天理教 基本教理 天理教教典 at PSY
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7:基本。
14/01/16 03:36:08.28 e/QsDK0l
>>2
> 「親神としての中山みきが、教祖としてのみきの口を通して仰せになった」
ここには、魂としてのみきと肉体としてのみきの問題があります。
魂としてのみきは親神です。
しかし肉体としてのみきの問題は、たとえば修験道の行者を想起すれば分かりますが、滝に打たれて身を清めます。
断食もします。よりしろになる女性においても、身を清めをします。
「よりしろ」は神おろしの一瞬の時ですが、「やしろ」は四六時中の問題であり永遠の問題ですから、みきがみきと言う女が神の社になる上では、
「魂のみき・親神」は、「肉体のみき・教祖」を清らかな物としてきれいに貰い受けなければならなかった。
そう理解します。

8:神も仏も名無しさん
14/01/16 10:51:52.48 XD8vPAM6
中山みほより中山忍のほうが好きだな。

9:神も仏も名無しさん
14/01/16 13:46:11.50 0h1AeeRf
25: >張り手</b>(東日本)<b> [] 2014/01/14(火) 21:11:51.76 ID:KoSEq+410
■高麗棒子(ぱんず)の悪行
・当時の中国人が描いた漫画 「日本の軍旗を振り回す朝鮮人が中国人を殺す!」
 URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)

・中国人 謝永光著 『日本軍は香港で何をしたか』
 (朝鮮人は)一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった。
 民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。
 当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。

・仏誌Paris Match元特派員 アルフレッド・スムラー著 『ニッポンは誤解されている』
 別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、
 このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない。

・ある医師の述懐 『キヤンガン、山下将軍降伏の地』
 フィリピン人「日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。
 赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。皆がそう信じている。」

・韓国人 崔基鎬の述懐 「韓国人は日本人以上の日本人だった」(大意)
 当時、戦争ニュースは映画館で放映されており、韓国人は日本軍の活躍に狂喜していた。(拍手と万歳の嵐)
 しかし、日本で映画館に行くと、熱狂する人など殆どおらず、冷静にニュースを見ていた。

・オーストラリア人 ケニス・ハリスン著 『あっぱれ日本兵』
 彼ら(朝鮮人)は(日本人に比べ)大型で、顔は平たく、知性に劣り、日本人が与えた屈辱を我々に転嫁した。
 どんなに試みても、我々は彼らと本当の付きあいは確立できず、体罰となると、日本兵よりも彼らをはるかに恐れた。

・『ミャンマーの人々はビルマの竪琴をどう観たか』
 ミャンマー人「日本人兵より朝鮮人兵の方がきつかった」

10:神も仏も名無しさん
14/01/16 13:47:01.15 0h1AeeRf
反日妄想カルト民族がコロリするまで、天理教の衰退は止まらないのではないだろうか。

11:神も仏も名無しさん
14/01/16 14:26:09.62 0h1AeeRf
早くに日本に入り込んだ妄想カルト民族と、遅くに入り込んだ妄想カルト民族が、人の地(日本)でドタバタやってるのを、
おやさまはとふぢんがにほんのぢい・・・と仰ったのではないだろうか。

12:神も仏も名無しさん
14/01/16 23:37:06.90 brxeSDjt
基本さん、スレ立てお疲れさまです。
長丁場になるかと思いますが、是非とも完走して頂きたいです。
僕の教会では、基本さんのアドバイスを参考にさせて頂いて、おふでさきに今までより真剣に向き合い、読ませて頂くようになりました。
基本流、九九の手ほどき、これからも楽しみにしています。

