平凡
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著者名:二葉亭四迷 

          一

 私は今年(ことし)三十九になる。人世(じんせい)五十が通相場(とおりそうば)なら、まだ今日明日(きょうあす)穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気(あッけ)ない。まだまだと云ってる中(うち)にいつしか此世の隙(ひま)が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻(あが)いたって藻掻(もが)いたって追付(おッつ)かない。覚悟をするなら今の中(うち)だ。
 いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方(もちかた)は年よりも老(ふ)けた方が好い。それだと無難だ。
 如何(どう)して此様(こん)な老人(としより)じみた心持になったものか知らぬが、強(あなが)ち苦労をして来た所為(せい)では有るまい。私位(ぐらい)の苦労は誰でもしている。尤も苦労しても一向苦労に負(め)げぬ何時迄(いつまで)も元気な人もある。或は苦労が上辷(うわすべ)りをして心に浸(し)みないように、何時迄(いつまで)も稚気(おさなぎ)の失せぬお坊さん質(だち)の人もあるが、大抵は皆私のように苦労に負(め)げて、年よりは老込んで、意久地(いくじ)なく所帯染(しょたいじ)みて了い、役所の帰りに鮭(しゃけ)を二切(ふたきれ)竹の皮に包んで提(さ)げて来る気になる、それが普通だと、まあ、思って自ら慰めている。
 もう斯(こ)うなると前途が見え透く。もう如何様(どんな)に藻掻(もがい)たとて駄目だと思う。残念と思わぬではないが、思ったとて仕方がない。それよりは其隙(そのひま)で内職の賃訳(ちんやく)の一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も引張(ひっぱ)らせる算段を為(し)なければならぬ。
 もう私は大した慾もない。どうか忰(せがれ)が中学を卒業する迄首尾よく役所を勤めて居たい、其迄に小金の少しも溜めて、いつ何時(なんどき)私に如何(どん)な事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束(おぼつか)ないので心細い……
 が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気は壮(さかん)だったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、皆(みんな)じめじめと所帯染(しょたいじ)みて了うのを見て、意久地(いくじ)の無い奴等だ。そんな平凡な生活をする位なら、寧(いっ)そ首でも縊(くく)って死ン了(じま)え、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっている中(うち)に、自分もいつしか所帯染(しょたいじ)みて、人に嘲けられる身の上になって了った。
 こうなって見ると、浮世は夢の如しとは能(よ)く言ったものだと熟々(つくつく)思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めて後(のち)其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里(せんりばんり)を相隔てている。もう如何(どう)する事も出来ぬ。
 もう十年早く気が附いたらとは誰(たれ)しも思う所だろうが、皆判で捺(お)したように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共を嗤(わら)う青年達も、軈(やが)ては矢張(やっぱ)り同じ様に、後(のち)の青年達に嗤(わら)われて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢(はか)ないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……
 あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、愈(いよいよ)老込んだに違いない。

          二

 老込んだ証拠には、近頃は少し暇だと直ぐ過去を憶出(おもいだ)す。いや憶出(おもいだ)しても一向憶出(おもいだ)し栄(ばえ)のせぬ過去で、何一つ仕出来(しでか)した事もない、どころじゃない、皆碌でもない事ばかりだ。が、それでいて、其(その)失敗の過去が、私に取っては何処か床しい処がある、後悔慚愧腸(はらわた)を断(た)つ想(おもい)が有りながら、それでいて何となく心を惹付(ひきつ)けられる。
 日曜に妻子を親類へ無沙汰見舞に遣った跡で、長火鉢の側(そば)で徒然(ぽつねん)としていると、半生(はんせい)の悔しかった事、悲しかった事、乃至(ないし)嬉しかった事が、玩具(おもちゃ)のカレードスコープを見るように、紛々(ごたごた)と目まぐるしく心の上面(うわつら)を過ぎて行く。初は面白半分に目を瞑(ねむ)って之に対(むか)っている中(うち)に、いつしか魂(たましい)が藻脱(もぬ)けて其中へ紛れ込んだように、恍惚(うっとり)として暫く夢現(ゆめうつつ)の境を迷っていると、
「今日(こんち)は! 桝屋(ますや)でございます!」
 と、ツイ障子一重(ひとえ)其処の台所口で、頓狂な酒屋の御用の声がする。これで、私は夢の覚めたような面(かお)になる。で、ぼやけた声で、
「まず好かったよ。」
 酒屋の御用を逐返(おいかえ)してから、おお、斯うしてもいられん、と独言(ひとりごと)を言って、机を持出して、生計(くらし)の足しの安翻訳を始める。外国の貯蓄銀行の条例か何ぞに、絞ったら水の出そうな頭を散々悩ませつつ、一枚二枚は余所目(よそめ)を振らず一心に筆を運ぶが、其中(そのうち)に曖昧(あやふや)な処に出会(でっくわ)してグッと詰ると、まず一服と旧式の烟管(きせる)を取上げる。と、又忽然として懐かしい昔が眼前に浮ぶから、不覚(つい)其に現(うつつ)を脱かし、肝腎の翻訳がお留守になって、晩迄に二十枚は仕上げる積(つもり)の所を、十枚も出来ぬ事が折々ある。
 こうどうも昔ばかりを憶出していた日には、内職の邪魔になるばかりで、卑(さも)しいようだが、銭(ぜに)にならぬ。寧(いつ)そのくされ、思う存分書いて見よか、と思ったのは先達(せんだっ)ての事だったが、其後(そのご)――矢張(やっぱ)り書く時節が到来したのだ――内職の賃訳が弗(ふっ)と途切れた。此暇(このひま)を遊(あす)んで暮すは勿体ない。私は兎に角書いて見よう。
 実は、極く内々(ないない)の話だが、今でこそ私は腰弁当と人の数にも算(かず)まえられぬ果敢(はか)ない身の上だが、昔は是れでも何の某(なにがし)といや、或るサークルでは一寸(ちょっと)名の知れた文士だった。流石(さすが)に今でも文壇に昔馴染(むかしなじみ)が無いでもない。恥を忍んで泣付いて行ったら、随分一肩入れて、原稿を何処かの本屋へ嫁(かたづ)けて、若干(なにがし)かに仕て呉れる人が無いとは限らぬ。そうすりゃ、今年の暮は去年のような事もあるまい。何も可愛(かわゆ)い妻子(つまこ)の為だ。私は兎に角書いて見よう。
 さて、題だが……題は何としよう? 此奴(こいつ)には昔から附倦(つけあぐ)んだものだッけ……と思案の末、礑(はた)と膝を拊(う)って、平凡! 平凡に、限る。平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するに、平凡という題は動かぬ所だ、と題が極(きま)る。
 次には書方だが、これは工夫するがものはない。近頃は自然主義とか云って、何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、聊(いささ)かも技巧を加えず、有(あり)の儘に、だらだらと、牛の涎(よだれ)のように書くのが流行(はや)るそうだ。好(い)い事が流行(はや)る。私も矢張(やっぱ)り其で行く。
 で、題は「平凡」、書方は牛の涎(よだれ)。
 さあ、是からが本文(ほんもん)だが、此処らで回を改めたが好かろうと思う。

