正史『三国志』 二十 ..
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2:世界@名無史さん
13/11/17 20:46:21.57 0
孟徳新書って接要の事だろうか

3:世界@名無史さん
13/11/17 21:01:29.18 0
>>2
接要は文字通り総集編だから「新」書じゃないっしょ
孟徳新書ではなく「新書」という書籍を著したってことは他の文献に載ってる

ただ全然普及しなかったし、後世の人は難し過ぎワロタwwwって言ってる難解な代物で
演義に出てくるような一回読んで張松が理解し、過去の偉人のツギハギというような簡単な本ではないらしい

4:世界@名無史さん
13/11/18 02:26:08.40 0
丙子太歳郭嘉大将軍なる神様がいた、関羽に次ぐと思う
URLリンク(www.lan27.com)

5:世界@名無史さん
13/11/19 10:50:13.26 0
王沈の魏書に「曹操様は自ら兵法書を著し、諸将はみな『新書』を携えその規範通りに指揮を執った」
とあるのが大本なのかも。

6:世界@名無史さん
13/11/21 07:46:16.64 0
漢代と三国志時代を分けるものはやはり仏教だと思う

7:世界@名無史さん
13/11/21 07:47:49.72 0
>>3
低次元なレベルでの難しさだろ

8:世界@名無史さん
13/11/21 19:25:05.91 0
>>6
後漢時代に経典翻訳始まってるし信者も三国時代では少ないと見ていいだろう
孫権にしてもそこまで導入したか微妙
東晋ならわかるが
まだ道教のほうがこれも漢代とはいえ、張魯や張角のことを考えても分けられると思う

9:世界@名無史さん
13/11/21 22:20:21.91 0
>>8
三国志読むと数千から万に届きそうな信者を獲得しているのがわかる
寺院も大きく改築をなんども繰り返しているし新興カルトとしては相当な規模になってるよ
道教ほどではないけどもな

10:世界@名無史さん
13/11/22 01:24:22.88 0
>>9
場所からすると後漢の明帝の弟の時の信者がそのまま続けたんじゃないの?

11:世界@名無史さん
13/11/22 12:33:15.93 0
道教はあくまで民間だ、それに対して当時の有力階層は何をベースにしているのかが問題だ
私はそれが仏教だと思う曹操や孫権、その他も何らかの形で自己の行動基盤としたんじゃないと思うんだが
記録には残ってないけど、魏や呉にはどことなく仏教の匂いがするんだ

そして劉備が信奉してたのは中国の神話

12:世界@名無史さん
13/11/22 21:11:31.68 0
三戦に立ててやれよ
向こう過疎ってるし

13:世界@名無史さん
13/11/23 01:10:27.37 0
>>11
記録も何もそりゃ後漢書見れば仏教が来ていることわかるし
洛陽には胡人が来ているし、後世の仏図澄もきているしな
だが曹操に関しちゃどうみても議郎にいたことからも儒教だし
孫権は高僧伝読めばわかるがたしかに受容はしているが
積極的に信者になったけでもない
>当時の有力階層は何をベースにしているのかが
儒教ですはい終了

14:世界@名無史さん
13/11/23 05:05:42.92 0
金神が12体鋳造されて董卓が鋳つぶしたんだっけ

15:世界@名無史さん
13/11/23 06:46:47.66 0
>>13
儒教だったら漢だってそうなわけで区別ができないじゃん
いや、でも漢代は黄老だっけ、だとするなら三国志時代は儒教文化が
花開いた時代だとみていいのか、確かに魏呉は儒教の匂いもするな
とすると晋、南朝も儒教時代でいいのか、儒教を軽視してたっていうけど
それは見せかけだけだな

16:世界@名無史さん
13/11/23 06:50:23.17 0
ヨーロッパはギリシャ神話時代→キリスト教時代
中国は漢代、(蜀漢まで含むかも)まで神話時代三国志以降儒教時代か

17:世界@名無史さん
13/11/23 06:50:45.30 0
前提となる知識が偏りすぎててめんどくせえ

18:世界@名無史さん
13/11/23 12:09:45.21 0
>>16
アフォ

ギリシア神話はギリシアの神話だ
ローマ神話、ガリア神話、ケルト神話色々あるわい

19:世界@名無史さん
13/11/23 12:10:51.08 0
>>16
戦国時代には普通に三帝に託けた説得術が行われているので
もう既に神話時代ではなく儒教がそれなりに蔓延ってる

20:世界@名無史さん
13/11/23 12:18:54.39 0
>>16
>中国は漢代、(蜀漢まで含むかも)まで神話時代
どんな脳内説だよw

21:世界@名無史さん
13/11/23 12:21:12.17 0
>>15
前漢(西漢)と後漢(東漢)をいっしょにするなボケ
竹林の七賢も調べろ
梁の武帝でググレアホ

22:世界@名無史さん
13/11/23 16:28:35.73 0
>>18
ローマは名前が違うだけでは・・・ケルトガリアはキリスト教に吸収されてるし
>>19
それでも神々の存在が濃厚だったんだよ、漢代まで
>>20
蜀と魏呉はイデオロギー的にも対立していたということを強調したかったのさ
>>21
一緒でいいよ、後漢代は仏教の香りもするだけさ
七賢は儒教と仏教の混交ってことで
梁の武帝を支えていたのは儒教を信奉していたものたちだよ
梁の武帝自身も本質はそれでそれを達磨に見抜かれたんじゃないかな

23:世界@名無史さん
13/11/23 17:11:35.90 0
>>22
ローマは名前違うだけ?ふざけてんのか?
後から発達したローマがギリシア神話と関係させただけで
ローマとギリシアの神話は別物だ」

それでも神々の存在が濃厚?
あのさあ、だからってそれが国家的な信仰になってるかってのは別だろうが
てかそんなこと言ったら儒教が最強になった後だって民間信仰あるから
神々の存在は濃厚だっての
お前の分類は自分に都合のいいこと言ってるだけだ

>蜀と魏呉はイデオロギー的にも対立していたということを強調したかったのさ
一緒
全部「漢の正当性を自分が受け継いでる」って主張しており
イデオロギー完全に一致してる

24:世界@名無史さん
13/11/23 17:22:46.20 0
三国時代が儒教文化の花開いた時期ってのは間違い

それなら前漢最盛期の国教化の時点から数えるべき
文化の爛熟で言えば200年間儒教国家やってた後漢は確かに儒教文化の花開いた時期になるが
三国時代はむしろ儒教が廃れ気味な時代だった

儒教の音楽はなくなりかけて杜キによって復古されたが
杜キは他の音楽家に対して俗な音楽ばかりやってないで古い物を学べと叱ってたりするほど
魏晋は総体的に退廃、俗化の時期で儒教文化の隆盛とは程遠い

25:世界@名無史さん
13/11/23 17:40:40.11 0
>>22
>七賢は儒教と仏教の混交ってことで
どこに仏教の思想があるんだ…
老荘思想だろ…

26:世界@名無史さん
13/11/23 17:54:40.87 0
>いや、でも漢代は黄老だっけ

すげぇなぁ
法家と道家の鬼っ子が時代の主流扱いかー

27:世界@名無史さん
13/11/24 15:15:42.19 0
>>23
ローマ神話って具体的に何?
神々は後漢以降は死んだよ、残ったのは道教の神だけだ
魏呉のイデオロギーが儒教に無いというなら後漢、三国・晋、五胡を分けるものは何だ?
これらの時代を区分するものを具体的にあげてみろよ
>>25
七賢は維摩詰と結び付けられたりしている

28:世界@名無史さん
13/11/24 15:35:31.11 0
素朴な疑問なんだが、なんでイデオロギーで時代区分しようとしてるん?
普通は政権担当一族か史書で区分して、他にやるとしたら経済的観点とかだと思うんだけど
思想で区分しようとしているには、当時の思想を整理しきれてないようだし
一体何がしたいん?

