■〜天理教・教理と要理の解説スレッド〜■
at PSY
[前50を表示]
100:ダソク2号
12/01/06 21:27:07.00 6Weyv/wU
こじつけ考え中 チョッと待ってね
101:基本。
12/01/06 21:31:40.24 aS5U2e3E
「ざねん」と「ざんねん」の相違は、誰が見てもわかるように、「ん」があるかないかです。
二代真柱の英訳で確かめますと、先ずざねんは、このように英訳されています。
My regret 17号25。「ざねん」
After the regret and anger of Tsukihi 第13号 36 「ざねん」。
the regret from the mind of Tsukihi. 第6号 75 「ざんねん」。
the regret in the mind of Tsukihi! 第12号 26 「ざんねん」。
all the mind's regret 第12号 63 「ざんねん」
the greatest regret. 第13号 16 「ざんねん」
the greatest regret 第13号 67 「ざんねん」
さすがに、二代真柱様は、「ざんねん」と「ざねん」の違いをきちんと、英訳で、使い分けています。
102:神も仏も名無しさん
12/01/06 21:41:54.29 Dhf5TEyT
>>98
>ご質問の内容ですが、
> 取り払われた十三段の石のかんろだいが揃いえば
これは、間違っています。教祖伝には、こう書かれています…。
それは存じております。アホなもんで、文書表現がまずいだけのことです。
「(完成途中のかんろだい)取り払われた」が、「十三段の石のかんろだいが揃えば…。」と言えば良かったですね。
余談ですが…。
二段のかんろだいは、現在真柱宅の庭にありました。
これは専修科の時に目撃しました。
30年ほど前の話ですが、奈良の誰かさんから買い戻したとか言われてました。
103:基本
12/01/06 21:45:52.96 aS5U2e3E
問題は、ぼちぼちさんの、英語力と、国語力になっています。
基本には、基本的な解説は、直ぐ出来ますが、ぼちぼちさんに、真柱の恐るべき能力を知って欲しくて、
期待して、真柱の英訳で、違いを示すことにしました。
「ざねん」は、ダイレクト、直接月日。
「ざんねん」は、幾つも幾種類もある。一番のとか二番のとか、そういうざんねんのレベルの違いがある。
月日の心からfromの残念もある。
月日の心の in the mind of の残念もある。
the greatest regret.もある。
つまり、「ざんねん」には「ん」がある。「ん」の本字は「无」であり、意味は「無」。
「ん」=「无」=無がつけば消せるもの、そう簡単に消せないものは「ざねん」。
そのように二代真柱は、英訳時に使い分けておられる。
恐るべしは、巫女・真柱である。
104:ぼちぼち
12/01/06 21:48:12.81 Dhf5TEyT
あんまり優秀ではありませんが、教祖100年祭当時、専修科で学んでいました。
それこそ蛇足ですが…。
野良さんのちょっと先輩になります。
105:基本
12/01/06 21:52:34.51 aS5U2e3E
>>102
甘露台の石を、警察から戻したのは、競艇の創始者・笹川さんです。
カチカチ用心の、CMしていた、爺さんです。
> 、「十三段の石のかんろだいが揃えば…。」と言えば良かったですね。
では、13段の石の甘露台が揃えば、という日本語、変だと思いませんか。
13段は、積み上げるもので、一段二段と、積まれた。
十三段なら、石が積まれたらとなります。
今から仕事で、カラオケ教えますので、「揃える」とは、「台か体か」、
言葉としての自然、不自然、よくよくご思案下さい。
106:ぼちぼち
12/01/06 22:00:20.73 Dhf5TEyT
>>103
ありがとうございます。
日本語は聞き取れるレベルですが、英語はサッパリ解りません。
が、訳し方に違いがあることは解りました。
また、屁理屈に挑んでみます。
107:神も仏も名無しさん
12/01/06 22:32:44.22 jebd5yHj
英訳したのは真柱ですか?井上昭夫さんでは?
108:神も仏も名無しさん
12/01/06 23:21:23.74 F5MZ7tTl
井上昭夫が巫女なん?
109:ぼちぼち
12/01/06 23:47:31.93 Dhf5TEyT
>>107
それはそれで善いんじゃない?
まあ…その…あれや。
井上昭夫さんを見込んで仕込まれたのが二代さんなんやから。
「さねん」「ざねん」「ざんねん」を直訳したのではなく、全体の流れから訳されたとは思うけどね。
気になったのは good better best みたいになってるのかな?ってことやけど、英訳羅列されても解らんわ…。
それと、英訳したおふでさきをもう一度和訳したらどうなるんかも気になります。
おふでさきの内容とは違ってたりして…。
アホは神の望みとか申しますが、こんなアホはあかんみたいやね(笑)
110:基本
12/01/07 00:48:53.96 fsb6PJbm
ぼちぼちさんらしい反応ですね。
> 英訳したおふでさきをもう一度和訳したらどうなるんかも気になります。おふでさきの内容とは違ってたりして…。
道友社では、参考書として、
「おふでさき 英訳・研究」(井上昭夫、マッシュー・アイナン 著)を売っているようですよ。
こんな感想もありました。URLリンク(blog.goo.ne.jp)
『おふでさきを日本語だけで読むと、結構難しいのです。ですが、少し英語がわかったこともあって、私が参考にした「おふでさき 英訳・研究」(井上昭夫、マッシュー・アイナン 著)のおかげで、この難解と思われた「おふでさき」が読めたのです。
その時の感激が私のこのblog を書かせました。書き始めたのが昨年の1月ですから、ちょうど約1年と10月位の時間が経ちました。』
> アホは神の望みとか申しますが、こんなアホはあかんみたいやね(笑)
いいえ、良いんじゃないですか。人が好けば神も好くのですから。
だって、ぼちぼちさんは、突っ込んでくれるから、書かないことまで書けるわけで、ありがたい事です。
基本にすれば、こんなこと書いても分からないだろうなと、余分には書かないわけで、
それを、書けば、皆が読むわけで、突っ込んだぼちぼちさんには、分からなくても、中には分かる人も、大勢いるわけで、
「たい」を揃えるには、一列を澄まして行くしかない。「一列澄まして甘露体」という人間になるのは、必要なことは、胸の掃除であり、親神様を信じることと言う、当たり前が、きちんと位置づけられるわけです。
今までは、十三段の石を積んでくれない、真柱に、作業開始は何時なんだと文句たらたら。
これからは、一列を澄ますために、自分が、悪しき払いをする事の、自己責任に目覚める人が、ゼロではなくなる、
良い事です。
111:基本
12/01/07 01:30:54.49 fsb6PJbm
ぼちぼちさんへ。「たい」「だい」の濁点の関連ですが、
たてぬいの先生は教義学の先生です。TATENUI にて、例を示し基本的理解の根拠とします。
第3号 7
これからハ水にたとゑてはなしするすむとにごりでさとりとるなり
From now on, I shall speak in the metaphor of water. Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”
これからは水を例にとって教えを説き諭しするが、水が澄んであるとは、人々の心にほこりが無くて奇麗な事であり、濁ってあるとは、人々の心にほこりが積もっている事であるから、それによって各々に悟るがよい。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「すむとにごりでさとりとるなり」この事は、山名系教義では、
「人々の心にほこりが積もっている事であるから、それによって各々に悟るがよい。」と訳しています。
つまり、「すむとにごりで」は、心の埃の事と山名系の理解ですが、大間違いです。
それを、きちんとご理解くださるよう説明します。
(続きます)
112:基本
12/01/07 02:04:09.09 fsb6PJbm
「すむとにごりでさとりとるなり」の英文です。
Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”
ネット上の翻訳を利用します。
Be enlightened 翻訳→啓発される。(.google)
Be enlightened 翻訳→教化されてください。(yahoo.)
