すが秀実 at BOOK
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[前50を表示]
500:吾輩は名無しである
16/05/27 20:25:36.33 .net
「ニューヒストリシズムの旗頭」とだけ

501:吾輩は名無しである
16/05/27 20:42:11.91 .net
ありがとね
ブローデル地中海みたいなアナール学派みたいな過度に物語化を阻んだ細かい動因に着目した歴史叙述があって、
現在を特定の過去に原因を求めるセンチメントなドイツ歴史主義があって、歴史とはレトリックの技術とする見方があって、
アリストテレスをひっくり返して読者受容に注目するイーガーの極端があって、それらを包括するような複数の「歴史叙述」を書いた人なんだよな
複数の「歴史」があるという意見に分類されがちではあるけれどたぶんそうではない、と思う
ナチズムに堕する危険があるのはまさにそのとおりであるけれど、そこから極端に離れようとした歴史叙述は存在できない。
その上で真実への「信頼」を唱える、のは絶対的に正しい、けれどそれは方法論ではないし、アナール学派に戻るのもギンズブルグの望むところでもない。

502:吾輩は名無しである
16/06/08 19:19:25.61 .net
評者◆池田雄一
何を書いても天皇制に!?
No.3161 ・ 2014年06月07日
▼たとえば、スガ秀実が『天皇制の隠語』(航思社)のなかで、
そもそもなぜ田山花袋の『蒲団』みたいな情けない話が日本の純文学のイメージを形成しているのかについて、
中村光夫を参照しながら分析しているんだけど、これがかなりの力作なんです。
 この本では、政治、とくに天皇制の問題が、日本文学の無意識として捉えかえされている。
何故に近代の日本文学は、小説の登場人物に社会的ペルソナを被すことに成功してしまったのか。
天皇制というのは、封建制の遺構ではなく、ブルジョワジーの自己欺瞞を象徴するものとして論じられている。
ここで『天皇制の隠語』の話に少し戻るけれど、スガ氏が六四歳にして現役感があるのは、文芸誌に書いていないからだと思う。
その理由はこの本を読むとわかると思う。これは市民社会に対する批判なんだけど、それが天皇制と無関係ではないことを力説している。
これは天皇制を封建制の遺構とする解釈からは見えてこない。
 近代における言文一致運動の結果として、いまの日本語はあるんだけど、
それは標準語であらわすことのできない要素を排除したことによる。日本語の書き言葉は、市民の言葉として誕生したわけだ。
たとえば上野千鶴子は、さっきの本で、西暦でなく元号を使う感覚がわからないと言っている。これは明らかに言文一致というか標準語の発想だよね。
 近代文学というのは、社会的なペルソナを前提としている。『蒲団』をみればわかるように、近代文学は、いわば仮面の内側を主要な舞台としていた。
そこには苦悩や葛藤はあるけれども、人としてのモラルは徹底して欠けていた。
そうである以上、何を書いても天皇制を表象したり代理することになってしまう。おなじことが、おそらく評論についても言えるんだと思う。
URLリンク(toshoshimbun.jp)

503:吾輩は名無しである
16/06/11 15:29:20.48 .net
Kentaro_SUZUKI
絓こそブルジョア的欺瞞だと知るには2002年を顧みればよい。
小泉政権下、9.11翌年前半は露とパイプある宗男が叩かれ、
後半は叩いた辻元の社民党が北朝鮮問題で叩かれ翌03年、小泉は米英とイラク参戦した。矮小な醜聞に国家意思を読むこと。
2016年6月10日

504:吾輩は名無しである
16/06/12 20:42:06.89 .net
 【考察8、学生運動活動家列伝、学生運動活動家のその後の履歴考】
URLリンク(www.marino.ne.jp)

505:吾輩は名無しである
16/06/15 16:24:15.80 .net
>>422
チキも、デビュー当時(デビュー前??)は、絓スレで結構叩かれていたような
当時のスレ住人の見る目がなかったのか、それとも、今の若い読者が相対的に優秀なのか…

506:吾輩は名無しである
16/06/16 09:04:05.89 .net
チキは左翼じゃないよな
飯田泰之みたいな反マルクスの経済学者と仲いいし
なのになんでスガと手下は攻撃しないの?
「なんリベ」呼びもしないし

507:吾輩は名無しである
16/06/22 01:21:04.17 .net
大江文学における「『第三世界』と日本」の表象―「アルジェリア戦争の時代」と『われらの時代』周辺作品を中心に
URLリンク(repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp)
こうした方法は『われらの時代』に、日本文学でありながら、日本文学では
ないような特質を付与している。この小説が初めて世に出たとき「世界文学」
的な雰囲気を漂わせるテクストとしての影響を当時の読み手に与えたとさえ言
えるのだ。多くの批評家によって批判の的にされながらも、この作品が安保闘
争直前の青年世代の関心を惹起し、彼らの知的な育成や世界観の形成に貢献し
たことは絓秀実が指摘するとおりである。
絓秀実、『革命的な、あまりに革命的な——「1968 年の革命」史論』、作品社、東京、2003
年、71〜72 頁.
122〜123

508:吾輩は名無しである
16/06/22 04:13:24.45 .net
>>463
トルコ人の論文か〜すごいな・・・・

509:吾輩は名無しである
16/06/22 10:56:31.99 .net
■■日本近現代文学・学会スレ■■
スレリンク(book板)
337 :吾輩は名無しである:03/05/26 02:12
なにせ、大逆事件が特集でしたから。
スガ秀実、渡部直己、大杉重男の三氏のおかげで、少しは盛り上がりましたよ。
とはいえ、発表者への質問も厳しいものがあったわりには、
紛糾するのを微妙にかわして終わってしまったという感じ。
(スガ氏は発表者のレジュメの年代が元号表記「明治」になっているのを怒っていたり……)
「批評空間」Webサイトでちょっと前に論争?になった時に巻き込まれた
小森陽一氏、佐藤泉氏も同じ会場内にいましたが、スガ氏とは特に
なにもありませんでした。
発表者3人への質問に、スガ氏の「『帝国』の文学」をどう評価しますか
っていうのがあったので、もっと論争になるのかなとかちょっと期待したんですけどね。
343 :レポーター:03/05/29 12:49
質問と称し勝手に演説をはじめた近藤典彦氏。
司会側から数回ストップがかかると、
じゃ、もうこれで本当に止めます、と前置きしながら、こうおっしゃった。
「幸徳秋水は大逆事件の最高責任者であり、アルファでありオメガであって、
それ以外の何者でもない!!!」
で、報告者三人に対し、「幸徳を捉えないとすべてが狂ってしまう
(つまりおまえらみんな狂ってる)」とのたまい、
さらに、それについては俺


510:の本を読め、と言い出す始末。 渡辺・スガ・大杉席あたりから爆笑起こる。 近藤先生、「なんで笑われたかわからないのですが」と不平をもらすと、 会場後方から一際大きな笑い声。 しばしの間、会場は沈黙に包まれたことでした。