29:世界@名無史さん
13/11/24 15:54:10.89 0
県令クラスの人事って誰が決めるの?
太守?刺史?朝廷?

30:世界@名無史さん
13/11/24 18:48:55.62 0
光武帝から霊帝の頃までは郡の太守・丞、県の令・長・丞・尉は天子が任命することになってた

31:世界@名無史さん
13/11/24 19:55:40.81 0
ありがとうマジか...
中国の県って千以上あるよね
それだけで三千以上も朝廷で選んでたのか

32:世界@名無史さん
13/11/25 00:21:09.11 0
>>27
七賢が仏教と関連するのって晋の後の時代や〜

33:世界@名無史さん
13/11/25 00:29:53.00 0
>>27
ローマって建国神話からしてギリシアとまるで違うんだが
ロムルスとレムスの物語からローマは始まる

対応関係になるようにローマ側が設定を作ったけど元は全く別物

34:世界@名無史さん
13/11/25 00:34:23.96 0
ユピテルとゼウス、ユノーとヘラみたいな関係ってヤツ?

35:世界@名無史さん
13/11/25 00:48:10.54 0
漢というイデオロギーと儒教は別に対立しない
つうかなんで人間が後付けで考えた時代区分がイデオロギーの区分になつわてるとおもいこんでるんだよ
馬鹿っていうのはすげえな
簡単に思考が倒錯する

36:世界@名無史さん
13/11/25 01:18:19.04 0
王政ローマって実在したの?

37:世界@名無史さん
13/11/25 01:19:36.39 0
実在してない根拠ってあんの?

38:世界@名無史さん
13/11/25 01:23:13.94 0
ロムルスとレムスの実在を疑う、歴代王の存在が史実であるかどうかを疑う
というのはまだ理解できるんだが王政ローマそのものの存在まで疑うというのはさすがにさすがに

39:世界@名無史さん
13/11/25 03:17:14.04 0
京極夏彦の姑獲鳥の夏に出てきた徳川家康の実在と妖怪の実在みたいな話になってきた

40:世界@名無史さん
13/11/25 12:15:44.00 0
王政ローマ=夏王朝=邪馬台国

41:世界@名無史さん
13/11/25 15:49:28.35 0
牧って州長官だけど、その下の郡太守を配下にしているわけでは無いの?

42:世界@名無史さん
13/11/25 21:33:41.33 0
州牧が郡を直接的に支配してたのか、行政実務を担当する太守を指揮監督する立場にあったのかは
刺史の「行政官化」論とかとも絡むめんどくさい問題ではある
あと>>30の話で全部の県令らを天子が任命したわけでもなくて
郡太守が任命する令がいて守令と呼ばれてた

43:27
13/11/27 16:41:11.14 0
ロムルスとレムスは歴史であって神話じゃないだろ
馬鹿ってすごいな、こんなことも分かんないのか
大体何で俺がこんなに叩かれなきゃならんのだ?
>>28
その区分は誰が決めたんだ、その主張に科学的根拠は?
俺がイデオロギーというか思想で区分するのはそのほうが分かりやすくなるからだよ
他の地域もこの区分は可能だ、欧州世界ギリシャ神話からキリスト教(あくまでギリシャ神話
何故ならローマに神話なんてないから笑)
中東は多神教からゾロアスターもはさんでイスラム教時代
そもそも俺は最初に行ったよな中国は思想面からすると分かりにくいと
だから俺は仏教だの儒教だの色々持ち出しているだろ
それをことごとく突っぱねやがって
だったらお前らが区分して見ろよ、ほんと2ちゃんねらーを相手にするのは疲れるな

44:世界@名無史さん
13/11/27 17:06:40.87 0
>>ロムルスとレムスは歴史であって神話じゃないだろ




ええっ!?

45:世界@名無史さん
13/11/27 17:30:02.14 0
自分が分かりやすくしたいがためだけに既存の時代区分に無理矢理当てはめず
最初からイデオロギーだけで区分すればいい
やってることが倒錯してると自覚してないのか

46:世界@名無史さん
13/11/27 19:14:43.20 0
中国思想史とアマゾンで検索して
本でも買え

47:世界@名無史さん
13/11/27 19:28:29.02 0
>>41
後漢の中央政府が機能してた頃は違う。
州牧は太守の監督役でどちらも皇帝の直参。

48:世界@名無史さん
13/11/27 21:27:38.99 0
分かりやすくなるどころか、判然としないじゃないか
むしろ王朝ごとに区分されてるんだから分かりやすく、それ以上ない区分だと思うのだが
思想の流れがわかりにくいから、分かりにくいそれで区分しろって無茶じゃないか

49:世界@名無史さん
13/11/28 23:58:44.29 0
思想といっても
後漢時代に神が死んだがどうのこうの意味不明だからな
中国宗教史読んでも理解不能だわ

50:世界@名無史さん
13/11/29 00:02:26.31 0
後漢から三国は有力な時代区分で言えば古代から中世への移行期間だから
その古代末期に普及し始めた仏教や初期道教に触れるのはありだと思うが…

51:世界@名無史さん
13/11/29 04:37:47.54 0
ローマでも国教化するまで多神教とキリスト教とマニ教みたいな東方由来の宗教と
ギリシャ哲学とそれを多少ローマ化したものやピタゴラスや新プラトン主義みたいな神秘主義があって
多神教の祭祀の形態も一定していないのに
なぜこう一つの時代が一つの思想だけで塗り込められ手々当たり前だと思ってるんたろ

52:世界@名無史さん
13/11/29 12:57:20.09 0
ヴァカだから

53:世界@名無史さん
13/11/30 16:26:10.68 0
漢代まで祀られていた神々のことは呉書を読むとよく出てくる
詳細は不明だがとにかく神々を祀ったと書いてある

