無口な女の子とやっちゃうエロSS 四言目 at EROPARO
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300:ふみお
08/02/12 18:19:39 ICpziEkg
その時、私はどんな顔をしていただろうか。
いつの間にか立ち上がっていた男が、私から茶碗を取り上げる。
「無理をしてまで、食べなくてもいいんだよ」
「………………」
……別に無理なんかしていない。
ただ、調子に乗ってしまっただけだ。
知らないうちに呼吸が乱れている。
「これは片付けておくから、そのまま休んでなさい」
そのまま、カウンターのほうに歩いていく男。
憎らしいと思う余裕もなく、ただそれをぼんやりと眺めていた。

……。
………………。
………………………。

「じゃあ、夕方に迎えに来るから。……先に帰っちゃダメだよ」
結局、男の軽口を聞きながら、昼休みは終わってしまった。
今は私の職場の出入り口。
そこを通る人たちの好奇の視線が痛い。
とりあえず、目の前の人物を睨んでおく。
「君みたいな美人に睨まれるのも結構、悪くないものだねぇ。こんなこと考えてしまう僕って、イケナイ子?」
くそぅ。
最初からあまり効果はないとは思っていたが、私の睨む攻撃は、本当に無効化されてしまったようだ。
それでも、それを止めるつもりはないのだが。
「じゃあ、またね」
昨日と同じ、ひねりのない言葉を置いて、男は去っていった。
本気で、先に帰りたいが、あの男の事だ。
どうせ、就業時間前にはここに来ているのだろう。
そんな確信がある。
とはいえ、体調が悪いわけでもないので、早退するのも気が引ける。
「(くそ。あの男の思惑のままか)」
心底、悔しいが、しょうがない。
「(……仕事しよ)」
諦めて、私はデスクに向かった。
その途中、私の上司が、
「あの人、昨日も何か言ってきたけれど、君のコレ?」
親指を立てて訊いてきた。
腹が立ったので、頭だけ下げて無視した。

     ◇  ◇  ◇

会社の前の道路。
僕はそこに車を止め、車体に寄りかかりながらタバコを吸っている。
終業時間の二十分前。
ぼんやりと出入り口を眺めていると―
「あれ、先輩? 何してるんですか?」
―出てきた知り合いが声を掛けてきた。
「あぁ、お疲れ様、工藤君。もう今日は終わりかい?」
「いえ、これから少しだけ外出です。まぁ、そのまま直帰なんですけれど」
「ふぅん」
知り合い―工藤君は僕に近寄り、珍しそうに車と僕を見比べている。
「凄い車に乗ってるんですね。車だけが人生、ってやつですか?」
よくわからない事を言われる。
彼には似つかわしくないジョークというものらしい。
ていうか。
「この車。そんなに凄い車なんだ」
借りるのにそれなりに苦労したが、僕から見て『カッコイイ車』という感想しか抱けない。
工藤君は、苦笑する。
「凄い車も何も。BMWのロードスターじゃないですか」
「……有名?」

301:ふみお
08/02/12 18:20:33 ICpziEkg
「まぁ、それなりに。値段もBMWにしてはそれなりなんじゃないですか? 僕も詳しくはないですけれど」
「車種を言い当てただけでも、十分、詳しいと思うけどね」
僕はBMWだということにも気づかなかったし。
「じゃあ、これ、先輩のじゃないんですね? 道理で」
「道理で?」
「似合わないと思いました」
相変わらずな正直さに、僕は吹き出す。
「ハッハッ。ま、そうだろうね」
「じゃあ、誰のなんです?」
当然の疑問だろう。僕は何のてらいもなく答える。
「今をときめく企業弁護士さ。ちょっとした腐れ縁でね」
「はぁ……。先輩と腐れ縁だなんて、御同情申し上げます、って感じですね」
「そうだねぇ。ハッハッハッ」
笑う僕。
そんな僕を呆れるように見つめる工藤君。
「BMW借りてまで、一体全体、今度は何をやらかそうって言うんですか?」
僕は、出入り口に目をやる。
ちょうど、目当ての人物が出入り口から出てきた。
「人助け……いや、罪滅ぼし、かな?」
「先輩らしいというか、らしくないというか」
「ん、まぁ、そんなとこ。じゃあ、またね」
唐突に会話を区切る。
そんな僕には慣れているのか、工藤君は笑って言った。
「はい。お疲れ様です」
そして、僕たちは分かれる。
一人はタクシー乗り場を目指して。
もう一人は―僕は、彼女を目指して。

そして、僕は彼女の前に立ちはだかった。

「君のことだから、たぶん就業時間前に出てくると思ったよ。迎えに行くといった僕を待たずにね」
「………………」
相変わらず、睨みつけてくる視線は怖くもなんとも無い。
「とはいえ、生真面目そうな君のことだから、いつまでも僕を待っている、なんていう選択肢も考えたりはしたけれど」
「………………」
「さ、路駐とられないうちに、行こうか」
彼女の背後に回り、嫌がる彼女の肩を押し、半ば強引に車に乗せた。
「本日は竹内タクシーをご利用頂き誠に有難うございます。安全のため、シートベルトを必ずご着用ください、ってね」
「………………」
「さてさて、安全迅速がモットーの竹内タクシー、イッキマース」
「………………」
「あ、さっきの“イッキマース”ってアムロ・レイを意識したんだけれど、どうかな?」
「?」
「知らないんならいいや。じゃあ、出発進行〜」
「………………」

     ◇  ◇  ◇

それから数日が経過した。

毎朝、迎えに来る男と、どうにか、それを躱そうとする私。
―試しに、定刻一時間前に玄関を覗いてみた。
……すでに、玄関の前で待っていた。
―朝の5時に起きたとき、試しに覗いてみた。
……さすがにいなかったが、こんな時間に出社しても、会社は開いていないだろう。
あの男は、会社が開く一時間前には、もう私のことを待っているようだ。
「(警察に通報して、しょっ引いてもらおうか)」
なんて考えたけれど、でも、一応、悔しいことに彼は命の恩人だ。
命の恩人にそんなことをしたら、天国の両親に顔向けできない気がする。
自分の融通の利かなさにはうんざりするが、それでも。

302:ふみお
08/02/12 18:21:29 ICpziEkg
……っていうか。この男がストーカーなんじゃないか?

確かに疑わしいが、でも。
そんなそぶりは全く見せないし、私を気遣ってくれるし。
でも、それも演技かもしれないし。
そもそも、あの男の考えていることがわからない。
だからといって、ストーカーだと決め付けるのも……。
「(まぁ、でも一週間だ)」
あの男が決めたリミット。
それが過ぎても、まだまとわりついてくるのなら。
その時は―。

でも、あの男の行動が始まって悪いことだけではなかった。

なんというか。
会社での露骨なイジメが目に見えて減ってきたのだ。

最初は、気のせいかと思った。
でも、パソコンを弄られることもなくなったし、聞こえる陰口も無くなった。
昼食やら飲み会やらの誘いが無いのは相変わらずだったけれど。
男との因果関係が全く見えないから不気味ではあった。
安心は出来ない。
でも。

