無口な女の子とやっちゃうエロSS 四言目 at EROPARO
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350:ふみお
08/02/14 20:05:43 zAXvEo8u
「命令かい?」
『命令よ。いいわね。迎えに行くから、会社の前で待ってなさい』
唐突に切れる電話。
「まだ肯定も否定もしてないんだけれどね……」
それに昼休みまで、あと30分といったところだ。
これから車でくるのだろうか?
「考えても仕方ないか」
割り切って、残りの時間を使い、タバコを吸うことにする。

     ◇  ◇  ◇

昼休みになり、私はデスクから立ち上がった。
あの夏の日以来、私と小林さんは一緒にお昼を食べることが多くなった。
でも、今日は小林さんは外出している。昼も外で食べることだろうと言っていた。
だから、私は今日は最近では珍しく、一人で食べることになる。
そう思っていた。

「今日は、先輩の代わりです」

出入り口で待ち構えていた工藤さんを見るまでは。


「一週間ぶりぐらいですか。こうして一緒に食事をするのは」
私は頷く。
いつものように、社員食堂。隅の席。
工藤さんと私はA定食をもって、席に着いた。
「先輩が熱心になるのって、A定食について語るときくらいですよね。だから、つい釣られちゃうっていうか」
「………………」
そのとおりだと思った。
トンカツなんてものをメインに置いた脂っこい食事なのに、なぜかA。なぜか、美味しい。悔しいことに。
そして、A定食を食べるたびに思い出す。
あの日のことを。
小皿に乗せられたトンカツのことを。

……っていうか。

今にして不思議なのだが。
彼はどうして、私が欠食気味だとわかったんだろう?
ストーカーのことは予知できたのだろうけれど。イジメのことは、事件の後で知ったみたいだったし。
「(どうしてなんだろう?)」
そんなことをぼんやりと考え、中空を見つめる。
「あれ? 食欲ないんですか?」
工藤さんが心配そうに聞いてくる。
私は苦笑しつつ、首を振る。
「だったら、いいんですけれど」
頷く私。
「さ、食べましょう」
手を合わせる私たち。
「いただきます」
「………………」
無言になった私たち二人は、黙々と箸を進める。

そして、約三十分後。

「ごちそうさまでした」
「………………」
私たちはA定食を完食した。
「さすが、先輩が一押しするだけのことはありますね」
ふん。
まぁ、確かに。

351:ふみお
08/02/14 20:06:25 zAXvEo8u
でも、それは彼の成果ではなく、食堂で働く人たちの功績だ。
美味しいものを教えてくれたのはありがたいが、そう思う。
そんなことを考えていると、工藤さんは真面目な顔でいった。
「実は、先輩に関して重要なお話があるんです」
「……………?」
なんだろう。
思い当たる節が全くないが。
「実は、先輩は―」

     ◇  ◇  ◇

「―○○○県に移動らしいわね」
僕は驚く。
「……なんで知っているんだい? まだ、辞令が出たばかりなんだけれど」
今をときめく企業系弁護士は―順子は真面目な表情で言う。
「本当なのね……」
「いや、僕の質問に答えてよ」
「あなた、本当にそれでいいわけ?」
「………………」

会社から歩いて約10分の公園。
その前にあるフレンチレストランで僕たちは食事をし終わった後だ。
空の食器をウェイトレスが運んでいく。
禁煙席なので、食後の一服を楽しむことが出来ない。

「これって、人生の重大な欠損だよねぇ……」
「私の質問にちゃんと答えて」
「僕の質問には答えなかったじゃない」
「いいから」
「ま、いつものことだけどね」

僕を睨みつけてくる順子。
どうやら、本気で怒っているらしい。
……怒る?
何で彼女が怒っているんだろう?
訊いてみるか?

「……順子、何で怒ってんのさ」
「こんな大事な話を今まで一度でも言わなかったでしょ……!」
そういえば、こんな会話。
「5年前くらいにも同じ会話をしたよね」
「10年前くらいにもよ」
―5年くらい前は、帰ってくるという連絡をしなかったから。
でも、最終的には飲み会になった。
―10年くらい前は、今と同じ。
僕が移動することになったから。
ここよりももっと都会。この国で一番栄えている場所に。
彼女は怒りながら、泣いていた。
それでも、最後には祝ってくれた。
でも、今回は。
「左遷なんでしょ?」
「………………。本当に千里眼でも持っているのかい? だったら、貸してよ。試したいことがあるんだ」
「ふざけないで!!」
彼女の大声に周りの注目が集まる。
でも興奮した彼女はそれに気づいていない。
しょうがない。

「ちょっと、散歩でもしようか」

     ◇  ◇  ◇

352:ふみお
08/02/14 20:07:18 zAXvEo8u
『左遷?』
私は震える手で書いた字を、工藤さんに見せた。
「ええ。その左遷です」
なんで。
彼は有能な社員ではなかったのか?
「先輩は本当に有能な人間なんですけれどね。でも、完璧な人間ではない」
「……………?」
何がいいたんだろう。
「あの人が有能であれば有能であるほど。やっかみは付いて回るわけで……」
ああ。そういうことか。
私も、痛いほど身に覚えがある。
「それに、少し、大きな問題もありまして」
「……………?」
大きな問題?
何のことだろう?
「先輩は、実は―」

―!

そうか。
そういうことだったのか。
じゃあ、もしかして。


あの時彼が、あの場所に来たのは?


まさかとは思うが、その傾向はあるような気がする。
……直感だけれど。

「思い当たる節があるみたいですね。多分、正解だと思いますよ。僕もそう思いますから」
やっぱりか。
工藤さんはあくまでも真摯に言った。
「ここで選択肢が二つあります。先輩の用意した未来に乗るか。反るか」
「………………」
「今なら、まだギリギリ、僕の力でどうにかなる。でも―」
「………………」
「―先輩のことを、本当の意味で引き止められるのは、あなただけだと思います」
「………………」
「先輩は、一番にあなたのことを考えた。無意識的に選んでるんです、あなたのことを」
「………………」
「あなたの気持ちを見透かすようなことを言っているのは、重々承知しています。それでも、ここがターニングポイントです」
私は、席から立ち上がった。
つまらない意地も、見栄も捨てる。
そして、ノートに書く。
『彼は、今、どこですか?』

     ◇  ◇  ◇

「いやぁ、落ち葉がキレイだねぇ。もう冬ってことかな」
「………………」

公園のベンチに腰掛けた僕と順子。
当然、僕の手には火が付いたタバコがあるわけで。
「あんた、本当にそれでいいの?」
「さっきも似たような台詞を聞いたねぇ」
「はぐらかさないで」
どうやらお気に召さなかったらしい。
僕は無言でタバコをふかす。
「………………」

353:ふみお
08/02/14 20:08:03 zAXvEo8u
「アンタに無口は似合わないわ。ねぇ、答えて。あの娘のことはいいの?」
順子は今、混乱しているのだろう。
それは昔と同じ情景だから。
だから、本来なら『敵』であるところの彼女のことを持ち出したのだ。
……僕が考えるのも、おこがましい話だが。
だから、あえて触れない。それに。
「僕にどうしろって言うのさ」
打診とはいえ。辞令は辞令だ。
「一会社員の悲しいサガだよね。紙切れ一枚で飛ばされる」
「嘘ばっかり」
順子は断定するように言った。
「アンタ、全部知ってる上で、何も手を打たなかったんでしょ?」
そしてそれは。
「大当たり」
「なんで……!?」
信じられないものを見る目。
あの時と、10年くらい前と同じ目。
「彼女は僕といると不幸になるからさ」

バシンッ!!

