すが秀実 at BOOK
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200:吾輩は名無しである
16/01/07 02:24:55.93 .net
三人の女・黒つぐみ (岩波文庫)ムージル 磯ア絶賛
宇野浩二 蔵の中  金井絶賛
ピーター・シムプル 上中下(岩波文庫)マリアット 金井絶賛
カフカ アメリカ  金井中原絶賛
武田泰淳 めがね  中原絶賛
フラナリー・オコナー  中原絶賛
セリーヌ中公文庫    中原絶賛

201:吾輩は名無しである
16/01/07 02:26:30.68 .net
うちにあるのはそのうちの四つだな

202:吾輩は名無しである
16/01/07 02:39:45.03 .net
最後の方
ナボコフオブライエンロブグリエゴンブロヴィッチバタイユベケットブランショ

203:吾輩は名無しである
16/01/07 02:44:34.98 .net
うちにあるのはそのうちの5人だな

204:吾輩は名無しである
16/01/09 00:26:46.61 .net
akihito suzuki 11時間11時間前
古市さんという若手の院生の「ハーフは劣化」発言と、それについての指導教官の瀬地山さん(同級生!)の謝罪をめぐる議論がTL上にちらほら。もちろん大切な問題だけど、正直言って、この問題に関して、「社会学者」がTVで発言することがそれほど重要だとは思わない 
理系と人文社会系の双方の領域の研究者が集まって「老化」について論じる研究会で、資生堂でアンチエイジングを研究しているプロの科学者が来て、老化の仕組み、肌の色による違いなどを話し、会場の研究者の女性たちは、固唾を飲んで聴いていて、殺気に近い緊張感があった
TL上にもおられるとある女性研究者は、「おまえ資生堂だろ、エイジングの話なんてもういいから、アンチエイジングの話をしろよ〜」と、凄みをきかせたつぶやきすらしていました(笑)
そして、講演の最後の方で、彼が「やはり白い肌、そして白くした肌は、エイジングにより劣化しやすいということです」と言ったときに、会場の女性たちから、悲鳴があがりました。
学術発表で、聴衆のあんな対応を見たのは、生涯で一度きりです。すごかったです。
その悲鳴を聞いた彼は、しばらく不審そうにして、それから事態を理解して、「あ、今のはまずかったですね・・・」とうろたえていました。
彼は、資生堂はホワイトニング化粧品も大展開していて、会場の女性たちはそれを信じて使っているということを忘れていたに違いありません。
古市さんの話に戻すと、肌の劣化に関する社会学者の発言、もちろん大切ですよ。大いに議論して反省が必要な場合は反省してください。
しかし、科学者の発言の衝撃力と破壊力は、比べ物になりません。頭が良い女性研究者たちが、本物の悲鳴を挙げたのですから。心に残った事件です (了)

205:吾輩は名無しである
16/01/09 00:51:59.84 .net
清水高志 @omnivalence 1月5日
『存在論的、郵便的』って一冊の本だけでWikipediaの項目になってるんだな。。しかもすごく分かりやすい。
超越論的シニフィアンという過剰な主体性(それ自体、不安定性を孕みつつも絶えず反復・更新されるもの)にとってのデッドロックとしての記号のオブジェクト性が、それ自体遍在的に追い払いがたいものとしつ現れる(誤配)という話だよね。
しかし超越論的主体と、デッドロック=オブジェクト(この場合は主に記号)がペアになって、それらが複数並行的に考えられたとしても、オブジェクトは相変わらず一つの主体性しか相手にしていない。
主客の機能の根本的な非対称性は解消されていないんだよね。
これが解消されない限り、つねにすでに超越論的主体性のやり直しが繰り返されるだけでしかない。内部に途絶を孕んでいるとか、そんな超越論的主体性はいずれ途絶するのだと言ってみてもしょうがない。

206:吾輩は名無しである
16/01/09 00:54:51.63 .net
清水高志 @omnivalence 8時間8時間前
東浩紀の『存在論的、郵便的』、表紙がとれてどっかにいってしまっていたのでまた買ってみた。今読むと、『構造と力』くらい簡単に書こうとして、それに成功した本だったということが良くわかるな。。
「つまり「私は考える」は必ずある物質性を持つのであり、そのことで「私は考える」はつねに、それを瞬時に回収し「私は存在する」へと連結するはずの「自分が話すのを聞く」装置から逸脱してしまう。
デリダはこの物質性を「エクリチュール」と名付けた。」(「存在論的、郵便的」)
『声と現象』でのデリダは、コギト(私は考える)が一つの表現であることに注目し、表現はなんらかの支持材を持つはずだとした。しかしこうした支持材は実は私から外在的なものでもある。ここからその「物質性」が出てくるとする東浩紀の指摘。。
やはりかなり典型的に主客問題がここでは論じ


207:轤黷トおり、超越論的主体性がいかに反復的に再構成されるかということが問題になっている。。そこからの誤配が、物質性とともに現れるが、しかもその現れは複数的だ(多様だ)、というのがこの本全体で執拗に論じられている。 『批評空間』で論じられていた色んな話題や、今ではあまり誰もそんなに論じなくなったデリダのマイナーなテキストまでがすべてその図式に収斂させられており、なるほどこれはシンプル極まりないな。



208:吾輩は名無しである
16/01/09 00:55:24.71 .net
清水高志 @omnivalence 8時間8時間前
ナンシーの『コルピュス』のように、現前的身体=物質性を登場させていても、それが単数的なものとして回帰するような構図を描くのであれば批判の対象になる、というのも見てとりやすい。
主客のうちで複数性を扱い、自己回収的、構成的にそれに働きかけられるのは主体性だけであり、客体もしくは物質にはそれを途絶、妨害、誤配させる役割だけが認められる。
しかも、その途絶の事態が「複数的である」ということをもって、主体性の一方的優位に対して何か一矢報いたようなつもりになっているのである。言うまでもなく、これらはすべて主体の側のパースペクティヴから事態を眺めているからそう見える、というだけなのだ。
物質性(客体性)が途絶という側面からのみ捉えられることは、それを主体と比べて孤立無援のものとし、ハンディキャップを負わせる。このハンデこそが近代西洋である。
むしろ物質は複数の主体性の線を結びつけるものとしてあるべきて、そうであってこそ物質の「汲み尽くし難さ」や真の外部性も確保されるのだ。

209:吾輩は名無しである
16/01/10 00:51:58.08 .net
ɘdɒdɒnɒƚɒwb @dwatanababe 8時間8時間前
〈近代日本文芸批評40冊〉杉田16冊・藤田11冊・矢野13冊担当。
正岡折口坂口竹内前田桶谷椹木などが漏れているが、絓の欠漏が最大の瑕疵であろう。
批評特集
柄谷行人インタビュー。大澤信亮+浜崎洋介対談。安藤礼二「批評とは何か」。佐々木敦「アートートロジー」。ブックガイド。読了
ブックガイド確かにスガさんの本がないのが信じられん。カマヤンの知里論が上がってるのに批評性は感じたが。どうやって入手するんだろ。コピーで読んだが。
スガさん系の批評。天沢退二郎宮川淳豊崎光一金井美恵子津村喬とかがない。安藤礼二「批評とは何か」が自己主張なく勉強になった。
大澤信亮+浜崎洋介は実存主義2.0みたいなものか。山城鎌田実存コンビのが圧倒的強度だが。スガさん的なのは理解されない。実存主義は強いね。
スガさんは嫌いだろうが杉田の秋山駿紹介文はよかった。ちゃんと晩年もフォローしてるのは良かった。実存的なのは秋山駿のグズグズが好きだな。読まれないだろうが。

