三島由紀夫の文って読みづらくないか? at BOOK
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300:吾輩は名無しである
10/12/18 15:40:57 .net
本当に、醜いやつだな。その性質。

301:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/18 16:29:03 .net
おいチワワ、三島を他の作家と分離するが、三島がそれらの作家と同じ時代の空気を吸っていたし、それらの作家を呼んで影響を受けていることを一切考慮しない、三島中心的考え方はよせ。
だから俺はお前には何度も本を読め、といっているだろうが。他の本をだ。

302:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/18 16:34:21 .net
三島文学の面白さというが、それに疑念が投げかけられているのだからさっさと答えろ。
三島はお前の共依存の相手ではない。お前のやっていることはひたすら三島をつまらなくさせることにしか過ぎない。

303:吾輩は名無しである
10/12/18 17:59:17 .net
>>302
面白くなきゃ読まなきゃいいだけ。
谷崎が面白く感じる人が、三島を面白く感じなくても別に不思議なことじゃないし。
私は谷崎と三島は本質的に、全く違うタイプの作家だと思ってますから。

304:吾輩は名無しである
10/12/18 18:30:42 .net
当時友達になったグループの生徒で、日本浪漫派的の国文学雑誌を出していた。それで国文学が好きに
なっちゃって、一種の流行ですが平安朝の日記類、お能、浄瑠璃など手当り次第に読んだ。そうやって
いるうちにどうしたかげんか今度は鴎外が好きになった。というのはその国文学の或るものがくにゃく
にゃした文体で書かれており、それに飽きがきて明確なものがほしくなって、それがラディゲに還るわ
けにいかず鴎外に還った。そして今に至るまで鴎外の文学が好きなんです。

三島由紀夫全集39巻から引用

305:吾輩は名無しである
10/12/18 18:59:22 .net
>>303
> 私は谷崎と三島は本質的に、全く違うタイプの作家だと思ってますから。

本質的も何も実に当り前(笑)
三島は芸術家としての資質が到底谷崎に及ばないことを真率に語っていますよ。
三島は、谷崎越しに捉えなければ現代の読み手として致命的とさえいえるでしょうね。
気持を洗って、『異端者の悲しみ』からでも読んでみましょう。
谷崎を読み込まなければ、三島については一言も語る資格はない。
逆に谷崎を面白く感じる人なら、三島を、欠落を含めて限定された正確さで読みこなすでしょう


306:吾輩は名無しである
10/12/18 19:21:33 .net
>>305
谷崎に及ぶも何も、本質的に全く違うから別に谷崎を目指してなんかいないからね。尊敬するのとそれは別のことだから。
あんたこそ、間違った先入観だけであれこれ言ってないで、三島を自分自身でちゃんと読みなよ。
基本的に谷崎文学と三島文学はほとんど関係ありませんから。

307:吾輩は名無しである
10/12/18 19:31:22 .net
>>305
谷崎文学と三島を一緒に論じたがること自体が、とんちんかんな日本通の外国人みたいな上っ面バカでしょ。
二人は全然目指してるものが違いますから。勘違い残念でしたね。

308:吾輩は名無しである
10/12/18 19:31:25 .net
俺は村上龍の方が凄いと思う

309:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/18 20:02:25 .net
チワワはやっぱり馬鹿だな。三島と谷崎が違うのは当たり前だろうが。>>305はまともなことを言っている。
お前の言い草は海外で三島は認められている、じゃなかったのか。そういう基本的なことが読めない外国人の三島評価なんぞたいしたものではないだろう。語るに落ちたなw

310:吾輩は名無しである
10/12/18 20:13:27 .net
>>307
> 基本的に谷崎文学と三島文学はほとんど関係ありませんから。

どうやら三島について「本質的に」何も語る資格のない人のようですね。
三島が最も崇敬したであろう谷崎という先人の轍を注意深く見据えたことは
谷崎論を引用するまでもないのです。
鴎外は三島にとって都合の良いテキストだったでしょう。
しかし谷崎は異います、三島にとって謂わば透明でない、古典そのものの体現者でした。
弱い犬ほどよく吠えるといいますが
おそらく貴方は『浜松中納言物語』をしらずに三島の遺作を語るひとなのでしょう。
愚かというほかはありませんが、それは谷崎が讃えた愚かさと全く異質なものです。

311:(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ
10/12/18 20:45:52 .net
305
藁貸し増すねぇ〜(笑)穴多は総統に谷崎ファンと逝った漢字で症がねぇ〜(笑)底で谷崎の再来と称された作品を穴多にご紹介死増すよ〜(笑)
URLリンク(ana.vis.ne.jp)
文豪佐原先生のその乾燥に曰く(笑)
>女へのめり込むことの危険さを執拗に書いている印象をもった。男は常に童貞マインドを忘れてはならぬという、世の男性すべてへの警鐘であったのだろう。女は魔物である。
とのこと〜(笑)凝れこそ魔差に谷崎文学の真髄(笑)これを『かな抄』と死て(笑)谷崎の尻作(ケツサク)『春琴抄』と読み比べるとこの作品の文学性が寄り味わえることで症ねぇ〜(笑)

312:吾輩は名無しである
10/12/18 21:07:35 .net
>>310
三島が最も崇敬したのは谷崎じゃないから。
もちろん三島は谷崎文学は大好きでその文芸評論も書いてますけど、別に最も崇敬してた人物でも作品でもないしね。
片や批判的なことも書いてますから。無知お疲れでした。

313:吾輩は名無しである
10/12/18 22:29:51 .net
>>311
うるせえ
◆m0yPyqc5MQのニート鈴木が

URLリンク(www.youtube.com)

314:吾輩は名無しである
10/12/18 22:33:14 .net
鈴木雄治www
URLリンク(www.youtube.com)

しね



315:吾輩は名無しである
10/12/18 22:38:15 .net
>>312
ほう。あれが本当に谷崎批判だと思っているのですか?


316:親衛A ◆m0yPyqc5MQ
10/12/18 22:44:12 .net
>>313
強姦国民の血を引く穢れた倭は自殺した方がいいんじゃない?
強姦国民の血を引く穢れた倭は自殺した方がいいんじゃない?
強姦国民の血を引く穢れた倭は自殺した方がいいんじゃない?

強姦国民の血を引く穢れた倭は自殺した方がいいんじゃない?
強姦国民の血を引く穢れた倭は自殺した方がいいんじゃない?
強姦国民の血を引く穢れた倭は自殺した方がいいんじゃない?

強姦国民の血を引く穢れた倭は自殺した方がいいんじゃない?
強姦国民の血を引く穢れた倭は自殺した方がいいんじゃない?
強姦国民の血を引く穢れた倭は自殺した方がいいんじゃない?