511:吾輩は名無しである
16/06/29 01:58:29.67 .net
2016-06-14

出勤。思うところあって今朝から絓秀実の『探偵のクリティック』を読み始める。
稲垣足穂を僕は毛嫌いしてきたけれど、こう抑鬱状態の時ほどどういうわけかタルホの文章にとり組んでみたくなることを最近になって悟った。
Takanori Morimoto (id:mormoot)

512:吾輩は名無しである
16/06/30 00:33:11.09 .net
猫飛ニャン助
ヨタ一つ。郷原佳以がブランショやってるのは、父親(郷原宏)への反抗かと言ったら、そんな俗流精神分析はいかんよと笑われたことあり。
それはともかく、1960年代詩壇のめちゃくちゃなブランショ受容(と批判)には、それなりの必然性と強度があったかと。
もちろん、それは今や雲散霧消している。
2013年4月29日

513:吾輩は名無しである
16/06/30 10:47:13.00 .net
金井美恵子「切り抜き美術館 新 スクラップ・ギャラリー」
第6回文芸雑誌「海」の表紙@
URLリンク(webheibon.jp)
中西夏之のオブジェが使用された12回目の12月から、私は、初めて書く長篇小説『岸辺のない海』の連載をはじめている。
「海」1971年12月号表紙/作品:中西夏之 構成:田中一光
URLリンク(webheibon.jp)
「海」1971年12月号目次
URLリンク(webheibon.jp)

514:吾輩は名無しである
16/06/30 19:01:07.72 .net
영어 초록
1930代前半まで文壇を仕切っていた所謂「純文学」は、震災後、
商業ジャーナリズムで出版市場が拡大していくなかで浮上してきた大衆文学の威勢にその危機が提起され、
多様な題材やジャンルを試み、新しい活路を模索しなければならない状況に直面した。
純文学の危機と大衆文学についての関心が高まっていくなかで、「小説」固有の問題、小説の「形式」をめぐる議論が行われていく。
特に1930年代に盛んに行われた長篇小説をめぐる一連の論議は、日本文學における「長篇」という小説の形式が持つ意味を問いかけている。
大衆小説や新聞小説などの「長篇」を通して文學の大衆化を求めてきたのは、
政治的前衛が前提にある上での大衆化ではあるが、本来プロレタリア文學陣営であった。
中野重治は文學の形式を新しくすることによって文學の大衆化を達成しようと考え、
葉山嘉樹の`海に生くる人々 が長篇で書かれている点を評価し、社会機構を総体的に描くためには「長篇」でなければならないと述べた。
中野のこうした論理は他のプロレタリア文学者にも共有され、転向の時期を経て、
1930年代後半に到って旧プロレタリア文学者らが結集して「長篇小説刊行会」の結成と機関誌「長篇小説」の刊行につながっていく。
彼らは現実社会が短篇小説の方法では表現できぬほど変化しているという自覚に基づいて、
現在の社会を描くためには「長篇」という形式が要請されるとし、散文芸術としての「小説」の意味を喚起させている。
「長篇」という形式が要請されているのは、文壇の現象論的な側面を越え、
時代的必然性をもって「小説」の本質的な表現形式として問い求められているのである。



515:http://scholar.dkyobobook.co.kr/searchDetail.laf?barcode=4010023106603 👀Rock54: Caution(BBR-MD5:10daa2b3cca9f99aa0be944c4d8896e3)



516:吾輩は名無しである
16/07/04 16:32:39.28 .net
猫飛ニャン助
蓮實と筒井は、渡部直己『幻影の杼機』の出版記念会(1982年?)で会っているはず。
Jul 2016

517:吾輩は名無しである
16/07/07 19:48:26.84 .net
逆徒の「名」--管野須賀子という喩法
村田 裕和
URLリンク(www.ritsumei.ac.jp)
その筆頭は、 前掲の?秀実『 「帝国」の文学』である。論者は、 管野が
容貌を中傷されたためにおこなったという隆鼻手術(の失敗)などをふま
えながら、 「管野すが子」という「主体」の疑わしさを描き出していく。
そもそも、 女性である管野にとって、 国家という代表=表象機関は、
はなから無縁であった。すでに、社会主義者による普選運動や選挙
運動は始まっていたが、彼女は投票によって自らの意志を表象しう
る主体でさえなかった。しかも、作家的「才分」を認められない彼
女は、文学的な表象する主体でさえもありえなかったのである。た
かが書生以下の駆け出しにすぎない「夫」荒畑寒村が日刊「平民新
聞」の創刊号に書いた掌篇「舞姫」(一九〇七年)は、仲間から「一
葉の『たけくらべ』を読むようだと大袈裟にほめ上げ」( 『寒村自伝』 )
られているに比較して、である。いや、そもそも「壮士」から「青
年」へという表象する主体の転換のなかには、 「女」は含まれていな
いのだ。
 かかる「女」であった管野すが子が、表象する主体である男のそ
の表象作用の支えたるファルスを抹消しようとすると同時に、それ
を欲望しようとしたことは必然的である。そのことを症候的に示す
のが、 管野の隆鼻手術とヒステリーにほかならない。
(二五四〜五頁)
たとえ、管野すが子自身が、最後まで表象する主体たらんとした
「女」であったとしても、 ファルスの不在を否認する隆鼻手術を、 そ
の手術の失敗によって再び否認するというその無意識において、彼
女は「大逆」事件の首謀者に最もふさわしい存在であったことは疑
いえない。(二六一頁)

518:吾輩は名無しである
16/07/08 22:22:33.82 .net
中沢忠之の「純文学再設定」が絓秀実を論じてる、一部引用すると
 絓の仕事は一九九〇年代以後、言葉狩り論争とスラヴォ
イ・ジジェク理論を経由。「美」と「雑」の相互補完的な
概念を近代の問題として考察していた絓は、一九九〇年代
後半に入るといっきに「雑」へと傾斜する。「一九六八年
革命」を考察するうちに。それが「ジャンク」論として開花することになる。

519:吾輩は名無しである
16/07/08 22:49:02.48 .net
鎌田哲哉「進行中の批評B―スガ秀美は探している」
 『処女作「花田清輝」以来、スガ秀美の著作は分析の至るところでつねに同型的な論理に貫かれている。(中略)
 分析の進行は常にこうである。
(1)事態A(引用順に、超越性/ロマン主義/表象代行作用/レギュラーな警察知/故郷/詩)は、ある歴史的条件の下でその自明性を失い、
事態B(具体的な世界/リアリズム/表象代行作用の失調/イレギュラーな的探偵的知/故郷喪失/散文)に脅かされ動揺させられる。
(2)だがより深いレベルでは、事態Bの作用は「知らず知らず」あるいは「徹底的な敢行」のうちに事態'Aを回帰させ、
以下動揺と回帰のループが言説の各水準で悪無限的に続く、と』(鎌田、早稲田文学〇一年7月号、六九ページ)

