重度の覚せい剤中毒で鑑別所出身の元ヤン風俗嬢だった私が・・ at BOOKALL
[2ch|▼Menu]
[前50を表示]
200:この名無しがすごい!
21/02/02 03:34:49.84 pv0MdIOr.net
る一人のパートの先輩看護師は、田村さんが私の為に心を鬼にして接してくれているのに、私に何にも伝わらないことに対して泣いた。田村さんの方も、ここまで“心を鬼”にして色々言っているのに、私が全てを聞き流すために、今まで以上に色々と厳しく言ってくるようになった。日に日に田村さんとの距離感がおかしくなってきた。私は、田村さんとの関係が悪化すればするほどダンスに逃避し、休みの日は1日に7時間でも8時間でもダンスをするようになり、完全なる“踊り狂い”になっていた。さらに私は極度の偏食症に陥っており、毎日毎日決められたものを決められただけしか食べられなくなり、脂質を毎日5g以下に制限するようになった。日に日に痩せてきて、肌もガッサガサになってきた。大川先生や職場の先輩看護師に「最近変だよ」と言われても、自分では変だなんて微塵も感じなかった。それに、どんなことがあっても心の中で全部“なかったこと”にしていたため、意識的に辛いなんて思ったことは一度もなかった。もし何かを考えそうになったら脱法ハーブを吸引したり、泥酔するまでお酒を飲んだ。

201:この名無しがすごい!
21/02/02 03:35:00.64 pv0MdIOr.net
そして11月の下旬あたりから、ついに私は仕事をさせてもらえなくなった。最初の2週間は“負けるもんか”って意地になって仕事をさせてもらえなくても職場に行っていたが、だんだん職場に行くのがアホらしくなってきた。そして私は、うつ病でもないくせに、近所のクリニックで“うつ病の診断書”を書いてもらい、仕事を病欠という扱いで欠勤し始めた。
12月上旬、私はC市のデリヘルで働き始めた。もう風俗以外に、対価を得る手段はないというところまで精神状態が落ちていたのである。
10代の頃と違って、一日中働ける体力がなかった。一日一人相手にするのがやっと、二人相手にしたら精神的にも肉体的にも疲労困憊で、家に帰るなりそのまま寝込んでしまう程であった。とても23歳とは思えない体力のなさであった。正直、この頃から急激な体力の衰えを感じるようになっていた。

202:この名無しがすごい!
21/02/02 03:35:12.00 pv0MdIOr.net
いくら体力がないとはいえど、お金を稼がなければ生活が出来ない。セトマキには、頼れる家族も他人もいないわけで、お金を貸してくれる人もいないし、わざわざ借りるくらいなら体を売ってでも対価を得てやるって意固地になっていた。意地でも他人なんかに頼るか、一人で一生生きていってやるって思っていた。
もうこの頃になると、世の中に絶望しきっていて、無感情になっていた。将来への夢も希望も何にもなかった。看護学校の時みたいに自殺未遂を犯すほどのエネルギーも完全に枯渇した。

203:この名無しがすごい!
21/02/02 03:57:04.56 PDJK4Mf3.net
ただ毎日何にも考えずに心を空っぽにして風俗に出勤する。そして、1,2人のお客さんの相手をし、毎日1〜2万円をその日のうちに現金でもらい、帰宅する。帰宅後はDVDを見ながら毎日決められたおつまみを決められた量だけ食べ、決められた銘柄のお酒を決められた量だけ飲む。そして決められた時間に脱法ハーブを決められた量だけ吸い、決められた錠数の下剤と睡眠薬を摂取し、就寝する。朝は、必ず決められた時間に起き、決められたものを食べる。そしてだいたい毎日同じ時刻に猛烈な腹痛に襲われ、大量の下痢便。毎日自分の便の性状を観察し、ちゃんと食べたものが全て消化されているか確認する。いつもより便の量が少ない時は、パニックになり、まず初めにセトマキ大得意の自己摘便を行う。それでも出なければ、朝から大量の下剤を追加して飲む。そして朝から下剤を飲むと、ちょうど男性の相手をしている頃に腹痛と猛烈な便意に襲われる。いっつも漏れそうになるのを我慢し、“あと30分、30分でトイレに行けるから…”とそれだけを自分に言い聞かせて行為を行っていた。

