【社説】週のはじめに考える あいまいな日本の私たち 東京新聞 at EDITORIALPLUS
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1:仙猫カリン ★
17/11/27 06:28:49.69 CAP_USER9.net
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2017年11月26日
 「不寛容社会」と言いますが、確かに当今、何かと明確化、厳格さを求める空気が強まっている気がします。でも、曖昧って悪いことばかりでしょうか?
 曖昧とは、辞書によれば、はっきりしないこと、まぎらわしく、確かでないこと。良い方向のニュアンスはないですね。
 見出しは、無論、大江健三郎さんの「あいまいな日本の私」を借りたものですが、あのノーベル文学賞受賞記念講演も、アジアでありつつアジアに背を向けたわが国近代を自省する「あいまい」であり、やはり多く、負の意味でとらえられるようです。
◆好きな英語は「多分」
 例えば、森友・加計問題。安倍晋三首相は説明したと言いますが、事訳は、なおはっきりしないまま。この種のことは当然、曖昧では困ります。また、ビジネスの世界、ことにものづくりの現場などでは次々、「勘」や「経験」という曖昧さが、「データ」や「システム」という明確さに置き換えられています。市場主義の信奉する「効率」と相性が悪いのでしょうか。
 でも、そもそも私たちの言葉、日本語の特徴の一つは曖昧さだといいます。
 例えば、何かに誘われ「はい、でも、ちょっと」。外国人には断りと伝わらず、誤解につながったりもしますが、はっきりノーと言わないのは相手への柔らかな配慮、優しさでもありましょう。ちなみに、英語でも日本人が多用する言葉の代表例は「maybe(多分)」だとか。
 妄(みだ)りに想を連ねるようで恐縮ですが、明確さ−あからさまを嫌うという点では、着物の表でなく裏地に凝ってこそ粋という美意識にも通じる気がします。俗謡にも、こんな文句がありましたっけ。
 <恋に焦がれて鳴く蝉(せみ)よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす>
 どうも、日本人の心性には、あえて明確さを避ける、曖昧をよしとするところがある気がします。
◆柔よく剛を制す
 「明確な」という意味の英語preciseは、切り落とす、省略されたといった意を持つラテン語に由来するようです。曖昧なものの、どこかに線を引いて余計なところを切り落とし、省略すれば効率的にはなり得るとしても、いろんな判断にそれが敷衍(ふえん)されていくと、いささか息苦しい不寛容な空気となるのでしょう。
 曖昧さを嫌い、明確さを求めたという意味では、先の衆院選で話題をさらった小池百合子さんの「排除」もその類いかも。安保関連法制への賛否という線を引いて、民進党議員間の違いを明確にし、一方を切り落としました。
(リンク先に続きあり)


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