ドストエフスキーPart51 at BOOK
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100:吾輩は名無しである
20/08/09 02:26:11.64 gmkRWuMw.net
幸いな方はニルヴァーナにお入りください。今こそ尊師がお亡くなりに
なるべき時です。
以上に述べられた悪魔の主張をまとめると,出家・在家の別を問わず,
釈尊の弟子たちは釈尊の教えを完全に体得し,人にも説く弁舌の能力も備
え,法の敵を論駁する力も獲得したから,釈尊はもう涅槃に入るべきだ,
ということである。それに対して釈尊は,次のように言う。

101:吾輩は名無しである
20/08/09 02:27:29.55 FymtNR+g.net
ここドストエフスキースレッドだよ

102:吾輩は名無しである
20/08/09 02:32:52.22 gmkRWuMw.net
悪しき者よ。汝は心あせるな。久しからずして修行完成者のニルヴ
ァーナが起るであろう。今から三ヶ月過ぎて後に修行完成者は亡くな
るであろう。
この釈尊と悪魔との対話では次のことが明らかになってくる。
@釈尊は成道後,何度も悪魔から,すぐに涅槃に入るようにとの誘いを
受けていた。
A悪魔のこういう誘惑に対して釈尊は,出家・在家の違いを問わず,自
分の弟子たちが釈尊の教えを完全に悟り,思うままに教えを語り,論敵を
打破する能力を持つまでは,涅槃に入らない,という誓いを建てていた。
---------------------------
B釈尊は,悪魔に対する最終的勝利の証しとして,すなわち大般涅槃を
得ることの自分への条件として,三ヶ月後の入滅を宣言したのである。
-----------------------------
Cこの悪魔は,釈尊の成道と仏道の興隆を妨げるエネルギーであるとい
うことを考えると,おそらく,釈尊の中の死への願望であろうと考えられ
る。
------------------------------
ということは,悪魔に勧められてすぐに涅槃に入ることは,煩悩に敗
北したことになり,釈尊の一生の求道の生活を否定してしまうことになる
のである。
逆に自分の入滅の時を自分で選ぶことは,煩悩との戦いの最終
的勝利となるわけである。
------------------------------
しかしどうして「三ヶ月」なのか,それにはアーナンダの正覚が関係し
ていると推測されるのである。


103:吾輩は名無しである
20/08/09 02:38:05.99 gmkRWuMw.net
「南伝大般涅槃経」によれば
釈尊は悪魔に三ヶ月後の入滅を宣
言した後,(寿命の素因)を捨てられる。
これは,今後生き続けるための業因を抹消された,ということである。
すると大地震が起
こるが,驚くアーナンダに対して説法をしたあと,悪魔との対話について
語り,その終わりに,自分が三ヶ月後に入滅することを宣言したことを告
げる。
さらに「アーナンダよ。そうしていま,チャーパーラ霊樹のもとに
おいて,今日,修行を完成した方は,念じ,よく気をつけて,寿命の素因
を捨て去ったのである」と言う。

104:吾輩は名無しである
20/08/09 02:41:10.45 gmkRWuMw.net
それに対してアーナンダは釈尊に,「尊い方よ。先生はどうか寿命のあ
る限りこの世に留まってください。幸いな方は寿命のある限りこの世にと
どまってください。─多くの人々の利益のために,多くの人々の幸福の
ために,世間の人々をあわれむために,神々と人間との利益のため,幸福
のために」と,延命を懇請する。
しかし釈尊は「アーナンダよ。いまはお止めなさい。修行完成者に懇請し
てはいけない。いまは修行完成者に懇請すべき時ではない」と言って延命
を拒絶する。

105:吾輩は名無しである
20/08/09 02:46:56.98 gmkRWuMw.net
二回目の懇請も断り,三回目の懇請に対して,「お前はなぜ,三度
までも修行完成者を悩ますのか」と聞く。
アーナンダは次のように答える。
尊い方よ,私はこのことばを、尊師の面前でお聞きし、まのあたりに
体得しました。
─アーナンダよ,誰であろうとも,四つの不思議
な霊力を修し,大いに修し,( くびきを結びつけられた)車のように修し,
家の礎のようにしっかりと堅固にし,実行し,完全に積み重ね,みご
とに成し遂げた人は,望むがままに,寿命のある限り,あるいはそれ
よりも長い間にも留まることができるであろう。……> と。
このことばに対して釈尊が「アーナンダよ。お前はそのことを信じます
か?」と聞くと,アーナンダは「はい,尊い方よ」と答える。すると釈尊
は次のように言う。

106:吾輩は名無しである
20/08/09 02:54:23.03 gmkRWuMw.net
それならば,アーナンダよ,これはお前の罪である。お前の過失で
ある。─修行完成者がこのようにあらわにほのめかされ,あらわに
明示されたけれども,お前は洞察することができなくて,尊師に対し
て「尊師はどうか寿命のある限り,この世に留まってください。
……」と言わなかったのは。もしもお前が修行完成者に懇請したなら
ば,修行完成者はお前の二度にわたる懇請のことばを退けたかも知れ
ないが,しかし三度まで言ったならば,それを承認したであろう。そ
れだから,アーナンダよ,これはお前の罪である。お前の過失である。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

107:吾輩は名無しである
20/08/09 02:56:46.07 gmkRWuMw.net
それから釈尊は,過去16回にわたって,様々なところで同じように延命
の可能性をほのめかされたにもかかわらず,アーナンダが釈尊に延命を懇
請しなかったことを挙げ連ね,
「これはお前の罪である。お前の過失である」とアーナンダを叱責し続ける。
まことに智慧と慈悲を体現した釈尊か
ら出た言葉としては信じがたいほど厳しい言葉が延々と続くのである。
しかし釈尊はその直後に次のように言う。

108:吾輩は名無しである
20/08/09 03:02:00.58 gmkRWuMw.net
しかしアーナンダよ。私はあらかじめこのように告げてはおかなか
ったか?
「愛しく気に入っているすべての人々とも,やがては,生
別し,死別し,(住むところを)異にするに至る」と。
アーナンダよ。生じ,存在し,つくられ,壊滅する性質のものが,壊滅しないように,
ということが,この世でどうしてあり得ようか。
(中略)寿命の素因
は捨てられた。修行完成者は断定的にこのことばを説かれた,『久し
からずして修行完成者は亡くなるであろう。これから三ヶ月過ぎた後
に,修行完成者は亡くなるであろう」と。
修行完成者が,生きのびた
いために,このことばを取り消す,と言うようなことはあり得ない。