204:この名無しがすごい!
21/02/02 03:57:17.07 PDJK4Mf3.net
私は20歳の時に拒食症になって以来生理が3,4回しか来ておらず、社会人になってからは一度も生理が来ていなかった。生理が止まっていることは風俗嬢セトマキとしては大変好都合であった。生理休暇もいらないし、妊娠の心配もない。
私は、1日に1人か2人しか男性の相手が出来ない代わりに毎日出勤することにした。クリスマスイブもクリスマスも年末年始も出勤した。誰とも会うこともなく、ただデリヘルの事務所とラブホテルと家の往復。せめてクリスマスイブくらいケーキでも食べようかなと思ったが、食事への強迫観念から、ケーキすら受け付けなかった。ケーキすら受け付けないのだからせめてでもと思い、くるみ割り人形のDVDを借りてきた。いつもの通り酔っ払いながらDVDを見て、“そういえば子供の頃にバレエの発表会でくるみ割り人形を踊ったな…懐かしいな。

205:この名無しがすごい!
21/02/02 03:57:29.40 PDJK4Mf3.net
まあ、毎日お酒飲んでる今の方がラクでいいけどさ。今はラクばっかりできて、毎日楽しいけどさ。人と一緒にいるとだるいし、一人で好き放題出来る人生って最高!”とか考えていた。そして、“私、このままだと、小学生の頃からのずっと夢だった中年以降にシベリア鉄道に乗ってオーロラ見る夢叶えられそうにないな…。多分このままの生活をしていたら、20代のうちになんかの病気になって死ぬだろうし。まあ20代で死ねるとか本望だな。でも、子供の時からの夢なんだから、せめてオーロラくらいは死ぬまでに見ておきたいな…。どうせ20代で死ぬんだから、今のうちに行っておくか。この仕事なら今月中でも多分2週間くらい休ませてくれるだろう。”
思い立ったら即行動しなければならない私である。貯金残高を確認したら70万ほどあった。それに手持ちが数万円。
お金なんて、ロシアから帰ってきてまた風俗で出勤したら結構な額になる。

206:この名無しがすごい!
21/02/02 03:57:42.48 PDJK4Mf3.net
さっそくシベリア特急でシベリアに行き、オーロラを見れるツアーがないかインターネットで検索してみた。生憎、私が期待していたようなツアーはなかた。ロシアではオーロラを見ることが出来る機会が少ないため、滅多にツアーが催行されていないのである。
ならば、シベリア特急に乗ることが出来るフリープランのツアーに一人で行こうと決めた。しばらく日本から離れるため、大川先生に伝えなくてはと思い、大川先生に電話をかけた。
セトマキ「大川先生〜!私、ちょっと海外旅行してきます!」
大川先生「お前、どこに行くんだ!?」
セトマキ「私、子供の頃から中年以降にシベリアに行ってオーロラ見るのが夢って何回も言ってたじゃないですかー?私、貯金もある程度貯まったし、2週間くらいロシアに行こうと思うんですよ。」
大川先生「馬鹿野郎!お前、そんな暇あるなら早く職場に復帰しろ!!!」