317:親衛B ◆m0yPyqc5MQ
10/12/18 22:46:38 .net
>>314
他人に迷惑をかける劣った理性のゴキブリ都民は自害すべきである。
他人に迷惑をかける劣った理性のゴキブリ都民は自害すべきである。
他人に迷惑をかける劣った理性のゴキブリ都民は自害すべきである。

他人に迷惑をかける劣った理性のゴキブリ都民は自害すべきである。
他人に迷惑をかける劣った理性のゴキブリ都民は自害すべきである。
他人に迷惑をかける劣った理性のゴキブリ都民は自害すべきである。

他人に迷惑をかける劣った理性のゴキブリ都民は自害すべきである。
他人に迷惑をかける劣った理性のゴキブリ都民は自害すべきである。
他人に迷惑をかける劣った理性のゴキブリ都民は自害すべきである。

318:吾輩は名無しである
10/12/18 22:53:48 .net
◆m0yPyqc5MQ www

319:オフィーリア ◆m0yPyqc5MQ
10/12/18 22:58:13 .net
>>318 名前欄に #+ とかくのよ。これであなたも、きっと助かることでしょう。

わたしは先をいそがねば。もう日がくれてしまう。この世界の日が・・・あの人の影が。

320:おまんこ ◆IHLbs/YhoA
10/12/18 23:02:17 .net
へえ

321:クンニ ◆IHLbs/YhoA
10/12/18 23:03:40 .net
ワオ

322:吾輩は名無しである
10/12/18 23:56:09 .net
「古典的な日本文学と現代的な西洋文学の融合に最高の水準で成功した作家」
「主題は限定されているように見えるが、その核心には常に理想主義者の批評的感覚がある。その美の世界に顕著に現れる、人間の本質への洞察の鋭さは驚きをもたらす。繊細だが輝かしく、はかないが重みのある、芸術と呼ばれる仕事を続けてきた」
三島の谷崎推薦文(訳)

323:吾輩は名無しである
10/12/19 00:14:03 .net
>>315
「あれが」だって。知りもしないくせに(笑)

324:吾輩は名無しである
10/12/19 00:25:43 .net
>>322
それは自身の、三島文学のことを言ってるんだよ。ほとんど三島自身の理想像を、半分お世辞で谷崎を賞賛してるだけの話。

325:吾輩は名無しである
10/12/19 01:02:13 .net
>>323
だから、引用魔のあなたが躊躇うほど些細な文言なのですよ(笑)
他者批評が出来ないとかね、その裏には谷崎称賛があります。老いに対する意見にしても。
三島が谷崎を一辺倒に批判した、そのような資料はどこにもありません。
生噛りの稚拙な知識をもとに思わせぶりの嘘を書いてはいけません(笑)

326:吾輩は名無しである
10/12/19 01:04:06 .net
>>324
そうそう。その意味で引用しました。よくいわれる傾向です(笑)

327:吾輩は名無しである
10/12/19 01:09:33 .net
私にいわせると三島の賞賛文の最高作は「永遠の旅人」であり
他のは全部取って付けたような曖昧で読みにくい批評文である(笑)

328:吾輩は名無しである
10/12/19 01:20:34 .net
この間川端さんが、睡眠薬の服用を急激にやめられたことから、禁断症状の発作を起され、東大病院に御入院中で、面会謝絶と知りつゝ、強引に押し込んで御見舞をしましたところ、もう相当御元気で一安心しました。
「睡眠薬遊び」はもうお懲りになつたでせう、と諫言しましたら、苦虫を噛みつぶしておいででした。

三島由紀夫
昭和37年2月27日、中村光夫への書簡より

329:吾輩は名無しである
10/12/19 01:26:12 .net
…氏のエロティシズムは、氏自身の官能の発露といふよりは、官能の本体つまり生命に対する、
永遠に論理的帰結を辿らぬ、不断の接触、あるひは接触の試みと云つたはうが近い。
それが真の意味のエロティシズムなのは、対象すなはち生命が、永遠に触れられないといふ
メカニズムにあり、氏が好んで処女を描くのは、処女にとどまる限り永遠に不可触であるが、
犯されたときはすでに処女ではない、といふ処女独特のメカニズムに対する興味だと思はれる。
…しかし乱暴な要約を試みるなら、氏が生命を官能的なものとして讃仰する仕方には、
それと反対の極の知的なものに対する身の背け方と、一対をなすものがあるやうに思はれる。
生命は讃仰されるが、接触したが最後、破壊的に働らくのである。そして一本の絹糸、
一羽の蝶のやうな芸術作品は、知性と官能との、いづれにも破壊されることなしに、
太陽をうける月のやうに、ただその幸福な光りを浴びつつ、成立してゐるのである。

三島由紀夫「永遠の旅人―川端康成氏の人と作品」より

330:吾輩は名無しである
10/12/19 11:34:35 .net
>>325
私が意味したのはそんな批判じゃないよ。もっと根本的な谷崎に対する違和感を表明してますから。
あんたは半可通だから知らないようだけど。

331:吾輩は名無しである
10/12/19 11:36:38 .net
>>327
三島の批評文に曖昧なものなんかありませんけどね。あんたの脳味噌が感知できないから曖昧に見えるだけのこと。

332:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/19 12:42:06 .net
おいチワワ。引用をしまくるお前が貼ってこないのはおかしいではないかw

333:吾輩は名無しである
10/12/19 18:21:57 .net
だから根本的な谷崎に対する違和感の裏を検証する能力なんかあんたにないでしょ
嘘つきチワワがw

334:吾輩は名無しである
10/12/19 18:51:53 .net
チワワは字面しかよめないのよw

335:吾輩は名無しである
10/12/19 18:57:52 .net
それを言っちゃあ〜獅子舞よ

336:吾輩は名無しである
10/12/19 18:58:46 .net
www

337:吾輩は名無しである
10/12/19 19:05:31 .net
>>333
三島文学読めば、谷崎文学のタイプとは全然違うのは明らかでしょう。
そんなことも見えないあんたがバカなんだよ。
三島自身も自分を太宰治や横光利一のタイプと同じだと自己分析してますからね。

338:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/19 20:01:26 .net
三島と太宰と横光は全然違うだろう。図太さがなく、若死にするのは共通しているが。
それを言ったら金井の発言も一理ある、ということになってしまうが。自分から墓穴を掘るのがチワワなんだよなw

339:吾輩は名無しである
10/12/19 20:14:21 .net
三島自身が自身の本質が太宰、横光などと同類と分析してるんだからしょうがないでしょうが。
谷崎や川端のような軟派文学のタイプと、三島を含めた上記のタイプは違いが直感的にわからなきゃ、
いくら沢山読書をしても無駄だよ。

340:吾輩は名無しである
10/12/19 20:25:08 .net
いいから早く谷崎の引用してみチワワ

341:吾輩は名無しである
10/12/19 21:56:16 .net
はやくしろや 寝るぞぉ〜クラッw

342:吾輩は名無しである
10/12/19 22:00:01 .net
チワちゃんオシッコして寝なよ
ばいばいwww

343:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/19 22:15:59 .net
>>339
川端、谷崎が軟派? まあいい。
もう必死だな。チワワは太宰も横光も代表作を読んだ程度なんだろう。

