○●Я親鸞仏教質問箱R(その7)●○ at PSY
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1:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/02/10 15:03:19 pDeQQl5X
前スレ
○●Я親鸞仏教質問箱R(その6)●○
スレリンク(psy板)
 が500kを超えて書き込み不能になったので、新スレを立てます。

 親鸞の考え方は、仏教全体の考え方でかなり特異です。
 親鸞仏教の考え方に対する質問を書き込んで下さい。回答できそうなものからできるだけ分か
りやすく、試行的に答えてみたいと思います。
 渡海難は、一介のアマチュアです。時間の許す範囲で、自己の独自の仮説的立場から答えさ
せていただきたいと思います。2ちゃんねるには、本派、大谷派の坊さんも常駐しています。教派的
な回答は、おそらくそういう方々から、積極的に寄せて頂けると思います。
 なお、渡海難のカキコは、かなり不連続、不定期になるかもしれません。それでも、私宛の質問
は、遅くなってもできるだけ答えさせて頂きたいと思います。
 宗派が決めた儀式、慣習関係の質問はご遠慮下さい。ここは、あくまで教義に関する質問に限
定したいと思います。

 地球は丸いのに、極楽浄土はどうして西にあるのか。阿弥陀仏は天の神様か。極楽浄土には、
どうして菩提樹があるの?。極楽浄土には門があるが、塀が無いというのは、本当か。死んだら
極楽浄土に行って仏になるって、本当か。念仏だけでどうして仏になるのか。お釈迦様の悟りって
何。お釈迦様は2回悟っている?。念仏はどうしたら称えられるようになるのか。「南無阿弥陀仏」
は嫌だから、「いろはにほへと」と念仏しら地獄に墜ちるか。親鸞は本当に極楽浄土に行ったのか。
極楽って何?。地獄って何?。阿修羅って何?。死んで地獄に行きたいとは思わないが、極楽浄
土に行きたいとも思わないんだが、それじゃいかんのかね?。

 今更聞けない真面目な質問、簡単な質問に可能な範囲で回答していきたいと思います。本派、
大谷派のお坊さんも、回答者として積極的にご参加ください。

2:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/02/10 15:04:57 pDeQQl5X
 原始仏教と浄土真宗の関係について考えています。
 これまでをまとめました。
 URLリンク(www7b.biglobe.ne.jp) 一太郎ソフトで書いています。

一太郎ビューワで読むことができます。URLリンク(www3.justsystem.co.jp)

 続き
 お釈迦様はどのような方だったか。お釈迦様にはたくさんのお弟子さんがいた。お釈迦様は、
努力の途上でふさぎ込み、考え込んでしまっていた人には解決の知恵を与えた。これによってお
弟子さんは目の前が明るくなって道が開け、再び行動の命を回復して歩んでいくことができた。
お釈迦様は、限りない光を与えて下さる方と呼ばれた。継続のための限りない命を与えて下さる
方、そのように呼ばれた。お釈迦様は、光も命もご自身から発しられた。だから悟った方と言わ
れた。無碍光仏・無量寿仏というのは、もともとは釈尊に対する称号だったと僕は思う。
 無明とは何か。知恵があれば前進できるんだが、知恵がなければ前途が見えなくて前進ができ
ない状態を言うんだろう。その中には、本人は前進しているつもりでも、空回りしているときも
あるだろう。とまらずに逃げ出すと言うこともある。

 大無量寿経は言う。
 世人、薄俗にして共に不急の事を諍う。この劇悪極苦の中において身の営務を勤めて、もって
自ら給済す(貪欲 むさぼり)。
 世間の人民、父子・兄弟・夫婦・室家・中外の親属、当に相敬愛して相憎嫉することなかるべ
し。(瞋恚 いかり)
 善を作して善を得、道を為して道を得ることを信ぜず。人、死して更りて生まれ、恵施して福
を得ることを信ぜず。(愚痴 おろかさ) 

 人は、貪りが無ければ迷うことも少ないだろう。怒りがなければ穏やかに進むことも多いだろ
う。愚かでなければ、必要なことが成就することも多いだろう。
 先人はどうやらこんな問題を大きく包含して無明という言葉でくくったんだろう。

3:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/02/10 15:06:26 pDeQQl5X
 こうした問題は、個人的なことか、普遍的な問題か。現代の我々における生老病死は、過去無
数の人々が繰り返し繰り返し経験してきた生老病死といささかも違わない。将来無数の人々が繰
り返し繰り返し経験していくであろう生老病死といささかも違わない。先人達はそのように考え
たようだ。石田三成と闘った徳川家康の生老病死と、現代の私の生老病死とは同一であろうか。
徳川家康と闘った石田三成の生老病死と、現代の私の生老病死とは同一であろうか。具体的な問
題では全て異なる。しかし、抽象化の次元が高くなれば高くなるほど同一に近づくだろう。
 あらゆる人々の生老病死は一体となる次元があったようだ。そのことに気がついた時、人々は、
釈迦の悟りの真の意味を見い出したんだろうと思う。中村元さんの記述の中から考えてみたい。

4:悪魔が滅んで正義が勝つ、日月神示
10/02/12 22:08:35 zKKdPZhH
 世界は一つになったぞ。一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してある
事が出て来たぞ。臣民にはまだ分かるまいなれど今に分かりて来るぞ。くどう
気つけて置いた事が愈々来たぞ。覚悟はよいか。臣民一人一人の心も同じにな
りておろうがな。学と神の力との大戦ぞ。神国の神の力表す時が近うなりたぞ。
今表すと、助かる臣民殆どないから、神は待てるだけ待ちているのぞ。臣民も
可愛いが元を潰す事ならんから、愈々となりたら、どんな事ありてもここまで
知らしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。愈々となれば、分っている
事なれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬ事
よく分っているのぞ。因縁の身魂にはよく分るぞ。この神示読めば身魂の因縁
よく分るのぞ。神の御用をする身魂は選りぬいて引っ張りておるぞ。北に気を
つけよ、東も西も南もどうする積りか。神だけの力では臣民気の毒出来るぞ。
神と人との和の働きこそ神喜ぶのぞ。早う身魂磨けと申す事も分るであろう。
 メイソンの世界統一。米国とロシアはグルで、日本はロシア等に侵略され、
米国は裏切って日本を攻撃する。その時になって日米同盟のイカサマが暴露さ
れる。悪の仕組は日本魂を根こそぎ抜いて、日本を一呑みにする計画であるぞ
。日本の臣民悪の計画通りに尻の毛まで抜かれて、詐欺で身包み剥されている
事に気づかんか。
 祓いせよと申してある事は何もかも借銭なしにする事ぞ。借銭なしとはメグ
リなくする事ぞ。昔からの借銭は誰にもあるのざぞ。それ払ってしまうまでは
誰によらず苦しむのぞ。人許りでないぞ。家許りでないぞ。国には国の借銭あ
るのぞ。今度の世界中の戦いは世界の借銭なしぞ。世界の大祓いぞ。神主お祓
いの祝詞あげても何にもならんぞ。お祓い祝詞は宣るのぞ。今の神主宣ってな
いぞ、口先許りぞ。祝詞は読む物でないぞ。宣るのざぞ、祈るのざぞ、融けき
るのざぞ。祝詞も頻蒔きや国津罪皆抜けて読んでいるでないか。これでは世界
は清まらんぞ。悪や学に騙されて肝腎の祝詞まで骨抜きにしているでないか。
皆心得ておけよ。神の事は神主に、仏は坊主に、医療は医者に、学問は学者に
と申している事、根本の大間違いぞ。


5:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/02/15 14:41:22 LEvyt7cP
ブログ親鸞仏教 止観について議論を進めています。

      www.しんらん.jp
URLリンク(www.propatent.jp)

6:神も仏も名無しさん
10/02/16 14:20:13 4795g3in
最近、他力本願でググるとこのライブ動画がひっかかるのが気になる
行った事は無いが親鸞聖人の懐の深さ故か現代の本願寺の僧はのびのびしてますな
URLリンク(www.youtube.com)

7:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/02/20 11:28:23 sUQY7VW4
 釈迦の悟りは、病(又は老病)の原因は無明である。無明が解決すれば病(又は老病)は無くなる。おそらく
そのようなものだったと思うが、面白いことに、人々に一番最初に説いた内容はそれではなかったと経典は
言う。
 釈迦は最初、旧友である五人の出家に向かって法を説く。そのときの内容を仏教最古の経典であるパーリ
語の中部経典から中村が紹介している。

 『みずから老いるもの・病むもの・死ぬもの・憂きるもの・汚れたものであるのに、老いるもの・病むもの・死
ぬもの・憂うるもの・汚れたものに患いを見出して、不老・不病・不死・不憂・不汚である無上の安穏・安らぎを
求めて、不老・不病・不死・不変・不汚である無上の安穏・安らぎを得た。そうしてかれらにはこの知と見とが
生じた、―「われらの解脱は不動である。これは最後の生である。もはや再び生存することはない。」と。』

 この経典は中道を説いている。この経典に漢訳経典がある。中村はそれを紹介している。
 『まさに知るべし、二辺の行あり、諸の道をなす者の当に学ぶべからざるところなり。一にいはく、欲楽・下
賤の業・凡人の所行に著す。二にいはく、自ら煩ひ、賢聖が法を求むるに非ず。義と相応すること無し。五
(人)の比丘よ。この二辺を捨てて中道を取ることあらば、明を成じ、定を成じ、定を成就して自在を得。智に
趣き、覚に趣き、涅槃に赴くは、すなはち八正道なり。正見乃至正定なり。これすなはち八となす。』

 経典には様々な伝搬ルートがあり、ルートが異なると内容が少しずつ異なる。漢訳経典の方が具体性を
もって伝えている場合がある。漢訳経典では中道と八正道という言葉が出てくる。四諦という言葉が出てこ
ないが、四諦を排除して考える必要はないだろう。つまり因縁の法則とは、それが単独で存在するのではな
く、中道・八正道・四諦と一体となった思想だったと言うべきだ。つまり、因縁の法則・中道・八正道・四諦は、
一つの思想であり、釈迦の悟りのそれぞれの断面を提示していると言うべきだろう。
 八正道は、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定と、八つの単語が並ぶ。当初からこのよ
うに整理されていたかどうかは分からないが、その原形が意識されていたと思う。

8:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/02/20 11:29:08 sUQY7VW4
 パーリ文の『中部』経典は言う。
 『わたくしは五人の修行者の群れにくっきりと理解させることができた。二人の修行者を教化するとき、三人
の修行者は托鉢に行った。三人の修行者が托鉢に行って得た食をもって、われら六人の群れが生活した。
また三人の修行者を教化するとき、二人の修行者は鉢に行った。二人の修行者が托鉢に行って得た食をもっ
て、われら六人が生活した。』
『さて五人の修行者の群れはわたくしにこのように教化せられ、このように教えられて、みずから生まれるも
のであるのに生まれるものにおいて患いを見出して、不生なる無上の安穏・安らぎ(ニルヴアーナ)を求めて、
不生なる無上の安穏・安らぎを得た。』

 釈迦の認識は、これまで同じような修行をしてきていた仲間にはすぐに受け入れられたようだ。直ちに彼
らの理解を得た。

9:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/02/28 14:29:16 jcKohPsF
 浄土について
 ブログ親鸞仏教

 書きました

   www.しんらん.jp

10:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/03 19:58:59 x7OMfkr5
 信心とは何か。議論を始めました。

 ブログ親鸞仏教

 www.しんらん.jp
   ↓
  「掲示板 百家争鳴」

11:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/04 09:58:27 8coxP/Dg
大般涅槃經要文・親鸞真筆

専修寺 蔵

全文公開完了 2010年3月2日

URLリンク(photos.yahoo.co.jp)

12:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/04 10:51:57 8coxP/Dg
u     大般涅槃經要文・親鸞真筆
5     デジタルテキストを希望者に提供します。

8    一太郎 2008以上 (ジャストシステム社)
m    漢文快くん
i     URLリンク(homepage1.nifty.com) 



@  ← 電子メール
y       渡海難











13:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/07 11:23:18 yk+xwGAD
 釈迦が三十五歳の時に悟った内容は、因縁の法則だけではない。中道・八正道・四諦を含む。むしろその総体で
あり、人々に説明するために言葉になったとき、因縁の法則、中道、八正道、あるいは四諦という形になったのだろ
う。
 浄土真宗を考えた場合、間接的には関係があるが、因縁の法則、中道、八正道、四諦とは直接的なつながりは
やや遠いように思う。浄土真宗の直接の根源、僕はそれは三学だろうと思う。浄土真宗は三学を原点とする。そう
考えている。
 三学とは、戒律と禅定と智慧である。仏教はいつから三学を説き始めたか。中村博士の本を読む限り、どうもはっ
きりしない。しかし、因縁の法則・中道・八正道・四諦から三学論が出てくるのは、ごく自然だろうと思う。恐らく、釈
迦在世中に三学という概念は確立していただろうと思う。三学は釈迦の悟りを実現する上で、必然的に出てくるも
のであり、その意味では三学も釈迦の悟りの中に内在していた概念であると考える

 中村博士は律蔵を紹介している。
 『世尊が成道してより五年間、比丘の僧伽はことごとく清浄であったが、これよりのち漸々に非を為した。そこで世
尊は事に随って制戒をつくり、戒律の箇条を立てて説いた。』

 戒律は非常に早い時期にできたが、釈迦が人々に仏道を説き始めた当初からあったものではない。三学はその
戒律が発生してから意識されてきたものだ。

 『如来は最初に阿若?陳如等の五人を度した。彼らは善来出家であり、善く具足戒を受けていて、共に戒を一に
し、竟を一にし、住を一にし、食を一にし、学を一にし、説を一にした』。

14:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/07 11:24:08 yk+xwGAD
 釈迦が定めたルールを守ることを誓うと、お弟子さんたちは釈迦から一定のルールを渡される。こうして人々は正
真正銘の釈迦の弟子になる。戒律を守るということは、釈迦の弟子であることのアイデンティティーに関係する。慶
応大学の学生が慶応大学の校則を守らないということは、慶応大学を退学すると言うことだ。早稲田大学の学生
が早稲田大学の校則を守らないということは、早稲田大学を退学すると言うことだ。仏教者が戒律を守らないとい
うことは、釈迦の弟子であることを放棄することを意味する。
 釈迦は、自分に戒律を守ることを誓った者に真理を説いた。真理には有形の真理と無形の真理がある。有形の
真理は、文字(言葉)、図形、音楽、建築物、振る舞いなど、一定の形状をもって伝達できる。仏教ではこれを智慧
という。真理は有形のものばかりではない。無形の真理もある。無形の真理は、形状で示すことはできない。そこ
で釈迦は無形の真理を人々が容易に手に入れることができるところに置いた。それが禅定である。禅定を行えば、
人々はその無形の真理も取得することができる。
 釈迦は、御弟子さん達の学習について三つの柱を立てたのだ。それが戒・定・慧と言われる三学である。三学を
学ぶと言うことは、釈迦の悟りを学ぶことである。釈迦の悟りを学ぶと言うことは、三学を学ぶことである。因縁の
法則、中道、八正道、四諦を学ぶと言うことは、三学を学ぶことであり、釈迦は三学の中に因縁の法則、中道、八
正道、四諦の全てを包み込んでいる。これが仏教の基礎であり、原点である。

15:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/09 11:10:36 5y/ZcNIX
 ブログ親鸞仏教
 「神と阿弥陀仏の違い」を再開しました。
 www.しんらん.jp

16:神も仏も名無しさん
10/03/13 05:06:07 NnvNLNyF
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TuhqXzA/Bv9qL8xcYqVLkZTeC+5e6B8QV6aiINtYWoYNCmUyuiQ
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17:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/19 10:46:21 7eXzZ1ml
 三学は中道であり、中道は三学にある。三学の実践こそ、そのまま八正道の実践であり、八正道の
ない三学は三学でない。三学にこそ四諦が備わり、四諦は三学に備わっている。三学の実践は、因
縁の法則に基づき、その無明を破り、輪廻を断つ唯一の手法である。輪廻を断つ手法こそ三学にあ
る。その意味で、僕は、三学と中道と八正道と四諦と因縁の法則は一体であると考えている。
 三学は、戒律と智慧と禅定を要素とする。戒律は善悪の価値観をその本質とする。安易に変更す
れば際限が無くなる。しかし価値観は時代と社会で変動する。ヒマラヤ山脈の南側、雪はない比較
的高温の半乾燥地域で二千数百年前に妥当した善悪の価値観が、雪降る温帯の多湿地域で二千
数百年後にそのまま妥当するとは思えない。

 釈迦の時代から二千数百年を経過した現代においては、釈迦の戒律の価値は、一般庶民の規範
としては後退していると考える(無価値というわけでは決してない)。国には憲法がある。法律がある。
企業には社則があり、学校には学則がある。市町村には条例があり、町内会には町内会規則があ
る。商いには商いの慣習もある。人々は、身の回りのそのようなルールをしっかり守っていけばいい。
それらのルールを破れば、破ったルールの中で裁かれる。ルールを破ってそのルールで裁かれた
人を、仏教が重ねて仏教の名で弾劾する必要はないだろう。
 何が正しいのか、何が間違っているのか、仏教に聞かなければ分からないという時代ではない。
善悪は坊さんに決めて貰いましょうなどという時代ではない。他の善も要にあらず。悪をもおそるべ
からず(歎異抄)。人々は身の回りのルールをしっかり守っていけばいい。身の回りの当たり前の
倫理・道徳・規則を当たり前に守っていくことが、現代における持戒というべきではないだろうか。
 価値観ほどではないが、智慧も変動する。コンピュータもインターネットも存在しなかった二千数
百年昔には世界の最先端とされていた文化の中に、現代のラーメン屋さん、クリーニング屋さん、
警備員さん、お巡りさんなどが真っ先に学ばなければならないものがあるとは思えない。

18:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/19 10:47:05 7eXzZ1ml
 法華経・華厳経・維摩経など、仏教には著名な経典は数多い。しかし、ラーメン屋さんがそれを知
らないと困るというようなことはない。クリーニング屋さんが知らないと困るということもない。仏教の
経典には、複式簿記の話題も、マーケティングの話も載っていない。庶民には、仏教の智慧を学ぶ
ことより先に学ぶこと、やるべきことがあるだろう。僕はそう思う。警備員さんは警備のことを学べば
いい。ラーメン屋さんは、ラーメンの作り方、販売方法、顧客サービス方法など、仏教より先に学ぶ
べきことが数多い。

 三学の内で残るは禅定である。現代において、仏教が社会に提示するもの、それは禅定である。
親鸞は教行信証で、「念仏三昧は、これ真の無上深妙の門なり」という。覚如は教行信証のこの言
葉を指し、「流布の本に 『深妙』の下、『問答』の上に禅の一字あり」。という。親鸞は、真筆の五会
法事讃略抄で「念仏三昧は、これ真の無上深妙の禅門なり」と説く。
 浄土真宗は現代に向かって禅定を提案する。釈迦は三学をもって迷い(輪廻)を断つ方法を説い
ている。親鸞は、そこに時代というファクターを加えた。世のルールを守り、世の常識、専門知識を
学び、その上で禅定の実践を提案する。それが浄土真宗である。

 禅定は手法である。技術である。手法は改良を重ねられて進歩する。浄土真宗は多念念仏と一
念念仏とを行う。親鸞は初心者(凡夫)に奢摩他・毘婆舎那という言葉を使わない。多念念仏・一念
念仏という言葉を使う。多念念仏は五会念仏を実践する。一念念仏は、南無阿弥陀仏と一度称え
ると姿勢を正してその声を止め、座禅の形で瞑想に入る。奢摩他・毘婆舎那は上級者が行う。多念
念仏・一念念仏に慣れてくると、それらの行為は自ずから奢摩他・毘婆舎那につながってくる。親
鸞はそのことを知っている。

 浄土真宗は、原始仏教の核心部分に時間(時代)というファクターを加えただけの教えであり、そ
の行体は唐の時代、中国で完成した洗練された手法を採る。浄土真宗は、現代における釈迦の直
説教であると言うべきだろう。

19:神も仏も名無しさん
10/03/25 01:18:47 dOKMXXeF
「三途の川」「賽の河原」というのはどういう世界ですか?

20:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/25 11:50:07 TPSoMg5a
 「三途の川」は、『金光明経』あるいは『地蔵菩薩発心因縁十王経』などの記載があり、それ
に通常社会の渡河方法が混濁した俗信だそうです(ウィキペディア)。僕は、民間新宗教を勉強
したことはなく、それ以上のことはわかりません。

 「賽の河原」は、京都の鴨川と桂川の合流する地点にある佐比の河原に由来するという説があ
るそうですね(ウィキペディア)。これはおもしろいと思います。
 地蔵菩薩和讃に、十歳足らずで死んだ子供が賽の河原で石を積み、父親・母親のために菩提を
回向して祈るという話が出てきます。
 地蔵菩薩和讃は空也上人が作ったという説があります。空也上人説が正しいかどうか、僕には
判断する資料がありませんが、地蔵菩薩和讃は中世の日本人の精神が透けて見える貴重な資料だ
と思っています。
 空也上人の時代は、慢性的な飢饉と疫病の時代です。多くの庶民が行き倒れ、京都は町中で腐
乱した死臭が漂っていた。そんな中で、空也上人は死体を集めてきてそれをゴミとして焼却する
ことを人々に教えた。日本火葬の始まりです。
 鴨川と桂川の合流する佐比の河原などは、格好の場所だったのでしょう。空也上人は、腐乱し
た死体を見るのも嫌がる人々を率先して死体を運んだ。そのとき、人々に教えたのが、称名念仏
だったろうと思います。『南無阿弥陀仏』だけを称え続け、何も考えず、手と足だけ動かして死
体を不動明王の御座所に運べ。不動明王の御座所とは河原の焚き火の場所だ。空也は阿弥陀像を
背負いながら、人々を作業に誘った。以前、公立の火葬場に行ったとき、マリヤ像や十字架像は
なくても、不動明王の札が貼ってあったのに驚きました。
 死体に近づくと祟りがある。病魔に冒される。不幸になる。当時、民衆にはそんな迷信があっ
たはずです。たたりを恐れる民衆の心を安心させるため、空也上人は佐比の河原の焼き場に火炎
の不動明王の札を立てた。魔除けのパフォーマンスとして不動明王に護摩行を執行し、南無阿弥
陀仏を称えた。不動明王と阿弥陀仏の一体説の始まりでしょう。


21:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/25 11:52:46 TPSoMg5a
 数時間焼いて黒こげになって小さくなった炭はそのまま河に流した(三途の川)。焼却作業が
終わると、人々は歓喜し、酒を飲んで人々は踊った。盆踊りの始まりです。魔除けと汚れ落とし
のためという説明があったと思います。このとき空也は一緒になって鉦を叩いた。以後、彼は鉦
を叩いて町を練り歩き、死体焼却の人手を集めるようになる。
 死体を焼いた佐比の河原にはその後、故人の関係者が時々集まってきて故人をしのび、石を積
み上げて墓標とした。空也を真似て手を合わせ、繰り返し繰り返し南無阿弥陀仏を称えた。石墓
の始まりです。歎異抄には、父母の孝養のために念仏申すという話が出てきます。親鸞の時代に
は、父母の孝養のために念仏申すという民間信仰ができあがっていたようです。起源はおそらく
空也でしょう。死んだ両親を河原で焼いた子供達に、両親を偲びながら悲しみから立ち上がる方
法を空也は説いた。彼の優しい心が伝わってきます。
 河原で石が積んであると邪魔になります。平安時代の検非違使(警察官)達は、積んである石
を蹴飛ばして河原を整理するのが仕事だった。空也はこれを、鬼と言う。
 親が子を弔うとき、一歳で死んだ子に石を一つ積み、五歳で死んだ子は石を五個積む。あれか
ら何年たったかなと、歳を数える「さいの河原」だったかも知れません。
 佐比の河原に行けば、死に別れた人、生き別れた人と出会えることがある。祈っている人とと
の出会いがある。法事の始まりです。賽の河原はそういう場所になっていたかも知れません。
 西暦963年、空也は鴨川で大規模な供養会を開いたそうです。法然・親鸞の大衆浄土教の根
元は、空也上人と賽の河原で始まった。今から1047年前の話です。ぼくはそう思っています。


22:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/28 15:45:32 qgmzEu7p
 自分から主体的に念仏を称えよう。そう決心したら(正定聚)、どの
ように念仏を称えたらいいのか。
 親鸞が比叡山で教わっていた念仏方法はどのようなものだったか。

 ブログで議論を始めました。
   ブログ親鸞仏教

    しんらん.jp


23:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/29 12:50:06 H6t14LUO
 親鸞が説いている浄土真宗には二つある。一つは、浄土の教えである。もう一つは、聖道の教
えである。ラーメン屋さんは法華経も涅槃経も勉強する必要はない。パン屋さんは、パン屋さん
のルールを守ればいいんであって、仏教の戒律はいらない。そう教えているのは、親鸞の浄土の
教えである。しかし、親鸞の聖道の教えではそうはいかない。
 浄土真宗から聖道の教えが消えて四百年。浄土真宗は長い長い眠りの中にある。浄土真宗の中
に聖道の教えが回復しなければ、仏教に明日はない。

 宗祖親鸞聖人は大般涅槃経要文で言う。
 もし善業を遠ざからば、すなわち惡果を得む。もし一切の業で定んで果を得んとすれば、すな
わち聖道を求めて修習すべからず。もし道を修せずば、すなわち解脱なし。一切の聖人が道を修
するゆえんは、定業を壊して輕報を得るがゆえなり。不定の業は果報が無きゆえなり。もし一切
の業で定んで果を得んとすれば、すなわち聖道を求めて修習すべからず。もし、聖道を修習する
ことを遠離して解脱を得れば、この處(こと)はりあることなけん。解脱を得、涅槃を得ずば、
またこの處(こと)はりあること無けん。善男子よ、もし、一切の業で定んで果をえれば、一世
の所作、純善の業は、まさにながくすでに常に安樂を受くべし。一世所作、慇重の惡業は、また
ながくすでに大苦悩の業果を受けるべし。若し爾らばすなわち修道し解脱する涅槃の人はなから
ん。乃至

 正しいことを行わなければ、きっと悪い結果を生むだろう。しかし、正しいことをする以上は
必ず正しい結果を得なければならないと、そのように思うなら、聖道の教えなど学んではいけな
い。しかしだからといって、仏道を正しく修行しなければ解脱を得ることはできない。これまで、
仏教は多くの哲人賢人を輩出してきた。そうした人々が仏道を修行した理由は何だったか。それ
は、大きなまずいことを行っても、結果の報いが軽かったからである。まずいことを行っても、
その報いがなかったからである。正しいことをする以上、それに見合う結果は出さなければなら
ない。そのように思うなら、聖道の教えを求めて修行してはならない。

24:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/29 12:51:21 H6t14LUO
しかし、聖道を離れ、それでも迷いから解放されるとすれば、見合う結果が出るという理屈は破綻
する。迷いを離れても、真理を多くの人と共感するという結果が得られなければ、見合う結果が出
るという理屈は、この場合も破綻する。求道者たちよ、正しいことをする以上は必ず正しい結果が
得られるとするなら、現下に純粋な善を行えば、常に永遠の幸せが得られるだろう。当然のことな
がら、現下に重大な過ちを起こせば、永遠の苦しみを得るだろう。もしそうであれば、世の中には
修行を行って迷いから解放されるという人はいなくなる。
 正しいことを行っても必ず正しい結果がでるとは限らない。正しい行為に見合う結果が出ると
は限らない。しかし、どうかそのような結果を恐れず勇気を持って聖道の道を進んでほしい。

 極楽浄土は大きく二つに分かれる。蓮華蔵世界と功徳大宝海である。功徳大宝海とは自主的、
自律的に念仏を称える人々の世界である。そこは化土界と異なる。化土界とは、誘われれば念仏
を称えるが、誘いがなければ念仏を称えない人々、自分からは進んで念仏を称えない人々の世界
である。功徳大宝海は正定聚、化土界は不定聚の世界である。蓮華蔵世界は功徳大宝海の先にあ
る。蓮華蔵世界が極楽浄土の要である。蓮華蔵世界は熟練者、功徳大宝海は初心者の世界である。

