【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る6 at ARMY
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12/02/01 22:10:24.43
ホルステン河両岸地区での戦闘B(第2大隊・聯隊本部)
8月25日から26日にかけて、敵の攻撃が次第に活発化するとともに、弾薬その他物資の欠乏が深刻となっていった。
特に真水は数日前に河川からの取水部隊が撤退したため、調達が非常に困難になっていた。
本部陣地では第3中隊の火砲により直接射撃を行う一方、25日前後に小火器や敵戦車から捕獲した機関銃による自衛部隊を編成、敵歩兵と戦闘を展開した。
一方第4中隊は放列前方(ノモンハン方向)に弾薬を集積していたが、26日夕方、
攻撃が緩んだ時期を見計らって補給を行おうとしたもののソ連軍の攻撃にあいトラックは炎上、乗員3名が戦死した。
深刻な弾薬不足のため、中隊は本部陣地に救援を求める伝令を派遣、近辺で戦車や歩兵がうごめく中、気配を押し殺して過ごした。

27日、本部からの救援部隊が到着、誘導に従い第4中隊も本部陣地へ合流。
移動中に戦車から攻撃を受けたが、その場で砲を展開してこれを撃退した。
すでに使用可能な火砲は大幅に減少しており、これを背面配置するとともに自衛部隊を全周に配置し、敵を制圧し続けた。
昼ごろには書類のほか残存火砲を含む各種装備の処分を実施した。
火砲1門と弾薬車1両以外のほぼ全ての火砲・車両が処分された。焼却の火炎に対して敵砲兵から集中砲火が加えられた。
なお、聯隊長は戦後のインタビューにおいて、「書類焼却を車両焼却と聞き間違えた」と述べたという(URLリンク(d.hatena.ne.jp))。
しかし完全にすべての車両を処分したわけではなかったらしく、少数はその後の撤退に際し使用されている。
同日午後、壕の上部で敵情を監視していた第2大隊長近藤少佐は、頭部を銃撃されて戦死した。


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