          三

 私は地方生れだ。戸籍を並べても仕方がないから、唯某県の某市として置く。其処で生れて其処で育ったのだ。
 子供の時分の事は最う大抵忘れて了ったが、不思議なもので、覚えている事だと、判然(はっきり)と昨日(きのう)の事のように想われる事もある。中にも是ばかりは一生目の底に染付(しみつ)いて忘れられまいと思うのは十の時死別れた祖母の面(かお)だ。
 今でも目を瞑(ねむ)ると、直ぐ顕然(まざまざ)と目の前に浮ぶ。面長(おもなが)の、老人だから無論皺(しわ)は寄っていたが、締った口元で、段鼻で、なかなか上品な面相(かおつき)だったが、眼が大きな眼で、女には強過(きつすぎ)る程権(けん)が有って、古屋の――これが私の家(うち)の姓だ――古屋の隠居の眼といったら、随分評判の眼だったそうだ。成程然ういえば、何か気に入らぬ事が有って祖母が白眼(しろめ)でジロリと睨(にら)むと、子供心にも何だか無気味だったような覚(おぼえ)がまだ有る。
 大抵の人は気象が眼へ出ると云う。祖母が矢張(やっぱ)り其だった。全く眼色(めつき)のような気象で、勝気で、鋭くて、能(よ)く何かに気の附く、口も八丁手も八丁という、一口に言えば男勝(おとこまさ)り……まあ、そういった質(たち)の人だったそうな、――私は子供の事で一向夢中だったが。
 生長後親類などの話で聞くと、それというが幾分か境遇の然らしめた所も有ったらしい――というのは、早く祖父に死なれて若い時から後家を徹(とお)して来た。後家という者はいつの世でも兎角人に影口(かげぐち)言れ勝の、割の悪いものだから、勝気の祖母はこれが悔しくて堪(たま)らない。それで、何の、女でこそあれ、と気を張る。気を張て油断をしなかったから、一生人に後指(うしろゆび)を差されるような過失はなかった代り、余り人に愛しもされずに年を取って了って、父の代となった。
 父は祖母とは全(まる)で違っていた。如何(どう)して此人の腹に此様(こん)な人がと怪しまれる程の好人物で、面(かお)も薩張(さっぱ)り似ていなかった。大きな、笑うと目元に小皺(こじわ)の寄る、豊頬(ふっくり)した如何(いか)にも愛嬌のある円顔で、形(なり)も大柄だったが、何処か円味が有り、心も其通り角(かど)が無かった。快活で、蟠(わだかま)りがなくて、話が好きで、碁が好きで、暇(ひま)さえ有れば近所を打ち歩き、大きな嚏(くしゃみ)を自慢にする程の罪のない人だった。祖父が矢張(やっぱり)然うであったと云うから、大方其気象を受継いだのであろう。
 父は此様(こん)な人だし、母は――私の子供の時分の母は、手拭を姉様冠(あねさまかぶ)りにして襷掛(たすきが)けで能(よ)くクレクレ働く人だった。其頃の事を誰(たれ)に聞いても、皆阿母(おっか)さんは能く辛抱なすったとばかりで、其他(そのた)に何も言わぬから、私の記憶に残る其時分の母は、何時迄(いつまで)経(た)っても矢張(やっぱ)り手拭を姉様冠(あねさまかぶ)りにして、襷掛(たすきが)けで能(よ)くクレクレ働く人で、格別如何(どう)いう人という事もない。
 斯ういう家庭だったから、自然祖母が一家の実権を握っていた。家内中の事一から十迄祖母の方寸に捌(さば)かれて、母は下女か何ぞの様に逐使(おいつか)われる。父も一向家事には関係しないで、形式的に相談を受ければ、好うがしょう、とばかり言っている。然う言っていないと、祖母の機嫌が悪い、面倒だ。
 母方の伯父で在方(ざいかた)で村長をしていた人があった。如何(どう)したのだか、祖母とは仲悪で、死後迄余り好くは言わなかったが、何かの話の序(ついで)に、阿母(おっか)さんもお祖母(ばあ)さんには随分泣されたものだよ、と私に言った事がある。成る程折々母が物蔭で泣いていると、いつも元気な父が其時ばかりは困った顔をして何か密々(ひそひそ)言っているのを、子供心にも不審に思った事があったが、それが伯父の謂うお祖母(ばあ)さんに泣かされていたのだったかも知れぬ。
 兎に角祖母は此通り気難かし家であったが、その気難かし家の、死んだ後迄(あとまで)噂に残る程の祖母が、如何(どう)いうものだか、私に掛ると、から意久地がなかった。

          四

 何で祖母が私に掛ると、意久地が無くなるのだか、其は私には分らなかった。が、兎に角意久地の無くなるのは事実で、評判の気難かし家が、如何(どう)にでも私の思う様になって了う。
 まず何か欲しい物がある。それも無い物ねだりで、有る結構な干菓子は厭で、無い一文菓子が欲しいなどと言出して、母に強求(ねだ)るが、許されない。祖母に強求(ねだ)る、一寸(ちょっと)渋る、首玉(くびったま)へ噛(かじ)り付(つ)いて、ようようと二三度鼻声で甘垂(あまた)れる、と、もう祖母は海鼠(なまこ)の様になって、お由(よし)――母の名だ――彼様(あんな)に言うもんだから、買って来てお遣りよ、という。祖母の声掛りだから、母も不承々々起(た)って、雨降(あめふり)でも私の口のお使に番傘傾(かた)げて出懸けようとする。斯うなると、流石(さすが)の父も最う笑ってばかりは居られなくなって、小言をいう。私が泣く、祖母の機嫌が悪い。
「此様(こんな)小さい者を其様(そんな)に苛(いじ)めて育てて、若しか俊坊(としぼう)の様な事にでもなったら、如何(どう)おしだ? 可哀(かわい)そうじゃないか。」
 というのが口切で、ボツリボツリと始める。俊坊というのは私の兄で、私も虚弱だったが、矢張(やっぱり)虚弱で、六ツの時偸(と)られたのだそうだ。それも急性胃加答児(いカタル)で偸(と)られたのだと云うから、事に寄ると祖母が可愛がりごかしに口を慎ませなかった祟(たたり)かも知れぬ。併し虚弱な児(こ)は大食させ付ると達者になると言われて、然うかなと思う程の父だから、祖母の矛盾には気が附かない。矢張(やっぱり)有触れた然う我儘をさせ付けては位(ぐらい)の所で切脱(きりぬ)けようとする。祖母も其は然う思わぬでもないから、内々(ないない)自分が無理だと思うだけに激する、言葉が荒くなる。もう此上憤(おこ)らせると、又三日も物を言わなかった挙句、ぷいと家(うち)を出て在(ざい)の親類へ行った切(きり)帰らぬという騒も起りかねまじい景色なので、父は黙って了う。母も黙って出て行く。と、もう廿分も経(た)つと、私が両手に豆捩(まめねじ)を持って雀躍(こおどり)して喜ぶ顔を、祖母が眺めてほくほくする事になって了う。
 斯うして私の小さいけれど際限の無い慾が、毎(いつ)も祖母を透(とお)して遂げられる。それは子供心にも薄々了解(のみこめ)るから、自然家内中で私の一番好(すき)なのは祖母で、お祖母(ばあ)さんお祖母さんと跡を慕う。何となく祖母を味方のように思っているから、祖母が内に居る時は、私は散々我儘を言って、悪たれて、仕度三昧(したいざんまい)を仕散らすが、留守だと、萎靡(いじけ)るのではないが、余程(よっぽど)温順(おとな)しくなる。
 其癖(そのくせ)私は祖母を小馬鹿にしていた。何となく奥底が見透(みすか)されるから、祖母が何と言ったって、些(ちッ)とも可怕(こわ)くない。
 それを又勝気の祖母が何とも思っていない。反(かえっ)て馬鹿にされるのが嬉しいように、人が来ると、其話をして、憎い奴でございますと言って、ほくほくしている。
 両親も其は同じ事で、散々私に悩まされながら、矢張(やっぱり)何とも思っていない。唯影でお祖母(ばあ)さんにも困ると、お祖母(ばあ)さんの愚痴を零(こぼ)すばかり。
 私は何方(どッち)へ廻っても、矢張(やッぱり)好(い)い児(こ)だ。