344:吾輩は名無しである
10/12/19 22:59:39 .net
マグナが金井を評価してたとは意外
あんなのマルケンと並ぶ糞物書きじゃん

345:吾輩は名無しである
10/12/19 23:26:30 .net
>>343
川端、谷崎は軟派でしょ。どこにも硬派の要素なんかないでしょうが。

太宰や横光、三島は本質的には硬派の人間性の作家。全然別物。
ただ読書量の多いだけの節穴にはわからないでしょうよ。

346:吾輩は名無しである
10/12/20 00:08:53 .net
金井とマルケンでビーフしてほしいよね。

347:吾輩は名無しである
10/12/20 00:20:27 .net
…まあな、俺以外のがナニを読もうが無駄だとは思ってるけども(笑

348:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/20 01:03:18 .net
>>345
おいおい、それなら江戸川乱歩や夢野久作は人間的に硬派だが、作品は軟派だろう。
くだらん。作家の人間性と作品は関係があるだろう。だがそれは必ずしも確かとはいえない。

349:吾輩は名無しである
10/12/20 01:05:58 .net
正宗白鳥は良いぞ。文章が実に雑だからなw

350:吾輩は名無しである
10/12/20 09:59:01 .net
>>348
江戸川は軟派でしょ。彼が、社会的事件や政治的なものに興味を抱いてるタイプとは思えないし。

351:吾輩は名無しである
10/12/20 10:01:49 .net
ちなみに志賀直哉も軟派。

352:吾輩は名無しである
10/12/20 10:46:58 .net
そういや、マグナは乱歩の黒歴史小説『大いなる夢』読んだことある?

353:(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ
10/12/20 15:01:18 .net
で、谷崎を嫁ねば三島は嫁ぬ、と逝った(笑)霊の阿呆(笑) はどこに逝ったので消化ねぇ〜(笑)間抜けマグ名では拉致は飽き増せん殻ねぇ〜(笑)

354:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/20 17:02:59 .net
>>350
チワワにとって軟派か硬派というのは政治的なものや社会的事件に関心があるかどうかで決まるのか。こりゃどうしようもないな。

355:マグナ ◆i.K3ZM.pZo
10/12/20 17:12:38 .net
>>352
ふむ。読んでいないな。乱歩はパノラマ島奇譚、孤島の鬼、少年探偵団、屋根裏の散歩者、人間椅子をはじめとした短篇を少しぐらいだ。それでもチワワよりは読んでいるがなw面白いのか?

356:吾輩は名無しである
10/12/20 17:14:21 .net
>>354
どうしようもねぇ糞コテはおみゃあずらあ

357:吾輩は名無しである
10/12/20 19:19:39 .net
>>355
いや、博士の新兵器がアメリカ本土を襲撃して日本が勝利するという、
どうしようもない戦意昂揚小説なんだw タイトルと新兵器の着想は
素晴らしかったのに、世におもねるとつまらなくなるのかな。あまり
あの作品の評論って無い気がしたから、マグナに語ってほしかったんだがw

358:吾輩は名無しである
10/12/28 01:22:10 .net
ナルシスト

359:吾輩は名無しである
10/12/29 14:14:51 .net
むしろ語彙は豊富だが読みやすいというのが三島の特徴だといわれ続けてなかったか
その逆は大江

360:吾輩は名無しである
10/12/30 00:06:54 .net
主語述語など構文は理解しやすいが、単語の使い方が独特だったり、
(「精神」とか)美文的なのと本音的なのが交錯するときがある気がする。

361:吾輩は名無しである
10/12/31 13:20:40 .net
川端康成が軟派って言う人が、本を読んでるとは思えない。
生きながら死人になったような人にそれは無いよー。
コロコロコミックでも読んで、自分、忘れようね。

362:吾輩は名無しである
10/12/31 13:24:11 .net
ココロクッテミロ

363:吾輩は名無しである
11/01/01 10:32:34 .net
川端康成=少女漫画説。昔「花のワルツ」を読んで笑ってしまった。読後の爽快感のなさも似ている(笑)。

364:吾輩は名無しである
11/01/01 23:20:09 .net
川端康成を語るのにわざわざエロティシズム(バタイユ)を持ち出す人が、本を読んでるとは思えない。
少女漫画説で充分です(笑)。

365:吾輩は名無しである
11/02/25 12:21:28.08 .net
三島でも読んでいろと。

366:吾輩は名無しである
11/02/25 16:46:19.31 .net
三島の文章はレトリックを多用している。異論があるかもしれんが、
フランス文学なんかに近いものがある気がする。

367:吾輩は名無しである
11/06/05 12:48:31.83 .net
よく小学校などで、
「あの子、イヤな子だよ。すぐ先生にいひつけるんだから」
などと一人がいふと、忽ち噂が伝播して、「あの子」はクラスぢゆうから爪はじきにされる。
かういふのは原始的な集団ほど甚だしいので、村八分なんていふのは、東京のまんなかでは行はれない。しかし
実際のところ、小さな集団の中では村八分はいつもあつて、丸ノ内の近代的なオフィスの内部にだつて、
一寸した悪い噂から生じた村八分の雛型は、いくらも見られる。
この間ある週刊誌の編集長と話してゐて、スキャンダルといふやつは、どのくらゐ迄、宣伝に役立ち、どのくらゐの
度を過ぎると、本人にとつて致命的になるか、といふ問題をいろいろ考へた。長嶋選手の女の問題などは、
明らかに前者に止まり、衆樹選手の悪評判は、悲しいかな後者に接近してゐる、といふのが編集長の意見だつたが、
これも編集長の主観的意見にすぎず、そこのところの境界は、時と場所によつて、又当人の人柄によつて
まちまちであつて、結局はつきりした客観的な目安はつかないといふ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

368:吾輩は名無しである
11/06/05 12:49:31.35 .net
(中略)
さて、スキャンダルの本質は、社会的人気者や、社会で紳士淑女とみとめられてゐた人が、思ひがけなく露出する
馬脚にあるので、はじめから悪人ならスキャンダルにならない。前科七犯の強盗が、十人や二十人の女を
だましたところで、スキャンダルとはいへない。ニュース・ヴァリューとスキャンダルとは同一ではないのである。
スキャンダルの特長は、その悪い噂一つのおかげで、当人の全部をひつくるめて悪者にしてしまふことである。
スキャンダルは、「あいつはかういふ欠点もあるが、かういふ美点もある」といふ形では、決して伝播しない。
「あいつは女たらしだ」「あいつは裏切者だ」―これで全部がおほはれてしまふ。当人は否応なしに、
「女たらし」や「裏切者」の権化になる。一度スキャンダルが伝播したが最後、世間では、「彼は女たらしではあるが、
几帳面な性格で、友達からの借金は必ず期日に返済した」とか、「彼は裏切者だが、親孝行であつた」とか、
さういふ折衷的な判断には、見向きもしなくなつてしまふのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

