【加農・榴弾・高射・ ..
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643:名無し三等兵
12/02/08 01:34:38.29
たとえ重砲といえど、必ずしも文書に記録されて残ってるとは限らないしね
比島決戦並の規模になると

644:名無し三等兵
12/02/08 01:41:38.62
宝石より貴重な国軍重砲なのにがっちり記録が残っていないのは哀しい

645:名無し三等兵
12/02/08 01:50:32.91
砲の腔発関係。
第1943号 17.4.21 渡集団司令官 秘電報訳
C06030063400
四五式二十四糎榴弾砲が4月19日の戦闘中に、弾を950発くらい撃ったところで腔発事故を起こしたらしい。
ちょうどコレヒドール島攻略戦の途中。

四五式24糎槽弾砲腔発の件 技本
C01004661600
1939年3月17日にも九六式二十四糎榴弾砲の腔発事故を検証しようとしたときに腔発したらしい。
まあこれは再現できたからいいのだろうか…。


十一年式曲射歩兵砲はやたらと腔発が多かったらしい。
人員派遣の件
C04011476300
職工満洲国へ出張の件
C04011499400
この辺は満州事変後の関東軍の話だが、日中戦争でもいろいろと報告されている。
11年式曲射歩兵砲腔発に関する件(歩兵第19連隊、1937年4月5日)
C04012492400
調べたが原因はいまいち不明な事例。

火砲腔発の件(歩兵第234連隊、1940年半ば)
C04122157900
火砲腔発の件(第13師団、1941年1月?)
C04122721400
この2つは通牒だけなので詳細不明。

火砲腔発の件報告(独混第18旅団独立歩兵第96大隊、1940年11月6日)
C07091757400
ねじが出てる方のキャリングハンドルで装填不良の弾薬を突いたらそりゃあ爆発するだろwという事例。

646:名無し三等兵
12/02/08 01:53:39.79
>>641
これを見ると第1次上海事変以降も陸軍も使う気まんまんだなw
1門だけの九六式重迫撃砲と違い十四年式重迫撃砲は数門造られたそうだし

ちなみに終戦時の第3軍に独立重迫撃砲第1中隊が存在しているが
ここに九六式重迫撃砲と一緒に配備されていたのかもね

647:名無し三等兵
12/02/08 01:56:21.96
>>645
いまいち不明というのはなんとなくだが火砲側ではなく
砲弾の方に見えていない不具合がありそうな気がする

648:名無し三等兵
12/02/08 02:08:36.02
どうせ炸薬は茶褐か黄色、たぶん黄色だろう
あれ保存状態次第でスが生じて、発射等の衝撃で自爆するんだよ
海軍でなんどかやらかして保存期限の厳密管理と
期限切れの奴の回収再生(ぶっちゃけ溶かして詰めなおし)が行われてる
そこらの技術情報の共有が無かったとしたら危ないよね

649:名無し三等兵
12/02/08 02:15:42.08
材料は大体どれもだが鬆って怖いね

650:名無し三等兵
12/02/08 02:18:55.25
その他の火砲
改造38式野砲補充の件(野砲兵第4連隊の改造三八式野砲、1937年8月12日
C01003292700
火砲腔発の件報告(通牒)(第33師団の九四式山砲2門、1941年4月?)
C07091887600
兵器交付の件(第27師団山砲兵第27連隊の九四式山砲、1941年6月26日)
C04123291000

火砲腔発に関する件報告(通牒)(第11軍、1941年7月から8月)
C07091980700
1か月ほどの間に5門の火砲が腔発した第11軍の報告。
第4師団野砲兵第4連隊(一三式山砲)、第13師団歩兵第58・65連隊(三一式山砲3門)、独混第18旅団(三一式山砲)のうち、
第4師団以外が腔発状況の報告書を写真と図面入りで送っており興味深い。
第11軍の兵器部は三一式山砲の腔発が頻発して、原因がいまいちわからず困っている。
一三式山砲は中国が四一式山砲をコピー生産した奴かな?

火砲腔発の件報告(支那派遣軍、1942年?)
C07092249400
第11軍の第6師団(九一式十榴)と、第13軍の第15師団(九五式野砲)、第116師団(三一式山砲)の腔発事故通牒。

>>647
報告書でも、使用弾薬は遠征でやたらと移動したときの残りだから、あるいはトラックの振動とかが悪かったのかもしれない、と言ってるね。
上述の第11軍兵器部は原因として
・長距離の悪路輸送の影響
・暑熱の影響
・発射時の装薬ガスの影響
これらによる信管への悪影響を推定している。

651:名無し三等兵
12/02/08 05:18:54.90
>>638
間違いではないんだ
砲兵工廠から、のちに造兵廠に名称変更になるように
時期でかわる

W号戦車F2型は一時的な書類上の名称で実際、長砲身はG型に統合されてるんだが、
F2型という呼称も現在の分類で間違いではない例もあるし

652:名無し三等兵
12/02/08 05:19:19.41
>>638
間違いではないんだ
砲兵工廠から、のちに造兵廠に名称変更になるように
時期でかわる

W号戦車F2型は一時的な書類上の名称で実際、長砲身はG型に統合されてるんだが、
F2型という呼称も現在の分類で間違いではない例もあるし

653:名無し三等兵
12/02/08 05:20:28.51
すまん重複した

654:名無し三等兵
12/02/08 05:24:10.44
まあ、原則的には兵科は廃止ですよと言っても
実質的には各兵種単位で動いてるし
砲兵の皆さんは砲兵科と言っても良い状態だね

655:名無し三等兵
12/02/08 05:38:06.17
>>650
支那軍は一三式、一四式と呼称に「年」が抜けてるのでおそらくそうだろう
中華民国暦が大正元号と一年しかズレを生じないため、混乱を防ぐ意味で数字を
踏襲して、日本軍は準制式化で改造十四年式などとと呼称しているものと
思われる

656:名無し三等兵
12/02/08 06:04:22.45
>>645

>まあこれは再現できたからいいのだろうか…

よくない!よくない!

24cm砲弾で腔発やらかしたら、当然殉職者がでてるだろ…
九六式は防盾ないし。あれは敵の弾片ふせぐのと、もしもの腔発から砲兵を
守るためだからね

657:名無し三等兵
12/02/08 06:06:30.25
>>655
ああ、十四年式って中華民国暦なのか

658:名無し三等兵
12/02/08 06:08:41.07
射撃の砲口ブラストから砲兵を防護する意味もある
短砲身で大口径だととくにキツイらしい


659:名無し三等兵
12/02/08 06:32:03.15
>>650
三一式山砲の連続腔発はグランドパワー2008年11月号の佐山さんの記事に載ってるね。
他に独歩95でも腔発したらしい。

>>648
その記事によると火薬は初めて黄色を使ったらしいから、問題が出たのかもねえ。

しかしまあ今更だが、1930年代に駐退複座器もない砲とか大変だな…。
砲が無いよりはよほどましだろうが。

660:名無し三等兵
12/02/08 06:32:10.20
>>654
騎兵連隊が一部のぞき捜索連隊に改編されたとか戦車連隊に転属など近代化刷新の意味もあるし、
襟章の兵科色、兵科名称からの防諜目的も当然あるだろう

老河口の史上最後の騎兵部隊の勝利とかあるけど、おれのジイさんも騎兵で
終戦まで旭川市内を馬のって巡回パトロールしてたそうな

661:名無し三等兵
12/02/08 06:54:46.75
>>660
そこら辺はそうだけど
内部では兵科、兵種ごとに動いてるよねって話で

662:名無し三等兵
12/02/08 06:56:36.87
炸薬と言うと平寧薬は実際はどの程度使われたのか?