210:吾輩は名無しである
16/01/10 01:48:33.98 .net
絓秀実
思想家もジャーナリストも、活動家となる途上の過渡的な在りかたにほかならない。
ガタリ『闘争機械』の書評 文学界1996/4

211:吾輩は名無しである
16/01/10 10:27:18.09 .net
正岡 子規(1867年10月14日 - 1902年9月19日)
折口 信夫(1887年2月11日 - 1953年9月3日)
坂口 安吾(1906年10月20日 - 1955年2月17日)
竹内 好(1910年10月2日 - 1977年3月3日)
前田 愛(1931年4月20日 - 1987年7月27日)
桶谷 秀昭(1932年2月3日 - )
椹木 野衣(1962年7月1日 - )

212:吾輩は名無しである
16/01/10 17:32:40.08 .net
海外の文芸評論家
@エーリヒ・アウエルバッハ(Erich Auerbach, 1892年11月9日 - 1957年10月13日)
Aテリー・イーグルトン(Terry Eagleton、1943年2月22日 - )
Bヴォルフガング・イーザー(Wolfgang Iser、1926年7月22日 - 2007年1月24日)
Cエドマンド・ウィルソン(Edmund Wilson, Jr., 1895年5月8日 - 1972年6月12日)
Dドナルド・キーン (Donald Lawrence Keene, born June 18, 1922)
Eジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva、1941年6月24日 - )
Fワイリー・サイファー(Feltus Wylie Sypher, 1905年12月12日 - 1987年8月)
Gジェラール・ジュネット(Gérard Genette、1930年 - )
Hロバート・スコールズ (Robert Scholes, b. 1929)
Iジョージ・スタイナー(Francis George Steiner、1929年4月23日 - )
Jスーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933年1月16日 - 2004年12月28日)
Kジャック・デリダ(Jacques Derrida、1930年7月15日 - 2004年10月8日)
Lツヴェタン・トドロフ(Tzvetan Todorov, 1939年3月1日 - )
Mヴィッサリオン・ベリンスキー(: Виссарио́н Григо́рьевич Бели́нский;1811年6月11日 - 1848年6月7日)
Nミハイル・バフチン(Михаил Михайлович Бахти́н , Mikhail Mikhailovich Bakhtin,1895年11月17日 - 1975年3月7日)
Oロラン・バルト(Roland Barthes、1915年11月12日 - 1980年3月26日)
Pマリオ・プラーツ(Mario Praz、1896年9月6日−1982年3月23日)
Qノースロップ・フライ(Herman Northrop Frye, CC, FRSC, 1912年7月14日 – 1991年1月23日)
RV・S・プリチェット(Sir Victor Sawdon Pritchett CH CBE, 16 December 1900 – 20 March 1997)
Sウラジミール・プロップ(Vladimir IAkovlevich Propp, 1895年4月29日 - 1970年8月22日)

213:吾輩は名無しである
16/01/10 23:11:22.62 .net
中森明夫 @a_i_jp 3時間3時間前
「すばる」批評特集、読み中。柄谷行人インタビューby高澤秀次、ダメかと思ったら、最後の見開きページで感動。腐っても、柄谷! つづく、大澤信亮×浜崎洋介…最悪。
ひどいね〜。大澤聡以下「ゲンロン」の座談会組のほうがはるかにいい。信亮&洋介、期待したんだけどな〜…アカンかった
「すばる」批評特集、素晴らしいが、大澤信亮×浜崎洋介はダメ。柄谷行人のほうがいい。さらに大澤聡「ゲンロン」座談会組がいい。
さらに宇野常寛のほうがはるかにいい。さらにさらに古市憲寿がいい! 批評は現在と格闘しなくちゃ…ちっとも美しくない!!
「すばる」批評特集、大澤信亮×浜崎洋介、ダメすぎる! よくこんなヌルい意識で(文芸誌に守られて)批評家でございって顔して箱根の旅館で(!)対談ごっこしてるね!?
彼らと同世代の宇野常寛のほうが、はるかにきびしい道を歩み、戦っている。ホント、恥を知ってほしいね。

214:吾輩は名無しである
16/01/10 23:20:29.62 .net
大澤信亮×浜崎洋介ゆるいって言えばゆるゆる中年になっても文学青年だが、対談の仮想敵がゼロ年代批評になってるから。
中森は自分がDisられてると感じてそれが評価にあらわれてるんだろう。
読者からしたら正直タダで本くれても宇野古市は読む気がしない。

215:吾輩は名無しである
16/01/10 23:26:59.10 .net
t_m_r @akuzimot 12時間12時間前
「すばる」批評特集のブックガイド読んでとりあえず秋山駿ポチろうと思ったがAmazon高いな…

216:吾輩は名無しである
16/01/11 00:38:57.20 .net
猫飛ニャン助 @suga94491396 2時間2時間前
あしぶみいさみが「なんリベ」の明快な歴史的規定をおこなっているので、明日11日(16pm〜)新宿ベルクの太陽肛門ライブ聞きにくる人は、読んでからくるとよろし。私もちょっと顔は出す。
あしぶみいさみ @ashibumi68 14時間14時間前
「なんリベ」という言葉は、元々は「なんちゃって、リベラル」という表現の省略形で、その意味は天皇制平和主義、つまり現憲法の9条と1条の関係に依存したまま、9条を擁護しようとするとついでに天皇制まで肯定してしまい、
それどころか戦後の象徴天皇制こそが、9条護持のための最後の拠り所であると見なしてしまう陥穽のことだったんだよナ。この陥穽自体が改められない限り、いくら9条擁護と狭い一国平和主義との間の従来の結びつきを解こうと努めても、
そうした努力(たとえば、9条による国際貢献や国連改革の可能性の追求)は、まるで蟻地獄の穴に吸い込まれるように、すぐに従来からの一国平和主義の雰囲気の中に吸収されていってしまう。
なんリベという言葉を使い始めた人たちは、こうしたパターンの繰り返しに苛立ちを募らせ、そこから距離を取るためにこそそうしたのだったのだが、
けれども多くの人達は(実は自分もそうだったのだが)、この言葉に、80年代高度消費社会の浮遊感を象徴した著書のタイトル『なんとなく、クリスタル』を重ね合わせてしまい、
なんリベとは、グローバル化の弊害が顕在化した90年代後半以降急に政治づいた、80年代の高度消費社会を背景に登場してきたセンス・エリートの文化人達のことだと誤認してしまったのだった。
自分としては、この誤認自体は決して無意味なことではなく、むしろ、なんリベという言葉が捉えようとしている事態をさらに明確にしていくためのきっかけになると思っているのだが、果たしてどうなのだろうか。
元々80年代の高度消費社会は、戦後の天皇制平和主義(それは戦後民主主義、55年体制と言い換えても勿論構わないのだが)がもたらした高度成長のただのおこぼれ、
オマケみたいなようなものでしかないから、それに依拠しながら感性を磨いて、卓越したセンスエリートになろうと努めることは、