「(肩の荷が、少しだけ下りたかな……?)」

最近は食欲も少しずつ回復してきたし、睡眠もじっくり取れるようになってきた。
訳はわからないが、ストレス源が減ったのは確か。

もちろん、全部解決したわけではない。むしろ、酷くなったこともある。

『あの男と、別れろ』

あの男に送られて、帰った先。
そう書かれた紙が玄関の扉に張られていた。
生臭いにおいがする。
赤いこの文字は多分、何かの血で書かれているのだろう。
見知らぬ人間の妄執に鳥肌が立った。
怖い。気持ち悪い。怖気が走る。
私はそれを震える手で、思いっきり剥がした。
紙を裂く音が耳に遠い。
吐き気を懸命にこらえながら、震え、定まらない手で鍵を開ける。
薄暗く冷たい部屋が私を出迎える。

そうだ。
まだ、私にはコレがあったのだ。

……ストーカー。

この紙は多分、それが張っていったのだろう。
寒い。
圧倒的な悪意に、体が凍える。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
昼に食べた、お粥が逆流しそうになるのを懸命にこらえる。
……でも、あれは。
あのお粥は。

303:ふみお
08/02/12 18:22:14 ICpziEkg
―『あんたかい? 竹内さんの恋人って』
心外だ。首を振る。
『まぁ、なんでもいいけどさ。感謝しなよ、竹内さんに』
なんで、あんな男なんかに。
『あんないい人、他にはそうそういないよ』
根拠は何だ。
『なにせ―』

あの男が、必死に厨房に頼み込み、特別に作ってもらっていた事を知ってしまったから。

だから、私は必死でこらえた。
胃液が逆流し、口が膨らむ。それをどうにか、飲み下す。
台所に駆け込み、蛇口から直接水を含み、口を漱ぐ。
つかの間の清涼感。
まだ、口の中は気持ち悪いが、少し落ち着いた。
でも、もう今日は何も食べる気がしない。
汚らしい紙を摘んでゴミ箱に捨てる。
「(……シャワーだ。シャワーを浴びよう)」
そうすれば、少しは気分転換になるかもしれない。
体を引きずるようにしながら服を脱ぎ、縋るように浴室に入る。
温水で体を暖めると、少しずつ、気分が落ち着いてくる。
「(あんなことを書いてくる、ってことは。あの男はストーカーじゃ、ないのかも)」
でなければ、本当に意味不明だ。
でも、それでも、あの男がストーカーだったら。
頭が混乱している。
無理やりにでも、あの男を信じる。
信じる分だけ、そうだったら、ということが怖い。
あの情けない顔。くたびれたスーツ。飄々とした態度。
全部演技だったら。
恐い。本当に恐い。
「………………」
助けを呼びたかった。
『お母さん、お父さん。助けて』
一言だけでもいいから、声を発したかった。
でも、憎たらしいことに、私の口からは空気が漏れるだけ。
そして、母も父も、もうこの世にはいない。

助けてくれる人なんて、誰もいないのか。

いや、一人だけいる。

命を助けてくれた、あの男が。
でも。
どうしても、あの男を信じきることが、私には、出来なかった。

     ◇  ◇  ◇

いつものように、玄関先で彼女を待つ。
そろそろ、出社時間だ。
僕がタバコを吸い終わるのを見計らったように、玄関の扉が開いた。
「ああ、おは―」
言い終わらないうちに、指の間に挟みこんだタバコが落ちる。
「………………」
いつものスーツ姿の彼女。しかし。
「―どうしたんだい。一体……」

昨日からは考えられないほど、頬が削げ、目に隈がある、やつれた姿。

「………………」

304:ふみお
08/02/12 18:23:03 ICpziEkg
僕を睨む目も、ずいぶんと弱弱しい。

というか、怯えてる?

よく見ると、体も小刻みに震えている。
それでも、彼女は歩いてきた。
出社しようというのか。
「待ちなさい。そんな状態で仕事なんて―」
彼女を止めようと手を伸ばす。が。

バシッ。

力なく動いた彼女の手で払われた。
それは、今までに無いほど、強力な拒絶。
断絶、といってもいい。

―でも、原因がわかった。

「君、今すぐに家の電話線をつなぐんだ」

彼女は、怯えたように僕を見つめる。
困惑極まる、といった顔。それもそうだろう。
「ちょっと、お邪魔するよ」
彼女を押しのけ、玄関から中へ強引に入り込む。
唖然とした彼女は、僕を止める行為さえできない。
僕は玄関で靴を脱ぎ、電話を求めて部屋を見渡す。
彼女らしい、きちんと整理整頓の行き届いた部屋の中。
……あった。
モジュラージャックから引き抜かれた電話線が。そして、空のモジュラージャックが。
我に返った彼女が僕に追いつき、部屋の中の僕を押しのけようと、肩に手を置く。
でも、怯えた彼女の膂力では、僕を動かすことなど出来るはずも無い。
ためらいもなく、僕は電話線をつないだ。
途端。

プルルルル、プルルルル。

電話機が受信を知らせる。
僕は振り向き、真剣な表情で彼女に言った。
「電話に出るんだ」
「…………!?」
「いいから。これで、多分、とりあえず疑念は晴れると思う」

     ◇  ◇  ◇

あまりといえば、あんまりな男の行動。
今に始まったことではないが、意味不明な行動だ。
「勇気を出して」
あの時と同じ、真剣な表情。
私は気圧されるように、受話器を手に取った。

『はぁ……、はぁ……』

受話器から聞こえてくるのは、嫌というほど聞きなれた、例のストーカーの息遣い。
男を見てみる。
男は“何も持ってない”ことを指し示すように、からの両手を掲げた。

この男じゃなかったのか……?

いや待て。
安心するのはまだ早い。

305:ふみお
08/02/12 18:24:10 ICpziEkg
録音された音を、何らかの機械を使って予約して流しているだけかもしれない。
試しに受話器をコンコン、と叩いてみる。

『ぼ、ぼくに何か言いたいことでもあるのかい……? あ、あぁ、もしかして、あ、愛の告白かい……?』

流れてくるのは、本当に気持ち悪い声だったけれど。
私は勢い良く受話器を叩きつける。
そして、男を見る。
男はいつものように、とらえどころの無い笑顔で頷いている。
そして、またいつものように飄々と言った。
「ね、僕じゃなかった」
「………………」
全身の力が抜け、私は床にへたり込んだ。
「そして、代役などでもない。そのことは、あの息遣いに散々付き合ってきた、君になら判るでしょ」
男が喋りながら、再び鳴り出した電話を遮るように電話線を抜く。

……そうだ。その通りだ。
間違いなかった。

今まで信じても、そして、今から信じてもいいんだ。
この冴えない中年男を。
そう思うと、情けないことに涙が滲んできた。
しかし。
男に見栄を張ることを諦め切れない私は、強引に涙を拭うと、男を睨んだ。
男は、何故だか吹き出す。
「いやぁ、やっぱ、それくらい力のある睨みじゃないと、物足りなくなっちゃったからねぇ。元気があるのはいいことだよ」
男の笑顔を見ながら、ふと気づいた。

