すが秀実 ..
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969:労働運動というものを     バックにしてたわけです。六〇年代の三池闘争が最後ですよね。六〇年以降は高度成長とともに     組合運動の再編成があった。つまり労働組合は経済機構のなかに組みこまれたわけです。     インテリの運動は労働運動と関係なくあるはかないということが、     六〇年代の半ばまでに確立したと思う。     左翼運動というものを何かの具体的な達成や利害と結びつけなくなったわけです。     だからいわば祝祭的になっていく。あるいは神話的な上部構造のみが注目される。     経済的構造だとか貧困問題とかは考えられなくなっていく。 三浦 そうでしょうね。だけど、六〇年代でも、ぼくはその頃高校生だったけど、     それでもなお、一九四五年とか、五〇年とか、あるいは六〇年というところまでの、     敗戦、労働運動、反戦闘争、安保闘争っていうのは、祝祭に見えてたわけです。     そういうふうなのが革命であり祝祭であり云々と。で、六〇年代というのは     それが全部だめになっていく過程です。     完全に一種のブルジョワ化というか、高度成長になっていって、     吉本さんの『言語にとって美とはなにか』の言葉で言えば、全部解体していった、と。     それがシラケたというかね。 浅田 逆に、そうだからこそ、祝祭としての文化革命といったことが     仰々しく唱えられたとも言えるわけでしょう。 三浦 そう。それでさっきのタイムラグがあるんだというような話をぼくは面白いと思ったわけです。 浅田 実際、全共闘世代の当事者というわけではないけれど、津村喬みたいな人は、     山口昌男風の祝祭論とか、そこから孫引きされたようなある種の構造論とかを     言っていたわけじゃない?     高山宏なんかも『道化の民俗学』のコピーをバリケードのなかでむさぼり読んだなんて     嬉しそうに書いているくらいだし。 三浦 そういうことになるね。




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