平凡
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著者名:二葉亭四迷 

 吃驚(びっくり)して振反(ふりかえ)ると、下女の松めが何時(いつ)戻ったのか、見(み)ともない面(つら)を罅裂(えみわれ)そうに莞爾(にこ)つかせて立ってやがる。私は余程(よっぽど)飛蒐(とびかか)って横面をグワンと殴曲(はりま)げてやろうかと思った。腹が立って腹が立って……

          三十七

 千載一遇の好機会も松に邪魔を入れられて滅茶々々になって了ったが、松が交って二つ三つ話をしている中(うち)に、間もなく夕方になった。夕方は用が有るから、三人ばらばらになって、私はランプ配りやら、戸締りやら、一切(ひとしき)り立働いて、例の通り部屋で晩飯を済すと、また身体に暇(ひま)が出来た。雪江さんは一番先に御飯を食べて、部屋へ籠(こも)った儘音沙汰(おとさた)がない。唯松ばかり後仕舞(あとじまい)で忙しそうで、台所で器物を洗う水の音がボシャボシャと私の部屋へ迄聞える。
 私は部屋で独りランプを眺めて徒然(つくねん)としているようで、心は中々忙しかった。婚礼に呼ばれて行ったとすると、主人夫婦の帰るのには未だ間(ま)が有る。帰らぬ中(うち)に今一度雪江さんと差向いになりたい。差向いになって何をするのだか、それは私にも未だ極(きま)らないが、兎に角差向いになりたい、是非なりたい、何か雪江さんの部屋へ行く口実はないか、口実は……と藻掻(もが)くけれど、生憎(あいにく)口実が看附(みつ)からない。うずうずして独りで焦心(じれ)ていると、ふと椽側にバタリバタリと足音がする。其足音が玄関へ来る。確かに雪江さんだ。部屋の前を通越(とおりこ)して台所へ行くか、それとも万一(ひょっと)障子が開(あ)くかと、成行(なりゆき)を待つ間(ま)の一分(ぷん)に心の臓を縮めていると、驚破(すわ)、障子がガタガタと……開(あ)きかけて、グッと支(つか)えたのを其儘にして、雪江さんが隙間から覗込みながら、
「勉強?」
 と一寸(ちょっと)首を傾げた。これが何を聞く時でも雪江さんの為(す)る癖で、看慣(みな)れては居るけれど、私は常(いつ)も可愛らしいと思う。不断着だけれど、荒い縞の着物に飛白(かすり)の羽織を着て、華美(はで)な帯を締めて、障子に掴(つか)まって斜(はす)に立った姿も何となく目に留(と)まる。
 ああ求むる者に与えられたのだ。神よ……といいたいような気になって、無論莞爾々々(にこにこ)となって、
「いいえ……まあ、お入ンなさい。」
「じゃ、私(あたし)話して入(い)くわ。奥は一人で淋しいから。」
 珍客々々! 之を優待せん法はない。よ、よ、と雪江さんが掛声をして障子を明けようとするけれど、開(あ)かないのを、私は飛んで行って力任せにウンと引開けた。何だか領元(えりもと)からぞくぞくする程嬉しい。
 生憎(あいにく)と火鉢は私の部屋には無かったけれど、今迄敷いていた赤ゲットを、四ツに畳んだのを中央(まんなか)へ持出して、其でも裏反(うらがえ)しにして勧めると、遠慮するのか、それとも小汚(こぎたな)いと思ったのか、敷いて呉れないから、私は黙って部屋を飛出した。雪江さんは後(あと)で定めて吃驚(びっくり)していたろうが、私は雪江さんの部屋へ座布団を取りに行ったので、是だけは我ながら一生の出来だったと思う。
 席が出来ると、雪江さんが、
「貴方(あなた)、御飯が食べられて? 私(あたし)何ぼ何でも喰べられなかったわ、余(あんま)り先刻(さッき)詰込んだもんだから。」
 と微笑(にッこり)する。何時(いつ)見ても奇麗な歯並(はなみ)だ。
 私も矢張(やっぱ)り莞爾(にっこり)して、
「私も食べられませんでした……」
 大嘘(おおうそ)! 実は平生(いつも)の通り五杯喰べたので。
 雪江さんは国産れでも東京育ちだから、
「……にもお芋があって?」
「有りますとも。」
「じゃ、帰っても不自由はないわねえ。」
 と又微笑(にっこり)する。
 私も高笑いをした。雪江さんの言草が可笑(おかし)かったばかりじゃない。実は胸に余る嬉しさやら、何やら角(か)やら取交(とりま)ぜて高笑いしたのだ。
 それから国の話になって、国の女学生は如何(どん)な風をしているの、英語は何位(どのくらい)の程度だの、洋楽は流行(はや)るかのと、雪江さんは其様(そん)な事ばかり気にして聞く。私は大事の用を控えているのだ。其処(それどころ)じゃないけれど、仕方がないから相手になっていると、チョッ、また松の畜生(ちくしょう)が邪魔に来やがった。

          三十八

 松が来て私はうんざりして了ったが、雪江さんは反(かえ)って差向(さしむかい)の時よりはずみ出して、果は松の方へ膝を向けて了って、松ばかりを相手に話をする。私は居るか居ないか分らんようになって了った。初は少からず不平に思ったが、しかし雪江さんを観ているのには、反て此方が都合が好(い)い。で、母屋(おもや)を貸切って、庇(ひさし)で満足して、雪江さんの白いふッくりした面(かお)を飽かず眺めて、二人の話を聴いていると、松も能(よ)く饒舌(しゃべ)るが、雪江さんも中々負ていない。話は詰らん事ばかりで、今度開店した小間物屋は安売だけれど品(しな)が悪いの、お湯屋(ゆうや)のお神さんのお腹がまた大きくなって来月が臨月だの、八百屋の猫が児を五疋生んで二疋喰べて了ったそうだのと、要するに愚にも附かん話ばかりだが、しかし雪江さんの様子が好(い)い。物を言う時には絶えず首を揺(うご)かす、其度にリボンが飄々(ひらひら)と一緒に揺(うご)く。時々は手真似もする。今朝結(い)った束髪がもう大分乱れて、後毛(おくれげ)が頬を撫(な)でるのを蒼蠅(うるさ)そうに掻上(かきあ)げる手附も好(い)い。其様(そん)な時には彼(あれ)は友禅メリンスというものだか、縮緬(ちりめん)だか、私には分らないが、何でも赤い模様や黄ろい形(かた)が雑然(ごちゃごちゃ)と附いた華美(はで)な襦袢(じゅばん)の袖口から、少し紅味(あかみ)を帯びた、白い、滑(すべっ)こそうな、柔かそうな腕が、時とすると二の腕まで露(あら)われて、も少し持上(もちゃ)げたら腋の下が見えそうだと、気を揉んでいる中(うち)に、又旧(もと)の位置に戻って了う。雪江さんは処女(むすめ)だけれど、乳の処がふッくりと持上っている。大方乳首なんぞは薄赤くなってるばかりで、有るか無いか分るまい……なぞと思いながら、雪江さんの面(かお)ばかり見ていると、いつしか私は現実を離れて、恍惚(うっとり)となって、雪江さんが何だか私の……妻(さい)でもない、情人(ラヴ)でもない……何だか斯う其様(そん)なような者に思われて、兎に角私の物のように思われて、今は斯うして松という他人を交(ま)ぜて話をしているけれど、今に時刻が来れば、二人一緒に斯う奥まった座敷へ行く。と、もう其処に床が敷(と)ってある。夜具も郡内(ぐんない)か何(なに)かだ。私が着物を脱ぐと、雪江さんが後(うしろ)からフワリと寝衣(ねまき)を着せて呉れる。今晩は寒いわねえとか雪江さんがいう。む、む、寒いなあとか私も言って、急いで帯をグルグルと巻いて床へ潜り込む。雪江さんが私の脱棄(ぬぎすて)を畳んでいる。其様(そん)な事は好加減(いいかげん)にして早く来て寝なと私がいう。あいといって雪江さんが私の面(かお)を見て微笑(にッこり)する……
「ねえ、古屋さん、然うだわねえ?」
 と雪江さんが此方(こっち)を向いたので、私は吃驚(びっくり)して眼の覚めたような心持になった。何でも何か私の同意を求めているのに違いないから、何だか仔細は分らないけれど、
「そうですとも……」
 と跋(ばつ)を合わせる。
「そら、御覧な。」
 と雪江さんは又松の方を向いて、又話に夢中になる。
 私はホッと溜息をする。今の続きを其儘にして了うのは惜しい。もう一度幻想でも何でも構わんから、もう一度、今の続きを考えて見たいと思うけれど、もう気が散って其心持になれない。仕方がないから、黙って話を聴いている中(うち)に、又いつしか恍惚(うッとり)と腑が脱けたようになって、雪江さんの面(かお)が右を向けば、私の面(かお)も右を向く。雪江さんの面(かお)が左を向けば、私の面(かお)も左を向く。上を向けば、上を向く、下を向けば下を向く……