          五

 親馬鹿と一口に言うけれど、親の馬鹿程有難い物はない。祖母は勿論、両親とても決して馬鹿ではなかったが、その馬鹿でなかった人達が、私の為には馬鹿になって呉れた。勿体ないと言わずには居られない。
 私に何の取得がある? 親が身の油を絞って獲た金を、私の教育に惜気(おしげ)もなく掛けて呉れたのは、私を天晴(あッぱ)れ一人前の男に仕立てたいが為であったろうけれど、私は今眇(びょう)たる腰弁当で、浮世の片影(かたかげ)に潜んでいる。私が生きていたとて、世に寸益もなければ、死んだとて、妻子の外に損を受ける者もない。世間から見れば有っても無くても好(い)い余計な人間だ。財産なり、学問なり、技能なり、何か人より余計に持っている人は、其余計に持っている物を挟(さしはさ)んで、傲然として空嘯(そらうそぶ)いていても、人は皆其足下(そっか)に平伏する。私のように何も無い者は、生活に疲れて路傍(みちばた)に倒れて居ても、誰一人(たれひとり)振向いて見ても呉れない。皆素通(すどおり)して□々(さッさ)と行って了う。偶(たまたま)立止る者が有るかと思えば、熟(つらつ)ら視て、金持なら、うう、貧乏人だと云う、学者なら、うう、無学な奴だと云う、詩人なら、うう、俗物だと云う、而(そう)して□々(さッさ)と行って了う。平生(へいぜい)尤も親しらしい面(かお)をして親友とか何とか云っている人達でも、斯うなると寄って集(たか)って、手(て)ン手(で)ンに腹(はら)散々(さんざ)私の欠点を算え立てて、それで君は斯うなったんだ、自業自得だ、諦め玉え々々と三度回向(えこう)して、彼方(あちら)向いて□々(さっさ)と行って了う。私は斯ういう価値の無い平凡な人間だ。それを二つとない宝のように、人に後指を差されて迄も愛して呉れたのは、生れて以来今日迄(こんにちまで)何万人となく人に出会ったけれど、其中(そのうち)で唯祖母と父母あるばかりだ。偉い人は之を動物的の愛だとか言って擯斥(けな)されるけれど、平凡な私の身に取っては是程有難い事はない。
 若し私の親達に所謂(いわゆる)教育が有ったら、斯うはなかったろう。必ず、動物的の愛なんぞは何処かの隅に窃(そっ)と蔵(しま)って置き、例の霊性の愛とかいうものを担(かつ)ぎ出(だし)て来て、薄気味悪い上眼を遣って、天から振垂(ぶらさが)った曖昧(あやふや)な理想の玉を睨(なが)めながら、親の権威を笠に被(き)ぬ面(かお)をして笠に被(き)て、其処ン処は体裁よく私を或型へ推込(おしこ)もうと企らむだろう。私は子供の天性の儘に、そんなふやけた人間が、古本(ふるぼん)なんぞと首引(くびッぴき)して、道楽半分に拵(こしら)えた、其癖無暗(むやみ)に窮屈な型なんぞへ入る事を拒んで、隙を見て逃出そうとする。どッこいと取捉(とッつら)まえて厭がる者を無理無体に、シャモを鶏籠(とりかご)へ推込むように推込む。私は型の中で出ようと藻掻(もが)く。知らん面(かお)している。泣いて、喚(わめ)いて、引掻いて出ようとする。知らん面(かお)している。欺して出ようとする。其手に乗らない。百計尽きて、仕様がないと観念して、性を矯(た)め、情を矯(た)め、生(いき)ながら木偶(でく)の様な生気のない人間になって了えば、親達は始めて満足して、漸く善良な傾向が見えて来たと曰う。世間の所謂(いわゆる)家庭教育というものは皆是ではないか。私は幸いにして親達が無教育無理想であったばかりに、型に推込まれる憂目(うきめ)を免(のが)れて、野育ちに育った。野育ちだから、生来具有の百の欠点を臆面もなく暴(さら)け出して、所謂(いわゆる)教育ある人達を顰蹙(ひんしゅく)せしめたけれど、其代り子供の時分は、今の様に矯飾(きょうしょく)はしなかった。皆(みんな)無教育な親達のお蔭だ。難有(ありがた)い事だと思う。真(しん)に難有(ありがた)い事だと思う。
 しかし内拡(うちひろ)がりの外窄(そとすぼ)まりと昔から能(よ)く俗人が云う。哲人の深遠な道理よりも、詩人の徹底した見識よりも、平凡な私共の耳には此方が入(い)り易い。不思議な事には、無理想の俗人の言う事は皆活きて聞える。
 私が矢張(やッぱり)其内拡(うちひろが)りの外窄(そとすぼ)まりであった。

          六

 内ン中の鮑(あわび)ッ貝、外へ出りゃ蜆(しじみ)ッ貝、と友達に囃(はや)されて、私は悔しがって能(よ)く泣いたッけが、併し全く其通りであった。
 如何(どう)いうものだか、内でお祖母(ばあ)さんが舐(なめ)るようにして可愛がって呉れるが、一向嬉しくない。反(かえっ)て蒼蠅(うるさ)くなって、出るなと制(と)める袖の下を潜って外へ駈出す。
 しかし一歩門外(もんそと)へ出れば、最う浮世の荒い風が吹く。子供の時分の其は、何処にも有る苛(いじ)めッ児(こ)という奴だ。私の近処にも其が居た。
 勘(かん)ちゃんと云って、私より二ツ三ツ年上で、獅子ッ鼻の、色の真黒けな児(こ)だったが、斯ういうのに限って乱暴だ。親仁(おやじ)は郵便局の配達か何かで、大酒呑で、阿母(おふくろ)はお引摺(ひきずり)と来ているから、常(いつ)も鍵裂(かぎざき)だらけの着物を着て、踵(かかと)の切れた冷飯草履(ひやめしぞうり)を突掛け、片手に貧乏徳利を提げ、子供の癖に尾籠(びろう)な流行歌(はやりうた)を大声に唱(うた)いながら、飛んだり、跳ねたり、曲駈(きょくがけ)というのを遣り遣り使に行く。始終使にばかり行っても居なかったろうが、私は勘ちゃんの事を憶出すと、何故だか常(いつ)も其使に行く姿を想出(おもいだ)す。
 勘ちゃんは家(うち)では何も貰えぬから、人が何か持ってさえいれば、屹度(きっと)欲しがって、卒直にお呉ンなと云う。機嫌好く遣れば好し、厭だと頭振(かぶり)を振ると、顋(あご)を突出して、好(い)いよ好いよと云う。薄気味(うすきび)悪くなって遣ろうとするが、最う受取らない。好(い)いよ、呉れないと云ったね、好(い)いよと、其許(そればか)りを反覆(くりかえ)して行って了う。何となく気になるが、子供の事だ、遊びに耋(ほう)けて忘れていると、何時(いつ)の間にか勘ちゃんが、使の帰りに何処かで蛇の死んだのを拾って来て、窃(そっ)と背後(うしろ)から忍び寄て、卒然(いきなり)ピシャリと叩き付ける。ワッと泣き声揚げて此方(こちら)は逃出す、其後姿を勘ちゃんは白眼(しろめ)で見送って、「様(ざま)ア見やがれ!」
 私は散々此勘ちゃんに苛(いじ)められた。初こそ悔しがって武者振り付いても見たが、勘ちゃんは喧嘩の名人だ。直(すぐ)と足搦(あしがら)掛けて推倒(おしたお)して置いて、馬乗りに乗ってピシャピシャ打(ぶ)つ。私にはお祖母(ばあ)さんが附いてるから、内では親にさえ滅多に打(ぶ)たれた事のない頭だ。その大切にせられている頭を、勘ちゃんは遠慮せずにピシャピシャ打(ぶ)つ。
 一度(ど)酷(ひど)い目に遭ってから、私は勘ちゃんが可怕(こわ)くて可怕くてならなくなった。勘ちゃんが側(そば)へ来ると、最う私は恟々(おどおど)して、呉れと言わない中(うち)から持ってる物を遣り、勘ちゃん、あの、賢ちゃんがね、お前の事を泥棒だッて言ってたよと、余計な事迄告口(つげぐち)して、勉めて御機嫌を取っていた。斯うしていれば大抵は無難だが、それでも時々何の理由もなく、通りすがりに大切の頭をコツリと打(や)って行くこともある。
 外(そと)は面白いが、勘ちゃんが厭だ。と云って、内でお祖母(ばあ)さんと睨(にら)めッこも詰らない。そこで、お隣のお光(みっ)ちゃんにお向うのお芳(よっ)ちゃんを呼んで来る。お光(みっ)ちゃんは外歯(そっぱ)のお出額(でこ)で河童のような児(こ)だったけれど、お芳(よっ)ちゃんは色白の鈴を張ったような眼で、好児(いいこ)だった。私は飯事(ままごと)でお芳(よっ)ちゃんの旦那様になるのが大好だった。お烟草盆(たばこぼん)のお芳(よっ)ちゃんが真面目腐って、貴方(あなた)、御飯をお上ンなさいなと云う。アイと私が返事をする。アイじゃ可笑(おかし)いわ、ウンというンだわ、と教えられて、じゃ、ウンと言って、可笑(おかし)くなって、不覚(つい)笑い出す。此方が勘ちゃんに頭を打(は)られるより余程(よッぽど)面白い。それに女の児(こ)はこましゃくれているから、子供でも人の家(うち)だと遠慮する。私一人(ひとり)威張っていられる。間違って喧嘩になっても、屹度(きッと)敵手(あいて)が泣く。然うすればお祖母(ばあ)さんが謝罪(あやま)って呉れる。
 女の児(こ)と遊ぶのは無難で面白いが、併しそう毎日も遊びに来て呉れない。すると、私は退屈するから、平地(へいち)に波瀾を起して、拗(すね)て、じぶくッて、大泣に泣いて、而(そう)してお祖母(ばあ)さんに御機嫌を取って貰う。