663:名無し三等兵
12/02/08 07:20:54.12
>>661
古兵や下士官でも軍隊のヌシ曹長殿や准尉殿が新米将校より幅きかす
社会なんで表面的な刷新改革より、従来の慣習のほうがタテマエとは別に
優先した部分は多かったろうね
わざと昔の呼称表現を頻発して、べテランぶりを誇示するとか

664:名無し三等兵
12/02/08 07:30:37.56
部隊の歴史と伝統は強さだし団結を生むとか言ってたしね
まあ、事実ではあるんだろうが

665:名無し三等兵
12/02/08 07:38:20.55
ごめん、准尉は下士官でなく准士官という士官と下士官の間の独自のクラスね
支那事変くらいでは特務曹長の呼称

666:名無し三等兵
12/02/08 07:43:48.57
さらに訂正
准尉は1932年制定だそう

667:名無し三等兵
12/02/08 08:06:44.44
グランドパワーの2008年9月号は買いだね
九五式野砲、九一式十榴、機動九一式、さらには「日本のに大砲」にない
レアな七糎七、改造十四年式十榴のそれまで未公開の写真、図面が載ってる

それまで木下式十榴とよばれていた試製砲も前号で未公開写真がある
野砲もシュナイダー製とは別の7.5cm試製砲が10月号で載ってる

668:667
12/02/08 08:15:09.96
2008 8月号の間違いだった
試製速射野砲なんて四一式山砲のパイプ製砲架に三八野砲の砲身、揺架載せた
みたいなやつの写真もある

669:名無し三等兵
12/02/08 08:21:17.54
グランドパワーは今こそ過去の国軍火砲、砲兵連載、各種記事の纏め本を出すんだ!!
このスレの住民が買った挙げ句布教するぞ!!

670:667
12/02/08 08:25:21.61
GP連載の歩兵砲と速射砲関連は立ち読みの範囲ではNF文庫にまんま再録してる
みたい
たしか記述がほとんど同じだったと記憶するもん

671:名無し三等兵
12/02/08 08:32:09.82
オリジナルのシュナイダー野砲が螺栓式の尾栓だったとか、開脚式の試製丙号野砲、
試製速射野砲とかみんな知りたいだろうな

672:名無し三等兵
12/02/08 12:49:30.77
グランドパワーのおもしろいところは三十年前の戦車マガジンの記事を
ポンと再録したりすること

2008/9だと、猪股 登さんの旧軍カタパルト式架橋戦車の記事
たしか、この人戦時中技官で伝説の大著「戦車」(山海堂)の著者のはず
大昔の文林堂「T34とスターリン戦車写真集」でこの古本を欲しがる
海外の研究者の話がでてくる

「知られざる日本の兵器」もグランドパワーですべての記事を合本化したわけ
でないんで、旧軍火砲の研究史として昔の戦車マガジンとPANZERを古本
で捜す意味もじゅうぶんあるかと
記述内容の精度とは別に当時の研究水準、解明度合いなんか伺われるし

673:名無し三等兵
12/02/08 14:06:10.94 OMJFhaFW
出版共同社「陸戦兵器総覧」なんか資料的価値はどうなんでしょうか

674:名無し三等兵
12/02/08 14:18:50.87
>>673
古本屋で立ち読みしたことはあるな…
だって、高いでしょ?「日本の大砲」、原さんの「日本の戦車」は
持ってるけど
コレクターアイテムとしての価値と研究史としての価値はあるだろうね
むかしのライターは「砲兵沿革史」と併せ、ネタ本にしたくらいだし
最新の研究成果が何よりほしくて妙なバイアスかかりたくないなら、
グランドパワー佐山連載とNF文庫を若い人に勧めるけど
古本はあくまで、おっさんとジイさんの趣味で

「大砲入門」も最新の佐山さんの研究にくらべると、情報の精度は
怪しくなってきてるし


675:名無し三等兵
12/02/08 14:48:17.96
九一式十糎榴弾砲の原型シュナイダー試製砲もずっと長砲身でマズルブレーキ
がついていたりする
日本陸軍要求の最大射程11000mと放列重量1550kg、接続砲車重量2000kg
におさめるため、あえて砲身を切り詰めたらしい
オリジナル砲からの砲身短縮うんぬんはGP佐山記事にも触れていない
あと、弾薬を薬莢式にシュナイダー社に変更させた件も。こちらの経緯は「大砲
入門」のほうに詳しい


676:名無し三等兵
12/02/08 15:19:30.56
>>593
クルップから買ったんだけど、日本に届いてないんだよ
寅壱、もとい職人服でなくティーガーTと一緒で

677:名無し三等兵
12/02/08 16:19:22.52
予算にある程度余裕があったらティーガー1と違い大東亜戦争開戦前に運び込めただろうけどね

678:名無し三等兵
12/02/08 16:23:08.62
海路でね
シベリア鉄道ではさすがに軍需品や兵器輸送は無理
中立とはいえ、仮想敵国筆頭の露助にバレバレだもん

679:暫編第一軍
12/02/08 16:32:28.49
>>673
 「陸戦兵器の全貌」の完全版ですね。1977年の出版ですが内容自体はもっと昔のものを集めて編集しています。
出版時点で執筆者のうちかなりの人数が故人となっていたとか。
 複数の関係者の執筆なので、各パートごとに情報の深度にかなりの違いがあるように感じます。
 砲弾や爆弾については今でも充分参考になる貴重なデータを多く含んでいますが、火砲や戦車自体については図鑑レベルの紹介にとどまっています。
 安ければ「買い」ですが、マケプレ価格を見ると図書館で閲覧で充分と思ってしまいます。

680:名無し三等兵
12/02/08 16:33:27.80
ドイツ兵器売り込み営業には件の名目メイド娘が活躍したと思われ
ピロートークで「ねェ、大佐ぁ、あたしすごい大砲をエッセンでみたんだけどぉ…」
とか

鴎外の舞姫劣化版でw

681:名無し三等兵
12/02/08 18:28:46.05
そんなもんそんなとこで目撃してる時点でただのメイドじゃないなw

682:名無し三等兵
12/02/08 18:45:39.85 FEsjAR+b
>>675
九一式10Hのオリジナル砲の詳細って知りたいなあ

683:名無し三等兵
12/02/08 18:55:18.89
試製砲なんで、フランスの文献とサイト検索するしかないんでない?
おそらく、いちばん近い砲はベトナムに現存してるやつ。さらに長砲身
みたいだけど、mle1936という説明はまず疑わしい
九一式とほぼおなじMle1934はリトアニアに輸出されてるそうだけど

