■〜天理教・教理と要理の解説スレッド〜■ at PSY
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50:基本。
11/12/27 17:14:29.26 sdniNgY0
31 名前:基本 :2004/10/29(金) 09:22
・・・この、天理教団スレッドは、八島の「天理王の神名」への攻撃と、それを幇助する教団内部の権力者「上」の嘘を暴く目的が一つ、天理教団の正当を示す目的が一つ、あわせて、胸の掃除のお手伝いです。
知らしたら働くおやさまのお手伝いとして、
> 1880年に、神様は、明日からはかやしをすると告げていますが、43年以前からと、数を示しています。
ちゃんと震災の数理を、明記して、おきました。

天理教団2、に継続しましたが、基本の数理について抗議がありました。

162 名前:宗教を考える名無しさん :2005/12/14(水) 16:05
12月11日の基本さん・・・・というHPに変な解釈が掲載された。
書いた人の意図が知りたい。
・・・ある特定の事柄を述べるために、つまり12という数字
に象徴的な意味(基本の言う処の)を持たせたいがために、太陽暦の用いられていなかった
1838年の出来事にまで太陽暦での月日を当てはめる事が天理教の基本だとしたら、
天理教とはあまりにも姑息な考え方の人達ではないかと思います。
それはこの基本さんという人がそうなのでしょうかね。
・・・基本さんとやら、お答え下さい。


51:基本。
11/12/27 17:20:24.15 sdniNgY0
対する回答は、このようなものでした。
167 名前:基本 ◆./kJ00CA :2005/12/14(水) 21:39
116さんは、理の意味を知らないので、そうした愚問をなさるのですが、「表守護と」「裏守護」というものについて、ご存知でしょうか。
それは、神が表に現れる以前と神が表に現れる前の、守護の理の事です。
理には、表で説く、裏で説く、二種類の説き方があるのが基本です。

次に、二十六日と言う日についてですが、教祖のひな型は新暦においての26日に一つのイベントをなさっています。
165さんは、基礎的な事ですが、それをご存知でしょうか。
理の構成の基本については、フリーフォーラムの頃より既に丁寧に解説が済んでいますが、まだそれが理解できていないのか、或いは、突然に、ネットに来られたのか、分かりませんが、
理の構造の、123123123<これを、考察下さい。
つまり、太陰暦も太陽暦も、親神様の教えられた知恵の仕込みの賜物です。
暦のなかでも、易は太陰暦が用いられます。
易というのは、裏守護の、国常立命さまの、月様のご守護の理です。

ご理解できますか。
これが理解できなければ、あなたには、基本以前に、入信する事をおすすめします。
入信して、天理教のイロハから学ばれるべきです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このとき、>>48>>49 の震災の数理を「敢えて再掲」しました。
これも、神の掃除のお手伝いのつもりでした事です。
震災の数理を知らしたら、震災が来るというのは、天理の基本であり、基本のHPに訪問して下さった、海外の研究機関に理をお知らせできると、判断しての事です。


52:基本。
11/12/27 17:37:20.56 sdniNgY0
> 1874年には、天火火の海、海は津波やと予言されています。
第6号 116
このはなしなんとをもふてきいている てんび火のあめうみわつなみや
> 1875年には、雷地震大風水つきと予言されています。
第8号 58
かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
> 1874年と1875年には、かやしについては、まだ刻限が来ていないと告げています。
月日よりをしゑる事ハみなけして あとハにんけん心ばかりで 123
いまゝでもこのよはじめたしんぢつを をしへてをことをもたなれども 124
月日よりにち/\心せきこめど こくけんまちているとをもゑよ 125

第12号 52
けふまでわひがらこくけんきたらんで なにかちがいもありたなれとも

53:基本。
11/12/27 17:58:20.22 sdniNgY0
>>52 
↑このように、きちんと参照して頂けたかどうかはともかく、地震が刻限の理で発生すると、お筆先には書いてあるわけですから、それを、お知らせすることは、おやさまの掃除のお手伝いのほんの僅かではあっても気持ち、お手伝いで、なしたことです。
> 1880年に、神様は、明日からはかやしをすると告げていますが、43年以前からと、数を示しています。
あすからハをやがはたらきするほとにどんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
> 1880年に、明日から、と、言う予告は、神の一日は人の一年ですから、1881年からと言う意味です。
> 1881年から数え始めて43年後、1923年に、関東大震災が起きています。

教理の基本は、一二三一二三、三段一つです。ひな型にもあり、あさしづにもあり、今のわれわれにもある。
基本には、これだけで十分だったのですが、疑い深い人たちは、「43」の数理の実現例を、もっと見せなければ納得しないと言う状態でした。
そして、詳しく書くことは、おやの頼みでもありますから、
天理教・天日火の雨という、スレを立ち上げて、間違いなく「月日の残念」が返されると、その時に、理について少しでもあらかじめ語っておかなければならないと、それが、本音でした。


54:基本。
11/12/27 18:03:29.95 sdniNgY0
1.基本。 ◆XE./kJ00CA :2007/07/28(土) 01:16:42 ID:3Sm7zXhB 天理教の原典には、天災が、神の残念であると、知らされている。
地震、大水、津波、旱魃、天日(太陽)の火の海、・・
それらは、地球環境を直接的に、人間に不便なものと、変えてしまう。

人間の肉体で言えば、大病。
それが、天災であり、天災は、神からの「残念の返し」である。

それでは何が残念か、何が神の残念か。
「大社・高山」が、谷底をままにすること、そのものである。
人が病から、その人の心得違いを悟るように、
人類は、天災から、この世の構造の間違いに目覚めるようにと、親神様は、災害にて返しをされる。
それは、心の鏡である。
この話題を、論じ合おう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おふでさきは、一言百巻、とも一言万巻とも、教えられています。
現実の神。
これを、きちんと踏まえないと、天理教の教理は研究できません。

55:神も仏も名無しさん
11/12/28 23:55:12.26 Wobi8W9r
甘露台の取り払いが一の残念なんじゃないか?