369:吾輩は名無しである
11/06/05 12:50:03.48 .net
―さて、スキャンダルは、人間ばかりでなく、食品にも起る。かつての原子マグロ事件以来の、最大の
食品スキャンダルが、このハウレンサウ事件であつた。
さつき、村八分は原始的な集団のなかで甚だしいと言つたが、マス・コミといふものが、近代的な大都会でも、
十分、村八分を成立させるやうになつた。ハウレンサウはその哀れな犠牲者だつたのである。そしてハウレンサウは、
スキャンダルのあらゆる条件をそなへてゐた。
第一に、ハウレンサウは、これまで社会に有益な役割をしてゐると考へられ、紳士的な野菜と見なされてゐた。
彼ははじめからナラズ者や、殺人犯人だつたのではなかつた。はじめから青酸加里だの、ネコイラズだつたのでは
なくて、善良な食品だつたのである。おまけに、彼には隠れた善行の噂があり、しかもその善行は誇張して
伝へられてゐた。それがすなはち、有名なポパイの漫画である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

370:吾輩は名無しである
11/06/05 12:50:34.55 .net
誰も彼も、ハウレンサウ氏を信用してゐた。ハウレンサウ氏は、わづかな費用で、冬のさなかにも家庭を気易く
訪問し、みんなに愛されてゐた。その紳士が、実は、こつそりと、少量づつの毒物を家庭へ運び入れてゐたといふ
スキャンダルが出て、みんなびつくりしたのである。
昨年十月末から十一月はじめにかけて、一流新聞が一面全部の大記事を出したのは読者もよくご記憶であらう。
「ハウレンサウで大騒ぎ。
喰べすぎると“結石”に。
有害なシウ酸が含まれる」
(中略)
それ以来、ハウレンサウ氏は、善人の仮面をかぶつた陰険な悪人の代表にされてしまつた。(中略)
世間では急にハウレンサウを喰べなくなつた。それを私は、へんなこだはり方だと思ふのである。なるほど
結石が出来るのは不快にちがひないが、結石は死亡原因のランクに入つてゐるやうな病気ではない。キャラメル
自動販売機みたいに、上の穴からハウレン草を入れると、下の穴からコロリと結石がころがり出す、といふやうな
ものではない。もし病気や死の原因になることなら、われわれはもつといろいろ不養生を他にいつぱい重ねてゐる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

371:吾輩は名無しである
11/06/05 12:51:12.20 .net
(中略)
日本で放射能雨の被害が喧伝されてゐたとき、銀座に出てゐて、俄か雨でもあると、いい若者が、あわてて頭に
新聞やビニールふろしきをかぶつて駈けた。
そのころニューヨークへ行つた私は、雨が降つてゐても、平然と濡れて歩く人々におどろいた。ところが
ニューヨークでは、タバコが肺癌の原因になるといふ説が有力で、ふつうのタバコを吸つてゐる人はほとんどなく、
パーティーなどへ行くと、十人のうち八人までが、吸口のついた、ニコチン止めの、まるで味のないタバコを
吸つてゐた。私にはあんな味なしタバコは我慢できないので、平気でラッキー・ストライクなんか吸つてゐると、
みんな私の勇気におどろいた。
かういふふうに、人間の恐怖心は、万遍なくすべてに及ぶわけには行かない。もしさうなつたら、恐怖のあまり、
みんな発狂してしまふだらう。だから、大しておそろしくない一つの恐怖に集中して、ほかの恐怖をみんな忘れて
しまふ傾きがある。
ハウレンサウを怖がつてゐる人は、少くともその間だけ、原水爆の恐怖を忘れてゐられるのであらう。その点では
ハウレンサウは、やつぱり有益な食品といふべきなのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より

372: 忍法帖【Lv=4,xxxP】
11/06/12 15:36:47.17 .net
test

373:吾輩は名無しである
11/07/01 11:34:59.55 .net
大学といふものが、看板どほり、真理探究の象牙の塔であるなら、よほどの変り者しか大学へ行きたがらぬ筈だが、
実際は就職と出世の必要な段階と考へられてをり、又今のところ世間の大体の仕組もさうなつてゐる。
さて、出世とは何かといふのに、私は京都の坊さんからこんな話をきいた。
江戸時代には名僧知識が多かつた。それは一般の平民にとつては、出世をする道とては坊さんになるほかなかつたので、
幾多の秀才が、仏門に入つたわけだが、明治時代になると、誰でも大臣宰相になれる世の中になつたので、
坊さんに秀才が出にくくなつたといふのである。
(中略)
明治以後、日本はうんと近代化し、うんと民主主義化したわけだが、同時に職能的社会の特色と誇りを失くして
しまつた。誰も彼も腕に何かの技能をつけるのを面倒がつて、ホワイト・カラーのサラリーマンになりたがる。
サラリーマンといふのは、技術者を除いて、腕に何の技能も持たない事務屋の集まりで、本当のことを言へば、
「誰でもつとまる商売」なのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より

374:吾輩は名無しである
11/07/01 11:35:28.59 .net
さうなると、学校の成績や出身校ぐらゐで人間の優劣を決めなければ、決めやうがない。もしこれが桶屋の試験なら、
桶を作らせてみて巧ければ、学歴もヘチマもないわけだが、目に見えない能力をためすには、学校以外に判断の
基準がない。そこで、いはゆる「いい大学」へ入つて「いい成績」をとるために、親も本人も狂奔するといふわけだ。
(中略)
しかし世間の親の九分九厘は親馬鹿で、親バカといふときこえがよいが、その実、子供はそつちのけで、親としての
エゴイズムと虚栄心にとらはれてゐる。有名校を何度も受けさせて、たうとう落第を重ねた子供がノイローゼになつて
自殺したなどといふのがこの手合で、こんなことなら、裏口入学に秘術を尽くし、ありたけの金とお世辞笑ひを
使つて、低脳息子を有名校へ入れる親のはうが、よつぽど立派である。よつぽどヒューマニスティックである。
ヒューマニズムとは、命をかける代りに金を使ふといふ精神だからだ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より

375:吾輩は名無しである
11/07/01 11:35:58.48 .net
資本主義社会では、金持のはうがトクに決つてゐる。金を持つてゐない親の子に生れれば、自分で自分の能力を
切りひらいて、社会の上層部へのし上るしかない。社会の生存競争の何十年にわたる激闘に比べれば、試験勉強なんぞ、
屁のカッパである。
子供に、こんな苛烈な生存競争を味はせるのは可哀想だ、などといふのは文明人の感傷であつて、未開人の社会の
成人儀式の苛烈さはものすごい。先頃シネラマで、高い高い櫓の天辺から藤蔓で体を巻いて飛び下りる成人式を
見た親は、これと試験地獄とどつちがましか考へてみるがいい。
社会には危険な株なら、いくらでもころがつてゐて安く買へる。安全で将来性のある株にばかり集中するから、
その株が高くなる。試験地獄もこの法則と同じで、子供のために安全で将来性のある株を買はうとするから、
子供も苦しむのである。しかし或る意味では、さういふ株を狙ふ代価として、多少の苦しみは仕方があるまい、
といふほかはない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より