207:この名無しがすごい!
21/02/02 03:57:55.44 PDJK4Mf3.net
セトマキ「は?別にロシア行ってもよくないっすか!?もうこのままだと30手前で死んでいるんだろうし、死ぬ前にロシア行きたいもん!大体何でそこまで大川先生に指図されなきゃいけないのか意味わかんないんですけど!!別にどう過ごそうが私の勝手じゃん!」
風俗で働き始めてから今までに増して我儘になり、恩師である大川先生にも相当刃向かうようになった。
大川先生「馬鹿野郎!俺はお前の為を思っていてるんだぞ!そこまで言うなら好きにしろ!!」
“あーもう!どいつもこいつもゴタゴタうるせーな!確かに今良いツアーないし…仕方ないからいいツアー見つけるまで先送りしてやるよ。大川先生に言うんじゃなかった、マジうぜー”
こうして私は相当無念ではあったが、一度オーロラを見に行くことを断念することにした。

208:この名無しがすごい!
21/02/02 13:28:14.89 mYnnUVTf.net
1月の半ば頃から、私はなんか全てが無気力になってきた。風俗で働くことすら疲れてきた。それに貯金もだいぶ貯まったし、オーロラを見に行くという目標もなくなり、お金の使い道もなくなった。私は、風俗に出勤するのもやめ、趣味のダンスも行かなくなり、一日中お酒を飲みながら脱法ハーブを吸いまくった。起きたらその日飲むお酒をコンビニに買いに行く。ものすごい量である。多分お酒だけで2〜3000円は使っており、飲むのは主にワイン、ウイスキー、ハイボール、ビール、マッコリ、ストロングゼロというチューハイであった。そして飲みながら酔っ払ってきたところで脱法ハーブを吸い、ラリる。私はこの時ブラックスピリタスという銘柄の脱法ハーブにはまっていた。私が吸っていた脱法ハーブは一袋5000円弱であり、1日1.5袋も吸っていた。お酒と脱法ハーブだけで1日1万円も使っていた。お酒と脱法ハーブがダブルで決まってきたら、眠くなってしまい、寝る。

209:この名無しがすごい!
21/02/02 13:28:26.90 mYnnUVTf.net
そして、また起きてお酒を飲み始めて脱法ハーブを吸って、の繰り返しであった。もう時間なんて何時に起きて何時に寝てるんだかわけわかんないし、カーテンも閉めっぱなしであり、外が昼か夜かもわからない状態である。最初はなんとなく空き缶くらいは片づけていたが、だんだん面倒くさくなってきてこの生活を初めて3日後には部屋に大量の空き缶と空きビンとコンビニ弁当のゴミと大量のタバコの吸い殻が散乱していた。さらにトイレまで行くのが面倒くさくなってきて、トイレに行かず自分の部屋の中でその辺にあるコンビニのビニール袋に用を足すこともあった。しかも下剤を乱用してるため、下痢便。まだ華ざかりの23歳女子の行動とはとてもじゃないけど思えない。部屋は半端じゃない悪臭を放った。でも、アルコールと脱法ハーブで嗅覚が麻痺していたため、臭かったけどさほど気にならなかった。

210:この名無しがすごい!
21/02/02 13:28:37.25 mYnnUVTf.net
こんな生活をし始めて5日ほど経った時に事件が起きた。お昼時にいつも吸っているブラックスピリタスを家までデリバリーで3袋届けてもらった。いつも通り脱法ハーブを吸ったが、うまく決まらない。それどころかまずくて気持ちが悪くなってきた。
私は脱法ハーブが決まらないことにイライラしてきて、デリバリー業者に電話をした。
セトマキ「もしもし!さっき買ったやつ、全然決まらないんだけど!これ、本当に本物なの?混ぜ物かなんか入ってるんじゃないの?」
デリバリー業者「いや、これはちゃんとア○タ社から仕入れたものなんですけど…」
セトマキ「ふーん…そうなんだ」
ブチッ
怒りに身を任せて電話を切った。
“とりあえず、なんか気持ちが悪い。今は一旦脱法ハーブを吸うのは止めよう。代わりにお酒をがぶ飲みしよう”
私は急ピッチでお酒を飲み、泥酔してそのまま寝た。

