○●Я親鸞仏教質問箱R(その7)●○ at PSY
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[前50を表示]
250: ◆K3PkkhVAkA
11/06/02 22:19:29.27 PmWaAQvK
(^-^.) ホクロ

251:神も仏も名無しさん
11/06/02 22:31:49.24 Sht/WmQx
(^-^) かわいい

252: ◆K3PkkhVAkA
11/06/03 18:59:40.31 Vzh/oo7V
(^-^) ただいま

253: ◆K3PkkhVAkA
11/06/06 19:24:10.11 YVIZPkMY
(^-^) おかえり

254:神も仏も名無しさん
11/06/06 21:53:43.73 npUsNwzm
(^-^) お疲れさま

255:神も仏も名無しさん
11/06/07 22:05:33.15 C3vsm7cJ
(^-^) ただいま

256: ◆K3PkkhVAkA
11/06/08 19:27:36.24 7p3/4pxu
(^-^) もかえり

257:神も仏も名無しさん
11/06/08 21:26:11.52 yw5jcmK4
(^-^) ただいま

258:(^-^) ◆HYUGA.B48k
11/06/08 21:31:18.98 faNJ39m4
(^-^) おかえり

259:神も仏も名無しさん
11/06/08 23:16:14.05 yw5jcmK4
(^-^) そろそろ就寝時間だね

260: ◆K3PkkhVAkA
11/06/09 18:56:22.97 awE9Nlsd
(^-^) ただいま

261:(^-^) ◆HYUGA.B48k
11/06/09 20:02:36.75 RoWcTzcp
(^-^) おかえり

262: ◆K3PkkhVAkA
11/06/09 20:25:20.52 awE9Nlsd
(^-^) 入ろうかな、風呂に

263:神も仏も名無しさん
11/06/09 20:39:37.86 wYjP9Eyq
(^-^) ただいま

264:神も仏も名無しさん
11/06/10 15:11:06.27 HxTUEC29
とーかいさーん

とーかいさーん(´;д;)

265: ◆K3PkkhVAkA
11/06/10 19:45:00.77 FHen/jsf
(^-^) お留守ですよ♪

266:神も仏も名無しさん
11/06/10 20:37:19.71 //TM0QS3
とーかいさんのブログ404やん
。・゜・(/Д`)・゜・。うわあああぁぁぁぁん

267: ◆K3PkkhVAkA
11/06/11 08:59:52.67 ej3nI2mk
(^-^) ブログが倒壊?

268:神も仏も名無しさん
11/06/11 15:09:11.85 hLpIGsuE
法蔵菩薩は悟りをひらいて
如来になられたわけですが、
彼はもともと人間だったのでしょうか
それとも別次元の存在?

普通五劫もの長い時間、人間は生きていけません
彼が智慧としてこころが安寧となるべき命題を
残し、それを後の智者があーでもないこーでもない
と考えられてその作業に膨大な時間がかかってしまった
その精選されたものが今日経典として残っていると考えてはまずいのでしょうか


269: ◆K3PkkhVAkA
11/06/11 18:47:43.44 ej3nI2mk
(^ε^) 子供むけの月刊誌についてくるね、ふろく

270:神も仏も名無しさん
11/06/12 14:38:33.21 N2uR3uHo
>>222
渡海ブログ消滅してるな

271: ◆K3PkkhVAkA
11/06/12 17:49:15.67 96Vm6FcC
(^ε^) じゃあ探さなきゃね、担い手

272:宗教法人GLAの教義によれば
11/06/13 15:40:17.66 Lo0dAFTY


  ◆エホバ=ヤハウェ=アラー=高橋信次=エル・ランティ◆
   (釈迦、イエス・キリスト、モーセはエル・ランティの意識の一部)



  ◆大天使ミカエル=アポロ=エリヤ=マルティン・ルター=如意輪観音=高橋佳子◆



273: ◆K3PkkhVAkA
11/06/13 19:53:13.22 pp0FUk4y
(>_<) 大変でしたね、津波

274: ◆K3PkkhVAkA
11/06/14 21:06:40.25 9e7XICMc
(^ε^) 煮梨

※(コンポート)

275:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/06/21 11:22:42.89 kVWbb5L4
>>268
 簡単な問題なのでコメントしたいと思います。

>と考えてはまずいのでしょうか
 まずいと思いますよ。考えが粗雑だと思います。丁寧に考えていけば、結論も変わってくるでしょう。

>彼が智慧としてこころが安寧となるべき命題を

 こういう場合、具体名詞を使いましょう。彼とは誰ですか?。阿弥陀仏(本師)?、釈迦(教主)?、阿
難(伝説上の著者)?、梵文原典著者?、康僧鎧(漢文訳者)?、善導(異説主張者)?親鸞(急進的
修正主義者)?。
 彼とは誰を指しているのでしょうか?貴方の中では自明なのでしょうが、意見を主張するとき、具体
名を明示することに憚りを感じるようであれば、議論のテーブルに載りません。

276:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/06/21 11:28:24.11 xTNGpV1Q
>後の智者があーでもないこーでもないと考えられて
 後の智者とは誰でしょうか?。誰が後の智者なんでしょうか。
 「あーでもない」の「あー」はどういう考えを指していますか?代名詞ではなく、具体的に明示しましょう。
 「でもない」という、「あー」の否定論は何を根拠にした主張でしょうか。
 「こーでもない」の「こー」は、「非あー」のどのような理論を指していますか?代名詞ではなく、具体的
に明示しましょう。「でもない」という、「こー」の否定論は何を根拠にした主張でしょうか。

277:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/06/21 11:30:09.57 kVWbb5L4
>その精選されたものが今日経典として残っていると

 「その」とは何を指す代名詞ですか?。「精選されたもの」とは、誰がどのように精選したも
のでしょうか?
 「後の智者」「あー」「こー」「その」では、何を指しているのかさっぱり分かりません。中身
のない空理空論をもって、「・・と考えてはまずいのでしょうか」という質問はまずいと思いま
す。

 質問の趣旨が、「実体のない代名詞による形式的空理空論をしてはいけませんか」という質問
であれば、コメントに値しません。外の人に聞いてください。

 具体名詞を使って考えて行けばすぐに気づくような論理上の破綻を起こしていても、代名詞を
使って考えると、気付きにくいものです。具体名詞を使うのは嫌だなと感じたなら、自分で自分
をごまかしている議論だと考えるといいと思います。

278:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/06/21 11:32:15.54 kVWbb5L4
>彼はもともと人間だったのでしょうかそれとも別次元の存在?

 弥陀仏は、自然の様を知らせん料なり(親鸞)。

 桃太郎というのは、よい子達に勧善懲悪を認識させるための教材である。資料である。手段で
ある。方法論である。
 寓話であり、よいことをしよう、悪いことを止めようと悟らせようとする、これが寓意である。
 阿弥陀仏というのは、善因善果悪因悪果、自然の概念を認識させるための資料である。手段で
ある。方法論である。道具である。
 「不可思議光仏・無碍光仏も、この南無阿弥陀仏をほめたもう徳号である」。阿弥陀仏とは、
文字も知識もない凡夫初心者に、南無阿弥陀仏は尊いぞと称讃して見せてくれる桃太郎である。
それが寓意です。

279:神も仏も名無しさん
11/06/21 12:04:54.67 FKCm/p8k
十三世紀、唯円の名文書 『歎異抄』読めば!

280:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/06/21 15:15:46.26 kVWbb5L4
>278 続き(連続書き込み禁止の原則によって書き込みが遅れました)

 桃太郎は、もともと人間だったのでしょうか。それとも、桃から生まれた宇宙人だったのでし
ょうか?。そのような、作者が考えてもいなかったことを想像することは愚かなことでしょう。
阿弥陀仏からは「念仏を称えよう」という寓意以外のことを詮索することは実に愚かなことです。

 物事は「あー」「こー」「その」ではなく、実体をもって考えて行きたいものです。



>> 279は渡海難に当てた書き込みでしょうか?

 ノーコメントとします。

281:神も仏も名無しさん
11/06/21 15:58:22.76 rQ2HFWoD
とーみさん

おかえり

282:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/06/21 17:05:33.10 kVWbb5L4
>>268
>普通五劫もの長い時間、人間は生きていけません

 寓話だから生きていけるんですよ。

 寓話なら、竹からも、桃からも人が生まれる。猿・犬・雉が甲冑に身を固め
て鬼ヶ島に乗り込むこともできる。猫が長靴を履くこともある。狐が鶴と会話
もします。何も不思議がありません。それが寓話です。
 寓話の背後にある寓意は何か。作者の主張は何か、そこに耳を傾けたい
ものですね。五劫もの長い時間人間は生きていけませんということより、五劫
もの長い時間考えたという寓話の背後に寓意があります。その寓意を考えた
いものですね。そこに経典の本当の命、鼓動があります。

283:神も仏も名無しさん
11/06/21 19:15:26.88 /HNxfGqs
ナンさん、ブログが消滅していますが移転したのですか?

284:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/06/21 22:17:09.96 kVWbb5L4
>>283
 家族が病気のため、仕事以外でインターネットに集注する精神的
ゆとりがありません。
 目下、インターネット関係は休業中です。
 今後も当分、ネット上での発言を休みます。

285:神も仏も名無しさん
11/06/21 23:34:10.01 55Jq+0+2
待ってたよ(´;ω;)

286:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/01 12:04:49.76 ls4PwFNh
>>285
 待っていてくださる方がいらっしゃるということは、嬉しい限りです。

 最近は家族の病状も安定してきてお陰様で見通しが明るくなってきました。先日、外国の大学に送
って調べて貰った検体に陽性反応が確認されたという報告がありました。非常に珍しい病気でした
が、発病から一年ぶりに科学的、客観的に確定しました。病名は、臨床症状を下に数か月間予想し
ていた通りのものでしたが、これで治療方針も確定したそうです。

 そろそろこちらの書き込みに戻ろうと思います。浄土真宗の僧のアイデンティティーは何か。葬儀
の主催を主軸とする教団宗教とは何か。神社仏閣板で半ば約束していた議論に取り組みたいと思
います。
 最近2ちゃんねるは書き込み制限が厳しく自由な発言がしにくくなっていますが、その制限内で今
後できるだけ議論してみたいと思います。

287:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/01 13:17:22.40 ls4PwFNh
>>286
× 科学的、客観的に確定しました。
○ 科学的、客観的に病名が確定しました。

× 主催
○ 主祭

288:神も仏も名無しさん
11/07/01 15:48:07.78 i0JCf1YI
そっかそっか
よい方向に向かったみたいでよかった(^-^)



289:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/03 12:44:15.95 XbVKn530
 浄土真宗の僧のアイデンティティーというものを考えるならば、まず親鸞とは何者だったのかというこ
とから考えて行く必要がある。

URLリンク(upload.wikimedia.org)

 この絵は、親鸞聖人八十三歳(1255年)の肖像と伝えられる。西本願寺に国宝として所蔵されてい
る。敷物は狸の皮、草履は猫の皮、杖は鹿の角に猫の皮を巻いてあるそうだ。これは、現代の我々が
見てもピントこないが、いわゆる鎌倉時代の勧進僧のみなりだそうだ。

 長野の善光寺は勧進僧の寺である。ここは親鸞と関係が深い。かつて善光寺は多くの勧進僧を抱
えていた。古い記録の中に親鸞の名前が発見されているそうだ。

善光寺の如来の  我らを哀れみましまして 難波の浦に来たります
御名をも知らぬ守屋にて その時ほとおりけと申しける
疫癘あるいはこのゆえと 守屋が類は皆共に ほとおりけとぞ申しける 
易く勧めんためにとて ほとけと守屋が申すゆえ ときの外道皆共に
如来をほとけと定めたり。

290:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/03 12:47:41.23 XbVKn530
 善光寺とは、もともと552年に百済の聖明王から朝廷に献呈された仏像を、本多善光という人物が、6
02年に難波(現在の大阪市)の浜辺で発見し、それを自分の故郷に持って帰り、祀ったものらしい。「難
波の浦に来たります」とは、浜辺に流れついていた。捨ててあったということだろう。

 かつて、日本人は仏像を「ほとおりけ」と称した。「ほとおりけ」とは呼称を知らなかった物部守屋が勝手
に付けた名前である。
 世の中に疫病が流行る原因は、このような怪しげな仏像が外国から入ってきたことが原因である。仏
像を捨ててしまえ。物部守屋はそのように排仏を唱道した。ほとおりけとは、化け物、妖怪、疫病という意
味だ。
 顔に熱が出ると「顔がほてる」という。「け」は気、ほとおりけとは熱の出る疫病をいう。あるいは、「ほと」
とは陰部を指し、ほとおりけとは陰部に住み着いて人を惑わす妖怪を指す。

291:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/03 12:49:58.54 XbVKn530
 物部守屋が仏像を「ほとおりけ」と呼んだため、人々は「ほとけ」と言うようになった。排仏派の物部
氏が滅び、崇仏派の蘇我氏が勝利すると、やがて妖怪、疫病という意味も消え、如来の別称になっ
た。親鸞はそういう。

 善光寺は、日本最古の仏像がある日本仏教の原点である。親鸞はそのようなことが言いたいのだ
ろう。自分は善光寺に属する勧進僧である。当時親鸞はそのように自己紹介をしていたのかも知れ
ない。

292:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/03 13:39:22.37 XbVKn530
>>289
× 如来をほとけと定めたり。
○ 如来をほとけと定めたり。    (親鸞作 和讃)


293:神も仏も名無しさん
11/07/06 15:17:19.84 TCVBv6Y0
>>292はどこが違うの?

294:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/06 15:29:58.69 AzKBCBXM
>>138
>大無量寿経によって念仏が真正面から説明されるようになるのは親鸞からである。

 時間が過ぎてしまいましたが、これに補足しておく必要性を感じました。

 その上輩というは、〜 一向に専ら無量寿仏を念じ、もろもろの功徳を修して、かの国に生まれんと
願ぜん。(大無量寿経 末)

 渡海難は、大無量寿経には念仏について議論されている箇所はないという。しかし、大無量寿経は
念仏を議論しているではないか。こういう反論が出る。

 大無量寿経が言う無量寿仏を念じるとはどういう意味か。大無量寿経が書かれていた時代の言葉の
定義が問題になる。経典が言う念仏は、現代の我々のイメージする念仏ではない。

295:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/06 15:32:35.01 AzKBCBXM
 観無量寿経はいう。 
 教えて念仏せしむるに遇わん。この人、苦に逼められて念仏するに遑あらず。善友告げて言わく、
汝もし念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべしと。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、
十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。

 下品下生の極悪人が、最後の土壇場で苦しむ。善友がその極悪人に念仏を勧める。しかし、極悪
人は苦しさの余り、念仏ができない。そこで善友は無量寿仏と称えよと教える。極悪人は南無阿弥陀
仏と十回称える。

 観無量寿経で分かるように、経典編纂時代、念仏というのは南無阿弥陀仏と称(とな)えることでは
なかった。念仏とは、仏のイメージを心に描くこと。いわゆる観相の念仏を意味していた。称名念仏で
はなかった。現代で言う称名念仏はなんというか。阿弥陀経に書いてある。

 阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、 〜、もしは七日、一心にして乱れざ
れば、もろもろの聖衆と、現じてその前にましまさん。
 「名号を執持する」という言葉が出てくる。執持名号というのが現代の称名念仏である。
 念仏という言葉が称名念仏を意味するようになったのは、法然上人以降である。大無量寿経では、
著者は、称名念仏について何ら議論をしていない。問題にしていないというのが実体である。

>>293
(親鸞作 和讃) という注釈を足しました。

296:神も仏も名無しさん
11/07/06 20:48:26.58 5JHkaVyl
仏教には啓示はない。解脱だけを目的としている。救済の思想はない。
仏教は本来不立文字が本質である。
大乗経典は、全て釈迦とは何の関係もない。
華厳も、最澄の法華経も、法然、親鸞が所依の経典である阿弥陀経も、
般若心経もみな、後人の作であって仏教ではない。
仏教には墓の概念さえない。もちろん超能力や、神通など論外である。




297:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/07 11:32:04.07 KoaS6WUs
>>296
>仏教には啓示はない。解脱だけを目的としている。救済の思想はない。

 「啓示」「解脱」「救済の思想」
 発言者が想定している言葉の定義、概念が不明でコメントのしようがない。戯論にはノーコメ
ントとします。

>仏教は本来不立文字が本質

 戯論にはノーコメントを原則としますが、大事な問題が含まれているときはコメントします。
 真理には、文字・言葉で表示できない真理もありますが、文字・言葉で表示できる真理もあり
ます。文字・言葉で表示できない真理だけが真理であると思うのは間違いでしょう。
 先人は、文字・言葉で表示できない真理も、表示できる真理も、共に伝達しようとしてくれて
います。文字・言葉で表示できる真理まで不立文字と言って、表示を拒否すれば、それは仏教で
はない。むしろ、文字・言葉で表示できない真理と見えても、本当に表示できないのか、ぎりぎ
りまで挑戦し、できるだけ文字・言葉で表示する努力を怠らないのが本当の仏教です。文字・言
葉で表示できることを、文字・言葉で表示しなければ、仏教に値しない外道の世界だと思ってい
ます。
 僕は、文字・言葉による表示に、ぎりぎりまで挑戦するつもりです。

>大乗経典は、全て釈迦とは何の関係もない。

 近代物理学はイギリスのアイザックニュートンに始まります。原子物理学は、アイザックニュ
ートンとは何の関係もありません。それがどうした。

298:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/07 11:34:13.16 KoaS6WUs
>華厳も、最澄の法華経も、法然、親鸞が所依の経典である阿弥陀経も、般若心経もみな、後人
の作であって仏教ではない。

 湯川秀樹博士の中間子理論も、朝永振一郎博士の量子電気力学も、江崎玲於奈博士の半導体に
おけるトンネル効果論も、小柴昌俊博士の宇宙ニュートリノの検出も、小林誠博士・益川敏英博
士のCP対称性の破れ論も、みなアイザックニュートンの後人の作であって物理学でない。
  ↑
 こういうことを言う人は、頭がおかしいんでしょうね。

>仏教には墓の概念さえない。

 墓は日本人の古代からの習慣に基づく。多分、縄文・彌生文化に由来するものだろう。
 仏教は生身の人間を相手にする。仏教と墓の問題をいままさに議論するつもりです。

>もちろん超能力や、神通など論外である。
  経済学を勉強すれば、将来の株価の予想が見えてくる。医学を勉強すれば、難しい病気も治
せるようになる。現代ではこれを「専門知識、専門能力」という。
 念仏を称えれば、横隔膜が鍛えられ、体内の循環生理が活性化し、ストレス下でも健康な判断
ができるようになる。僕の経験的知見です。

299:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/07 11:36:34.55 KoaS6WUs
 哲人が、病人にチーズを与えて病人が一時的にでも元気を回復したのを見て、人々はこれを哲
人の超能力と言った。哲人が、太陽や星の運行を見て季節を知り、小春日和の日に、今後、夏で
はなく、寒い冬が来ることを預言したのを見て、人々はこれを哲人の神通力だと思った。

 超能力とはなにか、神通力とは何か。我々と昔の人とは言葉の定義が違う。言葉の定義をシフ
トすれば、先人の言葉は明瞭になる。

 言葉の定義を明瞭化すれば、誤りなく本当のことが見えてくる。言葉の定義は諸刃の剣であり、
間違えれば、古代の思想は毒になる。



 しばらくカキコを休みます。

300:神も仏も名無しさん
11/07/07 14:59:44.04 LdoJY7Oh
お疲れ
待ってるからね

301:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/17 12:16:05.96 pxoIp/SO
 親鸞は善光寺の勧進僧だった。この主張はかなり昔から言われている。1959年、松野純孝さん
だそうだ。勧進僧だったとなると、その事実は、親鸞の思想を考える場合、重要な立ち位置となる。
親鸞は、天児屋根尊の子孫だったかどうか、藤原氏だったかどうか、日野氏だったかどうかなどと
いうことは、親鸞の思想には全く関係ない。親鸞を取り巻いた人々が親鸞をどう見ていたかという点
では問題になるが、親鸞は何を語ったかということを考える場合には、無視していい問題である。
知らなくても全く困らない。
 「私は善光寺の勧進僧です」。親鸞はそのように自己紹介をし、善光寺の勧進僧という立場で
法を語っていたと思われる。善光寺の勧進僧という立場は、親鸞が不本意でなった立場ではなく、
自らが望んで求め立場であると言うこと。したがって、善光寺の勧進僧としては突飛であって、
勧進僧とすれば非常識となる主張は、親鸞の思想の中には存在しない。証文は伝わってなくても、
勧進僧として不可欠と思われる主張は、発言していたと仮定することは大事だろう。これこそ、
親鸞思想を考える場合の大事な大枠となる。

