ウラジーミル・ナボコフ 6 at BOOK
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250:吾輩は名無しである
15/09/28 11:02:12.81 .net
筑摩書房か河出書房からナボコフ全集出してくれないかな。

251:吾輩は名無しである
15/09/28 11:49:48.95 .net
裏地見るナボコフ

252:吾輩は名無しである
15/09/29 12:17:18.49 .net
>>246
俺も返品もしくは交換をすすめるよ
アマゾンならしてくれるはず
そんな本送る方が悪いんだから
堂々と返品・交換していい

253:吾輩は名無しである
15/09/30 12:07:26.16 .net
>>252
そうなんだ。
去年だったかアマゾンから送られてきた本(新本)、
表紙のど真ん中にカッターで10センチくらい切り傷が入ってた。
アマゾンで梱包する人が気付かないはずが無い切痕だった。
悲しくなったが、まあ読むのに支障ないからいいか、とあきらめた。
ハードカバーの3000円くらいする本。

254:吾輩は名無しである
15/09/30 16:28:50.78 .net
なんで泣き寝入りするんだよw
そういうのは今後のためにもガンガン言った方が良いぞ
酷い場合は電話してでもクレームつけた方がいい

255:吾輩は名無しである
15/09/30 17:50:00.87 .net
新品でそれはひどすぎる

256:吾輩は名無しである
15/10/01 17:38:41.03 .net
なるべくネットで買わないようにしている。

257:吾輩は名無しである
15/10/14 20:25:13.93 .net
ナボコフ全集早くしろー。なんで弟子のピンチョン全集が先なんだよー。

258:吾輩は名無しである
15/10/14 22:03:08.90 .net
小説は19世紀が黄金期といわれるようだが
20世紀の巨匠たちもかなりかな〜り面白いよな

259:吾輩は名無しである
15/10/14 23:39:32.16 .net
汗は男の勲章w

260:吾輩は名無しである
15/10/22 23:36:34.13 .net
『アーダ』まだ〜?

261:吾輩は名無しである
15/10/23 20:38:08.47 .net
お待ちくださいませ。

262:吾輩は名無しである
15/10/24 12:31:03.53 .net
ナボコフ好きはまいんちゃんも好きだろうな

263:吾輩は名無しである
15/10/24 13:28:05.19 .net
老婆

264:吾輩は名無しである
15/10/24 18:06:00.38 .net
流石にそろそろ出て欲しいなぁアーダ
最近若島進捗状況についてなんか言ってないんだろうか

265:吾輩は名無しである
15/10/24 18:40:30.89 .net
昔、図書館で『アーダ』斎藤訳を借りて読んだ。ナボコフの翻訳で持っていないのはこれだけ。
早く新訳出ないかな。

266:吾輩は名無しである
15/12/21 07:58:33.64 .net
気取った、金ピカの、結局ずっと単調な、ウラジミールナボコフの散文。
基本的にはつまらない、彼の全作品。

267:吾輩は名無しである
15/12/22 09:20:45.07 .net
まあ、そうだな。ナボコフは読者を選ぶ作家だ。
あの一見メリハリのない文体の魅力がわかる読者は少数のいわば精神の貴族だ。

268:吾輩は名無しである
15/12/22 18:50:14.31 .net
ナボコフは5歳、設定を誤りました。おおかたの男が好きなのは、思春期手前じゃなく、思春期直後の娘ですからね。いずれにせよ、たいした作家でもありません。

269:吾輩は名無しである
15/12/23 00:38:08.71 .net
そういや道化師をごらんはどうなったんだ
サイトに2月までの刊行予定が出てるけど影も形もない

270:吾輩は名無しである
15/12/23 04:10:35.36 .net
できそこないのまずいパイ菓子、ナボコフの文体を見るといつもそう感じる。

271:吾輩は名無しである
16/01/06 13:57:18.43 .net
『アーダ』はまだか?

272:吾輩は名無しである
16/01/06 14:15:56.71 .net
今年出すって言ってるよ
まあここ5年くらい毎年言ってるけど

273:吾輩は名無しである
16/01/07 23:44:11.47 .net
今まで1度たりとも、このつまらん気取り屋のエセ詩人、下手くそなジョイスもどきを良いと思ったことがない。

274:吾輩は名無しである
16/01/08 09:48:40.73 .net
1899年
1月17日 - ネヴィル・シュート、イギリスの小説家(+ 1960年)
2月3日 - 老舍、中国の小説家(+ 1966年)
2月10日 - 田河水泡、日本の漫画家(+ 1989年)
2月23日 - エーリッヒ・ケストナー、ドイツの小説家(+ 1974年)
3月7日 - 石川淳、日本の小説家(+ 1987年)
4月23日 - ウラジーミル・ナボコフ、ロシア生まれのアメリカの小説家、詩人(+ 1977年)
5月8日 - フリードリヒ・ハイエク、オーストリアの経済学者(+ 1992年)
5月10日 - フレッド・アステア、アメリカ合衆国の俳優・ダンサー・歌手(+ 1987年)
5月24日 - アンリ・ミショー、詩人・画家(+ 1984年)
6月14日 - 川端康成、日本の小説家(+ 1972年)
6月13日 - カルロス・チャベス、メキシコの作曲家、指揮者(+ 1978年)
7月21日 - アーネスト・ヘミングウェイ、アメリカ合衆国の小説家(+ 1961年)
8月13日 - アルフレッド・ヒッチコック、イギリスの映画監督(+ 1980年)
8月24日 - ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アルゼンチンの小説家・詩人(+ 1986年)
12月3日 - 池田勇人、日本の政治家、第58・59・60代内閣総理大臣(+ 1965年)
12月25日 - ハンフリー・ボガート、アメリカ合衆国の映画俳優(+ 1957年)

275:吾輩は名無しである
16/02/14 00:09:45.70 .net
あーだこーだ言える作家

276:吾輩は名無しである
16/03/10 10:37:01.46 .net
1ヵ月も過疎ってる作家じゃないだろ

277:吾輩は名無しである
16/03/10 18:09:48.15 .net
にちゃんで語るにはもったいない作家。

278:吾輩は名無しである
16/03/10 20:01:24.52 .net
アーダが出ないのはいつもの事だが(若島早くしろ)、
作品社の道化師をごらんとかは一体どうなったんだ

279:吾輩は名無しである
16/03/10 22:45:11.42 .net
アーダ
第一部 43章 52% 一章あたり 1.2% 
第二部 11章 20% 一章あたり 1.8%
第三部 8章 14% 一章あたり 0.9% 
第四部 1章 5%  一章あたり 5%
第五部 6章  3%  一章あたり 0.5% (Kindleでの本文94%から)
計 69章 ペーパーバックで500ページ、ハードカバーで720ページ、邦訳で626ページ
一日2章ずつ読めば35日で読み終わる(一日2-4時間)
誰か覚悟決めて一緒に読むやついないか?

