【群像☆】批評の新人賞が全滅!【すばる】 at BOOK
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100:吾輩は名無しである
22/02/03 20:02:31.42 0+huJGYT.net
100

101:吾輩は名無しである
22/02/03 20:33:01.67 ZvQ9cmj6.net
>>99
仏教は本質的に戦いません。
祖国が殲滅されても何もしなかった釈尊
イスラムに虐殺されても戦わなかったインド仏教
中共に侵略されても復讐でなく慈悲をかけるチベット仏教の聖者
日蓮は非仏教で、僧兵や南アジアの他派殲滅はどっか退廃してると思います

102:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/03 21:10:12.84 Zr1or0j7.net
てかそもそも近代兵器が大量虐殺する一方、近代そのものを否定したら日本を始め多くの国が飢餓と病気に見舞われる このことは確か小林秀雄が少し論じてたと思う 無責任だけど出来れば小林読んで欲しい

103:吾輩は名無しである
22/02/03 21:33:31.62 ZvQ9cmj6.net
>>102
そうでしょう、チクロンの開発者が空気中から肥料作ってから食料生産量があがって人口増加した
そういう近代科学的生産なしに増大した人口は維持できない
でも、人口を維持することで持続不能になりつつあるのも確かでしょう
私には今回のコロナがチャンスだったようにも思えます。老人や弱者が死にやすいからで
私も結構歳なのでいつ死んでもいいです。
小林は無常についてとか、美術関係のいくつか読んだだけですが、清沢満之とか和辻哲郎みたいな仏教を西洋化してダメにした人より、かなりよかった印象があります。
たしかヴァレリーだったか西洋人の影響にあるのは同じですが、プロテスタントや文献学よりずいぶんよかったような

104:吾輩は名無しである
22/02/03 22:29:01.18 2QjhGC/y.net
>>103
小林秀雄は一般的に社会問題を自分の内面の倫理や克己や抑制が
どのように実践可能かを考える為の問いに変換するストア派風の所が
ありますから包括的な社会問題へのアプローチはそんなに出て来ない気が
します
どんな社会問題も自分が解決出来る立場に関与出来ない以上、
結局は自分の覚悟や美学を磨き上げて小規模でも良いから
自分が尊敬する芸術から学んだ道徳的な行為を日々小規模に実践しつつ
円熟して死ぬような主体のあり方が小林の理想だったのではないかなと
自分は愚考しています

105:吾輩は名無しである
22/02/03 22:33:15.01 2QjhGC/y.net
>>102
一時期の小林の立場は近代という認識や規定自体が非常と漠然としているから
近代を乗り越える為には近代の一部分を批判しながら厳密化しつつ
極限まで推し進めて行く事によって近代によって近代の負の側面を乗り越えるみたいなスタンスですよね
上山安敏氏の『神話と科学』が日本の近代思想の受容の捩れや日本における
知識人の西洋近代のとらえ方を批判的に論じていて勉強になった記憶があります

106:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/04 00:05:32.27 nrRo2IDh.net
 正直に告白すると個人的には近代文学の中で一番目を通したのは小林よりも保田与重郎 しかもその前に中村光夫と橋川文三を若干読んでたから勢い初めから批判的なバイアスがかかってたと思う 近代ーーとりわけ日本の近代ーーのアポリアを真正面から見据えてた一人が中村(の「「近代」への疑惑」と「「移動」の時代」)だったように思う

107:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/04 00:23:50.22 nrRo2IDh.net
>>103
 あなたはフリッツ・ハーバーの例を挙げておられますが、こうした二分法の論理は(恐縮ながら、というか先の主張とある意味矛盾してしまうのですが)チェルノブイリと福島でもう終わったーーてか終わらざるを得なくなったーーと思います
 あと余談ながら、ハーバーのチクロン製造を激しく非難してたアインシュタインが(結果的に)それよりもずっと酷い原爆の開発に間接的ながらも関わることになったのは、ホント歴史のイロニーだと思う(おっと、ここあくまで文芸批評スレだった)