Be enlightened 翻訳→啓発されてください。@nifty翻訳
↓
つまり、悟りとるなりとは、「啓発される」「教化される」行為と言うことです。
by the words 翻訳→言葉で(.google)
by the words 翻訳→語によって(yahoo.)
by the words 翻訳→その単語で@nifty翻訳
by the words “clear” and “muddy.”"クリア"と"濁った。(.google)
by the words “clear” and “muddy.”「すっきりさせて」、「泥で汚してください」。(yahoo.)
by the words “clear” and “muddy.”「クリアしてください」と「泥だらけになってください。」@nifty翻訳
Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”「オフ」と「泥だらけ」「(bing)
//////////////////////////////////////
by the words つまり、語によってとはありますが、心の埃とか書いてない。出てきていません。
113:基本
12/01/07 02:11:33.81 fsb6PJbm
以前に、おふでさきの読み方の基本として、「澄む」と「濁る」は、書いてあります。
「濁点があると濁る」→「だい」 「濁点なしは澄んでいる」→「たい」
こう言うように、言語という記号を用いてある、「澄む」と「濁る」で、悟りとってくれと、
お筆先には書いてあって、二代真柱は、「口でも言わん筆先の責め」ですから、全く解説しないで、英文の筆先公刊されています。
「ご神体」の「たい」は、澄んであるもの。
土に立てられる「甘露台」は、土がついていて汚れがあるもので、「だい」。
それを、悟りつつ読むのが、お筆先に知らされた基本です。
114:基本
12/01/07 02:31:10.54 fsb6PJbm
これを、応用した場合のお筆先解釈の実例を、紹介、引用します。
天理教を語る!!4
URLリンク(bbs.thebbs.jp) 基本。 2006/12/07 09:08
[251] 基本。 2006/12/07 16:03
> 明治2年に、教祖はお筆先一号を書かれて、知らされた。
> このたびハはやくてをどりはじめかけ これがあいずのふしきなるそや 一号15
> このあいずふしぎとゆうてみへてない そのひきたればたしかハかるぞ 一号16
> そのひきてなにかハかりがついたなら いかなものてもみながかんしん 一号17
> みへてから説いてかかるハせかいなみ みへんさきからといてをくそや 一号18
> このさきハ上たる心たんたんと 心しづめてハぶくなるよふ 一号19
> このハほくむつかしよふにあるけれと だんだん神がしゆこするなり 一号20
>
> このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ 一号21
昭和3年当時の解釈は、>>250 明治政府よりのもので勤皇思想まじりでした。
それでは、「書き文字であるおふでさき」の、一語一語に留意して、澄むと濁るを思案して、
ひながたに明示された、明治政府の「王政復古」とは、「祭政一致」の提唱であり、皇上への人民総奴隷化計画とも言える「大教の詔」こそ、維新の目指したものであった事実を踏まえて、一号の15から20の解釈の基本を述べてみる。
(引用続きます)
115:基本
12/01/07 02:33:11.33 fsb6PJbm
(引用続きです)
『このたび、慶応3年にお払いさんが降るとの情報戦略の行われた、人為工作による「偽世直し」のあった、この時に、親神は十二下りを教えはじめる。
明治3年には「よろづよ八首」を序として加えて、てをどりをきちんと教えるので、この重大な旬に、よろづよと十二下りの、つとめ、手踊りを急いで開始するようにせよ。』
『慶応3年のお払いさんが降るという事情に対して、てをどりの勤めを開始するのは、これが合図となって、「節が来る」、と言う不思議となる。』
『このてをどりの開始の事は、てをどりにて病人が助かる、おつとめの不思議な事を、「不思議だ、不思議だ」と言って、「節が来ると言う事が」見えていない。』
『大きな節が来て、明治政府の立役者たち、上の者の実態が見えたときに、確かに分かるのである。』
『お筆先に知らされた、「早く手踊り始めかけ」と言う合図の予言が、その日が来て、ああ、この事を予言していたのか、と分かる時には、皆が感心するであろう。』
『この先、将来は、上たる心はだんだんと、心の乱れを鎮めて、悪事の元を省いて、和睦が出来るように、』
『この高山の上のものの和睦は、難しいような状態にあるが、だんだん、神が守護する。』
このよふハりいでせめたるせかいなりなにかよろづを歌のりでせめ 一号21
このように、解釈されます。
明治維新の当時に、教祖は、慶応3年には、高山の情報操作を、「念がいったら肉が下る」と言われていました。
身の内にての、「肉」→「にく」、とは、世界にての、「くに」→「国」という理の事。
情報操作も念が入ったら、肉が下るとは、つまり、国が下る、「敗戦」と言う事を、予言されていました。
///////////////////////////////
116:基本
12/01/07 02:45:59.70 fsb6PJbm
(引用の続き)
明治維新の当時に、教祖は、慶応3年には、高山の情報操作を、「念がいったら肉が下る」と言われていました。
身の内にての、「肉」→「にく」、とは、世界にての、「くに」→「国」という理の事。
情報操作も念が入ったら、肉が下るとは、つまり、国が下る、「敗戦」と言う事を、予言されていました。
このおふでさきの執筆された明治2年には、
明治2年に、教祖は38日間の断食をしています。
明治2年の、38年後、明治41年に天理教は一派独立しました。
明治41年の、38年を経て、昭和20年に天理教は、終戦奉告祭をしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
終戦奉告祭 つまり敗戦です。国が下った。
おやさまの数理は、ここでも予言として、38年、38日の断食と理は一つに、予言が実現していますが、
澄むと濁るで悟らないと、きちんとおふでさきは、読めるものでは無いと思います。
117:基本
12/01/07 09:00:20.32 fsb6PJbm
38年以前にて立教した。
しかし、その親神の教えは、内からしても疑うばかりであった。
それが、38年の数理です。
大震災、敗戦。これらは、おやさまによって予言されていながら、天理教の内側の人間の誰一人も、真剣に教えの根を掘ってこなかったと言う事です。
ただ、真柱のみは、その意味、数理を承知していた。
そして、二代真柱は、英訳お筆先ではなく、「英文おふでさき」を公刊されて、世界の人に、正しい教えを伝え残されています。
二代真柱は、海外、世界の人々に正しくお筆先を伝えなければならないと、そう、周辺には常々に語られていた。
その言葉通りに、正しいお筆先の意味を書くと、
>>111
第3号 7
これからハ水にたとゑてはなしするすむとにごりでさとりとるなり
は、「語句の清音」「語句の濁音」で、悟るようにという、「英文になる」。
真柱の能力を、理解できない山名系の学者、天理教おやさと研究所の学者では、何も分からないのです。
そこを、きちんと分かって、山名系の学者の洗脳を解かねば、ガラパゴスの化石教理です。
118:基本
12/01/07 09:07:01.49 fsb6PJbm
89 :基本。:2012/01/06(金) 15:20:10.70 ID:jisGMXll
「かんろふ」・・ 「ふ」。 「よふき」・・ 「ふ」。 「こふき」・・ 「ふ」。 「このよふ」・・ 「ふ」。 「しよこふ」・・ 「ふ」。
文字と音では、 「かんろふだい」 「かんろふたい」 「かんろふ大」
これに関しては、過去の投稿も、参照下さい。ザ掲示板・天理教4URLリンク(bbs.thebbs.jp)
[32] アルテミス 2006/11/19 12:02
『このよふのはじまり』と『このよふの元はじまり』とは違うととらえていいのでしょうか?