217:吾輩は名無しである
16/01/11 00:45:22.50 .net
あしぶみいさみ @ashibumi68 14時間14時間前
当然、天皇制平和主義の枠内に留まるふるまいでしかなく、すぐにそこに回収されてしまうことになる。
けれどもそうしていた当人達は、消費社会に依拠して感性を磨くことこそが、従来の日本社会では不十分だった個の自立や成熟を実現できる、画期的な行為であると自認していたのだったのだが・・
つまり「なんリベ」というのは、天皇制に依存したままであるという点では「なんちゃって」であるのだが、
消費社会の中でしか通用しない、感性の洗練・差別化としての個の確立の仕方を引き摺ったままであるという点では、やはり同時に「なんとなく」になるのだと思う。
これからは、この二重性をこそ指す用語として使っていけばよいのではないですかね。あと、センスの卓越化にのみ依拠して、
しかも天皇制に依存したままいくらリベラルな価値や制度の重要性を主張してもあまり信頼感は得られないから、この種の人達は別の種類のリベラル知識人を頼ることになりマス。
それが、ロスジェネ世代の心情主義的な先行世代糾


218:eをたしなめるかたちでヘゲモニーを握った、データのエビデンスと実効的な政策にのみ依拠しさえすれば、 多文化主義社会を実現するリベラルな価値や制度と、格差や貧困を是正するソーシャルな政策とはおのずから一致する筈だと言い立ててやまない、 やたら統計学や社会学を重視する学者さん達になるわけデス。この種の人達は統計データのエビデンスを重視するから、エビデンスリベラル、 略してエビリベと呼べるのではないでしょうか。狭義のなんリベの人達と、このエビリベの方々との間の結託(野合?)が現在顕著に見られる現象だと思いマス。 さらに言えば、こうした結託を可能にするものこそが、日本国民は平和の大切さをかみしめ、戦後ずっと平和を愛してきたという天皇の言葉に頷いてしまう、 団塊より上の世代の多くの人々が持っていた心情、つまり、戦後の日本国民は平和を愛し実現してきたという物語のような気がしてなりません。



219:吾輩は名無しである
16/01/11 00:46:35.99 .net
多分これこそがなんリベなるものの核心になるのでしょうが、運動の現場を傍から見てると、こうした心情や物語に運動が回収されることに対する警戒が表明される一方で、
多くの人を動員するための一番手軽な資源になるから、それにあからさまに依拠していく動きも強いみたいで、どうもよくわかりません。
また、所謂シールズ世代の画期的なところは、(ものの本によれば)今や不確かで稀なものになった、
目の前の小さな当たり前の幸福を守るためにこそ、(従来のようにそこに自足・撤退することなく)声を上げ、個を確立・主張しようとした点にあるそうなのですが、
そうした新たな個の確立・主張の試みを擁護し持ち上げるのが、高度消費社会を引き摺ったままのエリート文化人だったり、
あるいは彼/彼女達の模索を、戦後の日本人は平和を愛してきたという物語を維持・強化する動きの延長上に位置付けるだけで満足する人が多いさまは、正直言って解せません。
うーん、こんなことではリベラルな価値や制度はいつまでも日本列島(+琉球弧)の社会に根づくことはないのではないでしょうか。
本来リベラルというのは、所謂「リベラル疲れ」が最早起きない・問題にならないような社会や関係性を構築していく努力をしていかなければならないわけですが、
以上見てきたように、広狭の「なんリベ」(つまり天皇制平和主義とセンスエリート個人主義)に足を引き摺られたままでは、決してそんなことはなし得ないと思うのですが、
いかがでしょう。以上、ここ最近の運動の盛り上がり(やゴタゴタ)を傍から見ていた者の感慨というか愚痴でした
「なんリベ」という言葉の出所について訂正があります。自分が↓でツイートしたのとは異なり、「なんリベ」は元々「なんとなく、リベラル」の省略形でした。
そしてこの表現は、小谷野敦さんの小説のタイトル(「なんとなく、リベラル」、『悲望』2007年、所収)として初めて世の中に登場したとのことです。小谷野さんから直接指摘がありました。どうも失礼しました。
ちなみに「なんちゃって、リベラル」という表現の出所は、どうも桑田佳祐に対する青山繁晴の揶揄にあったみたいですね。普段TV観ないから全然知りませんでした・・URLリンク(news.livedoor.com)

220:吾輩は名無しである
16/01/11 01:57:26.15 .net
井野朋也 1月9日
何かやらかしてくれそうな予感。しかも、当日のイベントには文芸評論家の絓秀実さんもからむそうだ。どうからむのか、私たちも知らされていない。ドキドキ…
太陽肛門工房 9時間9時間前
明日午後4時〜。新宿ベルク。
TALKゲストにスガ秀実さんもお呼びしていますのでぜひみなさん来てください。
30分で終わります。
太陽肛門工房 14時間14時間前
オシャレなロールキャベツ系男


221:q女子バンドなんでカジヒデキとか好きなひとは見にきたほうがいいかもしれないよ。 元祖ロールキャベツ系文芸批評家のいかしたおじさまスガ秀実さんもTALKするよ!



222:吾輩は名無しである
16/01/11 02:14:27.35 .net
「アルチュセ-ル派イデオロギ-論の再検討 浅田 彰 思想 (707), p38-65, 1983-05」
↑読んで思ったが東の反体制の説明まんまアルチュセール。今頃知った。
267 :考える名無しさん:2015/11/14(土) 08:54:23.58 0
3/4「民主主義ってどれだ?」 東浩紀×奥田愛基(SEALDs)×津田大介
URLリンク(www.youtube.com)
15:10位 東による反体制とは何か。↓のスガさんに近いか。
猫飛ニャン助 @suga94491396 2月22日
いわゆる先進国の大学に比して日本の大学の、とりわけ文系への助成金が少ないとは夙に慨嘆され、それはそうなのだろうし、研究には金が必要なことも否定しないが、時として、金もらっちゃあオシマイと思うこともある。
個人的には、もはやスズメの涙しかない地方公立図書館の図書購入費の増額を、と。
スガ 生活の問題がさきほどちょっと出ましたが、日本の知識人のなかで、吉本隆明さんというのは、ぼくはお書きになっているものは苦手なんだけれども、
知識人のあり方としては基本的に乗り越え不可能な人だと思うんですね。簡単に言えば、一生大学に依らなかった。
現代詩手帖2001/7「詩の快楽のゆくえ」北川透との対談

223:吾輩は名無しである
16/01/11 12:57:30.66 .net
Max Kimpara
中村光夫全集第七巻を借る。スガ秀実「天皇制の隠語」第一部を想起せざるをえない。
中村→小林秀雄の影響は如何?実際、中村は出発点は完全なマルクス主義じゃないか。
蓮實・スガ対談(後者のインタヴュー)の中村論もあるのだが、「転向して転向していない」ところの「厚顔」が興味深い。
いくつかわからないところがある(私の不勉強だが)。@林房雄「青年」の評価。
A横光「純粋小説論」は人民戦線とともにスターリニズムの問題もあるか。
Bなぜこれほど中野重治に対して厳しいのか(私小説回帰の文脈を超えて)。
2016年1月10日

224:吾輩は名無しである
16/01/11 19:06:32.14 .net
講談社文芸文庫版 中村光夫「二葉亭四迷伝」のスガ秀実の解説は必読

225:吾輩は名無しである
16/01/12 00:13:47.76 .net
井野朋也
「なんリベ」はやっぱり「なんとなく、リベラル」だったのか!しかも出所が(禁煙ファシズムと闘っている)小谷野敦さんの小説のタイトルだったとは!
小谷野敦
知られてないんだなあ・・・。

