ドストエフスキーPart51 at BOOK
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50:吾輩は名無しである
20/08/03 01:17:25.78 c6p9oiMv.net
ここで学会の出番ですね。
わかります。

51:吾輩は名無しである
20/08/03 01:22:24.22 8hDM+5qS.net
>>50
> ここで学会の出番ですね。
> わかります。
ところが(学会の出番)ではないw
君がキリストにかけるなら、全身全霊でかけよ─ということなんだ。
アリョーシャが考えたように。それがアリョーシャの青春の誓いだろ?
人間というものは、究極のところでいのちを捨てるものなんだ!
きみは哲学や書籍に逃げている。損をするのはきみなんだ。
>人間というものは、究極のところでいのちを捨てるものなんだ!
このことは、書籍からは絶対に学べないのだ。
現実の人間から教えられることなんだ。

52:吾輩は名無しである
20/08/03 01:59:26.52 i9KPPCZO.net
>>26
トルストイなんかも福音書主義で直接イエスを信じることを強調したりして正教会からは破門されます
トルストイの場合は有名人だったから刑罰とかはなかったけど、ロシアは今でも分かる通りに社会主義国で中央集権にある権威がとてつもなく強い国家です
キリスト教の歴史でもよくあることで、国教以外の宗教(まだキリスト教が国教になっていない時代)なんかはキリスト教です、といっただけで捕まる時代は多くありました
そのことも聖書に預言されているんですが、ドストエフスキーがいた時代もそんな時代でその中で本を書くのは命がけだったんだと思います
おかげで俺がヌクヌクと部屋でよんでられますが

53:ニコラス
20/08/03 03:51:22.54 OiF9ONDz.net
アレクセイ・カラマーゾフはイエス・キリストと同じ世界観に生きている。
勿論、某カルト狂信者とは一片の共有点もない。

54:スタヴローギン
20/08/03 03:54:34.07 OiF9ONDz.net
アレクセイ・カラマーゾフはイエス・キリストと同じ世界観に生きている。
勿論、某カルト狂信者とは一片の共有点もない。
以上。
殆ど皆が周知の事柄であっても大事なポイントなので2度書いて強調しておく。

55:吾輩は名無しである
20/08/03 04:26:27.06 OiF9ONDz.net
某カルト狂信者、頭おかしいだろ? 相手にしないのが賢明、魂が腐臭を放っている。
現世利益?
滑稽なことにリアル世界でも、極端な貧乏・長期の無職・誰からも相手にされない孤独・重度の精神疾患に苦しんでいる様子が看取できる。
IQは50もない知的障害者。バカで、クズ、邪悪、早くくたばった方が皆の為だ。
消えろ、気違い! とっとと入院するか野垂死にしろ!

56:吾輩は名無しである
20/08/03 09:41:08.85 MCq+qq7a.net
創価学会万歳!!!!
ボクは学会のお情けでナマポに与るクズかもしれない・・・w
でも邪教クリトリス狂を信仰するキミタチや宗教をしないチミタチには仏罰が下るッッッ!!!

57:吾輩は名無しである
20/08/03 09:42:01.12 MCq+qq7a.net
みたいなカンジかな?

58:吾輩は名無しである
20/08/03 12:38:46.36 DhYpXGa1.net
以上、閉鎖病棟からの中継でした

59:吾輩は名無しである
20/08/03 12:47:56.00 5is5coF8.net
>>58
うるせええええ!!!!
南無妙法蓮華経を唱えろッ!!
ちっぽけな頭しか持たないクズどもがWWWWW入信しろWWWW!!!

60:吾輩は名無しである
20/08/03 12:57:05.47 qEFo8uS4.net
ロシア正教について知りたいなら、先ずは神田のニコライ堂で有名なニコライについての本 『宣教師ニコライと明治日本』中村健之介著 岩波新書
より詳しく知りたいなら、中村さん訳のニコライの日記(岩波文庫)
ちなみに、ドストエフスキーはわざわざニコライに話を聞くためニコライを訪れている
ロシア正教の教義を詳しく知りたいなら、トルストイの『教義神学批判』
トルストイは逐一、正教の教義を厳しく批判している

61:吾輩は名無しである
20/08/03 19:34:00.57 VSxFkyVT.net
創価キモすぎ、死んだら?

62:吾輩は名無しである
20/08/03 21:07:16.00 qm2jqzf/.net
ボクは永遠の命を得た池田先生より直々に聖ナマポを受給している。
だから君たちより偉い。君たちはボクをゾシマ長老のように師と仰ぎ、絶対服従するのだ。
ところで真に自由な人間は他人を支配することなど望まない。
しかし誰かに服従する者は、自らもまた教祖を真似て他者を服従させたくなるものだ。
これが創価パワーの秘訣である。大勝利!

63:吾輩は名無しである
20/08/03 21:42:15.54 pmPKbTQv.net
日蓮系だけはマジで無理
大審問官か書記長に頼んでアイツらを処刑したい

64:吾輩は名無しである
20/08/04 01:53:49 L19E9a3F.net
宗教が語る信仰とは箱の中のカブトムシと同じことです
自分しか確かめられないし、自分しか知りえないことは反証できないし反証を必要すらしない

だけど一方で共有することは可能です
言葉で想像して理解すること
だから人間は知性があって、その知性の塊こそ文学です
知性や知恵を蔑ろにする人はもはや人間であることを放棄しているに等しい、動物と変わらない、そう昔から考えられていたし、俺もまたそう思う
ドストエフスキーもその一人だったりします

「一人に一つずつ箱を持っていて、その中に私たちが「カブト虫」と呼んでいるような何かが入っていると仮定する。誰も他人の箱を覗きこむことができず、自分のカブト虫を見ることによってのみ、カブト虫とは何であるかを知ることができる。

この時、皆が「カブト虫」とは言っているものの、他人の箱を覗きこむことは不可能なので、それぞれの箱の中に違ったものを持っているという事が当然あり得てくる。
それどころか、箱の中のものが絶えず変化し続けるということさえ想像可能である。
カブト虫だと言っている箱の中にある何かは、自分が思っているだけのカブトムシであって、他人が言っているカブト虫とはどんなものであるのかは全くわからない。
そして自分自身のカブト虫についてもこの「(私だけのカブト虫=)私的カブト虫」はどのように言おうとしても、言語に乗せる事ができない。

カブト虫という言葉の意味の基準は「それぞれの箱に入っているもの」という公的な基準しか存在せず、私的な基準で「私的なカブト虫」に意味を持たせる事ができないのだ。」

65:吾輩は名無しである
20/08/04 02:16:01.36 HNAqDkvl.net
でも動物でもコミュニーションってとるよね

66:吾輩は名無しである
20/08/04 02:21:33.92 L19E9a3F.net
>>65
それでも動画どうしは共有しない
生存本能で同調したかにみえることはあるけど、感情や相手の意思、相手の事情、もしくは論理的なことすべて「知性」で共有しているわけではないだろうと思います
動物に似ている人間ならいるけど
人間に似ている動物はいない

67:吾輩は名無しである
20/08/04 09:48:10 uy8CfkI5.net
少し背の高い〜♪
あなたの耳に寄せたおでこ
甘い匂いに誘われたあたしはかぶとむし〜♪

神秘主義哲学でかぶとむしの存在を覚知(グノーシス)しましょう!