376:吾輩は名無しである
11/07/01 11:36:47.04 .net
世間には、変り者の親もゐて、子供のためにわざわざ危険な株を買ふ親がゐる。子供を天才画家や、天才
ヴァイオリニストや、第二の美空ひばりに仕立てようといふ親である。かういふ親に比べれば、試験地獄に子供を
かり立てる平凡尋常な親のはうが、よほど子供にとつて仕合せである。
私は永い目で見ると、試験地獄も緩和されるのではないかといふ楽観的意見を持つてゐる。(中略)
何世代かを経て、親がみんな高等教育を受けてゐるやうな世の中になれば、「子供に自分より高い教育を
受けさせたい」といふ夢もなくなるし、同時に、学士様も一向チヤホヤされなくなり、子供に同じ好い目を見せて
やらうといふ夢もなくなる。社会全体の幻滅がもつとひどくなれば、試験地獄も緩和され、再び職能制社会の
理想的な形ができてくるかもしれないのである。すでにその兆候は見えて来てをり、子供は正直なもので、
大臣宰相になることに出世の夢を抱く子供なんか一人もゐず、「えらくなる」とはプロ野球の選手になること
なのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 お子様料理『試験地獄』」より

377:吾輩は名無しである
11/07/11 10:35:09.24 .net
大体私は現在のオウナー・ドライヴァー全盛時代に背を向けて、絶対に自分の車を持たぬといふ主義を堅持してゐる。
何のために車を持つか? 一刻も早く目的地へ到達するためだらう。ところが私の家から都心までは、ラッシュ・
アワーでも、バスと国電を使つて三十五分で確実に行くのに、車を利用すれば早くて四十五分はかかる。これでも
なほ車に乗るのは、どうかしてゐる。
こんな時間の問題を見ても、東京はますますニューヨークに近づきつつある。ニューヨークのラッシュ・アワーには、
地下鉄で十五分で行くところを、タクシーで四十五分もかかる。(中略)
もう一つばからしいのは、車の中で新聞や雑誌を読めば、動揺のおかげで忽ち目が悪くなり、気分が悪くなるが、
電車なら、推理小説だのスポーツ新聞だのに読み耽つてゐるうちに、あつといふ間に目的地へ着いてしまふ。
一切あなたまかせだからイライラすることもないのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 クヮンヅメ料理『自動車ラッシュ』」より

378:吾輩は名無しである
11/07/11 10:35:32.06 .net
都会生活の真髄は能率とスピードだらう。車を持つこと、いやただタクシーに乗ることさへ、今や能率とスピードに
背馳しつつある。あとにのこる車の御利益と言つたら見栄だけだが、かう猫も杓子も車を持つやうになつたら、
一向見栄にもならない。見栄にも実用にもならぬことに、どうしてお金を使はなければならないのだらう。
(中略)
しかし時代の勢ひといふものは仕方がないもので、こんな駄文を草してゐるあひだにも刻々オウナー・ドライヴァーは
ふえつつあり、さなきだにせまい東京の悪路を身動きもできないやうにしつつある。(中略)
自動車はふえる一方、怖ろしき女性ドライヴァーもふえる一方、道路は減る一方、ときたま東京都あたりが発作的に
新道路を作つても焼石に水、といふのが実状であらう。こんなことは困つた困つたと言つてるうちに何とか
破滅的状態が来てやつと解決がつくのだが、それまで高見の見物を決めこむには、まづ自分が自動車を持たないことが
第一条件であり、それより何より、まづ人の車に轢かれないことが肝要なのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 クヮンヅメ料理『自動車ラッシュ』」より

379:吾輩は名無しである
11/07/15 15:26:24.15 .net
子供はみんな遊びの達人である。
「遊びをせんとや生れけん
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声をきけば
わが身さへこそゆるがるれ」
といふ古い今様があるが、子供の遊びの純粋さに対する大人の感動と郷愁がよく出てゐる。
大人の遊びは結局この子供の純粋な遊びをまねることであるが、子供の遊びも、チャンバラからお医者様ごつこまで、
結局すべて大人の真似事であるから、遊びといふ点では、大人と子供は別々にあそんでゐても、結局、お互ひの
マネを演じてゐるにすぎない。大人の遊び場所から子供は完全に閉め出されてゐるが、その中で大人のやつて
ゐることは、要するに子供に帰らうとする身振りである。賭け事も、ダンスも、性行為そのものも。
なぜ大人は酒を飲むのか。大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。子供なら、
何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

380:吾輩は名無しである
11/07/15 15:27:09.36 .net
(中略)子供とちがつて、酔ふためには手続が要り、金がかかる。だから遊ぶためにアクセク働らかねばならず、
遊ぶために緊張過多にもなつてしまふ。これでは本末転倒といふものだ。折角レクリエーションと称して郊外へ
出かけても、混雑した電車や自動車ラッシュで、ヘトヘトになつてしまふ。
遊び人といふ人種がゐて、このごろの用語ではプレイ・ボーイといふ。私より二つ先輩の名高いプレイ・ボーイに、
この間久しぶりに銀座でパッタリ会つたが、あひかはらず上等な洋服を着て、一分の隙もない身なりで、きれいな
女の子を連れて歩いてゐた。(中略)この男は三百六十五日、ナイトクラブ通ひをしてゐる金持息子だが、よくも
飽きないものだと思つて、私はまづその体力に感心するのである。ヤキモチでいふのではないが、いくら女を
とりかへたところで、よほど想像力と空想力が貧しくなければ、三百六十五日ナイトクラブ通ひなんかできる
ものではない。ナイトクラブなんていふものは、映画の張りぼてのセットみたいなもので、ひたすら、高級めいた
セクシーな雰囲気をかもし出すために作られた造花にすぎない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

381:吾輩は名無しである
11/07/15 15:27:45.80 .net
そんな造花的雰囲気がどうしてもこの男にとつて必要な点では、しかし、三百六十五日、縄のれんの呑屋に通ふ
をぢさんと大差ないかもしれないのである。
誰でも固有の、遊びの条件といふものを持つてゐる。ある人は金をばらまかねば遊んだ気にならず、ある人は
人にタカらなければ有効に遊んだ気にならない。これは貧富の問題といふよりは、気質乃至趣味の問題で、
ハリウッドの大スターでも、決して人の煙草しかのまないといふ「がめつい奴」がゐるさうだ。
大体日本人は家へ人を招く習慣が少ないが、これは日本の家の貧しさばかりでなく、日本料理が作る手数のかかる
ことと、人を招いたらムヤミと御馳走を並べなければならぬといふ旧習のなせるわざであらう。西洋人は自宅へ
人を招くのを最高の礼儀と考へてゐるが、日本では花柳界の料理屋へ招くのがもつとも手厚い接待だらう。
アメリカ人などは、大さわぎをして自宅へ招くが、ろくな御馳走を出しはしない。大ていお料理は一いろか二いろだ。
カクテルなどでは、よくまアこれでお客をするものだ、と思ふほど、ポテト・チップスと南京豆ぐらゐの肴で
すまして、ケロリとしてゐる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