226:吾輩は名無しである
16/01/12 00:16:40.15 .net
プリんケツナマキュア @NAMAZUrx 14 時間14 時間前
【悲報】世界で広がる「1日6時間労働」 北欧の成功を受け米ロも導入検討。なお、日本のマスコミは総スルー。
北欧の1日6時間労働制、ダラダラ働くより生産的と判明
URLリンク(www.gizmodo.jp)

227:吾輩は名無しである
16/01/12 00:45:44.26 .net
東浩紀 1月10日
東大教授は、無視されたときに東大だから無視された差別だとは叫ばず、単におれの仕事が無視されているのは許せないとだけ言うだろう。
自分はサブカル批評なので無視されているとか言った瞬間に、そのひとは負けているのだ。しかし、繰り返すが、それこそがサブカル批評の苦しさを示すものではある・・
サブカル批評だから無視されたのではなく、くだらない仕事だから無視されているのだということがわからないサブカル批評家というのは


228:時代にかかわらずいるわけだけど、 まあ確かに、その区別がわからなくなるということこそが、サブカル批評の置かれた苦しい辺境性を示すものではある。(エアリプ) ↓に対するエアリプだろうか。 「無敵の立場」でつくられている『ゲンロン』1 エキサイトレビュー 2016年1月6日 18時01分 ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。前編に続いて批評誌『ゲンロン』1号について語り合います。 http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20160106/E1451348016454.html



229:吾輩は名無しである
16/01/12 02:24:59.44 .net
絓秀実
中村光夫は図書館に行っても読まねばならない!
『別冊宝島 現代文学で遊ぶ本』所収

230:吾輩は名無しである
16/01/12 02:48:41.38 .net
ザ・ドキュメンタリー【追跡!ニッポンの過激派 革命戦士 になったオレ】 中核派
URLリンク(www.youtube.com)

231:吾輩は名無しである
16/01/12 03:48:12.88 .net
柄谷 あなたが花田清輝を書いたということはよくわかりますよ。ただ僕は花田は好きじゃないですけどね(笑)
絓 それは批評ってのはべつに対象が好きだから書くわけじゃないですから。中村光夫だって僕は好きじゃないし……。
読んでみて、いいと思わなきゃいけないみたいなところで批評なんてのはやっていくものだと思うわけです。
批評とは対象への愛だ、といったロマン派的批評の構造というのはまったく間違ってるんで、いいと思わせちゃうように書いていかなきゃいけないんじゃないかという気がします。
流動1980/3「ロマン派を越えて」
絓 ぼく自身、六八年革命説を信じているかと問われれば「?」がつくところもあるわけだし、今回インタビューした相手で言えば、津村喬を除けばだれも信じていません。
むしろ「なんですか?」というぐらいのものでしょう。
早稲田文学2005/1 68年と臨界点 井土絓丹生谷鼎談

232:吾輩は名無しである
16/01/12 03:54:20.66 .net
68年とは、
「さまざまに対立・拮抗する諸理論・諸思想が、その核心を穿つことを目指しながらも重層的な「誤認」を重ねた果てに可能となった「革命」に他ならない」
『革命的な、あまりに革命的な』P217

233:吾輩は名無しである
16/01/12 04:02:56.35 .net
秋山駿 あなたには「私」というものがないんですか?
絓 ないと言っちゃったほうがいいんじゃないですか。
秋山 面白いな。だったらあなたは何者だと言われたときに、どう答えるんですか。
絓 答えられないですね。
秋山 ああ、そうですか。そんならそれでいいんだ。アメーバみたいなもんですね。
流動79/4 ”戦後文学”論争をめぐって 柄谷絓秋山駿菊田均

234:吾輩は名無しである
16/01/12 07:27:38.72 .net
マルクス/森田成也・訳『資本論第一巻草稿─直接的生産過程の諸結果』
「経済学史上もっとも革新的な理論を打ち立てたマルクスが、自らの剰余価値論を総括し、資本の再生産と蓄積、資本の生産物としての商品生産について考察する。『資本論』全体を理解するうえでの最重要論考。」
田上孝一
その通りで、これこそが最も重要なマルクスの著作。
というか、最も重要な理論内容が明示されているということだが。
これを読まずしてはマルクスを語れないという、絶対に読むべき必読文献の翻訳が絶


235:ナだったわけだな。考えてみると凄いな。 国民文庫版は二冊読み潰した。滅茶苦茶な量の線引きがしてある。



236:吾輩は名無しである
16/01/12 08:05:54.92 .net
絓 僕はもう少し志が低くて、アジビラを書くようにして批評を書きたいと思っていたんですね。
そして、そのような批評から最も遠いように見えたのが戦後派文学の批評だったし、戦後派は小林秀雄とそんなに変わらないんじゃないかとも思ったんです。
花田清輝の初期なんかは、いい意味でアジビラじゃないですか。
 そういう意味で、僕にとって一九三〇年代と現在は連続していますし、その意味では僕は未だに、柄谷さんにバカにされる全共闘なのです。
『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』を読むと、ああ、これはアジビラ集だと思ってしまう。
それは、たとえばベンヤミンを読んでも変わらない問題ではないかと思います。
新潮1996/5 20世紀の批評を考える 柄谷絓福田和也
本書は一冊にまとめるに際しては、全体にわたって、ある程度の加筆・訂正がなされてはいるが、「時評」集として読まれれば、これに過ぎる喜びはない。
『小説的強度』あとがきURLリンク(d.hatena.ne.jp)
思想家もジャーナリストも、活動家となる途上の過渡的な在りかたにほかならない。
ガタリ『闘争機械』の書評 文学界1996/4
訳者・山本光久による異様なまでに情動的な訳注や、パセティックな響きをたたえた後書き「ラポルト、または限りなく《貧しいもの》へ」からも、これは単に、
ロジェ・ラポルトという日本では余り知られてこなかった批評家(作家)の翻訳紹介の書ではないかと知られる『プルースト/バタイユ/ブランショ』を読みながら、
ラポルトの「師」ともいうべきブランショが『踏み外し』以来、一貫して、語の最もプリミティブな意味でも、「時評家」であったことを、改めて恐ろしいと思った。
JUNK的なものをめぐって『JUNKの逆襲』所収

237:吾輩は名無しである
16/01/13 22:25:16.85 .net
kyouko kon
文芸評論家のスガ秀実さんと
店長・副店長(*¯︶¯*)
ベルクインストアライブにて♪
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(pbs.twimg.com)
2016年1月12日

238:吾輩は名無しである
16/01/14 07:23:46.66 .net
「当時の私は、天沢退二郎の詩論集『紙の鏡』を『共産党宣言』のように読み、ブランショの『文学空間』や『来るべき書物』を『資本論』のように読んでいた、観念的な小ブル急進主義的チンピラ(今でもそうだが)だったから、」
詩(それ)の未来は、彼(エス)のものである『現代詩文庫 守中高明詩集』所収
「ともかく、私は詩を読むレッスンを『紙の鏡』から受けた。」
読書ノート『アミとわたし』稲川方人 文学界1988/11
「今日、天沢退二郎さんとご一緒に講演することについては、なにか因縁めいたものを感じています。
ぼくが批評らしきものを書きたいと思った大きなきっかけのひとつが、天沢さんの最初の評論集にあるのです。
高校の三年か、浪人していたころに、田舎の本屋で天沢さんの『紙の鏡』を手にとって読み、日本文学でもこれほどおもしろい批評が書けるのかと思った。
それまで読んでいた文芸批評はどこかつまらなく、『紙の鏡』はその欠落感をはじめて埋めてくれた本のひとつだったんですね。
その天沢さんと同席させていただいて、たいへん光栄ですし、なかば緊張しております。」
現代文学と歴史 早稲田文学1993/3

