科学関係ぶっちゃけス ..
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286:、
08/09/06 20:40:54
1950年代、物理学者ジョン・ホイーラーの弟子ヒュー・エヴェレットが、首をかしげたくなるような発言を
した。光子が見られているときだけ固体になるという事実が示しているのは、見られてい
ないときにはボルンの蓋然性の波の形態をとり、両方の穴を同時に通り抜けられるというこ
とである。そしてこのふたつの蓋然性の波が互いに干渉するというのだ。まるでシュレディンガ
ーの猫が同時につた角宇宙に存在し、片方は死んでいてもう一方は生きているといっている
ようなものである。箱を開けると同時にこの二つの可能性は我々の実態のある宇宙で合体
し、生きているか死んでいるかのどちらかの状態になるのだ。
Wikipedia項目リンクジョン・ホイーラー
Wikipedia項目リンクヒュー・エヴェレット
Wikipedia項目リンクボルン

だが、宇宙はたった二つだけなのだろうか?エヴェレットによれば、光子が波と粒子のどちらか
の形態を選択するとき、実のところ光子は本当に選択しているのではなく、平行宇宙にま
たがってその両方を選択しているのだという。そして電子の波は写真乾板、あるいは他の
電子と衝突するたびに合体するのだから、これはそのたびに新しい平行宇宙を意味し―
何千、いやじつは何百億という平行宇宙が存在するというのである。
Wikipedia項目リンク 平行宇宙
Wikipedia項目リンク写真乾板
Wikipedia項目リンク 光検出器

287:、
08/09/06 20:43:46

まるで冗談のような概念である。だが、多くの科学者がこれを真剣に受け止めている。た
とえば量子物理学界本流の若手デヴィッド・ドイッチュは、「現実の構造」(1977年)の中でまる
一章を割いてこの二重スリットの実験を説明し、われわれの宇宙に存在する光子を実在の光子、
平行宇宙に存在するほうを陰の光子と呼んだ。

アリストテレスがポテンシアと呼んだ概念は、可能性と現実とのはざまの不可思議な不可思議な領域を
指していた。電子(そして猫も)は、この領域にぴったりの存在になり始めた観がある。
Wikipedia項目リンクアリストテレス


量子力学にわざわざ回り道した目的は、好むと好まざるとにかかわらず、われわれは現実
を見るまったく異なる方法をまなねばならないと指摘するためである。われわれの美的感
覚、ユーモア、性的嗜好のように、現実は観察者の中にあるのだ。物理学者ジョン・ホイーラーなどは
さらに(いわゆる当事者としての人間原理の中で)、我々は知的活動によって宇宙を創り出
しているのだとまでいっている。


これはとりもなおさずアインシュタインが、憤懣やるかたない思いで異を唱えた概念である。だが、
この観察者こそ不可欠だという新たな物理学的宇宙の構築に中心的役割を果たしたのは、
アインシュタインその人にほかならない。エネルギーに関するプランクの量子は正しいと認めたときアインシュタ
インは雪崩を引き起こし、やがてはその雪崩に自らも、罵り声を上げ、拳を振り上げながら
押し流されていくことになったのだ。


288:、
08/09/06 20:59:15

さて、こんな革命など私にも、また読者の方々にも無縁だと言われれば、確かにその通り
だ。あたかも我々はいまだに19世紀物理学の旧弊な確固たる宇宙にいるかのように、日々
の雑事に精を出している(事実、ある調査によればイギリスとアメリカ国民の3分の一が、いまだ
に地球が太陽の周りを回っているのか、また逆なのかさえ知らないという)。だが、すでに
胸中穏やかならざる思いにとらわれてしまった人々もいる。フリチョフカプラやフレッド・アラン・ウルフ
のような物理学者が「タオ自然学」(1975年)や「平行宇宙」(1988年)といった著作中で傾
倒している科学は、日に日に東洋の神秘主義めいた様相を呈しつつある。大量のLSDを
投与されたスタニスラフ・グロフの患者が、現実の本質について古典的な東洋神秘主義めいた洞察
をえたことを思い起こさせる人もいるかもしれない。ゲーリー・ズーコフも「踊る物理学者たち」
(1979年)で同じ趣旨のことを書いている。まだ気付かれていないが、我々の歩き回って
いる宇宙はまったく別種の、いわゆる常識とはまったく無縁の宇宙なのだ。我々の立場は
まるでウォルト・ディズニーのキャラクターのようなもので、がけっぷちを超えてその先まで歩いてしま
い、下を見て初めて落ち始めるのだ。
Wikipedia項目リンクフリッチョフ・カプラ


289:、
08/09/06 21:00:16

こっけいであると同時に皮肉なのは、こうした一切合切が先に述べた問題の結果起こった
ということである。つまり、進化の過程のどこかで人類は左脳の道、実用的な進歩の道を
選択し、神秘主義や心霊能力を部族の呪術師にゆだねてしまった。この選択の結果生まれ
たのが現代の科学であり文明だった。視野狭窄(トンネル・ヴィジョン)であり無力感だった。そ
して今になって、なんとも滑稽なことにその現代科学が、我々は視野狭窄にかかっており、
宇宙を理解したければ目隠しをはずすことだと言い出しているのである。

さて読者は覚えておいでだろうが、UFO問題に導かれた先もまた、まったく同じ場所だ
った。最初は実に確実として理解可能に思えた。ケネス・アーノルドの空飛ぶ円盤から沸き起こっ
た疑問はこうだった。われわれは他の惑星からの訪問者に観察されているのだろうか?エイリ
アンが大挙して地球へ着陸するための心構えをさせているということなどありえるのだろう
か?

この問いに直面したジャック・ヴァレとジョン・キールは、最も異様な現象が進行中だという結論に
すぐさま到達した。ヴァレは、これはコントロール現象だと結論した―つまり、この現象で重要
なのは我々に及ぼす影響のほうだというのである。まるで古典物理学の問題が量子物理学
の問題へと変質したかのようではないか。


290:、挿入
08/09/07 09:54:42





スレリンク(esp板:146-155番)






291:、
08/09/07 10:14:46
、、、?、、、本文が長い?  >>273>>259>>257は、どういうことか?まぁ、試してみるか、、


292:、
08/09/07 10:15:43
すでに書いたように、物理学者ジョン・ホイーラーはさらにその先を行っている。光子は観察され
て始めて実体になるというところから出発して、2重スリットの実験を遠くの恒星からの光(何
百万年も前に発せられた光)で行ってみてはと指摘する。もし観察によって波動関数が崩
壊するまでは光が、蓋然性の波であるなら、その光が観察されるまで星(生物がすんでい
ないとして)もまた蓋然性の波でしかないと見なさなくてはならない。

