平凡
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著者名:二葉亭四迷 

 辛(やッ)と放免されて、暗黒(くらやみ)を手探りで長四畳へ帰って来ると、下女が薄暗い豆ランプを持って来て、お前さん床を敷(と)ったら忘れずに消すのですよと、朋輩にでも言うように、粗率(ぞんざい)に言置いて行って了った。
 国を出る時、此家(ここ)の伯父さんの先生は、昔困っていた時、家(うち)で散々世話をして遣った人だから、悪いようにはして呉れまいと、父は言った。私も矢張(やッぱり)其気で便(たよ)って来たのだが、便(たよ)って来てみれば事毎に案外で、ああ、何だか妙な気持ちがする。
 私は家(うち)が恋しくなった……

          三十一

 私は翌日早速錦町(にしきちょう)の某私立法律学校へ入学の手続を済ませて、其処の生徒になって、珍らしい中(うち)は熱心に勉強もしたが、其中(そのうち)に段々怠り勝になった。それには種々(いろいろ)原因もあるが、第一の原因は家(うち)の用が多いからで。
 伯父さんの先生――私は口惜(くや)しいから斯ういう――伯父さんの先生は、用といっても大した事じゃないと言った。成程一命に関(かか)わるような大した事ではないが、併し其大した事でない用が間断(しっきり)なく有る。まず朝は下女と殆ど同時に覚(おこ)されて、雨戸を明けさせられる。伯母さんの奥さんと分担で座敷の掃除をさせられる。其が済むと、今度は私一人の専任で庭から、玄関先から、門前から、勝手口まで掃(は)かせられる。少しでも塵芥(ごみ)が残っていると、掃直(はきなお)しを命ぜられるから、丁寧に奇麗に掃(は)かなきゃならん。是が中々の大役の上に、時々其処らの草むしり迄やらされて萎靡(がっかり)する事もある。
 朝飯(あさめし)を済せて伯父さんの先生の出勤を見送って了うと、学校は午後だから、其迄は身体に一寸(ちょっと)隙(すき)が出来る。其暇(そのひま)に自分の勉強をするのだが、其さえ時々急ぎの謄写物(とうしゃもの)など吩咐(いいつか)って全潰(まるつぶれ)になる。
 夕方学校から帰ると、伯父さんの先生はもう疾(と)うに役所から退(ひ)けていて、私の帰りを待兼たように、後から後からと用を吩咐(いいつけ)る。それ、郵便を出して来いの、やれ、お客に御飯を出すのだから、急いで仕出し屋へ走れのと、純台所用の外は、何にでも私を使う。時には何の用だか知れもせぬ用に、手紙を持たせられて、折柄(おりから)の雨降にも用捨なく、遠方迄使いに遣られて、つくづく辛いと思った事もある。さもなくば内で取次だが、此奴(こいつ)が余所目(よそめ)には楽なようで、行(や)って見ると中々楽でない。漸く刑法講義の一枚も読んだかと思うと、もう頼もうと来る。聞えん風(ふり)も出来ぬから、渋々起(た)って取次に出て、倒さになる。私のお辞儀は家内の物議を惹起(ひきおこ)して度々喧(やかま)しく言われているけれど、面倒臭いから、構わず倒さになる。でも、相手が立派な商人か何かだと、取次栄(とりつぎばえ)がして好(い)い。伯父さんの先生、其様(そん)な時には、ふうふうと二つ返事で、早速お通し申せと来る。上機嫌だ。其代り其様(そん)な客の帰る所を見ると、持って来た物は屹度(きっと)持って帰らない。立派な髭(ひげ)の生えた人もまだ好(い)い。そんなのに限って尊大振って、私が倒さになっても、首一つ動かさぬ代り、取次いでも小言を言われる気遣いはない。反て伯父さんの先生狼狽(あわ)てて迎えに飛んで出る事もある。一番六(むず)かしいのは風体の余り立派でない人で、就中(なかんずく)帽子を冠(かぶ)らぬ人は、之を取次ぐに大(おおい)に警戒を要する。自筆の名刺か何かを出されて、之を持って奥へ行くと、伯父さんの先生名刺を一見するや、面(かお)を顰(しか)めて、居ると言ったかという。居るものを居ないと言われますか、と腹の中では議論を吹懸(ふッか)けながら、口へ出しては大人しく、はい、然う申しましたというと、チョッと舌打して、此様(こん)な者を取次ぐ奴が有るか、君は人の見別(みわけ)が出来んで困ると、小言を言って、居ないと言って返して了えという。私は脹(ふく)れ面(つら)をして容易に起(た)たない。すると、最終(しまい)には渋々会いはするが、後で金を持(もっ)てかれたといって、三日も沸々(ぶつぶつ)言ってる。
 沸々(ぶつぶつ)言ったって関(かま)わないが、斯ういう処を傍(はた)から看たら、誰(たれ)が眼にも私は立派な小狐家(おぎつねけ)の書生だ。伯父さんの先生の畜生(ちくしょう)、自分からが其気で居ると見えて、或時人(ひと)に対(むか)って家(うち)の書生がといっていた。既に相手方が右の始末だから、無理もない話だが、出入(でいり)の者が皆矢張(やっぱり)私を然う思って、書生扱にする。不平で不平で耐(たま)らないが、一々弁解もして居られんから、私は誠に拠(よん)どころなく不承々々に小狐家の書生にされて了って、而(そう)して月々食料を払っていた。
 が、今となって考えて見ると、不平に思ったのは私が未だ若かったからだ。監督を頼まれたから、引受けて、序(ついで)に書生にして使う、――これが即ち親切というもので、此の外に別に親切というものは、人間に無いのだ。有るかも知れんが、私は一寸(ちょっと)見当らない。

          三十二

 体好く書生にされて私は忌々(いまいま)しくてならなかったが、しかし其でも小狐家(おぎつねけ)を出て了う気にはならなかった。初の中(うち)は国元へも折々の便(たより)に不平を漏して遣ったが、其も後(のち)には弗(ふつ)と止めて了った。さればといって家(うち)での取扱いが変ったのではない。相変らず書生扱にされて、小(こ)ッ甚(ぴど)くコキ使われ、果は下女の担任であった靴磨きをも私の役に振替えられて了った。無論其時は私は憤激した。余程(よッぽど)下宿しようかと思った、が、思ったばかりで、下宿もせんで、為(さ)せられる儘に靴磨きもして、而(そう)して国元へは其を隠して居た。少し妙なようだが、なに、妙でも何でもない。私は実は雪江さんに惚れていたので。
 惚れては居たが、夫だから雪江さんを如何(どう)しようという気はなかった。其時分は私もまだ初心(うぶ)だったから、正直に女に惚れるのは男児の恥辱と心得ていた。女を弄(もてあそ)ぶのは何故だか左程の罪悪とも思って居なかったが、苟(いやしく)も男児たる者が女なんぞに惚れて性根(しょうね)を失うなどと、そんな腐った、そんなやくざな根性で何が出来ると息巻いていた。が、口で息巻く程には心で思っていなかったから、自分もいつか其程に擯斥(ひんせき)する恋に囚(とら)われて了ったのだが、流石(さすが)に囚(とら)われたのを恥て、明かに然うと自認し得なかった気味がある。から、若(もし)其頃誰かが面と向って私に然うと注意したら、私は屹度(きっと)、失敬な、惚なんぞするものか、と真紅(まッか)になって怒(おこ)ったに違いない。が、実は惚れたとも思わぬ中(うち)に、いつか自分にも内々で、こッそり、次序(しだら)なく惚れて了っていたのだ。
 惚れた証拠には、雪江さんが留守だと、何となく帰りが待たれる。家(うち)に居る時には心が藻脱(もぬ)けて雪江さんの身に添うてでも居るように、奥と玄関脇と離れていても、雪江さんが、今何(ど)の座敷で何をしているかは大抵分る。
 雪江さんは宵ッ張だから、朝は大層眠(ねむ)たがる。阿母(かあ)さんに度々起されて、しどけない寝衣姿(ねまきすがた)で、脛(はぎ)の露わになるのも気にせず、眠そうな面(かお)をしてふらふらと部屋を出て来て、指の先で無理に眼を押開け、□(まぶち)の裏を赤く反して見せて、「斯うして居ないと、附着(くッつ)いて了ってよ」、といって皆を笑わせる。
 雪江さんは一ツ橋のさる学校へ通っていたから、朝飯(あさはん)を済ませると、急いで支度をして出て行く。髪は常(いつ)も束髪だったが、履物(はきもの)は背(せい)が低いからッて、高い木履(ぽっくり)を好いて穿(は)いていた。紫の包を抱えて、長い柄の蝙蝠傘(こうもりがさ)を持って出て行く後姿が私は好くって堪(な)らなかったから、いつも其時刻には何喰わぬ顔をして部屋の窓から外を見ていると、雪江さんは大抵は見られているとは気が附かずに、一寸(ちょっと)お尻を撫(な)でてから、髪を壊(こわ)すまいと、低く屈(こご)んで徐(そっ)と門を潜(くぐ)って出て行くが、時とすると潜る前にヒョイと後(うしろ)を振向いて私と顔を看合せる事がある。そうすると、雪江さんは奇麗な歯並をチラリと見せて、何の意味もなく莞爾(にっこり)する。私は疾(とう)から出そうな莞爾(にっこり)を顔の何処へか押込めて、強いて真面目を作っているのだから、雪江さんの笑顔に誘われると、耐(こら)え切れなくなって不覚(つい)矢張(やっぱり)莞爾(にっこり)する。こうして莞爾(にっこり)に対するに莞爾(にっこり)を以てするのを一日の楽みにして、其をせぬ日は何となく物足りなく思っていた。いや、罪の無い話さ。