211:この名無しがすごい!
21/02/02 13:28:51.52 mYnnUVTf.net
起きたら、夜になっていた。iphoneで時間を確認したら21時すぎであった。なんか気分がさえないな…
でも、やることもないので再びお酒を飲みだし、脱法ハーブを吸った。やっぱりいつもみたいに上手く決まらない…
おかしい。私は追加で何度も何度も吸引した。
そして深夜0時に近づいた頃…
突然、たまらなく気持ち悪くなった。
「うわあああぁぁぁーーーー」
あまりの気持ち悪さに私はうめき声をあげた。真夜中にこんな奇声を発して、近隣の人はさぞかし迷惑であっただろう。
そして、そのまま床に嘔吐した。
「オエェー…キャーーーーーアァァーーー」
奇声を連発した。部屋に、廊下に、トイレに何回も戻した。
救急車を呼ぼうかとも思ったが、就職してから救急車はあまり呼んではいけないものだという認識を持つようになったことと、こんな自分で馬鹿なことをしておいて救急車を呼ぶことほどアホなことはないと思い、救急車は使わないことにした。そして、最後の頼み綱である祖母に電話をかけた。

212:この名無しがすごい!
21/02/02 13:29:10.13 mYnnUVTf.net
―着信音♪―
祖母「もしもし、あらマキちゃん」
セトマキ「もしもし…実は今吐いててさ…死にそうなんだけど…いまから来てくれない?」
祖母「え?嫌よ!」
セトマキ「マジ一生のお願い…マジ死ぬ」
祖母「わかったわよ、じゃあ今から行くから」
セトマキ「マジありがとおおお!!」
電話を切ってからも吐き気が止まらない…たまらなく気持ちが悪い。
気持ちが悪過ぎて座り込んだまま一歩も動けなかった。
数分後、祖母が来た。
すると、最初の一言目が、
「ちょっと、まきちゃん!あんた、仕事行ってないってどういうことなのよ!」
――はあ?

213:この名無しがすごい!
21/02/02 15:21:36.80 XHTys5fb.net
私は思わず耳を疑った。私は今たまらなく気持ちが悪くて床にしゃがみこんでいるのに、今更ではあるが一言目にそんな言葉をかけるなんて、ずれているにもほどがある…。
私は吐きそうになるのをこらえながら、
「え…このタイミングでそんなこと言う…?」と言った。
すると祖母は「言うに決まってるわよ!」と言った。
私は気持ち悪さと呆れから、何にも返事をしなかった。
私はフラフラで意識が半分朦朧状態であった。私は真冬にも関わらず目の前にあった薄着をはおり、そのまま祖母の車の助手席に乗り込んだ。今にも吐きそうである。
祖母は車に乗ってる最中ずっと、「ちょっとマキちゃん!お願いだからビニール袋の中に吐いてちょうだいね!車を汚したら承知しないからね!車が汚れたら、うんと大変なんだから!」
私の体調を気遣う発言なんか一言もなく、車のことばかりを気にしている。

214:この名無しがすごい!
21/02/02 15:21:52.22 XHTys5fb.net
そうこうしているうちに病院に着いた。私は、すぐに救急処置室に通された。
救急処置室にて医師に軽く診察をしてもらい、吐き気止めの点滴を打ってもらった。看護師さんが私がいつ吐いてもいいようにと私の枕元にガーグルベースンを置いた。そして、看護師さんは退室した。私は点滴が入っている間は看護師さんも医師もおらず、処置室に祖母と二人きりであった。祖母は週刊文春を読み始めた。静かな時間が流れた。私は点滴が入っている間はずっとベッドに横になっており、終始気持ちが悪かった。