これはもちろん、18世紀初頭にビショップ・バークレーがとった立場であり、バークレーは、この世
界を「創造している」のはわれわれの五感だが、その存在を支えるのは神だとした。読者
がもしこの立場を、ジョンソン博士同様(博士は反証として石を蹴って見せたものだ)あまり
ありそうもないと思われるなら、ホイーラーの説には納得しがたいだろう。

さて、もう一人の高名な物理学者デヴィッド・ホイーラーも、この新手のバークレーは受け入れがたい
という意見だった。当時マルクス主義者であったボームは、<コペンハーゲン解釈>をいささか神秘主
義が過ぎると感じ、アインシュタイン支持に傾いていた。とはいえボームは、ばりばりの古典的物理
学者ではなかった。1943年、ボームがローレンス・バークレー放射線研究所でプラズマを研究してい
たときのことだ。プラズマとは超高温の気体で、その構成原子のほとんどは外側の電子がは
ぎとられてしまい、自由に飛び回っている。ボームは、プラズマが多くの面で生き物のように
振舞うのに気付いていた。「プラズマは常に再生を繰り返し、不純物をすべて殻の中に閉じ込
めて完全に分離してしまう」(量子論の意味―デヴィッド・ボームを讃えるエッセイ)B・J・ハイ
リー&F・D・ビート編、1991年)。これは人体がウィルスに対処するのと同じ仕組みである。プ

293:、
08/09/07 10:17:15
リンストン大学で金属中の電子についての研究に取り組んでいたときも、同じことに気付いた。
まるで粒子がそれぞれ仲間の粒子を意識している、生きた海を相手にしているような気がしたのである。
Wikipedia項目リンクローレンス・バークレー国立研究所
Wikipedia項目リンクプラズマ   
Wikipedia項目リンクプラズマ物理

294:、ミジンコ
08/09/07 10:20:59
>>291-293  、、、?  、、理由が解らない、、、、。




プラズマといったらかなりのレベルの高い話であって、大学院でなら学習はあり得るレベルであるとは

聞いていますけど、、、、






295:、ミジンコ
08/09/07 10:29:03
>>294  誤解されないようにはっきり言っておけば、292-293の一まとまりの文章が、

長すぎると言う事で掲載されないが、それくらいの長さであれば掲載されている文もあると思われるといっている。


296:、
08/09/07 10:33:26
アインシュタインと対話したことで、<コペンハーゲン解釈>に対するボームの不満はいっそうつのった。
アインシュタインと同じく、単なる蓋然性や不確定性の奥に何かがあると思いたかったボームは、隠
れた変数なるアイデアを持ち出した。これは電子の運動に影響を及ぼすもっと小さな粒子であ
る。のちに量子ポテンシャルという一種の場を提案したが、これはその中で粒子が泳ぐという、
どちらかといえば19世紀のエーテル的な概念だった。こうした説に力を得て、ジョン・ベルは<
不等式の定理>を考え出し、これがきっかけとなって、互いに光速ではなれていく光子も
なんらかの連係を保っているという現象が確認されることになる。

ボームがこうした着想を得たのは、BBCテレビ番組で目にした実演が示すメタファーだった。Gリセ
リンを満たしたガラス瓶の中にインクの滴が入っている。瓶の中心からハンドルのついたシロンダーが下
がっており、ハンドルを時計回りに回すとインクの滴は筋状になり、少しずつグリセリンと混じり合
って見えなくなった。だが、ハンドルの動きを逆方向にすると、この筋は逆方向に流れ始め、
元通りに集まってインクの滴にもどったのだ。インクの滴の秩序は明らかに分散してしまったは
ずだ―ところがそのあいだもずっと存在し、たんにハンドルが反時計回りになるのをまって
いただけなのではないか。

たとえば、とボームは考え始めた。宇宙にも同じような秩序が、プラズマのスープの中の電子を
司るような秩序が潜在しているとしたらどうだろうか。

やがてボームはホログラムという概念に出会い、さらにうまいマタファーを手に入れた。ホログラフ映画は
一見したところ無意味な干渉縞にしか見えないが、光束を通すと空中に画像が現れる。

おそらく宇宙自体もホログラムであり、潜在する現実から飛び出てくるという息をのむような
アイデアがそこからうまれた。子供のころボームは、流し台の穴に流れ込んでいく水が作り出す
渦に感銘を受けたことがある。よどんだ水とはまったく違って見えたのだ。だが、水はた
だ隠れた法則にしたがっているに過ぎないボームはこの法則を内蔵秩序、つまりホログラムに織
り込まれた法則と呼んだ。

297:、
08/09/07 10:42:29
だがもちろん、ホログラムをこれほど魅惑的なものにしているのは、ホログラフ・プレートのあらゆる
部分が全体のイメージを持っているという特性である。宇宙はばらばらの部品の寄せ集め
ではなく、そこには通底する「相互関連性がある」。個人意識がプレート上の波を有意味な
現実に変換する上で主役を果たしているのは明らかだ。

そこでボームは、アインシュタインの<コペンハーゲン解釈>への異議申し立て、「神はサイコロを好まない」
に、自分なりの答えを作り出したのだ。サイコロという概念は幻想に過ぎない。そこには通底
する法則が存在するのだ。

ボームが結論を発表した「全体性と内蔵秩序」が出版されたのは1980年のことだ。どん
な奇怪な理由があったかいまだに分からないのだが、出版社はこの本の校正刷りを私に送
ってきて、木のカバーに載せる推薦文を欲しいといってきた。ボームが途方も無く刺激的な思
索家で、意味の哲学と科学の橋渡し役たらんと努力していることは明白だった。そこで私
はそう書き、やがて本のカバーには私の言葉が(引用は私の文章だけだった)載ったとい
う訳である。だというのに、自分が進めたあの本の独創性に富んだ重要性を認識したのは、
その後何年もたってからだった。

この本の191ページで私は謎めいた概念に出くわし、困惑した。「こういってもいいかも
しれない、、、、我々の五感には空っぽと思える空間に実は物質が充満しており、それこそが
万物の存在の基礎となっているのだ」。その空間を満たすものはゼロポイント・エネルギーとかよば
れているもので、これは絶対零度においてさえ空間で幅を利かせている。

Wikipedia項目リンク
ゼロ・ポイント・エネルギー  ←はよ掲載せやボケ

Wikipedia項目リンク真空エネルギー

298:、
08/09/10 17:54:22
ボームが何を言っているのか理解したのは何年も後のことだった。ドナルド・ハトソンという作家
がシェークスピアのW・H氏の正体についての本タイプの原稿を送ってよこしたのだが、これがじ
つに博覧強記かつ面白かったので、ニューヨークに出向いたおりにわざわざあいにまで行った。
すると、ハドソンにとってシェークスピア学など本の手遊びでしかないと知ってますます驚いた―
伯父がシェークスピア学者のレズリー・ハトソンで、あの本は伯父との論争をヒントに書いたものだという。
ドナルド・ハトソンの主たる関心ごとは量子論であり、また宇宙論と量子論の関連性だったのだ。
私がイギリスへ帰ると、ハトソンは「仮想量子の現実」と題する本のタイプ原稿を送ってくれた。