 親鸞は善光寺の勧進僧だった。このことは、非常に重要なので、それ以前から少し議論してみたい。
 親鸞は三五歳で流罪となり、三九歳で赦免となる。流罪になったとき、僧籍は剥奪されて公的
には僧の資格を失っても、心は僧であり続けよう。心は僧を続けよう。親鸞はそのように決意し
ていたようだ。その意思は、「しかれば既に僧に非ず俗に非ず。このゆえに禿の字をもって姓と
す」という教行信証の言葉に十二分に表れている。
 しかし、流刑中、その心も揺らいだときもあったようだ。親鸞は恵信尼という女性と恋仲にな
る。息子の善鸞は、恵信尼の方が親鸞を誘ったという意味のことを言っている。善鸞は親鸞の養
子、又は猶子と思われる。血縁関係のある親戚の子で、京都から連れてきた子と思うが、実子で
あったという証拠は一つもない。僧は戒律の下で生活している。子供がいればすぐそれを実子と
結びつけたがるのは、浄土真宗研究者の非常に質の悪い思い込みである。僧を見たら破戒僧と思
え、人をみたら泥棒と思え。こういう態度では正しい研究はできない。善鸞は流刑中での親鸞の
動きを少年の目で目撃していたかもしれない。

302:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/17 12:18:17.09 pxoIp/SO
 恋仲と言っても、現代のような戸籍制度、婚姻制度があるわけではない。名主、地頭、国司と
もなれば男女は同居婚をしていたと思うが、流刑囚であれば、恐らく一夜の通い婚だったろうと
想像する。僧籍を奪われ、不本意にも還俗させられた元僧侶が、女性と恋仲になってはいけない
という規則はない。信蓮房というのは、親鸞赦免の翌年に生まれているから、種は流刑中にでき
たものだろうと思う。
 僧でありたい。僧に戻りたい。僧にもどる方法は無いのか。親鸞はそのように考えていたよう
だ。このころの親鸞の動きについて、朝日新聞出版社刊、真宗教団連合編「親鸞」に面白い記事
があった。歴史家の古田武彦さんの投げている一石である。 

303:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/21 14:16:45.71 3qtCrZjJ
 朝日新聞出版刊行「親鸞」で、平松令三氏は言う。
親鸞については、古田武彦氏がその著『親鸞思想』において、『教行信証』のいわゆる「後序」
のうち、「ヒソカニオモンミレバ」から始まって「五年ノ居諸ヲヘタリ」までを越後流罪中に書
いて提出した赦免要求の上奏文だとする説を発表した。これはこの本文中に在位中の天皇を「今
上」と呼んでいるのをキーワードにしての実証的研究であり、説得力を持って、これが越後流罪
中に書かれたことと認められる。しかし、 〜 この「後序」には主上臣下法に背き義に違し」
などと念仏弾圧を強行した朝廷を手厳しく非難する語句が並んでおり、その点で朝廷への赦免請
求とは考えられない。 〜 鎌倉幕府への提出ではなかろうか。

 この考えは面白い。教行信証の後序では、確かに為仁親王を今上と呼んでいる。為仁親王は土
御門天皇であって、その在位期間は1198年〜1210年である。親鸞の流罪は1207年〜
1211年であるから、後序は流罪中に書かれていると考えるのが常識的だ。
 それでは目的は何のためかということになる。教行信証は1224年頃に書かれている。本文
中に当年を末法に入って683年と書いてあり、学者が計算している。つまり教行信証が書かれ
る遙か前に後序が書かれている。
 平松令三氏は、鎌倉幕府への提出だろうと言う。この考えは説得力がある。では何のための提
出だったのか。しかも仮に鎌倉幕府への提出とすれば、どうして親鸞は「今上」という言葉を、
10年以上過ぎてもなお使っているのだろう。1224年は後堀河天皇が在位している。

 教行信証の後序、特に「ヒソカニオモンミレバ」から始まって「五年ノ居諸ヲヘタリ」は、親
鸞にとって一字の変更も許されない文書であったと考えられる。一字の変更も許されない文書と
は何か。公式文書の副本である。公式文書の副本は、原本との変更は許されない。親鸞にとって
の公式文書とはなにか。外には考えられない。自分を証明する身分証明書である。身分証明書は
原本と一字の変更も許されない。だからこそ天皇が変わっても、為仁親王を今上と呼んでいるの
ではないか。


304:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/21 14:22:00.74 3qtCrZjJ
 親鸞が身分証明書の原本となるようなものを提出するところはどこか。それは善光寺だろう。
「ヒソカニオモンミレバ」から始まって「五年ノ居諸ヲヘタリ」までは、鎌倉幕府ではない。こ
れは流罪中の親鸞が善光寺に提出した履歴書の副本である。僕はそう想像する。そう考えると、
親鸞の思想の立ち位置が非常にはっきりする。親鸞は善光寺の勧進僧という立場でものを語る勧
進僧である。

 朝日新聞出版刊行「親鸞」で、平松令三氏は言う。
 長野の善光寺は、治承三年(1179年)、大火で全焼し、 〜 その復興資金募集活動の一
つとして、寺僧がグループを組んで各地に出かけ、いろんな企画による募財活動を行った。これ
が善光寺聖で、それを積極的に支援したのが鎌倉幕府の将軍源頼朝である。彼はこの募財に協力
すべき事を支配下の武士全体に命じている。

 親鸞はこの募財運動に応募し、善光寺の勧進僧の道を掴んだ一人である。応募の時に提出した
履歴書が「ヒソカニオモンミレバ」から始まって「五年ノ居諸ヲヘタリ」という文書ではなかっ
たか。
 幸いにもこのとき、親鸞は選考に合格した。従ってその履歴書は善光寺で事実上永久保管にな
った。以後、親鸞は善光寺を身元とし、そこに保管されている履歴書を原本とし、同一の文書を
携行して自らを証明する一生の身分証明書とした。

 親鸞が勧進僧に応募するとき大きな障害があった。それは流刑囚という身分である。流刑中の
犯罪人が簡単に勧進僧になれるほど世の中は甘くない。しかし、幸いなことに、長野の善光寺は、
朝廷の力が及ばず、事実上鎌倉政権の勢力下にあった。しかも、法然教団と鎌倉幕府とは信頼関
係で結ばれていた。北条政子は法然に教えを請うている。親鸞は、流刑が違法な処分であったこ
と、親鸞は法然上人の流罪と一緒に流罪になったことを最大限にアピールし、法然上人との強い
絆をアピールすることで勧進僧への道を得ようとしている。履歴書はそのように読むべきだろう。

 親鸞とはどういう人物だったか。それは、勧進僧とは何だったかということから考えて行きた
い。

305:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/26 11:38:07.69 95GqZw+/
 善光寺勧進僧とはどんな集団だったか。朝日新聞出版の『親鸞』は言う。

 鎌倉時代の善光寺は、非業の死を遂げた亡者を追善供養するのを信仰の一つの拠り所ともして
いた。たとえば有名なところでは、工藤祐経を仇討ちしたものの、将軍の命によって処刑された
曽我五郎・十郎兄弟の骨も善光寺に納められたし、『沙石集』巻七に載せる恋の病で死に、蛇と
なって男へとりついた娘の骨も、巡回してきた善光寺勧進聖に託されたという。

