南雲忠一中将を再評価 ..
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336:名無し三等兵
22/04/29 07:21:24.65 le45LA4D.net
赤城は日本海軍が計画した八八艦隊計画により、「41cm砲10門、排水量41,000t、速力30ノット」[37]という規模の天城型巡洋戦艦が建造されることになり、1919年(大正8年)7月17日附で1番艦と2番艦にそれぞれ天城と赤城の艦名が与えられた
1920年(大正9年)12月6日、赤城は呉海軍工廠で起工した[1]。完成前の1922年(大正11年)にワシントン海軍軍縮条約が締結されたことから、条約に従い主力艦としての廃艦処分を回避するため、当時は補助艦艇であった航空母艦に改造されることになった
赤城は1927年(昭和2年)3月25日に竣工した
1935年11月15日、赤城を三段式甲板から一段全通式甲板に変更する大改装が佐世保海軍工廠で開始される。
1938年8月31日、赤城の改装が完了し、一段全通式空母となる。
1939年(昭和14年)、日本本土に戻った加賀と入れ替わるように第一航空戦隊旗艦となる。
要目 一段全通式空母
基準排水量 38,800英トン(1938年3月時点)
公試排水量 41,300トン
全長 260.67m
水線長 250.36m
垂線間長 770 ft 0 in (234.70 m)[203]
水線幅 31.32m[4]
最大幅 110 ft 0 in (33.53 m)または水線下最大幅 102.05 ft 0 in (31.10m)
深さ 28.65m(飛行甲板まで)
吃水 8.71m[
飛行甲板 249.17m×30.48m エレベーター3基[4]
推進 4軸
主機 技本式タービン(高低圧 2組)4基
出力 131,200hp[3] または 133,000hp[4]
主缶 ロ号艦本式専焼缶 大型11基 同小型8基
速力 31.2ノット[4]
燃料 重油 5,770トン または5,775トン(1938年3月)[2]
航続距離 8,200カイリ / 16ノット[4]
乗員 竣工時定員 1,400名 1931年3月 1,297名 1934年4月定員 1,299名、1937年4月定員 1,627名 1938年3月 1,340名


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