280:吾輩は名無しである
16/03/11 08:25:22.05 .net
いない

281:吾輩は名無しである
16/03/11 12:26:51.56 .net
ロリータならいいよ

282:273
16/03/11 12:49:13.44 .net
>>281
もし付き合ってくれるとして、どれくらいのペースでやろうか?
一応日本語訳もあるのでアーダよりは早く進むと思うけれど
休日だけ、とかでもかまわないけれど

283:吾輩は名無しである
16/03/11 12:58:14.91 .net
一日一章かな

284:273
16/03/11 14:04:55.53 .net
了解です。ゆっくりと読んでいくのに賛成です。
ロリータ
第一部 33章
第二部 36章
合計  69章(さて、アーダと章の数が一致することに意味はあるでしょうか?)
二月と少しですね。このスレッドでよいかどうか、いつからはじめるかなどはまた夜にでも決めましょうか。

285:吾輩は名無しである
16/03/11 21:51:52.49 .net
このスレでよい
いつでも好きな時に始めて
簡単な感想なり気づいたことなどを書いていけばよいと思う

286:273
16/03/11 23:19:31.23 .net
>>285
毎日感想で上がると他の人に迷惑なのでsageるようにしませんか
第○部○章(p○〜p○) (感想、気づいたことなど)
自分はノートとるときこんな感じで書いているのでそのように書き込みますが、好きなように書いてください
邦訳だけで該当箇所に対し思ったことを書いてくださる方も歓迎です
目安としては一章あたり1-数ページずつになると思います
最初の枠物語に当たるはしがきから始まって
3章 アナベル               3/15 
8章 ヴァレリア(長め)          3/20
10章 ヘイズ夫人とLo           3/22
16章 ヘイズ夫人の滑稽なラブレター 3/28
23章 秘密の暴露とヘイズ夫人の死 4/4
29章 「魅惑の狩人たち」での初めての性交渉 4/10
32章 母が死んだことを告げる 4/13
これくらいのペースになるけれど他の方に迷惑にならない範囲で明日からはじめてみますか?
多少読むペースがずれたらそれはそれで許容ということで

287:吾輩は名無しである
16/03/11 23:44:31.15 .net
>毎日感想で上がると他の人に迷惑なのでsageるようにしませんか
変な意味じゃなく素で聞くのだが、なぜ、どのように、迷惑になるのか教えてくれ

288:吾輩は名無しである
16/03/12 00:01:09.49 .net
>>287
あんまり頻繁に上のほうにスレッドがあると、荒らしがでてきたり、とかを考えていましたが
ナボコフの他の作品を語りたい人にとって、ロリータだけでスレが埋まってしまうと邪魔になることもありますし、ネタバレ全開になるのであまり人目につくところでないほうがよいのではないかな、と思います

289:吾輩は名無しである
16/03/12 00:23:34.35 .net
他の作品を語りたい人は語ればいい
ナボコフのスレなのだからロリータの話をするのは当を得たこと
ネタバレってロリータ読んだことのない人がナボコフスレに来るかと思うのだがな
あらしは無視すればよい

290:273
16/03/12 00:46:30.30 .net
>>289
掲示板の仕組み上、上のほうにあるとナボコフに興味のない、あるいはまだ読んだことのない人の目にも触れてしまいます
できたら雑談などは少なめで、作品だけについて語るくらいにしたいのですが毎回ageなくてはならない理由とかってありますか?
荒らしは無視すればいいといっても、他のナボコフスレの方には単に迷惑ですし、私としてはなんとなく落ち着かないこともあって、他のナボコフスレの人に対する配慮も必要かと思うのですが
どうしても意見の一致が見られないならとりあえずはじめてみて、問題があれば場所を移るか検討することにしましょうか
とりあえず明日ははしがきについてですね。22時以降の書き込みになると思います

291:吾輩は名無しである
16/03/12 01:09:19.72 .net
ageるのは、というよりageてしまうのは、いちいちsageとかやらないから
それと下の方にあると探すのがめんどいから
まあ、他の住民に迷惑だということなら自分は書き込まんようにするが
他の住民、そうならどうぞそういってくれ

292:273
16/03/12 23:07:23.99 .net
はしがき (p5〜p9)邦訳で4p
そっけない文章でCoronary thrombosisで死んだH.Hの死(November 16, 1952)などが語られる。
ところどころ普通は使わない単語が入っており、言葉遊びになっているものが多い。
ロリータらしき人物の後日談もこのはしがきに書いてあるが、これも再読しないと分からない。
書き出しは“Lolita, or the Confession of a White Widowed Male” such were the two titles under which the writer of the present note received the strange pages it preambulates.
本文のラストが my Lolita.であることと対応している。(Lolitaで始まり、lolitaで終わる)
H,Hの弁護士であるClarence Choate Clark(CCC)は本文には出てこないが、ロリータの級友名が列挙されるなかにGordon Clarkeがいて、どうやらオナニー狂いのGordonの父親らしいことが分かる。
はしがきの作者ジョンレイジュニアは頭文字だけとるとJRJrになる。H.Hの精神鑑定行ったのは白黒男博士(Blanche Schwarzman)
作者の奇妙な家名(Author’s Bizzare cognomen)はABCとなる(続けて読むとABCは作者自身の発明である)
上の書き出しもwhite widowed, two titles, which writer, pages preambulatesとよく考えると不自然な構文と言い回しで文字を重ねる。
矛盾したカマトトは、paradoxical prude’sでp-p、コップの中の嵐はtempest in a test tubeとT-T-T
describes with such despair; that had our demented diarist d-d-d-d tragic tale tendingでt-t-t
shadow of this sorry and sordid business s-s-s などなど 4pの中に50近い頭文字の連続が含まれる。
登場人物Vivian Darkbloomはaabdiiklmnoorvv→Vladimir Nabokovのアナグラム。「アーダ」にはNotes to Ada by Vivian Darkbloomがついている
名前だけ、二回くらいしか出てストーリーにほぼ関わらない彼女が事件後に“My Cue,「私の指図」.という自伝を書いた、という一見無意味な一文の意味が変容する。
ロリータ本文とはしがきの両方にこういう言葉遊びをぶち込んだのはH.Hでも編集者JRJrでもなく、「My Cue(私の指図)」であるということ。
Adaは1969年、自伝「記憶よ語れ」は1966年、どちらにもDarkbloomが出てくる。
小説内、作家の回想、別の小説にこっそり出現するこの女性は羅列される固有名の中に忍び込まされている。

293:273
16/03/13 21:21:10.32 .net
第一部一章 (p9) 1ページ以下
有名な書き出し Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: L-l-m-l-f-m-l-m-s-m-s-l-l-t
その後もt-t-t-t-t-t-s-d-p-t-t-t、 Lo. Lee. Ta.となる。共感覚者ナボコフにとっては原色の世界が展開される。
0.8ページ程度だが、注釈本では数ページにわたることが多い。
ロリータはスペイン語のドローレスに由来して、意味は悲しみのマリアであり、「Lolita」発表以前にもスペイン語文献にはロリータという人名はそれなりに見つかる、
In a princedom by the sea.海辺の王子たちの王国はポーの「アナベル・リィ」の一節の海辺の王国をもじっている。
noble-winged seraphsも「アナベル・リィ」からの引用
I and my Annabel Lee— With a love that the winged seraphs of Heaven Coveted her and me.
アナベル・リイとわが身こそ/もとよりともにうなゐなれど/ 帝郷羽衣の天人だも/ものうらやみのたねなりかし(日夏耿之介訳)
Look at this tangle of thorns. L-(a)-t-t-t 明確な色を反映しており、表面上の意味は絡みつく茨のとげであり、自身をアナベルに出会ってしまったことの犠牲者としている
短い文章のほとんどがアナベルを示しているとともに、自分を王子、殉教者として神格化し、murderer for a fancy prose styleとしているあたりたちが悪い。
都合の悪いところになると文学的な修辞をちりばめて責任逃れをしようとする主人公だが、逆に性的な場面になると描写が手が込み始める、と言う意味では読みやすい。