239:吾輩は名無しである
16/01/14 15:32:2


240:3.89 .net



241:吾輩は名無しである
16/01/15 22:29:44.40 .net
山城むつみ 《中略》ただ、もう一本の「中国の拷問」がね。あれは訳がわからなくて、僕はものすごく苦労して読んだ、それでも最後まで意味がわからなかったんだけど、「なんだこりゃあ」というものがあった。
原石なんてものじゃない。もっと荒いもっと雑な、壊れたものながら、なにかがみょうに心にひっかかる。うまいへたは別として、これは小手先では書けないと思った。
《中略》
絓 おれもね、山城さんと同じことを感じたから、さっき言い難かったんですね、「中国の拷問」の人はキテるでしょう、かなり。
別の作品の話でもうしわけないんだけれど、「変態」とか「受難」とか、へンなキーワードがでてくるでしょう。それを隠せれば、ほんとうにキテておもしろいなと思うんだけれど……。
《中略》
いとうせいこう これは狂ってるというか……。
《中略》
絓 帰国子女というよりは、やっぱりキテるんでしょう、これは……(笑)。
【選考座談会】いとう絓松浦理英子山城渡部「噴出する言葉」をもとめて 早稲田文学2003/1

242:吾輩は名無しである
16/01/16 08:49:08.13 .net
猫飛ニャン助 @suga94491396 12時間12時間前
漱石没後百年とかで、またぞろ漱石本が出回りつつあるが、漱石に限らず没後何年とか生誕何年とかで文学研究者がつまらん利得を得る光景はホントにくだらない。
こういう光景見ると、研究者は十分利得得ており、文学部は潰れて良いと思う。誰がこの時代に、ホンキで「漱石に学べ」と思っているのか。
姜尚中と読む 夏目漱石 (岩波ジュニア新書)2016/1/21姜 尚中
夏目漱石という生き方 (別冊宝島 2424)2016/1/16
ノボさん(上下) 小説 正岡子規と夏目漱石 (講談社文庫)2016/1/15伊集院 静
本気で作家になりたければ漱石に学べ!: 小説テクニック特訓講座中上級者編 増補決定版2015/12/18渡部直己
世界文学の中の夏目漱石 (仮): 「形式」という檻2016/2/25武・アーサー・ソーントン
漱石と鷗外2015/12/1斎藤 明雄
坊っちゃん2016 主演: 二宮和也 DVD
気楽に愉しむ漱石入門『吾輩は猫である』上下巻 2015/12/1武田 邦彦 (著)
となりの漱石 (ディスカヴァー携書)2015/10/22山口 謠司
夏目漱石、読んじゃえば? (14歳の世渡り術)2015/4/22奥泉光

243:吾輩は名無しである
16/01/16 08:55:18.58 .net
小谷野敦 13時間13時間前
漱石没後百年とかでわしのところにも新書執筆依頼があったが断った。
小谷野敦 12時間12時間前
私は漱石的個人主義者だが、漱石礼讃者の多くは党派心に満ちて理非がない。

244:吾輩は名無しである
16/01/16 09:53:43.09 .net
Masaya CHIBA 千葉雅也 @masayachiba 1月14日
ラフに文明論的な言い方になりますが、日本というのは、生活から隔絶した超越性がうまく働かない国だと思うのです。知識人の役割もそれほど超越的なものにはならない。知識人もまた大衆性を強く帯びたことを言う、下品なジョークすら言うわけですね。
ところどころで下品な本音を言うコミュニケーションは、チラ見せくらいであれば日本文化の魅力として機能するのに、とにかく下品な本音を言っていけばいいという方向に世間全体が向かっており、
そのために、ときどきに燦めく下品さということの価値がダメージを受けている。
一部の過激に大衆主義的な政治家や、IT企業経営者などが本音主義を露悪的にやっていて、それこそ本当だというイデオロギーを蔓延させつつある。
これは日本文化の総−平民性、総−下民性のような背景から出てきているわけですが、その背景から出てきていながらそれを破壊するものなのです。
西洋的近代主義者ならば、日本の、超越性が弱いなかで下品さを垣間見せるようなコミュニケーションを、だらしない本音主義と一緒くたに糾弾してしまうかもしれません。私はこれには大いに反対です。問題なのはここでも、中間でありグレーゾーンである。
公的に「正しい」コミュニケーションをしながらも、ときにそれが崩れる―比喩的に言えば、着崩しが起こったり、足を崩したり、ネクタイがゆるまったりというようなことがところどころで起こる、それが言説のエロティシズムなのだからです。
それが色気であり、そういう微細なゆるみに日本文化は多くを賭けてきた。これは緊張感と不可分のゆるみであり、ただ本音を押し出せばいいというのは野暮以外のなにものでもない。
また、公共空間ではいつでも清廉にしていろというような近代主義者もこれまた野暮以外のなにものでもない。
だいたいこんなことを書いています。そのうち『ユリイカ』に載る予定です。予告編ということで。短い原稿ですが。
ジャン=リュック・ナンシーが、思弁的な話を書く途中で、アイドルのゴシップに雑感を言ったりするだろうか? 日本の知識人はそういうことを言う。そこに強みがある。このことは、まだ世界で理解されていない。

245:吾輩は名無しである
16/01/16 10:07:43.38 .net
いま気づいた。
スガさんの言ってる「誰がこの時代に、ホンキで「漱石に学べ」と思っているのか。 」の「漱石に学べ」は、
渡部直己「本気で作家になりたければ漱石に学べ!」の「漱石に学べ」だったか。

246:吾輩は名無しである
16/01/17 06:14:53.10 .net
>>217の人。この人は文献学的マルクス学者というのか。ちゃんとこういうのにも反応するのか。
田上孝一 @tagamimp 2014年11月3日
『津村喬精選評論集』これは凄い!読み応えがあった。
アジびらがそのまま本になってたりと、時代を感じさせる。
研究者ではないので専門的な議論はないが、文章のセンスに唸らされた。
西郷論が素晴らしい。西郷=右翼という図式の一面性が強調されていた。

247:吾輩は名無しである
16/01/17 08:20:27.81 .net
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
chiki:しんどいですよねー。でも逆に、「お前は真剣に人の話を聞いてない」「ちゃんと読めば私の意図が私の思ったとおりに伝わるはずだ」とか、
ちょっとそれますが「本当の恋愛を経験してない(自分の経験しているものこそが本当の恋愛だ)」という人は、もうね、ムッ殺したいですよ。
灯:難しいですね。自己愛っていうのはもう誰にでもデフォルトであって、しかもとてつもなく強固ですから、それは大前提で「ある」と思ってないと、コミュニケーションが始まらない・・・。
chiki:疎外論は最強の思想だ、というようなことをスガ秀実さんがよく言っています。それは、例えば大衆の原像を持ったほうがえらいということとはまた別だと思いますが、シニカルな現状で発言するために


248:ヘ意識せざるをえないですね。



249:吾輩は名無しである
16/01/17 08:33:04.58 .net
2004-09-24 (Fri)
■[雑誌]呉智英夫子の「鮭秀実」批判
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

250:吾輩は名無しである
16/01/17 09:02:53.78 .net
>>226
でも、それ昔の本の増補版でしょうw
スガ秀実が漱石に関して割と否定的なのは渡部もよく知っているはずだし
そのことに関して「情況」で対談していたはずだが
漱石のことをマルクスやニーチェ、フロイトと同時代人だと言っている場合ではないと
スガがその対談で喋っていたと記憶しているが