スガ秀美「革命的な、あまりに革命的な」
 『しかしここでは別の問いを立てるべきかもしれない。疎外論批判を言いながら、廣松渉のその理論内容においても、構えにおいても、
かくも多岐にわたって疎外論が回帰しているのだとすれば、それはほとんど「のりこえ不可能」なアポリアなのではあるまいか、と。
廣松理論を気分として受容していたと思われる「ノンセクト」にしても、表現=化肉としての疎外概念を斥けて、
なおかつラディカルたらんとすることは、ほとんど不可能性と同義である。
もとより、その不可能性を生きることが、「六八年」の問題だとしても、である。』(早稲田文学〇一年7月号、六六ページ)

中沢忠之「ジャーナル、ジャーナリスティック‐J批評宣言」
『「J」とは、個別テクスト以上に、マーケティングや批評といったジャンルを限定しない、よりコンテクストの問題であるということも考慮して、
忘却されつつある「J」にむしろ徹して小説を読み解く言葉を見出さなければ死ねない、死人のような、いかなる評言をも受け付けないが、
しかし、文学市場に「J」であれ何であれ、要請されたものであれ、すでにあってしまったものなのである。』(〇一年三月号、一一七ページ)
URLリンク(www.yk.rim.or.jp)

520:吾輩は名無しである
16/07/09 23:36:56.48 .net
SS22における荻上の才能がよく出てるもののホンの一つ
SS22 白戸圭一×荻上チキ 「曽野綾子氏のコラムが波紋、改めて考えるアパルトヘイト」 2015.02.17
URLリンク(www.youtube.com)
14:10から荻上による曽野へのインタビュー。

521:吾輩は名無しである
16/07/10 00:45:27.82 .net
デジタル・ヒューマニティーズの可能性 ―日本近代文学・文化研究の立場から―
URLリンク(www.arc.ritsumei.ac.jp)
この間、大塚英志が『サブカルチャー文学論』
(2004年、朝日新聞社)の中で三島について
言っていることがありまして、それはもうどこ
かで読んだことがあった気がしたので、今回調
べましたら、絓秀実が昭和61年に「複製技術
時代」の三島由紀夫(「三島由紀夫論 死刑囚
の不死 複製技術のナルシス」、『複製の廃
墟』福武書店)で言っていることを、大塚英志
がもう一度繰り返しているだけだと分かりま
した。それで一体、どういうことを大塚英志も
絓さんも言っているかというと、先程も出た三
島由紀夫の最後の「豊饒の海」の問題、本物と
偽者の問題、これは実はジャン・ボードリヤー
ルの日本版ではないかというんです。ボードリ
ヤールよりも二年ほど早かったのですが、この
問題提起は、エッセーの形で「文化防衛論」の
中で、はっきり三島はボードリヤール的なこと
をもう言っておりまして、「日本文化は本来オ
リジナルとコピーの弁別を持たぬことである」
と明確に言っております。その一つの事例とし
て、伊勢神宮のコピーの問題。二十五年毎の造
営で場所を移してコピーを作るんですけれど
も、それはコピーではなく本物なんだという。
そういう事例とか、あるいは天皇制の問題、歴
代の天皇の一人一人がコピーであると同時に
オリジナルでもあるという、そういう形で「文
化構造としての天皇制」という言い方をしてい
るわけです。

522:吾輩は名無しである
16/07/11 21:47:32.42 .net
「反原発の思想史: 冷戦からフクシマへ」 絓秀実著 
出版 = 筑摩書房 (2012年2月13日)
URLリンク(onaironaironair.files.wordpress.com)
URLリンク(onaironaironair.files.wordpress.com)
URLリンク(onaironaironair.files.wordpress.com)

523:吾輩は名無しである
16/07/13 02:08:05.70 .net
書誌:渡部直己書誌《1990年〜1991年》 ─ 山本 均

*貧しいフェティシストの賭け スガ秀実『小説的強度』『詩的モダニティの舞台』  『早稲田文学』2月号

524:吾輩は名無しである
16/07/15 16:17:41.70 .net
吉永剛志
おお!花田清輝が確か一番最初のカフカ紹介者ですよね。
戦争中情報が隔絶していたが、戦後、国会図書館にカフカはいっていると推測、独自に発見、翻訳、だった気が(花田全集より)。
やっぱ「情報」ってのは基本こういうかんじのやりとりだよな、と。
猫飛ニャン助
花田が最初というわけではないです。
共和国
よく知られた作家のなかでは、中島敦がアフォリズムの一部を翻訳したり、
「狼疾記」(1936年から37年ごろ)という作品の中でカフカに触れてたりしています。かれは英訳で読んだそうですね。
猫飛ニャン助
邦訳、戦前にあり。
4 Jul 2016

525:吾輩は名無しである
16/07/17 12:52:09.51 .net
糸瀬龍  「エルンスト・ユンガーの〈新〉ナショナリズムについて」、『Metropole』、首都大学東京・東京都立大学大学院独文研究会、第34号、2013年
URLリンク(www.repository.lib.tmu.ac.jp)

526:吾輩は名無しである
16/07/19 13:54:25.14 .net
yohei tabo
絓『天皇制の隠語』を読む。「天皇制のオクシデンタリズム=フェティシズム」という図式化がなるほどという感じ

「かつてドゥルーズは、
コミュニケーション機能の増大した社会が到来しつつあることにコミュニズムの燭光を見出して寿ぐネグリをたしなめると同時に、
コミュニケーション社会が(新自由主義として)スキルアップを要請することに対し、そんなことには耐えられない、と言った。」oh..

その後の文脈の上に稲川方人の技術を読むとか発見がある
2016年7月17日

527:吾輩は名無しである
16/07/21 23:04:26.28 .net
アイカワ
「孤立を求めて連帯を恐れず」が活字で世に出たのは、たぶん、おそらく、
絓秀実の豊崎光一追悼文「複製技術時代の批評」が最初(掲載誌は「文藝」だったような気がするが未確認)。
安井豊作は勘違いしているが、柄谷行人の「引用」は例によってオリジナリティの揚棄(パクリ?)。
16 Jul 2016
1989
晴雨計 オチコボレの権利 『新潟日報』9月1日(夕)
晴雨計 阿賀に生きる 『新潟日報』9月8日(夕)
複製技術時代の批評 『新潮』9月号
聖杯の不在 天澤退二郎論 『詩的モダニティの舞台』収録 『現代詩手帳』9月号
中平康と西河克己は奇跡だった 『別冊宝島』100 9月10日刊
晴雨計 ホラーについて 『新潟日報』9月22日(夕)
晴雨計 スポーツ観の変質 『新潟日報』9月29日(夕)

