【bayfm78】ビートルズから始まる。12【小林克也】
at BEATLES
92:□ストーリー(続き)
14/12/05 13:54:08.01 0
□ストーリー(続き)
・「キャバーンの仕事も ハンブルグの仕事も 順調だし。ファンクラブだって結成された。
だけど、俺たちの目標は こんなもんじゃないだろう。
こんなんじゃ ダメなんだよ」
こう力説し、ビートルズのメンバーを煽っているのは。
頭のてっぺんから足の親指の先まで、いつでも上昇志向の塊りみたいな青年=ポール・マッカートニー。
この頃になるとポールは、それまでのギターからベースに転向し。
「レフティ」つまり左利きのベーシストとしてリバプールの若者連中の間では すっかり有名人になっていた。
ポールの発言は、メンバー全員よく理解していた。
たしかに リバプールを舞台にした活動は順調である。
ただ、それ以上の事が、何か起こらないものだろうかと、そう思っていたのだ。
そのことが原因で 実際ジョンは 時々ほんとうに落ち込んでいることがあった。
特に間の悪いことに、ジョンがまともな仕事にも就かないで時間を浪費していると、
追い打ちをかけるようなことをミミ伯母さんがガミガミ言う時は、とても辛そうだった。
それでもジョンは辛抱していた。
多少なりともビートルズはお金を稼いでいたことだし。
いつもはジョンも「なにか素晴らしい事が必ず起こるはずだ」と信じていた。
ただ、それが何なのか、まだ解からなかっただけなのだ。
当時のジョンの恋人であり、翌年には妻となる女性シンシア・パウエルは語っている。
「ジョンは正しかったわ。
その何か素晴らしいことが 実際に起ろうとしていたの。
誰かが ビートルズの運命を変えようとしていて。
その 誰かも、何かも、実際に近寄ってきていたんです。
あの頃をふり返ると、ブライアン・エプスタインとビートルズの出会いも、
それに続く、あの嵐のような出来事も、魔法の力だったとしか、私には思えないんです」
シンシアの語るビートルズのサクセスストーリーは、また来週お届けします。
93:ホワイトアルバムさん
14/12/05 13:58:38.24 0
〜 The Beatles / Day Tripper
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)1965年の Day Tripper ね。
まあ、そうですよね。二十歳前後のころは、メッチャくちゃみんな落ち込んでるわけですが。
まあ、これが売れるようになると また落ち込むんですよね。
「なんでもう、中学生や高校生のために歌を書いて行かなきゃダメなんだ」
それが、やっぱり それに打ち勝って、本当のビートルズの姿になる頃の ヒット曲なんですよこれは。
アルバムでいうと「ラバーソウル(Rubber Soul)」の、ねえ。
あ、そう、初めての両A面でしたね。これは。
両A面なんて、ほら昔は A面B面ってあってw
表裏あったんですけどw。
初めて両A面。
カップリングは「We Can Work It Out」ですね。
Day Tripper をお送りしました。
94:ジョン・キロックノン
14/12/06 20:16:54.59 0
□リクエスト
(小林)
beatles@bayfm.co.jp
こちらで待っております。
リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
95:ジョン・キロックノン
14/12/06 20:18:52.43 0
(小林)
おお、字まで同しですね。
きっと[横浜市/男性]さんが若かった頃は「おお、あの有名な作曲家と同じ名前」なんてよく言われたはずです。
(横浜市/男性)
こんばんは、克也さん。
毎週夕食を食べながら拝聴しております。
2年ぐらい前に カミさんのリクエストで息子の直之介がジーン・ビンセントの「ビーバップアルーラ」に狂っている話しを番組で紹介して頂きました。
直之介もこの12月で4歳になり、生まれた時からこの番組を聴いているので、今や克也さんのおかげで四人に狂っております。(小林)ビートルズにね。
私の時代は、動いている四人なんて めったに見ることは出来ませんでしたが。
今や、ユーチューブで世界中から当時の貴重な映像がバンバン公開されており。
当時の私が見たらショック死するんじゃないか、ショック死するかもしれませんね(笑)
息子は毎日のように四人の映像を観て、動く四人の楽しさを含めてファンになっている感じで、時の流れを感じます。
「ジョンの脚 開いてるねえ」とか。 (小林)ちょっと がに股っぽいもんねw。
「ジョンはここで、間違って『ワオ!』って言うよ」とか。
お父さんもビックリのマニアぶりで、将来が不安になります。
リクエストは最近お気に入りの「王様」の「カブトムシ外伝」の中からお願いします。
(小林)王様という日本のアーティストですよ。
昔、ちょっと話題のヒットを出しました。
ギタリストでもあり、ねえ。
「カブトムシ」てのはビートルズのことですよ。
カミさんによると、毎日保育園に直之介が「月光おじさーん!」て歌いながら盛り上がってるそうです。
(小林)ということで。
「月光おじさん」行こうか。
〜 王様 / 月光おじさん
URLリンク(www.youtube.com) (Live)
URLリンク(www.youtube.com) (カブトムシ外伝 )
96:ジョン・キロックノン
14/12/06 20:19:47.99 0
〜 Cream / White Room
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)「月光おじさん」のあと、いきなり「クリーム(Cream)」がかかりましたが。
ついて来てくれてますか?