……どうして、ストーカーの事知ってたんだろう。
……なんで、今、ストーカーが電話をかけてきていることを知ったんだろう。

「そのことについては、今はまだ言えない。多分信じないだろうからね。ヒントは“プリコグ”。まんまなんだけれどね」

………………………。
意味がわからない。

     ◇  ◇  ◇

約束の一週間が来た。
今日がそのリミット。
僕は事前に、彼女に『今日はバスで行こう』と断っておいた。
でなければ、意味が無いから。
終業時刻10分前。
いつものように、彼女の部署の出入り口で彼女を待つ。
電話の一件以来、少しずつ信頼してくれてきているのか、時間をずらして帰宅するようなことは無くなった。
僕はそのことが単純に嬉しい。
嬉しいが、中で待つ分、タバコを吸えないのが少し心苦しい。
「(いや、少しじゃない、“相当”だ、ねぇ……)」
ニコチン中毒、というわけではないが、なんとなく口が寂しい。
手持ち無沙汰な分、よけいにタバコが恋しいだけなのかもしれないが。
彼女を待つ間はいつも、そんなことを考えている。
そして、そんなことを考えている間に時間は経過し、就業時間になる。
ガヤガヤ、と中から『待ってました』といわんばかりに人が押し寄せてくる。
僕は邪魔にならないように、隅に避け、人ごみをやり過ごす。
そして、いい加減、人の波にうんざりしてきた頃に、
「………………」
彼女が目の前にやってくる。
いつものように僕を睨みながら。
でも、最近はその眼差しが、少し和らいだ気がする。
和らいだ分、加味されたのは、信頼ではない。

306:ふみお
08/02/12 18:25:02 ICpziEkg
むしろ、疑惑の念。

「(『こいつ、何者なんだろう』とか、思われているんだろうなぁ)」
まぁ、人からそんな目で見られるのは慣れている。
ので、僕はいつものように、笑顔で彼女を出迎えた。
「お疲れ様」
「………………」
微かにだが、彼女が頷く。
一週間たって、ようやくコレだけのコミュニケーションが成り立つようになった。
「(屋上の当時から考えると、えらい進歩だ)」
と、自分に勲章を与えたくなる。
それほどに嬉しかった。

でも、今日は。浮かれてばかりもいられない。

「今日が本番だからね。絶対に、しくじらないようにしないと……」
知れず声が出てしまう。
彼女の訝しげな表情を見て、それに気づく。
「……………?」
「いや、なんでもないんだ。ただの独り言」
取り繕うように言い募り、ゆっくりとしたペースで歩き出す。
彼女もそれについてくる。
「あ、そうだ。今日は、バスだからあんまりゆっくりじゃいけないね。少し、急ごうか」
「………………」
彼女が頷くのを見て、僕らは少しだけ歩くペースを上げた。

そして、僕らの乗ったバスは、彼女の家から最寄のバス停に着く。
彼女の家は、ここから歩いて十分のところにある。
「(こうして考えると、結構交通に不便な立地だよねぇ)」
まぁ、ここら辺はギリギリ都会という地方都市で、移動手段はもっぱら車という立地だからしょうがない、といえばしょうがない。
「(ま、今回のことを考えると、それが良かったんだけれど)」
でも、まだ終わってない。
というか、本日のメインはこれからなのだ。
……メイン、ねぇ。
気は進まないが、しょうがない。
最悪、自分はどうなってもいいが彼女だけは。
「守らなくちゃね」
彼女に聞こえないように、小声で呟いた。

     ◇  ◇  ◇

バスから降りた私と男は、バス停に佇んでいる。
というか、この男、が動かないのだ。
「―ええ、そうなんですよ。三十分くらい前から、なんですよ―」
などと、何処かに携帯で電話を掛けている。
いい加減置いていこうかとも考える。
別に、男の送迎など、私には必要ないのだから。
でも。
「(今日が、約束の一週間)」
そう。この事が私の足をもバス停に留まらせている。
ここで降りたほかの乗客たちは、とっくの昔に各々の帰路についている。
「―ですから、出来るだけ早く、お願いします」
そう言って、男はようやく携帯電話を切った。
私はこれ見よがしに、イラついたため息をつく。
男は少し笑いながら、
「いやぁ、ゴメンゴメン。どうしても、必要な電話だからさぁ。勘弁してね」
私にぺこぺこと頭を下げた。
謝られているのだが、この態度だと、全然、誠意を感じられない。
……まぁ、いい。
私は、家に向かって歩き出す。

307:ふみお
08/02/12 18:25:45 ICpziEkg
「あ、ちょっと待ってよ。もうちょっとゆっくり行こうよ、ね?」
「………………」
確かに、あまり早く歩いてもしょうがない。それに―

―最後、なのだから。

そう考えると、チクリ、と胸が痛くなった。
でも、そんなのは気のせいだ、と思う。
そうだ。
明日からは、またいつもどおり、一人で会社に行き、帰るだけだ。
それだけだ。
男の意味不明な、意図不明な行動もこれまでだ。
「(また、一人、か…)」
馬鹿馬鹿しい。
いつもどおりだ。これでいいんだ。
いいに決まってる。
「(……この男は、どう思っているんだろう……)」
隣を歩く男の顔を、チラリ、と見てみる。
相変わらず、情けない顔。飄々とした表情。
でも。
「……………?」
なんだか、少し、強張っている?
気のせいだろうか。
何かに緊張しているような、張り詰めた糸のような、緊迫感がそこはかとなく感じられる。
いつもだったら、私の視線にも直ぐ気づくのに、
「………………」
前を向いたまま、私のマネをしているかのように、無言だ。
「(もしかして、この男も“寂しい”とか感じたりしているんだろうか……?)」
そう考えて、直ぐに否定する。
「(この男“も”ってなんなんだ。私は寂しいなんて思っていない!!)」
心の中で、必死にかぶりを振る。

―そのときだった。

隣を歩いていた男が、私の前に、まるで私を守るように躍り出た。
唐突で意図不明な行動。男は立ち止まり、言う。

「本日のゲスト“ストーカー真犯人”のご登場だ」

私は意味もわからず、前を見る。
それなりに明るく、しかし、全く人気の無い住宅街に、覆面姿のそいつは―

「はぁ……、はぁ……」

―悪夢に出るほどに耳にこびりついている、例の息遣いで、佇んでいた。

     ◇  ◇  ◇

「(さて、ここまでは思ったとおり、かな)」
それでも、背中を伝う冷や汗は隠せない。
なぜなら。
「はぁ……、はぁ……」
生理的嫌悪感を誘発させる息遣いの男は、

ギラリ

と夕日に反射する出刃包丁を構えていたからだ。

「(ま、これも“思ったとおり”なんだけれどね)」

308:ふみお
08/02/12 18:26:38 ICpziEkg
予想通りの時刻。予想通りの登場人物。予想通りの小道具。
予想通りのシチュエーション。と言いたいところだが。
「(最高、の二歩手前、といったところか)」
でも。

「(到着が遅いなぁ)」

期待通りの展開にはならなかった、ということ。
しょうがない。

「いかしたスタイルだねぇ。スーツに覆面だなんて。今、巷で流行っているのかい?」
軽口を叩き、時間を稼いでみる。

「う、うるさい! 全部、お前が悪いんだ。僕と彼女は愛し合っているのに」

しまった。そのつもりは無かったけれど、怒らせてしまったようだ。

「(……マズイなぁ)」
そう思いつつ、軽口は止まらない。
「だ、そうだけれど。僕というものがありながら、彼と愛し合っていたのかい? 千埜君?」
冗談めかして言いながら、顔だけ振り向き、彼女を見る。
顔面を青白く染め、小刻みに震えながら、彼女は思いっきり首を振った。
「……………!」
何かを言いたいのだろうけれど、やっぱり、声は出ないようだ。
「違う、って言ってるみたいだけれどね。というわけで、君の勘違いじゃない?」

「(……まだか。早く、早く……!)」

「僕は彼女が入社したときから、一目見て判ったんだ。前世で愛を誓い合った恋人だと!」
「前世、なんて言い出したら人間の終わりだと思うけどね……」
つい反射的に言ってしまう。
「(マズかったかな?)」
男は、遠目から見てもそれと判るようにブルブルと震えている。

「&#??;$※♂!!!!!!!!!!!!!!!」

意味不明な言葉を叫びながら男が走りよってきた。
反射的に、彼女の前に仁王立ちになる。
鋭い出刃包丁の刃先が―

     ◇  ◇  ◇

―刺さった。
多分、間違いなく。
あの男は、出刃包丁を持ったままの覆面の男の手を、両手で掴んだ。
そのまま、もみあう二人。
私はショックと恐怖で、頭が真っ白になる。

―た、助けを呼ばないと。

「!!!!!!!」

くそっ! 出ろ! 声、声!!