528:吾輩は名無しである
16/07/23 11:55:49.61 .net
ノンセクトの学生組織である全共闘が主体となって起こった 68 年革命(全共闘)(第 2 回の勉強会参照)では、戦
後民主主義批判がスローガンとして掲げられている。「自己批判」という理念のもとに行われた戦後民主主義批判とは
何だったのか?
 スガ秀実が「ポスト「近代文学史」をどう書くか?」で言うように、68 年のスローガンが言う意味での「戦後民主
主義」とは、60年安保において主題であった憲法第九条における反戦平和主義を指しているのではない。それは「戦
後憲法において保証された『国民の権利』としての『文化的生活』のことであり、今日的な言葉で言えば『一九四〇
年体制』とも呼ばれるリベラリズムにほかならない。」*6 それは日本の高度経済成長の基盤であった 1940 年体制 *7 、
ひいては資本主義そのものをも意味する。戦後のリベラリズム政策に「漠然とした不安」を抱えていた学生たちは、そ
の「管理」体制からの「自由」を希求したのである。
 つまりここで批判された「戦後民主主義」とは、「アメリカ的なもの」に他ならない。日本における 68 年革命が、
「土俗的」なサブカルチャーの開花を伴っていたことは象徴的である。また、68 年革命それ自体をサブカルチャーの
開花として捉えるならば、押し付けられた「文化的生活」から生じるハイカルチャーに対する抵抗として見ることが
できるだろう。だからこそそれは既成の左翼による革命ではなく、ノンセクトの学生、つまり「大衆」による革命だっ
たのである。
URLリンク(www.diced.jp)

529:吾輩は名無しである
16/07/27 21:19:59.40 .net
23-01-2004
■[books] 「一九六八年革命小史」
URLリンク(d.hatena.ne.jp)


2008-12-15
今週、すが秀美が東工大をテロルぞ!
URLリンク(d.hatena.ne.jp)


3・29東大ネグリイヴェントへの見解2008年04月10日
URLリンク(mixi.jp)

530:吾輩は名無しである
16/07/29 21:11:35.49 .net
セカラヴァ
かつて渡部さん/絓さんがフォークナーを味読できるならヌーヴォーロマンに手を出す必要はないって言ってたから
そこから考えれば大江さん、中上さんが読めるなら金井さんに行かなくてもいいかも
2015年06月18日


坪内祐三+福田和也「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」(『SPA!』2013年12月24日号)

坪内 この人は「俳人」とも書いてあるけど、オレ、現代俳句はほとんど知らないから。
そうそう、文芸評論家といえば、オレと福田さんが同時に敬愛する文芸評論家の絓秀実さんと久しぶりに会ったんだよ。
絓さん、ブレてないなと思ったのは、「ツボちゃんさ、荒井晴彦の追悼、書いてよ」って言ってきたわけ
(荒井晴彦氏はご存命ですが、詳細は『en-taxi』最新号を参照)。絓さん、さすがだよ。
福田 絓さん、一時は本当に死にそうだったからねえ。奥さんに逃げられちゃって、焼きそばとラーメンばっかり食べて。それもインスタントばかり。

531:吾輩は名無しである
16/07/30 20:07:47.00 .net
hikaru


532: リベサヨの中に、無自覚に、バブルの再興を願ってる人が相当数いる。 2016年7月20日 ヨーロッパや中東の政治情勢を参照しながら日本の政治情勢を語っても、大勢にはほとんど影響を及ぼさないな、、、良くも悪くも。 日本人、基本的に、ヨーロッパからは学ばない。 2016年7月21日 第二次安倍政権になってからの左翼の負けっぷりを見続けての教訓は、左翼はこそ合理主義に徹底的に冒されていたということかもしれん。 無駄な(無駄に見える)動きがあちこちにないと、突破口は開かれない。 2016年7月28日



533:吾輩は名無しである
16/07/31 07:56:14.63 .net
中沢忠之
福嶋亮大氏の『厄介な遺産』。面白く読んでます。博識な比較文学論から、西洋リアリズム(散文)を批判的に支える要素を摘出。
すが秀実氏が90年前後に「詩ポエジー」から散文の可能性を問うたが、
ゼロ年代前半に連歌などをモチーフに、やはり文学の祝祭性演劇性を問題にしていた記憶がある。
2016年7月29日

534:吾輩は名無しである
16/07/31 16:59:39.75 .net
噂の真相 一行情報
URLリンク(happy.ap.teacup.com)

筒井康隆憎しの評論家すが秀実が『唯野教授』をエイズ差別と解同に告発説(1995.1)

「政治少年死す」復刊を数社が申し込むも大江健三郎が頑なに拒否中との噂(1995.4)

吉本隆明が麻原彰晃本を絶賛した文章をオウムが信者獲得の宣伝利用説(1995.5)

『自由時間』で呉智英の企画上がるも編集者が呉智英知らずで愕然との説(1995.6)

東大副学長に就任した蓮実重彦が駒場寮廃止に抵抗する学生に処分通告(1995.9)

オウム問題で沈黙のいとうせいこうが実はオカルト好きで清田益章ファン(1995.12)

村上龍が元恋人二階堂ミホに生原稿送るも即神保町で売却されるの過去(1996.4)

東大副学長の蓮実重彦の得意技は「それなら辞める」の駄々っ子的居直り法(1996.2)

廃止計画進む東大駒場寮ボヤ騒ぎは大学当局と公安の自作自演ヤラセ説(1996.6)

東大教養学部長の成功に味をしめた蓮実重彦が今後は総長選出馬の動き(1996.9)

江藤淳が東大総長間近の蓮実重彦に猛烈嫉妬しあちこちで悪口吹聴の噂(1996.10)

中曽根康弘の孫がお笑い芸人修行中も所属のホリプロは必死に隠匿の噂(1997.4)

出所した奥崎謙三が見沢知廉の母親にふられ風俗嬢に熱中し大感激の説(1997.11)

山形ドキュメンタリー映画祭に蓮実重彦参加するも米人に論破され遁走(1997.12)

風俗好き作家菊地秀行がノーパンしゃぶしゃぶの大部屋で忘年会開催歴(1998.5) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63)


535:吾輩は名無しである
16/08/02 12:57:53.93 .net
左右社 @sayusha 2013年7月20日
朝日カルチャーセンター新宿で郷原佳以さんによる新たなブランショ講座の第1回。作者の死とか非人称とかではなく、3人称という普通のことば・概念で捉えなおして思想の展開を追う。



536:聴いている自分まで明晰になったかに錯覚する、シャープさの爽快なすばらしい講義でした(T) ≡ @KagayakiNitoh 2013年7月20日 今日は、小林秀雄とモーリス・ブランショが私の中で繋がった日!二人の思索者を最も理解する人物から話を聴くことができた。 ひとが創り出す虚構の謎の一端を明快に解いていただいた。闇の中にあかりを灯していただいた思いがする。次のお話が楽しみ!人間っていいなってつくづく感じさせていただいた。



537:吾輩は名無しである
16/08/04 19:13:23.02 .net
作家・作品シリーズ10 武田泰淳
URLリンク(mediamarker.net)

古林尚「閃鑠する告発者―含羞の人を悼む―」(再録加筆)pp.5-25
高橋春雄「『司馬遷―史記の世界―』について」pp.26-48
三谷博俊「「物語の反逆」―『才子佳人』論―」pp.49-64
竹内清己「『風媒花』論」pp.65-81
吉田凞生「『ひかりごけ』」pp.82-94
絓秀実「「全体」の破産―『富士』について―」pp.95-111
川崎賢子「武田泰淳研究略史」pp.112-128