108:吾輩は名無しである
22/02/04 00:50:24.05 deb2z/Wb.net
>>106
中村光夫って過小評価されてますけど、
小林秀雄、福田恆存、江藤淳等にも見られなかった
鋭い史眼を時折発揮することがありますよね

109:吾輩は名無しである
22/02/04 08:04:50.30 H1VShMpi.net
>>107
二分法とは、西洋東洋とか近代非近代とかですか?
それとも、根本的な分別、二項対立判断のことですか?
そして、矛盾とはどこでしょう?
小林と言えば、宣長ですが、熊野純彦の宣長は素晴らしかった

110:吾輩は名無しである
22/02/04 10:06:49.70 88dEHnYz.net
おお、いつの間に
レスが100越えてる
批評復活の日も近い?

111:吾輩は名無しである
22/02/04 12:40:28.11 Tbyv8PoT.net
ムリゲー

112:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/04 18:23:38.83 nrRo2IDh.net
>>109
 いやだからこの「二分法」確か小林が言ってたはずなんだけど、要するに近代科学の「軍事利用=悪\平和利用=善」ってことで、「矛盾」ってのはこの二項対立では「平和利用による人災」って問題が解決出来ないってことなんですが
>>90  >>94
 あと確か「美しい顔」について、そこでのマスコミ批判(=「お涙頂戴批判」)はそのまま「見せかけの憐み」に吞み込まれてくって批判がSNSであったと思うけど、これもそのまま「他人の足」「アトミックエイジの守護神」にも当てはまんじゃない? どうせならせめて「静かな生活」のラスト 障碍者小説で儲けた作家が札束数えながらほくそ笑むシーンとかで終わって欲しい でなきゃ結局はナントカの貉だと思う 大江批判を前提にしない北条叩きってつまるところ事大主義でしかないんじゃ

113:吾輩は名無しである
22/02/04 19:54:06.89 23oIYuW8.net
>>112
いやいや、そんなこと言ってません。
近代主義全体が世界に不幸をもたらしたと思ってます

114:吾輩は名無しである
22/02/04 20:16:39.52 p3woqOuJ.net
オスカーワイルドは批評は創作と言ったんだぞう!
もっと批評を

115:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/04 20:24:25.18 nrRo2IDh.net
>>113
 少なくとも近代は「否定」出来ない ただ単に「批判」出来るだけ あとはもう(勝手ながら)103さんにお任せします いつ死んでもいいって言ってる位だから、少なくとも私よりはきちんとしたこと言ってくれるに違いない

116:吾輩は名無しである
22/02/04 21:00:38.87 23oIYuW8.net
>>115
 私のはただの思いですので、聞かれれば答えますが、戦ったり主張することはありませんよ
 その上で今結構理解が進んできてるように思います
植民地主義が批判され、虐殺や殲滅が反省されるようになってきてます
 また、ユダヤ人であるユヴァル・ハラリがユダヤ教を批判し仏教を高く評価し実践もしてるのに、代表されるように深く本物の仏教を学ぶ西洋人が沢山いることです。
 ハラリは結構表面的あるいは目的的ですが、元物理学者のマチウ・リカールなど本格的な方も結構います。
 ハラリのようなタイプは、マインドフルネスやヴィパサナ、ヨガなどをやって集中力や知恵の発展開発をめざしますが、この流れは政府も教育に取り入れる国もあるので、こういう流れたが主流になり、平和で緊張や苦悩の少ない社会が来ることを祈っております。

117:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/04 23:42:46.53 nrRo2IDh.net
>>116
 やはり丸投げするのは無責任だと思うので若干補足します
 前にも確かレスったのですが、私は正直小林についてはそんなに詳しくありません ただ彼は確か何かのエッセイの終わりで「ミサイル←→文明」という二項対立述べたり、他にも「近代の超克」の座談中に「機械←→精神」という二分法口にして下村寅太郎(だったと思う)に「機械を作った精神が問題ですよ」と嚙みつかれてた記憶がある(記載された冨山房の本は家のどっか 目下行方不明)
 人の考えは長い目で見れば変わるものだからこういう主張ばかりではないのだろうけれど、本当の意味での反近代主義ならミサイルは文明に含まれるしやはり下村のように考えると思う
 あと、これはあくまで「要望」の域出ないけど、出来れば皆さんもハンドルネーム付けて貰えると助かる アンカーだけだと誰に言ってるのか正直混乱するので、、、
 最後に、仏教に僧兵(の強訴)の歴史やロヒンギャの虐殺に関わってる坊さんという事実が現実にある以上、「右の頬を打たれたらーー」をいつの間にかどっかへやっちゃって十字軍や宗教裁判やったキリスト教やナチ顔負けのジェノサイドやってるイスラエルを単純に仏教の下に置いちゃうのはそれ自体偏見だと思う アンベトガルはカーストに対決したけれども、それはヒンドゥーだけでなくそれと事実上癒着してたインドのいわゆる伝統仏教も含まれてたと思う

118:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/04 23:57:36.97 nrRo2IDh.net
 すみません 最後のところ「アンベトガル」じゃなくて「アンベドガル」です 「ト」に濁点付けて下さい

119:吾輩は名無しである
22/02/05 00:06:21.61 fmlS7hZH.net
>>110
>批評復活の日も近い?
文系院卒で社会復帰が難しくなった人による
キャリア形成のためのたたき台のようなところがあったから
文芸誌とはいえ、いちおう商業誌ではある文芸誌が
そういうリサイクル工場のような役割を担うのが嫌になった
というのが批評系新人賞停止の理由だとおもうけど?
ジャンル特性上もめごとが多そうだし
じっさい、せまい業界向けの文芸時評程度でもいろいろあったし

120:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/05 01:47:25.07 Lf/No3Dx.net
>>119 てか要は文芸批評に需要がなくなったってだけのこと(悲) 代わりにこういう5ちゃんスレがかつての批評のいわば「短歌」「俳句」版になってるってことで、その辺は多分110さんも分かった上で、半ば諦めのレスしてるってことじゃないかな
それから(あえてまた蒸し返すけど) >>90 さんや >>94 さんはどうして大江(的ヒューマニズム)に「しがみつく」んだろう? 大江の言うこと聞いてると、結局「ヒューマニズム=お涙頂戴=正義の押し売り」ってことでしかないじゃん

121:吾輩は名無しである
22/02/05 08:13:38.59 lx2+mGsV.net
>>117
下村など近代の超克系の人たちは結構方向性が近いですね
ですか、いわゆる京都学派の仏教理解はかなりおかしいです
僧兵や日蓮、ロンヒギャなどについては、先に述べたように退廃や非仏教と考えます
ロンヒギャなどイスラム問題は難しいものがありますが、排斥運動している僧はおかしいと思います
ミヤンマーはテーラワーダの最も生きた国ですが、そういう僧もいるでしょう
中共進攻以前のチベットは大乗の最も生きた国と思われますが、その中でも悪霊派が大いに力を振るったことからも、いつの時代も聖者は希だということでしょう。
ともあれ、仏教が世界平和の希望であることは確信しています。

122:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/05 12:50:50.47 Lf/No3Dx.net
 人口爆発の問題がある以上弱者や老人は流行り病で死んだほうがいいってのは、ある意味真理かもしれんが決して救済ではない(まあ、現実の世界で人が人に出来るのはあくまでも「助け」であって「救い」じゃないけど)
 丸山真男のいうことで個人的に一番ヤなのは「悪」よりは「偽善」って考え お釈迦様はカンダタのあとに大勢の亡者が糸を掴んだとき、カンダタが「来るな!」って言ってくれるのを待ち焦がれてたに違いない 文学者が「悪人」をやめてただの「偽善者」になってしまったら、そしてそんな文学者が世界的な勲章貰ってしまったら、そしてそんな文学者を文芸評論家が肯定・礼賛するようになってしまったら、批評は勿論のこと文学そのものも、もう終わりだ