          三十三

 午後はいつも私が学校へ行った留守に、雪江さんが帰って来るので、掛違って逢わないが、雪江さんは帰ると、直ぐ琴のお稽古に近所のお師匠さんの処へ行く。私は一度何かで学校が早く終った時、態々(わざわざ)廻道(まわりみち)をして其前を通って見た事がある。三味線(さみせん)のお師匠さんと違って、琴のお師匠さんの家(うち)は格子戸作りでも、履脱(くつぬぎ)に石もあって、何処か上品だ。入口に琴曲指南山勢(やませ)門人何とかの何枝と優しい書風で書いた札が掛けてあった。窃(そッ)と格子戸の中(うち)を覗いて見ると、赤い鼻緒や海老茶の鼻緒のすがった奇麗な駒下駄が三四足行儀よく並んだ中に、一足紫紺(しこん)の鼻緒の可愛らしいのが片隅に遠慮して小さく脱棄(ぬぎす)ててある。之を見違えてなるものか、雪江さんのだ。大方(おおかた)駒下駄の主(ぬし)も奥の座敷に取繕(とりつくろ)ってチンと澄しているに違ないと思うと、そのチンと澄している処が一目なりと見たくなったが、生憎(あいにく)障子が閉切(たてき)ってあるので、外からは見えない。唯琴の音(ね)がするばかりだ。稽古琴だから騒々しいばかりで趣(おもむき)は無いけれど、それでも琴は何処か床しい。雪江さんは近頃大分上手になったけれど、雪江さんではないようだ。大方まだ済ないンだろう、なぞと思いながら、うッかり覗いていたが、ふッと気が附くと、先刻(さっき)から側(そば)で何処かの八ツばかりの男の児が、青洟(あおばな)を啜(すす)り啜り、不思議そうに私の面(かお)を瞻上(みあ)げている。子供でも極(きま)りが悪くなって、□々(そこそこ)に其処の門口を離れて帰って来た事も有ったっけが……
 夕方は何だか混雑(ごたごた)して落着かぬ中(うち)にも、一寸(ちょっと)好(い)い事が一つある。ランプ掃除は下女の役だが、夕方之に火を点(つ)けて座敷々々へ配るのは私の役だ。其時だけは私は公然雪江さんの部屋へ入る権利がある。雪江さんの部屋は奥の四畳半で、便所の側(そば)だけれど、一寸(ちょっと)小奇麗な好(い)い部屋だ。本箱だの、机だの、ガラス戸の箱へ入(いれ)た大きな人形だの、袋入りの琴だの、写真挟みだの、何だの角(か)だの体裁よく列(なら)べてあって、留守の中(うち)は整然(きちん)と片附いているけれど、帰って来ると、書物を出放(だしばな)しにしたり、毛糸の球を転がしたりして引散(ひっちら)かす。何かに紛れてランプ配りが晩(おそ)くなった時などは、もう夕闇が隅々へ行渡って薄暗くなった此の部屋の中に、机に茫然(ぼんやり)頬杖を杖(つ)いてる雪江さんの眼鼻の定かならぬ顔が、唯円々(まるまる)と微白(ほのじろ)く見える。何となく詩的だ。
「晩(おそ)くなりました。」
 とぶっきらぼうの私も雪江さんだけには言いつけぬお世辞も不覚(つい)出て、机の上の毛糸のランプ敷(じき)へ窃(そっ)とランプを載せると
「いいえ、まだ要らないわ。」
 雪江さんは屹度(きっと)斯ういう。これが伯父さんの先生でも有ろうものなら、口を尖(とん)がらかして、「もッと手廻(てまわし)して早うせにゃ不好(いかん)!」と来る所だ。大した相違だ。だから、家(うち)で人間らしいのは雪江さんばかりだと言うのだ。
 其儘出て来るのが、何だか飽気(あっけ)なくて、
「今日貴嬢(あなた)の琴のお師匠さんの前を通りました。一寸(ちょっと)好(い)い家(うち)ですね。」
「あら、そう」、と雪江さんがいう。心持首を傾(かし)げて、「何時頃?」
「そうさなあ……四時ごろでしたか。」
「じゃ、私(あたし)の行ってた時だわねえ。」
「ええ」、と私は何だか極(きま)りが悪くなって俯向(うつむ)いて了う。
 此話が発展したら、如何(どん)な面白い話になるのだか分らんのだけれど、其様(そん)な時に限って生憎(あいにく)と、茶の間辺(あたり)で伯母さんの奥さんの意地悪が私を呼ぶ、
「古屋さん! 早くランプを……何を愚図々々してるンだろうねえ。」
 残惜しいけれど、仕方がない。其切りで私は雪江さんの部屋を出て了う。