109:吾輩は名無しである
20/08/09 09:38:24.22 gmkRWuMw.net
釈尊のアーナンダに対する厳しい叱責の言葉の意味について考え
てみる。
釈尊は「大悟したものは,もし望むなら自分の死期を延ばす力も
持っているのだよ」と,意味ありげな言葉を何度もアーナンダにほのめか
すが,後で釈尊自身が言うように,これは自分の教えとは矛盾した言葉で
ある。
しかしアーナンダは「心が悪魔に取りつかれていた」ために,釈尊
の言葉の意味がのみこめず,釈尊に延命を懇請しなかった。
ここで言う
「心が悪魔に取りつかれていた」というのは,煩悩の働きによって,釈尊
の言葉の意味を本当に理解できていなかった,という意味であろう。
アーナンダは25年にわたって釈尊の身辺の世話をし,すべての説法を聴いて釈
尊の言葉は覚えていたけれども,怠惰,我慢,我見などの煩悩に阻まれて,
釈尊の説法の真の意味を理解していなかった

110:吾輩は名無しである
20/08/09 09:43:23.09 gmkRWuMw.net
しかし釈尊が最終的に死を覚悟し,三ヶ月後の入滅を宣言した時,始め
て釈尊の言葉がアーナンダの心の奥底までとどいたのである。
それが,釈尊から(お前はそのことを信じますか)と聞かれた時に(はい,尊い方
よ)という言葉になって現れてくる。
釈尊が自分の教えと矛盾した延命の可能性をほのめかしたのは,アーナンダ
に釈尊の説法を聞くことの本当の意味を気付かせるためであった。
釈尊は自分のいのちの期間を限定することによって,アーナンダを正覚に導いたのである。
これ以後のアーナンダにとっては,それまでの釈尊の言葉を本当に理解
し,体得する時間であった。
クシナーラについて,釈尊は沙羅双樹のもと
に横になられるが,アーナンダは少し離れたところで泣いていた。
(ああ,私は,まだこれから学ばねばならぬ者であり,まだなすべきことがある。
ところが,私を憐れんでくださるわが師はお亡くなりになるのだろう)と
いう思いが心を占めていた。
釈尊はアーナンダを呼んで次
のように言う。

111:吾輩は名無しである
20/08/09 10:49:52.59 gmkRWuMw.net
やめよ。アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。私はあらかじめこのよ
うに説いたではないか,─すべての愛する者・好むものからも分か
れ,離れ,異なるに至るということを。
(中略)アーナンダよ。長い
間お前は,慈愛ある,ためをはかる,純一な,無量の,身と言葉と心
の行為によって,向上し来たれる人に仕えてくれた。アーナンダよ,
お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れ
のないものとなるだろう。 (中村元訳)
------------------------------
やめよ、アーナンダ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ、私は説いていたではないか。最愛で、いとしいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと。生まれ、存在し、形成され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがどうして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。
アーナンダよ、汝は長い間、慈愛あり、利益あり、幸いあり、比較できない無量の身体と言葉と心の行いによって如来に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は善い行いをした。精進することに専修せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。
(別訳 wikipedia より)
------------------------------

112:吾輩は名無しである
20/08/09 15:49:04.52 bEpxhHRu.net
創ーニャ、先生に買われて処女喪失

113:吾輩は名無しである
20/08/09 19:52:13.16 gmkRWuMw.net
ここで釈尊は,間もなく起こるアーナンダの成道を預言している。さらに
釈尊は他の修行僧たちに (アーナンダは賢者である)と言い,さらに次の
ようにアーナンダを誉める。
修行僧たちよ,アーナンダにはこのようにこの四つの不思議な珍し
い特徴がある。
修行僧たちよ。もしも修行僧の集いが,……乃至……
尼僧の集いが……乃至……在俗信者の集いが……乃至……在俗信女の
集いが,アーナンダに会うために近づいていくと,彼らは,会っただ
けで心が喜ばしくなる。
そこで,もしもアーナンダが説法するならば,
世法を聞いただけでも彼らに心が喜ばしくなる。
またもしアーナンダが沈黙しているならば,修行僧の集いは,彼を見ていて飽きることが
ない。
このように釈尊はアーナンダを,悟りを得た阿羅漢のように讃えている。
さらに釈尊は死後の遺体の処理の仕方をアーナンダに指示し(p.132),自
分の亡き後は,(私が説いた教えと私の制した戒律とが,私の死後にお前
たちの師となるのである)(p.135)というように,法の委嘱もしている。
これを見ても明らかなように,釈尊の死に至る3ヶ月間はアーナンダの成
道のためにとっておかれたものだと考えてよい。

114:吾輩は名無しである
20/08/09 19:58:50.23 gmkRWuMw.net
6.漢訳(大般涅槃経)の場合
ここで大乗の漢訳(大般涅槃経)(田上訳)に目を向けることにする。
南伝と漢訳の(大般涅槃経)とでは,その形態と成立背景が大きく異なる
が,ここで両者を比較対照する目的は,
釈尊が未信のものを仏智に導くた
めに入滅を遅らせ,未信のものに間もなく起こる釈尊の死を知らせること
によって,はじめて教えを未信のものの心の奥底まで浸透させる,
という構造を両者が共通して持っていることを示すためである。

115:吾輩は名無しである
20/08/09 20:04:55.18 gmkRWuMw.net
漢訳(大般涅槃経)で,南伝の釈尊とアーナンダの関係に相当するもの
は,釈尊とアジャセ王の関係である。
暴悪で父を殺し王位を簒奪した阿ジャ世王は,後悔のあまり発熱し,体中に
ひどい腫れ物をつくって苦しんだ。
母の韋提希が種々の薬で手当をしたが,腫れ物はますます増
えた。これは自分の悪業の報いであり,地獄に堕ちるのも間近だろう,と
思って悶々としていた。
そこへ6人の大臣が次々に現れて,自分たちの師
(六師外道)のところに行くように勧めるが,王は納得できない。最後に
釈尊の弟子であり名医である耆婆大臣が現れて,
(あなたは確かに罪を造
られましたが,心に深く悔いて,慚愧の気持ちをもっておられます。(中
略)悪行をしてもすぐに懺悔して,悔い改めて慚愧の気持ちを持ち,二度
と悪行をしない人がすぐれた智者だといわれています)
と言い,王に釈尊にお目にかかることを勧める。
釈尊のところへ行く途中,阿ジャ世は自分の悪行を恥じて,こんな罪深いものを
釈尊が会ってくださるだろうか,と言うと天空から声がして,釈尊の入滅の近いことを知らせ,
今釈尊に会わなければ阿ジャ世は必ず阿鼻地獄に堕ちて,救いに会うことは
ないだろう,と言う。
その声の主が,自分の父・頻婆沙羅王(びんばさらおう)だと知って,
阿ジャ世は悶絶する。
ここのところは,(南伝大般涅槃経)において,アー
ナンダが釈尊のニルヴァーナが近いことを知って,急に有学の自分に気付
き,嘆き悲しむのと対応している。