『このよふ』は苺のショートケーキのどこを食べても、形や割合は違うけど苺のショートケーキと認識するように、いつでも『このよふ』ということなんでしょうけれども。
『はじまり』と『元はじまり』とは、なんて言うか、理は同じ、理は一つだけれど、時間的な差はあるのでしょうか?
[36] 基本。 2006/11/19 12:59
アルテミスさん。お久しぶりです。
>>32
「ふ」、この文字と「Fu」の音。
それが、とても深い意味を持っているのではないかと、いつも思案しています。
「ふうふう」「なむなむ」
「よふき」の、ここにも「ふ」があります。
「ようき」とは、どう違うのか。
「ふ」なら、風の神と云う、理に直結しています。
「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読むのが、文語です。
文語の「ふ」は口語の「う」だと、それは、普通の国語ですが、おふでさきでは、きちんと使い分けられています。
話は、予断しますが、子供向けの物理学のサイトを紹介して、馬鹿にしてると叱られた事が在ります。
あそこに、三原色のはなしがあって、素粒子の三原色の。
そこに、「白」が出てきます。
つまり、「ふ」が出来る瞬間を説明してくれています。
3×3なのに、=9にならないで、8になると云うのです。
それは、「しろ」が出来ると言う事、無色と言う事ですか、・・
覗いて見ておいて下さい。
(引用続きます)
119:基本
12/01/07 09:12:24.65 fsb6PJbm
本題に戻りますと、
> 『このよふのはじまり』と『このよふの元はじまり』とは違うととらえていいのでしょうか?
と、云う事ですが、おふでさきには、複数の表記がありますよね。
「もとはじまり」と「このよふのはぢまりだし」の、「じ」と「ぢ」の相違については、過去に申し上げた事がありますが、
「始まり」と「初まり」、つまり、開始はサ行、初は、タ行。
この意味が相違します。
「このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや」 4豪122
このおうたの場合には、どろうみからの初まりですから、「ぢ」、なのですが、・・・
実は、
「このよふを初めた」は、なぜ「はぢめた」ではないのか、思案中です。
それは、一二三、の理ではないかと、思案しています。
もう少し、精査します。
> 『このよふのはじまり』と『このよふの元はじまり』とは違うととらえていいのでしょうか?
基本的には、違うものととらえています。
一つは傍陽気さんが言われているように、自分自身と云う個々の人間においての、元始まりがあるからです。
たぶん、古い順に並べると、三者の関係は、
元はぢまり → 元はじまり→ はじまり。
この様になると思います。
/////////////////////////////////////////////
こういう、お筆先の理解の仕方は、私は、二代真柱様に手本をみて、そのように読ませて頂いています。
能力者の真柱様には、象とアリ以上の差がありますので、到底及びませんが、おふでさきは平かな、私の程度でも、ある程度までは、掘ることもできますので、少しづつ、深めて行っています。
120:基本
12/01/07 09:15:24.75 fsb6PJbm
ぼちぼちさん。
井上先生では、何も分からないのです。
その前提で、学ばれたら、すべてが参考書になると思います。
121:基本
12/01/07 09:43:00.15 fsb6PJbm
天理教を語る4を見て思いましたが、基本て、嫌な奴ですね。
折角、アルテミスさんが質問してるのに、あれ、無視してね、無視してるんですよ。
[41] アルテミス 2006/11/19 13:59
・・『はじまり』『はぢまり』『はしまり』ですか。
おふでさきでは、『はじまり』が先に出てきますね。『そふじ』『そふぢ』も『じ』が先ですね。
『しんぢつ』『しんじつ』『しんしつ』は『ぢ』が先ですね。
『元』も『もと』もありますね。
『元はじまり』において、
月→日 相談
↓
相談しまりついたり
↓
ぢとてんとをかたどりて
しまりついたから『はじまり』なのかと思ったりしてました。
そして『このもとハかぐらりよにんつとめハな これがしんぢつこのよはしまり』
[42] アルテミス 2006/11/19 14:03
最後は『はしまり』ですがこれは、『いちれつすましてかんろだい』
澄ましてなので、『はしまり』
なのかなあと?
[44] アルテミス 2006/11/19 14:40
最後は『はしまり』ですがこれは、『いちれつすましてかんろだい』
澄ましてなので、『はしまり』
なのかなあと?
[45] 基本。 2006/11/19 14:43
>>44
澄むと濁るで悟りとると言う事は、そのようなものだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
122:基本
12/01/07 09:44:09.51 fsb6PJbm
そっけないでしょう。
アルテミスさん、もし読んでたら、ごめんね。
今回のぼちぼちさんへの回答が、ご質問への回答を含んでいます。お分かりですよね。
「澄まして」「たい」→「はしまり」。
ですよね。
さて、昭和50年5月24日 ひながた甘露台据えかえの儀。立教138年です。
その西暦1975年を1と数えて、38年は、2012年。今年です。
おやさまが、お風呂を出てひょろめかれた、「世界のよろめき、世界のひな型」といわれたのは明治20年1月1日。(陰暦12月8日).