68:吾輩は名無しである
20/08/04 13:29:32 EBpFXxuy.net
浄土真宗の教えは、創価を含め日蓮系とは正反対である、日蓮による他宗派中傷と自宗賛美の伝統はいまだ続いている


真宗行者の中に於いて停止すべき子細の事。

一、諸神ならびに仏菩薩等軽んずべからざるの事。
一、諸法・諸宗全く誹謗すべからざる事。
一、我宗の振舞を以て、他宗に対して難ずべからざるの事。
一、物忌の事、仏法の方に就き之無きと雖も、他宗ならびに公方に対し堅く忌むべき事。
一、本宗に於いて相承無き名言を以て、恣に仏法讃嘆旁然るべからざる事。
一、念仏者に於いて国の守護地頭を専らにすべし、軽んずべからざる事。
一、無智の身を以て、他宗に対して雅意にまかせて、我宗の法儀其の憚り無く讃嘆せしむ、然るべからざる事。
一、自身に於いていまだ安心決定せず、人の詞を聞き信心法門讃嘆、然るべからざる事。

69:吾輩は名無しである
20/08/04 15:47:39.24 /oygZJc2.net
あのバカはナマパーであることを認めたのか。まあ、創価とナマポ不正受給はセットみたいなものだから当然のことだけど。

70:吾輩は名無しである
20/08/05 21:48:20.60 +/5JomKv.net
浄土真宗というか、浄土宗というか、親鸞が語る言葉の意味ととナザレのイエスの言説はよく似ているといわれますね
悪人正機説はキリスト教でいう隣人愛に近い
サンスクリット語で阿弥陀如来は光としての意味を持つ
聖書ではキリストイエスは光の光という意味で訳される
そして何より浄土宗系の大乗仏教では他力思想があること
仏教としてはとても珍しいことになる
基本的に仏に「なる」ことを目指す仏教では、この「なる」という自動詞があるために動詞的に自力を求められることになり、そしてそれは自然な流れになる
けれど浄土宗系には他力本願がある
キリスト教も神による全面的な救いを求めることを前提とする宗教で、自由意志はその付属品にすぎないとされる
罪と罰の飲んだくれのマルメラードフは悪人正機説を思わせる
ソーニャのなけなしの金を使ってしまう自分を罪人として認めている
一方で「だからこそ救われる」と開き直っている態度は飲んだくれのそれでもあるけど、全面的な他力救済の階段でもあると飲んだくれは語る
「罪人として自分を低くするものはそのことで神に許される」と語る飲んだくれは聖句を意味する
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」(1テモテ1:15)

71:吾輩は名無しである
20/08/05 21:48:41.34 +/5JomKv.net
悪人正機説
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
(善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる。) 
しかるを世の人つねにいわく、「悪人なお往生す、いかにいわんや 善人をや」。
(ところが、世間の人は常に 「悪人でさえ救われるのだから、善人はなおさら救われる」 と言っています。)
この条、一旦そのいわれあるに似たれども、 本願他力の意趣に背けり。
(これは一見それらしく聞こえますが、 阿弥陀仏が本願をたてられた趣旨に反するのです。 )
そのゆえは、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる 間、弥陀の本願にあらず。
(なぜならば自分の力で後生の一大事の解決をしようとしている 間は、他力をたのむことができないので、阿弥陀仏のお約束の対象にはならないのです。)
しかれども、自力の心をひるがえして、 他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を遂ぐるなり。
(しかし、自力をすてて他力に帰すれば、 真実の浄土へゆくことができるのです。)

72:吾輩は名無しである
20/08/05 21:54:05.01 +/5JomKv.net
日蓮は自力が好きなので反対になる
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」
「釈迦の法はもう過去のもので何の利益もない」P63
「われわれは釈迦仏教に縁のない民衆であることを知らねばならない」P65
「日蓮聖人が末法の御本仏であらせれる」P67
「釈迦等のとうていおよぶ 分際ではない」P316
「釈尊出世の本懐である法華経でさえも末法の今日には まったく力はない」P93
「(創価学会の)この大御本尊を拝む以外に末法の衆生は基本的に幸福になれないのである。」P70
「釈迦仏法など立てるのは去年の暦と同様で役に立たないしろものである。これを使用するから生活に破錠をきたすのは当然である。」P303
釈迦は仏教の元になるはず
なのに自分のうみの親を否定するのはなぜなのか理解ができないところでもある
あとは仏教なのに、大勝利!なんて言っているのは冗談みたいに聞こえるけれど本人たちは真面目らしいです
俺はもし仏教するならなら親鸞とかの方がいいかな

73:吾輩は名無しである
20/08/05 22:30:36.21 wWacr24I.net
>>70
ドストエフスキーの作品を愛読してる親鸞系の僧侶は多いです。
おっしゃるとおり、他力での救済を訴えたドストエフスキーと親鸞は似ていますから、不思議でもなんでもありませんね。

74:吾輩は名無しである
20/08/05 22:32:04.51 wWacr24I.net
>>71
そのまま作中で描かれてそうな主張ですね。

75:吾輩は名無しである
20/08/05 22:42:28.72 wWacr24I.net
>>72
不二一元論あるいは梵我一如論を日蓮が参考にして創ったであろう本尊の概念は、その言葉こそ違えどボクも信じています。
だからこそ、それを売って汚している創価学会が嫌いです。すいません、愚痴になりました。

76:吾輩は名無しである
20/08/06 01:15:57 RK35X370.net
本尊でも神でもつくっている時点で異なります
ようは無神論なんすよ
ヴォルテールと同じで、神がいないのならば神をつくらなければならない、とか言い出すのと同じ原理です
結局は汎神論なんですよ
この場合はブラフマンの存在はない、つくっているにすぎない

ドストエフスキーは汎神論じゃなくて汎在神論
ロシア正教も汎在神論

ブラフマンとアートマンが同じという思想はロシア正教でいう神化ととても近い考え方
だけどキリスト教でいう神化ではアートマンにならない
なぜなら魂という考え方が残っているから

ヴェーダなんかでは外的世界(宇宙)と内的世界(無意識)は調和するという
だけどこの場合、仏教では我はないとする
つまり無我ということ、融合したのだから
アートマンになる、無我を目指す宗教でもあるから
アートマンになるなら我はない、魂もない、個もない

アートマンを強調する場合は無神論になる
ブラフマンを強調する場合は無我になる
だから汎神論はつねにどちらかが欠けることになる
個別の魂や霊、体という考え方がないから