順子が僕の頬を張る。
「またそれ!? 未来予知!? ふざけんな!!」
「……それも10年くらい前に聞いたよ」

―『君には僕より相応しい人間が現れる』
―『何、言ってんの……!?』
―『単なる未来予知だよ』
―『はぁ!? だから!? まだ、目の前にも現れてない、その人間のために私を置いていくの!?』
―『………………』
―『未来予知!? ふざけんな!!』
―『僕は本当のことしか言わない。信じなくてもいいけどね』
―『ええ。だったら、私は信じないわ。完膚なきまでにね』
―『……そう』
―『あなたは出世のために私を置いていくんだわ。そう考えたほうが清々する』
―『……うん』
―『………………。何を言っても、もう、無駄、なのね……』
―『………………。そういうことになるね』
―『だったら―』
―『?』
―『―せめて、祝わせて。あなたの門出を』

「ねぇ。ウチに来ない?」
10年くらい前にさかのぼった僕の意識を呼び戻す、順子の声。
ウチ。つまり。
「君のいる所の弁護士事務所かい?」
「ええ。秘書だったら、アンタを使ってやってもいいわ」
「………………」
「それだったら彼女と別れることもない。でしょ?」
縋っている。
僅かな希望に、もっともらしい理由をつけて。
そこまで執着してくれるのは有難いが。
でも、順子らしくない。
「魅力的な提案だねぇ。それは」
そうすれば確かに僕と彼女は。

でも、違うんだ。

そんなことで解決できる問題なんかではない。
問題の抜本的解決には至らない。

354:ふみお
08/02/14 20:09:21 zAXvEo8u
むしろ、今。この状況でさえ望ましくない状況なのだ。
人と関われば関わるほど。

“喪失”。

それ自体が問題なのだから。
それに。
「君の秘書の座は空けておいたほうがいいようだから。お断りするよ」
「また、下らない未来予知……? 傲慢だよ。アンタ」
僕はほとんど吸殻になったタバコの最後の一服を大きく吸う。

ぶはぁ。

そして、携帯灰皿にタバコを押し付ける。
「確かに、僕は傲慢だったよ」
「“だった”? ハッ。現在進行形で傲慢よ」
確かにそうだ。
でも、見えてしまった。
そして、僕は忘れていた。

彼女にも選択権があるのだと。

だから。
「いや、過去形で正解だ、と思いたい」
なぜなら、正解を見つけたから。

「重要なのは、不幸な未来に怯えることじゃなかった。問題はそこにいたる道程。何を得るか、何が出来るか、ということ」

「……………?」
訳がわからない風の順子に、僕はきっぱりと言った。
「僕は会社に残るよ。この場所の、この会社にね」
たとえ短い間であったとしても。
僕は、彼女を―。

     ◇  ◇  ◇

見つけた。
工藤さんに言われたとおりの公園。
そのベンチに彼は座っていた。
いつものように、タバコを吸いながら。
「千埜君、奇遇だねぇ。紅葉の映えるいい天気、だ」
私は彼に近づくと、

パシンッ!

その若干赤い頬を、叩いた。
そして―

「………………わ、たしの未来を、かって、に決め付けるな………………!!」

―万感の思いを込めて、言った。

彼が目を見開く。
「君。言葉が……」
息苦しい。
たんが喉に詰まる感覚。全身が総毛立つような寒気。
……鬱陶しい。……気持ち悪い。……イライラする。
そう言われてきた、声。
他人を呪う以上に、自分を呪った、忌まわしい声。
でも。

355:ふみお
08/02/14 20:10:24 zAXvEo8u
それを使わないと、彼には届かない。っていうか―

―届け!

「……助けてくれたのは、いつも、あなた……!」

ストーカーも、イジメも。
彼はまるでなんでもないことのように、綺麗サッパリ片付けてくれた。
お節介にも、鬱陶しいと思われても、命を張ってでも。
そして。

「……あの時、必要だって、私のことが必要だって言ってくれたのは、あなただけ……!」

冷たい風の吹き荒ぶ、あの季節、あの屋上で。
全てから見放され、全てから見下ろされ、全てから見下され。
そして、それ以上に。
全てを見放し、全てを見下ろし、全てを見下し。
達観し、絶望視していた。
あの、どうしようもない私を。
文字通り、繋ぎとめてくれたのは、引き寄せてくれたのは。

『あんたが今、ここで死んだら、僕が悲しむ!! 世界中の誰よりも悲しむ!! その自信がある!!
あんたは、あんたはこの世でまだ必要とされている!! 間違いない!!』

そう言ってくれたのは。
必要としてくれたのは。

「……あなただけ、あなただけなの……」

だからというわけではない。
でも。
ヘビースモーカーで、車も借り物で、飄々としていて、掴みどころのない笑顔で、貧相な体で、冴えない中年。

でも。それでも。

「……私は、あなたが、好き……!!」

それだけは、変わらない事実。
誰がなんと言おうとも。
どんな不幸が待っていようとも。

     ◇  ◇  ◇

僕は、半分以上あるタバコをもみ消した。
そして、大きく息をつく。

「君ってつくづく不器用な娘だよねぇ……」

目の前のこの娘は。
小柄で童顔で、生真面目で無口な、この娘は。
どうしてそう、真っ直ぐにしか進めないのか。

どうしてそう、僕の心を捉えて離さないのか。

「僕といると、不幸になるよ」

彼女は大きく首を振る。
『そんなことはない』と言いたいのだろうか。
でも。
見えているから。多分、ほとんど間違いのない未来が。

356:ふみお
08/02/14 20:11:34 zAXvEo8u
「僕は来年の春頃に、大きな交通事故に巻き込まれる」

彼女の瞳には大粒の涙。
綺麗だな、と場違いにも、そう思った。

「それが電車なのか、車なのか、それとも飛行機なのか。あるいは歩いているだけなのかもしれない。特定は出来てない」

淡々と喋る。
そんなことはどうでもいいことだから。
でも、目の前の彼女には、言っておかなければ。

「僕は、そのときに死ぬ」

数年前から見えていた未来。
回避不能だと確信している未来。
だから、出来る限りのことはしてきた。
人と関わらないように。
それが一番重要で、一番難しかった。
でも。

