【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る24 at ARMY
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450:名無し三等兵
16/01/02 17:03:07.29 JP/q0sir.net
>>448
American casualties were also high. Ground combat losses for the Sixth and Eighth
Armies were almost 47,000, some 10,380 killed and 36,550 wounded. Non-battle casualties
were even heavier. From 9 January through 30 June 1945, the Sixth Army on Luzon
suffered 93,422 non-combat casualties, including 260 deaths, most of them from disease.
The Battle Of Luzon Compared With Other Battles Of World War II
URLリンク(6thinfantry.com)
>the Sixth Army on Luzon suffered 93,422 non-combat casualties,
 一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、少なくとも以前に一度、
作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の
三分の一にも達する隊員が、三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、
戦いにうんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられていなかった。
補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員をうめるには非常に足りなかったので、
第六軍は非戦闘員の死傷により生じた定員不足は、うめることができなかった。
「ドキュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー  妹尾作太男 徳間文庫)

451:名無し三等兵
16/01/02 17:03:50.08 JP/q0sir.net
>>448
the US Sixth Army could be expected to suffer between 514,072 casualties (including 134,556 dead and missing) under the "Pacific Experience" (1.95 dead & missing and 7.45 total casualties/1,000 men/day)
and 149,046 casualties (including 28,981 dead ead and missing) under the "European Experience" (0.42 dead & missing and 2.16 total casualties/1,000 men/day)
ところでマッカーサーの第6軍がヨーロッパ戦線の5倍の死亡率って知ってたか?

452:名無し三等兵
16/01/02 17:05:12.27 JP/q0sir.net
>>448
ナチ厨の頭の中では戦わずに降伏したらノーカンなのかw
British, and French forces in the war in Europe follows:
      Battle dead Permanently disabled  Captured    Total
Tunisia     19,600      19,000          130,000    168,600
Sicily       5,000       2,000          7,100    14,100
Italy       86,000     15,000           357,089   458,089
Western Front 263,000   49,000       7,614,794   7,926,794
Total       373,600    85,000        8,108,983    8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties  177,100
だからたった17万人の戦死者で857万人のナチは粉砕されたんだよなぁ
フランス観光の片手間にあっさり撃滅されたのがナチwww

453:名無し三等兵
16/01/02 17:06:18.08 JP/q0sir.net
>>447
>>448
British, and French forces in the war in Europe follows:
      Battle dead Permanently disabled  Captured    Total
Tunisia     19,600      19,000          130,000    168,600
Sicily       5,000       2,000          7,100    14,100
Italy       86,000     15,000           357,089   458,089
Western Front 263,000   49,000       7,614,794   7,926,794
Total       373,600    85,000        8,108,983    8,567,583
Army Battle Casualties and Nonbattle Deaths in World War II
Atlantic area theaters
Total deaths among battle casualties  177,100
西部戦線のドイツの戦死+捕虜8.567583人対アメリカ軍177,100名
キルレシオ48:1なのを知ってたか?

454:名無し三等兵
16/01/02 17:07:03.66 JP/q0sir.net
>>447
>>448
フィリピンの戦い1944年wiki
損害
アメリカ陸軍戦死16,043
戦傷 55,531
戦病 93,422以上
アメリカ海軍死傷者7,270
フィリピン連邦軍多数
ところでトータルの人的損失は
マッカーサーとフィリピン軍>>>日本軍
なのを知ってたか?

455:名無し三等兵
16/01/02 17:08:06.59 JP/q0sir.net
>>447
>>448
9月6日、クラコールの戦隊医務室で若松清治上等兵が戦死。昭和16年12月7日以来
失った空地の勤務者166人目、64戦隊最後の犠牲者となった。
一方、勝利を収めた英空軍は、東南アジア全域における日本軍との戦いで、空中勤務者
4,858名が戦死または行方不明になったと記録している。
ビルマ航空戦 梅本弘著
The Battle of Britain,
Participants included Poles, New Zealanders, Canadians, Czechs, Australians, Belgians,
South Africans, French, Irish, Americans as well as a Jamaican, a Southern Rhodesian and a flyer from the Palestinian Protectorate.
Five hundred and forty-four lost their lives.(544名が命を失いました)
URLリンク(www.rcaf-arc.forces.gc.ca)
Luftwaffe
2,698 aircrew killed
967 captured
638 missing bodies identifie
URLリンク(en.wikipedia.org)
東南アジア上空の空中戦
日本軍戦死166:英軍4,858
バトルオブブリテン
ナチ4,293対英軍544
って知ってたか?

456:名無し三等兵
16/01/02 17:10:13.05 rjmeMNBK.net
>>449
これ半分宣伝だからな
「あるべきソ連で負傷で療養中に死んでるべき状況の人々」は「ソ連が適切な療養をしてないから死亡した」
という不都合な事実を転化しつつ
ドイツ兵の抑留虐殺をごまかしてる
いや汚いよ。ソ連は
>>448
その手のコピペ。それ米軍の死者は倍数規模なんだけど(負傷から一ヶ月以内に死ななかった奴は死者と含めない)という措置で事故負傷扱いされてる
アメリカ全兵力のうち、一ヶ月以内の戦死者10万、一ヶ月以後の戦死10万以上、マラリア死5万以上で総兵力の30%は死亡してる
負傷その他の脱落者は15-20万規模で実損失50万対100-150万だよ
それでも日本の損失は絶大だが、アメリカは少ない展開兵力を優位な戦況で
十分な補給寸断と包囲ができてるのに出してる
日本を突破するにおいて、アメリカが十分な戦力を維持展開できない証拠
展開兵力対損耗率でいえば優位すぎる戦況にもかかわらず損失を出しすぎてる
これと台風と、国債と、アメリカの補給の限界が見えてるため「本土決戦勝てたロンの根拠になる」

457:名無し三等兵
16/01/02 17:10:36.69 JP/q0sir.net
>>447
>>448
フィリピン戦第六軍の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者1.95名、死傷者計7.45名
ノルマンディ以降の欧州戦線の死傷率
兵士1,000名の1日当りの戦死者0.42名、死傷者計2.16名
太平洋は、死傷率が高かった海兵隊の数字が入ってなくともこの有様
米軍にとって西部戦線はフランス娘とのセックスと観光を楽しむツアーにしか過ぎなかったのだ

458:名無し三等兵
16/01/02 17:11:23.74 rvSEmfkZ.net
コピペ馬鹿って何が楽しいんだろ?