(大田区/男性)
家族全員でいつも楽しく聴いています。
先日 元クリームのジャック・ブルース(Jack Bruce)が亡くなってしまいました。
偉大なミュージシャンが またいなくなりました。
寂しいもんです。
追悼の意味を込めて。
(小林)ということで。
まあ、エリック・クラプトン(Eric Clapton)がいたグループのね。
このグループは すっごいグループだった、ていうことは、ご存知ですよね。
だけど、エリック・クラプトンは彼が長いこと患ってて、困っているっていうのを助けましたね。
ニューヨークやロンドンでライブをやって。
そして、彼の病院代に充てる、とかね。そういう。
彼はあれですね、家族の縁(えにし)っていうんですかね。
家族の縁(えん)ってのは、お父さんの顔知らなかったり、なかなか薄い人だったんだけど。
いろんな人を助けてますよね。外ではね。
BBキング(B. B. King)が有名になったのも、ボブ・マーレー(Bob Marley)を世界に知らせたのも、
みんなエリック・クラプトンの功績ですよね。
97:ジョン・キロックノン
14/12/06 20:20:26.30 0
(千葉市/男性)
克也さん 毎週夕飯を食べながら聴いています。
先週 倉庫を整理していると、30年前中学生だった私が使っていたラジカセが出てきました。
たしか、このラジカセのCMソングに使われていたような記憶がある
ホール&オーツの Say It Isn't So をお願いします。
〜 Daryl Hall & John Oates / Say It Isn't So
URLリンク(www.youtube.com)
98:ジョン・キロックノン
14/12/06 20:21:50.12 0
□エンディング
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
お話しの方は、ジョン・レノンの最初のカミさんのお話し。
楽しんでくれてますか。
ジョンが、伯母さんからお小遣いもらって、
ポールを誘ってパリに行ったなんて、知りませんでしたね。
初めて聞きましたねw。
ビートルズだとか、まあ、ねえ、知らないことが いっぱいあるわけですねえ。
だから、みなさんも そういうの発見があるだろうし。
それから、僕らのこの番組を聴いて「ああ、あの曲が聴きたくなった」とか
いろいろあると思います。
必ず、もしあったら、伝えて下さい。
リクエスト採用になると、イシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
メールアドレスは
beatles@bayfm.co.jp
です。待っております。
小林克也でした。
99:ジョン・キロックノン
14/12/08 18:13:18.77 0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2014年12月7日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)いつも思うんですけど、エリナリグビーは なかなかいい曲ですよw エヘヘ
□ビートルズカレンダー(12月7日)
・1963年(今から51年前の今日)
「With The Beatles」のアルバムがナンバーワン。
で、これイギリスでね。イギリスでナンバーワン。
一週目がナンバーワン、ていう日なんですよ。
これがビートルズにとって 2枚目のアルバムとなるわけですが。
ビートルズがレコードを出すことが決定してね。
ビートルズのマネージャー=エプスタイン、それからEMIのパーロフォンレーベルの責任者プロデューサーのジョージ・マーティンと
ビートルズの目標、それは1年に2枚のアルバムを出していく。
そして 春夏秋冬 1枚づつシングルを出していく。
こういう約束をするんです。
だから63年には「Please Please Me」「With The Beatles」このアルバムが出て。
64年は「A Hard Day’s Night」「Beatles For Sale」のアルバムが出て。
65年は「HELP!」「Rubber Soul」ノルマを達成するんです。
だけど65年あたりは、相当ビートルズの腕も上がって。
精神的にも充実して来るってのがわかるんですが。
ツアーをやりながらね、やるってのは、かなりハードだったようですね。
デビューの時点で、ジョン・レノンとマッカートニーは、50曲ぐらい持ち歌があったんですけども、オリジナルが。
でも、プロミュージシャンの観点からいくと、「ん〜、ちょっとイマイチ」ってのがあって、ほとんど使えない。
だから、アルバムを作るごとに、少なくともジョンとポールで10曲は新曲が必要。