56:基本。
11/12/29 00:35:07.07 QnEsPWQn
稿本教祖伝から引用します。
かんろだいの石取払い:
 五月十二日(陰暦三月二十五日)、突然、大阪府警部奈良警察署長上村行業が、数名の警官を率いて出張して、二段迄出来て居たかんろだいの石を取り払うて、これを没収し、更に、教祖の衣類など十四点の物品をも、併せて没収した。

         差押物件目録(註一)
一 石造甘露台                一個
   但二層ニシテ其形六角
    上石径二尺四寸下石径三尺二寸厚サ八寸
(略)
 こうして、親神の多年待ち望まれた、かんろだいの石普請は、頓挫に次いで取り払われた。

  それをばななにもしらさるこ共にな
  とりはらハれたこのさねんわな        一七 38
  このざねんなにの事やとをもうかな
  かんろふ大が一のざんねん          一七 58
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

57:基本。
11/12/29 00:53:57.20 QnEsPWQn
>>55
ご指摘の「甘露台の取払い」は、明治十五年。この年の初めから、教祖は、
「合図立合い、/\。」 と、屡々仰せられた。
とあります。
第十七号は、明治15年頃 75首 85歳頃の執筆ですから、それ以前のお筆先に書かれてある「返し」とは、「甘露台取払い」に対する神に残念があってと言う事にはなりません。
すでに、説明したように、「高山」「大社高山」への残念が原因で、天災の返しがある事を告げられていて、明治十四年以前に、しらされてあります。

「一の残念」の「一」、これが示すものが何かという思案が大切です。




58:基本。
11/12/29 11:15:38.23 QnEsPWQn
基本的な数理は、「一つはじまり」です。
「一の道具」というのは、人間の始まりのための道具で「男女一の道具」。
つまり、一の残念とは、「開始、始まりの残念」ということになります。

また、「かんろふ台」ではなく「かんろふ大」ですから、一の残念の対象は、「台」にあるのではなく、「大」にあると思慮されます。
二段で取り払われた。「だんだん」「段々」「段がふたつ」。
「さあさあだんだんの席、返す返すの席をして」の「だんだん」です。
「一つはじまり」「二つたっぷり」「三つ身につく」。
二段で取り払われた、その段数の示すのは、教えが身についていないということです。
そこで、神様が残念といわれているのは、当時の信者のふがいなさだと分かります。

59:基本。
11/12/30 12:53:30.38 BhfhTshb
親神様の十全のご守護の理というのは、人間の元始まりの「男女一の道具」の月読命と国狭土命様の二人の柱の神様。
手の指では、人差し指。一を示すときに立てる指。
人間の成長成育のための「立毛の一の道具」の雲読命様と大戸辺命様のお二人の神様。
手の指では、中指。指の中では一番長い指。
人間の生命の生存そのものの守護の理である、呼吸と生死の道具である尊根命と大食天命様。
手の指では薬指。
この、道具の神が、お役に立ってくれたたと言う事は、やがて神として拝をさせると元の約束がありますから、各々の神を神として拝するのは理です。

天理教では、道に引き寄せられた人材を「道具衆」と呼び、その道具衆の「魂の者」が、神楽をつとめると、そういう説かれ方がされています。
最も神に近い人が道具衆であり、お勤め人衆であると言う言われ方もしますが、ひな型の示す史実は違っています。
それは、道具衆といえど、神の仰せに従わなかった者、一筋心で無くなった者、泥の中にいて泥を食ってしまった者。これらは、役立たずとなっています。

道具衆の魂ともなんとも言われていない、大工の伊蔵、そして、取次ぎ人の増野正兵衛。こう言う方がいるわけで、
魂の因縁というのは、「大食天命さま」の場合なら、「ふぐが、本質」。切る神というのは、月日のお力を得てのものであり、「神」と呼ばれている場合の本質は「月日」。
もともとの道具としての「役」の本質は、泥海の生物に過ぎないわけです。
問題は、月日がお入り込みくださるかどうかです。

おやさまのたすけ一条は、ひな型そのものの示す如く、「一日といって、これはという日は無かった」。
つまり、戦場です。

戦場にいない戦士は、道具として、何の役にもたっていない。
魂がなにであれ、心の据わらない者は、「しょうもない金」とふるいにかけられて、おしまいです。


60:基本。
11/12/30 13:22:22.00 BhfhTshb
>>57
> ご指摘の「甘露台の取払い」は、明治十五年。
この時おやさまは、>>59 しょうもない金  これを吹き分けたと言われています。
そのような者に、造られては、しょうもない甘露台になってしまう。
その者の精神を見澄まされている月日。

一の残念。
甘露台というのは、人間始めかけた証拠。
第17号 9
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや
そして、かぐらとは、この世始まり。
第16号 3
このもとハかぐらりよにんつとめハな これがしんぢつこのよはしまり

その「はじまり」の、「一」の理に対する、甘露台取り払いは、しょうもない信仰者への、ふるいわけであったと言う事です。

61:基本。
11/12/31 01:10:31.01 ZARyT66L
天理教談話室12で、教義的問題が生じていますので、こちらに投稿します。
日本の大震災は、東北大震災。神戸淡路大震災。関東大震災。
基本は、常々こう語っていました。
初代真柱が中山家に入る   → 43年    関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年    阪神大震災。
三代真柱の真柱職に就任   → 43年    東北大震災。

じつは、125の数理がありまして、この事の、過去の投稿には、当時の基本のレベルゆえの字なさがありまして、正確さに欠けていました。
ここで、訂正し、整理しつつ、神の残念とその返しの問題を、解説続けます。

寛政10年 1798 6月2日、教祖誕生。
125年 (と3月)後 1923年9月1日 関東地震

明治二年二月 1869年陰暦3月新暦(1月19日〜2月○日) おやさま甘露台の予言。 
めつらしいこのよはじめのかんろたい
これがにほんのをさまりとなる 39
125年 (と11月)後 1995年(平成7年)1月17日(火) 阪神・淡路大震災。

明治19年1886年1月おやさま最後のご苦労。
125年 (と2月)後2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)


こういう紛れも無い事実に、目をつぶるのは、濁りの水です。

62:基本。
11/12/31 01:25:39.50 ZARyT66L
この投稿以前の数の数え方を吟味しまして、訂正とします。

おやさまは、おふでさき17号にて、甘露台は一の残念と示されました。
そして、明治18年の最後のご苦労のきっかけとなった、「おつとめしたーい」の心勇講には、

「心勇講は一の筆」というお言葉がありました。

整理しますと、
真柱の真柱職の開始(開始は始まり・一つはじまり)から、43年で、三大、大震災。

この道の、開始で、見ますと
教祖の誕生。(神が表に現れた・肉体としての親神の一つはじまり).
甘露台のこのよはじめの甘露台予言(陽気遊山の道の一つ始まり)
一の筆の(反対攻撃を呼び込むつとめの一つはじまり)
このように、始まりの理に対する「125」であると、分かります。