「………………」

彼女と出会ってしまったから。

……最初は責任感からだった。
命をむりやりこの世に引き止めてしまった咎。
僕には、彼女の重荷が、少しだけ、解っていたから。解っていた筈だから。
でも。
彼女は強かった。
へこたれなかった、曲げなかった、折れなかった。
いつもギリギリで、耐え忍んでいた。
一人きりで、弱音も吐かずに。涙をこらえて。
そんな姿は、間違いなく美しかった。
そんな姿に、僕は魅せられていた。
そして、それらが全て解決した後。

『さ、行こうか。千埜君。安全迅速がモットーの竹内タクシー。ご利用の際は安全のためシートベルトを必ず着用してください、ってね』
『………………』
『ん? どうかしたのかい?』
彼女は首を振った。
たぶん、あふれ出てくる涙を誤魔化すために。
そして、彼女の顔をうかがう僕を誤魔化すために浮かべた、笑顔。
切なげで、儚げで、それでも、弱みを見せようとしない彼女の、笑顔。

年甲斐もなく、ときめいてしまった。
三十路を超えた男が、その女性の笑顔に。

「君は、それでも、僕を、僕といる未来を選択してくれるのかい?」

本当は、こんな質問、するはずじゃなかった。
こんな未来。
本来なら唾棄すべき感情のはずなんだ。
彼女を確実に不幸に陥れる、最悪の質問。
できることなら、彼女には断って欲しい。
断るべきなんだ。
でも。

それでも、彼女が選んでくれるのなら。
僕を、僕といる未来を。

357:ふみお
08/02/14 20:12:19 zAXvEo8u
「…………当たり前…………」

泣きながら彼女が抱きついてくる。
僕は―

―いいのか?
今だって見える未来は、確実に灰色。
揺らぐことは多分ない。
彼女に、喪失を味わわせることになるんだぞ。
深く入り込めば入り込む分。
傷は広がり、深くなる。
ああ、それでも。

傲慢で強欲な僕は、彼女のことを欲しいと思った。

それ以上に―

「…………ありがとう」

―愛しい人が、僕の事を想ってくれる。選んでくれる。

こんなにうれしいことはない。

知らずこみ上げてくる雫を誤魔化すこともなく、僕は、目の前の美しい人に言った。

「キスの一つでも、しようか?」

目の前の人は、真っ赤になりつつ、しかし、ためらうことなく、僕の顔に唇を近づけ、そして―。

     ◇  ◇  ◇

コンコン。

高級感溢れる外観に似合わず、軽い音があたりに木霊する。
男はためらいもせず、その車の助手席に乗り込んだ。
「いやぁ、先輩をうまく誘導してくれて、有難うございました」
運転席でハンドルに突っ伏す、その女に声を掛ける。
「………………」
女は何の返事もしない。
そして、男もそんなことは気にしない。
「もしかして、泣いてるんですか?」
その言葉に反応して、その女は、涙でぐしゃぐしゃの顔を男に向ける。
しかし、男は頓着しない。
「未練たらたらですねぇ」

ギリッ。

女は、歯を噛み締める。
そして、大きく息を吸い込んだ。
「そうよ! 未練よ! 悪い!?」
「先輩のこと、やっぱり好きだったんですね」
「高校の頃からずっとよ!! 大学別になって、アイツが他の女に手を出しても、それでも諦め切れなかった!!
私も他の男で忘れようとした!! でも、全然ダメ!! あんな変な男の事、忘れられるわけないじゃない!!」
「だから、せめて友人でいようとした?」
「そのとおりよ! だって、アイツは誰とも距離を置いていた!! ここ最近は特に!!」
「それでも、諦められなかった?」
「いつか、いつか、私のことを見てくれる。そばに置いてくれるって、信じてた」
「それでも、先輩が選んだのは彼女だった」
「私は、あの子より、アイツの格好いい所、駄目なところ。全部知ってるっていうのに」
「正直、今日という日、今の今に至るまで。先輩があなたを選ばなかった理由がわからない。どうしてなんでしょうね?」

358:ふみお
08/02/14 20:13:15 zAXvEo8u
「…………。私には、アイツよりも“相応しい人間”が現れるそうよ……」
「へぇ、そうなんですか? だったら―

―立候補しようかな?」

「へ?」
「ここからちょっと行った所に、イイ飲み屋があるんですよ。当て馬同士、傷を舐めあいませんか?」
「………………」
「………………」
「………………………それもいいかもね……」
「じゃ、終業時間に迎えに、はダメか。タクシーで行きましょう」
「わかったわ」
「……それにしても」
「?」
「先輩には、今、どんな未来が見えているんでしょうね……」
「アナタもアイツの戯言を信じてるクチ?」
「まさか。だからこそ、こんなことを仕組んだわけです」
「なんだか、やり口がアイツに似てるわ」
「ま、色々仕込まれましたから。先輩には」
「そう。それはお気の毒に」
「ハハハ」
「………………」
「………………」
「そうね。でも、気にはなるわ」
「ですねぇ。本当のところ、あの二人を待っている未来は何色なんだろ―

     ◇  ◇  ◇

「……出張……?」
彼女の部屋。
小さなコタツを囲んでの鍋料理。
雑炊まで食べつくした僕らは、たらふく食べた満足感から、少し、ぼんやりとしていた。
でも、彼女には伝えておかなければならないことがある。
「うん。一週間後、○○○県に2〜3週間くらいかな」
「……なにしに?」
心配げな彼女の声。
ま、心配するなというほうが無理だろうけれど。
「まぁ、研修みたいなものかな。それに向うで立ち上げた、新しい仕事の打ち合わせもあるし」
「………………」
彼女は視線を落とす。
ダウナー系の思考を持つ彼女のことだ。
今、どんなことを考えているのか容易に想像が付く。
僕は立ち上がると、彼女の隣に座り、その細い肩を抱いた。
「大丈夫、大丈夫。乗り物には気をつけるからさ」
「………………」
「それに、まだ時間に猶予はあるよ。……多分」
「………………」
彼女は俯いたままだ。
安心させるために、硬くなっている腕を撫でる。
そのまま、少し無言。
無性にタバコを吸いたくなってくるが、この部屋での喫煙は禁止されている。
「(まぁ、匂いが付くからねぇ)」
しょうがないといえば、しょうがないのだが。
「(もう一回ぐらい、交渉してみようか?)」
多分、否、まず間違いなく否決されるだろうけれど。
そう思いながら、口を開く。
すると。

「……わたしもいく……」

359:ふみお
08/02/14 20:14:12 zAXvEo8u
彼女が意外なことを言い出した。
「行く、って。○○○県にかい?」
頷く彼女。
おいおいおい。
僕は少し呆れてしまう。
「そんなことできるわけないじゃない。君にだって仕事があるだろう?」
「……有給、つかう……」
「そんなの直ぐに無くなっちゃうよ」
「……大丈夫……」
大丈夫なはずないだろう。
僕は彼女の頭を軽く叩いた。
「……いたい……」
「君が聞き分けのないことを言い出すからだよ」
「……でも」
彼女は心配性すぎる。過敏なのだ。
ふぅ。
僕は小さくため息をついた。