          七

 ……が、待てよ。何ぼ自然主義だと云って、斯う如何(どう)もダラダラと書いていた日には、三十九年の半生(はんせい)を語るに、三十九年掛るかも知れない。も少し省略(はしょ)ろう。
 で、唐突ながら、祖母は病死した。
 其時の事は今に覚えているが、平常(いつも)の積(つもり)で何心なく外(そと)から帰って見ると、母が妙な顔をして奥から出て来て、常(いつ)になく小声で、お前は、まあ、何処へ行ッていたい? お祖母(ばあ)さんがお亡(なく)なンなすッたよ、という。お亡(なく)なンなすッたよが一寸(ちょっと)分らなかったが、死んだのだと聞くと、吃驚(びっくり)すると同時に、急に何だか可怕(おっかなく)なって来た。無論まだ死ぬという事が如何(どん)な事だか能(よ)くは分らなかったが、唯何となく斯う奥の知れぬ真暗な穴のような処へ入る事のように思われて、日頃から可怕(おっかな)がっていたのだが、子供も人間だから矛盾を免れない。お祖母(ばあ)さんが死んだのは可怕(おっかな)いが、その可怕(おっかな)い処を見たいような気もする。
 で、母が来いと云うから、跟(あと)に随(つ)いて怕々(こわごわ)奥へ行って見ると、父は未だ居る医者と何か話をしていたが、私の面(かお)を見るより、何処へ行って居た。もう一足早かったらなあ……と、何だか甚(ひど)く残念がって、此処へ来てお祖母(ばあ)さんにお辞儀しろという。
 改まってお祖母(ばあ)さんにお辞儀しろと言われた事は滅多に無いので、死ぬと変な事をするものだ、と思って、おッかな恟(びっく)り側(そば)へ行くと、小屏風を逆(さかさ)にした影に祖母が寝ていて、面(かお)に白い布片(きれ)が掛けてある。父が徐(しず)かに其を取除(とりの)けると、眼を閉じて少し口を開(あ)いた眠ったような祖母の面(かお)が見える……一目見ると厭な色だと思った。長いこと煩(わずら)っていたから、窶(やつ)れた顔は看慣(みな)れていたが、此様(こん)な色になっていたのを見た事がない。厭に白けて、光沢(つや)がなくて、死の影に曇っているから、顔中が何処となく薄暗い。もう家(うち)のお祖母(ばあ)さんでは無いような気がする。といって、余処(よそ)のお祖母(ばあ)さんでもないが、何だか其処に薄気味の悪い区劃(しきり)が出来て、此方(こっち)は明るくて暖かだが、向うは薄暗くて冷たいようで、何がなしに怕(こわ)かった。
「お辞儀をしないか。」
 と父に催促されて、私は莞爾々々(にこにこ)となった。何故だか知らんが、莞爾々々(にこにこ)となって、ドサンと膝を突いて、遠方からお辞儀して、急いで次の間へ逃げて来て、矢張(やっぱり)莞爾々々(にこにこ)していた。
 其中(そのうち)に親類の人達が集まって来る、お寺から坊さんが来る、其晩はお通夜(つや)で、翌日は葬式と、何だか家内(かない)が混雑(ごたごた)するのに、覩(み)る物聞く事皆珍らしいので、私は其に紛れて何とも思わなかったが、軈(やが)て葬式が済んで寺から帰って来ると、手伝の人も一人帰り二人帰りして、跡は又家(うち)の者ばかりになる。薄暗いランプの蔭でト面(かお)を合せて見ると、お祖母(ばあ)さんが一人足りない。ああ、お祖母(ばあ)さんは先刻(さっき)穴へ入って了ったが、もう何時迄(いつまで)待ても帰って来ぬのだと思うと、急に私は悲しくなってシクシク泣出した。
 私の泣くのを見て母も泣いた。父も到頭泣いた。親子三人向合(むかいあ)って、黙って暫く泣いていた。

          八

 祖母に死別れて悲しかったが、其頃はまだ子供だったから、十分に人間死別の悲しみを汲分け得なかった。その悲しみの底を割ったと思われるのは、其後(そののち)両親(りょうしん)に死なれた時である。
 去る者日々に疎(うと)しとは一わたりの道理で、私のような浮世の落伍者は反(かえっ)て年と共に死んだ親を慕う心が深く、厚く、濃(こまや)かになるようだ。
 去年の事だ。私は久振(ひさしぶり)で展墓(てんぼ)の為帰省した。寺の在る処は旧(もと)は淋しい町端(まちはず)れで、門前の芋畠を吹く風も悲しい程だったが、今は可なりの町並になって居て、昔能(よ)く憩(やす)んだ事のある門脇(もんわき)の掛茶屋は影も形も無くなり、其跡が Barber's(バーバース) Shop(ショップ) と白ペンキの奇抜な看板を揚げた理髪店になっている。
 が、寺は其反対に荒れ果てて、門は左程(さほど)でもなかったが、突当りの本堂も、其側(そのそば)の庫裏(くり)も、多年の風雨(ふうう)に曝(さらさ)れて、処々壁が落ち、下地(したじ)の骨が露(あら)われ、屋根には名も知れぬ草が生えて、甚(ひど)く淋(さび)れていた。私は台所口で寺男が内職に売っている樒(しきみ)を四五本買って、井戸へ掛って、釣瓶縄(つるべなわ)が腐って切れそうになっているのを心配しながら、漸く水を汲上げた。手桶片手に、樒(しきみ)を提(さ)げて、本堂をグルリと廻(まわ)って、後(うしろ)の墓地へ来て見ると、新仏(しんぼとけ)が有ったと見えて、地尻(じしり)に高い杉の木の下(した)に、白張(しらはり)の提灯が二張(ふたはり)ハタハタと風に揺(ゆら)いでいる。流石(さすが)に微(かすか)に覚えが有るから、確か彼(あ)の辺(へん)だなと見当を附けて置いて、さて昨夜(ゆうべ)の雨でぬかる墓場道を、蹴揚(けあげ)の泥を厭(いと)い厭い、度々(たびたび)下駄を取られそうになりながら、それでも迷わずに先祖代々の墓の前へ出た。
 祠堂金(しどうきん)も納めてある筈、僅ばかりでも折々の附け届も怠らなかった積(つもり)だのに、是はまた如何な事! 何時(いつ)掃除した事やら、台石は一杯に青苔(あおごけ)が蒸して石塔も白い痂(かさぶた)のような物に蔽(おお)われ、天辺(てッぺん)に二処三処(ふたとこみとこ)ベットリと白い鳥の糞(ふん)が附ている。勿論木葉(このは)は堆(うずたか)く積って、雑草も生えていたが、花立の竹筒は何処へ行った事やら、影さえ見えなかった。
 私は掃除する方角もなく、之に対して暫く悵然(ちょうぜん)としていた。
 祖母の死後数年(すねん)、父母(ちちはは)も其跡を追うて此墓の下(した)に埋(うず)まってから既に幾星霜を経ている。墓石(ぼせき)は戒名も読め難(かね)る程苔蒸して、黙然として何も語らぬけれど、今来(きた)って面(まのあた)りに之に対すれば、何となく生きた人と面(かお)を合せたような感がある。懐かしい人達が未だ達者でいた頃の事が、夫(それ)から夫(それ)と止度(とめど)なく想出されて、祖母が縁先に円くなって日向ぼッこをしている格構(かっこう)、父が眼も鼻も一つにして大(おおき)な嚔(くしゃみ)を為(し)ようとする面相(かおつき)、母が襷掛(たすきがけ)で張物をしている姿などが、顕然(まざまざ)と目の前に浮ぶ。
 颯(さッ)と風が吹いて通る。木(こ)の葉がざわざわと騒ぐ。木(こ)の葉の騒ぐのとは思いながら、澄んだ耳には、聴き覚えのある皺嗄(しゃが)れた声や、快活な高声(たかごえ)や、低い繊弱(かぼそ)い声が紛々(ごちゃごちゃ)と絡み合って、何やら切(しき)りに慌(あわただ)しく話しているように思われる。一しきりして礑(はた)と其が止むと、跡は寂然(しん)となる。
 と、私の心も寂然(しん)となる。その寂然(しん)となった心の底から、ふと恋しいが勃々(むらむら)と湧いて出て、私は我知らず泪含(なみだぐ)んだ。ああ、成ろう事なら、此儘此墓の下へ入って、もう浮世へは戻り度(たく)ないと思った。

