ミラン・クンデラ at BOOK
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150:吾輩は名無しである
15/05/05 17:23:31.52 .net
クンニデラ、クンニデラ

151:吾輩は名無しである
15/06/01 21:31:27.38 .net
無意味の祝祭 ミラン・クンデラ著 人生の本質めぐる哲学的な笑劇
(作家 堀江 敏幸)
URLリンク(www.nikkei.com)
重さとの対比を拒む一つの現象としての、絶対的な軽み。
空気のように触知できないものではなく、たしかな手触りとしての軽みとでも評するべきか、
自然のなかで舞い落ちる鳥の羽根というより、いわば知性でつくられた羽毛布団の破れ目から飛び出して、
ふわふわと宙に舞っている和毛(にこげ)の感覚だ。
母国チェコを舞台とした前作『無知』から十数年の時を経てもたらされた『無意味の祝祭』は、
フランス語で直接書かれた四作目の小説である。
全体の緩い印象を裏切るような、七部からなる構造への目配りは相変わらずで、
語りは無意味という主題をめぐって、優雅で哲学的な笑劇、
もしくは遁走曲(とんそうきょく)のかたちで展開していく。

152:吾輩は名無しである
15/06/01 21:33:31.63 .net
六月の朝、パリのリュクサンブール公園で、ふたりの人物が出会う。
公園内の美術館で開かれているシャガール展を観(み)ようとして、
そのたびに長蛇の列に嫌気がさしている老ラモン。
彼の元同僚で、心配していた癌(がん)の疑いがなくなり、上機嫌でおなじ園内を歩いていたダルドロ。
ところがダルドロは、自分は癌なのだとラモンに「無意味」な嘘をついてしまう。
作者自身もわからないととぼけてみせるこの嘘から、人物と人物の影踏みのような流れがはじまる。
ラモンがダルドロに斡旋(あっせん)したパーティ、つまり祝祭の差配業者シャルルの家に置かれていた
フルシチョフの回想録の、「二十四羽のヤマウズラ」を語るスターリンの逸話が遁走の手助けをする。
権力者の嘘を嘘と指摘できないこと。
あるいは、冗談を冗談と認識できないこと。
独裁体制におけるユーモアの欠如は、軽薄ではない知性を奪い去るのだ。
宴のあと、ラモンはダルドロに、「無意味とは人生の本質なんだよ」と諭す。
「残虐行為、血腥(なまぐさ)い戦闘、最悪の不幸といった、だれもそれを見たくないところにさえも無意味は存在する」。
無意味は無気力や無責任とはちがう。
過剰な意味を過剰と認識しないまま押しつけて悦に入っている者の愚を、
やさしく、戦闘的にではなく暴き立てる、真の知性の武器である。
かつてクンデラは、小説論とも言える『カーテン』のなかで、
入念なストーリー展開に対する義務感の蔓延(まんえん)を独裁政治下の空気に重ねていた。
ストーリーは小説を窒息させる。
意味を持たせないことで意味を悟らせなければならないのだ。
登場人物を愛し、人生を愛し、スターリンを笑う力がそこから生まれる。
これはなにも小説だけの話ではない。いまの私たちに最も有益な助言のひとつであろう。

153:吾輩は名無しである
15/06/07 12:41:12.62 .net
岩波の「冗談」読んだら、本当に西欧的にすっきりしてしまっていて
昔の印象とだいぶ違った。こんなはっきりした話だったっけ? 元の味が消えた感じもあり、
みすず版を読み直してみようと逆に思った。
自分の記憶も「生は彼方に」あたりについてのそれと混ざってる気もするし

154:吾輩は名無しである
15/06/11 20:03:51.84 .net
スターリンとカリーニングラードの話しか頭に残らんかったな

155:吾輩は名無しである
15/07/12 10:47:54.64 .net
>>153
若い頃の作品に手を加えると、スマートにはなるが、ごつごつした荒削りの魅力が消えてしまう。
作家本人であっても。時間を経た作品に手を突っ込むべきではないと思う。