294:273
16/03/14 18:55:36.89 .net
第一部二章(p9〜p11) リヴィエラでの王子時代(1910〜1923年)
ロリータの文章は一文ごとに「意味よりも響きや言葉遊びを優先した文(A)」「何かの引用など文学的な文(B)」「意味伝達を優先とする文(C)」が別れている。
H.Hの生い立ちとアナベルに出会う直前までの文章はありきたりな美しい回想のように、たんたんと情報が開示され言葉遊びの濃度が薄くなる。
しかし父方の祖父・父方の曽祖父二人・伯父の名前が(ワイン・宝石・絹・香水と)扱う品だけ語られ、父母も差し置いて母の姉「Sybil」だけが名前を提示される。
H.Hが16歳の誕生部を迎えるまでに「自分は死ぬ」というpoeticにsuperstitiousなこの名前はギリシャの「女性予言者」を示す。
10代前半の少年をさして “overwhelmingly obvious”「とんでもなくわかりやすい」という、非常に厳格な女性はH.Hを愛してそういったのだろう。
後にロリータの同年代の友人にこの言葉を向けるH.Hは「self-sufficient rapist with pustules」云々と悪意に満ちた表現になっている。
3歳で死んだ母、結婚してすぐにneglectされH.Hの家庭教師となり15歳で喪うSybil以外にも父の愛人たちや王女たち(Ruined Russian princesses)、使用人、友人にも愛されるprincedomの世界。
ただそれをmy cheerful motherlessnessなどと言ってしまうが。
性についてあけっぴろげに(delightful debonair)教えてくれる父は数々の女優などと浮名を流し、リセに3年行くときも愛人とその娘と旅行している。
奔放な父や伯父は混血(フランスとオーストリアに何かしらダニューブ河付近の血の混じったスイス人)であるのに対しSybilはvictoria期で育ったイギリス人女性。
母方の二人の祖父はともに牧師で奇妙な分野の専門家となっているが、paleopedology(古代土壌学)にはペドフィリアが潜み、風で鳴るハープは詩人の象徴。
父方の「商人家系と奔放な性」に対する母方の対比「学者、詩人、道徳、抑圧された性」。父性的なものは物質的で母性的なものは精神的とするべきか、
ほぼ(C)の文体だが女優である母にほとんど会ったことのない少年との会話は他と書き方が異なる
オレンジ・青い宇宙の中の白い小宇宙・真珠・陰影・ピンク・青い瞳と蝋のように白い肌理、など一章で排除されていた色が現れ始める(1章ではアナベルと同じく、Loの描写に色がひとつもない!)

295:273
16/03/15 02:03:11.46 .net
第一部第三章 (p11〜p13) アナベルとの出会い
前章の色を確かめるように、アナベルを思い浮かべるときはlittle ghost in natural colorsを目を閉じて想起する、と色が強調される。
Annabel Leighも混血であるが、英蘭のハーフ。Sybilの友人であり、19世紀後半においては表向き厳格なプロテスタント道徳が支配していた国でもあるため、Leigh夫妻はともに厳格で、H.Hは嫌っている。
Leigh夫人はわざわざ“結婚前はVanessa van Ness”とされるがこれは、例によってVaness Vanessの言葉遊び。
繰り返されるVanessaはJonathan Swiftが始めて発明した名前であり、彼の若い愛人の一人に彼がつけた愛称でもある。
Cadenus and Vanessaという880行の詩を残しているのでそれを調べてみるとその書き出しは
THE shepherds and the nymphs were seen、 羊飼いとNymphは召還される
Pleading before the Cyprian Queen.     女神ビーナスの前で懇願する 
The counsel for the fair began        公正なる裁判を
Accusing the false creature, man. 過ちの生物、男を糾弾される
The brief with weighty crimes was charged  短いけれど重大な犯罪がおかされた
どう考えても「Lolita」の構想にこのアナグラムや言葉遊びを好むSwiftは隠れているだろう。Vanessaは愛人Esther Vanhomrighの名前を組み替えている。
Pale FireでもJonathan Swiftが言及される上にヨーロッパアカタテハ(Vanessa atalanta)が頻出していた。
一応、Vanessa atalantaの色はdark brown, red, and black wing patternであり、powderedというLeigh夫人の形容、Leigh氏のbrownというよくわからない形容はここでつながる。
タテハチョウ科はNymphalidae、アカタテハ属がVanessaになる。特に粉の着いたVannesa(Nymphalidae)である夫人は変態を終えた、成長したNymphetであり、だから嫌悪の対象になっている、と考えてみる。
同じ厳格で、年長であるSybilが白蝋のようで粉を吹いていない石女であることとは対照的であり、Loはいずれmetamorphosisを遂げることになる。(妊娠・出産への嫌悪?)

296:273
16/03/16 02:23:25.48 .net
第一部第四章 (p13〜p15)
三章で、二度目の逢引きの不発から4か月後にCorfuでtyphusにより死んだ、とそっけなく書かれたAnnabelとの精神的・肉体的な交流が描かれる。
1923年の秋には、ギリシャでチフスは流行していたか?というと1922年にロシアで2500〜3000万人の感染があり、ベルリンにいたナボコフは強く覚えていただろう。
しかしロシア革命後の混乱において衛生がままならないためで、ヨーロッパではない。
わざわざ記されたCorfuという地名はtyphusの言葉遊びに過ぎないのか?
1923年、Corfuは8月29日から9月27日まで「コルフ島事件」でイタリアに占領されていた。
これはムッソリーニの権力強化の基盤になった事件で、後にナボコフが亡命するファシズムの先触れでもある。
Annabelが死んだとされる1923年秋にイタリア軍がCorfu島を砲撃・占領して多くの死者(多くは難民や孤児)が出て、「イギリス人滞在者の死者はいなかった」ことにイタリア側が安堵した。
か弱い生き物が傷つくことに.心を痛め、狂った紛争地(famished Asiatic country)でnurseになりたいという夢を持つ「イギリス人」少女がそこで死ぬことにはやはりナボコフの意図が感じる。
H.HはAnnabelと自分が弱いものに対する感受性を持つ、と言うが紛争地の看護婦になりたいと言う彼女に、自分は有名なスパイになりたい、と語る。
H.Hが延々と自分とAnnabelの共通性を主張しても、Lolitaと同様、H.HとAnnabelも本質的にはまるで似ていない。
Annabel Leeを殺した嫉妬の天使からのchilling windとAnnabel Leighの死因が異なること(fluなど、より対応する疾患はたくさんある)、Loの死因もまた違うことはH.HのAnnabelがLoにincarnationした、という思い込みの虚妄を暴く。
H.H(という偽名の男)が少年の時に出会った少女が本当にAnnabel Leighという名前である根拠もない。
一応、Corfu島はUlyssesがイタケーに帰還する直前に滞在したスケリグ島のことで、Nausicaa王女に求婚された場所でもあるし、名前の元となるKorkyraはポセイドンに、見初められ誘拐されて、島に住まわせられたNymphであって、という謎解きもできる。
NausicaaとUlyssesの出会いはLoを初めて見るH.Hの場面を彷彿とさせるが、テキスト上では興味深い(ナボコフが考えるなら仄めかすであろう)対応はなかった。