          三十九

 パタリと話が休(や)んだ。雪江さんも黙って了う、松も黙って了う。何処でか遠方で犬の啼声が聞える。所謂(いわゆる)天使が通ったのだ。雪江さんは欠(あく)びをしながら、序(ついで)に伸(のび)もして、
「もう何時だろう?」
「まだ早いです、まだ……」
 と私が狼狽(あわ)てて無理に早い事にして了う心を松は察しないで、
「もう九時過ぎたでしょうよ。」
「阿父(とう)さんも阿母(かあ)さんも遅いのねえ。何を為(し)てるンだろう?」
 と又欠(あく)びをして、「ああああ、古屋さんの勉強の邪魔しちゃッた。私(あたし)もう奥へ行(い)くわ。」
 私が些(ちッ)とも邪魔な事はないといって止めたけれど、最う斯うなっては留(とま)らない、雪江さんは出て行って了う。松も出て行(い)く。私一人になって了った。詰らない……
 ふと雪江さんの座蒲団が眼に入(い)る……之れを見ると、何だか捜していた物が看附(みつか)ったような気がして、卒然(いきなり)引浚(ひっさら)って、急いで起上(たちあが)って雪江さんの跡を追った。
 茶の間の先の暗い処で雪江さんに追付(おッつ)いた。
「なあに? ……」
 と雪江さんの吃驚(びッくり)したような声がして、大方(おおかた)振向いたのだろう、面(かお)の輪廓だけが微白(ほのじろ)く暗中(あんちゅう)に見えた。
「貴嬢(あなた)の座布団を持って来たのです。」
「あ、そうだッけ。忘れちゃッた。爰(ここ)へ頂戴(ちょうだい)」、と手を出したようだった。
 私は狼狽(あわ)てて座布団を後(うしろ)へ匿(かく)して、
「好(い)いです、私が持ってくから。」
「あら、何故?」
「何故でも……好(い)いです……」
「そう……」
 と何だか変に思った様子だったが、雪江さんは又暗中を動き出す。暗黒(くらやみ)で能(よ)くは分らないけれど、其姿が見えるようだ。私も跡から探足(さぐりあし)で行く。何だか気が焦(あせ)る。今だ、今だ、と頭の何処かで喚(わめ)く声がする。如何(どう)か為(し)なきゃならんような気がして、むずむずするけれど、何だか可怕(こわ)くて如何(どう)も出来ない。咽喉(のど)が乾(かわ)いて引付(ひッつ)きそうで、思わずグビリと堅唾(かたず)を呑んだ……と、段々明るくなって、雪江さんの姿が瞭然(はっきり)明るみに浮出す。もう雪江さんの部屋の前へ来て、雪江さんの姿は衝(つい)と障子の中(うち)へ入って了った。
 其を見ると、私は萎靡(がっかり)した。惜しいような気のする一方で、何故だか、まず好かったと安心した気味もあった。で、続いて中へ入って、持って来た座布団を机の前に敷いて、其処を退(の)くと、雪江さんは礼を言いながら、入替(いりか)わって机の前に坐って、
「遊(あす)んでらっしゃいな。」
 と私の面(かお)を瞻上(みあ)げた。ええとか、何とかいって踟□(もじもじ)している私の姿を、雪江さんはジロジロ視ていたが、
「まあ、貴方(あなた)は此地(こっち)へ来てから、余程(よっぽど)大きくなったのねえ。今じゃ私(あたし)とは屹度(きっと)一尺から違ってよ。」
「まさか……」
「あら……屹度(きっと)違うわ。一寸(ちょッと)然うしてらッしゃいよ……」
 といいながら、衝(つい)と起(た)ったから、何を為(す)るのかと思ったら、ツカツカと私の前へ来て直(ひた)と向合った。前髪が顋(あご)に触れそうだ。紛(ぷん)と好(い)い匂(におい)が鼻を衝く。
「ね、ほら、一尺は違うでしょう?」と愛度気(あどけ)ない白い面(かお)が何気なく下から瞻上(みあ)げる。
 私はわなわなと震い出した。目が見えなくなった。胸の鼓動は脳へまで響く。息が逸(はず)んで、足が竦(すく)んで、もう凝(じッ)として居られない。抱付くか、逃出すか、二つ一つだ。で、私は後(のち)の方針を執(と)って、物をも言わず卒然(いきなり)雪江さんの部屋を逃出して了った……

          四十

 何故彼時(あのとき)私は雪江さんの部屋を逃出したのだというと、非常に怕(おそ)ろしかったからだ。何が怕(おそ)ろしかったのか分らないが、唯何がなしに非常に怕(おそ)ろしかったのだ。
 生死の間(あいだ)に一線を劃して、人は之を越えるのを畏(おそ)れる。必ずしも死を忌(い)むからではない。死は止むを得ぬと観念しても、唯此一線が怕(おそ)ろしくて越えられんのだ。私の逃出したのが矢張(やッぱり)それだ。女を知らぬ前と知った後(のち)との分界線を俗に皮切りという。私は性慾に駆られて此線の手前迄来て、これさえ越えれば望む所の性慾の満足を得られると思いながら、此線が怕(おそ)ろしくて越えられなかったのだ。越えたくなくて越えなかったのではなくて、越えたくても越えられなかったのだ。其後(そのご)幾年(いくねん)か経(た)って再び之を越えんとした時にも矢張(やッぱり)怕(おそ)ろしかったが、其時は酒の力を藉(か)りて、半狂気(はんきちがい)になって、漸く此怕(おそ)ろしい線を踏越した。踏越してから酔が醒めると何とも言えぬ厭な心持になったから、又酒の力を藉(か)りて強いて纔(わずか)に其不愉快を忘れていた。此様(こん)な厭な想いをして迄も性慾を満足させたかったのだ。是は相手が正当でなかったから、即ち売女(ばいじょ)であったからかというに、そうでない。相手は正当の新婦と相知る場合にも、人は大抵皆然うだと云う。殊に婦人が然うだという。何故だろう?
 之と縁のある事で今一つ分らぬ事がある。人は皆隠(かく)れてエデンの果(このみ)を食(くら)って、人前では是を語ることさえ恥(はず)る。私の様に斯うして之を筆にして憚らぬのは余程力むから出来るのだ。何故だろう? 人に言われんような事なら、為(せ)んが好(い)いじゃないか? 敢てするなら、誰(たれ)の前も憚らず言うが好(い)いじゃないか? 敢てしながら恥(はず)るとは矛盾でないか? 矛盾だけれど、矛盾と思う者も無いではないか? 如何(どう)いう訳だ?
 之を霊肉の衝突というか? しからば、霊肉一致したら、如何(どう)なる? 男女相知るのを怕(おそ)ろしいとも恥かしいとも思わなくなるのか? 畜生(ちくしょう)と同じ心持になるのか?
 トルストイは北方の哲人だと云う。此哲人は如何(どん)な事を言っている。クロイツェル、ソナタの跋に、理想の完全に実行し得べきは真の理想でない。完全に実行し得られねばこそ理想だ。不犯(ふぼん)は基督教(キリストきょう)の理想である。故に完全に実行の出来ぬは止むを得ぬ、唯基督教徒(キリストきょうと)は之を理想として終生追求すべきである、と言って、世間の夫婦には成るべく兄妹(けいまい)の如く暮らせと勧めている。
 何の事だ? 些(ちッ)とも分らん。完全を求めて得られんなら、悶死すべきでないか? 不犯(ふぼん)が理想で、女房を貰って、子を生ませていたら、普通の堕落に輪を掛た堕落だ。加之(しか)も一旦貰った女房は去るなと言うでないか? 女房を持つのが堕落なら、何故一念発起して赤の他人になッ了(ちま)えといわぬ。一生離れるなとは如何(どう)いう理由(わけ)だ? 分らんじゃないか?
 今食う米が無くて、ひもじい腹を抱(かかえ)て考え込む私達だ。そんな伊勢屋(いせや)の隠居が心学に凝り固まったような、そんな暢気(のんき)な事を言って生きちゃいられん!