538:吾輩は名無しである
16/08/05 06:51:44.10 .net
法政大学出版局
【近刊】J.デリダ、豊崎光一著/豊崎光一訳/守中高明監修『翻訳そして/あるいはパフォーマティヴ』
◆デリダが最も信頼する相手と、講義や講演にもない率直な語り口で、自身の来歴から哲学の諸問題までを語り合う対話。世界初の書籍化。
2016年8月4日

叢書・ウニベルシタス 1048
翻訳そして/あるいはパフォーマティヴ
脱構築をめぐる対話

四六判 / 182ページ / 上製 / 定価:2,000円 + 税 
ISBN978-4-588-01048-4 C1310 [2016年09月 刊行]

デリダが最も信頼する相手と語り合った対話。世界初の書籍化。講義や講演でも見ることがない率直な語り口で、
難解で知られるその思考をデリダ自身が明らかにし、最高の翻訳で提示する。
アルジェリア生まれのユダヤ人としての来歴から言語との関わり、
自身の哲学からハイデガー、レヴィナス、ブランショ、フーコー、ドゥルーズなど思想家たちとの関係まで。現代の知の核心がここにある。

539:吾輩は名無しである
16/08/09 07:26:58.54 .net
河添 誠
今日の天皇の発言は、憲法上の国事行為以外の行為が象徴天皇の役割だと踏み込んでいるわけで憲法上は微妙な発言にならないのだろうか。
憲法学者の意見が聞きたい。少なくとも、天皇自身の意図は明確で、象徴天皇を安定的に維持するための制度改正を望んでいる。
問題発言だな。やはり。
2016年8月7日

赤い豚
「このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ」
ここまでは認めざるを得ないとして

問題はここから
「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう」
継続させるか否かは国民主権の根幹であり、相携えるかは国民の総意に基づくもの

つまり国民主権という憲法の三代原則に真っ向から挑戦したことになる

それも「万世一系の天皇」というフィクションを用いてね

北守
象徴天皇制は君主国の家産的側面を徹底的に排除し、天皇を純粋な政治的身体としたわけだから、
前にも言ったけど天皇はボロ雑巾になるまで天皇をやって死ぬか、それが無慈悲だというなら天皇制をやめるかしかないのよ。
2016年8月8日

540:吾輩は名無しである
16/08/13 14:18:49.31 .net
いま左翼であることはどういうことか
絓 秀実 (文芸評論家)
水谷保孝+岸 宏一著『革共同政治局の敗北 1975〜2014 あるいは中核派の崩壊』、
池田信夫著『戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか』
『映画芸術』452号 Book Review から転載
2015年7月30日刊
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

541:吾輩は名無しである
16/08/15 15:44:29.93 .net
Kim, Yi-Chul
『「源氏物語」を読む本居宣長/ポルノグラフィを読む山田孝雄』(西野厚志)というものが検索すると出てきて、読みたい気持ちを抑えきれずにいる。

猫飛ニャン助
西野くんは私の若い友人ですが、その論文は未見で(多分)、私も是非読みたい。

Kim, Yi-Chul
ちょうどスガさんの著作からの引用を含む彼の論文を読んでいたところです。

言文一致の〈残りのもの〉 -山田孝雄の「存在詞」と谷崎潤一郎「のである口調」-
2015年9月7日

542:吾輩は名無しである
16/08/18 19:43:07.84 .net
[ロックとはなにか]『TOKYO POP』−レッドウォーリアーズの赤い糸
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

ある種、彼は大学という場所においてカルトの帝王のようになった。
最初に彼と出会ったときから、この面白い男の将来は心配もしていたが、そんな心配など何処吹く風であり、
立派にカルトの帝王のようになりながら、最後は早稲田で消滅しようとしている学生運動を一人で担い、
8年かけてギリギリ卒業した後も大学構内にいるし、大学当局から出入禁止令を出されても、まだ学生運動をやっていた。

このおかしな男の生態に注目する人もいた。
文芸評論家のスガ秀実が、このテキサスと名乗るようになった早大学生運動のカルト的人物を気に入り、一緒に活動し、
早稲田の学生運動を手伝い、そして自分の映画にも出演させた。
スガ秀実のドキュメンタリー映画『レフト・アローン』において出演する彼は、やはり相当インパクトあるのだが、
また自称するところの名前が変わっていて、「花咲政之輔」という名前で彼はクレジットされている。

たんこぼは、数年かけてテキサスになり、自分のブルース系音楽サークルを成功させた後、花咲政之輔という名前になったのだ。
しかし、彼の本当の名前は、小川というのだ。彼は早稲田で卒業した後もずうっと大学に居残り続け、
一人で仲間を集め続け、そして消滅する学生運動の天然記念物的な絶滅種のように活動を続けた。
ブルース軍団時代の彼の弟子にはその後社会哲学で暴力論と国家論を書いた萱野稔人もいる。

543:吾輩は名無しである
16/08/20 23:37:53.64 .net
URLリンク(www.mosakusha.com)

544:吾輩は名無しである
16/08/21 20:19:53.94 .net
同時に新・担当者は自らの知的アーカイヴにまったく新たな要素を付け加える効果があり、
私自身は、これでかなり己の知的フィールドが拡大したと思う。
先輩の文芸評論家になった絓 秀実(すが・ひでみ)が自賛も込め、
「いろんな編集者に会うけれど、どれだけ『読書』の編集者が優秀だったか思い知るよ!」と言ったことを思い出す。
URLリンク(gigue2015.exblog.jp)

日本読書新聞
URLリンク(ja.wikipedia.org)

545:吾輩は名無しである
16/08/22 18:17:59.46 .net
とと姉ちゃんこと大橋鎮子は日本読書新聞編集者だから、スカタンの先輩か

546:吾輩は名無しである
16/08/24 08:37:46.10 .net
『小林昇文庫(蔵書)目録』
URLリンク(www.rikkyo.ac.jp)

547:吾輩は名無しである
16/08/28 22:24:38.26 .net
戦後文学における「日本資本主義論争」についてのやりとり
URLリンク(open.mixi.jp)

この提起はスガ氏によれば、桝見さんのいう「不即不離のもの」だという認識自体が
「日本資本主義論争(狭義のものとしては講座派と労農派の明治維新革命に対する歴史観の議論が中心)」に規定されるものだというものです。

この「日本資本主義論争」においては、
講座派の「維新革命は近代化されぬ農村を基盤としたところの不徹底で半封建的なものとみなし」た歴史観が色々あって(爆)戦後再び受容され、
丸山眞男、大塚久雄らを通じて「公共性」の思想として「市民社会論」から主題を転換したと。

 その後、高度経済成長期に至り「半封建」という言葉が現実味を失うと、ついにその「日本資本主義論争」の主題は顧みられなくなったが、
戦後共産党やGHQの市民社会建設はこの時期の講座派の思想潮流の影響下にあるといえるのではないか、というものです。

 そして現在、マルクス主義派(ソヴィエト共産党派)の失墜から、丸山眞男の再評価の向きが高まるなか、
我々の歴史認識はこの「講座派」に未だに規定されており、その立役者が小林秀雄、柄谷行人の「文学史」における歴史観であると。