          三十四

 一番楽しみなのは日曜だ。それも天気だと、朝から客が立込んで私は目が眩(まわ)る程忙しいし、雪江さんもお友達が遊びに来たり、お友達の処へ遊びに行ったりして、私の事なんぞ忘れているから、天気は糞だ。雨降りに限る。就中(なかんずく)伯父さんの先生は何か余儀ない用事があって朝から留守、雪江さんは一日家(うち)、という雨降の日が一番好(い)い。
 其様(そん)な日には雪江さんは屹度(きっと)思切て朝寝坊をして、私なんぞは徐々(そろそろ)昼飯が恋しくなる時分に、漸う起きて来る。顔を洗って、御飯を喰べて、其から長いこと掛って髪を結う。結い了う頃は最う午砲(ドン)だけれど、お昼はお腹(なか)が満(くち)くて食べられない。「私(あたし)廃(よ)してよ」、という。
 部屋で机の前で今日の新聞を一寸(ちょっと)読む。大抵続物だけだ。それから編棒と毛糸の球を持出して、暫くは黙って切々(せッせッ)と編物をしている。私が用が有って部屋の前でも通ると、「古屋さん、これ何になると思って?」と編掛けを翳(かざ)して見せる。私が見たんじゃ、何だか円い変なお猪口(ちょく)のような物で、何になるのだか見当が附かないから、分らないというと、でも、まあ、当てて見ろという。熟考の上、「巾着でしょう?」というと、「いいえ」、と頭振(かぶり)を振る。巾着でないとすると、手袋には小さし、靴下でもなさそうだし、「ああ、分った! 匂袋(においぶくろ)だ」、と図星を言った積(つもり)でいうと、雪江さんは吃驚(びっくり)して、「まあ、可厭(いや)だ! 匂袋(においぶくろ)だなんぞッて……其様(そん)な物は編物にゃなくッてよ。」匂袋(においぶくろ)でもないとすると、もう私には分らない。降参して了うと、雪江さんは莞爾(にっこり)ともしないで、「これ、人形の手袋。」
 雪江さんは一つ事を何時迄(いつまで)もしているのは大嫌いだから、私がまだ自分の部屋の長四畳へ帰るか帰らぬ中(うち)に、もう編物を止めて琴を浚(さら)っている。近頃では最うポコンのベコンでも無くなった。斯うして聴いていると、如何(どう)しても琴に違いないと、感心して聴惚(ききほ)れていると、十分と経(た)たぬ中(うち)に、ジャカジャカジャンと引掻廻(ひっかきまわ)すような音がして、其切(それぎり)パタリと、琴の音(ね)は止む……ともう茶の間で若い賑(にぎや)かな雪江さんの声が聞える。
 忽ちドタドタドタと椽側を駈けて来る音がする。下女の松に違いない。後(あと)からパタパタと追蒐(おっか)けて来るのは、雪江さんに極(きま)ってる。玄関で追付(おっつ)いて、何を如何(どう)するのだか、キャッキャッと騒ぐ。松が敵(かな)わなくなって、私の部屋の前を駈脱(かけぬ)けて台所へ逃込む。雪江さんが後(あと)から追蒐(おっか)けて行って、また台所で一騒動やる中(うち)に、ガラガラガチャンと何かが壊(こわ)れる。阿母(かあ)さんが茶の間から大きな声で叱ると、台所は急に火の消えたように闃寂(ひっそり)となる。
 私は、国に居る時分は、お向うのお芳(よっ)ちゃん――子供の時分に能(よ)く飯事(ままごと)をして遊んだ、あのお芳(よっ)ちゃんが好きだった。お芳(よっ)ちゃんは小さい時には活溌な児だったが、大きくなるに随(つ)れて、大層落着いて品の好(い)い娘になって、私は其様子が何となく好きだったが、雪江さんはお芳(よっ)ちゃんとは正反対だ。が、雪江さんも悪くない、なぞと思いながら、茫然(ぼんやり)机に頬杖を突ている脊中を、誰だかワッといってドンと撞(つ)く。吃驚(びっくり)して振返(ふりかえ)ると、雪江さんがキャッキャッといいながら、逃げて行くしどけない後姿が見える。私は思わず莞爾(にっこ)となる。
 莞爾(にっこ)となった儘で、尚お雪江さんの事を思続けて、果は思う事が人に知れぬから、好(い)いようなものの、怪しからん事を内々思っていると、茶の間の椽側あたりで、オーという例の艶(つや)のある美(い)い声が聞える。初は地声の少し大きい位の処から、段々に甲高(かんだか)に競上(せりあ)げて行って、糸のように細くなって、何かを突脱けて、遠い遠い何処かへ消えて行きそうになって、又段々競下(せりさが)って来て、果はパッと拡げたような太い声になって、余念がない。雪江さんが肉声の練習をしているのだ。

          三十五

 私は其時分吉田松陰崇拝であった。将来の自由党の名士を以って自任しているのなら、グラッドストンかコブデン、ブライトあたりに傾倒すべきだが、何如(どう)した機(はずみ)だったか、松陰先生に心酔して了って、書風まで力(つと)めて其人に似せ、窃(ひそか)に何回猛士とか僭(せん)して喜んでいた迄は罪がないが、困った事には、斯うなると世間に余り偉い人が無くなる。誰(たれ)を見ても、先ず松陰先生を差向けて見ると、一人として手応(てごたえ)のある人物はない。皆一溜(ひとたま)りもなく敗亡(はいもう)する。それを松陰先生の後(うしろ)に隠れて見ていると、相手は松陰先生に負るので、私に負るのではないが、何となく私が勝ったような気がして、大臣が何だ、皆(みんな)門下生じゃないか。自由党の名士だって左程偉くもない。況(いわん)や学校の先生なんぞは只の学者だ、皆(みんな)降らない、なぞと鼻息を荒くして、独りで威張っていた。私なぞの理想はいつも人に迷惑を懸ける許りで、一向自分の足(たし)になった事がないが、側(はた)から見たら嘸(さぞ)苦々しい事であったろう。兎も角もこうして松陰先生大の崇拝で、留魂録(りゅうこんろく)は暗誦(あんしょう)していた程だったが、しかし此松陰崇拝が、不思議な事には、些(ちっ)とも雪江さんを想う邪魔にならなかったから、其時分私の眼中は天下唯松陰先生と雪江さんと有るのみだった。
 で、いつも学校の帰りには此二人の事を考え考え帰るのだが、或日――たしか土曜日だったかと思う、土曜日は学校も早仕舞なので、三時頃にそうして二人の事を考えながら帰って見ると、主人夫婦はいつも茶の間だのに、其日は茶の間に居ない。書斎かと思って書斎へ行こうとすると、椽側の尽頭(はずれ)の雪江さんの部屋で、雪江さんの声で、
「誰?」
 という。私は思わず立止って、
「私(わたくし)です。」
「古屋さん?」
 という声と共に、部屋の障子が颯(さッ)と開(あ)いて、雪江さんが面(かお)だけ出して、
「今日は皆(みんな)留守よ。」
「え?」と私は耳が信ぜられなかった。
「阿父(とう)さんも阿母(かあ)さんもね、先刻(さっき)出懸けてよ。」
「そうですか」、と何気なく言ったが、内々(ないない)は何だか急に嬉しくなって来て、
「松は?」
「松はお湯(ゆう)へ行って未だ帰って来ないの。」
「じゃ、貴嬢(あなた)お一人?」
「ええ……一寸(ちょっと)入(い)らッしゃいよ、此処へ。好(い)い物があるから。」
 と手招(てまねぎ)をする。斯うなると、松陰先生崇拝の私もガタガタと震い出した。