          九

 先刻(さっき)旧友の一人が尋ねて来た。此人は今でも文壇に籍を置いてる人で、人の面(かお)さえ見れば、君ねえ、ナチュラリーズムがねえと、グズリグズリを始める人だ。
 神経衰弱を標榜している人だから耐(たま)らない。来ると、ニチャニチャと飴を食ってるような弁で、直(すぐ)と自分の噂を始める。やあ、僕の理想は多角形で光沢があるの、やあ、僕の神経は錐(きり)の様に尖(とン)がって来たから、是で一つ神秘の門を突(つッ)いて見る積(つもり)だのと、其様(そんな)事ばかり言う。でなきゃ、文壇の噂で人の全盛に修羅(しゅら)を燃(もや)し、何かしらケチを附けたがって、君、何某(なにがし)のと、近頃評判の作家の名を言って、姦通一件を聞いたかという。また始まったと、うんざりしながら、いやそんな事僕は知らんと、ぶっきらぼうに言うけれど、文士だから人の腹なんぞは分らない。人が知らんというのに反って調子づいて、秘密の話だよ、此場限りだよと、私が十人目の聴手かも知れぬ癖に、悪念(わるねん)を推して、その何某(なにがし)が友の何某(なにがし)の妻と姦通している話を始める。何とかが如何(どう)とかして、掃溜(はきだめ)の隅で如何(どう)とかしている処を、犬に吠付かれて蒼くなって逃げたとか、何とか、その醜穢(しゅうわい)なること到底筆には上せられぬ。それも唯其丈の話で、夫だから如何(どう)という事もない。君、モーパッサンの捉まえどこだね、という位(ぐらい)が落だ。
 これで最う帰るかと思うと、なかなか以て! 君ねえ、僕はねえと、また僕の事になって、其中(そのうち)に世間の俗物共を眼中に措(お)かないで、一つ思う存分な所を書いて見ようと思うという様な事を饒舌(しゃべ)って、文士で一生貧乏暮しをするのだもの、ねえ、君、責(せめ)て後世にでも名を残さなきゃアと、堪(たま)らない事をいう。プスリプスリと燻(いぶ)るような気□(きえん)を吐いて、散々人を厭がらせた揚句に、僕は君に万斛(ばんこく)の同情を寄せている、今日は一つ忠告を試みようと思う、というから、何を言うかと思うと、「君も然う所帯染みて了わずと、一つ奮発して、何か後世へ残し玉え。」
 こんなのは文壇でも流石(さすが)に屑の方であろう。しかし不幸にして私の友人は大抵屑ばかりだ。こんな人のこんな風袋(ふうたい)ばかり大きくても、割れば中から鉛の天神様が出て来るガラガラのような、見掛倒しの、内容に乏しい、信切な忠告なんぞは、私は些(ちッ)とも聞き度(たく)ない。私の願は親の口から今一度、薄着して風邪をお引きでない、お腹が減(す)いたら御飯にしようかと、詰らん、降(くだ)らん、意味の無い事を聞きたいのだが……
 その親達は最う此世に居ない。若し未だ生きていたら、私は……孝行をしたい時には親はなしと、又しても俗物は旨い事を言う。ああ、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、憶出すのは親の事……それにポチの事だ。

          十

 ポチは言う迄もなく犬だ。
 来年は四十だという、もう鬢(びん)に大分白髪(しらが)も見える、汚ない髭の親仁(おやじ)の私が、親に継いでは犬の事を憶い出すなんぞと、余(あんま)り馬鹿気ていてお話にならぬ――と、被仰(おっしゃ)るお方が有るかも知れんが、私に取っては、ポチは犬だが……犬以上だ。犬以上で、一寸(ちょっと)まあ、弟……でもない、弟以上だ。何と言ったものか? ……そうだ、命だ、第二の命だ。恥を言わねば理(り)が聞こえぬというから、私は理(り)を聞かせる為に敢て耻を言うが、ポチは全く私の第二の命であった。其癖初めを言えば、欲しくて貰った犬ではない、止むことを得ず……いや、矢張(やっぱり)あれが天から授かったと云うのかも知れぬ。
 忘れもせぬ、祖母の亡(なく)なった翌々年(よくよくとし)の、春雨のしとしとと降る薄ら寒い或夜の事であった。宵惑(よいまどい)の私は例の通り宵の口から寝て了って、いつ両親(りょうしん)は寝(しん)に就いた事やら、一向知らなかったが、ふと目を覚すと、有明(ありあけ)が枕元を朦朧(ぼんやり)と照して、四辺(あたり)は微暗(ほのぐら)く寂然(しん)としている中で、耳元近くに妙な音がする。ゴウというかとすれば、スウと、或は高く或は低く、単調ながら拍子を取って、宛然(さながら)大鋸(おおのこぎり)で大丸太を挽割(ひきわ)るような音だ。何だろうと思って耳を澄していると、時々其音が自分と自分の単調に□(あ)いたように、忽ちガアと慣れた調子を破り、凄じい、障子の紙の共鳴りのする程の音を立てて、勢込んで何処へか行きそうにして、忽ち物に行当ったように、礑(はた)と止む。と、しばらく闃寂(ひッそ)となる――その側(そば)から、直ぐ又穏かにスウスウという音が遠方に聞え出して、其が次第に近くなり、荒くなり、又耳元で根気よくゴウ、スウ、ゴウ、スウと鳴る。
 私は夜中に滅多に目を覚した事が無いから、初は甚(ひど)く吃驚(びっくり)したが、能(よ)く研究して見ると、なに、父の鼾(いびき)なので、漸(やっ)と安心して、其儘再び眠ろうとしたが、壮(さかん)なゴウゴウスウスウが耳に附いて中々眠付(ねつか)れない。仕方がないから、聞える儘に其音に聴入っていると、思做(おもいな)しで種々(いろいろ)に聞える。或は遠雷(とおかみなり)のように聞え、或は浪の音のようでもあり、又は火吹達磨(ひふきだるま)が火を吹いてるようにも思われれば、ゴロタ道を荷馬車が通る音のようにも思われる。と、ふと昼間見た絵本の天狗が酒宴を開いている所を憶出して、阿爺(おとっ)さんが天狗になってお囃子(はやし)を行(や)ってるのじゃないかと思うと、急に何だか薄気味(うすきび)悪くなって来て、私は頭からスポッと夜着(よぎ)を冠(かむ)って小さくなった。けれども、天狗のお囃子(はやし)は夜着の襟から潜り込んで来て、耳元に纏(へば)り付いて離れない。私は凝然(じっ)と固くなって其に耳を澄ましていると、何時(いつ)からとなくお囃子(はやし)の手が複雑(こん)で来て、合の手に遠くで幽(かす)かにキャンキャンというような音が聞える。ゴウという凄じい音の時には、それに消圧(けお)されて聞えぬが、スウという溜息のような音になると、其が判然(はっきり)と手に取るように聞える。不思議に思って益(ますます)耳を澄ましていると、合の手のキャンキャンが次第に大きく、高くなって、遂には鼾(いびき)の中を脱け出し、其とは離ればなれに、確に門前(もんぜん)に聞える。
 こうなって見ると、疑もなく小狗(こいぬ)の啼き声だ。時々咽喉(のど)でも締(しめ)られるように、消魂(けたたま)しく□々(きゃんきゃん)と啼き立てる其の声尻(こわじり)が、軈(やが)てかぼそく悲し気になって、滅入るように遠い遠い処へ消えて行く――かとすれば、忽ち又近くで堪(た)え切れぬように啼き出して、クンクンと鼻を鳴らすような時もあり、ギャオと欠(あく)びをするような時もある。

