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250:( ´∀`)さん
19/03/05 21:53:02.27 PFfXMclW0.net
これについてマルクスは「私の婚約者は、私のために最も苦しい闘い ―天上の主とベルリンの主を崇拝する信心深い貴族的な親類どもに対する闘い― を戦ってくれた。

251:( ´∀`)さん
19/03/05 21:53:05.07 EymVe3U00.net
はいあと750〜

252:( ´∀`)さん
19/03/05 21:53:18.64 PFfXMclW0.net
そのためにほとんど健康も害したほどである」と述べている[149]。

253:( ´∀`)さん
19/03/05 21:53:36.48 PFfXMclW0.net
マルクスの再勉強はヘーゲル批判から始まった[150]。

254:( ´∀`)さん
19/03/05 21:53:44.31 PFfXMclW0.net
その勉強の中で『キリスト教の本質(ドイツ語版)』(1841年)を著したフォイエルバッハの人間主義的唯物論から強い影響を受けるようになった。

255:( ´∀`)さん
19/03/05 21:53:53.67 PFfXMclW0.net
フォイエルバッハ以前の無神論者たちはまだ聖書解釈学の範疇から出ていなかったが、フォイエルバッハはそれを更に進めて神学を人間学にしようとした[151][152]。

256:( ´∀`)さん
19/03/05 21:54:00.84 PFfXMclW0.net
彼は「人間は個人としては有限で無力だが、類(彼は共同性を類的本質と考えていた[153])としては無限で万能である。

257:( ´∀`)さん
19/03/05 21:56:13.59 PFfXMclW0.net
神という概念は類としての人間を人間自らが人間の外へ置いた物に過ぎない」「つまり神とは人間である」「ヘーゲル哲学の言う精神あるいは絶対的な物という概念もキリスト教の言うところの神を難しく言い換えたに過ぎない」といった主張を行うことによって「絶対者」を「人間」に置き換えようとし、
さらに「歴史の推進力は精神的なものではなく、物質的条件の総和であり、これがその中で生きている人間に思考し行動させる」として「人間」を「物質」と解釈した[154][155][156][157]。

258:( ´∀`)さん
19/03/05 21:56:21.73 PFfXMclW0.net
マルクスはこの人間主義的唯物論に深く共鳴し、後に『聖家族』の中で「フォイエルバッハは、ヘーゲル哲学の秘密を暴露し、精神の弁証法を絶滅させた。

259:( ´∀`)さん
19/03/05 21:56:30.64 PFfXMclW0.net
つまらん『無限の自己意識』に代わり、『人間』を据え置いたのだ」と評価した[158]。

260:( ´∀`)さん
19/03/05 21:56:40.85 PFfXMclW0.net
マルクスはこの1843年に弁証法と市民社会階級の対立などの社会科学的概念のみ引き継いでヘーゲル哲学の観念的立場から離れ、フォイエルバッハの人間主義の立場に立つようになったといえる[159][160]。

261:( ´∀`)さん
19/03/05 21:56:50.46 PFfXMclW0.net
マルクスは1843年3月から8月にかけて書斎に引きこもって『ヘーゲル国法論批判(Kritik des Hegelschen Staatsrechts)』の執筆にあたった[159][161]。

262:( ´∀`)さん
19/03/05 21:56:57.39 PFfXMclW0.net
これはフォイエルバッハの人間主義の立場からヘーゲルの国家観を批判したものである。

263:( ´∀`)さん
19/03/05 21:57:05.91 PFfXMclW0.net
ヘーゲルは「近代においては政治的国家と市民社会が分離しているが、市民社会は自分のみの欲求を満たそうとする欲望の体系であるため、そのままでは様々な矛盾が生じる。

264:( ´∀`)さん
19/03/05 21:57:14.38 PFfXMclW0.net
これを調整するのが国家であり、それを支えるのが優れた国家意識をもつ中間身分の官僚制度である。

265:( ´∀`)さん
19/03/05 21:57:24.81 PFfXMclW0.net
また市民社会は身分(シュタント)という特殊体系をもっており、これにより利己的な個人は他人と結び付き、国会(シュテンデ)を通じて国家の普遍的意志と結合する」と説くが[162]、これに対してマルクスは国家と市民社会が分離しているという議論には賛同しつつ[163]、官僚政治や身分や国会が両者の媒介役を務めるという説には反対した[164]。