明治20年から起算すると、1887年を1として、125年は、2012年今年です。
そして、二代真柱が、英文の筆先の教えを、英語で、世界宗教者会議にて、お話したのは、昭和45年10月16日。
その年、西暦1970年を1として、数えると43年は、2012年、今年。
みなが、真柱を馬鹿にして、「インポ」だとか、「不能」だとか。
教えを、功績を、能力を、役に立てていないのは、全天理教幹部と教会長。
TATENUIの先生は、世に示して下さっているだけでも、すばらしい。
ありがたさに涙が出ます。芯を見失っては、心の闇路です。
123:神も仏も名無しさん
12/01/07 10:32:42.10 CNTwrDRK
□町の芯は初代の豊松さんでしょうね。?
124:神も仏も名無しさん
12/01/07 14:56:41.27 yaCuAFNW
地場やしきを神屋敷化する為の教祖のご苦労だったはずが、今では宗教を利用して弱いものイジメの不動産取得業に成り下がった訳だ。
お徳ある現四代真柱を中心にして、1から出直すには、教祖や本席様やこかん様のような方々をお招きし、お住まい頂くしか、
神屋敷化はありえない訳だが。
125:神も仏も名無しさん
12/01/07 16:03:54.56 CNTwrDRK
グローバルとローカルが共に栄えて行くの良いので、中心部だけが栄えるのには疑問が残る気がします。
地方(枝先も入れて)が栄えての本部だと思うのだが?
126:ダソク2号
12/01/07 16:17:59.57 tla/lEFi
>>124
>教祖や本席様やこかん様のような方々をお招きし・・・・
天啓者待望論か
異端工作お疲れな
てかおまえ神屋敷化、神屋敷化ってウザ杉www
127:基本
12/01/08 05:38:07.58 Fbt7vK0f
地場は、独り立ちしてある。と、言われています。
つまり、神屋敷に既になって、百年は経過していると言う事です。
> 地場やしきを神屋敷化する為の教祖のご苦労だったはず
そんなはずは無いのです。教祖の苦労は、人間子供の、「神の子」として成人を促されてです。
先ず、自分が、神の子だと言う自覚から、開始したらどうでしょうか。
128:普通の天理教徒
12/01/08 05:53:25.57 Fbt7vK0f
基本さん。「たい」は「ご神体」の体という解説は、分かりましたが、tatennuiさんで、確認しますと、
第17号 10
このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし
If only this Stand comes to completion, there will be nothing that cannot be realized.
,11 このかんろだいが親神の教通り建て上ったならば、親神の理想通り自由自在の陽気づくめの世界が来るのであるから、
それまでに、どこどこまでも世界中の人の心を掃除せねばならぬ。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「このたいがみなそろいしたならば→」If only this Stand comes to completion, と、なってますよ。
このたいと言うのは、only this Stand と英文ですから、「たい」は「ご神体の体」は、1個だけで、地場の甘露台と、真柱様は、示されているんじゃないですか?
129:普通の天理教徒
12/01/08 06:17:08.90 Fbt7vK0f
つまり、基本さんは、「みなそろい」と書かれてあるので、揃うと言う事は一つじゃない、だから、これは「台」ではなく、「体・人体」の事だと、解説しましたが、
only が、そして、this が、単数を意味しているのだから、英文では「たい」は、清音表記ですから「清らかな台」「ご神体としての甘露台」と、それを示していることになると、思うのですが、
それは、どうなんでしょう。
お尋ねします?
130:基本。
12/01/08 06:34:05.30 Fbt7vK0f
普通の天理教徒さん。お久しぶりです。あなたが来てくれないと話が深まらなくて、あなたには重宝しています。
山名系の解説では、「このかんろだいが親神の教通り建て上ったならば」となっていますが、
「これは、台が13段に揃いしたら」と、解釈しているわけですね。
ところが、英文では、
If only this Stand comes to completion
つまり、13段という複数が、揃うともなっていないわけです。
「研究社 新英和辞典」では、comes to は、どういう説明かといいますと URLリンク(ejje.weblio.jp)
(1) 意識を回復する, 正気づく.
(2) 【航海, 海語】 船を風上に向ける.
日本語WordNet(英和)では、comes to は、
1意識がもどる、正気づく、我に返る
(return to consciousness)
The patient came to quickly 患者はすばやく意識を取り戻した
2突然体験するようにする
(cause to experience suddenly)
A thought came to me 私に、考えが浮かんだ
3達する
(attain)
4関連している
(be relevant to)
こんな風になっています。ご確認頂けますよね、普通の天理教徒さん。
131:基本。
12/01/08 06:42:47.57 Fbt7vK0f
completion これも、確かめましょうか。
「研究社 新英和辞典」では、【名詞】【不可算名詞】
完成,完了; 修了,卒業; 満了,満期.
JST科学技術用語日英対訳辞書では、
履修; 落成; 修了; 完了; 完工; 竣功; 完成; 成就; 全通; 完; 竣工; しゅん功
すると、comes to completion
これは、「台が完成する」と、そういう意味だと、示されていることになります。
でも、日本語おふでさきには、「みなそろい」とあるのです。
英文お筆先と、かな文字お筆先は、果たして不一致なのでしょうか。
いえいえ、能力者の真柱です。そんな次元をはるかに超えているのです。
132:神も仏も名無しさん
12/01/08 13:04:03.57 9ZsMTU76
体も台も簡単な漢字なんだから解釈に誤解を招くようなら最初から漢字でかくやろ。
神と上みたいにな。
133:基本。
12/01/08 15:06:54.88 emU9nArG
>>132
> 解釈に誤解を招くようなら最初から漢字でかくやろ
解釈に人の悟りの範囲があるように、意味が単純に分からないように、そういう構造が用いられています。
おやさまは「判じ物」がお好きだった。
普通に言う、パズル・なぞなぞの類ですね。
その意味は、お筆先が、「わかる人にしかわからないように」という、心しだいの理の書物であるからです。
お筆先には「根を掘る模様、何でして出ん」とありますが、表面に見えていない、表面ではわからない、地下に根がある。
それを掘り出すようにと言うことで、言葉のなぞ、言葉の奥、その奥の奥を掘り起こさないと理解は、薄い山名系の上っ面の教義になります。
「秘伝」「家伝」を教えようと言うのですから、誤解のわなは、しっかりしかけられています。
はや/\としやんしてみてせきこめよ ねへほるもよふなんでしてでん
第5号 64
第5号 85
このよふのもとはじまりのねをほらそ
ちからあるならほりきりてみよ
Kono yo no moto hajimari no ne o horaso
Chikara aru nara horikirite miyo
I shall let you dig up the root of this world's origin. If you have the strength, do your best to dig it up.