結局 採用されるのは7〜8曲ていうことで。
あとで、まああとは、気に入ってるカバーバージョン、自分たちが気に入っているカバーバージョンを奏るんですね。
100:ジョン・キロックノン
14/12/08 18:15:13.53 0
「With The Beatles」のアルバムでは14曲中、カバーが6曲。
6曲も カバーをやらなきゃダメだった。
だけど、そのカバーで ビートルズのことが良く解かります。誰が好きだったのか。
特にビートルズは、ローリングストーンズ(Rolling Stones)なんかと違って
デトロイトのR&Bレーベルの、モータウンのね、ミラクルズ(Miracles)とかマーベレッツ(Marvelettes)の曲とか。
この中には ほんとモータウンが多かったですね。
あと、ビートルズの師匠と言える チャック・ベリー(Chuck Berry)のヒット、これもカバーしております。
じゃあ、デビューアルバム同様、A面の1曲目は本当にオリジナルにこだわっているんですが。
この頃のレノン・マッカートニーは、ほとんど 一緒に曲を書いています。
これは、ジョンのボーカルの曲だけど、コード進行はベースのアレンジで、ポール風の。
さっき言った モータウンの進化形の音をしておりまして。
ビートルズは「只者ではない人たちだな」ていうのが判ります。
それじゃあ、51年前の今日、イギリスで1週目のナンバーワンのアルバムの1曲目 It Won't Be Long
〜 The Beatles / It Won't Be Long
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)ねえ、エヘヘw。いいよねえ。
It Won't Be Long
これがA面の・・・、昔は ほら、アルバムのA面とB面があったんだからw。
A面の1曲目、お送りしました。
101:ジョン・キロックノン
14/12/09 22:10:25.70 PnOknKEK0
□ストーリー
・「ジョンは正しかったわ。その、何か素晴らしいこと、が実際に起ろうとしていたの。
誰かが ビートルズの運命を変えようとしていて。
その 誰かも、何かも、実際に近寄ってきていたんです。
あの頃をふり返ると、ブライアン・エプスタインとビートルズの出会いも。
それに続く、あの嵐のような出来事も、魔法の力だったとしか、私には思えないんです」
こう語っているのはジョン・レノンの最初の妻となるシンシア・パウエル。
シンシアはジョンと過ごした10年余りの日々を一冊の手記にまとめ発表している。
その内容のほとんどは彼女がジョンから直接聞いたり自分の目で目撃し遭遇した事柄だけで構成されている。
このビートルズにまつわる書物の中で最も信憑性が高いと評価されているシンシアの著作から、今週もお届けしよう。
シンシアの語る「何か」は、ジョンとポールが旅行先のパリから帰って程なくして起こった。
リバプールのホワイトチャペル通りにある「NEMS(ネムズ)」というレコード店に 一人の若者がやって来て。
「ビートルズの『マイボニー(My Boney)』というレコードが欲しい」と言った。
店の支配人だったブライアン・エプスタインは、そのシングルのタイトルもグループ名も聞いたことが無かった。
普通のレコード店なら「あいにく、そのレコードは取り扱いがありません」ということで済ませてしまうところだが。
ブライアンはNEMSが「お客が欲しがるものは、どんなレコードでも、必ず手に入れられる店」であることを自負していた。
だから、そのレコードを知らなかったことが気になって、調べてみることにしたのだ。
お客は「ドイツから来たレコードだ」と言っていたので、先ず 輸入盤を扱っている代理店を当たってみることにした。
ブライアンも リバプールでビートシーンが全盛を極めている事には気が付いていた。
ただ関心は無かった。
リバプールで一番のレコード店を経営していて、もちろんあらゆるジャンルのレコードを揃えて置くことを目指していたけれど。
ブライアン自身は、クラシック音楽を好んだ。
そんな人物が ビートルズの運命を左右することになるのである。
102:ジョン・キロックノン
14/12/09 22:11:15.30 0
〜 The Beatles / Honey Pie
URLリンク(www.youtube.com)
〜 The Beatles / Penny Lane
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)いやあ、 Honey Pie がかかりましたね。
これは1968年、「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中から Honey Pie