こんなことでもダメなのか?
だったら―

―本当のことなんて、なおさら言えないじゃないか。

僕は安心させるために彼女の頭を撫でた。
「大丈夫、大丈夫。たった2〜3週間さ」
「………………」
されるがままの彼女。
それでも心配そうな上目遣いはやめない。
「クリスマスには、何とか間に合うでしょ。だから、勘弁してよ」
「………………」

結局、その日は最後まで納得してくれなかった。
まぁ、それでも、ついていくという発言は撤回させたが。

「(綾音君。ごめんね……。でも、大丈夫だから)」

一週間後、僕は約束どおり、ある場所へと向かった。

「先生。お願いします」

目の前の医者に頭を下げる。
そして、心の中で綾音君にも、頭を下げた。

     ◇  ◇  ◇

彼が出立した、その日。
私は見送りに行くと、何度も訴えたが、あえなく彼に却下された。
なぜなら、その日は平日。
私にも仕事があったからだ。
……そんなこと、気にしなくてもいいのに。
そうは言ったのだが、彼が頑なに拒否するので、諦めた。
……少し、腹が立つ。
「(恋人が見送るって言ってるのに、断るとは何事だ……)」
でも。
彼が安心していいって言ったから。
大丈夫だって、言ってくれたから。

信じるしか、ないじゃないか。

それでも、不安な一週間ちょっとが過ぎた。

360:ふみお
08/02/14 20:14:45 zAXvEo8u
彼とは毎日連絡を取り合っている。
でも、どうしてか通じないことが多い。
基本的に、彼のほうからしかかかって来なかった。
まぁ、お互いに仕事を抱えた身だ。
時間が制約されるのもやむないだろう。
そう思っていた。

でも。事情が変わった。
あの人に伝えなければならないことが出来た。
いまだに若干、震える体を押してまで確認した、事実。

「(そういえば……)」
キーボードに数字を打ち込みながら、気がついた。
「(悟さんの、向うでの連絡先、聞いてない)」
迂闊、といえばあまりにも迂闊だった。
そう言えば、彼は携帯があるからと、しきりに言っていた。
でも。
「(それじゃ、使用料が高くなる)」
お互いに。
そんな不経済なこと、許されないだろう。
別に倹約家ではないが、それでも。
「(お金のことを考えながら、電話したくないし)」
気がついてしまった以上、しょうがない。
もしかしたら工藤さんが知っているかもしれないし。
後で聞いてみることにして、とりあえず、仕事に意識を戻した。
……つもりだったのだが。
どうしても、顔が微笑んでしまうのは隠しようがなかった。
「(あの人は、なんて言うだろう)」

そして、迎えたお昼休み。

昼食に誘ってくれた小林さんと佐藤さんに断りを入れて、とりあえず、工藤さんに電話を掛ける。
………………。
つながらない。
そこまで考えて、思った。
「(そうだ。第一企画室の人なら確実に知っているだろう)」
それならば。
私はエレベーターを使い、彼の人の在籍する階にたどり着く。
第一企画室は、フロアの中心、エレベーターの真ん前に、存在感たっぷりに居座っていた。
知らないフロアの、知らない部署。
当然、すれ違う人たちも知らない人たちばかりで。
生来、人見知りな私は恐縮しつつ、誰か話しかけれそうな人を探す。
すると。

「あれあれあれ? あなたってぇ、ペテン室長の彼女さん、じゃないですか〜?」

一度も会ったことがない丸顔の女子社員が話しかけてきた。
……ペテン室長?
この部署で室長といえば悟さんのことだろうが……。
“ペテン”って。
言いえて妙だが、無礼ではないのだろうか。
軽く腹が立つ。
そんな私の内心を知りもしない彼女は、早口でまくし立ててきた。
「あ、やっぱり〜。っていうか、ちょ〜可愛いんだけど。つーか、マジ犯罪スレスレ? むしろ、スレスレ犯罪?」
褒められているのだろうか。
っていうか、この場合の“可愛い”って、子供に対して言うような“可愛い”なんじゃないか?
初対面のはずなのだが、ちょっと失礼だ。
それでも、向うから話しかけてくれたことはありがたい。
ので、多少、非礼な発言には目を瞑ろう。

361:ふみお
08/02/14 20:15:36 zAXvEo8u
早く、本題に―

「あの室長が年甲斐もなく、浮かれる理由がわかるね〜。年下だわ、清楚だわ、その上、こんな可愛いなんて!!」

―入れない。
目の前の彼女の、マシンガントークを、止めるすべを私は知らない。
呆然と彼女の発言を受け流す。
しばらくすると、彼女は途端に、しおらしくなった。

「―でもぉ、心配ですよね〜。室長、あんなことになっちゃって……」

あんなこと?
ようやく、発言する隙ができた。
「あんなことって……?」

もしかして。

いや、そんなことはないはずだ。
万が一なことがあれば、一番に連絡が来ることになっている。
それに昨日だって、ちゃんと携帯に電話をくれた。

目の前の彼女はさも意外そうな顔をしている。
私が知らないことが信じられないように。

「だって、一週間くらい前から、室長―」

     ◇  ◇  ◇

「(やれやれ)」
とうとう、屋上にも見張りが付いたようだ。
これでは、気持ちのいい一服が出来ないじゃないか。
しょうがないので。
僕は監視の目を誤魔化しつつ、一階に下りた。
そして、そのまま外で一服しようと考えたのだ。
「(高いところが一番気持ちいいんだけれど)」
ま、吸えないよりはましか。
僕は誰にも見咎められないように、外に出た。
「(さて、どこにいこうかな)」
あまり遠くにはいけないし、しょうがないのでこそこそと吸うか。
そんなことを考えたときだった。

「……なに、してるの……?」

ここでは聞こえるはずのない声がした。
聞いてはいけないはずの声が。

目の前に、彼女が、綾音君がいた。

……。
………………。
………………………。

国立総合病院の近くの喫茶店。
綾音君は女子社員の制服のまま。
僕は入院着のパジャマのまま。
「(異色のコンビ、誕生! といったところか……)」
当然、周囲の視線が、少しばかり気になる。
でも、目の前の彼女は珍しいことにそんなこと、気にもしないようで。
真剣に僕の目を見つめている。
否、睨んでいる。

362:ふみお
08/02/14 20:16:34 zAXvEo8u
この喫茶店に入る前から、沈黙を守り、睨み続けている。
まるで、あの頃のように。
あのときの、屋上のように。
僕はポケットからタバコを一本取り出した。
そして、火をつけて、一服。
すると、ウェイターが注文をとりに来た。
無言の彼女に代わり、紅茶を二人分。
注文を聞いたウェイターが去っていく。
僕はなんとなくその後姿を眺めつつ、また一服。
「どこから、話せばいいのかな……」

