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80:吾輩は名無しである
12/07/13 03:10:37.47 .net
訳詩はあまり読まない。
たとえばランボーの有名な一節。
Ô saisons, ô châteaux,
Quelle âme est sans défauts ?
これを英語に訳すのが難しい。
SAISON(セゾン)は季節だから英語でもseason。
しかしchâteaux(シャトゥ)を英語に訳すのが大変。
castleだと軍事的な意味を伴ってしまう。
田舎の大きな家で何も軍事的な意味合いがないときの英語はmansion。
ところがフランスではmansionとcastleが交換可能であって、軍事的な意味合いがなくてもchâteauxと言う。
英語でさえもこんなに難しい。
さて、フランス語を日本語に訳すとなると、どの字引を引いてもSAISONは季節と訳すしかない。
そしてchâteauxは城だ。
小林秀雄の訳だと、
ああ 季節よ、城よ、
無疵なこころが何処にある。
となる。
中原中也の訳は実にうまい。
季節にルビをふって「とき」と読ませて、
季節が流れる、お城がみえる
となる。
小林秀雄のほうは直接的な訳だ。
だってランボーは「みえる」なんて言ってないんだから。
たった一行目で、こんな調子だからね。
翻訳した詩が面白くないと思うのは当たり前だ。
「季節」と訳してしまうと、日本では古今集の時代から春夏秋冬にしばられる。
「お城がみえる」と言ってしまうと、日本人は大阪城や姫路城ってことになる。
ところが、最初にも書いたが、châteauxと城は違う。
だから「季節が流れる、お城がみえる」となると季題の春夏秋冬と天守閣になってしまう。
これは、相当、ランボーから遠い。
もし原作が面白くても、日本語では原作の面白さが伝わってこない。
だから訳詩はあまり読まない。


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