13:基本。
14/01/17 03:53:37.96 48ofzDRM
>>2
おやさまの教えを出来る限り詳細に、九九の手ほどきで、二代真柱さまという超大天才の編集になる天理教教典の内容を語らせて頂きます。
二代様を「応法の真柱」と私は呼んでいます。世間的には1905−1967 大正-昭和時代の宗教家。62歳で亡くなっています。
正善真柱が生まれる以前に、親神は本席を身上にして、「一ニ三一二三の切りを入れる」旨を告げています。
「本席身上」と言うのは、教団が間違っていると言う事情のあるときに、本席を病気にして、人間がお指図を伺う、そのときの神のおさしづです。
おさしづは、明治22年11月2日 この数列は222(1+1)2 となっています。
「陰暦十月十日」は、陰暦の意味するのは、古い時代、十月十日は「漢字でいうと朝」です。 人間で言うと誕生です。
おやさま50年のひながたの時代に「正善」と言う名は予言されていました。
「中山秀司」の生まれ変わりが、正善真柱と言われています。二代真柱がまだ生まれていないときに、「復元まで60年」という、日の切りをきちんと親神は入れています。

 明治二十二年十一月二日(陰暦十月十日)午後九時
 本席身上障り願
「さあ/\一二三々々々の切りを切りて置こう。一二三の印を打って置く。一二三の印の間、世界の道理上で通る。道理上ばかりで通す。
ようこれを聞いて置かねばならんで。」

14:基本。
14/01/17 03:54:20.61 48ofzDRM
 親神が切りを入れた明治22年(1889年)から予言どうりに60年で、1949年(昭和24年)4月1日、天理大学開学。10月26日、『天理教教典』公刊。
その予言当時には生まれてもいなかった正善真柱は、天理教教理を復元しています。
最初の一二三の切りの時、30年後には青年増野鼓雪が青年会を活動拠点に、おふでさき、またおさしづを基にした教理を教団内に復元開始し、二代真柱は本部員に抜擢して増野鼓雪は教団思想のニューリーダーとして脚光を浴びています。

 おやさまは見えん先から説いておかれるお方で、この切りを切らねばならなくなるというご注意も警告も、先に警告されています。
 それはおさしづで、
明治二十二年四月十八日 午後十時
刻限御話
さあ/\/\/\うん/\/\、さあ/\/\話掛ける/\、どういう事を話掛ける。これまでの処というものは、皆んな一つ/\寄せて運んだ処、皆寄り合うて始めた処、又これよりどんと一つの道改める。
改めると言えば皆が案じる。皆々変わる/\と言えば皆案じる。案じる事は無いで。
道が変わると言えば案じる。
さあさあ今になって今の事を言うやない。所々には一つ/\の名を下ろし/\。
さあさあいつ/\までの事情、往還道を待ち兼ねる。
何か一つの治め方、一つの事情、元一つの事情から始め掛ける。
初まりという、国々何処の国々、初まり/\前より一つ。
さあ/\遠く/\こんな処から、何処からどういう道が付くとも分からん。
世界の中の所から、どんな所より道が付くやら。
偉い事や。この道というは、後々の事も言わん。日々の処どんな所へも入り込む。
さあ/\皆始め来たる処、あちらに一つの社や、こちらに一つの講や。
皆々難しい処より始めた。心の理によって一つの名を揚げた。一つこうのう始め掛けたら、よう聞いて置け。
何処にどういう道が始まるとも分からん。
さあ/\天理教会やと言うてこちらにも始め出した。
応法世界の道、これは一寸の始め出し。神一条の道は、これから始め掛け。
元一つの理というは、今の一時と思うなよ。今までに伝えた話、かんろだいと言うて口説き口説き詰めたる。
さあ/\これよりは速やか道から、今んまにかんろだいを建てにゃならん、建てんならんという道が今にあるという。

15:基本。
14/01/17 08:57:43.50 48ofzDRM
「さあ/\皆始め来たる処、あちらに一つの社や、こちらに一つの講や。」
これは、船場、山名を代表とした講元たちの公認運動として出来た講社組織の事を示しています。
梅谷、井筒、諸井 、平野はこの年、明治22年に競うように「祭儀・神事」の整備を急いでいます。
1888年に郡山分教会、山名分教会は官から認可を得て協会設立していますが、
「おやさまの教えを広める」為に、「どうでも信心する」為に設立されたものです。
 しかし、教会が出来て講元たちはおやさまの教えを伝えることよりも、教会としての形式整備と内容充実に心の重きをおいてしまいます。
つまり、応法を通りたがるわけです。
親神が「一二三、一二三」の入れた、その原因は史実にちゃんと残されることになりました。
分教会から願い出た記録がおさしづには残されてあります。
 明治二十二年三月三十一日(陰暦三月朔日)午前九時三十分
 郡山分教会所に御神楽御道具を御許しの願
 明治二十二年三月三十一日(陰暦三月朔日)
 兵神分教会所前同様御神楽道具願