266:( ´∀`)さん
19/03/05 21:57:37.13 PFfXMclW0.net
国家を主体化するヘーゲルに反対し、人間こそが具体物であり、国は抽象物に過ぎないとして「人間を体制の原理」とする「民主制」が帰結と論じ、「民主制のもとでは類(共同性)が実在としてあらわれる」と主張する。

267:( ´∀`)さん
19/03/05 21:57:42.22 PFfXMclW0.net
この段階では「民主制」という概念で語ったが、後にマルクスはこれを共産主義に置き換えて理解していくことになる[165]。

268:( ´∀`)さん
19/03/05 21:57:52.76 PFfXMclW0.net
『独仏年誌』の発刊場所についてマルクスはフランス王国領ストラスブールを希望していたが、ルーゲやヘスたちは検閲がフランスよりも緩めなベルギー王国王都ブリュッセルを希望した。

269:( ´∀`)さん
19/03/05 21:57:58.72 PFfXMclW0.net
しかし最終的には印刷環境がよく、かつドイツ人亡命者が多いフランス王都パリに定められた[166][167][168]。

270:( ´∀`)さん
19/03/05 21:58:06.14 PFfXMclW0.net
こうしてマルクスは1843年10月から新妻とともにパリへ移住し、ルーゲが用意したフォーブール・サンジェルマン(フランス語版)の共同住宅でルーゲとともに暮らすようになった[169][170]。

271:( ´∀`)さん
19/03/05 21:58:41.55 PFfXMclW0.net
1844年2月に『独仏年誌』1号2号の合併号が出版された。

272:( ´∀`)さん
19/03/05 21:59:08.10 PFfXMclW0.net
マルクスとルーゲのほか、ヘスやハイネ、エンゲルスが寄稿した[171][172][173]。

273:( ´∀`)さん
19/03/05 21:59:19.45 PFfXMclW0.net
このうち著名人といえる者はハイネのみだった。

274:( ´∀`)さん
19/03/05 21:59:26.40 PFfXMclW0.net
ハイネはパリ在住時代にマルクスが親しく付き合っていたユダヤ人の亡命詩人であり、その縁で一篇の詩を寄せてもらったのだった[172][173][注釈 11]。

275:( ´∀`)さん
19/03/05 21:59:33.68 PFfXMclW0.net
エンゲルスは父が共同所有するイギリスの会社で働いていたブルジョワの息子だった。

276:( ´∀`)さん
19/03/05 21:59:40.85 PFfXMclW0.net
マルクスが『ライン新聞』編集長をしていた1842年11月に二人は初めて知り合い、以降エンゲルスはイギリスの社会状況についての論文を『ライン新聞』に寄稿するようになっていた[175][176]。

277:( ´∀`)さん
19/03/05 21:59:46.90 PFfXMclW0.net
エンゲルスは当時全くの無名の人物だったが、誌面を埋めるために論文を寄せてもらった[173]。

278:( ´∀`)さん
19/03/05 21:59:54.64 PFfXMclW0.net
マルクスは尊敬するフォイエルバッハにも執筆を依頼していたが、断られている[177]。

279:( ´∀`)さん
19/03/05 22:00:04.43 PFfXMclW0.net
マルクス自身はこの創刊号にルーゲへの手紙3通と『ユダヤ人問題によせて』と『ヘーゲル法哲学批判序説(ドイツ語版)』という2つの論文を載せている[178][177][139]。

280:( ´∀`)さん
19/03/05 22:00:13.77 PFfXMclW0.net
この中でマルクスは「ユダヤ人はもはや宗教的人種的存在ではなく、隣人から被った扱いによって貸金業その他職業を余儀なくされている純然たる経済的階級である。