 親鸞は追善供養をしなかったというのは、一種の神話だろう。善光寺勧進僧ともなれば実際に
は何度も行なっていたと思う。ただ、その追善供養は、現代の我々が想像する意味、スタイルと
同じであることは、多分意味しないだろう。
 恵心尼は、浄土三部経を千回読むという計画が親鸞聖人にあったということを手紙に書いてい
る。朝日新聞出版の『親鸞』は、二十人から三十人もの僧が合同して一斉に浄土三部経を読む豪
華な法会だったろうと言っている。僕もこの考えに賛成である。それは、善光寺への志納金の募
金のためであったかもしれない。あるいは、追善供養、災害復興、又は土木工事など行うための
準備事業だったかも知れない。大事なことは、親鸞聖人とはそのようなことも行う僧だったとい
うことだ。親鸞聖人は、個性豊かな、しかし当時の一般的な勧進僧と、少なくとも外見的にはほ
とんど相違がなかったろう。

306:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/07/26 11:40:47.56 95GqZw+/
 勧進僧というのは、政府の管理から部分的にあるいは完全に離れ、直接大衆に働きかけを行い、
様々な事業を行う僧侶である。代表的な例としては行基菩薩がいる。しかし、行基菩薩以後、勧
進僧はしばらく歴史の舞台から消える。全国に国分寺国分尼寺ができ、僧は国家資格となって国
家の完全な管理下に置かれ、大衆に直接勝手に働きかけることが禁じられたからだ。
 勧進僧の事実上の最初は空也上人だろう。その後、空也上人の偉業を継承する人々が出現する。
後に彼等は空也衆、高野聖などと言われる。親鸞もこの仲間に含まれる。

 浄土真宗には宗祖が二人いる。一人は親鸞聖人である。もう一人は空也上人である。日蓮宗に
は宗祖が二人いる。一人は日蓮聖人である。もう一人は空也上人である。曹洞宗には宗祖が二人い
る。一人は道元禅師である。もう一人は空也上人である。このように、空也上人こそ、日本仏教、
特に日本の大衆仏教の事実上の祖である。
 現代で官立寺院は事実上存在しない。無論、昔はたくさんあった。しかし、今はない。全て国
民、大衆の支援に支えられて存続している。その意味で、今では奈良仏教、天台宗、真言宗も含
め、全ての宗派が空也衆、空也宗であると言っていいだろう。浄土真宗は、空也衆の中で、親鸞
聖人に引かれる人が、空也衆に軸足を残しつつ、親鸞聖人に仏教の教えを学ぶ人々である。日蓮
宗は、空也衆の中で、日蓮聖人に引かれる人が、空也衆に軸足を残しつつ、日蓮聖人に仏教の教
えを学ぶ人々である。曹洞宗は、空也衆の中で、道元禅師に引かれる人が、空也衆に軸足を残し
つつ、道元禅師に仏教の教えを学ぶ人々である。空也上人を考えずに浄土真宗を議論しても無意
味である。空也上人とはどういう人だったのか。浄土真宗の原点とアイデンティティを考えたい。

307:神も仏も名無しさん
11/07/27 02:41:09.26 djPVSdDA
         ,,-―--、
        |:::::::::::::;;;ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |::::::::::( 」 < 低能バカアンチって、みんな低能バカばっかりだよな
        ノノノ ヽ_l   \______________
       ,,-┴―┴- 、    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  バ  | '、/\ / /
     / `./| |  カ  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   |
      ⊂|______|
       |l_l i l_l |
       |   ┬    |

308:神も仏も名無しさん
11/08/02 11:28:49.21 fJCuwI6N
>>304
これはおもしろい

309:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/02 14:00:48.73 AU59vsRe
 空也上人とはどのような人だったか。空也上人についてはいろいろ伝説が伝わっている。
 
 日本における地蔵信仰の原点は地蔵和讃である。地蔵和讃は空也上人が作ったと言われている。
現在流布している地蔵和讃は多くの人の手が入っているだろうが、一番始めの原型は空也上人又
はそれに近い人が書いたものではないかと想像する。後の人が手を加えるとすれば、それは形容
詞的な誇張部分だろう。形容詞的な誇張部分を排除した地蔵和讃の核心部分は、空也上人の肉声
が残っていると考える。
 地蔵和讃の核心は何か。僕は次の部分にあると思う。

 能化の地蔵大菩薩 右に如意宝の玉を持ち 左に錫杖つきたまい ゆるぎ出てさせたまいつつ
 幼き者のそばにより
 遠くの人も気がつきそうな鳴り物棒を左手に持ち、子供達の目を惹くような珍しそうな光り物
を右手に持ち、名も知れない素晴らしい仏道修行僧が、突然大地からわき出でたかのようにどこ
からともなく現れ、小さい子供の所にそっと寄ってくる。

 何を嘆くかみどりごよ 汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土はほど遠し いつ
まで親を慕うとぞ 娑婆の親には会えぬとぞ
 「どうしたんだい」。仏道修行僧は子供に優しく話しかける。残念だけどね、昨日までと今日
からは状況が大きく変わっちゃったんだよ。もう、昨日までの生活に戻れないんだ。まだ小さい
けど、新しい生活をしなければならなくなったんだよ。寂しいね。お父さん、お母さんに会いた
いね。でもそれは無理なんだ。もう昨日までのお父さん、お母さんには会えなくなっちゃったん
だよ。

 今日より後は我をこそ 冥土の親と思うべし 幼き者を御衣の 袖やたもとに抱き入れて 哀
れみたまうぞ有難や
 もう、今日からはね、このおじちゃんをお父さん、お母さんと思いなさい。仏道修行僧は、小
さい子供を着ている衣の袖や袂に抱き入れ、優しく抱擁する。とても素晴らしい姿である。

310:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/02 14:03:49.28 AU59vsRe
 いまだ歩まぬみどりごも 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲の御肌に 泣く幼子も抱き上げ 
なでさすりては地蔵尊 熱き恵みの御涙 袈裟や衣にしたりつつ 助けたまうぞ有難や
 まだ、十分には歩けない小さい子は、珍しそうな鳴り物の杖に寄りかからせる。泣いている子
供は、忍耐と優しさにあふれた僧の肌で抱き上げ、そっと体をさする。名も知らない突然沸いて
きたような修行僧は、熱い恵みの涙を、着ている自分の衣にしたたらせながら、子供達を必死に
助けようとする。とても、とても素晴らしい姿である。

 大慈大悲の深きとて 地蔵菩薩にしくはなく これを思えば皆人よ 子を先立てし人々は 悲
しく思えば西へ行き 残る我が身も今しばし 命の終るその時は 同じはちすのうてなにて 導
き給え地蔵尊 両手を合して願うなり。
 どれほど深い優しさにあふれている人であると言っても、名も知らずどこからともなくやっ
てくる地から沸いてくるような仏道修行者に及ぶものではありません。こうしたことを考えれば、
お子さんを失ったみなさん、どうか希望までは失うことなく力強く生きようとしてください。子
供が失われ、寂しくなったら、それでもいつかどこかで生きているかも知れない、死んでいたと
すれば、きっと来世で会うことができる。そう希望を持とうではありませんか。
 名も知らない、地から突然沸いてきたような修行僧の方が、どうか我が子を救ってくださって
いますようにと、両手を合わせながらそう祈りつつ、新たな希望をもって生きていこうではあり
ませんか。

