いや、人間以上で神に近い人である。
 斯う思うと、時としては斯うして人間を離れて芸術の神境に出入(しゅつにゅう)し得るお糸さんは尋常(ただ)の人間でないように思われる。お糸さんの人と為りは知らないが、歌に於て三味線に於てお糸さんは確に一個の芸術家である、事に寄ると、芸術家と自覚せぬ芸術家である。要するに、俗物でない。
 私も不肖ながら芸術家の端(はし)くれと信ずる。お糸さんの人となりは知らないでも、芸術家の心は唯芸術家のみ能(よ)く之を知る。此下宿に客多しと雖も、能(よ)くお糸さんを知る者は私の外にあるまい。私の心を解し得る者も、お糸さんの外には無い筈である……と思うと、まだ碌に物を言た事もないお糸さんだけれど、何だかお糸さんが生れぬ前(さき)からの友のように思われて、私は……ああ、私は……

          五十四

 私の下宿ではいつも朝飯(あさめし)が済んで下宿人が皆出払った跡で、緩(ゆッ)くり掃除や雑巾掛(ぞうきんがけ)をする事になっていた。お糸さんは奉公人でないから雑巾掛(ぞうきんがけ)には関係しなかったが、掃除だけは手伝っていたので、いつも其時分になると、お掃除致しましょうと言っては私の部屋へ来る。私は内々(ないない)其を心待にしていて、来ると急いで部屋を出て椽側を彷徨(うろつ)く。彷徨(うろつ)きながら、見ぬ振をして横目でチョイチョイ見ていると、お糸さんが赤い襷(たすき)に白地の手拭を姉様冠(あねさまかぶ)りという甲斐々々しい出立(いでたち)で、私の机や本箱へパタパタと払塵(はたき)を掛けている。其を此方(こッち)から見て居ると、お糸さんが何だか斯う私の何かのような気がして、嬉しくなって、斯うした処も悪くないなと思う。
 ところが、お糸さんが三味線(さみせん)を弾(ひ)いた翌朝(あくるあさ)の事であった。万事が常よりも不手廻(ふてまわ)りで、掃除にもいつも来るお糸さんが来ないで、小女(ちび)が代りに来たから、私は不平に思って、如何(どう)したのだと詰(なじ)るようにいうと、今日はお竹どんが病気で寝ているので、受持なんぞの事を言っていられないのだと云う。其なら仕方が無いようなものだけれど、小女(ちび)のは掃除するのじゃなくて、埃(ほこり)をほだてて行くのだから、私が叱り付けてやったら、小女(ちび)は何だか沸々(ぶつぶつ)言って出て行った。
 暫くして用を達(た)しに行(い)こうと思って、ヒョイと私が部屋を出ると、何時(いつ)来たのか、お糸さんがツイ其処で、着物の裾をクルッと捲(まく)った下から、華美(はで)な長襦袢だか腰巻だかを出し掛けて、倒(さか)さになって切々(せっせっ)と雑巾掛(ぞうきんが)けをしていた。私の足音に振向いて、お邪魔様といって、身を開いて通して呉れて、お糸さんは何とも思っていぬ様だったが、私は何だか気の毒らしくて、急いで二階を降りて了った。
 用を達(た)してから出て来て見ると、手水鉢(ちょうずばち)に水が無い。小女(ちび)は居ないかと視廻(みまわ)す向うへお糸さんが、もう雑巾掛(ぞうきんがけ)も済んだのか、バケツを提げてやって来たが、ト見ると、直ぐ気が附いて、
「おや、そうだッけ……只今直ぐ持って参りますよ。」
 と駈出して行って、台所から手桶を提げて来て、
「お待遠様。」
 とザッと水を覆(あ)ける時、何処の部屋から仕掛けたベルだか、帳場で気短に消魂(けたたま)しくチリリリリリンと鳴る。
 お神さんが台所から面(かお)を出して、
「誰も居ないのかい? 十番さんで先刻(さっき)からお呼なさるじゃないか。」
「へい、只今……」
 とお糸さんが矢張(やっぱり)下女並の返事をして、
「お三どん新参で大狼狽(おおまごつき)……」
 と私の面(かお)を見て微笑(にッこり)しながら、一寸(ちょいと)滑稽(おどけ)た手附をしたが、其儘所体(しょてい)崩(くず)して駈出して、表梯子(おもてはしご)をトントントンと上(あが)って行く。
 私が手を洗って二階へ上(あが)って見たら、お糸さんは既(も)う裾を卸(おろ)したり、襷(たすき)を外したりして、整然(ちゃん)とした常の姿(なり)になって、突当りの部屋の前で膝を突いて、何か用を聴いていた。
 私は部屋へ帰って来て感服して了った。お糸さんは歌が旨い、三味線も旨い、女ながらも立派な一個の芸術家だ。その芸術家が今日は如何(どう)だろう? お竹が病気なら仕方がないようなものの、全(まる)で下女同様に追使われている。下女同様に追使われて、慣れぬ雑巾掛(ぞうきんがけ)までさせられた上に、無理な小言を言われても、格別厭な面(かお)もせずに、何とか言ったッけ? 然う然う、お三どん新参で大狼狽(おおまごつき)といって微笑(にっこり)……偉い! 余程(よっぽど)気の練れた者でなければ、如彼(ああ)は行(い)かぬ。これがお竹ででも有ろうものなら、直ぐ見たくでもない面(つら)を膨(ふく)らして、沸々(ぶつぶつ)口小言を言う所だ。それを常談事(じょうだんごと)にして了って、お三どん新参で大狼狽(おおまごつき)といって微笑(にっこり)……偉い!