459:名無し三等兵
16/01/02 17:14:23.18 7aSFAk+G.net
>>448
しかしナチ党には同性愛者が多かった。
ナチスの私設警察だった「突撃隊」はレーム司令官がホモだった。
そのためにレームは性癖が同じような人間を突撃隊幹部に採用した。

ヒトラーは突撃隊がホモに支配されたと知ると怒り、SS(ナチス親衛隊)にレームと突撃隊を粛正させた。
そして突撃隊の大半をSSに統合した。
これにより、ナチスでは秘密裏に「ホモ人脈」が築かれていく。
SSを隠れ蓑に、ゲシュタポ(秘密警察)やSD(SS情報部)では同性愛行為が当たり前に成った。
また同性愛者の将校らは、同じような性癖の人間を、同族意識から幹部に採用した。

国家社会主義青年団などナチスの青年組織から、美少年がリクルートされたり、
ポーランドやフィンランドなど外国からも大量に、少年愛の為に青少年が誘拐された。
SSの根底に有ったのは同性愛だった。

460:名無し三等兵
16/01/02 17:16:37.54 7aSFAk+G.net
>>448
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道
戦いもせずに降参して捕虜収容所で餓死するのをさすが強いとドイツでは誉めるのか?

461:名無し三等兵
16/01/02 17:18:12.23 7aSFAk+G.net
>>448
約300万人のドイツ人が不必要に死んでいった。
100万人の兵士が、かつては自分たちの家であった穴に何とかたどり着く前に消え去った。
その大半はソ連抑留中に死んだ(スターリングラードで降伏した90000人の兵士のうち、帰国できたのは5000人だった)。
しかし、恥ずべきことに、数千名が米英軍の捕虜として死んだ。
ライン沿岸の檻に押し込められ、夜露を過ごす場所もなく、ほとんど食べ物を与えられないまま、彼らはハエのように落ちていった。これよりも「運が良かった」人々は、いくつかの連合国で奴隷労働者としてこき使われた。
信じられないことであるが、1979年になっても、ソ連に抑留されていたドイツ人がいた。
死亡した200万人のドイツの民間人は、おもに老人、女子供だった。病気、寒さ、飢え、自殺、そして、大量殺戮の犠牲者だった
Nigel Jones、『ライヒが崩壊してから』
戦いもせずに降参して捕虜収容所で餓死するのをドイツではさすが強いと誉めるのか?

462:名無し三等兵
16/01/02 17:27:17.77 7aSFAk+G.net
>>448
鉄条網内には、米軍がとても面倒を見きれないほど膨大な捕虜が
集められていた。西独政府捕虜史委員会の報告にこうある。
「いくら一般市民が餓えようとも、自軍の配給の方が優先された」
「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
 連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
パウル・カレル/ギュンター・ベデカー
『捕虜―誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』
戦いもせずに降参して捕虜収容所で餓死するのをドイツではさすが強いと誉めるのか?

463:名無し三等兵
16/01/02 17:33:09.72 JP/q0sir.net
>>447
>>448
兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁>
MILITARY      HOSTILE               NON-HOSTILE
ACTION       DEATHS      WOUNDED    DEATHS              
World War II
(1941-45)
Total          293,121        670,846       115,185
European Theater  185,179        498,948       66,805
Pacific Theater    107,903        171,898       48,380
Korean War
(1950-53)        33,741       103,284         2,827
Vietnam War
(1961-73)       47,415        153,303        10,789
Iraq War
(2003-09)       3,444        31,342        857
URLリンク(www.vfw.org)
負傷者と死者の比率を比べてみれば、兵士にとって過酷な戦場はどこなのかは自明であろう。

464:名無し三等兵
16/01/02 17:36:25.61 Bvb9/Zaz.net
スレが機能してないな

465:名無し三等兵
16/01/02 17:41:49.71 c7af+BeO.net
片っ端から臭い連投NGしていったらあぼーんしか残ってないわ

466:だつお ◆t0moyVbEXw
16/01/02 17:59:01.86 jGekzmhz.net
>>462
>戦いもせずに降参して捕虜収容所で餓死するのをドイツではさすが強いと誉めるのか?
コンパス作戦(1940年12月8日〜1941年2月9日)
イギリス軍36000名 VS イタリア軍150000名
イギリス軍死傷者1873名
イタリア軍死傷者3000名 捕虜115000名
URLリンク(ja.wikipedia.org)
コンパス作戦でのイタリア軍は自軍死傷者を少なく抑えたから優秀だなんて評価は一切無かったはずだ。
それどころか同盟国ドイツからは、「弱虫イタ公」「この役立たず」「マカロニー野郎」と非難轟々。
>>456
>その手のコピペ。それ米軍の死者は倍数規模なんだけど(負傷から一ヶ月以内に死ななかった
>奴は死者と含めない)という措置で事故負傷扱いされてる
米軍統計は、戦死と非戦闘死が別々になっているからな。
統計はその裏付けとなる一次史料が公開されてなければあまり意味がない。例えばソ連崩壊前だと、
ノモンハンにおけるソ連側損害は、一万人とか1万八千五百とか、少ない数字が出されていた。
というかソ連は独ソ不可侵条約秘密議定書さえ公開していなかったから、グラスノスチ以前は信頼できない。

467:名無し三等兵
16/01/02 19:49:24.74 Y7V9xOcm.net
新年早々、だとおと共産ゲリラが荒らしているのか・・・・

468:名無し三等兵
16/01/02 19:58:37.19 Y7V9xOcm.net
火砲の話はまったくお話にならない
阿呆な書込みで降ってはみたが知識のなさにツッコミまくられ玉砕
無謀にも政権担当能力がからきしないのに不毛火砲スレ回を何度も建ててみたり
左翼はいい加減身の程を知ってほしい
じぶんたちが偏りまくりの極左なもので、平均的な人間すらもすべてウヨに見え噛みつきまくり
おまえらは狂人集団だってこと自覚しなよ
それが到底できないから火砲スレの妨害が日課なんだろうけど

469:名無し三等兵
16/01/02 21:28:44.67 zu6z63c3.net
前スレではフォードトラック熱河作戦洋上買収の話で荒れたよね
調べもしない知りもしないくせ愚かなレス連発して>>左翼
好き放題暴れまくって、歴史的事実を開陳されたらダンマリだからな
みっともないったらありゃしない
バカ呼ばわりされても仕方ないよ