382:吾輩は名無しである
11/07/15 15:28:19.27 .net
しかし自宅へ西洋人を招くとわかるが、彼らが実にたのしみ上手遊び上手だといふことである。知らない同士も
たちまち十年の知己のやうになり、少しも人みしりをしないでたのしく話し、たちまちたのしげな雰囲気を
作つてしまふ。
それを見てゐると、いかにも遊び上手のやうにみえるが、彼らが本当に内心たのしいのかどうかわかつたものではない。
たえず知つた同士で呼びつ呼ばれつして、家庭的なたのしみをくりかへし、いつも夫婦同伴で、単調な交際の外へ
出ず、ポーカアをやるにも、ダンスをやるにも、顔ぶれが決つてゐるやりきれない小市民生活は、アメリカ映画で
皆さんもよく御存知であらう。「ア・ロット・オヴ・ファン」(面白かった)とか、「エンジョイした」とか、
しきりに言ふが、どこまで口先のお世辞かわかつたものではない。アメリカ流のカクテル・パーティーの
せはしない附合は、私には、何だか浅い、中途半端な、悲しい遊びに思はれる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

383:吾輩は名無しである
11/07/15 15:28:54.36 .net
遊び、娯楽、といふものは、むやみと新らしい刺戟を求めることでもなく、阿片常習者のやうな中毒症状を
呈することでもなく、お金を湯水のやうに使ふことでもなく、日なたぼつこでも、昼寝でも、昼飯でも、散歩でも、
現在自分のやつてゐることを最高に享楽する精神であり才能であらう。この点でも日本人はテンション族で、
遊びにまで緊張過多なのは前にも述べたとほりだ。
プロ野球見物と庭の水まきと、どつちが現在の自分にとつてもつともたのしいか、といふことに、自分の本当の
判断を働らかすことが、遊び上手の秘訣であらう。世間の流行におくれまいとか、話題をのがさぬやうにとか、
「お隣りが行くから家も」とか、「人が面白いと言つたから」とか、……さういふ理由で遊びを追求するのは、
人のための遊びであつて、自分のための娯楽ではないのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より

384:吾輩は名無しである
11/08/02 13:49:04.07 .net
このごろデパートを一トめぐりしておどろくのは、いはゆる「グッド・デザイン」の大量進出である。手術室の
メスのやうなナイフやフォーク、紙屑籠のやうな椅子や、椅子のやうな紙屑籠、マナ板まで雲形定規みたいな形を
してゐる。ガス・ストーヴ一つでも、昔風なルネサンス様式模倣の古式ゆかしい形のガス・ストーヴなんか、
東京中探したつてありはしない。(中略)日本座敷にモダンなテレビが置いてあると、何とも醜悪な感じがするが、
さりとて仏壇形のテレビなんてどこにも売つてやしない。一体何を以てグッド・デザインといふか。日本間といふ
ものが消滅せぬ以上、日本間むきの、観音びらきの扉に紫の房なんかのついたテレビ・キャビネットこそ、
グッド・デザインといふものではないか。
こんなことを言へば、進歩的デザイナー諸氏に叱られるに決つてゐるが、私自身が、近来の「機能主義にあらざれば
人にあらず」といふ風潮に逆らつて、もつとも反機能主義的な家を建て、もつとも反機能主義的な家具を誂へた
人間だから、敢て言はせてもらふ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

385:吾輩は名無しである
11/08/02 13:50:12.42 .net
大体今のグッド・デザインといふやつは、古くさい様式だの、古くさい装飾過剰だのに反抗して生れたものである。
殊に、家具や生活器具は、様式や装飾にとらはれてゐれば、必然的に、使ひ心地のわるいものになつてゐる。
昔の人は、使ひ心地のよさや快適さよりも、様式や装飾のはうを愛してゐたから、前者を犠牲にして、お尻の
痛い椅子や、持ちにくいフォークを我慢して使つてきたわけである。
機能主義といふと、バカに働き者らしく威勢よくきこえるけれども、その実、現代人のナマケ性にマッチしてゐる
やり方かもしれないのである。三度の食事も、コソコソと、昔なら男子禁制の台所の一隅で、リビング・キッチン
とやらのおちつかない合成樹脂の棚の上で、大いそぎですませる。さういふと働き者みたいだが、私に言はせれば、
そんなやり方は、御飯のたべ方を怠けてゐるのである。むかしの人は御飯をたべるのにも、煩をいとはず、
全身全霊をこめて作り且つ喰べた。西洋人のはうが今でも昔流で、フランス人は昼飯も、晩飯も、ゆつくり
二時間ほどかけて喰べる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

386:吾輩は名無しである
11/08/02 13:50:55.84 .net
グッド・デザインとは、生活に対する一生けんめいな、こまごました、わづらはしい意慾と関心が薄れて来た時代の
産物である。さういふ関心をみんな機械が代用してくれる時代の産物である。
ところで、西洋ではグッド・デザインも意味があるので、ルイ式の家具調度や、曾祖母ゆづりの食器一式に
飽きた人たちが、かういふ簡素なデザインに魅力を感じる意味もわかる。古くさい家具や食器に対する、離れがたい
なつかしさと同時に、不便な憎たらしさがつのつてくると、新デザインの家具や食器がほしくなるのもわかる。
はるかに快適で、便利で、使ひよい。明るく清潔で、手入れも面倒でない。
しかし日本では、そこらへんが微妙である。日本の家ほど機能主義的な家はないので、一間が寝室にも客間にも
居間にも茶の間にもなる。ナイフやフォークやスプーンの代りに、箸が二本あれば足りる。襖は、壁とドアを
兼用してゐる。作りつけのベッドの代りに、ふとんがあり、くたびれたらタタミの上へぢかに寝ころぶことも
できる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

387:吾輩は名無しである
11/08/02 13:52:16.47 .net
……機能主義やグッド・デザインの狙ひはとつくに卒業してゐるので、日本における西洋風とは、最新のモダン・
リビング、最新のグッド・デザインでも、旧来の日本風よりいくらか反機能的な生活形態をいとなむことに他ならない。
(中略)
日本人は、様式の統一といふことをやかましく云はない。スキヤ建築の座敷にテレビを置くなら、どうしても、
紫檀か何かの箱でなくちや納まらない箸だし、芸者屋の茶の間にテレビを置くなら、ツゲの箱かなんかでなくては
をかしいのに、平気で新式デザインのテレビを置いてゐる。日本座敷の縁側に、パイプを折り曲げた椅子なんかを
置いてゐる。かういふ様式無視は、明治以来の日本人の美意識欠如と進取の気象をよくあらはしてゐる。(中略)
(グッド・デザインは)あくまで商業的成功であつて、「革命」ではないのである。グッド・デザインの販路拡大を、
「革命」だと思つてるデザイナーがゐたら、よほど考へが甘いのである。何もないところを占領するのは
革命ではありません。
その上、その商業主義的成功は誤解を生む。西洋式生活は簡便で安いといふ誤解である。こんな誤解は戦前には
なかつた。あきらかにアメリカ占領後の現象である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』より