281:( ´∀`)さん
19/03/05 22:00:20.26 PFfXMclW0.net
だから彼らは他の階級が解放されて初めて解放される。

282:( ´∀`)さん
19/03/05 22:00:35.47 PFfXMclW0.net
大事なことは政治的解放(国家が政治的権利や自由を与える)ではなく、市民社会からの人間的解放だ。」[179][180]、「哲学が批判すべきは宗教ではなく、人々が宗教という阿片に頼らざるを得ない人間疎外の状況を作っている国家、市民社会、そしてそれを是認するヘーゲル哲学である」[181]、「今や先進国では近代(市民社会)からの人間解放が問題となっているが、ドイツはいまだ前近代の封建主義である。

283:( ´∀`)さん
19/03/05 22:00:46.20 PFfXMclW0.net
ドイツを近代の水準に引き上げたうえ、人間解放を行うためにはどうすればいいのか。

284:( ´∀`)さん
19/03/05 22:00:54.73 PFfXMclW0.net
それは市民社会の階級でありながら市民から疎外されているプロレタリアート階級が鍵となる。

285:( ´∀`)さん
19/03/05 22:01:03.12 PFfXMclW0.net
この階級は市民社会の他の階級から自己を解放し、さらに他の階級も解放しなければ人間解放されることがないという徹底的な非人間状態に置かれているからだ。

286:( ´∀`)さん
19/03/05 22:01:11.77 PFfXMclW0.net
この階級はドイツでも出現し始めている。この階級を心臓とした人間解放を行え」といった趣旨のことを訴えた[182][183][184][185]。

287:( ´∀`)さん
19/03/05 22:01:19.86 PFfXMclW0.net
こうしていよいよプロレタリアートに注目するようになったマルクスだが、一方で既存の共産主義にはいまだ否定的な見解を示しており、この段階では人間解放を共産革命と想定していたわけではないようである。

288:( ´∀`)さん
19/03/05 22:01:34.43 PFfXMclW0.net
もっともローレンツ・フォン・シュタインが紹介した共産主義者の特徴「プロレタリアートを担い手とする社会革命」と今やほとんど類似していた[186]。

289:( ´∀`)さん
19/03/05 22:01:42.24 PFfXMclW0.net
しかし結局『独仏年誌』はハイネの詩が載っているということ以外、人々の関心をひかなかった[187]。

290:( ´∀`)さん
19/03/05 22:01:49.95 PFfXMclW0.net
当時パリには10万人のドイツ人がいたが、そのうち隅から隅まで読んでくれたのは一人だけだった。

291:( ´∀`)さん
19/03/05 22:01:58.93 PFfXMclW0.net
まずいことにそれは駐フランス・プロイセン大使だった。

292:( ´∀`)さん
19/03/05 22:02:13.64 PFfXMclW0.net
大使は直ちにこの危険分子たちのことをベルリン本国に報告した[188]。

293:( ´∀`)さん
19/03/05 22:02:22.14 PFfXMclW0.net
この報告を受けてプロイセン政府は国境で待ち伏せて、プロイセンに送られてきた『独仏年誌』を全て没収した(したがってこれらの分は丸赤字)。

294:( ´∀`)さん
19/03/05 22:02:30.35 PFfXMclW0.net
さらに「マルクス、ルーゲ、ハイネの三名はプロイセンに入国次第、逮捕する」という声明まで出された[189][190][191]。

295:( ´∀`)さん
19/03/05 22:02:39.43 PFfXMclW0.net
スイスにあった出版社は赤字で倒産し、『独仏年誌』は創刊号だけで廃刊せざるをえなくなった[192][193][194][191]。

296:( ´∀`)さん
19/03/05 22:02:52.71 PFfXMclW0.net
マルクスはルーゲが金の出し惜しみをしたせいで廃刊になったと考え、ルーゲを批判した[195]。

297:( ´∀`)さん
19/03/05 22:03:04.26 PFfXMclW0.net
そのため二人の関係は急速に悪化し、ルーゲはマルクスを「恥知らずのユダヤ人」、マルクスはルーゲを「山師」と侮辱しあうようになった。

298:( ´∀`)さん
19/03/05 22:03:10.83 PFfXMclW0.net
二人はこれをもって絶縁した。

299:( ´∀`)さん
19/03/05 22:03:15.90 PFfXMclW0.net
後にマルクスもルーゲもロンドンで30年暮らすことになるが、その間も完全に没交渉だった[196]。