シェークスピアの本で感銘を受けたとすれば、こちらのほうには度肝を抜かれた。簡潔かつ明快
な筆致、そしてマーク・トウエインを思わせるドライなユーモアを交え、アインシュタインはおそらく間違ってい
たとハトソンは論じていたのだ。それも<コペンハーゲン解釈>に限らず、事実上すべてにおいて間
違っていたというのである。

友人のマーティング・ガードナーは「奇妙な論理」という本の中で、半可通の変人どもにとってアイン
シュタインはネタ漁りには格好の素材だが、アインシュタインを論ぱくしようなどと企てる輩は総じて気が
ふれた人間に決まっていると書いた。だが、ハトソンは明らかに気がふれてなどいなかった。
気質的にはチャールズ・フォートに近いが、物理学に関してははるかに詳しい。
Wikipedia項目リンク マーティン・ガードナー


299:、
08/09/10 18:01:31
ハトソンはまず、光は電磁力の一形態であるというマクスウェルの発見から始める。マクスウェルは、この
エネルギーの波は計測不能だが宇宙に充満するエーテルという媒質によって運ばれると仮定した。
1897年、マイケルソンとモーリーという2人の物理学者はこう考えた。もし地球が水面を進む船
のようにこのエーテル中を通過していくのだとすれば、その運動によってエーテル風ができている
はずである。これを検出しようと2人は、一本の光線をエーテル風を横断する方向に放って反
射させ、もう一本の光線は縦断する方向に同じ距離だけ放った。川の上流へ向けて泳いで
戻る場合のほうが、川を横切る方向に泳ぐより時間がかかることは、簡単な数字でも分か
る話である。この2者の所要時間の差で、エーテル風の速度が求められるはずだった。ところ
が実際には、この実験ではエーテル風はまったく検出されなかった。

オランダの物理学者ヘンドリク・ローレンツはこの結果にも挫けなかった。1904年ローレンツは、我々の
地球自体がエーテル中の巨大な定常波なのではないかという説を発表した。この説は当時より
今日のほうがはるかに理にかなっている。というのも地球は電子で構成されており、その
電子は(観察によって粒子に変わるまでは)波なのだから。

Wikipedia項目リンク(%E7%89%A9%E7%90%86) エーテル
Wikipedia項目リンクマイケルソン・モーリー
Wikipedia項目リンクヘンドリック・ローレンツ

300:、
08/09/10 18:05:21
この時点でアインシュタインの<特殊相対性理論>が生まれた。この理論のきっかけは、もし光に
またがってベルン広場の時計台から遠ざかっていったとすれば、後ろを振り返っても次官は
変わらないままのはずだという思いつきからだった。アインシュタインはさらに進んで、いかなる
ものも光速よりはやく移動できないというマクスウェルの主張について考えた。だが考えてみれ
ば、もし光速の半分の速さで進む列車の先頭に乗って懐中電灯を照らせば、その光は光速
の1・5倍の速さで進むことになるはずではないのか?

そうはならない、とアインシュタインは言った。どこかに妥協が生じているはずだ。そのどこかと
は次官、というより時空(相対論においては時間と空間はもはや別々の存在ではない)だ
った。そのような速度で移動する列車においては、光が通常の速さで進むように時空のほ
うが歪むのだ。

アインシュタインの理論ではエーテルもまた不要になる。マイケルソン=モーリー実験の否定的結果も時空の歪み
で説明できるからだ。それでもなお、光という波動が何の中で波打っているのかという問
題は残る。だが、アインシュタインは光を粒子と考えていたため、この問題は表面化しなかった。
そしていったん量子論が波動力学について語り始めると、この問題は忘れられた。
Wikipedia項目リンク特殊相対論


301:、
08/09/13 09:15:30
ハトソンの主張では、旧来のエーテル理論のほうが筋が通るという。ローレンツは、マイケルソン=モーリー実験が
失敗したのは、物質自体が波でできているため運動方向に収縮するからで、マイケルソンとモーリー
の装置も実験結果を打ち消すに足るだけ収縮したからだと考えた。この理論は量子論と矛
盾しない。だが実際には、アインシュタインがエーテル説を捨ててあらゆる運動は相対的だとしてしま
った。19世紀の物理学者は、あらゆる運動を測定する基準となる静止した座標点につい
て論じていた。たとえばエルンスト・マッハは星がそれではないかとした。1869年カール・ノイマンは、
この静止座標系をアルファ体と呼んではどうかと提案した。アインシュタインはそんなすべてをゴミ箱
に投げ込み、あらゆる座標系は列車も惑星も恒星も等価だとしたのである。

ハトソンはそれがそもそものあやまりだったという。一例を挙げれば、1989年に回転する
レーザー装置を用いて行ったE・W・シルヴァートゥースのマイケルソン=モーリー実験では、方向によって波の
波長に変化が見られ、また太陽系がしし座の方向に動いている事実を示したとしている。
だが、アインシュタインによれば、時速一万マイルのローラーコースターから測定しようと光の速度に変化はな
い、つまりすべての座標系において同じ結果が出るということになるのだ。

アインシュタインはその後、<一般相対性理論>を構築するが、ここでは重力は空間のゆがみとさ
れている。白状すれば、10代のころの私はこの説明がどうにも理解しがたかった。19
19年の日食で太陽の重力による光線の屈曲が見られ、はっきりと照明されたにもかかわ
らずだ。だが、もし光が波であると同時に粒子でもあるなら、これは当然予想されたこと
である。ハトソンが同じ疑念を表明しているのを知って、私はうれしくなった。
Wikipedia項目リンク エルンスト・マッハ
Wikipedia項目リンク一般相対性理論

302:、
08/09/13 09:23:51
その後、ハトソンはゼロポイント・エネルギーへと話題を移す。ディラックの方程式で陽電子という反粒子
の存在を予言し、またつづいて実験によっても検出されたとき、ディラックは真空を満たす負の
エネルギーの広大な海(実際には陰の電子の海)の存在を示唆した。ときおりなんらかの理由
でこの陰の電子のエネルギーが高くなるとその電子は実在物となり、出現した虚構の穴を陽電
子と呼んだのだ。
Wikipedia項目リンクエドウィン・ハップル


これは同時に、電子がすべてのエネルギーを失って原子核へ落下しないのかという問題の解答
にもなっていた。その基底レベルはすでにこの広大なエネルギーの海が占めているからだ。

