中国文学総合スレ2 at BOOK
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38:吾輩は名無しである
23/11/24 14:01:30.15 6BFn7Tuv.net
菅江真澄 図絵の旅 (角川ソフィア文庫)
江戸時代、菅江真澄という漂泊の旅人がいた。北東北や南北海道をくまなく歩き、好奇心のおもむくままに筆をとる。男鹿半島、八郎潟、白神山地の絶景。恐山、おしらさま、なまはげ、避疫神の信仰。
火山、瀑布、奇岩がおりなす大地の風景。雪国の生業、海の幸と山の幸から、アイヌの暮らしや縄文土器まで―。
森羅万象を描いた貴重な図絵112点をフルカラーで収録。民俗学、文化遺産、ジオパークの先駆けになった旅人の眼差しに迫る
辺境を歩いた人々 (河出文庫) 文庫 – 宮本 常一 (著)
思わぬことから人を殺めてしまい、八丈島に流刑となったが、膨大な風俗地誌『八丈実記』をまとめあげることになった近藤富蔵、陸奥にとどまり、民俗学の草分けとなった菅江真澄、
蝦夷地のために尽くした探検家・松浦武四郎、沖縄、与那国、奄美、台湾…と生活・調査した笹森儀助。江戸後期から明治に至る、柳田民俗学誕生以前の民俗探訪の実際と先駆者四人の生涯

39:吾輩は名無しである
23/11/25 22:07:25.73 bRfbd10e.net
渤海王の使者
高橋 義夫【著】
698年に大祚栄だいそえい)が建国した渤海国は聖武天皇の時代に、何度か使節団を送ってきた。当時、長屋王が政治の中心で、藤原氏と危く均衡を保っていた。そんなころ、日本に向った渤海国の使節団が山形に漂着した。
出羽の柵の別将船人は一行と都、奈良へ同行する。使節団の若武者・高文矩との信頼は国を越えた友情へ。そして船人の妹・秋津との愛も芽ばえる。だが、渤海人の活動は新羅人の反発を買い、
長屋王も最大の悲劇に襲われる。一方、渤海国でも国王兄弟の不仲から政争が起こる。日本海の荒波にも似た人々の争い。時代に翻弄された若者達の姿を描く長篇歴史小説。
奈良時代、中国東北部に盛えた渤海国の使節団が日本へ向かった。一行は難破、漂着したのは現在の山形県(羽州)であった。蝦夷に襲われた一行を、出羽の柵の別将・船人が救った。
その日以来、船人と使節団の若武者・高文矩との友情が始まる。奈良の都への上京、渤海国への日本使節団の派遣とふたりは同じ日々を過ごし、信頼を深めてゆく。
しかし当時の奈良は長屋王の変前夜であり、また渤海国にも政変のきなくささが満ちていた。ふたりの友情は、日本海の激しい荒波に似た政情不安な時代に翻弄され、その行き着くところは―

40:吾輩は名無しである
23/11/26 15:04:41.00 yYo5FsnR.net
夜明け遠き街よ』(東京創元社)
クラブ経営を夢見るホステスが巻き込まれた奇妙な事件、地上げ騒動の陰に暗躍する女、望むものはすべて手に入れられる実業家のとてつもない浪費の顛末、そしてその莫大な金に群がる政治がらみの男たち-。
1980年代、空前の好景気に沸く札幌ススキノ
高城高は、1990年代半ばに死去した大藪春彦とともに、日本のハードボイルド小説の始祖、と認められている。
もっとも、大藪と違って高城は大学卒業後新聞社に就職し、十分な創作活動ができなかった。そのため、休筆期間がずいぶん長く、執筆を再開したのはようやく、
2007年になってからのことだ。とはいえ、長年のブランクを感じさせぬ円熟した小説世界は、昨今の作家にない独特の厚みを持つ。当然のように、
伝統的なハードボイルド小説のファンは、諸手(もろて)を上げてそのカムバックを歓迎した。
本書は、バブル期の札幌ススキノを舞台に、いわゆる黒服の世界をヴィヴィッドに描いた、ヌーヴェル・ノワールである。キャバレー〈ニュータイガー〉の副支配人、
黒頭悠介(くろずゆうすけ)を主人公に、札びらの飛び交うススキノの夜の世界を描いて、間然するところがない。時代考証、風俗考証ともに行き届いたもので、ススキノに詳しくない読者でも、この街のたたずまいを生きいきと、感じとることができるだろう。
緩やかな連関を持つ連作短編集で、一つひとつのエピソードに工夫があり、それが全体としてススキノを浮かび上がらせる、凝った構成になっている。
登場人物の風貌(ふうぼう)や服装、表情の動きなどを精細に描写し、それによってその人物の性格、心理を描き出す手法は、ハードボイルド小説の古典的なわざだ。
黒頭は、決して無敵のヒーローではないが、どんな修羅場でも節を曲げない。その人物造型は、ハメットが創り出したネド・ボーモンを、
彷彿(ほうふつ)とさせるものがある。ことに第5話『マンション・コレクター』で、黒頭がやくざにさんざんにぶちのめされるシーンは、1ページにも満たない長さだが、簡潔にして緊張感にあふれた、秀逸な場面だ。
おとなの小説をお望みならば、ぜひ高城作品の小説世界に、ひたっていただきたい。
書き手:逢坂 剛