この世の元初まりの根本を了解させよう。力の限りやってみるがよい。
134:基本。
12/01/08 15:35:01.11 emU9nArG
おふでさきは、「理」の書物ですから、「論理学・理科・数学」で言うところの、「用語の定義・語句の用法の定義」をきちんと示して、その意味で誤解はきちんと排除しています。
それは、お指図でも、同様です。
人間の歴史では「音」が先にありました。生まれた赤子は、「音」であり文字ではなく、言語を習得します。
つまり、「ローマ字お筆先」は、音です。音としてのお筆先の読み方の記録ですから、
これが、「定義の基準」になるのは、人類史の普通です。
第3号 108 では、甘露台と音は示しています。
いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら
Imamade wa shoko tameshi to yue aredo 「Kanrodai」 mo nanno koto yara
第17号 58 でも、
このざねんなにの事やとをもうかな かんろふ大が一のざんねん
Kono zanen nanino koto ya to omou kana 「Kanrodai」 ga ichi no zannen
このように、「Kanrodai」と音で聞いて「甘露台」と理解するのは、可愛い赤ちゃんの時代には、あって当然のことで、
定義として、甘露台とはぢばに立つ、甘露を受ける台と言うことです。
それならば、どうしておやさまは、それを文字にするとき、表記を変えたかです。
すでに3号7について書きましたが、「澄む」「濁る」の「語句の表記の清濁」で、悟れと言う、真意がある。
From now on, I shall speak in the metaphor of water. Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”
そういう解釈は、かな文字お筆先本では、土に埋められている。
かな文字お筆先の「注釈」は、当時の史実伝承の記録と、当時の高弟たちの悟り違いの記録です。
判じ物を根を掘るには、力が要ります。と筆先はみき姉の力自慢です。
立ち向かう勇気、赤子のレベルでは、力が足りません。
135:基本。
12/01/08 15:50:50.43 emU9nArG
「かんろふたい」「かんろふだい」「かんろふ大」。
例えば、「大」の用法です。おふでさきでは、これが「初出」。基準となる用法です。
第1号 71 これからハせかいの人ハをかしがる なんぼハろてもこれが大一
「it is of prime importance.」これが「大一」。
英和和英辞典では、こんな用例があります。 URLリンク(ejje.weblio.jp)
「of prime importance.」を含む例文の一部を表示しています
It's of prime importance.
それが最も重要だ. - 研究社 新英和中辞典
Safety is a matter of Prime importance.
安全が最も重要な事である。 - Tanaka Corpus
That's a matter of prime importance.
それは最も重要な問題だ。 - Tanaka Corpus
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二代真柱の、解釈は、「大」は、「重大」の大と解釈であったと理解されます。
17号の「かんろふ大が一のざんねん 」とは、甘露台の「重大性を理解していない事への残念」と、「大の定義」から理解できます。
136:神も仏も名無しさん
12/01/08 20:48:28.93 DV03K8Iy
甘露台の勤めというのは超健康人間の雛形を表現しているんじゃないか?
一連の戦争は、西欧列強の植民地支配に対して、世界に自立の尊さと共に、支配欲の増長の残酷さをも教えた。
日本人は自立心を養い、支配欲を払拭する事に美徳を感じる稀に見る民族だが、その中心に元の理健康文明の中心地たる地場やしきがあるのを知る人はいなかったんだろう。
地場やしきの浮上は、個々の日本人に魂の結晶化を促しているのではないか?その行く手にある超常現象までは知らないが、天理の祈りも人間の健康や国家の安寧や世界平和に見えない形で貢献しているのかも知れないとは想像するが。
137:基本。
12/01/08 23:56:25.58 Fbt7vK0f
>>136
> 「その行く手にある超常現象」
というのは、一番重大な問題です。
それは、「不思議」と言う事で、不思議は神と、教えられています。
> 「超健康人間」
これは、病まず死なずに、弱り無きように、という、お筆先に知らされた理を、悟られたと思いますが、
「身上手入れや、神の返し」は、そこに無くなるわけではありません。
この事、考え違いしていませんか。
高熱や、手足の不自由や痛み、不眠やノイローゼが、無くなる事は無い。
逆に、神と人との交流が盛んになっていますから、お手入れはより厳しく、神の残念は、より残酷に返されるものです。
甘露台信仰者の誤解は、定番になっていて、それは「お勤めが完成すると不老長寿に無病息災」だと、言うのです。
お勤めしてれば東大に合格するとか、五輪の金メダルはお勤めの完成で頂けると言う様なもので、無理。天理に反します。
神楽勤めが完成したって、人間は「股の間」から生まれるし、性行為しないと生まれないし、
勉強しないとさせないと、知恵の仕込み出来ないし、文字の仕込み出来ないし、心は「成人・人に成る」しないし、
だから、学校もいるし、図書館もいるし、病院だって、無いと、困るでしょ。
つまり、今より、神のお手入れが厳しくなるだけで、
今までは「知らんのやから」で、許されたものが、びしびし、厳しくなるだけで、そんな、残酷な未来に期待するより、
今の中で、陽気に暮らす事です。
138:基本。
12/01/09 00:10:50.56 clQmYKJd
>>136
基本の書き込みと貴殿の書き込みを隣から覗き込んでた人が、言いました。
お勤めで祈るなら、他人の無病息災で、自分の無病息災じゃ無いでしょう!
雨乞いの為に、「人身御供」で生き埋めになって祈った坊さんの事、知らないんでしょ。
全く、自分の事ばっかり、考えて、天理教って、こんな人ばっかりか!!
139:神も仏も名無しさん
12/01/10 08:55:12.36 cCaKypLf
「から・にほん、とふぢん・とふじん」関連の質問です。
確か基本。さんは、ひながたの史実から「とふぢん」とはアメリカ人というような解説をされていたと思うんですが、
URLリンク(shizu.0000.jp)
>つまり、ひながたの史実においては、「ユダヤ」ではなく「アメリカ」が、「とふじん」でした。
URLリンク(shizu.0000.jp)
URLリンク(shizu.0000.jp)
それだと、おふでさき第2号31のお歌がどうも引っかかると感じるのです。
まず、ご存知のように、おふでさき第2号は明治2年(1869年)からの執筆です。
そして、ウィキペディアによると、ペリーの乗った黒船来航は嘉永6年(1853年)で、それ以前には、寛政3年(1791年)に初めてアメリカ人が
訪れたとあります。(訪れた時の意図は違うでしょうが、まあとりあえず。)
となると、おふでさき第2号執筆当時のお屋敷や周辺の人の中には、黒船来航を知っていた人がいてもおかしくはないと思うのです。
そして、おふでさき第2号31のお歌「これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい」
なにをゆうともハかりあるまい・・・これはなにがハかりあるまいなのでしょうか?
140:神も仏も名無しさん
12/01/10 21:26:30.59 78zGuWHr
ついに明日から、世界の大掃除か・・・・
141:神も仏も名無しさん
12/01/10 21:35:04.08 cCaKypLf
それと、基本。さんは「おふでさき」の解釈において、ひながたの史実に則った、時系列的解釈をする場合と、「おふで 先」
筆先の字の通り、先を記した筆、「見えたることやあることは、そんなことは言うでないぞや」と仰ったおやさまの先を見通す視点からの
解釈をする場合があると思うのですが、その切替の基準はなんですか?