ハトソンは次に、アインシュタインが光の速度についても間違っていたことを示すと思しき実験をあげ
る。1921年に物理学者ワルター・フォン・ネルンストは、エーテルの中を移動する光はごくわずかずつ
エネルギーを失うはずだと予言した。その数年後エドウィン・ハップルは、最遠の星からの光は近傍の
星からの光より赤みがかっているのに気付いた。この赤方偏移は、恒星がものすごい速度
(最遠方の恒星では光速の13パーセント)で遠ざかっていることを示しているようだった。ま
るで宇宙が膨張しているように見えるのだ。だが、もしネルンストが正しければ、光は長距離を、
とくにゼロポイント・エネルギーのうずまく空っぽの空間を移動する間に自然とエネルギーを失うはず
である。ハトソンの指摘どおり、母親が窓から呼ぶ声が小さかったからといって、母親が遠ざ
かっているんさどと思ったりはしない。距離や風のせいで弱くなったと考えるのが普通で
はないか。


303:、
08/09/13 09:55:49
するとビッグバン説全体が用なしになってしまう、とハトソンは言う。マイクロ波の(特に高い周波
数の帯域における)背景ノイズはビッグバンの名残と考える天文学者もいるが、これはあらゆ
るマイクロ波受信機に雑音を起こすゼロポイント・エネルギーの結果として説明できる。その一方
では「ビッグバンはなかった」の著者エリック・ラーナーが、宇宙塵やプラズマのマイクロフィラメントは低い周
波数のマイクロ波を吸収しては最放出すると指摘している。こうした仮説に基づいてハトソンは、
ボームのホログラム宇宙論となにがしかの共通点のある大胆な仮想量子の現実論を展開する。細
部にわたって論じるには紙数が足りないのが残念だ。

ハトソンがゼロポイント・エネルギーの師とあおぐスタンフォードの物理学者ハル・パソフとは、彼がユリ・ゲラーを
テストしていた当時文通していたので、私はパソフに手紙をしたためてZPE(ゼロポイン・トエネルギ-)
に関する論文を送って欲しいと頼んでみた。すると10あまりもの論文や一般向け科学記
事の切抜きが届き、おかげで私は現代物理学にこっけいなほど無知だったことを思い知ら
されることになった。

量子論のおかげで物理学者は、粒子は真空中で自然発生するが、不確定性原理を侵犯する
前に消えるのだと予言するようになった。この粒子の持続的発生と消失は、ゼロポイント真空
がときにゼロポイントのゆらぎと呼ばれる理由を失明してくれる。


304:、
08/09/13 10:06:20
これらの論文で一つの疑問にはっきりと回答が出た。ゼロポイント・エネルギーが存在する証拠は
あるのか、という疑問である。答えはイエスだった。2枚の金属板をすれすれに近づけておく
と、何らかの力で両者がくっつくのが、これは絶対零度(ゼロポイント)の真空における多数
の波の大きさが金属板の間におさまらない場合、外側の放射圧のほうが内側よりも大きい
ために金属板を押し付けるからだ。これはカシミール力として知られる。
Wikipedia項目リンク ビッグ・バン
Wikipedia項目リンク膨張宇宙論ジョルジュ・ルメール
Wikipedia項目リンク 
Wikipedia項目リンク 宇宙塵
Wikipedia項目リンク マイクロフィラメント
Wikipedia項目リンクユリ・ゲラー
Wikipedia項目リンクカシミール効果

物理学者ウィリス・ラムはゼロポイント・エネルギーのもうひとつの作用に注目した。電子がある軌道か
ら別の軌道に移る最、スペクトル上に波長線として現れる。ラムはこの波長にわずかな揺らぎが
生じるのに気がついたが、これは軌道上の電子がゼロポイント・エネルギー(これが一種のゆれも
しくは振動を作り出す)によってかすかに揺らすられるためだった。

1980年代初頭にソ連の物理学者アンドレイ・サハロフは、ゼロポイント・エネルギーこそが重力の真の源か
もしれないという驚くべき新説を発表した2枚の金属がカシミール力によって互いに引き合うと
ころは、まるで重力の引きのように見えるからだ。パソフはこう書いている。

305:、
08/09/13 10:26:57
電磁的ゼロポイント振動の海の中にある粒子にはゆらぎが生じる、、、、2つ以上の粒子が存在す
ると、おのおのの粒子は背景の場の揺らぎの影響だけでなく、他の粒子の作り出す場の影
響も受け、すべてに同様の揺らぎが生じる。こうした場によって生じた2粒子の組の間に、
互いに引き合う重力が生じるのだ。
Wikipedia項目リンクウィリス・ラム
Wikipedia項目リンクカシミール効果
電磁的ゼロポイント振動の海の中にある粒子にはゆらぎが生じる、、、、2つ以上の粒子が存在す
ると、おのおのの粒子は背景の場の揺らぎの影響だけでなく、他の粒子の作り出す場の影
響も受け、すべてに同様の揺らぎが生じる。こうした場によって生じた2粒子の組の間に、
互いに引き合う重力が生じるのだ。

この時点でアインシュタインの<特殊相対性理論>が生まれた。この理論のきっかけは、もし光に
またがってベルン広場の時計台から遠ざかっていったとすれば、後ろを振り返っても時間は
変わらないままのはずだという思いつきからだった。アインシュタインはさらに進んで、いかなる
ものも光速よりはやく移動できないというマクスウェルの主張について考えた。だが考えてみれ
ば、もし光速の半分の速さで進む列車の先頭に乗って懐中電灯を照らせば、その光は光速
の1・5倍の速さで進むことになるはずではないのか?

そうはならない、とアインシュタインは言った。どこかに妥協が生じているはずだ。そのどこかと
は時間、というより時空(相対論においては時間と空間はもはや別々の存在ではない)だ
った。そのような速度で移動する列車においては、光が通常の速さで進むように時空のほ
うが歪むのだ。
Wikipedia項目リンク慣性系
Wikipedia項目リンク時空
Wikipedia項目リンクアインシュタイン・方程式

306:、
08/09/13 10:48:22
アインシュタインの理論ではエーテルもまた不要になる。マイケルソン=モーリー実験の否定的結果も時空の歪み
で説明できるからだ。それでもなお、光という波動が何の中で波打っているのかという問
題は残る。だが、アインシュタインは光を粒子と考えていたため、この問題は表面化しなかった。
そしていったん量子論が波動力学について語り始めると、この問題は忘れられた。

ハトソンの主張では、旧来のエーテル理論のほうが筋が通るという。ローレンツは、マイケルソン=モーリー実験が
失敗したのは、物質自体が波でできているため運動方向に収縮するからで、マイケルソンとモーリー
の装置も実験結果を打ち消すに足るだけ収縮したからだと考えた。この理論は量子論と矛
盾しない。だが実際には、アインシュタインがエーテル説を捨ててあらゆる運動は相対的だとしてしま
った。19世紀の物理学者は、あらゆる運動を測定する基準となる静止した座標点につい
て論じていた。たとえばエルンスト・マッハは星がそれではないかとした。1869年カール・ノイマンは、
この静止座標系をアルファ体と呼んではどうかと提案した。アインシュタインはそんなすべてをゴミ箱
に投げ込み、あらゆる座標系は列車も惑星も恒星も等価だとしたのである。

