【偶像の】柄谷行人晩年ひっそり見守りスレ【黄昏】 at BOOK
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700:吾輩は名無しである
22/11/18 00:16:29.71 uH6Y0vei.net
交換様式への執着は、ニーチェの末期に近いと思います。
ホッブスやマルクスを持ち込んでも
カール・ポランニーの交換様式論と
それほど違わないのではないか

701:吾輩は名無しである
22/11/18 00:55:02.37 K//p/4yO.net
ニーチェやポランニーと柄谷行人を並べるのがおかしいです。
柄谷の場合、小室直樹あたりと並べてちょうどよいでしょう。

702:吾輩は名無しである
22/11/18 07:12:35.48 JwJUlxlI.net
あんなに人と同じことは言いたくないという人が
ポランニーのバクリと言われるのを覚悟で
出してきたんです。「交換様式」という視点自体は
のっかって損はないものだと思いますよ。

703:吾輩は名無しである
22/11/18 11:58:32.32 K//p/4yO.net
何を書こうと宣伝工作でどうにでもなるということを
よく知っているからでしょう。
柄谷先生は、文壇商売というのがどういうものか、熟知してる人ですから。
きちんと批判するような暇な人もほとんどいないだろうし。
じっさい、ネット上で読めるしっかりした批判は、
私の知る限り、石井知章氏の書いたものだけだった。
子安先生も批判していたが、こちらは老人会でよくあるそうな年寄どうしの口喧嘩みたいなものだ。

704:吾輩は名無しである
22/11/18 12:06:38.25 wJPyL8NQ.net
>>686
柄谷の交換様式と内容が違うんじゃない?
エンゲルスのはたんに交通としての交換だから、技術的な変化のことを言ってるけど、柄谷のは交換に際した心の在り方を言ってるわけだから。

705:吾輩は名無しである
22/11/18 12:55:22.70 K//p/4yO.net
アウスタウシュというのは、エクスチェンジにちかいので、
「交通」という含みは、ほぼないだろう。
なお、かつて柄谷行人は、「交通、交通」(フェアケーアにちかい)といっていたものだが、
いまは「交換、交換」といっているわけである。

706:吾輩は名無しである
22/11/18 13:21:58.32 wJPyL8NQ.net
>>692
あるよ。
エンゲルスを読めばわかるだろw
単語に囚われていると趣旨が見えなくなる。

707:吾輩は名無しである
22/11/18 13:37:55.97 K//p/4yO.net
柄谷行人『交換様式論入門』
[生産様式(生産力と生産関係)という観. 点は、自然と人間の関係が交換(代謝)であることを見ないために、
そこにあったエコロジカル. な認識を失うことになる]
こういうふうに言っているから、柄谷のいう「交換」は、
人間の自然に対する働きかけ方として「技術」(の使用)を含むのではないの。

708:吾輩は名無しである
22/11/18 13:39:32.61 K//p/4yO.net
>>693
エンゲルスの著書から引用してちょうだい。

709:吾輩は名無しである
22/11/18 13:48:08.34 wJPyL8NQ.net
>>695
自分で引用したところで十分じゃないの?w

710:吾輩は名無しである
22/11/18 13:56:24.11 K//p/4yO.net
代謝 Stoffwechsel
代謝で生じる物質 Stoffwechselprodukt
こうなので、「交換」よりは「生産」だろうから、
「生産様式という観点は、自然と人間の関係が交換(代謝)であることを見ない」(柄谷)
というのは、むりやりなかんではないだろうか。

711:吾輩は名無しである
22/11/18 19:01:23.95 K//p/4yO.net
マルクスは、商品交換については「社会的労働の代謝Stoffwechsel」
だというふうにはいっている。
物質的代謝については、交換云々というようなことは言っていないようだ。
なににせよ、上記の『交換様式論入門」からの引用文の内容とは、
あまり関係ないかんじである。

712:吾輩は名無しである
22/11/18 20:26:41.66 wJPyL8NQ.net
>>697
単語にこだわってちゃだめだよ。
言語ゲームももっと理解しないと。
いや、柄谷が正しいとかいうこととは関係なくさ。

713:吾輩は名無しである
22/11/18 21:06:55.34 K//p/4yO.net
これは〜でこれは〜であるから〜である、
というような書き込みをしてちょうだい。

714:吾輩は名無しである
22/11/18 21:08:39.37 K//p/4yO.net
920考える名無しさん2022/11/18(金) 19:33:03.200
ちなみにファシズムの定義について私は柄谷行人によるものをとる。
つまり、ファシズムはネーションをもっぱら強調することによって
資本に破壊された共同体の回復を図ろうとするものである、というように位置付ける。
その定義をとればいわゆる天皇制ファシズムもファシズムに属することになる。
Mirai Sakomizu
@SakomizuMirai
14:57

715:吾輩は名無しである
22/11/18 21:15:55.44 K//p/4yO.net
ファシズムが「ネーションをもっぱら強調する」のは、
階級闘争のインターナショナリズムを否定したうえで、
階級協調路線をとるためだっただろう。
階級闘争の否定ということでは、柄谷行人とおなじだ。
なにしろ柄谷は、階級意識は消滅したといっているわけだから、
階級闘争なんてありえない、という立場なのはまちがいないはずである。

716:吾輩は名無しである
22/11/18 23:34:33.27 wJPyL8NQ.net
>>700
これ(単語に拘ること)は、(趣旨を見逃すの)で、これ(単語)は、(言語ゲームとしてとらえなければならないの)であるから、(君は間違っているの)である。
これでいいかい、おバカさんw

717:吾輩は名無しである
22/11/18 23:37:25.82 wJPyL8NQ.net
>>701
ファシズムとは、支配層が財閥と結びついて、支配層が大衆からの収奪を極端化して自己の経済的な利益を極限まで追求しようとするものである、というのが普通の定義だけどね。

718:吾輩は名無しである
22/11/19 00:42:16.48 iCjnLo1T.net
≫ファシズムとは、支配層が財閥と結びついて
そういうことはコミンテルンなどが唱えていた説で、
それなりに当たっているところもあるのだろうが、イタリアやドイツでは、
支配層や財閥のみなが、
ファシズム、ナチズムに賛同していたわけでもない、
賛同していたのは一部、というのが、いまは有力な説のようである。

719:吾輩は名無しである
22/11/19 00:44:01.45 iCjnLo1T.net
「ファシズムはネーションをもっぱら強調することによって
資本に破壊された共同体の回復を図ろうとするものである」
これが柄谷行人の説。
702の書き込みは、柄谷説への嫌味。

720:吾輩は名無しである
22/11/19 00:52:32.20 iCjnLo1T.net
戦間期におけるマルクス主義者の


721: ファシズム論 深澤民司 この論文がよくまとめてある。



722:吾輩は名無しである
22/11/19 10:02:06.08 nhO7hVj9.net
>>705
誰が賛同したとかいうことは無関係。
日本で自民党に賛同してるのは資本家や富裕層だけじゃないんだぞ?