ロムルスとレムスはガイアだのゼウスだのに比べれば神話性は低いだろ

>なぜこう一つの時代が一つの思想だけで塗り込められ手々当たり前だと思ってるんたろ
そこら辺はざっくりと見ろよ、大体多神教時代 からキリスト教時代で合ってるだろ

王朝ごとに分けるほうが分かりにくいわ、こんなの中国だけだぞ
あるサイトで中国の文化は五胡で断絶したとあった、
ではその断絶させたものは何だ、ちなみに俺は魏代には断絶したと思ってる
そして俺は漢と魏を断絶させた思想は仏教だと思っている
なぜ老荘ではないかといえば貴んでいたのはどちらも同じだからだ

54:世界@名無史さん
13/11/30 16:43:03.34 0
神々を祀っだけなら孫呉以降というか現在まであるわ

55:世界@名無史さん
13/11/30 16:45:56.78 0
>漢と魏を断絶させた思想は仏教
あなたの脳内にしか考えはないようですが根拠は?
後漢時代に仏教がきたのは確かですが…

56:世界@名無史さん
13/11/30 16:55:53.37 0
民族が変わらない限り文化が滅ぶわけがない

57:世界@名無史さん
13/11/30 17:52:57.71 0
宗教が文化を断絶させたなんて嘘っぱちだと思ってる
どこの国でも伝わってきた宗教は
その地域の文化と交わってその地域性が出てくる

広範囲で宗教感が統一されてる場合は
常に同じ場所、中央から地方へと聖職者が派遣されて、
なおかつ思想が強制されたり、古い慣習が淘汰された時のみだと思う
そうでなけりゃ箸の上げ方下げ方とかの部分でも地域の伝統は生き残る

そもそもその地域にその宗教を受け入れる文化基盤がない場合は根付かないしな

58:世界@名無史さん
13/11/30 18:20:46.90 0
自分の頭の悪さに合わせるために無理やり単純化させて別段対立しないものを無理やり対立させてる自覚が無いんだろうか...
思想と宗教がほとんど重なるときもあればそうでない時もあり
時代ごとに断然していたはずだと決めつけてる根拠が「誰かがそう言ってたから」という全く根拠にならないものだとなぜわからないのだろうか

59:世界@名無史さん
13/12/01 17:07:16.15 0
ハイハイ分かったよもうやめますよ
結局あんた等には時代ごとの文化の違いを論ずるほどの知識も学会とのコネもないんだな
そんな奴らを相手にしてても暖簾に腕押しだったか

時代区分についてだが王朝ごとに分けるだけでなく4つに区分する方法などもあって
まだまだグラつきの多い分野なんだがな、これは本で読んだんだが
秦漢と魏晋南北朝でまとめられてたり唐宋がまとめられたりしてて
その流れに乗るつもりで思想による区分を思いついたんだが
>>57
じゃあローマスレに行って精々キリスト教の擁護でもしてこい
>>58
複雑な事物を単純化して還元するのが学者の使命じゃないのか
>>55
来たのは前漢だよ、根拠はま雰囲気って所かな
魏代にも何点か仏典の翻訳されてるしな

60:世界@名無史さん
13/12/01 17:18:07.97 0
まだ自分の頭の悪さに気付いてないのか…
馬鹿ってのは怖いな

61:世界@名無史さん
13/12/01 17:35:43.21 0
素材もろくにないのに印象や空想じゃ区分できないだろという話だ

62:世界@名無史さん
13/12/01 17:48:09.31 0
歴史を理解するための区分ではなく
理解したつもりになるための区分だな

63:世界@名無史さん
13/12/01 18:18:50.87 0
よくわからないけど根拠は雰囲気っていう渾身のギャグはスルーしてやるなよ

64:世界@名無史さん
13/12/01 19:51:11.39 0
孫権に仏教の教えが伝わったり、桓帝のことからしても
仏教が上流にも知られて
初期道教もこの時代に発展してるのは確かだが
劉備がよってるのが神話とか???
魏と漢でそこまでの変化ないもんな…

65:世界@名無史さん
13/12/01 21:13:07.68 0
学会にコネがあるんならこんな所にいないでそっちで論じてくればいいじゃあないか

66:世界@名無史さん
13/12/01 21:24:51.82 0
記録には残ってないけど、魏や呉にはどことなく仏教の匂いがするんだ
そして劉備が信奉してたのは中国の神話
来たのは前漢だよ、根拠はま雰囲気って所かな



こんなのが学会に相手されるわけも無いじゃん
出土資料なりがあるならわかるが

67:世界@名無史さん
13/12/01 21:30:03.24 0
仏教の香りねぇ

呉はまあともかく魏なんて音楽的に美しいからってだけで
曹植が仏教音楽を好んでた以外にまともに仏教関連のことあったっけ?

あ、そういえば北方謙三三国志では曹操が仏教教団をスパイ組織として活躍させてたね
お話だけどさ

68:世界@名無史さん
13/12/01 21:43:14.66 0
高僧伝によると洛陽に胡人がきて仏教広めてるよ
魏の洛陽の法時が来てる
ただ249ー254年に来たが
仏法はあるが教風はさっぱり振るわず僧侶も剃髪してるだけとも書かれている

逆に言えば僧侶はいたってことでもある

69:世界@名無史さん
13/12/01 21:47:12.62 0
学会にコネw
スネ夫みたいな奴だな

70:世界@名無史さん
13/12/01 22:47:11.76 0
一応徐州に仏教徒がいたじゃん
サクユウについていかず南下してないのもいるだろ

71:世界@名無史さん
13/12/06 08:09:43.28 0
文系の学問なんて雰囲気で決めてるようなもんじゃねえか
仏教についても中世中国を席巻する宗教であるし
上限を上げて魏代からにしてもいいと思うが

芸術面においても書道や絵画など視覚芸術が本格的に始まるのは
このころだけどその功績も仏教に帰してもいいと思うんだが

漢と魏も性格は大分違うよ、前者はほがらかだが後者はギスギスしてる
中世以降の中国の暗さは魏が作ったようなものだと思うけど

72:世界@名無史さん
13/12/06 09:04:22.93 0
私が仏教にこだわるのは中国は五胡以降残念な社会になっていくわけだが
それを五胡のせいにしたくないのだ、中華の暗黒化は魏の仏教導入から
始まっていたと考えたいのだ、(仏教を否定するわけでなくあまりにも高度な精神に触れたが故によって)

欧州だってキリスト教から暗黒化が始まったというし

73:世界@名無史さん
13/12/06 09:13:22.14 0
装飾や彫刻も視覚芸術じゃないの?篆刻もアートだし、はるか以前から芸術的じゃん
文芸も後漢のほうが形式的で魏代に花開いたって解釈が普通じゃね

74:世界@名無史さん
13/12/06 09:43:50.11 0
>上限を上げて魏代からにしてもいいと思うが
>中華の暗黒化は魏の仏教導入から
>始まっていたと考えたいのだ

だから根拠出せよ
後漢時代に経典が訳されてきたが、魏で普及というこんきょがまったくない
呉では孫権が支謙を東宮の教育係にしたことからも
それなりに信者がいたかもしれんが