215:この名無しがすごい!
21/02/02 15:22:02.66 XHTys5fb.net
そして点滴が入ってから10分ほど経った頃に、たまらなく気持ち悪くなり、再び戻してしまった。しかもこの時、気分が悪過ぎて、枕元からガーグルベースンを取る気力もなく全部床にぶちまけた。
すると祖母が「なんで床に吐くの!まきちゃん!どうして床に吐くの!?」と突然怒り出した。なぜ床に吐くのかと再三問い詰められた。
確かに床に吐くのは良いことではないと思うが、この時はやむを得なかった。それに本当に体調が悪い時にそんなどうでもいいことを問い詰められて、勘弁してほしかった。
あまりに祖母が床に吐物を吐いたことに対して文句を言うので、すぐに看護師さんを呼び、吐物の処理をしてもらった。同じ看護師なだけに、大変な夜勤中に私の吐物の処理をさせてしまったことを申し訳なく思った。

216:この名無しがすごい!
21/02/02 15:22:13.33 XHTys5fb.net
点滴が終わった後、医師から「夜間帯はここの病院ではこれ以上のことは出来ない。家で様子を見てください」と言われたため、とりあえずここの病院から帰る準備をした。
そして、会計を終えた後、私は再び気持ち悪くなってしまい、ロビーにしゃがみこんだ。
私はこの時、薄手の洋服しか着ておらず、丈も短かったために、しゃがみこんだら背中の入れ墨が丸見えであった。
すると祖母が、「ちゃんとした格好をしなさい」と言い、私が気持ちが悪くてしゃがみこんでいるにもかかわらず私の入れ墨を一生懸命隠そうとするのである。
さすがにここまで来ると、もうコントとしか思えなくなってきて、私の方も呆れを通り越して笑いが出てきた。

217:この名無しがすごい!
21/02/02 15:22:23.49 XHTys5fb.net
そして、再び気持ちが悪くなり、私はトイレに向かった。しかし、便器まで我慢できず、またもやトイレの床で戻してしまった。
再び大変なお叱りを受けた。
この時から、私の中で何かの意識が変わり始めていたのかもしれない。
とりあえず、祖母に家まで送ってもらい、家まで送ってもらったことと病院に連れて行ってもらったことに対してお礼を言った。
家に着いて時計を見たら、ちょうど夜中の4時を過ぎた頃であった。私は夜中にも関わらず大川先生に何回も着信を入れた。
数分後に、大川先生から折り返しの電話があった。私は、今回脱法ハーブとお酒を過剰摂取したことにより、夜中に大量嘔吐をして救急病院に行った経緯をいつものごとくヘラヘラ笑いながら伝えた。

218:この名無しがすごい!
21/02/02 17:01:58.76 /spj3UIJ.net
すると大川先生に「馬鹿野郎!お前、そんなことばっかりしてると将来働けなくなるぞ!!!お前、そうやって現実逃避ばっかりしてると自分が惨めになるんだぞ!!」とかなりきつい口調で言われた。
今までの7年間は、大川先生に何か言われる度に、
「えー働けなくなるとか、超、神、神、神出陣!働けなくなったら、ナマポ貴族になるもーん♪そっちの方が楽でいいじゃんっ♪働かなくてお金もらえるとか、超いいじゃんっ!」とか屁理屈の塊と化していたが、さすがに今回という今回はまずい気がしてきた…。
今までは、まだ現実逃避を繰り返して斜に構えていられる余裕があったのだ。しかし、自分がもう現実逃避することが出来ない崖っぷちに立たされていることがわかった。