300:( ´∀`)さん
19/03/05 22:03:52.02 PFfXMclW0.net
☆続きはまた明日

301:( ´∀`)さん
19/03/06 09:35:55.68 xvvFhnVI0.net
>>1はAAのスレッドを立てただけなのに全く無関係な概念を持ち出して因縁をつけてついに埋め出した
基地外しかいない

302:( ´∀`)さん
19/03/06 11:20:25.77 f5H1DQvU0.net
ここの住民なのだが、何のことかわからないので調べてみたけどウィキペディアにスレタイと似た名前の利用者がいたってだけでウィキペディアスレッドの住民が荒らしているのか?
ウィキペディア住民は趣味一般板も荒らしまくっているし、スレッドの書き込み内容見ても程度があまりにも低い。どうしてそんな連中がここで1を荒らし呼ばわりして叩いているのか?
あまりにも異常すぎる。

303:( ´∀`)さん
19/03/06 18:59:03.72 rB2dX5Eh0.net
>>1はあちこちの板・スレをマルチポストで攻撃して荒らしたなのに全くそれを自覚せず開き直りぶちきれてついに自分でスレを埋め出した
基地外でしかない

304:( ´∀`)さん
19/03/06 19:31:07.93 f5H1DQvU0.net
>>303
その根拠はあるんですか?

305:( ´∀`)さん
19/03/06 20:30:47.23 bwMQsX4v0.net
埋めたてマダ-? チンチン╰U╯

306:( ´∀`)さん
19/03/06 21:57:08.85 jjDH+NLd0.net
>>303
ウィキペディアの基地外はとうとう埋め役の自分まで>>1にしたのか
>>302
そんなことを言っても通じるような人間ではないですよ
ウィキペディアから来た基地外荒らしは
何でも>>1だと言うことにすれば、自分の荒らし行為が正当化できると思っているのでしょう
自分はウィキペディアの荒らしが粘着過ぎるので埋めたいだけ
AA板を正常化したいだけ
>>305
しばらくお待ちを

307:( ´∀`)さん
19/03/06 22:15:22.56 jjDH+NLd0.net
☆さあ、埋めよう!

308:( ´∀`)さん
19/03/06 22:15:33.69 jjDH+NLd0.net
マルクスは『独仏年誌』に寄稿された論文のうち、エンゲルスの『国民経済学批判大綱(Umrisse zu einer Kritik der Nationalökonomie)』に強い感銘を受けた[197][198]。

309:( ´∀`)さん
19/03/06 22:15:40.42 jjDH+NLd0.net
エンゲルスはこの中でイギリス産業に触れた経験から私有財産制やそれを正当化するアダム・スミス、リカード、セイなどの国民経済学(古典派経済学)を批判した[199]。

310:( ´∀`)さん
19/03/06 22:15:49.18 jjDH+NLd0.net
これに感化されたマルクスは経済学や社会主義、フランス革命についての研究を本格的に行うようになった。

311:( ´∀`)さん
19/03/06 22:15:57.16 jjDH+NLd0.net
アダム・スミス、リカード、セイ、ジェームズ・ミル等の国民経済学者の本、またサン=シモン、フーリエ、プルードン等の社会主義者の本を読み漁った[197]。

312:( ´∀`)さん
19/03/06 22:16:04.88 jjDH+NLd0.net
この時の勉強のノートや草稿の一部をソ連のマルクス・エンゲルス・レーニン研究所が1932年に編纂して出版したのが『経済学・哲学草稿(ドイツ語版)』である[200][201]。

313:( ´∀`)さん
19/03/06 22:16:12.71 jjDH+NLd0.net
その中でマルクスは「国民経済学者は私有財産制の運動法則を説明するのに労働を生産の中枢と捉えても、労働者を人間としては認めず、労働する機能としか見ていない」点を指摘する[202]。

314:( ´∀`)さん
19/03/06 22:16:23.69 jjDH+NLd0.net
またこれまでマルクスは「類としての人間」の本質をフォイエルバッハの用法そのままに「共同性・普遍性」という意味で使ってきたが、経済学的見地から「労働する人間」と明確に規定するようになった[203][204]。