山名では、数年前から天輪王教会で公認を受けていて、かぐら面の許可を「わし(教祖)がが許すやない、上が許すのや」のお言葉を根拠にして、
お面を作成し、つとめていましたので、郡山と兵神は、自分たちもそれがしたいとかぐら面の使用を願い出たわけです。
 郡山分教会、兵神分教会の願いは「三月大晦日」です。
この日を見ただけで、掃除されるのではと浮かぶ感覚大切です。

 講元たちは「宗教家業」の店舗作り、営業だと、そちらに精神が行ってしまう。
そこで四月 >>14  おやさまの誕生日に「刻限」にて、
「さあ/\天理教会やと言うてこちらにも始め出した。
応法世界の道、これは一寸の始め出し。神一条の道は、これから始め掛け。 」と、
高弟初代たちの通りたがった応法の道を、「神一条の道の始めかけ」として、お言葉を下されました。

 天理教教会も天理教教典も、神一条のはじめかけの道筋においての「王道」である、
それは、
「今んまにかんろだいを建てにゃならん、建てんならんという道が今にあるという。」
甘露台一条の道への「序」に位置づけられているわけです。

16:基本。
14/01/17 10:10:34.81 48ofzDRM
>>2
「1」-2
URLリンク(www.geocities.jp)
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。
みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した
が、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、
一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
//////////////////////////
「我は元の神・実の神である」 これは、文字通りに「元」「実」。
「この屋敷にいんねんあり」 少しこれを解説します。

17:基本。
14/01/17 11:08:24.89 48ofzDRM
いんねん【因縁】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
1 仏語。物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。すべての物事はこの二つの働きによって起こると説く。

 神がかりの問題もそうでしたが、古神道の元、大峰山の行者の霊験というものを承知して読まないと、立教の状態は理解できません。
親神の対話した相手は世界遺産大峰山の12先達のお一人で、宗教界のトップレベルのお方であった。
だから、くどくどとした解説ではなく、諭しと悟りと言う会話が成り立つと言う事です。
宗教インテリとの会話として理解すべきです。

いんねんとは、仏語です。
当然ですが、行者信仰の最高峰大峰山のトップレベルの行者さんは、
「いんねん」とは、物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。と言う事は、常識として知っているお方です。

「縁」は、えん、えにし、ゆかりと読みます。すべてが因縁の「縁」です。
「因」とは、原因の因です。

そこで、「元の神の元、実の神の実」に対比してみますと、
「元」とは「縁」であり、「実」とは「因」です。
人間の元を始めたと言う「えにし・縁」がある神。
現実にこの世の救済を実行しようと、神がかりの原因となった「神」。

「この屋敷にいんねんあり」とは、この屋敷(中山家屋敷)に「いん」直接には中山みきがいると言う因がある。
「この屋敷にいんねんあり」とは、この屋敷(中山家屋敷)に「えん」間接的には元始めたえにし・縁がある。
このような意味になります。

18:基本。
14/01/17 11:13:26.25 48ofzDRM
>>17
> いんねん【因縁】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
> 1 仏語。物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。すべての物事はこの二つの働きによって起こると説く。

誤解されがちなのは「屋敷そのものに因縁がある」とそういう誤解です。
屋敷には、その中の土地の一角に「ぢば」はありましたが、「ぢば」以外の中山家は、「元の神実の神とはいんねん上は無関係」です。

行者の市兵衛さんは元の神実の神に対して「天のお星様でありますか」と尋ねています。
修験道の達人にとってはじめて聞く神であり、地上の神については知り尽くしているわけですから当然の質問です。
「われは、天の将軍なり」とお答えになったと伝わります。
それは、神の格を示したお言葉でした。

