Crystal 椿に捧ぐ ..
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2:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 03:34:21.91 E2R5CUPz.net
【飜数】   【子】    【親】
 1飜   1000点   1500点
 2飜   2000点   2900点
 3飜   3900点   5800点
 4飜   7700点   11600点(満貫)
 5飜   8000点   12000点(満貫)
 6飜   12000点  18000点(跳満)
 7飜   12000点  18000点(跳満)
 8飜   16000点  24000点(倍満)
 9飜   16000点  24000点(倍満)
10飜   16000点  24000点(倍満)
11飜   24000点  36000点(三倍満)
12飜   24000点  36000点(三倍満)
13飜   32000点  48000点(役満)

3:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 03:36:02.99 E2R5CUPz.net
飜(ハン)
URLリンク(www2.odn.ne.jp)
子の場合 1飜=1000点
親の場合 1飜=1500点(同じ手でも親は子の1.5倍の点数が基本)

4:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 03:37:03.64 E2R5CUPz.net
ツモ上がり…20符四飜
メンタンピン・ツモ
[親] 7700点
[子] 5200点
ロン上がり…30符三飜
メンタンピン
[親] 5800点
[子] 3900点

5:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 03:37:56.20 E2R5CUPz.net
断ヤオ九(断幺九、タンヤオチュー)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
麻雀における役のひとつ。1翻。
(一九字牌)を一切使わず、中張牌(数牌の2?8)のみを使って手牌を完成させた場合に成立する。
断ヤオと略すことが多い。

6:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 03:38:24.64 E2R5CUPz.net
平和(ピンフ)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
麻雀における役のひとつ。1飜。門前役。
面子が全て順子で、雀頭(ジャントウ=アタマ)が役牌でなく、待ちが両面待ちになっている場合に成立する。

7:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 03:38:58.13 E2R5CUPz.net
門前(メンゼン)とはポン、チー、明槓(ミンカン)していない状態のことで、
ようするに他者から鳴いていない 状態のことを門前(メンゼン)といいます。

8:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 03:39:43.28 E2R5CUPz.net
三色同順(サンショクドウジュン)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
麻雀における役のひとつ。
萬子・索子・筒子それぞれの色で同じ並びの順子を作ったときに成立する。
門前(メンゼン)では2翻、副露した場合は食い下がりして1翻となる。
略して三色(さんしょく、さんしき)と呼ぶ。

9:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 03:58:24.40 E2R5CUPz.net
Rock54で書き込めないtest

10:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:00:04.65 E2R5CUPz.net
方針を変えるか。

11:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:00:39.52 E2R5CUPz.net
■ライフステージとこころの健康

12:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:03:26.72 E2R5CUPz.net
<乳児期>
お母さんと子どもが一体化した共生段階から始まる。
生後半年ぐらいから一方的に抱っこされるだけでなく自分から働きかけ、
少しずつ分離が進む。
同時に情緒も発達していく。
<環境>
親との関係が主であり、親との関係を安定させていくことから
他者との基本的信頼感を身につける。

13:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:06:23.17 E2R5CUPz.net
<幼児期>
精神的身体的に親から分離し、
個人の力を確立していく時期である。
時間的空間的に自分の状況を把握し、
言葉での交流を身につけていく。
好奇心がでてきて自発的になる。
<環境>
公園や幼稚園、保育園に行くなど、
同年代の子どもたちに関わるようになる。
親との関係とともに、ほかの大人や子どもへの
関心が大きくなっていく。

14:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:09:17.49 E2R5CUPz.net
<学童期>
論理的な思考を身につけていくと同時に、
自分なりにがんばって達成感を得るという体験を
積み重ねる時期である。
<環境>
家庭と学校が生活の中で大きな比重を占めている。
同年代の集団活動への適応がそれ以前の時期よりも
強く求められる。

15:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:22:34.69 E2R5CUPz.net
<思春期・青年期>
多面的にものごとを見るようになり、
自身を振り返ったり相手の気持ちを
推察したりする時期である。
自己の確立を目指して、
改めて精神的に親離れをする時期でもある。
<環境>
家族と暮らしていて学校に通っている場合が多いが、
生活の中では同年代の友人関係の比重が大きくなる。
異性を意識した交際を体験する。

16:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:25:07.35 E2R5CUPz.net
<成人期>
特定の異性と親しくなることで、
相手のことを尊重し、
大切に思う気持ちを育てる時期。
また、子どもや若い人たちに
知識や愛情、経験を伝えていく。
<環境>
結婚して家庭を持つ人が多い時期。
その一方で、職場など家庭の外でも
責任が増えてくる。
一定の収入を確保して生活を
支えることが求められる。

17:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:27:04.01 E2R5CUPz.net
<老年期>
体力の衰えを受け入れる。
それと同時に今までの人生を振り返り、
自分を肯定する時期。
<環境>
仕事・収入の減少に適応する。
夫・妻など親しい人々の死を経験する一方で、
周りの人たちと明るい関係をつくる。

18:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:54:23.61 E2R5CUPz.net
やらなきゃいけないこともできない・・・。

19:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:54:53.39 E2R5CUPz.net
キミがこころに
重くのしかかってくるから、
泣きたくなる・・・。

20:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:55:14.42 E2R5CUPz.net
好きだったことも
やる気がしない

21:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:55:54.62 E2R5CUPz.net
それに、からだのあっちこっちにも
ずーんと重くのしかかって
思うように動かせない、

22:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:56:22.46 E2R5CUPz.net
もう何週間もキミといると、
こころとからだが
私じゃないみたい。

23:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:56:53.72 E2R5CUPz.net
「こころにも、からだにも
重くのしかかる」
うつ病のこと
先生に話して、

24:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 04:57:27.52 E2R5CUPz.net
私に何が起きているのか
がわかったから。

25:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:05:58.32 E2R5CUPz.net
坂を登り 開く広々と

26:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:06:22.57 E2R5CUPz.net
穂波が揺れて 猶予う
金色の押し黙る

27:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:06:53.22 E2R5CUPz.net
人が影 置き去りに 手招く

28:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:07:41.74 E2R5CUPz.net
遮った川は深く
水分りの指先抜け

29:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:08:00.28 E2R5CUPz.net
溶ける

30:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:08:18.91 E2R5CUPz.net
夢からさめて 並み居る川門

31:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:08:35.92 E2R5CUPz.net
ひとつ選び 扉めくると 砂に崩れた

32:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:12:12.76 E2R5CUPz.net
七彩光り 枯れ木に刺さり燃えた
彷徨う水鶏 群になり岨に飛ぶ

33:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:12:30.15 E2R5CUPz.net
辿り着いた 影は瞬く光を抱く

34:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:13:03.19 E2R5CUPz.net
漣は稲穂 背押されて森に消えた
彼方に光 見え隠れ

35:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:13:23.23 E2R5CUPz.net
暗闇で探す足跡 照らすものに集う
小さく求めあい

36:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:13:43.63 E2R5CUPz.net
潦 歪んでは細濁り

37:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:14:07.75 E2R5CUPz.net
絶え間無く

38:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:14:31.54 E2R5CUPz.net
ああ 今さら 昇る光見て胸を裂く
小さな影と 背負うもの 噤み行く

39:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:14:56.89 E2R5CUPz.net
歪み裂ける虹と 隠沼落ちた夢と 冷光

40:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:15:18.86 E2R5CUPz.net
掠めて遠く!

41:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:15:41.88 E2R5CUPz.net
ひらひらと光重なって架け橋になる
流れ深き森避けて

42:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:16:01.13 E2R5CUPz.net
水に影短くして在る それぞれの夜明けを待つ

43:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:16:17.72 E2R5CUPz.net
ひとつ増え ひとつ消え

44:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:16:34.59 E2R5CUPz.net
誰が為に行き 誰が為に渡す重きか
七彩に問う 身を焦がす

45:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:16:53.70 E2R5CUPz.net
橋を渡る人々に叫ぶが返答無く

46:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:17:09.77 E2R5CUPz.net
手招きして溶けた

47:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:17:30.05 E2R5CUPz.net
坂を登る その先に

48:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:17:45.97 E2R5CUPz.net
穂波が光っている
今も 変わらず 今も

49:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:17:59.98 E2R5CUPz.net
増えて 消えて 光っている

50:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:28:30.18 E2R5CUPz.net
走った 転んだ すでに満身創痍だ

51:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:29:37.77 E2R5CUPz.net
立ち上がる間もなく 襲い来る 罵声と暴力

52:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:30:26.78 E2R5CUPz.net
負けるか俺はホーリーナイト 千切れそうな手足を引き摺り

53:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/11 05:31:07.14 E2R5CUPz.net
なお走った

54:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 00:51:03.73 AjDgjY63.net
麻雀役の覚え方
URLリンク(mjclv.com)

55:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 00:56:43.01 AjDgjY63.net
<1飜役>
役牌(ヤクハイ)
ピンフ(鳴き×)
リーチ(鳴き×)
ツモ(鳴き×) (※鳴いた場合、成立しないので他に役がないとあがれません。)
タンヤオ
一発(鳴き×)
一盃口(鳴き×)
ハイテイ
リンシャン
チャンカン

56:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 01:00:56.92 AjDgjY63.net
<2飜役>
トイトイ
三色(食い下がり1飜)
チートイ(鳴き×)
一通(食い下がり1飜)
三暗刻(鳴き×)
チャンタ(食い下がり1飜)
三色同刻(サンショクドウポン)
三槓子(サンカンツ)
ダブリー(鳴き×)

57:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 01:10:08.58 AjDgjY63.net
<3翻役>
ホンイツ(食い下がり2飜)
純チャン(食い下がり2飜)
二盃口(鳴き×)

58:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 01:13:29.25 AjDgjY63.net
<4飜役>
小三元
混老頭(ホンロウトイトイ or ホンロウチートイ)

59:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 01:18:03.52 AjDgjY63.net
<6飜役>
清一色(チンイツ or チンイーソー) (食い下がり5飜)
人和(レンホー)

60:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 01:18:37.27 AjDgjY63.net
人和(鳴き×)

61:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 01:20:14.74 AjDgjY63.net
<役満(13飜)>
URLリンク(mjclv.com)

62:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 07:53:30.60 AjDgjY63.net
 さあ諸君、勉強を始めよう勉強を。数学に限らず、凡そ勉強なんてものは、
何だって辛くて厳しい修行である。然し、それを乗り越えた時、自分でも驚く程
の充実感と、学問そのものへの興味が湧き起こってくる。
昔から、楽して得られるものなんて、詰まらないものに決まっている。
怠けを誘う甘い言葉は、諸君に一人前になって貰いたくない、という嫉妬である。
思い切り苦労して、一所懸命努力して、素晴らしいものを身につけようではないか。

63:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 08:27:41.99 AjDgjY63.net
 夢を見る事、現実を知る事、人生を意義有るものにするには、この二つの釣合を巧く取る必要がある。
夢ばかり見ていては現実に取り残される。
現実だけに縋(すが)り着けば味気ない。
比率は年齢と共に変っていく。
諸君は、夢九割、現実一割で好いだろう。
やがて、それが半分半分になり、最期には現実だけが残るのである。
これは物理的に制限された「生」を持つ我々にとって、
決して避けられない宿命である。
ならば、夢を見よう。青年に相応しい夢を。

64:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 08:43:34.64 AjDgjY63.net
 二十一世紀の我が国は、嘗て無かった未曾有の混乱状態になるだろう。
それは、何事に関しても、頼りになる大人が全く居なくなる、という諸君にとっては
誠に情けない状態である。
それぞれ立派な格好で、立派な事を言うかも知れないが、当てには出来ない。
我が国の知力は明らかに落ちている、品性を失っている。それも凄まじい勢いで。
こんな事は殊更(ことさら)強調しなくとも、既に気がついている諸君も多いだろう。
政治家、官僚、経営者、聖職者、評論家、弁護士、そして学者と、
一般に社会的な地位を持っている、と云われている人達の、余りにも深みの無い貧相な顔立ちを、
優柔不断な態度を見れば、それは自ずと明らかであろう。
これは自省を込めて言うのであるが、皆それ相当の年齢になったので、
諸先輩に追いついたとばかりに、御大層に振る舞っては居るが、
何か大事なものを欠いている。人間的な色彩を失って居るのである。

65:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/12 08:48:08.86 AjDgjY63.net
 これは、何も諸君の周りにいる大人達を侮(あなど)り蔑む事を勧めている訳ではないから、
この点を絶対に誤解しないで貰いたいのだが、教育というものは、本当に難しいもので、
手持ちの百が半分も伝われば好い方で、実際にはもっともっと比率は下がるのである。
そこで、代を重ねるに従って、どんどん水準が下がっていく。
期待するのは、師を越える弟子、所謂(いわゆる)、突然変異しかなくなるのである。

66:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/13 06:30:20.88 sMJFzGBe.net
 この意味で、本書は諦めに満ちている。
そして、同時に突然変異への期待にも満ちているのである。
既に崩れ去ってしまった世代から、何を言う権利も無いかも知れないが、
諸君が周りの環境や流言蜚語に惑わされず、
独立独歩の精神で新たなる途(みち)を切り開いてくれる事を心から祈っている。
その為には考えねばならない。
自分の頭で、他人の干渉を許さない絶対の意志の下で。
それには、基礎的な数学の訓練を受けておく必要がある。

67:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/13 06:39:14.49 sMJFzGBe.net
 数学の教師がこの種の話を持ち出すと、決まって外野席から野次が飛ぶ。
所謂、「我田引水」、自分達の教えている教科の重要性を説いて、
そこから自分自身の価値を高めようという姑息な企てだ、と思われるのだろう。
恐らく、この様に思う人は、自分が正にそういった考え方を持っているから、
地金が出て、ついつい言ってしまうのだろうが、これは野次にも批判にもなっていない。

68:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/13 07:14:16.56 sMJFzGBe.net
 世の中が如何に変化しようと、青少年が一個の独立した人間として社会に出て行く為には、
「読み書き算盤(そろばん)」が最低の条件である。
これは、古代シュメール、五千年前の大昔から少しも変らない、
正に時間と場所を越えた人類不変の真理である。
この意味で、数学と国語の教師は、他の科目の教師とは異なる
非常に特殊な立場にあると云えよう。
責任の重さが違うのである。
それは何も偉く見せようだとか、尊敬させようだとかいった極めて個人的で陰湿な感情
からくるものでは決してない。
国の将来、それを担う青年の生涯に関わる大問題だからである。

69:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/13 07:16:39.84 sMJFzGBe.net
 他の科目は、後々で修正が効く。
音楽に興味を持つ事、絵画に興味を持つ事、
社会に、歴史に、経済に、そして外国文化に興味を持つ事は、
人生のどの時期から始めても十分意義のある充実した経験が出来る。
そういった知識や、情操に関わる部門は、大いに修正が効くのである。

70:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/13 07:20:35.69 sMJFzGBe.net
 然し、それとて言葉や簡単な計算に難儀するようでは、
とても真っ当な理解など覚束(おぼつか)無いであろう。
「言葉」と「数」、「表現」と「論理」は、幼い時から、半ば強制的に経験させておかないと、
或る程度の年齢を過ぎてからでは、理解の為の苦労が百倍千倍する。
従って、これらに関わる教師は、途轍(とてつ)もない責任を負わされているのである。
格好をつけたる、偉そうに見せよう、などという邪心を持っている暇など全く無いのである。
国家の精神的な破壊は、これらの科目に関わる教師の敗北だ、
と言っても決して過言ではないのだから。

71:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/15 20:40:07.45 WimBQoMm.net
 ところが、どうだろうか、いや今述べた通りだ、と言うべきであろうか、昨今の我が国の状況は。
正規の学習過程を経て来たとは、とても思えない様な青少年が街を闊歩している。
言葉は破壊され、漢字は読めず、手紙は書けず、自分の考えを纏(まと)められず、
いやそれ以前に自分の考えが無く、計算は出来ず、論理は通らず、理屈を嫌い屁理屈を言い、
個性を要求しながら流行に流され、長幼の序の感覚が無く、そのくせ自分が軽く扱われると
烈火の如く怒りだし、他人には差別的な態度を取りながら自分は天使の様に清らかだと勘違いし、
将来の展望も希望も無い、これが街行く青年の多数派でない、と誰が言えるだろう。

72:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/15 20:50:36.24 WimBQoMm.net
 この期(ご)に及(およ)んで、文部省は、「理解出来ない学生が多いから」
という信じられない理由を掲げて、数学の内容の見直しを主張し出した。
中身を減らすのだろうであるが、同時に時間数も減らしていくらしい。
これでは何にもならないではないか。

73:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/15 20:53:28.02 WimBQoMm.net
 一つの単元に今まで以上に時間を掛けて、より丁寧な指導を試みるというのならまだしも、
単元当りの時間数を増やさないのであれば、全く意味が無い。
「これまでの」数学教育には、確かに重大な問題があった。
然し、「これからの」数学教育の抱える問題に比べれば無いに等しい、と云えるだろう。
「中身を減らして、尚且つ(なおかつ)授業時間数を減らす」ことを繰り返せば、
それはやがて「消滅」に行き着く以外に途(みち)は無い。

74:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/16 03:26:10.46 hYwaaJxA.net
★      ★      ★

75:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/16 03:28:16.69 hYwaaJxA.net
 著者は、現在の日本型教育の最大の問題点は「教え過ぎ」の一言に集約されると考えている。
十分な理解を得る暇(いとま)も無く、次から次へと大量の法則、公式事例などを、
これでもかと流し込んで行く。
その結果は、大きく二通りに分かれる。

76:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/16 03:35:34.95 hYwaaJxA.net
 流し込み、詰め込みに成功した者達は、大学受験までは好い結果を残し、
恰(あたか)も人生の成功者の如く振る舞えるが、反面、幅の広い考え方を
学ぶ機会を逸する場合が多く、伸び悩む者も多い。
一方、失敗した場合には、大きな挫折感と共に「知的下痢状態」とでも云うべき
虚脱感に襲われ、その後一切の知的活動を受け付けなくなる者も居る。
どちらにしても日本の将来にとって望ましい状態ではない。
特に、問題なのはその低年齢化である。
学ぶ内容に依って、それを学ぶに「適切な年齢」というものがある。
これらを全く無視し、興味の持てない事柄(ことがら)を、暗記力を頼りに形式的に
学習させていくと、真に美しい事、不思議な事、を感じ取れる適切な年齢になる前に
感受性が麻痺してしまう。
これでは学問は、無感動な若者を大量に世に送り出すだけの遺物になってしまう。

77:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/16 18:21:35.69 hYwaaJxA.net
 教育に携わる者にとって、最も重要な行為は、「人の心に火を点(つ)ける」ことである。
一旦、魂に「点火」すれば、後は止めても止まらない。
自発的にその面白さの虜となって、途を極めていくだろう。
それでは、どうすれば点火するのか、点火装置は何処に在るのか。
それは「驚き」の中に在る。

78:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/16 20:27:38.57 hYwaaJxA.net
 「驚き」を教える事は、何人(なんびと)にも出来ない。
人が驚ける能力、これこそ天からの贈物(おくりもの)である。
この意味に於いて、子供は天才である。
驚きを失った大人に点火する方法は無い、火種は尽きているのである。

79:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/16 20:30:55.26 hYwaaJxA.net
 ところが、昨今、この掛け替えの無い「驚く能力」を磨滅(まめつ)させる行為が
白昼堂々と行われている。
徒にに知識の量を増やし、何事にも「驚かない子供」を教育の名の下に大量生産している。
これは明らかな犯罪行為である。

80:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/16 21:22:36.27 hYwaaJxA.net
 知らない者は幸いである、まだ知る機会が、驚く愉しみが残されている。
一度、知ってしまったものは、消し去れない。
知ったかぶりの子供は、初生の赤子には戻れない。
教育の役割は、人が初めてそれを知る時、最大限の驚きが得られるように
充分な配慮をする事であって、自動車レースのピット作業の如く、
一刻を争って燃料補給をする事ではない、好奇心に溢(あふ)れた
「百歳の少年」を生み出す事であって、訳知り顔の「十歳の老人」を生み出す事ではない。

81:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/20 16:16:57.78 0dmU8TEu.net
 幾ら知識を増やした所で、百科事典を何十冊も内蔵し、原価僅か数十円のCD-ROMに勝てる筈(はず)がない。
今や「生き字引(じびき)」とは、自らはその中に唯の一行をも書き加えるものを持たない人間の蔑称であろう。

82:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/20 16:18:44.02 0dmU8TEu.net
 携帯電話よりは糸電話が、TVゲームよりは折り紙が、
インターネットよりは紙芝居が、英語よりは敬語が、
優先されるべき年齢がある、学ぶに相応しい年齢がある。
その年齢を見誤らない事が、教育の鍵である。

83:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/20 16:22:31.41 0dmU8TEu.net
 キーボードに齧(かじ)りついている子供よりも、野山を駆け、紙飛行機に興じ、振子に驚く子供に未来を感じる。
赤子の様に驚く能力は、自分自身で考える事、ひたすら考え続ける事、それのみに因(よ)って維持されるのである。
知識に溺れる者は、考える事を放棄する者である。
人類が驚きを失った時、すべての精神活動が終りを告げ、
珍種の動物として記録されるに留まる存在になるだろう。

84:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/22 17:14:58.22 gUollldg.net
 実際、我々はそんなに多くの知識を蓄(たくわ)える必要があるのだろうか。
そこで、著者は、一つの事をじっくりと学んでいると、“知らず識(し)らずの中(うち)に”色々な知識が増えたり、
それまでは全く興味の湧かなかった分野に親近感を持てたりする様な、
科目の枠を超えた著作は無いものか、と考えた。
中学生から読めて、かといって、決して誤魔化したり、易(やす)きに逃げたりせず、
人間の知の全体を一望し得(う)る著作は無いものか。
これから、学問を学び、スポーツを愛し、人生を楽しむ為に必要となる様々な事柄を、
綺麗事で終らせずに真剣に語り、読者と一緒になって考え、読語には何かしら自分の
目標と呼べるものが見つかったり、或いは、「志(こころざし)」と呼ぶに相応しい熱い感情が
全身に漲(みなぎ)ってくる、そんな著作は無いものか。

85:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/22 17:21:39.88 gUollldg.net
 この様な大それた事を考えながら、本書の執筆は始められた。
勿論、ここで掲げた目標が、十分に達成された等とは毛ほども思ってはいない。
唯、教育界、出版界に、この種の問題を提起したいのである。
そして今後、上記した点を満たした、読んで面白く、然も学問の枠にこだわらない、
初学者向きの分の厚い本が、我が国でも出版される、その一つの切っ掛けにでもなれば好い。
著者はそれだけで満願成就なのである。

86:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/22 17:24:06.32 gUollldg.net
 長広舌で“直接”は数学に関係しない事を論じた部分も多いが、
それは“間接”に関係しているのであって、人間の文化活動が、
継目の無い一体のものである事実を知って貰いたい、唯それだけの理由であるから
御許し頂きたい。

87:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/22 17:59:58.69 gUollldg.net
 本書は、時間に余裕があり、先に進む事を目的とせず、
じっくりと周りの景色に目を遣(や)りながら、独り旅を愉しむ気持ちで、
少々の孤独と邂逅(かいこう)を喜びとする、その様な読者を想定している。
我が国の出版界、特に専門書の分野に於ける最大の問題点は、
「各駅停車」の旅、無目的の独り旅を支援する書物が余りにも少ない点である。
若し、本書の記述が冗長に過ぎると思われるなら、
何処かの「急行停車駅」で乗り換えられるよう御勧めする。
それが安全か、果たして愉しい旅を演出してくれるか否かは別にして、
我が出版界に於いて“高速列車”の便には何も不自由も無いのだから。

88:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/22 18:01:30.59 gUollldg.net
かい‐こう【×邂逅】
[名](スル)
思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。
「旧友と邂逅する」
類語 : 出会い(であい) 巡り合い(めぐりあい)

89:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/23 17:30:54.71 0ZStYk23.net
 来る世紀、技術的には更に高度に発展するだろう。
そこで必須となる数学の分野が如何(いか)なるものかは誰も知らない、知り得ない。
ならば、我々は「最先端」なる言葉に徒(いたずら)に惑わされる事なく、
初等幾何学や初等整数論などの「古典」を中心にじっくり学ばねばならない。
これは逆説ではない、最先端に最も近い者は古典をよく学ぶ者である。
基礎を幾らしっかり丁寧に遣(や)っても、それが災いになる筈がない。
現在の我が国の教育に於ける危機的状況を打開する為には、
「教える量を減らし、その質を高める以外にない」と考える。
単に量を減らすのではなく、古典をじっくり学ぶ為に時間を作るのである。
網羅的な授業や最先端と称する流行物はビデオ教材で十分であろう。

90:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/23 17:40:41.82 0ZStYk23.net
 最近は、学校の履修(りしゅう)規定が複雑化しており、物理や数学の「洗礼」を全く受けずに大学へ進学したり、
社会人になったりする場合が増えている。
また、年輩の方で、現代科学の成果には大いに興味があるものの、
そこへ至るまでの素養不足に悩んでおられる場合も多いようである。
確かに、「後ほんの少し、数学が解れば……」「物理をもう少し真面目に遣(や)っておけばなあ」
といった声を屡々(しばしば)聞く。
何事もそうであろうが、特に科学の場合、結果だけをクイズの解答の如く知っていたとしても、
何か物足りない感じがするからであろう。

91:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/23 18:00:10.58 0ZStYk23.net
 毎日何百冊と書籍の出版されている我が国のことである、啓蒙(けいもう)書には事欠かない。
「猿が解るんだから、あんたでも大丈夫!」といった類の入門書が書く分野で幅を利かしている。
これほど読者を侮辱した表題もないと思うが、それでも購入する人が多いらしい。
こんな不思議な話は無い。
そこまで深刻なのか、単なる自虐趣味か、自分自身を嗤(わら)える高度の教養の為せる技なのか。
それにしても、一向(いっこう)に同系統の入門書の売上げが落ちていかない所を見ると、
その効能に疑問を持たざるを得ない。
若し、この種の本が「出しても出しても売れる」のであれば、
それは、それだけ前書が役に立っていない証拠ではなかろうか。
少なくとも科学の分野では、附焼刃(つけやきば)では物にならないのであろう。
残念ながら本書は猿には解らない、好奇心溢れる健全なる精神を持った人間の為に書いている。

92:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/23 18:43:16.03 0ZStYk23.net
 本書は、我が国の常識からすれば確かに奇書であろう。
友人の言葉を借りれば
「奇妙な人間が真面目に書けば、奇妙な本になるに決まっている」
そうである。
前段を除いては、誠に喜ばしい評価であるが、元より書評は健全な読者のものである。

93:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/23 18:46:20.82 0ZStYk23.net
 中高生の諸君向きであるからといって、決して手を抜かず誤魔化さずに出来る限り、本質的な点を丁寧に書いた。
抑も教育などというものは、初等的なもの程、本格的なものでなくてはならない、と信じるからである。

94:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/23 18:55:17.72 0ZStYk23.net
 世の中のあらゆるものに「正解」が存在する、と著者は信じている。
正しい構成、正しい文章、正しい表現、一文一文にこの他には決して表現のしようがない
絶対的な正解が存在する。
凡そ人間のする事に、完全な答えなど存在し得る筈がないと知りながらも尚、
それが存在すると一途に追い求める。
そうした矛盾に堪える事のみが、自分を鍛え、表現を磨いてくれる、そう信じているのである。
その結果、少しでも好い作品が書けるように成るのではないか、そう考えて出来る限りの工夫をしている。
若し、「正解」を御存知の方がいらっしゃれば御教授頂きたい。

95:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
16/12/23 18:58:19.74 0ZStYk23.net
 本書が、出版界に対する一つの挑戦として、好意的に受け入れられるよう祈っている。
何故なら、著者は本書自体の成功よりも、本書のスタイルの一般化を心から願っているからである。
その為には、後続部隊が必要である。
読者の温かい励まし以外に、後に続く著者の執筆意欲を掻き立てるものは他に無い。
著者、最高の夢は、それが本書の読者の中から生れる事である。

96:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/07 22:54:28.39 x/vtkhyH.net
第1部 独りで考える為に

97:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/07 22:55:08.75 x/vtkhyH.net
第0章 方法序説 : 学問の散歩道

98:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/07 23:05:43.05 x/vtkhyH.net
 序章は、諸君を正しく導き、本書に於いて真理を探究する為の方法の序説である。
デカルトは、これを『方法序説』と呼んだ。
方法序説は、それだけで一冊の本になるほど長いのが特徴である。
本書も伝統に従おう。

99:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 00:01:41.46 QOXru/4f.net
 確かに本章は長い。初めて読む諸君にとっては、長過ぎるかも知れない。
実際、悩み無き秀才には無用の長物であろう。
本書は、とりわけ本章は、苦悩する青年の為に書いた。
学問の何たるかに悩み、考え、それでも一筋の光明すら見出し得ない時、
漸(ようや)く本章が役に立つだろう。
その日、その時の為に、先回りして、様々な事を様々な方向から書いたつもりである。
本章は、所謂「老婆心」「転ばぬ先の杖」なのである。

100:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 05:55:09.86 QOXru/4f.net
 先(ま)ず、最初に諸君が置かれている状況、よく使われる言葉の意味、
何故数学を学ばねばならないのか、数学を学ぶと何がどう変るのか、
といった事を順に考えていく。
従って、「数学だけを学びたい」「学ぶ事に理由など要らない」
という諸君にとっても、本章は無意味かも知れない。
然し、幾ら好きでも、よく理解していても、諸君の周りの状況を知っておいて損は無いだろう。
「得意な事で失敗し、不得手な事で成功する」
のが、理不尽極まりない我々の人生であるから、色々な経験しておく事は、
後々どれほどの効果を挙げるか判らないのである。

101:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 06:01:44.50 QOXru/4f.net
 さて、「何故学ぶのか」、この問いに対する一番丁寧な答えは、
「本書全体」となってしまうが、取り敢えず、
「数学とは如何なるものか」から始めて、我々人類にとって、
果たして「数学が全く存在しない生活」が、可能であるのか否かを
順に考えていきたい。
その為には、先ず、人類の文明、文化、その歴史の何たるか知らねばならない。
それらを学ぶべき環境、或いは、諸君自身の置かれた立場を知らねばならない。
そして、何よりも「言葉」そのものを学ばねばならない。

102:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 06:03:45.84 QOXru/4f.net
   『言葉・言葉・言葉』
言葉は単なる意思伝達の手段ではない。
言葉こそが歴史であり、文化であり、人格であり、
即ち諸君自身なのである。

103:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 06:08:47.79 QOXru/4f.net
 一つの言葉の意味を知り、それを正しく使おうと努力する所に、
ごく自然に教養と呼ばれる何物かが生れてくる。
言葉遣いの粗雑な人物は、その人格も同様に粗雑であり、
何事に於いても大飛躍の出来ない、哀しい状態に陥ってしまうのである。
若し、これらの事実を知って尚、初等的な数学からも逃げようと試みる人には、
その蛮勇に拍手し、前途の無事をひたすらお祈りするとしよう。

104:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 06:14:52.20 QOXru/4f.net
 「国際化」「情報化」「多様化」「選択」「自由」「個性」「感性」「理性」「適性」
「世界」「自己」「責任」「躾」「姿」「意」「話合い」「偽善」「欺瞞」「努力」「忍耐」
「二分法」「文明」「文化」「科学」「技術」「研究」「論理」「部分」「全体」「帰納」
「演繹」「特殊」「一般」「文系」「理系」「公式」「定義」「定理」「精神」「物質」
「生命」「宿命」「進化」「尊敬」「便利」「経験」「参加」「勇気」「信念」「器量」
「読書」「知性」「教養」「夢」「歴史」「日本」、そして「言葉」。

105:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 06:17:18.63 QOXru/4f.net
 諸君は、本書の主張に賛同するにせよ、反撥するにせよ、
生涯に一度は、こうした言葉の意味を真剣に考え、整理しなければならない。
受売りでない、自分自身の考えとして、それが学び、そして生きる、という事なのである。

106:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 08:19:52.15 QOXru/4f.net
 日本は「言霊の国」である。
「霊」などというものが、実在として有るにせよ無いにせよ、
それを先ず確かめる事が先決である。
然し、その種の議論は飛ばして、「悪い霊」だとか「良い霊だとか」、
「守護霊」だとか「背後霊」だとか、誠に以(もっ)て五月蠅い限りである。
この段階で「霊」はスッカリ実在するものになっている。
誰も「一寸待ってください、抑も霊とは……」とは言わない。
書店の店頭などで、
「国際化社会ですから、誰でも英語ぐらい喋りたいですよね。あなたにピッタリの教材が……」
などと言って躙り寄ってくる者が居る。
どうして、その人物が英語を喋れない、と判ったのだろう。
「英語ぐらい」などという途轍もない発言を、それを母語とする人達が聞いたら、
どういう反応が返ってくると思っているのだろう。
国際化が聞いて呆れる。失礼を飛び越して、宣戦布告されないかと心配してしまう。

107:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 08:23:12.65 QOXru/4f.net
 この様に、「霊は実在する」「あなたは英語が出来ない」などと、
議論の前提を全く吟味せず、一方的に決めつけて、そこから話を始めるという論法が、
人を脅迫したり、不安がらせたりする事に日常的に使われている。
これは許し難い行為であり、使う方も使われる方も、犯罪に直結する極めて卑劣な行為である、
と明確に認識する必要がある。

108:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 08:36:10.42 QOXru/4f.net
 「オッカムの剃刀(かみそり)」と呼ばれる考え方がある。
これは不必要に実在を増やすな、という思考の節約を主張している。
或いは、物事の説明には、より簡単なものがあり、簡単な説明の方が真理に近い、
と言い替えても好いだろう。

109:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 08:38:47.20 QOXru/4f.net
 譬えば、「毎夜、自宅の床下から鋸(のこぎり)で人の首を切る音がする」
と言う人が居て、その人は「家に憑いた悪霊」の仕業だと主張するとしよう。
然し、実際には階下(かいか)で寝ている父親の歯軋り(はぎしり)である
可能性の方が遥かに高いだろう。

110:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 08:40:49.97 QOXru/4f.net
 恋人が「今だ!」と思った正にその瞬間に電話を掛けてくれたと感じても、
実際一日中電話を心待ちにしていたのであれば、何時だって「今」なのである。

111:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 08:48:15.08 QOXru/4f.net
 車のプレート番号を見て、「1234」だったとする。
これは珍しい滅多に出会えない番号かも知れないが、
何の変哲(へんてつ)もない「5792」であっても「3681」であっても、
それは同じくらい珍しい、共に一万台に一台の割合なのである。
「僕は一寸変った帽子を持っている。普通は前にある庇(ひさし)が後ろについているんだ!」
オッカムの剃刀は教えてくれる、「帽子の前後を間違えたんじゃないかね」と。

112:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 09:18:21.91 QOXru/4f.net
 この世界は、諸君の知性を試す実験場である。
欺瞞は至る所に溢れている。勿論、本書とて例外では有り得ない。
健全な知性とは、あらゆる事を疑い、それを自分自身で考え直す作業から生れる。
だからこそ、著者は自由に意見が言えるのである。
権威と呼ばれる人々が最も恐れるのはこの点である。
何を言っても聞いて貰えないのも辛いものだが、発言すべてを神の声の様にして、
丸飲みにされるのは尚(なお)怖い。
迂闊にモノが言えなくなる。
各人(かくじん)がそれぞれに発言出来る自由とは、一般的に言われている
「言論の自由」程度の事では得られない。
聞き取り側に十分な知性があって、初めて互いに自由な議論が行えるのである。

113:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 09:48:56.17 QOXru/4f.net
 「孔子(こうし)」も『論語(為政第二)』に於いて
“学びて思わざれば則ち(すなわ)ち罔(くら)し、
思うて学ばざれば即ち殆(あやう)し”
と諭したように、疑問を持ち、学び考え、そして考え学ぶ。
これがすべての始まり、知的活動の基本である。
即ち「本書を疑え、自分自身を疑え!」である。

114:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 10:03:30.42 QOXru/4f.net
 誠に残念ながら、現実の社会には本物の公平も平等も存在しない。
然し「真理」の前にはそれが在る。
真理は、純粋にそれを愛する者の為にだけ微笑むのである。
あらゆる権威に屈せず、真理の前での平等に憧れ、それを探求する事、
それ即ち学問である。
世の毀誉褒貶(きよほうへん)に微動だにせず、生涯を賭けて自分の信じる
学問を追求する者を学者と呼ぶ。
学者、何と素晴らしい仕事ではないか。
もし、諸君が、如何なる事柄に対しても、自分自身で確かめねば気が済まない、
という気質を持っているならば、資格は充分である。
学問を志し給え。
それは、精神の貴族にだけ許された、真理という名の絶対的平等が律する花園である。

115:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 11:01:05.27 QOXru/4f.net
■ものの見方

 「研究」を職業として専門的に行っている者は、ものの見方が非常に狭くなる危険性と常に向き合っている。
それは、俗に言うような、社会的な常識が欠けているだとか、趣味が偏っているとか、
ファッションセンスが無いだとかいった下らぬ話ではない。
そうした欠点は、若し、在ったとしても取るに足りないものである。
プロがプロとして一流である為には、友人との交際を犠牲にする場合もあれば、
服装や身の回りの雑事を蔑ろにする場合もある。
これは寧ろ当然至極な話で、誇りとはしても、他人に大きな迷惑でも掛けない限り、
恥じる点など些(いささ)かもない。
奇人・変人の“尊称(そんしょう)”は、喜んでお受けする所である。

116:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 11:08:31.00 QOXru/4f.net
 問題は、世俗に疎い点ではなく、数学自身の問題、専門家が自分自身の専門に関して、
非常に狭い考え方をしてしまう悪癖にある。

117:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 11:15:52.46 QOXru/4f.net
 例えば、数学者の場合だと、自分の理想とするスタイルでない研究に関して、
「あれは数学ではない」と声高らかに宣(のたま)う場合がある。
これは色々な分野の研究者が、屡々(しばしば)言う死刑宣告の言葉なので、
これを本気で真に受けていたら、殆どの数学の分野が「数学ではない」ことになってしまう程である。
この手の台詞は、勿論「分野」だけではなく、「個人」にも向けられるから、更に始末が悪い。

118:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 17:53:30.24 QOXru/4f.net
 数学に於いて、「厳密性」は基本である。
一部の隙もない議論こそが「普通」の議論であって、
そうでないものは議論の名に値しない、単なる雑談、おしゃべり、世間話と見做(みな)される。
これらは当然の事で、別に苦情を述べて始まるものではないが、
それは自省の意味を込めて言うべきものであって、
他人に、特に師弟関係でもない者に言う事は、時として問題を起こしてしまう。

119:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 18:30:43.48 QOXru/4f.net
 それは、嘗(かつ)て「とても数学とは呼べない」とされたものが、より深く研究され歴史を重ねて、
厳密性も一般性も獲得し、万人が認める立派な数学になった実例がある、
いや殆どすべての数学の分野は、実際はこの様な過程を経て漸く「数学」になったからである。
初めから、一般性を持ち、然も厳密である学問などある訳がない。
神ならぬ生身の人間の目指すものではない。
特徴を論じ長所短所を吟味する姿勢と、単に欠点を論(あげつら)いそれを拒む姿勢とは、
全く異なるものである。
然し、それでも尚、専門的な職業として何かを研究していると、
ついつい「そんなものは数学ではない」だとか
「それは所詮○○に過ぎない」だとかいった言葉を吐いては、
自分で勝手に納得してしまう危険性がある。

120:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 18:51:29.27 QOXru/4f.net
 そして、決定的に駄目なのは、碌な勉強もせず専門的な研究も行った経験の無い未熟な学生が、
この種の発言をしては専門家を気取り、自分に酔っては他人の向学心に水を差す思い上がった態度である。
逆に、折角の遣(や)る気を揶揄されて落胆している諸君は、些(いささ)かも気にする必要はない。
明日の数学を作るのは、今この時点では数学ではないものに決まっている―
何故なら、今既に数学になっているなら、明日、数学になることは出来ないからである。

121:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 20:29:23.03 QOXru/4f.net
 「数学の始まり」は何時か、何処の国の誰が初めて数学を作ったのか、
といった難題はそう易々と答えの出るものではない。
これまでギリシャの数学が、「数学の始まり」とされる場合が多かった。
これはギリシャ数学が、証明を非常に重要視しており、
それが我々の現代的な数学の感覚に適応しているからであろう。
然し、「証明」に拘泥しなければ、どうだろう。
証明のないもの、「そんなもには数学ではない」と簡単に結論を出さずに、
「数学の曙(あけぼの)」でも、何でも好いが、そうしたものをも含めて考えれば、
人類の文化の歴史を更に掘り下げて行けるだろう。
「あんなものは所詮計算練習に過ぎない」と言わずに、
古代人の足跡を辿っていき、考えられる最大限の譲歩をして、
数学を広く広くより広く考えていけば、その萌芽は、
人類の誕生と同時、或いは、知性の誕生と同時期から始まったのではないか、
と考えられるだろう。
人類創生の苛酷(かこく)な条件の中、生き残っていく為には、
獲物の確保から分配まで、数を数える行為から無縁で居られる筈がないからである。

122:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/08 20:36:57.13 QOXru/4f.net
 こうした考え方が、数学史的に見て意味があるか否かではなく、
数を数える行為も、図形を識別する行為も、その当時その当時の問題として見直せば、
最高の知性を要求された大難問であった筈(はず)だから、
虚心坦懐(きょしんたんかい)に一度古代人になってみよう、と諸君を誘惑しているのである。
斯(か)くの如く考えれば、アウストラロピテクスに始まる人類の歴史を、
数学を学ぶ前に復習しておくのも、決して無意味な体験ではあるまい。
いや、寧ろ積極的に科目の狭い範囲を超越して、鳥の様に全体を眺める立場から、
あれも数学、これも数学、と考えて取り組んでいく姿勢こそ、
青年に取って最も重要な事柄ではないか、と考えた次第である。

123:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 03:15:16.75 s9wF0/SI.net
■第一部の終りに

初めは数式を嫌い、それに怯え敬遠しても構わない。
然し、より深い内容を知りたい、と強く思った時には、数式を避けて真実に至る方法がない事、
譬えあるとしてもその道は極めて細く、その様な細い道を通る事こそ天才を要するのだ、
という事実に一刻も早く気づいて貰いたい。
文章だけを基に推論するのは、暗闇でジグソーパズルに興じる様なもので、
各部品の輪郭さえ判然としないだろう。

124:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 03:22:19.24 s9wF0/SI.net
 数学は、それを理解しようとする努力に見合う結果を、
小さな努力には小さな果実を、大きな努力には大きな果実を、我々に与えてくれる。
この点も数学の他に例のない、ずば抜けた特徴だと云えるだろう。
人生に於いて努力が正当な見返りを生む数少ない対象である、
是非とも勇気を持って学んで頂きたい。

125:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 03:44:25.42 s9wF0/SI.net
 「ニーチェ」も「超人ツァラトゥストラ」にこう語らせている。
高く登りたければ、自らの脚を用いよ!
高い所へは、他人によって運ばれるな、
他人の背中や頭に乗ってはならぬ!
誠の寄る辺とは、よく整えた自分自身でしか有り得ない。
全くの独力で、正に「自らの脚」だけに頼って、理解し得るのが数学の特徴なのである。

126:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 18:59:34.22 s9wF0/SI.net
 素読とは、声をあげて文章を読む事を云う。
唯、声をあげて読むだけなら音読であり、その反対は黙読であるが、
素読は文章の意味や内容を理解しているか否かを全く問題とせず、
ひたすら声をあげて読む点に特徴がある。
 何をするにも意味や内容を問い、容易に腰を上げない人が多い昨今であるが、
博士は「意味も解らず強制されて嫌々やった素読から、後年大きな収穫を得た」
と自著の中で述べておられる。

127:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 22:15:46.30 s9wF0/SI.net
(※対句省略)
「およそ天地は万物の逆旅(げきりょ)にして、光陰(こういん)は百代の過客(かかく)なり」
と読むが、その意味する所は
「空間とは宿屋の如きもので、そこを旅人たる物質が、時間と共に永遠に移り住んでいく」
という湯川博士の目指した物理学の理想を端的(たんてき)に表わしているのである。

128:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 22:17:41.70 s9wF0/SI.net
 この文章を受けて、俳聖「松尾芭蕉」は、自身の代表的著作である『奥の細道』に於いて
月日は百代の過客にして
行(ゆき)かふ年も又旅人なり
と詠んでいる。

129:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 22:40:15.06 s9wF0/SI.net
 素読と聞いて思い出す“西の雄”は、トロヤ遺跡を発掘したあのシュリーマンである。
彼は、語学に堪能であり、十数カ国語を読み書きした。
その学習方法は、以下の如きものであった。
「非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日一時間あてること、
つねに興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導に依って訂正すること、
毎日直されたものを暗記して、次の時間に暗誦することである。」
としている。また
「私はそれが文法書に記入してあるか、否かは知らないにしても、どのような文法の規則も知っている。
そしてだれかが私のギリシャ語の文章の誤りを発見するとしても、私はいつでもその表現方法が
正確である証拠を、私が使った言い回しの出所を、古典作家から人に暗誦してみせることによって、
しめすことができると思う。」
とも述べている。
更に彼は、大音量の素読の御蔭で、当時悩んでいた胸部の疾患も治ってしまった、
とその方法の附加的(ふかてき)な効能まで披露している。

130:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 23:08:57.98 s9wF0/SI.net
 実際、この方法により得られるものは、人により大いに異なるであろうが、
何れにしても、最初はこうした方法で取り組むことが、結局のところ一番無駄が
少ないように思われる。
何故ならば、文章に書いてある事の“本当の意味”など、
ある程度時間が経った後でなければ、理解し得るものではない。
実際、生涯を掛けても理解出来ない名言、至言も数多くある程だから、
意味が解らなければ読まない、というのであれば、初学者は何も読むものが
無くなってしまうだろう。

131:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 23:48:23.83 s9wF0/SI.net
 世の中には、涙を流して歯を食い縛っても覚えねばならない事柄もある。
若し、「1,2,3,の次は……、何だっけ?」なんて考え込んでしまったら、
五百万年前の段階に逆戻りである。

132:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 23:52:08.90 s9wF0/SI.net
 確かに覚える事は重要である。
然し一方で覚えなくてもよい、どうでもよいものも山の如くあるので、心配には及ばない。
丸暗記の詰まらない知識を、何でも彼(か)でも放り込んで、折角の大切な脳味噌を、
まるで「知識のゴミ箱」の様に扱っていると、生ゴミみたいに悪臭を放って、
却って面白くない嫌みな人間に成ってしまう。
今更言うまでもないだろうが、「何かを知っている」ことが、
そのまま尊い訳でも偉大な事でもないのである。

133:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/09 23:53:09.12 s9wF0/SI.net
 覚える事と考える事は、知性という名の車の両輪であり、
どちらが掛けても、その意味を失うのである。

134:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 03:36:42.27 6iVr405v.net
足し算を「加法」、        その結果を「和」
掛け算を「乗法(じょうほう)」  その結果を「積」

135:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 03:51:06.99 6iVr405v.net
引き算を「減法」、その結果を「差」
割り算を「除法」、その結果を「商」

136:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 03:54:42.59 6iVr405v.net
■自然数
足し算や掛け算なら自由に計算を行うことができるが、
引き算や割り算は自由に計算が出来るとは云えない

137:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 04:16:00.72 6iVr405v.net
自然数(正の整数)を素数の積で表わすことを「素因数分解」という.。
素数は 1 と自分以外の数では割り切れない数。
2 , 3 , 5 , 7 , 11 , 13 , 17 , ・・・ など。(よく使う素数 2 , 3 , 5 , 7 は覚えておく方がよい。)

138:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 05:11:03.81 6iVr405v.net
 我々人類は、太古の昔から、
「この世は何から出来ているのだろうか」と問い続けてきた。
物質を小さく小さく切り刻んでいけば、最後には何が残るだろうか、
一体何に行き着くのだろうか。

139:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 05:13:37.75 6iVr405v.net
 多くの天才達がこの謎の解明に死力を尽くした。
現在知られている中で、「一番最初にこの問題に取り組んだ」とされているのは、
ギリシャの哲学者「デモクリトス」である。
彼は師である「レウキッポス」の主張である
「あらゆる出来事には必然的な原因がある」
を受け継ぎ、更にそれを発展させて
「すべての物質は、それ以上分割不可能な小さな粒子から出来ている」
とした。この粒子を、デモクリトスは「アトム(atom)」と名付けた。

140:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 05:17:34.97 6iVr405v.net
 この哲学的な指針は、二千年を越える永続的な挑戦に結びつき、
十八世紀に漸(ようや)く「科学」としての華を咲かせた。
それまで、全くバラバラに調べられていた元素、
この世に存在するすべての物質を説明しようとして、一つ、また一つと
調べられてきた元素が、実は相互に見事な関係を以て存在している、
という事実が、ロシアの「メンデレーエフ」により発見されたのである。
これは現在、元素の「周期律表(しゅうきりつひょう)」として纏められている。

141:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 05:55:28.00 6iVr405v.net
 物理学者ファインマンは、地上のすべての知識が失われ、
後世(こうせい)に唯一つの文章しか残せないとしたら、
そこには、「原子仮設(atomic hypothesis)」、即ち
“All things are made of atoms―little particles that move around in
prepretual motion, attracting each other when they are a little
dis-tance apart, but repelling upon being squeezed into one another”
「すべてのものは原子から出来ている―その原子とは永久に動き続ける
小さな粒子であり、小さな距離しか離れていない時には互いに引っ張り合うが、
余りに近づき過ぎると互いに退け合う」
これこそが最も少ない言葉数で、最大の情報を後に続く者に遺(のこ)す方法である、
と彼は自身の手になる有名な教科書の冒頭に書いているのである。
この文章は、単に原子が存在する、という事実だけではなく、
それが「如何なる性質の力」を受けているかを明らかにしている。
我々は、デモクリトスの“哲学的な指針”から具体的な科学へと、大きく一歩を踏み出したのである。

142:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 06:26:15.35 6iVr405v.net
「水はH2Oである」などと書き、「水」が第一周期1A族にある「水素原子」
二つと、第二種周期6B族にある「酸素原子」一つが、化合して出来たもので
ある事を示すのである。これを
2H2 + O2 → 2H2O
と表す。
これは「数式」に対して「化学式」と呼ばれている。

143:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/10 06:27:57.15 6iVr405v.net
また、第三周期1A族の「ナトリウム」一つと、同周期7B族の「塩素」が化合すると
「食塩」が出来上がる。

144:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/14 16:05:28.42 hdeTw9b3.net
無限の記号を揮毫する

145:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/14 16:06:46.08 hdeTw9b3.net
無限の神秘を愉しむ事こそ、人間精神の自由性の現れなのであるから。
人間と動物を区別する最大の要素は、“無限”に対する理解と、
ある種の憧れにあるのかも知れない。

146:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/14 16:41:13.25 hdeTw9b3.net
 現在、我々は主に「アラビア数字」と「位取り」と呼ばれる数の表し方を用いて生活している。
使われる数字は全部で(1,2,3,4,5,6,7,8,9)の九個である。
如何なる大きな数でも、僅かこれだけの数字で表せるのである。
但しこの場合、それが右から数えて何番目に書かれたか、という位置に意味を持たせている。
これが「位取り」である。その為には、九個の数字とは別に「空き」を表す記号が必要になってくる。

147:竹郷 ◆dx03TDrXVVl0
17/01/14 17:24:05.81 hdeTw9b3.net
 コンピュータに興味のある諸君は、キーボードの真中下にある「スペース・キー」を知っているだろう。
日本語は大変素晴らしい言葉で、縦にも横にも書け、然も、間を空けずに続けて書いて意味が通じる
―日本語は膠着語(こうちゃくご)なのである。
ところが、英語は縦には書けず、「I am a pen.」(吾輩はペンである)という様に、
単語と単語の間に隙間―スペース―を空けて書かなければ「Iamapen」
では文に成らない。即ち、英語は「隙間」も一つの意味を担っている訳である。
従って、「英語がアルファベット26文字から成る」というのは、余りにも極端な表現であって、
最低でも隙間を入れた27文字が必要なのである。


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