251:吾輩は名無しである
16/01/17 16:05:39.39 .net
エロたくにゃん
昨夜のゲンロン批評再生塾で、質問タイムに手を挙げた綾門君「荒唐無稽な批評って誰を読めばいいんですか」に対して佐々木先生が回答の中で「答えにくいな。あ、丹生谷貴志」て(笑)

252:吾輩は名無しである
16/01/18 11:07:29.55 .net
Masaya CHIBA 千葉雅也1月17日
受験勉強は暗記ゲームだからダメで、受験が終わったらさっさとそんなものからは解放されるべきで、大人になったら「現場」での学びこそ重要? それだけでは不十分だ。
受験勉強的なものを放棄した人と、密かに多分野で「一生受験勉強」を続ける人の間に、決定的な差がつく。

253:吾輩は名無しである
16/01/18 11:12:31.46 .net
第4回 国民なめんな 野間 易通
あざらし・ドブネズミ・マルチチュード
URLリンク(shinsho.shueisha.co.jp)
スガさんの引用してる。

254:吾輩は名無しである
16/01/18 12:26:56.86 .net
<台湾アイドル>「国旗」掲げ騒動…「総統選に影響」指摘も
毎日新聞 1月17日(日)21時58分配信
 【ソウル米村耕一、台北・林哲平】台湾総統選の直前、韓国のアイドルグループで活躍する台湾人歌手、周子瑜さん(16)を巡る騒動が台湾で大きな波紋を呼び、選挙結果に影響を与えた可能性が指摘されている。
 周さんは昨年秋に韓国で活動を開始した日韓台出身の9人で構成するアイドルグループのメンバー。昨年末に韓国のテレビ番組の収録中に韓国の国旗と共に「中華民国(台湾)」の旗「青天白日満地紅旗」を振った。
 これが中国大陸のインターネットなどで批判を浴び、所属事務所は今月14日、中国のファン向けに釈明文を発表。総統選投票日の前日となる15日夜、周さんが黒い服を着て「両岸(中国と台湾)は一つだ」と述べ、繰り返し謝罪する動画を公表した。
すると、今度は台湾で「中国側の圧力を受けたのではないか」と反発が広がった。
 総統選では、独立志向が強い民進党が国民党を大差で破った。国民党幹部は16日夜、騒動が「敗因の一つになった」と記者団に認めた。

255:吾輩は名無しである
16/01/18 12:48:50.82 .net
川本直 @kawamoto_nao 1月17日
ライター講座みたいなのは効率が良いかもしれないが、「文学は学問ではない」(吉田健一)、
「物を書くことは教えられない」(ゴア・ヴィダル)という言葉に示されるように延々読書して引き出しを増やして模倣を繰り返してあとは情熱を持って売り込めればOK。講座なんて何も意味がない。
どうやっ


256:スら物書きになれるかなんて聞いたこともない。我流で企画書を書いて、20社に電話で売り込んだだけ。あと知り合いの翻訳家さんに頭を下げた。 なんで自分で自主的に学ぼうとせず、何かと他人に頼ろうとするか、そういう人がいるのか、私にとっては永遠の謎だ。



257:吾輩は名無しである
16/01/18 12:52:46.81 .net
2016.1.17 10:26
【書評】
「行動の作家」も郷愁の境地に? 文芸批評家・福田和也が読む、石原慎太郎著『フォアビート・ノスタルジー』
URLリンク(www.sankei.com)

258:吾輩は名無しである
16/01/18 13:12:02.77 .net
博士号取得者の初の追跡調査まとまる
修了時に半数以上が平均440万円の借金という衝撃
高橋真理子
URLリンク(webronza.asahi.com)

259:吾輩は名無しである
16/01/18 13:52:27.92 .net
僕は慎太郎ファンだ。「海の地図」を絶賛した。ところが、この本の主人公の
相手の恋人だった女性チェリストの描写で、著者の音楽知識の浅さが露呈した。
新聞記者、弁護士、小説家は気の毒だと僕は常々思っている。なぜなら、守備
範囲が広過ぎて、何かについて触れるときに、その分野にある程度の知識があ
る人物が見れば笑止千万ということになりかねないからだ。著者がヨットレー
スについて触れるときは、僕はただ素直に読むだけだ。ほかの分野でも違和感
を感じたことはあまりない。ほとんど、僕が知らない世界のことだからだ。と
ころがこの本では登場人物の一人が音楽家だけに著者は音楽について触れない
わけにいかず、音楽好きの僕から見て致命的な誤りを犯している。女性チェリ
ストがコンサートを開催する場面、188p以下に「会場は有楽町の室内楽専
用のホールで」とあるが、演目は「新日フィルとのドヴォルザークのチェロコ
ンチェルトに始まり、次いでピアノとの共演でベートーヴェンのチェロソナタ
3番、そして最後はバッハの無伴奏チェロ組曲の独演だった。」としている。
まず室内楽専用のホールでオーケストラとのコンチェルトというのは無理だ。
オーケストラの代わりにピアノ伴奏によるコンチェルト(編曲があるとして)
はあり得るのだが。次に「ピアノとの共演でベートーヴェンのチェロソナタ]
とは、言わずもがなだ。ベートーヴェンのチェロソナタはチェロとピアノの
ためのソナタだからだ。

260:吾輩は名無しである
16/01/18 13:53:20.80 .net
致命的なのはバッハだ。主人公に同伴した「音楽に
詳しい」愛人が、無伴奏組曲に関して「これは凄く珍しいのよ」と解説し、
「ジャクリーヌ・デユ・プレがよく弾いていたけど」と続け、主人公に「イ
ギリスの有名なチェリストよ」と説明している。バッハの無伴奏はカザルス
が発掘し、バッハが旧約、ベートーヴェンが新約と言われているのは衆知の
事実で、チェリストが上記2つの音楽を演奏しないことはあり得ない。致命
的なのは191pで「独奏の演目は小品のアンソロジー」と言っている。無
伴奏チェロ組曲が小品のアンソロジーだというのだろうか、それとも女性チ
ェリストはドボルザークとベートーヴェンとバッハを演奏した後で、アンコ
ールに応えてチェロ独奏の小品をいくつか演奏したとでもいうのであろうか。
いやはや、小説家は難しい。おそらく慎太郎はヨットと海の描写では完璧な
のだろう。しかし音楽は無理だったのだ。都知事時代、新しい銀行を設立し
た時に銀行員


261:はみんな驚いていた。なぜならば、色々な、理由、バックグラ ウンドはあったが、80年代末から90年にかけてのバブルは、ひとつには 銀行の資金があまりにあまって融資競争をせざるを得ない状況があったから だというのは衆知の事実だった。過剰供給産業だったのだ。そこに石原都知 事が新たに銀行を設立したのだから破綻は目に見えていた。小説家は難しい。 弁護士も新聞記者も難しい。そして政治家も難しい。でも、僕は慎太郎が大 好きだ。



262:吾輩は名無しである
16/01/18 14:16:16.35 .net
URLリンク(mainichi.jp)
今週の本棚・この3冊
中上健次 高橋一清・選
毎日新聞2016年1月17日 東京朝刊
カルチャー
本・書評
紙面掲載記事
 <1>岬(中上健次著/文春文庫/540円)
 <2>火まつり(中上健次著/文藝春秋/品切れ)
 <3>讃歌(中上健次著/文藝春秋/品切れ)