ダメだ。それでも、声は出てくれない。
早くしないと、あの人が、あの人が。

「逃げるんだ!! 千埜君!!」

あの人の怒声が響く。

309:ふみお
08/02/12 18:27:49 ICpziEkg
でも、ダメだ―。

足がすくんで全く、動こうとしない。

恐い。怖い。恐い。怖い。恐い。怖い。恐い。怖い。恐い。怖い。恐い。怖い。

こわい!!

その時―

「―そこで何をしているんだっ!!」

―野太い良く通る男の声。
それが耳に届いたと思ったら、もう目の前には、いた。

制服姿の、警察官が。

警官は覆面の男をあっという間に、地面に押さえつける。
あまりに瞬間的な出来事だったので、私は呆然とするしかない。

「やれやれ。もう、大丈夫、みたいだね」
そう言いながら、あの人が振り向く。

腹に包丁を刺したまま、目の前の人は笑った。

「(大丈夫じゃないだろう)」
貧血になったように頭がくらくらする。
っていうか、痛くないのか?

目の前の男は、平気そうな顔で包丁を両手で持つ。
「おい! 下手に抜こうとするんじゃない。傷が―」
言い募る警察官の言葉を無視して、男は包丁をひょいと抜いた。
「ああ。平気ですよ、お巡りさん。だって」
言いながら、スーツの前ボタンを外し、ワイシャツの腹の部分をめくる。
そこには。

『週間少年ジャン○』

と大きく書かれた、いわゆる漫画雑誌が挟まっていた。
出刃包丁が刺さったことにより小さな穴の開いたそれを、男はズボンから抜き出す。
「いやぁ、久しぶりに買ってみてよかったよ。まさか、こんなところでも役に立つとはね」
私は。

「………………」

開いた口が塞がらない。
男は私を見て、笑いかけてくる。
「ハッハッハッ。ビックリしたかい?」

「(無事、だったのか……)」

下半身から力が抜ける。
へなへなと地面に尻餅をつく。
「おや、腰が抜けちゃったかな。大丈夫かい」

「(この、この大馬鹿野朗!!)」

そう叫びたかったが、当然、声は出ない。
だから。
ギロリ、といつものように睨むだけ。

310:ふみお
08/02/12 18:28:54 ICpziEkg
当然、男にはそんなもの効きはしない。
男は私を安心させるように、静かに微笑んだ。

「もう、大丈夫だよ。千埜君。もう、怯えることは無いんだ。全て、終わったんだから」

その言葉に、その笑顔に。
悔しいが。
本当に、悔しいが。
安心して、心底、安堵して。
涙が目に滲む。

目の前の男は、私の頭に手を置くと、そっと撫でた。
まるで―。
「(―お父さん、みたいだ)」
そして、私の肩を、微かに抱くようにする。
震えるほど凍えていた体が、少しだけ暖かい。

「この男、見覚えがありますか?」

警察官の声。
彼は苦労しながら、組み伏せた男の覆面をはいだ。
そこには―

「ああ、見覚えがありますよ。っていうか。一週間前にも会いましたよねぇ」

―悔しげな表情を浮かべる、私の上司の顔があった。

     ◇  ◇  ◇

「なんで、上司であり“前世の恋人”だった彼が、イジメを解決しようとしなかったのか」
「………………」
「その理由が、苛められて君が追い詰められる姿に興奮していたから、っていうんだから、なんともはや」
「………………」
「まぁ、それにしてもマメな男だったんだねぇ。毎日のように外出の用事を作っては、君のアパートに車で通って、郵便物のチェック。
仕事の暇を見つけては、留守番電話にメッセージを残す、なんてね」
「………………」
「ストーカー被害の9割程度が面識がある者の犯行なんだって。そして、全体の5割が元恋人などの深い関係にあった人物が該当するらしい」
「………………」
「まぁ、彼の場合、前世がどうとか言ってたから、それに該当するかどうかは微妙だね。本人は“元恋人”だと思っていたんだろうけれど」
「………………」
「君は全く気づいていなかったんだろうけれど、彼はそれらしいメッセージを発していたのかもしれないね」
「………………」
「まさか、何十人もいる部署の中の、あんまり親しくも無い上司がストーカーだなんて、思いもしなかった?」
「………………」
「ま、何を言っても今さらだけれどね……。結局、彼の自滅的行為によってようやく警察も動いてくれたようだし」
「………………」
「ひとまず、良かった良かった。一件落着ってね。さ、話はコレで終わりだね。僕は一服してくるとするよ。じゃ―」
「……………!」
「―そ、そんなに睨まないでよ。少し殺気を感じたよ」
「………………」
「はいはい。判った、判りましたよ。ちゃんと種明かしをするよ」
「………………」

     ◇  ◇  ◇
ストーカーによる殺人未遂事件後。

あの日からすでに一週間が過ぎている。
当然、もう、無言電話もイタズラ電話も無い。
郵便物が開けられていることも、汚らしいものが送られてくることも無い。
一週間の間、私は外界の全ての情報をシャットアウトしていた。

311:ふみお
08/02/12 18:30:01 ICpziEkg
なんだか、マスコミがあった出来事を、全て“無臭化”してしまうような気がして。
仕事どころではなかったから、会社も休んだ。
事件はそれなりにセンセーショナルに報道されたらしい。
私の会社のお偉方が頭を下げたりもしたんだとか。
すべて、あの男―彼からの情報だけれど。
なんらかの裏技を発動したらしい彼のおかげで、私のところにマスコミが押し掛けたりもしなかった。
いや、世間的に見れば、そんなに大した事件ではなかった、ということか?
彼は、その間、通い妻のように、私の面倒を見てくれた。
ふぬけたような私を献身的に。

二度も命を助けてくれた。

そのことには純粋に感謝している。
世話を焼いてくれたことも、正直に言おう。嬉しかった。

でも。
だからこそ。

腑に落ちないことが多すぎた。
飄々とした態度で、私の追及を回避し続けた彼(まぁ、追求と言っても、口の聞けない私に大したことは出来なかったけれど)。

でも、納得がいかない。

だから今。
『説明してください』
ノートに文字を書き、説明を要求した。

彼は真面目な目で、私を安心させるような笑みで、開口一番に言った。

「実は、僕は、未来を予知することが出来るんだ。皆には内緒だよ」

パシンッ!

私は、無言で彼の頬を力の限り、ビンタした。
なんだそりゃ。こっちは冗談で言ってるんじゃない。
それに、そんなの何の説明にもなっていない。
……いや、なっている、か?