315:( ´∀`)さん
19/03/06 22:16:31.79 jjDH+NLd0.net
「生産的労働を行って、人間の類的本質を達成することが人間の本来的あり方」「しかし市民社会では生産物は労働者の物にはならず、労働をしない資本家によって私有・独占されるため、労働者は自己実現できず、疎外されている」と述べている[205][206]。

316:( ´∀`)さん
19/03/06 22:16:36.75 jjDH+NLd0.net
またこの中でマルクスはいよいよ自分の立場を共産主義と定義するようになった[207]。

317:( ´∀`)さん
19/03/06 22:16:44.39 jjDH+NLd0.net
1844年8月から9月にかけての10日間エンゲルスがマルクス宅に滞在し、2人で最初の共著『聖家族』を執筆を約束する。これ以降2人は親しい関係となった[208][209]。

318:( ´∀`)さん
19/03/06 22:16:52.80 jjDH+NLd0.net
この著作はバウアー派を批判したもので、「完全なる非人間のプロレタリアートにこそ人間解放という世界史的使命が与えられている」「しかしバウアー派はプロレタリアートを侮蔑して自分たちの哲学的批判だけが進歩の道だと思っている。

319:( ´∀`)さん
19/03/06 22:17:01.45 jjDH+NLd0.net
まことにおめでたい聖家族どもである」「ヘーゲルの弁証法は素晴らしいが、一切の本質を人間ではなく精神に持ってきたのは誤りである。

320:( ´∀`)さん
19/03/06 22:17:07.69 jjDH+NLd0.net
神と人間が逆さまになっていたように精神と人間が逆さまになっている。だからこれをひっくり返した新しい弁証法を確立せねばならない」と訴えた[210]。

321:( ´∀`)さん
19/03/06 22:17:16.35 jjDH+NLd0.net
また1844年7月にルーゲが『フォールヴェルツ(ドイツ語版)』誌にシュレージエンで発生した織り工の一揆について「政治意識が欠如している」と批判する匿名論文を掲載したが、これに憤慨したマルクスはただちに同誌に反論文を送り、「革命の肥やしは政治意識ではなく階級意識」としてルーゲを批判し、シュレージエンの一揆を支持した[211][212][213]。

322:( ´∀`)さん
19/03/06 22:17:21.77 jjDH+NLd0.net
マルクスはこれ以外にも23もの論文を同誌に寄稿した[214]。

323:( ´∀`)さん
19/03/06 22:17:29.38 jjDH+NLd0.net
しかしこの『フォールヴェルツ』誌は常日頃プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世を批判していたため、プロイセン政府から目を付けられていた。

324:( ´∀`)さん
19/03/06 22:17:37.19 jjDH+NLd0.net
プロイセン政府はフランス政府に対して同誌を取り締まるよう何度も圧力をかけており、ついに1845年1月、フランス外務大臣フランソワ・ギゾーは、内務省を通じてマルクスはじめ『フォールヴェルツ』に寄稿している外国人を国外追放処分とした[215][216][214][217][218]。

325:( ´∀`)さん
19/03/06 22:17:54.72 jjDH+NLd0.net
こうしてマルクスはパリを去らねばならなくなった。

326:( ´∀`)さん
19/03/06 22:18:04.03 jjDH+NLd0.net
パリ滞在は14か月程度であったが、マルクスにとってこの時期は共産主義思想を確立する重大な変化の時期となった[219]。

327:( ´∀`)さん
19/03/06 22:18:13.25 jjDH+NLd0.net
マルクス一家は1845年2月にパリを離れ、ベルギー王都ブリュッセルに移住した[220][221]。

328:( ´∀`)さん
19/03/06 22:18:21.67 jjDH+NLd0.net
ベルギー王レオポルド1世は政治的亡命者に割と寛大だったが、それでもプロイセン政府に目を付けられているマルクスがやって来ることには警戒した。

329:( ´∀`)さん
19/03/06 22:18:29.37 jjDH+NLd0.net
マルクスはベルギー警察の求めに応じて「ベルギーに在住する許可を得るため、私は現代の政治に関するいかなる著作もベルギーにおいては出版しないことを誓います。」という念書を提出した[216][222]。