          五十五

 感服の余り、私は何とかして此自覚せぬ芸術家に敬意を表したいと思ったが、併し奉公人同様に金など包んでは出されない、何でも品物を呈するに限ると、何故だか独りで極(き)めて掛って、惨澹たる苦心の末、雪江(せっこう)一代の智慧を絞り尽して、其翌日の昼過ぎ本郷の一友人を尋ねて、嘘(うそ)八百を陳(なら)べ立て、其細君を誘(そその)かして半襟を二掛見立てて買って来て貰った。値段の処も私にしては一寸(ちょっと)奮(はず)んだ積(つもり)だった。
 早く之をお糸さんに呈して其喜ぶ顔を見たいと、此処らは未来の大文豪も俗物と余り違(ちが)わぬ心持になって、何だか切(しき)りに嬉しがって、莞爾(にこにこ)して下宿へ帰ったのは丁度夕飯(ゆうはん)時分(じぶん)だったが、火を持って来たのは小女(ちび)、膳を運んで来たのはお竹どんで、お糸さんは笑声が余所の部屋でするけれど、顔も見せない、私は何となく本意(ほい)なかった。
 待侘びて独りで焦(じ)れていると、軈(やが)て目差すお糸さんが膳を下げに来たから、此処ぞと思って、極(きま)りが悪かったが、思切って例の品を呈した。大(おおい)に喜ぶかと思いの外、お糸さんは左(さ)して色を動かさず、軽く礼を言って、一寸(ちょっと)包みを戴いて、膳と一緒に持って行って了った。唯其切(それぎり)で、何だか余り飽気(あっけ)なかった。
 何時間経(た)ったか、久(しば)らくすると、部屋の障子がスッと開(あ)いた。振向いて見ると、思いがけずお糸さんが入口に蹲(うずく)まって、両手を突いて、先刻(さっき)の礼を又言ってお辞儀をする。私は何となく嬉しかった。お床を延べましょうかというから、敷(と)って呉れというと、例の通り戸棚から夜具を出す時、昨夜(ゆうべ)も今朝も手に掛けて知っている筈の枕皮(まくらがわ)の汚に始めて気が附いて、明日(あした)洗いましょうという。なに、洗濯屋に出すから好(い)いと言っても、此様(こん)な物を洗うのは雑作(ぞうさ)もないといって聴かなかった。私は又嬉しくなって、此様(こん)な事なら最(もっ)と早く敬意を表すれば好かったと思った。
 お糸さんは床を敷(と)って了うと、火鉢の側(そば)へ膝行(いざ)り寄って火を直しながら、
「本当(ほんと)に嘸(さぞ)御不自由でございましょうねえ、皆(みんな)気の附かない者ばかりの寄合(よりあい)なんですから。どうぞ何なりと御遠慮なく仰有(おっしゃ)って下さいまし。然う申しちゃ何ですけど、他(ほか)のお客様は随分ツケツケお小言を仰(おっ)しゃいますけど、一番さん(私の事だ)は御遠慮深くッて何にも仰(おっ)しゃらないから、ああいうお客様は余計気を附けて上げなきゃ不好(いけない)。本当(ほんと)にお客様が皆(みんな)一番さんのようだと、下宿屋も如何様(どんな)に助かるか知れないッてね、始終(しょっちゅう)下でもお噂を申して居(お)るンでございますよ……」
 無論半襟二掛の効能(ききめ)とは迂濶(うかつ)の私にも知れた。平生の私の主義から言えば、お糸さんは卑劣だと謂わなければならんのに、何故だか私は左程にも思わないで、唯お糸さんの媚(こ)びて呉れるのが嬉しかった。
 小女(ちび)がバタバタと駈けて来て、卒然(いきなり)障子をガラッと開けて、
「あの八番さんで、御用が済んだら、お糸さんに入らッしゃいッて。」
「何だい?」
 小女(ちび)が生意気になけ無しの鼻を指して、
「これ……」
「そう。」
 お糸さんは挨拶も□々(そこそこ)に私の部屋を出て行ったが、ツイ其処らで立止った様子で、
「今お帰り? 大変御緩(ごゆっく)りでしたね。」
 帰って来たのは隣の俗物らしく、其声で何だか言うと、又お糸さんの声で、
「あら、本当(ほんと)? 本当(ほんと)に買って来て下すったの? まあ、嬉しいこと! だから、貴方(あなた)は実(じつ)が有るッていうンだよ……」
 してみると、お糸さんに対(むか)って敬意を表するのは私ばかりでないと見える。

