驚愕!!残虐民族の日本人がキリスト教徒を殺戮 at PSY
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1:神も仏も名無しさん
11/03/06 01:30:18.33 kD5jnJ0x
1616年、大御所家康が死去し、権力は将軍秀忠に集中する。家康の作った幕藩体制の基礎を固めに入った秀忠はキリスト教禁制も強化していく。
「伴天連宗門御制禁奉書」を発し、日本の万民にキリスト教を厳禁し、外国商船の入港を平戸・長崎の二港に限定した(元和禁教令)。
九州・大村領に追放されたはずの宣教師がいる、との情報が秀忠にもたらされ、領主大村純頼を叱責する。
純頼は自らキリシタンであったにもかかわらず、棄教し、宣教師検索に乗り出す。結果、4人の宣教師と2人の宿主のキリシタンが斬首された。この後に続く殉教事件の皮切りとなるような出来事であった。

一体、どのくらいのキリシタンが殺されたのだろう。秀忠時代の主な殉教事件だけでも、
●1619年京都大殉教52人火あぶり
●1622年長崎大殉教55人火あぶり
●1623年江戸大殉教50人火あぶり
●1624年東北大殉教109人殉教
●1624年平戸大殉教38人殉教
と、キリがない。
新井白石の『西洋紀聞』下巻付録によると、殉教者の数は20〜30万人にのぼる、となっている。しかしこの数はおおよそであり、しかも根拠が無い。
姉崎正治博士の史料に基づく実数計算では、3792人、その後ラウレス博士による計算では4045人を数えた。
これらは確実な史料に基づくものであり、史料発見と共にその数は増加している。未発見の史料、無くなってしまった史料、史料に残されなかった殉教事件なども起こっていただろうから、実際の殉教者総数は、何倍にもなるであろう。

幕府は、最初こそキリシタンを次々と殉教させていったが、崇拝の対象となる栄光の殉教者を作ることを良しとせず、拷問により棄教を迫ることに方針を切り替えた。
これによりさらなる悲劇が生まれていくこととなる。一例を『沈黙』で有名なフェレイラ神父の棄教で紹介しよう。
URLリンク(www.collegium.or.jp)


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