142:基本。
12/01/12 16:47:31.92 E01FTiQz
丁寧な、ご質問有難うございます。一つ一つお答えさせていただきますが、その前に、教理の構造と言うことを確認します。
まず「123」という事です。
「天にては、月様と御現れ、身の内にては、目・胴潤い、世界にては、水」
このように、貸し物借り物は、「天・身のうち・世界」と、一、二、三です。
これは、「第一人称、第二人称、第三人称」に照らしますと、「一人称・親神、二人称・お前(例えば基本)、第三人称・その他世界の人」です。
「過去・現在・未来」という、時間軸においての、「123」もあります。
人間元始まり・1 → 立教・2 → 扉開いて・3 このようになります。
そこで、教えと言うことになりますと、立教までの間は「裏守護時代」これが1。
ひながた(実の箱)時代・50年、これが(2)。となります。
ところが、本来のおやさまの「定命・125」才で数えますと、別の数え方も出来ます。
もう一つ、ご質問に関係ありますのは、立教を1とした場合の、「立教 → 筆先執筆 → お筆先以後」という1、2、3です。
これが、今回のご質問に深い関係があります。
つまり、筆先とは、「これまで言うた事」を「忘れるから知らした」もので、
お筆先以前にも、おやさまは、語られていて、忘れる内容を予言してくれたわけです。
すると、123のどの場面でも、同じ内容の教えが、最低三回は説かれてあることになります。
まず>>141 >その切替の基準はなんですか?
切り替えるには、各々の123で、誰が当時者でどう語られていたかが、確かめられなければなりません。
言われました所の、
> 「見えたることやあることは、そんなことは言うでないぞや」と仰ったおやさまの先を見通す視点
という内容は、未来ばかりではなく、過去においても、見えざる根があることを示しています。
「過去現在未来」という時空を貫く、おやさまの教えが、私たちの研究の対象となります。
143:基本。
12/01/12 17:11:26.76 E01FTiQz
おふでさき第2号31のお歌「これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい」
これは、「執筆以前→執筆中→執筆以後」の123で思案しますと、年表ですね、
(嘉永6年 1853 2月22日(西3月31日)、善兵衛出直(66才)。
こかん、大阪へにをいがけに行く
ペリー(アメリカ)浦賀に来る。ロシア、クリミア戦争開始
米国は、日本の小判と米国の貨幣を3対1の交換率とおしつけて、自国は一で三倍取るとあくどい儲けを上げています。
この頃に、家のこぼちをなさっている。
それが、米国の日本奴隷化政策によって、谷底がもたらされることを、予言実行した行為ですが、
からとにほんの話は、わからなかった。これが1の時の事です。
1、ペリーの乗った黒船来航は嘉永6年(1853年)
当時の日本経済については、書いておきましたが、
144:基本。
12/01/13 13:59:39.56 PHI7E3lF
日本経済は、いわゆる為替取引で大損をし、インフレとなります。
ザ掲示板のおやさまに、こんな風にまとめておきました。
[47] 基本。
自由貿易を求めて、開港を迫る軍事大国アメリカ。
それは、日本に、没落する産業を生みました。
その難儀を、自らが、難儀の中に飛び込んで、ひながたとする。おやさまの思想です。
貧乏の中で、賭博に誘われてはまってしまう、兄。秀司。
それを、浪花の街に、拍子木を叩いて、神名をながし、兄をさがす小寒。
ここに、谷底せり上げの、隔て無きろくぢの思想があります。
南無 天理王命。
これこそが、おやさまの、高山のとふじんへの、闘う姿勢そのものでした。
中山家の母屋の買い手が見つかり、いよいよ母屋取毀ちの時、
「これから、世界の普請にかかる。祝うてくだされ。」と、おやさまは、仰せになり、いそいそと、人夫たちに酒肴をだされている。
白人の世界の中で、奴隷の立場にいたアメリカが、独立戦争を経て、列強の仲間入りをすべく、アジアの門として、日本に開国を迫った。
それは、まさに、谷底せり上げの世開けの到来であった。
嘉永六年。おやさま56才。
ひながたである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
唐人お吉の仕えた、ハリスこそ為替差益で暴利を貪った張本人との事です。
145:基本。
12/01/13 14:53:22.79 PHI7E3lF
> おふでさき第2号執筆当時のお屋敷や周辺の人の中には、黒船来航を知っていた人がいてもおかしくはないと思うのです。
そうですね。国民の最大の関心事だった、知っていたと思います。
黒船が来航したと言うことは。
でもその意図が、日本の思想と根本的に異なる思想であり、思想的経済的に日本を奴隷化するものだとは、
そこまでは知っていなかった。
明治2年は、お筆先執筆中です。1月23日 薩長土肥の四藩、率先して版籍奉還。明治政府が開始されたわけです。
第2号
これからハをくハんみちをつけかける せかいの心みないさめるで 1
上たるハ心いさんでくるほとに なんどきにくるこくけんがきた2
「心勇んでくる」→ 日本の富国強兵が開始される。 → 困難時が来た。
明治二年の外務大臣は丸山作楽、平田神道の門下生で、純粋な国粋主義。武闘派。
146:基本。
12/01/13 15:09:06.81 PHI7E3lF
明治維新によって政権奪取に成功した、維新の志士たちは、日本を西洋に追いつけ追い越せで、
勇んで、政権を固めはじめたのが、明治二年。おふでさき二号。
これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい
31
とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで まゝにするのが神のりいふく
32
たん/\とにほんたすけるもよふだて とふじん神のまゝにするなり
33
このさきハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる
34
そこで、話題は問題のこのお筆先になります。
おふでさき執筆以前の出来事は、144から書いて来ました。
旧約聖書思想を、原理主義的にそのまま実行し、日本の金を為替差益で盗み取り、「にほんをままにした」。
それを、神はお怒りであった。が、そこで、「家のこぼち染め」。
「難波の神名流し」。日本の谷底せり上げを、庄屋・中山家そのもので、ひな型として、
道を示されたわけです。
実は、明治二年には、庄屋制度が、政府によって廃止されています。
自営自立の経済から、奴隷谷底経済に仕組みを構築する、明治政府の「唐人化」は、
このおふでさき執筆時です。
そして、おふでさき執筆後のことになります。
米国による、日本支配は、今の課題です。
147:基本。
12/01/13 15:57:42.42 PHI7E3lF
このからとのほんは、ザ掲示板のおやさまに、こんな風にまとめておきました。
[47] 基本。
自由貿易を求めて、開港を迫る軍事大国アメリカ。
それは、日本に、没落する産業を生みました。
その難儀を、自らが、難儀の中に飛び込んで、ひながたとする。おやさまの思想です。
貧乏の中で、賭博に誘われてはまってしまう、兄。秀司。
それを、浪花の街に、拍子木を叩いて、神名をながし、兄をさがす小寒。
ここに、谷底せり上げの、隔て無きろくぢの思想があります。
南無 天理王命。
これこそが、おやさまの、高山のとふじんへの、闘う姿勢そのものでした。
中山家の母屋の買い手が見つかり、いよいよ母屋取毀ちの時、