330:( ´∀`)さん
19/03/06 22:18:37.20 jjDH+NLd0.net
しかし、マルクスはこの確約は政治に参加しないことを意味するものではないと解釈し、以後も政治的な活動を続けた[223]。

331:( ´∀`)さん
19/03/06 22:18:44.03 jjDH+NLd0.net
またプロイセン政府はベルギー政府にも強い圧力をかけてきたため、マルクスは「北アメリカ移住のため」という名目でプロイセン国籍を正式に離脱した。以降マルクスは死ぬまで無国籍者であった[224]。

332:( ´∀`)さん
19/03/06 22:18:59.22 jjDH+NLd0.net
ブリュッセルにはマルクス以外にもドイツからの亡命社会主義者が多く滞在しており、ヘス、詩人フェルディナント・フライリヒラート、元プロイセン軍将校のジャーナリストであるヨーゼフ・ヴァイデマイヤー(ドイツ語版)、学校教師のヴィルヘルム・ヴォルフ(ドイツ語版)、マルクスの義弟エドガー・フォン・ヴェストファーレン(ドイツ語版)などがブリュッセルを往来した[225]。

333:( ´∀`)さん
19/03/06 22:19:16.75 jjDH+NLd0.net
1845年4月にはエンゲルスもブリュッセルへ移住してきた[226]。この頃からエンゲルスに金銭援助してもらうようになる[227]。

334:( ´∀`)さん
19/03/06 22:19:29.88 jjDH+NLd0.net
1845年夏からエンゲルスとともに『ドイツ・イデオロギー』を共著したが、出版社を見つけられず、この作品は二人の存命中には出版されることはなかった[228][229][230]。

335:( ´∀`)さん
19/03/06 22:19:41.02 jjDH+NLd0.net
この著作の中でマルクスとエンゲルスは「西欧の革新的な哲学も封建主義的なドイツに入ると頭の中だけの哲学的空論になってしまう。大事なのは実践であり革命」と訴え、バウアーやフォイエルバッハらヘーゲル後の哲学者、またヘスやカール・グリューンら「真正社会主義者」[注釈 12]に批判を加えている[232][233]。

336:( ´∀`)さん
19/03/06 22:19:57.81 jjDH+NLd0.net
マルクスは同じころに書いたメモ『フォイエルバッハに関するテーゼ』の中でもフォイエルバッハ批判を行っており、その中で「生産と関連する人間関係が歴史の基礎であり、宗教も哲学も道徳も全てその基礎から生まれた」と主張し、マルクスの最大の特徴ともいうべき唯物史観を萌芽させた[234]。

337:( ´∀`)さん
19/03/06 22:23:33.57 jjDH+NLd0.net
さらに1847年には『哲学の貧困』を著した。

338:( ´∀`)さん
19/03/06 22:23:44.51 jjDH+NLd0.net
これはプルードンの著作『貧困の哲学(仏:Système des contradictions économiques ou Philosophie de la misère)』を階級闘争の革命を目指さず、漸進主義ですませようとしている物として批判したものである[235]。

339:( ´∀`)さん
19/03/06 22:23:50.90 jjDH+NLd0.net
この中でマルクスは「プルードンは労働者の賃金とその賃金による労働で生産された生産物の価値が同じだと思っているようだが、実際には賃金の方が価値が低い。

340:( ´∀`)さん
19/03/06 22:23:57.57 jjDH+NLd0.net
低いから労働者は生産物と同じ価値の物を手に入れられない。したがって労働者は働いて賃金を得れば得るほど貧乏になっていく。つまり賃金こそが労働者を奴隷にしている」と主張し、剰余価値理論を萌芽させた[236]。

341:( ´∀`)さん
19/03/06 22:24:04.36 jjDH+NLd0.net
また「生産力が増大すると人間の生産様式は変わる。生産様式が変わると社会生活の様式も変わる。思想や社会関係もそれに合わせて変化していく。

342:( ´∀`)さん
19/03/06 22:24:12.47 jjDH+NLd0.net
古い経済学はブルジョワ市民社会のために生まれた思想だった。

343:( ´∀`)さん
19/03/06 22:24:22.45 jjDH+NLd0.net
そして今、共産主義が労働者階級の思想となり、市民社会を打ち倒すことになる」と唯物史観を展開して階級闘争の必然性を力説する[237]。