41:吾輩は名無しである
23/11/26 16:13:27.79 yYo5FsnR.net
アラスカ物語 (新潮文庫) 文庫 1980/11/27
新田 次郎 (著)
明治元年、宮城県石巻町に生れた安田恭輔は15歳で両親を失う。
外国航路の見習船員となり、やがてアラスカのポイントバローに留まった彼はエスキモーの女性と結婚してアラスカ社会に融けこんでいく。
食糧不足や疫病の流行で滅亡に瀕したエスキモーの一族を救出して、アラスカのモーゼと仰がれ、
90歳で生涯を閉じるまで日本に帰ることのなかったフランク安田の波瀾の生涯を描いた感動の長編。
彼(新田)は単にフランク一人に光をあてるのではなく、その周辺の人物やエスキモーたちの生態、
また彼らをとりまくアラスカの自然にひろく目をくばり、ゴールドラッシュに湧くアラスカの状況や、
白人たちのさまざまな姿、さらに太平洋戦争中の日本人の強制収容にまで筆をおよぼし、
社会的な背景をも見落していない。この作品が波瀾に富んだ冒険小説といったものにとどまらず、
感動的な美しい物語としてまとまっているのは、そのためである。
とくに自然描写に精彩が感じられるのは、山岳小説を多く手がけた作者の特色が、そこに発揮されているからであろう。
―尾崎秀樹(文芸評論家)

42:吾輩は名無しである
23/11/28 16:59:22.25 oZCuEsDP.net
総員起シ (文春文庫)
吉村 昭 (著)
・北海道の海辺の寒村に次々と流れ着く死体の群れ。沖合で潜水艦に撃沈された輸送船では、上陸用舟艇に載れたのは将校ばかりだった(「海の棺」)