「これから、世界の普請にかかる。祝うてくだされ。」と、おやさまは、仰せになり、いそいそと、人夫たちに酒肴をだされている。
白人の世界の中で、奴隷の立場にいたアメリカが、独立戦争を経て、列強の仲間入りをすべく、アジアの門として、日本に開国を迫った。
それは、まさに、谷底せり上げの世開けの到来であった。
嘉永六年。おやさま56才。
ひながたである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
唐人お吉の仕えた、ハリスこそ為替差益で暴利を貪った張本人との事です。
米国の経済支配の お筆先執筆以前が、そこでも、同じ話が説かれていたとわかります。
148:基本。
12/01/13 16:05:04.54 PHI7E3lF
そして、お筆先執筆時代のことは、ザ掲示板のおやさまに、こんな風にまとめておきました。
日本人の、「高山の唐人思想化」「唐人化」についです。
[41] 基本。 2006/12/06 16:12
> 明治3年に、それは、「大教宣布の詔」として、打ち出されました。
> おやさまは、明治3年、
> よろづよの せかいいちれつみはらせど むねのわかりたものはない
> と、痛烈な、批判の一首を、序として、お書きになりました。
ここで、「大教宣布の詔」について、確かめます。
URLリンク(www.jicl.jp)
{ 「大教宣布の詔」
1月3日 大教宣布の詔(1870年)
明治新政府は、古代の王政に復古する立場から、祭政一致をとなえて神道を国教とし、
1968年に神仏分離令を発して従来の神仏習合の風習を改めた。
さらに新政府は翌年には神祇官を太政官の上位におき、1870年(明治3年)のこの日、大教宣布の詔(みことのり)(大教=神道を国民の間に広めるためという天皇のおおせ)を出した。
翌年には皇室の祖先神を祭る伊勢神宮を頂点とした神社制度を設けた。これにより、神道は国家の精神的支柱となった(国家神道)。}
明治政府のめざしたものは「祭政一致」。
神道は、「国教」。
伊勢神宮を頂点とした神社制度。
慶応から明治にかけて、経済を握る高山は、「浪人・浪士」を資金援助し、凋落していた朝廷を祭り上げて、日本と言う国家を、列強に伍する経済・軍事大国に作り上げようとした。
既に、中国・朝鮮への経済覇権をめざしていた。
そのためには、その高山の意思を代行する能力ある強い政権の存在が急務であり、天皇への王政復古と言うナショナリズムを鼓舞する事で求心力を高めて、天皇1極に全ての権力を集中させた、「祭政一致」を理想としたのでした。
おやさまが、これも裏から教えていたと言う、神仏混融の「民間に伝承」の旧来の宗教思想に対しても、「国教=天皇制」により、支配を計ったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
米国聖書原理主義という外来の唐人に対抗し、天皇現人神にて対抗する国産の唐人と、そう見たらわかります。
149:基本。
12/01/13 17:05:29.05 PHI7E3lF
おふでさきに記された事が、現実の歴史上の現代史の予言であり記録であると言うことは、
そうでないとしたら、お筆先は単に思想の書物ではあっても、理の書物とは、とても呼べないわけです。
別スレ「天理教談話室12」で、「この世治める真柱」と基本が、お筆先の記述と書いて、
そういうお筆先はないという、ご質問がありました事に、触れます。
このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを
12
はしらさいしいかりいれた事ならば このよたしかにをさまりがつく
13
この二首のおうたが、真柱がこの世治めると言う。それを、示しています。
150:基本。
12/01/13 17:17:29.45 PHI7E3lF
第3号 8 しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい
Shinjitsu ni Kami no kokoro no sekikomi wa Shin no hashira o hayaku iretai
Truly, the hastening in the mind of God is to put in the central pillar quickly.
親神が心から急き込んでいるのは、一日も早く中心を定めたいという事である。
ここでは 「かんろだい」を指す。またあわせて真柱(後の中山眞之亮初代真柱)も指す。
註 「しんのはしら」とは、中心柱の意であって、元来は建築上の用語である。故にすべて、しんとなるものを言うておられる。
本教では、おつとめの時はかんろだいをさし、人の時にはこの道の中心になられる方をさし、心の時には中心思想を言う。
即ち、人間創造の理を現し、
たすけ一条の信仰の中心地点を示すかんろだいを、「にほんのしんのはしら」と仰せになり(第八号八五参照)
本教の中心たるお方を「うちをふさめるしんばしら」と仰せになっている。(本号五六参照)
本歌は、かんろだいのつとめの完成を目指して、この双方にわたり、建設確立をお急込み下さっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上の解説は、↑山名系教義風解釈である。
甘露台は、据えるものであって、立つものであって、「入れる」ものではない。
つまりここでは、しんばしら、人間そのものを示している。
151:基本。
12/01/13 17:25:16.67 PHI7E3lF
pillar[pil・lar] [名]
(1) 柱, 記念柱 Gothic pillars ゴシック様式の柱.
(2) 支え, 支柱, 脚柱 the pillar of the community 1社会の柱石.2 柱状の物(水柱・火柱・雲の柱など)
a pillar of fire火柱. 3 《採鉱》鉱柱, 残柱, 竜頭(りゅうず).
4 中心人物, 大黒柱;(議論の)中心, 要点.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
put in《 【他動詞】+ 【副詞】》
(1) 〈…を〉入れる, 差し込む.He put his head in at the door. 彼はドアから首を中へ入れた.
(2) 〈設備などを〉取り付ける.put an air conditioner in エアコンを設置する.
(3) 〈管理人などを〉置く, 入れる.put in guards ガードマンを置く.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで、二つ示されているのは、「123」の理にて言うならば、
「天にては・これが甘露台」「身の内にては・これが真柱」と、このように基本的には理解する。
152:神も仏も名無しさん
12/01/14 01:20:44.86 0/0fVuD4
>>150
「入れる」ということは、「いつ」「何を」「どこから」「どこへ」ということが問題となると思いますが、
「いつ」→このはなしすみやかさとりついたなら
「何を」→しんのすけさん
「どこから」→外のかじもとさん
「どこへ」→内のなかやまさん
と、こうなるということでしょうか?
しんのすけさんで思い出しましたが、何かの話題で、基本。さんは、「初代真柱が悪いのです」とレスをしていた記憶がある
のですが、これは、誹謗にはあたらないのでしょうか。
「はしらさいしいかりいれた事ならば このよたしかにをさまりがつく」
それと、上記のおふでさきについて、この世のおさまりはついていますか?