ゆえに講座派が問題とした「封建制」的な性格はまだ対象の設定として有効であるが
「文学者(これがなにを指すのかイマイチ分からんのですが)」はこの問題について未だ論じてきていない、ということらしいです。
「不即不離」であることの前提条件の分析、といえるかもしれません。

548:吾輩は名無しである
16/08/31 08:36:47.93 .net
では、『技術論』とあわせて『技術史』を読み直すと、どうなるのか?
このことは、『技術史』に対する絓秀美の問題提起とも関わる。
『天皇制の隠語』所収の絓の短文(「フォルマリズムは政治を回避できるか」)は、
渡部の言う「技術」が、今日的な意味の匿名の技術というより、いわば個々の作家の創意による「手法」ではないのかと問いかけた。
絓の言う技術と手法とのすりかえは、意識・主観の外部にあるメカニズムが内面化されることを指し、
内面化とは、感性論=美学の対象(イメージ)へと変容させるという意味で、美学化でもある。
政治の美学化としてのファシズムに敏感な絓がこうした問いを発するのは、当然のことだ。
URLリンク(repre.org)

549:吾輩は名無しである
16/09/01 23:14:27.36 .net
白江幸司
蓮實の豊崎追悼文を読んだ。文中の主張に占める党派的我田引水の割合が高すぎる。
哲学研究が解説するデリダと批評理論が解説するデリダとの対比で、
「通俗的な解説などとは異なる卓越した孤立」と仏文研究脈および


550:豊崎褒め。 つくづく下品な野郎だが、そういう操作に気づかない人には魂の慰めを与える。 蓮實のド・マン/豊崎比較が噴飯ものだと指摘されてるけど、 蓮實がやってるのは「ド・マンなどは所詮仏文の知が大したことありませんなぁ。 ブランショをテマティスム批評家と勘違いしてるようだしデリダ特権視してるし、プププー」で、マジ下品w 追悼文にせよ豊崎論にせよ、文章自体は上品めかして流麗に書いてるから下品だと思われないってだけなんで、 要はエレガンスや不合理っぽさを演出すれば、コロッと引っかかる読者が沢山いるということよ。 2016年8月31日 https://twitter.com/HAYASHI_twit/status/413287613932388352



551:吾輩は名無しである
16/09/01 23:16:05.89 .net
白江幸司
豊崎追悼文集の蓮實の別稿では、「イメージとして流通すること・イメージの連帯による堕落/孤立と持続」
の対比で読む人豊崎を賞賛しているけれど、この初歩的なミスは「ド・マンはどうせデリダとか言うだけでしょ?」
というイメージだけで書いてるために起きてる点で、悲惨さが際立つ。

あと、蓮實においてはブランショとデリダは比較的小馬鹿にされるのがつねなのに、
豊崎がブランショとデリダにこだわるときだけいつもの蔑視がまるで無くなるのも、我田引水のために豊崎を持ち上げてるように思える。
「ヌーヴェルクリティークにこだだる豊崎」を賞賛してるがそれは蓮實の自画像じゃん。

そんなわけで、蓮實の卑しさばかりが印象に残った。
豊崎光一の死後高まる英名は、日本において批評理論家が活躍しなかった仇花なんだろうか、などと感慨が深まった
(蓮實は基本的に、仏哲独哲独文に対して攻撃されずマウンティングできるように体勢を作るので思弁が形容詞への過剰負荷などになりがち)

あまり学識を誇らない蓮實だが(そもそも学識あるのかという疑いもあるが…)
「ヌーヴェルクリティークにかんする知見でマウンティング」は結構やってる。
あれは若い頃に築いた見解をもって、隙のあるやつはマウントしてボコる感じだが、研究者にありがちな悪しき体質の発露だと思うと腑に落ちる。

蓮實をとりまく情勢は、無邪気な鵜呑み層、酸いも甘いも通り越したはずがなぜか愚直なビリーバーとなった年寄り、
すでにまともに相手してない層、などが浮かぶが、最初の層には逆に届きにくいし、最後の層には必要ないし、
ビリーバーには何言ってももう無駄であり、批判しても意味がない気がしている
2016年9月1日

552:吾輩は名無しである
16/09/02 16:11:44.49 .net
松本秀文(詩集『環境』ついに刊行!)
松本圭二さんの2006年の記事、ついこの間のようだが、もうすぐ10年が経つのだな。貴重な記事なので、シェアしておきます。
URLリンク(pbs.twimg.com)
12 Apr 2016

553:吾輩は名無しである
16/09/03 09:15:35.43 .net
現代詩手帖を語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(poem板)

554:吾輩は名無しである
16/09/03 15:50:06.05 .net
「私ハ野村君ノ考ヘル様ナ意見ニ反対デアル。日本ノ現在ハ軍備ヲ撤廃シタレドモ永久ニ陸海軍ハ無クテ良イモノデアラウカ。
憲法ハ永遠ナルモノデアル。故ニ私ハ早急論ニハ反対デアル」

「憲法改正


555:m方向ハ現在ノ様ナ制限主権状態ヲ前提トシテ定メラレルベキモノデアルノカ、永久ニ陸海軍ヲ無クシテ良イノデアルカ」 「憲法ノ改正ニハ降伏ノ結果トシテノ現在ノ状態ヲ基礎トスベキヤ又ハ将来国家ノ独立ヲ回復シ得ベキコトヲ期シ独立国タルコトヲ基礎トスベキヤ」 「若シ現在ノ状況ヲ基礎トスベシトセバ、陸海軍、外交、戒厳、兵役ニ関スル第11、12、13、14、20、32ノ各条ヲ削除スルト共ニ、第1条ヲモ『日本帝国ハ連合国ノ指揮ヲ受ケテ天皇之ヲ統治ス』 トイウガ如キ趣旨ニ修正スル必要アルベシ。寧ロ現在ノ状態ハ一時的ノ変態トシテ考慮ノ外ニ置キ、独立国トシテノ日本ノ憲法タラシムベキニ非ズヤ」 「戦争の権利を永久に放棄し、軍備を永久に撤廃するのは頗る重大であるが、平和日本、文化日本の為にこれを歓迎するに躊躇しない。 但し、武力に依る外国の攻撃に対して、若し列国の安全保障が無いとすれば、日本は自己の生命を維持する力の全く無いものとならなければならない。 其の点に付き連合国又は国際連合との間に必要な諒解が既に成立つているのであらうか懸念に堪えない」 「憲法9条は、何等の留保も無く無条件に戦争を放棄したのであるから、万一外国から侵撃を受けた場合にも自衛的戦争の途なく徒に滅亡を待つの外ないことになるやうであるが、 それは他日完全なる独立を回復した後に考慮せらるべき問題で、其の時までは『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』国の生存を保持する外はない」



556:吾輩は名無しである
16/09/04 17:24:44.17 .net
猫飛ニャン助
@suga94491396

若い政治思想史家と、明治憲法の規定に沿って制定された戦後憲法は正統性持たぬとの美濃部達吉の説について話す。「立憲主義」と言っても、その憲法に正統性なければ
どうなん。美濃部説に抗しうるのは8-15革命という虚構だが。戦後民主主義の参照先として美濃部持ち上げる人間は、この辺どうなん。