          四十一

 其後(そのご)間もなく雪江さんのお婿さんが極(きま)った。お婿さんが極(きま)ると、私は何だか雪江さんに欺(あざむ)かれたような心持がして、口惜(くや)しくて耐(たま)らなかったから、国では大不承知であったけれど、口実を設けて体よく小狐(おぎつね)の家(うち)を出て下宿して了った。
 馬鹿な事には下宿してから、雪江さんが万一(ひょッと)鬱(ふさ)いでいぬかと思って、態々(わざわざ)様子を見に行った事が二三度ある。が、雪江さんはいつも一向鬱(ふさ)いで居なかった。反ッてお婿さんが極(きま)って怡々(いそいそ)しているようだった。それで私も愈(いよいよ)忌々(いまいま)しくなって、もう余り小狐へも足踏(あしぶみ)せぬ中(うち)に、伯父さんが去る地方の郡長に転じて、家族を引纏めて赴任して了ったので、私も終(つい)に雪江さんの事を忘れて了った。これでお終局(しまい)だ。
 余り平凡だ下らない。こんなのは単純な性慾の発動というもので、恋ではない、恋はも少(ちッ)と高尚な精神的の物だと、高尚な精神的の人は言うかも知れん。然うかも知れん。唯私のような平凡な者の恋はいつも斯うだ。先ず無意識或は有意識(ゆういしき)に性慾が動いて満足を求めるから、理性や趣味性が動いて其相手を定めて、始めて其処に恋が成立する。初から性慾の動かぬ場合に恋はない。異性でも親兄弟に恋をせぬのは其為だ。青年の時分には、性慾が猛烈に動くから、往々理性や趣味性の手を待たんで、自分と盲動して撞着(ぶつか)った者を直(すぐ)相手にする。私の雪江さんに於けるが、即ち殆ど其だ。私共の恋の本体はいつも性慾だ。性慾は高尚な物ではない、が、下劣な物とも思えん。中性だ、インヂフェレントの物だ。私共の恋の下劣に見えるのは、下劣な人格が反映するので、本体の性慾が下劣であるのではない。
 で、私の性慾は雪江さんに恋せぬ前から動いていた。から、些(ちッ)とも不思議でも何でもないが、雪江さんという相手を失った後(のち)も、私の恋は依然として胸に残っていた。唯相手のない恋で、相手を失って彷徨(うろうろ)している恋で、其本体は矢張(やッぱ)り満足を求めて得ぬ性慾だ。露骨に言って了えば、誠に愛想(あいそ)の尽きた話だが、此猛烈な性慾の満足を求むるのは、其時分の私の生存の目的の――全部とはいわぬが、過半であった。
 これは私ばかりでない、私の友人は大抵皆然うであったから、皆此頃からポツポツ所謂(いわゆる)「遊び」を始めた。私も若し学資に余裕が有ったら、矢張(やッぱり)「遊」んだかも知れん。唯学資に余裕がなかったのと、神経質で思切った乱暴が出来なかったのとで、遊びたくも遊び得なかった。
 友人達は盛(さかん)に「遊」ぶ、乱暴に無分別に「遊」ぶ。其を観ていると、羨(うらや)ましい。が、弱い性質の癖に極めて負惜しみだったから、私は一向羨(うらや)ましそうな顔もしなかった。年長の友人が誘っても私が応ぜぬので、調戯(からかい)に、私は一人で堕落して居るのだろうというような事を言った。恥かしい次第だが、推測通りであったので、私は赫(かっ)となった。血相(けっそう)を変えて、激論を始めて、果は殴合(なぐりあい)までして、遂に其友人とは絶交して了った。
 斯うして友人と喧嘩迄して見れば、意地としても最う「遊」ばれない。で、不本意ながら謹直家(きんちょくか)になって、而(そう)して何ともえたいの知れぬ、謂(いわ)れのない煩悶に囚(とら)われていた。

          四十二

 ああ、今日は又頭がふらふらする。此様(こん)な日にゃ碌な物は書けまいが、一日抜くも残念だ。向鉢巻(むこうはちまき)でやッつけろ!
 で、私は性慾の満足を求めても得られなかったので、煩悶していた。何となく世の中が悲観されてならん。友人等は「遊」ぶ時には大(おおい)に「遊」んで、勉強する時には大(おおい)に勉強して、何の苦もなく、面白そうに、元気よく日を送っている。それを観ていると、私は癪(しゃく)に触って耐(たま)らない。私の煩悶して苦むのは何となく友人等の所為(せい)のように思われる。で、責めてもの腹慰(はらい)せに、薄志の弱行のと口を極めて友人等の公然の堕落を罵(ののし)って、而(そう)して私は独り超然として、内々(ないない)で堕落していた。若し友人等の堕落が陽性なら、私の堕落は陰性だった。友人等の堕落が露骨で、率直で、男らしいなら、私の堕落は……ああ、何と言おう? 人間の言葉で言いようがない。私は畜生(ちくしょう)だった……
 が、こっそり一人で堕落するのは余り没趣味で、どうも夫(それ)では趣味性が満足せぬ。どうも矢張(やっぱり)異性の相手が欲しい。が、其相手は一寸(ちょっと)得られぬので、止むを得ず当分文学で其不足を補っていた。文学ならば人聴(ひとぎき)も好(い)い。これなら左程銭(ぜに)も入(い)らぬ。私は文学を女の代りにして、文学を以って堕落を潤色(じゅんしょく)していたのだ。
 私の謂う文学は無論美文学の事だ、殊に小説だ。小説は一体如何(どう)いうものだか、知らん、唯私の眼に映ずる小説は人間の堕落を潤色(じゅんしょく)するものだ。通人の話に、道楽の初は唯色(いろ)を漁(ぎょ)する、膏肓(こうこう)に入(い)ると、段々贅沢になって、唯色(いろ)を漁(ぎょ)するのでは面白くなくなる、惚れたとか腫(は)れたとか、情合(じょうあい)で異性と絡(から)んで、唯の漁色(ぎょしょく)に趣(おもむき)を添えたくなると云う。其処だ、其処が即ち文学の需要の起る所以(ゆえん)だ。少くも私は然うであった。で、此目的で、最初は小狐(おぎつね)に居た頃喰付いた人情本を引続き耽読(たんどく)してみたが、数を累(かさ)ねると、段々贅沢になって、もう人情本も鼻に附く。同じ性慾の発展の描写でも、も少し趣味のある描写を味わってみたい。そこで、種々(いろいろ)と小説本を渉猟(しょうりょう)して、終(つい)に当代の大家の作に及んで見ると、流石(さすが)は明治の小説家だ、性慾の発展の描写が巧(たくみ)に人生観などで潤色(じゅんしょく)されてあって、趣味がある、面白い。斯ういう順序で私の想像で堕落する病(やまい)は益(ますます)膏肓(こうこう)に入(い)って、終(つい)には西洋へ迄手を出して、ヂッケンスだ、サッカレーだ、ゾラだ、ユゴーだ、ツルゲーネフだ、トルストイだ、という人達の手を藉(か)りて、人並にしていれば、中性のインヂフェレントの性慾を無理に不自然な病的の物にして、クラフトエービングやフォレールの著書中に散見するような色情狂に想像で成済(なりす)まして、而(そう)して独り高尚がっていた。
 いや、独り高尚がっていたのでない。それには同気相求めて友が幾人(いくたり)も出来た。同県人で予備門から後(のち)文科へ入(い)った男が有ったが、私は殊に其感化を受けた。ああ、皆自分が悪かったので、人を怨んでは済まないが、私は今でも此男に逢うと、何とも言えぬ厭な心持になる。儘になるなら刺違(さしちが)えて死で了いたく思う事もある。