          三十六

 前にも断って置いた通り、私は曾て真劒に雪江さんを如何(どう)かしようと思った事はない。それは決して無い。度々怪しからん事を想って、人知れず其を楽しんで居たのは事実だけれど、勧業債券を買った人が当籤(とうせん)せぬ先から胸算用をする格で、ほんの妄想(ぼうそう)だ。が、誰も居ぬ留守に、一寸(ちょっと)入(い)らッしゃいよ、と手招ぎされて、驚破(すわ)こそと思う拍子に、自然と体の震い出したのは、即ち武者震いだ。千載一遇の好機会、逸(はず)してなるものか、というような気になって、必死になって武者震いを喰止めて、何喰わぬ顔をして、呼ばれる儘に雪江さんの部屋の前へ行くと、屈(こご)んでいた雪江さんが、其時勃然(むっくり)面(かお)を挙げた。見ると、何だか口一杯頬張っていて、私の面(かお)を見て何だか言う。言う事は能(よ)く解らなかったが、側(そば)に焼芋が山程盆に載っていたから、夫で察して、礼を言って、一寸(ちょっと)躊躇したが、思切って中(うち)へ入って了った。
 雪江さんはお薩(さつ)が大好物だった。私は好物ではないが、何故だか年中空腹を感じているから、食後だって十切位(ときれぐらい)はしてやる男だが、此時ばかりは芋どころでなかった。切(しきり)に勧められるけれど、難有(ありがと)う難有うとばかり言ってて、手を出さなかった。何だかもう赫(かっ)となって、夢中で、何だか霧にでも包まれたような心持で、是から先は如何(どう)なる事やら、方角が分らなくなったから、彷徨(うろうろ)していると、
「貴方(あなた)は遠慮深いのねえ。男ッて然う遠慮するもンじゃなくッてよ。」
 と何にも知らぬ雪江さんが焼芋の盆を突付ける。私は今其処(そこ)どころじゃないのだが、手を出さぬ訳にも行かなくなって手を出すと、生憎(あいにく)手先がぶるぶると震えやがる。
「如何(どう)して其様(そんな)に震えるの?」
 と雪江さんが不審そうに面(かお)を視る。私は愈(いよいよ)狼狽して、又真紅(まっか)になって、何だか訳の分らぬ事を口の中(うち)で言って、周章(あわ)てて頬張ると、
「あら、皮ごと喰べて……皮は取った方が好(い)いわ。」
「なに、構わんです」、と仕方が無いから、皮ぐるみムシャムシャ喰(や)りながら、「何は……何処へ入(い)らしッたンです?」
「吉田さんへ」、と雪江さんは皮を剥(む)く手を止(と)めて、「私(あたし)些(ちっ)とも知らなかったけど、今晩が春子さんのお輿入(こしいれ)なんですって。そら、媒人(なこうど)でしょう家(うち)は? だから、阿父(とう)さんも阿母(かあ)さんも早めに行ってないと不好(いけない)って、先刻(さっき)出て行ったのよ。」
 これで漸く合点が行ったが、それよりも爰(ここ)に一寸(ちょっと)吹聴(ふいちょう)して置かなきゃならん事がある。私は是より先春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ)という書物を読んだ。一体小説が好きで、国に居る時分から軍記物や仇討物は耽読(たんどく)していたが、まだ人情本という面白い物の有ることを知らなかった。これの知り初めが即ち此春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ)で、神田に下宿している友達の処から、松陰伝と一緒に借りて来て始て読んだが、非常に面白かった。此梅暦に拠(よ)ると、斯ういう場合に男の言うべき文句がある。何でも貴嬢(あなた)は浦山敷(うらやましく)思わないかとか、何とか、ヒョイと軽く戯談(じょうだん)を言って水を向けるのだ。思切って私も一つ言って見ようか知ら……と思ったが、何だか、どうも……ソノ極(きま)りが悪い。
「大変立派なお支度よ。何でもね、箪笥が四棹(よさお)行(い)くンですって。それからね、まだ長持だの、挟箱(はさみばこ)だの……」
 ああ、もう駄目だ。長持や挟箱(はさみばこ)の話になっちゃ大事去った、と後悔しても最う追付(おッつ)かない。雪江さんは、何処が面白いのだか、その長持や挟箱の話に夢中になって了って、其から其と話し続けて、盛返したくも盛返す隙がない。仕方が無いから、今に又機会(おり)も有ろうと、雪江さんの話は浮の空に聞いて、只管(ひたすら)其機会(おり)を待っていると、忽ちガラッと障子が開(あ)いて、
「あら、おたのしみ! ……」
 吃驚(びっくり)して振反(ふりかえ)ると、下女の松めが何時(いつ)戻ったのか、見(み)ともない面(つら)を罅裂(えみわれ)そうに莞爾(にこ)つかせて立ってやがる。私は余程(よっぽど)飛蒐(とびかか)って横面をグワンと殴曲(はりま)げてやろうかと思った。腹が立って腹が立って……

          三十七

 千載一遇の好機会も松に邪魔を入れられて滅茶々々になって了ったが、松が交って二つ三つ話をしている中(うち)に、間もなく夕方になった。夕方は用が有るから、三人ばらばらになって、私はランプ配りやら、戸締りやら、一切(ひとしき)り立働いて、例の通り部屋で晩飯を済すと、また身体に暇(ひま)が出来た。雪江さんは一番先に御飯を食べて、部屋へ籠(こも)った儘音沙汰(おとさた)がない。唯松ばかり後仕舞(あとじまい)で忙しそうで、台所で器物を洗う水の音がボシャボシャと私の部屋へ迄聞える。
 私は部屋で独りランプを眺めて徒然(つくねん)としているようで、心は中々忙しかった。婚礼に呼ばれて行ったとすると、主人夫婦の帰るのには未だ間(ま)が有る。帰らぬ中(うち)に今一度雪江さんと差向いになりたい。差向いになって何をするのだか、それは私にも未だ極(きま)らないが、兎に角差向いになりたい、是非なりたい、何か雪江さんの部屋へ行く口実はないか、口実は……と藻掻(もが)くけれど、生憎(あいにく)口実が看附(みつ)からない。うずうずして独りで焦心(じれ)ていると、ふと椽側にバタリバタリと足音がする。其足音が玄関へ来る。確かに雪江さんだ。部屋の前を通越(とおりこ)して台所へ行くか、それとも万一(ひょっと)障子が開(あ)くかと、成行(なりゆき)を待つ間(ま)の一分(ぷん)に心の臓を縮めていると、驚破(すわ)、障子がガタガタと……開(あ)きかけて、グッと支(つか)えたのを其儘にして、雪江さんが隙間から覗込みながら、
「勉強?」
 と一寸(ちょっと)首を傾げた。これが何を聞く時でも雪江さんの為(す)る癖で、看慣(みな)れては居るけれど、私は常(いつ)も可愛らしいと思う。不断着だけれど、荒い縞の着物に飛白(かすり)の羽織を着て、華美(はで)な帯を締めて、障子に掴(つか)まって斜(はす)に立った姿も何となく目に留(と)まる。
 ああ求むる者に与えられたのだ。神よ……といいたいような気になって、無論莞爾々々(にこにこ)となって、
「いいえ……まあ、お入ンなさい。」
「じゃ、私(あたし)話して入(い)くわ。奥は一人で淋しいから。」
 珍客々々! 之を優待せん法はない。よ、よ、と雪江さんが掛声をして障子を明けようとするけれど、開(あ)かないのを、私は飛んで行って力任せにウンと引開けた。何だか領元(えりもと)からぞくぞくする程嬉しい。
 生憎(あいにく)と火鉢は私の部屋には無かったけれど、今迄敷いていた赤ゲットを、四ツに畳んだのを中央(まんなか)へ持出して、其でも裏反(うらがえ)しにして勧めると、遠慮するのか、それとも小汚(こぎたな)いと思ったのか、敷いて呉れないから、私は黙って部屋を飛出した。雪江さんは後(あと)で定めて吃驚(びっくり)していたろうが、私は雪江さんの部屋へ座布団を取りに行ったので、是だけは我ながら一生の出来だったと思う。
 席が出来ると、雪江さんが、
「貴方(あなた)、御飯が食べられて? 私(あたし)何ぼ何でも喰べられなかったわ、余(あんま)り先刻(さッき)詰込んだもんだから。」
 と微笑(にッこり)する。何時(いつ)見ても奇麗な歯並(はなみ)だ。
 私も矢張(やっぱ)り莞爾(にっこり)して、
「私も食べられませんでした……」
 大嘘(おおうそ)! 実は平生(いつも)の通り五杯喰べたので。
 雪江さんは国産れでも東京育ちだから、
「……にもお芋があって?」
「有りますとも。」
「じゃ、帰っても不自由はないわねえ。」
 と又微笑(にっこり)する。
 私も高笑いをした。雪江さんの言草が可笑(おかし)かったばかりじゃない。実は胸に余る嬉しさやら、何やら角(か)やら取交(とりま)ぜて高笑いしたのだ。
 それから国の話になって、国の女学生は如何(どん)な風をしているの、英語は何位(どのくらい)の程度だの、洋楽は流行(はや)るかのと、雪江さんは其様(そん)な事ばかり気にして聞く。私は大事の用を控えているのだ。其処(それどころ)じゃないけれど、仕方がないから相手になっていると、チョッ、また松の畜生(ちくしょう)が邪魔に来やがった。