156:吾輩は名無しである
15/08/09 20:41:33.00 .net
ナボコフとクンデラが岩波文庫にともに入る時代になったか。

157:吾輩は名無しである
15/08/09 20:46:53.13 .net
笑えるのがクンデラのいいところ

158:吾輩は名無しである
15/08/18 22:25:02.08 .net
>>155 153 132 その他
URLリンク(www.lecture-ecriture.com)
原文のチェコ語に手を加えた訳じゃないよ。
最初の仏語版の訳者が原文の文体を無視して勝手なことをしていたのに
(仏語が上達した)作者が気付いて、原文に忠実に直しただけだよ。
そのことは新訳のあとがきに作者が書いている。
日本語訳(読んでないけど)が原文にどれだけ忠実か、怪しいよね。
別の小説で、女のデルタの何とかいう迷訳の例もあるし。

159:吾輩は名無しである
15/08/19 13:54:26.88 .net
>>158
「新訳のあとがきに作者が書いてる」っていうのは
岩波版の訳者解説部分の内容のことだと思うけど、だとしたら
525ページをよく読んでみよう

160:吾輩は名無しである
15/08/19 14:43:53.45 .net
新訳者のあとがきによると、チェコ特有の事情を書いた部分や冗長な章が削られているとある。
そういう部分は削らずに残した方が良かったと思う。作品は読んだ読者のものでもあるから。

161:158
15/08/19 23:08:37.03 .net
・・・いや、85年訳のガリマールのfolio版のつもりだったのだけど

162:吾輩は名無しである
15/08/19 23:28:02.28 .net
>>161
紛らわしいね。ここで論じているのは岩波文庫の訳とみすず書房の訳との異同だ。
フランス語版もいくつかヴァリアントがあるようだが、それはこのスレでは意味がない。
あくまで邦訳が問題なのだ。

163:吾輩は名無しである
15/08/19 23:47:09.03 .net
原文に忠実に直しただけ(改作してはいない)とたとえ本人が言ったとしても、
フランス語で整理した結果、かなり削られている内容があるなら読む側には
改作と同じこと

164:吾輩は名無しである
15/08/20 19:00:09.32 .net
英訳でも同じような問題があるみたいだね。
URLリンク(en.wikipedia.org)
一切の改変(訳者のも作者のも)の可能性がいやだったら、チェコ語を勉強するしか
ないですな。原文は67年以来変わってないから。

165:吾輩は名無しである
15/08/20 19:03:40.82 .net
そんな極端な話をしていたように勝手に改変するなよw

166:吾輩は名無しである
15/08/20 19:06:26.75 .net
お前の言ってることちょっと的外れなんじゃないの、と言われたのを
改作は絶対に許せないと相手が言っているかのように語ってずらす
めんどくさい奴

167:吾輩は名無しである
15/08/20 19:55:09.37 .net
>>164
今や古本しかないが、みすず版を手に入れれば、チェコ語版からの邦訳を読める。
ただ、みすず版も70年に出た初版とそれを全面改訳した92年版(2002年版はカバーが変わっただけ)がある。

168:吾輩は名無しである
15/08/22 15:57:44.24 .net
>>167
ありがとう。

169:吾輩は名無しである
16/04/16 10:54:21.60 .net
人気ないのかな?

170:吾輩は名無しである
16/05/13 01:34:12.80 .net
ミラン・クンデラ 『小説の技法』 西永良成訳 岩波文庫 5月18日刊 842円
セルバンテス、カフカ、プルーストなど、誰もが知っている名著名作の作者たちと
その作品に言及しながら、「小説とは何か」 「小説はどうあるべきか」 を論じる
クンデラ独自の小説論。2011年刊行の改訂版を底本とした新訳決定版。


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