そして Penny Lane
これは「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」の中の1曲であります。
103:ジョン・キロックノン
14/12/09 22:13:01.61 0
□ストーリー(続き)
・「ブライアン・エプスタインはクラシック愛好家でしたから、ロックにはほぼ興味が無かったんですが。
ビートルズというグループ名には、なぜかピンと来るものがあったらしいんです。
それはもう運命としか言いようがありません」
これはジョン・レノンの最初の妻となるロックの世界では重要人物であるシンシア・パウエル。
こうしたエピソードや証言、そして今ではレジェンドとなっているストーリーは、ほとんどシンシアの手記に記されているもの。
ロックの史実に基づく書物の中で最も信頼性が高いと評価される文献の中から続けてみよう。
確かに、ブライアンはクラシック音楽の愛好家であったため、ビートグループの演奏を聴くためにわざわざ出かけて行ったりはしなかった。
しかも、その当時はロックのバンドがレコードを作ること自体あまりに珍しい事であったため、ブライアンがそういう音楽と出会うチャンスが無かったことも事実。
とはいえ、一方、ビジネスとしてブライアンはマージービート誌に文章を寄せたり、広告を出したりはしていた。
そこにはビートルズの記事や写真もたびたび掲載されてはいたが、ブライアンは完全にスルーしていたようである。
「マイボニー」を追跡調査しようという好奇心は、さらに2人目の客が同じレコードを求めて店にやって来たことで ますます煽られた。
ブライアンがその2人に「ビートルズとはいったいどんなグループなのですか?」と尋ねたところ。
それは、レコードを出しているドイツではなく、なんと地元リバプールのバンドであることが判って驚いた。
そしてさらには、そのビートルズのメンバーというのが、店によく出入りしていて。
レコードを試聴させてもらったりしながら、ブラブラと午後の時間を過ごしにやって来る、音楽的嗅覚のある若者達であることも判った。
「このビートルズとは、いったい何者なんだ?」
ブライアンは気になって気になって、すぐにでも会いたい気持ちになっていた。
104:ジョン・キロックノン
14/12/09 22:13:54.42 0
〜 Tony Sheridan & The Beat Brothers / My Bonnie
URLリンク(www.youtube.com)
〜 The Beatles / One After 909
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)エッヘヘw という、One After 909
これは「レット・イット・ビー(Let It Be)」
1970年のね「レット・イット・ビー」のアルバムに入っている。
でも、これ聴いたらわかると思いますが、初期の頃の作品ですよ、ジョン・レノンの。
で、「レット・イット・ビーに曲が足りない」っていうことで、急遽、昔の没になった曲で埋めたわけですね。
One After 909 w。
そして、その前は これが伝説の My Bonnie
リードボーカルは、トニー・シェリダン(Tony Sheridan)
そして、バックはビートルズじゃなくて、ビート・ブラザース(Beat Brothers)という名前を使っております。
もちろん ビートルズです。
105:ジョン・キロックノン
14/12/09 22:15:17.90 0
□ストーリー(続き)
・「もう、時代はロックなのかぁ。もしそうだとしたら、うちの店も時代遅れにならないように在庫を見直さないといけない。
それにしても、ビートルズっていったい どんなグループなんだ?」
これは1961年当時、リバプールのホワイトチャペル通りで「NEMS」というレコードショップを経営していた男=ブライアン・エプスタインの心の中。
こうなると、ブライアンは実際に「自分でビートルズを見に行かなければ」と思った。
もし地元で人気のあるグループならば、店にレコードを揃えて置く意味もある。
1961年11月9日、ブライアンはビートルズのランチタイムセッションを観にキャバーンクラブに足を踏み入れた。
後からビートルズのメンバーや、ジョンの妻シンシアの話してくれたところでは。
キャバーンクラブそのものには 感心しなかった。
つまり「好きではなかった」と発言している。
正直なところ「酷いと思った」と語っている。
汚くて、暗くて、ジメジメしていて、ものすごくやかましくて。
ブライアンにとっては、いつもならば 間違いなく避けて通るように心がけている、ティーンエイジャーの溜まり場だった。