470:名無し三等兵
16/01/02 22:07:42.18 dsaa39sJ.net
まーた始まった

471:名無し三等兵
16/01/02 22:19:56.66 b5dDxmLj.net
>>447
>>448
これだけ一方的な戦死率ですら、西部戦線の5倍なんだから
ナチカス相手の西部戦線が如何にド楽勝な戦場だったか明らかだな
確実に西部戦線でナチカスに殺される確率よりニューヨークで車を運転してて事故死する確率の方が高かっただろう

472:名無し三等兵
16/01/02 22:27:59.75 c7af+BeO.net
じえーん乙ぅー

473:名無し三等兵
16/01/02 23:37:29.25 J5NlcxJJ.net
機甲スレ荒らしてた奴と同一人物である可能性が惑星レベルで

474:名無し三等兵
16/01/03 01:02:26.59 ITS6FZpd.net
機甲スレのは正直謎過ぎてよくわからん

475:名無し三等兵
16/01/03 01:09:03.66 QBU6VgNK.net
機甲スレなんかあったん?

476:名無し三等兵
16/01/03 07:14:05.19 pvnQLtI6.net
コピペ野郎を出入り禁止にしろ。

477:名無し三等兵
16/01/03 08:21:58.00 Uq/SWkPk.net
こういうタイプの荒らしは散々言い負かされた奴が私怨で延々とやるからどうしようもない

478:名無し三等兵
16/01/03 11:08:56.59 pa+GX2Se.net
ヤツらにここで時間を使わせる事でリアル犯罪を抑制してるからなw
このスレの存在は社会にとってある意味有用

479:_/・◇・\_ ◆BEMZenSAm.
16/01/03 12:52:36.20 3vyFXALu.net
無駄を省きつつ、効率化により能力を向上させれば、
最小限の投資で最大の効果を得られる…
とか言う人はイラク戦争の顛末を調べたりしたらどうかもですか?
余裕のない組織は、想定外の事態に直面したりすると
結局、より大きな出血を強いられる事になるのかもです。
…良く考えたら911を防げなかった原因の一つがコスト削減による
諜報能力の低下だったかもですね(挨拶)

480:名無し三等兵
16/01/03 13:40:46.54 bUE7Su0l.net
バカウヨ糖質とだつおの約二名を出禁にするだけで相当平和になる

481:名無し三等兵
16/01/03 15:13:04.71 WC8x1Y90.net
>>471
西部戦線ってどんなもんだったの?
なんかノルマンディー以外戦闘のイメージがない

482:名無し三等兵
16/01/03 16:03:38.67 zKzxOOBx.net
覇権への変質
 アメリカは150年のあいだ、西半球で有利な環境に甘えてきた。大陸の広さ、
孤立した環境、手強い脅威の不在、さらには友好関係にあるイギリスが幅を利かせる
大洋の壁に守られ、代価のない安全保障を享受していた。アメリカは、大西洋と太平洋
を泳ぎ回るクジラのような存在だったのだ。アメリカ人にとっての第2次大戦は、
太平洋で幕開けしたものであり、1944年6月のノルマンディー上陸作戦までは、
太平洋が戦争の主たる場だった(優先順位が1番目ではなくても、である)。連合国、
とりわけソ連が、戦の鉾先をナチスドイツに向けているなかで、アメリカは太平洋での戦いを
有利に運び、日本単独による占領を受けた戦後東アジアの国際関係の再編全体の土台を組織した。
<アメリカ西漸史―“明白なる運命”とその未来 [単行本] ブルース カミングス (著),>

483:名無し三等兵
16/01/03 16:05:32.75 zKzxOOBx.net
1943年1月にカサブランカで開かれた英米首脳会議において,シチリア島への上陸作戦
(ハスキー作戦)の実施が決定したことにより,ボレロ計画はさらに先送りされることとなった。
同年7月,スティムソンは自ら渡英して,フランス上陸作戦(1943年の夏ごろからは
「オーヴァーロード」作戦と呼ばれた)の必要をチャーチルに訴えた。彼は,1)ジムナスト
(トーチ)作戦の攻撃対象であるイタリアはそれほどの脅威にはなっていない,2)ドイツこそ
危険な存在である.3)北フランス上陸作戦を予定しているアメリカ軍は,バルカンや地中海地域
の防衛には専念できない,といったことを説明し,
URLリンク(dspace.bunka.ac.jp)
トブルク港への輸送はマルタ島駐留の英軍を主力とする連合軍に制空権を握られていた為に
輸送船は途中で撃沈され、東部戦線ではスターリングラード攻防戦が起きドイツはほぼ全軍を投じた為、
北アフリカ戦線は二の次三の次とされ補給は一向に届かなかった[3]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

484:_/・◇・\_ ◆BEMZenSAm.
16/01/03 16:32:03.77 3vyFXALu.net
すみません誤爆しました。

485:名無し三等兵
16/01/03 16:37:25.60 zm2J37Ec.net
ドイツと日本の比較
【連合軍の戦略爆撃の規模 】
       期間     投下爆弾量    死者        連合軍の爆撃機の損失
ドイツ    35ヶ月    170万トン   30万5千人       米1万機 英1万2千機 ←さすがドイツ
日本   約10ヶ月     16万トン   30万+原爆21万人     約450機 ←はぁ?
【日独高射砲の配備数】
ドイツ   '39年 2800門   '43年 1万5000門   '44年 2万6000門  ←さすがはドイツ
日本    '41年 880門    '43年    850門 ←やる気あるの?
【ヨーロッパ戦線の連合軍航空戦力の損失 (ドイツ軍の輝かしい戦果)】
アメリカ航空軍  航空機1万8400機喪失  5万4700人死亡  4万200人捕虜 ← フォッケウルフは
イギリス空軍   航空機2万2000機喪失  7万6300人死亡   7400人捕虜 ← 無敵だな

486:名無し三等兵
16/01/03 16:39:09.37 AGW14JRX.net
>>485
9月6日、クラコールの戦隊医務室で若松清治上等兵が戦死。昭和16年12月7日以来
失った空地の勤務者166人目、64戦隊最後の犠牲者となった。
一方、勝利を収めた英空軍は、東南アジア全域における日本軍との戦いで、空中勤務者
4,858名が戦死または行方不明になったと記録している。
ビルマ航空戦 梅本弘著
The Battle of Britain,
Participants included Poles, New Zealanders, Canadians, Czechs, Australians, Belgians,
South Africans, French, Irish, Americans as well as a Jamaican, a Southern Rhodesian and a flyer from the Palestinian Protectorate.
Five hundred and forty-four lost their lives.(544名が命を失いました)
URLリンク(www.rcaf-arc.forces.gc.ca)
Luftwaffe
2,698 aircrew killed
967 captured
638 missing bodies identifie
URLリンク(en.wikipedia.org)
東南アジア上空の空中戦
日本軍戦死166:英軍4,858
バトルオブブリテン
ナチ4,293対英軍544
って知ってたか?