684:名無し三等兵
12/02/08 19:46:56.79
>>679
やたら高価な古本を買う行為は、カネと気持ちに余裕のある好事家の趣味だと思うんですよ
間違っても、食費を切り詰めて買うもんでなく
幾多の研究者の探索知識の累積された新刊のほうが大概は出来がいいし
古本趣味は記述の誤りや甘さをあえて愉しむみたいな感じで

685:名無し三等兵
12/02/08 20:18:25.85
ティーガーTて潜水艦で運んできたんじゃないの小林源文の漫画に描いてあったぞ

686:名無し三等兵
12/02/08 20:36:17.52
あれは創作なんで
崩壊したビルマ戦線に一輌でも投入できたなら、愉快だったろうけど
ティーガーに搭乗した日本陸軍将校の写真あるけど、得意満面なのな

687:名無し三等兵
12/02/08 20:42:56.67
あの写真滅茶嬉しそうだよなw

688:名無し三等兵
12/02/08 20:45:43.98
>>627
昭和19年7月編成なんで忘れてた
独立山砲兵第22大隊[新島,独立混成第66旅団隷下] 九四式山砲(4),九九式十糎山砲(4),九一式十糎榴弾砲(4)
独立山砲兵第23大隊[八丈島,独立混成第67旅団隷下] 九四式山砲(4),九九式十糎山砲(4),九一式十糎榴弾砲(4)

ついでに、本土決戦野砲部隊@戦史叢書
独立野砲兵連隊
昭和20年2月編成
3〜7 3大隊9中隊 野砲(24),十糎(12)
※3,4,5,7は200番代師団の野砲兵連隊(201,216,205,214)に改編
昭和20年5月編成
8〜10 3大隊9中隊 野砲(24),十糎(12)
独立野砲兵大隊
昭和19年7月編成
12[八丈島,独立混成第67旅団隷下] 3中隊 九〇式野砲(12)
昭和20年1月編成
26[種子島] 3中隊 三八式野砲(12)
昭和20年2月編成
28 3中隊 野砲(12)
昭和20年5月編成
31 3中隊 十糎(12)
32 3中隊 機動野砲(12)
33 3中隊 機動野砲(12)
34 3中隊 機動十糎(12)






689:名無し三等兵
12/02/08 20:46:33.26
童心にかえったって感じだよね
あの写真は大日本絵画の新刊でみれる
昔から将校制帽被った陸軍将校の別ショットは知られているけどね

690:名無し三等兵
12/02/08 20:59:38.04
>>688
ほほう、伊豆諸島に九九式山砲が配備されてたわけですか
釣りのついでに山の探索で埋もれたやつが発見できるかもしれないな

691:名無し三等兵
12/02/08 21:17:36.33
>>688
九九式十糎山砲は伊豆諸島にも送られていたのか


野砲兵部隊はちゃんと砲種が示されているのはともかく
野砲って書かれている物の中身が気になる
十榴は九一式として

692:名無し三等兵
12/02/08 21:35:12.35
試製野砲か七糎七野砲、それとも三十一年式速射野砲とかマニアックな
セレクトだったりしたりして…

693:名無し三等兵
12/02/08 21:40:38.59
そんなんだったら十榴が実は九一式ではなく改造十四年式
みたいな事にもなりかねんw

694:名無し三等兵
12/02/08 21:41:43.78
可能性がないわけでもないけどね

695:名無し三等兵
12/02/08 21:47:09.98
改造十四年式と七糎七野砲の配備先は判明しないの?

696:名無し三等兵
12/02/08 22:18:41.32
上の方とか前スレ読むと改造十四年式は基本的に関東軍
七糎七は口径の問題から満州国軍に回されたようだ

697:名無し三等兵
12/02/08 22:36:27.44
>>695
いまいちわからんねえ。
七糎七野砲については>>112にあるように、
少なくとも1937年10月時点では関東軍以外の部隊に配備する予定はなかったようだけど。

兵器業務用図書送付の件(2)
C04122211400
南支那方面軍と第22軍あての図書送付だが、七糎七野砲と十四年式十糎榴弾砲については取扱法を送らず弾薬図面だけ送ってるんで、
配備砲ではなく捕獲砲対策かな。

陸軍秘密書類配布方の件
これを見るに少なくとも1941年の時点で関東軍は使う気は全然あったのだろう。

おまけ
兵器特別支給の件
C01007207900
なんとまあ多種多様な砲が存在することか!

698:名無し三等兵
12/02/08 22:55:38.61
>>696
>>697
ありがとう、アジ暦でも判明しない部分があるとすると
やはり謎が多い砲なんだな

699:名無し三等兵
12/02/08 23:10:32.24
七糎七野砲は口径77.7mmというのも不思議
シュコダ76.5mm、ドイツの75mm、77mmともちがうんだからね

700:名無し三等兵
12/02/08 23:46:17.15 WICMccdW
確かに77.7mmとかこれ以外で見掛けんなぁ

701:名無し三等兵
12/02/09 01:05:43.76 koNdzfmo
口径って、砲身の径じゃなく砲身長表すんじゃないの?

43口径7.5p砲は、7.5×43pの砲長とか

702:名無し三等兵
12/02/09 01:08:50.72
どちらの意味もあり
砲身の径を示す時もあれば砲身の径に対する
砲身長の長さを示す時もあり

703:名無し三等兵
12/02/09 01:44:09.84
>>698
ごめんレファレンスコード忘れてた
陸軍秘密書類配布方の件
C01003682700

704:名無し三等兵
12/02/09 02:14:44.56
十四年式重迫撃砲って何門作られたのですか?

705:名無し三等兵
12/02/09 07:06:27.85
>>701
砲身長は口径比といったほうがわかりやすいよ

706:名無し三等兵
12/02/09 07:17:31.99
>>704
本砲は射程の不足と、操用上の難点があり、1門しか生産しなかった。
と「迫撃砲 噴進砲 他」とあるね。制定兵器なのに。
九六式重迫撃砲も生産1門のみ

707:名無し三等兵
12/02/09 07:40:47.46
>>696
>>697
七糎七野砲はノモンハンの鹵獲写真で破壊されたのと、遠景なんで無傷そうなの
二門が確認できる
ノモンハン参加の日本軍編成装備では書面確認できないんで、この二門は
おそらく満州国軍の装備であろうという推定なんだけどね

708:名無し三等兵
12/02/09 08:47:24.25 t/AqNKoC
七糎七はともかく改造十四年式十糎榴弾砲は内地に居てもおかしくない気はするが
どうなんだろうね?