 空也上人は、子を失った親にこのように呼びかける。地蔵和讃には、「死んだら怖いぞ、怖い
ぞ」と、意味も無く恫喝恐喝しているような書きぶりの文章もあるが、それは空也上人の精神を
知らない後代の人の加筆だろうと思う。空也上人の和讃は、直接的には子供が行方不明になった
親に、また拡大すれば病気で子供を失った親に、どうかくじけずしっかりと勇気をもって生きて
いって欲しいというメッセージを送っているようだ。

 空也上人は、将門の乱、純友の乱と同時代に生きている。当時、都では毎年のよう飢饉と疫病
で人々が苦しんだ時代である。地蔵菩薩和讃から、親鸞と姿がダブる空也上人という人の重要な
生き方が見えてくる。

311:神も仏も名無しさん
11/08/03 11:35:31.77 t0sdynsk
仏教には啓示はない。解脱だけを目的としている。救済の思想はない。
仏教は本来不立文字が本質である。
大乗経典は、全て釈迦とは何の関係もない。
最澄の法華経も、法然、親鸞が所依の経典である阿弥陀経も、
般若心経も華厳経もみな、後人の作であって仏教ではない。
仏教には墓の概念さえない。もちろん超能力や、神通など論外である。


312:神も仏も名無しさん
11/08/04 14:05:34.14 39wV00ji
【カルト脳】バカアンチと語ろう親鸞会
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【狂信者】親鸞会カルト脳バカアンチ専用
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【親鸞会】なぜ私はカルトバカアンチになったのか?
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【親鸞会】こんにちはカルトバカアンチ【(^-^)】
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【(^-^)】 こんにちは親鸞会 【親鸞会】
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313:神も仏も名無しさん
11/08/04 14:07:59.09 39wV00ji
【親鸞会】カルト脳バカアンチナビ (^ε^)
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【親鸞会】 さよならカルト脳バカアンチ【(^-^)】
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【(^-^)人(^-^)】元祖・顔文字と語ろう親鸞会
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○●Я親鸞会カルト脳バカアンチ質問箱R●○
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(^-^) 親鸞聖人の750回忌だね【顔文字と】
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314:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/08 15:42:48.67 bKA6xTRr
 ホームページ  親鸞仏教 再開しました。

 URLリンク(www.)<)

315:神も仏も名無しさん
11/08/08 15:47:05.92 ROQzag2n
>>311
すでにその時点で自己矛盾してるけど
じゃあそもそも釈迦の教説は多くの人間にとってどうでもいいもの
無意味で必要ないものだったというだけのことで
すでに結論が出ているけどね


316:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/09 23:43:49.41 yOsyvtFY
>>314
 お知らせ  URLリンク(www.xn--68j6e3ab.jp)

 IEブラウザでは開きにくかったファイルを開けるようにしました。

317:神も仏も名無しさん
11/08/10 02:39:18.39 J8mTGfyG
315
第三世界の御方ですかぁ〜〜〜。


318:神も仏も名無しさん
11/08/10 02:47:55.07 J8mTGfyG
315
墓に「敏感」で〜〜〜媚びられる〜〜〜
無力な息子さんを「背負って」おられるのかしら〜〜〜
打座に行きなさい〜〜〜

今一度、御悪役になる「復活!」の 為 の シナリオの
昆虫採集を
作って貰わないと〜〜〜
コウミョウな
手口で、騙されてイマイチの
世界になるものです・・・・・

かなり、魅力的な
あなたにとっての
借りた御金に
なりますか? 
お許しになられるなら、ブスの子供に
成りきって
ジシンの「悪役選手」の御顔のシミになられて
下さいませ・・・・・



319:神も仏も名無しさん
11/08/10 02:50:17.49 J8mTGfyG
ジシンのある。。 訂正です〜〜〜↑

320:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/12 11:00:55.30 GO7BwF+9
>>310
 親鸞の周囲には子供達が多い。善鸞、覚信などの外、範意、恵信(小黒女房)、明信(信蓮)、有
房(道性)、高野禅などの名が記録に残っている。実際にはもっと多くの子供達がいただろう。

 この内、誰が親鸞の実子であるか、推定は極めて困難である。信蓮は親鸞の名に音が近く、流
罪の赦免直後に生まれている。そう考えれば、信蓮は親鸞の実子と考えても不自然ではない(な
お、実子ではないと考えても不自然ではない)。しかし、その外の子は、猶子、又は養子と考え
るのが自然だろう。猶子、養子ではなく、親鸞にはそのほかにも弟子と呼ばれる人がたくさんい
る。
 僧侶には戒律がある。僧は異性と情交を結んではならない(梵網経三重戒 等)。親鸞は、還
俗させられて流刑されていることから、流刑中であれば、妻がいて、その間に実子が生まれても
不自然ではない。しかし、流刑前、あるいは赦免後に実子ができたと考えるのは不自然である。
 善鸞は、親鸞という名に近いので、京都時代に預かった親戚の子供ではないかと、僕は勝手に
想像している。その外の子供は、関東で預かった無名の庶民の子供達ではないだろうか。当時、
関東でも毎年のように飢饉や災害が発生し、親を失った多くの子供達がいたはずである。親鸞は
そのような子供達には見向きもしないで、自分だけせっせと子作りに励んでいましたと、根拠も
なく闇雲に考えるのは間違いである。
 人を見たら泥棒と思え、僧を見たら破戒僧と思え。これは現代浄土真宗の間違った教えである。
民法は重婚を禁止している。小学校に行けば、校長先生の回りに何十人もの子供達がいる。子供
達の名は全て記録が残る。現代では、一夫一婦制を原則としても、現実には法を破った重婚者は
たくさんいる。現代人はみんな法を破っているのだ。だから、校長先生も法を破り、周囲の子供達
は全てその校長先生の直系の子供である。こう言えば、これは校長先生に対する冒涜である。

321:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/12 11:03:18.79 GO7BwF+9
 覚信尼は、本願寺の基礎を作った人物である。本願寺の門主は彼女の子孫である。覚信尼は、
親鸞が五十代のときに生まれている。だから本願寺の門主は親鸞の直系の子孫であると考えるの
は、親鸞に対しても、覚信尼に対しても、本願寺の門主に対しても、大変な冒涜である。

 親鸞は九歳で青蓮院という寺に預けられている。親鸞には五人の兄弟がいる。五人全員が、親
鸞と同時に出家している。あるとき父親の有範に重大事件が起こり、一家が崩壊したようだ。親
鸞は自分から望んで出家したような伝説が残っているが、後代の作り話に違いない。親鸞は口減
らしの為、泣く泣く青蓮院に預けられたというのが実体だろう。九歳の子供に自分から進んでそ
のような決意ができるはずがあるわけない。僕はそう信じているのだ。当時、寺には児童福祉施
設としての役割があり、僧は子供を養えなくなった親からその子供を預かって育てるという重要
な仕事を担っていた。
 親鸞は藤原氏一門の日野家という貴族の出身だったらしい。しかし、養えなくなった親から預
かって養育しなければならないのは、血統を重んじる貴族やその他の有力者の家族の子供だけで
あってはならない。無名の庶民の子供でも、当然養育しなければならない。

 児童福祉、社会福祉事業こそ、勧進僧の社会的責務の一つである。家柄や出自に関わらず、全
ての子供を養育しよう。空也上人の地蔵菩薩和讃は、日本における児童福祉、社会福祉の原点で
ある。子供達を守ってほしい。社会を守ってほしい。日本の未来を守ってほしい。空也上人・親鸞
聖人の歩んだ足跡から、後代の勧進僧を目指す人々に呼びかけている先人達のメッセージが聞こ
えてくるようである。

322:神も仏も名無しさん
11/08/12 13:23:59.35 GO7BwF+9
あげ

323:渡海 難
11/08/14 14:18:04.08 Hq7jAGfo
ホームページ親鸞仏教
  増筆しました。

  一太郎で書いてあります。
  コピー、プリントアウトはパスワードでロックしています。
  希望者には、個別にロック解除した文書も用意しています。

    URLリンク(www.)<)

324:神も仏も名無しさん
11/08/14 20:16:40.13 ZNs74w8d
希望するにはどうすればいいの?