219:この名無しがすごい!
21/02/02 17:02:09.98 /spj3UIJ.net
確かにこのまま異常行動を繰り返すただのイカれた女のままでも、ホモサピエンスという名の生物として生存していくことは可能であろう。20代の今のうちであればこのまま看護師として働けなくなっても、風俗嬢セトマキとして生きていくということも可能である。でも、年齢が上がるにつれて確実に容姿は衰えてくる。私は別に特別美人というわけでもなく、特別にテクニックがあるわけでもなく、男の人を落とすような色気もない。ただ若いからってだけでお客さんにつかせてもらっているだけである。しかも薄々感づいてはいたが、23歳の風俗嬢セトマキは10代の時の風俗嬢セトマキより確実に男性からの反応が落ちていた。10代と23歳でここまで違うのだから、この先ますます男性からの反応が落ちていくだろう。もし私がこのまま風俗嬢を続けて40代とかになったら、もう一部の男性しか相手にしてくれなくなるだろう。そうしたら、自分の体を売っても対価を得られなくなってしまう…。そうしたら、行きつく先はホームレスか精神病院である。
それだけは嫌だ!!!

220:この名無しがすごい!
21/02/02 17:02:19.99 /spj3UIJ.net
この日から、今までの23年間自分の内面を全く省みなかったことに焦りを感じ始めた。
とりあえず、これは一度職場に復職しなければならないのではないかと直感的に感じた。
私は、田村さんに会うのは気まずかったが、やはり直接会って伝えなくてはならないと思い、病院から帰ってきて一睡もしないまま田村さんに会いに行った。そして直接「ここでまた働きたいです」ということを伝えた。
風俗で働いたり脱法ハーブを過剰摂取したりと遠回りはしたものの、ここでようやく現実と向き合うことが出来た。

221:この名無しがすごい!
21/02/02 17:02:31.89 /spj3UIJ.net
ちなみにこの日のうちに、私の叔母さん(父の姉)から電話がかかってきて、「ねえ、マキちゃん。昨日病院で床に吐いたんだって?私も最近とく頭痛くなってすごく吐きそうになることがあるの。でもどんなに頭痛がしても床に吐いたりしないわよね。ねえ?どうして昨日病院で床に吐いたの?どうして床に吐くの?」と言われた。床に吐いてしまう程意識が朦朧としていて辛い状況なのに、人前で床に吐くという“他人からみてみっともないと思われる行為”をしたことを遠回しに責められた。普通なら心配の電話をよこしてくれてもおかしくないような状況である。

222:この名無しがすごい!
21/02/02 17:02:45.98 /spj3UIJ.net
ふと、“あぁ、やっぱり私の家の人って全員、病気や体調不良などの弱っている時ですら例外なく社会的なメンツしか気にしないんだ。なんて心がないんだろう。情ってものがなさすぎる。この人たちはこの人たちだ。もう変わらないんだな。”と思った。
不思議と今までみたいに恨みの気持ちはなかった。どこかで諦めに近い感覚であった。
今考えたら私はこの時から精神的自立をし始めたんだと思う。
この日から大川先生とは連絡を取らなくなった。私の方もどこかで距離を取らなきゃいけないと思ったし、ベテラン教育者である大川先生の方も今この瞬間が私を手放すベストタイミングだと判断したんだと思う。
後日、ホーム長から電話がかかってきて、直接話をし、H26年2月1日から同じ母体が経営しているデイサービスに部署移動という形で働かせていただけることとなった。

223:この名無しがすごい!
21/02/02 17:03:53.93 CoQ3t2YZ.net
私は、部署移動が決まってすぐにメールアドレスを知っている職場の先輩看護師に、今までの謝罪とデイサービスに異動になったためデイサービスの方で一から頑張りたいという趣旨のメールを送った。
本当は自分の非を認めるなんて絶対にしたくなかったけど、この際、プライドがどうこうとかもう関係なかった。先輩のためというよりも自分のためである。先輩看護師たちにメールを送ったら、なぜか気持ちが妙にすっきりした。
メールを送ってひと段落した後、何気なく自分の部屋を見渡してみた。

224:この名無しがすごい!
21/02/02 17:05:18.31 4bdMc94P.net
なんだ、この部屋は!汚すぎる!!連日朝から晩までお酒を飲んでいたために散乱していた何十本というアルコールの空き缶、トイレまで行くのが面倒くさくてトイレ代わりに使用していた悪臭を放った汚物入りビニール袋、大量のコンビニ弁当のゴミ、洗濯してない服の山、灰がこんもりとたまった灰皿…
全部、全部捨てた。
ゴミだけじゃない。
祖母から買ってもらったディオールの財布、元彼から誕生日プレゼントでもらったBaby-G、数々の愛人からもらったたくさんのブランド品…
ここ1ヶ月の間着ていない洋服と必要最低限のもの以外は全部捨てた!!