723:吾輩は名無しである
22/11/19 10:06:41.27 X3tYzAlK.net
柄谷には同情心が全然ないだろ。
だから、デカイ集団のリーダーにはなれないんだよ。
ファシズムにも良い所があるとすれば、「こいつ可哀想やな」の心だよ。

724:吾輩は名無しである
22/11/19 11:53:50.39 iCjnLo1T.net
ファシズムは、サンジカリスムから出てきたものだ。
つまり、もとが左翼思想だったわけである。
柄谷行人は『世界史の構造』で、交換様式Aがネーションに対応するとしており、
Dはその高次の回復だとしていた。
「ファシズムはネーションをもっぱら強調することによって
資本に破壊された共同体の回復を図ろうとするものである」(柄谷』
ファシズムにしても、ばつに後退主義というわけではないので、
その目指したところの「共同体の回復」は、
高次のものとしての回復だろう。
「柄谷思想」とファシズムには、その点で違いがないといえる。

725:吾輩は名無しである
22/11/19 11:54:50.51 iCjnLo1T.net
×ばつ
〇べつ

726:吾輩は名無しである
22/11/19 12:00:15.16 iCjnLo1T.net
wiki ファッシ
1914年8月18日、ミラノ・サンディカリスム労働組合(USM)の演説台から Alceste De Ambris (it:Alceste De Ambris)は、第一次世界大戦でのイタリアの中立を激しく攻撃し、ドイツ帝国の反動に対する開戦と、フランスやイギリスへの援助の必要性を論じた。彼は第一次世界大戦をフランス革命と等しいとみなした。
このことはイタリア・サンディカリスト労働組合(USI)の中に深刻な分裂を引き起こした。多数派は中立を選択した。1914年10月1日に The Parma Labor Chamber や USM、そして USI の急進的サンディカリストの左派は「国際行動のための革命的ファッシ」(イタリア語: Fasci d'Azione rivoluzionaria internazionalista)を設立した。同年10月5日にユダヤ系イタリア人でイタリア社会党のアンジェロ・オリベッティとアルトゥーロ・ラブリオーラはパジーネ・リベレの新シリーズを発行することで彼らのマニフェストを出版した。その少し後にベニート・ムッソリーニがこのグループに参加して指導力を発揮した[

727:吾輩は名無しである
22/11/19 12:05:43.67 iCjnLo1T.net
ムッソリーニはジョルジュ・ソレルについて、
「ファシズムの精神的な父」「私の師」「私自身はソレルに最も負っている」
と述べた。

728:吾輩は名無しである
22/11/19 13:54:44.22 X3tYzAlK.net
ジャネットよ、お前の悪事の証拠が出たな。樋口恭一のことが純文学5誌総合スレで話題になってるが、
この作家は破滅派なんだが、お前は過去に破滅派に80数万円を寄付したと自慢してたが、この作家は
ジャネットが大金を出資して出来た出版社が主催するローカルな文学賞の優勝者なんだが、その出版
社から作品を出版している。たぶん、その80数万円はその作品の出版費用になったはずだ。
そして、その80数万円はジャネットが給料不払いで貯めた金なんだな。つまり、ジャネットの不正な金
で出版された。

729:吾輩は名無しである
22/11/19 14:00:09.50 X3tYzAlK.net
柄谷や小林秀雄はロシアフォルマリズムの強い影響を受けている。
その最悪な点が異化作用の信奉者としての、他人への共感の排除だ。
それは浅田彰の「安っぽい他人への共感」という侮蔑的表現にも見られる。

730:レディー・ジャネット
22/11/19 14:05:55.68 iCjnLo1T.net
≫お前は過去に破滅派に80数万円を寄付したと自慢してた
寄付したわけではなく、十年以上前にアプリケーションソフトの制作費用を出したことがあるのだ。
そのほかこまごまとしたものを合わせるとこの同人活動に使ったお金は80万円弱、
ということである。
なお、その件は、しつこくたずねられて答えただけであって、べつに自慢したことはない。
破滅派の活動は、同人のボランティアによって成り立っている面が大きいだろう。
それにたいし給料を支払うとすれば、かなりの金額になる。
その意味では、わたしなどよりもこの同人会への経済的貢献度のおおきな同人は、大勢いるだろう。
わたし自身は、同会に対し無償の労務を提供したことがないのだ。

731:吾輩は名無しである
22/11/19 14:09:00.73 X3tYzAlK.net
>>716
ジャネットが誰であるかを俺は100%正確に把握した。
俺は給料不払いの被害者としてお前を告発し続ける権利がある。
お前は嘘つきの悪人だ。

732:レディー・ジャネット
22/11/19 14:20:19.87 iCjnLo1T.net
おふざけなんだろうけれども、
あまりわけのわからないことを書きこむのはやめてちょうだいよ。

733:レディー・ジャネット
22/11/19 14:22:13.92 iCjnLo1T.net
それと、わたしは、二年近く前に、同会を退会していますよ。

734:吾輩は名無しである
22/11/19 14:26:56.09 X3tYzAlK.net
ジャネットのような変態的悪人が掲示板でコテハンを名乗り、毎日のようにオリジナリティの皆無なことを駄弁っているのも
相当に奇怪な現象だ。
大阪の中学生男女二人を殺した男もフェイスブックをやってたが、悪人の自己顕示欲も凄まじい。

735:吾輩は名無しである
22/11/19 14:29:36.23 X3tYzAlK.net
>>718
何がおふざけだ。
お前のことは間違えようがないんだよ。
出版社とお前の関係のことも良く知っている。
>>719
同会を退会とか関係ない。

736:吾輩は名無しである
22/11/20 02:04:33.84 74SpzIzX.net
佐々木敦の書評も忖度かな

737:吾輩は名無しである
22/11/20 11:16:52.87 W38dTj9P.net
>>722 
>>柄谷行人『力と交換様式』、ドキドキしながら読み終わった。
>>最後の三行が涙が出るほど感動的。
>>それは間違いなく、一種の文学的≠ネ感動だと思う。
>>某紙に書評を寄せます
ですか。でもさ、その三行ってなんか変。直前の段落
(「私の考えでは」以下)―これ自体論旨がめちゃくちゃ―
の繰り返しに近いんだが、それなのにその三行は「そこで」と
はじまる。まあ「おいおいこれで終わりなのかよ」と強く思わせる
から、その意味で確かにある種の感動を与える。

