【慰安婦問題】植村隆・元記者「証言テープ聞いたのは一度だけ」 ―朝日慰安婦誤報取り消し1年[8/4] at NEWS4PLUS
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15/08/04 12:44:12.74 .net
朝日慰安婦誤報取り消し1年 植村・元記者「証言テープ聞いたのは一度だけ」 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
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元朝日新聞記者の植村隆氏 =7月30日、札幌市(早坂洋祐撮影)(写真:産経新聞)

 7月30日に産経新聞のインタビューに応じた元朝日記者、植村隆氏は平成3年8月11日付朝日朝刊社会面(大阪本社版)で、元韓国人慰安婦だと初めて名乗り出た金学順(キム・
ハクスン)氏(記事では匿名)の証言を署名入りで韓国メディアに先んじて報じた。昨年春に退社し、札幌市の北星学園大学の非常勤講師を務めるが、記事をめぐって、大学や家族らへの
脅迫が続いたため今年1月、過去に記事を批判してきた西岡氏らを名誉毀損(きそん)で訴えた。
 「事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないのに、『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」「安易かつ不用意な
記載であり、読者の誤解を招く」
 3年8月11日の植村氏の記事について、朝日の第三者委報告書はこう断じた。
 植村氏は記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」のうちの一人だと金氏を紹介した。
 ◆記憶「定かじゃない」
 産経新聞の取材に対し、植村氏はこの記事は韓国挺身隊問題対策協議会で一度だけ聞かせてもらったテープを基に同会から背景説明などを受けて書いたと説明。テープについて「僕は
持っていない」と語った。テープを聞いた時点では、女性の名前は知らされなかったという。「女子挺身隊」という言葉が出てきたかどうかに関しては「定かじゃない」と答えた。
 だが、記事が出た直後、金氏の経歴をめぐる異なる事実関係が明らかになる。
 金氏は3日後の14日に実名を明かしてソウルで記者会見を開いた。翌15日、韓国紙ハンギョレは「母親によって14歳の時に平壌のキーセン(妓生)の検番に売られ、検番の養父に連れられて
いった」と報じた。
 金氏らが12月に東京地裁に起こした賠償訴訟の訴状も、金氏の経歴に関し「養父に連れられて中国へ渡った」とあり、「挺身隊の名で連行された」と記載していない。
 朝日新聞は昨年8月の検証記事で、金氏が挺身隊の名で連行されたかどうかについては見解を示さなかった。その後、「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」との
「おことわり」をデータベース上に追記。事実上、誤報を認めた。
 植村氏は第三者委の指摘について「強制的に連行されたような印象を与えるということだが、印象ではなく『強制連行』(という表現)で伝えているメディアがあることにも触れてほしかった」と語った。
「植村が捏造(ねつぞう)記者じゃないことが報告書からも分かる。そこを強調したい」とした。
 朝日の第三者委報告書は同じ3年中、植村氏が金氏について書いたもう一つの署名記事も取り上げた。12月25日付朝日新聞大阪本社版の「日本政府を提訴した元従軍慰安婦・
金学順さん」の記事だ。
 この記事は1カ月前の11月25日、植村氏が高木健一弁護士らによる金氏へのヒアリングに同行した際に録音したテープを基に書いたものだが、金氏が12月6日に起こした賠償訴訟の訴状にも
記載されたキーセン歴が書かれていなかった。
 独立検証委は「金さんが、吉田清治が主張していた女子挺身隊の名で強制連行された被害者であるかのような錯覚を作り出すのに、大きな役割を果たした」との見解を示す。
 ◆「ずっと取材してきた」
 また、植村氏の韓国人の義母は当時、金氏らを原告とする賠償訴訟を支援した太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部だった。植村氏は「結婚する前からずっと、この問題を取材してきた。別に
家族のために書いたわけじゃない」と述べた。


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