77:吾輩は名無しである
20/08/06 01:16:05 RK35X370.net
マルメラードフはキリストという存在(人格を持った神)に救済を求めているし、ラスコリニコフは「大地という神ではなくて」「神が創りたもうた神のあらわれる一部である大地」に額をつけたということ
ソーニャは無我を求めたのではなく、我を保ちつつ我で他者を救おうとしているのだから

梵我のためにはr神は神であり、唯一であり、存在である、という前提が必要になる
汎神論は融合であるけど、汎在神論は「在」という「神の存在」が消えないから
上記の理由によるならば上記の条件を満たさなければ、ブラフマンとアートマンは一致しない

だから汎神論は無神論と変わらない
だからドストエフスキーは汎在神論にこだわった

78:吾輩は名無しである
20/08/06 01:18:17 RK35X370.net
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)

汎在神論このことです


万有内在神論(ばんゆうないざいしんろん、panentheism)とは、有神論の一種であり、世界の全てが神(絶対者)の内に存在している、言い換えれば、神(絶対者)は超越と内在を兼ね備えているという考え方のこと。

万有内在神論(panentheism)は、語義的には「πᾶν(all)- ἐν(in)- θεός(God)」、すなわち「all-in-God」「all things-in-God」ということであり、「神の内に万物・万有(全ての有るもの=世界)が属している」という意味である。

汎神論(pantheism)が、「πᾶν(all)- θεός(God)」、すなわち「万物(世界)=神」だと考えるの対して、万有内在神論(panentheism)は、神が万物(世界)よりは大きいもの、それを超え出て包み込んでいるもの、すなわち「万物(世界)⊂神」と考える。

79:吾輩は名無しである
20/08/06 08:49:56.90 rnEh6dca.net
そういえば創価学会は妙にゲーテを高く評価してるな。
同じ汎神論つながりとはいえ、本質が大きく異なってるのにね。
一にして全である構造の文学から、自分にとって都合のいい部分を抜き出すのは学会員の伝統なんだろうか。

80:吾輩は名無しである
20/08/06 13:01:40 1zYiedU/.net
上で紹介した宣教師ニコライは、浄土真宗の説教を聴くとまるでキリスト教の説教を聞いているようだと書いている
一番のポイントは、「人間すべて罪人である」ととらえている点である、その理由付けは違うが、これが分らないとドストエフスキーの作品も理解できない
もうひとつは、その救済における自力と他力の問題である
仏教では修行と他力本願との問題で、キリスト教では人間の自由意志と神の恩寵との問題である
この論争は、アウグスチヌスvsベラギウス、ルターvsエラスムスなど長い歴史があり、『カラマーゾフ』の大審問官もこれを扱ったものだ

日蓮のお題目「南無妙法蓮華経」は、日蓮が批判攻撃する浄土系の念仏「南無阿弥陀仏」のパクリだが、両者はまるで違う
日蓮は、お題目を唱えるとこの世で救われるとか成仏できるとか説くが、親鸞は、念仏で成仏できるか地獄へ行くかは分らないといっている
浄土真宗の念仏は、浄土への成仏を願ったり、ほかの利益のためにするものではない
そのように目的を持って念仏すること自体が、自力の行為になってしまうのであるから、これを戒める
念仏は、阿弥陀如来の本願を信じて無心で行い、それぞれの職業に専念せよ、と説く

81:吾輩は名無しである
20/08/06 18:22:01 vv3FidaW.net
>>80
なるへそ。浄土真宗に興味がわいたから詳しく調べてみるかな。

82:吾輩は名無しである
20/08/06 19:42:57.83 gvyrT02b.net
ジークハイル池田大作、大勝利!

83:吾輩は名無しである
20/08/06 20:07:06.39 GpNCUjV7.net
「永久に創しましょう、一生手を取り合って行きましょう! 池ダーゾフ万歳!」もういちど創ニャが感激したように叫ぶと、ほかの中年たちはもう一度その叫びに和した。

84:吾輩は名無しである
20/08/06 20:24:26.42 2ZkAOB2T.net
>>80
>一番のポイントは、「人間すべて罪人である」ととらえている点である
いや、真宗は「悪人」であって「罪人」ではない
この場合の悪人とは悪所に生まれてその生業ゆえに業の深い人間が
罪悪の観念すら無き無明の境地から正機を得る、という事で
それは弥陀の救いの賜物であるという結論
キリスト教ではイエスの受難と復活そしてその遺訓によって罪の意識に目覚める
いずれも啓示的ではあるのだが
真宗の場合はより内面的な神秘体験として意識覚醒が説かれるわけだ
キリスト教諸派でこれに近いのはプロテスタント
とくにルター派の教理
仏教諸派、とくに浄土教系では西山浄土宗

85:吾輩は名無しである
20/08/07 12:41:38.88 +zXrWUmz.net
蓮如文集
「そもそも当流の他力信心のおもむきとまうすは、あながちにわが身のつみのふかきにもこころをかけず、
ただ阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、かかる十悪五逆の罪人も、五障三従の女人までも、
みなたすけたまへる不思議の誓願力ぞと、ふかく信じて・・・・・・」
これは「仏性」と罪の関係をどうとらえるか、キリスト教では「神の似姿」としての人間と原罪をどう捉えるかの問題である
これが自力と他力、人間の自由意志と神の恩寵の問題につながるのである
真宗では、人間を「末代不善の凡夫」ととらえる、これはルターがエラスムスの「自由意志」に対して反論した「奴隷意志」の中で、人間の自由意志は悪しか考えないとしたものに通ずるのである
真宗とプロテスタント、親鸞とルターの類似性が指摘されるのはこういうところである

86:吾輩は名無しである
20/08/08 01:20:05.55 3u8N1ITj.net
>>85
大事なのは
南無妙法蓮華経はいのちのリズムであり、南無阿弥陀仏は死のリズムである─ということであろう。
これは実際に唱えてみればわかることである。
そしてもう一つ。
南無妙法蓮華経の国へ生まれ、偉大なる光り輝くひとたちと ともに暮らしたいか、念仏の哀れみの人々の元へ生まれたいか?
ということです。
いかにいわんや、縁もゆかりもなき、ロシヤ正教の国へ。ゾシマたちがいる世界へ来世 行きたいか?ということだ。
僕は絶対に南無妙法蓮華経の国へ生まれたい。南無妙法蓮華経を知らぬ、または拒否するが、僕がとても好きなひとは
今世においてなんとかしたいが、ムリでも、たとえあの世からでも、好きなひとは引き上げる! 生きていても死んでからも
広宣流布です……!