738:吾輩は名無しである
22/11/20 13:41:32.84 C0SBSxue.net
できれば、その「直前の段落」と「最後の三行」を引用してください。

739:吾輩は名無しである
22/11/20 15:47:48.73 C0SBSxue.net
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion
15h
特にエンゲルスの『ドイツ農民戦争』などの仕事、その宗教論が高く評価されている。こうやって以前の自分の読解態度を簡単に批判して乗り越えられるところは柄谷さんの強みでしょう
(だから読者はあくまでも自分なりの距離をもって彼の本を読む必要もある)。
柄谷行人『交換様式論入門』
〈『『ドイツ農民戦争』におけるエンゲルスの省察は、西洋に、そして、キリスト教に限定されるよ
うなものではない。たとえば、日本では、一六世紀に長期にわたって、大きな農民戦争が生じ
た。これは、当時進行していた、世界市場の下での社会変容とともに生じたといえる。しかし、
このとき、仏教の一派(浄土真宗)を通して D の契機があらわれたということに留意すべきであ
る。この農民戦争は敗北し、徳川の封建制と鎖国の体制が生まれた。このことは、農民戦争の
敗北はドイツの近代を二〇〇年遅らせた、というエンゲルスの言葉を想起させる。〉

740:吾輩は名無しである
22/11/20 15:51:22.41 C0SBSxue.net
柄谷行人は「仏教の一派(浄土真宗)を通して D の契機があらわれた」
というわけだが、最近の研究では↓のようなことらしい。
@16世紀になると、室町幕府は本願寺を加賀の守護に準ずる者として扱うようになっていた。幕府内には本願寺担当の奉行がおり、本願寺にしても幕府に強力な人脈を有していた。
「百姓の持ちたる国」とされた加賀においても、将軍御料所や幕府直参の知行所を「一向一揆勢力」が保護していた。
つまり、「一向一揆勢力」は、戦国時代の幕府体制内に組み込まれたものだった。
A石山合戦において、一向一揆側が壊滅的に敗北したというのは実態から乖離している。織田政権と一向一揆側とは、非妥協的な対立関係にはなく、むしろ多くの場合に妥協的な共存関係にあった。
B天文期になると、本願寺は、世俗の支配者に門徒は従うべきであるとしており、一般的な政治闘争に際して一揆蜂起を命じることは原則的になく、ぎゃくに支配者が承認した軍事行動に門徒が協力するよう指示した。また、門徒衆の自発的な一揆や諸大名との共闘・対立には関知せず、そいう場合の処分は支配者に委ねていた。
C以上のような前史があったがゆえに、江戸時代において東西の浄土真宗が、支配体制の一環としての最大の仏教宗派として存続したということである。

741:吾輩は名無しである
22/11/20 16:01:05.06 C0SBSxue.net
それに、一向一揆というのは、必ずしも強固な宗教的信念にもとづくものではない
土一揆の一種だと考えたほうがよい、というのが最近の有力な説のようである。
土豪層や商工業者などが加わった「農民反乱」において、公家の身分を持つ本願寺教主がお神輿として担がれていたという面がかなりあるということであった。

742:吾輩は名無しである
22/11/20 16:07:46.13 C0SBSxue.net
源頼朝にしても、清和源氏嫡流という「貴種」が、
関東武士団による「階級闘争」に際して、お神輿として担がれた面があるというのは、
むかしからの有力な説である。
おそらく、本願寺教主にしても、おなじようなものだ、ということなのだろう。

743:吾輩は名無しである
22/11/20 16:28:08.85 C0SBSxue.net
×東西の浄土真宗が
〇東西の本願寺派が

744:吾輩は名無しである
22/11/20 16:56:51.62 C0SBSxue.net
727 訂正
×一向一揆というのは
〇加賀一向一揆などの(本願寺が戦国大名化する前の)一向一揆というのは

745:吾輩は名無しである
22/11/20 18:20:58.31 v798SJ6w.net
マコリン「新潮文庫の漱石の解説が柄谷ばかりなのはファシズムだ」

746:吾輩は名無しである
22/11/20 19:44:35.09 v798SJ6w.net
934考える名無しさん2022/11/20(日) 19:04:34.010
ホームズの1作目か
小林秀雄は「批評は研究ではない」と言ってた
柄谷は、殺人事件の謎=Dを探るという事なのだろう
「力と交換様式」も、探偵小説同様、謎を究明しているのか
マルクスとコナン・ドイルが同時期にイギリスにいたみたいだけど
後者はロンドンではなくポーツマスだったらしい
「資本論」第1巻は、マルクスは在英でハンブルクで出版だったのか
935考える名無しさん2022/11/20(日) 19:22:34.150
「力と交換様式」は「鬼滅の刃」みたいなもので
「交換様式で全ての経済・歴史を説明する」は
「大正時代に人間は鬼と戦っていた」の世界観に相当する
Dの解明を持ち越すエンタメ作品であって
読書人、佐々木敦、チカコー読者みたいな柄谷支持者だけが
柄谷理論に同調する

747:吾輩は名無しである
22/11/20 20:04:30.52 C0SBSxue.net
「ドイツ農民戦争」の指導者のトマス=ミュンツァーは、農民の封建領主による収奪からの救済のために、農奴制の廃止、封建地代の軽減、裁判の公正など、「農民の12箇条」をかかげたとされる。
一向一揆についていうと、柄谷行人の念頭にあったであろう加賀の一向一揆のケースでは、当初は国人一揆の性格がつよかったものが、加賀に宗主代理の一門衆が在住するようになり、そののち次第に国人層から本願寺による支配体制に移行した、ということである。
そして、
「本願寺中央が一門衆を抑圧しようとした事から、享禄4年(1531年)には大小一揆と呼ばれる内紛に発展して多くの一門衆やこれに従った国人衆が粛清された」(wiki加賀一向一揆)
こういうこともおこる。
また、国人一揆の場合、一揆契状には、逃散百姓や下人への対応策が書かれているというのだから、農民支配の強化を目的の一つとすることは明白だろう。つまり、「ドイツ農民戦争」のような農奴解放などというような目的はなく、あくまでも土地所有者であり隷属農民を使役するものである本来の意味の「百姓」の利益のための「闘争」だったわけある。
そういう国人一揆の変化したものである加賀一向一揆は、
おそらく柄谷の言う「Dの契機」といったものではなかったといえるだろう。

748:吾輩は名無しである
22/11/20 20:09:53.17 C0SBSxue.net
×本来の意味の「百姓」
〇名字もちの半武士半百姓層や大百姓層

749:吾輩は名無しである
22/11/20 21:05:51.60 C0SBSxue.net
親鸞とルター-一向一揆とドイツ農民戦争
倉塚平
こういう論文は、宗教学者が書くので、
歴史学者は書かないだろう。倉塚氏にしても、むろん宗教学者である。
柄谷説を裏付けるような「日独農民戦争論」のようなものは、
歴史を専門にしている人は、もはや書かないと思う。