「信じてくれなくてもいいけれど、これから言うことは全部本当だ」

真剣な顔になり、語りだした彼の言葉を聞く。

     ◇  ◇  ◇

最初に見えたのは、寒風の吹く、あの屋上で。
断片的な映像。
『―全部、お前が悪いんだ。僕と彼女は愛し合ってい―』
―声が聞こえた。
―悲痛な男の声。
―次に見えたのは、取り押さえられる覆面の男。警察官が地面に押し付けている。
『―君。もう、怯えることは無いんだ。全て、終わったん―』
―別人のように聞こえるが、多分、僕の声。
―屋上で、僕を睨みつけていた彼女が、呆然と座り込んでいる。
―僕のその言葉で、彼女の目が滲む。
―場面が飛ぶ。
―どこか知らない、誰かの住居で、僕は新聞を読んでいる。
―日付は2月22日。
初めてのことではないから、道筋は大体わかった。
何を準備すればいいのか。
何に備えればいいのか。

312:ふみお
08/02/12 18:31:14 ICpziEkg
それでも、未来は確定的ではない。
僕が意識的に介入することで、未来が“ゆらぐ”ことがある。
でも。
だからといって、見捨てることは出来ない。
図らずも、屋上で彼女を助けた僕には、その責任がある。
彼女の自殺の原因の全てではないかもしれない。
もしかしたら、より彼女を追い詰めることになるのかもしれない。
それでも。

     ◇  ◇  ◇

「まず、君の傍に男を置く。その男はあたかも恋人のように車で送迎し、昼食も一緒に食べる」
「………………」
「できるだけ、あの男にプレッシャーを掛けるような人間が必要だった。幸い、僕はそれなりにだけど偉いしね」
『あの高級車は?』
「あぁ、アレは効いただろうなぁ。何しろ、BMWだもの。一介の会社員の憧れだよ」
「………………」
そのためだけに用意したのか。BMW。
「ま、たまたま用意できただけなんだけれどね。運が良かったよ」
どういう知り合いに頼めば、BMWなんて用意できるんだろう。
想像もつかない。
「で、一週間後。僕が予知した時間。予知した場所に隙だらけでのこのこ歩いていく」
そうすれば、つけこんで来ると睨んだのか。
「もちろん、危険な目にあわないように準備もした」
『あの漫画雑誌で、ですか?』
彼は文字を見ると吹き出した。
笑顔のまま否定する。
「違う違う。あんなのはただのおふざけ。保険にもならない保険だよ。ま、役には立ったけれどね」
「……………?」
じゃあ、なんなんだろう。
「警察官だよ」
「……………!」
記憶にある。
『―ええ、そうなんですよ。三十分くらい前から、なんですよ―』
『―ですから、出来るだけ早く、お願いします』
あの時、バス停で掛けていた電話。
つごうよく駆けつけた制服警官。
あれらがもしかして。
「男が待ち伏せている間に取り押さえてもらう。それが、一番いいシナリオだったんだけれど……。到着が遅れたよねぇ。焦った焦った」
それでも、ほぼ全て予知どおり、だったのか?
「いやぁ、これだけやって一週間たっても、あの男が動かなかったら、結構やばかったよね」
『そのときは、どうしました』
彼は笑う。
「当然、何やかんや理由をつけて、君を送迎し続けただろうね。それは覚悟していたよ」
『だったら、私はアナタをストーカー認定していたでしょう』
目を丸くする彼。
「あれ? 電話の一件で僕の疑惑は晴れたんじゃなかったの?」
『何か、特殊な機械を使ったんじゃないか、と疑ったでしょう』
それほどまでに追い詰められていた。
あのときの私は。
彼は大げさに天を仰ぐ。
「僕、そんなに信用無いの? 傷つくなぁ」
そういう彼の声色は、しかし、全然、ショックを受けてるようには聞こえない。
思い出したように彼は言う。
「あ、そうそう。僕の未来予知は誰かに触れたときに、見えることが多いんだ」
「……………?」
「電話の一件は、君が僕の手を払ったから見えた、ということさ」
「………………」
「そして、今。君が僕に見舞ったなかなかに強力なビンタ。それで、次の未来が見えたよ」
「……………?」

313:ふみお
08/02/12 18:31:59 ICpziEkg
「書くのが面倒くさいからって、無言で尋ねてこないでよ。……ま、いいけどね」
何が見えたというんだろう。
気になる。
さらに尋ねようとした私を遮るように、彼は大きく背伸びをした。

「さて、僕の与太話はコレでお仕舞い。……信じられないでしょ?」

私は―首を振った。
そして書く。

『信じます』と。

彼は、今までで初めての感情“驚き”を顔に表す。
「嘘でしょ?」
首を振る私。
っていうか。
「(これだけのことを飄々とやっておいて、信じないやつがいるか)」
それに、『未来予知』くらい持ってこないと、説明がつかない。

………………。そう思う私はヘンなんだろうか?

「……今まで、両親にも隠した事柄なんだけれど。君で三人目なんだよねぇ。バラしたの」
『他の二人は?』
「一人は信じなかった。完膚なきまでにね。もう一人は、たぶん偶然か、冗談だと思っているんだろうなぁ」
私は、さっき書いた文字に付け足した。
『信じます』の頭に、『それでも、私は』を。
彼は頭をかいた。
どうやら、真正面からの信用には慣れてないらしい。
彼は、テーブルから立ち上がった。
いつもなら、もう、食事の準備を始める頃だろう。
だから、私は書く。
『一週間。お世話をしてくれてありがとうございました。もう、自分で出来ます』
彼はそれを見ると、玄関へと歩いていく。
帰るんだろうか?
靴を履きながら、彼は言った。
「これから十分後に君の携帯にメールが届く。応じなよ。そして―」
またしても、いつものような意味不明な発言。
でも。

一度、信じるといったから。

私は立ち上がり、玄関まで彼を見送りに行った。
彼は振り返ると、言葉を続けた。
「―許してあげるんだ」

結局、メールが届いたのは、それから二十分後。
未来予知には“ゆらぎ”があるというのは本当らしい。
私は、彼の言うとおり、応じる返事を出した。

……。
………………。
………………………。

「本当に御免なさい」
目の前の人は、床に頭をぶつけるほど勢い良く、頭を下げた。
「………………」
私は―どうすればいいのか、わからない。

314:ふみお
08/02/12 18:33:15 ICpziEkg
メールが届いて、一時間後。
その人は、会社帰りの姿のまま、私の家を訪れた。
小林早苗。
それがこの人の名前。

……彼女が言うには、私をイジメ出した張本人。主犯格なんだという。

彼女は言った。
彼女は例の上司に好意を持っていたらしい。
しかし、例の上司は私のことを想っていた。
彼女にはそれがわかったんだそうだ。
彼女自身、それが思い込みかもしれない、とは思っていたらしいが。
でも、嫉妬の念は彼女を狂わせた。
そして、彼女は周りの人間を巻き込み、私を、イジメ出したのだという。
最初は、単なる嫌がらせのつもりだったらしい。
だが、それでも状況は変わらない。
当然だ。
そんな事ぐらいで変わるほど、大したことはしていないのだから。
だから。
行為はだんだんエスカレートした。
周囲の人間にも、そして彼女自身にも、もはや止められないほどに。