63:基本。
11/12/31 12:35:36.66 ZARyT66L
明治15年に、大きな掃除がなされています。
それは、このようなものとして、稿本教祖伝には記録されています。
まつゑ出直:
 この少し前から身上勝れなかったまつゑは、教祖お帰りの直後、十一月十日(陰暦九月三十日)、三十二歳を一期として出直した。
 又、この年四月一日以降、飯降おさとの名義になって居た蒸風呂は、悪企みされたのを機に、即日廃業した。
同じく宿屋業も、十一月十四日(陰暦十月四日)頃廃業した。
 教祖は、廃業については、
「親神が、むさくろしいて/\ならんから取り払わした。」
と、仰せられ、又、拘留については、
「連れに来るのも親神なら、呼びに来るのも親神や。ふしから大きいなるのやで。」
と、仰せられ、
・・取払いと同時に、今迄ほこりを重ねて来た人々は皆、身上にお障りを頂いた。
それを見て、人々は、成程、これが合図立合いと、かね/\仰せられて居た事であるなあ、
屋敷の掃除とはこの事か。と、感じ入った。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
十五という数理は、十分理を吹くという数理であり、五つ理を吹くの数理は神の残念立腹の、数理です。
おやさまのお年も、85才、明治15年。
この時のおやさまへの弾圧の開始の前、
お屋敷では、十月二十六日(陰暦九月十五日)のおつとめの際、ふとした機みで、つとめ人衆の一人前川半三郎が、辻とめぎくの琴の上に躓いて倒れ、
山本利三郎は、お供えの餅米を間違えて飯に炊いた。
人々は、何となく、変った事が起らねばよいがなあ、と思って居た
と、あります。
ようするに、前川半三郎さんは、女鳴り物を蹴飛ばし、山本利三郎さんは神へのお供えを人間が食べてしまった。
そういう、男尊女卑と宗教で飯を食うと言う、そういう埃があったよという史実そのものです。



64:基本。
11/12/31 13:00:11.02 ZARyT66L
おふでさき七号には、このようにあります。
 いまゝでハ月日いかほどをもふても
 そばの心にわかりないので 104
> 今迄ほこりを重ねて来た人々は皆、身上にお障りを頂いた。
これは、そばの者の事でもあります。
七号は明治八年、十七号は明治十五年。
七号執筆年においては、小寒さまが出直ししています。
十七号執筆年においては、まつえ様が出直ししています。
このお二人は、
第9号 5
月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝをいてもろたら
Tsukihi yori yashiro to naru o futari tomo Betsuma hedatete oite morotara
I desire that the two persons received as shrines by Tsukihi each be given a separate room.
,6 親神がやしろとしてもらい受けている者を一人とも、別間に置いてもろうたならば、
何を願うて来ても、それから先は必ず請け合うて、たすけするから、これから先をしっかり見ていよ。 註 二人ともは、教祖様とこかん様を指して仰せられている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑これは、間違いです。
もらうのは親神・みき様で、二名とは小寒とまつえさん。
そのお二人とも掃除されています。
おやさま、おそばのお二人でした。



65:基本。
11/12/31 15:17:55.48 ZARyT66L
小寒様とまつえ様には、赤衣を用意して、別間隔てて、神の道具として用意がなされた。
しかし、お二人は、神から掃除されています。
その、お二人を掃除に至らしめたものは、なんであったでしょうか。
それは、例えば小寒様に、今風に言えば真柱のような巫女、それも、口寄せをさせようかという神意に対して、
人間は、事実として若き神小寒と、見せられても、小寒様を「かんなぎ・巫」のつかせず、
普通に結婚させようと言う、真にまるで無視のそばの者の姿だった。
それが、原因です。

66:基本。
12/01/01 12:42:49.16 yAgpg/tH
おふでさき七号には、親神の心配が語られています。
月日にハたん/\みへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので 7
月日よりそのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ 8

人間の将来には、怖い危ない道筋がある。それを知らせたい親神様。


67:基本。
12/01/01 12:47:05.63 yAgpg/tH
それは、おやさまのそばの者には、理解されないものでした。
そばなるにいかほど月日たのんでも きゝわけがないなんとさんねん 第9号 41

とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ 第11号 74

68:基本。
12/01/01 16:15:29.76 ShM1TIb1
小寒様は、おやさまのように月日の言葉を語れる。
しかし側の者は、出来ません。
でも、扇の伺いなどで、真似していた記録は残っていますが、出来ない物はできない。
おやさまの教えの聞き分けが出来ない側の者。それが、女性二人の出直しの原因とは、思いつきもしない側なものでした。

69:基本。
12/01/01 17:03:19.15 ShM1TIb1
この場合、小寒・まつえは責任者、引責出直しと、見れば分かることです。
 月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝをいてもろたら 5
なにゆうもそれよりしかとうけよふて たすけするぞやしかとみていよ 6
 このさきハどのよなたすけするのもな うけやうのもとであるから 7
 どのよふな事をゆうてもけさんよふ たしかきゝすみしよちしてくれ 8

70:基本。
12/01/01 17:08:46.13 ShM1TIb1
「中山家の女」の、「巫」(かんなぎ)を承知しなかったのは「側の者」。
たすけ請合う元を、「消した」彼らは、今の山名系にその悪因縁を伝承しています。
小寒が消え、まつえが消えて、「甘露台は一列澄ます」では無くなった。
石造りは、取り払われた。このオカルト、重大なひな型です。




71:基本。
12/01/01 17:48:12.02 ShM1TIb1
「鎮め石」(地震を鎮める石)たる、甘露台はなぜ消えたか。
それは、「社」となる女二人を承知しなかった間違いで、「たすけ請け負う」は無理。
月日より三十八ねんいぜんにて あまくだりたる元のいんねん 七号1
震災の数理、38。に知らされた理から、立教以来、「女」は「認めないという、
宗教高山因縁に、震災の原因があったとオカルトです。



72:基本。
12/01/02 11:43:20.87 imlzeOzP
「鎮め石」とは、お筆先に「これで証拠の大神宮なり」とある、伊勢神宮や高千穂神社にある、地震治めの鎮め石です。
普請の時には地鎮祭をしますが、仏教においての地鎮祭でも鎮石と呼ばれる平らな石を置きます。
関西などの特定の地方によっては伊勢神宮近隣の浜から砂または塩を取り寄せ、四隅に置く場合もあるとのことで、古神道の常識としての地震対策といえます。
伊勢のご神木の土台に水晶は、以前に紹介しました。災害対策でした。
「天理2」「284」「285」参照下さい。
URLリンク(unkar.org)