116:吾輩は名無しである
20/08/09 20:12:09.58 gmkRWuMw.net
引用者注:
>急に有学の自分に気付き,嘆き悲しむ
とは
(ああ,私は,まだこれから学ばねばならぬ者であり,まだなすべきことがある。
ところが,私を憐れんでくださるわが師はお亡くなりになるのだろう)
のこと。有学(うがく)とは一般的な(学が有る)という意味ではない。無学の反対。
学ぶことに満ちている! 我が師に聞きたいことだらけなのに! 

117:吾輩は名無しである
20/08/09 20:16:33.87 ma50Fqi/.net
夏と言えばやはり罪と罰

118:吾輩は名無しである
20/08/09 20:19:43.94 gmkRWuMw.net
一方,漢訳では,釈尊はクシナーラの沙羅双樹の下で涅槃に入ろうとし
ているが,智慧の力で阿闍世の来訪を知り,
(いま暫くは私は阿闍世王の
ために妙寂に入る時を延ばし,この世間に留まることにしたい)という。
これは,南伝(小乗)において,釈尊が3ヶ月後の入
涅槃を宣言するのと軌を一にしている。カッサパ菩薩が
(世尊,本来ならば無数の人々のために留まっていただくべきはずなのに,
どうして一人阿闍世王だけのために留まられるのですか)と聞くと,
釈尊は次のように答
える。

119:吾輩は名無しである
20/08/10 02:50:49.79 X5JBKyrM.net
>>118
ドストスレでスレチ連投ですよ
それはそれとして、で? 何がいいたいの?

120:吾輩は名無しである
20/08/10 16:35:18.99 DI5IwK5+.net
「罪と罰」(新潮文庫)の上巻読破
名前の呼び方がコロコロ変わって少し混乱するところあり。

121:吾輩は名無しである
20/08/10 16:49:58.07 mjT4+wYM.net
>>120
皆が通る道ですね

122:吾輩は名無しである
20/08/10 17:26:12.09 by3IJaok.net
読破()

123:吾輩は名無しである
20/08/10 20:32:24 feXmgEbX.net
俺にとってのフョードルは、カミュが言うような
実存主義的な作家と言うよりも、白夜に代表されるような人情に溢れた、恋愛小説家なんだよな。

124:吾輩は名無しである
20/08/10 21:39:31.04 DvozCkIb.net
『ステパンチコヴォ村とその住人』を読めば喜劇作家でもあると分かる
文庫で全訳が出ていない作品だが、全集を探しても読むべきだ

125:吾輩は名無しである
20/08/10 21:46:57.92 DuPqFmCY.net
ギャグマンガ好きのオレからすると、ドストエフスキーの作品はギャグ小説のように思える。
オレのイチオシはマクシーモフ。

126:吾輩は名無しである
20/08/10 23:23:48.69 UQFxGtjE.net
>>124
未成年みたいに新潮が旧訳を文庫で出せばそこそこ売れそうな気がするがな
安岡治子あたりの古典新訳でもいいけど(亀山はやる気なさそう)

127:吾輩は名無しである
20/08/11 01:43:29.61 vZMZrCCx.net
>>118
カッサパ菩薩(迦葉)が
(世尊,本来ならば無数の人々のために留まっていただくべきはずなのに,
どうして一人阿闍世王だけのために留まられるのですか)と聞くと,
釈尊は次のように答
える。
----------------------------
カッサパ菩薩よ,ここにいる人々の中のだれ一人として,私が結局は
妙寂に入るだろうと言う者はいない。
阿闍生王だけがブッダは妙寂に
入ると思っているのだ。だから王は悶絶して地に倒れたのだ。
私が阿闍生王のために妙寂に入らないと言ったのは,このような裏の意味が
あったことを君は解っていない。
私が「……のため」と言っているのは,決まってすべての凡夫のためという意味である。
阿闍生王と言ったのは五つの重罪を犯した者という意味である。
また,「……のため」とはこの世間の生類のためという意味である。
私はこの世間以外の生類のために生きているのではない。大体,世間
を超えたところにいる者は生類ではないからだ。
阿闍生王と言ったのは煩悩を持っている者という意味でもある。

128:吾輩は名無しである
20/08/11 01:49:17.30 vZMZrCCx.net
ここで明らかなように,釈尊は阿闍世を救うことが全衆生を救う道を「開
く」ことだと見ている。
これは,南伝で釈尊が,出家・在家を問わず自分の
弟子のすべてが自分の教えを完全に悟るまではニルヴァーナに入らない,
と言っているのに対応している。
「阿闍世王だけがブッダは妙寂に入ると思っている」という言葉は南伝で,
アーナンダが始めて釈尊の死の近いことを痛切に知り,それがきっかけと
なって,釈尊の教えを始めて心から「信」じたのと軌を一にしている。

129:吾輩は名無しである
20/08/11 01:59:48.37 vZMZrCCx.net
大乗の(大般涅槃経)に話を戻すと,阿闍世は釈尊の月愛三昧(がつあいさんまい)と説法に
より身心ともに救われ,釈尊に対する「信」を告白する。
世尊,私は世間ではエーランダ毒樹の種子からはエーランダ毒樹が
生じることを見てきましたが,エーランダ毒樹から栴檀樹が生じたの
を見たことはありません。
ところがいまエーランダ毒樹から栴檀樹が生じたのを見ました。
つまりエーランダの種子とは私の身体です。
栴檀寿とは私の心の無根信,つまりブッダのたすけによって生じた,
それまでになかった私の信心です。
無根とは私はかつてブッダを崇敬す
ることも,教えを崇敬することも,そして修行者の集まりを崇敬する
こともまったくなかったことを言ったのです。
世尊,いまブッダに遇わなかったら,おそらく私は数え切れない年
月の間,地獄に堕ちて量り知れない苦しみを受けることになったでし
ょう。私はいまブッダを目のあたりにみることができて,そのおかげ
で量り知れない功徳を得ました。この功徳であらゆる人々がもってい
るのと同じ,煩悩にまみれた悪心を取り除くことができました。