388:吾輩は名無しである
11/08/02 13:52:51.17 .net
西洋人の生活は、見かけ以上にしきたりに縛られてゐる。その点では日本以上である。その上、生活における
様式の統一といふことを重んじる。手術室のメスみたいなナイフを使はうと思へば、まづ家全体を手術室風に
デザインしなければならん。コタツに足をつつこんで、メス式ナイフで、トンカツをちよん切るなんて器用な
ことは、西洋人にはできない。(中略)
早い話が、日本でも、デパートで一人前数百円でメス式ナイフとフォークを買ひ込んで来て、さて、それに
合はせてグッド・デザインのディナー・セット、グッド・デザインの椅子、家具一式、ベッド、それに
ふさはしい家、(中略)……と様式の統一を心がけたら、大へんな金がかかるのである。だから大部分は、
様式の統一をあきらめて、断片だけで我慢する。
貧乏して裏長屋に住んでゐる詩人が、タバコだけは英国タバコを吸ふ。これが日本式ゼイタクであり、西洋への
あこがれといふダンディズムである。裏長屋ならシンセイを吸ふはうが、様式的統一に忠実であり、かつ美的で
あるといふことが、どうしてもわからないのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

389:吾輩は名無しである
11/08/02 13:55:31.96 .net
そんな雑文より主要作品を頼むわ
あと9年の間に『仮面の告白』から
『豊饒の海』までめぼしい作品を
全部テキスト化しておいて
没後50年と同時に青空文庫に上げてくれ

390:吾輩は名無しである
11/08/03 02:10:59.87 .net
>>389
時間があれば俺がやりたいぐらいだなそれ

391:吾輩は名無しである
11/08/05 11:27:02.36 .net
>>1
三島は翻訳文の欧文脈の影響を受けて書いてるから、外国語を習得していない人には読みづらく感じられて当然だよ。


392:吾輩は名無しである
11/08/09 00:13:41.30 .net
私どもの少年時代にも、「少年倶楽部」なら読んでいいが「譚海」は読んではいけない、といふのが、親の与へる
ひとつの基準になつてゐた。それだから「譚海」を親にかくれて読むのはたのしかつたが、それにはいつもながら、
「寄らば斬るぞッ」
とか、
「エーイッ! ギャアーッ!」
とか、
「やられたッ! ウ、ウーム」
とか、動物園の叫喚に似た擬音詞がいつぱい詰つてゐた。子供たちは擬音詞を好む。そして残忍殺伐は、遺憾ながら、
子供たちの重要な趣味の一部である。
ところで、このごろでは赤本漫画は姿を隠すどころか、大人の読者をも吸引してゐるらしい。(中略)
日本にも、この種の「大人」の激増しつつあるのが昨今で、赤本漫画、アクション漫画も、そのはうの需要を
充たしてゐるらしい。まさか学校を出て背広を着るやうになつて、路上でチャンバラもできないから、テレビや
映画のアクション物の見物から、ピストルの蒐集、射撃の練習にうつつを抜かしてゐる大人は増える一方である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より

393:吾輩は名無しである
11/08/09 00:14:14.22 .net
ここに男の大人の哀れな見果てぬ夢がある。女は、子供のころ夢みた、お嫁さんごつこや台所ごつこやお人形ごつこを、
大人になれば正々堂々と実現できるので、結婚して台所仕事をして赤ん坊を生めば、同時に子供時代の夢も
充たされる仕組になつてゐる。男はさうは行かない。そこで銀行につとめながら、銀行ギャングの映画に
熱中したりする妙なことになる。哲学を講じながら、こつそりチャンバラもの映画を見に行くやうなことになる。
男にとつては、幼児期の夢は、やがてその実現不可能を思ひ知らされ、夢としてのままに生き長らへる他はないことを
知らされるのである。これがすべての男の残酷な運命だ。
先頃私もアクション物映画に出演して、ピストルをふりまはしたが、このピストルといふものの持心地のよさと
云つたら、筆舌に尽しがたいもので、これでは自分の子供が成長してピストルいぢりをはじめても、とても
鹿爪らしい教訓などはできまいと思はれた。今もあのひやりと掌に重たいピストルの触感、弾倉をしらべるときの
手応へは、私の夢路に通ふのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より

394:吾輩は名無しである
11/08/09 00:14:43.89 .net
(中略)
それはそれとして、低俗、幼稚、残忍、粗悪、などと世間の最低の悪口を浴びてゐるこれらの赤本漫画は、
ひとたび子供に対する悪影響といふ問題を除けて考へれば、却つていろんな面白い問題を提起してゐる。
かういふものを一生けんめい読んでゐる大人の顔は(もちろん私の顔も含めて)、全然白痴的かといふと、
さういふものでもなく、カントの哲学書に読み耽つてゐる顔と、そんなに大差ないのではあるまいかと思はれる。
(中略)
ただ世の女性方は、たとへイギリス製の生地の背広を着こなした紳士の中にも、「ガーン!」「ガバッ!」
「ガシーン!」「バシーン!」などの擬音詞に充ちた低俗なアクションへの興味が息をひそめてゐることを、
知つておいて損はなからう。男にとつては、いくつになつても、そんなに「バカバカしい」ことといふものは
ありえない。「バカバカしい」といふ落着いた冷笑は、いつも本質的に女性的なものである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より

395:吾輩は名無しである
11/08/10 09:53:32.25 .net
さて今回はカメラの悪口を言はせてもらふ。私はカメラを持つてゐないからである。国内の旅行はもとより、
二度の海外旅行にも、カメラを持つて行つたことがないといふのが、私のヘソまがりの自慢である。(中略)
私がカメラを持たないのは、職業上の必要からである。カメラを持つて歩くと、自分の目をなくしてしまふ。
自分の目をどこかへ落つことしてしまふのである。つまり自分の肉眼の使ひ道を忘れてしまふ。カメラには、
ある事実を記録してあとに残すといふ機能があるが、次第に本末転倒して、あとに残すために、現在の瞬間を
犠牲にしてしまふのである。
ゲーテの生きてゐたころは、カメラなんかなかつたから、彼は、
「お前は実に美しい! しばし止まれ!」
などと言つてゐた。こんなことは今ならお茶の子サイサイで、天然色フィルムを仕込んだカメラを向ければ、
その美しいものは、「しばし止まれ」どころか、永遠にとどまつてゐる筈である。
とどまつてゐる筈である。しかしさうではないかもしれない。
美しいものは、カメラを向けた瞬間に逃げ去つてゐるかもしれない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

396:吾輩は名無しである
11/08/10 09:54:06.57 .net
まあ一例が、湖水のかたはらを歩いてゐて、白鳥が今正に飛び立つところを見たとしよう。これは実に美しい
瞬間である。思ふがはやいかカメラを向け、手練の早わざ、見事に白鳥の飛び立つ瞬間をとらへるかもしれない。
いよいよ現像して、友だちにも自慢する。アルバムに貼り込む。何度もくりかへして眺めては、
「ああ、よかつた。あのとき撮つておいて」
とたびたび自己満足の嘆賞を洩らす。
ところで、アルバム上の一枚の天然色写真には何が映つてゐるか。湖面から飛び立たうとしてゐる一羽の白鳥である。
なるほど写真としては美しい。しかし、それが本当に、その瞬間美しいと思つた印象と同じものかどうかと
いふと疑問である。
それから先は、われわれ文士といふものの考へ方だが、そこに写つてゐるのは一羽の白鳥にすぎない。しかし
美しさの印象といふものは、一羽の白鳥よりも大きなものである。写真は一羽の白鳥しか写さないが、われわれの
目は瞬間にもつと大きなものを写す。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