344:( ´∀`)さん
19/03/06 22:24:28.98 jjDH+NLd0.net
そして「プルードンは、古い経済学と共産主義を両方批判し、貧困な弁証法哲学で統合しようとする小ブルジョアに過ぎない」と結論している[238]。

345:( ´∀`)さん
19/03/06 22:24:36.78 jjDH+NLd0.net
1847年末にはドイツ労働者協会の席上で労働者向けの講演を行ったが、これが1849年に『新ライン新聞』上で『賃金労働と資本(ドイツ語版)』としてまとめられるものである。

346:( ´∀`)さん
19/03/06 22:24:45.63 jjDH+NLd0.net
その中で剰余価値理論(この段階ではまだ剰余価値という言葉を使用していないが)をより後の『資本論』に近い状態に発展させた。

347:( ´∀`)さん
19/03/06 22:24:52.27 jjDH+NLd0.net
「賃金とは労働力という商品の価格である。

348:( ´∀`)さん
19/03/06 22:24:58.64 jjDH+NLd0.net
本来労働は、人間自身の生命の活動であり、自己実現なのだが、労働者は他に売るものがないので生きるためにその力を売ってしまった。

349:( ´∀`)さん
19/03/06 22:25:09.45 jjDH+NLd0.net
したがって彼の生命力の発現の労働も、その成果である生産物も彼の物ではなくなっている(労働・生産物からの疎外)。」[239]、「商品の価格は、その生産費、つまり労働時間によってきまる。労働力という商品の価格(賃金)も同様である。

350:( ´∀`)さん
19/03/06 22:25:22.45 jjDH+NLd0.net
労働力の生産費、つまり生活費で決まる」[240]、「資本家は労働力を購入して、そしてその購入費以上に労働をさせて労働力を搾取することで資本を増やす。

351:( ´∀`)さん
19/03/06 22:25:39.93 jjDH+NLd0.net
資本が増大すればブルジョワの労働者への支配力も増す。賃金労働者は永久に資本に隷従することになる。」といった主旨のことを述べている[241]。

352:( ´∀`)さん
19/03/06 22:25:51.48 jjDH+NLd0.net
パリ時代のマルクスは革命活動への参加に慎重姿勢を崩さなかったが、唯物史観から「プロレタリア革命の必然性」を確信するようになった今、マルクスに革命を恐れる理由はなかった。

353:( ´∀`)さん
19/03/06 22:26:08.49 jjDH+NLd0.net
「現在の問題は実践、つまり革命である」と語るようになった[242]。

354:( ´∀`)さん
19/03/06 22:26:34.08 jjDH+NLd0.net
1846年2月にはエンゲルス、ヘス、義弟エドガー・フォン・ヴェストファーレン(ドイツ語版)、フェルディナント・フライリヒラート、ヨーゼフ・ヴァイデマイヤー(ドイツ語版)、ヴィルヘルム・ヴァイトリング、ヘルマン・クリーゲ(ドイツ語版)、
エルンスト・ドロンケ(ドイツ語版)らとともにロンドンのドイツ人共産主義者の秘密結社「正義者同盟」との連絡組織として「共産主義通信委員会」をブリュッセルに創設している[243][244][245]。

355:( ´∀`)さん
19/03/06 22:26:44.43 jjDH+NLd0.net
しかしマルクスの組織運営は独裁的と批判される。創設してすぐにヴァイトリングとクリーゲを批判して除名する。

356:( ´∀`)さん
19/03/06 22:26:51.11 jjDH+NLd0.net
そのあとすぐモーゼス・ヘスが除名される前に辞任した。

357:( ´∀`)さん
19/03/06 22:26:59.13 jjDH+NLd0.net
マルクスは瞬く間に「民主的な独裁者」の悪名をとるようになる[246][247]。

358:( ´∀`)さん
19/03/06 22:27:06.77 jjDH+NLd0.net
その一方、マルクスはフランスのプルードンに参加を要請したが、「運動の最前線にいるからといって、新たな不寛容の指導者になるのはやめましょう」と断られている。