325:神も仏も名無しさん
11/08/15 11:29:57.42 BHyMWHL+
>>324
 ホームページの「意見・異見・反論・批判・質問」から
メールアドレス(ステアドでも可)を送ってください。
お知らせのあったアドレスにお知らせします。




326:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/19 13:23:42.76 toQUXZfY
 空也上人と言えば、京都の六波羅蜜寺にある重要文化財、空也上人像が頭に浮かぶ。空也上人
像は、南無阿弥陀仏を表す六体の阿弥陀像が口から出ている。空也上人は、大衆に念仏を教えた
日本仏教史上の最初の人物と言っていいだろう。
 空也上人から始まったと言われていて忘れてはならないものがある。火葬という風習だ。日本
で火葬を始めたのは空也上人が最初ではない。しかし大衆化させたのは空也上人である。空也上
人の時代、毎年のように疫病、飢饉が続き、各地で一家全滅、集落全滅ということも少なくなっ
た。地域全体が全滅すれば、死体は放置され、野犬などの餌になる。新たな疫病の原因にもなっ
た。こうしたものを、ボランティア活動でゴミとして焼却し、環境整備を行おうとした人物がい
た。それが空也上人だ。
もともと日本は土葬国家だった。イザナミの腐敗した死骸をイザナギがのぞき見をし、イザナ
ミの怒りを買い、追いかけてくるイザナギの道を石で塞いだという話が古事記にある。死体は火
葬することなくそのまま土に埋め、その上に石を置く。これが日本古来の習慣である。墓石を置
くというのは、日本の習慣だ。邪鬼が出現しないように魔除けの意味があるのだろう。土葬すれ
ば、土中で蛆がわき、悪臭を放つ。古代の日本人はそれを邪鬼と考えたのだろう。

 空也上人は、鉦や太鼓を鳴らし、時には道に留まり、そこで踊って見せたようだ。すると物珍
しそうに人々が集まってくる。
 「お集まりの衆、一緒に環境整備をしようではないか。転がって腐敗している死体を集め、ゴ
ミとして燃やそう。そうすれば街から悪臭がなくなるぞ」
 「死体は臭くて臭くて堪らんぞ。三メートルも近づけんぞ。しかもその顔を見てみろ、すごい
形相じゃ。鬼のようで、わしゃ見るのも嫌じゃ」
 「臭いし、形相は見るのも嫌じゃろう。だから早く燃やしてしまおうと言うんじゃ。作業中は、
南無阿弥陀仏と称え続けるといい。臭いも形相も忘れてしまうじゃろ」
 「あんなもん、近づいたら祟りがあるぞ」
 「祟りなんかあるもんか。南無弥陀物を称えていれば、悪霊の方向こそ、怖くて退散するぞ。
臭い物は早く燃やしてしまおう。さあ、手伝ってくれ!」

327:神も仏も名無しさん
11/08/19 13:25:43.41 toQUXZfY
 空也上人の提案に、背を向けて離れて行く者もいれば、提案に賛成し、焼却作業を手伝うとい
う人も少なくなかったろう。空也上人は、「南無阿弥陀仏」と声を出して称え続けることを提案
した。この結果、日本では南無阿弥陀仏という名号に呪術的なニュアンスが加わることになる。

 京都には鴨川と桂川の合流点に佐比という場所がある。地蔵菩薩和讃では「賽の河原に迷い来
て長き苦患を受くるとぞ」とある。佐比の河原は、清和天皇の時代、京都の葬送の地として定め
られたそうだ。空也上人が火葬を行ったのも、その辺ではないかと想像する。

 空也上人はたき火を行い、死体を焼却した。日本で火葬が大衆化していった最初だろう。焼却
中も空也上人にはやるべき事があった。護摩行だ。火葬場に行くと、公立の施設でも現代におい
て不動明王が祀ってある。公立施設で宗教施設があるのは、刑務所と火葬場ぐらいだろう。焼却
中、日本の坊さんには焼却炉に向かって読経する習慣がある。これは空也上人以来の伝統ではな
いか。死体を燃やすことで祟りを恐れる人々の心を安心させるため、空也上人は火の側に不動明
王を祀り、護摩行を行った。こうして火葬場は、その後、日本の大衆仏教の原点なった。夏祭
り、盆踊り、日本舞踊、民謡、能狂言、歌舞伎など、日本人は多彩な文化を生み出していく。

328:渡海 難
11/08/21 14:21:38.54 J9aryUsP
 親鸞仏教 増筆しました。

 URLリンク(www.xn--68j6e3ab.jp)
  しんらん.jp

 増筆抜き書き部を設けました。
 増筆部は、プリントできるようにしました。

 悪人正機説は何故間違いなのか。

 悪人正機説を真正面から批判する議論をしています。


329:神も仏も名無しさん
11/08/26 21:10:11.43 F99ibiTg
かなり上のほうで「プレスクール説」を展開されてますが
この議論はその後、なにか発展しましたでしょうか

330:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/27 17:02:20.39 NDy9IEN+
>>329
 発展とはどういう意味でしょうか。増筆したかということでしょうか。
プレスクール論をテーマに書いたことはありません。

 プレスクール論で新たな発見・気づきなどがあったかということで
しょうか。特に新たな発見・気づきがあったという自覚もありません。

 プレスクールというのは親鸞思想の外殻を形成するものですから、
これからはみ出る親鸞思想は非常に少ない。従って、親鸞聖人を尊敬す
る僕の思想も、ほとんどがプレスクール論です。その意味では、僕が
日々書いている議論もほとんどプレスクール論と言えると思います

331:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/29 13:33:26.32 DortK4vy
 空也上人と言えば京都の六波羅蜜寺を思い出す。六波羅蜜寺は空也上人が開いた。インターネットで
の記事によると、西暦963年、諸方の名僧六百名を招き、金字大般若経を浄写、転読したという。夜
には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。URLリンク(www.rokuhara.or.jp)