153:名無し
12/01/19 16:39:40.38 JATO8j5J
オウム=草加+統一+北朝鮮URLリンク(m.youtube.com)
154:基本。
12/01/23 14:15:40.71 EUHfXwLz
>>152
しばらくの間、留守をしておりまして、失礼しました。
真の柱を早く入れたいということは、「いつ」「何を」「どこから」「どこへ」と言う事になります。
そこで、しんのはしらとは、一つは「甘露台」。一つは「真柱」。一つは「国の芯柱」。
地場に立つ「台と言う名の柱」これは建造物です。
地場にての「お屋敷の真柱」これは、人材です。
甘露台は地場限りと、天理は示しています。
しかし真柱は、お指図に、「国の心柱」とあって、人材としては、国々に必要であり、
この場合の国は、国家規模ではなく、地方自治の今で言う郡市単位程度かもしれません、そんな規模です。
155:基本。
12/01/23 14:24:55.53 EUHfXwLz
>>152
> 「初代真柱が悪いのです」
これは、一派独立の金銭の問題があります。真柱は教えの中心においては真柱なのですが、
組織全体の指導においては、「わしでも台所に出たら埃が出る」のです。
教団の財政、金銭の大半は、一派独立工作の資金に使われました。
それは、膨大な恨みを背負って、「よう」と言う身上にて、大変にお苦しみになられたようです。
金で買った独立と、そんな見立ても出来ます。
悪いことと言うのではなく、世情泥海は、何でも金次第なのです。
で、真柱は、名前をきちんと名乗れていません。
156:基本。
12/01/23 14:36:37.86 EUHfXwLz
一二三で申しますと、天にてはが一、です。人間身の内にてはが二です。
世界にては、が三です。
天の月様が、人間の目です。そして世界では水。
しんのはしらが、一にはいる。とは、お屋敷に真柱が入る事。
しかし、お屋敷の真柱の側の人たちが、濁っていたら、入ったとしても、濁っていて処がわからない。
「ここが芯だよ」と、真柱が立っていても、それが何処なのかも見えないわけです。
真の柱を入れたい時だけではなく、入れたとしても、濁ればもう所は見えなくなります。
157:基本。
12/01/23 16:04:11.79 EUHfXwLz
しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい 8
このはしらはやくいれよとをもへども にごりの水でところわからん 9
これからハ水にたとゑてはなしする
すむとにごりでさとりとるなり 7
mud は水分を含んでどろどろになった土; earth または soil は土》
濁りとは、「泥」。つまり、胸の澄んでいない人物。
第3号 11
このすいのどこにあるやとをもうなよ
むねとくちとがすなとすいのや
Kono suino doko ni aru ya to omouna yo
Mune to kuchi to ga suna to suino ya
Do not wonder where this filter can be found. Your heart and mouth are the sand and filter.
この水こしは何処にあるのでもない。各々の胸と口とが水こしである。
即ち、悟り諭しによって、よく心を治め思案して親神の意に順うがよい。 「むねとくち」とは、悟り諭しの意。
お屋敷にしんはしらを入れたいとして、泥の存在が邪魔なわけです。
それを、さとし悟りにて、胸を澄ます。
天理教内部の内内にて、さとし悟りが悟り諭しがなされて、初めてしんのはしらの入り所がわかる。
世界にての前に、門の内の「たちもの」を掃除し、教団内部の泥を済ます事ですね。
三号は、内の問題が、理に知らされてあります。
158:基本。
12/01/23 19:27:58.97 q1zKzdRo
おさしづには、泥というお言葉があります。
御諭
明治二十年三月十三日(陰暦二月十九日)午後七時
さあ/\何も分からん。その中より始め掛ける。澄み切りた容れ物と、泥水の容れ物と、皆々渡したで。
濁りたる水を、今一時に澄まそうと思うても、澄まする事が出けんで。神が何を言うやらと思うであろう。
そうではない。見て居よ。一家の内でも同じ事渡してある。澄んだる容れ物には一つの印が渡してある。
よう聞き分け/\。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
159:基本。
12/01/23 19:41:51.18 q1zKzdRo
澄み切りた容れ物と、泥水の容れ物を渡したと言われている。
濁りの水は今一時に澄まそうと思うても、澄まする事が出けん。
つまり、改良の余地無しと、言う事です。
これは、明治20年陰暦正月26日の後の出来事ですから、今回の正月26日の手本として参考になります。
160:基本。
12/01/23 21:54:41.78 q1zKzdRo
一つの印とは、身の手入れです。「用木にては手入れ」が、入信の一つ始まりの時の、
証拠と言う事です。
161:基本。
12/01/24 00:36:51.49 XBybfXwL
身上無しについた、「橋本清さん」「前川菊太郎さん」。「飯田岩次郎さん」。
記録そのものが、きちんと作成されていないので、初試験で言う「おてびき」があっての信心かどうか、
奥さんの病気だけで、本人には病にての印あったか、なかったか正確に把握できかねますが、
印を頂いていない、そういう器と、神から病の印を頂いた器と、それが、「澄むと濁る」の違いとなる天理です。
本人以外の華族の病気で入信したと、それだけで、本人が病で回心していない場合は、
基本的には、濁りの器と理解されます。
「用木にては手入りする」。
濁りにの器には「手入れ」「手引き」が無いという、こういう判別があって、お手入れを頂けないのは、今生は濁ったままの生涯と言う事になります。
差別ではなく、区別です。
162:基本。
12/01/24 13:35:57.83 m/DghzMO
清水与之助耳鳴りのぼせの願 明治二十年陰暦七月
さあ/\一寸の身の障り、尋ねるなれば言うて聞かす。
いかなる処何もどうこう、あゝやこうやと思うやない。
どういう道もこういう道も、皆神の道やで。一つの印ある。
これもよう聞いて置かねばならん。
三年待たん。学者がした道でもなし、人間心でした道でなし、真実の神が天然自然の理で、五十年の間付けた道である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
清水与之助さんは、初代真柱に天理教の公認を願い出るようにと、提言したことのある人物です。
URLリンク(geocities.yahoo.co.jp)
・・「私は、今の場合、国家公認宗教である神道事務局の部属となることだと思います」
「そうしたら、警察の反対干渉はなくなるか」「はい、なくなります。それどころか、保護されます」
「神道事務局はどこにあるね」「東京です」
「それじゃ、東京へ願いに出んならんな」「そうです」
「誰が願いに行くね」「誰なりと行きましょ。神道事務局を知っている権中講義藤村成勝さんもいます」
「それにしても、だいぶ金がかかるだろう」「そうでしょう」
「どのくらいかかるか」「千円はくだりませんでしょう」
「千円、そんな金あらへん。誰が出すか」「皆さんが、出して下さるでしょう」
「さあ、そうかな」「もしよろしいなら、神戸の信者さんたちが出してくれますでしょう」
「そーか」「私も、いささか勤めさしてもらいます」
「頼むで、やろう。清水さん、あんたが頼りや」・・・
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