ダンディなスーツに身を包んだブライアンは、昼休みに集まっている若者達の中では、27歳の自分は完全に浮いていることは分かっていたため。
目立たない様に、静かに、後ろの方で立っていたのだ。
ビートルズがステージに現れると、ブライアンは心を奪われてしまった。
ステージ上の若者たちは、薄汚くて、生意気で、演奏しながらタバコを吸ったり、ガムを噛んだり、しゃべったり。
客席にいる友人を 大声でからかったり。
それはもう、無法地帯そのものであった。
それでも、キャバーンに集まった観客は、みんなビートルズに夢中で、ブライアンもその魅力に圧倒された。
「やつらには 人の心を捕らえて離さない何かがある」ブライアンはそう強く確信したのである。
106:ジョン・キロックノン
14/12/09 22:17:09.09 0
〜 The Beatles / Sweet Little Sixteen
URLリンク(www.youtube.com)
〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)いやあ、ねえw、ビートルズのロックンロールw。聴きました。
1962年です。
だから、ブライアン・エプスタインがキャバーンクラブへ聴きに行きすよね ビートルズをね。
その音に近いのが Sweet Little Sixteen ビートルズ。
これは チャック・ベリー(Chuck Berry)の有名な Sweet Little Sixteen
なお、蛇足ですが。
ビーチボーイズ(Beach Boys)の「サーフィンUSA(Surfin' USA)」
これから、これと まあそっくりですよねw。エヘヘ。
で、Everybody's Trying To Be My Baby で。
これはチラッと「Blue Suede Shoes」の話しを、お話しの時に出てきましたけども。
同じ作者が・・・ビートルズは 彼のこと大好きなんで、特に 全員が大好きかなあ。
で、Everybody's Trying To Be My Baby というのを「ビートルズフォーセール(Beatles For Sale)」のアルバムの中から。
なお、Sweet Little Sixteen ていうのは、ドイツのハンブルグの「スタークラブ」
ビートルズの待遇が相当良くなって、スタークラブへ出るようになって。
そこで、店のボーイさんに「この録音ボタン押して」つってw ワンポイントで録っちゃった 音です。
107:ジョン・キロックノン
14/12/12 13:46:58.46 0
□リクエスト
(小林)
メールは beatles@bayfm.co.jp
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
(横浜市金沢区/女性)
初めてメールします。 (小林)ありがとうございます。
毎週夕飯の仕度をしながら聴いています。
思えば、去年のポールの来日の前、予習をしようと・・・ (小林)予習w
この番組を聴き始めて一年が経ちました。 (小林)あ、ポールを観に行くんで
ポールのことを理解しようと・・・。
あっという間に月日が経ち、あの東京ドームの夜が夢のようです。
私は49歳、物心がついて初めて音楽を自分の意志で聴き始めた頃に ウィングスが活躍していました。
だからか、ウィングス時代の曲には思わず涙が出ました。
幼いながらも、リンダとポールのカップルには憧れでした。
私もリンダが亡くなった年齢に近くなってから、本物のポールの生の声で曲が聴けるようになるなんて。
想像もしていなかったので、ほんとうに感慨深かったんです。
ぜひ、ウィングス時代の曲をかけてください。
(小林)きっと泣いちゃうかもねw
有名な Band On The Run
〜 Paul Mccartney & Wings / Band On The Run
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)いやあ、久しぶりに聴いた Band On The Run なかなかいいですね。
リクエストありがとうございます。
108:ジョン・キロックノン
14/12/12 13:51:37.38 0
(熊本市中央区/男性)40代後半
よく番組で「マイボニー」がかかりますが・・・ (小林)今日もかかっちゃったw
マイボニーといえば、僕の中学の英語の教科書に載っていて
全文和訳が宿題だったことを思い出しました。 (小林)ああ、日本語に直すんだ。
「僕のボニーは・・・ 海の彼方に」w
同じ時期の音楽の教科書には、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」があり。 (小林)ええっ!