709:706
12/02/09 08:58:36.39
>>704
十四年式重迫撃砲続き

満州事変にあたり、海軍の上海陸戦隊に貸与したが、後に船載迫撃砲として
専用の船載砲床を整備した。

710:名無し三等兵
12/02/09 09:25:28.96
>>708
準制式するぐらいだから、サンプルで最低一門は内地に持ち込んでるよね
性能試験も内地の射撃場でしょうよ
ただ、改修は南満州造兵廠で実施と思われるし、補修部品なんかも専用で造った可能性
がたかいんで、メンテナンスの点で関東軍におおかた配備されたんではないかな
奉天兵工廠接収時に約50門の完成数で、昭和十七年十月末の調査で製造60門
だから、工廠接収後の新規生産ぶんが60門なのだろうな


711:名無し三等兵
12/02/09 10:04:32.46
>>706
帝国陸軍における制式制定ってそこまで深い意味ないもんね…

712:名無し三等兵
12/02/09 10:18:16.84
>>697を見るに支那戦線では定期的に七糎七野砲と十四年式十糎榴弾砲に当たる火砲の鹵獲はあったんだろうね

素の十四年式十糎相当の火砲だと九一式の弾が流用出来ないから
七糎七野砲同様鹵獲弾薬か南満州工廠からの補充頼りか
なんだかんだで南満州工廠でも七糎七と十四年式十糎の弾薬は細々と作り続けてたのかな?

713:名無し三等兵
12/02/09 12:51:36.79
とりあえずシベリア出兵の鹵穫砲というwikiは怪しすぎる件
シベリアに1922年に撤兵してるので、時期的にシュコダ原型砲を鹵穫しててもおかしくはないが

名称が奉天軍がすでに一四式と呼んでいたことと、
準制式の日時からみて満州事変の接収砲とする「日本の大砲」とGPの佐山記述が妥当と思われる


714:名無し三等兵
12/02/09 14:56:17.03
以前の書き込み訂正

西暦1912年=明治45年=大正元年=中華民国暦元年だね
大正15年までは支那製兵器の制定年と奇しくも一致する

715:名無し三等兵
12/02/09 17:25:29.66
>>706
>>641を見ると数門は作ってそうな感じだけどなあ。
1門のために弾薬3000発分以上も作らないと思うし。

>>710
前スレで書いたが、
押収兵器還送方の件
C04012435300
によれば押収十糎榴弾砲を伊良湖試験場へ送れという通達が出てるほか、
押収10糎榴弾砲還送の件
C01003404700
これによれば関東軍が保管している押収十糎榴弾砲9門を、
改造するため大阪の兵器支廠へ送れという通達が出たらしい。

wikiのシベリア云々や改造砲の弾種限定云々はどこに書いてあったんだろうなあ。
正しい記述も少なくないし、こんなマイナー火砲、どこかの記述を参考にしないと書けないと思うんだが。
改造砲の弾種については前スレであげた、
C01004544800
改造14年式10糎榴弾砲弾薬假制式制定の件
これを見るに強度云々はともかく一号装薬を使わず二号装薬のみを使ったというのは正しいが、
弾種の限定とかまではしていないはずだし。

実はネットで見れない史料を見たのだろうか…。

716:名無し三等兵
12/02/09 18:48:07.69
>>713
>>715
Wikipediaの記述は多分昔の雑誌か古本屋ででも見付けた資料、史料が元ネタなんじゅないかなあ?
スレ内での検証でアジ歴から出てきたような話も一部書いてた辺り
前スレでも書かれていたように端から吹かしって訳でも無さそうだし


Wikipediaのあのページの制作者に元ネタ書いて欲しいわ
十四年式十糎榴弾砲のページって参考書籍、資料を載せてないんだよね

717:名無し三等兵
12/02/09 19:09:32.23
>>715
すまぬ。見落としてたわw
書き込みのレファレンスコードで検索するんだが、肉筆資料が多くて読みにくい
ね。あなたを感心するよ

>>564
試製二十一糎榴弾砲なら、GP 2009/10号に載ってる。五式中戦車が特集でも
あるんでこの号はバックナンバー売り切れでなかったかな?

九六式十五糎加農の揺架以下を利用して、同砲と後坐抗力をほぼ同一とする
よう計画した
試製砲が一門、昭和十八年二月三日に伊良湖射場へ到着

九六式十五加を利用した研究と並行して、本来の目標である2車分解式式装輪
砲架の火砲についても昭和十六年四月に設計を開始した
これは開脚式装輪砲架を採用し、砲身車および砲架車に分解運搬するもので、
イタリアのアンサルド式に倣った。砲身は前記の試製火砲に比較し、やや
威力を減少させたものであった
昭和二十一年三月に竣工を予定していたが、昭和十八年七月十八日、不急
のものとして研究項目から削除、開発中止となった

・・・端折って書いたので、原本を参照してほしい



718:名無し三等兵
12/02/09 19:16:21.14
>>564
十糎要地高射砲って十四年式の後に一度試作されたらしい
十糎高射砲とはまた別なんだろか?

719:名無し三等兵
12/02/09 19:30:03.33
>>718
佐山さんの本に載ってる試製十糎高射砲は1935年に開発打ち切りになってるから、
1942年に作り直すことは無いんじゃないかなあ。

720:名無し三等兵
12/02/09 19:41:28.10
>>715
奉天兵工廠接収時に約50門完成してて、張作琳軍(奉天軍)にも当然配備
されてただろうから、大阪に送られた9門が鹵獲砲でかろうじて改修に堪える
程度だったのだろうか?
改修されたぶんとは別に最初から九一式の砲弾使える新造砲が製造60門なのか、
謎が多いね

GPの記述が七糎七野砲とおなじく、「日本の大砲」とほとんどかわらんのよ
昭和十七年十月末に60門の文句が追加だけで
野砲は製造門数の追加すらないし


721:名無し三等兵
12/02/09 19:41:59.38
なら試製十糎高射砲とは別枠なんですね
三式登場で意味なしになったのかな?

722:名無し三等兵
12/02/09 19:45:44.60
あれ七糎七野砲って一応製造数の公称値出てるの?

723:名無し三等兵
12/02/09 19:55:42.72
>>722
それがねぇ、いまだ公称値すらないんですよぉ
十榴と砲架が共通で口径がアレなもんで工廠接収後に新規生産はしなかったかも
改造十四年式は自緊砲身でないローテクで生産できるメリットと、九一式の代用砲としての
意義があったと思うけど

724:名無し三等兵
12/02/09 20:02:53.33
>>723
あぁ、>>720を読み違えた「日本の大砲」にも七糎七野砲の製造数はなく
グランドパワーでも追加無しって事ですね

確かに改造十四年式十糎榴弾砲は奉天の南満州工廠で九一式十糎榴弾砲を製造出来ないか難しいから
替わりに製造って意味は見出だせるけど七糎七野砲はわざわざ新規生産する意欲も沸かなさそうだからね

725:名無し三等兵
12/02/09 20:27:49.71
奉天兵工廠/南満造兵廠について学術論文がいくつかあるみたいだね
サイト覗くと十榴だけでなく十加も造ったとか記述がある
十四年式十加あたりか?