750:吾輩は名無しである
22/11/20 21:19:57.52 C0SBSxue.net
727 訂正
×本願寺教主
〇本願寺宗家および一門

751:吾輩は名無しである
22/11/20 21:37:09.32 C0SBSxue.net
カール・バルト
[源空(=法然)は,積善の功あるもろもろの善行の可能性を必しも否定しなかったのであるが,親鶯によ
れぽその可能性は全くなく,すべてはひたむきな信仰によるのである。生死の輪廻からの何らかの自力的行
為によって解脱しうるには,我々は深く肉の諸欲にしばられすぎている。人間がすべきこと,なしうること
は,人間の側からのいかなる行為もなしに,ただ弥陀の側から廻施された救いへの感謝以外にはありえない
のである」と語り,仏教とキリスト教の本来的な差異があるのもかかわらず,親鶯の信仰観はルターのそれ
と驚くほどの相似性をもっている,それはまさしく神の不可知なる摂理の賜であるとすらいうのである。]
マックス・ウェーバー
〔13世紀初頭に開基された真宗は,少なくとも一切の自力行為を神聖化することを拒否し,阿弥陀仏への教慶でひたむきな帰依の意
識を強調した限りで西洋のプロテスタンチズムと比較されうる。〕
カール・バルトやマックス・ウェーバーにいわせると、
浄土真宗の信仰の在り方はプロテスタンティズムに近いということなのだろう。
ちなみに、ハイデガーも、親鸞をほめちぎっていた。
佐藤優は、映画「マルクスとエンゲルス」の上映会の際の講演で、
「いまの柄谷さんの考えは、カール・バルトにちかい」などと言っていたが、
それが腑に落ちた。
ウェーバーのことはいうまでもないだろう。

752:吾輩は名無しである
22/11/20 21:39:29.16 C0SBSxue.net
×カール・バルト
〇カール・バルトは、

753:吾輩は名無しである
22/11/20 21:40:58.48 C0SBSxue.net
上記引用は、
「親鸞とルター-一向一揆とドイツ農民戦争」
倉塚平著
から

754:吾輩は名無しである
22/11/20 21:45:04.81 C0SBSxue.net
佐藤優「マルクス・エンゲルス」トークショー
〈神様っていうのはなくなって、キリスト教っていうのはなくなったんだけれども、エンゲルスのモラルはマルクスをサポートし、周辺の人々をサポートし、共産主義運動を作ろうとした、その考え方は非常にカルヴァン主義的であると思う。これは第一次世界大戦に直面して今までのキリスト教界を徹底的に批判する中で、危機の神学とか弁証法神学というものを作ってきたカール・バルトっていうスイスの神学者がいるけれども、その人なんかとも親和性がある。この問題に最近強い関心を持っているのは柄谷行人さんだよね、柄谷行人さんの思想を理解する時にもこの『マルクス・エンゲルス』は役に立つ。ちなみに光文社新書から私はエンゲルスについて一冊本を出しています、『キリスト教神学で読みとく共産主義』という本です。先程言った廣松渉が若い頃に書いたエンゲルス論を批判する、まさに“批判的批判についての批判”の本を作ったわけです〉

755:吾輩は名無しである
22/11/20 22:55:45.08 C0SBSxue.net
733 訂正
×国人層から本願寺による支配体制に
〇国人層によるものから本願寺による支配体制に

756:吾輩は名無しである
22/11/21 01:41:58.44 sIpeL/C1.net
哲学板マルクススレ
473考える名無しさん2022/11/20(日) 22:15:47.070
風の谷のナウシカは14の眼を持つ王蟲に、この世界は貴方にはどう映るのかと語る
対象は同一でも認識器官という物理条件が違うと生成される像には差異が生ずる
人間の場合、わたしは貴方ではないと規定するし、植物でも金属でも無いと規定する
科学は実はそれぞれ物理状態の差異であり、否定関係ではないことを示す
また科学はわたし、地球、宇宙と同一で規定する
これらは同一であることは運動変化しているから同一であることはないが同一で規定する
他には同一であるが非同一で規定する
自己には非同一であるが同一で規定する
ウイルスは生物非生物と分類困難
生物非生物は物理としては差異であり否定関係では無い
生まれるとは物理状態の遷移
死もまた同様
生死は物理として存在しない
わたしは同一であることはなく、物理としてはわたしでありわたしではない
わたしは同一ということだから
対象は矛盾も何もない
それは規定するから出来するだけ
あくまでも認識する側の問題で規定するから矛盾が出るだけでなんら対象の問題ではない

757:吾輩は名無しである
22/11/21 01:42:11.25 sIpeL/C1.net
474考える名無しさん2022/11/20(日) 22:23:18.220
形は自然には存在しない
〈ここ〉から〈ここ〉までは存在しないから
認識器官は自然を全て反映しない
座標原点、つまり運動の否定としての静止は存在しない
つまり自然は運動するエネルギーの濃淡
有の否定としての無は存在しない
それは認識器官という物理条件にエネルギーの淡の状態は像として生成されないから
認識器官には〈ここ〉からは存在するが自然には存在しない
形は認識器官に生成された像
カントの二律背反は終始は存在しないが終始で規定するということ
形もまた存在しないが形で規定する
二律背反は対象と規定の関係
対象は無矛盾で終始は存在しない
矛盾はなんら対象の問題では無い
それを否定で規定するからこそ出来するだけ
カントの二律背反も然り
ヘーゲルの運動規定もまた然り

758:吾輩は名無しである
22/11/21 01:46:35.85 sIpeL/C1.net
1単独性(特異性)―普遍性
2潜在的なものの現勢化
↑についてひじょうに上手いことまとめている書き込みがあったので、
コピー・アンド・ペイストしておく。
ことに1に関しては、柄谷行人のテキトウな理解と比べてみればよい。

759:吾輩は名無しである
22/11/21 02:03:21.09 sIpeL/C1.net
481聖賢者2022/11/20(日) 22:44:55.300>>483
「規定は否定」っていうのが意味わからんな
あなたにとって「規定」とはどういう定義?
上のような書き込みがあったので、↓を引用しておく。
「すべての規定性の基礎は否定である(スピノザが言っているように、あらゆる限定は否定である)。」
(ヘーゲル『小論理学』)

760:吾輩は名無しである
22/11/21 02:19:10.15 sIpeL/C1.net
742、743の引用文に問題があるとすれば、
「認識器官」とか「物理状態」とか、素朴二元論的な
言葉遣いをするところでしょうか。

761:吾輩は名無しである
22/11/21 03:04:42.28 sIpeL/C1.net
哲学板マルクススレで、マルクスのいった「宗教は民衆の阿片」という言葉が問題になっている。
その文章を読んだことのある人は意外に少ないと思われるので、引用しておく。
『ヘーゲル法哲学批判序説』
〈宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆の阿片である〉

762:吾輩は名無しである
22/11/21 03:08:59.35 sIpeL/C1.net
ミシェル・フーコー『精神なき世界の精神』
(これはイラン・イスラーム革命について書かれたものである)
〈人は、マルクスと民衆の阿片という語をあいかわらず引用しています。ところで、この一節の直前にある文章は引用されることがありませんが、そこには、宗教は精神のない世界の精神だ、とあるのです。いわば、イスラームは一九七八年には民衆の阿片ではなかったのです。それはまさしく、それが精神のない世界の精神だったからです。〉

763:吾輩は名無しである
22/11/21 09:15:20.71 d+QY2RZF.net
チカコp391で柄谷はマルクスの「民衆のアヘン」という言い方を
宗教について否定的に見たものとしているが、柄谷は以前、
そうは見ていなかったし、チカコ全体としてもその見方は維持されているはず。
チカコには、不用意な言い方が相当ある。