 念仏は自主的、自律的に称えるようになればそれで十分というものではない。正定聚になれば
もういいということではない。親鸞が提唱する極楽浄土つまり親鸞が理想として提唱する念仏道
場では、多念念仏と一念念仏を実践する。多念念仏は五会念仏という称え方をする。これを通じ
て、親鸞は奢摩他・毘婆舎那に誘導しようとしている。多念念仏と一念念仏とを実践すれば、た
だちに奢摩他・毘婆舎那ができるようになるということではない。奢摩他・毘婆舎那は禅定がで
きるようになることが必要である。禅定ができるようになると、そこで初めて自己の煩悩と対決
できるようになる。

25:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/29 12:52:18 H6t14LUO
 大般涅槃経要文で親鸞はいう。
 もし智慧よく煩悩を破すと言うは、到るためのゆえなり。破は、到らざるがゆえに破す。もし
破するに到らざれば凡夫なり。衆生はすなわちよく破すべし。

 智慧は毘婆舎那によって開発されてくる。この智慧が煩悩を効果的に破壊する。智慧は煩悩に
到達するからである。智慧は、それまで何者も到達するものがなかったから、智慧が起きて初め
て煩悩を破壊する。智慧があっても煩悩を破壊するに至ることができないとすれば、それは凡夫
つまり未熟だからである。通常の人であれば、つまり普通に訓練すれば破壊できるようになる。
正定聚になっても、つまり信心ができても、未熟な内は煩悩の解決がない。しかし、念仏に熟達
してくれば、衆生であればだれでも煩悩が破壊できるようになる。

 蓮華蔵世界とは、多念念仏と一念念仏で奢摩他・毘婆舎那ができるようになった人々の世界で
ある。在家の仏教はここで終わる。つまり、在家は多念念仏と一念念仏で奢摩他・毘婆舎那がで
きるようになると卒業する。出家仏教はここから始まる。親鸞仏教では、化土界・功徳大宝海に
出家はいない。出家つまり僧とはこの蓮華蔵世界から始まる。

 功徳大宝海から蓮華蔵世界に入ると親鸞仏教は一変する。親鸞は決して甘い言葉をかけない。
聖道の道を歩めと説く。蓮華蔵世界から本格的なプロの道が開始する。

26:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/03/30 09:56:20 1GOp9kwF
 大般涅槃経要文の根拠を明示しておきます。
URLリンク(photos.yahoo.co.jp)
URLリンク(photos.yahoo.co.jp)

27:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/01 15:14:03 R32OszlS
 神は万物をどのようにして創造したか。
 天地創造神話について、書きました。

   ぶろぐ親鸞仏教

    しんらん.jp

28:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/03 12:09:14 b1sRXtOP
 親鸞という人は、まれに見る法華経の行者だった。親鸞は、日蓮のように法華経の題目を称えることは人
々に勧めなかった。法華経を読むことを勧めている文書もきわめて少ない。無いわけではない。しかし、そ
の主張の全体を見ると、親鸞という人は、日蓮とは味わいを異にした法華経の実践者だった。

 信心かけたる行者は、本願をうたがうによりて、辺地に生じて、うたがいのつみをつぐのいてのち、報土の
さとりをひらくとこそ、うけたまわりそうらえ。信心の行者すくなきゆえに、化土におおくすすめいれられそうろ
う。(歎異抄)
 信心のない人はまず、極楽浄土の辺地に招き、疑惑が晴れたら報土の悟りが開けるとそのように聞いて
きています。信心の行者は数少ないからこそ、まず化土に入ることを勧めていらっしゃる。

光明寺の和尚の御釈(散善義)には、「念仏の人をば、上上人・好人・妙好人・希有人・最勝人」と、ほめた
まえり。(一念多念文意)

 自主的に念仏を称える人はすばらしい人だ。善導大師はそのようなひとを上上人・好人・妙好人・希有人・
最勝人と、ほめてくださる。

功徳大宝海に帰入すれば、 必ず大会衆の数に入ることを獲。 蓮華蔵世界に至ることを得れば、 す
なわち真如法性の身を証せしむと。(行の巻)

 功徳大宝海に入れば、極楽浄土の仲間になる。将来必ず仏になるというそういう立場になる。
 しかし、功徳大宝海の先にある蓮華蔵世界に至れば、必ず真如法性の身を証る。

 念仏を知らない者には、疑ったままでいいから化土にいらっしゃいという。
 いつまでも化土ではいけない。念仏を称えだした人には、信心の心で報土に入りなさいと教える。
 報土に入った人は功徳大宝海である。それよりも確実に蓮華蔵世界に入りなさいと教える。

29:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/03 12:11:05 b1sRXtOP
 こうしたガイドのしかたは法華経の手法そのものではないか。

 方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、汝等怖るること
なかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし。若し是の城に入
りなば快く安穏なることを得ん。若し能く前んで宝所に至らば亦去ることを得べし。
 是の時に疲極の衆、心大に歓喜して未曾有なりと歎ず。
 我等今者斯の悪道を免れて、快く安穏なることを得つ。是に衆人前んで化城に入って、已度の想を生じ安
穏の想を生ず。
 爾の時に導師、此の人衆の既に止息することを得て復疲倦無きを知って、即ち化城を滅して、衆人に語っ
て、汝等去来宝処は近きに在り。向の大城は我が化作する所なり、止息せんが為のみと言わんが如し。(法
華経 化城喩品)

 導師は、長い険しい道の途中に一つの城を建て、人々に言う。もと来た道を戻るのはやめよう。せっかくこ
こまできたのだから、ここで大いに休んでいこう。ここで宝物を得ていこう。このように言う。
 疲れ切っていた人々はここで大いによろこぶ。自分たちは悪い道を避け、すばらしい世界に入った。人々は
進んで化城に入り、既に目的を達したと思う。
 このとき、導師は人々が安らぎを得、疲れが取れたのを見極めると、化城を消す。人々に言う。宝物の場所
は近い。これまでの城は私が仮に作ったものだ。あれは一時の休憩所だったのである。

 若し毘婆舎那がよく煩悩を破すなら、なにがゆえぞまた奢摩他を修するや。 〜 毘婆舎那煩悩を破せば、
獨りよく破すとやせん。伴にことさらに破すとや。(大涅槃経要文)
 もし毘婆舎那(一念念仏)が有効に煩悩を破壊するなら、どうして 奢摩他(多念念仏)も併用するのです
か。一念念仏は煩悩を破壊するが、それは多念念仏と共同して煩悩を破壊するのである。

 親鸞は、人々が煩悩を破壊できるよう、多念念仏と一念念仏とを勧める。煩悩の破壊には、禅定ができるよ
うになることが必要である。煩悩が破壊できるようになまで人々を導くため、化土、報土、功徳大宝海・蓮華蔵
世界という化城を設定する。
 在家の人は、禅定ができるようになることが目標となる。出家を目指す人は、そこを出家の出発点としてほ
しい。

30:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/03 12:11:46 b1sRXtOP
 禅定ができるようになると、出家は本格的に智慧の学習を勧める。やがて念仏道場を開き、人々に念仏を勧
める社会教育者になっていく。親鸞は、このようにして自らは天台僧として法華経を実践しているのである。

31:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/08 11:08:19 paQjR9KY
 親鸞の魂はまさに法華経の魂そのものではないか。ぼくはそのように考えている。僧籍は奪われても、
親鸞は生涯天台僧としての自覚を、個人的には決して失うことはなかった。天台僧は、法華経を自らの
行動原理とし、法華経を実践するところにアイデンティティを実現する。

 真実の信心を給わりて喜ぶ心の定まるとき、摂取してすてられまいらせざるゆえに、金剛心になると
きを、正定聚の位に住すとも申す。弥勒菩薩と同じ位になるとも説かれて候めり。弥勒と一つ位になるゆ
えに、信心真なる人をば、仏と等しとも申す。また諸仏の、真実信心を得て喜ぶをば、真に喜びて、我と
等しきものなりと説かせ給いて候なり。  (末燈鈔)

 「お!、念仏っていいじゃん。面白いじゃん。これからはこれに決めた。どんどんやっていこう。忘れ
ずに必ずやろう」。こういう思いが出てきた人、つまり、真実の信心が得られ、念仏を喜ぶ心ができたなら、
日々、一人でも、二人でも、三人でも一緒に念仏を称えるようになるでしょう。そうすれば、思いがけず、不
可抗力、正当防衛、緊急避難、詐欺、錯誤、自暴自棄などに翻弄されるということが少なくなる。迷いから、
迷いに流れる輪廻の悪循環が切れる。なぜなら、念仏を通じ、先人の大きな智慧に包まれるからです。
 念仏に腹が固まり、自主的、自律的、確定的に念仏を称えていく人、正しい智慧が確定的に得られるよう
になった人、こういう人を正定聚という区分に入った人といいます。大無量寿経では、こういう人のことを、
釈迦の次に仏になる弥勒菩薩と同じ立場になったと、教えてくれています。弥勒菩薩と同じ立場に立ちま
すから、真実の信心を得た人は、仏に等しいともいいます。真実の信心を得て喜んでいる人について、無
数の賢人・哲人たちは、自分たちと同等であると説いてくれています。

 真実の信心を得た人は弥勒に等しい。仏になったも同然である。親鸞はそう言う。親鸞の周りには、真実
の信心を得た人はたくさんいただろうと思う。真実の信心を得たというのは、奢摩他・毘婆舎那が実践できる
ようになったということではない。自主的、自律的に念仏を称えるようになった人である。称名念仏に腹が固
まった人である。こういう人について、その人の潜在的な可能性に着目して弥勒に等しいと賞賛している。

32:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/08 11:09:01 paQjR9KY
 法華経には重要な記述が少なくないが、常不軽菩薩品はその中でも特に重要な一つだろうと思う。

 爾の時に一(ひと)りの菩薩比丘あり、常不軽と名く。得大勢、何の因縁を以てか常不軽と名くる。是の比
丘凡そ見る所ある若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、
 『我深く汝等を敬う、敢て軽(かろし)め慢(あなどら)ず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作
仏することを得べければなり』。
 而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして、但礼拝を行ず。乃至遠く四衆を見ても、亦復故(ことさ)ら
に往いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、
 『我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に作仏すべきが故なり』。
 四衆の中に瞋恚(いんに)を生じて心不浄なるあり、悪口罵詈して言く、
 是の無知の比丘、何れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与に「当に作仏すること
を得べし」と授記する。我等是の如き虚妄の授記を用いず』と。
 此の如く多年を経歴して、常に罵詈せらるれども瞋恚を生ぜずして、常に是の言を作す、『汝当に作仏
すべし』と。
 是の語を説く時、衆人或は杖木・瓦石を以て之を打擲(うちたた)けば、避け走り遠く住(とどま)りて、猶
(なお)高声に唱えて言わく、
 『我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に作仏すべし』と。其の常に是の語を作すを以ての故に、増上慢の
比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、之を号して常不軽と為せるなり。

 常不軽菩薩は、さまざまな人々に向かい、常に礼拝して言う。あなた方は、菩薩の行を実践なさってきっ
と仏になる方ですよと。時には、人々から罵られたり、木や石でたたかれることがあったが、なお、そのよう
に礼拝して回った。『あなたはきっと仏になるでしょう』。いつもその言葉を忘れなかった。人々は彼を常不
軽と呼んでいた。

 『次如弥勒』。このキーワードを経典の中から見つけると、大きくクローズアップし、意味を拡大し、親鸞は
盛んに主張する。正定聚は弥勒に等しい。
 親鸞は、法華経に書かれている常不軽菩薩行を自らの行動原理としている。かれの主張の背景で親鸞を
動かしているのは、法華経の思想である。僕はそう思っている。

33:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/08 13:01:41 paQjR9KY
>>31
× 翻弄されるということが少なくなる。迷いから、迷いに流れる輪廻の悪循環が切れる。なぜなら、念仏を通じ、先人の大きな
智慧に包まれるからです。

○ 翻弄されるということが少なくなる。親鸞聖人の勧める念仏、つまり多念念仏、一念念仏を実践すると、智慧が透明に見え
てくる。智とは、あれかこれかと考えること。慧は、あれかこれかが止まることです。念仏道場では、フリートーキングもあっ
て、透明化がさらに促進する。これを気づきという。道理が見えてくるから痴が消える。瞋(いかり)がうすまる。貪(むさぼり)が
和らぐ。興奮していた三毒が静まる。見えなかったものが見えてくる。迷いに流されなくなる。輪廻の悪循環が切れる。先人の
深い智慧につつまれる。

34:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/08 13:19:14 paQjR9KY
 弥勒菩薩と同じ位になるとも説かれて候めり。(末灯抄)

 大無量寿経は言う「一一菩薩、已曾供養、無数諸仏。次如弥勒者也」。一人一人の菩薩は、
既にかつて無数の仏たちを支えてきた。弥勒のような存在に次ぐ人々である。
 大無量寿経は、弥勒菩薩と同じ位になるとは説いていない。弥勒のような存在に次ぐと言っ
ている。親鸞はこれを「仏を次ぐこと弥勒の如し」。つまり「仏」という意味を加えている。正確に
は、「次仏如弥勒」と読み替えている。

 これは親鸞のオリジナルの主張である。親鸞の考えの本籍地は法華経であるというべきだ
ろうと僕は思う。

35:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/10 14:15:21 yKAtNXFm
 五会法事讃略抄 宗祖真筆

 原文 伊勢専修寺蔵
 書き下し 公開します。

URLリンク(photos.yahoo.co.jp)

36:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/16 12:23:38 3MqRWvwv
 親鸞聖人を敬愛する者にとって、法華経は極めて重要な経典と言うべきだろう。
 法華経こそ、正確に言うと、法華経と涅槃経こそが親鸞精神の本籍だと考える。法華経から現代の浄土真宗を概観する。

 常不軽菩薩品はいう。
 我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道(多念念仏・一念念仏)を行じて、当に作仏することを得
べしと。而も是の(親鸞)比丘、 〜 故らに往いて(南無阿弥陀仏と)礼拝讃歎して、是の言を作さく、