          三十八

 松が来て私はうんざりして了ったが、雪江さんは反(かえ)って差向(さしむかい)の時よりはずみ出して、果は松の方へ膝を向けて了って、松ばかりを相手に話をする。私は居るか居ないか分らんようになって了った。初は少からず不平に思ったが、しかし雪江さんを観ているのには、反て此方が都合が好(い)い。で、母屋(おもや)を貸切って、庇(ひさし)で満足して、雪江さんの白いふッくりした面(かお)を飽かず眺めて、二人の話を聴いていると、松も能(よ)く饒舌(しゃべ)るが、雪江さんも中々負ていない。話は詰らん事ばかりで、今度開店した小間物屋は安売だけれど品(しな)が悪いの、お湯屋(ゆうや)のお神さんのお腹がまた大きくなって来月が臨月だの、八百屋の猫が児を五疋生んで二疋喰べて了ったそうだのと、要するに愚にも附かん話ばかりだが、しかし雪江さんの様子が好(い)い。物を言う時には絶えず首を揺(うご)かす、其度にリボンが飄々(ひらひら)と一緒に揺(うご)く。時々は手真似もする。今朝結(い)った束髪がもう大分乱れて、後毛(おくれげ)が頬を撫(な)でるのを蒼蠅(うるさ)そうに掻上(かきあ)げる手附も好(い)い。其様(そん)な時には彼(あれ)は友禅メリンスというものだか、縮緬(ちりめん)だか、私には分らないが、何でも赤い模様や黄ろい形(かた)が雑然(ごちゃごちゃ)と附いた華美(はで)な襦袢(じゅばん)の袖口から、少し紅味(あかみ)を帯びた、白い、滑(すべっ)こそうな、柔かそうな腕が、時とすると二の腕まで露(あら)われて、も少し持上(もちゃ)げたら腋の下が見えそうだと、気を揉んでいる中(うち)に、又旧(もと)の位置に戻って了う。雪江さんは処女(むすめ)だけれど、乳の処がふッくりと持上っている。大方乳首なんぞは薄赤くなってるばかりで、有るか無いか分るまい……なぞと思いながら、雪江さんの面(かお)ばかり見ていると、いつしか私は現実を離れて、恍惚(うっとり)となって、雪江さんが何だか私の……妻(さい)でもない、情人(ラヴ)でもない……何だか斯う其様(そん)なような者に思われて、兎に角私の物のように思われて、今は斯うして松という他人を交(ま)ぜて話をしているけれど、今に時刻が来れば、二人一緒に斯う奥まった座敷へ行く。と、もう其処に床が敷(と)ってある。夜具も郡内(ぐんない)か何(なに)かだ。私が着物を脱ぐと、雪江さんが後(うしろ)からフワリと寝衣(ねまき)を着せて呉れる。今晩は寒いわねえとか雪江さんがいう。む、む、寒いなあとか私も言って、急いで帯をグルグルと巻いて床へ潜り込む。雪江さんが私の脱棄(ぬぎすて)を畳んでいる。其様(そん)な事は好加減(いいかげん)にして早く来て寝なと私がいう。あいといって雪江さんが私の面(かお)を見て微笑(にッこり)する……
「ねえ、古屋さん、然うだわねえ?」
 と雪江さんが此方(こっち)を向いたので、私は吃驚(びっくり)して眼の覚めたような心持になった。何でも何か私の同意を求めているのに違いないから、何だか仔細は分らないけれど、
「そうですとも……」
 と跋(ばつ)を合わせる。
「そら、御覧な。」
 と雪江さんは又松の方を向いて、又話に夢中になる。
 私はホッと溜息をする。今の続きを其儘にして了うのは惜しい。もう一度幻想でも何でも構わんから、もう一度、今の続きを考えて見たいと思うけれど、もう気が散って其心持になれない。仕方がないから、黙って話を聴いている中(うち)に、又いつしか恍惚(うッとり)と腑が脱けたようになって、雪江さんの面(かお)が右を向けば、私の面(かお)も右を向く。雪江さんの面(かお)が左を向けば、私の面(かお)も左を向く。上を向けば、上を向く、下を向けば下を向く……

          三十九

 パタリと話が休(や)んだ。雪江さんも黙って了う、松も黙って了う。何処でか遠方で犬の啼声が聞える。所謂(いわゆる)天使が通ったのだ。雪江さんは欠(あく)びをしながら、序(ついで)に伸(のび)もして、
「もう何時だろう?」
「まだ早いです、まだ……」
 と私が狼狽(あわ)てて無理に早い事にして了う心を松は察しないで、
「もう九時過ぎたでしょうよ。」
「阿父(とう)さんも阿母(かあ)さんも遅いのねえ。何を為(し)てるンだろう?」
 と又欠(あく)びをして、「ああああ、古屋さんの勉強の邪魔しちゃッた。私(あたし)もう奥へ行(い)くわ。」
 私が些(ちッ)とも邪魔な事はないといって止めたけれど、最う斯うなっては留(とま)らない、雪江さんは出て行って了う。松も出て行(い)く。私一人になって了った。詰らない……
 ふと雪江さんの座蒲団が眼に入(い)る……之れを見ると、何だか捜していた物が看附(みつか)ったような気がして、卒然(いきなり)引浚(ひっさら)って、急いで起上(たちあが)って雪江さんの跡を追った。
 茶の間の先の暗い処で雪江さんに追付(おッつ)いた。
「なあに? ……」
 と雪江さんの吃驚(びッくり)したような声がして、大方(おおかた)振向いたのだろう、面(かお)の輪廓だけが微白(ほのじろ)く暗中(あんちゅう)に見えた。
「貴嬢(あなた)の座布団を持って来たのです。」
「あ、そうだッけ。忘れちゃッた。爰(ここ)へ頂戴(ちょうだい)」、と手を出したようだった。
 私は狼狽(あわ)てて座布団を後(うしろ)へ匿(かく)して、
「好(い)いです、私が持ってくから。」
「あら、何故?」
「何故でも……好(い)いです……」
「そう……」
 と何だか変に思った様子だったが、雪江さんは又暗中を動き出す。暗黒(くらやみ)で能(よ)くは分らないけれど、其姿が見えるようだ。私も跡から探足(さぐりあし)で行く。何だか気が焦(あせ)る。今だ、今だ、と頭の何処かで喚(わめ)く声がする。如何(どう)か為(し)なきゃならんような気がして、むずむずするけれど、何だか可怕(こわ)くて如何(どう)も出来ない。咽喉(のど)が乾(かわ)いて引付(ひッつ)きそうで、思わずグビリと堅唾(かたず)を呑んだ……と、段々明るくなって、雪江さんの姿が瞭然(はっきり)明るみに浮出す。もう雪江さんの部屋の前へ来て、雪江さんの姿は衝(つい)と障子の中(うち)へ入って了った。
 其を見ると、私は萎靡(がっかり)した。惜しいような気のする一方で、何故だか、まず好かったと安心した気味もあった。で、続いて中へ入って、持って来た座布団を机の前に敷いて、其処を退(の)くと、雪江さんは礼を言いながら、入替(いりか)わって机の前に坐って、
「遊(あす)んでらっしゃいな。」
 と私の面(かお)を瞻上(みあ)げた。ええとか、何とかいって踟□(もじもじ)している私の姿を、雪江さんはジロジロ視ていたが、
「まあ、貴方(あなた)は此地(こっち)へ来てから、余程(よっぽど)大きくなったのねえ。今じゃ私(あたし)とは屹度(きっと)一尺から違ってよ。」
「まさか……」
「あら……屹度(きっと)違うわ。一寸(ちょッと)然うしてらッしゃいよ……」
 といいながら、衝(つい)と起(た)ったから、何を為(す)るのかと思ったら、ツカツカと私の前へ来て直(ひた)と向合った。前髪が顋(あご)に触れそうだ。紛(ぷん)と好(い)い匂(におい)が鼻を衝く。
「ね、ほら、一尺は違うでしょう?」と愛度気(あどけ)ない白い面(かお)が何気なく下から瞻上(みあ)げる。
 私はわなわなと震い出した。目が見えなくなった。胸の鼓動は脳へまで響く。息が逸(はず)んで、足が竦(すく)んで、もう凝(じッ)として居られない。抱付くか、逃出すか、二つ一つだ。で、私は後(のち)の方針を執(と)って、物をも言わず卒然(いきなり)雪江さんの部屋を逃出して了った……