764:吾輩は名無しである
22/11/21 09:27:11.29 55761Vir.net
農民戦争と一向一揆が、同時期で内容も同様というのは
柄谷より先に山下範久が言ってたと思う。

現在、王政が維持されてるのはイギリスと日本くらい。
ロシア、中国、フランス、ドイツでは廃止された。
都合のよい共通性を取り出している。

765:吾輩は名無しである
22/11/21 14:40:03.85 7BL/Md4h.net
948考える名無しさん2022/11/21(月) 14:37:58.800
柄谷思想の総決算、希望示す
2022年11月19日
柄谷思想の総決算ともいうべき大著である。マルクス主義において社会構成体の歴史は生産様式によって規定されてきた。柄谷はそれを交換様式で読み変えることを提案する。交換様式A(互酬)、B(服従と保護)、C(商品交換)、D(Aの高次元での回復)である。12年前の『世界史の構造』で提示されていた枠組みだが、むろん問題はDである。互酬の「高次元での回復」とは何なのか? 本書は交換様式の4つの段階を途方もない時間的/地理的なスケールで綿密かつシャープに辿(たど)り直しながら、Dの謎に迫っていく。その際のキーワードが「力」である。
柄谷は交換という営みに「力」が宿ると述べる。それはいわゆる剰余価値とは違う。本書の言い方に従えば、それは「観念的あるいは霊的な力」である。スピリチュアルな雰囲気を感じて警戒する向きもあるかもしれないが、そうではない。確かにそれは、たとえば宗教的な力だと言えるが、特定の宗教宗派ではなく、あらゆる宗教の根源を成す、いわば世界宗教のエンジンとなるような力である。
Aは異なる集団の間の贈与の応酬である。定住によって、それはBに変化する。Bは「王」を、そして「国家」を生み出す。その発展段階とされるCは「貨幣」を生み、それは「資本」に転化する。現在、C、つまり資本主義は多くの意味で行き詰まりを迎えているが、抜本的な対策は見えない。Cのマイナーチェンジでは最早(もはや)どうしようもない限界に至りつつあるのだ。本書はABC、どの段階にも力が宿るという。B=国家の力は「怪獣」であり、C=資本の力は「物神(フェティシズム)」である。それらは人間の意志を超えており、やがて制御不能になる。
そこで社会構成体=集団の最初期段階であるAに孕(はら)まれていたが、B以後に見失われてしまった力を「高次元で回復」することによって、Cの乗り越えが可能なのではないか。このことに(無意識的に)気づいていた者としてマルクスが、エンゲルスが、ホッブズが、トーマス・モアが、ブロッホが、ヴェーバー等々が、次々と召喚される。
ではDとは何か。本書の結論は評価が分かれるかもしれない。だが、それが真摯かつ誠実なものであることは確かだ。これは予言の書であり、希望の書でもある。
《評》批評家 佐々木 敦

766:吾輩は名無しである
22/11/21 14:59:39.68 sIpeL/C1.net
あまりに内容のない書評である。佐々木氏は、じつは読んでいないのではないか。
佐々木敦
〈Aは異なる集団の間の贈与の応酬である。定住によって、それはBに変化する。Bは「王」を、そして「国家」を生み出す。〉
柄谷行人『交換様式論入門』
〈その状況が変わったのは、グローバルな気候変動のために、彼らが各地で定
住し始めてからです。以後、集団の中に、対人的な葛藤、富の格差が生じるよ
うになった。また、定住しているために、他の集団との交換が必要となり、且
つそれが困難となった。このときに、交換様式 A、贈与の互酬性が始まったと
いえます。〉

767:吾輩は名無しである
22/11/21 16:28:39.06 sIpeL/C1.net
[マルクスが、エンゲルスが、ホッブズが、トーマス・モアが、ブロッホが、ヴェーバー等々が、次々と召喚される]
(佐々木)
大思想家の思想について、数行書いて、はい、お次、また数行、
はい、お次、と「次々と召喚」する。
おおきな歴史上の出来事などについても、おなじで、数行書いて、はい、お次のくりかえし。
長年研究している人がすくなからずいるような事柄に関し、3行書いて、はい、お次、
そんな本を真面目に読むのがどうかしている、とでもいうのが
批評家のすべきことだろう。

768:吾輩は名無しである
22/11/21 16:40:14.89 WIB6tV/Z.net
だから柄谷は自分の交換様式論にあてはめてるだけでしょ、延々と

769:吾輩は名無しである
22/11/21 17:34:48.56 G2ANiW9s.net
柄谷には羞恥心がないだろ
なぜ非正規雇用で働くのかも分らなかったみたい

770:吾輩は名無しである
22/11/21 19:15:00.23 2ORbGc4J.net
「力と交換様式」という本の中に流れてる副テーマは、フェティシズムである。

もうこれははっきりと言うから。
拡散推奨。
コピペ推奨。

自信ありますよ

771:吾輩は名無しである
22/11/21 19:15:30.49 2ORbGc4J.net
これをもっとはっきり云えば、

  「力と交換様式」という本の中に流れてる副テーマはフェティシズムと内在である。

こっちのほうがもっと正しいから
拡散推奨w

772:吾輩は名無しである
22/11/21 20:52:40.50 d+QY2RZF.net
>>753 
>>大思想家の思想について、数行書いて、はい、お次、また数行、
>>はい、お次、と「次々と召喚」する。
>>おおきな歴史上の出来事などについても、おなじで、
数行書いて、はい、お次のくりかえし。
これはカラヤンが当初からしてきたことですけれど、昔はカラヤン、
それが実にたくみにできたんですよ。その意味ではチカコーが
カラヤン最大の駄作だと思います。

773:吾輩は名無しである
22/11/21 21:01:11.28 ye07NniQ.net
「世界史の構造」で
歴史事象を交換様式で分類する不毛なページが続いてたような
「哲学の起源」はひたすらイオニア礼讃

774:吾輩は名無しである
22/11/21 22:13:05.40 sIpeL/C1.net
727 訂正
×土一揆
〇国一揆

775:吾輩は名無しである
22/11/21 22:50:30.26 sIpeL/C1.net
≫「哲学の起源」はひたすらイオニア礼讃
これにしても、「史料はほとんどない」〈柄谷〉と言いながら、
イオニアは、こうだった、ああだった、と見てきたようなことを書いて
「礼賛」しているのだろうから。もしかして霊視したのでしょうか。

776:吾輩は名無しである
22/11/21 23:25:52.35 cZwDHjMt.net
元々、柄谷スレは哲学板が本拠のはずだが、柄谷自身の老衰によって哲学板柄谷スレの求心力が無くなり、
文学板に哲学板の汚れや穢れが流れ込んだ。哲学板東スレの汚れ穢れも同様に文学板に流れ込んでいる。
柄谷や東は自分たちのファン=馬鹿阿保ゴミカスを自分たち自身で回収しろよ。

