【考古学】尊氏再起の寺の本堂か 幕府創設前雌伏「原山無量寺」の遺構 at SCIENCEPLUS
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16/03/15 12:33:08.76 CAP_USER.net
尊氏再起の寺の本堂か 幕府創設前雌伏「原山無量寺」の遺構 - 西日本新聞
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 福岡県太宰府市三条の原遺跡で、室町幕府創設前に九州に落ち延びた足利尊氏が身を寄せ、
再起を図ったとされる「原山(はらやま)無量寺」(通称・原八坊)の本堂跡とみられる遺構が初めて確認された。
市教育委員会が調査していた。これまで古絵図や文献などから同遺跡付近に同寺があったと推定されていたが、今回の発見で寺全体の構造解明が前進しそうだ。
 原遺跡は太宰府天満宮から北西約600メートルの四王寺山南東麓に位置し、過去の調査では僧坊の可能性がある建物遺構などが出土している。
今回の調査で建物の基礎となる「基壇」とみられる盛り土の遺構と階段跡が見つかった。
 盛り土は高さ最大約2メートル。壁面は石を組んでいたと考えられ、下部に複数の直径1メートル前後の石が確認された。上部の平らな面には建物礎石と推定される石もあった。
 盛り土に沿って石の階段(最大幅約5メートル)の遺構も出土。同じ地層から出た白磁や青磁の破片から、盛り土や階段は13世紀ごろの築造とみられる。
土製仏像や五輪塔の破片(ともに5センチ四方程度)も見つかった。
 盛り土の規模や石の大きさなどから市教委の中村茂央(しげお)技師は「仏教関連遺物も出ており、本堂跡の可能性が高い」と結論づけた。
 同寺は9世紀創建の天台宗の寺院とされ、福岡市博物館所蔵の「原山古代図」(江戸時代)には往時の壮麗な伽藍(がらん)群が描かれている。
14世紀半ばの歴史書「梅松論」には、戦に敗れて九州に下った足利尊氏が「原山」に入った後、再び攻め上って室町幕府を開いたことが記されている。
 現地を見た小田富士雄福岡大名誉教授は「大分県国東半島の天台系寺院と同じ伽藍配置のようだが、規模はずっと大きい。力のあった寺の片りんが見える。
影が薄かった太宰府の中世に光を当てる発見で、本堂跡の全容解明を期待したい」と話している。


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