ハトソンはそれがそもそものあやまりだったという。一例を挙げれば、1989年に回転する
レーザー装置を用いて行ったE・W・シルヴァートゥースのマイケルソン=モーリー実験では、方向によって波の
波長に変化が見られ、また太陽系がしし座の方向に動いている事実を示したとしている。
だが、アインシュタインによれば、時速一万マイルのローラーコースターから測定しようと光の速度に変化はな
い、つまりすべての座標系において同じ結果が出るということになるのだ。


307:、
08/09/13 10:56:02
>>306  マズッタ、、、m(。。)m

、、、、あれ?、、、ちょっとおかしいな、、、?



308:、
08/09/13 10:59:19
、、、言っておかなければならないのは、改行制限の影響はありますよ、、

少しばかり、朦朧性癲癇の方向付けの空気が漂う、、

309:、
08/09/13 11:14:31


、、、、と言うか、欠落部分も何ヶ所かありました、、、。やり直しだね、、

、、、m(。。)m、、、、

310:、
08/09/13 11:18:28
>>305

からやり直し

311:、
08/09/13 20:18:56
>>304 続き

電磁的ゼロポイント振動の海の中にある粒子にはゆらぎが生じる、、、、2つ以上の粒子が存在す
ると、おのおのの粒子は背景の場の揺らぎの影響だけでなく、他の粒子の作り出す場の影
響も受け、すべてに同様の揺らぎが生じる。こうした場によって生じた2粒子の組の間に、
互いに引き合う重力が生じるのだ。

パソフはその後、重力ばかりか慣性までもがこの揺らぎによるものだという説を数式化した。
慣性とは、静止している物体は静止したままであろうとし、また運動している物体は運動
を保とうとする傾向のことである。思いテーブルを動かすとき、最初動き出せるのに大きな力
が要るのは、このためである。

慣性に最初に気付いたのはガリレオだというのが常識になっている。だが、これが重力と同じ
大問題だと悟ったのはニュートンだった。テーブルを動かすのが大変なのは重力のせいだと考えれ
ばことは簡単だが、そうはいかない。水の入ったバケツを頭上で大きく一振りすれば、下
向きに重力が動いているにもかかわらず、水はバケツの中にとどまっている。これが慣性
である。
Wikipedia項目リンク慣性系

312:、
08/09/13 21:08:03
Wikipedia項目リンク 慣性
1993年、パソフは同僚のベルンハルト・ハイシュとアルフォソ・ルエダとともに「ゼロポイント・ローレンツ力としての
慣性」と題する論文を発表した。この論文の主張では、慣性もまたゼロポイント・エネルギーによ
るものであり、その中を通過する加速エネルギーに対しては抵抗となるとされている。これに
目をつけたアーサー・C・クラークは自らの小説「3001年終局への旅」(1997年)でこの理論を扱
っている。作中で恒星間航法を実現しているのはSHAPドライブなる原理だが、これはサハロ
フ、ハイシュ、ルエダ、パソフの頭文字をとったものだ。クラークによれば、パソフとその同僚は「物体が
動き出すとき力を必要とさせる質量(ないし慣性)は何から生じるか?」という問題に、
慣性と重力はどちらにも、このゼロポイント・エネルギー場との相互作用によって発生する電磁現
象だという解答を出したのだという。

ゼロポイント・エネルギー理論に詳しい理論物理学者ティモシー・ボイヤーなどは、ゼロポイント・エネルギー物理
学の古典版まで編み出して確率的(偶然という意味だ)電子力学(ストカスティック・エレクトロダイナミッ
クス)と名づけ、それまで量子力学を要するとみなされていた結果を数多く再現させており、
その数は増える一方だ。つまり量子論の状況はいまだに当惑するほど流動的なものであり、
次に何が起きるかを予言するなど狂気の沙汰ということなのである。

19世紀末当時の科学を振り返れば、現代の状況は信じがたいものがある。エネルギーはパケット
単位で伝わるのかも知れないとしたプランクの説からこれほどまで大規模な混沌が生じるな
ど、誰が予見できたろうか? 1890年代当時の目に映っていた科学は主要な問題をほとん
ど解決し終え、残った問題も間もなく解答が出ると思われていたのだ。地質学の領域では
地球の年齢が数十億年と分かり、進化論は人類の登場する家庭を説明付け、陰極間の発明
からX線が、そしてやがては電子の存在が明らかになり、ヘルツは電波を発見し、ベルは電話
を発明した。

313:、
08/09/13 21:18:55
Wikipedia項目リンク X線
Wikipedia項目リンク ヘルツ
Wikipedia項目リンクベル

そうした状況からすれば、T・H・ハックスレーが心霊研究に「興味が沸かない」と感じたのも
よく分かる。まるで時代錯誤のように思えたに違いない。科学がもたらす次の千年期は、
こうした迷信に満ちた過去の残滓との決別だったのだ。

1世紀の後、科学者はいまだに超常現象を迷信として片付けたがる傾向にある。1979年ジ
ョン・ホイーラーは、<米国科学振興協会>の会合で超常現象研究者を詐称者(スードー)と決め付
け、「科学の殿堂からの追放」を要求した。だが、そのジョン・ホイーラー本人が人間が観察する
まで宇宙は存在しないと唱え、またその教え子のヒュー・エベレットは無数の平行宇宙が存在する
と論じているのだ。こんな理論などハックスレーが見たら、幽霊や霊魂よりほどあやしからんと
思ったことだろう。

Wikipedia項目リンク T・H・ハックスレー
Wikipedia項目リンク米国科学振興協会
Wikipedia項目リンク 分析心理学

314:、
08/09/18 20:39:45
>>260

解の求め方は何通りもあるが、如何なる高度な求め方をしたとしても、

答えが間違っていたら、つまり、自然現象に一致する事無く予測された結果と

食い違っていたら、正解に到達したどんな求め方にも劣るのである。

基本的に科学は目的であって手段ではないと言うことは、芸術や宗教と共に

言える話しであると思われる。


315:、
08/10/08 20:50:23



















316:、根本的な原初のヴィジョン
08/10/08 20:51:42

、、、   鳥瞰とヘルメス・コード  、、、



この本のための調査をしながら、私の心は常にハプグッドの言う「10万年前に遡る可能性の
ある、高度に発達した科学」に立ち返った。彼の言う「高度に発達した科学」とは何を意
味していたのだろうか?まず確実にいえることは、我々の祖先であるクロマニオン人は蒸気機関
や電灯は持っていなかったということだ。