263:吾輩は名無しである
16/01/18 22:01:30.11 .net
スガさんの参加した68年関係。まだ見逃してると思う。映画芸術とかでもやってそう。最後の「六八年の思想(上下)」持ってない。
『LEFT ALONE―持続するニューレフトの「68年革命」』
『ブックレット重力NO.1 LEFTALONE構想と批判』
共同討議(1)六八年革命について 井土紀州、沖 公祐、大澤信亮、大杉重男、鎌田哲哉「重力2号」
共同討議(2)六八年革命と現代詩 稲川方人、松本圭二、井土紀州、鎌田哲哉「重力2号」
座談会 「一九六八年」とは何だった/何であるのか?―一九六八年の脅迫 蓮実重彦、上野昂志「1968 (知の攻略 思想読本)」
特集討議「1968」という切断と連続 佐伯隆幸,鵜飼哲,米谷匡史「悍 第1号 特集:1968」
青年・絓秀実の1968年 芹沢一也,荻上チキ「革命待望!―1968年がくれる未来」
対談 詩の快楽のゆくえ 北川透 「現代詩手帖2001/7 特集68年 詩と革命」
鼎談 68年と臨界点 井土紀州、丹生谷貴志「早稲田文学2005/1」
「68年」問題をめぐって 高橋 順一 , 府川 充男 「情況 第三期 2003-07」
六八年の思想(上) 高橋 順一 , 府川 充男「情況 第三期 2007/07」
六八年の思想(下) 高橋 順一 , 府川 充男「情況 第三期 2007/09」

264:吾輩は名無しである
16/01/18 23:57:31.50 .net
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion 2012年4月21日
小泉義之、長原豊、市田良彦、すが秀美、そして浅田彰が一同に会する、ものすごい飲み会に参加し、完全に圧倒されている。

265:吾輩は名無しである
16/01/20 19:37:08.30 .net
【近刊】2 月上旬予定『子午線 Vol.4』書肆子午線
URLリンク(tsubamebook.com)

266:吾輩は名無しである
16/01/20 19:39:24.24 .net
【近刊】2 月上旬予定『子午線 Vol.4』書肆子午線
B5 変型判/ 288 頁/ 2,000 円+税
ISBN978-4-908568-02-2 C0095 ¥2000E
内容紹介
!気鋭の批評家による連載開始
(中島一夫(文芸評論家
連載 帝国主義の尖兵─文学・転向・擬制
第一回 復讐の文学─プロレタリア文学者としての中村光夫
。2000 年に「媒介と責任─石原吉郎のコミュニズム」で新潮新人文学賞受賞 ◎
。『2014 年の一年間『週刊読書人』にて論壇時評を執筆。著書に『収容所文学論
理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』の著者の新たな展開』
特別寄稿 吉川浩満
フロイト革命の帰趨─合理性のマトリックスとロボットの戦い
─文筆家。著書に『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』、共著に『心脳問題◎
。(脳の世紀」を生き抜く」』『問題がモンダイなのだ』(06 年、ちくまプリマー新書」
69 年 -72 年の意識を先鋭的に持続してきた詩人の具象的風景
(ロングインタビュー 稲川方人(詩人・映画評論家
古賀忠昭病床日記

中尾太一 太田 潤 薄井 灌 遺稿詩篇 安川奈緒
論考
木藤亮太 柳田國男論─柳田國男とクロポトキン
石川義正 「新国立競技場問題」をめぐる二つのフィクション
長濱一眞 「戦後 70 年」の国民
大澤 南  戦後詩にこたえる三好達治

267:吾輩は名無しである
16/01/20 20:00:58.84 .net
すがさんまだ2ちゃんやってるの?

268:吾輩は名無しである
16/01/20 21:00:12.14 .net
木藤亮太 柳田國男論─柳田國男とクロポトキン
この人はスガゼミ出身の人なのかな。副題の組み合わせからして。楽しみではある。
猫飛ニャン助 2015年11月5日
柳田国男を民俗学に導いた文学書ではハイネ(『流刑の神々』)とアナトール・フランス(『白い石の上で』)が有名だが、前者は分かりやすいが、後者は単に黄禍論(批判)の問題なのか。
むしろ、クロポトキン主義とも共鳴する、その進化論的ユートピア的社会主義ではないのか。この指摘すでにあるかな?
贅言だが、ハイネがマルクスと付き合いあるからといって柳田をマルクスと結びつける柄谷説は贔屓の引き倒しで証拠ない。
なお、私はアナキズム批判として、上記のこと言っている。『白い石』はドレフュス派フランスがもっとも左傾化した時の小説。研究者の教示請う
猫飛ニャン助 2015年10月15日
柳田国男の農政学は「近代的」と評価される。それは、柳田が民俗学に転回して以降も、農政官僚(石黒忠篤〜和田博雄)や東畑精一らによって継承された。
しかし、その「近代性」は、相対的に、天皇制とその基盤たる農村を解体する方向性を持った。このディレンマを勤皇家・柳田は自覚していただろう。
柳田は戦後天皇制の理論づけとして「新国学」を提唱したが、後に、そのネーミングは失敗と回顧しているが、それもこのディレンマと関係しているか?

269:吾輩は名無しである
16/01/20 21:02:01.57 .net
猫飛ニャン助 2015年9月23日
私の国民皆兵の主張は20年くらい前から、随時公言してきたが、ここにきて柳田「研究」の成果と諸情勢で押し出しているもの。
強く、「権利」としての国民皆兵である。イロモノ的な、ネタ(井上達夫)でもなくSF(ジェイムソン)でもなく、マジに論証するつもりだ。というか、準備はできている。
猫飛ニャン助 2015年9月18日
「読書人」9月18日号掲載の拙文は島田裕巳『戦後日本の宗教史』に事寄せて私の柳田國男批判の梗概半ばを記したが、「柳田は日露戦後に農政官僚」というのは誤り、戦前。
ただ、柳田農政学は日露戦後の帝国主義化への応接である。なお、私見のもう一つの柱である柳田のアナキズムについては、また。
猫飛ニャン助 2015年8月23日
吉田茂と柳田国男によって作為された戦後天皇制=安保体制は、今や自明化して疑われることさえない。安保法制は疑われても、である。柳田批判を共同研究している学生の論文草稿読む。
問題提起としては、とりあえず良い。大衆的な反響など期待しないが、これが発表されれば、考える人間は考えるだろう。
猫飛ニャン助 2015年8月2日
1945年8月の敗戦とは、フロイト的『トーテムとタブー』神話の再演だっただろう。米国に代行してもらった父殺しとは、敗戦と天皇の人間宣言、トーテム化とは一億総懺悔であり、柳田国男=吉田茂による祖先崇拝としての天皇制の再建である。
三島由紀夫の言とは違って、単純に人になったのではない。
猫飛ニャン助 2015年7月30日
1960年代の農村解体で、戦後天皇制が危機に瀕し祖先崇拝に関心持たぬ創価学会が台頭するという図式、前者のイデオローグ柳田国男と後者の創設者・牧口常三郎との密接な関係をより考慮すればどうか。
皇室の核家族化(創価学化!)で天皇制消滅しないだろう。島田裕巳『戦後日本の宗教史』読んで。
創価学化→創価学会 なお、鶴見太郎に『ある邂逅―柳田国男と牧口常三郎』(潮出版社)あり、柳田「教会」でもある鶴見家が創価学会とも深い関係にあることから書かれ、出版されたことが推測できる。

270:吾輩は名無しである
16/01/20 21:07:24.69 .net
これ貼ってるのはすがの研究室の人じゃないんだよね?