75:世界@名無史さん
13/12/06 12:34:04.23 0
本格的の基準が全く意味不明なんだが...
魏と西晋でさえ大分雰囲気は違う
具体的に何を暗さと言ってるのかしかもそれが仏教とどう関係してるのか全く説明が無いんだが
というか魏代に於て書道で名を馳せた人に仏教の形跡なんて全然無いんだけど

76:世界@名無史さん
13/12/06 13:10:04.39 0
>仏教についても中世中国を席巻する宗教であるし
>上限を上げて魏代からにしてもいいと思うが

上限をあげてって何だよw
それなら後漢からだっていいだろw

>芸術面においても書道や絵画など視覚芸術が本格的に始まるのは
>このころだけどその功績も仏教に帰してもいいと思うんだが

意味不明、後漢時代の書聖と呼ばれた張芝や鐘ヨウに仏教の色なんか皆無
こんなんでいいなら

>芸術面においても書道や絵画など視覚芸術が本格的に始まるのは
>このころだけどその功績も道教に帰してもいいと思うんだが

これでも問題ないなw

77:世界@名無史さん
13/12/06 15:10:07.34 0
うん、後漢からでも良いよ、仏教化は
道教は当時、征伐される側でしょ、文化の主流ではない
儒教も駄目、道教も駄目というなら仏教しか残ってない
後代のことも考えて仏教化は後漢から始まっていたとしたい
しかし推測でしかない、だから曹植に粘ってもらうしかないのだが…
あと私は張芝や鐘ヨウに仏教の色を見てとることができる、

78:世界@名無史さん
13/12/06 15:44:39.45 0
違う
道教自体が排他されていたのではなく、権力や贅沢に結びつき過ぎて邪教淫祀と見なされたものが弾圧されただけ
つまりカルトを取り締まってただけの話

つうか魏代から老荘の影響力が強くなって儒教との接近が著しくなっているという極一般的な知識を無視してなぜ無理矢理仏教が絶大な影響を持っていたということにしたがる
しかも具体的に何が仏教の影響なのか全く不明のまま

79:世界@名無史さん
13/12/06 15:49:51.85 0
真面目に相手したって有意義な話になる訳でもないし
みんなで曹操の墓でも探しに行こうぜ

80:世界@名無史さん
13/12/06 16:08:03.62 0
>あと私は張芝や鐘ヨウに仏教の色を見てとることができる

何に基づいてだwwwwwwwww
せめて当時訳された経典なり仏教の教えから生き方がそれっぽいとか言ってみろ

81:世界@名無史さん
13/12/06 16:14:43.59 0
歴史学って細分化しているから
中国仏教史からみた三国志と言うのはかなり興味深いんだが
こういう電波君はいらんな

82:世界@名無史さん
13/12/06 16:25:31.10 0
>中華の暗黒化は魏の仏教導入から
>始まっていたと考えたいのだ

魏に導入したと言うからにはそれを行なった人物
働きかけた人物は誰だ?
呉には康僧会がいて孫権がいた
北魏のように寇謙之が道教を崔浩と結んで、皇帝が信仰したみたいにな

83:世界@名無史さん
13/12/08 16:35:03.95 0
魏にも康僧鎧等が無量寿経などを漢訳しています
しかしこれだけでは足りませんね、まあ大体私が知りたいのは
漢から五胡の間に何が変質したかなんですけど
私も五胡の乱さえなければこんなに仏教仏教いいませんでしたよ
五胡の乱なんか大したことではないと納得するために、仏教を持ち出したまでのことです

84:世界@名無史さん
13/12/08 19:03:50.09 0
>>83
もう黙れよ
二度と来んな

85:世界@名無史さん
13/12/08 19:45:22.09 0
漢・三国・晋・五胡十六国史総合スレ
スレリンク(whis板)

こっちでやれ
もっとも仏教であれ無理やりそれと結びつけているようではダメすぎ

86:世界@名無史さん
13/12/08 22:40:50.64 0
やはり、五胡の話はタブーですか
でも西晋の話くらいならいいでしょう?
私は西晋の生み出そうとしていたものが知りたいのです
そしてそれは仏教を解読することにより得られるのではないかと考えたのです

87:世界@名無史さん
13/12/08 22:46:07.97 0
あと後漢から三国時代は調子に乗りすぎという思いもあって
仏教でくさびを打とうとしたのです、時代そのものが面白くて
登場人物も好感が持てるのばかりで、その上学問芸術的にも
革新期(詩を新しくしたり、書道を生んだり、絵画まで生んだり)
だなどとあまりにも多くのことに首を突っ込みすぎだ
それでそれらの活動が活発化したのは仏教のおかげだと考えたいのです
三国志が面白いのは仏教という新しくそして高度な哲学の刺激を受けたおかげではないだろうかと

88:世界@名無史さん
13/12/08 23:00:17.64 0
これは新手の釣りなんだ。たとえそうじゃなくても会話にならない。
だからもう絶対反応するなよ。

89:世界@名無史さん
13/12/08 23:30:11.79 0
宮城谷の三国志のあとがきで仏教について触れられてたけど
曹操親子は庇護するにいたらなかったとあるが別に弾圧したわけでもないんだよな
洛陽にいるから存在自体は両名ともしっるだろうし
魏書釈老志で奇跡見せて曹エイに塔の破壊をやめさせた人がいたんだよな
実際魏としては勢力が無いから放置したんだろうか?

90:世界@名無史さん
13/12/08 23:49:07.59 0
>>87
○○だと考えたいので現実もそうなれ、は一番やってはいけないこと

そういう妄想を並べたいなら自分のブログか日記帳でやってろ
まず史料的根拠があって証拠があって、考察に足るだけの材料がある結果として出た話でもないのに
学問板でする書き込みじゃねーよ

91:世界@名無史さん
13/12/10 14:48:25.15 0
そもそもシナに哲学など存在するわけは無いだろ
シナには現実しかない、現実を超えた現実の背景たる世界などシナには無い

92:世界@名無史さん
13/12/10 15:20:23.99 0
老荘を信奉するとは何ぞや、仏教を信仰するとは何ぞや
抽象的なものの見方をもっと深く勉強するべし

93:世界@名無史さん
13/12/12 00:23:00.00 0
はあ、とりあえず仏典をもっと研究した方が良さそうですね
三国志の登場人物達がいかに仏教的原理で生きていたかを証明するために

94:世界@名無史さん
13/12/12 00:37:44.93 0
今残っている経典と訳が違ってるし
無理やり仏教と行動を結びつくてもろくになことにならんと思うがな

95:世界@名無史さん
13/12/12 08:45:44.07 0
>>94に同意
戦いの記録の中に仏教の影響による行動を見つけるのは難しいだろう
おそらくこじつけにしかならないだろう