そのせいで私が喋れなくなってしまったこと。

清々したそうだ。

これで、彼も自分に振り向く。
自分勝手にも、そう思っただけだったそうだ。
馬鹿だった。愚かだった。どうしようもないほど。
彼女は自分自身を、そう言った。
でも、妄執は止められなかった。
だが変化が訪れた。

それは、飄々としたあの彼の登場。

彼の人は、私の恋人のように振舞った。
私に恋人がいる、ということは。
イジメを行う必要が薄れたということ。
だから、ことの推移を見極めつつ、彼女は次第にそれを止めていった。
そして、これからどうするか、考え始めた矢先。

例の上司による、殺人未遂事件が発生。

『あんな人とは思わなかった』
とは彼女の弁。
そして、遅まきながら彼女は気づいたのだという。
自分は、私になんということをしてきたんだろう、と。
後悔。
自責の念。
周囲の人間の嘲る声。
自分のやってきた、恐るべき、手段の数々。
私が喋れなくなるまで追い詰めてしまったという、事実。
救われない、救いようの無い、愚かで無様な、事実。
体が震え、食欲がなくなり、眠れなくなった。
彼女は、意識的に、無意識的に自分を責め立てたのだろう。
一週間。
私のいない会社で、家で。
それを続け続けてきたのだろう。

315:ふみお
08/02/12 18:33:52 ICpziEkg
目の前で頭を下げる彼女。
一週間前とは別人と言っていいほどに、変わり果てた姿。
顔面は蒼白。頬の肉が削げ落ち、目は窪み、どす黒い隈が、その下にクッキリと。肌も荒れ放題。真紫の唇が乾燥している。
そして、なにより、目つきが違う。
どうしようもないほど、追い詰められ、自分を追い詰め、人から見放され、見下された目。

「(あのときの私も、同じような顔をしていたのだろうか……)」

全てに見放されたと、信じていた私は。
彼を信じ切れなかった、私は。
「(いや、やっぱり、違うんだろうな)」
私には自責の念なんてものは、なかったのだから。
共通点は一つだけ。

救いを求めている、という一点だけ。

私は、どうすればいいんだろう。
ノートを手に取り、文字を書き、それを彼女に見せた。

『イジメは辛かったです。
本当に、本当に、本当に辛かったんです。
ストーカーのことや、両親の死なんてこともあったから。
だから、よけいに。
一時は、命を捨てようとしたこともありました』
彼女は目を見開く。
「そんなに、私は、私は……」
さらに私は文字を書く。
『正直、頭を下げられても、簡単には許すことは出来ません』
「じゃあ、どうしたら……」
目に涙を浮かべ、喘ぐように、私を見つめる彼女。
『でも。でも―

―二度も命を救ってくれた、人がいます。

私のことを、第一に考えてくれた人です。
私のこれからのことを、真剣に考えてくれる人です。
その彼は、こう言いました。

“許してあげるんだ”、と。

正直、未だに彼の言うとおりに動くのは癪なんですが。
それでも、彼は間違ったことは一度だってしなかった』
だから、というわけではない。
コレは自分で考え、自分で決めたこと。

『私は、あなたを、許したいと思います』

『でも、あくまでも“許したい”と思うだけ。
本当のところ、何処まであなたを信じられるか、許せるか、判りません。
それでも、最大限の譲歩です。
これで、許してくれませんか?』

彼女は、しばらく呆然と、目で文を何度もなぞり、そして―

―大声を上げて、泣き出した。

私は、彼女の背中をゆっくりと撫でる。

「(これでよかったんだろうか……?)」

316:ふみお
08/02/12 18:35:19 ICpziEkg
正直、心情的には、まだ許せない。
私がどれだけ傷ついたか、追い詰められたか。

それでも。

彼女も同じ分だけ傷つき、追い詰められたのだ。
それは彼女を見れば、痛いほどに判る。
『同病相哀れむ』ではないが。
だから、これからは。
今すぐには無理かもしれない。
もしかしたら、数ヶ月。数年。必要かもしれない。
だが、決めたのだ。
“許してあげるんだ”
あの男に言われたからじゃない。あくまで、自分で決めた結果だ。
だから、責任は持つ。

ピロロロ、ピロロロ。

いささか場違いな携帯の呼び出し音。
この音は、彼からのメールだ。
私は、片手で携帯を取ると、操作してメール画面を呼び出す。

『冷凍庫に作り置きのカレーとご飯がある。二人で食べるといい』

相変わらず、お節介で、全てを見通したような態度の男だ。
悔しいので、返信。

『五月蝿いです』

コレを見た彼は、どう思うだろう?
やっぱり、あのつかみどころの無い笑顔で笑うのだろうか。

一時間後。
やっと落ち着いた彼女と私は、スパイスの効いた食物を、お腹一杯食べるのだった。

     ◇  ◇  ◇

「『なんで、ここにいるんですか』って顔だね」
「………………」
「ははぁ、今度は『いちいち五月蝿い』って顔だ」
「………………」
「う〜ん。無口っ娘って、無表情がデフォだと思うんだけれど、君はそうじゃないみたいだね」
「……………?」
「いやぁ、表情がコロコロ変わって面白いって、言ってるんだけれど」
「………………」
「久しぶりだねぇ。睨まれるのも。やっぱりコレはこれで乙なもんだよ、なんてね」

     ◇  ◇  ◇

久しぶりの出社。
さすがに緊張は隠せない。
でも、気合を入れて。
クリーニングしたてのスーツを着込む。
のりの効いたそれは、着るだけで、なんだかやる気が起きてくるようだ。
「(さぁ、時間だ)」
靴をはいた私は、自分を鼓舞するため勢いよく玄関を開けた―

「ああ、おはよう」

―ら、いるはずの無い生物(UMA)が玄関先でタバコを吸っていたのを目撃した。

317:ふみお
08/02/12 18:36:36 ICpziEkg
意味がわからない。
もう、一週間たったはずなのに。
もう、助けは必要ないのに。
「頷くだけでもいいからさぁ、朝の爽やかな挨拶くらいは交わそうよ」
あの時と同じ。初めての時と同じ工夫の無い台詞。
しょうがない。
とりあえず、頭を下げることで挨拶の代わりとした。
でも、戸惑ったままの表情は変わらない。
彼は、そんな私を見て言う。
「『なんで、ここにいるんですか』って顔だね」
図星だ。
っていうか、一々、人の思考をトレースするな。
「ははぁ、今度は『いちいち五月蝿い』って顔だ」
この男。
屋上の一件からもう2週間以上たっているのに、何一つ変わらない。
私の周囲をコレだけ変えたのに。
何故だか、悔しい。
「う〜ん。無口っ娘って、無表情がデフォだと思うんだけれど、君はそうじゃないみたいだね」

いっている意味が全然わからない。
デフォ、ってなんだ?
「いやぁ、表情がコロコロ変わって面白いって、言ってるんだけれど」
! 子供っぽい、とでもいうつもりか!
人がコンプレックスに思っていることを、ねちねちと!
思い切り、彼を睨みつける。
「久しぶりだねぇ。睨まれるのも。やっぱりコレはこれで乙なもんだよ、なんてね」
あぁ、くそ。
コレではいつもどおりじゃないか。
今日から変わるはずだったのに。
この男、自分の中にジャイロコンパスでも持っているんじゃないか?
とりあえず、取り合っていられない。
もう、バスが来る時間なんだ。
私は、彼を無視し、鍵を掛けると、そのまま通り抜けようとした。
「おっとっと。待った待った。まさか、一人で行く気じゃないだろうね」
は?
何を言っているんだ?
当然じゃないか。もう約束の期間は―