87:吾輩は名無しである
20/08/08 01:38:04 3u8N1ITj.net
冷静に考えるとアリョーシャなどぜんぜん偉くない。我のほうがはるかに偉い。

偉大なのはドストエフスキーの文豪としての筆力です。

ゾシマも同じである。学会にははるかに上の人物がいる。
作品内部世界における彼がすごいのは、小冊子としてまとめられた、その思想内容です。

創価学会固有の思想・文化というものがあったとしても、それが既存の西欧社会の、たとえばドストエフスキーのごとき

最良のものとくらべたとき、明確に上であるなどと言えるほど洗練されてはおらぬ。しかし

大事なのは、さきの南無妙法蓮華経と同じで、(じっさいにどうか?)という点なんだ。

わたしたち庶民はぜんぶそこを見る。君らはバカだから空論に目を奪われる。(これは暴言だが、特に注意してほしいから書くんだw)
すべての創価学会員さんもさいしょは小バカにしていた。実際にやってみたら(こりゃあ、一体なんだ……! なんで今までやらんかったんだっ?)というのが共通体験です。

このスレの大半はそこ知れぬほどの愚民であり、僕がこれ以上教えを垂れる義理はない……ww

だが蓮如を引用したカキコを書いた彼のために書いた。 今後よいカキコを目にすることがあれば書きに来る。

88:吾輩は名無しである
20/08/08 01:44:39 3u8N1ITj.net
>冷静に考えるとアリョーシャなどぜんぜん偉くない。

僕は逆にカラマーゾフの愛読者である諸君に聞きたい。

作品冒頭の(著者より)でドスト自身がアリョーシャは(偉くないが偉い)と書いた。

君はどう思うんだ? アリョーシャはどういう点が偉いんだ?

89:吾輩は名無しである
20/08/08 02:52:49.12 3u8N1ITj.net
やめよ、アーナンダ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ、私は説いていたではないか。最愛で、いとしいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと。生まれ、存在し、形成され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがどうして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。
アーナンダよ、汝は長い間、慈愛あり、利益あり、幸いあり、比較できない無量の身体と言葉と心の行いによって如来に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は善い行いをした。精進することに専修せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。

さあ比丘たちよ、いまあなたたちに伝えよう。
さまざまの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。

90:吾輩は名無しである
20/08/08 08:11:24.36 uCucEdDf.net
以上、隔離精神病棟からの中継でした

91:吾輩は名無しである
20/08/08 10:19:06.37 H9F4mAks.net
オウムかな?

92:吾輩は名無しである
20/08/08 11:28:41 GV224HSd.net
宗教スレッドだな

93:吾輩は名無しである
20/08/08 20:13:52.26 V92DjVvd.net
野狐禅スレだろ

94:吾輩は名無しである
20/08/08 20:41:43.40 8NTPHcWM.net
ソーニャの処女は高く売れた

95:吾輩は名無しである
20/08/09 02:09:33.43 gmkRWuMw.net
URLリンク(echo-lab.ddo.jp)

96:吾輩は名無しである
20/08/09 02:14:41.25 gmkRWuMw.net
>釈尊は最晩年に,アーナンダおよび数人の弟子たちとともに,王舎城近
郊の씔鷲の峰씕を去り,北方に向かって旅に出る。80歳という年齢もあっ
て,体力の衰えを痛感し,アーナンダに次のように言う。
アーナンダよ。私はもう老い朽ち,齢をかさね老衰し,人生の旅路
を通り過ぎ,老齢に達した。わが齢は八十となった。例えば古ぼけた
車が革紐の助けによってやっと動いていくように,おそらく私の身体
も革紐の助けによってもっているのだ。
>ヴェーサーリーで釈尊はアーナンダに以下のように言う。
アーナンダよ。修行を完成した人は,四つの不思議な霊力を修し,
大いに修し,( を結びつけられた)車のように修し,家の礎のように
堅固にし,実行し,完全に積み重ね,みごとになしとげた。
かれは,
もしも望むならば,寿命のある限りこの世に留まるであろうし,ある
いはそれよりも長い間でも留まることができるであろう。
>씘南伝大般涅槃経씙は,釈尊がこのように延命の可能性をほのめかされ
たにもかかわらず,
アーナンダが尊師に対して씔尊い方よ,尊師はどうか
寿命のある限り,この世に留まってください。(中略)多くの人々のため
に,多くの人々の幸福のために,世間の人々をあわれむために,神々と
人々との利益のために,幸福のために씕と延命を懇請しなかった,と言い,
씔それは,彼の心が悪魔に取りつかれていたからである씕と言っている

97:吾輩は名無しである
20/08/09 02:16:21.31 gmkRWuMw.net
少し後に釈尊がこれをアーナンダの씔過失씕としてアーナ
ンダを何度も叱責するが,ここに씔三ヶ月後の入滅씕の謎を解く鍵がある
と쬠える。

98:吾輩は名無しである
20/08/09 02:21:17.13 gmkRWuMw.net
3.悪魔との対話
釈尊がヴェーサーリーに滞在中,悪魔が近づき,次のように言う。
尊い方よ。先生はいまニルヴァーナにお入り下さい。幸いな方(=
ブッダ)はいまニルヴァーナにお入り下さい。今こそ先生のお亡くな
りになるべき時です。
先生はかつてこのことばを仰せられました。
「悪しき者よ。わが修行僧であるわが弟子どもが,賢明にして,よ
く身をととのえ,ことがらを確かに知っていて,学識があり,法をた
もち,法に従って行い,正しい実践をなし,適切な行いをなし,自ら
知ったことおよび師から教えられたことをたもって,解説し,説明し,
知らしめ,確立し,開明し,分析し,異論が起こった時には,道理に
よってそれをよく説き伏せて,教えを反駁し得ないものとして説くよ
うにならないならば,その間は,私はニルヴァーナに入らないであろ
う」と。

99:吾輩は名無しである
20/08/09 02:24:36.52 gmkRWuMw.net
悪魔はこう言った後,この状態がすでに成就されたことを述べ,重ねて釈
尊に即刻ニルヴァーナに入ることを勧める。
さらに悪魔は,釈尊が同じこ
とを弟子である修行尼たち,在俗信者たち,在俗信女たちについて語った
ことを述べ,彼らについてもそれぞれ釈尊の目的が成就したことを指摘し
て,最後に次のように言う。
尊い方よ。また実に先生はこのことばを仰せられました。
「悪しき
者よ。わがこの清浄行が成就され,栄え,増大し,ひろがり,多くの
人々に知られ,行きわたり,ついに神々や人々によく説き明かされな
いであろう間は,私はニルヴァーナに入らないであろう」と。しかる
に,尊い方よ。今や先生の清浄行は成就され,栄え,増大し,ひろが
り,多くの人々に知られ,行きわたり,ついに人々のためによく説き
明かされています。今こそ先生はニルヴァーナにお入りください。