          四十

 何故彼時(あのとき)私は雪江さんの部屋を逃出したのだというと、非常に怕(おそ)ろしかったからだ。何が怕(おそ)ろしかったのか分らないが、唯何がなしに非常に怕(おそ)ろしかったのだ。
 生死の間(あいだ)に一線を劃して、人は之を越えるのを畏(おそ)れる。必ずしも死を忌(い)むからではない。死は止むを得ぬと観念しても、唯此一線が怕(おそ)ろしくて越えられんのだ。私の逃出したのが矢張(やッぱり)それだ。女を知らぬ前と知った後(のち)との分界線を俗に皮切りという。私は性慾に駆られて此線の手前迄来て、これさえ越えれば望む所の性慾の満足を得られると思いながら、此線が怕(おそ)ろしくて越えられなかったのだ。越えたくなくて越えなかったのではなくて、越えたくても越えられなかったのだ。其後(そのご)幾年(いくねん)か経(た)って再び之を越えんとした時にも矢張(やッぱり)怕(おそ)ろしかったが、其時は酒の力を藉(か)りて、半狂気(はんきちがい)になって、漸く此怕(おそ)ろしい線を踏越した。踏越してから酔が醒めると何とも言えぬ厭な心持になったから、又酒の力を藉(か)りて強いて纔(わずか)に其不愉快を忘れていた。此様(こん)な厭な想いをして迄も性慾を満足させたかったのだ。是は相手が正当でなかったから、即ち売女(ばいじょ)であったからかというに、そうでない。相手は正当の新婦と相知る場合にも、人は大抵皆然うだと云う。殊に婦人が然うだという。何故だろう?
 之と縁のある事で今一つ分らぬ事がある。人は皆隠(かく)れてエデンの果(このみ)を食(くら)って、人前では是を語ることさえ恥(はず)る。私の様に斯うして之を筆にして憚らぬのは余程力むから出来るのだ。何故だろう? 人に言われんような事なら、為(せ)んが好(い)いじゃないか? 敢てするなら、誰(たれ)の前も憚らず言うが好(い)いじゃないか? 敢てしながら恥(はず)るとは矛盾でないか? 矛盾だけれど、矛盾と思う者も無いではないか? 如何(どう)いう訳だ?
 之を霊肉の衝突というか? しからば、霊肉一致したら、如何(どう)なる? 男女相知るのを怕(おそ)ろしいとも恥かしいとも思わなくなるのか? 畜生(ちくしょう)と同じ心持になるのか?
 トルストイは北方の哲人だと云う。此哲人は如何(どん)な事を言っている。クロイツェル、ソナタの跋に、理想の完全に実行し得べきは真の理想でない。完全に実行し得られねばこそ理想だ。不犯(ふぼん)は基督教(キリストきょう)の理想である。故に完全に実行の出来ぬは止むを得ぬ、唯基督教徒(キリストきょうと)は之を理想として終生追求すべきである、と言って、世間の夫婦には成るべく兄妹(けいまい)の如く暮らせと勧めている。
 何の事だ? 些(ちッ)とも分らん。完全を求めて得られんなら、悶死すべきでないか? 不犯(ふぼん)が理想で、女房を貰って、子を生ませていたら、普通の堕落に輪を掛た堕落だ。加之(しか)も一旦貰った女房は去るなと言うでないか? 女房を持つのが堕落なら、何故一念発起して赤の他人になッ了(ちま)えといわぬ。一生離れるなとは如何(どう)いう理由(わけ)だ? 分らんじゃないか?
 今食う米が無くて、ひもじい腹を抱(かかえ)て考え込む私達だ。そんな伊勢屋(いせや)の隠居が心学に凝り固まったような、そんな暢気(のんき)な事を言って生きちゃいられん!

          四十一

 其後(そのご)間もなく雪江さんのお婿さんが極(きま)った。お婿さんが極(きま)ると、私は何だか雪江さんに欺(あざむ)かれたような心持がして、口惜(くや)しくて耐(たま)らなかったから、国では大不承知であったけれど、口実を設けて体よく小狐(おぎつね)の家(うち)を出て下宿して了った。
 馬鹿な事には下宿してから、雪江さんが万一(ひょッと)鬱(ふさ)いでいぬかと思って、態々(わざわざ)様子を見に行った事が二三度ある。が、雪江さんはいつも一向鬱(ふさ)いで居なかった。反ッてお婿さんが極(きま)って怡々(いそいそ)しているようだった。それで私も愈(いよいよ)忌々(いまいま)しくなって、もう余り小狐へも足踏(あしぶみ)せぬ中(うち)に、伯父さんが去る地方の郡長に転じて、家族を引纏めて赴任して了ったので、私も終(つい)に雪江さんの事を忘れて了った。これでお終局(しまい)だ。
 余り平凡だ下らない。こんなのは単純な性慾の発動というもので、恋ではない、恋はも少(ちッ)と高尚な精神的の物だと、高尚な精神的の人は言うかも知れん。然うかも知れん。唯私のような平凡な者の恋はいつも斯うだ。先ず無意識或は有意識(ゆういしき)に性慾が動いて満足を求めるから、理性や趣味性が動いて其相手を定めて、始めて其処に恋が成立する。初から性慾の動かぬ場合に恋はない。異性でも親兄弟に恋をせぬのは其為だ。青年の時分には、性慾が猛烈に動くから、往々理性や趣味性の手を待たんで、自分と盲動して撞着(ぶつか)った者を直(すぐ)相手にする。私の雪江さんに於けるが、即ち殆ど其だ。私共の恋の本体はいつも性慾だ。性慾は高尚な物ではない、が、下劣な物とも思えん。中性だ、インヂフェレントの物だ。私共の恋の下劣に見えるのは、下劣な人格が反映するので、本体の性慾が下劣であるのではない。
 で、私の性慾は雪江さんに恋せぬ前から動いていた。から、些(ちッ)とも不思議でも何でもないが、雪江さんという相手を失った後(のち)も、私の恋は依然として胸に残っていた。唯相手のない恋で、相手を失って彷徨(うろうろ)している恋で、其本体は矢張(やッぱ)り満足を求めて得ぬ性慾だ。露骨に言って了えば、誠に愛想(あいそ)の尽きた話だが、此猛烈な性慾の満足を求むるのは、其時分の私の生存の目的の――全部とはいわぬが、過半であった。
 これは私ばかりでない、私の友人は大抵皆然うであったから、皆此頃からポツポツ所謂(いわゆる)「遊び」を始めた。私も若し学資に余裕が有ったら、矢張(やッぱり)「遊」んだかも知れん。唯学資に余裕がなかったのと、神経質で思切った乱暴が出来なかったのとで、遊びたくも遊び得なかった。
 友人達は盛(さかん)に「遊」ぶ、乱暴に無分別に「遊」ぶ。其を観ていると、羨(うらや)ましい。が、弱い性質の癖に極めて負惜しみだったから、私は一向羨(うらや)ましそうな顔もしなかった。年長の友人が誘っても私が応ぜぬので、調戯(からかい)に、私は一人で堕落して居るのだろうというような事を言った。恥かしい次第だが、推測通りであったので、私は赫(かっ)となった。血相(けっそう)を変えて、激論を始めて、果は殴合(なぐりあい)までして、遂に其友人とは絶交して了った。
 斯うして友人と喧嘩迄して見れば、意地としても最う「遊」ばれない。で、不本意ながら謹直家(きんちょくか)になって、而(そう)して何ともえたいの知れぬ、謂(いわ)れのない煩悶に囚(とら)われていた。