73:基本。
12/01/02 16:43:29.56 imlzeOzP
明治15年までの取次ぎ人らは、多くの講元は以後「道具は破損中」状態となり、真柱が芯だとお手入れなどで知らされた神明、明神の講元が残る程度になりました。
取次ぎ人、増野正兵衛先生は、その以後の登場です。
「模様替え」と呼ばれた、事情は、明治七年の「中山家の女」の事情を経て、なるべきしてなった事態でした。
「女は道の台」なのに、甘露台の「台」の理を粗末にした姿が、女鳴り物蹴っ飛ばした、山本利三郎さんの心であることは、明白なものです。

74:神も仏も名無しさん
12/01/02 21:09:10.17 yYKx8fj/
>73
女鳴り物蹴っ飛ばしたのは前川半三郎さんですよ〜

75:基本。
12/01/03 06:11:20.27 mw5Rzee2
はい。
ご指摘有難うございました。瞬間の間違いでした。
「屋形取り払え」とのご神言により巽の角より瓦をおろしかけた史実の方、おやさまの実家の弟さんですね。
訂正します。

76:基本。
12/01/03 06:48:29.39 mw5Rzee2
お屋敷においての、心の成人の鈍さとは、「側」の濁りとして、諭されてあります。
甘露台の石が取り払われた事情については、教祖伝には、こう記されています。
こうして、親神の多年待ち望まれた、かんろだいの石普請は、頓挫に次いで取り払われた。
  それをばななにもしらさるこ共にな
  とりはらハれたこのさねんわな        一七 38
  このざねんなにの事やとをもうかな
  かんろふ大が一のざんねん          一七 58
このように、親神の意図を悟り得ぬ者により、かんろだいの石を取り払われたのは、子供である一列人間の心の成人が、余りにも鈍く、その胸に、余りにもほこりが積もって居るからである。とて、
  このさきハせかへぢううハとこまでも
  高山にてもたにそこまでも          一七 61
  これからハせかい一れつたん/\と
  むねのそふちをするとをもへよ        一七 62
これから先は、世界中悉く、地位身分の高低に拘らず、次々と、一列人間の胸の掃除をする、と、強く警告して、切に、人々の心の成人を促された。
 これと立て合うて、「いちれつすまして」の歌を教え、一列人間の心のふしんを急込まれた。
 二段迄出来たかんろだいの石が取り払われた後は、小石が積まれてあった。
人々は、綺麗に洗い浄めた小石を持って来ては、積んである石の一つを頂いて戻り、痛む所、悩む所をさすって、数々の珍らしい守護を頂いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子供である一列人間の心の成人が、余りにも鈍く →それはつまり、取り次ぐ人たちの成人の鈍さです。
「一列人間の心のふしん」を急き込まれる神意は、側の者には、教祖の死のあとの組織維持問題の案じ心の濁りでしかありませんでした。
何も知らざる子供に、教えを取り次がない、取次ぎ人のていたらく。
さんげです。

77:基本。
12/01/03 07:27:46.54 mw5Rzee2
関連で、地震の数理については、おさしづにあります「濃尾地震」に関して、以前の投稿を紹介させて頂きます。
きたろうさんのブログでした。「あったかい」に、おさしづが引用されていて、コメントしました。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
Unknown (基本。)
2011-04-08 03:30:06
特に、初代真柱様の前生にあたる「亀蔵」さんは、出生から43年の数理、出直しから43年の数理とに、きちんと、震災がリンクしています。
これは、初代真柱はご自分の出生の因縁話ですから、当然ご承知だったと、思慮されます。

雛型かんろだい据えかえの儀。から、きちんと43年後に震災。
こんな芸当は、世界をふさめる、富さめる、真柱の理にしか許されないと、思います。

78:基本。
12/01/03 07:29:51.40 mw5Rzee2
引用です。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
43の教理。 (基本。)
2011-04-08 03:31:28
スレリンク(psy板)
856 :基本。:2011/03/28(月) 17:44:07.26 ID:89PbMkzB
予言の書としてのおふでさきは、音と文字の二通りにて告げられています。
文字としては、
この神の残念と発生の43年の数理は、以下の15号の和歌に書かれています。

あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12

さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
857 :基本。:2011/03/28(月) 18:10:26.52 ID:89PbMkzB
紹介しました、15号のおふでさきには、
 10番のお歌で、「明日から働く」とありますね。
 13番のお歌で、「さあ今日は」とありますね。
 これが、何時の事かと言いますと、これが書かれたのは、第十五号 明治13年1月より 90首 83歳
1880年の1月。
 あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12

つまり、10番と12番までの間に、43年がある。
そして、13番に、「さあけふハ月日のはらがはぢけたで」とありますから、
神は立腹なのだが「控えていた」「ぢいとしていた」1880年の、翌年1881年から一年、二年と数えて、
その43年後が、
 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
と、腹がはじける事態となるとの予言です。確認します。


79:基本。
12/01/03 07:36:43.56 mw5Rzee2
引用です。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

おさしづの中の刻限とは、これも示している。 (基本。)
2011-04-08 03:44:10
スレリンク(psy板)
>>290
>> 刻限
>> 明治二十年八月二十五日(陰暦七月七日)夜十一時
> 時刻「夜十一時」に、「刻限」の理があります。 子   午後11時〜午前 1時 子の刻、です。
> (陰暦七月七日)は、・・教祖七十七歳の時に、を陰暦にて示していると理解します。
> 教祖77才の時のおふでさきには、「しん」の理がきちんと知らされています。お筆先3号です。
お筆先(予言)→刻限(予言)ですから、最初の教祖77才1874年→13年 の刻限1887年ですから、
・・ この刻限は1987年8月25日。
→4年2ヶ月3日後、4年3月目に、大震災でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
43の数理は、43年と、4年3カ月とで発現しています。
13年とは、4年×3。+3月×3で、12年9月は、13年目ですから、三段重ねかも知れませんね。
いずれにしても、おやさまは、丁寧です。


80:基本。
12/01/03 12:08:57.19 bM7bWQQE
38の数理は、「天理教団2」より、再掲しますと、URLリンク(zulu.jog.buttobi.net)「172」
> 38の数理は、
> 1885年11月 公認運動の中心に初代真柱が入る。
> 38年後、関東大震災の復興支援。
> 1908年11月 初代真柱が管長の公務開始。
> 38年後、敗戦後の復興支援。
> 1915年11月 二代真柱が天理教の真柱の公務開始。
> 38年後、九州地方風水害に対策本部。慰問使派遣。紀州風水害に慰問使派遣。
> 1967年11月 三代真柱が天理教の真柱に。
> 38年後、スマトラ沖地震復興支援。
> このように、神様は見せてくれております。
> 同様に、
> 1854年12月 初代真柱前生の梶本亀蔵出産。
> 38年後、濃尾平野震災への復興支援。
> これも、神様の見せてくれた事です。