現代の日本人で仏教に傾倒してる人を見ても
説教が仏教の話ばかりだとか、お布施が莫大だとか、葬儀が特徴的だとか、
寺巡りが趣味とか、仏像の写真集を集めてるとか、
そういうレベルの行動以外では行動原理が仏教だと断定できることなんてほぼないしね

物証が少ない以上、影響が確認しやすいのは行動ではなく発言だと思う
手紙や詩や正史の中の言葉の中に
無常観や現世来世に代表されるような特徴的な仏教思想が確認できたら認めるしかない

96:世界@名無史さん
13/12/12 17:38:59.83 0
曹ヒは怪異に興味を示していたそうですがそれに仏教の影響は?
取敢えず曹沖の話は仏典からのパクリだとかいうのを検証してみます

97:世界@名無史さん
13/12/12 17:57:48.77 0
かんじざいぼさつ、ふかきはんにゃーはーらーみったーをぎょうじたまいしとき、ごうんはみなくうなりと
しょうけんしたまひ、いっさいのくやくをどしたまへり、しゃりしよ、
しきはくうにことならず、くうはしきにことならず、しきはすなわちこれくうなり、
くうはすなわちこれしきなり、じゅ、そう、ぎょう、しきもまたまたかくのごとし

98:世界@名無史さん
13/12/12 18:10:20.85 0
魏晋の時代の雰囲気としてはアニメの新世界よりのEDが似ていると思います
年代設定も200年代だし意識していたのかな

99:世界@名無史さん
13/12/12 18:45:08.82 0
根拠のない事いうアホはもう一生ROMってよ
本当に邪魔だ

100:世界@名無史さん
13/12/12 19:35:39.45 0
雰囲気がどうとか言う奴は学術系の板に来るな

101:世界@名無史さん
13/12/12 20:45:23.26 0
正史と言っても
注が作られた劉宋時代には仏教が普及しているから…

102:世界@名無史さん
13/12/12 20:47:40.96 0
>>95
実際に仏教徒を利用した記述があるサク融や孫権をみても
仏教の考えと結びつけるのはきついもんな

103:世界@名無史さん
13/12/12 20:53:40.05 0
>>101
なんで基準が注釈なんだよw

104:世界@名無史さん
13/12/13 01:56:21.07 0
仏教の歴史 その3
スレリンク(whis板)

105:世界@名無史さん
13/12/13 02:36:35.68 0
NHK BSプレミアム 12月18日(水) 21:00-22:00

ザ・プロファイラー「誰かのために生き抜けるか〜諸葛孔明・天才軍師伝説の真実」
URLリンク(www4.nhk.or.jp)

放送概要
戦国ロマン!
知略あふれる軍師・諸葛孔明は、なぜ才能を主君の夢のために捧げ尽くしたのか?自分の夢は何だったのか?
「三国志」の英雄の、はかなく美しく壮絶な生と死。

すべては、あの人の夢のため…。
「三国志」の華麗な軍師・諸葛孔明の知られざる実像に、大河ドラマ「軍師官兵衛」岡田准一と名優・石坂浩二が迫る。
この男に尽くしたい!…孔明を本気にさせた主君・劉備の人間的魅力とは?
「2つの桃で、強い武将を倒す」…謎の歌に隠された、弱者が強者を倒す孔明の秘策とは?
劉備の死後、託された夢を背負って、ボロボロになるまで戦い抜いた壮絶な最期とは?
人生を変える、出会いと感動の物語。

106:世界@名無史さん
13/12/17 01:21:55.35 0
仏教で言うなら蜀での普及がきになるな
正史は儒者の弟子の陳寿だからあまり期待できんもんな
ただ西域から来ることもあったし
後世だが峨眉山は活動がさかんだったしな

107:世界@名無史さん
13/12/23 09:25:03.99 0
中国はキリスト教のように徹底して仏教化を進めなかったから
文明間の競争に敗れたのだ

108:世界@名無史さん
13/12/28 01:42:03.64 0
曹丕が導入した9品中正法の余韻のせいで
胥吏の世襲化を科挙が防ぐことはできなくなったって本当?

109:世界@名無史さん
13/12/28 12:08:50.08 0
九品中正法以前から人材が官吏になるには
地元の名士の前で功を積んで推挙されるのが
近道だった時点で何とも言えんわ

110:世界@名無史さん
13/12/28 22:11:45.09 0
胥吏と官吏は別物だぞ…

111:世界@名無史さん
14/01/02 23:05:00.36 0
九品中正法は官吏の登用法に関するものであって地元の推薦から中央政府主導の登用を狙ったもの
これは実際には果たせず地方有力豪族の貴族化を進めることとなったが
胥吏は地元民間人が無給で徴用されて仕事をするもので別物

官吏は異動があるが胥吏は地元の民間人を採用して再任が繰り返されるため
地元有力者がこのポストを押さえ続け給与が無い分庶民から賄賂を取り続けて憎まれた

112:世界@名無史さん
14/01/03 15:23:41.31 0
なお中国では科挙の導入によって貴族階級は時間をかけて試験を通じて一掃され
皇帝による直接帝政とも呼ぶべき体制が確立されていくことになる
このため一貫して皇帝は強力な独裁者であり続けた

現代の独裁政権が国内に競合相手を持たず官僚を手足に絶対的な権限を振るうのと似た形式

113:世界@名無史さん
14/01/07 06:26:13.95 0
そんな見飽きた説はいいから、新しい説を出してくれよ

114:世界@名無史さん
14/01/16 23:12:39.80 0
宮廷の諍い女見てたら
甄氏と二喬で三大美女とか
甄ケイが曹操の詩を読んでた
あと、周瑜云々

115:世界@名無史さん
14/01/17 06:14:42.32 0
この時代あたりから女性に優しい時代になるけど
その功績は仏教に帰してもいいんじゃないかな
ローマ帝国でもキリスト教の初期の頃の熱心な信者は女が多かったっていうし

116:世界@名無史さん
14/01/17 06:27:54.08 0
この何でも仏教君はどうにかならんの?
本当に三国時代から少しずつ受容されているから余計に・・・

117:世界@名無史さん
14/01/17 10:03:25.65 0
仏教って人の事はどうでもいいから修行しろっていうのが本懐じゃないの?