 我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に(称名念仏すれば弥勒に等しく)作仏すべきが故にと。
 四衆の中に瞋恚(驕り)を生じて心不浄なる(真宗門徒)あり、悪口罵詈して言く、  〜 我等是の如き虚妄の授記を用いず
と。(我々は念仏を称えなくても阿弥陀仏の願力〔他力〕によって極楽浄土に往生して作仏することを得と主張する。我らの法話
を聞けば〔称名念仏が無くても他力によって〕仏になると主張する。ただ称えても助からず。ありがたい、ありがたいと思えば、信
心正因・聞即心・聴聞第一で仏になると主張する)

 (親鸞比丘は)此の如く多年を経歴して、(称名念仏を嫌う外道の真宗門徒に)常に罵詈せらるれども瞋恚を生ぜずして、常に是
の言を作す、汝当に(本願を信じ念仏すれば)作仏すべしと。
 是の語を説く時、衆人(本願寺門徒・哲学者・真宗学者)或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば、避け走り遠く住して、猶お高声
に唱えて言わく、我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に(本願を信じ念仏すれば)作仏すべしと。其の常に是の語を作すを以ての故
に、増上慢の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、之を号して常不軽(親鸞聖人)と為く。

 歎異抄は言う。
 信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。

 ある著に曰く。
 一度念仏すれば既にそれで往生することができるのである。さらに言えば念仏をしようとする心が起こったときに既に阿弥陀によ
って極楽往生が保証されているのである。〜それを信ぜよ。それが最高の善である。
 私(親鸞)は、ただ念仏すれば、阿弥陀さまにたすけられて必ず極楽往生ができるという、あの法然聖人のおっしゃいましたお言葉
を、ばか正直に信じている以外に、別の理由は何もないのであります。

37:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/16 12:25:13 3MqRWvwv
 「ばか正直に信じている。」これは誰の言葉か。

 「おれは親鸞のような馬鹿ではないぞ」。このように親鸞聖人を馬鹿にし、念仏を馬鹿にし、蓮如賞選考委員という大変
ご立派な肩書きを持つ自称哲学者大先生、梅原猛大先生の御名著、ノータリンのための「歎異抄入門」の一節である。
 梅原猛大先生は、歎異抄が心の恋人だそうである。

 衆人或は杖木・瓦石を以て之を打擲す
 得大勢、彼の時の四衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷は、瞋恚の意を以て我を軽賎せしが故に、二百億劫常に仏に値わず、法を
聞かず、僧を見て、千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く。

 常不軽菩薩を杖木・瓦石を以て之を打擲し、千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受ける人々こそ、歎異抄を心の恋人とうそぶく蓮如賞選
考委員梅原猛大先生と、そのようなノータリンを選考委員に委嘱している蓮如賞主催者ではないか。親鸞聖人、蓮如上人の複雑そ
うな悲しみの声が聞こえてくる感じがする。

38:紅音矢 ◆R/kUipgeiA
10/04/20 02:09:44 2hp58LBq
そう言えばファイズはクリーニング屋だったな。

39:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/20 14:45:00 UlyqIyAk
 観音菩薩というのは、いろいろ変化する菩薩である。自分の身をいろいろに変えて苦しめる人
間を救う仏であるが、ここで性欲に苦しんでいる親鸞に観音菩薩は、自ら女体に身を変えておま
えに犯されてやろう、と言ったのである。これはいったいどういうことなのであろう。
 私は、これを救世観音が親鸞に生身の女体を持った女を娶る許可を与えたのであると思う。

 これは誰の言葉か。大哲学者のお言葉であるとは到底思えない。蓮如賞審査員様であられるあ
の梅原猛大先生のお言葉である。自称哲学者なら、何を言ってもいいと言うことではないだろう。
仏教音痴、真宗音痴も極まれりという感じがする。草葉の陰で親鸞は大泣きしているだろう。


 覚如が書いた御伝抄には、親鸞が救世観音の夢告を受けたというエピソードが載っている。僕
は、初めてその御伝抄に触れたときから、一貫して、これは嘘だと思ってきた。覚如は信じるに
足りない人物であるということは、僕はこの救世観音の夢告の記事を根拠として主張してきた。
覚如はこんな記事を書くやつだから信じるに値しないと言ってきた。しかし、逆に、この馬鹿話
を鵜呑みにする学者がいるということに驚き、それが自称哲学者であるというから僕は驚天動地
する。なんという宗教音痴、真宗音痴かとあきれ返るのだ。

 幸い、ごく最近、救世観音の夢告の馬鹿話が根も葉もない馬鹿話であることを立証可能な根拠
が見つかった。これによって、流罪前の親鸞結婚説は消滅したと思っている。

 覚如による救世観音夢告伝説は種本がある。覚如自身も、これについて、「彼の記に曰く」と
言っている。種本は『親鸞夢記伝』と言う。親鸞の弟子である真仏が書いた文書である。専修寺
にあるその文書は、筆跡鑑定の結果、真仏が書いたものであることがわかる。覚如は、『親鸞夢
記伝』の一部をそのままコピーしている。

 『親鸞夢記伝』には種本は無いのか。長い間、僕はそれを気にかけていた。必ずどっかにある
はずだと信じて疑わなかった。やはりあった。『覚禅鈔』という書物だった。ここに親鸞が救世
観音から受けたという夢告と瓜二つの記事がある。発見者は名畑崇氏(大谷大学名誉教授)であ
る。『親鸞の六角夢想の偈について』という興味深い研究を発表されている。


40:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/20 14:49:27 UlyqIyAk
 覚禅鈔の一節を名畑崇氏の(真宗研究1963-10-15)論文から孫引きする。
 本尊変玉女事
 又云 発邪見心 淫欲熾盛 可堕落於世 如意輪 我成王玉女 為其人親妻妾 共生愛 一期
生間 荘厳以福貴 令造無辺善事 西方極楽浄土 令成仏道 莫生疑云
 よこしまな心がおこって、色欲がさかんになり、道心を失ってしまうようなことになれば、如
意輪観音がみずから変じて王の玉女となり、その人の妻妾となって愛しあい、一生をけだかく幸
せにするであろう。そして数がぎりなく善事を造らしめ、命終の後に西方極楽浄土に仏道を成ぜ
しめるであろう。

 救世観音とは如意輪観音のことである。名畑崇氏も言うように、御伝抄の記事とここまで酷似
していると両者の間に何らかのつながりがあったことは疑いがない。

 覚禅鈔とはどういう書物か。真言宗では有名な書物らしい。kotobank.jp
URLリンク(kotobank.jp))に面白い記事が載っている。
 
覚禅 かくぜん(1143−?)
 平安後期〜鎌倉時代の僧。
 康治(こうじ)二年生まれ。勧修(かじゅう)寺の興然、醍醐(だいご)寺の勝賢に師事。興然の影
響をうけ、図像資料を収集。建暦三年(1213)のころまで醍醐寺、勧修寺、高野山などの資料
を調査し、「覚禅鈔」をあらわした。字(あざな)は金胎房。通称は少納言阿闍梨。

 「覚禅鈔」は、建暦三年(1213)ころにできあがったと言うことである。この年は、親鸞は
四一歳、流罪後のことである。京都に入ることは許されず、都払いの刑は続いていた。前年、法
然が死んでその葬儀にも参列できず、都入りを断念している。少なくとも、この時点で、親鸞と
夢告伝説とは、全く無関係であるということが言えそうである。