557:吾輩は名無しである
16/09/08 08:27:08.92 .net
書肆子午線
現在発売中の『現代詩手帖』9月号に書肆子午線の新刊・近刊予定の広告が掲載されています。
ぜひ書店にてお手にとってみてください!近刊情報については近日中にホームページに詳細を掲載いたします。
URLリンク(pbs.twimg.com)
2016年9月7日

558:吾輩は名無しである
16/09/08 21:39:23.64 .net
絓秀実「時評 タイム・スリップの断崖で」
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

559:吾輩は名無しである
16/09/09 00:03:47.89 .net
2011年8月14日 (日)
ねじめ正一(第101回 平成1年/1989年上半期受賞) 暴力的詩人から人情派小説家への転身。計算なのか、はたまた天然なのか。
URLリンク(naokiaward.cocolog-nifty.com)

少なくとも、その人品のよさが彼の今日と無縁であるとは断じがたい。
この点は、先


560:の〈糸圭〉(引用者注:糸偏に圭の字。以下同)秀実をはじめ、 ねじめと接した数多くの者たちが異口同音に認める事実なのだが、(引用者中略)本質的に人に憎まれることのないその人柄は、 今回の小説にもたくまずしてよく現われていよう。まことに、「文ハ人ナリ」であって、直木賞の選考委員たちもきっと、 この小説の文章に滲みだしている彼の人柄にホロリとさせられてしまったのだろう。」 (『中央公論』平成1年/1989年9月号「人物交差点 ねじめ正一」より 署名:(渡)) と言いますのも、昭和53年/1978年に、批評家の高橋敏夫、高野庸一、〈糸圭〉秀実らとともに『現代批評』(創刊時は『現代評論』)を創刊。 「昨年夏、詩のねじめ正一、批評の高野庸一、〈糸圭〉秀美(原文ママ)、それに私、の共同企画編集で、「季刊 現代批評」を創刊した。 発行・櫓人出版会、販売・新時代社。櫓人出版会という名称は、ねじめ・高野らのすぐれた詩誌「櫓人」に由来している。(引用者中略)  創刊号が送りだされるやいなや、「××一派」やら「党派性のかたまり」といった言葉が、何割かの真白な返品とともにかえってきた。 修辞と流行風俗を唯一神としてその前にひざまづく者たちの形成する、多様性にみえてそのじつ一枚岩的“党派性”にとって、 そういう「××一派」命名は、命名それ自体ですでに否定の身ぶりを意味するらしい。まったく気楽なものだ、といわざるをえない。」 (『早稲田文学』昭和54年/1979年3月号 高橋敏夫「ケンカ雑誌事始め」より)



561:吾輩は名無しである
16/09/09 00:09:42.77 .net
 ところが昭和55年/1980年にいたって、高野、高橋両人は同人から離れ、岡庭昇と結びついて『同時代批評』を立ち上げ。
不穏な匂いがプンプンしますね。

「今日、「同時代批評」を含めた一部の雑誌や書評紙において、岡庭や高野、高橋という署名を持った文章のみならず、
匿名コラムをもデッチ上げたりしてなされている、「現代批評」やそれを制作する個人へのデマゴギッシュな攻撃が、
彼らが抜き難く抱いている―ニーチェ風に言えば―弱者の光学(俗に言えば、犬の遠吠え)
に起因するものであることを指摘するのは手易いことである。(引用者中略)
そもそも、ねじめの「同人制解体までのゆくたて」という文章(引用者注:『現代批評』5号に掲載)が多少スキャンダラスであるというので、
そうした文章を書いたねじめ自身に対して陰に隠れて眉をひそめてみせる微温的な人々も多いと聞くし、
また、旧同人やそのボスたちはねじめの文章を無視して、ガセネタを流すことで自己保身をしておけば事足りると、
全く弱者にふさわしく思い込んでいるらしい様子だから、この際ねじめが所持している彼らの卑しさ丸出しの私信
(とりわけ卑しいのが岡庭昇の手紙)なども公表して、面白おかしく彼らとの消耗戦をやってみるのも一興ではあろう。」
(『詩学』昭和56年/1981年6月号 〈糸圭〉秀実「深夜の強打者あるいは聰明すぎる貴種―贋作ねじめ正一論」より)

562:吾輩は名無しである
16/09/10 13:14:56.94 .net
海野敦、おすすめ映画テキスト

「荒野のダッチワイフ―大和屋竺ダイナマイト傑作選」
(1994年)編:高橋


563:m+塩田明彦+井川耕一郎 確かこの本を手にした時には、若松孝二の映画を数本くらいしか観ていなかったと思うのだが、 いわゆる「映画の脚本」を初めて読んだのがこれだった。 買った時には、そのカッコイイタイトルに惹かれたが、中身はもっとかっこよかった。この本が世界とのズレの始まりかもしれない…。 「昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫」 (2002年)著:笠原 和夫/荒井晴彦/絓秀実 昭和天皇、大日本帝国、テロリズム、日本共産党、右翼、在日、被差別、そして、やくざなど、とにかく「デカい」話が満載である。 その膨大な取材量、そして取材論に圧倒される。 当時、自分が夢中だった90年代の北野武を、正面切って、真っ当に批判したのも、笠原和夫が初めてかもしれない。 「シネマトグラフ覚書」 (1987年初版/2006年再版)著:ロベール・ブレッソン 当時、「ラルジャン」を観て、熱狂したが、この本は既に絶版だったので、なんかの雑誌に載っていた抜粋をコピーして、何度も読み返した。 古本屋で、程よい値段で見つけた時には静かに喝采をあげたものだ。 現在、どっぷりと商業映画に浸かっている今の自分には、その言葉の数々は呪いの言葉に聞こえなくもないが、 読み返す度に、なにか立ち返ることが出来る。 http://cinetoride.com/2016/08/20/%E6%B5%B7%E9%87%8E%E6%95%A6-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC/



564:吾輩は名無しである
16/09/11 18:14:25.49 .net
「おそらく、ジャパンを破棄するごときジャンクの「享楽」が今求められている。
そして、それは小説ではなく現代詩において、もしかしたら可能であるかもしれない。
J文学という呼称は可能であり現実に存在するが、J詩(あるいは、Jポエム? Jポエトリー?)は、どうも不可能のように見えるというのが、
その第一の理由である。(略)・・・つまり、ジャンクとジャパンという「二つのJ」をリンクさせることなく、言語を享楽するのである。
もとより、それは不可能な試みだ。しかし、現代詩に可能なことは、この不可能のなかにしかないのである。」
(「ジャパン/ジャンク/ジューイッサンス」)