118:世界@名無史さん
14/01/17 15:39:00.65 0
>>112
違う。
貴族階級は虐殺されたんだよ。農民反乱や安禄山の変などで。

119:世界@名無史さん
14/01/18 06:10:29.07 0
>>116
昔の何でも曹操に結び付けられるよりましだろ

120:世界@名無史さん
14/01/18 06:13:40.03 0
前スレの呉の奇襲さえ無ければ関羽の北伐は成功できたまで話を戻すか

121:世界@名無史さん
14/01/18 06:18:24.40 0
女の知的水準の向上に仏教が一役買ってることは大いにありうるだろ
それが違うと思うなら別のイデオロギーを提示して見ろよ

122:世界@名無史さん
14/01/18 11:43:40.61 0
>>120
奇襲w
そんな面白そうな流れあったのか見たかった

123:世界@名無史さん
14/01/18 12:23:18.34 0
>>120
「北伐の成功」の定義次第かな

北伐の成功が荊州確保ってんならまあ可能性は半々くらい
前線を長江から漢水まで引き上げっていうならほぼ確定だろう

これ以上の戦果が出るとしたら呉の奇襲並の事件が魏に対して起こらないといかんな
魏諷のクーデター成功とか

124:世界@名無史さん
14/01/18 13:57:54.07 0
関羽の軍は樊城で多少手こずってても包囲は完璧だったんだと
それが呉が裏切ったせいでおじゃん、撤退するはめになったんだと
これ魏書にちゃんと載ってる記述だからなしかも裴松之の註じゃなくて

125:世界@名無史さん
14/01/18 16:24:52.45 0
呉が裏切る原因を作ったのは関羽なんだけどな。

126:世界@名無史さん
14/01/18 16:27:00.35 0
樊城攻撃は守りの堅い襄陽を回避していきなり後方を攻撃して孤立させようという奇策
この奇策が一時的に成功したところで襄陽の攻略は容易ではないのに
無傷のままの襄陽が健在な点は無視されることが本当多いな
結局演義の脚色で樊城さえ落とせれば!ってイメージが固定化されてしまっているんだろうけど

127:世界@名無史さん
14/01/18 16:49:57.11 0
呉から見れば荊州を返さないことがそもそも裏切りだと思うだろうな

128:世界@名無史さん
14/01/18 17:33:08.70 0
襄陽と樊城てセットみたいなもんだから
対岸である片方が落ちればやばいんじゃないの?

129:世界@名無史さん
14/01/18 17:36:11.68 0
>>126
近隣の城が落ちたことは
普通に考えれば士気が落ちるし
無傷だろうがあっさり降伏することも考えられると思うよ

130:世界@名無史さん
14/01/18 18:42:02.67 0
>>129
希望的観測過ぎるだろ、城の規模が違い過ぎる
襄陽ってどれだけ人口いたと思ってるんだ

131:世界@名無史さん
14/01/18 19:11:02.83 0
樊城まで攻撃に晒されてる時点で漢水の制水権って関羽側にありそうだけど
樊城解放後の魏軍ってどうやって漢水渡ったんだろう?
運河とかで他の河川から水軍引っ張ってきて普通に関羽側の水軍打ち破ったのか
適当な筏とかで渡れる程度だったのか、実は関羽は漢水の制水権を掌握できていなかったのか

132:世界@名無史さん
14/01/18 21:54:03.48 0
>>126
襄陽は完全包囲状態で関羽撤退以後も包囲は継続されてた挙句
曹操が死ぬ頃になると完全に兵糧も尽き果てて曹仁の戦略判断で一回放棄されてる事忘れてる人も多いな
曹仁が後に取り返すまで、呉に占領されてたんだぞ

133:世界@名無史さん
14/01/18 22:00:33.19 0
関羽が徐晃に普通に負けた事って、何故か無かった事にされる事が多いよね。

134:世界@名無史さん
14/01/18 22:03:53.14 0
>>133
普通にではないだろ
お前も勘違いしてるよ

135:世界@名無史さん
14/01/18 22:06:05.26 0
そこは文ペイだろ

136:世界@名無史さん
14/01/18 22:11:57.75 0
曹操は徐晃に命じて孫権の裏切り文を包囲されてる友軍にも、関羽軍にも矢文で打ち込んでる

ボロボロだった襄樊は「志氣百倍」といわれる程奮い立ち、これで完全に降伏による落城がなくったし
徐晃側も勝てるってことで燃えるだろう

137:世界@名無史さん
14/01/18 22:33:06.45 0
>>134

ああすまん、普通じゃなくて壊滅的大敗だった。
関羽軍は自ら入水自殺する者が多数いた程だったらしいからな。

138:世界@名無史さん
14/01/18 22:43:56.29 0
>>137
普通じゃなくて孫権の裏切りを前提とした勝利だろ
矢文工作とかあるから徐晃も勝てた

それと徐晃伝の記録をそのまま信用もできないな
関羽はその後、軍をまとめて江陵に向かったけど
その時に襄陽の包囲は結局全く緩まなかったことから
包囲軍からそれほど引き抜いた様子がないと判断できる

139:世界@名無史さん
14/01/18 23:02:49.88 0
>>138
矢文工作程度でボロボロにやられる関羽軍てどんだけ〜
あと孫権の裏切り自体関羽の行動が招いた自業自得だから擁護は不可能だよな

140:世界@名無史さん
14/01/18 23:26:35.41 0
>>139
何の話をしてるんだ?

今って呉の裏切りがない、と言う前提になった場合
歴史がどう動くかってことを議論してるのに擁護とか、関羽が招いたとか
わけのわからん事言うなよ

矢文工作だけで勝敗が決するわけじゃないけどその後押しにはなってる
徐晃が近くにいても孫権の側面攻撃なければ
下手すると襄樊のどちらかが開城してしまう可能性も有り得たので
関羽が完全に後続分断されたという情報ってのは君の考える以上にでかいよ

141:世界@名無史さん
14/01/18 23:36:23.40 0
関羽も工作してあのへんの豪族や異民族を寝返らせていたから
樊城のほうが落ちた段階であれば、曹仁も死亡や捕虜になるか逃走しているあとになるということだし
襄陽も動揺して内通が出て終わる可能性も高いと思うわ

142:世界@名無史さん
14/01/18 23:49:16.70 0
>>140
呉の裏切りがない、って前提があり得ないんだよ。
利害関係考えりゃすぐ分かると思うんだけどな。

143:世界@名無史さん
14/01/18 23:52:22.10 0
と言うか関羽は呉の兵糧庫襲撃しなきゃならんほど切羽詰まってたんだから、孫権が動かない訳ないわな。
絶好の口実になるんだから。
あり得ないifを前提にするのは意味がない。

144:世界@名無史さん
14/01/18 23:56:02.92 0
>>142-143
でも今やってるのは呉の裏切りがないって前提での話しなので

何でそういう話をしているところで間違った前提でのレスを繰り返した挙句
それを指摘されるとキレて前提が間違ってるって言い出すんだよ
最初から前提が違うって言えばいいのに

145:世界@名無史さん
14/01/19 00:07:34.23 0
>>144
あぁすまん、それは悪かった。
そんな関羽側だけに都合の良すぎる話をしてるとは思わなかったんで勘違いしてたわ。

146:世界@名無史さん
14/01/19 00:13:07.85 0
呉の奇襲ってタイミングは前後するかもしれないけど
それ以前の外交と相互不信の積み重ねでどう考えても避けようがない
ってのはのは俺もそう思う
けど、前提はそれがなければ、関羽はどうなったかということ

理解していただけたら君もこの思考実験に付き合わないか?