          四十三

 私が感化を受けた友というのは私より一つ二つ年上であった。文学が専門だから、文学書は私より余計読でいたという丈で、何でもない事だが、それを私は大層偉いように思っていた。まだファウストを読まぬ時、ファウストの話を聴(きか)される。なに、友は愚にも附(つか)ん事を言っているのだが、其愚にも附かん事を、人生だ、智慾だ、煩悶だ、肉だ、堕落だ、解脱(げだつ)だ、というような意味の有り気な言葉で勿体を附て話されると、何だか難有(ありがた)くなって来て、之を語る友は偉いと思った。こんな馬鹿気た話はない。友は唯私より少し早くファウストという古本(ふるほん)を読(よん)だ丈の事だ。読んで分った所で、ファウストが何程(どれほど)の物だ? 技巧の妙を除いたら、果してどれ程の価値がある? 況(いわん)や友はあやふやな語学の力で分らん処を飛ばし飛ばし読んだのだ。読んで幼稚な頭で面白いと感じた丈だ、それも聞怯(ききおじ)して、従頭(てんから)面白いに極(き)めて掛って、半分は雷同で面白いと感じた丈だ。読んで十分に味わい得た所で、どうせ人間の作った物だ、左程の物でもあるまいに、それを此様(こん)な読方をして、難有(ありがた)がって、偶(たまたま)之を読まぬ者を何程(どれほど)劣等の人間かのように見下(みくだ)し、得意になって語る友も友なら、其を聴いて敬服する私も私だ。心ある人から観たら、嘸(さ)ぞ苦々しく思われたろう。
 此友から私は文学の難有(ありがた)い訳を種々(いろいろ)と説き聴かされた。今ではもう大抵忘れて了ったけれど、何でも文学は真理に新しい形を賦(ふ)して其生命を直接に具体的に再現するものだ、とか聴かされて、感服した。自然の真相は普通人に分らぬ、詩人が其主観を透(とお)して描いて示すに及んで、始めて普通人にも朧気(おぼろげ)に分って人間の宝となる、とか聴かされて、又感服した。恋には人間の真髄が動く、とか聴かされて、又感服した。其他(そのた)まだ種々(いろいろ)聴かされて一々感服したが、此様(こん)な事は皆愚言(たわごと)だ、世迷言(よまいごと)だ。空想に生命を託して人生を傍観するばかりで、古本と首引(くびぴき)して瞑想するばかりで、人生に生命を託して人生と共に浮沈上下(ふちんじょうか)せんでも、人生の活機に触れんでも、活眼を以て活勢を機微の間(あいだ)に察し得んでも、如何(どう)かして人生が分るものとしても、友のいうような其様(そん)な文学は、何処かで誰かが空想した文学で、文学の実際でない。文学の実際は人間の堕落を潤色(じゅんしょく)して、懦弱(だじゃく)な人間を更に懦弱(だじゃく)にするばかりだ。私の観方(みかた)は偏しているというか? 唯弊(へい)を見て利を見ぬというか? しかし利よりも弊(へい)の勝ったのが即ち文学の実際ではないか? 私の観方(みかた)より文学の実際が既に弊(へい)に偏しているではないか?
 ああ、しかし、文学を責めるより、友を責めるより、自ら責めた方が当っていよう。私のような斗□(やくざ)な者は、例えば聖賢の遺書を読んでも、矢張(やっぱり)害を受けるかも知れん。私は自然だ人生だと口には言っていたけれど、唯書物で其様(そん)な言葉を覚えただけで、意味が能(よ)く分っているのではなかった。意味も分らぬ言葉を弄(もてあそ)んで、いや、言葉に弄(もてあそ)ばれて、可惜(あたら)浮世を夢にして渡った。詩人と名が附きゃ、皆普通の人より勝(まさ)ってるように思っていた。小説、殊に輸入小説には人生の真相が活字の面(おもて)に浮いているように思っていた。西洋の詩人は皆東洋の詩人に勝るように思っていた。作の新旧を論じて其価値を定めていた。自分は此様(こん)な下らん真似をしていながら、他(た)の額に汗して着実の浮世を渡る人達が偶(たまたま)文壇の事情に通ぜぬと、直ぐ俗物と罵(ののし)り、俗衆と罵(ののし)って、独り自(みずか)ら高しとしていた。独り自ら高しとする一方で、想像で姦淫して、一人で堕落していた。
 ああ、恥かしくて顔が熱(ほて)る。何たる苦々しい事であった。私は当時の事を想い出(いだ)す度(たび)に、人通りの多い十字街(よつつじ)に土下座して、通る人毎に、踏んで、蹴て、唾を吐懸けて貰い度(たい)ような心持になる……