130:吾輩は名無しである
20/08/11 02:01:03.42 vZMZrCCx.net
ここでは阿闍世が,清らかな「信心」を得て救われた喜びを表明してい
るが,南伝の方では,釈尊の厳しい叱責によって,始めて如来の言葉を本
当に「信」じたことに対応している。

131:吾輩は名無しである
20/08/11 02:04:26.23 vZMZrCCx.net
7.結 び
以上の議論をまとめると,(南伝大般涅槃経)において釈尊が自分の入
滅を(三ヶ月後)としたのは,アーナンダの成道と関わっている。釈尊は,
自分の弟子たちがすべて釈尊の教えを理解し,他人に説法したり異教異解
を論駁できる弁舌の能力を持つまではニルヴァーナに入らない,と誓って
いた。
80歳になり,自分の身体の衰えを感じていた釈尊にとって,唯一の
気がかりはアーナンダを成道に導くことであった。
アーナンダは25年も釈尊の身辺で仏の説法を聴いて記憶していたが,
説法の深い内容を理解していなかったのである。

132:吾輩は名無しである
20/08/11 02:05:57.98 vZMZrCCx.net
そこで釈尊はアーナンダに自分の死の近いことを知
らせ,それまで説法をぼんやり聞いていたことを厳しく叱り,法の心を本
当に(信)じるところまで導いたのである。

133:吾輩は名無しである
20/08/11 02:07:51.38 vZMZrCCx.net
大乗の(大般涅槃経)で
阿闍世王の救いが全衆生の救いの道となり,釈尊の悟りも完結したように,
(南伝大般涅槃経)では,アーナンダの成道があって始めて,私たち衆生
が成道できる道が開かれたと言っているのである。またこのことが釈尊の
大般涅槃の成就につながって行くわけである。

134:吾輩は名無しである
20/08/11 02:11:49.36 vZMZrCCx.net
以上
新 井 俊 一
(相 愛 大 学)による
日本佛教學會年報 第76号 掲載
『大般涅槃経』(南伝)における釈尊「三ヶ月後の入滅」の意味
------------------------
ひじょうに重大な意味を含む論文と思い全文を紹介した。

135:吾輩は名無しである
20/08/11 09:33:25 mBTkvzT9.net
新井俊一さんも災難だな、こんな創価のクズに絡まれて。
本人にメールしておいたわ。
著作権侵害でお前有罪だよ。
前科者認定。クズの創価。

136:吾輩は名無しである
20/08/11 12:43:08 v8ZwXl3h.net
阿闍世王については、親鸞も日蓮も論じているが、両者の違い、その宗教家としてのレベルの差が非常によくわかる
親鸞のすごさ、日蓮のアホぶりがよくわかる

137:吾輩は名無しである
20/08/11 12:57:11 OX53dY3x.net
>>136
親鸞と日蓮はホモだったのだよ。
男根をしゃぶるのが上手だった。
おまえは少し勉強不足。

138:吾輩は名無しである
20/08/11 13:00:54 Nu1zTNob.net
>>137
お前はバカかw
親鸞と日蓮なんぞハリストスのブロージョブに比べれば素人同然というのが通説だろ。
宗教史を学び直せw

139:吾輩は名無しである
20/08/11 13:20:39 8zgxchP3.net
マグダラのマリアとナザレのイエスは同一人物であると最新の研究で判明してる。
これは近年公開された映画「堕・淫痴・行動」でも緻密に描写されており、バ痴漢の性職者からも多大な支持を得ている。

140:吾輩は名無しである
20/08/11 13:40:11 G4z2i8e4.net
なぜ仏教おたくがドストスレにいつくのか

141:吾輩は名無しである
20/08/11 14:03:00 CT6C6ETz.net
>>140
本人は自身の頭脳に対する自信を持っていないので、彼が賢いと見込んでいるドストエフスキーの愛読者から認められたがっていると考えられる。
それゆえ仏教(らしきもの)についての知識を衒っているのだろう。こういうのはカルトやアムウェイの信者にしばしば見られる心理だと思われる。

142:吾輩は名無しである
20/08/12 01:50:19.25 ht7qSt9r.net
ドストエフスキーを読んでいるとよく思うことがある
ある場面での言葉の不思議さを感じる
同じ言葉が発せられた場合、自分の口からでるのか他人の言葉からでるのかによって価値が変わってしまうことがある
これらの現象をなんと名づけたれいいのだろうか
オレはバカだから、と自分で言うとなんともない
お前はバカだから、と他人の口から言われると考えてしまう
意味が、価値が変わってしまう
イワンとアリョーシャの会話でそう思った
イワンは、オレは殺していない、という
アリョーシャがそこで、あなたは殺していない、という
イワンは殺していないとアリョーシャに言ってもらったのにムキになって言い返してしまう
だからオレは殺していないと言っているじゃないか、と
変わるどころか反転している
同じ言葉でも他人の口から発せられる場合は意味と価値がかわるらしい
ならばキリストが発する言葉はどうなのか
まったく同じことを言ったとしても、キリストから発せられた言葉は同じ意味や価値を持たないだろう
だから真理は邂逅と言われるのかもしれない
生き言葉は存在と関係しているのかもしれない

143:吾輩は名無しである
20/08/12 02:04:22.67 xkHaHQ2T.net
>>96
> かれは,もしも望むならば,寿命のある限りこの世に留まるであろうし,ある
> いはそれよりも長い間でも留まることができるであろう。
>
> 「南伝大般涅槃経」は,釈尊がこのように延命の可能性をほのめかされ
> たにもかかわらず,
>
> アーナンダが尊師に対して
「尊い方よ,尊師はどうか> 寿命のある限り,この世に留まってください。
(中略)多くの人々のため
> に,多くの人々の幸福のために,世間の人々をあわれむために,神々と
> 人々との利益のために,幸福のために」
と延命を懇請しなかった,と言い,
>それは,彼の心が悪魔に取りつかれていたからである」と言っている

144:吾輩は名無しである
20/08/12 02:12:40.57 xkHaHQ2T.net
>>143
先生は,もしも望むならば,寿命のある限りこの世に留まるであろうし,ある
いはそれよりも長い間でも留まることができるであろう。
先生がこのように延命の可能性をほのめかされたにもかかわらず,
僕が先生に対して
「尊い方よ,尊師はどうか 寿命のある限り,この世に留まってください。
(中略)多くの人々のため に,多くの人々の幸福のために,世間の人々をあわれむために,神々と
人々との利益のために,幸福のために」
と延命を懇請しなかった。
それは,僕の心が悪魔に取りつかれていたからであるのか。