297:吾輩は名無しである
16/03/16 07:17:38.14 .net
ガンガレ

298:吾輩は名無しである
16/03/16 19:44:44.87 .net
ナボコフを楽しむには
原書と訳書と注釈書の翻訳が必要な気がしてきた

299:273
16/03/16 23:29:02.92 .net
第一部第五章 (p15〜p20)
5章では華やかな都市での遊学をするH.Hが描かれる。1923-26年の中学生活はほとんど描写されず1926年以降のロンドン・パリでの生活が描写される。
友人には好かれるも、学業は散々たるもの、女性関係は「trauma」を理由にするが娼婦で満足する、と言う。
重要なのはいつのまにかSybilは(予言通り)死んでいるし。父親も何も語られることなく当然のように死んだことが語られることであり、H.Hが精神分析に熱をあげようと、才能がなかろうがどうでもいい。(それでも後で触れることになるが)
とりあえず父親の消失を考えると、ちょうど1923年のAnnabelがコルフ島で死ぬとき、父親は愛人と旅行をしている。
その行く先がイタリアであることは偶然か。
前章で、ナボコフがAnnabelの死に「ロシア革命」「ファシズム」という歴史的事件を書き込んでいることが強度を持つなら、父の不可解な退場は説明できるか?
H.Hは家族の死に無頓着、という伝統的な読解も正当で、母はあっさり雷に打たれて死ぬしAnnabelも1行で死ぬ。
ただ、父親はSybilと擬似近親相姦を行った上に忘却しているし、Sybil自身離婚していない状況で夫のいとこにして妹の夫とsexを行い、Cooper氏なる体の不自由な人物に言い寄られてもいる。
Cooper氏やLeigh夫妻はAnnabelとの密会を邪魔するもの扱いされるにもかかわらず、Sybilは一度も密会の邪魔をする人物としては描写されない。
“overwhelmingly obvious”という口癖が時間軸上Annabelとの関係以外でありえず、どうやら厳格なSybilは交際を常にからかっていたにもかかわらず、H.Hの回想ではAnnabelとの密会を邪魔するのは常に他の人間であり、
なによりも「V」たるvicious vigilance、Vaneesa Van Nessである。
愛人とその娘と旅行し、妻の姉と気まぐれに性交してそれを忘却し、自分の知る限りの性についてH.Hに教えた、というこの象徴的な父親は小説から姿を消してしまう。
二章で描写された豪奢な生活から、一転して1935年時点でホテル・ミラナをとうの昔に売り飛ばし、たいした遺産は入らない、という急激な没落はいつのことなのか?
もちろん当てはまる事件は、1929年の世界恐慌であり、H.Hはこの1923-35年の父親の没落を書いていない。
H.Hから好意的に描かれる二人はこうして近親相姦や不倫の影をまといながら、読者の目を逃れるように小説から退場する。

300:吾輩は名無しである
16/03/17 12:16:41.44 .net
ニワカ研究者

301:273
16/03/18 06:25:37.41 .net
第一部第四・五章 (p13〜p20)
第二章では意味伝達描写(C)が増え、言葉遊び(A)の濃度が薄くなったのと同様、Annabel後は(A)が増える一方(C)の描写が減少する。
この意味伝達描写の不足から目をそらそうと、この章では(A)(B)の描写にあふれている。少女への嗜好を語り、プルーストや精神分析への言及、Annabelとの性交を華麗な言葉遊びや修辞で語るH.Hに抗って(C)で語られるべき情報の再構成を試みた。
年表を書いてみると、1923年から1935年には具体的な時間記述は存在しない。(もちろんAnnabelの死とDoloresの生誕に気づく)
ただ、H.Hが技巧を凝らした文章を無視するわけにもいかないので、再度彼の(A)(B)を味読する。
“The Proustian theme in a letter from Keats to Benjamin Bailey”は当時T.S.Eliotが再評価をしていたKeats書簡集を読み直したもの。10編残っているBaileyへの手紙の中に、ImaginationをAdam’s Dreamに比べて語るものがある。
適切な場所で適切な声で歌われた古いメロディを聞いて、初めて聞いたときの歌い手の顔をそれ以上なく美しく思い出す、という感覚と時間と記憶に関わる詩的経験のくだり。
H.Hは痛みと快楽(painとpleasure)を常に感じ、Annabelとの性交時にもeerie expression, half-pleasure, half-painを感じ、闖入者によって離れるときにもacheは彼に残る。生涯彼を悩ませる痛みは彼において快楽と常に一緒に出現する。
Annabelとは、出会う前から同じ夢を見ていた、1919年の6月に、迷子のカナリアが家に迷い込んできた、と語られる。
H.Hが精神分析の分析者になろうとしたことは同時期にロンドンへ移住したKleinらの分析を受けていることになる(資格のためには、自ら分析を受けなくてはならない)。
分析でpeculiar exhaustion, I am so oppressed, doctorとなったことは16-19歳のロンドン時代に既に自分の性的嗜好に向き合わされていることを示す。ロンドンを離れ、パリで「解放され」、Uranist(同性愛者)たちと交流する。
Nympholepsyを体系化していく過程は精神分析のparodyであり、欲望を理論化するすべを精神分析で学んでパリで開放してしまった、とも取れる。
有能な精神分析を受けていたらこの事件はなかったかも、と主張するのはナボコフの強烈な皮肉。
(アメリカでM.Mの自殺により精神分析にけちがつくのは1962年)

302:273
16/03/18 07:57:10.40 .net
いずれLolitaが出現したときにNymphetは語られるが、この時点ではH.HはNymphetに会ってはいない。AnnabelはelfであってNymphetではなく、H.H少年はFoulet(牧神パンの小辞形)でしかない。
何がNymphetではないか、を列挙していく核心は、その美しさにまわりが気づかず、自分も気づいていない、ために無遠慮な視線を投げることが可能になるというところか。
少女を凝視しても罰せられない環境づくり(適切な時間と空間により強化される想像力!)にいそしむH.Hは窃視者では実はない。
だからLolitaの登場はHaze夫人もLo自身も半分裸でいることに無頓着であることにより、完璧なNymphetである。
睡眠薬を飲んでも寝てくれないにも関わらず、「自分から」H.Hを誘惑することで成立してしまう最初のLoとの性交はAnnabelと異なり失望を伴うことになる。
the nymphean evil breathing through every pore すべての「毛穴」から「ニンフとしての悪」が噴出してくる、という性交直前のロリータの描写はショックを受けるほどに変貌した元Nymphetへの嫌悪を示す。
砂糖たっぷりのサンデーを頬張るLoにおいて、Nymphetはにきび(acne)が出来ない、と力説し、食べた脂肪が汗腺から染み出て、腐敗して膿が飛び出す、とグロテスクに描写をするH.Hはこれまでの章でも繰り返し「吹き出物」への病的な嫌悪を表明する。
V.Vのpowderedに対するSybilの真鍮のようなという描写。吹き出物ができるくらいなら白蝋のような肌が評価され、Loの男友達はpustule(膿胞)だらけの自分勝手なrapist、にきびだらけの人でなし、と描写される。
H.H自身、ニキビができなかったのか?といえば13-16歳のリヨン時代、16-19歳のロンドン時代がほとんど描写されていないが、実は描写されるH.H自身の顔にニキビの痕跡を読み取ることは難しくない。
Annabelの死因はTyphusだった。これは断じてTyphoid feverではダメで、全身に発疹ができる発疹チフスでなくてはならない。
ニキビのできないNymphet「ではない」Annabelは全身に吹きでものができるTyphusで死ななくてはならないし、その発疹に苦しむさまも描写されてはならない。
(Typhusはギリシア語に由来して、熱に浮かされた、Hazyな状態が語源であり、typhoid feverは熱に浮かされたという点で共通するが別の病原体による。このHazeはDorolesの姓であり、小説のいたるところにhazeは隠れている)