777:吾輩は名無しである
22/11/22 02:16:21.26 RSHTJ6MR.net
こういうツィートを発見すると、ほっとします。
物事をちゃんと観て判断される方はいらっしゃるということに。
老書生
@syuihakumumu00
·
25. jan. 2019
Svarer
@honnoinosisi555
一昨年加賀一向一揆の中心勢力だった光徳寺(現七尾市)を訪ね今に至る住職家は富樫政親の係累なるを発見。守護、国人層の内紛の色彩強し。ドイツ農民戦争とは程遠し。

778:吾輩は名無しである
22/11/22 22:52:16.84 RSHTJ6MR.net
≫柄谷には羞恥心がないだろ
それは柄谷行人だけの問題ではないだろう。
柄谷行人から少なからぬ影響を受けた言論人や文化人の多くには、
「知識」というものにたいする態度に、
真摯さがなく、モラルハザード(日本的な意味の)的な傾向がある。

779:吾輩は名無しである
22/11/22 23:25:09.58 Tbw0x4qF.net
柄谷が海外で読まれてると言っても
フランス大統領がベルばらでフランス革命を知ったようなものか
どこの国でも哲学、歴史の教科書は退屈だけど
イソノミア、交換様式と言われると何それ?という感じで

780:吾輩は名無しである
22/11/22 23:47:12.97 RSHTJ6MR.net
>>758
「むかしは巧みにできていた」というほどでもないだろう。
むかしは、ごくたまに目から鱗が落ちるようなことも書いたので、
たしかに、いまよりはましだったかもしれないが、
やはり大半はデタラメなのがすぐにわかるものだった。
ただ、いまは昔と違って、内外の論文など誰でもも簡単に読める。
そういうわけで、知識を得るためのコストが、いまやゼロに近くなっているので、
むかしとちがい、デタラメを書くと、まともな読者にはすぐバレる、ということはあるかもしれない。

781:吾輩は名無しである
22/11/22 23:55:24.63 RSHTJ6MR.net
≫柄谷が海外で読まれてると言っても
英語のまともな書評は、ほぼないと思いますよ。
サクラみたいなのしかいないかんじだ。
だから、ほんとうに読まれているのか、ひじょうにあやしい。
欧米で読まれている、というのは、国内向けの宣伝ではないか。
柄谷行人の本なんか、欧米で読まれていないほうがいいです。
まともな読者に読まれて、日本最高の「知識人」の書くものは、こんなデタラメなのか、と思われたら、
日本人としては恥ずかしいでしょう。

782:吾輩は名無しである
22/11/22 23:56:38.72 RSHTJ6MR.net
×読者
〇読書家

783:吾輩は名無しである
22/11/23 09:22:55.99 X3uDrdSr.net
中国で大学出ても就職できない若者が
柄谷読んでるらしい
エリートコース行けなかったのが
ニューアカ読んでたのと同じだろう
人口で考えれば日本の10倍かもしれない
柄谷はその中国市場を維持したいだろう
中国当局を批判しないのと関係あると思う
共産主義に可能性があるかのように語るのも
斎藤が格差を無くせるかのように語るのと同じだと思う
日本近代文学の起源、トランスクリティークは
欧米で多少、読まれてるみたいだけど
ジジェクとか日本に伝わる範囲

784:吾輩は名無しである
22/11/23 12:47:31.09 xwy8Wj+U.net










785:吾輩は名無しである
22/11/23 12:48:31.48 xwy8Wj+U.net


宿








786:吾輩は名無しである
22/11/23 16:07:04.82 v+gXuWxh.net
柄谷行人『交換様式論入門』
〈『ドイツ農民戦争』におけるエンゲルスの省察は、西洋に、そして、キリスト教に限定されるよ
うなものではない。たとえば、日本では、一六世紀に長期にわたって、大きな農民戦争が生じ
た。これは、当時進行していた、世界市場の下での社会変容とともに生じたといえる。しかし、
このとき、仏教の一派(浄土真宗)を通して D の契機があらわれたということに留意すべきであ
る。この農民戦争は敗北し、徳川の封建制と鎖国の体制が生まれた。このことは、農民戦争の
敗北はドイツの近代を二〇〇年遅らせた、というエンゲルスの言葉を想起させる。〉
ドイツ農民戦争と一向一揆とは、宗教イデオロギーが強力だった時代の貢納制生産様式にもとづく身分制社会における騒乱、という共通点はあるにはある。しかし、そもそも人類の歴史上、宗教のかかわらない大規模な「騒乱」というものが、ずいぶん珍しいだろうから、そのくらい


787:の共通点があるのはあたりまえではないか。 日本人がヨーロッパの「農民反乱」について知っているほどには、欧米人は日本の「一揆」について知らない。これはたとえ知識層であってもそうである。日本の中高の世界史教育がヨーロッパ史に重点を置いているのとくらべ、欧米のそれでは日本史についてはちょっとふれるくらいだろうし、また、ほとんどの欧米人は日本の歴史にさほど関心がない。だから、残念ながら、そうなるのも仕方ないのだ。 そういう欧米の知識層がたまたま、柄谷行人の「一揆」について書いたものを読んで、なるほど、そうか、というふうに鵜呑みにしてしまうようなことがあるようならば、それはそうとう問題である。



788:吾輩は名無しである
22/11/23 16:08:14.02 v+gXuWxh.net
×あるようならば
〇あるならば

789:吾輩は名無しである
22/11/23 16:12:39.85 v+gXuWxh.net
演題「中世島津氏と『一揆』−地域比較の視点から」
久留島典子
一揆の変質−室町時代〜戦国時代  
さらに時代が進んで室町時代になるとどうなるかと申しますと,冒頭でお話致しました土一揆が登場してくるわけです。正長元(1428)年の,有名な正長の土一揆ですね。ただし,そういう百姓 たちといいますか民衆の一揆ということでは,これより以前南北朝の後期の時代には,すでに荘園 という中世の支配単位で,百姓たちを中心とする一揆があらわれています。これを「荘家の一揆」 といいますが,この「荘家の一揆」はあくまで荘園単位ですが,土一揆は京都などの都市でおきている点が異なります。

790:吾輩は名無しである
22/11/23 16:13:59.96 v+gXuWxh.net
その参加している人間ということでは類似はあるのですが,少し性格が違う。 ただ,お百姓さんといいますか,そういう人も参加するような一揆が室町時代には登場するということに大きな意味があります。
ここでお百姓さんといいましたが,江戸時代の百姓とは違いまして, 中世の百姓とは年貢を請け負っている人間を指し,その中には実際に直接耕作をしていない人もいることには注意していただきたいと思います。
なお,江戸時代に中世一揆の典型のようにみなされ た一向一揆も,室町時代の後半に登場します。 さらに,戦国時代に進みますと,戦国大名の支配下で,新たな形の武家の一揆が出てきますし, また,一向一揆のみならず法華宗の一揆なども出てきます。
さらには,郡や国などより広域な地域 で,武士たちだけではなくその地域に住む百姓から寺社まで,その地域の全ての人々を巻き込んで, 中心となる有力武士などが結合して一揆をする,そういう惣国一揆というようなものも出てきます。
伊賀の惣国一揆は掟書が残っていることで有名です。なお,注意しなければならないのは,一向一 揆の場合には,史料上は「土一揆」と表現されている場合が多い点です。一向一揆と土一揆はなかなか区別の難しいものといえます。