あるいは、ハプグッドは全然別のことを述べているのか?確かにストーンヘンジやティアワナコは、現代
のテクノロジーとはまったく異なるものの、高度な科学の存在を示している。

キース・クリッチロウの「静止した時間」には、バビロニアの数学に関する驚くべき事実が記されてい
る。それはピュタゴラスの3角形の辺に関する計算だ―驚くべき事実というのは、バビロニア人
は極めて原始的な記数法しか持たなかったにもかかわらず、18541のような大きな数の自
乗を苦もなく求めているところだ。その答は3億4300万以上になる。だがどうみても彼ら
は、直角3角形の斜辺を求める程度の簡単な算術すら持っていなかったのだ。

クリッチロウによれば、古代人は何らかの「これらの数の間に存在する一般的関係を直ちに認識
する能力」を持っていたらしい。言い換えれば、あなたや私が2×2を見て直ちに4だと分
かるのと同様、彼らは瞬間的にその答が分かったというのだ。


317:、
08/10/08 20:58:35
馬鹿げた話に聞こえる―だが、ベンジャミン・ブライズという5歳児は、ほんの30秒ほどの間
に、彼がこれまで生きた秒数をうるう年まで含めて計算してしまったのだ。

イギリスの天才自閉症児ダニエル・タメットは、この謎を解く答を提供してくれている。彼は、たと
えば377×795というような計算を瞬時に行うことが出来るのだが、その際、数を形
や色、質感として「見る」ことができるという。

「3つの数字を掛け合わせるときは、2つの形が見える。そのイメージは形を変え、進化して
いって、第三の形が現れる」。言い換えれば、その作業は彼の右脳、つまり形や空間を扱う
側で行われている。タメットの能力が開花したのは、3歳のときに癲癇にかかって以来だ。これ
によって彼の脳の左半球は損傷を受け、支配権が右脳に移ったのだ。このことはまた、第
一章で提示した謎に対するこたえともなる―ロバート・グレイウズが学校のローラの上に座ってい
て、突然「すべてを知った」ときに、彼は何を「見ていた」のか?

彼曰く、それは「直観力に対する突然の子供じみた覚知。通常の思考プロセスをすべて省略し、
問題から直接答と飛ぶ超論理」だった。

彼は、その直感のひらめき、右脳の知覚を「鳥瞰」と表現している。そしてこの「鳥」が
見ているものとは、人間の存在の抱えるあらゆる複雑さと矛盾が突如として溶け合い、単
純な全体性のヴィジョンとなったものだ。グルジェフ弟子であるウスペンスキーは―恐らく一酸化2
窒素の吸引で―このような体験をした。それは彼の著書「宇宙の新モデル」(1931)
の「実権神秘学」と題された章に出てくる。曰く、「すべてが一つとなり、すべてが別の何
かによって説明され、そして別の何かを説明した。そこで接するようになる新たな世界に
は、部分が存在しない。ゆえに、まずある部分を記述し、次に別の部分に移る、というこ
とは不可能である、、、、」。だからグレイウズは、それを書きとめようとして途方に暮れること
になる。彼は「最初の点」を探そうとしたのだが、そんなものは何処にもないのだ。だが
あくまでそれを求め続けた結果、彼は一撃の下に地上に叩き落され、ヴィジョンは消滅するこ
ととなった。

318:Nanashi_et_al.
08/10/15 20:59:21
つまり、ベンジャミン・プライズやニネヴェ定数の創造者たちは、この鳥瞰に自在にアクセスすることが
できたが、現代人は地上に落ちた後のグレイウズと同じ立場だということだ。今やすべてはバ
ラバラに分解している。

ところで「アトランティスからスフィンクスへ」で、私は、何年も北アメリカ先住民の研究をしている人類学
者エドワード・ホールの話を聞いた。彼の学生の一人が校庭で遊ぶ子供たちをフィルムに収めたのだ
が、このフィルムを何度も見ているうちに、学生たちはそこに内在するビートを感じ始めた。さ
らに、あるロックファンがこのフィルムを見て、自分のコレクションから一つのテープを取り出し、フィル
ムと一緒に再生した。子供たちはまるで振り付けでもしたかのように、ロックに合わせて踊っ
ているように見えた。彼らは明らかに自分でも気づかない内在リズムの乗って踊っていた
のだ。そこでホールは、自著の表題を「生命のダンス」(1983)とした。

また、シュワレール・ド・リュビックの「神聖科学」(1961)によれば、「生きとし生けるものは
すべて、自らの宇宙にあるすべてのエネルギーのすべてのリズムと調和に接触している」。

「アトランティスからスフィンクスへ」では、マイケル・ヘイズの「無限の調和」(1994)という本も取り
上げた。その中で彼は音楽とDNAコードとの繋がりについて語っている。その時点では、私
もマイケル・ヘイズも、それと同じことを考えた人物がすでに存在していたということを知らな
かった。例えば1976年に、ユング学者のマルティン・ションブルガー博士は、マリー=ルイゼ・フォン・フランツ博
士からインスパイアされた「易と遺伝子コード」(1979)という本の中でそれを語っているし、
また太極拳の専門家であるグラハム・ホーウッドも「太極拳と生命のコード」(2002)でそれを
論じていたのだ。


319:、
08/10/19 20:06:36

正攻法で立ち上げる現代の正規の精神医療スレッド [メンヘルサロン]
異常心理スレ [心理学]
ほんまかいな !?  事実検証スレッド  [噂話]
世界史に記されている超常現象 [世界史]
何でもスレッド保管スレ [電波・お花畑]


320:、
08/10/20 20:40:06
ヘイズはレスター大学で遺伝子コードに関する授業に出た。そこで4つの塩基成分(ACGT)が
構成するトリプレット(3つ組)はRNAコドンと呼ばれ、その数は64であることを知った
(コドンはRNA上の遺伝番号の単位で、三個一組の塩基配列(トリプレット)になっている。
これは64種類あり、うち61通りが20種のアミノ酸を規定する残りの3通りはアミノ酸配列の終了を規定するコードになっている。)


そこで彼はただちに「易経」を思い起こした。易では、6本の「コウ」から構成される64種
類の「大成卦(ヘキサグラムズ)」というものがある。各大成卦は、連続もしくは分裂した3本
の「コウ」で構成される「小成卦」が二つ組み合わさったものだ。
(易の卦は、連続したコウ=陽と分裂したコウ=陰の組み合わせになっている。まず陰陽二本のの組み合わせ
から四象が生まれ、さらに3本のコウを組み合わせて8卦すなわち小成卦が生じ、そこから64の大成卦が生じる。)