303:273
16/03/19 01:27:20.04 .net
第一部第六章 (p20〜p24)(1935年の4月)
二人の対照的な娼婦について語られる。Madeleine(マグダラのマリアに由来)付近を歩いているときに、short slim girl passed me at a rapid, high-heeled, tripping step。
第一章を思わせるリズミカルな登場をさせた少女は、H.Hと同時にglanced back at the same momentと描写され、価格交渉に移る。100フランで、値切ろうとするが、3年前には学校帰りの彼女を見ていただろう、と思った瞬間値切るのをやめる。
誰もが18歳と答える娼婦にあってMoniqueはおそらく16,7歳であり、80人を超える娼婦の経験の中で最大の悦楽とうずき(gave me a pang of genuine pleasure)を味わえた、と150フランを渡す。 (oh, she had been a nymphet all right!)
無邪気に喜ぶMoniqueに翌日も逢う約束をとりつけ、都合四度買春するが、二度目以降は輝きが急速に失われ、風邪をうつされたこともあり思い出に保存することにする。(登場以外にもLoやAnnabelに対するような描写表現が散見される)
二人目はMoniqueに味を占めてより若い少女をいかがわしい女郎屋(Edith : riches or blessed' + 'war')を探して紹介された少女Marie。
女衒に連れられてみると生気のない、「15歳にはなっているだろう」、椅子にやる気なく座って人形をいじくり、奥には赤子がいる生活感に満ちた部屋のmonstrously plump, sallow, repulsively plain girlに出くわす。
ビデとベッドしかない、他の紳士に会わないよう工夫された部屋、しゃがんだ少年の尻よりも小さな尻、tight-fitting tailored dressは真珠色、会話も弾み、感謝もされ、軽やかなMoniqueとの対比はうんざりするほど。
これでもかと前半で讃えた描写をひっくり返して嫌悪感に満ちた描写。踵を返そうとすると少年や乳児や荒くれ者まであらわれ、Marieの贈り物を握らせようやく解放される。
Moniqueに与えた贈り物(50フランの追加)は感激され、H.Hがついていけないほど軽やかに駆け出すのに対し、indifferent handに押し込む。
16歳以上だがかつてNymphetであった少女とより若くてもNymphetからほど遠い少女を経験して娼婦漁りを断念し、結婚を決意する。(次章で、30歳近いが少女のようなValeriaと結婚することになる。)
あまり自信はないが、二人の名Moniqueはmonos(一人)、Marieはアナグラムでarmie(army)。後者は荒くれ者たちとEdithの(裕福な+戦争)に響きあう。

304:273
16/03/19 22:20:17.28 .net
第一部第七章 (p24〜p25)(1935年春以降)
前章で、独身者として娼婦を漁る事への危険を味わったH.Hは、もろもろの利得から結婚をしようとしてみる。別の目的のための隠れ蓑にされる二人の妻(ValeriaとCharlot)。
どちらもNymphetを堂々と凝視できる、という目的であり、結婚の時点では成熟した妻との結婚は直接Nymphetを抱くことが目的ではない。
相手はH.Hのspells of dizziness and tachycardiaを治療してくれた Poland出身の医者の娘Varerila。AnnabelのかけたspellはLoが解いた、と語られたことの反映。
しかしH.Hのspell(米語では発作)を解くことは彼の妄想のようにはうまくいかない。
42歳で心筋梗塞を起こすH.Hは生涯健康(healthy、sound)から距離を置く。しかし快楽でなく健康を象徴する人物もいて、H.Hは彼女らに捨てられ、あるいは自ら捨てることになる。(男性の場合は単に忠告を無視するのだが)
Vareriaはラテン語のvalere: "to be healthy"or "to be strong"だが、医者の娘と言うだけでなく"to be healthy"であることは次の章でも明らかになる。
父の遺産として得たわずかばかりの金に加え、my striking if somewhat brutal good looksがあれば女性には困らない、という。
このH.Hの描写で「somewhat」とか「strange」という言葉は要注意。
(typical Nabokovian marker (equivalent to "somehow" or "for some reason"). By wakashima)H.H自身が気づいていないがナボコフがsubtle psychological explanation for the repressionが隠れている。
獣じみたところがある、という小説を通した象徴でもあるが、brutalは後に他の人物の顔の描写に使われ、H.Hの顔面的特徴をほのめかす。
ナボコフは精神分析には攻撃的だが、H.Hは精神分析に傾倒した上にこの後も精神分析に関わる人間であり、精神分析的に読むことを期待する描写をする。
さらに加えて、ナボコフは注釈なしでは意味を持たないような描写を目指す、という点で精神分析的な深読みを要求する、というねじれた関係を持つ。

305:273
16/03/20 19:04:13.13 .net
ロリータ第二部が細かく価格で埋められている(Loの堕落をおねだりの価格や逃避行での観光料金で表している)というのはいいとして、ヨーロッパ時代(1910-1940年)には具体的な価格は限られている。
今回、ここまでで具体的な価格が提示されたのは買春に100フランを要し、さらに50フラン払ったというこの場面だけ。
19世紀の小説に親しんでいる読者にとってはあまりにも高すぎる費用と感じるはず。
鹿島茂によれば1928年の売春窟に潜入したジャーナリストは高級娼婦で代金は50フラン、取り分は20フランと記録している。
射精のみを目的にするサービスは4-5フランとされる。
1935年の、行きずりの少女の要求が100フラン(さらにチップが50フラン)という対価は異常に思える。
つまりはインフレの影響であり、50フランをもらって「これで靴下が買える」と喜ぶMoniqueは無邪気さを示すのはいいとしてやはり靴下しか買えないほどに時代は明確な不況なのだ。
アメリカの物価をこと細かく描写したナボコフが唯一ヨーロッパで物価を記入したのがこの数字だと思うと、どうしてもテキスト外の現実、1923年のルール地方占領をきっかけにしておきたドイツのハイパーインフレをベルリンで経験したであろうナボコフを想像してしまう。

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16/03/21 02:59:50.73 .net
第一部第八章 (p25〜p32)(1935年〜1939年)
健康にする女「Valeria」は娼婦漁り、nymphet漁りを一時的にでも中止させるだけでなく、身体上も健康にする。キュビスムの絵画を趣味とし、H.Hの眼や指関節(knuckle)を取り出して「ゴミのような」絵に書き込む。
眼はもちろんだが、このH.HのknuckleというのはLoのジーンズに手を伸ばそうとする場面やHazeが死んでLoを迎えに行く直前に出てくる。
さらにLoの夫と出会った場面で相手のきれいな手と比較して、これまで多くの女を痛めつけてきた、醜い手(フランス風に言うならドーセットの農民のようなknuckle)と形容されるように、H.Hのnymphetへの欲望を示す。
例によって登場シーンでは魅力的な描写を行うが、初夜の後に描写は反転する。
She looked fluffy and frolicsome, dressed à la gamine, showed a generous amount of smooth leg, knew how to stress the white of a bare instep by the black of a velvet slipper, and pouted, and dimpled, and romped, and dirndled,
この浮かれた描写が初夜には孤児院でくすねてきた少女の服を着せて朝まで性交し、染められた髪の根の色や産毛が剛毛になっているのを見て幻滅する。
やせて青白い少女の代わりに、a large, puffy, short-legged, big-breasted and practically brainless babaを得たとするが、無口さだけは気に入っている(相手はそうではないが)
みすぼらしいアパートで生活をする日々。隣の食料雑貨店の少女に狂気を呼び起こされるが、Valeriaによりafter all some legal outlets to my fantastic predicamentをえる。
おいしいポトフ(pot-au-feu)と生きたmerkin(ダッチワイフよりオナホールに近い)を求めて結婚し、少女への欲望が抑えきれないときにだけはけ口を求める。不機嫌に黙り込み、困惑させる。
三行半を突きつけられ、タクシー運転手をしているロシアの元大佐に奪われるのも当たり前だと思われる。

