【群像☆】批評の新人賞が全滅!【すばる】 at BOOK
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1:吾輩は名無しである
22/01/07 22:11:16.48 UO3BfyGO.net
新潮の評論賞が消え、群像評論賞も休止、すばるクリティーク賞も休止。
日本の思想は文芸批評が牽引してきた。
小林秀雄、吉本隆明、江藤淳、柄谷行人、蓮實重彦、福田和也など。
どう思う?

127:吾輩は名無しである
22/02/07 22:14:16.02 INs8ACAS.net
>>124
要するに釈尊をああ描いた芥川が悪い。
すまん、一つ重要かもしれないので最後に追加しときます。
それまで重視されてなかった悪人正機、歎異抄を使ってプロテスタント化したのが清沢満之
それが倉田百三などによって流布され、仏教の核心のようにいわれるが、歎異抄は自著でなく、蓮如以前に痕跡すらなく、清沢以前は重視されてない
流布してる説は、ほとんどプロテスタント的なので仏教とは思えないし、真宗で妙好人などを出していた生きた伝統とは全く違い、この流れからは、妙好人は出てないように見える。
つまり、結果が出せない誤ったものと思います

128:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/08 00:08:12.71 T2bFIyx/.net
 実は私、アンベドガルについてはほぼなんにも知らない ただかつて野間宏が沖浦和光との対談でアンベドガルについて延々とくっちゃべってたのに目を通したことがある そのとき野間があたかもアンベドガルこそ真の仏教者であるかのように持ち上げつつ、彼が社会主義(=スターリニズム)に批判的だったことについてはほとん触れない姿勢に「これだから政治的な文学者はーー」と若干失望した覚えがある
 仏教が「輪廻」の概念をバラモン教から引き継ぎつつ、一方で「解脱」を唱えたのはおそらく事実だろう そしてその宗教史的事実こそ仏教が結局カーストをそのものを否定出来ず、ヒンドゥーの「付録」になり果て、我が国における差別戒名にも繋がっていった原因でもあろう 多分アンベドガルはこの事実を薄々知ってたからこそ、そして反面で社会主義にも与しえなかったからこそ、「輪廻」を頑なに斥け、その否定こそが真の仏教であるといわば強弁したのだろう(マルコムXはムスリム組織からの離脱後も自分をイスラムと思っていたのか?)
 私の実家が一向宗(浄土真宗という言い方はコンプラ的に法然の浄土宗との関係上よろしくないらしいので、ここではあえて古めかしい歴史用語を用いる)の檀家なこともあって同宗派については乏しいながらも知識がある 「歎異抄」が親鸞死後のものだということぐらいは知ってるが、悪人正機が蓮如以前に遡れないというのはホントだろうか 仮にそうだとしても基本的に「救いの対象者が誰かは初めから決まってる」とするプロテスタントと「悪人こそはーー」という「近代的(?)一向宗」はホンマに類似品なんだろうか?
 個人的には、「正しい仏教」なんてことはどーでもよくって、アンベドガルや明治以降の一向宗がなぜああいう教えを仏教として主張したのかが少し気になる(この問題も文芸批評というより社会批評、オピニオンというべきなのかもしれんがーー) それは私が大江の「戦後民主主義」に「多事争論」よりも「同調圧力(=空気読め的な)」しか感じないこと、そして「もともと民主主義はこんなもんじゃない もしこれを民主主義と呼ぶなら、もう民主主義なんか要らない」と思ってしまうことと、多分どっかで関わってる

129:吾輩は名無しである
22/02/08 03:20:34.01 l672CwT4.net
アンベドカルは不可触民を差別しないのが仏教なので利用した
清沢は江戸以来の反仏教思想と外来の科学的プロテスタントの批判の中で、廃仏毀釈が起こり、仏教が滅亡の危機にあったので、プロテスタント化を図り精神主義というものを唱えた
その根幹に歎異抄を用いたと考えます
それがインテリ層に受けた。
なので、方便としては一時的にしょうがなかったとは思います
問題は未だにそれを正しいとしてるとこ、安田理深みたいによりプロテスタント化を正当とするような人もいて、彼のような人が尊敬されてるとこですね
歎異抄が蓮如以前に遡れないのは調べた限りそうです。
少なくとも最古写本は蓮如本なのは確実です。
覚如、存覚、高田門徒などの現存本にも言及されません。
江戸期でも註釈が数点あるだけで、中心的なものではないように思います
私としては清沢と同時代の七里恒順師のような方の教えが真宗の本質と思います。彼は有名な妙好人も育てていて、行動と教えから本物と思われます


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