397:吾輩は名無しである
11/08/10 09:54:51.14 .net
たとへば、撮影者が、その瞬間に、チャイコフスキーの「白鳥の湖」の一小節を思ひうかべてゐたとする。写真には
そんなものは写らない。しかしわれわれの肉眼には、目に見えてゐる対象、一羽の白鳥以外に、音楽も写つてゐれば、
歴史も写つてをり、さういふものが渾然として美的印象を形づくつてゐるのである。
アルバムに貼られた一羽の白鳥の写真は、彼自身は美しいと思つて何度も眺めるかもしれないが、それは彼自身が
そのときの美的印象を思ひ出しながら見るからである。何度も見るうちに、その印象もだんだん忘れられて、
一羽の白鳥そのものしか目に映らなくなる。まして、ただ写真を見せられる人が、誰も彼も、それを美しいと
思ふかどうか疑問である。
われわれ文士は、実物の証拠よりも、そのときの印象のはうを大切にする。なぜなら、写真は万人にそのときの
私の印象同様のものを与へるわけには行かないから、文士としての私のやるべきことは、そのとき現在の私の
美的印象を心ゆくまで味はひ、その上で、それを強め、深め、分析し、言葉を通じて、何とか私の印象を万人に
伝へなければならないからである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

398:吾輩は名無しである
11/08/10 09:55:33.39 .net
このとき、あわててカメラを向けて写真をとつたりすれば、美的印象はスルリと私の手から脱け出してしまふ。
飛び立つ白鳥はフィルムに残されても、それはもう私にとつては、ただの剥製の白鳥にすぎない。
―以上は、私の、小説家としての、写真不信の原則論である。
しかし写真にもいろいろな利点はあつて、その利点と限界をよくわきまへてゐれば、カメラきちがひも悪くないと思ふ。
よく人の家へ呼ばれて、家族の成長のアルバムなんかを見せられることがある。ところがこんなに退屈な
もてなしはない。人の家族の成長なんか面白くもなんともないからである。写真といふものには、へんな魔力がある。
みんなこれにだまされてゐるのである。ある家族が、自分の家族の成長の歴史を写真で見れば、なるほど血湧き
肉をどる面白さにちがひない。しかもそれが写真といふ物質だから、物質である以上、坐り心地のよい椅子が
誰にも坐り心地よく、美しいガラス器が誰が見ても美しいやうに、面白い写真といふものは、誰が見ても
面白からうといふ錯覚・誤解が生じる。そこでアルバムを人に見せることになるのであらう。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

399:吾輩は名無しである
11/08/10 09:57:50.34 .net
しかし写真といふものは、そんなものではないことは、さつきの白鳥の写真の話でもわかるとほりである。
大部分の写真は、不完全な主観の再現の手がかりにすぎない。それは山を映しても、ふるさとの懐しい山といふ
ものは映してくれない。ただ「ふるさとの懐しい山」を想ひ起す手がかりを提供してくれるにすぎない。
「ふるさとの懐しい山」といふものは、あくまでこちらの心の中にあるので、その点では、われわれ文士の
用ひる言葉といふやつのはうが、よほど正確な再現を可能にする。
いちばんいい例が赤ん坊の写真である。
他人の赤ん坊ほどグロテスクなものはなく、自分の赤ん坊ほど可愛いものはない。そして世間の親がみんな
さう思つてゐるのだから世話はない。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

400:吾輩は名無しである
11/08/10 16:04:03.29 .net
三島の文章読んでると「おいしんぼ」系料理漫画を思い出す
大仰な表現が似てる

401:吾輩は名無しである
11/08/10 17:32:37.26 .net
公園で乳母車を押した母親同士が出会つて、
「まあ、可愛い赤ちゃん」
「まあ、お宅さまこそ。何て可愛らしいんでせう」
などとお世辞を言ひ合ふが、どちらも肚の中では、
『なんてみつともない赤ん坊でせう。まるでカッパだわ。それに比べると、うちの赤ん坊の可愛らしいこと! 
どこへ行つたつて、こんなにキリャウのいい子はゐやしない。誰でも《まア可愛らしい》つて言ふから、誰が
見たつて、きつとさうなんだわ。(中略)』と、自分の言つたお世辞はみんな忘れて、さう思つてゐる。
カメラはこの「可愛い赤ん坊」を写すのである。実は、本当のことをいふと、カメラの写してゐるのは、
みつともないカッパみたいな未成熟の人間像にすぎないが、写真は、言葉も及ばないほど、「可愛い赤ん坊」の
手がかりを提供する。なぜかといふと、赤ん坊の可愛さなどといふものは、あまりにも主観的で、あまりにも
エゴイスティックで、あまりにも普遍性のない感情だから、さすがの言葉も追ひつけず、写真ぐらゐが丁度
いいところだからである。しかしかへすがへすも注意すべきことは、自分の赤ん坊の写真なんか、決して人に
見せるものではない、といふことである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より

402:吾輩は名無しである
11/08/11 22:10:35.21 .net
冗長だ。しかも陳腐。
つまらなさをとことん突き詰めるような真剣味がもっとあれば趣もあっただろうに。

403:吾輩は名無しである
11/08/12 00:10:05.10 .net
空にはときどき説明のつかぬふしぎな現象があらはれることはまちがひがない。それが大てい短かい間のことで、
目撃者も少なく、その目撃者の多くには科学的知識も天文学的知識も期待できないから、堂々たる科学的反駁を
加へられると、自分の見たものに自信がなくなつて、はつきりこの目で見たものも妄想のやうな気がして来るで
あらう。かうして葬り去られた目撃例は少なくないにちがひない。
或る日のこと、北村小松氏から電話があつて、五月二十三日の朝五時ごろ、東京西北方に円盤が現はれるかも
しれない、といふ情報が入つた。
(中略)
いくら待つても、空には何の異変もあらはれなかつた。飛行機一つ通らず、ときどき屋上をかすめて飛ぶ朝の
小鳥たちの、白いお腹を見るだけであつた。空がこんなに静かで何もないものだとは知らなかつた。
(中略)
五時二十五分になつた。
もう下りようとしたとき、北のはうの大樹のかげから一抹の黒い雲があらはれた。するとその雲がみるみる西方へ
棚引いた。
「おやおや異変が現はれたわ。円盤が出るかもしれなくつてよ」
妻が腰を落ちつけてしまつたので、私もその棚引く黒雲を凝視した。

三島由紀夫「社会料理三島亭 宇宙食『空飛ぶ円盤』」より


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