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16/03/21 16:16:49.12 .net
第一部第八章 (p25〜p32)(1935年〜1939年)
8章は三つに別れ、Valeriaとの結婚生活/伯父の死と間男の発覚/その後と刑務所の図書館蔵書となる。
間男は、当時パリに大勢居た亡命ロシア人のタクシードライバーで、H.Hよりも5歳近く年上のValeriaよりも更に年上、父親のような年齢。
Loの場合は若い男に奪われる恐怖を抱き続けて自分と同年代の男に奪われる。
Humbert the Terrible deliberated with Humbert the Small whether Humbert Humbert should kill her or her lover, or both, or neither.
二人を殺そうとして、「これまで語っていなかったと思うが、まぁ気にしないでくれ」と学生時代のことを思い出す。級友の自動拳銃を弄繰り回しながら、彼の透き通るような肌を持った妹を陵辱し、自分を撃つ空想を楽しんでいた。
「抑圧」、見たくないことやいい間違い(puns)にこそ本当の無意識が現れる、という精神分析的解釈をナボコフは馬鹿にしている。
これはJames Joyce、Paul Valerey、譲歩をつけながらVirginia Wolfに共通するフロイトへのアンビバレントかつ明確な反対なのだ。ただしそれは作者の無意識を探ることであって、作者によって周到に作り上げられた登場人物の無意識を探ることではない。
事実、H.Hの無意識を掘り返すとナボコフの手のひらにいるかのように、テキスト上に相応する描写が(時に数百ページを隔てて)見つかる。不自然な描写・文・単語には必ず何かが隠れていて発見は尽きることがない。
繰り返せばなぜここまでH.Hが学生時代を語りたがらないのか、買春以外の女性との交流は皆無で、友人の妹を犯す妄想(もちろん自分の痛み、自殺を伴う)でとどまるのか。
例えば故Harold HazeからH.Hに引き継がれた自動拳銃は、We must remember that a pistol is the Freudian symbol of the Ur-father’s central forelimbとされる。
刑務所の蔵書の場面は有名な場面で、刑務所では言葉遊びしかない、といいながらいまだ登場していないLoの名前、Clare Quilty、Vivian Darkbloomが出てくる。ネタバレを知らない初読では意味が分からない。
Loの出生地やLoと別れる場所、なども書き込んである。ただ、再読時にはほぼ開示されているようなものでもあり、ここを強調する読解は皮相的に過ぎる。

308:273
16/03/22 02:57:22.81 .net
第一部第九章 (p32〜p34)(1939-47年)
離婚の手続きをするために予定されていたアメリカ行きが遅れ、戦争が始まる。さらに肺炎で一冬をリスボンですごす。
NYでは香水の広告の仕事(取り留めのないpseudoliterary)に従事し、さらに数年間フランス文学比較史に一日15時間近く取り組む。図書館の光と不眠症の影に二分された生活(ample light and narrow shade)。
ここでも「Let us skip all that」とし、ある時点でdreadful breakdownが起こって精神病院(sanatorium)に一年以上いることになり、仕事に戻るとすぐに再入院する羽目になる。
病院の、「One of my favorite doctors」の弟がカナダの北極圏の調査に向かうのに同行する。
同行者も精神的な問題を抱えている作業療法のようなもので、幻想的なblankness and boredomにもかかわらず、あるいはそのおかげか健康は取り戻される。エスキモーの少女たちは必ずしも不快な描写をされるわけではないが、欲望はそそられない。
Nymphets do not occur in polar regions.(自然と不毛と人工の対比)
20ヶ月の北極圏での中途半端な仕事を終え、1945年か46年の年報にでっち上げの報告を載せる。
文明社会に戻るや否や再びsanatoriumに逆戻りし、精神分析者たちをだますすべ(古典的な症状と夢をでっちあげること)を覚える。彼らにはfake “primal scenes”をでっち上げ、real sexual predicamentを隠す。
医師のカルテを覗き見すると“potentially homosexual” and “totally impotent.”と書かれている。(さて、これは無意味なのかどうなのか?)
1939年に伯父の死とValeriaの離婚
1940年に肺炎、リスボンからNYへ 
1940年〜42年 香水の広告と文学研究を平行して(おそらく)鬱になる(語られない)
1942?〜44年 精神病院に1年入院し、一度退院して再度再入院する
1944-45年  北極圏での奇妙な探検に同行して精神への影響のインタビュー(20ヶ月)
1946-47年  再入院(3度目)精神分析医に対するすべを学ぶ

309:273
16/03/22 22:10:25.31 .net
第一部第十章 (p34〜p40)(1947年5月の終わり)
精神病院から三度目の退院をして郊外に住処を探し、12歳の少女のいる家に下宿しようとしたらその家がたまたま燃えたために、その知り合いの家に案内される、という経過が語られる。
あからさまに興味のなさそうなH.Hにもめげず、無邪気に家を案内する女性についていき、庭へ連れ出された瞬間に理想のnymphetが眼に飛び込んでくる。
再読する際に読み応えのある章で、H.Hの興味のない描写と対照的にHaze夫人の描写さえ軽やかな言葉遊びに満ちており、H.Hが気づかないLoのいる痕跡がテキスト上に散らばされている。
still glistening stone of one plum.果物かごにはまだつやつやしたプラムの芯だけが残されている。(glister、stoneはよい言葉)
its complement— a pinkish cozy, coyly covering the toilet lid.
トイレのふたまで軽やかに描写(coylyははにかみながら、というnymphet用)
H.Hが興味のないHaze夫人にも半分無関心、半分高評価の形容詞を並べて描写される。
the doomed dear(哀れな親しみの持てる人)、shyness and sadness
parallel to the parlor we had already admired、stooped without stopping(Loの白い靴下でこれが第一章のLo in the morning, standing four feet ten in one sock)
“That was my Lo,” she said, “and these are my lilies.”
一目見て、自制心を出して通り過ぎる。Haze夫人は通り過ぎてからどうでもいいように「さっきのが私のLo」、「そしてこれらが私の百合です」過去形と現在形。
“Yes,” I said, “yes. They are beautiful, beautiful, beautiful!”
H.Hの頭の中にはLoのイメージがあるから現在形で。ユリシーズの最後のモリーの独白?
(and yes I said yes I will Yes.)
百合の首のような、白く細い少女はnymphetであり、庭に展開された海辺の王国と同時に賛美する。
Louiseという、Loと略されてもおかしくない黒人のメイドも心憎い配置をされている。(Loの部屋、という言葉とLouiseが先に出て、最後にLouiseは家に帰り、Loの部屋はLouiseの部屋でないことが分かる)