 六波羅蜜寺には、真夏に万灯会という祭りがある。皿に灯芯を大の字に組み、これを燃やす。全部で
百八個並べるそうだ。大の字は地水火風空を象徴するという説明があるそうだが、この説明は後代の後
付けだろう。死体を燃やしている火葬を再現している祭りに違いない。万灯会は、八月十六日の京都五
山祭りの原型である。五山祭りでは、京都大文字山で大の字に火を燃やす。

 葬式仏教とは、現代仏教に対する悪口である。しかし、日本の大衆仏教は空也上人の葬儀仏教、火
葬仏教から始まり、これこそが、多くの日本文化の母体であり、日本のアイデンティティーであること
も忘れてはならない。

 空也がたき火の前で護摩行を始めると、人々は酒を飲み出し、歌い、踊り出した。穢れ落としである。
死体の収集と運搬と焚きつけという一連の作業の疲労と、とりついた悪霊とを発散させるため、人々は
どんちゃん騒ぎを行った。盆踊りの起源である。日本の民謡、猿楽、田楽などの新曲は、こうしたどん
ちゃん騒ぎの中で披露され、大勢の前で歌手、舞踊家が新人デビューを果たした。少し時代は下るが、
観阿弥・世阿弥・出雲の阿国などは、穢れ落としのこうしたどんちゃん騒ぎの中で新人デビューを行い、
芸を磨き、自信を深めてプロの道に進んだ。

 僧には托鉢という生き方がある。托鉢は釈尊以来の仏教の伝統だが、仏教の伝統のなかった古代の日
本で最初にこれができた人は、僕はすごいと思う。恐らく空也上人だろうと思う。空也上人は、火葬ボ
ランティアで人々の信頼を得、僧は、国家からの支援が無くても、自立的に生活ができる道を開いた。
これが、政府に頼らない大衆仏教のスタートである。

332:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/08/29 13:35:30.16 DortK4vy
 日本全国には弘法池という名のため池が多い。戦国時代、高野山は激しい戦火に襲われ、多くの坊さ
ん達が旅の僧となって全国に散った。彼等は高野聖、空也聖と呼ばれた。空也聖は合戦があったと聞く
と、現場に行き、傷ついた兵隊を介抱し、死んだ兵隊は敵味方無く火葬を行なった。彼等は各地で人々
の信頼を得、地元に密着し、全国様々な場所で大衆を統合し、民間の力で土木事業を行ったのだ。

 清掃環境事業、児童福祉事業、土木環境事業、空也上人とその意志を継ぐ人々は、僧を名乗って社会
に働きかけた。空也上人のすごさは、民間ボランティアでその実行が可能であることを立証し、実践し
たことだ。空也上人の後、続々とその意志を継ぐ人が出現した。彼等は勧進僧とも言われた。朝廷も大
名も一目置く存在となった。

 勧進僧の思想は何か。僕は法華経にあると思う。六波羅蜜寺は、現在では真言宗智山派の寺院である。
しかし、空也上人が亡くなった直後、弟子達は天台宗を名乗った。空也上人自身は社会活動家であり、
あまり理屈を言う人ではなかっただろうと思う。空也上人の後、六波羅蜜寺は、天台宗、その後は真言
宗と変わっていることをみれば、定まった教義はないとも言えるだろう。しかし、空也上人から六波羅
蜜寺を継承した高弟達が天台宗を名乗っていたと言う点で考えれば、法華経との思想的関連性を考えな
ければならない。
 法華経は、少なくとも空也上人の直弟子達にとって、不可欠の精神的支柱だったろう。親鸞の思想と
完璧に調和する思想、それは観世音菩薩普門品である。

333:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/09/05 16:46:49.79 W1b4TnwW
ホームページ 親鸞仏教
    悪人正機論 加筆しました    www.しんらん.jp



    参加予定
フジテレビ抗議関連デモ
 9月16日(金)花王デモ  スレリンク(offmatrix板)
 9月19日(祝)チャンネル桜フジテレビデモ URLリンク(www.ch-sakura.jp)

334:神も仏も名無しさん
11/09/06 19:55:15.32 6rN24P3y
とーかいさんデモなんか参加するの?

335:神も仏も名無しさん
11/09/06 21:48:39.82 rar2s1jS
高野聖は妻帯する者が多かったそうです。
親鸞聖人が尊敬していたという教信も奥さんと子供がいて
手伝い仕事で賃金を得て生活していたとか。

336:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/09/07 11:32:33.02 LGfM1v4d
>>334
>デモなんか参加するの?
 その予定です
 韓国・中国からの情報戦侵略が余りにも激しいんで心配しているんだ。

>>335
>高野聖は妻帯する者が多かったそうです。

 そうかも知れませんね。高野聖と名乗り、実体は旅忍者、旅芸人、旅商人という人もたくさん
いた。一人で何役もこなしている人もいたでしょう。

 室町時代は混沌の時代だった。婚姻届などがあるわけなく、忍者僧が、初対面の女といきなり
肉体関係を結び、次の瞬間にその女を殺すという凄惨な話だってあったと思います。婚姻届など
ない時代、何をしたのか。子作りか、謀略か、強姦か、浮気か、自由恋愛か、愛情表現か、遊技か、
冗談か、諜報活動か。
 大東亜戦争中は、結婚式の翌日が特攻隊出撃の日で、一夜だけセックスし、写真を抱いて死ん
でいった兵隊もいただろう。セックスは生涯一度だけだったという夫婦もある。

 セックスだけが夫婦関係ではない。現代では、別居婚、セックスレス夫婦というのもある。それで
は僧が、女性と一緒にお茶を飲んで会話し、分かれた場合、それはどうなのか。

 妻帯とは何かなど、僕は意味のない議論だと思います。

 坐禅持戒は真功を用いてなり 汝若し修せずしてすなわち仏になるといはば 喩へば飢えたる
人のひろく風を掩ふがごとし(五会法事讃略抄 親鸞真筆)

 なぜ坐禅持戒を求めるのか。それは真の効果を必要とするからだ。坐禅持戒なく、念仏だけす
れば仏になると言われて、坐禅持戒を疎かにすれば、それは腹の空いた人が自分に向かって吹い
てくる風を、腹の中に押し込めようとするものだ。腹の足しにならん。腹をすかせた仏になって、
どれだけの意味があるというのか。坐禅を忘れるな。僧は戒律を守れ。

337:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
11/09/07 11:34:40.01 LGfM1v4d
 「親鸞という人は口先だけの人だったんです。他人に言うことと、自分がやっていることは天
と地ほども違っていたんですよ」。
 死人には口がない。自己弁護の道具として、死んだ人の悪口を言うのは勝手です。
 悪口というのは、もともとその人の品性の現れです。僕は品性卑しくない。「親鸞という人は
言行一致の立派なひとだった。持戒持律の清僧だった」。反証がない限り、ぼくは親鸞という人
をそのように推定することに決めています。

>親鸞聖人が尊敬していたという教信も奥さんと子供がいて手伝い仕事で賃金を得て生活してい
たとか。

 教信は高野聖ではない。勧進僧でもない。還俗して運送業を営んでいたわけでしょう。佐川急
便、日本通運、ヤマト運輸の人で奥さんがいて子供がいて、しかも誰からも尊敬されて語り継が
れる立派な人はいくらでもいる。運送業者の人が結婚してもびっくりするようなことではないと思
う。


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