791:吾輩は名無しである
22/11/23 16:14:51.92 v+gXuWxh.net
ドイツ農民戦争に関する研究論文は、検索すればたくさん出てきます。

792:吾輩は名無しである
22/11/23 16:15:30.67 9BvfzzZ1.net
>>772
日本に関心がある人は経済的な現実からだろうね。
他の日本通というのはゲイシャフジヤマアニメーションの域を出ない。
まともなのはWW2で敵国研究として日本の精神を学んだ知識人ぐらい。

793:吾輩は名無しである
22/11/23 16:57:38.99 v+gXuWxh.net
wiki ルター
1524年、西南ドイツのシュヴァーベン地方の修道院の農民たちが、賦役・貢納の軽減、農奴制の廃止など「12ヶ条の要求」を掲げて反乱を起こし、これは隣接地域へ瞬く間に広がっていった。これが1524年から1525年にかけて起こったドイツ農民戦争である。ルターは初めはローマ殲滅戦を煽動していたが、次第に路線をめぐり党派に分裂するなか、ルターは反乱側にではなく、市民・貴族・諸侯の側について暴徒の鎮圧を求め、民衆には平和な抵抗を訴えるようになる(この平和な抵抗の路線についてはすでにさかのぼること1520年『ドイツ国民の貴族に与う』で示されていた)。
ルターは路線変更後の1525年、『盗み殺す農民に対して』において「親愛なる諸卿よ、やれるものは誰でも彼ら(農民)をたたきつぶし、絞め殺し、刺し殺せ。(…)狂犬を撲殺しなけらばならない」と農民の殺害を煽動するほどであった[12]。宗教改革を成功させるためには、世俗の権力と金力が必要だった[13]
ルターの鎮圧支持[14]を受けた領主たちはシュヴァーヴェン同盟を中心として徹底的に農民暴動を鎮圧し、首謀者たち(?[15])を殺害した。ミュンツァーも捕らえられて処刑された。

794:吾輩は名無しである
22/11/23 17:16:24.27 v+gXuWxh.net
ドイツ農民戦争というのは、貴族階級の人間でもないルターが、途中で体制側に寝返ってしまうほど、
ラディカルだったわけだ。
一向一揆は、貴族階級である本願寺宗主とその一門をずっと旗頭にかついでいたくらいなので、
もともとそれほど反体制的ではないというのがわかるだろう。けっきょく、「中世の百姓とは年貢を請け負っている人間」
これよりも上の階層の利益のための「闘争」にすぎなかったといえるだろう。寺内町というのは、貢納負担が軽かたっという。
守護や守護代に税金を納めないから貢納負担が軽かったそうだ。だからこそ、商工業者などが集まってきて発展したのだろう。それを、織田政権みたいなのがやって来て、
おれのところは戦費がかかるのだ、だからもっと貢納しろ、といわれれば、それに不服で抵抗するところはでてくるだろう。
それでもしょうがないということでおとなしく貢納して、抵抗しなかった一向宗の寺内町もあったらしい。
また、石山本願寺にしても、織田勢が燃やしたのではないというのが現在の定説だそうだ。
本願寺側が放火したという説がいまは有力である。織田政権は、本願寺一門と指導的な土豪層が退去すればよく、市民は残っていままでどおり
耕作や商売をしなさい、と布告しており、石山(大坂)市民も大半は、宗主一門が立ち去っても、
残ってそれまでのように暮らそうとしていたそうである。信仰よりも生業のほうが大事、ということだろう。

795:吾輩は名無しである
22/11/23 17:21:53.00 v+gXuWxh.net
×税金
〇税(地代)

796:吾輩は名無しである
22/11/23 17:34:19.90 PvnxCZiC.net
ジャネットは給料不払いで多数の人間を窮地に追い込み、その中には行方不明の母子もいるというではないか。
無論、俺も給料不払いの被害者の一人だが、ジャネットのような犯罪者にして、自己顕示欲のそこそこある人間というのは精神障害者であることは間違いないだろう。

797:吾輩は名無しである
22/11/23 19:23:25.87 PvnxCZiC.net
ジャネットは逮捕されるのが順当な人間だろ。

798:吾輩は名無しである
22/11/23 20:43:49.32 v+gXuWxh.net
おふざけのデマ流しは、ほんとうにやめてちょうだい。
一向一揆と浄土真宗の戦争責任
オカムラ・トシユキ
 
〈それにしても、「百姓ノ持タル國」ではなく、「百姓ノ持タル國ノヤウ」―とは、実悟という人、至って正直な御仁だったと見える。そりゃあ、坊主の立場からすれば「ノヤウ」としか言えんだろうなあ。これについてはご当所の石川県が昭和2年に刊行した『石川縣史』でもこんなふうに記しているのだけれど―「彼等の上には、假令その要求の充分に滿たされざるまでも、常に自家の權利を主張して貢賦を納れしめんとする本家領家の徒あり。
信仰上の絕對權力たる本願寺あり。本願寺によりて派遣せられ、命令下達の任に當る御山の坊官あり。本願寺に屬してヘ義宣傳を職とする大寺小坊あり。平時に於いては僧徒の顧問となり、戰時に於いては交戰部隊の指揮官たる土豪浪士の類あり。これ等のものは、その社會に於ける地位、皆土民の上に臨む所の命令者なり。故を以て農民が第三級以下たり、被治者たり、勞役者たることは、一向一揆の政治に於いても、亦富樫氏の守護時代と毫も異なることあらず」。
ま、そういうことだよね。「百姓ノ持タル國」というのがあまりにもキャッチーなので独り歩きしちゃったんだろうけど、別に中世の日本に仏教的な共生思想に貫かれた農業コミューン≠ェ出現したわけではないんだ。あるいは、このあたり、いわゆる「進歩的知識人」と言われる人たちが世論をミスリードしてきたという側面があるのではないか。むしろ「進歩的知識人」と言われる人たちこそ、この歴史的悲劇を痛みを以て見つめるべきだったのでは?〉

799:吾輩は名無しである
22/11/23 20:51:10.93 v+gXuWxh.net
>>763
のトィートとおなじく、
「別に中世の日本に仏教的な共生思想に貫かれた農業コミューン≠ェ出現したわけではないんだ。」
こちらも正確な見方だろう。そして、
「仏教の一派(浄土真宗)を通して D の契機があらわれたということに留意すべきである」(柄谷)
↑のようなのが「世論をミスリードしてきた」ということになるであろう。