310:273
16/03/23 00:35:36.51 .net
第一部第九・十章 (p32〜p40)
この章と九章の最後は、唐突に言葉遊びや軽薄な表現が増えて、うつ病患者が躁患者になったかの印象を受ける。
ただ、よく考えるとValeriaとの離別から健康を徹底的に害し、肺炎、憂鬱、不眠、精神病院入院が続いていた。さらりと流されてはいるが、1年以上の長期入院、退院しても再度すぐに入院、北極圏で回復したと思っても再度入院する。
相当に重度の精神障害を1940-1946年に経験し、唐突に直ってしまうことに理由はないのか?
エスキモーの少女はnymphetではない、サナトリウムにnymphetはいない、としても三度目の退院は明らかに異質に思える。
戦争は1945年に既に終わっており、三度目の北極圏から帰ってきたあとの再入院を説明できない(この任務が戦争に関連したものであることは「hush,hush(H.H)」という言葉から分かるが)
前章で、Valeriaが1945年ごろにカリフォルニアで死んだという情報はいつH.Hの耳に入ったのか?結局それを教えたのは「カリフォルニアから来た」医者であり、1945年くらいに死んだ、ということは1946年以降の出来事である。
Review of Anthropologyには載っていない、というがこれは刑務所では手に入らないから逮捕前でなくてはならず、H.Hは北極圏での研究成果をAnnals of Adult Psychophysics報告している。その掲載もgenialな医師から入院中に聞いた。
死んだという情報を聞いてI had my little revengeというほどに影響を与えているこの出来事はいつ復讐(不健康に追いやられた事件からの回復)がなされたか。
すると三度目に突然精神病院から解放される、というのはその離別が健康の喪失(肺炎・憂鬱・不眠・精神障害)であったValeriaの死を知ってtraumaから解放されたことによるのだろう、と思えた。

311:吾輩は名無しである
16/03/23 20:13:07.72 .net
ナボコフ最後の長編『道化師をごらん!』の新訳『見てごらん道化師を!』が4月刊行。「子供のような、よい読者となること。子供のように、質の良い読書をすること。文学研究というのは、そこから始まるのだと思う」。訳者メドロック麻弥さんの言葉。 URLリンク(t.co)
3月23日 19時18分 Hootsuiteから
URLリンク(twitter.com)
URLリンク(www.sakuhinsha.com)

312:吾輩は名無しである
16/03/23 20:20:12.25 .net
予定よりはちょっと遅れたけど、ちゃんと出るようで安心した
若島も頑張れよマジで
つーか「見てごらん道化師を!」にタイトル変わったのか
正直、「道化師をごらん!」の方がしっくり来るw

313:273
16/03/24 02:43:26.50 .net
第一部第十一章 (p40〜p55)1947年5月30日から6月
Haze家に下宿することを決めたH.Hは日記をつけ始める(時間軸が明確になる)
証拠品第二号は黒い合皮の小さな日記帳であり、「5年前」に破壊されたと発現することjから1952年に手記を書いているH.Hはこの日記が少なくとも1年持たずに破棄されることを教えてくれる。
証拠品第一号はすでに第一章で、誤解した単純で高貴な翼をつけた燭天使たちがうらやんだ、つまりAnnabelの記憶を提出している。どちらも現物としては残っておらず、記憶によって描き出す。
日記帳はAnnabelの思い出が繰り返し思い出されたように、最初は鉛筆でたくさんの修正をしながら、二度目はin my smallest, most satanic, handで書き込んだため、記憶は正確であると主張する。
Nymphetの二重性(子供っぽさと野蛮さ)はH.Hを狂わせる。this mixture in my Lolita of tender dreamy childishness and a kind of eerie vulgarityという表現。
この薄気味悪い、というeerieという単語はAnnabelとの性交でH.Hが覚えたdreamy and eerie expression, half-pleasure, half-painを正確に反映する。
堂々とLoを食卓や窓から見ることを可能になったH.Hは「くだらない会話で」邪魔してくるHaze夫人(woman Haze)を罵倒しながらnymphetと交流を深める。
夫人が外出して二人きりになればこれまで経験したことがないくらい幸せだ、といいその夜にはNymphetとともにいることは実は初めてであり、これまで経験したことのないくらいのagonyを覚える。
自分は少女に好かれる、Loが好きな流行歌手や役者に似ている、といわれて有頂天になり、言葉遊びを繰り出し続ける。
私の悲しみに満ちて熱に浮かされた愛しい人、では意味が通じないがmy dolorous and hazy darlingはmy Dolores Hazeであり、何度も反復されるmy Lolitaの変形。翻訳はこういう面白さを切り捨てるしかないのがつらいところ。
その意味で読むと非常に楽しい章ではある。言葉は上滑りしているけれど、その楽しそうな言葉遊びで表面上の意味を超えた浮かれっぷりを表現してしまっている。

314:273
16/03/24 03:02:10.75 .net
第一部第十一章 (p40〜p55)
夢の中でpockmarked Eskimo 天然痘の痕のあるエスキモーが手斧でエメラルドの氷を砕こうとするイメージは美しいし、あぁ、カナダのエスキモーの少女にはあばたがあったからnymphetはいなかったのか、と小さな謎解きもある。
有名な50人のクラスメイトの名前はバラに関わる三人と、一人Irvingを除いてけなされる。
Irving, for whom I am sorry これがユダヤ人の姓であるIrvingへの親近性と憐憫をあらわしている、というのはH.Hに好感をもつ数少ない場面で、この読解は好きだ。
(実際ナボコフの妻と息子はユダヤ人であり、だから二度目の亡命をした)
ほかの少年少女への形容はher ripe pimples、blackheads、一見きれいな言葉のように見えて意味は「にきび面の」「黒いにきび」であり、このような描写は同級生に何度も繰り返される。
ここではまだいいものの気に入らなくなると更ににきびを罵倒するバリエーションが増える。(acneという言葉はLoに出来ない、と専用にするからほかの言葉で罵倒)
H.Hは少女に好かれる、といいながら自分の男らしさを誇るがなんとなく奥歯に物が挟まったかの表現で、だんだん野獣とかみだらとかが出てくる。
queer accent, and a cesspoolful of rotting monsters(ちょっと奇妙なところのある、汚泥に満ちた腐りつつある怪物)眉毛が男らしい、目つきは、というが頬や皮膚には言及しないH.H。
悲しみ:という言葉は頻出しているが、それはラテン語のdolorが悲しみや痛みだからで、例えばDelectatio morosa. I spend my doleful days in dumps and dolorsはd-d-d-dだけでなくドロレスの言葉遊び、悲しみに満ちた日々dolefulとか言っているが完全に浮かれている。

315:273
16/03/25 08:45:51.32 .net
第一部第十二章 (p55〜p57)
50人の中のクラスメイトAubrey McFate(アイルランド系の名前で運命の息子)がどうも運命の擬人化ではないかと思わせ始める章。
20日ほど、腹部インフルエンザのため学校が集団閉鎖になっている5月30日から経過しており、着実にLoへの接触を増やしている。
湖に行く約束が何度も前章(5月30日から6月20日頃)でされるが、雨だったり、LoがHaze夫人と喧嘩をしたり、でなかなか実現しない。H.Hは三人で湖に行ったとき、忘れ物をしたふりをしてLoと二人きりになる計画を妄想している。
悪意ある運命は、Haze夫人がもう一人Loの友人Mary Rose Hamiltonを連れて行くことを黙っていた、とH.Hが憤るが、このバラの名前を持ち、a dark little beauty in her own rightと描写されnymphet扱いを受ける少女にすれば逆恨みもいいところ。
しかし邪魔者であるはずなのに、この少女は繰り返し高評価を与えられる点でSybilを思わせる。その逆であるのがHaze夫人(ここまで名前すら呼ばれていない)と独身女性であるFahlen女史。
Haze夫人はラムズデイルに来る前にPiskyで一緒だった彼女を呼び、Loの監督役として、自分は仕事に出ることを検討していた。(H.HはおそらくNYに来た直後に「職業婦人」に何らかの形で苦しめられ、精神発作を起こしている)
Loの生まれ故郷の中西部Piskyはpixie(妖精)であるとともに蛾、という意味を持ち、Fahlenという姓もフランス語で蛾を示す。蛾はValeriaとの結婚生活が壊れ始めるときにもmoth holeと描写されていた。
(H.Hは蛾と蝶の区別もつかない、とナボコフが発言していることには注意を要するが、もちろんナボコフは区別をする。とりあえず蛾:mothを追っていく)
この明確な邪魔者(Loは1944年夏に彼女に厳しくしつけられたことを思い出すたびにかんしゃくを起こす)はH.Hがラムズデイルに到着したその日に腰骨を骨折し、Haze夫人の計画が狂う。
これまで妄想や眼の中でnymphetを楽しんできたH.Hはその鉤爪やknucleを伸ばしたことはなかったが、Loの眼球をなめたり、ジーンズに手を書けたり、すこしずつ、時に性急に身体的接触を行っていく。
それを助けるのは火事や学級閉鎖を起こす“腹部インフルエンザ“であり、「転倒による骨折」であり、交通事故によるHaze夫人の死というnegativeな病気や事故、不幸である。