さて、RNAの各トリプレットは、DNA分子の中のもう一つのトリプレットと結びついている。つ
まDNA分子の2重螺旋は、ちょうど易と同じく64の6つ組(ヘキサグラムズ)から出来てい
る。もしかしたら、易の生みの親とされる伏キは、性目の符号に関して何らかの根源的な
洞察を得ていたのではないか、と彼は考えた。

もしそうなら、DNAには8つの3つ組(トライグラムズ)があるはずだ。はたして実際にその
通りであることを知ったヘイズは、自分がなにか重要な事実に行き当たったのではないかと
考えた。

321:、
08/10/20 21:13:02
Wikipedia項目リンク  遺伝子
Wikipedia項目リンクDNA
Wikipedia項目リンクRNA
Wikipedia項目リンク塩基配列
Wikipedia項目リンクコドン
Wikipedia項目リンク易教

さらに興味深いことに、たんぱく質の合成に必要なアミノ酸は20種類であり、さらにそこ
に「始め」と「終わり」を示す暗号化された命令がある―つまり全部で22だ。彼は、
ピュタゴラス派が22を聖数と見なしていたことを思い出した。なぜならそれは3オクターヴに相
当するからだ(1オクターヴには7つの音階がある、ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シだ。最後にドが加
わり、これはひとつのオクダーヴの簡潔と次のオクターヴの開始を示す)。そして明らかに3つの
オクターヴとは神秘数3に通低する。

ピュタゴラスはいうまでもなく「数秘術」の元祖だ。

古代エジプト人は、彼らの知識を暗号化するのに巨大な長さを用いた―すでに見たよう
に、大ピラミッドの高さと基部は、地球の大きさを暗号化している。マイケル・ヘイズによれば、王
の間の控えの間にある花崗岩のレリーフは、その面積が控えの間の床の長さを直径とする円の
面積に等しい。さらにこの長さにπをかけると、その答は正確に一年の長さ―365・2412
ピラミッド・インチとなる。このような設計は明らかに、数には大宇宙の構造が暗号化されてい
るという古代エジプト人の信仰に由来している。


322:、
08/10/25 21:48:39
Wikipedia項目リンクオクターヴ
Wikipedia項目リンクピュタゴラス

ヘイズは、さらに世界の様々な大宗教に研究を進めた―彼はイランに住んでいた頃にイスラムに興
味を持つようになった。そして彼は、いくつもの大宗教の中で、3、7、22といった数
が重要な役割を果たしているのを知って驚愕した。円周率πは22÷7だ。彼の「無限の
調和」には、頻繁に登場する3、7、22の例がいくつも挙げられている。ヘイズはこれら、
及び他の数字を「ヘルメス・コード」と名づけた。彼によればヘルメスコードは進化のコードである―
つまり生命と、より高度な進化レヴェルに上昇しようとする運動と関係しているのだ。世界中
のシャーマンは音楽によって精霊と交感できることを認めている、とジェレミー・ナーバイは述べたが、
その言葉には見かけよりも遥かに深い意味が潜んでいる。

ユングによれば、易が機能するのは彼の言う「意味のある偶然」による。ナーバイと同様、ユング
もまた、我々の住むこの宇宙とは19世紀の科学が措定した機械的な宇宙でなく、「知性の
ある宇宙」であることを認めている。真剣な意図を持って3つのコインを投げるという行為に
よって、易に―あるいは、その背後にある意義深い原理に―問いかけるとき、それは
64の大成卦の中から適切な解答を選んでくれている(リヒャルト・ヴィルヘルムによる1951年の独
訳版「易経」への序文の中で、彼はすでに30年以上も易に頼ってきたことを告白している)。

これらすべてが、ハプグッドのいうはるか太古の「高度科学」の問題に関する洞察を提供し
てくれている。もしもハプグッドがナーバイの本を読んでいたら、8万種の植物の効能に関する
キリシャリ族の洞察は高度な知識と認定しうることに同意していただろう。また、1年の長さ―
―小数点以下4位に至るまで―4角い花崗岩のレリーフに暗号化していた古代エジプト人の能
力に関してもだ。


323:、
08/10/25 21:59:23

、、、  ゲーテの能動的注視   、、、



ここでナーバイが、エドワード・ホールが、マイケル・ヘイズが、ユングが、シュワレール・ド・リュビックが述べてい
ることは、自然は意味に充ち満ちており、そして現在のわれわれはそれに対して盲目とな
ってしまったということだ。

それどころか、現代人は自分自身がどのように「盲目」であるのか、ということすらわか
らない。我々が見るのはただ鼻先にあるものだけであり、どれほど目を見開いてもそれ以
上は見ることができない。

だが「盲目」というのはそれだけではない。ウィリアム・ジェイムズが「人間の盲目性について」
で述べているような盲目性というものがある。ノース・キャロライナの山地で馬車に乗っていたとき、
彼は新しく開墾された区画(コウヴと呼ばれていた)を嫌悪をこめて眺め、何と醜いのだ
ろうと考えた。一体どんな人間がここに住んでいるのか、と御者に尋ねると、御者は陽気
に答えた。「こうゆうコウヴのひとつも手に入れるまでァ、死んでも死に切れねェってもん
でさァ」。入植者たちはそれぞれのコウヴを人生の勝利と見なし、それを美しいものと考え
ているという事実を、突如としてジェイムズは知った。

われわれはしばしば事物に自分自身の考えを押し付け、無頓着になることによって、それ
にたいして盲目となる。それは、自分はそれについてすでに理解しているという思い込み
によるものだ。ジェイムズはコウヴを醜いと確信しており、実はその醜さは彼自身の目にある
のだとは思いもしなかった。


324:、
08/10/25 22:23:02
Wikipedia項目リンク マイケル・ヘイズ
だがたとえそれを頭で分かっているつもりでも、我々にとっては古代エジプト人の―ある
いは、我々の祖先であるクロマニオン人の―世界観は我々のそれとはまったく異なっており、
彼ら自身の「高度に発達した科学」を築き上げていた、ということを理解することは極め
て困難だ。そこでいくつかの実例を挙げてみることにしよう。

この「古代人の視覚」を自然に手に入れていたごく小数の人々の中に、詩人のゲーテがいる。
ゲーテの科学観を見れば、それがどのようなものであるのかを理解することができるだろう。
そのために、私自身がゲーテの科学観を知るに至った次第をご説明しよう。

私は十代の頃に、懐かしいエヴリマン叢書で初めて「ファウスト」を呼んで以来、ゲーテのファンだった。
人生に対する無常の感覚に彩られた彼の学者としてのヴィジョンは、16歳の私の深い心の琴線
に触れた。彼の作品の良質な英訳は稀だが、何年もの間に私は手当たり次第に彼の本を集
めていた。