81:基本。
12/01/03 12:28:08.46 bM7bWQQE
立教から三十八年、そこに何がおきたのか、地場定め。
教祖伝本文から、引用しよう。
第九号には、
  月日よりとびでた事をきいたなら
  かんろふだいをばやくだすよふ         九 18
  かんろたいすへるところをしいかりと
  ぢばのところを心づもりを           九 19
  これさいかたしかさだめてをいたなら
  とんな事でもあふなきハない          九 20
とて、世界治めに大切な、かんろだいの据わるべきぢばを、定めて置く事が肝腎である。これさえ定めて置けば、どんな事が起って来ても一寸も心配はない、と教えられた。
 かくて、明治八年六月、かんろだいのぢば定めが行われた。

82:基本。
12/01/03 12:43:02.87 bM7bWQQE
URLリンク(otasuke-tai.net) から、引用します。
明治六年、教祖は本席さんに、かんろだいのひな型の製作を命じられています。
現在の十三段のかんろだいではなく、直径(さしわたし)約三寸、長さ六尺の六角の棒の上下に、直径約一尺二寸、厚さ三寸の六角の板のついたもので、
しばらく倉に納められますが、ぢば定めの後、こかん様の身上お願いづとめに当たり、「ぢば」に据えられ、
以後それまでの御幣にかわる礼拝の目標(めど)にはじめて定められます。

立教以来、三十八年、地場は定まった。それは、道が、八方に開くはずの旬。
しかし、八方に開くほどの霊験は高弟に高慢心を、八柱大戸辺命さまの、お嫌いな高慢心を埃としてみます。
そのターゲットは、中山家の女たちに向けられて、いたと、悟れます。


83:基本。
12/01/03 12:47:42.31 bM7bWQQE
教祖伝より、中山家の内の者の事情は伺えます。
魂のいんねんにより、親神は、こかんを、いつ/\迄も元のやしきに置いて、神一条の任に就かせようと思召されて居た。しかし、人間の目から見れば、一人の女性である。人々が、縁付くようにと勧めたのも、無理はなかった。こかんは、この理と情との間に悩んだ。
 第十一号前半から中頃に亙り、この身上の障りを台として、人間思案に流れる事なく、どこ/\迄も親神の言葉に添い切り、親神に凭れ切って通り抜けよ、と懇々と諭されて居る。
 更に、第十一号後半には、秀司夫妻に対して、
  ことしから七十ねんハふう/\とも
  やまずよハらすくらす事なら         一一 59
  それよりのたのしみなるハあるまいな
  これをまことにたのしゆんでいよ       一一 60

小寒は、周囲が嫁がせようとしています。
月日の代理という、赤衣の小寒とまつえ、その実現を、妨げる周囲の側の者の意図を感じます。

84:基本。
12/01/03 13:00:39.97 bM7bWQQE
小寒と、梶本の縁談を、おやさまは、許さなかったのではない。
梶本は、お屋敷に来なければならない。
小寒がお屋敷出ることを許さなかったという事は、再婚するなら梶本はお屋敷に入らなくてはならないという事。
「とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ 74」
これは、おやさまからの、側な者へのきつい、一言。お屋敷内に対するお側の無礼へのお叱り以外の何物でもない。



そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで70
このどふぐいざなぎいゝといざなみと くにさづちいと月よみとなり 71
月日よりそれをみすましあまくたり なにかよろづをしこむもよふを 72
このところなにをするにもとのよふな 事をするのもみな月日なり 73

とのよふな事をゆうにもみな月日
そばなるものハまねをしてみよ 74

小寒は、出直すしかなかった。側のものは、小寒・まつえはいらなかった。

85:神も仏も名無しさん
12/01/03 22:31:22.84 W8nI1QXB
結局地場やしきの神屋敷化は百年間以上も中断していたという事か?

86:基本。
12/01/06 14:12:49.26 jisGMXll
それが、天然でしょう。
人は嫉妬深く、おやさまが親神であるということさえも、側近者も含めた信者自らが、否定する側に回った。
真柱が芯であると言う事も、高弟たちは、認めようとしなかった。
すべて人の嫉妬です。
パワーで、押さえ込むには、人間は未熟すぎて、親神はほんの百日、お待ちになっただけの事でしょう。
「九拾九年たって、皆出直し」、は、人間始まりだしの元の理です。

87:基本。
12/01/06 14:27:36.75 jisGMXll
17号 
いまゝでハなんのみちやらしれなんだ けふからさきハみちがわかるで (17-1)
このみちハどふゆう事にをもうかな かんろふたいのいちじよの事 (17-2)

おふでさきでは、17号になって、「かんろふたいのいちじよ」と、この道について説かれました。
17号以前にも、かんろふたいについては、記されてあります。
8号では、おやさまとの関係について書かれています。

しかときけをなじにんけんなるよふに をもているのハこれハちがうで 72

どのよふな事をふしへてかゝるのも もとなるをやてなくばいかんで 73

いまゝてもなにをふしへてきたるのも みなこのどふりはじめかけたで 74

にんけんをはじめたをやがも一にん どこにあるならたつねいてみよ 75
このよふなしらぬ事をばだん/\と ゆうていれどもこれがまことや 76
にち/\にしらぬ事をやない事を これをしへるが月日たのしみ 77

このよふのにんけんはじめをやなるに 天のあたゑハあるときけども 78

このはなしなにの事やら一寸しれん 月日ぢきもつやろとゆうのや 79
このはなしどふゆう事であろをなら かんろふたいにひらばちをのせ 80

88:基本。
12/01/06 14:49:16.00 jisGMXll
ついこの間まで、おやさまは、おんなじ人間で、月日の社役しただけだと言う、
そういう、教理を信じていた。説いていた。

これは、間違いでした。
これ一つ、百年たって、わかったでしょうか。



89:基本。
12/01/06 15:20:10.70 jisGMXll
「かんろふ」・・ 「ふ」。
「よふき」・・  「ふ」。
「こふき」・・  「ふ」。
「このよふ」・・ 「ふ」。
「しよこふ」・・ 「ふ」。
文字と音では、
「かんろふだい」
「かんろふたい」
「かんろふ大」

残念に関しては、「だい」。濁点、濁りがあります。
いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら 第3号 108