145:吾輩は名無しである
20/08/12 02:51:36.47 xkHaHQ2T.net
先生の僕に対する厳しい叱責の言葉の意味について考えてみる。
先生は「大悟したものは,もし望むなら自分の死期を延ばす力も
持っているのだよ」と,意味ありげな言葉を何度も僕にほのめか
すが,後で先生自身が言うように,これは自分の教えとは矛盾し
た言葉である。
しかし僕は「心が悪魔に取りつかれていた」ために,先生
の言葉の意味がのみこめず,先生に延命を懇請しなかった。
ここで言う「心が悪魔に取りつかれていた」というのは,煩悩の働きによって,
先生の言葉の意味を本当に理解できていなかった,という意味であろう。
僕は30年にわたって先生の身辺におり,すべての説法を聴いて先生の言葉は
覚えていたけれども,怠惰,我慢,我見などの煩悩に阻まれて,
先生の説法の真の意味を理解していなかった
しかし先生が最終的に死を覚悟し,三ヶ月後の入滅を宣言した時,始め
て先生の言葉が僕の心の奥底までとどいたのである。
それが,先生から(お前はそのことを信じますか)と聞かれた時に(はい,尊い方
よ)という言葉になって現れてくる。
先生が自分の教えと矛盾した延命の可能性をほのめかしたのは,僕
に先生の説法を聞くことの本当の意味を気付かせるためであった。
先生は自分のいのちの期間を限定することによって,僕を正覚に導いたのである。
これ以後の僕にとっては,それまでの先生の言葉を本当に理解
し,体得する時間であった。

146:吾輩は名無しである
20/08/12 11:03:29.51 4LodTw5c.net
以上、隔離精神病棟からの報告でした

147:吾輩は名無しである
20/08/12 14:46:50 9E5mlyZD.net
しゃぶってやれ

148:吾輩は名無しである
20/08/12 15:00:18 o+fmwGfW.net
俺今までトルストイを読んだことがなかったのね。
それで読む気になって人生の道、戦争と平和、アンナ・カレーニナ、復活を中古で入手したわけ。
そこで気が付いたんだけど、
何と言ってもイエス・キリストじゃん。
トルストイ、ドストエフスキーといったら。
それで今ヨハネによる福音書を中古で買ったんで、
これから読むことにしました。

149:吾輩は名無しである
20/08/12 15:02:08 bKonIy3L.net
ドスト好きにトルストイってはまるん?
真面目で固いって印象ある

150:吾輩は名無しである
20/08/12 15:06:43 9E5mlyZD.net
ヨハネだけ単品で買ったってことは聖書翻訳委員会訳やね?
ええ選択や! 新共同訳なんか読んだらアカン

151:吾輩は名無しである
20/08/12 15:13:04.02 o+fmwGfW.net
>>150
ありがとうございます。
新共同訳ってよくないんですか?
>>149
俺に聞いてなさそうだけど、
ドストエフスキーがアンナ・カレーニナを完璧と絶賛したり、
原稿料が俺の2倍と嘆いていたそうですよ。

152:吾輩は名無しである
20/08/12 15:17:49.17 9E5mlyZD.net
>>151
ここの創価学会員みたいに
くっさいくっさい悪魔崇拝者の2大派閥が協力して訳してるんやからウンコや

153:吾輩は名無しである
20/08/12 17:13:06.62 cW8AjDkF.net
>>149
やっぱり同じロシア人作家なので似ていると思いまます
物語が似ているというわけではなくて、ロシア人が考える善人とか悪人の考え方はなんとなく似ているように思いました
オススメは復活です
トルストイだけど物語が簡単で分かりやすくて面白いですよ
ドストエフスキーがいう善の人はアリョーシャ、ソーニャ、ムイシュキンになりますが、
トルストイの思う善の人は、復活のネフリュードフ、アンカレではリョーヴィン、戦争と平和ならアンドレとかかな
トルストイの書く善の人は素朴な人が多い
というか素朴さが大切なんだとだんだん思い出していく人が人が善であるように書かれている気がします
アンカレなんかはリョーヴィンがすごく良かった
神なんていないよ、から始める人がだんだんと人と繋がっていくことで認識が変わっていく感じが好きでした

154:吾輩は名無しである
20/08/12 18:29:35.92 D5Sxbwyi.net
いやドストエフスキーとトルストイを両方評価するのはあり得ないって有名な話でね
あれは誰が言ったんだっけ?
ナボコフだったかな
ドストエフスキーを評価するならトルストイが評価できるわけないし
トルストイを評価するならドストエフスキーが評価できるわけない
両方好きだなんてのはぬるい読み方してるからだと

155:吾輩は名無しである
20/08/12 20:05:48.86 cW8AjDkF.net
なぜに?

156:吾輩は名無しである
20/08/12 20:11:03.08 o+fmwGfW.net
>>152
そこまでとは知りませんでした。
あなおそロシア。
俺が買ったのは個人訳で日本基督教団出版局からのものです。
今ホームページを見たらだいじょうぶそうなんですが。

157:吾輩は名無しである
20/08/12 20:47:33.79 PVcmDHbB.net
>>154
ナボコフは大のドスト嫌いというのを加味しないといけない
原文だとトルストイは流麗でドストエフスキーはごちゃごちゃして悪文と言ってもいい位の荒削りな感じがお気に召さなかったみたい
でもナボコフ自身の小説はロリータといい青白い炎といい偏執的な異常者が堕落していく話でドストに近いんだよな

158:吾輩は名無しである
20/08/13 07:05:37 lnKGrwy9.net
>>156
そいつは正統派の信者ではありません

159:吾輩は名無しである
20/08/13 07:08:52 lnKGrwy9.net
あいかわらず荒らしが多いな
誰とは言わないけど

160:吾輩は名無しである
20/08/13 09:37:05 6BTwOW9e.net
>>158
パチものをつかまされちゃったんですかねぇ。
ま、いいや。それでは岩波のヨハネ文書を買おうと思うのですがどうでしょう。

161:吾輩は名無しである
20/08/13 09:42:42 lnKGrwy9.net
>>160
いいえ日基なら問題ありません
>>152の人が異端だと言ったんです(イタンだとイッタンです)←ギャグ

162:吾輩は名無しである
20/08/13 10:46:04 z6bcmlg8.net
>>160
素人は最新の新共同訳買ってれば間違いないよ
2018年版

岩波の聖書翻訳委員会訳は最悪の選択だよ
田川健三が口を極めて批判している
おれは田川訳と新共同訳と文語訳を併用してるけど
たいていは新共同訳でこと足りる

163:吾輩は名無しである
20/08/13 11:40:00 RtqeIRMc.net
田川って狂犬みたいに批判し回ってるよな。とくに彼は荒井献を嫌ってるのか、異様に叩きまくってる。