487:名無し三等兵
16/01/03 16:42:29.89 AGW14JRX.net
>>485
ところで太平洋戦線でアメリカは27,000機もの航空機を失ったって知ってるか?
欧州戦では未生還機に修理不能損傷機(damaged beyond repair)を加えても18,000機なのに対し。
Aggregate United States plane lo during the course of the
Pacific war, not including training losses in the United States,
were approximately 27,000 planes. Of these losses 8,700 were
on combat missions; the remainder were training, ferrying and
other noncombat losses. Of the combat losses over 60 percent
were to antiaircraft fire.
URLリンク(www.anesi.com)
In the attack by Allied air power, almost 2,700,000 tons of bombs
were dropped, more than 1,440,000 bomber sorties and 2,680,000
fighter sorties were flown. The number of combat planes reached a
peak of some 28,000 and at the maximum 1,300,000 men were in
combat commands. The number of men lost in air action was 79,265
Americans and 79,281 British. [Note: All RAF statistics are
preliminary or tentative.] More than 18,000 American and 22,000
British planes were lost or damaged beyond repair.
URLリンク(www.anesi.com)

488:だつお ◆t0moyVbEXw
16/01/03 17:31:55.98 ThZ+nBWX.net
>>481
>西部戦線ってどんなもんだったの?
>なんかノルマンディー以外戦闘のイメージがない
地中海戦線は、基本的にイギリス軍が主体。第二次世界大戦を通じて、イギリスの主戦場は地中海戦線。
それから1943年9月のイタリア降伏後は、多国籍軍化している。勝利の分け前争いがミエミエ。
イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
CLNの旗 国民解放委員会
イタリア王国の旗 イタリア王国 (1943年9月8日-)
カナダの旗 カナダ
オーストラリアの旗 オーストラリア
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
南アフリカの旗 南アフリカ連邦
ポーランドの旗 ポーランド
ブラジルの旗 ブラジル
自由フランスの旗 自由フランス
ギリシャの旗 ギリシャ
イタリア戦線 (第二次世界大戦)
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6)

489:だつお ◆t0moyVbEXw
16/01/03 17:41:32.99 ThZ+nBWX.net
>>483
>1943年1月にカサブランカで開かれた英米首脳会議において,シチリア島への上陸作戦
>(ハスキー作戦)の実施が決定したことにより,ボレロ計画はさらに先送りされることとなった。
地中海戦線(北アフリカとイタリア)はイギリス軍が主体ゆえ、イギリスには縄張り意識があった。
Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
URLリンク(www.angelfire.com)
しかしながら1943年6月に、北アフリカもイタリアもドイツ軍師団はゼロという状況だった。
その後にわかにドイツ軍がイタリアへ送られ、イギリス中心の多国籍軍の戦いが始まった。
クルスク戦以降に連戦連勝するソ連軍、勝利の分け前を逃すまいとの多国籍軍、
何のかんの言ってもイタリアを手放したがらないドイツ。ドイツが恐れていたのは同盟国の離脱。

490:名無し三等兵
16/01/03 17:43:09.32 WC8x1Y90.net
>>488
いや、規模よ、規模。
アフリカ→イタリア→ノルマンディーまでの大筋の流れはわかるよ
でも44年移行の西部戦線って規模とか損害とかイメージない
勝手にナチは手薄で大交戦なく終わったイメージあっけないバルジの戦い以外応戦あったの?
俺の脳内だと西部戦線は両軍投入戦力200-300万。両軍損失わずか30万
というあっけない戦いの印象しかない
西部戦線とかいうけどあれ西部戦線全部の投入兵力と損失はクルクスの半分もなくてしょぼいイメージ

491:だつお ◆t0moyVbEXw
16/01/03 17:50:29.27 ThZ+nBWX.net
>>481
北アフリカとイタリアのドイツ軍師団数の推移を眺めてみれば一目瞭然だが、ドイツ側の対応は常に消極的。
独ソ戦と比べれば西部戦線は余興にすぎないが、ドイツにとって同盟国の離脱は大問題だった。
― 八月三十一日、
 ヒトラーは、外相J・リベントロップの覚書をうけとった。
 外相は、ソ連軍のルーマニヤ進攻によってドイツは最重要戦略物資である石油の確保に支障をきたす
ことになった、これはこれまでに失った資源事情をさらに極度に悪化させる、と指摘した。
 ドイツはすでにポルトガル、スペインのタングステン、ウクライナのマンガン、トルコのクローム、
南フランスのボーキサイトの入手をふさがれた。
 フランスでは、米英軍の進出でドイツ側が各地に配備した大量の工作機械も放棄する結果になっている。
 いま、ルーマニヤをソ連にわたし、さらに他のバルカン諸国もドイツ陣営から離脱する気配を見せはじめた
点を考えれば、「終戦」の時期にさしかかったと判断すべきであろう。
「本職は、ここに総統が賢明なる決断を下し、本職に対米英和平交渉の権限を与えられんことを要請するものである」
 外相リベントロップは、そうヒトラーに献言していた。
「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」(児島襄)
ヒトラーが無理を承知で、日本の真珠湾攻撃に合わせて対米宣戦布告した事情も、同盟国の離脱を恐れたから。
もしヒトラーが対米宣戦布告を怠れば、イタリアをはじめ多くの枢軸国が米国と和平交渉を始めてしまうだろう。