225:この名無しがすごい!
21/02/02 20:07:25.08 vmztI4Ad.net
そしたら…
見えた!!!!!!
本当に必要なことは、心を掃除することなんだ!この23年間、目の前が曇って曇って、視界がぼやけて何も見えなかった…
本当に大切なことは、当たり前の小さな幸せを大切にすることなんだ!一番大切なこと、家族が教えてくれなかったよ…。
この時、23年間誰とも心の共感をすることなく、深い暗闇の中にずっと一人ぼっちで居た自分に、一筋の光が見えた気がした…


(第一章 終)

226:この名無しがすごい!
21/02/02 20:08:52.90 vmztI4Ad.net
>>75
ディヤーナ国際学園
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
卒業生からの手紙 〜卒業までを振り返って〜
私が看護師を目指そうと思ったわけ1
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ2
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ3
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ4
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ5
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ6
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ7
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ8
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ9
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ10
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ11
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ12
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ13
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ14
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ15
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ16
URLリンク(www.dhyana-jp.com)
私が看護師を目指そうと思ったわけ17
URLリンク(www.dhyana-jp.com)

227:この名無しがすごい!
21/02/02 23:57:37.61 F2oPwLvh.net
(魚拓)
ディヤーナ国際学園
卒業生からの手紙 −卒業までを振り返って−
私が看護師を目指そうと思ったわけ1
URLリンク(www.dhyana-jp.com)">URLリンク(web.archive.org))
私が看護師を目指そうと思ったわけ2
URLリンク(www.dhyana-jp.com)">URLリンク(web.archive.org))
私が看護師を目指そうと思ったわけ3
URLリンク(www.dhyana-jp.com)">URLリンク(web.archive.org))
私が看護師を目指そうと思ったわけ4
URLリンク(www.dhyana-jp.com)">URLリンク(web.archive.org))
私が看護師を目指そうと思ったわけ5
URLリンク(www.dhyana-jp.com)">URLリンク(web.archive.org))
私が看護師を目指そうと思ったわけ6
URLリンク(www.dhyana-jp.com)">URLリンク(web.archive.org))
私が看護師を目指そうと思ったわけ7
URLリンク(www.dhyana-jp.com)">URLリンク(web.archive.org))
私が看護師を目指そうと思ったわけ8
URLリンク(web.archive.org)
私が看護師を目指そうと思ったわけ9
URLリンク(web.archive.org)
私が看護師を目指そうと思ったわけ10
URLリンク(web.archive.org)
私が看護師を目指そうと思ったわけ11
URLリンク(web.archive.org)
私が看護師を目指そうと思ったわけ12
URLリンク(web.archive.org)
私が看護師を目指そうと思ったわけ13
URLリンク(web.archive.org)
私が看護師を目指そうと思ったわけ14
URLリンク(web.archive.org)
私が看護師を目指そうと思ったわけ15
URLリンク(web.archive.org)
私が看護師を目指そうと思ったわけ16
URLリンク(web.archive.org)
私が看護師を目指そうと思ったわけ17
URLリンク(web.archive.org)

228:この名無しがすごい!
21/02/08 02:01:14.70 ycPI3Zvu.net
ディヤーナ国際学園
卒業生からの手紙 −卒業までを振り返って−
私が看護師を目指そうと思ったわけ
スレリンク(bookall板)


最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

1175日前に更新/189 KB
担当:undef