「あんな危ない目にあって、それでもバスを使わせるほど。僕は日本の治安を楽観視してはいないよ」
「……………?」
「まぁ、つまり。これからも竹内タクシーをどうかご贔屓に、ってことさ」

―終わったんじゃ、なかった。
そうだ。
私だって知っていたじゃないか。
『私のことを、第一に考えてくれた人です。
私のこれからのことを、真剣に考えてくれる人です』

そんな彼が、私のことを、放って置く、放って置いてくれるはず―

「さ、行こうか。千埜君。安全迅速がモットーの竹内タクシー。ご利用の際は安全のためシートベルトを必ず着用してください、ってね」

―無い。

「ん? どうかしたのかい?」
私は首を振った。
あふれ出てくる涙を誤魔化すために。
そして、私の顔をうかがってくる彼の目を欺くために。

私は、微笑んだ。

318:ふみお
08/02/12 18:42:25 ICpziEkg
前半は以上です。

だらだら長くて申し訳御座いません。



投下前に、
『ご都合主義が嫌いな方、
ハッピーエンドしか認めない方

スルーを推奨します』
と、書くのを忘れていました。

もし、読まれていて不快に思われた方、大変失礼致しました。



後半はバレンタインに投下したいと思っています。

スレ住人の皆様、今しばらく、駄文にお付き合いいただければ幸いです。

319:名無しさん@ピンキー
08/02/12 18:56:53 6Eg4cgLz
GJ! 面白かったですよ。続きが待ち遠しいッス。

320:名無しさん@ピンキー
08/02/12 19:53:31 T6lBzhno
荒らしでも来ているのかと思った


あってた(俺は独り身のバレンタインなのに……くやしい……でも……的な意味で)

321:名無しさん@ピンキー
08/02/12 20:35:57 lfr1JrL2
ちょ、これでまだ前編てww

GJ!読み応えある作品ですな
早く明後日になれー

322:名無しさん@ピンキー
08/02/12 22:34:22 oD0VEG3e
GJ!面白かった!
後半が楽しみです!

323:名無しさん@ピンキー
08/02/12 23:19:19 X7GJcRMO
なんという長編GJ。これでまだ後編まで出てくるとは…

324:名無しさん@ピンキー
08/02/13 01:03:17 p+fy9xqR
バレンタインに楽しみが持てるのは、生まれて初めてかもしれない。

ただ、
『ご都合主義が嫌いな方、
ハッピーエンドしか認めない方
スルーを推奨します』

というのはバッドエンドに進む、という意味なのだろうか?

なんか、クリスマスやバレンタインの前後になるとバッドエンドモノが一転好物になりそうな自分が嫌だ…

325:名無しさん@ピンキー
08/02/13 01:08:29 /7p1Sbu5
                      /し, /    _>.
                     / { \レ/,二^ニ′,ハ
                     |'>`ー',' ヽ._,ノ ヽ| 
                     |^ー'⌒l^へ〜っ_と',!
      __             ! u'  |      /
  /´ ̄       `!             ヽ  |   u'  , イ   <>>324
  |  `にこ匸'_ノ            |\_!__.. -'/ /|    僕たちの仲間に入らないか?
  ノ u  {                 _.. -―| :{   ,/ /   \
. / l   | __  / ̄ ̄`>'´   ノ'    ´ {、    \ 
/ |/     {'´    `ヽ. " ̄\ U `ヽ.    __,,.. -‐丶 u  ヽ 
| / ヾ、..  }      u' 〉、    }    `ー''´  /´ ̄ `ヽ '" ̄\
! :}  )「` ノ、     ノ l\"´_,,ニ=-― <´  ヽ{  ノ(   `、  |
l   、_,/j `ー一''"   },  ノ ,  '''''""  \   ヽ ⌒ヾ      v  |
ヽ   _         /   } {. { l ┌n‐く  ヽ/ ``\        ノ
  `¨´    `¨¨¨¨´ ̄`{ 0  `'^┴'ー┘|ヾ    }、 u'   `  --‐r'′

エロのみでいいなら現在執筆中。

326:名無しさん@ピンキー
08/02/13 01:39:42 R8bCGPOk
主人公がすごい好みですね。非常に良い仕事を見させてもらいました。
それだけに後編が怖い……どうなることやら。

327:名無しさん@ピンキー
08/02/13 02:36:23 kPC3ruH3
バッドエンドは嫌いだけども…
この前半を見てしまったら、後半も見ざるを得ないではないか!


GJ!!

328:名無しさん@ピンキー
08/02/13 04:02:30 lZYhu3dP


329:名無しさん@ピンキー
08/02/13 11:29:51 YqeLIpap
これは?携帯だけだけど
URLリンク(courseagain.com)

330:名無しさん@ピンキー
08/02/13 11:30:48 hr0pdQJo
↑はいはいブラクラブラクラ

331:名無しさん@ピンキー
08/02/13 12:24:15 4sT/sr7O
GJ!!
バッドエンドか……ふみおせんせー、考え直しry

どんな終わり方になるかわからんが後編が楽しみだぁっ

332:名無しさん@ピンキー
08/02/13 12:45:31 64wLziIj
ふみお氏面白れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ

無口娘にこういう切り口があったかw

333:名無しさん@ピンキー
08/02/13 19:00:37 LYK8/Mb4
ケータイからGJ

334:名無しさん@ピンキー
08/02/14 15:05:00 bZNawbZq
くそっ!出遅れた!!
GJ過ぎるだろ…、考えなくても…

幸せになって欲しいが、バッドエンドフラグが立ってるのか?
あぁぁぁぁ…。こんなにキャラの安否が気になるのは初めてだ…orz

335:ふみお
08/02/14 19:50:46 zAXvEo8u
これより投下させて頂きます。

前回、書き忘れましたが

・ご都合主義が嫌いな方、

・ハッピーエンドしか認めないという方

・エロ無しということに我慢できない方

スルーを推奨します。

というか、
今回もやたら長い上に、エロ無しです。
申し訳御座いません。

それでも、構わないという方は、片手間にでもお読みいただければ幸いです。

それでは、

『擬似マチュー・ランスベールにおける希少的チョコ』

後編を投下させて頂きます。

336:ふみお
08/02/14 19:51:38 zAXvEo8u
見えたのは、白い空間。
雑多な意味不明の機械たちが置かれている。
そこで彼女は―

―大声を上げて、泣きじゃくっていた。

ともすれば、中学生に見えかねないその外見で泣き喚いていると、まるで、子供が癇癪を起こしているようにも見える。

周りにも誰かがいるようだ。
でも、どの顔もよく見えない。

判るのは彼女の泣き顔だけ。
解るのは彼女の泣き声だけ。

―僕は?
僕は何処にいるんだろう?
見えない。
こんなことは、あまり無いはずなんだけれど。

そこで気づいた。

―ああ、あれと繋がっているのか。
数年前から見えていた、あの事実。あの未来。
彼女が関わったから、彼女と関わっているから。
だから。

彼女が泣く破目になっているのか。
こんなにも、無様に。無体に。
酷い有様だ。
まるで悲劇のヒロインを地でいっているような。そんな画面。
もう、立ち直れないんじゃないかと心配させるほど。