800:吾輩は名無しである
22/11/23 21:09:19.48 v+gXuWxh.net
しかも、「百姓ノ持タル國ノヤウ」の
百姓というのは、↓のことである。
wiki
名主(みょうしゅ)は、日本の古代末期から中世日本にかけて、公領・荘園領主から名田の経営を請け負うとともに、領主への貢納(年貢・公事・夫役)の責務を担った階層である。

801:吾輩は名無しである
22/11/24 00:56:56.41 rA0shnVC.net
笠原一男(1916〜2006)
エンゲルスの『ドイツ農民戦争』を意識しつつ、
一向一揆を門徒農民・下級武士・職人などによる「反封建制闘争」と位置付ける。
↑で引用した文を書かれたオカムラ氏のいう「世論をミスリードしてきた」専門家の代表が、
笠原一男だろう。笠原の上記の説は、ずいぶん批判されたものだそうで、
日本中世史の専門家では支持する人は、とっくにいないということらしい。
柄谷行人は、若いころに、笠原の本を読んだか、あるいは、直接教わったかしたのではないだろうか。

802:吾輩は名無しである
22/11/24 00:57:45.76 rA0shnVC.net
×↑で
〇784で

803:吾輩は名無しである
22/11/24 15:31:24.46 yctJe4c6.net
>>783
ふざけじゃなくて本気だ。
お前の給料不払いで経済的に追い詰められた母と幼い娘は行方不明なのだ。
ジャネットに聞くけど、母親は悲観して無理心中したのかね?
お前のようなあくどい犯罪者が反省もしないで柄谷や岩波や共産党のプロパガンダを
やってるのは不思議中の不思議だろう。

804:吾輩は名無しである
22/11/24 15:48:07.99 rA0shnVC.net
いったいなんのことやら。
柄谷行人は、網野善彦を批判し続けていたくせに、
いまは、一向一揆が「無縁・公界・楽」を生じさせた、
みたいな「網野史学」的な幻想をもっているのではないか。

805:吾輩は名無しである
22/11/24 15:51:45.88 rA0shnVC.net
おもえば、沖浦和光も、一向一揆幻想みたいなものをふりまいていたと思う。
『日本の聖と賤 中世篇 』野間 宏・沖浦 和光

806:吾輩は名無しである
22/11/24 16:05:22.86 yctJe4c6.net
>>789
ジャネットよ、いつまでふざけてるんだよ。
お前が母と娘を殺したのか。

807:吾輩は名無しである
22/11/25 00:06:17.33 QyULj42z.net
網野(また沖浦も)の「無縁・公界・楽」のようなものは、寺内町だけではなく、
堺や博多などの「自治都市」にもあったということになっている。
網野説の場合は、「宗教幻想」ではなく「中世幻想」が中心だからだろう。
しかし「宗教幻想」に浸りたい柄谷のほうは、寺内町よりは宗教色のはるかに薄い「自治都市」の在り方については
ほとんど関心がないようである。

808:吾輩は名無しである
22/11/25 04:43:27.94 QyULj42z.net
港町・尼崎と塚口寺内町 - 図説 尼崎の歴史-中世編
仁木宏
尼崎は柄谷行人の出身地だ。
ところが、柄谷説について私がした批判の内容を裏付けることばかり書いてある。
柄谷先生も、せめて郷土史くらいは勉強すべきだったろう。

809:吾輩は名無しである
22/11/25 07:42:02.98 lt1zAyWl.net
>>793
ジャネットよ、お前が人殺しなら、やるべきことは警察に自首するか、自分でけじめをつけるかの
どっちかしかないんだよ。

810:ぶよういんし
22/11/25 07:49:23.01 lXbdjc4t.net
>>789
網野は「一向一揆が「無縁・公界・楽」を生じさせた」なんていってないんだがな。
他の書き込みも含め、君はどうかしてるよ。

811:吾輩は名無しである
22/11/25 12:52:41.66 QyULj42z.net
網野説で、「無縁・公界・楽」を生じさせるもののうちに
一向一揆も含まれている。
いいがかりをつけるならば、なにか論文なりを引用してちょうだい。
どうせできないとは思うが。

812:吾輩は名無しである
22/11/25 12:57:02.91 QyULj42z.net
[〈「太子」ともいわれる「渡り」たち、漂泊・遍歴する海民、山民、商工業者を、一向一揆の主軸とする主張を、完成することなく世を去った井上鋭夫氏の説は、一向一揆と「公界者」との切り離し難い関係を示唆しており、〜〜中略〜〜一向一揆と寺内町に、「公界」「無縁」の原理が強靭な生命力をもって働いていたことは疑うべくもない〉
(『増補 無縁・公界・楽』)

813:吾輩は名無しである
22/11/25 13:16:58.57 QyULj42z.net
柄谷行人『丸山真男とアソシエ―ショニズム』
〈しかし、集権化という面でいえば、徳川体制は「徹底的」であった。ヨーロッパでは丸山真男が指摘するように、王権に対する西ローマ教会の対抗が強く、結果的に「中性国家」(カール・シュミット)に帰結したのであるが、織豊政権から徳川体制にいたる過程で、一向宗(浄土真宗)などの宗教勢力は完全に制圧されてしまった。このことは狭義の宗教の問題にとどまらなかった。一向宗は、堺などの都市国家、加賀などの農民コンミューン国家と結びついていたからである。ゆえに、徳川体制が宗教を制圧したことは、自主的結社を支える精神的基盤を根本的に奪うことを意味したのである〉

814:吾輩は名無しである
22/11/25 13:23:11.75 QyULj42z.net
×〈『増補 無縁・公界・楽』)
〇(『増補 無縁・公界・楽』レジュメ 吐山信子)

815:吾輩は名無しである
22/11/25 13:29:06.40 QyULj42z.net
無縁・公界・楽
不入権; 地子・諸役免除; 自由通行権の保障。
16世紀の日本で、上のような特権を認められていたのは、たいてい寺内町なのだ。

816:吾輩は名無しである
22/11/25 13:58:31.57 QyULj42z.net
アジールとモビリティ ― 網野善彦「無縁」論の可能性 舟木徹男
↑では、網野の「アジール論」と柄谷の「アジール論もどき」を並べて論じています。

817:吾輩は名無しである
22/11/25 14:14:42.97 QyULj42z.net
「一向宗(浄土真宗)などの宗教勢力は完全に制圧されてしまった」(柄谷)
もともと宗教勢力は、戦国時代においても幕府体制内に組み込まれていた。
なお、室町将軍直轄料の守護というのは、下剋上で追い落とされたケースは少ないのだそうだ。
幕府御料所にかかわる諸権利は、戦国時代にも割と尊重されていたということなのだろう。
また、織田政権と石山本願寺の対立に際しても、
一向宗系の寺内町のほとんどは、中央の意向にしたがわず、織田方につくか中立だったという(仁木宏など多数)。
織田政権と本願寺宗主および一門の対立にしても、もっぱら支配層内における権力闘争的な理由によるものだという。
柄谷の理解は、日本中世史の知識の乏しい評論家の幻想だといえる。


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