佐藤大輔 100
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406:ものだった。 1940年に出現したT-34及びKV-1を完全に撃破しうる火力(試製二式88mm戦 車砲)と十分な装甲防護力を持つ重戦車として開発され、昭和17年に試作車が完成した。 車体は装甲鈑の溶接組み合わせでできあがっており、主砲は、当時陸軍が保有する 高射砲のなかでもっとも生産が容易で協力な九九式高射砲(原型は軍事顧問団が南京 で国府軍からゆずりうけたドイツの八八ミリ高射砲FLAK36)を採用していた。ただし、 前面に四七ミリ副砲を搭載するなどの方針を採用したため、本来、簡易なものとなる はずであった構造は複雑化し、重量は六〇トンに達していた。 機動力以外は良好な試験成果を得たが、やはり鈍重さが疑問視されたことと独ソ戦 終結により制式・量産化は見送られた。 後にハ号計画の制定で突撃戦車の雛形として活用されることとなり、日独開戦後に 小改正型の量産に踏み切ったが、配備先を巡る問題が発生して混乱を招いた。 性能的な面でも問題が発生し、装甲防御力を強化するため、無用と判断された四七 ミリ副砲撤去と前面装甲鈑の増厚、並びに傾斜式取り付けの採用が実施された。
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