音楽の時間にレッド・ツェッペリンと出会い。
それから数年レッド・ツェッペリンにどっぷりハマっていました。 (小林)すごいね、中学でやっぱり「マイボニー」ねえ。
ツェッペリンも あったんだあ。
よく道を外しませんでしたねw。
最近ツェッペリンのアルバムがリマスターされ、二枚組が出たあのアルバムを買いました。
ハマっています。
そこで、教科書に載っていたツェッペリン「天国への階段」をお願いします。
109:ジョン・キロックノン
14/12/12 13:53:43.95 0
(小林)という。
これは リマスターで、ジミー・ページ(Jimmy Page)が中心になって。
「ツェッペリンの全作を出そう」ていうことで。
最近は あれですね、日本へ来ましたね。
それから、一番売れた、一番ツェッペリンらしい、ツェッペリンていうのは一枚目から衝撃を与えたわけですが。
「ツェッペリン4(Led Zeppelin IV)」が、その ツェッペリンてのが、「ただ単なるハードロックの元祖じゃないよ」ていう。
いろんな音楽に悩んで、そして音楽を 自分たちの音楽を作ろうとしたんだ、ってのがよく解かって。
一番売れたアルバム。
これは スペシャルエディションみたいなのがあって。
その当時のツェッペリンの音をね、知人だとか、ファンが、ラジオでチェックしたり とか
自分でコンサート行って コッソリ録ったり、とか。そういった録音を入れてるんですよ。
それだと ほら、その音から 時代の情報も伝わると、ジミー・ページも分かっているわけですね。
その時代に こういうツェッペリンがいた。
それを 「新たな音で聴いてほしい。どうだ!」っていうことを感じて欲しい、ということで。
そういうのが発売され。
昔はもう インタビュー嫌いで、絶対前に 表へ出てこなかったんですが。
もう、爺さんになってから ツェッペリンを売りまくってますね、ジミー・ページはね。
(小林)さあ、それじゃ[熊本市中央区/男性]さんのリクエストに応えて。
あ、これはあれだよ 変な意味もあるんだよ。「天国への階段」って
麻薬って意味もあるみたいだったよ。ww
ツェッペリンで Stairway To Heaven
〜 Led Zeppelin / Stairway To Heaven
URLリンク(www.youtube.com)
110:ジョン・キロックノン
14/12/12 13:55:17.91 0
□エンディング
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
今日はリクエスト、名曲 最後まで聴いていただきました。
Band On The Run それから Stairway To Heaven
「ツェッペリンはハリーポッターだ」と思われた方。
そう、ツェッペリンがいなかったら ハリーポッターもいなかった。ね。
逆のことを言うと、「不思議の国のアリス」がいなかったら ビートルズもいなかったw。
いろいろw いろいろ発展しそうな感じです、
リクエスト待ってます。
beatles@bayfm.co.jp
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
ドシドシお送りください。
お相手は小林克也でした。
111:ジョン・キロックノン
14/12/15 18:40:40.57 0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2014年12月00日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
URLリンク(www.youtube.com)
□ビートルズカレンダー(12月14日)
・1970年(44年前の今日)
もう70年というとね、ビートルズは解散状態だけど、解散発表が出ていないんだよね。
これはやっぱり、本当にバラバラだ・・・。
マネージャーはちゃんと、アラン・クライン(Alan Klein)という人がいたんですけど。