147:世界@名無史さん
14/01/19 00:30:11.33 0
そういう話なら関羽が呉を意識して動くか違うかでまた変わってくるんで何とも言えないな。
不確定要素が多すぎる。

まぁ全てが上手くいって一時的に領有成功したとしても維持は出来ないんじゃないかと思うけど。

148:世界@名無史さん
14/01/19 00:47:41.06 0
>>147
この当時の蜀は魏で言うところの新城郡を抑えているから
漢水で漢中と新城、襄樊が繋がった状態になってて
維持って相当平易になるはず

149:世界@名無史さん
14/01/19 07:09:14.90 0
関羽が樊城を攻撃したのは暴動がそこで起こったからだとも
陳寿は書いている

150:世界@名無史さん
14/01/19 10:43:03.95 0
そもそも呉は裏切ってない説

151:世界@名無史さん
14/01/19 11:12:59.06 0
たしか樊城で反乱がおきてそれを曹仁がすぐについて鎮圧したんだよな
だとすれば対岸の襄陽の状態も怪しいところだな…

152:世界@名無史さん
14/01/19 12:33:02.05 0
この時、呉が北進したらどこまで行けたかな?

153:世界@名無史さん
14/01/19 16:34:06.18 0
魏の勝利を知ってる後世の人間は後知恵で呉が余計なことしなければって思うけど
当時の人からしたら魏は相当動揺しており蜀が独り勝ちしかねない情勢に見えた
呉にとってその蜀軍を助けるような北進は論外だろう

154:世界@名無史さん
14/01/19 17:48:55.65 0
呉が邪魔しなきゃ関羽が徐晃に勝てた、ってのも怪しいけどな
徐晃だって名将だし、蜀軍は連戦で疲労もあっただろう。兵糧庫襲った経緯から見ても余裕は無かった筈

155:世界@名無史さん
14/01/20 03:58:30.69 0
>>154
徐晃は名将で北岸の包囲を解くことに成功した、としても
南岸は完全に制水権抑えてる蜀のものだし、制水権奪おうにもでかい水路ないから
史実でも関羽負けてさえ包囲継続されてるから呉が邪魔しなければ
そのまま漢中の劉備と襄陽包囲を継続してる関羽、孤立しないから裏切りもしない孟達の連携があって
結局曹操がどこへ行こうと、曹操の居ないところへ攻撃されて、魏は前線を後退させることになるだろう

156:世界@名無史さん
14/01/20 11:55:41.91 0
>>155
兵糧持たんだろ。

157:世界@名無史さん
14/01/20 13:39:16.94 0
ロジスティクが持ちません

158:世界@名無史さん
14/01/20 20:31:55.77 0
>>156-157
だから漢水での連携が機能するんだが

159:世界@名無史さん
14/01/20 23:39:18.68 0
本格的に動員をかければ魏のほうが圧倒的なのであって
襄陽確保するには魏が諦めてくれないといけない
漢中と違って中原に近い襄陽を諦めるとは思えないのでどうやってもいずれは奪回される

当時は呉も蜀も数万レベルの動員がせいぜいだったのに洪水と失策が重なり3万を一気に
失った直後に逆襲に転じられる魏の国力は圧倒的すぎる

160:世界@名無史さん
14/01/21 01:41:00.91 0
中原に近いって、南陽盆地越えて来ないといかんのにか?

3万失った直後に逆襲はできとらんよ
あくまでも呉の助勢があった上に、曹操が直属の軍を大いに割いてやっとできたことだ

161:世界@名無史さん
14/01/21 06:41:06.72 0
>>153
無理があるな
関羽の北上一つで魏より脅威になるとでも思ってんのかよ

162:世界@名無史さん
14/01/21 13:01:26.39 0
関羽の北上は後詰が無いから厳しいだろうね。単発ではいずれ国力に勝る魏に押し返される

163:世界@名無史さん
14/01/21 13:15:33.57 0
漢水の制水権ちゃんと維持できれば、史実で長江を盾に呉が数十年守られたように
関羽も襄陽を守れる可能性ぐらいはあるんじゃなかろうか

164:世界@名無史さん
14/01/21 18:07:27.91 0
>>162
孟達らがその後詰になるんだよ
もう少し時間あれば何とかなった

だからこそ孫権のここぞという裏切りの見極めは素晴らしかった

165:世界@名無史さん
14/01/21 19:52:41.71 0
漢水で襄陽と連携とかお花畑すぎて笑えるw

ゲームのやりすぎだろ

166:世界@名無史さん
14/01/21 19:58:03.80 0
ある程度侵攻が成功すれば曹操側がぐちゃぐちゃになる可能性はあったと思うよ
前線ではない宛や本拠の許・ギョウで反乱起こるくらいだし

167:世界@名無史さん
14/01/21 20:09:48.95 0
速攻で鎮圧されてるじゃん

168:世界@名無史さん
14/01/21 22:45:32.45 0
>>165
いや実際劉備は孟達、劉封に漢水沿いを攻略させてるんだが
それも関羽の北上以前に

169:世界@名無史さん
14/01/22 20:00:06.23 0
>>168
意味不明
孟達は宜都郡(孟達が太守)からおそらくキシ郡(の山中を通って房陵・上庸を攻め取ってる。
資治通鑑を信じるなら、その兵力は4000。少なくはないが、多くもない。

(この4000という数は劉璋が「遣法正将四千人迎先主,前後賂遺以巨億計」劉備の益州入りにあたって荊州に差し向けた兵の数と一致するので正確だろう)

これで二郡を完全制圧するなんて大したものだ。

劉封は漢中攻めに参加しているので、漢中占領後におそらく手勢を持たず(漢中に軍用の船などないし、漢中から上庸への兵站計画も存在しえない)孟達軍に「上から落下傘」している。

なのでこの時点で「漢水の連携」など存在しない。
上庸と房陵は「漢水沿い」だし、その延長線上に漢中も存在する。
おそらく計画では時間をかけて整備していくつもりだったのであろう。
しかし、219年にこれらの拠点はリンクしていない。物理的に無理。

170:世界@名無史さん
14/01/22 20:17:41.28 0
ぼくが かんがえた りゅうびぐん の だいしんげき

作戦の目的 漢中と襄陽を奪取することで既存の勢力圏の安全を保つことを目的とするとともに、
中原への攻撃拠点を確保すること=防衛から侵攻へ体制を変換したいと思います。
同時に漢中と襄陽を(第一次対魏攻撃の)攻勢限界線とみなし、
その保全のために漢水を利用した物理的防衛ラインを構築するために、その中間地点である房陵・上庸を奪取します。


@漢中を取ります
取りましたか? YES/NO
YES!