100:吾輩は名無しである
20/08/09 02:26:11.64 gmkRWuMw.net
幸いな方はニルヴァーナにお入りください。今こそ尊師がお亡くなりに
なるべき時です。
以上に述べられた悪魔の主張をまとめると,出家・在家の別を問わず,
釈尊の弟子たちは釈尊の教えを完全に体得し,人にも説く弁舌の能力も備
え,法の敵を論駁する力も獲得したから,釈尊はもう涅槃に入るべきだ,
ということである。それに対して釈尊は,次のように言う。

101:吾輩は名無しである
20/08/09 02:27:29.55 FymtNR+g.net
ここドストエフスキースレッドだよ

102:吾輩は名無しである
20/08/09 02:32:52.22 gmkRWuMw.net
悪しき者よ。汝は心あせるな。久しからずして修行完成者のニルヴ
ァーナが起るであろう。今から三ヶ月過ぎて後に修行完成者は亡くな
るであろう。
この釈尊と悪魔との対話では次のことが明らかになってくる。
@釈尊は成道後,何度も悪魔から,すぐに涅槃に入るようにとの誘いを
受けていた。
A悪魔のこういう誘惑に対して釈尊は,出家・在家の違いを問わず,自
分の弟子たちが釈尊の教えを完全に悟り,思うままに教えを語り,論敵を
打破する能力を持つまでは,涅槃に入らない,という誓いを建てていた。
---------------------------
B釈尊は,悪魔に対する最終的勝利の証しとして,すなわち大般涅槃を
得ることの自分への条件として,三ヶ月後の入滅を宣言したのである。
-----------------------------
Cこの悪魔は,釈尊の成道と仏道の興隆を妨げるエネルギーであるとい
うことを考えると,おそらく,釈尊の中の死への願望であろうと考えられ
る。
------------------------------
ということは,悪魔に勧められてすぐに涅槃に入ることは,煩悩に敗
北したことになり,釈尊の一生の求道の生活を否定してしまうことになる
のである。
逆に自分の入滅の時を自分で選ぶことは,煩悩との戦いの最終
的勝利となるわけである。
------------------------------
しかしどうして「三ヶ月」なのか,それにはアーナンダの正覚が関係し
ていると推測されるのである。


103:吾輩は名無しである
20/08/09 02:38:05.99 gmkRWuMw.net
「南伝大般涅槃経」によれば
釈尊は悪魔に三ヶ月後の入滅を宣
言した後,(寿命の素因)を捨てられる。
これは,今後生き続けるための業因を抹消された,ということである。
すると大地震が起
こるが,驚くアーナンダに対して説法をしたあと,悪魔との対話について
語り,その終わりに,自分が三ヶ月後に入滅することを宣言したことを告
げる。
さらに「アーナンダよ。そうしていま,チャーパーラ霊樹のもとに
おいて,今日,修行を完成した方は,念じ,よく気をつけて,寿命の素因
を捨て去ったのである」と言う。

104:吾輩は名無しである
20/08/09 02:41:10.45 gmkRWuMw.net
それに対してアーナンダは釈尊に,「尊い方よ。先生はどうか寿命のあ
る限りこの世に留まってください。幸いな方は寿命のある限りこの世にと
どまってください。─多くの人々の利益のために,多くの人々の幸福の
ために,世間の人々をあわれむために,神々と人間との利益のため,幸福
のために」と,延命を懇請する。
しかし釈尊は「アーナンダよ。いまはお止めなさい。修行完成者に懇請し
てはいけない。いまは修行完成者に懇請すべき時ではない」と言って延命
を拒絶する。

105:吾輩は名無しである
20/08/09 02:46:56.98 gmkRWuMw.net
二回目の懇請も断り,三回目の懇請に対して,「お前はなぜ,三度
までも修行完成者を悩ますのか」と聞く。
アーナンダは次のように答える。
尊い方よ,私はこのことばを、尊師の面前でお聞きし、まのあたりに
体得しました。
─アーナンダよ,誰であろうとも,四つの不思議
な霊力を修し,大いに修し,( くびきを結びつけられた)車のように修し,
家の礎のようにしっかりと堅固にし,実行し,完全に積み重ね,みご
とに成し遂げた人は,望むがままに,寿命のある限り,あるいはそれ
よりも長い間にも留まることができるであろう。……> と。
このことばに対して釈尊が「アーナンダよ。お前はそのことを信じます
か?」と聞くと,アーナンダは「はい,尊い方よ」と答える。すると釈尊
は次のように言う。

106:吾輩は名無しである
20/08/09 02:54:23.03 gmkRWuMw.net
それならば,アーナンダよ,これはお前の罪である。お前の過失で
ある。─修行完成者がこのようにあらわにほのめかされ,あらわに
明示されたけれども,お前は洞察することができなくて,尊師に対し
て「尊師はどうか寿命のある限り,この世に留まってください。
……」と言わなかったのは。もしもお前が修行完成者に懇請したなら
ば,修行完成者はお前の二度にわたる懇請のことばを退けたかも知れ
ないが,しかし三度まで言ったならば,それを承認したであろう。そ
れだから,アーナンダよ,これはお前の罪である。お前の過失である。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

107:吾輩は名無しである
20/08/09 02:56:46.07 gmkRWuMw.net
それから釈尊は,過去16回にわたって,様々なところで同じように延命
の可能性をほのめかされたにもかかわらず,アーナンダが釈尊に延命を懇
請しなかったことを挙げ連ね,
「これはお前の罪である。お前の過失である」とアーナンダを叱責し続ける。
まことに智慧と慈悲を体現した釈尊か
ら出た言葉としては信じがたいほど厳しい言葉が延々と続くのである。
しかし釈尊はその直後に次のように言う。

108:吾輩は名無しである
20/08/09 03:02:00.58 gmkRWuMw.net
しかしアーナンダよ。私はあらかじめこのように告げてはおかなか
ったか?
「愛しく気に入っているすべての人々とも,やがては,生
別し,死別し,(住むところを)異にするに至る」と。
アーナンダよ。生じ,存在し,つくられ,壊滅する性質のものが,壊滅しないように,
ということが,この世でどうしてあり得ようか。
(中略)寿命の素因
は捨てられた。修行完成者は断定的にこのことばを説かれた,『久し
からずして修行完成者は亡くなるであろう。これから三ヶ月過ぎた後
に,修行完成者は亡くなるであろう」と。
修行完成者が,生きのびた
いために,このことばを取り消す,と言うようなことはあり得ない。

109:吾輩は名無しである
20/08/09 09:38:24.22 gmkRWuMw.net
釈尊のアーナンダに対する厳しい叱責の言葉の意味について考え
てみる。
釈尊は「大悟したものは,もし望むなら自分の死期を延ばす力も
持っているのだよ」と,意味ありげな言葉を何度もアーナンダにほのめか
すが,後で釈尊自身が言うように,これは自分の教えとは矛盾した言葉で
ある。
しかしアーナンダは「心が悪魔に取りつかれていた」ために,釈尊
の言葉の意味がのみこめず,釈尊に延命を懇請しなかった。
ここで言う
「心が悪魔に取りつかれていた」というのは,煩悩の働きによって,釈尊
の言葉の意味を本当に理解できていなかった,という意味であろう。
アーナンダは25年にわたって釈尊の身辺の世話をし,すべての説法を聴いて釈
尊の言葉は覚えていたけれども,怠惰,我慢,我見などの煩悩に阻まれて,
釈尊の説法の真の意味を理解していなかった