 醍醐(だいご)寺の勝賢とはどういう人物か知りたくなる。
 勝賢(1183〜1196年)は、平安時代中期の真言宗の僧。東大寺87世、醍醐寺18・
20・22世座主である。

41:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/20 14:52:13 UlyqIyAk
当時の醍醐寺とはどういうところか。その環境を調べてみた。少しさかのぼると勝覚・仁寛という人がいた。
 仁寛(生年不詳 〜1114年)
    勝覚の弟子。密教立川流の始祖。 真言宗の僧の最高位である阿闍梨。輔仁親王(後三条天皇
の第三皇子)の護持僧。配流され、名を蓮念と改め、真言宗の教えの伝道に努めた。武蔵国立川出身
の陰陽師、見蓮らに醍醐寺三宝院流の奥義を伝授した。
 
 勝覚(1058〜1129年)
   仁寛の兄、真言宗系修験道 真言宗醍醐寺派、三宝院流の開基。一説には、こちらが真言密教立
川流の始祖と言われることもある。

 真言密教立川流
 男女交合の境地を即身成仏の境地と見なす。
 平安後期、武蔵国立川の陰陽師見蓮が仁寛から教わった教えをもとに提唱し、文観が広めて大
流行した。
 
 文観(1278〜1357年11月21日) 醍醐寺座主。
   真言宗立川流の僧
   後醍醐天皇に重用されて醍醐寺座主・天王寺別当となる。

 1213年頃、醍醐寺は真言宗立川流の中心地だった。覚禅は真言宗立川流醍醐寺の僧であり、
立川流の書物として覚禅鈔を著した。立川流は男女の交合を賞賛し、そのエロティシズムにより、
その後弾圧を受け、現在では消滅している。
 親鸞の夢告伝説は、エロティシズム仏教最盛期、浄土真宗に移入された思想である。親鸞とは
全く関係がない。関係があるわけもない。

 金沢の専光寺にある親鸞の真筆文書を紹介しよう。
 我身救世観世音 定慧契女大勢至 生育我身大悲母 西方教主弥陀尊 〜

 漢文に返り点などを加点して訓読みする習慣は奈良時代に始まり、親鸞の時代にほぼ完成した。
親鸞は多くの文書に返り点、ふりがななどを振って読みやすくしてくれている。この文章にも返
り点とふりがながついている。


42:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/20 15:07:10 UlyqIyAk
 我が身は世を救(たす)くる観世音なり。定慧を契る女は大勢至なり。我が身を生育せる大悲
の母は、西方教主弥陀尊なり。 〜  

 救世観音は親鸞にとって、自分の妻ではない。まさに観音とは自分が実現する対象である。出
第五門の菩薩は示応化身、『法華経』の普門示現の類となれ(証の巻)。普門示現の類となると
は、観音菩薩の行を実践するということだ。親鸞の思想の本籍地は法華経にある。親鸞は、生涯、
観音菩薩の行を実践していたのだ。女は大勢至である。浄土宗・浄土真宗は、男性優位の仏教界
で、唯一女性のための仏教を説いた。男性のための仏教は既にある。女性の中に定と慧とを結実
させる仏教を実現しよう。法然、親鸞はそのように考えていたようだ。定と慧とを結実させた女性、
それが大勢至菩薩である。

 親鸞の思想の中に、観音菩薩と交合しようなどという思想など出てくるはずがない。男が男と交合
すれば、ニューハーフではないか。親鸞はニューハーフか?観音が自分で自分と交合すれば変態
ではないか。

 念佛は聲聲に佛種を下す。坐禪持戒は眞功を用いてなり。汝若し修せずしてすなわち佛になる
といはば、喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふがごとし(五会法事讃略抄)。
 浄土真宗は、念仏と座禅・持戒を勧める。念仏だけで仏になるんだったら、座禅・持戒はいら
ないんじゃないかという主張が出てくる。それは間違いである。座禅・持戒は念仏に実質的効果
を実現するために必要なのである。空腹の人が、風下に立ち、吹いてくる風を腹の中にため込も
うとしても、腹の足しにはならない。座禅・持戒はいらないというのは、間違った考えである。

 親鸞が、流罪前に結婚していたという主張の最大の根拠は、このように荒唐無稽の珍説であると
いうべきである。

 ちなみに、真仏は、親鸞が京都に戻った後、勧進僧として全国を歩き回っていた。当時、真言宗立
川流はおおいに盛んだった。隆盛を誇っていた京都の大寺院である醍醐寺に行き、そこで覚禅鈔を
見たのだろう。不思議な話ではない。
 真仏は親鸞在世中に死んでいる。言い換えれば、親鸞が在世中に真仏は夢告伝説をでっちあげ
たということだ。どのような理由があったか知らないが、もし親鸞がそれを知っていれば、大変
悲しんだことだろう。

43:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/20 16:05:08 UlyqIyAk
>>39
 『親鸞夢記伝』には種本は無いのか。長い間、僕はそれを気にかけていた。必ずどっかにある
はずだと信じて疑わなかった。やはりあった。『覚禅鈔』という書物だった。


 『親鸞夢記伝』にはさらなる別の種本は無いのか。長い間、僕はそれを気にかけていた。必ずど
っかにあるはずだと思ってきた。僕はおおざっぱに、中国か朝鮮だろうと思っていた。やはりあった。
日本にあった。『覚禅鈔』という書物だった。






44:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/20 16:06:58 UlyqIyAk
>>43
 第一文が誤り、 第二文が正しいという意味です。


45:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
10/04/20 17:35:45 UlyqIyAk
 真言宗立川流について、我々はこれを、そのあまりのエロティシズムによって弾劾され、過
去の宗教、消滅させられた宗教であると信じてきた。そう教わってきた。しかし実態はそうでは
ない。
 現代日本の最大の既成宗教、浄土真宗こそ、真言宗立川流の思想の一部を継承している
後継宗派である言っていいだろう。

 真言宗立川流浄土真宗派は、親鸞の知らないところで親鸞の弟子である真仏を起源とし、
さらに本願寺の覚如によって確立された。御伝抄は、浄土真宗では不磨の大典、極めて神
聖な書物である。

 明治になり、日本の僧侶は浄土真宗に限らず、他の宗派でも妻帯が可能になった。倒幕
で果たした浄土真宗に対する論功行賞で、浄土真宗は多くの利益を得、さらに僧を明治政
府に送り込んだ。伊藤博文らが創建した明治憲法の創案者の中には、真宗僧侶が加わっ
ていると聞いたことがある。
 明治維新における宗教政策は、様々な点で浄土真宗の思想の影響が見られる。靖国神
社の創設などは、キリスト教と浄土真宗の合体のようなものだ。伝統的神道にはあり得な
い。

 僧の妻帯は、植民地になった朝鮮半島に渡る。現代では、韓国の仏教僧の半分は妻帯し
ているそうだ。日本仏教の影響によるもので、端的に浄土真宗の影響だろう。真言宗立川流
が、浄土真宗という名で外国にまで影響を及ぼしている例である。

 真言宗立川流は消滅していない。それは、浄土真宗という名前で現在に生きている。事の
是非ではない。浄土真宗の坊さんはその現実に気づくべきだろうと僕は思う。


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