316:273
16/03/26 02:28:39.64 .net
第一部第十三章 (p57〜p62)
Mary Roseが熱を出した、という連絡で湖行きは中止になり、また親子の喧嘩(Hot little Haze とbig cold Haze)。捨て台詞は「教会に行かない」「だったらどうぞ」
Haze夫人を見送り、よそ行きのLoを探すquestを開始するH.H。香水をつけ、絹のガウンを羽織る。
時間:6月の日曜日、場所:陽の射す居間、小道具:雑誌や蓄音機、メキシコの土産物
(メキシコはHaze夫妻の新婚旅行先で、家中にある土産物は故Hazeの思い出の品で、H.HはLoをもうけた故Hazeに感謝する)
教会用の靴は履いていない、日曜用のポーチは蓄音機のそば。長椅子の隣にLoが座って心臓がはね躍る。林檎をもてあそぶLo。H.Hが掠め取って、「差し出した」林檎に齧りつく(H.Hはむしろ齧られる林檎の気分)。
nymphetの特徴である、monkeyish nimblenessで雑誌を奪い取って、砂に半分埋まったミロのビーナスと写る画家の記事を見せてくるが触れているLoの膝や頬にそれどころでない。
ここでも歯が痛くなったと言い訳して、Loとの摩擦(friction)を楽しむ。(邪魔をする人Haze夫人は歯医者を紹介しようとし、その甥がC.Q)
ソファに座るH.Hの膝に無作法に足を投げ出すLoを惹きつけるために変形した流行歌を口ずさむ。「Carmen」はsomething, something, those something nights, and the stars, and the cars, and the bars, and the barmen。
H.Hは曖昧に口ずさみ、それを訂正していくLoのハミングを聞きながら、突然、完全な安全、合意の世界にいるような錯覚に陥る(安全な唯我論Lolita had been safely solipsized.)
(美しく、平凡でエデンの果実のように赤い)beautiful, banal, Eden-red appleの食べ終えた芯を放り投げるLoの動きにその肢が乗っているH.Hは刺激される。
どうにか絶えようという苦痛のなか、前日に出来たLoのあざをなでさすり、尻に押し付けてH.Hは達する。(barmen, alarmin’, my charmin’, my carmen, ahmen, ahahamen最後のほうは完全に歌詞に合わせてあえいでいる。)
昼食を三人でとろうというHaze夫人からの電話にLoが出ることで快楽は終わり、どうやら気づかれなかったというH.Hは鼻歌を(不正確に)再構成する。
その中に(男根の象徴)銃でカルメンを殺す(メリメでは刺殺)、とある。32口径で女の眼を打ち抜いた、とするがこれは故Haze氏の遺物として後に登場する。

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16/03/27 02:47:07.02 .net
第一部第十四章 (p62〜p64)
この章は言葉遊びが控えめ。
昼食を食べて先に家に帰り、朝の出来事を思い出す。家の中はまだLo-less(doleful:悲しみに満ちたLoだらけとの比較)
魔法使いは少女のかばんに蜂蜜と牛乳とシャンパンをかけて新しくするが、Loのかばんは何も汚されていない。彼が罪深く夢見ているのはLolitaよりもリアルな想像上のLolitaであり、現実のLoに危害を加えていないことを誇る。
六章で、ほとんど同じ言い回しで、自分がこれまで妄想上で「所有」してきたnymphetはその後どうなったのだろう?このcriss-cross cause and effectで影響は出ないのだろうか?ともっともらしく首をひねってみせるH.Hは16-7歳のMonicueを見て、解決してしまう。
精神的影響、精神分析的トラウマの影響に気づくのは第二部でのこと。
害を与えていないからLoが帰ってきて、Haze夫人が料理している間に件の長椅子で再びいたずらを仕掛けることを妄想する。
しかしLoはChatfield家と一緒に映画を見に行って帰ってこない。Haze夫人と二人での食事。Chatfieldが三週間キャンプに行くのに、Loも木曜から予定を早めてついていかせることにした、と告げられる。勉強熱心なH.Hを邪魔しないように学校が始まるまでそこにいると。
ショックを隠すために朝と同じく歯痛を装う。善良なHaze夫人は近所の歯科医Ivor Quilty
を紹介してくれようとする。秋にはLoを矯正してもらいますよ、と言うHaze夫人。実は同じQuiltyに抱擁される、という意味にも取れてしまう。そしてそのとおりのことが起こる。
言葉遊びがほとんどないのはこの急激な落ち込みを表しているかもしれない。

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16/03/28 02:24:35.81 .net
Lolitaに出てくるフランス語について
出版に際して、アメリカではフランス語を減らせないか、との出版社の要請に断固としてナボコフは断ったが、フランス語の言葉遊びやいい間違いなど、注釈もなかった原書を読んでも理解できた読者は少なかっただろう。
彼はアルファベットそれぞれに色を感じる共感覚者であったが、自分のフランス語を見るときにはbrimm:液体があふれ出すイメージを持っていた、という。
このbrimmという単語は小説中にたくさん散らばっていて、重要な役割を果たしている。
H.Hはフランス文学の研究をしていて、小説中に頻出する19世紀の小説・詩(Poe、Keats、Mérimée、Mellville、Ballzac、Verlaine, Byron, Keats, Baudelaire、Doyle、Proust)とは一線を画して16世紀のプレイヤード派フランス詩人が引用される。
中でもピエール・ド・ロンサール(Pierre de Ronsard, 1524年-1585年)の比重が高いが、彼の詩は引用するとどうなるだろう、といわれながら直接引用はされていない。
いくつか彼の詩を読んでいると、1576年に発表されたLe Amoursの冒頭.
Petite Nymphe folâtre,     Frolicsome little Nymph,
Nymphette que j'idolatre,   Nymphet I idolize,
Ma mignonne, dont les yeux my sweetheart in whose eyes
Logent mon pis et mon mieux: I see my best and my worst,
.ニンフェットという言葉はもともとフランスで作られ、その後フランス語からは消えてしまったのがH.H(ナボコフ)が英語に生まれ変わらせた、ということらしい。
何度か出てきたnymphetを形容するfrolic/frolicsomeという最上級の形容詞はここが出典なのだ、と思った。肯定的な形容詞と否定的な形容詞を重ねるH.Hの癖までこの時代の対概念の影響とは言い切れないが、やはり似ている。
フランス最初の文学集団で、ルターのドイツ語聖書と同じように、フランス語の公用語化を宣言した彼らのうちでもロンサールはきわめて衒学的で、同僚の注釈がないと同時代でも理解できない恋愛詩集を書いていた、らしい。
(「改革派詩人が見たフランス宗教戦争」高橋 薫 著から)


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