          四十四

 文学の毒に中(あて)られた者は必ず終(つい)に自分も指を文学に染めねば止まぬ。私達が即ち然うであった。先ず友が何か下らぬ物を書いて私に誇示(ひけらか)した。すると私も直ぐ卑(さも)しい負ぬ気を出して短篇を書いた。どうせ碌な物ではない。筋はもう忘れて了ったが、何でも自分を主人公にして、雪江さんが相手の女主人公(じょしゅじんこう)で、紛紜(ごたごた)した挙句に幾度(いくたび)となく姦淫するのを、あやふやな理想や人生観で紛(まぎ)らかして、高尚めかしてすじり捩(もじ)った物であったように記憶する。自惚(うぬぼれ)は天性だから、書上げると、先ず自分と自分に満足して、これなら当代の老大家の作に比しても左(さ)して遜色(そんしょく)は有るまい、友に示(み)せたら必ず驚くと思って、示(み)せたら、友は驚かなかった。好(い)い処もあるが、もう一息だと言う様なことをいう。私は非常に不平だった。が、局量の狭い者に限って、人の美を成すを喜ばぬ。人を褒(ほめ)れば自分の器量が下るとでも思うのか、人の為(し)た事には必ず非難(けち)を附けたがる、非難(けち)を附けてその非難(けち)を附けたのに必ず感服させたがる。友には其癖があったから、私は友の評を一概に其癖の言わせる事にして了って、実に卑劣な奴だと思った。
 何とかして友に鼻を明(あか)させて遣(や)りたい。それには此短篇を何処かの雑誌へ載せるに限ると思った。雑誌へ載せれば、私の名も世に出る、万一(ひょっと)したら金も獲(え)られる、一挙両得だというような、愚劣な者の常として、何事も自分に都合の好(い)い様にばかり考えるから、其様(そん)な虫の好(い)い事を思って、友には内々(ないない)で種々(いろいろ)と奔走して見たが、如何(どう)しても文学の雑誌に手蔓(てづる)がない。其中(そのうち)に或人が其は既に文壇で名を成した誰(たれ)かに知己(ちかづき)になって、其人の手を経て持込むが好(い)いと教えて呉れたので、成程と思って、早速手蔓(てづる)を求めて某大家の門を叩いた。
 某大家は其頃評判の小説家であったから、立派な邸宅を構えていようとも思わなかったが、定めて瀟洒(しょうしゃ)な家(うち)に住って閑雅な生活をしているだろうと思って、根岸(ねぎし)の其宅を尋ねて見ると、案外見すぼらしい家(うち)で、文壇で有名な大家のこれが住居(すまい)とは如何(どう)しても思われなかった。家(うち)も見窄(みすぼ)らしかったが、主人も襟垢(えりあか)の附た、近く寄ったら悪臭(わるぐさ)い匂(におい)が紛(ぷん)としそうな、銘仙(めいせん)か何かの衣服(きもの)で、銀縁眼鏡(ぎんぶちめがね)で、汚い髯(ひげ)の処斑(ところまだら)に生えた、土気色をした、一寸(ちょっと)見れば病人のような、陰気な、くすんだ人で、ねちねちとした弁で、面(かお)を看合(みあわ)せると急いで俯向(うつむ)いて了う癖がある。通されたのは二階の六畳の書斎であったが、庭を瞰下(みおろ)すと、庭には樹から樹へ紐(ひも)を渡して襁褓(おしめ)が幕のように列べて乾(ほ)してあって、下座敷(したざしき)で赤児(あかご)のピイピイ泣く声が手に取るように聞える。
 私は甚(ひど)く軽蔑の念を起した。殊に庭の襁褓(おしめ)が主人の人格を七分方下げるように思ったが、求むる所があって来たのだから、質樸な風をして、誰(たれ)も言うような世辞を交(ま)ぜて、此人の近作を読んで非常に敬服して教えを乞いに来たようにいうと、先生畳を凝(じっ)と視詰(みつ)めて、あれは咄嗟(とっさ)の作で、書懸(かきかけ)ると親類に不幸が有ったものだから、とかいうような申訳めいた事を言って、言外に、落着いて書いたら、という余意を含める。私は腹の中で下らん奴だと思ったが、感服した顔をして媚(こ)びたような事を言うと、先生万更(まんざら)厭な心持もせぬと見えて、稍(やや)調子付いて来て、夫から種々(いろいろ)文学上の事に就いて話して呉れた。流石(さすが)は大家と謂われる人程あって、驚くべき博覧で、而も一家の見識を十分に具えていて、ムッツリした人と思いの外、話が面白い。後進の私達は何(ど)の点に於ても敬服しなければならん筈であるが、それでも私は尚お軽蔑の念を去る事が出来なかった。で、終局(しまい)に只ほんの看(み)て貰えば好(い)いように言って、雑誌へ周旋を頼む事は噫(おくび)にも出さないで、持って行った短篇を置いて、下宿へ帰って来てから、又下らん奴だと思った。

          四十五

 某大家は兎に角大家だ。私は青二才だ。何故私は此人を軽蔑したのか? 襟垢(えりあか)の附いた着物を着ていたとて、庭に襁褓(むつき)が乾(ほ)してあったとて、平生(へいぜい)名利(めいり)の外(ほか)に超然たるを高しとする私の眼中に、貧富の差は無い筈である。が、私は実際先生の貧乏臭いのを看て、軽蔑の念を起したのだ。矛盾だ。矛盾ではあるが、矛盾が私の一生だ。
 医者の不養生という。平生思想を性命として、思想に役せられている人に限って、思想が薄弱で正可(まさか)の時の用に立たない。私の思想が矢張(やっぱ)り其だった。
 けれど、思想々々と大層らしく言うけれど、私の思想が一体何んだ? 大抵は平生親しむ書巻の中(うち)から拾って来た、謂わば古手の思想だ。此蒼褪(あおざ)めた生気のない古手の思想が、意識の表面で凝(こ)って髣髴(ほうふつ)として別天地を拓いている処を見ると、理想だ、人生観だというような種々の観念が美しい空想の色彩を帯びて其中(そのうち)に浮游していて、腹が減(す)いた、銭が欲しいという現実界に比べれば、□(はるか)に美しいように見える。浮気な不真面目な私は直ぐ好(い)い処を看附けたという気になって、此別天地へ入り込んで、其処から現実界を眺めて罵しっていたのだ。我存在の中心を古手の思想に託して、夫(それ)で自(みずか)ら高しとしていたのだ。が、私の別天地は譬(たと)えば塗盆(ぬりぼん)へ吹懸(ふきか)けた息気(いき)のような物だ。現実界に触れて実感を得(え)ると、他愛もなく剥(は)げて了う、剥(は)げて木地(きじ)が露(あら)われる。古手の思想は木地を飾っても、木地を蝕する力に乏しい。木地に食入って吾を磨くのは実感だのに、私は第一現実を軽蔑していたから、その実感を得(え)る場合が少く、偶(たまたま)得た実感も其取扱を誤っていたから、木地の吾を磨く足(たし)にならなかった。従って何程(なにほど)古手の思想を積んで見ても、木地の吾は矢張(やっぱり)故(もと)のふやけた、秩序(だらし)のない、陋劣(ろうれつ)な吾であった。
 こうして別天地と木地の吾とは別々であったから、別天地に遊んでいる時と、吾に戻った時とは、勢い矛盾する。言行は始終一致しない。某大家に対しても、未だ会わぬ中(うち)は多少の敬意を有(も)っていたけれど、一たび其人の土気色した顔が見え、襟垢(えりあか)が見え、襁褓(むつき)が見えて想像中の人が現実の人となると、木地の吾が、貧乏だから下らんと、別天地では流行せぬ論法で論断して之を軽蔑して了ったのだ。
 唯当時私はまだ若かったから、陋劣(ろうれつ)な吾にしても、私の吾には尚お多少の活気が有って、多少の活機を捉え得た。文壇の大家になると、古手の思想が凝固(こりかた)まって、其人の吾は之に圧倒せられ、纔(わずか)に残喘(ざんぜん)を保っているようなのが幾らもある。斯ういう人が、現実に触れると、気の毒な程他愛の無い人になる。某大家が即ち其であった。だから、人生を論じ、自然を説いて、微を拆(ひら)き、幽を闡(ひら)く頭はあっても、目前で青二才の私が軽蔑しているのが、先生には終(つい)に見えなかったのだ。