271:吾輩は名無しである
16/01/20 21:07:30.04 .net
猫飛ニャン助 2015年7月26日
こんなこと言っても理解されぬだろうが、SEALDs−明治学院−鶴見俊輔−柳田国男を繋ぐ、謀略史観と疑われかねぬ、mixi巨匠の戦中戦後史論議に興奮する。
天皇制護持を一義的な目標とした戦後柳田を、「思想の科学」がいち早く評価したのはなぜか。こういった論議、twitterではできぬ。
猫飛ニャン助 2015年7月14日
『石黒忠篤伝』(1969)いろいろヒント多いが余談として、石黒と猪俣津南雄(5歳下)の出生地は同じだ。互いに名前くらいは承知していたろう。
近衛内閣農相時の石黒農政を晩年の猪俣はどう見ていたのか、同じく柳田農政をリスペクトする者として。全く別途、小泉義之のブログの文章に心洗われる。
猫飛ニャン助 2015年7月10日
『デモクラシー・プロジェクト』(航思社)近刊の、オッキュパイのイデオローグたるデヴィッド・グレーバーが標榜するアナキスト人類学に準えれば、柳田国男はアナキスト一国民俗学か。
違いは、戦後の柳田が、すでに権力を握っているから世界を変えられる、と思っているところか。発想に大差ないとも。
猫飛ニャン助 2015年7月6日
船木裕の忘れられた名著『柳田国男外伝』によれば、柳田は生涯「官僚」であり戦後吉田茂政権の影の大臣だったが、それは単に天皇制存続に尽力しただけでなく、更に敷衍すれば農地改革を占領軍とともに遂行する農政の黒幕でもあった。
キーパーソンは石黒忠篤、東畑兄弟以上に、和田博雄(農林大臣)。
猫飛ニャン助 2015年7月3日
ラピュタ阿佐ヶ谷でレトロスペクティヴ開催中の映画監督・沖島勲の死を知る(密葬という)。尊敬するひとの死に接すると、何時もどう振る舞ってよいか途方に暮れるが、静かに記憶を反芻するしかない。
沖島の厖大な「日本昔話」は柳田国男批判だったんではないかと、ふと思う。これ、もう少し考える。
猫飛ニャン助 2015年6月29日
『柳田国男全集』34巻新刊出したばかりの編集委員・小田富夫氏に会い貴重なレクチャー受け、当方の暴論も聞いていただく。
「家存続の願い」などクソ食らえ、とは当方の柳田論のモチベーションだが、柳田家も国男の思惑どおり幸せに存続しているのか。家は滅びて当然であること、身を以て知るとよい。

272:吾輩は名無しである
16/01/21 11:06:08.04 .net
猫飛ニャン助 2015年6月15日
「女は存在しない/女はモノである」(ラカン)。村井紀『南島イデオロギーの発生』は、「日本とは何か」を問うた柳田に、サイードに倣って「日本なるものは存在しない」と執拗に告発した破壊力があったが、「日本はモノである」という面に目を向けなかった。
村井本では左翼の柳田への転向阻止できぬ。
猫飛ニャン助 2015年6月6日
柳田国男は「官吏などで無政府主義者の著述なぞを愛読してる人がある。非常な矛盾じゃないか」と発言している(1908年)。
もちろん、これはクロポトキンを愛読する自分のことを言っている。大逆事件前だが、後でも柳田はそのこと隠さない、村井紀本も、この発言を引用しているが、解釈は異なる。
猫飛ニャン助 2015年6月4日
柳田国男と折口信夫の対立要因の一つは、折口に資本主義論が欠けているところ。柳田は、多分、有賀喜左衛門ー土屋喬雄の線で、日本資本主義論争をwatchしている。
折口=マレビト説は容易に資本主義論に転用可能だろうに、折口の教養の範囲でない。まあ、さすがに天皇=商人とは言えんだろうが。
川村二郎以来の折口信夫論は、ベンヤミンを(スピリチュアリズムを、バタイユを、クロゾウスキーを、デリダを、アガンベンを)参照すること通例だが、
ベンヤミンには資本主義論(批判)があったことを忘却しており、ひいては、折口の天皇制翼賛について不問に付し、自らも肯定する仕儀となる。
猫飛ニャン助 2015年6月1日
人類学は西欧帝国主義の娘(レヴィ=ストロース)だが、柳田国男もそのこと知悉しており、対して、日本民俗学が後発帝国主義の自意識だとも誇らしげに主張する。
また、非常民(木地師)が天皇制に魅惑されていることも早くから論じて、しかもその「山の人生」の「お暗さ」に詩的に惹かれていたようだ。
猫飛ニャン助 2015年5月24日
柳田国男論の単著持つI氏、民俗学雑誌編集の経験ある0氏と歓談+バカ騒ぎ。柳田農政(→民俗学)の思想は、まず昭和研究会に吸収されたのではないか。
柳田は同会で講演しており、石黒忠篤、東畑精一もいる。だとすると戦後の柳田ルネサンスは昭和研究会の亡霊ではないか。この仮説しゃべるのを失念。

273:吾輩は名無しである
16/01/21 11:08:39.32 .net
猫飛ニャン助 2015年5月12日
1960年代以降の柳田国男ブームは吉本隆明的「大衆の原像」の文脈と見做されること多いが(村井紀)、花田清輝の「前近代を否定的媒介にして近代を超える」という柳田論を承けてもいた。
花田吉本論争は花田の「敗北」で終わっていたにもかかわらず、である。で、おれは花田テーゼには批判的です。
猫飛ニャン助 2015年4月22日
柳田国男は転向左翼には好意的だったが、右翼農本主義についてはその「詩人的」ラディカリズムを斥けていた。
しかし、「解党派」(水野、浅野)とは親しく交際していた。これは、単に水野がアナトール・フランスの訳者だったからではあるまい。解党派は農本主義ではないが「詩人的」でもあったろう。
猫飛ニャン助 2015年3月10日
柳田国男にはプルードンやオーエンも入っているが、明示的にはクロポトキン。クロは幸徳や啄木の占有ではなく、小谷野敦も注記していたはずだが明治期末から大正期の支配的な思潮。
「柳田とクロ」という研究は、これまでない。おれたちの「研究」発表


274:ワでは時間かかるので、パクリ防止のため公開。 猫飛ニャン助 2015年3月10日 なんリベにとって小沢一郎、自民党リベラルやピケティやメルケル、ついには天皇や皇太子までがアジールになってしまうのは、転向左翼が柳田国男に行く歴史の反復だが、 それは結局、柳田がある種のアナキズムと親和的で、柳田が資本主義の枠内の思考(権力取らずに世界を変える)だったことに由来する。 猫飛ニャン助 2015年3月1日 柳田国男の『故郷七十年』再読していたら、柳田も作品寄せている民友社刊『抒情詩』の初版が千部とあり、一驚。 今の時代で、初版千部の詩集など、まずありえまい。あの時代の雰囲気が今一つピンとこない。山形閥たる柳田農政の近代主義と、山県有朋の地方改革(封建制温存)との関係など、考える、 猫飛ニャン助 2015年2月3日 友人の院生と共同研究している柳田国男に関し、『全集』編集委員の小田富英からレクチャー受ける。 小田氏とは、昔、多少の縁あり。大逆事件に接した時の柳田など示唆されること多く、われわれの研究のプライオリティーを確信する。折しも、柳田農政の「実現」であった農協が解体の途に就いている。




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