164:吾輩は名無しである
20/08/13 13:24:21.03 4UqqrI9x.net
>>161
どうもありがとうございます。
安心しました。
正直いって誰を信じていいのかわかりかねるのですが、
ギャグが秀逸なので信じるに足る方かと。
>>162
どうもありがとうございます。
いずれ最新の新共同訳も読みます。
しかしとっくに聖書にふれている方が多くて感心しました。
でも仏教よりはシンプルなんじゃないですか?
仏教に興味を持ってもどこから入っていいか途方に暮れそうですから。

165:吾輩は名無しである
20/08/13 14:40:26.32 R6KUCUn6.net
ドストエフスキーとトルストイのキリスト教はまるで違う
トルストイは、三位一体を認めないユニテリアンだし、イエスの復活も信じない、イエスの再臨、最後に審判も信じない
ルター以上の合理主義者であり、ドストエフスキーとは全く違う
ドストエフスキーは、教義批判を小説の中で主題のように扱うが、トルストイはしない
だから小説を読むと、トルストイはあまり神学や教義に精しくないのではないかと思ってしまうが、全く逆で論文の方を読むとトルストイの方が断然精しい
両者の一番の違いは、ドストエフスキーが非常にイデオロギー的なのに対し、トルストイの方は実生活、実社会、自分の人生の中のキリスト教(正教)を問題にしているところである
トルストイの宗教観を知るには
『懺悔』 『教義神学の批判』 『わが信仰はいずれにありや』 『神の王国は汝らのうちにあり』 『要約福音書』が必読だが、『懺悔』以外は全集でしか読めないので図書館で借りるべし

166:吾輩は名無しである
20/08/13 23:52:05.16 3qnt2p+F.net
トルストイなら『戦争と平和』、ドストエフスキーなら『未成年』を断固賞賛する

167:吾輩は名無しである
20/08/14 01:58:46.77 TxVQDTVC.net
三位一体は否定していただろうけど、復活や審判を信じていなかったかどうかには疑問です
トルストイは古代キリスト教を目指していたと思われます
「光あるうちに光の中を歩め」とかが彼の信仰告白なんだと俺は思っています
>>166
トルストイもドストエフスキーも民話も結構いいもんっすよ

168:吾輩は名無しである
20/08/14 02:18:24.01 TxVQDTVC.net
ローマ教皇、香港問題で中国配慮か 講話変更に疑念拡大
URLリンク(www.google.co.jp)

169:吾輩は名無しである
20/08/14 02:21:03.27 TxVQDTVC.net
URLリンク(www.jiji.com)

170:吾輩は名無しである
20/08/15 02:38:39 YtUhT8+R.net
自己のなかでわたしはもう一人の自分と対話する
時に自分の中でさえ内的対話は私を反駁させたり圧倒する
この終わることなき自己論争が自意識になる

だけどこの自意識から解放する方法がある

悪しき連載は、外部から他者が内的対話に介入してきてきて内なる対話と同意を結ぶことになる

自意識の主人公はそれを拒否したんだと思います
自意識の彼は内的対話が多くを占めている
他者の介入を許さなかった……

などとそういう心理的側面からよんでも地下室は面白かったりもするとふと思いました

171:吾輩は名無しである
20/08/15 16:40:22.94 wqX0a6aS.net
>>167
たしかに。
トルストイは聖書の不合理なところは信じていないと思うが、復活も信じないとなると、それはキリスト教か? と思っちゃうね。

172:吾輩は名無しである
20/08/16 12:39:59.59 4Db9KhDZ.net
トルストイにとってはキリストの教えが重要なんであって復活したかしてないかはどうでもいい

173:吾輩は名無しである
20/08/16 13:17:44.66 oCYXN8gY.net
「三位一体」こそキリスト教の核心で、これの否定は、イエスの神性の否定であり、死後に復活したり、最後の審判のときに再臨するなどありえない
トルストイの『要約福音書』は、十字架上でぶどう酒で口の渇きを癒して死ぬ場面で終わる
荒野の40日間の悪魔との戦いも、自分の肉の声との戦いと解釈し、ユダヤ人との討論もロシア正教徒との論争に変更している
宣教師ニコライは、福沢諭吉を無神論者といって厳しく批判しているが、福沢はユニテリアンと関係が深く、慶応義塾の教師はユニテリアンを採用、明治政府もフェノロサをはじめ、ユニテリアンを多く採用した
それは近代化を目指す日本にとって、なるべく宗教的でない西洋人が必要であったため、理神論的なユニテリアンになったのである

174:吾輩は名無しである
20/08/16 14:44:07.93 oCYXN8gY.net
『宣教師ニコライと明治日本』中村健之介著より
内村鑑三について
宗教思想家としての内村については、ドストエフスキーやその若い友人の宗教哲学者ヴラジーミル・ソロヴィヨーフとの関連にも目をむける必要がある。
内村のキリスト再臨の信仰や、神のはからいとしての世界史の見方は、その内奥にはキリスト教の神秘主義を含んでおり、
それはドストエフスキーやソロヴィヨーフが生々しいヴィジョンとして抱いていたものであった。
内村自信、ロシアの思想家への共感を語り、ロシアの思想家にはヨーロッパ人の理性とは違う「アジア人の情性」がある、
「ロシア人の思想が日本人に了解せられやすきはすなわちこのゆえんである。
キリストの再臨につき最も深き印象を余に与えた者も、同じくロシア人たるウラジミール・ソロヴィエフであった」と告白している。
また内村の1922年の日記には、チュービンゲン大学のハイム博士と会ったが、博士が「キリスト再臨信者であるのに、余は深く驚いた。
博士は、同信仰の士としてドストエフスキー、メレンコフスキーらの大家を挙げた。実に愉快の至りである」と書いている。
北大図書館蔵の内村文庫の一冊にアルセーニエフ著『神秘主義と東方教会』の英訳がある。
アルセーニエフがドストエフスキーについて書いている個所には例外なく太いアンダーラインが引かれて、
例えば『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の「兄弟たちよ、人間の悪意を恐れてはならぬ」ということばには、
「無政府主義者に対しても」という書き込みがなされている。
トルストイについて
ニコライは正教を非難する者に対しては例外なく闘う姿勢をとる。
「ヤースナヤの聖者」と呼ばれて日本でも尊敬されていたレフ・トルストイでさえ、正教会を攻撃した以上は、ニコライにとっては敵である。
1901年に正教会はトルストイを破門するが、それ以前からニコライはかれを敵視していた。
「トルストイ伯爵は、最も下劣なプロテスタントだ」(1887年1月10日)
「キシニョフで民衆がユダヤ人に対して起こした暴動に関してトルストイが手紙を書いた。
今朝それを読んでむっときた。この破門された不信心者は、まるで獰猛な犬のように、どんなきっかけも見逃すことなく、自国の政府と聖職者に吠えかかる」(1903年7月11日)