 最近読んだ、詩誌「オドラデク」(谷口哲郎編集)創刊号の巻頭をかざる特別寄稿文のなかで、糸圭秀実氏は、こう書きつけて、
「それが一瞬たりとも実現されたかに見えたのが、世界を席巻した「一九六八年の革命」(ウォーラーステイン)
のさなかにおいてであったことを、改めて指摘する必要があろうか。
そしていうまでもなく、その「革命」は今なお潜在的に持続しているはずである」とのべているのが、
どこか笠井さんの文章と呼応するかにみえたのも、僕には、おもしろかった。
URLリンク(www1.odn.ne.jp)

2002年4月10日 水曜日
URLリンク(www1.odn.ne.jp)

一昨年の夏に創刊号の出ている詩誌「オドラデク」の最新号をいただいた。
鹿児島出身のまだ30代前半の比較的若い書き手である谷口哲郎さんからのもの。
2号出版まで色々の曲折があった様子がうかがえるが、それにしても、創刊号での糸圭秀実氏の特別寄稿文といい、
こんどの号の、「日本でいち早くポンジュの詩を訳され、彼と交友のあった阿部弘一氏」(編集後記にかえて)の巻頭を飾る寄稿詩といい、
ちょっとした


565:商業詩誌的なレイアウトや造りといい、目指されているのが、同人誌的な自由さなのか、もっと別のものなのか、 ちょっと判断にまよってしまうが、内容的な方向性としては、どうやらかの「’68年」に象徴される詩と革命の蜜月の時代、 谷口さん言うところの「ラバの火の記憶」として、忘れられつつもいまもどこかで詩の言葉の熱源たりえている現代詩のある系譜への、 詩的連帯意識とその<火>の継承を、ということにでもなるだろうか。



566:吾輩は名無しである
16/09/17 20:45:58.66 OhAy4j/9.net
気さく
最近読んだ本の「誰もが答えを知っている問いは、むしろ、問い自体が間違っていると考えるべきではないのか。
そうした間違った問いが『正しい』答えをすでに隠して問われてくる時は、
『間違った』答えを出してやるのが正解というものである」(スガ秀実『1968年』)という一節を気に入ったので、
2016年9月13日

元々岡田猫
すが秀実の文章って、なんであんなにジャンクっぽくて読みにくいんだろう。渡部直巳への当て付けかな?
2016年9月15日

基体幻想、フラットなホメオスタシスと馬鹿どもの死の欲動、メガネをかけた土人
2016/9/16
URLリンク(arabic.kharuuf.net)

「基体」幻想が世界を覆っています。すが秀実さんが『1968年』の中で、ベ平連が言う「ただの市民」という言葉を取り上げています。

567:吾輩は名無しである
16/09/19 17:31:50.54 bwbe1G8H.net
「……享年、42歳。8月30日付『リベラシオン』紙はギィー・オッカンガムの追悼記事を三ページにわたって掲載している。
『天使の死』と題されたその記事は、エイズに冒された晩年の生活を次のように伝えている。
『一年の大半を、サンタマンモントゥロンの田園にある小さな踏切小屋で暮らしていた。がらんとして気取りもない家だった。
たまに友人が訪れると、近くの駅まで、はげた車を運転して迎えに行った。
それ以外は、幼い下手くそな丸い字で書かれた小説とエッセーの推敲に明け暮れていた。
パリで評判のこの論争家は、田舎の禁欲的な暮らしを送り、この知識人は、行動の自由に枷をはめるのを恐れて本を持たず、
運動体のこの弁舌家は、楽園を耕していた』」(『三〇億の倒錯者』あとがきより)

シェレールは私生活上でもオッカンガムのパートナーだったそうだが、彼らの共著『原子的魂』は未だ邦訳なし。誰か訳して! 
『ホモセクシュアルな欲望』は1968年5月の勢いに乗って、ある種の熱狂をもって書かれた、
とシェレールは『ホモセクシュアルな欲望』の序文で書いているが、絓秀実『1968年』を読むと、日本の「68年」には同性愛者は影も形もなし。
68年当時、日本のゲイはどこで何をしていたのだろう?
URLリンク(futoku63.exblog.jp)

568:吾輩は名無しである
16/09/22 12:06:25.19 hGIS4/GT.net
《ここではとりわけこれらのテキストをこの幸運へと導いてくれた方々に個人的な感謝を捧げたいと思う。
 まず本書に収録されたもっとも古い原稿である「小島信夫の『家』」を書くように薦めてくださった絓秀実氏に。
絓氏は、私が近畿大学国際人文科学研究所─今は存在しない─の講義の受講生だったときに面識を得ることができた。


569:私にとって生涯で唯ひとり「師」と呼べる存在である。 もしかしたら絓氏はたんに気まぐれに口にしてみただけだったのかもしれないが、ある初夏の明け方に一晩飲みつづけた酒でぼんやりした耳に「それ書いてみたら」とポツリと響いたその一言を支えに、私は書くことを決意したのだった。 そして『錯乱の日本文学』の各論考はつねに絓氏を想像上の読者として想定しながらここまで書き継がれてきた。》石川義正『錯乱の日本文学』あとがき



570:吾輩は名無しである
16/09/23 00:21:57.80 O75dv8Zz.net
スガはホモソだしセクマイの問題は鬼門だろう

571:吾輩は名無しである
16/09/23 22:48:29.33 3edael/F.net
倉廩@maya_oops 11月4日
絓秀実派(子午線界隈)と東浩紀派(ゲンロン界隈)という二つの焦点を対立させると同時に統一する(花田テーゼ)思考が必要とされているのである。

572:吾輩は名無しである
16/09/29 23:07:49.51 D7Ebo6Mq.net
>>241
2008年4月刊『反逆者とテロリストの群像』(新人物往来社)に絓秀実・高橋順一・府川充男トリオの「六八年座談会」載ってるよ。絓は「六〇年安保」の項も執筆。
座談会には府川作成の詳細な「『六八年』クロニクル」付帯

573:吾輩は名無しである
16/09/29 23:46:42.89 D7Ebo6Mq.net
府川作成「『六八年』的クロニクル」の69.5.19の記述見ると《早大一文で反戦連合と解放派、社学同ら支援各派が革マル派と武装衝突し圧勝。翌日「やったぜベイビー反戦連合、泣くな革マル明日がある」のビラが出る。
後日、革マル派は報復として政経学部のバリケードを襲撃し、泊まり込んでいた高橋公、山口俊


574:の二名をリンチした末、埼玉の山奥にほうちした》とあるけれど、山口俊は今年孤独死した「人斬り五郎」 (https://twitter.com/suga94491396/status/729629053284540416)。 府川による(http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=589081&id=9168520)の記述から推せば、絓は69.5.19事件の時、早大「一文の現場にいたことが判明して学習院の革マルにリンチされた」ということだろう。絓がリンチされたのは (https://twitter.com/suga94491396/status/738125012859650052) から、69.5.19事件から1週間後の69.5.26なのだろう。 絓はリンチで前歯を折られ、スネに五寸釘打たれたらしい。それが絓にとっての「『外の』 外」(フーコー)なわけでしょ。



575:吾輩は名無しである
16/09/29 23:53:55.88 D7Ebo6Mq.net
>>519
リンクミス、正しくは以下
URLリンク(twitter.com)
URLリンク(mixi.jp)
URLリンク(twitter.com)


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