492:だつお ◆t0moyVbEXw
16/01/03 18:05:10.22 ThZ+nBWX.net
>>490
>アフリカ→イタリア→ノルマンディーまでの大筋の流れはわかるよ
>でも44年移行の西部戦線って規模とか損害とかイメージない
「モンテカッシーノの戦い」とか、イギリス軍主体の多国籍軍の戦いだったのでは。
      Battle dead Permanently disabled  Captured    Total
Tunisia     19,600      19,000          130,000    168,600
Sicily       5,000       2,000          7,100    14,100
Italy       86,000     15,000           357,089   458,089
Western Front 263,000   49,000       7,614,794   7,926,794
Total       373,600    85,000        8,108,983    8,567,583
1 Includes 3,404,949 disarmed enemy forces.
Biennial Reports of the Chief of Staff of the United States Army
July 1, 1943, to June 30, 1945 to the Secretary of War
URLリンク(www.ibiblio.org)

493:名無し三等兵
16/01/03 20:35:35.10 7p78uXF9.net
マトモな人間ならスレタイ読めますよね
ま、馬鹿の耳に念仏か

494:名無し三等兵
16/01/03 21:18:53.96 HFdaJGIn.net
新年から茶々いれてスレ妨害してる共産ゲリラは氏ねと思う

495:名無し三等兵
16/01/03 21:54:00.39 3AtHqt8o.net
こんな場末のスレで延々と工作してる共産党員なんかいないだろうに そういう連中が工作するんだったらTwitterとかで中高生相手にやった方がよっぽど効果的だろうて
今ここにいるのはマヌケだけだよ 俺も含めて

496:名無し三等兵
16/01/03 22:33:47.69 wH+pZ/zQ.net
>>495
その間抜けな共産党員がここに粘着してるんだよ
妨害スレを何度か立ててる
60年代70年代なら田舎の村一番秀才が左翼活動邁進するため上京したりが珍しく
なかったろう現象
親兄弟は当然ドン引きだが
左翼にもエリートはたしかにいるんだが、今は絶対数がすくないもので逸材はきわめて稀
旧ソ連兵器文章で素晴らしかったのは共産党除名なった古是さんくらい
火砲スレは末端のどうしようもないやつが居座ってる

497:名無し三等兵
16/01/03 22:40:03.37 wH+pZ/zQ.net
ソ連陸戦兵器に関しては昔の戦車マガジン、グランドパワー高田さんもよかったが、ホビージャパンミリタリー別冊いがい最近ぜんぜん記事を書いていない
だよねえ模型設計の中国とのゴタゴタで疲労困憊したらしく・・・・

498:名無し三等兵
16/01/04 00:42:04.30 vYCOUjgY.net
この男、キチガイにつきNG
ID:wH+pZ/zQ

499:名無し三等兵
16/01/04 01:00:19.37 ZwOxFaTu.net
>>498
そのゴミクソもコテつけてくれりゃいいのに
NGが簡単

500:名無し三等兵
16/01/04 01:28:51.07 KMZf5VWC.net
歩兵小隊には擲弾筒があって
大隊砲も連隊砲もあるのに何故に中隊砲だけ欠けてるんだろう?
一式重機関銃構想なんかよりよほどそっちのほうが大事な気がするが

501:名無し三等兵
16/01/04 01:39:01.43 KGsC6z16.net
中隊には重機があるじゃん

502:名無し三等兵
16/01/04 01:40:19.12 2onapHgF.net
擲弾筒と軽機が小隊支援火器。
大隊砲と重機関銃が大隊支援火器。
連隊砲が連隊支援火器。
この中で重機関銃を中隊支援火器に落とそうとしてたんじゃないの?

503:名無し三等兵
16/01/04 02:28:46.46 KMZf5VWC.net
軽機と擲弾筒は小隊配備の分隊支援火器
まあ分隊支援火器以外はあまり聞かないけど、支援というのだからバックアップという意味だよ。
連隊砲は大隊支援火器で大隊砲は中隊支援火器だと思えばいい

92式重機は定数で大隊の機関銃中隊に12挺配備
4小隊で一個中隊、3中隊で一個大隊という事なので数の上では一応一個小隊に1挺の割合の小隊支援火器という事になるのだが
段列が違うので常に4挺の重機が中隊に張り付いていてくれるというわけじゃない
それじゃ即応性に欠けるし直接中隊で運用して小隊支援する重機が欲しい
でも92式じゃ中隊運用では重たすぎだし射撃距離も近くなるのだから99式実包で充分
という要請で生まれたのが一式重機

504:名無し三等兵
16/01/04 03:19:35.55 il6mclEZ.net
九七式自動砲が中隊砲になる筈だったでしょ

505:名無し三等兵
16/01/04 04:36:31.94 KMZf5VWC.net
微妙だな、土嚢位はぶち抜けるだろうが穴にこもった敵にはなすすべ無し
戦車には役立たず
さして榴弾効果も期待出来ないし7発しか装填出来ないし超糞重い
それならそんな高性能な奴はいらんからソ連のみたいな軽便なのを数揃えて欲しいね

506:名無し三等兵
16/01/04 08:28:00.28 K8pq8Rtc.net
これについてなんだけど本人に指摘した方がよいのかな
URLリンク(twitter.com)
以前から言われているが「一式砲戦車」という名称は陸軍の文章に一応存在する
URLリンク(fracture1117.blog136.fc2.com)
上のブログで言われている元ソースはアジ歴 C12121547600 
16ページに「一式砲戦車」60両とある

507:名無し三等兵
16/01/04 08:31:32.75 K8pq8Rtc.net
「日本の戦車」の試製一式砲戦車の名称は何を参考にしたのか分からんけど
昭和18年度段階では「一式砲戦車」と言われていた可能性があるので何とも間違いとも言えない
九九式砲戦車 → 一〇〇式砲戦車 → 一式砲戦車 → 二式砲戦車
     日立ホイ         三菱ホイ

名称の変遷はこんな感じかもしれない

508:名無し三等兵
16/01/04 08:32:09.65 K8pq8Rtc.net
九九式砲戦車 → 一〇〇式砲戦車 → 一式砲戦車 → 二式砲戦車
     日立ホイ             三菱ホイ

509:名無し三等兵
16/01/04 08:33:49.98 K8pq8Rtc.net
改行うまくできなくて失礼

510:名無し三等兵
16/01/04 08:34:40.71 gSgKyiA0.net
>>503
誰が入れたのかわからんが、”支援”と入れちゃうとワケが分からなくなるんだよ
種別は基本運用の枠なんだから支援がどうたら関係ない