何年か前、私は「ゲーテの色彩論」という英訳本を見つけたが、それを買うかどうかかなり
迷った。私はゲーテが熱狂的なアマチュア科学者だったことを知っていたが、基本的にはそれ以上
のものではない、と思っていたのだ―要はアマチュアだ。だがともかく、私はその本を買った
―そして読みもしないまま書棚に放置していた。

私は、ゲーテのどの一部にせよ、これを放逐してしまう危険性を認識するべきだったのだ。

たとえは私は、顎間骨についての彼の見解が最終的に正しかったことが証明されたのを知
っていた。この骨は上顎部にあり、切歯を支えているもので、あらゆる動物がそれを持っ
ている。だが1780年代に、著名なオランダの解剖学者ペーテルカンペルが、人間の独自な点は顎
にそれを持たないことだ、と宣言した。だが、ダーウィンやラマルクよりもはるか以前から進化論
だったゲーテは、そんなことはありえないと確信していた。そこでゲーテは山と積まれた動物
と人間の頭骸骨を研究し、人間にも痕跡的にではあるが顎間骨はあることを発見した。

325:Nanashi_et_al.
08/10/26 16:09:46
● 子持ち予想犬、天才予想犬プリンちゃん
URLリンク(www.geocities.co.jp)

個人リンク
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp) 大洋ホエールズだ!
URLリンク(www.morinono.net) MoRinono


緊急のときは
ギコ太郎掲示板
URLリンク(jbbs.shitaraba.com)


326:、
08/10/27 23:38:53
だがカンペル等科学者に対してこの発見を報告すると、科学者たちは彼をアマチュアとして一蹴し
たのだ。だがダーウィンのころまでには、正しいのはゲーテでありカンペルが誤っていたことが認め
られるようになった。

とはいうものの、こと色彩に関する限り、ゲーテといえども定説に異議を唱えるなんて不可
能に思えた。学校で終わったとおり、白い光は実際には虹の7色からなっている―赤、
橙、黄、緑、青、藍、紫だ。ニュートンは簡単な実験でこのことを証明して見せた。ブラインドに小さな穴を開け、細い一条の光線しか入らないようにして、これをプリズムに通したの
だ。すると光線は7色に分かれた。まさしくそれが結論ではないか?

ゲーテはプリズムを借りてきて、ニュートンの実験を追試しようとした。そして直ちにおかしなこと
に気づいたのだ。そのプリズムを通して白いテーブルの上を見ても、それは7色のテーブルには
見えない。それは依然として白いテーブルであり、7色に見えたのはその縁の周りだけだった。
そしてこのことは一般に事実とされている。色彩は、一種の教会すなわち縁があるときにのみ現れるのだ。

ゲーテは一枚の紙を用意した。上半分が白く、下半分の黒いものだ。その真ん中の線のとこ
ろでプリズムを覗くと、赤、橙、黄の色が白いほうの半分に走っているのが見えた。だが意
図的に黒い境界を見ると、虹の暗いほうの色が見えたのだ―境界近くがライトブルー、それ
からダークブルー(藍)、そして紫である。つまり色彩の順序は、虹の順序である赤、黄、緑、
藍、紫ではなく、黄、橙、赤、藍、紫だったのだ。明らかにニュートンの法則に反している。


そこでゲーテは、一見して実に奇妙な結論を引き出した。暑い日に空を見ると頭上は深い青
だが、地平線に近づくに連れて色彩は明るくなる。そこでは、大気―光を蓄積している
―は厚い。だが、ロケットに乗って上昇すると、空は徐々に青く、暗くなっていき、漆黒の
宇宙に至る。


327:、
08/10/28 06:55:43
Wikipedia項目リンク
Wikipedia項目リンク

一方、太陽が真上にあるとき、それは黄色い。だが地平線上に降りてくるとその光は赤く
なる。つまり、太陽光線に関する限り、大気は3つの明るい色を作る。黄、橙、赤だ。闇
に関する限り(外宇宙)、大気は3つの暗い色を作る。青、藍、紫だ。

これを示すために、ゲーテは暗い色彩―青、藍、紫―は闇の希釈によって作られるので
あり、明るい色彩―黄、橙、赤―-は光の濃密化によって作られる、と述べた。

これを読んだとき、私自身は髪を掻きむしって本を窓から投げ捨てたくなった。いったい、
ゲーテのこの説のどこがニュートンより優れているというのか?そしていずれにせよ、それがどう
したというのか?

そんなとき、友人のエディ・キャンベルが、アンリ・ボルトフトの「自然の全体性―ゲーテの科挙の方法」
という本を貸してくれた。著者は物理学者ディヴィッド・ボームの弟子だった科学者だ。

一見して難しげな本で、読むのに何年もかかりそうだったので、自分用のを一冊買った。
で、一年以上書棚にほったらかしにしていた。だがようやく覚悟を決めて読み始めると、
それはこれまで買った中で最も重要な本の一つであることがわかったのだ。

ボルトフトの本には興味深い新事実が示されていた。まず第一に、ゲーテは色彩を観察するとき、
目を閉じて、今見たばかりんぽものを脳裏に浮かべていたという。正しい順序で色彩を見
ようと努め、最終的に実際のリアルさで脳裏に描き出したというのだ。つまり、先に述べ
た「直感像」を実践していたのだ。一体何のために?


328:、
08/10/28 07:10:57
今見たばかりんぽものを脳裏に  →  今見たばかりのものを脳裏に  、、、


ボルトフトによれば―

「ゲーテの方法で色彩という現象を観察するためには、通常よりもさらに能動的に見ること
が必要となる。

「観察」という述語は、あまりにも受動的である。われわれは観察というものを、単に現
象を前にして目を開いているということ、と解釈しがちである、、、ゲーテの方法で現象を観
察するためには、見ることの方向性を逆転させるかのように見ることが必要である。つま
り見る主体と見られる対象の方向の逆転である。これは、見るということに注意を向ける
ことによって達成される。つまり単に視覚的印象を得るのではなく、目を向けている対象を真に見
ることができるのである。それはあたかも見るという行為に没入するようなもの
である。このようにすることで、われわれは色彩の本質を体験することができるようにな
るのだ」

そしてイマジネーションの中に色彩を再現するゲーテの方法について述べた後に、ボルトフトは次のよう
に説明する。「その目的は、現象との接触を深化させることの出来る器官の開発である、、、、」

ゲーテはこれを「能動的注視」と呼んでいる。私に言わせれば、これこそが現代人と古代人
の違いなのだ。現代人よりもはるかに密接に自然と接触していた古代人は、この能動的注
視に驚くほど熟達していた。

たまたま、ボルトフトのゲーテ論を読んでいたのは明るい夏の日の朝6時30分ごろで、私はベッド
に腰掛けていた。突如私は、彼の言うことを理解した。窓から庭の木々や潅木を見て、私
は意図的にゲーテの言うとおりにやってみた―つまり能動的に見ることにしたのだ。



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