123:吾輩は名無しである
22/02/07 15:51:38.11 sZLvAb4S.net
>>122
URLリンク(ci.nii.ac.jp)
上はポレミックで優秀なインド学研究者による『蜘蛛の糸』批判の最新のもの
文献学としては明解で妥当だと思います。
ただし、この学者および19世紀欧州文献学者が仏教が分かっていたとは思いません。
この方法はルネサンスの源泉へ(ad
fontes)運動を取り入れたプロテスタントの、聖書原典探求、カトリック批判を植民地主義とドイツのアーリア主義に応用したもので、言語分析や文献批判は見事ですが、それで法(ダルマ)になるとは思えません。
例えば、無我をアイデア、命題と捉えていて、それを信じることで助かると書かれていますが、それでは助からないでしょう。もちろん、信じないよりいいですが。
その意味で19世紀欧州文献学者より、ヴィパサナを実践しているユヴァル・ハラリの方が仏教を知っているし、批判される大拙の方が仏教を知っている、さらには前に紹介したマチウ・リカールなどの実践者の方が知っていると思います。
ですが、確かに芥川よりの学者および19世紀欧州文献学者の方が仏教に近いと思います。
その論文に書かれるようにお釈迦様は縁ある人に教えを説くだけで、相手が求めもしないのに自分の意志で糸を垂れるようなことはありません。
まして、お釈迦様が〈「カンダタ「来るな!」って言ってくれるの待ち焦がれてい〉ることは有り得ません。
まあ、私が言わせたようなものですし、芥川の作品はそう考えてもしかたないように書かれているので、学者は批判しているのですが、
そういう皮肉は言わない方がいいですよ。私に対して言ってもかまいませんが

124:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/07 20:14:05.27 0RZ6SL9h.net
 もともと文芸批評スレだったはずのこのスレ、90番代辺りから「正しい本来の仏教とは何かスレ」にすり替えられてしまい、しかもこのしょーもないスレチ行為に結果的に私も加担してしまっている(恥) だがそんな詰まんないことに関心があるのは実際、宗教学専攻の好事家インテリかファナティックな坊さんだけだろう(もっともアンベドガルの仏教が単なる「回帰」かそれに留まらないある種の革新運動なのかは個人的には興味深い ただ、いわゆる「畜生」戒名をうっちゃって来た私達日本人の大多数には、それは結局他人事でしかないというのが現実なのだ)
 「蜘蛛の糸」のお釈迦さんが必ずしもホントのそれじゃないなんてことは高校生でも知ってるし、そんなことはどうでもいい 問題なのは現代文の授業で私達は皆、「あんなこと言うカンダタが一番悪い」と「教えられる」ことなのだ (話がすっ飛ぶが)トランプの移民政策を批判してたバイデン(ハリス)は今頃内心、「芥川のお釈迦さん」を心底羨んでることだろう お釈迦様を責める人はいないのだから
 そして丸山や大江といった戦後民主主義者は、おそらく仏教か儒教のいずれか(もしくは両方)に端を発するだろう「悪よりは偽善」という観念を受け入れることで、(長期的には)戦後の思想・文学を確実に腐らせてきた この場合の「腐食」「頽廃」は必ずしも近代主義とは関係ない 近代主義者としての丸山を一本調子に批判(=擁護)する人にとって、私がこのスレで繰り返ししつこく問題にしていることは(傲慢の誹りを承知で言えば)理解不能の問題でしかないのだ
 つまるところ「悪人は自らの悪を自覚する可能性を持つが、偽善者は自らの偽善を自己欺瞞の中に隠蔽する」ーーこのアポリアは文芸批評のものではあっても好事家のそれではない(無論それは「悪人正機」や「罪なき者石を投ぜよ」に通じているけれども)

125:吾輩は名無しである
22/02/07 20:58:25.81 sZLvAb4S.net
>>124
アベンドカルは唯の仏教に仮託した平等運動、伝承もないし輪廻否定してるので
マルコムXとかキング牧師に近い

126:吾輩は名無しである
22/02/07 21:01:01.21 sZLvAb4S.net
>>124
仏教で偽善つかってる人は偽物
まあ、いいやここで止めとく
スレ違い失礼