・ソ連軍の侵攻にさらされた樺太の炭鉱町で、看護婦たちが集団自決を図った。記者の取材に生き残った元看護婦たちは固く口を閉ざすが……(「手首の記憶」)。

・昭和20年8月22日。戦争は終わったはずの北の海で、ソ連籍と思しき潜水艦の攻撃で沈没した「小笠原丸」の悲劇(「烏の浜」)。

・沖縄戦で軍司令部の散発要員として軍に帯同した理髪師が見た、軍司令官自決の真実(「剃刀」)。

脱出(新潮文庫)
吉村昭 (著)
・突然のソ連参戦で宗谷海峡を封鎖された南樺太の一漁村の村人の、危険な脱出行を描く表題作。

・撃沈された沖縄からの学童疎開船・対馬丸に乗船していた一中学生の転変をたどる「他人の城」

・サイパン在住の一家が米軍の襲撃から逃げ生き延びようとする姿を描く「珊瑚礁

43:吾輩は名無しである
23/11/29 02:25:33.62 tnRk8VL3.net
鎖塚―自由民権と囚人労働の記録』(岩波現代文庫
明治初め、北海道開拓のため無残な死を強いられた囚人たちがいた。鉄鎖を付けたまま埋められたその塚を、人呼んで「鎖塚」という。
著者は自由民権活動家の足跡を追う中で、明治政府が使い捨てた膨大な人々の存在に行き当たる。
犠牲者は誰か。なぜ死に至ったのか。地元「民衆史」の取り組みが、日本近代の暗部をあばく。迫力のドキュメント。(解説=色川大吉)
明治維新は日本を大きく変えた。中でも北海道の変わり方は日本のどこよりも劇的だった。未開の原野が短期間で切り開かれ新天地となった。
ロシアの南進に備えるためにも、新政府にとっては北海道の整備を急ぐ必要があった。
北海道開拓には多数の「囚人」が動員された。彼らは逃亡しないように、両足に約4キロの鉄玉を付け、ペアとなる囚人と鉄の鎖で繋がれていた。重労働の末に亡くなった人も多かった。
鎖を付けたまま埋められた彼らの墓を「鎖塚」というのだ。
網走から北見に抜ける「北見道路」(163キロ)は「囚人道路」と呼ばれている。1891年に切り開かれた。当時人口約600人といわれた網走に、
全国から約1500人の囚人が送り込まれた。シベリアではそのころロシアが鉄道敷設の測量に着手していた。ロシアに備えるために、屯田兵村をオホーツク沿岸部に作る必要があるということで道路建設が急がれた。一種の軍事道路だった。
突貫工事の苛酷な労働だったから逃亡者も出た。「逃亡せる者は斬殺」とされていた。まず足を銃撃し、抵抗すると斬る。「拒捕斬殺」という
なぜ北海道の開拓にアイヌ人を動員できなかったも記されている。江戸後期からのアイヌ虐待で人口が減少していたこと、元々漁労民なので土木工事に適さなかったこと、
無理やり樺太から連れてきて働かせようとしたが、コレラや天然痘で大量の病死者が出たことなどによる。当初はアイヌ人利用を目論んだが、無理と分かり、囚人に切り替えたというわけだ。

44:吾輩は名無しである
23/11/29 21:51:11.73 tnRk8VL3.net
君の名は・第二部
アイヌの娘 ユミ:北原三枝
真知子は遥々北海道を訪ねた。アイヌの若者サムロと許婚の間柄であるにも拘らず、
春樹を熱愛する末永牧場のアイヌの娘ユミは、真知子の来島に心が騒いだ。
やがて春樹は東京から帰って来たが、眼前の真知子に喜びの眼を輝したので、ユミは失望してコタン祭りの晩、
摩周湖に身を投げた。サムロもまた彼女を助けようとして死んだ
黒百合の歌    ニシパ」とはアイヌ語で旦那さんとかご主人様
URLリンク(www.youtube.com)

日本女侠伝 真赤な度胸花 1970年(昭和45年
藤純子
明治末期、自由の新天地を求め北海道に渡った、ライフル片手に馬にまたがり、大自然の猛威に立ち向かい、そして無法の暴力
八木正生の音楽もモリコーネっぽい。口琴がびよーんびよーん
アイヌをネイティブアメリカンに見立てるのは無理があ

イヨマンテの夜
アイヌの「豊穣の祭り」として、古来から森に生息するヒグマを捕獲し、村の酋長が弓矢でそれを殺し、神の元に送り届け、
自然の恵みを感謝し、集落の安寧を祈念する儀式を讃えた昭和歌謡

45:吾輩は名無しである
23/11/30 01:02:25.74 2io23MJX.net
私のソーニャ/風祭―八木義徳名作選 (講談社文芸文庫)
八木 義徳 (著)

「工人招募」の貼紙に応募してきた吃音の大男が、周囲から愚弄されながらも勇者として認められるまでを描いた1944年芥川賞受賞作「劉広福(リュウカンフウ)」、
苦界に生きる女性とのかかわりに“私”の心の彷徨を重ねた戦後の代表作「私のソーニャ」、
異母兄との交流を綴った読売文学賞受賞作「風祭」、ほかに文学に纒わる随想など八木義徳の代表的作品を一冊にまとめた名作選。

1971年(昭和46年)の『摩周湖』が称賛された他、以後晩年まで繰り返し川端賞の候補となり、
短編小説の名手として知られた。1977年(昭和56年)に『風祭』で読売文学賞、
1988年(昭和63年)日本芸術院賞恩賜賞を受賞。1989年日本芸術院会員。
1990年「私小説の精髄をひたむきに追求し、独自の境地を守りぬいた」として菊池寛賞

46:吾輩は名無しである
23/11/30 01:40:27.46 2io23MJX.net
光る牙 (講談社文庫) 文庫 2015/3/13
吉村 龍一 (著)