「……最初から、最後まで……」

そう言ってくると思ったよ。

………………………。
異変に気づいたのは、ほんの二週間ほど前。
夜、インスタントラーメンをかきこんでいる途中。

倒れた。

「目が覚めたら、もう、朝だったよ」
嫌な予感はした。
それでも、未だに借りている車で、彼女を送迎し、そのままの足で病院に向かった。
検査を受け、長い時間を待たされた。
その後、医者が言ってきた言葉。

「すぐさま入院しろ。そう言われたよ」

日本ではそれなりにありふれた病気。
それが、相当まずい具合に、体中に広がっているらしい。

「それでも、手術すれば助かる。医者はそうも言っていた」

僕は、引き止める医者を強引にねじ伏せ、病院を後にした。
一週間後に入院し、手術を受ける旨だけは伝えて。

「だから、君に嘘をついた」

助かるのならば、心配を掛けさせたくなかった。
ただでさえ、過敏になっている彼女に。
でも。

「一昨日、かな。手術をしたのは」

手術を担当した、医者は愕然としたそうだ。
切り取るはずだった部分を切り取ることなく、開けて、閉めただけ。

「“手遅れ”だったんだってさ」

今すぐ、とか、一週間とかいうレベルじゃなかった。
そんな段階は当の昔に超えていた。
病巣は、医者の検分よりはるかに深く、広く、僕の体を蝕んでいた。

「正直、年を越せるかどうかも、微妙らしいよ」

こんなはずじゃなかった。
コレは本音。
こんな未来は、完全に想定外。

363:ふみお
08/02/14 20:17:18 zAXvEo8u
「なまじ予定を立ててた分、動揺したよ」

あと4〜5ヶ月は持つはずだったのに。
僕の命。僕の人生。

でもまぁ、こんなところだろう。

正直な感想。
4〜5ヶ月が、1〜2ヶ月に変更になっただけ。
大したことではない。
でも。
目の前の彼女。
僕の説明を聞きながら、ただただ静かに涙を流すだけの彼女には。

「君には、今日にでも本当のことを話そうとは思っていたんだけれどね」

いつまでも隠し通せることではない。
だったら、出来るだけ長く。
出来るだけ一緒に居たかった。

「僕はもう、一生、病院からは出られない」

もう、体がいうことを利かないから。
自分でも、その事が、嫌というほどわかっているから。
未来予知するまでもなく。

「苦労を掛けるかもしれない。いや、掛けることになるだろう。それでも―」

パシンッ。

頬を張られた。
久しぶりの感覚。
しかし、今までよりも、随分と重い痛みだった。

     ◇  ◇  ◇

「……なんで、一番に言ってくれなかったの……!?」
その答えは、もう聞いている。
……助かるはずだったから。
それ以上に。
私を心配させたくなかったから。
苦しませたくなかったから。
でも。

「……あなたのことだったら、いくらでも心配したい……! 一緒に、苦しみたい……!!」

そんなのは優しさなんかじゃない。
傲慢な独断だ。

「……いのちに関わる、手術だったんでしょ……?!」

そんな重要なこと。
一人で背負って、一人で解決しようとして。
挙句、失敗して。

「……あなたのいのちが掛かった、話なのよ……!?」

それをさも笑い話のように、昔話のように、他人事のように、淡々と。
疑いたくなる。
彼の価値観を。彼の正気を。

364:ふみお
08/02/14 20:17:56 zAXvEo8u
彼にとって。

「……あなたにとって、私は、なに……!?」

あぁ、でも。
そんなこと、聞かなくても判る。
未来予知なんかなくても、判るに決まってる。

「僕にとって、君は命よりも大事な人、だよ」

言うと思った。
だから。

「……私だって、おなじ……!!」

でも、だからこそ許せない。
だって。だって、だって、だって。

「……自分のことを、もっと大切にして……! あなた、あなたは―」

そう言って、私は彼のタバコをもみ消した。
そして、空になった彼の手に、私の両手を重ねる。

彼が目を見開く。

「……見えた? 未来が……」

「君、もしかして、お腹に―」

こんな状況で言うとは思わなかった。
でも、コレぐらいしないと、彼は―。

「……二ヶ月、だって。赤ちゃん……。あなたの子……」

―自分の命を、率先して捨てようとするから。

そして、私の言葉を聞いた彼は―。

……。
………………。
………………………。

不思議と、彼が入院してから、私の『病院アレルギー』は起きなくなった。
それどころではなくなったと、体も判断してくれたらしい。

「―いやぁ、看護師さん。男だったら、こういう強い名前のほうがいいですかね?」
「竹内さん気が早い。まだ、性別もわかってないんですよね?」
「だってさぁ。ん? あぁ、もうこんな時間かぁ」
「あ、可愛い奥さんが来ましたよ」

看護師さんは私の顔を見るなり、さっさと病室から去っていった。
っていうか。

「……なに、してるの……?」

「何って、子供の名前考えてるに決まってるじゃない」
彼はさも当然のように言った。

365:ふみお
08/02/14 20:18:50 zAXvEo8u
今日は、クリスマスイヴ。
街中は何処もかしこも緑と赤で埋め尽くされる日。
もちろん、ここではそんなこと関係ないわけで。

「……きのう、決めたんじゃなかったの……?」
ベッドの脇の椅子に座りながら、呆れる。
「やっぱり、夜、違う名前がいいんじゃないかと思ってね」
ふぅ。
知らず、ため息がこぼれる。
そんな私の様子に気づくことなく、彼は言った。
「ねぇねぇ、やっぱり、これより昨日のほうがいいと思う? ……綾音?」
なんで、彼はこうも。

知らないうちに涙がこみ上げてくる。

あなた、あなたって人は―

「……今日のほうが、いい、と、おもう……」

―明日、生きてないかもしれないのに。

どうして、笑っていられるんだ。
どうして、私をこうも、元気付けてくれるんだ。

しゃくり上げながら泣く私を見て、彼は笑う。
「こんな泣き虫なママで、大丈夫かな?」
「……泣かせてるのは、あなた……」
彼はさらに笑った。
「ちがいない」
そう言いつつ、おなかを撫でる。
「うん。間違いなく、元気に生まれてくるよ」
「……あなたの未来予知は、あてにならない……」
あんなに自信満々に言っていた、自分の死期さえ、読み間違えたのだから。