「かんろふ大」とは、「台ではない」大です。サイズの問題と分かります。
神社などには御神体という、言葉がありますが、「かんろふたい」の「たい」は、御神体そのものですから、「体」との文字が当てられます。
人間は、神の体、すなわち「御神体」ですから、「かんろう」を受け取る「たい」とは人の事でもあるわけです。
「だい」は、ストレートに「台」と文字が当てられます。

そふぢしたところをあるきたちとまり そのところよりかんろふだいを 第8号 83
これは、台です。「たい」ではありません。

90:基本。
12/01/06 15:24:18.29 jisGMXll
明治八年、これからハと、話を開始されたのは、「台」の話です。
 これからハなにのはなしをするならば かんろふだいのはなし一ぢよ 第9号 44
これからハだん/\しかとゆてきかす
かんろふだいのもよふばかりを 第9号 46

このはなしなにをゆうやとをもうなよ かんろふだいのもよふ一ぢよ 第9号 58

91:基本。
12/01/06 15:40:49.06 jisGMXll
明治十五年、お筆先17号の話題は、「たい」と「だい」の話です。
17号 
いまゝでハなんのみちやらしれなんだ けふからさきハみちがわかるで (17-1)
このみちハどふゆう事にをもうかな かんろふたいのいちじよの事 (17-2)
このだいをどふゆう事にをもている これハにほんの一のたからや (17-3)

神様は「かんろふたい」と「甘露台」の二つについて語っておられます。
この道は「かんろふたい一条」であり、この台は、日本の一の柱であると知らされています。

にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)
ここには、「台」となっていません。「体」となっています。


92:基本。
12/01/06 15:41:34.90 jisGMXll
そして、

このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし (17-10)

皆そろうということは、「台」なら、一個ですから、皆も何もない。
「体」だから、「皆そろう」なのです。そして、それは、世界一列に話題はつながります。

それまでにせかいぢううをとこまでも むねのそふぢをせねばならんで (17-11)
このそふぢとこにへだてハないほとに 月日みハけているとをもゑよ (17-12)
月日にハどんなところにいるものも 心しだいにみなうけとるで (17-13)

世界中の子供が、「かんろふ」を受ける、「たい」になる。
その事こそ、「かんろふたい」の一条の道である、この道。
そこが分からないと、「大が、一の残念」のままです。
地場の屋敷に「たい」がいても仕方ないわけで、世界中に「たい」がいなくては、サイズが違いすぎる事、分からなくては、恥です。


93:基本。
12/01/06 15:54:18.04 jisGMXll
みき姉さんは、数理と言う誰でも数えられるもので、天理の厳密さを明示し、
一年は12月、音階は、白黒鍵盤で一オクターブ12音。四三、十二で、
四十三で、震災の数理。
そして、一日は二十四時間。三八二十四、38年は復興の数理。
お筆先は、かな文字。音と、文字で、判別させて、理を知らす。
遊び心のお姉さんだから、人は、ただの百姓女と、無学な女と誤解する。
誰にもわかるかな文字と、指折り数えられる一二三の数理で、「ふ」「普遍」の真理を諭す。
こんな、姉さん。
大好きになりますよね。
神名は、天理王命。中山みきさまと申し上げます。
同じ人間ではありません。

94:基本。
12/01/06 15:56:31.72 jisGMXll
にんけんをはじめかけたるしよこふに
かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)

このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし (17-10)

それまでにせかいぢううをとこまでも
むねのそふぢをせねばならんで (17-11)

このそふぢとこにへだてハないほとに
月日みハけているとをもゑよ (17-12)

月日にハどんなところにいるものも
心しだいにみなうけとるで (17-13)

いまゝでハとんな心でいたるとも
いちやのまにも心いれかゑ (17-14)

しんぢつに心すきやかいれかゑば
それも月日がすぐにうけとる (17-15)

月日にハせかいぢううハみなわが子
かハいいゝばいこれが一ちよ (17-16)

95:ぼちぼち
12/01/06 18:57:32.74 Dhf5TEyT
拝見して最初は、大、台、体と分けて考えるのは面白いかも知れないなあと思いました。

それならば、下記のさねん、ざねん、ざんねんの違いもあるのでしょうか?

それをばななにもしらさるこ共にな
とりはらハれたこのさねんわな一七 38
このざねんなにの事やとをもうかな
かんろふ大が一のざんねん一七 58

……………………………

このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし 十七 10


取り払われた十三段の石のかんろだいが揃いえば、完成すれば、どんなことも叶うようになる。

順番は違いますが、普通に拝読しますと、こうなります。

大、台、体に対して、さねん、ざねん、ざんねんの違いを教えて下さい。

言葉を追いかけ過ぎますと、どっかおかしくなりませんか?


96:蛇足
12/01/06 20:18:16.48 6y7yt6Sm
過ぎたるは及ばざる?


97:基本。
12/01/06 20:53:19.51 aS5U2e3E
ぼちぼちさんは、楽しい方です。
肩というのは、大戸辺命様の「戸」と、月読命様の「月」の文字の組み合わせです。
五十肩というのは、年齢の数理で言うと、秋です。つまり大戸辺命様の守護の理の季節。
お分かりのように、埃は「高慢」です。
直接の対話ですので、先ず一言、。。。

98:基本。
12/01/06 20:58:53.27 aS5U2e3E
ご質問の内容ですが、
> 取り払われた十三段の石のかんろだいが揃いえば
これは、間違っています。教祖伝には、こう書かれています。
かんろだいの石取払い:
 五月十二日(陰暦三月二十五日)、突然、大阪府警部奈良警察署長上村行業が、数名の警官を率いて出張して、二段迄出来て居たかんろだいの石を取り払うて、これを没収し、更に、教祖の衣類など十四点の物品をも、併せて没収した。


         差押物件目録(註一)
一 石造甘露台                一個
   但二層ニシテ其形六角
    上石径二尺四寸下石径三尺二寸厚サ八寸
一 唐縮緬綿入                一枚
一 唐金巾綿入                一枚
一 唐縮緬袷                 一枚
一 仝単物                  弐枚
一 仝襦袢                  弐枚
一 唐金巾単物                一枚
一 縮緬帯                  一枚
一 寝台                   一個
一 夜具                   一通
   但 金巾ノ更紗大小貮枚
一 敷蒲団 但坐蒲団ヲ云           一枚

この事は、談話室12にも、引用して書いておきました。
あなたは、知らぬことを知ったかぶりして、「取り払われた十三段の石のかんろだいが」と、書いた。

知らぬことを知ったかぶりするのは高慢です。



99:基本。
12/01/06 21:08:09.04 aS5U2e3E
さて、私は、「普通に拝読していない」、教会長でありながら教祖伝での確認もしない、と言う事は、
ほとんど無知な人に、解説しなければならないわけで、わくわくします。

ぼちぼちさんの「質問の趣旨」は、次の@、Aと受け止めました。
@ 「ざねん」と「ざんねん」の違いもあるのかということと、それが「大 台 体」に対しての違いの内容は?
A 言葉を追いかけ過ぎますと、どっかおかしくなりませんか?