110:吾輩は名無しである
20/08/09 09:43:23.09 gmkRWuMw.net
しかし釈尊が最終的に死を覚悟し,三ヶ月後の入滅を宣言した時,始め
て釈尊の言葉がアーナンダの心の奥底までとどいたのである。
それが,釈尊から(お前はそのことを信じますか)と聞かれた時に(はい,尊い方
よ)という言葉になって現れてくる。
釈尊が自分の教えと矛盾した延命の可能性をほのめかしたのは,アーナンダ
に釈尊の説法を聞くことの本当の意味を気付かせるためであった。
釈尊は自分のいのちの期間を限定することによって,アーナンダを正覚に導いたのである。
これ以後のアーナンダにとっては,それまでの釈尊の言葉を本当に理解
し,体得する時間であった。
クシナーラについて,釈尊は沙羅双樹のもと
に横になられるが,アーナンダは少し離れたところで泣いていた。
(ああ,私は,まだこれから学ばねばならぬ者であり,まだなすべきことがある。
ところが,私を憐れんでくださるわが師はお亡くなりになるのだろう)と
いう思いが心を占めていた。
釈尊はアーナンダを呼んで次
のように言う。

111:吾輩は名無しである
20/08/09 10:49:52.59 gmkRWuMw.net
やめよ。アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。私はあらかじめこのよ
うに説いたではないか,─すべての愛する者・好むものからも分か
れ,離れ,異なるに至るということを。
(中略)アーナンダよ。長い
間お前は,慈愛ある,ためをはかる,純一な,無量の,身と言葉と心
の行為によって,向上し来たれる人に仕えてくれた。アーナンダよ,
お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れ
のないものとなるだろう。 (中村元訳)
------------------------------
やめよ、アーナンダ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ、私は説いていたではないか。最愛で、いとしいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと。生まれ、存在し、形成され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがどうして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。
アーナンダよ、汝は長い間、慈愛あり、利益あり、幸いあり、比較できない無量の身体と言葉と心の行いによって如来に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は善い行いをした。精進することに専修せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。
(別訳 wikipedia より)
------------------------------

112:吾輩は名無しである
20/08/09 15:49:04.52 bEpxhHRu.net
創ーニャ、先生に買われて処女喪失

113:吾輩は名無しである
20/08/09 19:52:13.16 gmkRWuMw.net
ここで釈尊は,間もなく起こるアーナンダの成道を預言している。さらに
釈尊は他の修行僧たちに (アーナンダは賢者である)と言い,さらに次の
ようにアーナンダを誉める。
修行僧たちよ,アーナンダにはこのようにこの四つの不思議な珍し
い特徴がある。
修行僧たちよ。もしも修行僧の集いが,……乃至……
尼僧の集いが……乃至……在俗信者の集いが……乃至……在俗信女の
集いが,アーナンダに会うために近づいていくと,彼らは,会っただ
けで心が喜ばしくなる。
そこで,もしもアーナンダが説法するならば,
世法を聞いただけでも彼らに心が喜ばしくなる。
またもしアーナンダが沈黙しているならば,修行僧の集いは,彼を見ていて飽きることが
ない。
このように釈尊はアーナンダを,悟りを得た阿羅漢のように讃えている。
さらに釈尊は死後の遺体の処理の仕方をアーナンダに指示し(p.132),自
分の亡き後は,(私が説いた教えと私の制した戒律とが,私の死後にお前
たちの師となるのである)(p.135)というように,法の委嘱もしている。
これを見ても明らかなように,釈尊の死に至る3ヶ月間はアーナンダの成
道のためにとっておかれたものだと考えてよい。

114:吾輩は名無しである
20/08/09 19:58:50.23 gmkRWuMw.net
6.漢訳(大般涅槃経)の場合
ここで大乗の漢訳(大般涅槃経)(田上訳)に目を向けることにする。
南伝と漢訳の(大般涅槃経)とでは,その形態と成立背景が大きく異なる
が,ここで両者を比較対照する目的は,
釈尊が未信のものを仏智に導くた
めに入滅を遅らせ,未信のものに間もなく起こる釈尊の死を知らせること
によって,はじめて教えを未信のものの心の奥底まで浸透させる,
という構造を両者が共通して持っていることを示すためである。

115:吾輩は名無しである
20/08/09 20:04:55.18 gmkRWuMw.net
漢訳(大般涅槃経)で,南伝の釈尊とアーナンダの関係に相当するもの
は,釈尊とアジャセ王の関係である。
暴悪で父を殺し王位を簒奪した阿ジャ世王は,後悔のあまり発熱し,体中に
ひどい腫れ物をつくって苦しんだ。
母の韋提希が種々の薬で手当をしたが,腫れ物はますます増
えた。これは自分の悪業の報いであり,地獄に堕ちるのも間近だろう,と
思って悶々としていた。
そこへ6人の大臣が次々に現れて,自分たちの師
(六師外道)のところに行くように勧めるが,王は納得できない。最後に
釈尊の弟子であり名医である耆婆大臣が現れて,
(あなたは確かに罪を造
られましたが,心に深く悔いて,慚愧の気持ちをもっておられます。(中
略)悪行をしてもすぐに懺悔して,悔い改めて慚愧の気持ちを持ち,二度
と悪行をしない人がすぐれた智者だといわれています)
と言い,王に釈尊にお目にかかることを勧める。
釈尊のところへ行く途中,阿ジャ世は自分の悪行を恥じて,こんな罪深いものを
釈尊が会ってくださるだろうか,と言うと天空から声がして,釈尊の入滅の近いことを知らせ,
今釈尊に会わなければ阿ジャ世は必ず阿鼻地獄に堕ちて,救いに会うことは
ないだろう,と言う。
その声の主が,自分の父・頻婆沙羅王(びんばさらおう)だと知って,
阿ジャ世は悶絶する。
ここのところは,(南伝大般涅槃経)において,アー
ナンダが釈尊のニルヴァーナが近いことを知って,急に有学の自分に気付
き,嘆き悲しむのと対応している。

116:吾輩は名無しである
20/08/09 20:12:09.58 gmkRWuMw.net
引用者注:
>急に有学の自分に気付き,嘆き悲しむ
とは
(ああ,私は,まだこれから学ばねばならぬ者であり,まだなすべきことがある。
ところが,私を憐れんでくださるわが師はお亡くなりになるのだろう)
のこと。有学(うがく)とは一般的な(学が有る)という意味ではない。無学の反対。
学ぶことに満ちている! 我が師に聞きたいことだらけなのに! 