「また、未来が見えたよ」

日課のような彼の言葉。
「……どんな……?」
日課のように答える私。

「君は綺麗に着飾っている。大きくなった子供を背負って。冬の駅の構内。そこで―」

彼が未来を語る。
どうにも信用性に掛ける未来を。

「………………」

たまに聞くのが辛いことがある。
なぜなら。

彼の語る未来に、彼が登場することが、無いから。

……。
………………。
………………………。

そして、2月14日がきた。

もうほとんど、起きることのなくなった彼。
私は、その傍に座り、文庫本を読んでいる。

366:ふみお
08/02/14 20:19:37 zAXvEo8u
本当は、彼から一時も目を離したくないのだが。

『これ、貸すから。読書感想文を後で書いて、読ませてよ』

彼がそう言って、押し付けてきたから。
たぶん、私が押しつぶされないように。
少しでも、気晴らしになるように。

でも。

彼が身じろぎを起こすたびに、意識が彼に向く。
集中なんて出来るはずがない。

「ん?」

彼の声がした。
すぐさま、彼に目をやる。

「だいぶ、寝たね……。きょう、は―」

「―2月14日、だよ……」
先回りして答える。
彼は反芻するように何度も頷いた。
そして、かすかに笑った。

「君と出会って、丁度、一年、か……」

「……うん……」
「いろんなことが、あった、ねぇ」
「……うん……」
今冬。
病院で、短い時間を二人であっという間に消化し。
秋。
私が選択し、彼が決断し。
夏。
あの海の日。彼のたくらみが脆くも崩れ去り。
春。
私の問題を彼が、命を賭けて解決してくれた。
そして、早春。
絶望した私と、そして彼が、出会った。


ベッドの上の彼は、私の目を見て、言う。
「今だから言うけど、実は僕は。あの日―

―死ぬつもりで、あの屋上に、行ったんだ」

衝撃の告白。
のつもりなのだろう。でも。

「……うん……」

私は、気づいていたから。
諸々の事情を聞いた、あの日に。
私が彼を選び、彼が私を選んでくれた、あの秋の日に。

……。
………………。
………………………。

367:ふみお
08/02/14 20:20:05 zAXvEo8u
曇り空が窓に映る社員食堂、隅の席。
私の目の前には空になった、A定食の容器。
目の前の工藤さんは、あくまで真摯に言った。
「ええ。その左遷です」
「………………」
「先輩は本当に有能な人間なんですけれどね。でも、完璧な人間ではない」
「……………?」
「あの人が有能であれば有能であるほど。やっかみは付いて回るわけで……」
「………………」
「それに、少し、大きな問題もありまして」
「……………?」
「先輩は、実は―自分が近い将来、死ぬと信じているようなんです」
僕の予想ですけれどね。
だから、と工藤さんは続ける。
「“僕といると不幸になる”とかいって、千埜さんを遠ざけようとしたんです」
遠ざけようとした?
そんなの身に覚えが無いが……。
「あの夏の日。先輩が唐突に『海に行こう』と言い出した日です」
ん?
それ、遠ざけることになるのか?
むしろ、彼が溺れることによって……。
……いや、いやいや。
私の中の彼に対する親近感も、親密度も上がってない! 上がってない!!
そんな、私の中の葛藤など知るはずも無い、工藤さんは構わず言う。

「あの時、溺れるのは千埜さん。あなただったらしいですよ?」

「……………!?」
「そして、それを僕が助けるはずだったんだそうです。そして、僕たちは親密になる筈だった、と言ってました」
まさか。
私と工藤さんが?
ちょっと、考えにくい。
「そんな信じ難いものを見る目をしないで下さいよ。僕だって、当て馬扱いされるのは嫌なんですから」
でも。
今にして思えば。
彼が、順子さんに対する態度。
まるで、見せ付けるようではなかったか?
『恋人同士』だと、思い込ませるように。
………………。
考え込みだした私を見て、工藤さんは言う。
「そして、関係ないかもしれませんが……。先輩が、左遷されるのは、2度目なんですよ……」
「……………?」
どういうことだ?

……。
………………。
………………………。

「僕は、そう、5年、位、前かな。都会で、大きなプロジェクトを。立ち上げて、いい気になって、いたんだ」
未来が見える自分には、大きな可能性があると信じていていたのか。
「で、大失敗」
起こりえるはずが無いほどの失敗だった。
そして、そこで。
「その当時、の部下を、部下といって、も、年上の人だったけれ、どね。……一人、殺しちゃったんだ、よねぇ」
自殺だったそうだ。
そのプロジェクトを推進するための、キーとなる人物だったらしい。
しかし、彼の人の家族にはそれは理解されなかったのだそうだ。
あげく、離婚。
彼は、別れた妻を見かえそうとしたのか。
必死で働いたそうだ。

368:ふみお
08/02/14 20:21:19 zAXvEo8u
そして、それは、大きく空回りし。
「自分の首を、絞めちゃったん、だろうね。頑張った分だけ」
そして、竹内悟は、プロジェクト失敗の責任を取る形で故郷の支社に飛ばされた。
「彼の分を、取り返そうと、したのかもしれない、ね」
支社で2年を掛けて、室長まで昇った。
そして、3年の歳月を費やす大きなプロジェクトに立ち上げから関係した。
でも。
「ここ、でも、大失敗」


――――
「千埜さん。今年2月に終わった、数年越しの大プロジェクト、覚えてますか?」
当然だ。あれが私と彼を出会わせたキッカケなのだから。
「この支社の命運を掛けたプロジェクトと言っても過言ではなかった」
頷く私。でも、あのプロジェクトは。
「でも、記録的なほどに大失敗してしまった。プロジェクト」
「………………」
「彼はその立ち上げから関係していた。というより、中心人物だった。といってもいい」
『プロジェクトの総元締め? ていうのが、この僕だったわけだねぇ』。
今では遠い昔、そんなことを聞いた気がする。
……もしかして。
「先輩はその責任を問われて、飛ばされそうなんです」
――――


そして、あのバレンタインデイに、完全にプロジェクトは終了した。
頓挫、という形で。
その時、彼は。
「思ったんだ、よね。“ああ、もう、疲れちゃったなぁ”って」


――――
「先輩は、あんなふうに飄々としているけれど、結構、キていたらしいです」

「前回、都会での失敗もありましたし」

「だから、先輩は。自分はいつ死んでもいい。価値のない人間。“必要のない人間”だと、思い込んでいるんじゃないでしょうか?」

「まぁ、勘なんですけれど……。あの海の日。自分の心臓が止まったと聞いたとき、先輩、表情一つ変えなかった」

「あの時、思ったんです。僕の勘は間違っていないんじゃないか、って」
――――


そして。
あの世にいる、元部下に詫びにでも行こうとしたのか。
あの時、あの屋上に行ったのは。
「大仕事が失敗した、その一服のつい、でに、飛び降りよう、としたんだ」
懐に、遺書を持って。
自然と恐くはなかったらしい。
むしろ、足は急くように。
そして、屋上に続く扉は、前もって調べていたとおり、鍵が壊れていた。
で、そこで彼が見たものは。