厳冬の北海道、消息を絶ったカメラマン捜索のため、若き森林保護官はスキーを履き、険しい山中へ向かう。カメラマンは無残な遺体で発見され、
手負いの羆は銃殺され事件は一件落着したかに見えた。しかし、噛み跡はその羆のものより遙かに巨大だった。最強の野生動物「羆」との壮絶な死闘を描く、元自衛隊の、期待の大型新人による傑作山岳小説。

はかりしれない自然への畏怖の念。血が騒ぎます。胸をうちます。冒険小説ファンは必読。驚くぞ。読むべし!―池上冬樹(文芸評論家)

生きとし生けるものすべてへの畏敬の念が静かに満ちている。―角田光代(作家)

47:吾輩は名無しである
23/12/03 17:02:14.55 HWrXvude.net
義経の東アジア (文春学藝ライブラリー 歴史 40) 2021/4/6
小島 毅 (著)
十二世紀、中国大陸の宋と金の興亡が、日本へ膨大な富をもたらし、平氏政権を生んだ。
対外貿易に依存する「開国派」の平氏と奥州藤原氏に対して、農本主義に徹して強固な軍事組織を築いた「鎖国派」源頼朝。
東アジアの富と思想の往来、社会経済の転換から、源義経が生きた源平内乱期を俯瞰的に捉え直す。
従来の枠組にとらわれず、日本の歴史を文明史的視点で再構成する。
学術研究のような制約一切なしで自由に想像をはばたかせて書いた歴史エッセーをまとめた本。東アジア全体の視点から源平争乱の時代を
とらえ直すという斬新な視点が実に説得力があって読ませます。
教科書的な理解とは大きく異なる驚くべき歴史理解は必見です。
南宋が日本との交易を重視したのは、当時北部と西部を遊牧民族に押さえられてしまっていた南宋にとって日本がほぼ唯一の金の入手経路になっていたからだという。
つまり、平氏の台頭は中国大陸の政治的変動と直結していたわけである。
逆に言えば、南宋が滅びれば、中国大陸が日本との交易関係を維持する必要性はなくなるがゆえに、遅かれ早かれ平氏政権は倒れたであろうと。
実証手続き抜きだが、深い学識に裏打ちされた推論には説得力がある。あちこち納得がいかない推論が
あっても全体としては話が整合しているだけに本書の主張は無視できるものではないと思う

48:吾輩は名無しである
23/12/06 16:54:49.08 LNfjb1gk.net
渤海国
講談社学術文庫
著:上田 雄

中国東北部、沿海州、朝鮮半島北部を版図に、2世紀以上、東アジアに君臨しながら、長く世界史の謎とされてきた「海東の盛国」。平安京の毛皮ブーム、菅原道真らによる宮廷外交など、多彩なエピソードをまじえつつ、渤海国の実像に迫る。
なぜ忘れられた国なのか―その国が、8世紀から10世紀初頭まで、東アジアの一角に厳然として存在し、日本や新羅と同じように、あるいはそれ以上に、
唐の文化を吸収して文化国家として繁栄していたことは事実なのである。ましてや、その国が日本に200年間にわたって頻繁に使節を派遣してきたこと、
それによって日本は、その古代文化の形成に、有形無形の利益や影響を受けたことが事実である以上、日本史の上で、この国の存在とその使節の来航を忘れることはできないのである。明治以後の日本の歴史教育は、日本文化の淵源としては、
中国にのみ視界を限定して、植民地として支配した朝鮮半島の存在は、故意にその視界から外してきたと言われる。そして、渤海国の存在もそのあおりを食う形で、さらにその視界の外に追いやられたのかも知れない。
しかし、今私たちは、東アジアの歴史を見る視界を東へ、北へと広げ、朝鮮半島はもちろんのこと、さらにそのかなたに存在していた渤海国と、そこから日本海の波濤をこえて来航してきた渤海使たちに
歴史のスポットライトをあててみる必要がありそうである。―本書より