          四十六

 二三日して行って見ると、先生も友と同じ様に、好(い)い処も有るが、もう一息だというような事を言う。嘘(うそ)だ。好(い)い処も何も有るのじゃない。不出来だと直言が出来なくて斯う言ったのだ。先生も目が見えん人だが、私も矢張(やっぱり)自分の事だと目が見えんから、其を真(ま)に受けて、書直して持って行くと、先生が気の毒そうに趣向をも少し変えて見ろと云う。言う通りに趣向をも少し変えて持って行くと、もう先生も仕方がない、不承々々に、是で好(い)いと云う。なに、是で好(い)い事は些(ちっと)も無いのだが、先生は気が弱くて、もう然う然うは突戻し兼たのだ。先生に曰わせると、之を後進に対する同情だという。何の同情の事が有るものか! 少しでも同情が有るなら、頭から叱付けて、文学などに断念させるが好(い)いのだ。是が同情なら、同情は「□え切らん」の別名だ。どうせ思想に囚(とら)われて活機の分らぬ人の為(す)る事だから、お飾(かざり)の思想を一枚剥(めく)れば、下からいつも此様(こん)な愛想(あいそ)の尽きた物が出て来るに不思議はないが、此方(こっち)も此方(こっち)だ、其様(そん)な事は少しも見えない。本当に是で好(い)い事だと思って、其言葉の尾に縋(すが)って、何処かの雑誌へ周旋をと頼んだ。こんなのを盲目(めくら)の紛(まぐ)れ当(あた)りと謂うのだろう。機を制せられて、先生も仕方がなさそうに是も受込む。私達の応対は活きた人には側(そば)で聴いていられたものであるまい。
 一月程して私の処女作は或雑誌へ出た。初恋が霜(しも)げて物にならなかった事を書いたのだからとて、題は初霜だ。雪江さんの記念に雪江(せっこう)と署名した。先生が筆を加えて私の文は行方不明になった処も大分あったが、兎も角も自分の作が活字になったのが嬉しくて嬉しくて耐(たま)らない。雑誌社から送って来るのを待ちかねて、近所の雑誌店へ駆付けて、買って来て、何遍か繰返して読んでも読んでも読飽(よみあ)かなかった。真面目な人なら、此処らで自分の愚劣を悟る所だろうが、私は反て自惚(うぬぼ)れて、此分で行けば行々(ゆくゆく)は日本の文壇を震駭(しんがい)させる事も出来ようかと思った。
 聊(いささ)かながら稿料も貰えたから、二三の友を招いて、近所の牛肉店で祝宴を開いて、其晩遂に「遊び」に行った。其時案外不愉快であったのは曾て記した通り。皆嬉しさの余りに前後を忘却したので。
 これが私の小説を書く病付(やみつ)きで又「遊び」の皮切であったが、それも是も縁の無い事ではない。私の身では思想の皮一枚剥(めく)れば、下は文心即淫心だ。だから、些(ちっ)とも不思議はないが、同時に両方に夢中になってる中(うち)に、学校を除籍された。なに、月謝の滞(とどこお)りが原因だったから、復籍するに造作(ぞうさ)はなかったが、私は考えた、「寧(いっ)その事小説家になって了おう。法律を学んで望み通り政治家になれたって、仕方がない。政治家になって可惜(あたら)一生を物質的文明に献げて了うより、小説家になって精神的文明に貢献した方が高尚だ。其方が好(い)い……」どうも仕方がない。活眼を開いて人生の活相を観得なかった私が、例の古手の旧式の思想に捕われて、斯う思ったのは仕方がないが、夫(それ)にしても、同じ思想に捕われるにしても、も少し捕えられ方が有りそうなものだった。物心(ぶっしん)一如(にょ)と其様(そん)な印度(いんど)臭(くさ)い思想に捕われろではないが、所謂(いわゆる)物質的文明は今世紀の人を支配する精神の発動だと、何故思(おもわ)れなかったろう? 物質界と表裏して詩人や哲学者が顧(かえり)みぬ精神界が別にあると、何故思(おもわ)れなかったろう? 人間の意識の表面に浮(うかん)だ別天地の精神界と違って、此精神界は着実で、有力で、吾々の生存に大関係があって、政治家は即ち此精神界を相手に仕事をするものだと、何故思われなかったろう? 此道理をも考えて、其上で去就を決したのなら、真面目な決心とも謂えようが……ああ、しかし、何(ど)の道(みち)思想に捕われては仕方がない。私は思想で、自ら欺いて、其様(そん)な浅墓(あさはか)な事を思っていたが、思想に上らぬ実際の私は全く別の事を思っていた。如何(どん)な事を思っていたかは、私の言う事では分らない、是から追々為(す)る事で分る。

          四十七

 私は其時始て文士になろうと決心した、トサ後(のち)には人にも話していたけれど、事実でない。私は生来未(いま)だ曾て決心をした事の無い男だ。いつも形勢が既に定(さだま)って動かすべからずなって、其形勢に制せられて始て決心するのだから、学校を除籍せられたばかりでは、未だ決心が出来なかった。唯下宿に臥転(ねころ)んでグズリグズリとして文士に為りそうになっていたのだ。
 始めて決心したのは、如何(どう)してか不始末が国へ知れて父から驚いた手紙の来た時であった。行懸りで愚図々々はしていられなくなったから、始めて斯うと決心して事実を言って同意を求めてやると、父からは怒(おこ)った手紙が来る、母からは泣いた手紙が来る。親達が失望して情ながる面(かお)は手紙の上に浮いて見えるけれど、こうなると妙に剛情(ごうじょう)になって、因襲の陋見(ろうけん)に囚(とら)われている年寄の白髪頭(しらがあたま)を冷笑していた。親戚の某(なにがし)が用事が有って上京した序(ついで)に、私を連れて帰ろうとしたが、私は頑として動かなかった。そこで学資の仕送りは絶えた。
 こうなるは最初から知れていながら、私は弱った。仕方がないから、例の某大家に縋(すが)って書生に置いて貰おうとすると、先生は相変らずグズリグズリと煮切らなかったが、奥さんが飽迄(あくまで)不承知で、先生を差措(さしお)いて、御自分の口から断然(きっぱり)断られた。私は案外だった。頼めば二つ返事で引受けて呉れるとばかり思っていたから、親戚の者が連れて行こうとした時にも、言わでもの広言迄吐いて拒んだのだが、こう断られて見ると、何だか先生夫婦に欺(あざむ)かれたような気がして、腹が立って耐(な)らなかった。世間の人は皆私の為に生きているような気でいたからだ。
 もう斯うなっては、仕方がない、書けても書けんでも、筆で命を繋(つな)ぐより外(ほか)仕方がない。食うと食わぬの境になると、私でも必死になる。必死になって書いて書いて書捲(かきまく)って、その度に、悪感情は抱(いだ)いていたけれど、仕方がないから、某大家の所へ持って行って、筆を加えて貰った上に、売って迄貰っていた。其が為には都合上門人とも称していた。然うして一二年苦しんでいる中(うち)に、どうやら曲りなりにも一本立が出来るようになると、急に此前奥さんに断られた時の無念を想出(おもいだ)して、夫からは根岸のお宅へも無沙汰(ぶさた)になった。もう先生に余り用はない。先生は或は感情を害したかも知れないが、先生が感情を害したからって、世間が一緒になって感情を害しはすまいし……と思ったのではない、決して左様(そん)な軽薄な事は思わなかったが、私の行為を後(あと)から見ると、詰り然う思ったと同然になっている。
 先生には用が無くなったが、文壇には用が有るから、私は広く交際した。大抵の雑誌には一人や二人の知己が出来た。こうして交際を広くして置くと、私の作が出た時に、其知己が余り酷(むご)くは評して呉れぬ。無論感服などする者は一人もない。私などに感服しては見識に関わる。何かしら瑕疵(きず)を見付けて、其で自分の見識を示した上で、しかし、まあ、可なりの作だと云う。褒(ほめ)る時には屹度(きっと)然う云う。私は局量が狭いから、批評家等が誰(たれ)も許しもせぬのに、作家よりも一段上座(じょうざ)に坐り込んで、其処から曖昧(あやふや)な鑑識で軽率に人の苦心の作を評して、此方の鑑定に間違いはない、其通り思うて居れ、と言わぬばかりの高慢の面付(つらつき)が癪(しゃく)に触(さわ)って耐(たま)らなかったが、其を彼此(かれこれ)言うと、局量が狭いと言われる。成程其は事実だけれど、そう言われるのが厭だから、始終黙って憤(おこ)っていた。其癖批評家の言う所で流行の趨(おもむ)く所を察して、勉めて其に後れぬようにと心掛けていた……いや、心掛けていたのではない、其様(そん)な不見識な事は私の尤も擯斥(ひんせき)する所だったが、後(あと)から私の行為を見ると矢張(やっぱり)然う心掛けたと同然になっている。