「まさか、僕と同じタイ、ミングで飛び降りようとした人が、いる、なんて夢にも、思わないよ」

『―なにやってんだ!! あんた!!』

彼は叫びながら、すでに走り出していた。
とてつもない速度で柵にむかい、必死になって私にしがみつく。

369:ふみお
08/02/14 20:22:23 zAXvEo8u
彼は夢中で、私の腰を捕まえると、強引に床のほうへと引き寄せる。
私は指を柵にからませ、それに抵抗する。
先程まで階段を上って体力の落ちていた彼は、しかし、それでも驚くほどの腕力で私を引き剥がそうとする。
抵抗する私と、しがみつく彼。
古ぼけたビルの屋上で、滑稽なほど彼は夢中になっていた。
『こんなところから飛び降りたら、死ぬぞ!!』
当たり前だ。
私はそれを望んでいた。だからこそ、こんなことをしていたのだ。
『あんたはどう思っているか知らないが、あんたが死んだらきっと悲しむ人も居る!!』
彼の説教じみた言葉に、私はむしろ、逆に激しく抵抗した。
彼の腹に後ろ蹴りを何度も食らわせる。


「―そうだ。そんなこと、を、言われたいんじゃ、ない。僕はそれを、知っていた」


『あんたはそんな人がいないと思っているかもしれない! でも、でも―』
私のことなんて知らないのに、どうしてそんなことが言えた? でも、頭が真っ白な彼は―

『あんたが今、ここで死んだら、僕が悲しむ!! 世界中の誰よりも悲しむ!! その自信がある!!
あんたは、あんたはこの世でまだ必要とされている!! 間違いない!!』


「―あと、から考えたら、いや、いつ考えたって、きっとその言葉は。

―自分が言って、ほしかった言葉なんだ」


……。
………………。
………………………。

「君は今でも、僕の、未来予知、を信じるかい?」
私は大きく頷く。
それを見た彼は力なく笑った。
「こう、して大きく予知を、誤った今、では信じられない、かも、しれないけれど」
彼は、苦しげに喋る。
こうしていていいのだろうか?
でも。この機を逃したら。
もう二度と。
そんな予感がした。
だから。
「中学生、くらいの、とき、かな。突然、未来が見える、ようになったんだ」
「……うん」
ただ、聞こう。
彼の話を。彼の独白を。
「今よりもっと、正確に、精密に。その、人が死ぬ、瞬間をね」
「………………」
「ノイローゼに、なった、よ。会う人、会う、人の、死に顔が見えるん、だから。そりゃ、食欲も、なくな、るよね」
どんな世界だったんだろう。
たぶん、想像すらできないほどの壮絶な光景だっただろう、と思う。
「だからか、な。君と会った、とき、君が欠食気味だって直ぐ、にわかった」
“同病相憐れむ”じゃないけれどね。
彼はまた笑う。
自嘲するように。
「命が、軽く、見えた。人の命も、自分の命も。等しく、無価値だって、思ってた」
「…………そう」

「でも、違ったね。なんて、命って、愛おしいもの、なん、だろう。なんて、価値ある、ものな、んだろう」

370:ふみお
08/02/14 20:23:43 zAXvEo8u
……。
………………。
………………………。

「……覚えてる? 今日はバレンタイン……」

―去年の、2月15日。
人で賑わう、社員食堂。
『そういえば、昨日はバレンタインだったよねぇ』
お粥を片付けてきた男は、開口一番に言った。
『………………』
だからなんだ。
鬱陶しい。
目の前の男を、睨みつける。
『見える、見えるよ。恥じらいながら、僕にチョコレートを渡す、君の姿が』
はぁ?
正気を疑う。
なんで、こんなヤツにチョコを渡さなければならないのだ。
というか、この男に渡すくらいならドブに捨てる。
『そんなに睨まないでよ。照れちゃうよ』
馬鹿馬鹿しい。
本当に、馬鹿馬鹿しい男だ。
なんで、こんなのに関わられなければならないのだ。
『いつでも、受け付けるからね。待ってるよ』―

一年も経ってしまったけれど。
「……うけとって、ください。本命チョコ……」
昨日、徹夜で作った、チョコレートを彼に渡す。

371:ふみお
08/02/14 20:24:44 zAXvEo8u
彼は、笑いながら言う。
「いやぁ。待ってた、かいが、あったね。“本命”だなん、てねぇ……」
そして、ラッピングを剥がそうとする。
でも、指に力が入らないのか、なかなか、包装紙が取れない。
私は、ゆっくりとその手伝いをした。
そして、とうとう。
「……食べやすいように、なまチョコ……」
「泣かせ、るねぇ……」
形はいびつだが、味は大丈夫。
味見はしっかりしている。
「あのさぁ、言いにくいん、だけれど……」
「……………?」
なんだ。
言いにくい事って?
まさか、生チョコが嫌いなのだろうか?
「喋り、疲れたから、食べさせて、よ」
ああ。なんだ。そんなことか。
私は、チョコの箱を受け取り、指で摘んで彼の口に押し込もうとする。
でも。
彼は唇と閉ざしたまま、首を振った。
「……………?」
何か言いたいことでもあるのだろうか?
「口で、食べさせて」
クチで?
どういう……。

!!!!

つ、つつつつ、つまり、く、くくく“口移し”、ということか……!?
いくらなんでも、病室でそんな破廉恥な……!!

「いい、じゃない。だれ、も、見て、ないよ」

それはそうだが。
………………。
しかたない。

私は口にチョコを含むと、真っ赤になっているであろう顔を、彼に近づけ―

ちゅ、れろっ。

―そのチョコを彼の唇に押し込んだ。

そして、しばらく、そのまま。

でも、あまりやりすぎると危険なので。
口を離した。
彼は、ゆっくりとチョコレートを咀嚼した。
そして、たっぷり五分間ほど置いて、言った。
「チョコって、こんなに、美味しい、食べ物だったん、だねぇ」
「……もっと、食べる……?」
もう、こんな食べさせ方は恥ずかしすぎるので却下だが。
彼は首を横に振る。
そして、私の目を見ていった。

「千埜君。君の作ったチョコ、美味しいじゃない。店に出せるね」

あの頃に帰ったように。あの時と同じ呼び方で。
「………………」
だから、私も、照れ隠しに、無言で睨んだ。

372:ふみお
08/02/14 20:25:37 zAXvEo8u
彼は笑った。
そして。

「―あぁ、もっと、生きていたいなぁ……!!」

彼は大きな涙を流した。

………………………。

そして、これが、私と彼の最後の会話になった。

     ◇  ◇  ◇

20××年、2月××日、09時××分。

容態が急変。

脳および心臓の活動、停止。

医師らの懸命の救命活動により、一時は蘇生。

しかし、意識を取り戻すことなく、再び、心停止。

そして、その後、脳死が確認された。

その場に駆けつけた近しい人たちに別れを告げれぬまま、

竹内悟は、その3×年の短い生涯を閉じた。

そして―。

     ◇  ◇  ◇

「なんで、止めるんだよぉ!」
「………………」
「手ぇ、離せよ! ×××!!」
「………………」
「もう嫌なんだよぉ……。苦しいんだよぉ……」
「………………」
「ひぐっ、うぅうぅ……」