127:吾輩は名無しである
22/02/07 22:14:16.02 INs8ACAS.net
>>124
要するに釈尊をああ描いた芥川が悪い。
すまん、一つ重要かもしれないので最後に追加しときます。
それまで重視されてなかった悪人正機、歎異抄を使ってプロテスタント化したのが清沢満之
それが倉田百三などによって流布され、仏教の核心のようにいわれるが、歎異抄は自著でなく、蓮如以前に痕跡すらなく、清沢以前は重視されてない
流布してる説は、ほとんどプロテスタント的なので仏教とは思えないし、真宗で妙好人などを出していた生きた伝統とは全く違い、この流れからは、妙好人は出てないように見える。
つまり、結果が出せない誤ったものと思います

128:群像評論賞最後の応募者(一次まで通過)
22/02/08 00:08:12.71 T2bFIyx/.net
 実は私、アンベドガルについてはほぼなんにも知らない ただかつて野間宏が沖浦和光との対談でアンベドガルについて延々とくっちゃべってたのに目を通したことがある そのとき野間があたかもアンベドガルこそ真の仏教者であるかのように持ち上げつつ、彼が社会主義(=スターリニズム)に批判的だったことについてはほとん触れない姿勢に「これだから政治的な文学者はーー」と若干失望した覚えがある
 仏教が「輪廻」の概念をバラモン教から引き継ぎつつ、一方で「解脱」を唱えたのはおそらく事実だろう そしてその宗教史的事実こそ仏教が結局カーストをそのものを否定出来ず、ヒンドゥーの「付録」になり果て、我が国における差別戒名にも繋がっていった原因でもあろう 多分アンベドガルはこの事実を薄々知ってたからこそ、そして反面で社会主義にも与しえなかったからこそ、「輪廻」を頑なに斥け、その否定こそが真の仏教であるといわば強弁したのだろう(マルコムXはムスリム組織からの離脱後も自分をイスラムと思っていたのか?)
 私の実家が一向宗(浄土真宗という言い方はコンプラ的に法然の浄土宗との関係上よろしくないらしいので、ここではあえて古めかしい歴史用語を用いる)の檀家なこともあって同宗派については乏しいながらも知識がある 「歎異抄」が親鸞死後のものだということぐらいは知ってるが、悪人正機が蓮如以前に遡れないというのはホントだろうか 仮にそうだとしても基本的に「救いの対象者が誰かは初めから決まってる」とするプロテスタントと「悪人こそはーー」という「近代的(?)一向宗」はホンマに類似品なんだろうか?
 個人的には、「正しい仏教」なんてことはどーでもよくって、アンベドガルや明治以降の一向宗がなぜああいう教えを仏教として主張したのかが少し気になる(この問題も文芸批評というより社会批評、オピニオンというべきなのかもしれんがーー) それは私が大江の「戦後民主主義」に「多事争論」よりも「同調圧力(=空気読め的な)」しか感じないこと、そして「もともと民主主義はこんなもんじゃない もしこれを民主主義と呼ぶなら、もう民主主義なんか要らない」と思ってしまうことと、多分どっかで関わってる

129:吾輩は名無しである
22/02/08 03:20:34.01 l672CwT4.net
アンベドカルは不可触民を差別しないのが仏教なので利用した
清沢は江戸以来の反仏教思想と外来の科学的プロテスタントの批判の中で、廃仏毀釈が起こり、仏教が滅亡の危機にあったので、プロテスタント化を図り精神主義というものを唱えた
その根幹に歎異抄を用いたと考えます
それがインテリ層に受けた。
なので、方便としては一時的にしょうがなかったとは思います
問題は未だにそれを正しいとしてるとこ、安田理深みたいによりプロテスタント化を正当とするような人もいて、彼のような人が尊敬されてるとこですね
歎異抄が蓮如以前に遡れないのは調べた限りそうです。
少なくとも最古写本は蓮如本なのは確実です。
覚如、存覚、高田門徒などの現存本にも言及されません。
江戸期でも註釈が数点あるだけで、中心的なものではないように思います
私としては清沢と同時代の七里恒順師のような方の教えが真宗の本質と思います。彼は有名な妙好人も育てていて、行動と教えから本物と思われます


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