117:吾輩は名無しである
20/08/09 20:16:33.87 ma50Fqi/.net
夏と言えばやはり罪と罰

118:吾輩は名無しである
20/08/09 20:19:43.94 gmkRWuMw.net
一方,漢訳では,釈尊はクシナーラの沙羅双樹の下で涅槃に入ろうとし
ているが,智慧の力で阿闍世の来訪を知り,
(いま暫くは私は阿闍世王の
ために妙寂に入る時を延ばし,この世間に留まることにしたい)という。
これは,南伝(小乗)において,釈尊が3ヶ月後の入
涅槃を宣言するのと軌を一にしている。カッサパ菩薩が
(世尊,本来ならば無数の人々のために留まっていただくべきはずなのに,
どうして一人阿闍世王だけのために留まられるのですか)と聞くと,
釈尊は次のように答
える。

119:吾輩は名無しである
20/08/10 02:50:49.79 X5JBKyrM.net
>>118
ドストスレでスレチ連投ですよ
それはそれとして、で? 何がいいたいの?

120:吾輩は名無しである
20/08/10 16:35:18.99 DI5IwK5+.net
「罪と罰」(新潮文庫)の上巻読破
名前の呼び方がコロコロ変わって少し混乱するところあり。

121:吾輩は名無しである
20/08/10 16:49:58.07 mjT4+wYM.net
>>120
皆が通る道ですね

122:吾輩は名無しである
20/08/10 17:26:12.09 by3IJaok.net
読破()

123:吾輩は名無しである
20/08/10 20:32:24 feXmgEbX.net
俺にとってのフョードルは、カミュが言うような
実存主義的な作家と言うよりも、白夜に代表されるような人情に溢れた、恋愛小説家なんだよな。

124:吾輩は名無しである
20/08/10 21:39:31.04 DvozCkIb.net
『ステパンチコヴォ村とその住人』を読めば喜劇作家でもあると分かる
文庫で全訳が出ていない作品だが、全集を探しても読むべきだ

125:吾輩は名無しである
20/08/10 21:46:57.92 DuPqFmCY.net
ギャグマンガ好きのオレからすると、ドストエフスキーの作品はギャグ小説のように思える。
オレのイチオシはマクシーモフ。

126:吾輩は名無しである
20/08/10 23:23:48.69 UQFxGtjE.net
>>124
未成年みたいに新潮が旧訳を文庫で出せばそこそこ売れそうな気がするがな
安岡治子あたりの古典新訳でもいいけど(亀山はやる気なさそう)

127:吾輩は名無しである
20/08/11 01:43:29.61 vZMZrCCx.net
>>118
カッサパ菩薩(迦葉)が
(世尊,本来ならば無数の人々のために留まっていただくべきはずなのに,
どうして一人阿闍世王だけのために留まられるのですか)と聞くと,
釈尊は次のように答
える。
----------------------------
カッサパ菩薩よ,ここにいる人々の中のだれ一人として,私が結局は
妙寂に入るだろうと言う者はいない。
阿闍生王だけがブッダは妙寂に
入ると思っているのだ。だから王は悶絶して地に倒れたのだ。
私が阿闍生王のために妙寂に入らないと言ったのは,このような裏の意味が
あったことを君は解っていない。
私が「……のため」と言っているのは,決まってすべての凡夫のためという意味である。
阿闍生王と言ったのは五つの重罪を犯した者という意味である。
また,「……のため」とはこの世間の生類のためという意味である。
私はこの世間以外の生類のために生きているのではない。大体,世間
を超えたところにいる者は生類ではないからだ。
阿闍生王と言ったのは煩悩を持っている者という意味でもある。

128:吾輩は名無しである
20/08/11 01:49:17.30 vZMZrCCx.net
ここで明らかなように,釈尊は阿闍世を救うことが全衆生を救う道を「開
く」ことだと見ている。
これは,南伝で釈尊が,出家・在家を問わず自分の
弟子のすべてが自分の教えを完全に悟るまではニルヴァーナに入らない,
と言っているのに対応している。
「阿闍世王だけがブッダは妙寂に入ると思っている」という言葉は南伝で,
アーナンダが始めて釈尊の死の近いことを痛切に知り,それがきっかけと
なって,釈尊の教えを始めて心から「信」じたのと軌を一にしている。

129:吾輩は名無しである
20/08/11 01:59:48.37 vZMZrCCx.net
大乗の(大般涅槃経)に話を戻すと,阿闍世は釈尊の月愛三昧(がつあいさんまい)と説法に
より身心ともに救われ,釈尊に対する「信」を告白する。
世尊,私は世間ではエーランダ毒樹の種子からはエーランダ毒樹が
生じることを見てきましたが,エーランダ毒樹から栴檀樹が生じたの
を見たことはありません。
ところがいまエーランダ毒樹から栴檀樹が生じたのを見ました。
つまりエーランダの種子とは私の身体です。
栴檀寿とは私の心の無根信,つまりブッダのたすけによって生じた,
それまでになかった私の信心です。
無根とは私はかつてブッダを崇敬す
ることも,教えを崇敬することも,そして修行者の集まりを崇敬する
こともまったくなかったことを言ったのです。
世尊,いまブッダに遇わなかったら,おそらく私は数え切れない年
月の間,地獄に堕ちて量り知れない苦しみを受けることになったでし
ょう。私はいまブッダを目のあたりにみることができて,そのおかげ
で量り知れない功徳を得ました。この功徳であらゆる人々がもってい
るのと同じ,煩悩にまみれた悪心を取り除くことができました。

130:吾輩は名無しである
20/08/11 02:01:03.42 vZMZrCCx.net
ここでは阿闍世が,清らかな「信心」を得て救われた喜びを表明してい
るが,南伝の方では,釈尊の厳しい叱責によって,始めて如来の言葉を本
当に「信」じたことに対応している。

131:吾輩は名無しである
20/08/11 02:04:26.23 vZMZrCCx.net
7.結 び
以上の議論をまとめると,(南伝大般涅槃経)において釈尊が自分の入
滅を(三ヶ月後)としたのは,アーナンダの成道と関わっている。釈尊は,
自分の弟子たちがすべて釈尊の教えを理解し,他人に説法したり異教異解
を論駁できる弁舌の能力を持つまではニルヴァーナに入らない,と誓って
いた。
80歳になり,自分の身体の衰えを感じていた釈尊にとって,唯一の
気がかりはアーナンダを成道に導くことであった。
アーナンダは25年も釈尊の身辺で仏の説法を聴いて記憶していたが,
説法の深い内容を理解していなかったのである。

132:吾輩は名無しである
20/08/11 02:05:57.98 vZMZrCCx.net
そこで釈尊はアーナンダに自分の死の近いことを知
らせ,それまで説法をぼんやり聞いていたことを厳しく叱り,法の心を本
当に(信)じるところまで導いたのである。