          四十二

 ああ、今日は又頭がふらふらする。此様(こん)な日にゃ碌な物は書けまいが、一日抜くも残念だ。向鉢巻(むこうはちまき)でやッつけろ!
 で、私は性慾の満足を求めても得られなかったので、煩悶していた。何となく世の中が悲観されてならん。友人等は「遊」ぶ時には大(おおい)に「遊」んで、勉強する時には大(おおい)に勉強して、何の苦もなく、面白そうに、元気よく日を送っている。それを観ていると、私は癪(しゃく)に触って耐(たま)らない。私の煩悶して苦むのは何となく友人等の所為(せい)のように思われる。で、責めてもの腹慰(はらい)せに、薄志の弱行のと口を極めて友人等の公然の堕落を罵(ののし)って、而(そう)して私は独り超然として、内々(ないない)で堕落していた。若し友人等の堕落が陽性なら、私の堕落は陰性だった。友人等の堕落が露骨で、率直で、男らしいなら、私の堕落は……ああ、何と言おう? 人間の言葉で言いようがない。私は畜生(ちくしょう)だった……
 が、こっそり一人で堕落するのは余り没趣味で、どうも夫(それ)では趣味性が満足せぬ。どうも矢張(やっぱり)異性の相手が欲しい。が、其相手は一寸(ちょっと)得られぬので、止むを得ず当分文学で其不足を補っていた。文学ならば人聴(ひとぎき)も好(い)い。これなら左程銭(ぜに)も入(い)らぬ。私は文学を女の代りにして、文学を以って堕落を潤色(じゅんしょく)していたのだ。
 私の謂う文学は無論美文学の事だ、殊に小説だ。小説は一体如何(どう)いうものだか、知らん、唯私の眼に映ずる小説は人間の堕落を潤色(じゅんしょく)するものだ。通人の話に、道楽の初は唯色(いろ)を漁(ぎょ)する、膏肓(こうこう)に入(い)ると、段々贅沢になって、唯色(いろ)を漁(ぎょ)するのでは面白くなくなる、惚れたとか腫(は)れたとか、情合(じょうあい)で異性と絡(から)んで、唯の漁色(ぎょしょく)に趣(おもむき)を添えたくなると云う。其処だ、其処が即ち文学の需要の起る所以(ゆえん)だ。少くも私は然うであった。で、此目的で、最初は小狐(おぎつね)に居た頃喰付いた人情本を引続き耽読(たんどく)してみたが、数を累(かさ)ねると、段々贅沢になって、もう人情本も鼻に附く。同じ性慾の発展の描写でも、も少し趣味のある描写を味わってみたい。そこで、種々(いろいろ)と小説本を渉猟(しょうりょう)して、終(つい)に当代の大家の作に及んで見ると、流石(さすが)は明治の小説家だ、性慾の発展の描写が巧(たくみ)に人生観などで潤色(じゅんしょく)されてあって、趣味がある、面白い。斯ういう順序で私の想像で堕落する病(やまい)は益(ますます)膏肓(こうこう)に入(い)って、終(つい)には西洋へ迄手を出して、ヂッケンスだ、サッカレーだ、ゾラだ、ユゴーだ、ツルゲーネフだ、トルストイだ、という人達の手を藉(か)りて、人並にしていれば、中性のインヂフェレントの性慾を無理に不自然な病的の物にして、クラフトエービングやフォレールの著書中に散見するような色情狂に想像で成済(なりす)まして、而(そう)して独り高尚がっていた。
 いや、独り高尚がっていたのでない。それには同気相求めて友が幾人(いくたり)も出来た。同県人で予備門から後(のち)文科へ入(い)った男が有ったが、私は殊に其感化を受けた。ああ、皆自分が悪かったので、人を怨んでは済まないが、私は今でも此男に逢うと、何とも言えぬ厭な心持になる。儘になるなら刺違(さしちが)えて死で了いたく思う事もある。

          四十三

 私が感化を受けた友というのは私より一つ二つ年上であった。文学が専門だから、文学書は私より余計読でいたという丈で、何でもない事だが、それを私は大層偉いように思っていた。まだファウストを読まぬ時、ファウストの話を聴(きか)される。なに、友は愚にも附(つか)ん事を言っているのだが、其愚にも附かん事を、人生だ、智慾だ、煩悶だ、肉だ、堕落だ、解脱(げだつ)だ、というような意味の有り気な言葉で勿体を附て話されると、何だか難有(ありがた)くなって来て、之を語る友は偉いと思った。こんな馬鹿気た話はない。友は唯私より少し早くファウストという古本(ふるほん)を読(よん)だ丈の事だ。読んで分った所で、ファウストが何程(どれほど)の物だ? 技巧の妙を除いたら、果してどれ程の価値がある? 況(いわん)や友はあやふやな語学の力で分らん処を飛ばし飛ばし読んだのだ。読んで幼稚な頭で面白いと感じた丈だ、それも聞怯(ききおじ)して、従頭(てんから)面白いに極(き)めて掛って、半分は雷同で面白いと感じた丈だ。読んで十分に味わい得た所で、どうせ人間の作った物だ、左程の物でもあるまいに、それを此様(こん)な読方をして、難有(ありがた)がって、偶(たまたま)之を読まぬ者を何程(どれほど)劣等の人間かのように見下(みくだ)し、得意になって語る友も友なら、其を聴いて敬服する私も私だ。心ある人から観たら、嘸(さ)ぞ苦々しく思われたろう。
 此友から私は文学の難有(ありがた)い訳を種々(いろいろ)と説き聴かされた。今ではもう大抵忘れて了ったけれど、何でも文学は真理に新しい形を賦(ふ)して其生命を直接に具体的に再現するものだ、とか聴かされて、感服した。自然の真相は普通人に分らぬ、詩人が其主観を透(とお)して描いて示すに及んで、始めて普通人にも朧気(おぼろげ)に分って人間の宝となる、とか聴かされて、又感服した。恋には人間の真髄が動く、とか聴かされて、又感服した。其他(そのた)まだ種々(いろいろ)聴かされて一々感服したが、此様(こん)な事は皆愚言(たわごと)だ、世迷言(よまいごと)だ。空想に生命を託して人生を傍観するばかりで、古本と首引(くびぴき)して瞑想するばかりで、人生に生命を託して人生と共に浮沈上下(ふちんじょうか)せんでも、人生の活機に触れんでも、活眼を以て活勢を機微の間(あいだ)に察し得んでも、如何(どう)かして人生が分るものとしても、友のいうような其様(そん)な文学は、何処かで誰かが空想した文学で、文学の実際でない。文学の実際は人間の堕落を潤色(じゅんしょく)して、懦弱(だじゃく)な人間を更に懦弱(だじゃく)にするばかりだ。私の観方(みかた)は偏しているというか? 唯弊(へい)を見て利を見ぬというか? しかし利よりも弊(へい)の勝ったのが即ち文学の実際ではないか? 私の観方(みかた)より文学の実際が既に弊(へい)に偏しているではないか?
 ああ、しかし、文学を責めるより、友を責めるより、自ら責めた方が当っていよう。私のような斗□(やくざ)な者は、例えば聖賢の遺書を読んでも、矢張(やっぱり)害を受けるかも知れん。私は自然だ人生だと口には言っていたけれど、唯書物で其様(そん)な言葉を覚えただけで、意味が能(よ)く分っているのではなかった。意味も分らぬ言葉を弄(もてあそ)んで、いや、言葉に弄(もてあそ)ばれて、可惜(あたら)浮世を夢にして渡った。詩人と名が附きゃ、皆普通の人より勝(まさ)ってるように思っていた。小説、殊に輸入小説には人生の真相が活字の面(おもて)に浮いているように思っていた。西洋の詩人は皆東洋の詩人に勝るように思っていた。作の新旧を論じて其価値を定めていた。自分は此様(こん)な下らん真似をしていながら、他(た)の額に汗して着実の浮世を渡る人達が偶(たまたま)文壇の事情に通ぜぬと、直ぐ俗物と罵(ののし)り、俗衆と罵(ののし)って、独り自(みずか)ら高しとしていた。独り自ら高しとする一方で、想像で姦淫して、一人で堕落していた。
 ああ、恥かしくて顔が熱(ほて)る。何たる苦々しい事であった。私は当時の事を想い出(いだ)す度(たび)に、人通りの多い十字街(よつつじ)に土下座して、通る人毎に、踏んで、蹴て、唾を吐懸けて貰い度(たい)ような心持になる……