天にいるお星の神が、中山家に家人に「いんねん」があって、それで病気にしているのかという、
病気にするような神という前提で尋ねたわけですから、祟り神であるならレベルというものは低いわけです。
場合によれば祈祷などで調服することも行者の仕事です。
みきが「天の将軍」と宣言したのは、行者に対して神格においての格の違いを示したものです。

教祖伝にはこうあります。第一章 月日のやしろ 啓示:
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」
神々しい威厳に充ちた声に、身の引緊まるような霊気がその場に漲った。 戸主の善兵衞も、修験者の市兵衞も、親族の人々も、誰一人頭を上げようとする者もない。
それは、今までに聞いた事もない神であり、思いも寄らぬ啓示であった。善兵衞は、初めの程は全くその意味を解し兼ねたが
・・・・・・・・・・・・・・

19:基本。
14/01/17 11:18:40.62 48ofzDRM
神々しい威厳に充ちた声に、身の引緊まるような霊気がその場に漲った。

 元の親神と古神道トップレベルの行者の対決にシーンです。

 思わず感動で、涙が溢れます。
 みき姉さんは人間の親神です。
 カッコ良すぎます。

20:基本。
14/01/18 07:50:32.66 vpgQ/v+C
>>17
ネット上に「天理教講座」と銘打って、東本青年会、草梁青年会の質問回答例が公開されていますので、
きちんと批判をしておきます。「いんねん」に関してです。
URLリンク(www1.plala.or.jp)
B教祖は、人類創造にゆかりの魂をもつことから選ばれた人で、そのときより50年の間、c神の社となり、神の言葉を伝えると共に、d人間の生き方の雛形の親として、自ら、貧の中に入ってゆき、どんな中をも心一つで、陽気に暮らせることを示した。
現行天理教団教義は、拝礼形式そのものが「親神・教祖・祖霊」を三殿礼拝するように、天理教会では教義上「親神」と「おやさま」は二元論で解説されています。
そこで、「教祖は、人類創造にゆかりの魂をもつことから選ばれた」と、解説されています。
>>17に基本を示しましたが、仏語に言う因縁は、物事が生じる直接の力である因ですから、立教の因は中山みきそのものですから、

 「この屋敷にいんねんあり」とは、この屋敷(中山家屋敷)に「いん」直接には中山みきがいると言う因がある。
「この屋敷にいんねんあり」とは、この屋敷(中山家屋敷)に「えん」間接的には元始めたえにし・縁がある。

↑ これが正解で、東本系が解説している「教祖は、人類創造にゆかりの魂」説は、誤解、誤りです。
こう言う誤解は山名系の諸井河原町系の深谷が、おやさまゆかりの仏教・古神道の信心を丁寧に理解しないで、
キリスト教系の「神学・教学」で広めた悪風に影響されていて、お気の毒です。
教祖は「因」であって、ゆかり(縁)の教祖では無い。
教祖が、元の親が原因で立教された。
きちんと、元と末に、本末転倒の無いように、ご無事を祈ります。

21:基本。
14/01/18 08:11:20.07 vpgQ/v+C
>>17 >>20
> 質問回答例が公開されていますので、きちんと批判をしておきます。「いんねん」に関してです。
URLリンク(www1.plala.or.jp)
立教の三大因縁、
@旬刻限の理、人類創造のときの神とその人類創造のための道具となったものたちの約束によって経過した時であるということ。
A屋敷の因縁、ぢば(奈良県天理市にある天理教教会本部所在地)、人類創造の地。
B教祖魂の因縁、教祖は人類創造の折り、その道具の一つとされたいざなみの命の魂をもっていることによる。
・・・・・・・・・・・・・・
↑ この三大因縁説は、高弟たちが教祖の命で聞き取った教えを書き記した「こふき」話を台として、解説の為の解説用にもっともらしく用意された、
いわば、幼稚園で幼稚園児に説明するためのものであって、神のお言葉の「この屋敷にいんねんあり」をきちんと説明していません。
特に、「B教祖魂の因縁、教祖は人類創造の折り、その道具の一つとされたいざなみの命の魂をもっていることによる。」
この解説は、間違っています。
山名系深谷系に汚染されますと、中川よしを師とする東本系もまた、理に反した異説を平気で説いてしまっているわけです。
 親神そのもの、教祖そのものを間違って解説して「天理教講座」では、お気の毒なのですが、これでは原典の読めない愛町系と同程度の謀反度と言うしかありません。