本書は、1992年に講談社現代新書として刊行された『渤海国の謎』を底本とし、補筆・改訂した。

49:吾輩は名無しである
23/12/06 23:47:25.23 LNfjb1gk.net
蘆火野 著者 船山馨
箱館戦争とパリ・コミューンを結ぶ雄大な歴史ロマン
早春の箱館の、海沿いの道で、みなし子のおゆきは、ふたり連れの若いさむらいに出会った。上州安中藩士の新島七五三(しめ)太(のちの襄)と直参小普請組の河井準之助で、おゆきが女中奉公する、諸術調所教授・武田斐三郎
の許に江戸から洋学を学びにやって来たのだった。外国領事館の置かれた幕末の箱館は、開明的雰囲気に溢れていた。その中で、アメリカへの密航を図る新島に反し、フランス料理の勉強を志す準之助のさわやかな人柄に、おゆきは、娘らしい想いを寄せた。……幕末から明治への時代の動乱にまき込まれていく若い男女の愛と人生を描く、歴史ロマン上巻。
おゆきは準之助と結婚した。19歳と21歳の若い夫婦だった。が、ふたりの幸せはなお遠く、榎本武揚の率いる軍と官軍との間の箱館戦争の渦中、準之助は、官軍にお尋ね者として追われる身となった。ふたりはヨーロッパに新生活を求めて、パリに向かうが、その地にもまた、普仏戦争の危機が迫っていた。そして、引き続くパリ・コミューンの戦火のさ中に彼らを見舞う、悲劇的結末。……時代の激流の中に、ささやかな幸福を求めて懸命に生きる庶民への深い共感をこめた、大河小説完結編。

見知らぬ橋(上)船山馨(著)
かつて信州の山中で会い、忘れ得ぬ人だった並河と流氷の網走での再会……。全生涯をかけて激しく燃えた京都の夜。妻子ある男との愛に生きる能面師・魚住名緒子が求めた永遠の慕情とは……。
サンフランシスコ、アラスカへひろがる愛の行方に待ち受けているものは……。恋人たちが最後にたどり着くメンデンホール氷河は愛の聖地なのだろうか。壮大なスケールで描く自然描写を織りこんだ本格長編ロマン
妻の生命を助けようとザイルに刃を当て、クレバスに命を絶った並河。そして彼への熱い想いを彫り込めた因縁深き能面「孫次郎」を胸に、
アラスカのメンデンホール氷河に消えた並河に殉じる名緒子―網走の氷原からアラスカの氷河に終わるまで、壮大なスケールに鮮烈な自然描写をおりこんだ本格長編ロマン、完結編。

50:吾輩は名無しである
23/12/07 00:13:40.87 KUMvLqCV.net
石狩平野(船山馨  14回小説新潮賞
『石狩平野』の構想は、ながいあいだ少しずつ成熟しながら、私の胸底に棲みついていた。日本の近代の夜明けから、
敗戦によるその一応の終焉までを、そこに生きた庶民の立場から振り返ってみることは、私の内側からの必然でもあったが、
朝鮮戦争以来の外的状況も、この作品を書くことを私に要求していた。敗戦後いくらも経たないうちに、再び権力が非人間的な目的をもって民衆を強い
、民衆もまた、その意のままに、盲目的に支配権力の意図する方向へ流されてゆくように見えることが、私の鞭となった。

舞台 小樽から札幌へ
 明治編は、明治14年〜明治43年まで。主人公の鶴代12歳から41歳。
時代背景
 明治13年、札幌―小樽手宮間鉄道開通。
 明治14年、小樽大火。
 明治14年、開拓使官有物払下げ事件。
厳しい北海道の自然を描写
 蝗の来襲(明治12年〜17年)
 石狩川の氾濫(明治39年9月、全道に豪雨、洪水による大被害が出た、死者248人)

吉永小百合主演の映画「北の零年」のベースになった(公式には映画の原作とされてない

51:吾輩は名無しである
23/12/07 23:06:03.16 KUMvLqCV.net
第7回舟橋聖一文学賞
NAGASAKI 夢の王国 単行本 – 2013/2/8
典厩 五郎 (著)てんきゅう ごろう
織田家を捨て、自由を求めて長崎に来た放浪者は、巨万の富と権力を手に入れ“長崎の王"となった!
快男児・村山等安の生涯と信仰、自由の意味を問う傑作歴史小説
自由を求めて長崎にたどり着いた放浪者は、一代で巨万の富と強大な権力を手に入れた。
台湾征服を夢見た妄想家?
信仰を捨てた放蕩者?秀吉・家康を手玉にとった陰謀家?数千人の切支丹を救った聖人?信仰とは、人生の意味とは…
謎多き長崎代官・村山等安の破天荒な人生を描く感動の歴史巨編。