511:名無し三等兵
16/01/04 09:06:58.48 4vsWVldz.net
>>500
大隊が戦術単位だから。米軍だって中隊砲は無い。
今は班に84RRあるけどね。

512:名無し三等兵
16/01/04 09:15:11.62 dAaeJG9B.net
日本軍にバズーカでもありゃよかったがな。

513:名無し三等兵
16/01/04 09:17:13.01 K8pq8Rtc.net
>>507
×昭和18年度段階
○昭和17年度段階

514:名無し三等兵
16/01/04 09:22:35.41 K8pq8Rtc.net
>>507は昭和17年度でなく昭和18年度であってた
何度も失礼

515:名無し三等兵
16/01/04 09:47:06.15 K8pq8Rtc.net
今思い出した昭和17年9月の国軍機甲車輌整備体系表 C12121562400
これも戦車隊用の砲戦車として「一式(ホイ車)」となってる
昭和17年〜18年頃は一式砲戦車と呼ばれていた時期もあった可能性は高そう

516:名無し三等兵
16/01/04 09:51:07.22 K8pq8Rtc.net
あとは同一車両を開発現場の研究原簿では一○○式砲戦車
上層部の資料では一式砲戦車と呼んでいた可能性もあるか

517:名無し三等兵
16/01/04 11:52:46.41 4PkrZ8xl.net
>>490
44年のノルマンディーまでは
基本的に空の戦いがメイン
Big Weekに始まる大爆撃キャンペーン
3月から始まる石油施設への爆撃でドイツは石油がほとんどなくなり
物流が枯渇し始め
独空軍もほとんどすり減っていた
ノルマンディー当日二機のFW190しかいなかったのは
偶然じゃない

518:名無し三等兵
16/01/04 12:51:55.47 KMZf5VWC.net
>>511
60o迫撃砲が当時の米軍の中隊砲にあたるんじゃないか?
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
歩兵中隊ごとに編成された火器小隊に3門ずつ配備され、歩兵3個小隊を3門のM2迫撃砲が支援するようになっていた

519:名無し三等兵
16/01/04 14:21:51.27 114hF6xo.net
>>517
>3月から始まる石油施設への爆撃でドイツは石油がほとんどなくなり
Output of aviation gasoline from synthetic plants dropped from 175,000 tons in April to
30,000 tons in July and 5,000 tons in September.
URLリンク(www.anesi.com)
ドイツの航空ガソリン生産は、1944年4月に175,000トンだったのが、同年9月には5,000トンになってる。

520:名無し三等兵
16/01/04 15:27:56.00 sKMUdxIv.net
>>517
なるほど
やはり末期の抵抗力の微妙さ加減は空爆で資源を叩き潰したからか
最後は春のめざめ作戦でハンガリーに石油調達に行くわけね
ナチは日本よりテクノロジと工業に恵まれてるのに、段階的で多段的な防御計画ってやつが待ったくできてなくて
防御の段取りは日本以下だと思う。戦車作れてるのに

あと日本軍が3式などをまともに作れなくてってのは大きな誤りだ。あの製造計画と異常なぺーす(7-8月の対戦車自走砲、戦車、自走砲の生産台数は月産75-100両規模)
で早期に十分な数を供給する能力は十分生きてたんだ
戦車においては作れなかったじゃなく、末期にでも大量供給できるから、最後になるまで作らないでおいたってのが適切だな
また戦車に関して末期の計画だと4式含み1000両単位での75mm戦車を計画してたようで
量的に大量の戦車を使った防御作戦を計画していなかっただけで最初から大量供給を計画していないため
末期まで開発も製造も遅らせてたんだな

521:名無し三等兵
16/01/04 16:05:28.27 VV3jbhi1.net
そもそも大砲作る能力無いじゃん

522:だつお ◆t0moyVbEXw
16/01/04 16:15:42.87 if9L2Q7+.net
>>520
>戦車においては作れなかったじゃなく、末期にでも大量供給できるから、
四式中戦車チトの試作は完成しており、それからすぐにでも量産できることになってたからな。
本車を含む昭和20年度の対戦車戦闘車両の生産計画は幾度かの改定が行われている。
戦車生産を管轄する相模陸軍造兵廠が1945年3月31日に作成した「昭和20年度作業計画表」によれば、
三菱重工と神戸製鋼所がチト車の生産を担当し、まず1945年8月に5両を三菱にて先行生産、
1945年9月から翌年2月までに両社合計で月産25?35両、合計200両を昭和20年度内(?1946年3月)に生産する計画となっていた[22]。
終戦までに完成した車輌は試作車2輌であった。文献によっては三菱の工場で6輌が完成したともされる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

523:名無し三等兵
16/01/04 17:00:38.21 kVIkhdKf.net
>>521
野砲を転用して(ry

524:名無し三等兵
16/01/04 18:26:09.72 sXpXWMsm.net
大砲って・・・
小学生みたいなレスやな

525:名無し三等兵
16/01/04 19:43:05.80 8DOXSpnt.net
>>515
それ砲戦車の名称じゃなくて一式中戦車の車体を使うって意味な気がするんだ ここの昭和17年3月1日と5月28日の資料記載を見比べてみるとそう思える
URLリンク(infoseek_rip.g.ribbon.to)

526:名無し三等兵
16/01/04 21:11:31.60 K8pq8Rtc.net
言われてみるとそうだがどうなんだろう
他は「一式中」に準ずとも書いてあるという紛らわしさ
「一式ホイ車体」に準ずとも読めなくは無いから困る

527:名無し三等兵
16/01/04 21:14:50.79 gSgKyiA0.net
官僚の作文が玉虫色なのはいつものこと

528:名無し三等兵
16/01/04 21:15:39.31 K8pq8Rtc.net
うーん>>515はちょっと分からないな

529:名無し三等兵
16/01/04 21:30:06.12 8DOXSpnt.net
>>526
丸の最新号の付録冊子でも載ってる「一式チヘ車はホイ車体の流用」って説を踏まえるとそうも読めるね
でも
・元々砲戦車は中戦車と同一の車体を用いる気でいた(昭13〜15年頃 C14010847600)
・昭和18年9月に開発が中止された砲戦車(ホチ車)はチト車(25t)と同一車体を用いるものだった(C12121563900 23P)
って点からして、ホイ車だけ専用の車体が作られてたとは考えにくい気がする

530:名無し三等兵
16/01/04 21:33:58.89 5lMZ6Xnr.net
つーか旧日本軍の装甲車輌の記録にやる気を感じない・・・
もっと要目とか具体的にハッキリ書けやと怒鳴りたくなる事多し

531:名無し三等兵
16/01/04 21:44:02.44 8DOXSpnt.net
>>530
ハッキリ書いたものは殆ど燃えちゃってるんだろうなあ…
そういや一式で思い出したが、アジ歴コード:C12121791800 46P目の"一式七糎半戦車砲"って何なんだろう
自走砲の誤記?