造兵廠がらみは責任者が賄賂で逮捕とか、とことん黒い世界だよねぇ

726:名無し三等兵
12/02/09 20:50:40.72
「日本の大砲」共著者の竹内昭さんって存命なのか?
最近著作をみないし、同姓同名のアニメーターばかり検索でヒットするんだが

727:暫編第一軍
12/02/09 20:52:26.35
>>699
 遼造一四式七七野砲だとしたらBohler M1918 7.7cm 30倍径野砲を国産化したものとのことです。
 東北軍系独立砲兵第8旅の装備だったとか。
 1931年5月1日現在、東北軍独立砲兵第8旅は砲兵第17〜20団の4個団を隷下に置いていました。
 しかし満州事変の時期には実際には分割使用されていたようで、遼寧省に独立砲兵第8旅が重砲24門、
吉林省に砲兵第19団が野砲36門、黒龍江省には砲兵第20団が野砲36門をもって配備されています。
この野砲のどちらか又は両方が77mm野砲なのでしょう。
 消去法で行くと所在不明の砲兵第17団か第18団のどちらかが重砲装備で独立砲兵第8旅に
直轄していたことになりますね。

 以上は
 「抗戦時期 陸軍武器装備 野戦砲兵編」
 「張学良与東北軍」
 に拠ります。但し旅長の名前が双方で異なっているなど信頼性は若干留保付きかなと。

728:名無し三等兵
12/02/09 21:03:08.42
第一総軍さん?

729:名無し三等兵
12/02/09 21:13:15.18
>>725
その場合だと十四年式十加の製造数が上乗せされるね
夢の総数100門越えがあるのか?w

>>727
77.7mmってベーラー社の口径なの?
検索方法が悪いのかオリジナル砲が出てこない

730:格下げ暫編第一軍
12/02/09 22:07:31.69
 オリジナル砲は私もわかりません。簡単なデータは載っていますが。

口径:77.68公厘 砲身長:2320公厘 砲閂形式:水平滑楔式
制退復進形式:液体弾簧式 砲架式樣雙輪単脚式
高低射界:-8°〜+45° 方向射界:7° 弾重:新榴弾8公斤
初速:新榴弾528.5公尺/秒 最大射程:新榴弾11000公尺
放列重量:1350公斤 放列全長:4640公厘
行列全重:2300公斤 運動方式:六馬輓曳

 とのことです。

731:名無し三等兵
12/02/09 22:08:45.97
>>727
wikiに載ってるM18は口径83.5mmで33口径で射程が12078mだね
重さも1400kg以上とかなり七糎七とスペックが異なるが、防盾はほとんど同じ、
シュコダのM17と共通部品が多いみたいだ。スペックはこちらが近い30口径で重さも
wikiではM17よりM18が進歩的設計とは書いてあるな

どうやら、オーストリアが戦後チェコスロバキアと分離した際にシュコダと
ボーラーで元設計から枝分かれしたものらしい

732:名無し三等兵
12/02/09 22:25:35.83
>>729
>>730

8cm FK 17と8cm FK 18で検索ででてくるよ
支那仕様は両砲の折衷モデルっぽい

733:名無し三等兵
12/02/09 23:41:32.90
クルップ原型の野砲も三八式とイタリア、トルコやら仕様地ごとでこまごまちがうからね
FK18はボーラー社でFK17の76.5mm口径を83.5mmにひろげて砲身長を伸ばしたタイプ
でないのか?
それ以外の目だった差異は判別できないが

734:名無し三等兵
12/02/09 23:43:46.80
>>706
>>709
>>571>>641とか書籍、雑誌等他を見ても船載床が準備されてる辺り
最低1門は海軍に移管されてずっと維持されてるようだが
>>641を見る限りどうも陸軍も第1次上海事変以降も保持してるっぽいんだよね

Wikipediaだけでなく他の書籍、雑誌なんたでも十四年式重迫撃砲は少数生産されたとか数門って書いてるのもあるし
最低2門はある気がするんだよね
それで少数生産されたとか数門みたいな記述をしてるサイト、書籍雑誌の元ネタはあるのかなと
>>641を見ると1門ってのも不自然な気がするし

735:名無し三等兵
12/02/09 23:52:25.33
佐山さんの記述もすべて事実どおりではないだろうね
ただ、それならこっちも証拠を掴まなければならんってのがある

改造十四年式十榴のシベリア出兵うんぬんも胡散臭いなぁ、とは思っても、
論破する決定打も今のところないわけで
このスレで外堀うめてって、wikiの胡散臭さは際立てたけどさ


736:名無し三等兵
12/02/10 00:05:24.05
十四年式十糎榴弾砲のWikipediaのページの厄介さは
特に出典も示していないのにアジ歴漁って出てきたような話もさらって書いてる事だろう
多分下敷きになってるそれなりに調べている資料はあるんだろうね

737:名無し三等兵
12/02/10 00:11:20.70
砲の形式間違いで印象を著しくわるくした部分はある
シベリア出兵鹵獲というのも事実かもしれないし

738:名無し三等兵
12/02/10 00:16:31.06
ここまで来るともうWikipediaのあのページを制作した当人に直接資料に関する質問をしたい所w

739:名無し三等兵
12/02/10 00:35:59.42
だったらwikiで要出典を付け加えておけばいい。

740:名無し三等兵
12/02/10 00:37:53.59
>>734
「船載」て名称である以上陸軍の船舶だと思うよ
船に積む砲で海軍が陸砲を必要とする要素は基本的に無いわけで

741:名無し三等兵
12/02/10 02:24:50.77
>>739
付けた

742:名無し三等兵
12/02/10 03:05:45.11
>>740
あああれは船舶工兵用か

ただどちらにせよ上のアジ歴見る限り32年以降に海軍からさっさと返還されたか
実質返還されたも同然の長期貸与された
違うなら2門は作られて1門は陸軍の手元にあったって事か

743:名無し三等兵
12/02/10 07:58:41.74
二十年まえなら火砲関連のライターが何人もいたんだけどね
いまは佐山さんと国本さんぐらいだからね


744:名無し三等兵
12/02/10 14:32:21.80
ベーラー製8cmFK18の情報もとむ
オーストリア・ハンガリー帝国内でシュコダとの関連がドイツのクルップとラインメタルのようであったのか?など
クルップ製の砲架にラインメタル製砲身の組み合わせがドイツでやたら多いんで


745:名無し三等兵
12/02/10 14:48:55.84
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

困ったときは英語版wikiをとっかかりにすると良いかとw
FKM18はWW1中に開発されてた76.5mm野砲のボアアップ版で
シュコダFKM17より色々先進的だったけど
WW1後の情勢的に日陰者になったということらしいな

WW1で師団砲が野砲から軽榴へと切り替わっていく過程の中にあったのかな

746:名無し三等兵
12/02/10 17:07:33.15
>>732
>>745
有難う

747:名無し三等兵
12/02/10 17:58:22.85
十四年式重迫撃砲はアジ歴の砲弾調達とか色々見ると2門以上あった可能性はあるが
真相は謎なんだろうか?