359:( ´∀`)さん
19/03/06 22:27:17.03 jjDH+NLd0.net
この数カ月後にマルクスは上記の『哲学の貧困』でプルードン批判を開始する[248]。

360:( ´∀`)さん
19/03/06 22:27:25.28 jjDH+NLd0.net
新たな参加者が現れず、停滞気味の中の1847年1月、ロンドン正義者同盟のマクシミリアン・ヨーゼフ・モル(ドイツ語版)がマルクスのもとを訪れ、マルクスの定めた綱領の下で両組織を合同させることを提案した。

361:( ´∀`)さん
19/03/06 22:27:34.79 jjDH+NLd0.net
マルクスはこれを許可し、6月のロンドンでの大会で共産主義通信委員会は正義者同盟と合同し、国際秘密結社「共産主義者同盟 (1847年)」を結成することを正式に決議した[249][250]。

362:( ´∀`)さん
19/03/06 22:27:44.38 jjDH+NLd0.net
またマルクスの希望でプルードン、ヴァイトリング、クリーゲの三名を「共産主義の敵」とする決議も出された[251]。

363:( ´∀`)さん
19/03/06 22:27:54.36 jjDH+NLd0.net
合同によりマルクスは共産主義者同盟ブリュッセル支部長という立場になった[251]。

364:( ´∀`)さん
19/03/06 22:28:02.17 jjDH+NLd0.net
11月にロンドンで開催された第二回大会に出席し、同大会から綱領作成を一任されたマルクスは1848年の2月革命直前までに小冊子『共産党宣言』を完成させた[252][253]。

365:( ´∀`)さん
19/03/06 22:28:20.67 jjDH+NLd0.net
一応エンゲルスとの共著となっているが、ほとんどマルクスが一人で書いたものだった[254]。

366:( ´∀`)さん
19/03/06 22:28:26.41 jjDH+NLd0.net
この『共産党宣言』は「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。

367:( ´∀`)さん
19/03/06 22:28:36.77 jjDH+NLd0.net
共産主義という名の妖怪が」という有名な序文で始まる。

368:( ´∀`)さん
19/03/06 22:28:45.76 jjDH+NLd0.net
ついで第一章冒頭で「これまでに存在したすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」と定義し、第一章と第二章でプロレタリアが共産主義革命でブルジョワを打倒することは歴史的必然であると説く[255][256]。

369:( ´∀`)さん
19/03/06 22:28:55.62 jjDH+NLd0.net
さらに第三章では「似非社会主義・共産主義」を批判する[注釈 13]。

370:( ´∀`)さん
19/03/06 22:29:06.01 jjDH+NLd0.net
そして最終章の第四章で具体的な革命の行動指針を定めているが、その中でマルクスは、封建主義的なドイツにおいては、ブルジョワが封建主義を打倒するブルジョワ革命を目指す限りはブルジョワに協力するが、その場合もブルジョワへの対立意識を失わず、封建主義体制を転覆させることに成功したら、ただちにブルジョワを打倒するプロレタリア革命を開始するとしている[258]。

371:( ´∀`)さん
19/03/06 22:29:24.75 jjDH+NLd0.net
そして最後は以下の有名な言葉で締めくくった。

372:( ´∀`)さん
19/03/06 22:29:34.34 jjDH+NLd0.net
共産主義者はこれまでの全ての社会秩序を暴力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。

373:( ´∀`)さん
19/03/06 22:29:46.06 jjDH+NLd0.net
支配階級よ、共産主義革命の前に恐れおののくがいい。

374:( ´∀`)さん
19/03/06 22:29:54.17 jjDH+NLd0.net
プロレタリアは革命において鎖以外に失う物をもたない。

375:( ´∀`)さん
19/03/06 22:30:01.38 jjDH+NLd0.net
彼らが獲得する物は全世界である。万国のプロレタリアよ、団結せよ[259]。

376:( ´∀`)さん
19/03/06 22:30:16.85 jjDH+NLd0.net
1847年の恐慌による失業者の増大でかねてから不穏な空気が漂っていたフランス王都パリで1848年2月22日に暴動が発生し、24日にフランス王ルイ・フィリップが王位を追われて共和政政府が樹立される事件が発生した(2月革命)[260][261][注釈 14]。


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