A孟達を上庸・房陵へ進撃させます
取りましたか? YES

B(イベント)孟達は新参者でイマイチ信用できないので養子の劉封を上官として派遣します

C関羽に襄陽・樊城を奪わせます

取りましたか? NO

D(イベント)関羽が孟達に援軍を求めましたが無理なので拒否されました

E(イベント)関羽の本拠地が呉に奪われました

F関羽軍は退却中に瓦解しました

GAME OVER

171:世界@名無史さん
14/01/22 23:16:25.31 O
つまり呉関係なく関羽は去る運命と
呉はそれを縮める手助けと

172:世界@名無史さん
14/01/22 23:36:25.57 0
>>169
>>164でももう少し時間があれば、って書いた通り
問題があったというのは俺もわかってる

ただし、孟達と劉封に関羽の援護が可能という認識は劉備が示した通り
物理的に無理というほどではない

173:世界@名無史さん
14/01/23 18:13:27.09 0
んなのいくら時間があっても足りんわ

174:世界@名無史さん
14/01/24 01:26:47.93 0
せやろか?

175:世界@名無史さん
14/01/24 02:06:12.15 0
>>173
という事は劉備の支持が間違ってた、ということでおk?

176:世界@名無史さん
14/01/24 12:43:45.19 0
せやせや

177:世界@名無史さん
14/01/24 20:42:07.01 0
俺は>>169だが
>>173>>176は他人

178:世界@名無史さん
14/01/24 20:58:39.76 0
>>172

孟達が増援に物理的に可能かどうかという話をすれば可能だろう。

だが、二郡をたった4000で抑えている孟達が増援の余裕はどれだけあっただろうか?
房陵は孟達が元の房陵太守?祺を殺してはいるが、劉備が任命した新太守のトウホや南郷太守の郭睦もまだ着任していない。
そして上庸にはの申耽・申儀兄弟が一応降伏しているが力を残しているのは明らか。

この状態で4000の内どれだけを増援として繰り出せるだろうか?
各郡に1000を残すなら増援には2000しか出せない。
関羽軍推定30000に対して2000はどれほどの意味があろうだろうかね。
そもそもこの4000の軍は孟達子飼いの軍なので劉封には指揮が不可能。
留守番となるであろう劉封は、敵対する同僚の兵を1000だか2000だか預かって任務責任を果たせると考えないだろう。

179:世界@名無史さん
14/01/24 21:14:40.18 0
孟達は軍の指揮者としてこう考えるだろう

「自分の任務は房陵・上庸の掌握で成功したのに、計画外の軍事行動でフイにしてたまるか」と。

孟達はとうぜん節鉞などは持っていないが、この当時の知識人の常識として
「一旦軍を預かって外に出たならば王命といえども違えることがある」
という指揮者として当たり前の原理原則が「増援拒否」という判断の後ろにあったはず。

孟達を監軍する役の劉封もたまったものではなかっただろう。
孟達が気前よく兵を残してくれるとは限らないし、増援として意味のない兵力を差し向けても意味がない(どころか自分のせいにされる恐れまである)。




以上の理由から孟達に増援を要求したのが関羽だとすると(俺は情況証拠から関羽説を取る)、孟達の任務を理解しておらず、かなり利己的な話といえる。
もし仮に劉備が命令してそれを拒否したとすると、孟達と劉封は正史に描かれている「曖昧な立場」で収まるわけがなく、命令拒否の時点で明確に処分の対象となっていたと思う。

180:世界@名無史さん
14/01/25 13:12:50.83 0
荊州では関羽も命令権者という事忘れてるな

181:世界@名無史さん
14/01/25 13:50:56.55 0
「A>B>C」という序列があったとして

A→B
A→C

Aから上のように命令が下ったとする

A→CにおいてCは完了
A→BにおいてBはその途上

Bは「B>C」という事実を基に

B→C

という新たな命令をCに対して発するが
Cはより上位の「A→C」命令の保全を優先してこれを拒否した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう風にみると劉備・関羽・孟達の行動に矛盾はない

182:世界@名無史さん
14/01/25 14:19:31.21 0
だが劉備はBに当たる関羽の命令を聞かなかった事で怒ったよな

183:世界@名無史さん
14/01/26 08:53:43.53 0
註と原文は区別してくれよ

184:世界@名無史さん
14/01/26 09:17:55.47 0
日中戦争を見てると日本はほんの数年で華北とそれ以上の領土を確保している
結論、華北支配は容易、曹操は大したことない

185:世界@名無史さん
14/01/26 21:05:44.47 0
それを安定化させたのとゲリラの巣だったのとで雲泥の差なんだが

186:世界@名無史さん
14/01/27 02:36:01.89 0
>>182
劉封が魏でいう新城郡の統治に失敗して戻ると関羽助けなかったし、ここでも失敗しやがって
ということで処刑されてるってのは本文の出来事だよ

187:世界@名無史さん
14/01/27 10:20:31.63 0
ああ劉封に対してね、関羽にかと思ったよ
>>185
更にアメリカとも戦ってたからな

188:世界@名無史さん
14/01/29 12:53:05.87 0
話がずれてるよ、呉が裏切らなけりゃの話だろ
呉の裏切りについても関羽が100パー悪いことになってるが
ここで陳寿の記述とて完全に信頼できないカードを切ってもいいとおもうが

189:世界@名無史さん
14/01/29 22:20:43.13 0
呉からすれば、蜀は赤壁と周喩の病を利用して荊州を奪い、益州取ったら返すと言っていたくせに返さない屑
蜀からすれば、呉は蜀が自力で勝ち取り、劉表の息子から受け継いだはずの荊州に意味不明な所有権を主張する屑
蜀が弱小の身だから仕方なく脅迫に屈したふりをしただけなのに何勘違いしてんだ?それより倒さなきゃならない敵は曹操だから同盟してんだろ、と

190:世界@名無史さん
14/01/29 22:30:53.25 0
>>189
その後、正式に涼州取ったら返却するということが
口約束ではなく条約で確定してるし、呉もそれで納得してるから
返さないクズ、という批判は間違ってるけどな

191:世界@名無史さん
14/01/30 00:01:59.07 0
孫権はあれでも群雄割拠の時代を勝ち残ってきた男だからな
自国の領土が脅かされても黙って見てるようなお人好しだったら、とっくに消えてるだろう

192:世界@名無史さん
14/01/30 00:05:11.76 0
呉は裏切ってない
当然な主張し関羽が傲慢だったから自業自得だった

193:世界@名無史さん
14/01/30 02:17:31.95 0
>>192
そういう主張は三戦板行ってやれ

194:世界@名無史さん
14/01/30 23:43:33.86 0
へ?

195:世界@名無史さん
14/01/31 08:12:30.60 0
>>194
クサッ

196:世界@名無史さん
14/01/31 12:09:43.46 O
>>195
ヤッ!

197:世界@名無史さん
14/02/01 01:20:56.90 O
関羽っていくつで死んだの?

198:世界@名無史さん
14/02/01 10:11:06.64 0
178年3月に関平が生まれたとか、そのへんから換算してみれば

199:世界@名無史さん
14/02/01 12:55:21.25 0
民間伝承の関平の生年なんかよりは
関羽の活躍時期から考えた方が正史スレとしてまだマシだと思うが


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