          十一

 私は元来動物好きで、就中(なかんずく)犬は大好だから、近所の犬は大抵馴染(なじみ)だ。けれども、此様(こんな)繊細(かぼそ)い可愛(いたい)げな声で啼くのは一疋も無い筈だから、不思議に思って、窃(そっ)と夜着の中から首を出すと、
「如何(どう)したの? 寝られないのかえ?」
 と、母が寝反りを打って此方(こちら)を向いた。私は此返答は差措(さしお)いて、
「あれは白じゃないねえ、阿母(おッか)さん? 最(もッ)と小さい狗(いぬ)の声だねえ? 如何(どう)したんだろう?」
「棄狗(すていぬ)さ。」
「棄狗(すていぬ)ッて何(なアに)?」
「棄狗(すていぬ)ッて……誰かが棄(すて)てッたのさ。」
 私はしばらく考えて、
「誰(たれ)が棄(すて)てッたンだろう?」
「大方何処(どッ)かの……何処(どッ)かの人さ。」
 何処(どッ)かの人が狗(いぬ)を棄(すて)てッたと、私は二三度反覆(くりかえ)して見たが、分らない。
「如何(どう)して棄(すて)てッたんだろう?」
 蒼蠅(うるさい)よ、などという母ではない。何処迄も相手になって、其意味を説明して呉れて、もう晩(おそ)いから黙ってお寐(ね)と優しく言って、又彼方(あちら)向いて了った。
 私も亦夜着を被(かぶ)った。狗(いぬ)は門前を去ったのか、啼声が稍(やや)遠くなるに随(つ)れて、父の鼾(いびき)が又蒼蠅(うるさ)く耳に附く。寝られぬ儘に、私は夜着の中で今聴いた母の説明を反覆(くりかえ)し反覆し味(あじわ)って見た。まず何処かの飼犬が椽の下で児(こ)を生んだとする。小(ちッ)ぽけなむくむくしたのが重なり合って、首を擡(もちゃ)げて、ミイミイと乳房を探している所へ、親犬が余処(よそ)から帰って来て、其側(そのそば)へドサリと横になり、片端(かたはし)から抱え込んでベロベロ舐(なめ)ると、小さいから舌の先で他愛もなくコロコロと転がされる。転がされては大騒ぎして起返り、又ヨチヨチと這(は)い寄って、ポッチリと黒い鼻面でお腹(なか)を探り廻(まわ)り、漸く思う柔かな乳首(ちくび)を探り当て、狼狽(あわて)てチュウと吸付いて、小さな両手で揉(も)み立(た)て揉み立て吸出すと、甘い温(あった)かな乳汁(ちち)が滾々(どくどく)と出て来て、咽喉(のど)へ流れ込み、胸を下(さが)って、何とも言えずお甘(い)しい。と、腋の下からまだ乳首に有附かぬ兄弟が鼻面で割込んで来る。奪(と)られまいとして、産毛(うぶげ)の生えた腕を突張り大騒ぎ行(や)ってみるが、到頭奪(と)られて了い、又其処らを尋ねて、他(ほか)の乳首に吸付く。其中(そのうち)にお腹も満(くち)くなり、親の肌で身体も温(あたた)まって、溶(とろ)けそうな好(い)い心持になり、不覚(つい)昏々(うとうと)となると、含(くく)んだ乳首が抜けそうになる。夢心地にも狼狽(あわて)て又吸付いて、一しきり吸立てるが、直(じき)に又他愛なく昏々(うとうと)となって、乳首が遂に口を脱ける。脱けても知らずに口を開(あ)いて、小さな舌を出したなりで、一向正体がない……其時忽ち暗黒(くらやみ)から、茸々(もじゃもじゃ)と毛の生えた、節くれ立った大きな腕がヌッと出て、正体なく寝入っている所を無手(むず)と引掴(ひッつか)み、宙に釣(つる)す。驚いて目をポッチリ明き、いたいげな声で悲鳴を揚げながら、四足(そく)を張って藻掻(もが)く中(うち)に、頭から何かで包まれたようで、真暗になる。窮屈で息気(いき)が塞(つま)りそうだから、出ようとするが、出られない。久(しば)らく藻掻(もが)いて居る中(うち)に、ふと足掻(あが)きが自由になる。と、領元(えりもと)を撮(つま)まれて、高い高い処からドサリと落された。うろうろとして其処らを視廻すけれど、何だか変な淋しい真暗な処で、誰も居ない。茫然としていると、雨に打れて見る間に濡しょぼたれ、怕(おそ)ろしく寒くなる。身慄(みぶる)い一つして、クンクンと親を呼んで見るが、何処からも出て来ない。途方に暮れて、ヨチヨチと這出し、雨の夜中を唯一人、温(あたた)かな親の乳房を慕って悲し気に啼廻(なきまわ)る声が、先刻(さっき)一度門前へ来て、又何処へか彷徨(さまよ)って行ったようだったが、其が何時(いつ)か又戻って来て、何処を如何(どう)潜り込んだのか、今は啼声が正(まさ)しく玄関先に聞える。