          四十八

 久(しば)らく文壇を彷徨(うろうろ)している中(うち)に、当り作が漸く一つ出来た。批評家等は筆を揃えて皆近年の佳作だと云う。私は書いた時には左程にも思わなかったが、然う言われて見ると、成程佳作だ。或は佳作以上で、傑作かも知れん。私は不断紛々たる世間の批評以外に超然としている面色(かおつき)をしていて、実は非難(けな)されると、非常に腹が立って、少しでも褒(ほ)められると、非常に嬉しかったのだ。
 当り作が出てからは、黙っていても、雑誌社から頼みに来る、書肆(しょし)から頼みに来る。私は引張凧(ひっぱりだこ)だ……トサ感じたので、なに、二三軒からの申込が一時(じ)一寸(ちょっと)累(かさ)なったのに過ぎなかった。
 嬉しかったので、調子に乗って又書くと、又評判が好(い)い。斯うなると、世間の注目は私一身に叢(あつ)まっているような気がして、何だか嬉しくて嬉しくて耐(たま)らないが、一方に於ては此評判を墜(おと)しては大変という心配も起って来た。で、平生は眼中に置かぬらしく言っていた批判家(ひひょうか)等(ら)に褒(ほめ)られたいが一杯で、愈(いよいよ)文学に熱中して、明けても暮れても文学の事ばかり言い暮らし、眼中唯文学あるのみで、文学の外(ほか)には何物もなかった。人生あっての文学ではなくて、文学あっての人生のような心持で、文学界以外の人生には殆ど何の注意も払わなかった。如何なる国家の大事が有っても、左程胸に響かなかった代り、文壇で鼠がゴトリというと、大地震の如く其を感じて騒ぎ立てた。之を又真摯(しんし)の態度だとかいって感服する同臭味(どうしゅうみ)の人が広い世間には無いでもなかったので、私は老人がお宗旨に凝るように、愈(いよいよ)文学に凝固(こりかた)まって、政治が何だ、其日送りの遣繰仕事(やりくりしごと)じゃないか? 文学は人間の永久の仕事だ。吾々は其高尚な永久の仕事に従う天の選民だと、其日を離れて永久が別に有りでもするような事を言って、傲然として一世を睥睨(へいげい)していた。
 文学上では私は写実主義を執(と)っていた。それも研究の結果写実主義を是(ぜ)として写実主義を執(とっ)たのではなくて、私の性格では勢い写実主義に傾かざるを得なかったのだ。
 写実主義については一寸(ちょっと)今の自然主義に近い見解を持って、此様(こん)な事を言っていた。
 写実主義は現実を如実に描写するものではない。如実に描写すれば写真になって了う。現実の(真(しん)とは言わなかった)真味を如実に描写するものである。詳しく言えば、作家のサブジェクチウィチー即ち主観に摂取し得た現実の真味を如実に再現するものである。
 人生に目的ありや、帰趨ありや? 其様(そん)な事は人間に分るものでない。智の力で人生の意義を掴(つか)まんとする者は狂せずんば、自殺するに終る。唯人生の味(あじわい)なら、人間に味える。味っても味っても味い尽せぬ。又味わえば味わう程味が出る。旨い。苦中にも至味(しみ)はある。其至味(しみ)を味わい得ぬ時、人は自殺する。人生の味いは無限だけれど、之を味わう人の能力には限りがある。
 唯人は皆同じ様に人生の味(あじわい)を味わうとは言えぬ。能(よ)く料理を味わう者を料理通という。能(よ)く人生を味わう者を芸術家という。料理通は料理人でない如く、能(よ)く人生を味わう芸術家は能(よ)く人生を経理せんでも差支えはない。
 道徳は人生を経理するに必要だろうけれど、人生の真味を味わう助(たすけ)にはならぬ。芸術と道徳とは竟(つい)に没交渉である。
 是が私の見解であった。浅薄はさて置いて、此様(こん)な事を言って、始終言葉に転ぜられていたから、私は却て普通人よりも人生を観得なかったのである。

          四十九

 私の文学上の意見も大業だが、文学については先(ま)あ其様(そん)な他愛のない事を思って、浮れる積(つもり)もなく浮れていた。で、私の意見のようにすると、味(あじわ)わるるものは人生で、味わうものは作家の主観であるから、作家の主観の精粗に由て人生を味わう程度に深浅の別が生ずる。是(ここ)に於て作家は如何(どう)しても其主観を修養しなければならん事になる。
 私は行々(ゆくゆく)は大文豪になりたいが一生の願(ねがい)だから、大(おおい)に人生に触れて主観の修養をしなければならん。が、漠然人生に触れるの主観を修養するのと言ってる中(うち)は、意味が能(よ)く分っているようでも、愈(いよいよ)実行する段になると、一寸(ちょっと)まごつく。何から何如(どう)手を着けて好(い)いか分らない。政治や実業は人生の一現象でも有ろうけれど、其様(そん)な物に大した味(あじわい)はない筈である。といって教育でもないし、文壇は始終触れているし、まあ、社会現象が一番面白そうだ。面白いというのは其処に人生の味が濃(こまや)かに味わわれる謂(いい)である。社会現象の中(うち)でも就中(なかんずく)男女の関係が最も面白そうだが、其面白味を十分に味わおうとするには、自分で実験しなければならん。それには一寸(ちょっと)相手に困る。人の恋をするのを傍観するのは、宛(あだか)も人が天麩羅(てんぷら)を喰ってるのを観て其味を想像するようなものではあるけれど、実験の出来ぬ中(うち)は傍観して満足するより外(ほか)仕方がない。が、新聞の記事では輪廓だけで内容が分らない。内容を知るには、恋する男女の間に割込んで、親しく其恋を観察するに限るが、恋する男女が其処らに落(おッ)こちても居ない。すると、当分まず恋の可能(ポッシビリチイ)を持っている若い男女を観察して満足して居なければならん。が、若い男を観察したって詰らない。若い男の心持なら、自分でも大抵分る。恋の可能(ポッシビリチイ)を持っている若い女の観察が当面の急務だ。と、こう考え詰めて見ると、私の人生研究は詰り若い女の研究に帰着する。
 で、帰着点は分ったが、矢張(やッぱり)実行が困難だ。若い女を研究するといって、往来に衝立(つッた)っていて通る女に一々触れもされん。勢い私の手の届く所から研究に着手する外はない。が、私の手の届く所だと、まず下宿屋のお神さんや下女になる。下宿屋のお神さんは大抵年を喰ってる。若いお神さんはうッかり触れると危険だ。剰(あま)す所は下女だが、下女ではどうも喰い足りない。忙がしそうにしている所を捉(つか)まえて、一つ二つ物を言うと、もう何番さんかでお手が鳴る。ヘーイと尻上りに大きな声で返事をして、跡をも閉めずにドタドタと座敷を駈出して行くのでは、余り没趣味だ。下女が没趣味だとすると、私の身分ではもう売女(ばいじょ)に触れて研究する外はないが、これも大店(おおみせ)は金が掛り過るから、小店で満足しなければならん。が、小店だと、相手が越後の国蒲原郡何村(かんばらごおりなにむら)の産の鼻ひしゃげか何かで、私等(わしら)が国さでと、未だ国訛(くになまり)が取れないのになる。往々にして下女にも劣る。尤も是は少し他(た)に用事も有ったから、其用事を兼ねて私は絶えず触れていたが、どうしても、どう考えて見ても、是では喰い足らん。どうも素人(しろうと)の面白い女に撞着(ぶつか)って見たい。今なら直ぐ女学生という所だが、其時分は其様(そん)な者に容易に接近されなかったから、私は非常に煩悶していた。
 馬鹿なッ! 其様(そん)な事を言って、私は女房が欲しくなったのだ。

