【文化】ジャポニスム ..
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628:日出づる処の名無し
05/10/15 03:30:55 Zilw1cxw
分隊長の指揮能力は、歩兵戦において勝利を収める為の鍵となっています。数的に極度に劣勢な部隊でも、士官下士官が優秀であれば、優勢な敵兵力と十分渡り合う事が出来ます。

米軍兵士は、戦術的にも心理的にも独ソ兵士とは異なっていました。米軍兵士は独ソいずれの兵士よりもあっけなく混乱しましたが、一方でいずれよりも速やかに回復しました。
更には戦術的センスに欠けている為、しばしば奇妙で愚かな攻撃を敵に仕掛けました。しかし米軍兵士は機械装置ならば何でも好み、驚くほど捕獲兵器を愛用しました。


西部と東部の両戦線において、独軍はしばしば量的にも質的にも優秀な敵戦車を相手にしました。このような不利にもかかわらず独軍の電撃戦が成功した原因は、優れた戦術思想と訓練にあります。
熟練した戦車長と操作班は、戦闘においてしばしば戦術の上で有利に立ちました。
独軍のエリート戦車兵が徐々に失われていった事は、「ドイツ国防軍」の崩壊の一原因として軽視できません。


訓練不足のソ連農民陸軍の特徴は、敵射撃を受けるとカッとなったり、無茶な行動に走る点にあると考え、凶暴兵ルールを作りました。

仏軍は勇敢でしたが、時代遅れの戦法、仏政界の生気の無い風潮、紛争、そして電撃戦がもたらした惨澹たる敗北に悩まされていました。その結果、短期間のうちに、仏陸軍の数多くの部隊内に敗北主義が蔓延してしまいました。

一方、英軍は、大戦を通して闘志を失わず、一般に、受けた打撃は打ち返すと言う気概がありました。ダンケルクの不利な状況でも最後まで戦い、仏側とベルギー側の両戦線があっけなく崩壊してしてしまったのに比べ、それほど大きな敗北を蒙りませんでした。
英軍兵は、比較的劣った装備と戦術に悩まされましたが、大陸で独国防軍と五分に渡り合える事を証明しました。

イギリス人指揮官に率いられたインドのグルカ兵部隊は、砂漠と山岳で恐るべき戦士である事を証明しました。その隠密行動と勇敢な行動は、有名な短刀と共に恐れられました。接近戦では残忍で、しかも敵の降伏を認めない為に、特にイタリア兵から恐れられていました。
・グルカ兵は、ソ連兵や独親衛隊と同様に「凶暴」状態になります。
・グルカ兵の火力は、「白兵戦」では2倍 (イタリア軍が防御あるいは攻撃を行っている場合は3倍)になります。(w



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