……。
………………。
………………………。

「この書類に記入して、ポストに投函しといて」

彼がこの世を去ってから、三週間後。

彼のアパート。

遺品整理をしていた私に携帯で連絡が届いた。
相手は―

「よかった。一応、元気そうで」

―そう言って笑う、企業系弁護士の森下順子さん、と

「ね。心配しても杞憂だ、って言ったじゃないですか」

373:ふみお
08/02/14 20:26:35 zAXvEo8u
彼女と一緒に来た、彼の後輩の工藤俊さんだった。

………………………。

「おかまいなく」
と声を合わせて二人は言った。
でも、そういうわけにもいかない。
とりあえず、カップを取り出し、コーヒーを出す。
よかった。
食器類はまだ片付けてなくて。
コーヒーメーカーも作業の合間にでも飲もうと思って、作動させといてよかった。
そんなことに安堵する私を見て、二人は微笑む。
「もう大丈夫みたいね」
「……………?」
大丈夫、とは?
「あのときのあなた、尋常じゃなかったもの」
「………………」
彼が息を引き取ったとき。

覚悟はしていたとはいえ、やはり―。

少し、俯いた私を励ますように、工藤さんは言った。
「いやぁ、今日、元気があってよかったですよ」
ん?
そんなに強調されるほど元気ではないが。
というか、何か言いたいことでもあるのだろうか?
不思議に思う私を見て、二人とも吹き出す。
「いや、あのですね―」
「―今日、あなたの眼が死んでたら、ビンタ一発食らわせるつもりだったのよ」
「………………」
絶句。
「彼に選ばれ、それ以上にあなたが彼を選んだくせに、なに悄気てんのよ、バシーン! 、ってね」
そして、彼女はまるで眩しいものを見るように私を見つめる。
「でも、必要なかった。……あなたは、強いわね」
「…………そんな、こと」
無い。
今だって、遺品をダンボールにしまいながら、何度も手が止まった。

―アレは彼が、あの日に締めていたネクタイ。

―アレは彼が、面白いと言ってしきりに押し付けてきた本。

アレは、アレは―。

そして、それ以上に。
染み付いたタバコの匂い。
部屋に、服に、物に。
彼の香りが、した。
彼がそこにいるんじゃないか、と錯覚させるほど。

思い出に押しつぶされそうだった。
今だって、涙で頬が濡れていることはバレバレだろう。

だから、正直。
「つーか、出してもらってなんだけど、この豆、安物ね。アイツ、こういうところはケチだったものねぇ」
「タバコだけが、唯一の趣味みたいな人でしたからね」
二人が来て、空気が変わって。

助かった、と思った。

374:ふみお
08/02/14 20:27:37 zAXvEo8u
二人を見つめる私の視線に気づいた順子さんが、軽く髪を掻く。
「あぁ、ゴメンゴメン。別にアイツの悪口言ってるわけじゃ、ないのよ」
「………………」
判っている。
二人はやっぱり、友達だったのだろう。
私の知らない昔から、今まで。
それが少し、うらやましかったりもする。
そんな私の内心など知りもしないだろう、順子さんは、持ってきていた大き目のカバンに手を入れた。
そして、彼女が取り出したのは数枚の書類。
「……………?」
順子さんは、真面目な顔で言った。
「これ、アイツの入ってた生命保険の保険金請求申請書。申請すれば結構な金額が手に入るはずよ」
生命保険。
確かに彼は数社と契約していたようだが。
「アイツが生前、私に言ってきたのよ。『彼女は、出て行くお金には執着するくせに、入って来るお金には頓着しない』
とかなんとかいって、私にアナタのそういう方面での世話をしてくれ、って」
「………………」
たしかに、考えもしなかった。
ふん、と順子さんは鼻を鳴らす。
「アイツ、私に頼めること、頼むだけ頼んで、ツケを返してくれないんだものね。本当、ヤなヤツ」
でも、そんなことを言いながら、順子さんの目が潤んできている。
何かを思い出しているのだろうか?
私が彼女を見ていることに気づくと、順子さんは目元を拭い、言った。
「竹内夫人。あなたには保険金を請求する権利がある。ぜひ請求なさい。それに―」
彼女は私のおなかに目をやり、微笑む。
「―子供を育てるのに、いくらお金があっても困らない、と言うしね」


「“未来予知”なんて戯言、絶対に信じないけど」
「………………」
「もし、本当だったら。アイツがこの結末を予想していたのだったら」
「………………」
「だったら―」
「………………」
彼女は力を溜めて言った。
「―ずぃぶんと、がめつい、わよねぇ……」
「………………」
私も、頷くことで同意した。

もし、申請したとおりの保険金が手に入れば。
医者1人を余裕で育ててなお、楽な余生を過ごせるお金になる、と順子さんは言った。

彼女に質問しながら、書類を製作していく。
空の色が青から、赤になる前にそれは終了した。
そして、帰り際。

「もし、保険会社がごねてきたら、直ぐに連絡して。このトップクラスの企業系弁護士が、どんなコネと手を使ってでも、解決するわ」

でも、彼女の出番は結局無かった。

……。
………………。
………………………。

時が過ぎた。

私は元気な赤ちゃんを無事出産し、彼が生前、決めた名前をつけた。
私は仕事を辞め、両親が残してくれた田舎の家に帰った。
あの地方都市にいれば、親しい人がたくさんいる。
でも、あの街には思い出が多すぎた。

375:ふみお
08/02/14 20:28:15 zAXvEo8u
彼の事を昔話にしたくなかったのかもしれない。

私の単なるワガママ。
順子さんや工藤さん、小林さんに佐藤さん。
みんな、最初は反対してたけれど。
最後には納得してくれた。

私は田舎の家で、出来るだけ、子供と一緒の時間を過ごした。

時に叱り、時に甘やかし。

時は瞬く間に過ぎていった。

そして、彼が旅立ってから―


―6年の歳月が経った。


その日、私と子供は、久しぶりにその町を訪れた。
理由は結婚式があったから。
順子さんと、工藤さんの結婚式。
順子さんが仕事上で独立するまで、二人は待ったのだと言う。
工藤さん(夫)は、彼女の秘書として、彼女を支えるのだそうだ。

「もし僕とあなたが、あの海の日にうまくいっていたら」
「………………」
「その未来の、順子のとなりには、誰がいたんでしょうね?」
「………………」
「もしかしたら、僕より相応しい人が隣にいたのかもしれない」
「………………」
「ま、順子にそう思われないように、これからも、日々精進、って感じでしょうか?」

そして、私は引き止める知人たちを後にして、会場を去った。

今日は、一応、大事な日なのだ。

彼の予知が正しければ。

冬の駅構内。
私はそれなりに着飾っている。
背中には、大きくなった子供。
ぐっすり寝ている。

私の住む田舎へと行く列車がゆっくりと駅に進入してきた。

ふらっ。

それに飛び込もうとする、人影が一つ。

でも。
知ってたから。

私はそれを、片手で引き止めた。

もともと、そんなに力を入れていなかったのか、簡単に引き止めることに成功。
そして、その人は言った。

「なんで、止めるんだよぉ!」
「………………」


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