748:名無し三等兵
12/02/10 18:49:35.05
でも、本来は迫撃砲は精密射撃おかまいなくバカスカぶっぱなすもんだろ?
と書いてみる

日本軍だから、そのへんの認識が危うくなってくるんだよねぇ

749:743
12/02/10 18:54:18.16
本邦でドイツ砲だと広田さん、稲田さんなんだけど

750:743
12/02/10 18:57:25.60
国本さんも日本軍とドイツ砲のワープロ本だしてる
畏れ多くてグランデで立ち読みするだけの俺…

751:名無し三等兵
12/02/10 19:33:02.98
wikiって、好奇心と探求心のあるひとがどんどん記述を訂正していって、
情報の精度を縷々高めていく…な感じが本来の意図なんだけど

グータラでただ参照と引用するだけのやつばかりで、内容を検証することをスルー
してしまうと誤った知識が流布拡散するだけなんだよな
いったん、そうなってしまうと正しい知識で塗り替えるのに多大の労力を
要すると

考えさせられるな

752:名無し三等兵
12/02/10 20:45:14.01
>>751
そういうのに限って出所不明のおかしな情報でせっせと記事を塗り替えるのが大好きだったりする

753:名無し三等兵
12/02/10 20:55:50.24
FK17は砲架の耳部分に穴が開いてる、七糎七野砲とFK18にはないようだ
七糎七野砲、改造十四年式十榴の砲架の横についてるパイプはFK18にはある、
FK17にはない
駐鋤版など多くのパーツはシュコダFK17とベーラーFK18で共通
制転機ハンドルがFK18と七糎七と改造十四年式はむかって右、FK17は逆

結論として、FK18の砲架にFK17の砲身つけた姿が支那製十四式らしい
口径77.7mmに変更でね

754:名無し三等兵
12/02/10 21:01:18.25
>>752
これこれ煽るなw

755:名無し三等兵
12/02/10 21:36:32.78
>>748
十四年式重迫撃砲と九六式重迫撃砲は特殊重砲だぞw

756:名無し三等兵
12/02/10 21:40:22.53
ム弾もその範疇に入れていいのかね?
砲身ないけど

757:名無し三等兵
12/02/10 22:03:45.71
大威力奇襲兵器って奴だね
ただ運用の手間がかなり違う気がする

十四年式重迫撃砲はあのクラスとしてはかなりマシな気もするけど

758:名無し三等兵
12/02/10 22:10:14.70
試製四式重迫撃砲こそ浪漫
あの変態システムっぷりよ……

759:名無し三等兵
12/02/10 22:30:34.12
浪漫というより、「博士の異常な愛情」のストレンジ・ラブを彷彿させるね

760:名無し三等兵
12/02/10 22:35:58.66
あんなもん終戦辺りまで引っ張って弄くり回す所に
世間でよく言われるのと別の意味合いで国軍の狂気を感じる

761:名無し三等兵
12/02/10 22:38:25.78
簡便性が売りの兵器をなぜここまでやるのか

762:名無し三等兵
12/02/10 22:40:36.38
大口径通常火砲で、もっとましな自走砲造れといいたい

763:名無し三等兵
12/02/10 23:39:53.48
1944年〜1945年のフィリピン決戦時に八九式十五糎加農はあったのか?
あったとして第14方面軍か隷下の軍直轄だろうが独立重砲兵大隊に見当たらない以上
もし配備されていたなら特設部隊なり書類から漏れた独立重砲兵中隊なりがあったのか?

764:名無し三等兵
12/02/11 00:28:37.03
>>760
ドイツに比べると可愛いレベルだよ。

765:名無し三等兵
12/02/11 00:39:25.72 EK0FtDhL
ドイツも大好きだよね

766:名無し三等兵
12/02/11 00:42:19.98
変態兵器に関しては英軍は言わずもがなだし、米軍もフライングパンケーキとか変なモノ作ってるぞ

767:名無し三等兵
12/02/11 01:17:01.51
日本陸軍も第2次上海事変や南京への追撃戦では効果的な移動弾幕射撃とか
攻勢時に上手く砲兵を使ったみたいだけど
他に日本陸軍が攻勢作戦で効果的に砲兵を使用した戦例ってありますか?

768:名無し三等兵
12/02/11 01:39:48.10
>>767
湘桂作戦序盤とフィリピン戦終盤

769:名無し三等兵
12/02/11 03:07:04.23
>>751-752
あんま上から目線でwikipeの悪口ばっかあげつらうのもどうかと思うがねぇ

770:名無し三等兵
12/02/11 03:55:21.80 SUvlTVAS
まあ、調べる取っ掛かりとか興味を持つきっかけになるしね

771:名無し三等兵
12/02/11 04:26:43.24
もしかして九二式十加の弾薬車って1門1両ではない…?

772:名無し三等兵
12/02/11 07:27:59.97
編成定数だと、牽引車の数が砲門数より多いんでなかったかな?
出掛けに九六式十五榴の運行略図みたら、牽引車プラス砲プラス弾薬車一台、牽引車プラス弾薬車二台の二通り載ってる
家に帰ったら、九二式十加携帯のGPを確認してみるよ


773:名無し三等兵
12/02/11 11:50:32.26 /BEDuHpX
話をぶった切るけど
亀が首射爆場の地中に旧海軍の砲身や弾薬は埋まってないの?
今なら地中レーダーとか超音波で捜索できないか

774:名無し三等兵
12/02/11 15:45:36.42
毒ガス弾みたいに遺棄されたヤバいモノなら日本近海とかにあるけどな。


775:名無し三等兵
12/02/11 17:53:39.56
とうとう旧ソ連製の高射砲のコピー生産まで始めたイラン・・
高射砲が21世紀の現代に使われる日がこようとは

776:名無し三等兵
12/02/11 18:03:08.93
高射砲って、対戦車用にも使えるじゃん!
米軍シャーマンが上陸して来た所を(ヲイ

777:名無し三等兵
12/02/11 18:09:27.02
無人機とかには効くのだろうか

778:名無し三等兵
12/02/11 18:24:38.39
KS-19だと……せめてKS-30とかのが良くないか?

779:名無し三等兵
12/02/11 18:43:08.65
>>768
やっぱり支那戦線と南方作戦か
第2次バターンもそういや砲撃で吹っ飛ばしつつ進出してたか

780:名無し三等兵
12/02/11 18:46:42.05
>>778
>KS-19だと……せめてKS-30とかのが良くないか?
いや…どちらで…

あえていおう、KSであると

781:名無し三等兵
12/02/11 18:51:31.92
まあ、どうあがいてもイランがアメリカにハイテクで勝てない以上
ローテクで対抗するしか無いのは事実だしなぁ

782:名無し三等兵
12/02/11 19:05:15.35
>>780
イランが現在生産してるのってKS-19のフルコピーじゃないの?