175:吾輩は名無しである
20/08/16 22:04:30.98 Idc4MfdK.net
まあ、三位一体を否定するとほぼ異端扱いなんだけどね
単なる預言者を唯一絶対神と同等に扱うのでこういう事になる
しかし、この神人による最終審判がなければ
旧約のヨブ記のような世界になり
別にキリスト教である必要もなくなる
というか、新約の予定説では救済はもちろん
死後復活の可能性すら怪しい者でも
被造者ゆえに信仰すべきなのだと説いているわけだ
この後者にとっては最終審判の意味はない
とうぜんイエス復活と再降臨がなくともかまわないわけだ
そういう無茶な理屈が教義に組み込まれている

176:吾輩は名無しである
20/08/16 22:06:34.11 Idc4MfdK.net
というか全人類を再生族とその他に二分するのはインド思想だな

177:吾輩は名無しである
20/08/16 22:11:59.64 viQ+rPgn.net
トルストイはキリストの神性を否定したわけではないと思います
自然な流れとしてそうなったにすぎないということです
イエスの教え(福音書)より上に教義を置こうとすることを否定しなければならない時、論理的にキリスト教を否定せざるを得なくなる
教義が組織をつくっているのだから、組織は教義を捨てることはできない
トルストイはイエスの教え(福音書)こそを優先するのだから反組織(反正教会)となるしか方法はない
要約福音書で彼は最後にこう述べます(70年代の言葉なので俺が勝手に現代言葉に変えているので注意して下さい)
「肝心なのは、イエスが神でなかったこと、従って彼の教えが神の教えでなかったことを立証するということではなく、また彼がカトリック教徒でなかったことを立証するということでもなくて、
この教えの説法者を世の人々が神と認め、今なお認めつつあるほどに、世の人々にとって祟高であり貴重であるこの教えが、どういう内容から成り立っているかということを、完全に混じり気のない姿において理解するかということーー肝心なのはまさにこのことである。」
三位一体の考え方はキリスト教の基礎だから、こういう言い方をされれば正教会は黙っていないわけです
だけどキリストの神性をトルストイは否定したわけではないと思います
トルストイがもっとも言いたかったことは、キリスト者はまず地上にいる間にイエスが語った言葉を考えていかなければならないこと、それをまずは優先しようね、みたいなことだと俺は思っています
それを否定の言葉と受け取ってしまう教会は自ら教義に固執し過ぎているのだと思いますが、同じ理由から、組織なのだから仕方のないことでもあるとも思います
教義なくして組織は存在し得ないからです

178:吾輩は名無しである
20/08/16 22:33:17 Z6yzzdD2.net
読んでよかったと思えるレスをありがとうございます。
俺はぜんぜんくわしくないから書きにくいけど、
ゾシマ長老やアリョーシャのイエスと、トルストイのイエスは同じに感じるなぁ。

179:吾輩は名無しである
20/08/16 22:43:28.77 W2iw+8f9.net
キリスト教の兄ちゃんは5chというウンコ置き場の良心だからね。

180:吾輩は名無しである
20/08/16 22:50:53.89 C2ArZt26.net
カラマーゾフで思うことのうちのひとつは、
ゾシマ長老が責任ある立場の修道院にパイーシーがいて、
それなりに敬虔な農民がたまたま彼に遭遇しちゃって、
パイーシーの言うことを真に受けてしまうくだりはどうなんだろう?ということ。
ゾシマ長老とアリョーシャにはどうしても期待してしまうので、
一般にはありがちなこととは思いながらもつい不満に。

181:吾輩は名無しである
20/08/16 23:00:40.68 C2ArZt26.net
そもそも三位一体ってキリスト自らが言ったわけじゃないんでしょ?
だったら却下でいいと思うけどなぁ?

182:吾輩は名無しである
20/08/16 23:23:02.57 viQ+rPgn.net
>>181
何という単語だったかは忘れたけどギリシャ語の中に「王は書かない」という言葉があります
これはある意味でこの世の真理なのです
王は書かない
ただ書かれるのみである
この場合言えることは一国の王という意味ではありません
人類の王、この世の王、という意味です
ダビデやカエサルでさえ王ではありません
ダビデやカエサルの王という意味です
つまり本人は語ることで語られた人々がかたち作っていくということです
本人はなにも書かないのです
例えばソクラテスなんかも何も書くことはありませんでした
プラトンやまわりにいた人が、彼はこう言っていた、と書かれるのみになります
ナザレのイエスもまたそうです
使徒たちが、イエスはこう言われた、と書かれるだけであり本人は何も書き記さないのです
王は書かない
書かれるのみになる
だから三位一体はイエスが書いたことではなくても書かれている以上は真理となり得ます
だから、本人が書かなかったこと=違う、とは言い切れないのです
そもそも王は書かないのですから

183:吾輩は名無しである
20/08/16 23:24:34.55 7MjHNhmv.net
聖書からは三位一体は出てこないね
公会議で決めただけだから
だから聖書重視のファンダメンタリストは
三位一体を否定する

184:吾輩は名無しである
20/08/16 23:51:09.35 7MjHNhmv.net
>>182
イエス自身が聖書を書いてないことをそんなに力説してなんか意味あるの?
そんなこと誰でも知ってることだと思うが
>>181はイエスが三位一体を話したかどうかを問題にしている
そして聖書を読めば誰でも分かるようにイエスは三位一体を説いていない
三位一体を言いだしたのは2世紀ごろの教父たちであってイエスではない

185:吾輩は名無しである
20/08/16 23:56:28.96 viQ+rPgn.net
三位一体を論理で正確に理解することは難しいです
というか不可能に等しい
神は唯一である、がある以上どうしても三者が一体であるという根拠を示すと脆弱になってしまう
イザヤ書6:3の「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」という天使の声が三者をあらわしているという考え方が伝統的な根拠とされていますが、論理として立証するまでにはまだ弱いようです
ドストエフスキーはあまり踏みこんではいないようです
というか踏み込めば失敗に終わるのがオチとわかってイタnかもしれません
三位一体は理論ではなく信仰の範疇になるようです