532:名無し三等兵
16/01/04 22:05:14.67 K8pq8Rtc.net
>「一式チヘ車はホイ車体の流用」説
国本康文氏と交流のある研究家(小高正稔氏や吉川和篤氏など)はそういう見解だね
丸の最新号の付録「日本の戦車オールガイド」も小高氏が担当しているし
ホビージャパンの「日本戦車の系譜」の解説を担当した吉川氏もそう書いてる
URLリンク(i.imgur.com)

533:名無し三等兵
16/01/04 22:36:51.20 K8pq8Rtc.net
>>531
火砲担当の大造(大阪造兵廠)だから文字通りホニIの戦車砲じゃないかと
十榴自走砲車体は車両担当の相造(相模造兵廠)となっているのでたぶん

534:名無し三等兵
16/01/04 22:50:59.58 8DOXSpnt.net
>>532
自分も出来る範囲で調べてみたけど、チヘ車とホイ車はセットで作られてたって気もするんだよねえ
・チヘ車の開発には三菱と日立の2社が関わっていた(昭16年8月に三菱がチハ車生産で手一杯なので日立がモックアップ製作と審査を担当 カマド「日本陸軍の戦車」171P)
・一式チヘ車・三式チヌ車の生産も日立と三菱が担当していた(GP199号)
って点からして、チヘ車は三菱と日立の2社で複数試作(油圧サーボ搭載型・チハ車拡張型・etc?)されてて、ホイ砲塔も自社の車体用に各自で作ってたのが
昭17年からは○○式ことチト車(+同一車体の砲戦車・直協戦車)に開発の主眼が移り、その完成までの繋ぎとして一番適していた(=比較的早めに作れそうな)モデルを一式チヘ車に仕立てた、とかそういう
>>533
それだと七糎自走砲車体の記述が無いのが気になってくる

535:名無し三等兵
16/01/05 01:18:44.49 z5eSAW3R.net
>>520
空の戦いは
1943年頃にスピットIXの登場でフランス上空くらいまで既に連合軍優勢
1944年P51の登場でドイツ本土まで一方的になる
ノルマンディー後は連合軍が行くところ必ずエアカバーがあり
常に6000〜8000機近い作戦機が稼働している
どの戦いも常に大規模な空中戦も伴っている
一方的な制空権の結果、独軍の大部隊の情報は基本的に筒抜け
移動も輸送も厳しく
一方の連合軍は、砲兵観測による射撃精度の優位と
近接支援による、飛行機自体が砲兵代わりもするようになる
ロケット弾は炸薬量的には15cm砲相当で
8発くらい積めば、軽巡洋艦の斉射に相当する火力

536:名無し三等兵
16/01/05 01:31:44.60 9OfYFzgg.net
なんか靖国のチハと各種大砲のコンディションが話題になってるけど
1975〜76年にサイパンから戻って2002年に遊就館が出来るまで野外展示だったから
当然じゃないかと
むしろ今頃ポーランド人に指摘されて騒ぐなんてあまりに無関心すぎるだろうと

537:名無し三等兵
16/01/05 01:36:59.57 YdmJj64m.net
それを知ってる層は「日本における展示兵器の維持管理」なんてとうに見限ってるだろうし
新しく入ってきた層はそりゃ知らないだろうし

538:名無し三等兵
16/01/05 02:26:17.32 BBtPlSpS.net
とりあえず鹿屋の二式大艇をだな

539:名無し三等兵
16/01/05 08:03:38.81 iY2I9L3S.net
そういう意味では知覧の陸軍戦闘機たちはまだ恵まれてるな

540:名無し三等兵
16/01/05 08:09:37.43 Ic59h0hm.net
日本の兵器は海外で展示されてる方が状態もいいし幸せ

541:名無し三等兵
16/01/05 08:30:41.36 vU4SBBG2.net
軍用機の保存って言い出すと基地外が騒ぎだすからな

542:名無し三等兵
16/01/05 09:17:04.11 Vx2f2F2D.net
北方領土の赤さびた日本戦車の残骸をロシア人がドナドナした時いきり立ってた奴いたけど
その時の特二式内火艇とか既に立派にレストアされている
日本じゃ誰がそんなことやりたがるんだ、みんな口だけだし

543:名無し三等兵
16/01/05 10:38:43.16 P/0PU/ZY.net
>>541
ネトウヨの馬鹿さ加減は底無しだな
現に国内展示保存されてる兵器の状態が劣悪なのが問題なのに…
能力もないのにわざわざ外国から持ってくる連中はどっちですかー?

544:名無し三等兵
16/01/05 12:34:40.45 NLP5AXxu.net
>>541
軍用機どころか歴史的な工作機械すら保存できないんだぜこの国
完動品にすると資産扱いになるから莫大な税金がかかるわ、そもそも誰も興味無いから保存の意義を理解しないわ酷いもんよ
この辺りの断末魔はネットで調べられるから見てみ?明治時代の貴重な機械が全部スクラップになったから

545:名無し三等兵
16/01/05 12:50:50.17 Ic59h0hm.net
もともと災害が多く酸性の土壌と多湿な気候から物の長期保存にはむいておらず
そこから生まれた古いものは時に任せて朽ちさせる国民性になったのだから仕方ない

546:名無し三等兵
16/01/05 13:02:05.05 Vx2f2F2D.net
法隆寺で土下座して来い

547:名無し三等兵
16/01/05 14:17:16.51 Ic59h0hm.net
同時代の仏教建築のほぼ全てが失われてるので単なる詭弁だね

548:名無し三等兵
16/01/05 14:24:18.17 UzXl7Z3f.net
ロシアとかで屋外放置されてる重砲だの戦車だのが矢鱈と状態良いままで残ってるのは気候があってるかららしいな

549:名無し三等兵
16/01/05 14:28:01.87 F5aBOWxf.net
木造建築は火災にさえ遭わなければけっこう持つからな
鋼でできた兵器の方が日本の気候では厳しいだろう