          十二

「阿母(おっか)さん阿母さん、門の中へ入って来たようだよ。」
 と、私が何だか居堪(いたたま)らないような気になって又母に言掛けると、母は気の無さそうな声で、
「そうだね。」
「出て見ようか?」
「出て見ないでも好(い)いよ。寒いじゃないかね。」
「だってえ……あら、彼様(あんな)に啼てる……」
 と、折柄(おりから)絶入るように啼入る狗(いぬ)の声に、私は我知らず勃然(むッくり)起上ったが、何だか一人では可怕(おッかな)いような気がして、
「よう、阿母(おッか)さん、行って見ようよう!」
「本当(ほんと)に仕様がない児(こ)だねえ。」
 と、口小言を言い言い、母も渋々起きて、雪洞(ぼんぼり)を点(つ)けて起上(たちあが)ったから、私も其後(そのあと)に随(つ)いて、玄関――と云ってもツイ次の間だが、玄関へ出た。
 母が履脱(くつぬぎ)へ降りて格子戸の掛金(かきがね)を外し、ガラリと雨戸を繰ると、颯(さっ)と夜風が吹込んで、雪洞(ぼんぼり)の火がチラチラと靡(なび)く。其時小さな鞠(まり)のような物が衝(つ)と軒下を飛退(とびの)いたようだったが、軈(やが)て雪洞(ぼんぼり)の火先(ひさき)が立直って、一道の光がサッと戸外(おもて)の暗黒(やみ)を破り、雨水の処々に溜った地面(じづら)を一筋細長く照出した所を見ると、ツイ其処に生後まだ一ヵ月も経(た)たぬ、むくむくと肥(ふと)った、赤ちゃけた狗児(いぬころ)が、小指程の尻尾(しっぽ)を千切れそうに掉立(ふりた)って、此方(こちら)を瞻上(みあ)げている。形体(なり)は私が寝ていて想像したよりも大きかったが、果して全身雨に濡れしょぼたれて、泥だらけになり、だらりと垂れた割合に大きい耳から雫(しずく)を滴(たら)し、ぽっちりと両つの眼を青貝のように列べて光らせている。
「おやおや、まあ、可愛らしい! ……」と、母も不覚(つい)言って了った。
 況(いわん)や私は犬好だ。凝(じッ)として視ては居られない。母の袖の下から首を出して、チョッチョッと呼んで見た。
 と、左程畏(おそ)れた様子もなく、チョコチョコと側(そば)へ来て流石(さすが)に少し平べったくなりながら、頭を撫(な)でてやる私の手を、下からグイグイ推上(おしあ)げるようにして、ベロベロと舐廻(なめまわ)し、手を呉れる積(つもり)なのか、頻(しきり)に円い前足を挙げてバタバタやっていたが、果は和(やんわ)りと痛まぬ程に小指を咬む。
 私は可愛(かわゆ)くて可愛くて堪(た)まらない。母の面(かお)を瞻上(みあ)げながら、少し鼻声を出し掛けて、
「阿母(おっか)さん、何か遣って。」
「遣るも好(い)いけど、居附いて了うと、仕方がないねえ。」
 と、口では拒むような事を言いながら、それでも台所へ行って、欠茶碗(かけぢゃわん)に冷飯を盛って、何かの汁を掛けて来て呉れた。
 早速履脱(くつぬぎ)へ引入れて之を当がうと、小狗(こいぬ)は一寸(ちょっと)香(か)を嗅いで、直ぐ甘(うま)そうに先ずピチャピチャと舐出(なめだ)したが、汁が鼻孔(はな)へ入ると見えて、時々クシンクシンと小さな嚔(くしゃみ)をする。忽ち汁を舐尽(なめつく)して、今度は飯に掛った。他(ほか)に争う兄弟も無いのに、切(しきり)に小言を言いながら、ガツガツと喫(た)べ出したが、飯は未だ食慣(くいな)れぬかして、兎角上顎に引附(ひッつ)く。首を掉(ふ)って見るが、其様(そん)な事では中々取れない。果は前足で口の端(はた)を引掻(ひッか)くような真似をして、大藻掻(おおもが)きに藻掻(もが)く。
 此隙(このひま)に私は母と談判を始めて、今晩一晩泊めて遣ってと、雪洞(ぼんぼり)を持った手に振垂(ぶらさが)る。母は一寸(ちょっと)渋ったが、もう斯うなっては仕方がない。阿爺(おとっ)さんに叱られるけれど、と言いながら、詰り桟俵法師(さんだらぼうし)を捜して来て、履脱(くつぬぎ)の隅に敷いて遣った――は好かったが、其晩一晩啼通(なきとお)されて、私は些(ちっ)とも知らなんだが、お蔭で母は父に小言を言われたそうな。

          十三

 犬嫌(いぬぎらい)の父は泊めた其夜(そのよ)を啼明(なきあか)されると、うんざりして了って、翌日(あくるひ)は是非逐出(おいだ)すと言出したから、私は小狗(こいぬ)を抱いて逃廻って、如何(どう)しても放さなかった。父は困った顔をしていたが、併し其も一時(じ)の事で、其中(そのうち)に小狗(こいぬ)も独寝(ひとりね)に慣れて、夜も啼かなくなる。と、逐出(おいだ)す筈の者に、如何(いつ)しかポチという名まで附いて、姿が見えぬと父までが一緒に捜すようになって了った。
 父が斯うなったのも、無論ポチを愛したからではない。唯私に覊(ひか)されたのだ。私とてもポチを手放し得なかったのは、強(あなが)ちポチを愛したからではない。愛する愛さんは扨置(さてお)いて、私は唯可哀(かわい)そうだったのだ。親の乳房に縋(すが)っている所を、無理に無慈悲な人間の手に引離されて、暗い浮世へ突放(つきはな)された犬の子の運命が、子供心にも如何にも果敢(はか)なく情けないように思われて、手放すに忍びなかったのだ。
 此忍びぬ心と、その忍びぬ心を破るに忍びぬ心と、二つの忍びぬ心が搦(から)み合った処に、ポチは旨(うま)く引掛(ひッかか)って、辛(から)くも棒石塊(いしころ)の危ない浮世に彷徨(さまよ)う憂目を免(のが)れた。で、どうせ、それは、蜘蛛(くも)の巣だらけでは有ったろうけれど、兎も角も雨露(うろ)を凌(しの)ぐに足る椽の下の菰(こも)の上で、甘(うま)くはなくとも朝夕二度の汁掛け飯に事欠かず、まず無事に暢(のん)びりと育った。
 育つに随(つ)れて、丸々と肥(ふと)って可愛らしかったのが、身長(せい)に幅を取られて、ヒョロ長くなり、面(かお)も甚(ひど)くトギスになって、一寸(ちょッと)狐のような犬になって了った。前足を突張って、尻をもったてて、弓のように反(そ)って伸(のび)をしながら、大きな口をアングリ開(あ)いて欠(あく)びをする所なぞは、誰(た)が眼にも余(あん)まり見(みっ)とも好くもなかったから、父は始終厭な犬だ厭な犬だと言って私を厭がらせたが、私はそんな犬振りで情(じょう)を二三にするような、そんな軽薄な心は聊(いささ)かも無い。固(もと)より玩弄物(なぐさみもの)にする気で飼ったのでないから、厭な犬だと言われる程、尚可愛(かわ)ゆい。
「ねえ、阿母(おっか)さん此様(こん)な犬は何処へ行ったって可愛がられやしないやねえ。だから家(うち)で可愛がって遣るんだねえ。」
 と、いつも苦笑する母を無理に味方にして、調戯(からか)う父と争った。
 犬好(いぬずき)は犬が知る。私の此心はポチにも自然と感通していたらしい。其証拠には犬嫌いの父が呼んでも、ほんの一寸(ちょっと)お愛想(あいそ)に尻尾を掉(ふ)るばかりで、振向きもせんで行って了う事がある。母が呼ぶと、不断食事の世話になる人だから、又何か貰えるかと思って眼を輝かして飛んで来る、而(そう)して母の手中に其らしい物があれば、兎のように跳ねて喜ぶ。が、しかし、唯其丈の事で、其時のポチは矢張(やっぱり)犬に違いない。
 その矢張(やっぱり)犬に違いないポチが、私に対(むか)うと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか? ……何方(どっち)だか其は分らんが、兎に角互の熱情熱愛に、人畜(にんちく)の差別(さべつ)を撥無(はつむ)して、渾然として一如(にょ)となる。
 一如(にょ)となる。だから、今でも時々私は犬と一緒になって此様(こん)な事を思う、ああ、儘になるなら人間の面(つら)の見えぬ処へ行って、飯を食って生きてたいと。
 犬も屹度(きっと)然う思うに違いないと思う。