783:名無し三等兵
12/02/11 19:27:43.40
どちらでも似たようクソであると言いたいのかもね

784:名無し三等兵
12/02/11 19:29:41.15
…い、いやだからさ…ガンダムでたとえt

785:名無し三等兵
12/02/11 19:45:02.68
共産圏が連邦側とな

786:名無し三等兵
12/02/11 19:50:58.41
>>784
ああ、そういう意味かw

787:名無し三等兵
12/02/11 19:52:08.57
ボールを見ると確かにw

788:名無し三等兵
12/02/11 20:19:57.28
「圧倒的じゃないか、我が軍はwwwww」



多分これは、間違ってない。

789:名無し三等兵
12/02/11 21:53:44.22
>>767-768
>>779
攻勢とは言い難いけど盤作戦時のイラワジでは
夜襲時の支援で上手く野戦重砲の砲撃がはまれば英印軍を痛撃出来たらしいね
サイパン、沖縄でもそうだがやはり野戦重砲、重砲の効果的運用こそ
陸戦で効率良く敵将兵を抹殺する最良の手段か

790:名無し三等兵
12/02/12 00:27:18.29 UOA3GROo
ビルマってそりなりに野戦重砲が投入されてるし
活躍してる時は中々良い感じ

791:名無し三等兵
12/02/12 01:11:01.28
中支、南支こそ日本の野戦重砲のメッカ

792:43
12/02/12 03:25:05.06
>>772
弾薬車は牽引車で2台牽けるのか
各砲に砲車用と弾薬車用で牽引車2両いると思ってたわ(´・ω・`)
確かに牽引車少ないなあとは思ってたが…。

というわけで、野重七第二中隊のガダルカナルの戦いについて書いていきます。
参考にしたのはいつも通り聯隊歴史と、当時の先任小隊長だった村野氏の回想です。
聯隊史にはラバウルの回想は沢山ありますが、ガダルカナルの回想は村野氏のものだけ、そして回想集の紹介文には「貧乏くじを引いた第二中隊」とか書いてある。
まずは南方派遣から上陸まで。

1942年9月18日 安東作戦甲第二七号により、第二中隊を南方へ派遣
第二中隊:中隊長は谷晃夫中佐、九二式十加4門装備、牽引車は両数不明だが九二式5トン牽引車を装備していた。
またトラックが通常編制より3両増加配備されていた。
中隊員は計154名、軍医・主計はおらず衛生兵1名

9月19日 斐徳出発
21日 鮮満国境通過、第17軍の隷下に入る。
24日 釜山到着、三池丸に乗船、以降単独航行でラバウルへ向かう。
10月2日 無事にラバウル入港、中隊長を含め風土病が出始める。ここでガダルカナル島派遣を将校に通知。
10日 軍司令部から出動準備の命令を受ける。
先任小隊長が中隊長代理で参謀室へ出頭したが、「お前らが飛行場砲撃すれば戦闘は終わりだから食料は一週間分でいい」と気楽な感じで言われる。
しかしノモンハンの経験的にどう考えても不安だったため、自部隊のトラックに積めると主張して20日分を確保した。
また現地の地図も無く(オーストラリアの地図はいっぱいあったらしい)、海軍司令部に行って海図をもらう。
12日 佐渡丸に乗船しラバウル出航、中隊長の熱もおさまる。なおこの際8名をラバウルに残置。
14日夜 空襲を受けたが損害なくガダルカナル島のタサファロング泊地に到着、すぐに揚陸作業を開始する。

793:名無し三等兵
12/02/12 03:53:17.01
九八式装甲運搬車ってその名の通り自車の荷台に載せての運搬がどちらかと言うと主だったようですが
牽引はどれ位いけたんでしょうか?機動九〇式野砲や機動九一式十糎榴弾砲は牽けたんでしょうか?
後、機動九〇式野砲だけでなく機動九一式十糎榴弾砲も
主力牽引車は九八式四屯牽引車なんでしょうか?

>>792

ノモンハンの経験がある将兵にしてみりゃ
初っぱなから不安極まり展開ですね

794:名無し三等兵
12/02/12 08:09:54.50
九八式装甲運搬車なら1式速射砲運んでるでしょ?

まあ先輩イギリスのユニバーサルキャリアー(20hp↑
では6ポンド砲運んでるし、その辺りが限界かと思う
(91式機動砲、と同じくらいの20ポンド砲は無理)

だから6ポンド砲と同等の95式を牽引させてだな

795:名無し三等兵
12/02/12 09:07:00.22
九五式野砲って別に車輌でも牽引は出来るだろうけど
かなり速力落とさないと駄目なんじゃないか?

796:名無し三等兵
12/02/12 11:56:23.85 pUt5UIxA
国軍って牽引車輌何輌位保有してたの?

797:名無し三等兵
12/02/12 12:01:44.50
おれは持ってないんだが、
佐山さんの「機甲入門」あたりに牽引車の生産数書いてるんじゃね?


798:名無し三等兵
12/02/12 13:06:00.54
九六式二十四糎榴弾砲の腔発って結局解決せずじまいなん?

799:暫編第一軍
12/02/12 16:07:03.00
 一四式77mm野砲のノモンハンでの満洲国軍への装備について推測されている方が居られたので、手元資料からざっと調べて見ました。
 
 まずは満洲国軍の野砲についての情報。

1.日付は特定されていないが、建軍当初野砲は一四式、それも靖安軍砲兵に1大隊3中隊と禁衛隊に儀杖用1中隊4門があった。弾薬は押収品を主とし、一部は日本軍から交付。

2.大同元年(1932年 昭和7年)11月現在、満洲国軍に装備された野砲は
奉天省警備軍 奉天省警備司令部 型式不明2
吉林省警備軍 吉林警備砲兵団 一四式8
黒龍江省警備軍 砲兵営 一四式21
?(さんずいに兆)遼省警備軍  野砲隊 一四式2
興安省警備軍 騎兵第一団 型式不明2
合計35門

3.大同二年(1933年 昭和8年)8月現在の野砲装備。
奉天軍5、吉林軍6、黒龍江軍28、熱河軍20、直属部隊11の計70門。
 その他約1/2を予備兵器として奉天軍械本廠と吉林支廠に保管。
 野砲は3種類ある。

4.昭和11年(1936年康徳3年)12月末現在、満洲国陸軍主要兵器中、野砲は三八式を制式兵器とし、
 第四軍管区に2門の不制式(旧式)野砲があることが判明しており、
他に表からは※やや不明確ながら第五軍管区に16門、禁衛隊に4門の不制式野砲があった可能性がある。
この時点での野砲定数は40門、実際に装備されているのは32門、その他に各部隊保管兵器の約1/2と予備兵器が奉天軍械本廠や吉林、チチハル支廠に保管中。
 グラフ上は制式兵器扱い、数字では不制式扱いになっている。