それで、どうぞご無事でと「無事を」お祈り申し上げます。

天理教教典は原典を、優しく説き明かした物ですから、原典と違う解説や理解は、出て来たらむほん、
(無本)、本が無い、こんなんで信者増やしてうそ教えて、
ネットに公開して、東本文書伝道の草梁の先人なら、こんなミスはしなかったでしょうに、

22:基本。
14/01/18 08:25:52.37 vpgQ/v+C
>>17>>20-21
> この解説は、間違っています。
これは、教祖について、「その道具の一つとされたいざなみの命の魂」と解説した、
それは間違いだと指摘したものです。
根拠は「おふでさき六号」の無いように外れていること。です・
その箇所を、引用します。「み」は道具ではありません。
 このよふの元はじまりハとろのうみ そのなかよりもどぢよばかりや (6-33)
 そのうちにうをとみいとがまちりいる よくみすませばにんげんのかを (6-34)
 それをみてをもいついたハしんぢつの 月日の心ばかりなるそや (6-35)

 このものにどふくをよせてたん/\と しゆこふをしゑた事であるなら (6-36)
 このどふくくにさづちいと月よみと これみのうちゑしこみたるなら (6-37)
 くもよみとかしこねへとをふとのべ たいしよく天とよせた事なら (6-38)
 それからハたしかせかいを初よと かみのそふだんしまりついたり (6-39)
・・・・・・・・・・・・・・
「このもの」 これに道具を寄せたとあります。
「このものに」 これに「守護を教えた」とあります。

ではこのものとは何か、それが「元のおや」です。おやさまは「元の親」です。
道具では無い。元の親です。

まったくもって、残念な天理教講座です。

23:基本。
14/01/18 08:46:11.02 vpgQ/v+C
>>20-22
親神は、厳然として理です。
理の間違いは気の間違いと教えられています。
気の狂ったようなインチキ講座を蔓延させたのは、基本が悪いのです。
基本を正しく、きちんと教えの元に「復元」させてこそ、復元教典の解説になりますので、お許し下さい。

 このつとめ十人にんぢうそのなかに もとはじまりのをやがいるなり (6-30)
「もとはじまりのをや」これは「中山みき」の事です。

夫婦の元始まりがあって、「人間はじめ」があったわけですが、元のをやとは、
いざなぎ、いざなみご両名で、おやさまは「み」です。
 いざなぎといざなみいとをひきよせて にんけんはぢめしゆごをしゑた (6-31)
 このもとハどろうみなかにうをとみと それひきだしてふう/\はちめた (6-32)
「人間はじめ」「夫婦はじめ」始めたときの解説が、続きのおふでさきです。

 このよふの元はじまりハとろのうみ そのなかよりもどぢよばかりや (6-33)
 そのうちにうをとみいとがまちりいる よくみすませばにんげんのかを (6-34)
 それをみてをもいついたハしんぢつの 月日の心ばかりなるそや (6-35)

 このものにどふくをよせてたん/\と
しゆこふをしゑた事であるなら (6-36)

このもののお一人が「全人類の母親で」「基本のお姉さん」中山みきその」方です。

 この一連のお筆先を読んで、「中山みきは道具だ」では、天理教と名乗る詐欺師そのものでは無いか。
 みき姉さんが基本を分かって欲しいお気持ちが、「私は道具じゃないよ、母親だよ」と、おっしゃりたいお気持ちが、分からない教団指導者の事は、
御無事を祈ってあげましょう。心得が違っていただけです。
おやを親とも思っていなかっただけの些細な間違いです。
 基本はなにがあっても、おやさまが親神さま。おやさまだけが天理王命様。
おやさまをお慰め申し上げます。

24:神も仏も名無しさん
14/01/18 20:45:31.62 i4yDW0Sj
ぢばが大切なんじゃないの?よくわからないけど。

25:基本。
14/01/18 22:49:19.74 vpgQ/v+C
ぢばが大切と言うご質問ですが、ぢばとは人間始めた故郷ということで「このとこ」で人間始めかけた「床」です。
人間始まりの「縁・えにし」ある土地と言う場所で、畳二枚分、ダブルベットサイズの一坪四方です。

