【不敬】産経新聞で百地章が「鍛冶屋のせがれ」の子孫を天皇にしろと主張 [転載禁止]©2ch.net at NEWS4PLUSD
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14/11/03 12:49:01.29 jga2YMa/
旧宮家の男子を皇族に迎えよ 日本大学教授・百地章

10月5日に高円宮典子女王と千家国麿氏とのご婚儀が執り行われた。これを機に、再び女性皇族のご結婚後のあり方をめぐってさまざまな議論がなされている。
男性、女性ともに皇族が減少する中、この問題は速やかに解決する必要があるが、更に一歩進め旧宮家を視野に入れた抜本的解決をはかるべき時が来たのではないか。

 ≪潮目が変わった宮家論議≫

ご婚儀を挟んだ10月2日と7日、BS11の「報道ライブ21」とBSフジの「プライムニュース」が相次いでこの問題を取り上げた。
BS11では露木茂氏らの司会で皇室ジャーナリストの神田秀一氏と筆者が、BSフジでは反町理氏らの司会で参議院議員の西田昌司氏、京都産業大学名誉教授の所功氏、
それに筆者らがこの問題を論じたが、2〜3年前とは明らかに変化が見られた。

両番組とも、初めから「女系天皇」など問題外といった雰囲気が大勢を占めていたし、「女性宮家」についても、さまざまな問題を抱えているとの認識ではほぼ一致していたと思う。
とりわけ興味深かったのは、女性宮家賛成派の神田秀一氏からも「旧宮家のお若い男子を皇族に」との発言があったこと、女性宮家問題のヒアリングでは旧宮家の復帰に消極的だった所教授が、
明治天皇や昭和天皇の内親王が嫁がれた旧東久邇宮家などの男子であれば皇族に迎えてもよいと発言されたことである。
URLリンク(www.sankei.com)

旧皇族とは

それから200年余り後の1654年、伏見宮家を悲劇が襲った。同年1月から9月までのわずか8か月のうちに、
当時の当主である貞清親王、その嫡男・邦尚親王、そして次男の邦道親王が相次いで亡くなり、
家中から後継者となれる男系男子が一人もいなくなってしまったのである。

朝廷は後水尾上皇の男子の一人に伏見宮の名を継がせる方針を固め、
かくして貞常親王以来の伏見宮家嫡流の血統は絶えるかに思われた。
だがその時、邦尚・邦道両親王のはとこの息子にあたり、
家令として伏見宮家に仕えていた安藤定為なる人物が京都所司代・板倉重宗の下を訪れ、
思わぬ事実を明かした。

定為の話によると、彼の従姉にあたる定子は邦尚親王に女房として仕えていた際にお手付きとなり、男子を産んだ。
だが当時は邦尚・邦道両親王が後継者争いをしていたため、定子は息子を連れて安藤家に身を寄せていたという。
定為は自身の従甥にあたるこの男子に伏見宮家を継がせるべきだと訴えたのであった。

以上は定為の息子・為章が記した「年山紀文」によるものだが、同時代の文献には全く異なる記述も見られる。
壬生忠利の日記「忠利宿禰記」によると、この男子は貞清親王の子、すなわち邦尚・邦道両親王の兄弟であり、
丹波国の某の養子となった後、山城国の鍛冶屋で徒弟として働き、長九郎を名乗っていたというのである。

今となっては何が事実なのか判然としないが、ともあれこの青年は伏見宮家の御落胤と認められ、
晴れて伏見宮家当主・貞致親王となったのであった。以後の伏見宮系一族は全員この貞致親王の子孫であり、
彼の血統的正当性を疑うことは一族のそれを疑うことと同義であるとしてタブー視された。
URLリンク(dic.nicovideo.jp)


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