550:名無し三等兵
16/01/05 14:52:36.77 7n7WB5w3.net
>>545
んなわけないだろ
この国にどんだけ歴史的文化財があると思ってんだよ
そういうのは昔から大切にされてるよ
近代の機械系に対する歴史的意義に興味が薄いだけ

551:名無し三等兵
16/01/05 15:01:38.88 iB3yWlVT.net
建物系は昔から頻繁に修復したりして神経質なまでに保存してるからなあ
戦乱で焼け落ちたのは流石に破棄されてるけど
近代以降のものでも建物系は大切にされてる
消耗品的扱いのやつはあんまり興味ないんだろうな

552:名無し三等兵
16/01/05 16:27:57.59 gC7zef/x.net
廃仏毀釈であちこちの寺社を薪にしまくったのがなー

553:名無し三等兵
16/01/05 17:14:08.83 vU4SBBG2.net
明治時代に仏像と城を捨て昭和で軍事関連を全て捨て去った日本民族

554:名無し三等兵
16/01/05 17:24:51.02 7n7WB5w3.net
別に捨ててはいないだろ

555:名無し三等兵
16/01/05 20:53:41.74 3T0riNox.net
うちの近所に大阪砲兵工廠跡があったけど、順次壊されて今は
外壁のごく一部くらいしか残ってない。

556:名無し三等兵
16/01/05 20:57:43.65 ozv+rtuC.net
とりあえずチハ車の話に戻るけど、元々サイパンで埋もれてた車両だった以上あれ以上の事は出来ない気もするな
マフラー周りを実物同様の新造品で置き換えるとかって程度ならともかく、大掛かりに修繕すればオリジナルの箇所がどれだけ残るのやらだ

557:名無し三等兵
16/01/05 21:08:40.69 4gLrtBjC.net
>>555
あそこは空襲で破壊されて戦後はアパッチ族のスクツに…
外壁の一部でも残ってたって方が驚きだわ

558:名無し三等兵
16/01/05 21:09:31.42 o31CLObk.net
キューポラハッチとアンテナは近年新造したんだっけ?

559:名無し三等兵
16/01/05 21:17:42.21 3T0riNox.net
>>557
全部破壊されたわけじゃないから、GHQ接収を経て80年代までは本館がそっくり残ってたのよ。
壊されて大阪城ホールになったけど。

560:名無し三等兵
16/01/05 21:57:16.70 UTv3B2sT.net
中国?什?不拍一部《?大的抗日?争》??
URLリンク(www.zhihu.com)
ソ連邦大祖国戦争
「来来来,人家1943年8月到1944年12月期???了“被コ?完虐”的十次斯大林突?,十次?利。」
中国抗日戦争
「与此同?,K?的表?如何??」
中国語は機械翻訳でもわかりにくいが、それでも、
ナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>( 越 え ら れ な い 壁 )>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>大陸打通作戦でドツキ回された中国チンピラゴロツキ
・・・という内容であることは自明だ。

561:名無し三等兵
16/01/06 09:49:31.43 5yrZFrq7.net
日本がもっと積極的にやるべきだったのは、砲のライセンス生産じゃなく生産
設備そのものを丸ごと輸入する事だったな。

562:名無し三等兵
16/01/06 10:34:26.00 OChYvSjX.net
自衛隊にレストアされた89式はまだ元気なのかのお

563:名無し三等兵
16/01/06 13:10:50.65 kUyZePai.net
現用エンジンに交換するのはレストアと言うのだろか

564:名無し三等兵
16/01/06 15:33:28.61 ZQsWeaaV.net
0か1しか答えがないわけではない

565:名無し三等兵
16/01/06 19:48:10.70 CpNAwFkJ.net
>>562
いまの発動機壊れたらもう直す気がないとかいう噂が…
予算カツカツなのに使えない兵器に無駄な予算と時間かけるのが嫌らしい
折角直してダミーの砲身まで取り付けたんだから動態保存じゃなくてもいいから屋内で展示してほしい
三式も

566:名無し三等兵
16/01/06 20:16:43.50 x8gIaflF.net
今のトップがレストアに積極的では無いってウワサの奴?
オリジナルエンジンがトップの交代でスクラップになったウワサも有るし、なんか怖いなー
ただのデマなら良いんだけれど

567:名無し三等兵
16/01/06 22:32:02.87 rD3BRfcL.net
>>565-566
1960年代の頃の事情と話が混ざってる感じがしなくもない その話の出処を教えてくれ
そして戦車繋がりのネタを
「軍需動員実施に伴う兵器審査計画提出の件(1)」コード:C04121830100
26ページ目の記載によると九八式軽戦車は三種類が試作され
昭和13年11月試作 14年8月試験
昭和13年11月試作 14年10月試験
昭和14年6月試作 15年3月試験
と、一つだけ時期が大幅にズレてたんだとか ちなみに25ページ目には新様式中戦車二種が昭和15年4月に試作とある
今月のグランドパワーで国本さんが「チホ車が完成したのは「日本の戦車」に書かれてた14年7月でなく15年7月だったんだ」ってな話を書いてるけど
関係者の記憶の中で中戦車と軽戦車がごっちゃになってただけかもしれない一方、ケニ車とチホ車の製作は同じ三菱とジーゼル自工の担当だからひょっとすれば何か関連があったのかもしれない
特に三菱よりも先行して作られてた自工チホ車あたり

568:名無し三等兵
16/01/06 23:56:59.36 CxDfO39S.net
1980年初頭に出版された四研史には「資料が散逸して一部の日記や記憶頼りで記述せぜるを得ず申し訳ない」
みたいな感じのことわりがあったくらいだからしょうがない
今みたいにネットで一次資料見れたり簡単に情報交換したりできるような時代は幸せ

569:名無し三等兵
16/01/06 23:59:03.90 CpNAwFkJ.net
>>567
ネットで又聞きだったわこの話すまんな
確かに昔の土浦駐屯地司令の話とごっちゃになって

570:名無し三等兵
16/01/07 00:19:47.66 TI2v2trA.net
>>566
オリジナルのエンジンってのは土浦のチヌ車の統制型の事だと思うんだけど、あれ腐ってはいるけど残ってるよね
廃棄されたのは三菱重工が持ってた方だったんじゃないかな


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