大切なのは、地場ではなくて「親神・中山みき」です。
「ぢばは、いんねんあるで、自由自在を」と教えにありますが、「因」それは親神です。
中山みきです。
親神がいれば、地場から道のり千里離れていても、「自由自在」。
親神不在なら、地場といえども単なる縁としての聖地ですから、願ったところで守護は無い。
現実に中山みきを親神として、拝していないこの応法信仰者は、物凄い回数地場を拝しているでしょうが、教団の勢いは落ちるばかりです。

東本大教会初代の中川よし、彼女の伝記を書いたのが、>>20 に紹介しました、草梁分教会の初代さんではなかったかと記憶します。
伝記を読めば、中川よしは「御教祖様!」でした。
関根豊松さんは「この宇宙は御教祖様のお働きだ」と語っています。

原典読めなくたって、「御教祖様」と親神そのものを御教祖様に求めていた数少ない天理教信者、それが愛町初代関根豊松で、
乞食のおやしと言われた無学な女でも、「御教祖様」と、願う対象を「御教祖」と呼ばれた数少ない彼らは、
そこらへんが、周囲に嫌われた原因だと思います。

御教祖様とは、天理王命。
ぢばで呼び出そうと、山の中で呼び出そうと、おやさまにはちゃんとお受け取り下さる。
願うなら天理王命本人に願いましょう。

{ぢばよりも大切なのは中山みき]

26:基本。
14/01/19 00:35:16.83 KMQQQWfh
「1」-3
URLリンク(www.geocities.jp)
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。
みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した
が、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、
一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
//////////////////////////
このたび世界一列をたすける為に天下った。

「世界一列をたすける」という意味は、この立教の時点では明確に説かれていたわけではありません。
現実に現場では、三人の病気をたすける寄せ加持であったわけで、「世界一列」ということは、人間の側にはなにをいうやらという、程度の認識であった。
しかし当の病人、秀司の足痛を助かるにはわけのわからない神の仰せに従うしかない。
自分たちが助かりたいために、神の脅しに屈したわけです。
それでは、なんで中山秀司は足痛になっていたかです。それは中山家の悪因縁の因果応報の結果です。
ザおやさまには整理してあります。
URLリンク(thebbs.fc2.com)
参照下さい。

27:基本。
14/01/19 00:37:16.74 KMQQQWfh
> それでは、なんで中山秀司は足痛になっていたかです。それは中山家の悪因縁の因果応報の結果です。
> ザおやさまには整理してあります。
URLリンク(thebbs.fc2.com)
[68] 基本。 2006/12/13 09:55
「中山家の悪いんねん」。
これを示す証拠として、教祖伝史実校訂本中1巻に次のような事実が記されています。
 A 元禄十六年十月二十五日に、銀子七十匁を、庄屋敷村の弥作、源四郎他四名に、屋敷を質物(担保)として、貸して、証文を出させている。
B 正徳五年十二月十四日に、銀子百三十五匁を、久作他三名に、田、六畝三歩を質物(担保)として、貸して、証文を出させている。
 C 享保三年十二月十四日に、銀子七十目を、孫四郎他三名に、畑二十歩を質物(担保)として、貸して、証文を出させている。
中山家の古文書から抜粋したほんの三つの資料は、元禄十六年(1704)、正徳五年(1720)、享保三年(1723)、の、金貸しの実態を証明してくれています。
「足達金持ち、善右衛門さん地持ち」と、歌にまでうたわれた、中山家の財産は、お金を貸して、家屋敷、田地・田畑を取り上げていた結果の大地主であった。
少なくとも、長男の秀司が足痛を起こし寄せ加持にて、祈祷した時の133年以上前から、金を貸しては、人を債務の奴隷にしていたと言う事が分かります。
133年よりももっともっと長く、積み上げていた、「債務奴隷」を生み出した「悪いんねん」を切る事が、世界のふしんの前に、なされるべき事であったと、おやさまの、元の理の数理の史実は、証明し、語ってくれています。


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