          五十

 人生の研究というような高尚な事でも、私なぞの手に掛ると、詰り若い女に撞着(ぶつか)りたいなぞという愚劣な事になって了う。普通の人なら青年の中(うち)は愚を意識して随分愚な真似もしようけれど、私は其を意識しなかった。矢張(やっぱり)私共でなければ出来ぬ高尚な事のように思って、切(しきり)に若い女に撞着(ぶつか)りたがっている中(うち)に、望む所の若い女が遂に向うから来て撞着(ぶつか)った。
 それは小石川の伝通院(でんづういん)脇の下宿に居る時であった。此下宿は体裁は余り好くなかったが、それでも所謂(いわゆる)高等下宿で、学生は大学生が一人だったか、二人だったか、居たかと思う。余(あと)は皆小官吏や下級の会社員ばかりで、皆朝から弁当を持って出懸けて、午後は四時過でなければ帰って来ぬ連中(れんじゅう)だから昼の中(うち)は家内が寂然(しん)とする程静かだった。
 私は此家(このうち)で一番上等にしてある二階の八畳の部屋を占領していた。なに、一番上等といっても、元来下宿屋に建てた家(うち)だから、建前は粗末なもので、動(やや)もすると障子が乾反(ひぞ)って開閉(あけたて)に困難するような安普請(やすぶしん)ではあったが、形(かた)の如く床の間もあって、年中鉄舟先生(てっしゅうせんせい)やら誰やらの半折物(はんせつもの)が掛けてあって、花活(はないけ)に花の絶えたことがない……というと結構らしいが、其代り真夏にも寒菊が活(いけ)てあったりする。造花なのだ。これは他(た)の部屋も大同小異だったが、唯(たッ)た一つ他(た)の部屋にはなくて、此部屋ばかりにある、謂わば此部屋の特色を成す物があった。それは姿見で、唐草模様の浮出した紫檀贋(したんまが)いの縁の、対(むか)うと四角な面(かお)も長方形になる、勧工場(かんこうば)仕込の安物ではあったけれど、兎も角も是が上等室の標象(シムボール)として恭(うやうや)しく床の間に据えてあった。下にもまだ八畳が一間(ひとま)あったが、其処には姿見がなかった。同じような部屋でありながら、間代が其処より此処の方が三割方高かったのは、半分は此姿見の為だったかとも思われる。
 部屋は此通り余り好くはなかったが、取得(とりえ)は南向で、冬暖かで夏涼しかった。其に一番尽頭(はずれ)の部屋で階子段(はしごだん)にも遠かったから、他(た)の客が通り掛りに横目で部屋の中を睨(にら)んで行く憂いはなかった。
 も一つ好(い)い事は――部屋の事ではないが、此家(このうち)は下宿料の取立が寛大だった。亭主は居るか居ないか分らんような人で、お神さん一人で繰廻(くりまわ)しているようだったが、快活で、腹の大きい人で、少し居馴染(いなじ)んだ者には、一月二月下宿料が滞(とどこお)っても、宜しゅうございます、御都合の好(い)い時で、といってビリビリしない。収入の不定な私には是が何よりだったから、私は二年越此家(このうち)に下宿して居た。
 或日朝から出て昼過に帰ると、帳場に看慣(みな)れぬ女が居る。後向(うしろむき)だったから、顔は分らなかったが、根下(ねさが)りの銀杏返(いちょうがえ)しで、黒縮緬(くろちりめん)だか何だかの小さな紋の附いた羽織を着て、ベタリと坐ってる後姿が何となく好かったが、私がお神さんと物を言ってる間、其女は振向いても見ないで、黙って彼方(あちら)向いて烟草(たばこ)を喫(す)っていた。
 部屋へ来る跡から下女が火を持って来たから、捉(つか)まえて聞くと、今朝殆ど私と入違(いりちが)いに尋ねて来たのだそうで、何でもお神さんの身寄だとかで、車で手荷物なぞも持って来たから、地方の人らしいと云う。唯其切(それぎり)で、下女の事だから要領を得ない。
「如何(どん)な女だい?」
「あら、今御覧なすったじゃ有りませんか?」
「後向(うしろむ)きで分らなかった。」
「別品(べっぴん)ですよ」、といって下女は莞爾々々(にこにこ)している。
「丸顔かい?」
「いいえ、細面(ほそおもて)でね……」
「色は如何(どん)なだい? 白いかい?」
 下女は黙って私の面(かお)を見ていたが、
「大層お気が揉めますのね。何なら、もう一遍下へ行って見ていらしッたら……」
 誰にでも翻弄(ほんろう)されると、途方に暮れる私だから、拠(よん)どころなく苦笑(にやり)として黙って了うと、下女は高笑(たかわらい)して出て行って了った。

          五十一

 軈(やが)て夕飯時(ゆうめしどき)になった。部屋々々へ膳を運ぶ忙がしそうな足音が廊下に轟いて、何番さんがお急ぎですよ、なぞと二階から金切声で聒(かしま)しく喚(わめ)く中を、バタバタと急足(いそぎあし)に二人ばかり来る女の足音が私の部屋の前で止ると、
「此方(こッち)が一番さんで、夫(それ)から二番さん三番さんと順になるンですから何卒(どうぞ)……」
 というのは聞慣れた小女(ちび)の声で、然う言棄てて例の通り端手(はした)なくバタバタと引返(ひッかえ)して行く。
 と、跡に残った一人が障子の外に蹲(うずく)まった気配(けはい)で、スルスルと障子が開(あ)いたから、見ると、彼女(あのおんな)だ、彼女(あのおんな)に違いない。私は急いで余所を向いて了ったから、能(よ)くは、分らなかったが、何でも下女の話の通り細面(ほそおもて)で、蒼白い、淋しい面相(かおだち)の、好(い)い女だ……と思った。年頃は二十五六……それとも七か……いや、八か……女の歳は私には薩張(さっぱり)分らない。もう羽織はなしで、紬(つむぎ)だか銘仙だか、夫とも更(もッ)と好(い)い物だか、其も薩張(さっぱり)分らなかったが、何(なに)しても半襟の掛った柔か物で、前垂(まえだれ)を締めて居たようだった。障子を明けると、上目でチラと私の面(かお)を見て、一寸(ちょっと)手を突いて辞儀をしてから、障子の影の膳を取上て、臆した体もなくスルスルと内へ入って来て、「どうもお待せ申しまして」、といいながら、狼狽(まごまご)している私の前へ据えた手先を見ると、華奢(きゃしゃ)な蒼白い手で、薬指に燦(きら)と光っていたのは本物のゴールド、リングと見た。正可(まさか)鍍金(めッき)じゃ有るまい、飯櫃(めしびつ)も運び込んでから、
「お湯はございますか知ら。」
 と火鉢の薬鑵(やかん)を一寸(ちょっと)取って見て、
「まだ御座いますようですね。じゃ、お後(あと)にしましょう。御緩(ごゆっ)くりと……」
 と会釈して、スッと起(た)った所を見ると、スラリとした後姿(うしろつき)だ。ああ、好(い)い風(ふう)だ、と思っている中(うち)に、もう部屋を出て了って、一寸(ちょっと)小腰を屈(かが)めて、跡を閉めて、バタバタと廊下を行く。
 別段異(かわ)った事もない。小娘でないから、少しは物慣れた処もあったろうが、其は当然(あたりまえ)だ。風(ふう)に一寸(ちょっと)垢脱(あかぬけ)のした処が有ったかも知れぬが、夫(それ)とても浮気男の眼を惹(ひ)く位(ぐらい)の価値で大した女ではなかったのに、私は非常に感服して了った。
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