やっぱり、なんて言うんですかね、ビートルズが解散したっつと自分の商売が無くなっていくような気がして、誰も言い出さなかったんですよね。
そんな中、それぞれがソロ活動をいたしますが。
今から44年前の今日、ジョン・レノンたちの「Instant Karma!(インスタントカーマ)」
そしてジョージ・ハリスンの「My Sweet Lord(マイスィートロード)」がゴールドレコードになった。
つまり、まあ、100万を突破したっていうことですね。
「Instant Karma!」ていうのはね、これねえ、当時やっぱりビートルズの力はすごい。
10ヶ月前の1月に、レコーディング当日にジョンが書いて、その日の夜中にレコーディングして、10日後にはもうレコードになってた。
超かけ足仕事。
普通のアーティストだと、そんなワガママは聞かないんだけど、ジョン・レノンだからね。
で、アメリカでけっこう3位とか イギリスで5位まで行く。
で、ジョージ・ハリスンはデビューアルバム、ものすごく力入が入っていました。
前にも、チラッと前に話しましたが。「All Things Must Pass」この中からのシングルとして11月に発売されて。
もう、またたく間にヒットして、イギリス、アメリカと共に1位であります。
で、面白いのは、この2つのCDは両方とも フィル・スペクター(Phil Spector)がプロデュースした。
ジョンも ジョージも、フィル・スペクター大好きだったわけですね。
もう、フィル・スペクター 当時の格好を見るとね、もう街中歩いたら すぐ目立つような恰好をしてたんですよね。
もう面白いですね、目立ちたがり屋のプロデューサーでもあったわけですね。
112:ジョン・キロックノン
14/12/15 18:43:16.65 0
で、「ジョージ・ハリスンのマイスィートロードは 盗作である」っていうことで、裁判に負けて。
数億円の補償金を 賠償金を払った、ていう話しは有名ですけども。
ジョージ・ハリスンは「僕は“Oh Happy Day ”ていう」♪Oh Happy Day ♪ていう、「あれにインスパイアされた」ていうことで。
結局、盗作に負けたのは、シフォンズ(Chiffons)の「He's so fine」に似ているということで負けるわけですが。
これは まあ、あれでしょうね、もうジョージ・ハリスンは全然それを意図していなかったでしょうね。ええ。
ちょっと ジョージの目出たいソロにケチが付いた、というわけでw
それじゃ、ケチが付いたレコード、改めて。
まあこれは 僕らの世界では、やっぱりメロディが似てるから盗作になるけど、世界がぜんぜん違うんだけどねえ。
ジョージ・ハリスン My Sweet Lord
〜 George Harrison / My Sweet Lord
URLリンク(www.youtube.com)
(小林)というわけで、ジョージ・ハリスンの My Sweet Lord が流れましたが。
Instant Karma も My Sweet Lord も、ちょっと考えてみてください。
これはねえ、ビートルズでは後半で、こういう風な流れはありましたけども。
自分の心の中へ向っての歌ですよね。
面白いですよね、そういう風なものの始まり。
ただね、方法がね 具体的に言うとね、違ってて。
ジョン・レノンは自分の心の中へどんどん入って行って、中のものをつかみ出して「どうだあ!」って見せてくれる。
ジョージ・ハリスンは 例えば神だとか そういう所へ、自分の心が向いているってことを示してくれる。
ただ、もう一人の天才、ポールはそんなことは絶対しない。
話しだとか景色を映し出してね、それが例えば、この番組のテーマの「Eleanor Rigby(エリナリグビー)」みたいな暗ーい物語。
でも、それを彼が語ることによって、「自分の心の中を想像してくれ」っていう、これがポールですね。
3人3様ですね。
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