科学関係ぶっちゃけス ..
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331:、
08/10/28 07:31:01
それでわかったのだが、私が普段庭を見ているとき、常に受動的にそれを見ていた。それ
を当たり前とし、目に見えるすべてのものをすでに知っていると思い込んでいたのだ。底
で私はすべての観念と先入観を排し、あたかも初めて見た他人の庭であるかのように見て
みた。

次の瞬間、私は自然の中に引き込まれたように感じた。草や潅木が突然よりリアルに、生き生
きとして見えた。さらに、それらが私と交流しているように感じられたのだ。まるで気の
置けない友人たちに囲まれているような、奇妙な感覚だった。完璧にくつろぐことができ
るクラブに入会したかのようだ。

多くの詩人たちがそうであるように、ゲーテはこの種の知覚を生まれつき備えていたのだ。「フ
ァウスト」の中で、彼は自然を「神の生ける衣服」と呼んでいる。彼の叙情詩には、押し寄せ
るような驚くべき生命力がみなぎっている。それはファン・ゴッホの後期の作品―「イトスギの
ある道」と「星月夜」―-を思い起こさせる。木々は緑の炎となり、空に向かって遠吠えす
る。

よく知られた話だが、ゲーテと詩人シラーは、イェナで行われていた退屈な科学の講義を抜け出し
た。そしてゲーテは、自然を記述するほかの方法があるに違いない、と言った―それをバラ
バラに分割するのではなく、それを生きた現実として、全体から部分へと向かう方法だ。シラ
ーは肩をすくめた。「ああ、まあ机上の空論って奴だね」。

だが彼は間違っていた。ゲーテにとってはそれは机上の空論ではなかったのだ。それは彼が
木々や花々や草を見るときに見えている何かだった.それらは生きているかのように見えた
のだ、あたかも自然全体が、ある意味において、一つの有機体であるかのように。

一つのエクササイズとして、「能動的注視」でもって庭を見て欲しい。絵のような静物とし
て見るのではなく、それが絶えず運動していることを認識するようにするのだ―極めて
ゆっくりとした運動だが、運動には違いない―そして植物が、虫や鳥や蜂と同様、生き
ているのだと言うことを認識して欲しい。


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