先ずAからお答えします。
言葉は、お筆先にきちんと書かれていて逃げません。逃げないので追っかけません。
お言葉は、一言万巻、「根をほれ」と言われているので、一言づつにこだわって、研究するのは、基本の普通なので、それがおかしいといえばまるでおかしい私の研究です。


100:ダソク2号
12/01/06 21:27:07.00 6Weyv/wU
こじつけ考え中 チョッと待ってね

101:基本。
12/01/06 21:31:40.24 aS5U2e3E
「ざねん」と「ざんねん」の相違は、誰が見てもわかるように、「ん」があるかないかです。
二代真柱の英訳で確かめますと、先ずざねんは、このように英訳されています。

My regret 17号25。「ざねん」
After the regret and anger of Tsukihi  第13号 36 「ざねん」。

the regret from the mind of Tsukihi. 第6号 75 「ざんねん」。
the regret in the mind of Tsukihi!  第12号 26 「ざんねん」。
all the mind's regret  第12号 63 「ざんねん」
the greatest regret. 第13号 16 「ざんねん」
the greatest regret 第13号 67 「ざんねん」

さすがに、二代真柱様は、「ざんねん」と「ざねん」の違いをきちんと、英訳で、使い分けています。

102:神も仏も名無しさん
12/01/06 21:41:54.29 Dhf5TEyT
>>98
>ご質問の内容ですが、
> 取り払われた十三段の石のかんろだいが揃いえば
これは、間違っています。教祖伝には、こう書かれています…。

それは存じております。アホなもんで、文書表現がまずいだけのことです。
「(完成途中のかんろだい)取り払われた」が、「十三段の石のかんろだいが揃えば…。」と言えば良かったですね。

余談ですが…。

二段のかんろだいは、現在真柱宅の庭にありました。
これは専修科の時に目撃しました。
30年ほど前の話ですが、奈良の誰かさんから買い戻したとか言われてました。


103:基本
12/01/06 21:45:52.96 aS5U2e3E
問題は、ぼちぼちさんの、英語力と、国語力になっています。
基本には、基本的な解説は、直ぐ出来ますが、ぼちぼちさんに、真柱の恐るべき能力を知って欲しくて、
期待して、真柱の英訳で、違いを示すことにしました。
「ざねん」は、ダイレクト、直接月日。
「ざんねん」は、幾つも幾種類もある。一番のとか二番のとか、そういうざんねんのレベルの違いがある。
月日の心からfromの残念もある。
月日の心の in the mind of の残念もある。
the greatest regret.もある。
つまり、「ざんねん」には「ん」がある。「ん」の本字は「无」であり、意味は「無」。
「ん」=「无」=無がつけば消せるもの、そう簡単に消せないものは「ざねん」。
そのように二代真柱は、英訳時に使い分けておられる。

恐るべしは、巫女・真柱である。


104:ぼちぼち
12/01/06 21:48:12.81 Dhf5TEyT
あんまり優秀ではありませんが、教祖100年祭当時、専修科で学んでいました。

それこそ蛇足ですが…。
野良さんのちょっと先輩になります。


105:基本
12/01/06 21:52:34.51 aS5U2e3E
>>102
甘露台の石を、警察から戻したのは、競艇の創始者・笹川さんです。
カチカチ用心の、CMしていた、爺さんです。

> 、「十三段の石のかんろだいが揃えば…。」と言えば良かったですね。
では、13段の石の甘露台が揃えば、という日本語、変だと思いませんか。
13段は、積み上げるもので、一段二段と、積まれた。
十三段なら、石が積まれたらとなります。

今から仕事で、カラオケ教えますので、「揃える」とは、「台か体か」、
言葉としての自然、不自然、よくよくご思案下さい。

106:ぼちぼち
12/01/06 22:00:20.73 Dhf5TEyT
>>103
ありがとうございます。

日本語は聞き取れるレベルですが、英語はサッパリ解りません。
が、訳し方に違いがあることは解りました。

また、屁理屈に挑んでみます。


107:神も仏も名無しさん
12/01/06 22:32:44.22 jebd5yHj
英訳したのは真柱ですか?井上昭夫さんでは?

108:神も仏も名無しさん
12/01/06 23:21:23.74 F5MZ7tTl
井上昭夫が巫女なん?

109:ぼちぼち
12/01/06 23:47:31.93 Dhf5TEyT
>>107
それはそれで善いんじゃない?
まあ…その…あれや。

井上昭夫さんを見込んで仕込まれたのが二代さんなんやから。

「さねん」「ざねん」「ざんねん」を直訳したのではなく、全体の流れから訳されたとは思うけどね。

気になったのは good better best みたいになってるのかな?ってことやけど、英訳羅列されても解らんわ…。

それと、英訳したおふでさきをもう一度和訳したらどうなるんかも気になります。
おふでさきの内容とは違ってたりして…。

アホは神の望みとか申しますが、こんなアホはあかんみたいやね(笑)

110:基本
12/01/07 00:48:53.96 fsb6PJbm
ぼちぼちさんらしい反応ですね。
> 英訳したおふでさきをもう一度和訳したらどうなるんかも気になります。おふでさきの内容とは違ってたりして…。
道友社では、参考書として、
「おふでさき 英訳・研究」(井上昭夫、マッシュー・アイナン 著)を売っているようですよ。
こんな感想もありました。URLリンク(blog.goo.ne.jp)
『おふでさきを日本語だけで読むと、結構難しいのです。ですが、少し英語がわかったこともあって、私が参考にした「おふでさき 英訳・研究」(井上昭夫、マッシュー・アイナン 著)のおかげで、この難解と思われた「おふでさき」が読めたのです。
その時の感激が私のこのblog を書かせました。書き始めたのが昨年の1月ですから、ちょうど約1年と10月位の時間が経ちました。』

> アホは神の望みとか申しますが、こんなアホはあかんみたいやね(笑)
いいえ、良いんじゃないですか。人が好けば神も好くのですから。
だって、ぼちぼちさんは、突っ込んでくれるから、書かないことまで書けるわけで、ありがたい事です。
基本にすれば、こんなこと書いても分からないだろうなと、余分には書かないわけで、
それを、書けば、皆が読むわけで、突っ込んだぼちぼちさんには、分からなくても、中には分かる人も、大勢いるわけで、