          四十四

 文学の毒に中(あて)られた者は必ず終(つい)に自分も指を文学に染めねば止まぬ。私達が即ち然うであった。先ず友が何か下らぬ物を書いて私に誇示(ひけらか)した。すると私も直ぐ卑(さも)しい負ぬ気を出して短篇を書いた。どうせ碌な物ではない。筋はもう忘れて了ったが、何でも自分を主人公にして、雪江さんが相手の女主人公(じょしゅじんこう)で、紛紜(ごたごた)した挙句に幾度(いくたび)となく姦淫するのを、あやふやな理想や人生観で紛(まぎ)らかして、高尚めかしてすじり捩(もじ)った物であったように記憶する。自惚(うぬぼれ)は天性だから、書上げると、先ず自分と自分に満足して、これなら当代の老大家の作に比しても左(さ)して遜色(そんしょく)は有るまい、友に示(み)せたら必ず驚くと思って、示(み)せたら、友は驚かなかった。好(い)い処もあるが、もう一息だと言う様なことをいう。私は非常に不平だった。が、局量の狭い者に限って、人の美を成すを喜ばぬ。人を褒(ほめ)れば自分の器量が下るとでも思うのか、人の為(し)た事には必ず非難(けち)を附けたがる、非難(けち)を附けてその非難(けち)を附けたのに必ず感服させたがる。友には其癖があったから、私は友の評を一概に其癖の言わせる事にして了って、実に卑劣な奴だと思った。
 何とかして友に鼻を明(あか)させて遣(や)りたい。それには此短篇を何処かの雑誌へ載せるに限ると思った。雑誌へ載せれば、私の名も世に出る、万一(ひょっと)したら金も獲(え)られる、一挙両得だというような、愚劣な者の常として、何事も自分に都合の好(い)い様にばかり考えるから、其様(そん)な虫の好(い)い事を思って、友には内々(ないない)で種々(いろいろ)と奔走して見たが、如何(どう)しても文学の雑誌に手蔓(てづる)がない。其中(そのうち)に或人が其は既に文壇で名を成した誰(たれ)かに知己(ちかづき)になって、其人の手を経て持込むが好(い)いと教えて呉れたので、成程と思って、早速手蔓(てづる)を求めて某大家の門を叩いた。
 某大家は其頃評判の小説家であったから、立派な邸宅を構えていようとも思わなかったが、定めて瀟洒(しょうしゃ)な家(うち)に住って閑雅な生活をしているだろうと思って、根岸(ねぎし)の其宅を尋ねて見ると、案外見すぼらしい家(うち)で、文壇で有名な大家のこれが住居(すまい)とは如何(どう)しても思われなかった。家(うち)も見窄(みすぼ)らしかったが、主人も襟垢(えりあか)の附た、近く寄ったら悪臭(わるぐさ)い匂(におい)が紛(ぷん)としそうな、銘仙(めいせん)か何かの衣服(きもの)で、銀縁眼鏡(ぎんぶちめがね)で、汚い髯(ひげ)の処斑(ところまだら)に生えた、土気色をした、一寸(ちょっと)見れば病人のような、陰気な、くすんだ人で、ねちねちとした弁で、面(かお)を看合(みあわ)せると急いで俯向(うつむ)いて了う癖がある。通されたのは二階の六畳の書斎であったが、庭を瞰下(みおろ)すと、庭には樹から樹へ紐(ひも)を渡して襁褓(おしめ)が幕のように列べて乾(ほ)してあって、下座敷(したざしき)で赤児(あかご)のピイピイ泣く声が手に取るように聞える。
 私は甚(ひど)く軽蔑の念を起した。殊に庭の襁褓(おしめ)が主人の人格を七分方下げるように思ったが、求むる所があって来たのだから、質樸な風をして、誰(たれ)も言うような世辞を交(ま)ぜて、此人の近作を読んで非常に敬服して教えを乞いに来たようにいうと、先生畳を凝(じっ)と視詰(みつ)めて、あれは咄嗟(とっさ)の作で、書懸(かきかけ)ると親類に不幸が有ったものだから、とかいうような申訳めいた事を言って、言外に、落着いて書いたら、という余意を含める。私は腹の中で下らん奴だと思ったが、感服した顔をして媚(こ)びたような事を言うと、先生万更(まんざら)厭な心持もせぬと見えて、稍(やや)調子付いて来て、夫から種々(いろいろ)文学上の事に就いて話して呉れた。流石(さすが)は大家と謂われる人程あって、驚くべき博覧で、而も一家の見識を十分に具えていて、ムッツリした人と思いの外、話が面白い。後進の私達は何(ど)の点に於ても敬服しなければならん筈であるが、それでも私は尚お軽蔑の念を去る事が出来なかった。で、終局(しまい)に只ほんの看(み)て貰えば好(い)いように言って、雑誌へ周旋を頼む事は噫(おくび)にも出さないで、持って行った短篇を置いて、下宿へ帰って来てから、又下らん奴だと思った。

          四十五

 某大家は兎に角大家だ。私は青二才だ。何故私は此人を軽蔑したのか? 襟垢(えりあか)の附いた着物を着ていたとて、庭に襁褓(むつき)が乾(ほ)してあったとて、平生(へいぜい)名利(めいり)の外(ほか)に超然たるを高しとする私の眼中に、貧富の差は無い筈である。が、私は実際先生の貧乏臭いのを看て、軽蔑の念を起したのだ。矛盾だ。矛盾ではあるが、矛盾が私の一生だ。
 医者の不養生という。平生思想を性命として、思想に役せられている人に限って、思想が薄弱で正可(まさか)の時の用に立たない。私の思想が矢張(やっぱ)り其だった。
 けれど、思想々々と大層らしく言うけれど、私の思想が一体何んだ? 大抵は平生親しむ書巻の中(うち)から拾って来た、謂わば古手の思想だ。此蒼褪(あおざ)めた生気のない古手の思想が、意識の表面で凝(こ)って髣髴(ほうふつ)として別天地を拓いている処を見ると、理想だ、人生観だというような種々の観念が美しい空想の色彩を帯びて其中(そのうち)に浮游していて、腹が減(す)いた、銭が欲しいという現実界に比べれば、□(はるか)に美しいように見える。浮気な不真面目な私は直ぐ好(い)い処を看附けたという気になって、此別天地へ入り込んで、其処から現実界を眺めて罵しっていたのだ。我存在の中心を古手の思想に託して、夫(それ)で自(みずか)ら高しとしていたのだ。が、私の別天地は譬(たと)えば塗盆(ぬりぼん)へ吹懸(ふきか)けた息気(いき)のような物だ。現実界に触れて実感を得(え)ると、他愛もなく剥(は)げて了う、剥(は)げて木地(きじ)が露(あら)われる。古手の思想は木地を飾っても、木地を蝕する力に乏しい。木地に食入って吾を磨くのは実感だのに、私は第一現実を軽蔑していたから、その実感を得(え)る場合が少く、偶(たまたま)得た実感も其取扱を誤っていたから、木地の吾を磨く足(たし)にならなかった。
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