133:吾輩は名無しである
20/08/11 02:07:51.38 vZMZrCCx.net
大乗の(大般涅槃経)で
阿闍世王の救いが全衆生の救いの道となり,釈尊の悟りも完結したように,
(南伝大般涅槃経)では,アーナンダの成道があって始めて,私たち衆生
が成道できる道が開かれたと言っているのである。またこのことが釈尊の
大般涅槃の成就につながって行くわけである。

134:吾輩は名無しである
20/08/11 02:11:49.36 vZMZrCCx.net
以上
新 井 俊 一
(相 愛 大 学)による
日本佛教學會年報 第76号 掲載
『大般涅槃経』(南伝)における釈尊「三ヶ月後の入滅」の意味
------------------------
ひじょうに重大な意味を含む論文と思い全文を紹介した。

135:吾輩は名無しである
20/08/11 09:33:25 mBTkvzT9.net
新井俊一さんも災難だな、こんな創価のクズに絡まれて。
本人にメールしておいたわ。
著作権侵害でお前有罪だよ。
前科者認定。クズの創価。

136:吾輩は名無しである
20/08/11 12:43:08 v8ZwXl3h.net
阿闍世王については、親鸞も日蓮も論じているが、両者の違い、その宗教家としてのレベルの差が非常によくわかる
親鸞のすごさ、日蓮のアホぶりがよくわかる

137:吾輩は名無しである
20/08/11 12:57:11 OX53dY3x.net
>>136
親鸞と日蓮はホモだったのだよ。
男根をしゃぶるのが上手だった。
おまえは少し勉強不足。

138:吾輩は名無しである
20/08/11 13:00:54 Nu1zTNob.net
>>137
お前はバカかw
親鸞と日蓮なんぞハリストスのブロージョブに比べれば素人同然というのが通説だろ。
宗教史を学び直せw

139:吾輩は名無しである
20/08/11 13:20:39 8zgxchP3.net
マグダラのマリアとナザレのイエスは同一人物であると最新の研究で判明してる。
これは近年公開された映画「堕・淫痴・行動」でも緻密に描写されており、バ痴漢の性職者からも多大な支持を得ている。

140:吾輩は名無しである
20/08/11 13:40:11 G4z2i8e4.net
なぜ仏教おたくがドストスレにいつくのか

141:吾輩は名無しである
20/08/11 14:03:00 CT6C6ETz.net
>>140
本人は自身の頭脳に対する自信を持っていないので、彼が賢いと見込んでいるドストエフスキーの愛読者から認められたがっていると考えられる。
それゆえ仏教(らしきもの)についての知識を衒っているのだろう。こういうのはカルトやアムウェイの信者にしばしば見られる心理だと思われる。

142:吾輩は名無しである
20/08/12 01:50:19.25 ht7qSt9r.net
ドストエフスキーを読んでいるとよく思うことがある
ある場面での言葉の不思議さを感じる
同じ言葉が発せられた場合、自分の口からでるのか他人の言葉からでるのかによって価値が変わってしまうことがある
これらの現象をなんと名づけたれいいのだろうか
オレはバカだから、と自分で言うとなんともない
お前はバカだから、と他人の口から言われると考えてしまう
意味が、価値が変わってしまう
イワンとアリョーシャの会話でそう思った
イワンは、オレは殺していない、という
アリョーシャがそこで、あなたは殺していない、という
イワンは殺していないとアリョーシャに言ってもらったのにムキになって言い返してしまう
だからオレは殺していないと言っているじゃないか、と
変わるどころか反転している
同じ言葉でも他人の口から発せられる場合は意味と価値がかわるらしい
ならばキリストが発する言葉はどうなのか
まったく同じことを言ったとしても、キリストから発せられた言葉は同じ意味や価値を持たないだろう
だから真理は邂逅と言われるのかもしれない
生き言葉は存在と関係しているのかもしれない

143:吾輩は名無しである
20/08/12 02:04:22.67 xkHaHQ2T.net
>>96
> かれは,もしも望むならば,寿命のある限りこの世に留まるであろうし,ある
> いはそれよりも長い間でも留まることができるであろう。
>
> 「南伝大般涅槃経」は,釈尊がこのように延命の可能性をほのめかされ
> たにもかかわらず,
>
> アーナンダが尊師に対して
「尊い方よ,尊師はどうか> 寿命のある限り,この世に留まってください。
(中略)多くの人々のため
> に,多くの人々の幸福のために,世間の人々をあわれむために,神々と
> 人々との利益のために,幸福のために」
と延命を懇請しなかった,と言い,
>それは,彼の心が悪魔に取りつかれていたからである」と言っている

144:吾輩は名無しである
20/08/12 02:12:40.57 xkHaHQ2T.net
>>143
先生は,もしも望むならば,寿命のある限りこの世に留まるであろうし,ある
いはそれよりも長い間でも留まることができるであろう。
先生がこのように延命の可能性をほのめかされたにもかかわらず,
僕が先生に対して
「尊い方よ,尊師はどうか 寿命のある限り,この世に留まってください。
(中略)多くの人々のため に,多くの人々の幸福のために,世間の人々をあわれむために,神々と
人々との利益のために,幸福のために」
と延命を懇請しなかった。
それは,僕の心が悪魔に取りつかれていたからであるのか。

145:吾輩は名無しである
20/08/12 02:51:36.47 xkHaHQ2T.net
先生の僕に対する厳しい叱責の言葉の意味について考えてみる。
先生は「大悟したものは,もし望むなら自分の死期を延ばす力も
持っているのだよ」と,意味ありげな言葉を何度も僕にほのめか
すが,後で先生自身が言うように,これは自分の教えとは矛盾し
た言葉である。
しかし僕は「心が悪魔に取りつかれていた」ために,先生
の言葉の意味がのみこめず,先生に延命を懇請しなかった。
ここで言う「心が悪魔に取りつかれていた」というのは,煩悩の働きによって,
先生の言葉の意味を本当に理解できていなかった,という意味であろう。
僕は30年にわたって先生の身辺におり,すべての説法を聴いて先生の言葉は
覚えていたけれども,怠惰,我慢,我見などの煩悩に阻まれて,
先生の説法の真の意味を理解していなかった
しかし先生が最終的に死を覚悟し,三ヶ月後の入滅を宣言した時,始め
て先生の言葉が僕の心の奥底までとどいたのである。
それが,先生から(お前はそのことを信じますか)と聞かれた時に(はい,尊い方
よ)という言葉になって現れてくる。
先生が自分の教えと矛盾した延命の可能性をほのめかしたのは,僕
に先生の説法を聞くことの本当の意味を気付かせるためであった。
先生は自分のいのちの期間を限定することによって,僕を正覚に導いたのである。
これ以後の僕にとっては,それまでの先生の言葉を本当に理解
し,体得する時間であった。


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