1616年13隻の船団を台湾に派遣したが、これは暴風のため失敗に終わった

52:吾輩は名無しである
23/12/08 00:07:47.35 8Rc6gTMf.net
サラン・故郷忘じたく候 (文春文庫) 文庫 – 2008/6/10
荒山 徹 (著)
雑誌発表時に「中島敦を彷彿させつつ、より野太い才能の出現を私は思った」(関川夏央氏 朝日新聞文芸時評より)と
絶賛された「故郷忘じたく候」。山田風太郎へのオマージュともいえる「サラン哀しみを越えて」など、
日本と朝鮮半島との関わりをかつてない斬新な切り口で描いた6つの短篇を収録。
李氏朝鮮の沙器匠(陶工)・季亮。故郷を離れ日本に渡ることを決意した理由は?
中世日本と朝鮮との関わりを斬新な視点で描いた6篇
秀吉の半島出兵による戦乱の中、両親をなくした朝鮮の少女「たあ」。しかしその後「たあ」の
心の支えとなったのは日本の武将・三木輝景だった。輝景へのサラン(=愛)を抱きながら、「たあ」がたどる数奇な運命は―。
愛と憎しみ、そして捨てられぬ「意地」を描いた
彼女を猶子としたキリシタン小西行長が関ヶ原の戦い(1600年)に敗れて刑死した後、勝者である徳川家康の侍女となったが、
禁教令が出てもキリシタンとしての信仰を捨てなかったため、伊豆諸島へ流刑となっ

53:吾輩は名無しである
23/12/11 16:04:49.54 EeHOGurm.net
崑崙遊撃隊 (角川文庫) 山田 正紀 (著)
中国大陸の奥深くにあるという伝説の地“崑崙”。そこは花々が咲き乱れ、竜や不死の一族が存在し、太古の剣歯虎(サーベル・タイガー)が守護しているという。
また、この地に行き着いた者は、中国を治める事ができると信じられていた。
中国大陸の奥深く、黄河の源流、ゴビ砂漠の彼方にあるといわれている、伝説の神の地“崑崙”。
上海事変と満州国建国という激動の余韻も冷めやらぬ昭和八年、騒乱の大地に、
理想郷“崑崙”を追い求める男たちが集まった。―日本人青年の藤村、中国人の殺し屋B・W、謎の美少年天竜、
秘密諜報員、それぞれの思惑と野望が錯綜し、くり広げられる冒険ミステリー
ツングース特命隊 (ハルキ文庫) 山田 正紀 (著)
1908年、中央シベリアの奥地ツングースで、謎の大爆発が発生。日本軍謀略戦の総帥明石大佐から、
この謎の解明をせよとの密命を受けた武藤淳平たちは、さまざまな試練を乗り越え、“地獄”の地シベリアへたどりついた。だが、彼らを待ち受けていたものは、
怪憎ラスプーチンや妖術師グルジェフたちの恐るべき陰謀だったのだ

54:吾輩は名無しである
23/12/11 16:14:05.77 EeHOGurm.net
地の果ての獄 上
山田 風太郎 (著)
北海道が一般の人にとって地の果ての島だった明治19年。薩摩出身の青年、有馬四郎助は月形の樺戸集治監の看守に着任した。そこは刑期12年以上の凶徒を集めた人間の運命の吹きだまりであった。
正義感あふれる四郎助は、個性的な囚人たちが起こす奇怪な事件に厳しく対しようとする。だが、元与力のキリスト教教誨師・原胤昭との出会いがその運命を変え始め…
囚人だって人間だ―と言う原胤昭の言葉が心にかかった四郎助は、いつしか囚人たちが引き起こす事件の内に、彼らの仁義や数奇な人生を見出すようになっていた。
そんな中、ある因縁から罠に掛けられた原が命の危機にあると知る。彼を救うべく、四郎助は囚人たちを巻きこんだ大芝居を打とうとするが…。事実と創作を巧みに織り交ぜ、
後の“愛の典獄”有馬四郎助の成長と北海道開拓史の一幕を活写した明治群像劇の名著。

55:吾輩は名無しである
23/12/11 16:50:39.60 EeHOGurm.net
ラスプーチンが来た ―山田風太郎
日露戦争中、ロシアの内乱を企て日本を勝利に導いた男、怪男児明石元二郎の若き日の物語。明治23年、ひそかに来日し暗躍していた怪僧ラスプーチン。彼はロシア皇太子襲撃を画策していた! チェーホフ、二葉亭四迷、
乃木希典、森鴎外までをも巻き込んで日本とロシアの大怪物の対決は続く。