          五十六

 私がお糸さんに接近する目的は人生研究の為で、表面上性慾問題とは関係はなかった。が、お糸さんも活物(いきもの)、私も死んだ思想に捉われていたけれど、矢張(やっぱり)活物(いきもの)だ。活物(いきもの)同志が活きた世界で顔を合せれば、直ぐ其処に人生の諸要素が相轢(あいれき)してハズミという物を生ずる。即ち勢(いきおい)だ。此勢(いきおい)を制する人でなければ、人間一疋の通用が出来ぬけれど、私の様な斗□輩(やくざもの)になると、直ぐ其勢(いきお)いに制せられて了って、吾は吾の吾ではなくなって、勢(いきおい)の自由になる吾、勢(いきおい)の吾になって了う。困ったものだが、仕方がない。私は人生研究の為お糸さんに接近しようと思ったのだけれど、接近しようとすると、忽ち妙なハメになって、二番さんだの八番さんだのという番号附けになってる俗物共の競争圏内に不覚(つい)捲込(まきこ)まれて了った。又捲込(まきこ)まれざるを得ないのは、半襟二掛ばかりの効能(ききめ)じゃ三日と持たない。直(すぐ)消えて又元の木阿弥になる。二掛の半襟は惜しくはないが、もう斯うなると、勢(いきおい)に乗せられた吾が承知せぬ。憤然(やっき)となって二日二晩も考えた末、又一策を案じ出して、今度は昼のお糸さんの手隙(てすき)の時に、何とか好加減(いいかげん)な口実を設けて酒を命じた。酒を命ずればお糸さんが持って来る、お糸さんが持って来れば、些(ちっ)との間(ま)ならお酌もして呉れる、お糸さんのお酌で、酒を飲んで酔えば、私にだって些(ちっ)とは思う事も言えて打解(うちとけ)られる。思う事を言って打解(うちと)けて如何(どう)する気だったか、それは不分明だったけれども、兎に角打解(うちとけ)たかったので、酒を命じたら、果してお糸さんが来て呉れて、思う通りになった。
「じゃ、何ですね」、と未だ一本も明けぬ中(うち)から、私は真紅(まっか)になって、「貴女(あなた)は一杯喰わされたのだ。」
「大喰(おおく)わされ!」とお糸さんは烟管(きせる)を火鉢の角(かど)でポンと叩いて、「正可(まさか)女房子(にょうぼこ)の有る人た思いませんでしたもの。
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