5.同じく海軍江防艦隊の77mm野砲装備。
 司令部2、艦艇:利綏1(但し括弧書きで一文字書いてあるが文字が潰れて読み取れず)、補充隊4。

6.昭和12年(1937年康徳4年)現在、重火器その他は2/3が日本式に交換済み。


800:暫編第一軍
12/02/12 16:10:50.86
ノモンハン参戦の満洲国軍部隊について。
 ノモンハンの各戦史を見ているとよく思うのですが、参戦していた満洲国軍に関する部分が断片的で掴み難いことです。
今回も各種資料を参照しましたが私自身の資料の照合作業の不足もあり不充分なものとなっていることは認めねばなりません。

A.興安北省警備軍又は第十軍管区部隊
 資料により両方の名称が出てきます。
但しある資料に拠れば第十軍管区は1940年春頃?興安東、北警備軍を改編したものの筈で、
ノモンハン戦当時は興安北省警備軍の呼称が正しいと思われます。
 ノモンハン以前昭和11年の資料ですが、興安北省警備軍は興安騎兵第七、
第八団と興安山砲兵第一営を基幹としています。野砲が装備されていた可能性はこの時点では殆ど無いでしょう。
実際、第一次事件中に山砲が活躍した記録があります。
 ノモンハン時には他に興安騎兵第一、第二団も参戦、興安師砲兵団からも1個連の増援を得ていますがこれも山砲だった筈です。

B.興安支隊
 興安支隊は編成完了したばかりの興安師を中心に編成されました。
基幹部隊は(判明したもののみとされていますが)、興安騎兵第四、第五、第六、第十二団、
興安学校教導団、興安迫撃砲団、興安砲兵団、独立騎兵連、蒙古少年隊、山砲隊(連規模、2個?)、装甲車隊、その他。
 中国側資料によれば砲兵団は山砲装備。迫撃砲団は当然迫撃砲装備として、両団とも各16門装備。
 野砲の装備は確認できませんが、判明していない部隊の中に野砲装備部隊があったのか、或いは教導団が少数を持っていた可能性が残るのみです。



801:暫編第一軍
12/02/12 16:11:09.11
C.石蘭支隊
 興安支隊苦戦の為、第三軍管区で編成された派遣部隊。
第三教導隊を主力に編成したとの記述もある一方、独立混成第一旅(又は独立第一旅)基幹であるともされます。
 部隊は教導歩兵第三団、教導騎兵第三団、砲兵団を基幹とします。
欠員は歩兵第十四団と騎兵第二十団から補充され充足していました。
 砲兵団についてはその戦力(2個連)や指揮官の階級から実際には砲兵営だったのではないかと思わなくもありません。
四一式山砲8、予備としてクルップ式山砲4を装備していました。
 異説となるか日本側資料の不足を補完してくれるものかは判断が分かれますが、
主力となった独立第一旅は第三軍管区の第三教導隊であったものが1938年に独立第一旅となり、
それまで混成第十三旅だったものが第三教導隊となったとされます。
 独立第一旅は旧第三教導隊であった時期、砲兵営(野砲山砲各1個連)をもっていたので
、これがそのまま戦場に出たとすれば77mm野砲を戦場に持ち出している可能性もあるかもしれません。

D.鈴木支隊
第一教導隊をもって編成。教導歩兵第一団、教導騎兵第一団、砲兵連が基幹。砲兵連の装備は不明ですが、
この部隊は空襲を受けたり砲兵連で集団離脱があったものの本格的に地上戦に巻き込まれておらず、
集団離脱も兵器を放棄して行われているので、仮に野砲を装備していたとしてもソ連軍に鹵獲される可能性は無い筈です。


 以上、長々と書いてきて結局正確なことはわからないという冴えないことになりましたが、上記から多少は可能性のありそうな部隊が見えてくるかも知れません。


802:名無し三等兵
12/02/12 17:41:58.36
>>800
騎兵部隊だからこそ、おれは野砲(騎砲)を装備してたんでないか?と思うんですが…
四一式騎砲は日本軍でもレア砲だし


803:名無し三等兵
12/02/12 17:52:22.30
41式騎砲はどうにもならないアレな砲だったからなあ
同じ41式でも山砲は素敵な成功作だったのに・・・

てか騎兵に普通の野砲や山砲を使わせるのは駄目だったのかね?

804:名無し三等兵
12/02/12 17:53:52.12
>>799

まあ>>64の生産計画でも一四式77mm野砲は順次生産をやめる感じだから、
満州国軍でも徐々に予備扱いになっていったのか。
正規編制じゃなくても補充兵器として入った可能性もあるからなあ。
十四年式十糎榴弾砲は満州国ではどんな感じだったんだろう?

アジ歴を漁って見つけた史料
14年式7糎7野砲及同弾薬下付の件
C01002143200
1936年9月19日付の、試験用に砲と弾薬を送付しろと言う通達。

押収兵器還送方の件
C04012316000
七糎七野砲一式50門を広島の兵器支廠へ送れという関東軍向け通知
50門も送ってどうするんだろう?

試験射撃用弾薬特別支給の件
C01003443900
陣地用の九六式砲塔ができたから、試験のため一四年十榴28門分の弾薬を送ってくれと言う関東軍発の通知。
十榴を陣地に据え付けたのか、砲塔の耐弾試験用かどっちだろう?

805:名無し三等兵
12/02/12 18:05:16.06
防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>支那>支那事変>全般>支那事変押収火砲に就て 昭和14年8月
このスレ向けの史料階層を見つけた!
既出だったらごめん。
日中戦争で捕獲した各種火砲の概要のほか、捕獲数一覧と写真もついてる。
写真は普通に取ったやつと明るさをあげたやつがついてて親切。
英国製四吋半榴弾砲みたいに、概要にも捕獲数一覧にもないのに写真だけある火砲もある。
「ボツホース」はボフォースで、ドイツ系でごっちゃになったりしてるらしい。
独乙式四十四粍歩兵砲はベーラー47mmっぽいがなぜ口径が違うんだろう。
2砲身式火砲は取り換え式と双連式が両方あって面白い。

押収兵器其他改修等に関する件
C04120830700
1938年9月19日付の火器改修に関する通達だが、
表中の○印は至急整備して今次の作戦に使うらしい。今次の作戦って何だろう?
ちゃっかり14年式重迫撃砲が船載砲床付きで至急整備するように書かれている。
その後1939年にはラ式十五糎加農を要塞に据え付けるための改修が指示されてる、

806:名無し三等兵
12/02/12 18:06:17.04
>>803
それは騎兵と歩兵と砲兵の縄張り争いというよくある話がからむんだよ。


807:名無し三等兵
12/02/12 18:07:44.00
>>803
軽減したはずの総重量がほとんど三八式とかわらず、
螺旋式尾栓までに変更したメリットあんのか?って?
試製騎砲もそういや不採算だったね


808:名無し三等兵
12/02/12 18:27:01.12
ああ、おれ4インチ半榴弾砲と日本軍将校のツーショット生写真持ってるよ
藤田さんの「もうひとつの陸軍兵器史」におなじの載ってるから意味ないんだが…



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