「たい」を揃えるには、一列を澄まして行くしかない。「一列澄まして甘露体」という人間になるのは、必要なことは、胸の掃除であり、親神様を信じることと言う、当たり前が、きちんと位置づけられるわけです。
今までは、十三段の石を積んでくれない、真柱に、作業開始は何時なんだと文句たらたら。
これからは、一列を澄ますために、自分が、悪しき払いをする事の、自己責任に目覚める人が、ゼロではなくなる、
良い事です。


111:基本
12/01/07 01:30:54.49 fsb6PJbm
ぼちぼちさんへ。「たい」「だい」の濁点の関連ですが、
たてぬいの先生は教義学の先生です。TATENUI にて、例を示し基本的理解の根拠とします。
第3号 7
これからハ水にたとゑてはなしするすむとにごりでさとりとるなり

From now on, I shall speak in the metaphor of water. Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”

これからは水を例にとって教えを説き諭しするが、水が澄んであるとは、人々の心にほこりが無くて奇麗な事であり、濁ってあるとは、人々の心にほこりが積もっている事であるから、それによって各々に悟るがよい。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「すむとにごりでさとりとるなり」この事は、山名系教義では、
「人々の心にほこりが積もっている事であるから、それによって各々に悟るがよい。」と訳しています。
つまり、「すむとにごりで」は、心の埃の事と山名系の理解ですが、大間違いです。
それを、きちんとご理解くださるよう説明します。
(続きます)

112:基本
12/01/07 02:04:09.09 fsb6PJbm
「すむとにごりでさとりとるなり」の英文です。
Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”

ネット上の翻訳を利用します。
Be enlightened 翻訳→啓発される。(.google) 
Be enlightened 翻訳→教化されてください。(yahoo.)
Be enlightened 翻訳→啓発されてください。@nifty翻訳
 ↓
つまり、悟りとるなりとは、「啓発される」「教化される」行為と言うことです。

by the words  翻訳→言葉で(.google)
by the words  翻訳→語によって(yahoo.)
by the words  翻訳→その単語で@nifty翻訳

by the words “clear” and “muddy.”"クリア"と"濁った。(.google)
by the words “clear” and “muddy.”「すっきりさせて」、「泥で汚してください」。(yahoo.)
by the words “clear” and “muddy.”「クリアしてください」と「泥だらけになってください。」@nifty翻訳
Be enlightened by the words “clear” and “muddy.”「オフ」と「泥だらけ」「(bing)
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by the words つまり、語によってとはありますが、心の埃とか書いてない。出てきていません。

113:基本
12/01/07 02:11:33.81 fsb6PJbm
以前に、おふでさきの読み方の基本として、「澄む」と「濁る」は、書いてあります。
「濁点があると濁る」→「だい」 「濁点なしは澄んでいる」→「たい」
こう言うように、言語という記号を用いてある、「澄む」と「濁る」で、悟りとってくれと、
お筆先には書いてあって、二代真柱は、「口でも言わん筆先の責め」ですから、全く解説しないで、英文の筆先公刊されています。

「ご神体」の「たい」は、澄んであるもの。
土に立てられる「甘露台」は、土がついていて汚れがあるもので、「だい」。
それを、悟りつつ読むのが、お筆先に知らされた基本です。

114:基本
12/01/07 02:31:10.54 fsb6PJbm
これを、応用した場合のお筆先解釈の実例を、紹介、引用します。
天理教を語る!!4
URLリンク(bbs.thebbs.jp) 基本。 2006/12/07 09:08
[251] 基本。 2006/12/07 16:03
> 明治2年に、教祖はお筆先一号を書かれて、知らされた。
> このたびハはやくてをどりはじめかけ これがあいずのふしきなるそや 一号15
> このあいずふしぎとゆうてみへてない そのひきたればたしかハかるぞ 一号16
> そのひきてなにかハかりがついたなら いかなものてもみながかんしん 一号17
> みへてから説いてかかるハせかいなみ みへんさきからといてをくそや 一号18
> このさきハ上たる心たんたんと 心しづめてハぶくなるよふ 一号19
> このハほくむつかしよふにあるけれと だんだん神がしゆこするなり 一号20
>
> このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ 一号21

昭和3年当時の解釈は、>>250 明治政府よりのもので勤皇思想まじりでした。

それでは、「書き文字であるおふでさき」の、一語一語に留意して、澄むと濁るを思案して、
ひながたに明示された、明治政府の「王政復古」とは、「祭政一致」の提唱であり、皇上への人民総奴隷化計画とも言える「大教の詔」こそ、維新の目指したものであった事実を踏まえて、一号の15から20の解釈の基本を述べてみる。
(引用続きます)

115:基本
12/01/07 02:33:11.33 fsb6PJbm
(引用続きです)
『このたび、慶応3年にお払いさんが降るとの情報戦略の行われた、人為工作による「偽世直し」のあった、この時に、親神は十二下りを教えはじめる。
 明治3年には「よろづよ八首」を序として加えて、てをどりをきちんと教えるので、この重大な旬に、よろづよと十二下りの、つとめ、手踊りを急いで開始するようにせよ。』
『慶応3年のお払いさんが降るという事情に対して、てをどりの勤めを開始するのは、これが合図となって、「節が来る」、と言う不思議となる。』

『このてをどりの開始の事は、てをどりにて病人が助かる、おつとめの不思議な事を、「不思議だ、不思議だ」と言って、「節が来ると言う事が」見えていない。』
『大きな節が来て、明治政府の立役者たち、上の者の実態が見えたときに、確かに分かるのである。』

『お筆先に知らされた、「早く手踊り始めかけ」と言う合図の予言が、その日が来て、ああ、この事を予言していたのか、と分かる時には、皆が感心するであろう。』

『この先、将来は、上たる心はだんだんと、心の乱れを鎮めて、悪事の元を省いて、和睦が出来るように、』

『この高山の上のものの和睦は、難しいような状態にあるが、だんだん、神が守護する。』

このよふハりいでせめたるせかいなりなにかよろづを歌のりでせめ 一号21

このように、解釈されます。

明治維新の当時に、教祖は、慶応3年には、高山の情報操作を、「念がいったら肉が下る」と言われていました。

身の内にての、「肉」→「にく」、とは、世界にての、「くに」→「国」という理の事。
情報操作も念が入ったら、肉が下るとは、つまり、国が下る、「敗戦」と言う事を、予言されていました。
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