56:吾輩は名無しである
23/12/11 17:45:31.83 EeHOGurm.net
ヤマケイ文庫 雪原の足あと 文庫 2023/5/8
坂本 直行 (著)
十勝平野の牧場と開拓地での三十年にわたる困難な生活ののち、山岳画家として日高の山々や北の大地に向き合うことを決した坂本直行の画文集。
友人たちとの朗らかな山行、アイヌの老人との交友、北海道各地へのスケッチの旅などを通して、原野と山脈への変わることのない深い愛情が、
力強い山岳画や植物のスケッチとともに綴られる。

ヤマケイ文庫 原野から見た山
北海道の大地に生き、日高の山々を愛した画家の代表的画文集。
若き日の山の追憶から昭和三十年代の紀行までの二十六篇を、力強く明快な山岳画や植物のスケッチとともに収録する。
開拓期の北海道の山や原野、開拓農民、造材労働者、アイヌの人たちなど、
北の大地とそこに生きる人々の姿がユニークな視点から生き生きと描かれた、北海道の山の文化を代表する名著。

ヤマケイ文庫 山・原野・牧場
北海道の大地に生き、日高の山々を愛した画家・坂本直行の若き日の画文集を文庫化。
昭和初期、日高山脈を望む十勝平野の開拓牧場で、厳しい開墾労働の日々をおくりつつ、
家畜や野生動物との触れ合い、開拓農民の生活、終生愛し続けた原野の自然と日高の山々への思いを、みずみずしい筆で描く。

57:吾輩は名無しである
23/12/17 12:50:21.19 KPpdjUXp.net
悲しみは憶良に聞け 単行本 –中西 進 (著)
万葉歌人・山上憶良。その原点は朝鮮半島生まれの「在日」という生い立ちにあった。「貧窮問答の歌」など貧困・病苦・老い・生死を見つめた
リアルな社会派詩人----憶良の歌う悲しみは、現代に通じる悲しみである。万葉文学の第一人者であり、
日本人の心性を追究し続ける著者が、「あまりに人間的な」男の人間像に迫る。
憶良はきわめてユニークな歌人で、ほかの歌人たちと大いに作風がちがいます。ほかの人たちが得意とする恋愛の歌は一首もない。
自然や季節の美しさ、変化もよまない。反対に人間の生と死に目を向け、社会を鋭く見つめる男子としての人生を歌の仮題とします。
 作風も徹底したリアリズムといてよいでしょう
全篇貧しい生活にあえぐ姿を描写している、文学史上きわめてユニークな作品です。
「貧乏」などというテーマは憶良以外に万葉歌人のだれひとりとりあげないどころか、近代に至るまで、のちの歌人もほとんどうたっていません。
「貧乏」という主題は、さすが『源氏物語』には登場しますが、和文系統の物語の中で大きな主題となることは珍しいことです。
 ところが近代の小説になるといわゆるプロレタリア文学のように「貧乏」は一大テーマとなります。そうした点からも憶良はきわめて珍しく「現代性」をもった歌人というべきでしょう
663年憶良3歳の時百済が滅亡し、父憶仁と共に亡命してきた
万葉の心(毎日文庫) 文庫 – 2019/5/27中西 進 (著)
「「万葉集」に歌をのこした人は、天皇から大道芸人まで、あらゆる種類の人々である。彼らは心から、歌いたいことを歌う。
すべては自己の感動に発している、無償の行為なのだ。そういう点において、「万葉集」は、もっとも本質的な文学のあり方を示す」

58:吾輩は名無しである
23/12/21 22:28:06.90 +ucc2lcz.net
満洲国を産んだ蛇 関東州と満鉄附属地 単行本 – 2023/7/27
小林英夫 (著)
この蛇のような形の「99年の租借地」が、近代日本の運命を決めた
日露戦争で日本が勝ち取り、満洲国の母体となった【関東州】と【満鉄附属地】。あたかも「蛇」のように満洲国の心臓部に食い込み、脱皮を繰り返すその土地は、しかし満洲国とは全く異なる歴史を歩んできたのである。
最新の研究成果と徹底した現地取材から近代日本史の真実を読み解く―
日・中・露による相剋の歴史を今、見つめなおすための一冊。


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