だったら。
―僕は、彼女とは一緒にはいられない。

そう思った。

     ◇  ◇  ◇

「ねぇ、海に行こうよ。海に」
彼の唐突な発言。
まぁ、いつものことなんだけれど。
その発言に反応したのは、
「イキナリですね。先輩……」
彼の隣に座っている美男子だった。
名前は工藤俊(くどう しゅん)さん。
昔、彼が室長になる前に、世話をしたり、世話をされたりの仲なんだったとか。
今では二十代半ばの工藤さんのほうが、立場は上なんだという(竹内談によればだが)。
それでも、『先輩』だなんて慕ってくる工藤さんのことを、彼も悪くは思っていないらしい。

今日は8月6日。
そろそろ来る、お盆休みを含めた一週間の夏休みをまえに会社全体が浮き足立っている。
そんな明るい社内、昼休みの食堂。
夏休みをどう過ごすか、の話題がそこかしこから聞こえてくる。
そんな中、私たち三人は食堂の隅の席に陣取り、周りと同様の会話をしている。
とはいえ、未だに言葉が不十分な私がいるので、もっぱら会話は彼と工藤さんの二人が進めて、私は頷くだけ、みたいな感じなのだが。
『私たち三人』。
そう、私と彼の二人だけの昼食に工藤さんが混じってきたのが、二ヶ月程前。
当初、私と彼が恋人同士だと勘違いしていた工藤さんは、恐縮しきりだった。
けれど、全く持ってそんな事実は存在しない。

337:ふみお
08/02/14 19:52:39 zAXvEo8u
そのことを理解してくれてからは、変な遠慮なんかをすることは無くなった。
むしろ、未だに遠慮しているのは私のほうだ。
生来の人見知り気質が全開、といったところだ。
………………………。
っていうか。
なんで、二人だけじゃダメなんだ。竹内さんよぉ。
私と二人きりはそんなにつまらないのか。
まぁ、いっても、出来るのは頷くことか、筆談くらいだけだから退屈に思われるのかもしれないが。
それにしても……。
………………………。
いや、別に。私がどうしても彼と二人きりがいいというわけではない、んだよ。
うん、そんなことは全然無い。
工藤さんだって、喋れない私によく気を配ってくれるし、フォローを入れたりもしてくれる。
まぁ、いつも突拍子もないことを言い出す、彼をフォローするほうが回数が多いくらいなのだけれど。
そんな中での、先の彼の発言。

『海に行こうよ』

海か……。
もう遠い昔、子供の頃に両親につれていってもらった記憶しかない。
学生のときは、勉強一筋で遊び方も知らなかったし。
……ついでに、友達も居なかったし。
当然、恋人なんかもいなかったし。
だんだん、思考が暗くなっていく。
そんなダウナーな思考の私を置いて、二人の会話は続く。

「まだ、くらげは出てないでしょ? 多分」
「ええ、恐らくは。……微妙ですけれど。でも、人が多いかもしれませんよ」
「それはしょうがないんじゃない? 日本全国、大体休みなんだし」
「そうですねぇ。やっぱ行くなら、○○○浜とかですかねぇ」
「さすがに詳しいね。そっち方面のリサーチは任せるよ」
「ハハ。了解しました」

ここまで話して、工藤さんが私のほうを向く。
何の感情も無いが、整った顔を無防備に向けられると、意味も無く胸が高鳴る。
そんなこと、当然、工藤さんは知りもしないわけで。
「千埜さんは、海に行くの、どう思います?」
屈託無く訊いてきた。
「(別に何の予定もないし、いいか)」
お盆には色々あるから、行くことは出来ないが、その前なら。
私はとりあえず、その旨を書いて提示する。
彼と工藤さんは、その文字を眼で追う。
「あぁ、なるほど。わかりました。じゃ、8月11日くらいでどうですかね」
私は頷く。
後でスケジュール帳を見てみないと正確にはわからないが、それでも、大丈夫だったと思う。
そんなことを考えていると―。

「っていうかさぁ。千埜君、泳げるの?」

―失礼なことを、平然と聞いてきた男が一人。
私は、ソイツを目いっぱい睨む。そして、力強く頷く。
すると、私の怒りなど何処吹く風で、ソイツは小声で、言った。

「あぁ、そう。じゃ、安心だね」

安心?
まぁ、確かに私が泳げれば予定に変更が無い。
海に行くこともやぶさかではない、ということになる。
でも、この男の、こういう言動。
約半年前を、何処と無く連想させる。

338:ふみお
08/02/14 19:53:55 zAXvEo8u
「(なにか、企んでるのか?)」
「そうそう。この工藤君。実はこう見えて水泳の強化選手だったこともあるんだよ」
「(それは凄い)」
優男風の外見からは想像もできないが、そんな事実が。
だから、私の頭の中からは、疑惑の念はかき消され、かわりに工藤さんに対する意外なイメージアップが上書きされた。
当の工藤さんは少し困惑気味だ。
「先輩。別にそんなこと言わなくても……」
いや、困惑、というよりは、少し迷惑そうだ。
何か、嫌な思い出でもあるのだろうか?
彼はそんなことを全く気にする様子は無く、こう続けた。

「まぁ、全く泳げない僕からすれば、天上人のような存在だよね」

衝撃のカミングアウト。
否、“衝撃”というより“笑撃”か?
思わず、噴出しそうになった。
自分から海に行こうと言い出したのに?
いつも飄々と、『何でも出来ますよ〜』みたいな態度の癖に?
泳げない?
とんだ、お笑い種だ。
「(忘れないように、後で手帳にでもメモっておこう)」
そして、心の中だけで笑う。
「あれ? 千埜君。今、君、笑わなかった?」
目ざとい男が訊いてきた。
正直、笑ってしまったが、誤魔化すように首を振る。
「あぁ、そう。ならいいんだけれど……」

そして、詳細は後日、ということで食事が終わる。

仕事が忙しいらしい工藤さんは、先に職場に戻った。
そして、私と彼は、二人して食堂から出る。
その時、彼は私に言った。

「千埜君も二人くらい、連れてきなよ、友達」
「……………!」
コイツ。
私が半年前まで苛められていたことを知っているくせに。
彼は言葉を続ける。
「会社の人じゃなくても、学生時代の友人とかでもいい。社会人になって一緒に遊べる機会も少なくなったでしょ?」
………………………。
学生時代の友達なんて、いない。
一人も。
そんな私の状況を察したのか、彼は言う。
「じゃあ、“彼女”を呼べばいい」
“彼女”。
それは間違いなく、あの人のことで。
「こういうのは歩み寄りが大切だからね。未だに、ギクシャクしているんでしょ?」
「………………」
でも、海に誘ったからと言って。
来てくれるとは限らないし……。それに。
「立場上、彼女からはアプローチを掛けにくいんだと思うよ」
そういうものだろうか。……いや、そうだろう。
「君、根に持ちそうな顔してるもの」
う、五月蝿いな。
でも、そんな顔をしてる、って思われているのか……。彼にも、“彼女”にも。
「まぁ、これは君と“彼女”の問題だからね。僕がこれ以上、とやかく言うのも何だね。でも、考えといてよ」
そして、彼は私の前から足早に去っていった。
どうせ、残り僅かな時間を喫煙スペースで過ごそうとでも考えているのだろう。
私はその背中を見送りながら、知らず、ため息をついた。
「(“彼女”かぁ……)」


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