          十四

 私は生来の朝寝坊だから、毎朝二度三度覚(おこ)されても、中々起きない。優しくしていては際限がないので、母が最終(しまい)には夜着を剥(は)ぐ。これで流石(さすが)の朝寝坊も不承々々に床を離れるが、しかし大不平(だいふへい)だ。額で母を睨(にら)めて、津蟹(づがに)が泡を吐くように、沸々(ぶつぶつ)言っている。ポチは朝起だから、もう其時分には疾(とッ)くに朝飯(あさめし)も済んで、一切(ひとッき)り遊んだ所だが、私の声を聴き付けると、何処に居ても一目散に飛んで来る。
 これで私の機嫌も直る。急に現金に莞爾々々(にこにこ)となって、急いで庭へ降りる所を、ポチが透(すか)さず泥足で飛付く。細い人参程の赤ちゃけた尻尾を懸命に掉(ふ)り立って、嬉しそうに面(かお)を瞻上(みあげ)る。視下す。目と目と直(ぴっ)たりと合う。堪(た)まらなくなって私が横抱に引(ひ)ン抱(だ)く。ポチは抱かれながら、身を藻掻(もが)いて大暴れに暴れ、私の手を舐(な)め、胸を舐(な)め、顋(あご)を舐(な)め、頬(ほお)を舐(な)め、舐めても舐めても舐め足らないで、悪くすると、口まで舐(な)める。父が面(かお)を顰(しか)めて汚い汚いと曰う。成程、考えて見れば、汚いようではあるけれども……しかし、私は嬉しい、止(や)められない。如何(どう)して是が止(や)められるもんか! 私が何も好(い)い物を持っているじゃなし、ポチも其は承知で為(す)る事だ。利害の念を離れて居るのだ、唯懐かしいという刹那の心になって居るのだ。毎朝これでは着物が堪(たま)らないと、母は其を零(こぼ)すけれど、着物なんぞの汚(けが)れを厭(いと)って、ポチの此志を無にする事が出来た話だか、話でないか、其処を一つ考えて貰いたい。
 理窟は扨(さて)置いて、この面舐(かおな)めの一儀が済むと、ポチも漸(やッ)と是で気が済んだという形で、また庭先をうろうろし出して、椽の下なぞを覗いて見る。と、其処に草鞋虫(わらじむし)の一杯依附(たか)った古草履の片足(かたし)か何ぞが有る。好(い)い物を看附けたと言いそうな面(かお)をして、其を咥(くわ)え出して来て、首を一つ掉(ふ)ると、草履は横飛にポンと飛ぶ。透(すか)さず追蒐(おっか)けて行って、又咥(くわ)えてポンと抛(ほう)る。其様(そん)な他愛(たわい)もない事をして、活溌に元気よく遊ぶ。
 其隙(そのひま)に私は面(かお)を洗う、飯を食う。それが済むと、今度は学校(がっこう)へ行く段取になるのだが、此時が一日中で一番私の苦痛の時だ。ポチが跟(あと)を追う。うッかり出ようものなら、何処迄も何処迄も随(つ)いて来て、逐(お)ったって如何(どう)したって帰らない。こッそり出ようとしても、出掛ける時刻をチャンと知って居て、其時分になると、何時(いつ)の間にか玄関先へ廻って待っている。仕方がないから、最終(しまい)には取捉(とッつか)まえて否応(いやおう)なしに格子戸の内へ入れて置いては出るようにしていたが、然うすると前足で格子を引掻いて、悲しい悲しい血を吐きそうな啼声(なきごえ)を立てて後(あと)を慕い、姿が見えなくなっても啼止(なきや)まない。私もそれは同じ想だ。泣出しそうな面(かお)をして、バタバタと駆出し、声の聞えない処まで来て、漸くホッとして、普通(なみ)の歩調(あしどり)になる、而(そう)して常(いつ)も心の中(うち)で反覆(くりかえ)し反覆し此様(こん)な事を思う、
「僕が居ないと淋しいもんだから、それで彼様(あんな)に跟(あと)を追うンだ。可哀そうだなあ……僕(ぼか)ぁ学校なんぞへ行(い)きたか無いンだけど……行(い)かないと、阿父(おとっ)さんがポチを棄(す)てッ了(ちま)うッて言うもんだから、それでシヨウがないから行(い)くンだけども……」

          十五

 ジャンジャンと放課の鐘が鳴る。今迄静かだった校舎内が俄(にわか)に騒がしくなって、彼方此方(あちこち)の教室の戸が前後して慌(あわた)だしくパッパッと開(あ)く。と、その狭い口から、物の真黒な塊りがドッと廊下へ吐出され、崩れてばらばらの子供になり、我勝(われがち)に玄関脇の昇降口を目蒐(めが)けて駈出しながら、口々に何だか喚(わめ)く。只もう校舎を撼(ゆす)ってワーッという声の中(うち)に、無数の円い顔が黙って大きな口を開(あ)いて躍っているようで、何を喚(わめ)いているのか分らない。で、それが一旦昇降口へ吸込まれて、此処で又紛々(ごたごた)と入乱れ重なり合って、腋の下から才槌頭(さいづちあたま)が偶然(ひょっ)と出たり、外歯(そっぱ)へ肱が打着(ぶつ)かったり、靴の踵(かかと)が生憎(あいにく)と霜焼(しもやけ)の足を踏んだりして、上を下へと捏返(こねかえ)した揚句に、ワッと門外(もんそと)へ押出して、東西へ散々(ぢりぢり)になる。
 仲善(なかよし)二人肩へ手を掛合って行く前に、弁当箱をポンと抛(ほう)り上げてはチョイと受けて行く頑童(いたずら)がある。其隣りは往来の石塊(いしころ)を蹴飛ばし蹴飛ばし行く。誰だか、後刻(あと)で遊びに行(い)くよ、と喚(わめ)く。蝗(いなご)を取りに行(い)かないか、という声もする。君々と呼ぶ背後(うしろ)で、馬鹿野郎と誰かが誰かを罵(ののし)る。あ、痛(い)たッ、何でい、わーい、という声が譟然(がやがや)と入違って、友達は皆道草を喰っている中を、私一人は駈脱(かけぬ)けるようにして側視(わきみ)もせずに切々(せっせ)と帰って来る。
 家(うち)の横町の角迄来て擽(くすぐッ)たいような心持になって、窃(そッ)と其方角を観る。果してポチが門前へ迎えに出ている。私を看附(みつけ)るや、逸散(いっさん)に飛んで来て、飛付く、舐(な)める。何だか「兄さん!」と言ったような気がする。若し本包(ほんづつみ)に、弁当箱に、草履袋で両手が塞(ふさ)がっていなかったら、私は此時ポチを捉(つか)まえて何を行(や)ったか分らないが、其が有るばかりで、如何(どう)する事も出来ない。拠(よん)どころなくほたほたしながら頭を撫(な)でて遣るだけで不承(ふしょう)して、又歩き出す。と、ポチも忽ち身を曲(くね)らせて、横飛にヒョイと飛んで駈出すかと思うと、立止って、私の面(かお)を看て滑稽(おどけ)た眼色(めつき)をする。追付くと、又逃げて又其眼色(めつき)をする。こうして巫山戯(ふざけ)ながら一緒に帰る。
 玄関から大きな声で、「只今!」といいながら、内へ駈込んで、卒然(いきなり)本包を其処へ抛(ほう)り出し、慌(あわ)てて弁当箱を開けて、今日のお菜の残り――と称して、実は喫(た)べたかったのを我慢して、半分残して来た其物(それ)をポチに遣(や)る。其れでも足らないで、お八ツにお煎を三枚貰ったのを、責(せび)って五枚にして貰って、二枚は喫(た)べて、三枚は又ポチに遣る。
 夫から庭で一しきりポチと遊ぶと、母が屹度(きっと)お温習(さらい)をお為(し)という。このお温習(さらい)程私の嫌いな事はなかったが、之をしないと、直(じき)ポチを棄(すて)ると言われるのが辛いので、渋々内へ入って、形(かた)の如く本を取出し、少し許(ばかり)おんにょごおんにょごと行(や)る。
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