【日韓】韓国との交流担う 20年関係支えた自負[06/14] at NEWS4PLUS
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1:なまはげ87度 ★@\(^o^)/
15/06/14 13:19:05.50 .net
 古くから大陸との交流のきっかけとなってきた仏教。天台宗総本山の比叡山延暦寺では現在も、中国や韓国、インドなどと積極的に関係を築いている。
その中で韓国との交流に携わり、通訳士として活躍する宝林寺(大津市坂本3)住職の茂松性典(しょうてん)さん(55)に話を聞いた。【石川勝義】
 ◆僧侶を志したきっかけは何だったのですか。
 私は京都出身で、父は西陣織の職人でした。仏教に縁があったのは、祖母が尼僧で京都市右京区にある妙楽院の住職だったからです。
私は10人兄弟の末っ子で、祖母は誰かを僧侶にしたかったようです。
5歳の時、お地蔵さんが出てくる夢を何度も見ていたこともあり、小学5年生の時に祖母の薦めで僧侶になろうと決めました。
学校卒業後に大津に来て比叡山中学に入学しました。
 ◆なぜ韓国語を学ぼうと思ったのですか。
 大津に来てからは宝林寺に住み、先代住職の故・山本法弘さんのお世話になったのですが、山本さんが韓国からの留学生だったのです。
当時、韓国で仏教を本格的に学ぶ場合は日本へ留学するのが一般的でした。師匠である先代に「日本と韓国の交流で役割を担うように」と言われ、25歳の時にソウルの東国大学校大学院に留学し、2年半学びました。
 ◆留学中はどんなことを学んだのですか。
 新羅時代の僧侶、元暁(がんぎょう)大師を研究しました。韓国では朝鮮王朝が成立してからは儒教が重んじられるようになりましたが、新羅では仏教が主流でした。
人が生きる精神的な支えにもなっており、日本の奈良時代によく似ています。新羅時代と比較することで、韓国の他の時代における仏教への関わり方も理解できるようになりました。
 ◆語学では苦労しましたか。また、韓国で人生観は変わりましたか。
 留学前に単語を覚えて向かったのですが、あまり通じず1年間基礎から勉強しました。
韓国では滋賀県の人口や産業、文化について質問攻めに遭い、答えられないと半人前のように扱われました。
でも答えられるようになると「すごくいい所だね」と皆が褒めてくれます。仏教を学び実践するうえでも、一般社会を知らなければ役に立たないと痛感しました。
紙の学問ではなく、生身の人間が咀嚼(そしゃく)して伝える仏教を今も心がけています。
 ◆留学経験を生かし、どのような仕事をしていますか。
 韓国からお客さんが来たり、こちらから韓国を訪問したりする時に、通訳や文書翻訳の仕事をしています
。6月には韓国天台宗の再興70周年記念行事があり、日本側から訪問する天台宗の僧侶のマネジメントを担当しています。
韓国との交流に携わり20年になりますが、両国の関係づくりを支えてきた自負はあります。
 ◆今後の目標はありますか。
 現在、日本に漢字などを伝えたとされる王仁(わに)博士を顕彰する「百済王仁博士記念会」の会長を務めています。
こうした活動で日韓の交流を深め、恩返しするのが私の道だと考えています。
URLリンク(mainichi.jp)
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