186:吾輩は名無しである
20/08/17 00:31:07.78 4nFGSSzX.net
>>184
あまり意味はなかったです

187:吾輩は名無しである
20/08/17 00:47:45.93 4nFGSSzX.net
ドストエフスキーにとってキリストは神なんだろうと思う
トルストイにとっては神の子になるのかな
そう考えると物語の根底にある概念がそもそも違うのだから、ドストエフスキーとトルストイはナボコフの言う通り全然違うのかもしれない

188:181
20/08/17 02:46:49 gyrgHDky.net
>>182
キリスト教、そして三位一体を信じているんですね。
イワンがトルコの幼児虐待の話をした時、
アリョーシャは態度でははっきり否定したものの、言葉にはすることができなかった。
それでいいのだと思います。
失礼ながら王は語らないというくだりは、
読んで興味深くはありますが、
今回の説明にはちょっと違うかなと思いました。
乱暴ですみません。

トルストイもドストエフスキーも、
それこそキリストへの理解がすべてのなかで最も重要だとしていると見えます。
この2人にとっても生まれる千数百年前からキリスト教、三位一体はあったわけです。
とはいえ納得できない、信じられないところがある。
そこは自分より先に生まれた人間が大きくゆがめてしまったと思わざるを得ない。
その部分を取り除くことにより正しくキリストと生きることができる。
トルストイが要約福音書を編んだのはそうした意図があってのことなのでしょう。
そしてロシア正教から破門になったと。
すみません俺、この本読まずに書いています。

189:188
20/08/17 09:02:08.93 VlAQkG93.net
>>182
乱暴ですみません。と書きましたが、
われながらあんまりよくないなと思うところがありますので、
夜までに書き直します。
もっとも大したことではなくて、少し説明になっていればいいなという程度です。

190:吾輩は名無しである
20/08/17 09:18:19.39 HICB2myC.net
>>187
> ドストエフスキーにとってキリストは神なんだろうと思う
> トルストイにとっては神の子になるのかな
これもいい意見だと思います。
ほかの方も知識がありますね。
読んでためになりました。
俺は今日からヨハネによる福音書を読むんで。
そのうち仏教も学ぶつもりです。最初はスッタニパータでいいのかな?

191:吾輩は名無しである
20/08/17 09:23:14.13 Dqt38Tn4.net
だめです。
ヨハネによる福音書ではなくヨハネのアポクリュフォンを読みなさい。
スッタニパータではなく人間革命を読みなさい。

192:吾輩は名無しである
20/08/17 09:26:38.11 HICB2myC.net
なんだ、いたのー?

193:吾輩は名無しである
20/08/17 10:03:30.00 Dqt38Tn4.net
なんでもいいから入信しろタコw

194:吾輩は名無しである
20/08/18 01:44:01.09 0WZ+QI4G.net
>>188
そうなんすよね
トルストイは何年もたって作られたキリスト教ではなくてイエスが生きていた当時に戻りたかったのかもしれません
それが要約福音書なんだと思っています
ただそれだけ、原点回帰したかっただけなんだと思います
言葉が足りませんでした
>>181に答えるならば、俺も個人的にはイエスが言わなかったことは却下でいいと思っています
本人が何と言っていたのかを問題とすべきだとも正直には思っています
ただ王は書かないと言ったのは。
どっちにしろ本人は書かなくて記録されるしかないので、
「される」という客観になるしか方法がなくなってしまうそうすると「本人以外からどう見えてたのか」が問題になるので、自らが言ったのか言わなかったのかは2次的なものになってしまう、結局は三位一体を言ったかどうかより、三位一体みたいな行動をとっていたのかどうかが問題となる、みたいなことが言いたかったのです
>>190
ドストエフスキーは四福音書の中でもヨハネを基礎として書いていたと思いますので、ヨハネを読んでみるのはいいと思います
魂の不滅をテーマにしているのは福音書の中でもヨハネが色濃くなっていると思います
あとそういう理由(トルストイのように原点に帰ることが必要)という意味でもし仏教に興味があるのならばそれでいいと思います
サンスクリット啓典が仏教の原点なので、釈迦が何と言っていたのかを問題とすべきだと思っています

195:吾輩は名無しである
20/08/18 02:01:19.87 0WZ+QI4G.net
歴史を知っている現代からすると三位一体はグノーシスに対抗するキリスト教の策だったとも言われています
グノーシスは本当の神がいて、悪ばかりある世界にためにイエスはその本当の神が遣わした子であったと主張したみたいです
キリスト教会はイエスをグノーシスに取られてしまうことを恐れて三位一体を考えだしイエスを三位一体の神(本人の神なんていない)とした、なんて言われたりもしています
結局はナザレのイエスの争奪戦でしかない、という見方をする神学者もいました
俺たちの神の子だよ、お前の神の子じゃないよ、みたいな
三位一体にして聖書の神と同一にしたかったようです
こういう考え方はあまりオススメできませんが、悪がありすぎるために、みたいな話があると俺は「なぜ世界は悪ばかりなのか」とアリョーシャに詰め寄ったイワンをもい出すし、それを書いたドストエフスキーを思い出さずにはいられません

196:189
20/08/18 05:20:55.88 CSKG4S/Q.net
>>194
書き直さなくてはいけないなと思った理由として、
今回の説明にはちょっと違うかなと思いました。
と書いておいてその理由を書かなかったことについて、
第一に書くとレスが長くなり時間がかかってしまうのがめんどうだと思った。
第二に自分の知識のなさを露呈してしまうことを懸念した。
といったことが理由でした。
よいレスを書いてくれている方にこういった誠意のない態度は、
取るべきではないとの自責の念をぬぐえなかったからです。
いま念のためにソクラテスを検索してみたのですが、
釈迦、キリスト、孔子と並び四聖人(四聖)に数えられる。
とあり、「ひぇーっ、知らなかった。」とショックを受けています。
俺にとってはキリストと釈迦がツートップで、
ソクラテスと孔子は哲学者と思想家で、
2ランクくらい落ちる存在という認識だったからです。
無知ゆえにです。
世界は宗教や神が最も高い位置にあるというわけではないということでしょうか?
俺はあなたのレスのざっと半分以上は、
プレゼントだと受け止めています。
もちろんどのレスも俺のためだけに書いているわけではないとも思っていますが。
ですから非常に価値があると感謝しているのですが、
さらにこちらからのレスを書くのは、
日常的には時間と労力がかかって、というのが正直な気持ちです。


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